B-36 (航空機こうくうき)

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B-36

飛行するB-36J

飛行ひこうするB-36J

B-36英語えいご: Consolidated Vultee B-36 "Peacemaker")は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくコンヴェアしゃ開発かいはつアメリカ空軍くうぐん運用うんようされた戦略せんりゃく爆撃ばくげきである。

正式せいしき愛称あいしょう存在そんざいしないが、公式こうしきでもしばしば「ピースメイカー (Peacemaker)、「平和へいわ創造そうぞうしゃ」の」との表現ひょうげんがなされ、これがなか公式こうしき呼称こしょうとなっている。には「コンカラー (Conqueror, 「征服せいふくしゃ」の)」、「ビッグスティック (Big Stick)[注釈ちゅうしゃく 2]」などともばれた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

B-29なら試作しさく

B-36はだい世界せかい大戦たいせんなか計画けいかくされたばくげきであるが、1945ねん9月にだい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつしたため開発かいはついそがれず、はつ飛行ひこう戦争せんそう終結しゅうけつ1946ねん8がつ8にちであった。生産せいさん1948ねんから開始かいしされて最終さいしゅうてきには1954ねんまでおこなわれている。

部隊ぶたい配備はいび1948ねんから開始かいしされ、冷戦れいせん初期しょき段階だんかいにおいて、空軍くうぐん戦略せんりゃく航空こうくう軍団ぐんだん(SAC)における主力しゅりょくばくげきとなった。しかし、1952ねんには後継こうけいとなる大型おおがたジェット爆撃ばくげきボーイングB-52はつ飛行ひこうし、1955ねん配備はいび開始かいしされたため、B-36は1959ねんには退役たいえきした。このため、活動かつどうした期間きかんは10ねん前後ぜんこうみじかい。

現役げんえき時代じだいきた大戦たいせんそうとしては朝鮮ちょうせん戦争せんそうがあったが、ほんすべてがかく戦争せんそう勃発ぼっぱつ主力しゅりょくかくばくだん搭載とうさいとして温存おんぞんはかられた。そして、すでに当時とうじ遷音そく巡航じゅんこうできるジェット戦闘せんとう時代じだいであり、実際じっさい朝鮮ちょうせん戦争せんそう投入とうにゅうされたB-29や、B-50などのレシプロは、飛行ひこう速度そくどおそさによりMiG-15などによる撃墜げきつい相次あいついだ。そのため、高価こうか貴重きちょうなB-36にたいする同様どうよう被害ひがい懸念けねんされ、戦略せんりゃく爆撃ばくげきとしての実戦じっせん投入とうにゅうはされなかった。

空前絶後くうぜんぜつご大型おおがたであるB-36は運用うんよう容易よういではなく、かつ高価こうか機体きたいであった。その製造せいぞう予算よさん獲得かくとく空軍くうぐん海軍かいぐん対立たいりつみ、“提督ていとくたちの反乱はんらん”とばれる状況じょうきょういたった。

空軍くうぐん航空こうくう母艦ぼかん艦載かんさいわせよりも大型おおがた爆撃ばくげきたるB-36のほう核兵器かくへいきもちいた戦略せんりゃく攻撃こうげき有利ゆうり主張しゅちょうし、もう一方いっぽう海軍かいぐんはB-36を“10おくドルの失敗しっぱい“とつよ批判ひはんしている[2]海軍かいぐんAJ サヴェージA3Dスカイウォーリアーといった核兵器かくへいき運用うんよう能力のうりょくった大型おおがた攻撃こうげき開発かいはつしたが、既存きそん空母くうぼでは運用うんよう困難こんなんがあり、格納庫かくのうこれられず露天ろてんがかりしたり、はつかん離陸りりく)しかおこなえず着陸ちゃくりく陸上りくじょう基地きちおこなうといった運用うんよう余儀よぎなくされ、これら機体きたい完全かんぜん運用うんようするには、より大型おおがた空母くうぼ建造けんぞう必要ひつよう不可欠ふかけつであった。結局けっきょく空海くうかいぐんあらそいは前者ぜんしゃ勝利しょうりするかたちとなり、B-36の生産せいさん継続けいぞくされる一方いっぽう1949ねんには大型おおがた空母くうぼユナイテッド・ステーツ」が建造けんぞう中止ちゅうしとなった。その朝鮮ちょうせん戦争せんそうでのせんくんから海軍かいぐんではふたた大型おおがた空母くうぼ建造けんぞう機運きうんしょうじ、一方いっぽう空軍くうぐん後継こうけいとなる大型おおがたジェット戦略せんりゃく爆撃ばくげき開発かいはつした。しかし、両者りょうしゃともそれらでは通常つうじょう兵器へいき運用うんようおもとなり、かく攻撃こうげき任務にんむ海軍かいぐんでは戦略せんりゃくミサイル原潜げんせんが、空軍くうぐん大陸たいりくあいだ弾道だんどうミサイル主力しゅりょくとなっていく。

