西尾にしおみき

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西尾にしお みきにしお かんじ
誕生たんじょう (1935-07-20) 1935ねん7がつ20日はつか(88さい
日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう
職業しょくぎょう 文学ぶんがくしゃ
評論ひょうろん
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
主題しゅだい 論説ろんせつ
評論ひょうろん
翻訳ほんやく
代表だいひょうさく 『ヨーロッパぞう転換てんかん』(1969ねん
『ヨーロッパの個人こじん主義しゅぎ』(1969ねん
『ニーチェとの対話たいわ――ツァラトゥストラわたしひょう』(1978ねん
人生じんせい価値かちについて』(1996ねん
国民こくみん歴史れきし』(1999ねん
江戸えどのダイナミズム』(2007ねん
『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう』(2008ねん-)[1]
デビューさく 『ヨーロッパぞう転換てんかん』(1969ねん
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西尾にしお みき(にしお かんじ、1935ねん昭和しょうわ10ねん7がつ20日はつか - )は、日本にっぽんドイツ文学ぶんがくしゃ評論ひょうろん。ニーチェの研究けんきゅうでしられる。学位がくい文学ぶんがく博士はかせ東京大学とうきょうだいがく)。電気通信大学でんきつうしんだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

東京とうきょうまれる。東京とうきょう都立とりつ小石川こいしかわ高等こうとう学校がっこうて、1958ねん昭和しょうわ33ねん東京大学とうきょうだいがく文学部ぶんがくぶどく文科ぶんかそつ1961ねん昭和しょうわ36ねんどう大学院だいがくいん修士しゅうし課程かてい修了しゅうりょう指導しどう教官きょうかん手塚てづか富雄とみおであった。

1961ねん静岡大学しずおかだいがく人文学部じんぶんがくぶ講師こうし、1964ねん電気通信大学でんきつうしんだいがく助教授じょきょうじゅ、1975ねん教授きょうじゅ。1979ねんに「初期しょきのニーチェ」により東京大学とうきょうだいがくより文学ぶんがく博士はかせ授与じゅよされた。1994ねん正論せいろん大賞たいしょう受賞じゅしょう。1999ねん電通大でんつうだい定年ていねん退官たいかん名誉めいよ教授きょうじゅ。2015ねんはるみずたからちゅう綬章じゅしょう受勲じゅくん[2]

文化ぶんかじんとしての軌跡きせき[編集へんしゅう]

論壇ろんだん文壇ぶんだんへの登場とうじょう[編集へんしゅう]

「ニイチェと学問がくもん」(静岡大学しずおかだいがく人文じんぶん論集ろんしゅう』13ごう)、「ニイチェの言語げんごかん ―― 初期しょき作品さくひんをめぐって」(『ドイツ文学ぶんがく』28ごう)、「論争ろんそう言語げんご ――ニイチェをめぐって」(『Neue Stimme』創刊そうかんごう)により、1963ねん昭和しょうわ38ねんだい3かいドイツ語学ごがく文学ぶんがく振興しんこうかいしょう受賞じゅしょう[3]。また、1965ねん昭和しょうわ40ねん)には論文ろんぶんわたしの『戦後せんごかん」(『自由じゆう』1965ねん2がつごう)にて雑誌ざっし自由じゆう』の新人しんじんしょう受賞じゅしょう

1965ねんから67ねん昭和しょうわ40ねんから42ねん)にかけ、ミュンヘン大学だいがく近代きんだい文学ぶんがくのヘルマン・クーッシュ教授きょうじゅ研究けんきゅうしつ客員きゃくいん助手じょしゅとして西にしドイツに留学りゅうがく[4]、この経験けいけんをもとに執筆しっぴつした論考ろんこうが、三島みしま由紀夫ゆきおなど論壇ろんだん注目ちゅうもくされた[5][6]論考ろんこうしゅう処女しょじょさく『ヨーロッパぞう転換てんかん』として刊行かんこうされ、三島みしま由紀夫ゆきお推薦すいせんぶんされた[6]。ついで発表はっぴょうした『ヨーロッパの個人こじん主義しゅぎ』も、梅原うめはらたけしが「一人ひとり思想家しそうか登場とうじょうをみた」とどうちょのカバーで推薦すいせんぶんせている。

ほぼどう時期じき文芸ぶんげい評論ひょうろんとして文壇ぶんだんにもデビューする。論壇ろんだん文壇ぶんだんへの登場とうじょうは、西尾にしお才覚さいかくはやくからみとめていた三島みしま由紀夫ゆきお福田ふくだひさしそん推挙すいきょによるめんおおきく、2人ふたり関与かんよしていただてかい関連かんれん雑誌ざっし論争ろんそうジャーナル』にも寄稿きこうしていた[7]批評ひひょうとして小林こばやし秀雄ひでおろんをはじめ様々さまざま作家さっかろん発表はっぴょう、また三島みしま由紀夫ゆきお自決じけつ三島みしま事件じけん)にさいし、三島みしまろん不自由ふじゆうへの情熱じょうねつ」を月刊げっかん文芸ぶんげい新潮しんちょう』に掲載けいさいした[8]後述こうじゅつするが生前せいぜん三島みしま西尾にしお交友こうゆうがあった。晩年ばんねん小林こばやし秀雄ひでおったさい西尾にしおブルクハルトについて小林こばやし議論ぎろんしている[9][注釈ちゅうしゃく 1]

ドイツ哲学てつがく・ドイツ思想しそう専門せんもんから独自どくじ哲学てつがくしゃ思想家しそうか[編集へんしゅう]

アカデミズムの世界せかいにはニーチェ研究けんきゅう翻訳ほんやく登場とうじょうする。『悲劇ひげき誕生たんじょう』、『偶像ぐうぞう黄昏たそがれ』、『アンチ・クリスト』、『このひとよ』などのニーチェのしょ翻訳ほんやくや、『ニーチェとの対話たいわ』をはじめとする様々さまざまなニーチェろん発表はっぴょう。ニーチェ以外いがいのドイツ哲学てつがくしゃについては、中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ世界せかい名著めいちょ」シリーズ『ショーペンハウアー 意志いし表象ひょうしょうとしての世界せかい』の翻訳ほんやくと、ショーペンハウアーろん(「ショーペンハウアーの思想しそう人間像にんげんぞう」)などがある。

1990年代ねんだい後半こうはんいたると、こうしたドイツ哲学てつがく研究けんきゅう・ドイツ思想しそう研究けんきゅう蓄積ちくせきを、江戸えど日本にっぽん思想しそうへの関心かんしん連関れんかんさせた独自どくじ思想しそう研究けんきゅう開始かいし、21世紀せいきはいって開始かいしされたすうねんわた雑誌ざっし連載れんさい論考ろんこうを『江戸えどのダイナミズム』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしゃ)にまとめた。

モラリストてき思索しさくてっした哲学てつがく論考ろんこう哲学てつがくエッセイも数多かずおお執筆しっぴつしており、それらを『人生じんせい価値かちについて』(新潮社しんちょうしゃ)、『人生じんせい深淵しんえんについて』(よういずみしゃ)などにまとめた。しょうはま逸郎いつお西尾にしお哲学てつがく論考ろんこう哲学てつがくエッセイについて、「・・・日常にちじょう出会であうふとした経験けいけん数々かずかずからの一瞬いっしゅん感知かんちみずかあやまたず捕捉ほそくし、それをわかんだ読書どくしょ体験たいけんによる確乎かっこたる人間にんげんかん結合けつごうさせていくたくみな手法しゅほう並大抵なみたいていのものとはおもわれない」[13]としている。

マルティン・ハイデッガー研究けんきゅうしゃ川原かわはらさかえほう親交しんこうがあった。たとえば川原かわら長男ちょうなん登山とざん遭難そうなんしたのち、毎月まいつき川原かわら息子むすこ墓参はかまいりをする帰路きろ西尾にしお自宅じたくり、そこで哲学てつがくてき議論ぎろんをするのがおたがたのしみであったというエピソードをべている[14]中島なかじま義道よしみち西尾にしお著書ちょしょ『ニーチェとの対話たいわ』を、「このほん日本にっぽん人文じんぶん科学かがくひとつのおおきな財産ざいさんである」とひょうしている[15]

