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僧兵 - Wikipedia

僧兵そうへい

日本にっぽん古代こだい後期こうきから中世ちゅうせい近世きんせい初頭しょとうにかけて存在そんざいした僧形そうぎょう武者むしゃ

僧兵そうへい(そうへい)とは、日本にっぽん古代こだい後期こうきから中世ちゅうせい近世きんせい初頭しょとうにかけて存在そんざいした僧形そうぎょう武者むしゃである。

興福寺こうふくじ僧兵そうへい春日しゅんじつ権現ごんげんけん
僧兵そうへい写真しゃしん

概要がいよう

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京都きょうと奈良ならだい寺院じいん雑役ざつえきふくする大衆たいしゅうどうしゅ)が自衛じえい武装ぶそうしたもの。法師ほうし武者むしゃあるいは武装ぶそうした僧侶そうりょそうしゅ悪僧あくそうというが、それを江戸えど時代じだい以降いこう僧兵そうへい」と呼称こしょうした言葉ことばである。ちなみに悪僧あくそうの「あく」は悪党あくとうあくおなじで「つよい」という意味合いみあいである。おも寺社じしゃ勢力せいりょく所属しょぞくする武装ぶそう集団しゅうだんである。その風貌ふうぼう絵巻物えまきものなどにえがかれ、裹頭(かとう、あたまつつぬの)や、高下駄たかげた薙刀なぎなたなどが特徴とくちょうとされる。かみっていなかった可能かのうせいたかい。なお、これにたいし、神社じんじゃ所属しょぞくする武装ぶそう集団しゅうだん神人しんじん(じにん)という。また、日本にっぽん以外いがい仏教ぶっきょう国家こっかにも嵩山すせ少林寺しょうりんじのように僧兵そうへいとして武装ぶそう集団しゅうだん組織そしきする仏教ぶっきょうそう集団しゅうだんがおり、広義こうぎには武装ぶそうした宗教しゅうきょう集団しゅうだんすこともある。その場合ばあいヨーロッパ騎士きし修道しゅうどうかいふくまれることがある。

僧兵そうへい神人しんじん活躍かつやくした時代じだい社会しゃかいみだれる一方いっぽうで、広大こうだい寺領じりょう神領しんりょう経営けいえいする立場たちばにある寺社じしゃは、盗賊とうぞくのみならず、国府こくふ権門けんもん在地ざいち領主りょうしゅらの武装ぶそう勢力せいりょくなど、さまざまな勢力せいりょくとの紛争ふんそうかかえることとなった。よって境内けいだい荘園しょうえん治安ちあん維持いじ勢力せいりょくへの対抗たいこうのため、荘園しょうえん同様どうよう寺院じいん神社じんじゃ武装ぶそうすることになった。

平安へいあん時代じだい末期まっきには強大きょうだい武力ぶりょく集団しゅうだんとなり、興福寺こうふくじ延暦寺えんりゃくじ園城寺おんじょうじ三井寺みいでら)、東大寺とうだいじなどの寺院じいん拠点きょてんとして、寺院じいん同士どうし勢力せいりょくあらそいや、朝廷ちょうてい摂関せっかんたいして強訴ごうそをくりかえした。とくに、興福寺こうふくじ南都なんと)は衆徒しゅと奈良なら法師ほうし)、延暦寺えんりゃくじ北嶺ほくれい)は山法師やまほうし園城寺おんじょうじてら法師ほうしばれた。宗教しゅうきょうてき権威けんい背景はいけいとする強訴ごうそ僧兵そうへい武力ぶりょく以上いじょう威力いりょくをもち、しばしば朝廷ちょうていいん屈服くっぷくさせることによって、国府こくふりょうとの紛争ふんそうみずからに有利ゆうり解決かいけつさせた。また寺社じしゃ同士どうしこうそうはげしく、しばしばちもおこなわれた。延暦寺えんりゃくじ園城寺おんじょうじ(「山門さんもん」と「寺門てらかど」)のこうそうなどが著名ちょめいである。白河しらかわ法皇ほうおうは、自分じぶんのままにならないもの(天下てんかさん不如意ふにょい)として「賀茂川かもがわみず鴨川かもがわながれ)・双六すごろくさい(の)・山法師やまほうし比叡山ひえいざん僧兵そうへい)」をげており、僧兵そうへい横暴おうぼう朝廷ちょうてい不安ふあん要素ようそであったことがうかがえる。