なお、前述ぜんじゅつ計画けいかく要求ようきゅう仕様しようにあった“10,000ポンド(ten-thousand Pounds)のばくだんんで10,000マイル(ten-thousand miles)”を飛行ひこうできる”から、"ten-ten-Bombers"(テンテンボマーズ)もしくは"10×10 Bombers"(テンバイテンボマーズ)という言葉ことばまれ、B-36の通称つうしょうともなった[1]以後いごも "ten-ten-Bombers(10×10 Bombers)"のはアメリカ戦略せんりゃく空軍くうぐん装備そうびする長距離ちょうきょり戦略せんりゃく爆撃ばくげき通称つうしょうとしてもちいられることになる。

構成こうせい[編集へんしゅう]

B-36は細長ほそなが胴体どうたい後退こうたいかくいた長大ちょうだい主翼しゅよくち、その全長ぜんちょうやく50メートル、つばさはばは70メートルにたっする。あずかされた乗員じょういん区画くかく前部ぜんぶ後部こうぶにあり、前部ぜんぶ操縦そうじゅうせきおよび航法こうほう/無線むせん/ばくげきしゅが、後部こうぶ機銃きじゅうしゅ配置はいちされた。また、後部こうぶ乗員じょういん区画くかくにはベッドとトイレそなえられている。なお、このトイレは仕切しきりがついていないしのものであった。さら長時間ちょうじかん飛行ひこうのために調理場ちょうりば設置せっちされていたが後期こうきがたでは撤去てっきょされている。前部ぜんぶ区画くかく後部こうぶ区画くかくあいだはB-29同様どうよう連絡れんらくようトンネル[注釈ちゅうしゃく 3]むすばれていた。試作しさくのXB-36では機内きないひろくなっていたが、次第しだい量産りょうさん移行いこうしジェット動力どうりょく追加ついかされると電子でんし機器きき内部ないぶ追加ついかされた。こうして通路つうろせまくなりぜんかたぶけ姿勢しせい移動いどうする場所ばしょえたため搭乗とうじょういん小柄こがらひとえらばれるようになった[1]。また、操縦そうじゅうせきからすぐうしろにあるばくだんそうには当時とうじかくばくだん起爆きばくさせるための操作そうさおこなため専用せんようのスペースがもうけられていた。

B-29ならびにB-50と同様どうよう射出しゃしゅつ座席ざせき装備そうびされておらず、搭乗とうじょういん緊急きんきゅうには落下傘らっかさん脱出だっしゅつする手筈てはずになっていた。さら不時着ふじちゃくすいさいには搭載とうさいされた救命きゅうめいていげるようになされていた。

長大ちょうだい主翼しゅよくには大量たいりょう燃料ねんりょうタンクを内蔵ないぞうしており、エンジンをはんうめこみしき搭載とうさいしていることもあって、つばさあつはもっともあついところで2.3メートルほどもあり、点検てんけんおよび整備せいびさいにはばく弾倉だんそうもうけられた通路つうろ前述ぜんじゅつ前後ぜんご乗員じょういん区画くかく連絡れんらくようトンネルとはことなる)からつばさないのエンジン収容しゅうようおよびしゅあし収容しゅうよう到達とうたつすることができた[4] 。ただし、この通路つうろあずかあつ区画くかくがいのため、移動いどう地上ちじょうちゅうおよびあずかあつ必要ひつようとしない高度こうど飛行ひこうしている場合ばあいかぎられた[5]

エンジンおよびプロペラ主翼しゅよく後方こうほうけてけられている、推進すいしんしきばれる形式けいしきである。一基いっきあたりやく3,000 - 4,000馬力ばりき発揮はっきするよんじゅうほしがた28気筒きとうレシプロエンジンを6搭載とうさいし、これは実用じつようされたプロペラとしては当時とうじ世界せかい最大さいだいであったが、それでも推力すいりょく不足ふそく気味ぎみであったため、最初さいしょ実用じつようがた就役しゅうえき開発かいはつされたばかりのジェットエンジン推力すいりょく:5,200重量じゅうりょうポンド)を左右さゆう主翼しゅよくかく2ずつ、けい4パイロンげて追加ついかし、空前絶後くうぜんぜつごの10はつばくげきとなった。このレシプロ6はつ+ジェット4はつ推力すいりょくにより、150トンちか離陸りりく重量じゅうりょう高度こうど10,000メートルを最高さいこう速度そくど700 km/hで飛行ひこうすることが可能かのうで、ばくそうしない場合ばあいであれば最大さいだい15,000キロメートルあまりの航続こうぞく距離きょりが、最大さいだいばくそうでも4,000キロメートルの戦闘せんとう行動こうどう半径はんけいがある(※速度そくど航続こうぞく距離きょりかたによってことなる)、ちょう長距離ちょうきょり高速こうそく戦略せんりゃく爆撃ばくげきであった。

ばく弾倉だんそう下方かほうから見上みあげたところ
画面がめんおくがわ左右さゆう横断おうだんしているものが前後ぜんご乗員じょういん区画くかく連絡れんらくようのトンネル(Communication tube)

胴体どうたい半分はんぶん以上いじょうばく弾倉だんそうであり、4つに分割ぶんかつされた区画くかく合計ごうけい最大さいだい87,200ポンド (39,600 kg)のばくだん搭載とうさいできた。これはだい2世界せかい大戦たいせん主力しゅりょく爆撃ばくげきであるB-17の6ばい以上いじょうB-29の4ばい以上いじょう搭載とうさいりょうである。大量たいりょう各種かくしゅ通常つうじょうばくだんほか全長ぜんちょう25フィート (7.6 m)、そう重量じゅうりょう42,000ポンド (19,000 kg)のサイズと重量じゅうりょうMark.17 水素すいそばくだん搭載とうさい可能かのうであり、B-36はその就役しゅうえき期間きかんにおいてMk.17を搭載とうさいできる唯一ゆいいつばくげきだった。

