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ぜんみねてら

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ぜんみねてら
善峯寺山門
山門さんもん
所在地しょざいち 京都きょうと京都きょうと西京にしぎょう大原野小塩おおはらのおしおまち1372
位置いち 北緯ほくい3456ふん17.4びょう 東経とうけい13538ふん39.1びょう / 北緯ほくい34.938167 東経とうけい135.644194 / 34.938167; 135.644194座標ざひょう: 北緯ほくい3456ふん17.4びょう 東経とうけい13538ふん39.1びょう / 北緯ほくい34.938167 東経とうけい135.644194 / 34.938167; 135.644194
山号さんごう 西山にしやま
宗旨しゅうし 天台宗てんだいしゅうけいたんだて
宗派しゅうは ぜんほう観音かんのんむね
寺格じかく 本山もとやま
本尊ほんぞん じゅういちめんせん観世音菩薩かんぜおんぼさつ 2
創建そうけんねん ちょうはじめ2ねん1029ねん
開山かいさん みなもとさん
正式せいしきめい 西山にしやま よしみねてら
別称べっしょう 西山にしやま門跡もんぜき
札所ふだしょとう 西国さいこくさんじゅうさんしょだい20ばん
京都きょうとらく西観音にしかんおん霊場れいじょうだい1ばん
神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみちだい85ばん京都きょうとだい5ばん
文化財ぶんかざい 多宝塔たほうとう絹本けんぽんちょしょく大元帥だいげんすい明王みょうおうぞう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)、ゆうりゅうまつくに天然記念物てんねんきねんぶつ
公式こうしきサイト 京都きょうと西山にしやま 西国さいこくだいじゅうばん札所ふだしょ ぜんみねてら
法人ほうじん番号ばんごう 4130005001860 ウィキデータを編集
善峯寺の位置(京都市内)
善峯寺
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ぜんみねてら(よしみねでら)は、京都きょうと西京にしぎょうにあるぜんほう観音かんのんむね本山もとやま寺院じいん山号さんごう西山にしやま本尊ほんぞんじゅういちめんせん観世音菩薩かんぜおんぼさつ 2西国さいこくさんじゅうさんしょだい20ばん札所ふだしょさくら紅葉こうよう名所めいしょになっているとともに境内けいだい各所かくしょから京都きょうと市街しがい比叡山ひえいざん一望いちぼうできる。

本尊ほんぞん真言しんごん:おん ばざら たらま きりく そわか

詠歌えいかをもすぎ山路やまじ(やまじ)にむかふそら よしみねよりもはれるる夕立ゆうだち

歴史れきし

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てらつたわる『ぜんみねてら縁起えんぎ絵巻えまき』(江戸えど時代じだいとうによれば、ちょうはじめ2ねん1029ねん)、源信みなもとのまこと弟子でしにあたるみなもとさん自作じさく千手観音せんじゅかんのんぞう本尊ほんぞんとして創建そうけんしたという。そのながもと7ねん1034ねん)には後一条天皇ごいちじょうてんのうにより勅願ちょくがんしょさだめられ、「りょうみねてら」の寺号じごうたまわった。

長久ながひさ3ねん1042ねん)、こう朱雀すざく天皇てんのういのちらくひがし鷲尾わしおてらにあったじん弘法ぐほうさく千手観音せんじゅかんのんぞうとうてらうつしてあらたな本尊ほんぞんとしている。また、白河天皇しらかわてんのうより本堂ほんどう阿弥陀堂あみだどう薬師堂やくしどう地蔵堂じぞうどう三重みえとう鐘楼しゅろう二王門におうもん鎮守ちんじゅななしゃどうしゃ寄進きしんされている。