政治せいじてき論客ろんかくとして[編集へんしゅう]

戦争せんそう戦後せんごかんするかんがかた[編集へんしゅう]

論壇ろんだん文壇ぶんだん・アカデミズムでの活動かつどうとパラレルなかたちでの政治せいじてき言論げんろん活動かつどうを1970年代ねんだい後半こうはん以降いこう旺盛おうせい展開てんかいしはじめる。経済けいざい評論ひょうろん草柳くさやなぎ大蔵たいぞうは、政治せいじてき論客ろんかくとしての西尾にしお論理ろんり回転かいてんはやさについて「知的ちてきちょう特急とっきゅう」と形容けいようしている(『労働ろうどう鎖国さこくのすすめ』カッパブックスのカバー推薦すいせんより)。

冷戦れいせん時代じだい後期こうきでは、自身じしんのヨーロッパ文明ぶんめいろん論理ろんりてき武器ぶきに、冷戦れいせん最中さいちゅうソ連それん訪問ほうもん現地げんち文学ぶんがく官僚かんりょう様々さまざま議論ぎろんおこなう(『ソ連それん知識ちしきじんとの対話たいわ』に所収しょしゅう)。冷戦崩壊れいせんほうかい直後ちょくごには、精神せいしんてき荒廃こうはい直面ちょくめんしている東欧とうおう各国かっこくおとず各国かっこく知識ちしきじんと、自由じゆうその思想しそうてきテーマをめぐり対話たいわ論争ろんそう展開てんかいし、共産きょうさん社会しゃかい想像そうぞうぜっする残忍ざんにん過去かこ急激きゅうげき自由じゆうがもたらした多面ためんにわたる困難こんなん両方りょうほうあきらかにした(『全体ぜんたい主義しゅぎのろい』など所収しょしゅう)また冷戦れいせん西にしヨーロッパについて、まりにまでいたった自由じゆう飽和ほうわとそれがもたらす停滞ていたい荒廃こうはい批判ひはんしている(『自由じゆう悲劇ひげき』など所収しょしゅう)。この時期じき西尾にしおは、「自由じゆう」ということへの深刻しんこく問題もんだい認識にんしき前提ぜんていにして、楽天的らくてんてきなグローバリズムや単純たんじゅん西側にしがわ優位ゆういろんはいする論陣ろんじんっていた[7][16]

また後述こうじゅつのように、ドイツと日本にっぽん戦後せんご責任せきにんろん安易あんい比較ひかくされているとして、「ドイツは謝罪しゃざいしたが日本にっぽん謝罪しゃざいしていない」という進歩しんぽ文化ぶんかじん戦争せんそう責任せきにんろんたいしては、「ドイツは国民こくみん謝罪しゃざいしているが交戦こうせんこくには謝罪しゃざいしていない」「ドイツはナチスという危険きけん団体だんたいえらんだことに謝罪しゃざいしているだけである」「ナチス戦争せんそう犯罪はんざいのスケールは国家こっかそのものが犯罪はんざい集団しゅうだんした桁違けたちがいのものであって、戦時せんじ日本にっぽんとの比較ひかくはそもそも不可能ふかのうである」とう反論はんろんおこない、ナチスの戦争せんそう犯罪はんざいを「人類じんるいそのものへの犯罪はんざい」とした20世紀せいきドイツの哲学てつがくしゃカール・ヤスパース分類ぶんるい紹介しょうかいしこれを支持しじしている。西尾にしおは、ナチスドイツがドイツじん以外いがいのヨーロッパじん絶滅ぜつめつしようとした計画けいかく発見はっけんされていると主張しゅちょうしているが、実際じっさいにはそんな計画けいかく発見はっけんされていない。(後述こうじゅつ

さらにこれらの問題もんだい論争ろんそう前後ぜんごして外国がいこくじん労働ろうどうしゃ問題もんだいでの懐疑かいぎ急先鋒きゅうせんぽうとして、賛成さんせい石川いしかわよしみなどとテレビ番組ばんぐみなどではげしい論戦ろんせん展開てんかい外国がいこくじん労働ろうどうしゃれによって日本にっぽん文化ぶんか試練しれんあたえるべきだとする石川いしかわ見解けんかいを、「安易あんいなセンチメンタリズム」と批判ひはん西にしヨーロッパのれいをひいて外国がいこくじん労働ろうどうしゃ大量たいりょうれは国民こくみん文化ぶんか根幹こんかん瓦解がかいさせる危険きけんせいがあることを指摘してきした(『労働ろうどう鎖国さこくのすすめ』など所収しょしゅう)また中教審ちゅうきょうしん委員いいんとして教育きょういく問題もんだいにも積極せっきょくてきにコミットし、メディア全体ぜんたいによくられるようになった(『教育きょういく自由じゆう』など所収しょしゅう)。

このような言論げんろん活動かつどうから政治せいじ図式ずしきてきには保守ほしゅ論客ろんかくとしてげられることがおおいが、党派とうはてき保守ほしゅ主義しゅぎナショナリズムたいしては警戒けいかいしんえずもっており、『保守ほしゅいかり』などの近著きんちょにおいて硬直こうちょくした保守ほしゅやナショナリストの一部いちぶたいし、「カルト右翼うよく」や「神社じんじゃ右翼うよく」などときびしく罵倒ばとうしている。いちれいとして、台湾たいわん独立どくりつ運動うんどうについて保守ほしゅ多数たすうとなえているいちめんてき台湾たいわん賛美さんびとは一線いっせんかく議論ぎろん展開てんかいしている。「台湾たいわん所詮しょせん中国ちゅうごく同根どうこん反日はんにち集団しゅうだんめんをもっており、かならずしも擁護ようごあたいしない」と雑誌ざっし正論せいろん』などで主張しゅちょうし、おやだいきむよしよわい小林こばやしよしのりらから非難ひなんされた。とく小林こばやしは、「まるで、うしろからりつけるような卑怯ひきょう姿勢しせいだ」と西尾にしおつよ非難ひなんした。しかし小林こばやしはそのまもなくして、著書ちょしょ台湾たいわんろん』を台湾たいわんない反日はんにち勢力せいりょくによって問題もんだいにされ、台湾たいわん政府せいふから一時いちじてき入国にゅうこく禁止きんしになった。

協調きょうちょう賛同さんどうできるめんでは一般いっぱんてき保守ほしゅ主義しゅぎ陣営じんえい共同きょうどう行動こうどうしている。2007ねんには南京なんきんだい虐殺ぎゃくさつ虚構きょこうろんとなえる映画えいが南京なんきん真実しんじつ」に西部せいぶたちおおくの右派うは保守ほしゅけい知識ちしきじんとも賛同さんどう西尾にしお製作せいさく記者きしゃ会見かいけん出席しゅっせきし、東京とうきょう裁判さいばん不当ふとうせいうったえた。これはNHK批判ひはん運動うんどう人権じんけん擁護ようご法案ほうあん批判ひはん運動うんどうかんしても同様どうようである。

あたらしい歴史れきし教科書きょうかしょをつくるかい[編集へんしゅう]

1996ねん平成へいせい8ねん)8がつ10日とおか藤岡ふじおか信勝のぶかつは、自由じゆう主義しゅぎ史観しかん研究けんきゅうかいとの共著きょうちょ名義めいぎで『教科書きょうかしょおしえない歴史れきし』(発行はっこう産経新聞さんけいしんぶんニュースサービス、発売はつばい扶桑社ふそうしゃ)を出版しゅっぱん西尾にしお藤岡ふじおか出会であい、「あたらしい歴史れきし教科書きょうかしょをつくるかい」(略称りゃくしょう:つくるかい)を結成けっせい同年どうねん12がつ2にち赤坂あかさか東急とうきゅうホテル結成けっせい記者きしゃ会見かいけんひらいた。西尾にしおは「このたび検定けんてい通過つうかした7しゃ中学ちゅうがく教科書きょうかしょは、証拠しょうこ不十分ふじゅうぶんのまま従軍じゅうぐん慰安いあん強制きょうせい連行れんこうせつをいっせいに採用さいようした」との声明せいめい発表はっぴょうした。声明せいめいぶんには藤岡ふじおか西尾にしお小林こばやしよしのり坂本さかもとゆう高橋たかはし史朗しろう深田ふかた祐介ゆうすけ山本やまもと夏彦なつひこ阿川あがわ佐和子さわこはやし真理子まりこけい9にんびかけにんとしてつらねた[17][18][19]