B-36に搭載とうさいされた隠匿いんとくしき20mm機関きかんほう連装れんそうじゅうとう

防御ぼうぎょへいそう充実じゅうじつしており、機体きたい各所かくしょ連装れんそう8けい16もん[注釈ちゅうしゃく 4]M24 20mm機関きかんほう装備そうびしていた。防御ぼうぎょへいそうのうち、機体きたいじょう/下面かめん装備そうびされたものは使用しよう以外いがい機体きたい内部ないぶ隠匿いんとくしきとなっており、使用しようには機体きたいがいいたをスライドドアしきひらき、じゅうとう展開てんかいして外部がいぶ露出ろしゅつさせてもちいる。機関きかんほうすべ乗員じょういん区画くかくそとにあり、乗組のりくみいん区画くかくない射撃しゃげき管制かんせい装置そうちにより遠隔えんかく操作そうさされる完全かんぜん無人むじんしきであった。なお、部隊ぶたい配備はいびに、機内きない収納しゅうのうしきじゅうとう展開てんかい空気くうき抵抗ていこう増大ぞうだいさせて飛行ひこう性能せいのう悪化あっかさせること、また機首きしゅ銃座じゅうざあわせて射撃しゃげき振動しんどう電子でんし機器きき故障こしょう機内きない配線はいせん損傷そんしょうする原因げんいんとなる(これは1950ねん11月のS/N 44-92035号機ごうき墜落ついらく一因いちいんとされた[6])ことが判明はんめいし、重量じゅうりょう軽減けいげんして航続こうぞく距離きょり延伸えんしんさせるため、銃座じゅうざ以外いがい防御ぼうぎょ武装ぶそう射撃しゃげき管制かんせい装置そうちはFがた就役しゅうえき以降いこうから順次じゅんじ撤去てっきょされている。Jがたではじゅうとう収納しゅうのうけい2,700ガロンぶん機内きない燃料ねんりょうタンクとして燃料ねんりょう搭載とうさいりょう増加ぞうかさせている。

巨大きょだい機体きたいすこしでも軽量けいりょうするため、そとばんにはマグネシウム合金ごうきん素材そざい多用たようしていた。そのため、どう時代じだいほかのアメリカせい爆撃ばくげき同様どうようであるが、墜落ついらく事故じここすと跡形あとかた全焼ぜんしょうすることがおおかった。

開発かいはつ[編集へんしゅう]

試作しさくがた XB-36。ランディングギアは戦車せんしゃくつたい変更へんこうされている。

B-36の起源きげんは、1941ねんはじめ、アメリカのだい世界せかい大戦たいせん参戦さんせんまえまでさかのぼることができる。その時点じてんではのち連合れんごうこく同盟どうめいこくとなるイギリス敗北はいぼくする可能かのうせい十分じゅうぶんかんがえられ、その場合ばあいB-17B-24などのこれまでのばくげきでは、ドイツへの戦略せんりゃく爆撃ばくげき不可能ふかのうになることから、アメリカ本土ほんどから大西おおにしひろし横断おうだんしてヨーロッパ爆撃ばくげきできるあらたなクラスのばくげき必要ひつようとなるであろうとかんがえられた。

アメリカ陸軍りくぐん航空こうくうぐん(USAAC)は

  • 最高さいこう速度そくど450マイル毎時まいじ (720 km/h)、巡航じゅんこう速度そくど275マイル毎時まいじ (443 km/h)
  • 運用うんよう高度こうど45,000フィート (14,000 m)で高度こうど25,000フィート (7,600 m)における最大さいだい航続こうぞく距離きょり12,000マイル (19,000 km)

というちょう長距離ちょうきょり爆撃ばくげき設計せっけいコンペを1941ねんの4がつ11にち開示かいじしたが、これらは短期たんきてきには実現じつげん困難こんなんであることがかり、8がつ19にちには

  • 巡航じゅんこう速度そくど240–300マイル毎時まいじ (390–480 km/h)
  • 最大さいだい航続こうぞく距離きょりは10,000マイル (16,000 km)、10,000ポンド (4.5 t)のばくだん搭載とうさいしての戦闘せんとう行動こうどう半径はんけい4,000マイル (6,400 km)
  • 運用うんよう高度こうど40,000フィート (12,000 m)

へとげられ、これに対応たいおうするばくげきとして開発かいはつされた。

1941ねん10月16にちボーイングおよびノースロップとの競争きょうそう提案ていあんうえ、コンソリデーテッド・ヴァルティ(コンヴェア)しゃあん採択さいたくされ、開発かいはつ開始かいしされた。コンヴェアしゃはB-24の生産せいさんもあり、B-36の開発かいはつはスローダウンさせられたが、最初さいしょのモックアップが1942ねん7がつ20日はつか完成かんせいし、設計せっけい調査ちょうさもちいられた。USAACはたいにちせんもちいるために、1943ねん7がつ23にちに100量産りょうさんめいじた。USAACの計画けいかくでは1945ねん8がつまでの配備はいび目指めざしたが、試作しさく完成かんせいポツダム宣言せんげん受諾じゅだく1945ねん8がつ20日はつかであり、はつ飛行ひこう1946ねん8がつ8にちであった。

