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恒例こうれい祭典さいてん2がつ11月祈年祭としごいのまつりきねんさい新嘗祭にいなめさいにいなめさい

はるには祈年祭としごいのまつり豊作ほうさくいのり、
あきには新嘗祭にいなめさい収穫しゅうかく感謝かんしゃ

日本書紀にほんしょき』に天照大御神あまてらすおおみかみときにわゆにわ稲穂いなほ天孫てんそん瓊瓊きねみことににぎのみことさづけられたことがしるされ、そこに日本にっぽんはじまりが位置いちづけられることはおおきな意味いみちます。はる豊作ほうさくいのり、あき収穫しゅうかく感謝かんしゃする稲作いなさく中心ちゅうしんとしたいとなみを、日本人にっぽんじんは2000ねん以上いじょうかえしてました。天皇陛下てんのうへいかから国民こくみんいたるまでかみまつることは日本にっぽん大切たいせつ文化ぶんかです。

れい6ねん予定よてい

祈年祭としごいのまつり 2がつ17にち
外宮げくうゆたか受大神宮じんぐう)   だい饌 午前ごぜん4    奉幣ほうへい 午前ごぜん7
内宮ないくうすめらぎ大神宮だいじんぐう)    だい饌 午前ごぜん11    奉幣ほうへい 午後ごご2

新嘗祭にいなめさい 11月23にちしゅく
外宮げくうゆたか受大神宮じんぐう)   だい饌 午前ごぜん4    奉幣ほうへい 午前ごぜん7
内宮ないくうすめらぎ大神宮だいじんぐう)    だい饌 午前ごぜん11    奉幣ほうへい 午後ごご2

あお用語ようご説明せつめい表示ひょうじします

祈年祭としごいのまつり由緒ゆいしょ沿革えんかく

祈年祭としごいのまつりはる耕作こうさくはじめにあたり、五穀豊穣ごこくほうじょういのるおまつりで、「としごいのまつり」ともばれます。「とし」とはいね美称びしょうであり、「こい」はいのりやねがいで、おこめはじめとする五穀ごこくゆたかなみのりをいのることを意味いみします。いね育成いくせい周期しゅうき日本人にっぽんじんいちねんといえます。

農耕のうこう生活せいかつ中心ちゅうしんであった時代じだい豊作ほうさくいのることは国家こっか安泰あんたい国民こくみん繁栄はんえいいのることになりませんでした。そのため祈年祭としごいのまつり国家こっか規模きぼおこなわれ、平安へいあん時代じだいの『延喜えんぎかみめいしきえんぎじんみょうしき』によると、神宮じんぐうはじ全国ぜんこく2,861しゃかみ々に幣帛へいはくへいはくたてまつられていました。とく神宮じんぐうには天皇てんのう勅使ちょくしちょくし差遣さしつかわされておまつりをおこなわれており、朝廷ちょうてい崇敬すうけいのほどがうかがわれます。

神宮じんぐう神田かんだ収穫しゅうかくされた新穀しんこく

新嘗祭にいなめさいにいなめさい由緒ゆいしょ沿革えんかく

新嘗祭にいなめさいは「しんじょうさい」ともいい、「しん」は新穀しんこくを「嘗」はおがりいただくことを意味いみし、収穫しゅうかくされた新穀しんこくかみまつり、そのめぐみに感謝かんしゃし、国家こっか安泰あんたい国民こくみん繁栄はんえいをおいのりします。

現在げんざい、このおまつりは毎年まいとし11がつ23にち宮中きゅうちゅうはじめ、日本にっぽん全国ぜんこく神社じんじゃおこなわれていますが、とく宮中きゅうちゅうでは天皇陛下てんのうへいかみずからおそだてになった新穀しんこくたてまつるとともに、おやおんみずからもその新穀しんこくをおがりになります。収穫しゅうかく感謝かんしゃのおまつりが11月下旬げじゅんおこなわれるのは全国ぜんこく各地かくちでの収穫しゅうかく終了しゅうりょうする時期じきに、親祭しんさいごしんさいおこなわれたためとかんがえられています。

神宮じんぐうでは神嘗祭かんなめさい新穀しんこくたてまつられるため、新嘗祭にいなめさいはありませんでしたが、明治めいじ5ねん勅使ちょくし差遣さしつかわされておこなわれたのがはじまりです。

内宮ないくう奉幣ほうへい だい鳥居前とりいまえ幣帛へいはくはらきよめます

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