1997ねん平成へいせい9ねん)1がつ30にち、「つくるかい」が正式せいしき発足ほっそく[20][21]西尾にしお初代しょだい会長かいちょう就任しゅうにんした。

1999ねん平成へいせい11ねん)、『国民こくみん歴史れきし』を上梓じょうし。つくるかい運動うんどうのオピニオンリーダーの地位ちい教科書きょうかしょ運動うんどう前面ぜんめん活躍かつやくした。2001ねん平成へいせい13ねん)に会長かいちょう田中たなかえいどうゆずり、名誉めいよ会長かいちょうとなったのちも「つくるかい」の中心ちゅうしん人物じんぶつであった。その2006ねん平成へいせい18ねん1がつ17にちに、「その精神せいしん活動かつどうをよくらないあたらしい理事りじ多数たすうはいってこられて、立派りっぱほう勿論もちろんおられるが、わたしとははなしがあわなくなってきたひとえてもいる。言葉ことばつうじなくなってきた」という言葉ことばのこし「つくるかい」を離脱りだつ教科書きょうかしょ運動うんどうだい一線いっせんから退しりぞいた。

小泉こいずみ政権せいけん時代じだい自民党じみんとうへの評価ひょうか[編集へんしゅう]

小泉こいずみ内閣ないかくかんしては、政権せいけん中期ちゅうきまでは好意こういてきで、2003ねん平成へいせい15ねん9月小泉こいずみ自民党じみんとう総裁そうさい再選さいせんされたさいには、北朝鮮きたちょうせんたいする融和ゆうわ姿勢しせいへの懸念けねんのぞけば評価ひょうかしていた。1990年代ねんだい自民党じみんとう左傾さけい終止符しゅうしふ派閥はばつ政治せいじ象徴しょうちょうだった竹下たけした支配しはい派閥はばつ順送じゅんおく人事じんじ小泉こいずみ徹底的てっていてき破壊はかいしつくし、その直後ちょくご安倍晋三あべしんぞう幹事かんじちょう自身じしん後継こうけい候補こうほとしてそだげたと礼賛らいさんしていた。西尾にしお小泉こいずみへの評価ひょうかだい訪朝ほうちょうあたりから批判ひはんてきなものにてんじた。

西尾にしお自著じちょ雑誌ざっし論文ろんぶん、ブログなどをつうじ、小泉こいずみという人間にんげん首相しゅしょうになる以前いぜんじつは、靖国神社やすくにじんじゃ公式こうしき参拝さんぱいなん関心かんしんはらっておらず、「面倒めんどうくさいのでいかない」という理由りゆう参拝さんぱいしていなかったのに、首相しゅしょう就任しゅうにんに、中国ちゅうごく韓国かんこく批判ひはんけたことで意固地いこじになって参拝さんぱい問題もんだい固執こしつして公式こうしき参拝さんぱいしただけであるという事実じじつ指摘してきし、小泉こいずみ立場たちば政治せいじてき保守ほしゅ主義しゅぎなん関係かんけいもない小泉こいずみ個人こじんてき感情かんじょう反映はんえいだと主張しゅちょうした。また自著じちょ『<狂気きょうき首相しゅしょう>で日本にっぽん大丈夫だいじょうぶか』で、小泉こいずみ大学だいがく時代じだい同輩どうはい親友しんゆうで、国会こっかい議員ぎいん時代じだい一時期いちじき交友こうゆうのあった栗本くりもと慎一郎しんいちろう証言しょうげん引用いんようし、小泉こいずみ自身じしんしんじがたいほどの人間にんげんてき知的ちてき無能むのうぶりを暴露ばくろ指摘してきしている。郵政ゆうせい民営みんえい問題もんだいについても批判ひはんし、小泉こいずみのやっていることは、「民営みんえい」ではなく、「公営こうえいのおろかしい強化きょうか」であって、郵貯ゆうちょ貯金ちょきん財務省ざいむしょう悪用あくようすることに、小泉こいずみ自身じしんがよくわからないままっかっているだけだとした。小泉こいずみ親米しんべいてき安全あんぜん保障ほしょう政策せいさくについても、小泉こいずみ自身じしん自分じぶんなにをやっているのか認識にんしきできていないままアメリカにせられているだけだとし、小泉こいずみのことを「狂人きょうじん宰相さいしょう」、小泉こいずみ政策せいさくを「国家こっか犯罪はんざい」とまで形容けいようするにいたった[22]。2005ねん平成へいせい17ねん)9がつそう選挙せんきょでは、保守ほしゅけいない郵政ゆうせい民営みんえい反対はんたいである城内きうちみのる衛藤えとう晟一せいいち古川ふるかわただしひさなどへの応援おうえん演説えんぜつにて小泉こいずみ批判ひはんした(「西尾にしおみきのインターネットろく参照さんしょう)。

この一連いちれん小泉こいずみ批判ひはんかんしては自身じしん反論はんろんけるが(→小泉こいずみ訪朝ほうちょうにおける空白くうはくの10分間ふんかん事件じけん参照さんしょう)これについて本人ほんにんは「小泉こいずみ政権せいけん陰謀いんぼう」だとさい批判ひはんしている。安倍晋三あべしんぞうについては、だいいち内閣ないかく真正しんせい保守ほしゅ主義しゅぎてき政策せいさく期待きたいされながら、反対はんたい勢力せいりょく妥協だきょうしたあまさ、よわさを非難ひなんし、以来いらい安倍あべ政治せいじてき手腕しゅわんかんしては懐疑かいぎてき立場たちば堅持けんじしている。

皇室こうしつかんする発言はつげん[編集へんしゅう]

皇室こうしつ現状げんじょう憂慮ゆうりょしており、皇太子こうたいしとくじん親王しんのうたいして月刊げっかんWiLL』2008ねん5がつごうから「皇太子こうたいしさまにえて忠言ちゅうげんもうげます」とだいして連続れんぞくてき執筆しっぴつをおこなった。これらの論考ろんこう実質じっしつてき皇太子こうたいしとくじん親王しんのう雅子まさこについての問題もんだいあつかったものであった。「雅子まさこ健康けんこうであり、公務こうむ欠席けっせきしているのは仮病けびょうである」と『WiLL』 (「皇太子こうたいしさまにえて忠言ちゅうげんもうげます」)で主張しゅちょう、さらにこの雅子まさこ問題もんだいは、皇室こうしつ日本にっぽんてき伝統でんとうに、安易あんい欧米おうべいてき価値かちかん侵入しんにゅうさせてしまうことの是非ぜひ問題もんだいでもあるともろんじた。

これら一連いちれん論考ろんこう以外いがいに、「あさまでなまテレビ!」(2008ねん8がつ30にち) 「たかじんのそこまでって委員いいんかい」(2008ねん8がつ17にち)などのテレビメディアでもかえ同様どうよう主張しゅちょう展開てんかいした。西尾にしおのこの雅子まさこへの批判ひはんてき主張しゅちょうたいしては、『WiLL』(久保くぼひろしこれなど)や『正論せいろん』に批判ひはんてき論考ろんこう掲載けいさいされ[いつ?]、またこれが遠因えんいんとなって(教科書きょうかしょ運動うんどう憲法けんぽう論議ろんぎ共同きょうどう活動かつどうした)日本にっぽん会議かいぎ日本にっぽん青年せいねん協議きょうぎかいらの国民こくみん運動うんどう団体だんたいともたもとかつことになった。なお、女系じょけい天皇てんのう是非ぜひ問題もんだいかんしては、男系だんけい天皇てんのうろん一貫いっかんして強力きょうりょく主張しゅちょうしている。皇室こうしつろんでは、橋本はしもとあきら明仁あきひと上皇じょうこう同級生どうきゅうせい)とも対談たいだんしている。