運用うんよう[編集へんしゅう]

飛行ひこうするB-36J-5-CF 52-2225号機ごうき
(だい11ばくげき航空こうくうだん所属しょぞく1955ねん撮影さつえい)

B-36の部隊ぶたい配備はいび1948ねん6がつだい7じゅうばくげき航空こうくうだんから開始かいしされた。

やく10ねん配備はいび期間きかんのあいだに、だい28、15のかく戦略せんりゃく空軍くうぐん部隊ぶたい運用うんようされた。

かくかたおよ派生はせいがた[編集へんしゅう]

かた 生産せいさんすう
XB-36 1
YB-36 1
B-36A 22
XC-99 1
B-36B 62
B-36D 26
RB-36D 24
B-36F 34
RB-36F 24
B-36H 83
RB-36H 73
B-36J 33
YB-60 2
合計ごうけい 385[7]
B-36 かくかた

B-36には、各種かくしゅ派生はせいがたのほか、さまざまな試作しさく存在そんざいする。

試作しさくがた[編集へんしゅう]

XB-36
試作しさくR-4360-25 エンジン(3,000馬力ばりき)6搭載とうさい武装ぶそう。1製造せいぞうのちぜん重量じゅうりょうささえるために大型おおがた重機じゅうきのタイヤを製造せいぞうしているグッドイヤーしゃせいのシングルタイヤがけられたが、使用しよう可能かのう滑走かっそうゆうする基地きちわずかしかなかったため、はずして戦車せんしゃくつたいをハブにつなげて運用うんようする方式ほうしき変更へんこうされた。しかし、構造こうぞう複雑ふくざつになったため通常つうじょうのシングルタイヤにあらためて運用うんようされた。
YB-36
増加ぞうか試作しさく。S/N 42-13571[8] 機首きしゅ形状けいじょう改良かいりょうされ、コックピットは上方かみがたした形状けいじょうとなった。1947ねん12月4にちはつ飛行ひこう[9]したのち、RB-36Eの1改造かいぞうされた。
YB-36A
YB-36から改装かいそう。 YB-36のシングルタイヤしき降着こうちゃく装置そうちを4りんしき改装かいそうのちにRB-36Eに改装かいそう
YB-36C
B-36Bの機体きたいにR-4360-51 エンジン(4,300馬力ばりき)6搭載とうさい、プロペラを牽引けんいんしきとした機体きたい計画けいかくのみ、製造せいぞうされず。
B-36A
乗員じょういん訓練くんれんおよび試験しけんよう機体きたいであり、武装ぶそう。1947ねん8がつ28にちはつ飛行ひこう。22製造せいぞうのち地上ちじょう試験しけんよう初号しょごうの1のぞき、21がRB-36Eに改装かいそうされた。
B-36C
YB-36を量産りょうさんしたもの。制式せいしき番号ばんごうはB-36Bと統合とうごうされ、-Cがたという制式せいしき番号ばんごう付与ふよされた機体きたいとしては製造せいぞうされなかった。

ばくげきがた[編集へんしゅう]

B-36B-1-CF (s/n 44-92033)
だい7ばくげき航空こうくうだん英語えいごばん所属しょぞく(1949ねん撮影さつえい
B-36B
はつ武装ぶそうがた。R-4360-41 エンジン(3,500馬力ばりき)6搭載とうさい。62製造せいぞうされたが生産せいさんされた機体きたいなかで59がB-36Dに改造かいぞう
B-36D
B-36Bの機体きたいにJ47-GE-19 ジェットエンジン4追加ついか装備そうびしたかた主翼しゅよくはしに2ずつポッド装備そうびされており85製造せいぞう(26新造しんぞう、59既存きそん改造かいぞう)。この一部いちぶはB-36Bから改装かいそう[9]
B-36F
B-36Dのエンジンかわそうがた。R-4360-53 エンジン(3,800馬力ばりき)6およびJ47-GE-19 ジェットエンジン4搭載とうさい。13製造せいぞう機体きたい戦略せんりゃく偵察ていさつがた改装かいそう
B-36H
B-36Fの改良かいりょうがた。Fがたとほぼ同等どうとうであり、コックピットない改良かいりょうまる。10製造せいぞう生産せいさんされた機体きたい戦略せんりゃく偵察ていさつがた改装かいそうされた。3がミサイル搭載とうさいがたであるDB-36Hに、1原子げんし搭載とうさいしたNB-36Hに改造かいぞう
B-36J
固定こてい武装ぶそう生産せいさんから銃座じゅうざのみとし、胴体どうたい隠遁いんとんしき銃座じゅうざ廃止はいしして燃料ねんりょうタンクを増設ぞうせつした燃料ねんりょう搭載とうさいりょう増加ぞうかがたじゅうしゅ以外いがいじゅうしゅ削減さくげんされたため、乗員じょういんすう減少げんしょうしている。33製造せいぞう

偵察ていさつがた[編集へんしゅう]

