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みなみ法華寺ほっけじ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
みなみ法華寺ほっけじ
三重みえとう
所在地しょざいち 奈良ならけん高市たかいちぐん高取たかとりまち壺阪つぼさか3
位置いち 北緯ほくい3425ふん35.6びょう 東経とうけい13548ふん37びょう / 北緯ほくい34.426556 東経とうけい135.81028 / 34.426556; 135.81028座標ざひょう: 北緯ほくい3425ふん35.6びょう 東経とうけい13548ふん37びょう / 北緯ほくい34.426556 東経とうけい135.81028 / 34.426556; 135.81028
山号さんごう 壺阪つぼさかさん
宗旨しゅうし 真言宗しんごんしゅう
宗派しゅうは たんだて
本尊ほんぞん じゅういちめんせん観世音菩薩かんぜおんぼさつ
創建そうけんねん 大宝たいほう3ねん703ねん
開山かいさん べんもと
正式せいしきめい 壺阪つぼさかさん みなみ法華寺ほっけじ
別称べっしょう 壺阪つぼさかてら
札所ふだしょとう 西国さいこくさんじゅうさんしょだい6ばん
神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみちだい38ばん奈良ならだい25ばん
文化財ぶんかざい れいどう三重みえとう鳳凰ほうおうぶん磚、絹本けんぽんちょしょくいち金輪かなわ曼荼羅まんだら重要じゅうよう文化財ぶんかざい
公式こうしきサイト びょうふうじのおてら・おさとさわれいあと 西国さいこく霊場れいじょうだいろくばん神仏しんぶつ霊場れいじょう奈良なら25ばん 壺阪つぼさかてら
法人ほうじん番号ばんごう 7150005005147 ウィキデータを編集
南法華寺の位置(奈良県内)
南法華寺
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みなみ法華寺ほっけじ(みなみほっけじ)は、奈良ならけん高市たかいちぐん高取たかとりまち壺阪つぼさかにある真言宗しんごんしゅうけいたんだて寺院じいん山号さんごう壺阪つぼさかさん本尊ほんぞんじゅういちめんせん観世音菩薩かんぜおんぼさつ一般いっぱんには壺阪つぼさかてら(つぼさかでら)の通称つうしょうられる。西国さいこくさんじゅうさんしょだい6ばん札所ふだしょ

本尊ほんぞん真言しんごん:おん ばざら たらま きりく そわか   

詠歌えいかいわをたてすいをたたえて壺阪つぼさかの にわのいさごも浄土じょうどなるらん

歴史れきし

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草創そうそうについては不明ふめいてんおおいが、伝承でんしょうによれば大宝たいほう3ねん703ねん)に元興寺がんこうじべんもと上人しょうにんによりひらかれたとされる。のち元正がんしょう天皇てんのう祈願きがんてらとなった。

平安へいあん時代じだい京都きょうと清水寺きよみずでらきた法華寺ほっけじばれるのにたいとうてらみなみ法華寺ほっけじばれ、長谷寺はせでらとともにふるくから観音かんのん霊場れいじょうとしてさかえた。うけたまわ14ねん847ねん)には長谷寺はせでらとともに定額ていがくてられっせられている。貴族きぞくたち参拝さんぱいさかんであり、清少納言せいしょうなごんの『枕草子まくらのそうし』には「てらつぼざか笠置かさぎ法輪ほうりん・・・」と霊験れいけんてら筆頭ひっとうげられている。また、寛弘かんこう4ねん1007ねん左大臣さだいじん藤原ふじわら道長みちなが吉野よしの参詣さんけい途次とじとうてら宿泊しゅくはくしている。

往時おうじは36どう60あまりぼうもの堂舎どうしゃがあったが、よしみ3ねん1096ねん)に火災かさいにあい伽藍がらんのほとんどが灰燼かいじんかえした。その島寺しまでらきょう上人しょうにんとうてら復興ふっこうにあたり、これによりとうてら真言宗しんごんしゅうとうほうりゅうつぼざかほうりゅう)の一大いちだい道場どうじょうとなった。

うけたまわもと5ねん1211ねん)に大門おおもん僧房そうぼう罹災りさいはじめ、すう火災かさいにあい、戦国せんごく時代じだいには戦乱せんらんまれている。とうてら庇護ひごしていた越智おち滅亡めつぼうとも衰退すいたいし、のこったのは室町むろまち時代ときよれいどう三重みえとうくらいであった。

慶長けいちょう年間ねんかん1596ねん - 1615ねん)、豊臣とよとみ秀長ひでなが家臣かしん高取たかとりしろあるじ本多ほんだしゅんせい当山とうざん伽藍がらん復興ふっこう尽力じんりょくし、江戸えど時代じだいには高取たかとりはんあるじ植村うえむら庇護ひごえた。

本尊ほんぞんじゅういちめんせん観世音菩薩かんぜおんぼさつびょうふうじの観音かんのんさまとしてしたしまれびょう霊験れいけんがあるといわれ、おさとさわ夫婦ふうふあいをうたった人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりつぼさか霊験れいけん』の舞台ぶたいとして有名ゆうめいとなった。