皇室こうしつろんをタブーしていた言論げんろんかい西尾にしおがあえてそれにった意志いし背景はいけいには、かつて西尾にしお私淑ししゅくしていた三島みしま由紀夫ゆきお皇室こうしつろんのタブーにすこしもひるまなかったことへのふか敬意けいい影響えいきょうしている[7][12]。それは三島みしま提唱ていしょうしていたある意味いみ天皇てんのうにとってもっと過酷かこく徹底てっていしていた皇室こうしつろんのことをしているもので[12]三島みしまは、天皇てんのう近代きんだいてき快適かいてき便利べんり生活せいかつ電話でんわやテレビを部屋へや設置せっちすること)をするのもこのましくないと主張しゅちょう[23]一般いっぱんセレブのようにあつかわれる皇室こうしつ三島みしまいわく“週刊しゅうかん天皇てんのうせい”)を否定ひていしていたこと[23][24]関連かんれんするものである[12]三島みしまは、「天皇てんのうはあらゆる近代きんだい、あらゆる工業こうぎょうによるフラストレーションの最後さいご救世主きゅうせいしゅとして、そこにいなけりゃならない」「天皇てんのうというのは、国家こっかエゴイズム国民こくみんのエゴイズムというものの、一番いちばんはんきょくのところにあるべきだ」「天皇てんのうとうといんだから、天皇てんのう自由じゆうしばられてもしかたがない。その根元ねもとにあるのは、とにかく“おまつり”だ、ということです。天皇てんのうがなすべきことは、おまつり、おまつり、おまつり、おまつり、――それだけだ」[23]べ、天皇てんのうにとってもっと重要じゅうようなのは、新嘗祭にいなめさいなどの古来こらいからの宗教しゅうきょうせい神聖しんせいであり[23][24]日本にっぽんの「西にし欧化おうか宿命しゅくめい」「世俗せぞく宿命しゅくめい」とたたか最後さいご悲劇ひげき意志いし象徴しょうちょうとしての皇室こうしつ最後さいごのトリデ)というものを理想りそうにしていた皇室こうしつろん[23][24]明治維新めいじいしん二・二六事件ににろくじけんときのような革命かくめい象徴しょうちょうにもなりえる天皇てんのうというものを想定そうていしていたものである[24][12]

なお『WiLL』2008ねん8がつごうで「これが最後さいご皇太子こうたいしさまへの忠言ちゅうげん」にて、会田あいだ雄次ゆうじが1968ねんかたった「いまの皇太子こうたいし上皇じょうこう明仁あきひと)は、あんな不自由ふじゆうさむくてしょうがないところはいやだといって、ホテルまられるのですよ。このてんは、訓練くんれん相違そういもあるんでしょう。これはおおきな問題もんだいだとおもうのです」を引用いんようしているが、宮内庁くないちょう報道ほうどうしつから当時とうじ資料しりょうからはそのような事実じじつはないとの注意ちゅういけて訂正ていせいもとめられ[25]著書ちょしょ皇太子こうたいしさまへのご忠言ちゅうげん」(84ページ)でそのむねしるしている。

その主張しゅちょう[編集へんしゅう]

  • ドイツ思想しそう・ドイツ哲学てつがく専門せんもんとして、同国どうこく文化ぶんか社会しゃかい現状げんじょう言論げんろん事情じじょうなどにも精通せいつうしているが、ドイツにたいしては批判ひはんてき発言はつげんもある。『ことなる悲劇ひげき日本にっぽんとドイツ』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう)において、ナチス・ドイツへの批判ひはんとあわせて、「戦後せんごドイツが戦後せんご日本にっぽんよりも大戦たいせん反省はんせいしている」とった戦後せんごドイツの政治せいじてき狡猾こうかつさを批判ひはんしている。このことにかんして「想像そうぞうぜっするジェノサイド国家こっかだったナチス・ドイツと、通常つうじょう戦争せんそう遂行すいこう国家こっかであった日本にっぽん同一どういつ次元じげんろんじることがそもそも間違まちがいであること」「戦後せんごドイツじんは、ナチスという団体だんたいをドイツじんえらんだことの反省はんせい表明ひょうめいしているだけであって、じつ自分じぶんたち自身じしん反省はんせい表明ひょうめいしているのではないこと」などの批判ひはんをおこなっている。1995ねんきたマルコポーロ事件じけんにおいても「ナチスのすさまじい極悪ごくあくさをすこしも理解りかいしていない」と理由りゆうで、旧知きゅうち間柄あいだがらである文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう批判ひはんした[26]。しかし、西尾にしおは、ナチスドイツがヨーロッパのジプシーやユダヤじん、ポーランドじん、ウクライナじん、(ぜんロシアじんふくむ)オランダじん、ロレーヌじん、アルザスじんなど西にしヨーロッパじん絶滅ぜつめつさせる計画けいかく発見はっけんされていると主張しゅちょうしている[27][28]が、実際じっさいにはそんな計画けいかく発見はっけんされておらず、歴史れきし学者がくしゃ専門せんもんは、いわゆるホロコーストとばれている虐殺ぎゃくさつの、ヒトラーの命令めいれいしょ計画けいかくしょ国家こっか予算よさん存在そんざいしない。という見解けんかい一致いっちしている[29][30][31][32]。また、西尾にしお自身じしんも、計画けいかくがあった。と一言いちげんいているだけで、具体ぐたいてきに、いつ、だれ計画けいかくつくり、だれ承認しょうにんし、いつから実行じっこうされたのか?など、計画けいかく詳細しょうさい部分ぶぶんについては、まったいていない[27][28]。また、西尾にしおは、ひとかわつくったランプシェードが発見はっけんされている[33]いているが、これも、ナチスが人間にんげんから石鹸せっけんつくったというはなし人間にんげん石鹸せっけん同様どうようの、はんどくプロパガンダであり、事実じじつではなく実際じっさいには科学かがくてき分析ぶんせき調査ちょうさにより、ランプシェードの証拠しょうこ物品ぶっぴん生物せいぶつかわではつくられていないこと判明はんめいしている[34]
  • 韓国かんこく起源きげんせつについて、「韓国かんこく日本にっぽんコピーである。だから、ほかでもない、韓国かんこくじん韓国かんこくのコピーを日本にっぽんにさせたい。それは妄執もうしゅうちかかれらの欲望よくぼうとなっている。日本海にほんかい東海とうかいばせようとするのも、空手からて一流いちりゅうテコンドーづけてオリンピック競技きょうぎ仕立したてて、韓国かんこく起源きげん演出えんしゅつするのも、『竹島たけしま』がたらただちに『対馬つしまとう』といいたてる荒唐無稽こうとうむけいも、こういう子供こどもっぽいことをしようとするのはすべてみな日本にっぽん意識いしきしてのはなしであって、国際こくさい地理ちりがく連合れんごうふるくから日本海にほんかいづけ、日本人にっぽんじんなが伝統でんとうって柔道じゅうどう世界せかいてき普及ふきゅうさせてきた…とうなどの日本にっぽん真似まねをそっくりえんじ、しかもそれを日本にっぽんにも強制きょうせいする。コピーのコピーをさせようとする」と批判ひはんしている[35]
  • 慰安いあん問題もんだいたいしては「せい奴隷どれいせつ」に異議いぎとなえる立場たちばであり、2007ねん7がつ13にち米国べいこく大使館たいしかん手渡てわたされたアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく下院かいん121ごう決議けつぎ全面ぜんめん撤回てっかいもとめる日本にっぽん文化ぶんかチャンネルさくら主導しゅどう抗議こうぎしょ[36]にも賛同さんどうしゃとしてつらねている[37]
  • 現代げんだい中国ちゅうごくたいしては一貫いっかんして批判ひはんてき立場たちばをとっており、とりわけ2010ねんきた中国ちゅうごく漁船ぎょせん尖閣諸島せんかくしょとう近海きんかいでの日本にっぽん領海りょうかい侵犯しんぱん事件じけん、『尖閣せんかく戦争せんそうべいちゅうはさちにあった日本にっぽん』(青木あおき直人なおととの共著きょうちょ)などの著作ちょさく中国ちゅうごくたいにち侵略しんりゃく計画けいかくたい世界せかい侵略しんりゃく計画けいかく注意ちゅういすべきと主張しゅちょうしている。
  • アメリカの覇権はけんたいしても批判ひはんてきであり、べいちゅう両国りょうこく世界せかい戦略せんりゃく狭間はざま日本にっぽん独立どくりつてき政治せいじ路線ろせんれていない現状げんじょうたいして警鐘けいしょうらしている。また、GHQ終戦しゅうせん日本にっぽん占領せんりょうさいして、緻密ちみつかつ広範囲こうはんい当時とうじ日本にっぽん文献ぶんけん焚書ふんしょしていたという言論げんろん統制とうせい事実じじつがあったと主張しゅちょうしている[38]。さらに、日米にちべい戦争せんそうがアメリカがわから仕掛しかけられたあるしゅの「宗教しゅうきょう戦争せんそう」であるという歴史れきしろん著書ちょしょ天皇てんのう原爆げんばく』(新潮社しんちょうしゃ、2012ねん1がつ)で展開てんかいしている。
  • かく武装ぶそう推進すいしんろんしゃである。一方いっぽう原子力げんしりょく発電はつでんたいしては福島ふくしま原発げんぱつ事故じこけて、段階だんかいてき縮小しゅくしょう最終さいしゅうてきには全廃ぜんぱいするという否定ひていてき立場たちばてんじた[39]原発げんぱつ推進すいしん事故じことなえる保守ほしゅ言論げんろんかいを「思慮しりょ欠如けつじょ、ないし思考しこう空想くうそうせいおぼえるだけでなく、あるしゅの「あやしさ」や「まがまがしさ」をかんじている」と批判ひはんしている。竹田たけだひさしやすしとの共著きょうちょ女系じょけい天皇てんのう問題もんだいだつ原発げんぱつ』では、原発げんぱつ推進すいしん潜在せんざいしている体質たいしつてき問題もんだい構造こうぞう多面ためんにわたり指摘してきしている。たとえば「安全あんぜん保障ほしょうめんからても、原発げんぱつというのは非常ひじょうにやっかいな存在そんざいなんですよ。単純たんじゅんうと原発げんぱつがあるだけでもって、そこにかく地雷じらいがあるようなものですから。上空じょうくうからバンカーバスター(地中ちちゅう貫通かんつうばくだん)を直撃ちょくげきさせれば、そこがかく爆発ばくはつするということです」「日本にっぽん原発げんぱつは、いわゆる海上かいじょうからせまってくるテロにたいして、まったく無力むりょく無防備むぼうびなんですな。なんとおどろくべきことに、日本にっぽん原発げんぱつ防衛ぼうえいについて、民間みんかん警備けいび会社かいしゃ依存いぞんしているんですよ。かんがえられないはなしです」「さい稼働かどうかんして地震じしん津波つなみへの対策たいさくのことはさかんにわれているんだけれども、テロ対策たいさくについては一言ひとことれられないんですよ」とべ、とりわけ国土こくど原発げんぱつくことにたいする国防こくぼう安全あんぜん保障ほしょうじょうのリスクに警鐘けいしょうらしている[40]。このけんについて中川なかがわはちようから著書ちょしょなど[41]中傷ちゅうしょうされたとして、中川なかがわ本人ほんにん当該とうがい書籍しょせき出版しゅっぱんもとである日新にっしん報道ほうどう文章ぶんしょうを『げきろん』にせたオークラ出版しゅっぱん名誉めいよ毀損きそん提訴ていそした[42]
  • インターネットのちからたか評価ひょうかしている[43]自身じしんのブログの執筆しっぴつちかられており、またインターネットで秀逸しゅういつ論考ろんこう発見はっけんすると自身じしんのブログで紹介しょうかいすることもある。21世紀せいき現実げんじつてき出版しゅっぱんとインターネット世界せかい相互そうご協力きょうりょくけの時代じだいになると主張しゅちょうしている[44]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