鎌倉かまくら時代ときよ初期しょきたてひさ3ねん1192ねん)には、慈円じえんじゅうしたこともあり、後鳥羽ごとば天皇てんのう直筆じきひつてらがくたまわったことによって寺号じごうぜんみねてらあらためられた。あおれんいんからおおくの法親王ほうしんのう入山にゅうざんしたため「西山にしやま門跡もんぜき」とばれ、室町むろまち時代ときよには僧坊そうぼうかずは52をかぞえていた。

だが、応仁おうにんらんまれて伽藍がらん大半たいはん焼失しょうしつした。江戸えど時代じだいになってから江戸えど幕府ばくふだい5だい将軍しょうぐん徳川とくがわ綱吉つなよし生母せいぼかつらあきらいんだい檀那だんなとなって、現存げんそんする観音堂かんのんどう鐘楼しゅろう護摩堂ごまどう薬師堂やくしどう経堂きょうどう鎮守ちんじゅしゃなどが再建さいけんされて復興ふっこうげた。

境内けいだい北側きたがわには隣接りんせつしてさん鈷寺がある。

境内けいだい

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多宝塔たほうとう重要じゅうよう文化財ぶんかざい

境内けいだい京都きょうと市域しいき西南せいなんはしちかく、釈迦岳しゃかだけ標高ひょうこう630.8m)の北東ほくとう支峰しほうぜんみね位置いちし、山腹さんぷく一帯いったいおおくの堂宇どうう点在てんざいする。バス停留所ていりゅうじょから山道さんどうを、また駐車ちゅうしゃじょうからすうふんのぼったところに山門さんもんそびえ、石段いしだんがった正面しょうめん本堂ほんどう標高ひょうこう305mあたり)があり、その左手ひだりてみなみ)に文殊もんじゅ寺宝じほうかんがある。本堂ほんどう右手みぎて石段いしだんのぼったいちかくには多宝塔たほうとうなどがある。そこからのぼったところに釈迦堂しゃかどう、そのうえ阿弥陀堂あみだどうがあり、境内けいだいのもっともおくには薬師堂やくしどうあおれんいんみや墓地ぼちなどがある。しょ堂宇どううだい部分ぶぶん江戸えど時代じだいかつらあきらいん援助えんじょ整備せいびされたものである。

本尊ほんぞん

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秘仏ひぶつ本尊ほんぞん脇本わきもとたかしの2たい木造もくぞう千手観音せんじゅかんのん立像りつぞう安置あんちする。秘仏ひぶつ本尊ほんぞん木造もくぞううるしはくぞうだか178.8センチ。平安へいあん時代じだい後期こうきから鎌倉かまくら時代じだい初期しょきさくとされる。てらでんではこう朱雀すざく天皇てんのういのちによりらくひがし鷲尾わしおてらからうつしたもので、安居あんきょいんじん弘法ぐほうさくという。ひらきとびら現在げんざい毎月まいつきだい2日曜にちようおよび毎年まいとし正月しょうがつ三箇日さんがにちおこなわれるほか、臨時りんじおこなわれる特別とくべつひらけとびらもある。今後こんごてら方針ほうしんにより2022ねん以降いこう秘仏ひぶつとし、そのひらきとびら開山かいさんから1,000ねんとなる2028ねんまでおこなわない予定よていである。

脇本わきもとたかしぞうだか174.5センチ。てら創建そうけんおなじ11世紀せいき前半ぜんはんごろさくとされ、ぞう全体ぜんたいくろずんだ古色こしょくていする。てらでんでは開山かいさんげんさんさくとする。京都きょうとらく西観音にしかんおん霊場れいじょう札所ふだしょ本尊ほんぞんでもある[1][2]

文化財ぶんかざい

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい

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くに天然記念物てんねんきねんぶつ

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ゆうりゅうまつ
  • ゆうりゅうまつ - 1932ねん昭和しょうわ7ねん)4がつ19にち指定してい[4]樹齢じゅれいやく600ねん五葉松ごようまつで、みきよこうようにびていることからこのけられた。全長ぜんちょう50すうメートルあったが、松食まつくむし被害ひがいにより1994ねん平成へいせい6ねん)に10メートルあまり切断せつだんされた[5]

