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長命寺ちょうめいじ

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長命寺ちょうめいじ

境内けいだい
所在地しょざいち 滋賀しがけん近江八幡おうみはちまん長命寺ちょうめいじまち157
位置いち 北緯ほくい359ふん45.66びょう 東経とうけい1363ふん50.41びょう / 北緯ほくい35.1626833 東経とうけい136.0640028 / 35.1626833; 136.0640028座標ざひょう: 北緯ほくい359ふん45.66びょう 東経とうけい1363ふん50.41びょう / 北緯ほくい35.1626833 東経とうけい136.0640028 / 35.1626833; 136.0640028
山号さんごう 姨綺耶山(いきやさん)
宗旨しゅうし 天台宗てんだいしゅう
宗派しゅうは たんだて
本尊ほんぞん 千手観音せんじゅかんのんじゅういちめん観音かんのん聖観音しょうかんのん(いずれも秘仏ひぶつ重要じゅうよう文化財ぶんかざい
創建そうけんねん つて推古天皇すいこてんのう27ねん619ねん
開基かいき つて聖徳太子しょうとくたいし
正式せいしきめい 姨綺耶山 長命寺ちょうめいじ
札所ふだしょとう 西国さいこくさんじゅうさんしょだい31ばん
聖徳太子しょうとくたいしれいあとだい35ばん
近江おうみ西国さいこくさんじゅうさん箇所かしょだい21ばん
びわひゃくはち霊場れいじょうだい72ばん
しゅうさんじゅうさん観音かんのんだい28ばん
近江おうみ七福神しちふくじん毘沙門天びしゃもんてん
神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみちだい143ばん滋賀しがだい11ばん
文化財ぶんかざい 本堂ほんどう三重みえとう鐘楼しゅろう木造もくぞう千手観音せんじゅかんのん立像りつぞうほか(重要じゅうよう文化財ぶんかざい
法人ほうじん番号ばんごう 4160005007161 ウィキデータを編集
長命寺の位置(滋賀県内)
長命寺
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三重みえとう重要じゅうよう文化財ぶんかざい
本堂ほんどう重要じゅうよう文化財ぶんかざい

長命寺ちょうめいじ(ちょうめいじ)は、滋賀しがけん近江八幡おうみはちまん長命寺ちょうめいじまちにある天台宗てんだいしゅうけいたんだて寺院じいん山号さんごうは姨綺耶山(いきやさん)。本尊ほんぞん千手観音せんじゅかんのんじゅういちめん観音かんのん聖観音しょうかんのんさんみことせんじゅういちめんきよし観世音菩薩かんぜおんぼさつとしたもの[1]聖徳太子しょうとくたいし開基かいきつたわる。西国さいこくさんじゅうさんしょだい31ばん札所ふだしょ

2015ねん平成へいせい27ねん)4がつ24にち、「琵琶湖びわことその水辺みずべ景観けいかんいのりとらしのみず遺産いさん 」の構成こうせい文化財ぶんかざいとして日本にっぽん遺産いさん認定にんていされる[2]

  • 本尊ほんぞん真言しんごん:おん ばざら たらま きりく そわか
  • 詠歌えいかはちせんねん(やちとせ)ややなぎながいのちてら(いのちでら) はこあゆみのかざしなるらん

歴史れきし

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琵琶湖びわこほとりにそびえる長命寺ちょうめいじさん標高ひょうこう333m)の南西なんせい山腹さんぷく標高ひょうこう240mあたりに位置いちしている。かつての巡礼じゅんれいしゃは、さんじゅうばん札所ふだしょ竹生島ちくぶしま宝厳寺たからがんじからふもとみなと標高ひょうこう87m)にふね上陸じょうりく長命寺ちょうめいじ参詣さんけいした。

伝承でんしょうによれば、だい12だいけいぎょう天皇てんのう時代じだいに、武内たけうち宿禰すくねがこのやなぎに「寿命じゅみょうちょうとおしょねがい成就じょうじゅ」と長寿ちょうじゅ祈願きがんした。このため宿禰すくねは300さい長命ちょうめいたもったとつたえられる。その聖徳太子しょうとくたいしがこのおもむいたさい宿禰すくね祈願きがんしたさいった文字もじ発見はっけんしたという。これに感銘かんめいけてながめていると白髪はくはつ老人ろうじんあらわれ、その仏像ぶつぞうりこの安置あんちするようげた。太子たいし早速さっそくじゅういちめん観音かんのんりこの安置あんちした。太子たいし宿禰すくね長寿ちょうじゅにあやかり、とうてら長命寺ちょうめいじ名付なづけたとつたえられている。そのとおり、参拝さんぱいすると長生ながいきするといいつたえられている。