  • 三島みしま由紀夫ゆきおは、西尾にしお才覚さいかくはやくから注目ちゅうもくたか評価ひょうかしていた。1969年刊ねんかん西尾にしお処女しょじょさく『ヨーロッパぞう転換てんかん』に「このしょ日本人にっぽんじんによってはじめてかれた「ペルシアじん手紙てがみ」である」と推薦すいせんぶん絶賛ぜっさんしている。西尾にしおもまた、三島みしま文学ぶんがく思想しそうつよかれ、両者りょうしゃには交流こうりゅうがあった。交友こうゆう期間きかん三島みしま自決じけつ事件じけんにより短期間たんきかんわったが、三島みしま親友しんゆうであった澁澤しぶさわ龍彦たつひこは、三島みしま死後しごさまざまな論者ろんしゃによってかれた三島みしまろんなかで、本質ほんしつ把握はあくした三島みしまへの考察こうさつ西尾にしお三島みしまろんだけであったとひょうし、この澁澤しぶさわ評価ひょうかがきっかけで西尾にしお澁澤しぶさわあいだにも、澁澤しぶさわいたるまでの交友こうゆうつづいた。一方いっぽう三島みしまについて、侮蔑ぶべつちか軽視けいし三島みしま事件じけん前後ぜんごっていた江藤えとうあつしたいしては、西尾にしお相当そうとう違和感いわかん江藤えとういたるまでもっていたと『三島みしま由紀夫ゆきおわたし』で表明ひょうめいしている[8]
  • 保守ほしゅ文芸ぶんげい評論ひょうろん小川おがわ榮太郎えいたろうは、西尾にしお時事じじ評論ひょうろんでおかしなことをうこともあるが、ニーチェ研究けんきゅうや、20だいげたニーチェやショーペンハウアー翻訳ほんやくは「いまでもだれえられない」とひょうし、昨今さっこん論壇ろんだんすくないたしかな学識がくしきがある知識ちしきじんだとしている[45]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

たんちょ[編集へんしゅう]