1961ねん昭和しょうわ36ねん)には日本にっぽん最初さいしょ養護ようごめくら老人ろうじんホーム慈母じぼえん」がてられている。ほかにもこく内外ないがい福祉ふくし事業じぎょう展開てんかいしている[1]

1964ねん昭和しょうわ39ねん)よりインドおこなっているハンセン病はんせんびょう患者かんじゃ救済きゅうさい活動かつどうへの尽力じんりょくたいする返礼へんれいとして、インド政府せいふから提供ていきょうされた古石ふるいし使用しようして1983ねん昭和しょうわ58ねん)3がつ完成かんせいした「天竺てんじく渡来とらい 大観たいかん音像おんぞう」は、たかやく20m、そう重量じゅうりょう1,200トンの壮大そうだいなものである[2]。その、インド渡来とらいのものとしては、「天竺てんじく渡来とらい 佛伝ぶつでんレリーフ」、「天竺てんじく渡来とらい 大石おおいしどう」などがある。

境内けいだい

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  • 八角はっかく円堂えんどう本堂ほんどう)- 江戸えど時代じだい再建さいけんじゅういちめんせん観世音菩薩かんぜおんぼさつ坐像ざぞうまつる。
  • れいどう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)- 室町むろまち時代ときよ中期ちゅうき以前いぜん再建さいけんされたものだが、江戸えど時代じだいだい改築かいちくされている。そのため、昭和しょうわだい修理しゅうり室町むろまち時代じだい当時とうじれいどう復元ふくげんされた。入母屋いりもやづくりほん瓦葺かわらぶき
  • 三重みえとう重要じゅうよう文化財ぶんかざい)- 室町むろまち時代じだいあかりおう6ねん1497ねん再建さいけん
  • 慈眼じげんどう - 2006ねん平成へいせい18ねんあき落慶らっけい老朽ろうきゅうした阿弥陀堂あみだどう回廊かいろう部材ぶざいもちいて建立こんりゅうされた。はつそうには夫婦ふうふ観音かんのんぞうそうには阿弥陀如来あみだにょらいまつる。インドじん画家がかのカーマットによる「釈迦しゃか佛伝ぶつでん」がえがかれている。
  • さとさわぞう - 人形浄瑠璃にんぎょうじょうるりつぼざか霊験れいけん』にてくるおさとさわ夫婦ふうふぞう
  • めがね供養くよう観音かんのん - たかさ3m。インドで制作せいさくされ、日本にっぽんてられた。
  • 天竺てんじく渡来とらい 佛伝ぶつでんレリーフ「釈迦しゃか一代記いちだいき」- 1987ねん昭和しょうわ62ねん安置あんちたかさ3m、全長ぜんちょう50m、おもさ300t。奈良教育大学ならきょういくだいがく教授きょうじゅ小川おがわ清彦きよひこ原図げんずえがき、インドのカルナータカしゅうカルカラでべ5まん7000にんいしによって製作せいさくされ、日本にっぽんてられた。
  • 七福神しちふくじん石像せきぞう
  • 天竺てんじく渡来とらい 大石おおいしどう - 納骨のうこつ永代えいたい供養くようどうそう重量じゅうりょう1,500t。インドのアジャンター石窟せっくつ寺院じいんをモデルとし、べ12まんにん日本にっぽん・インドの人々ひとびとによって彫刻ちょうこくされ、日本にっぽんてられた。内部ないぶには石造せきぞう仏舎利ぶっしゃりとうじゅういちめん千手観音せんじゅかんのんぞう大日だいにち金輪かなわぞうまつる。
  • 鐘楼しゅろう
  • 天竺てんじく渡来とらい だい釈迦如来しゃかにょらい石像せきぞう壺阪つぼさか大仏だいぶつ) - 2007ねん平成へいせい19ねん)11月開眼かいがん身丈みたけ10m、台座だいざ5m。
  • 多宝塔たほうとう - 2002ねん平成へいせい14ねん)4がつ落慶らっけい大日如来だいにちにょらい坐像ざぞう平安へいあん時代じだいさく)をまつる。
  • じゅうさんじゅうとう
  • 灌頂どう - 2005ねん平成へいせい17ねん)4がつ落慶らっけい慶長けいちょう年間ねんかん1596ねん - 1615ねん)に本多ほんだしゅんせい寄進きしんした因幡堂いなばどう部材ぶざいだい部分ぶぶんもちいて建立こんりゅうされた。じゅういちめん千手観音せんじゅかんのん菩薩ぼさつ室町むろまち時代じだいさく)、豊臣とよとみ秀長ひでながおおやけぞう本多ほんだしゅんせいおおやけぞう安土あづち桃山ももやま時代じだいさく)をまつる。
  • 仁王門におうもん - けんれき2ねん1212ねん建立こんりゅう入母屋いりもやづくりほん瓦葺かわらぶき解脱げだつ上人しょうにん貞慶じょうけい建立こんりゅうかかわったとされる。2003ねん平成へいせい15ねん)に解体かいたい修理しゅうりされ現在地げんざいち移築いちくされる。
  • 龍蔵りゅうぞうみや
  • だい講堂こうどう - 2000ねん平成へいせい12ねん落慶らっけい弘法大師こうぼうだいしぞう鎌倉かまくら時代ときよさく)をまつる。
  • 養護ようごめくら老人ろうじんホーム「慈母じぼえん」 - 1961ねん昭和しょうわ36ねんちくとうてらびょう霊験れいけんがあることから日本にっぽん最初さいしょ養護ようごめくら老人ろうじんホームとしててられた。
  • 天竺てんじく渡来とらい だい涅槃ねはん石像せきぞう - 1999ねん平成へいせい11ねん安置あんち全長ぜんちょう8m。インドで制作せいさくされ、日本にっぽんてられた。
  • 天竺てんじく渡来とらい 大観たいかんおん石像せきぞう - 1983ねん昭和しょうわ58ねん)3がつ12にち開眼かいがん全長ぜんちょう20m、ぜん重量じゅうりょう1200t。インド政府せいふによって提供ていきょうされた古石ふるいしをインドの文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょうしゃシェノイとその一門いちもん、さらにべ7まんにんのインドじん石工せっこうによって66のパーツにけて制作せいさくされ、日本にっぽんてられた。
  • ひゃく羅漢らかん - おくいんがあったこう高山こうざん斜面しゃめん岩肌いわはだきざまれている。