 
僧兵そうへい武蔵坊むさしぼう弁慶べんけい源義経みなもとのよしつね月岡つきおか芳年よしとしふで

以仁王もちひとおう挙兵きょへいでは平家へいけともあらそう。『平家ひらか物語ものがたり』の武蔵坊むさしぼう弁慶べんけいなどにも、その描写びょうしゃがみられる。源平げんぺい争乱そうらんときには熊野くまの水軍すいぐん仕切しきっていた熊野くまの別当べっとうにたいし双方そうほうから政治せいじてき取引とりひきがなされたれいなどが著名ちょめいである。

室町むろまち時代ときよに、かつて義円ぎえん名乗なの天台座主てんだいざしゅだった足利あしかが義教よしのりが、僧兵そうへい軍事ぐんじりょく粗暴そぼうさを熟知じゅくちしているため、延暦寺えんりゃくじ討伐とうばつうごしてだい規模きぼ弾圧だんあつ実施じっしした(後年こうねん織田おだ信長のぶなが同様どうようのことをやっている)。

各地かくち有力ゆうりょく寺社じしゃ軍事ぐんじりょく保持ほじする傾向けいこうは1585ねんから1588ねん天正てんしょう16ねん)にかけてされた豊臣とよとみ秀吉ひでよしによるかたなかりれいまでつづいた。

おも僧兵そうへいだん

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戦国せんごく時代じだい有力ゆうりょく僧兵そうへいだんとして以下いかれいがある。