  • 『ヨーロッパぞう転換てんかん新潮社しんちょうしゃ新潮しんちょう選書せんしょ〉1969ねん
  • 『ヨーロッパの個人こじん主義しゅぎ じん自由じゆうという思想しそうえられるか』講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ 1969ねん
    • ぞうていばん個人こじん主義しゅぎとはなにか』 PHP新書しんしょ 2007ねん
  • 悲劇ひげきじん姿勢しせい新潮社しんちょうしゃ 1971ねん
  • 情熱じょうねつうしなった光景こうけい河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ 1972ねん
  • 懐疑かいぎ精神せいしん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ中公叢書ちゅうこうそうしょ〉 1974ねん
  • 地図ちずのない時代じだい はん時流じりゅうてき考察こうさつ読売新聞社よみうりしんぶんしゃ読売よみうり選書せんしょ〉 1976ねん
  • 『ニーチェ』(だい1・2中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1977ねん5がつ・6がつ
  • 『ニーチェとの対話たいわ ツァラトゥストラわたしひょう講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ 1978ねん
  • しん開国かいこくのすすめ 日本にっぽん文化ぶんか再生さいせい条件じょうけん日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ 1979ねん
  • 『ヨーロッパの閉鎖へいさせい三修社さんしゅうしゃ 1981ねん
  • ソ連それん知識ちしきじんとの対話たいわ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1979ねん中公ちゅうこう文庫ぶんこ 1986ねん
  • 鎖国さこく跫音きょうおん 現代げんだい日本にっぽん精神せいしんてき諸相しょそうPHP研究所けんきゅうじょ 1981ねん
  • 西欧せいおう無知むち 日本にっぽん怠惰たいだ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1982ねん/PHP文庫ぶんこ 1990ねん
  • 日本にっぽん教育きょういく ドイツの教育きょういく新潮しんちょう選書せんしょ 1982ねん
  • 日本にっぽん教育きょういく 智恵ちえ矛盾むじゅん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ中公叢書ちゅうこうそうしょ〉 1985ねん
  • 行為こういする思索しさく中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1987ねん
  • 戦略せんりゃくてき鎖国さこくろん講談社こうだんしゃ 1988ねん講談社こうだんしゃ文庫ぶんこ 1992ねん
    • ぞうていばん中国人ちゅうごくじんたいする「労働ろうどう鎖国さこく」のすすめ』 飛鳥新社あすかしんしゃ 2013ねん
  • 『「労働ろうどう鎖国さこく」のすすめ 外国がいこくじん労働ろうどうしゃ日本にっぽんほろぼす』光文社こうぶんしゃ〈カッパ・ビジネス〉1989ねん改題かいだい労働ろうどう鎖国さこくのすすめ』PHP文庫ぶんこ 1992ねん
  • 智恵ちえ凋落ちょうらく福武書店ふくたけしょてん 1989ねん
  • 日本にっぽん不安ふあん 世界せかい転機てんきかんがえること』PHP研究所けんきゅうじょ 1990ねん/PHP文庫ぶんこ 1993ねん
  • 自由じゆう悲劇ひげき 未来みらいなにがあるか』講談社こうだんしゃ現代新書げんだいしんしょ 1990ねん
  • 日本にっぽん孤独こどく ほこりある国家こっかであるために』PHP研究所けんきゅうじょ 1991ねん
  • 教育きょういく自由じゆう 中教審ちゅうきょうしん報告ほうこくから大学だいがく改革かいかくへ』新潮しんちょう選書せんしょ 1992ねん
  • 全体ぜんたい主義しゅぎのろい 東西とうざいヨーロッパの最前線さいぜんせんる』新潮しんちょう選書せんしょ 1993ねん
    • ぞうていばんかべむこうの狂気きょうき ひがしヨーロッパから北朝鮮きたちょうせんへ』恒文社こうぶんしゃ21 2003ねん
  • 確信かくしん喪失そうしつ学習がくしゅう研究けんきゅうしゃ 1993ねん。『あなたはなにしんじてきるのか』PHP文庫ぶんこ 1996ねん
  • ちすくむ日本にっぽん』PHP研究所けんきゅうじょ 1994ねん
  • ことなる悲劇ひげき 日本にっぽんとドイツ』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1994ねん文春ぶんしゅん文庫ぶんこ 1997ねん
    • 改題かいだい日本にっぽんはナチスと同罪どうざいことなる悲劇ひげきワック 2005ねん
  • 教育きょういくつか論争ろんそうてき討議とうぎなかから』よういずみしゃ 1995ねん対談たいだんおさむ
  • 自由じゆう恐怖きょうふ 宗教しゅうきょうから全体ぜんたい主義しゅぎへ』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 1995ねん
  • 人生じんせい価値かちについて』新潮しんちょう選書せんしょ 1996ねん/ワック 2006ねん
  • 歴史れきしさばおろかさ あたらしい歴史れきし教科書きょうかしょのために』PHP研究所けんきゅうじょ 1997ねん/PHP文庫ぶんこ 2000ねん
  • 現代げんだいについて』徳間とくま文庫ぶんこ教養きょうようシリーズ」 1998ねん
  • 沈黙ちんもくする歴史れきし徳間書店とくましょてん 1998ねん徳間とくま文庫ぶんこ 2001ねん徳間書店とくましょてん選書せんしょ 2022ねん
    • 改題かいだい日本人にっぽんじんはアメリカをゆるしていない』ワック 2007ねん
  • 『わたしの昭和しょうわ 少年しょうねんへん』(1・2) 新潮しんちょう選書せんしょ 1998ねん
  • 国民こくみん歴史れきしあたらしい教科書きょうかしょをつくるかいへん)、産経新聞さんけいしんぶんニュースサービス 1999ねん
  • 超然ちょうぜんたる人生じんせい』PHP研究所けんきゅうじょ 2001ねんいちしょうごとの形式けいしきせん文集ぶんしゅう
  • 歴史れきし科学かがく 日本にっぽんあるく』PHP新書しんしょ 2001ねん
  • くにつぶしてなるものか 憲法けんぽう台湾たいわん教科書問題きょうかしょもんだい徳間書店とくましょてん 2001ねん
  • 歴史れきし常識じょうしき ものの見方みかた一元化いちげんかはいす』扶桑社ふそうしゃ 2002ねん
  • 日本にっぽん根本こんぽん問題もんだい新潮社しんちょうしゃ 2003ねん
  • わたし毎日まいにちこんなごとかんがえている 西尾にしおみき公開こうかい日誌にっし徳間書店とくましょてん 2003ねんおもブログ記事きじ新編しんぺん
  • 男子だんし一生いっしょう問題もんだい三笠みかさ書房しょぼう 2004ねん
  • 日本にっぽんがアメリカから見捨みすてられる徳間書店とくましょてん 2004ねん
  • 日本人にっぽんじんなにつまずいていたのか 国家こっかわる7つの提言ていげん青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ 2004ねん
  • 人生じんせい深淵しんえんについて』よういずみしゃ 2005ねん改題かいだい人生じんせいについて』新潮しんちょう文庫ぶんこ 2015ねん
  • 『「狂気きょうき首相しゅしょう」で日本にっぽん大丈夫だいじょうぶか』PHPソフトウェア・グループ 2005ねん
  • 民族みんぞくへの責任せきにん 皇室こうしつ領土りょうど企業きぎょう買収ばいしゅう歴史れきし教科書きょうかしょ徳間書店とくましょてん 2005ねん
  • 江戸えどのダイナミズム-古代こだい近代きんだいはし文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 2007ねん
  • 国家こっか謝罪しゃざい たいにち戦争せんそう跫音きょうおんこえる』徳間書店とくましょてん 2007ねん ※ ブログ記事きじふく
  • GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう べい占領せんりょうぐんされた戦前せんぜん日本にっぽん徳間書店とくましょてん 2008ねん徳間とくま文庫ぶんこ 2014ねん
  • 皇太子こうたいしさまへのご忠言ちゅうげん』ワック 2008ねん改訂かいていばん どう選書せんしょ 2012ねん
  • 真贋しんがん洞察どうさつ 保守ほしゅ思想しそう情報じょうほう経済けいざい政治せいじ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 2008ねん
  • 三島みしま由紀夫ゆきおわたし』PHP研究所けんきゅうじょ 2008ねんぞうていばん えびすひかりさち出版しゅっぱん 2020ねん
  • 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう2』徳間書店とくましょてん 2008ねん徳間とくま文庫ぶんこ 2014ねん文庫ぶんこばん副題ふくだいに「バターン、らんしるしふつしるしべい本土ほんど空襲くうしゅう計画けいかく
  • 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう3』徳間書店とくましょてん 2009ねん徳間とくま文庫ぶんこ 2014ねん文庫ぶんこばん副題ふくだいに「戦場せんじょう生死せいしと「銃後じゅうご」のしん
  • 『「権力けんりょく不在ふざい」はくにほろぼす 日本にっぽん分水嶺ぶんすいれい』ワック 2009ねん
  • 日本にっぽんをここまでこわしたのはだれか』くさおもえしゃ 2010ねん
  • 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう4 「国体こくたいろん現代げんだい徳間書店とくましょてん 2010ねん徳間とくま文庫ぶんこ 2015ねん
  • 西尾にしおみきのブログ論壇ろんだん総和そうわしゃ 2010ねん ※ ブログ記事きじ上記じょうき著作ちょさく書評しょひょうなどをふく
  • 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう5 ハワイ、まんしゅうささえ排日はいにち徳間書店とくましょてん 2011ねん徳間とくま文庫ぶんこ 2015ねん
  • 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう6 日米にちべい開戦かいせん前夜ぜんや徳間書店とくましょてん 2011ねん徳間とくま文庫ぶんこ 2016ねん
  • 平和へいわ主義しゅぎではない「だつ原発げんぱつ」』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう 2011ねん
  • 天皇てんのう原爆げんばく新潮社しんちょうしゃ 2012ねん新潮しんちょう文庫ぶんこ 2014ねん
  • 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう7 せんまえ日本人にっぽんじん見抜みぬいた中国ちゅうごく本質ほんしつ徳間書店とくましょてん 2012ねん
  • 憂国ゆうこくのリアリズム 感傷かんしょうはいして世界せかいよ』ビジネスしゃ 2013ねん
  • 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう8 日米にちべい100ねん戦争せんそう ペリー来航らいこうからワシントン会議かいぎ徳間書店とくましょてん 2013ねん
  • 同盟どうめいこくアメリカに日本にっぽん戦争せんそう意義いぎときがきた』ビジネスしゃ 2013ねん選書せんしょ
  • 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう9 アメリカからの「宣戦せんせん布告ふこく」』徳間書店とくましょてん 2014ねん
  • 『アメリカと中国ちゅうごくはどう日本にっぽんを「侵略しんりゃく」するのか 「だい大戦たいせん前夜ぜんやにだんだんてきている、いま』ベストセラーズ 2014ねん選書せんしょ
  • 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう10 地球ちきゅう侵略しんりゃく主役しゅやく イギリス』徳間書店とくましょてん 2014ねん
  • 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう11 維新いしん源流げんりゅうとしての水戸みとがく徳間書店とくましょてん 2015ねん
  • 日本にっぽん、この決然けつぜんたる孤独こどく 国際こくさい社会しゃかいうごかす「平和へいわ」という脅迫きょうはく徳間書店とくましょてん 2016ねん
  • 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう12 日本人にっぽんじんなま徳間書店とくましょてん 2016ねん
  • 保守ほしゅ真贋しんがん 保守ほしゅ立場たちばから安倍あべ政権せいけん批判ひはんする』徳間書店とくましょてん 2017ねん再編さいへん選書せんしょ対談たいだんふく
  • 『あなたは自由じゆうか』筑摩書房ちくましょぼうちくま新書しんしょ〉 2018ねん
  • 歴史れきし真贋しんがん新潮社しんちょうしゃ 2020ねん
  • 国家こっか行方ゆくえ産経新聞さんけいしんぶん出版しゅっぱん 2020ねん
  • 日本にっぽん希望きぼう徳間書店とくましょてん 2021ねん
  • 日本にっぽん西欧せいおう〇〇ねん筑摩ちくま選書せんしょ 2024ねん