実際じっさい創建そうけん年次ねんじ創建そうけん事情じじょうについてはしょうであり、確実かくじつ史料しりょうにおける長命寺ちょうめいじ寺号じごうはつは、うけたまわ元年がんねん1074ねん)3がつ2にちづけの「おきとう庄司しょうじ土師はじすけせいはたけ寄進きしんじょう」という文書ぶんしょである[3]

もとこよみ元年がんねん1184ねん)、佐々木ささき定綱さだつな戦死せんししたちち佐々木ささき秀義ひでよし菩提ぼだいとむらうために、さん仏堂ぶつどう建立こんりゅうしたのを皮切かわきりに、平安へいあん時代じだい後期こうき仁王門におうもん本堂ほんどう鐘楼しゅろう太子堂たいしどう護摩堂ごまどう宝塔ほうとうなどを建立こんりゅうし、伽藍がらんととのった。鎌倉かまくら時代ときよつうじて近江おうみ守護しゅご佐々木ささき六角ろっかく崇敬すうけいけている。

長命寺ちょうめいじには中世ちゅうせい以降いこう文書ぶんしょ豊富ほうふのこされている[4]。それによると、中世ちゅうせい長命寺ちょうめいじ比叡山ひえいざん延暦寺えんりゃくじ西にしとう別院べついんとしての地位ちいたもち、室町むろまち時代ときよはいってもわらずに守護しゅごろくかく崇敬すうけい庇護ひごけてえた。

しかし、えいただし13ねん1516ねん)、六角ろっかく高頼たかより伊庭いばさだたかし対立たいりつによる兵火へいか伊庭いばらんにより伽藍がらん全焼ぜんしょうする。現存げんそんする堂宇どうう室町むろまち時代じだいから江戸えど時代じだい初期しょきにかけて再建さいけんされたものである。

とうてら近江八幡おうみはちまん市街地しがいち北方ほっぽう琵琶湖びわこがんにそびえる長命寺ちょうめいじさん頂上ちょうじょうちかくの南側みなみがわ山腹さんぷくにあるが、この1951ねん昭和しょうわ26ねん)に当時とうじ八幡やはたまち編入へんにゅうされるまでは蒲生がもうぐん島村しまむらであった。長命寺ちょうめいじさん東側ひがしがわにはだい中之なかの干拓かんたくひろがっているが、干拓かんたく以前いぜん島村しまむら文字通もじどおりのしまであった。長命寺ちょうめいじさんふもと船着場ふなつきば安土あづちへの水路すいろ長命寺ちょうめいじがわ)の入口いりくちにもあたり、交通こうつう要衝ようしょうでもあった。

元禄げんろく5ねん1692ねん)の記録きろくによると、当時とうじは19のいん存在そんざいした[5]が、現在げんざいせいいんみょうさとしいんこくてらのみがのこっている。

ふもとにはかつての鎮守ちんじゅしゃである日吉ひよし神社じんじゃがある。

境内けいだい

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長命寺ちょうめいじ本堂ほんどうへは、湖岸こがんから808だん石段いしだん参道さんどうのぼる。のぼりにはやく20ふんようするが、現在げんざい本堂ほんどうちかくまで自動車じどうしゃどう整備せいびされている。主要しゅよう堂宇どうう屋根やね瓦葺かわらぶきでなくひのきがわきまたはこけらきとしており、独特どくとく境内けいだい風景ふうけい形成けいせいしている。本堂ほんどううらの「ろくしょ権現ごんげん影向ようごうせき」や「修多羅すたらがん(すたらいわ)」をはじめ、境内けいだい各所かくしょ巨岩きょがん露出ろしゅつしており、かつての巨石きょせき信仰しんこう名残なごりかんがえられている。