RB-36D
B-36Dに航空こうくうカメラを搭載とうさいした戦略せんりゃく偵察ていさつがたで24製造せいぞうだい1ばく弾倉だんそうあずかあつカメラ区画くかくであり、ほかに電子でんし偵察ていさつ機材きざい搭載とうさいしていた。乗員じょういんすう航空こうくうカメラの操作そうさ要員よういん7めい追加ついかされている。当初とうしょかくばくげき能力のうりょくゆうさなかったが、のち改装かいそうにより付与ふよされた。このなかで7はB-36Bから発注はっちゅうえて当初とうしょから偵察ていさつがたとして製造せいぞうされた。うち10がGRB-36Dへ改造かいぞうされた。
RB-36E
YB-36A およびB-36AをRB-36D相当そうとう改装かいそうしたかた。21製造せいぞう
RB-36F
B-36FをRB-36Dとおな戦略せんりゃく偵察ていさつがたにしたもので24改装かいそうのちかくばくげき能力のうりょく付与ふよされた。就役しゅうえきには固定こてい武装ぶそう銃座じゅうざのみとする改修かいしゅうおこなわれた。うち1がGRB-36Fに改造かいぞう
RB-36H
B-36HをRB-36Dと同様どうよう戦略せんりゃく偵察ていさつがたとしたもので73製造せいぞう。RB-36Fと同様どうようのちかくばくげき能力のうりょく付与ふよされた。

実験じっけんがた[編集へんしゅう]

DB-36H
B-36Hがた3改装かいそうしたミサイル搭載とうさい試験しけん
GRB-36D
RB-36Dの派生はせいがたであり、FICON計画けいかく寄生きせい戦闘せんとう偵察ていさつははとしてGRF-84F サンダーストリーク胴体どうたい搭載とうさいした機体きたい。10改装かいそうされ、1955ねんから1957ねんにかけてだい99戦略せんりゃく偵察ていさつ航空こうくうだん実戦じっせん配備はいびされた。
GRB-36F(YRB-36F)
B-36Fから改装かいそうされた機体きたいで、はは機能きのうりょく以外いがい部分ぶぶんはGRB-36Dと同等どうとうである。試験しけんよう機体きたいとして S/N49-2707[10] 1改装かいそうされた。
JRB-36F
FICON計画けいかく並行へいこうしておこなわれていた寄生きせい戦闘せんとう開発かいはつ計画けいかくである「トム・トム(Tom-Tom)計画けいかく」のために改造かいぞうされた機体きたい。JRB-36F(S/N 49-2707)1改造かいぞうされて試験しけんもちいられたが、問題もんだいおおく、危険きけんせいおおきいとして計画けいかく中止ちゅうしされた。
NB-36H
原子力げんしりょく推進すいしん爆撃ばくげき研究けんきゅうで、実際じっさい動力どうりょくとはしなかったが、原子げんし機内きない設置せっちされていた。将来しょうらいてきにはコンベアしゃ原子力げんしりょく推進すいしん試験しけんであるX-6開発かいはつするデータ集積しゅうせき使つか予定よていであったが、こちらの計画けいかく破棄はきされた。

派生はせいがた[編集へんしゅう]

YB-60
XC-99
YB-36G/YB-60
B-36の主翼しゅよく機首きしゅ設計せっけい変更へんこうし、ターボジェットエンジン並行へいこうそうれつ4けい8搭載とうさいしてじゅんジェット機じぇっときした機体きたい制式せいしき番号ばんごうのちYB-60あらためられている。試作しさく2製作せいさくされたが、ボーイングB-52との競争きょうそう試作しさくやぶれ、採用さいようされることはかった。
XC-99
B-36の主翼しゅよく流用りゅうようして製作せいさくされたちょう大型おおがた貨物かもつ輸送ゆそう完全かんぜん武装ぶそう兵士へいし400めいまたは貨物かもつ45,000キログラムの最大さいだい積載せきさい能力のうりょく航続こうぞく距離きょり13,000キロメートルは、当時とうじとすれば破格はかく能力のうりょくであった。試作しさく1のみが製作せいさくされたが、テストののち輸送ゆそう部隊ぶたい実戦じっせん配備はいびされ、1957ねんまで実戦じっせんとしてもちいられた。

しょもと[編集へんしゅう]