文化財ぶんかざい

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい

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寺宝じほう

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木造もくぞうじゅういちめん千手観音せんじゅかんのん菩薩ぼさつ坐像ざぞう
  • 木造もくぞうじゅういちめん千手観音せんじゅかんのん菩薩ぼさつ坐像ざぞう本尊ほんぞん室町むろまち時代じだいかしざいづく
  • 木造もくぞう大日如来だいにちにょらいぞう木造もくぞううるしはくぞうだか49.5cm、平安へいあん時代じだい(11世紀せいき
  • 木造もくぞう増長天ぞうちょうてん木造もくぞう古色こしょくぞうだか160.5cm、平安へいあん時代じだい(12世紀せいき
  • 木造もくぞう多聞天たもんてん立像りつぞう木造もくぞう古色こしょくぞうだか156.2cm、平安へいあん時代じだい(12世紀せいき
  • 如来にょらい坐像ざぞう推定すいてい阿弥陀如来あみだにょらい木造もくぞう古色こしょくぞうだか27.4cm、平安へいあん時代じだい(12世紀せいき
  • 不動明王ふどうみょうおう坐像ざぞう木造もくぞう彩色さいしききりきんぞうだか50.7cm、平安へいあん時代じだい(12世紀せいき

おも行事ぎょうじ

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  • 2がつ、6がつのぞ毎月まいつき18にち - 観音かんのん縁日えんにち
  • 8がつ18にち - 施餓鬼せがきかい

アクセス・拝観はいかん

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  • 壺阪つぼさかさんえき近鉄きんてつ吉野線よしのせん)から奈良交通ならこうつうバス壷阪つぼさか寺前てらまえきに終点しゅうてん下車げしゃやく11ふん)。バス停ばすていから徒歩とほやく5ふん
  • 西名にしなばんみち郡山こおりやまICから国道こくどう24ごう国道こくどう169ごう経由けいゆ清水谷しみずたに交差点こうさてんから県道けんどう119号線ごうせんやく2km(案内あんない看板かんばんあり)。有料ゆうりょう駐車ちゅうしゃじょうあり(普通ふつうしゃ1にち500えん)。
  • 開門かいもん時間じかん 830ふんから17まで、年中ねんじゅう無休むきゅう
  • 入山にゅうざんりょう大人おとな(18さい以上いじょう)で600えん小人こども高校生こうこうせい以下いか)100えん幼児ようじ(5さい以下いか)は無料むりょう障害しょうがいしゃ障害しょうがいしゃ手帳てちょう掲示けいじで、いの介助かいじょしゃ1めいふくめて無料むりょう団体だんたい割引わりびきあり。

前後ぜんご札所ふだしょ

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西国さいこくさんじゅうさんしょ
5 かずら井寺いてら - 6 壺阪つぼさかてらみなみ法華寺ほっけじ - 7 岡寺おかでらりゅうぶたてら
神仏しんぶつ霊場れいじょう巡拝じゅんぱいみち
37 だん山神さんじんしゃ - 38 壺阪つぼさかてらみなみ法華寺ほっけじ - 39 金峯山こんごうざんてら

付近ふきん名所旧跡めいしょきゅうせき

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 社会しゃかい福祉ふくし法人ほうじん壷阪寺つぼさかでら聚徳かい 一般いっぱん財団ざいだん法人ほうじん)アジア・アフリカ国際こくさい奉仕ほうし財団ざいだん
  2. ^ 壺阪つぼさかてら境内けいだい案内あんない”. 壺阪つぼさかてら. 2015ねん9がつ8にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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