著作ちょさくしゅう[編集へんしゅう]

  • 西尾にしおみき思想しそう行動こうどう』(ぜん3さつ)、扶桑社ふそうしゃ、2000ねん
    • 著作ちょさく選集せんしゅう、1.ヨーロッパとの対話たいわ、2.日本人にっぽんじん自画像じがぞう、3.論争ろんそう精神せいしん
  • 西尾にしおみき全集ぜんしゅう[46] 国書刊行会こくしょかんこうかい、2011ねん10がつ -(やく13・4ねん予定よてい
ぜん22かん(24分冊ぶんさつ予定よてい)、はこいれやく数ヶ月すうかげつごとに刊行かんこう予定よてい一部いちぶ論考ろんこうはつ書籍しょせき

翻訳ほんやく[編集へんしゅう]

共著きょうちょ[編集へんしゅう]

編著へんちょ[編集へんしゅう]

  • 『ドイツ文化ぶんか基底きてい――思弁しべん心情しんじょうのおりなす世界せかい』(有斐閣ゆうひかく, 1982ねん
  • 『ドイツシンフォニー――初級しょきゅう読本とくほん』(朝日出版社あさひしゅっぱんしゃ, 1990ねん
  • 地球ちきゅう日本にっぽん』(産経新聞さんけいしんぶんニュースサービス, 1998-1999ねん扶桑社ふそうしゃ文庫ぶんこ, 2000-2001ねん
    • 〈1〉日本にっぽんとヨーロッパの同時どうじ勃興ぼっこう
    • 〈2〉鎖国さこく本当ほんとうにあったのか
    • 〈3〉江戸えど時代じだい可能かのうにした明治維新めいじいしん
  • あたらしい歴史れきし教科書きょうかしょ――「つくるかい」の主張しゅちょう』(徳間書店とくましょてん, 2001ねん
  • 『すべての18さいに「奉仕ほうし義務ぎむ」を――「教育きょういく基本きほんほう見直みなお会議かいぎ緊急きんきゅう報告ほうこく』(小学館しょうがくかん文庫ぶんこ, 2000ねん
  • せまりくる「全体ぜんたい主義しゅぎ」の跫音きょうおん――歴史れきし教科書きょうかしょ「12のしん提案ていあん」』(小学館しょうがくかん文庫ぶんこ, 2001ねん
    • あたらしい歴史れきし教科書きょうかしょ なるたたかい』(小学館しょうがくかん文庫ぶんこ, 2002ねん)、改訂かいていばん
  • しん地球ちきゅう日本にっぽん〈1・2〉 明治めいじ中期ちゅうきからだい大戦たいせんまで』(産経新聞さんけいしんぶんニュースサービス, 2005ねん

共編きょうへんちょ[編集へんしゅう]