  • 本堂ほんどう重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - てら文書ぶんしょから室町むろまち時代ときよだいひさし4ねん1524ねん)の再建さいけん判明はんめいする。入母屋いりもやづくりひのきがわき。桁行けたゆき7あいだ梁間はりま6あいだ和様わよう仏堂ぶつどうである(ここでいう「あいだ」はながさの単位たんいではなく、はしらあいだかず意味いみする)。手前てまえ奥行おくゆき3あいだぶん外陣がいじん後方こうほう奥行おくゆき3あいだぶん内陣ないじんおよ後陣ごじんとする。内陣ないじん須弥壇しゅみだん中央ちゅうおうには秘仏ひぶつ本尊ほんぞん安置あんちする厨子ずしき、厨子ずしがいかってひだり毘沙門天びしゃもんてん立像りつぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)、みぎ不動明王ふどうみょうおう立像りつぞうつ。厨子ずしどうどう時代じだい造営ぞうえいで、重要じゅうよう文化財ぶんかざい(つけたり)指定していとなっている。渡廊下わたりろうかさん仏堂ぶつどうつながっている。
  • ろくしょ権現ごんげん影向ようごうせき - 武内たけうち宿禰すくねがここにいのりをささげ、さんひゃくさい長寿ちょうじゅたという。
  • 閼伽どう
  • 護摩堂ごまどう重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 屋根やねじょう露盤ろばんめいから慶長けいちょう11ねん1606ねん)の再建さいけん判明はんめいする。本堂ほんどう三重みえとうあいだたからがたづくりひのきがわき、かたさんあいだしょうどう
  • 三重みえとう重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 高欄こうらん擬宝珠ぎぼうしゅめいから慶長けいちょう2ねん1597ねん)の再建さいけん判明はんめいする。こけらきで全面ぜんめん丹塗にぬり(にぬり)とする。和様わよう一般いっぱんてき三重みえとうであるが、はつじゅうりょうわきあいだ連子窓れんじまどもうけずいたかべとすること、はつおも和様わようにはめずらしくこしぬきもちいるてん特色とくしょくである。はつじゅう内部ないぶ須弥壇しゅみだんもうけ、胎蔵かい大日如来だいにちにょらいぞう安土あづち桃山ももやま時代じだい)と四天王してんのうぞう鎌倉かまくら時代ときよ)を安置あんちする。大日如来だいにちにょらいぞうぞうそこめいから天正てんしょう17ねん1589ねん)、ななじょう大仏だいぶつやすしじゅうとその大弐だいにさくとわかる。本堂ほんどう東方とうほう、やや小高こだかくなったところにつ。
  • 納札のうさつどう
  • さん仏堂ぶつどう重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - もとはもとこよみ元年がんねん1184ねん)に佐々木ささき定綱さだつな建立こんりゅうしたもの。いま建物たてものえいろく年間ねんかん1558ねん - 1570ねん)の再建さいけん推定すいていされるが、江戸えど時代じだい寛政かんせい5ねん1793ねん)に改造かいぞうされている。どうない釈迦如来しゃかにょらい立像りつぞう阿弥陀如来あみだにょらい立像りつぞう薬師やくし如来にょらい立像りつぞうさんほとけ安置あんちする。本堂ほんどうのすぐ西側にしがわつ。入母屋いりもやづくりひのきがわき、丹塗にぬりどう
  • 渡廊下わたりろうかさん仏堂ぶつどう護法ごほう権現ごんげんしゃ拝殿はいでん重要じゅうよう文化財ぶんかざいとして) - さん仏堂ぶつどう護法ごほう権現ごんげんしゃ拝殿はいでんとをつなぐ。えいろく年間ねんかん(1558ねん - 1570ねん)の建立こんりゅう
  • 護法ごほう権現ごんげんしゃ - 本殿ほんでんいちあいだしゃ流造ながれづくり江戸えど時代じだい後期こうき建立こんりゅう長命寺ちょうめいじ草創そうそう説話せつわにかかわる武内たけうち宿禰すくねまつる。
  • 天神てんじん
  • 護法ごほう権現ごんげんしゃ拝殿はいでん重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 入母屋いりもやづくりひのきがわ葺。えいろく8ねん1565ねんごろ建立こんりゅう推定すいていされる。
  • 修多羅すたらがん(すたらいわ) - 武内たけうち宿禰すくね神体しんたい
  • 宝蔵ほうぞう
  • 鐘楼しゅろう重要じゅうよう文化財ぶんかざい) - 上棟じょうとうしきさいもちいられたづち慶長けいちょう13ねん1608ねん)のめいがあり、建立こんりゅう年次ねんじ判明はんめいする。内部ないぶ梵鐘ぼんしょう滋賀しがけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい)は中世ちゅうせいにさかのぼるものである。境内けいだい西方せいほうたか位置いちにある。入母屋いりもやづくりひのきがわき、重層じゅうそうはかまこしきの鐘楼しゅろう
  • 如法にょほうぎょうどう - 勝運しょううん将軍しょうぐん地蔵じぞうみこと智恵ちえ文殊もんじゅ菩薩ぼさつ福徳ふくとく庚申こうしんみことまつる。
  • てん尊堂そんどう - 拕柷あまてんみこと稲荷いなり大明神だいみょうじん)をまつる。
  • 太郎坊たろぼう権現ごんげんしゃ - 鐘楼しゅろうのさらに西方せいほうにある、長命寺ちょうめいじそう鎮守ちんじゅである。ここにまつられる太郎坊たろうぼうとはだい天狗てんぐで、てら縁起えんぎによれば、こう奈良なら天皇てんのう時代じだい長命寺ちょうめいじにいたひろしもんぼうなるちょう人的じんてきりょくをもったそうが、てら守護しゅごするためだい天狗てんぐへんじたものという。境内けいだいなかもっと琵琶湖びわこ展望てんぼうい。
    • 太郎坊たろぼう権現ごんげんしゃ拝殿はいでん
  • 書院しょいん
  • 庫裏くり
  • 山門やまかど冠木門かぶきもん
  • 禅林ぜんりんいんあと - 塔頭たっちゅう跡地あとちほこらのこる。
  • せいいん - 塔頭たっちゅう宿坊しゅくぼう
  • みょうさとしいん - 塔頭たっちゅう宿坊しゅくぼう
  • こくてら - 塔頭たっちゅう。かつて寺領じりょうからがるこめおさめたところ。