B-36B[11]
全長ぜんちょう 162.1フィート (49.4 m)
全幅ぜんぷく 230フィート (70 m)
ぜんこう 46.8フィート (14.3 m)
つばさ面積めんせき 4,772平方へいほうフィート (443.3 m2)
プロペラ[注釈ちゅうしゃく 5] ブレード3翅 直径ちょっけい19フィート (5.8 m) ×6
エンジン Pratt & Whitney R-4360-41 空冷くうれいよんじゅうほしがた28気筒きとう
(3,500制動せいどう馬力ばりき (2,600 kW)) ×6
空虚くうきょ重量じゅうりょう 140,640ポンド (63,790 kg)
ミッション BASIC MISSION MAX BOMB FERRY
離陸りりく重量じゅうりょう 328,000ポンド (149,000 kg)
戦闘せんとう重量じゅうりょう 227,700ポンド (103,300 kg) 189,960ポンド (86,160 kg) 178,803ポンド (81,104 kg)
搭載とうさい燃料ねんりょう 26,217めーとるガロン (99,240 L) 13,805めーとるガロン (52,260 L) 27,629めーとるガロン (104,590 L)
ばくだん搭載とうさいりょう 10,000ポンド (4,500 kg) 86,000ポンド (39,000 kg)
最高さいこう速度そくど 331ノット (613 km/h) / 34,500フィート (10,500 m) 338ノット (626 km/h) / 34,500フィート (10,500 m) 340ノット (630 km/h) / 34,500フィート (10,500 m)
上昇じょうしょうりつ (海面かいめん高度こうど) 1,510フィートごとぶん (7.7 m/s) 1,920フィートごとぶん (9.8 m/s) 2,070フィートごとぶん (10.5 m/s)
実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど 42,500フィート (13,000 m) 43,500フィート (13,300 m) 44,100フィート (13,400 m)
航続こうぞく距離きょり 7,098海里かいり (13,145 km) 2,957海里かいり (5,476 km) 7,659海里かいり (14,184 km)
戦闘せんとう行動こうどう半径はんけい 3,740海里かいり (6,930 km) 1,757海里かいり (3,254 km)
武装ぶそう M24A1 20mm機関きかんほう×16 (たますう9,200はつ)
搭載とうさい能力のうりょく
  • GP 43,000 lbs×2
  • GP 4,000 lbs×12
  • GP 2,000 lbs×28
  • GP 1,000 lbs×72
  • GP 500 lbs×132
  • DP 22,000 lbs×3
  • DP 12,000 lbs×4
  • AP 1,600 lbs×44
上記じょうきばくだんから86,000ポンド (39,000 kg) まで搭載とうさい可能かのう
B-36D[12]
全長ぜんちょう 162.1フィート (49.4 m)
全幅ぜんぷく 230フィート (70 m)
ぜんこう 46.8フィート (14.3 m)
つばさ面積めんせき 4,772平方へいほうフィート (443.3 m2)
プロペラ[注釈ちゅうしゃく 6] ブレード3翅 直径ちょっけい19フィート (5.8 m) ×6
エンジン Pratt & Whitney R-4360-41 空冷くうれいよんじゅうほしがた28気筒きとう
(3,500制動せいどう馬力ばりき (2,600 kW)) ×6 + General Electric J47-GE-19 (推力すいりょく:23.13 kN) ×4
空虚くうきょ重量じゅうりょう 160,974ポンド (73,017 kg)
ミッション BASIC MISSION MAX BOMB FERRY
離陸りりく重量じゅうりょう 357,570ポンド (162,190 kg)
戦闘せんとう重量じゅうりょう 248,410ポンド (112,680 kg) 213,200ポンド (96,700 kg) 195,021ポンド (88,460 kg)
搭載とうさい燃料ねんりょう 28,358めーとるガロン (107,350 L) 15,248めーとるガロン (57,720 L) 30,088めーとるガロン (113,900 L)
ばくだん搭載とうさいりょう 10,000ポンド (4,500 kg) 86,000ポンド (39,000 kg)
最高さいこう速度そくど 373ノット (691 km/h) / 34,500フィート (10,500 m) 378ノット (700 km/h) / 34,500フィート (10,500 m) 380ノット (700 km/h) / 34,500フィート (10,500 m)
上昇じょうしょうりつ (海面かいめん高度こうど) 2,408フィートごとぶん (12.23 m/s) 2,887フィートごとぶん (14.67 m/s) 3,202フィートごとぶん (16.27 m/s)
実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど 44,300フィート (13,500 m) 45,650フィート (13,910 m) 47,500フィート (14,500 m)
航続こうぞく距離きょり 6,278海里かいり (11,627 km) 2,675海里かいり (4,954 km) 7,175海里かいり (13,288 km)
戦闘せんとう行動こうどう半径はんけい 3,360海里かいり (6,220 km) 1,485海里かいり (2,750 km)
武装ぶそう M24A1 20mm機関きかんほう×16 (たますう9,200はつ)
搭載とうさい能力のうりょく
  • GP 43,000 lbs×2
  • GP 4,000 lbs×12
  • GP 2,000 lbs×28
  • GP 1,000 lbs×72
  • GP 500 lbs×132
  • DP 22,000 lbs×3
  • DP 12,000 lbs×4
  • AP 1,600 lbs×44
上記じょうきばくだんから86,000ポンド (39,000 kg) まで搭載とうさい可能かのう
B-36J III[13]
全長ぜんちょう 162.1フィート (49.4 m)
全幅ぜんぷく 230フィート (70 m)
ぜんこう 46.8フィート (14.3 m)
つばさ面積めんせき 4,772平方へいほうフィート (443.3 m2)
プロペラ[注釈ちゅうしゃく 7] ブレード3翅 直径ちょっけい19フィート (5.8 m) ×6
エンジン Pratt & Whitney R-4360-53 空冷くうれいよんじゅうほしがた28気筒きとう
(3,800制動せいどう馬力ばりき (2,800 kW)) ×6 + General Electric J47-GE-19 (推力すいりょく:23.13 kN) ×4
空虚くうきょ重量じゅうりょう 166,165ポンド (75,371 kg)
ミッション BASIC MISSION MAX BOMB FERRY
離陸りりく重量じゅうりょう 410,000ポンド (190,000 kg)
戦闘せんとう重量じゅうりょう 262,500ポンド (119,100 kg) 230,600ポンド (104,600 kg) 190,950ポンド (86,610 kg)
搭載とうさい燃料ねんりょう 36,640めーとるガロン (138,700 L) 26,317めーとるガロン (99,620 L) 38,605めーとるガロン (146,140 L)
ばくだん搭載とうさいりょう 10,000ポンド (4,500 kg) 72,000ポンド (33,000 kg)
最高さいこう速度そくど 363ノット (672 km/h) / 37,500フィート (11,400 m) 370ノット (690 km/h) / 38,700フィート (11,800 m) 375ノット (694 km/h) / 38,000フィート (12,000 m)
上昇じょうしょうりつ (海面かいめん高度こうど) 1,995フィートごとぶん (10.13 m/s) 2,360フィートごとぶん (12.0 m/s) 2,940フィートごとぶん (14.9 m/s)
実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど 43,600フィート (13,300 m) 46,500フィート (14,200 m) 50,100フィート (15,300 m)
航続こうぞく距離きょり 8,200海里かいり (15,200 km)
戦闘せんとう行動こうどう半径はんけい 3,465海里かいり (6,417 km) 2,170海里かいり (4,020 km)
武装ぶそう M24A1 20mm機関きかんほう×2 (たますう1,200はつ)
B-36 さんめん