放送ほうそう講義こうぎ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 西尾にしおは、小林こばやし秀雄ひでお三島みしま由紀夫ゆきお意味いみを「日本にっぽん歴史れきし」ととらえ、吉田よしだ松陰しょういん比較ひかく[10]三島みしま事件じけん象徴しょうちょうせいを「この文学ぶんがくしゃ三島みしま)の自分じぶんだけが責任せきにん背負せおいんだ個性こせいてき歴史れきし経験けいけんつくしたもの」とかたっていたことなどから[11]三島みしま小林こばやしあいだえにくいかたちでの共感きょうかん相互そうご関係かんけいがあったとみなしている[7][12]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 著者ちょしゃ略歴りゃくれき」(西尾にしお 2008巻末かんまつ
  2. ^ 平成へいせい27ねんはる叙勲じょくん受賞じゅしょうしゃ名簿めいぼ”. 内閣ないかく. 2022ねん6がつ10日とおか閲覧えつらん
  3. ^ ドイツ語学ごがく文学ぶんがく振興しんこうかいしょう授賞じゅしょう論文ろんぶん
  4. ^ 『ヨーロッパぞう転換てんかん』、33ページ。
  5. ^ 三島みしま由紀夫ゆきお三好みよし行雄ゆきおとの対談たいだん)「三島みしま文学ぶんがく背景はいけい」(国文学こくぶんがく 解釈かいしゃく教材きょうざい研究けんきゅう 1970ねん5がつ25にちごう)。40かん 2004, pp. 622–652に所収しょしゅう
  6. ^ a b 三島みしま由紀夫ゆきお推薦すいせんぶん」(西尾にしおみき『ヨーロッパぞう転換てんかん新潮しんちょう選書せんしょ、1969ねん6がつ)。35かん 2003, p. 492に所収しょしゅう
  7. ^ a b c d だいしょう いちきゅうななねん前後ぜんこう証言しょうげんから」(西尾にしお 2008, pp. 38–81)
  8. ^ a b だいさんしょう 芸術げいじゅつ実生活じっせいかつ問題もんだい」(西尾にしお 2008, pp. 82–169)
  9. ^ 行為こういする思索しさく」(中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ)に収録しゅうろく
  10. ^ 小林こばやし秀雄ひでお江藤えとうあつしとの対談たいだん)「歴史れきしについて」(諸君しょくん! 1971ねん7がつごう)。西尾にしお 2008, pp. 75–77に抜粋ばっすい掲載けいさい
  11. ^ 小林こばやし秀雄ひでお感想かんそう」(新潮しんちょう 1971ねん1がつ臨時りんじ増刊ぞうかんごう)。読本とくほん 1983, pp. 56–57、西尾にしお 2008, pp. 78–79
  12. ^ a b c d e だいよんしょう 私小説ししょうせつてき風土ふうど克服こくふくというながれのなか再考さいこうする」(西尾にしお 2008, pp. 170–223)
  13. ^ 人生じんせい深淵しんえんについて』解説かいせつ
  14. ^ 日本にっぽんショーペンハウアー協会きょうかい会報かいほう」42ごう
  15. ^ 中島なかじま義道よしみち哲学てつがく教科書きょうかしょ』(講談社こうだんしゃ、1995ねん5がつ
  16. ^ 西尾にしおみき不自由ふじゆうへの情熱じょうねつ」(新潮しんちょう 1971ねん2がつごう)。西尾にしお 2008, pp. 230–262に所収しょしゅう
  17. ^ 毎日新聞まいにちしんぶん』1996ねん12月3にちづけ大阪おおさか朝刊ちょうかん社会しゃかい、27めん、「『従軍じゅうぐん慰安いあん強制きょうせい連行れんこう削除さくじょを 歴史れきし教科書きょうかしょでもゴーマニズム宣言せんげん なおしを陳情ちんじょう」。
  18. ^ かい創設そうせつにあたっての声明せいめいしたどうかいびかけにんいちきゅうきゅうろくねん十二月じゅうにがつにち声明せいめいぶん」 『西尾にしおみき全集ぜんしゅう だい17かん国書刊行会こくしょかんこうかい、2018ねん12月25にち
  19. ^ 西尾にしおみき「なぜわたし行動こうどうがったか―あたらしい歴史れきし教科書きょうかしょたたかい」 『西尾にしおみき全集ぜんしゅう だい17かん国書刊行会こくしょかんこうかい、2018ねん12月25にち
  20. ^ かい裕珍ゆうちん. “あたらしい歴史れきし教科書きょうかしょをつくるかい」のExit, Voice, Loyalty” (PDF). 東京大学とうきょうだいがく大学院だいがくいん総合そうごう文化ぶんか研究けんきゅう教養きょうよう学部がくぶ. 2022ねん6がつ13にち閲覧えつらん
  21. ^ ひとし尚代ひさよ教育きょういく愛国あいこくだれ教室きょうしつ窒息ちっそくさせるのか』岩波書店いわなみしょてん、2019ねん5がつ30にち、22-23ぺーじ 
  22. ^ 『<狂気きょうき首相しゅしょう>で日本にっぽん大丈夫だいじょうぶか』 [ようページ番号ばんごう]など
  23. ^ a b c d e 三島みしま由紀夫ゆきお福田ふくだひさしそんとの対談たいだん)「文武両道ぶんぶりょうどう哲学てつがく」(論争ろんそうジャーナル 1967ねん11がつごう)。のち『源泉げんせん感情かんじょう』(河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1970ねん10がつ)、39かん 2004, pp. 696–728に所収しょしゅう
  24. ^ a b c d 三島みしま由紀夫ゆきおはやし房雄ふさお対談たいだん)「対話たいわ日本人にっぽんじんろん」(ばんまち書房しょぼう、1966ねん10がつ)。39かん 2004, pp. 554–682に所収しょしゅう
  25. ^ 「WiLL」(2008ねん8がつごう)の記事きじについて』(プレスリリース)宮内庁くないちょう、2008ねん7がつ10日とおかhttps://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taio/taio-h20-0710.html2010ねん3がつ4にち閲覧えつらん 
  26. ^ 宝島たからじま30』1995ねん4がつごう [ようページ番号ばんごう]
  27. ^ a b 西尾にしお 1994, p.13
  28. ^ a b 西尾にしお 2005, p.27
  29. ^ ヒトラー権力けんりょく 1995, p.164
  30. ^ えい岑 2001, p.77
  31. ^ 栗原くりはら 1997, p.2
  32. ^ ヒルバーグユダヤじょう, p.44、50
  33. ^ 西尾にしお 1994, p.24
  34. ^ STIMMT ES, DASS DIE SS IM KZ BUCHENWALD LAMPENSCHIRME AUえーゆーS MENSCHENHAUT ANFERTIGEN LIESS?
  35. ^ 西尾にしおみき (2005ねん6がつ). “韓国かんこくじんはガリバーの小人こども--真実しんじつ薄々うすうすっているがゆえに子供こどもっぽく大騒おおさわぎする”. Voice (PHP研究所けんきゅうじょ): p. 74-81 
  36. ^ べい下院かいん外交がいこう委員いいんかいへの「抗議こうぎしょ
  37. ^ 抗議こうぎしょへの賛同さんどうしゃ一覧いちらん
  38. ^ 『GHQ焚書ふんしょ図書としょ開封かいふう[ようページ番号ばんごう]
  39. ^ 西尾にしおみき目覚めざめよ、保守ほしゅけいさんしょう幻想げんそう由来ゆらいする原発げんぱつ事故じこ鉄道てつどう官僚かんりょう暴走ぼうそうした中国ちゅうごく新幹線しんかんせん事故じこ共通きょうつうする」『SAPIO 2011ねん8がつ17にち・24にちごう』、小学館しょうがくかん、2011ねん9がつ5にち2012ねん9がつ18にち閲覧えつらん のちにそのだつ原発げんぱつろん著作ちょさく雑誌ざっし展開てんかいし、「左派さはてき論理ろんりからではないだつ原発げんぱつろん」を模索もさくしている。西尾にしおみき平和へいわ主義しゅぎではない「だつ原発げんぱつ」―現代げんだいリスク文明ぶんめいろん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2011ねん[ようページ番号ばんごう]
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  42. ^ らせ―中川なかがわはちようたいする名誉めいよ毀損きそん裁判さいばん途中とちゅう経過けいか報告ほうこく 西尾にしおみきのインターネットろく2014ねん8がつ13にち。なおのちオークラ出版しゅっぱんとは自身じしん要求ようきゅうませるかたち和解わかい成立せいりつ
  43. ^ 諸君しょくん!』2009ねん6がつごう座談ざだんかい
  44. ^ 西尾にしおみきのブログ論壇ろんだん[ようページ番号ばんごう]
  45. ^ (日本語にほんご) 無料むりょうばん小川おがわ榮太郎えいたろうだい放談ほうだんプチ みぎひだりも「へんなこと」をひとだらけへん, https://www.youtube.com/watch?v=G1dFORuIhz0 2021ねん8がつ21にち閲覧えつらん 
  46. ^ 2011ねん1がつ8にちの「坦々たんたんじゅく新年しんねんかい」で公表こうひょうし、2がつ6にちづけ正式せいしき発表はっぴょう。※インターネットろくおよ内容ないよう見本みほん参照さんしょう最初さいしょだい5かん以後いごは1かんよりかん最終さいしゅう2かんは2分冊ぶんさつ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

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  • 決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう35かん 評論ひょうろん10』新潮社しんちょうしゃ、2003ねん10がつISBN 978-4106425752 
  • 決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう39かん 対談たいだん1』新潮社しんちょうしゃ、2004ねん5がつISBN 978-4106425790 
  • 決定けっていばん 三島みしま由紀夫ゆきお全集ぜんしゅう40かん 対談たいだん2』新潮社しんちょうしゃ、2004ねん7がつISBN 978-4106425806 
  • 新装しんそうばん 文芸ぶんげい読本とくほん 三島みしま由紀夫ゆきお河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1983ねん12月。NCID BA35307535  - 初版しょはんは1975ねん8がつ
  • 西尾にしおみきことなる悲劇ひげき 日本にっぽんとドイツ』文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1994ねん10がつISBN 978-4167507022 
  • 西尾にしおみき日本にっぽんはナチスと同罪どうざいことなる悲劇ひげきワック、2005ねん11月。ISBN 978-4898315392 
  • 村瀬むらせきょうゆう『アドルフ・ヒトラー 権力けんりょくへん わが闘争とうそうふか傷痕きずあと学研がっけんプラス、1995ねん1がつISBN 978-4056007398 
  • ヒルバーグ, ラウル しるもち田幸たこうおとこ原田はらだ一美かずみ井上いのうえ茂子しげこ わけ『ヨーロッパ・ユダヤじん絶滅ぜつめつじょう柏書房かしわしょぼう、1997ねんISBN 978-4760115167 
  • 栗原くりはら ゆう『ナチズムとユダヤじん絶滅ぜつめつ政策せいさく―ホロコーストの起源きげん実態じったいミネルみねるァ書房ぁしょぼう、1997ねん3がつISBN 978-4623027019 
  • えいさんせんてるどくせんとホロコースト』日本にっぽん経済けいざい評論ひょうろんしゃ、2001ねん1がつISBN 978-4818813212 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]