本尊ほんぞん

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「千手十一面聖観世音菩薩三尊一体」、つまり、千手観音せんじゅかんのんじゅういちめん観音かんのん聖観音しょうかんのん(しょうかんのん)の3たい長命寺ちょうめいじ本尊ほんぞんであるとされている。てらでんによると聖徳太子しょうとくたいしさくであるという。本堂ほんどう内陣ないじん厨子ずしには、中央ちゅうおう千手観音せんじゅかんのんぞうかってみぎじゅう一面観いちめんかん音像おんぞうひだり聖観音しょうかんのんぞう安置あんちされている(いずれも重要じゅうよう文化財ぶんかざい秘仏ひぶつ)。千手観音せんじゅかんのんぞうぞうだか91.8 cm)は一木いちきわりはぎづくり素地そじ截金仕上しあげで、平安へいあん時代じだい末期まっき、12世紀せいきごろさく推定すいていされる。じゅう一面観いちめんかん音像おんぞうぞうだか53.8 cm)は、千手観音せんじゅかんのんぞうよりふるい10世紀せいきないし11世紀せいきさく推定すいていされ、こちらが当初とうしょ本尊ほんぞんであった可能かのうせいもある。聖観音しょうかんのんぞうぞうだか67.4 cm)は鎌倉かまくら時代じだいさく推定すいていされる。これらのぞう安置あんちする厨子ずしまえあいだあいだ区分くぶんされ、あいだには地蔵じぞう菩薩ぼさつ立像りつぞう薬師やくし如来にょらい立像りつぞう安置あんちする。

西国さいこくさんじゅうさんしょ巡礼じゅんれいかんする確実かくじつ史料しりょう最古さいこのものとされる『寺門てらかど高僧こうそう所収しょしゅうくだりみこと巡礼じゅんれい(11世紀せいきまつごろ)では長命寺ちょうめいじ本尊ほんぞんを「さんしゃくせん」としており、おなじく『寺門てらかど高僧こうそう所収しょしゅうさとしちゅう巡礼じゅんれいおう元年がんねん1161ねん)では本尊ほんぞんを「さんしゃく聖観音しょうかんのん」とするなど、ふる時代じだい本尊ほんぞんわっていることが記録きろくからうかがえる。

これらの観音かんのんぞう厳重げんじゅう秘仏ひぶつとされ、平素へいそ公開こうかいされていない。西国さいこくさんじゅうさんしょ観音かんのん巡礼じゅんれい中興ちゅうこうしゃとされる花山はなやま法皇ほうおういちせんねん記念きねんして2008ねん平成へいせい20ねん)から2010ねん平成へいせい22ねん)にかけて、西国さいこくさんじゅうさんしょかく札所ふだしょ寺院じいんで「結縁けちえん開帳かいちょう」がおこなわれることとなり、長命寺ちょうめいじ本尊ほんぞん3たい2009ねん平成へいせい21ねん)10がつ1にちから10がつ31にちあいだひらきとびらされた。これは1948ねん昭和しょうわ23ねん以来いらい、61ねんぶりのひらきとびらである。

文化財ぶんかざい

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい

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滋賀しがけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい

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  • 梵鐘ぼんしょう
  • 長命寺ちょうめいじ文書ぶんしょ(5,475てん) - 「らくしょあやま証文しょうもん」などをふくむ。鎌倉かまくら時代じだいから近代きんだい2008ねん平成へいせい20ねん)7がつ23にち指定してい

近江八幡おうみはちまん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい

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  • 木造もくぞう四天王してんのう立像りつぞう - 鎌倉かまくら時代じだい
  • 木造もくぞう大日如来だいにちにょらい坐像ざぞう - 桃山ももやま時代じだい
  • 絹本けんぽんちょしょく山越やまごえ阿弥陀あみだぞう - 鎌倉かまくら時代じだい
  • 絹本けんぽんちょしょく弥勒菩薩みろくぼさつぞう - 鎌倉かまくら時代じだい
  • 絹本けんぽんちょしょく釈迦三尊しゃかさんぞんぞう - 鎌倉かまくら時代じだい
  • かみほんちょしょく長命寺ちょうめいじ参詣さんけい曼荼羅まんだら - 江戸えど時代じだい
  • くろうるしかおる - 南北なんぼくあさ時代じだい
  • 版本はんぽんだい般若はんにゃけい - 鎌倉かまくら時代じだい

前後ぜんご札所ふだしょ

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西国さいこくさんじゅうさんしょ
30 宝厳寺たからがんじ - 31 長命寺ちょうめいじ - 32 観音正寺かんのんせいじ
聖徳太子しょうとくたいしれいあと
34 百済寺くだらでら - 35 長命寺ちょうめいじ - 36 石馬寺いしばじ
近江おうみ西国さいこくさんじゅうさん箇所かしょ
20 善勝よしかつてら - 21 長命寺ちょうめいじ - 22 石塔せきとうてら
びわひゃくはち霊場れいじょう
71 桑実寺そうじつでら - 72 長命寺ちょうめいじ - 73 瑞龍寺ずいりゅうじ
しゅうさんじゅうさん観音かんのん
27 延命寺えんめいじ - 28 長命寺ちょうめいじ - 29 ねがい成就じょうじゅてら
近江おうみ七福神しちふくじん毘沙門天びしゃもんてん
神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみち
142 にち牟禮むれ八幡宮はちまんぐう - 143 長命寺ちょうめいじ - 144 御上おかみ神社じんじゃ

所在地しょざいち

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〒523-0808 滋賀しがけん近江八幡おうみはちまん長命寺ちょうめいじまち157

拝観はいかんりょう

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拝観はいかんりょう駐車ちゅうしゃりょう林道りんどう通行つうこうりょうともすべて無料むりょう

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 西国さいこくさんじゅうさんしょめぐり. 昭文社しょうぶんしゃ. (2018ねん7がつ). p. 146. ISBN 978-4-398-13355-7 
  2. ^ 琵琶湖びわことその水辺みずべ景観けいかんいのりとらしのみず遺産いさん”. 文化庁ぶんかちょう. 2020ねん9がつ20日はつか閲覧えつらん
  3. ^ 長命寺ちょうめいじ文書ぶんしょ(滋賀しがけん教育きょういく委員いいんかい事務じむきょく文化財ぶんかざい保護ほご 2003, p. 26)
  4. ^ (滋賀しがけん教育きょういく委員いいんかい事務じむきょく文化財ぶんかざい保護ほご 2003)
  5. ^ 古寺ふるでら巡礼じゅんれい 近江おうみ7 長命寺ちょうめいじ』p91
  6. ^ a b 重要じゅうよう文化財ぶんかざい建造けんぞうぶつ)の指定していについて. 文化庁ぶんかちょうれい3ねん5がつ答申とうしん
  7. ^ 平成へいせい30ねん10がつ31にち文部もんぶ科学かがくしょう告示こくじだい208ごう

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 井上いのうえやすし塚本つかもと善隆よしたか監修かんしゅう中島なかじま千恵子ちえこ武内たけうちゆう韶著『古寺ふるでら巡礼じゅんれい近江おうみ7 長命寺ちょうめいじ』、あわ交社、1980
  • 日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい 滋賀しがけん地名ちめい』、平凡社へいぼんしゃ
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 滋賀しがけん』、角川書店かどかわしょてん
  • 国史こくしだい辞典じてん』、吉川弘文館よしかわこうぶんかん
  • 滋賀しがけん教育きょういく委員いいんかい事務じむきょく文化財ぶんかざい保護ほご へん長命寺ちょうめいじ古文書こもんじょとう調査ちょうさ報告ほうこくしょ滋賀しがけん教育きょういく委員いいんかい、2003ねん 

外部がいぶリンク

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