現存げんそんする機体きたい[編集へんしゅう]

型名かためい 番号ばんごう 機体きたい写真しゃしん 国名こくめい 所有しょゆうしゃ 公開こうかいじょうきょう 保存ほぞん状態じょうたい 備考びこう
  • YB-36-CF
  • RB-36E-CF
42-13571 写真しゃしん アメリカ オハイオしゅう ウォルター・ソプラタ (Walter Soplata) よう予約よやく 静態せいたい展示てんじ
RB-36H-30-CF 51-13730 アメリカ カリフォルニアしゅう キャッスル航空こうくう博物館はくぶつかん英語えいごばん[2] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 製造せいぞう番号ばんごう 275。
B-36J-1-CF 52-2217 アメリカ ネブラスカしゅう 戦略せんりゃく空軍くうぐん航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん英語えいごばん[3] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 製造せいぞう番号ばんごう 358。[4]
B-36J-1-CF 52-2220 アメリカ オハイオしゅう 国立こくりつ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 製造せいぞう番号ばんごう 361。[5]
B-36J-10-CF 52-2827 アメリカ アリゾナしゅう ピマ航空こうくう宇宙うちゅう博物館はくぶつかん[6] 公開こうかい 静態せいたい展示てんじ 製造せいぞう番号ばんごう 383。[7]

登場とうじょう作品さくひん[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

戦略せんりゃく空軍くうぐん命令めいれい
1955ねんアメリカ映画えいが。B-36の飛行ひこうシーンがふんだんに登場とうじょうする。

アニメ・漫画まんが[編集へんしゅう]

Project BLUE 地球ちきゅうSOS
だい4迷宮めいきゅう機関きかん所属しょぞくとしてB-36をモデルとした架空かくう「ブルータス」が登場とうじょう。バグア遊星ゆうせいじん大気圏たいきけん外部がいぶめぐらせたエンゼルヘアー英語えいごばん除去じょきょかう小型こがた宇宙船うちゅうせん「スペースボート」のははつとめるが、バグア遊星ゆうせいじん攻撃こうげきけてスペースボートを発進はっしんさせた直後ちょくご撃墜げきついされる。
こちら葛飾かつしか亀有かめあり公園前こうえんまえ派出所はしゅつじょ
だい52かんだい5中川なかがわサミットIN東京とうきょうまき」で中川なかがわ圭一けいいち伯父おじさん亀松かめまつ友人ゆうじんである航空機こうくうきマニアの所有しょゆうぶつとして登場とうじょう燃料ねんりょうれでマリアナおき墜落ついらくした。
また、どうまきだい9「アイスホッケー血戦けっせんまき」では”JAL”ならぬ”GAL”の旅客機りょかくきとしてほん搭乗とうじょうする。
ストラトス・フォー アドヴァンス
CODE:205(だい5)に天体てんたい危機きき管理かんり機構きこう岐阜ぎふ基地きち所属しょぞく空中くうちゅう発射はっしゃははとしてYB-60が登場とうじょうたい彗星すいせいよう次期じき主力しゅりょく迎撃げいげきTYPE-559MS」のテスト飛行ひこうさい使用しようされる。
地球ちきゅう
世界せかい規模きぼ恐慌きょうこうこそうとする秘密ひみつ結社けっしゃ世界中せかいじゅう金塊きんかい投下とうかするための輸送ゆそうとして「くろコウモリ」の名称めいしょう登場とうじょうする。

小説しょうせつ[編集へんしゅう]

紺碧こんぺき艦隊かんたい
作中さくちゅう『B32 フライングデビル』として登場とうじょうする機体きたいについて、アニメばん漫画まんがばんでは、B-36からジェットエンジンをはぶいたかたちでデザイン・作画さくがされている。
めぐよう戦艦せんかん浅間あさま」』
げきちゅうにてアメリカに移民いみんしたヒトラーのつてによるドイツじんけい技術ぎじゅつしゃ協力きょうりょくにより、史実しじつよりもはや出現しゅつげんする。これもジェットエンジン搭載とうさいしておらず、最高さいこう速度そくどは600km/hをいくらかえる程度ていどである。
『ミッドナイト・スラスト』
原題げんだい「Four Days」 冷戦れいせん東西とうざい軍事ぐんじ緊張きんちょうたかまった時期じき極秘ごくひうらおこなわれたB-36によるべい本土ほんど夜間やかんばくげき演習えんしゅうえがく。小説しょうせつではあるが、史実しじつ下敷したじきとしている