京都きょうと指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい

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善峰寺ぜんほうじ参詣さんけい曼荼羅まんだら
  • 善峰寺ぜんほうじ参詣さんけい曼荼羅まんだら - 1996ねん平成へいせい8ねん)3がつ15にち指定してい[6]
  • さん鈷寺参詣さんけい曼荼羅まんだら - 1996ねん平成へいせい8ねん)3がつ15にち指定してい[6]

前後ぜんご札所ふだしょ

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西国さいこくさんじゅうさんしょ
19 革堂こうどうくだりねがいてら - 20 ぜんみねてら - 21 あな太寺たいでら
京都きょうとらく西観音にしかんおん霊場れいじょう
1 ぜんみねてら - 2 金蔵寺こんぞうじ
神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみち
84 東寺とうじ教王護國寺きょうおうごこくじ) - 85 ぜんみねてら - 86 大原野おおはらの神社じんじゃ

交通こうつう

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JR京都きょうとせん東海道本線とうかいどうほんせん向日むこうまちえきまたは阪急はんきゅう京都きょうと本線ほんせん 東向日ひがしむこうえきから、阪急はんきゅうバス66系統けいとうぜんみねてらきで終点しゅうてんぜんみねてら下車げしゃ徒歩とほ8ふん

1がつ6にちから2がつ末日まつじつあいだぜんみねてらぎょうバスは手前てまえしょうしおまりとなる。

入山にゅうざんりょう

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  • 大人おとな500えん
  • 中高生ちゅうこうせい300えん
  • 小中学生しょうちゅうがくせい200えん
    • 最初さいしょ北側きたがわ隣接りんせつするさん鈷寺き、つぎぜんみねてらはい場合ばあいは、インターフォンを使つかい、拝観はいかんりょうせんいよう用意よういして監視かんしカメラに呈示ていじしたあと拝観はいかんりょうれにれれば、回転かいてんドアを遠隔えんかくかいじょうしてもらって入場にゅうじょうできるが、パンフレットるいをもらうことができない。
    • なお、最初さいしょ山門さんもん拝観はいかんりょうはらったあと、北門きたもんさん鈷寺にき、ふたた北門きたもんからぜんみねてら入場にゅうじょうする場合ばあいはインターフォンを使つかって連絡れんらくして回転かいてんドアを遠隔えんかくかいじょうしてもらう必要ひつようがあるが、さい入場にゅうじょう可能かのうである。そのさいぜんみねてら入口いりくちでもらったパンフレットを監視かんしカメラに呈示ていじする必要ひつようがある。

周辺しゅうへん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ぞうだか年代ねんだいについては、西国さいこくさんじゅうさんしょ札所ふだしょかいへん西国さいこくさんじゅうさんしょ結縁ゆうえん開帳かいちょう公式こうしきガイドブック』(講談社こうだんしゃ、2008)p85による。
  2. ^ りょう本尊ほんぞん写真しゃしんは、『ぜんみねてら』(京都きょうと古寺ふるでらから19)(あわ交社、1997)および『西国さいこくさんじゅうさんしょ結縁ゆうえん開帳かいちょう公式こうしきガイドブック』(講談社こうだんしゃ、2008)に掲載けいさいされている。
  3. ^ ぜんみねてら多宝塔たほうとう - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  4. ^ ゆうりゅうまつ - くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース(文化庁ぶんかちょう
  5. ^ 「掃部・水野みずの、1997」p75
  6. ^ a b 京都きょうと指定してい登録とうろくとう文化財ぶんかざい”. 京都きょうと教育きょういくちょう. 2015ねん2がつ16にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 京都きょうと地名ちめい』(日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい)、平凡社へいぼんしゃ、1979
  • 掃部こうとおる水野みずのかついにしえぜんみねてら』(京都きょうと古寺ふるでらから19)、あわ交社、1997

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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