南都なんと北嶺ほくれい

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  • 興福寺こうふくじ - 奈良なら法師ほうししょうされた多数たすう僧兵そうへいかか大和やまといちこくおさめる実力じつりょくつにいたる。戦国せんごく時代じだい織田おだ信長のぶなが同盟どうめいむすびながら、勢力せいりょく維持いじつづけた。宝蔵ほうぞういんりゅう槍術そうじゅつ開祖かいそたねさかえなども有名ゆうめい
  • 延暦寺えんりゃくじ - 天台宗てんだいしゅう開祖かいそ伝教大師でんぎょうだいし最澄さいちょう開山かいさんした。王城おうじょう鎮護ちんご霊山れいざんとして君臨くんりんしながら、山法師やまほうししょうされたすうせんにん僧兵そうへいようしたが、1571ねん織田おだ信長のぶながによる比叡山ひえいざんい、以後いご軍事ぐんじりょく喪失そうしつした。
東北とうほく地方ちほう
関東かんとう地方ちほう
北陸ほくりく地方ちほう
東海とうかい地方ちほう
  • 諏訪すわ大社たいしゃ - 武田たけだ信玄しんげん制圧せいあつされ、軍事ぐんじりょく喪失そうしつした。大名だいみょうとしては江戸えど時代じだい再興さいこうしたが、神官しんかんとはかれることになった。
  • 浅間あさま大社たいしゃ - 武田たけだ信玄しんげんによる駿河するが侵攻しんこうまれる。武田たけだ相手あいて頑強がんきょう抵抗ていこうしたが、穴山あなやましんくんとおして降伏ごうぶくし、軍事ぐんじりょくうしなった。
  • ほんあかしてら - 一向いっこうむね寺院じいんで、三河みかわ一向いっこう一揆いっきさいには上宮かみみやてらしょうびんてらなどとともに一向いっこうそう門徒もんと拠点きょてんの1つとなり徳川とくがわ家康いえやすたいして頑強がんきょう抵抗ていこうしたが、1564ねん小川おがわたたかいでやぶ勢力せいりょくうしなった。
  • あきらはちすてら - 一向いっこうむね寺院じいんで、かえりくもじょう城主じょうしゅないとうむすんだことによりあきらはちすてら勢力せいりょく拡大かくだいし、全盛期ぜんせいきには大名だいみょう匹敵ひってきするほどのだい勢力せいりょくきずいた。三木みきのち飛騨ひだこくおさめた金森かなもりちょうちかはそれをおそれ、1588ねん天正てんしょう16ねん)、高山たかやましろ城下じょうか移転いてんさせるなどの弾圧だんあつ政策せいさくり、勢力せいりょくうしなった。
  • ねがいしょうてら - 一向いっこうむね寺院じいんで、長島ながしま一向いっこう一揆いっき拠点きょてんとして伊勢湾いせわん一帯いったいおさめるだい勢力せいりょくであった。織田おだ信長のぶながたいして3わたってはげしく抵抗ていこうしたが、天正てんしょう2ねん(1574ねん)のだいさん長島ながしま侵攻しんこう激戦げきせんすえ壊滅かいめつした。
近畿きんき地方ちほう
中国ちゅうごく地方ちほう
  • 大山寺たいさんじ - 天台宗てんだいしゅう寺院じいんで、鎌倉かまくら時代じだいには3せんにん僧兵そうへいようしていたが、度々たびたび僧兵そうへい同士どうし武力ぶりょく衝突しょうとつこした。戦国せんごく時代じだい勢力せいりょく維持いじしたが、豊臣とよとみ秀吉ひでよしかたなにより軍事ぐんじりょく喪失そうしつ
  • 鰐淵わにぶちてら - 天台宗てんだいしゅう寺院じいんで、広大こうだい寺領じりょう多数たすう僧兵そうへいかかえた出雲いずも有数ゆうすう勢力せいりょくとなる。戦国せんごく時代じだい毛利もうり元就もとなり手厚てあつ保護ほごのもと勢力せいりょく維持いじしたが、豊臣とよとみ秀吉ひでよしかたなにより軍事ぐんじりょく喪失そうしつ毎年まいとし10がつには弁慶べんけいまつりがおこなわれている。
  • 出雲いずも大社たいしゃ - 鰐淵わにぶちてら関係かんけいふかく、どうてらなら出雲いずも有数ゆうすう勢力せいりょくであった。豊臣とよとみ秀吉ひでよしかたなにより軍事ぐんじりょく喪失そうしつ
  • 厳島いつくしま神社じんじゃ - 厳島いつくしま神主かんぬし広島ひろしまわん一帯いったい支配しはいする水軍すいぐんそなえた国人くにびと勢力せいりょくとして活動かつどうしたが、天文てんもん9ねん1540ねん)の吉田よしだぐん山城やましろたたか大内おおうち毛利もうり反旗はんきひるがえして、尼子あまこいた。しかし翌年よくねん吉田よしだぐん山城やましろたたかいで毛利もうり大内おおうち連合れんごうぐん勝利しょうりすると、大内おおうち制圧せいあつされ、軍事ぐんじりょく喪失そうしつした。
四国しこく地方ちほう
  • 八坂やさかてら - 真言宗しんごんしゅう寺院じいんで、熊野くまの権現ごんげん勧進かんじんしてじゅうしゃ権現ごんげんとともにまつり、修験しゅげんどう根本こんぽん道場どうじょうとしてさかえ、僧兵そうへいようしていた大寺おおてらであったが、天正てんしょう年間ねんかん(1573ねん - 1592ねん)に焼失しょうしつしてからはてらいき縮小しゅくしょうし、勢力せいりょくよわまる。
九州きゅうしゅう地方ちほう

関連かんれん書籍しょせき

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  • 衣川きぬがわひとし僧兵そうへい=いのりと暴力ぼうりょくちから講談社こうだんしゃ、2010ねんISBN 4062584859
  • 日置ひおきえいつよし僧兵そうへい歴史れきしほうよろいをまとった荒法師あらほうしたち』えびすひかりさち出版しゅっぱん、2003ねんISBN 4900901288
  • 勝野かつの隆信たかのぶ僧兵そうへい至文しぶんどう、1955ねんNCID BN04683079全国ぜんこく書誌しょし番号ばんごう:55011828

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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