ゲーム[編集へんしゅう]

ストライカーズ1945
アメリカステージにてちゅうボスとして登場とうじょう
ストライカーズ1945PLUS
かく機体きたいであるP-55 アセンダーのサポートアタック(ボム)で登場とうじょうばくげき画面がめん全体ぜんたい攻撃こうげきし、てきだん消去しょうきょする。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 2016ねん時点じてん価値かちでは3320まんあめりかドル。
  2. ^ 直訳ちょくやくすれば“棍棒こんぼう”の意味いみだが、とくアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく大統領だいとうりょうセオドア・ルーズベルトかかげた「棍棒こんぼう外交がいこう」を[1]
  3. ^ 原語げんごでは"Communication tube"とぶ。このなかをくぐって移動いどうすることはB-29と同様どうようだが、B-36では手摺てすりわりにられたロープ内径ないけいわせた台車だいしゃ(このうえひと仰向あおむけにって移動いどうする)が導入どうにゅうされており、B-29にくらべて距離きょりながいトンネルない移動いどう補助ほじょしていた。[3]
  4. ^ 機首きしゅおよ連装れんそう1機体きたい上面うわつらまえ/後部こうぶおよび機体きたい下面かめん後部こうぶの3箇所かしょ並列へいれつ配置はいち連装れんそうじゅうとう2配置はいちされている。
  5. ^ Propeller:CURTISS ELECTRIC、Blade:No.1129-3C6-24 (×3)、Diameter:19 ft (5.79 m)、Area:26.34 m²
  6. ^ Propeller:CURTISS ELECTRIC、Blade:No.1129-11C6-24 (×3)、Diameter:19 ft (5.79 m)、Area:26.34 m²
  7. ^ Propeller:CURTISS ELECTRIC、Blade:No.1129-17C6-24 (×3)、Diameter:19 ft (5.79 m)、Area:26.34 m²

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b Bonnier CorporationFLYING』JULY・1949 p.16- "THE B-36 GLOBAL BOMBER" By JOHN T. DODSON
  2. ^ Wolk, Herman S (2003). Fulcrum of Power: Essays on the United States Air Force and National Security. Darby, Pennsylvania: Diane Publishing. p. 163. ISBN 1-4289-9008-9 
  3. ^ JET PILOT OVERSEASjetpilotoverseas>B-36 Bomber of Strategic Air Command’s Carswell Air Force Base, 1951 » SAC’s B-36 bomber flight engineer pulling himself on his back on a trolley as he travels hand-over-hand along rope fr. the plane’s rear compartment to its nose; when in flight this tube is pressurized, at Carswell AF Base”. 2020ねん3がつ4にち閲覧えつらん
  4. ^ Griswold, Wesley P (September 1961). Remember the B-36. Popular Science. https://books.google.com/books?id=qCADAAAAMBAJ&pg=PA98 
  5. ^ Morris, Ted (2000ねん). “"Flying the Aluminum and Magnesium Overcast."”. zianet.com. 2010ねん5がつ15にち閲覧えつらん
  6. ^ Lockett, Brian. “Summary of Air Force accident report”. air-and-space.com. Goleta Air and Space Museum. 2010ねん5がつ15にち閲覧えつらん
  7. ^ Knaack 1988, p. 53.
  8. ^ "Convair YB-36 'Peacemaker'."”. AeroWeb. 2010ねん5がつ15にち閲覧えつらん
  9. ^ a b 世界せかい傑作けっさく 2008.
  10. ^ CONVAIR GRB-36F”. 2012ねん6がつ16にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2010ねん6がつ17にち閲覧えつらん
  11. ^ B-36B Peacemaker Specifications. http://www.alternatewars.com/SAC/B-36B_Peacemaker_SAC_-_20_October_1950.pdf 2019ねん10がつ7にち閲覧えつらん 
  12. ^ B-36D Peacemaker Specifications. http://www.alternatewars.com/SAC/B-36D_Peacemaker_SAC_-_26_January_1951.pdf 2020ねん1がつ12にち閲覧えつらん 
  13. ^ B-36J III Peacemaker Specifications. http://www.alternatewars.com/SAC/B-36J-III_Peacemaker_SAC_-_3_October_1955.pdf 2017ねん2がつ14にち閲覧えつらん 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 世界せかい傑作けっさく No125 コンベアB-36ピースメーカー』ぶん林堂はやしどう、2008ねんISBN 9784893191601 
  • Knaack, Marcelle Size (1988) (英語えいご). Post-World War II Bombers, 1945–1973. Washington, DC: Office of Air Force History. ISBN 0-16-002260-6 
  • Meyers K. Jacobsen, Scott Deaver:ちょ 『Convair B-36: A Comprehensive History of America's "Big Stick" 』 (ISBN 978-0764305306) Schiffer Publishing:かん 1998ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]