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大阪弁 - Wikipedia

大阪おおさかべん

日本語にほんご方言ほうげん
摂津せっつべんから転送てんそう

大阪おおさかべん(おおさかべん)は、大阪おおさかとその周辺しゅうへんはなされる日本語にほんご方言ほうげんで、近畿きんき方言ほうげん上方かみがた関西かんさいべん)の一種いっしゅ。ここでは大阪おおさか中心ちゅうしん大阪おおさか北部ほくぶ北摂ほくせつ)から兵庫ひょうごけん南東なんとう阪神はんしんあいだ)にかけてのきゅう摂津せっつこく方言ほうげんげるが、きゅう摂津せっつこくのうち神戸こうべとその周辺しゅうへん方言ほうげんは「神戸こうべべん」を参照さんしょう。また、大阪おおさかのうち、きゅう河内かわうちこく方言ほうげんは「河内かわうちべん」、きゅう和泉いずみこく方言ほうげんは「泉州せんしゅうべん」を参照さんしょう

大阪おおさかべん
はなされるくに 日本の旗 日本にっぽん
地域ちいき 大阪府の旗 大阪おおさか
言語げんご系統けいとう
言語げんごコード
ISO 639-3
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概要がいよう

編集へんしゅう

大阪おおさか方言ほうげん摂津せっつ河内かわうち和泉いずみ大別たいべつされ[1]とく泉南せんなん地方ちほう方言ほうげんもっと特異とくいせいつよ[2]大阪おおさか府内ふないだい部分ぶぶん大阪平野おおさかへいやであり、大阪おおさか中心ちゅうしん人的じんてき交流こうりゅう活発かっぱつであるため、もともと都道府県とどうふけんくらべると方言ほうげん地域ちいきちいさく[2]伝統でんとう方言ほうげん衰退すいたい変化へんかいちじるしい現在げんざいでは地域ちいきよりも世代せだいほうおおきくなっている[3]兵庫ひょうごけん南東なんとう大阪おおさかとのあいだ交通こうつうもう発達はったつしていて人々ひとびと往来おうらいさかんであり、方言ほうげんはそれほどおおきくない。楳垣岡田おかだそう輔は「府県ふけんべつ方言ほうげん区画くかく設定せっていすることには、どうしても無理むりがある」とべている[4]神戸こうべだい部分ぶぶんきゅう摂津せっつこくであるが、神戸こうべ方言ほうげんアスペクト表現ひょうげん「とる/とー」「よる/よー」や敬語けいご表現ひょうげん「て(や)」などきゅう播磨はりまこく方言ほうげん播州ばんしゅうべん)との共通きょうつうせいがあり、一線いっせんかくす。

大阪おおさか近畿きんき地方ちほう経済けいざい文化ぶんかとくテレビ放送ほうそう)の中心ちゅうしんであることから、大阪おおさかべん近畿きんき地方ちほういちえん場合ばあいによっては四国しこくなども)の方言ほうげんつよ影響えいきょうりょくち、漫才まんざいなどをつうじて全国ぜんこくてきにも知名度ちめいど認知にんちたかい。愛知あいちけん名古屋なごや方言ほうげん研究けんきゅう芥子からしかわりつによって、近世きんせい江戸えど後期こうきには京都きょうと経由けいゆして、あるいは京都きょうととほぼどう時期じき愛知あいちけん西部せいぶ口語こうごにまで伝播でんぱしていたことがわかっている[5]京都きょうと同様どうよう大阪おおさかでは方言ほうげんへの愛着あいちゃく自負じふしんつよく、地元じもとはなれたときやテレビにときにも大阪おおさかべん使つかつづけるひとすくなくない。一方いっぽう語彙ごいめん中心ちゅうしん共通きょうつうすすんでおり、他府県たふけんからの人口じんこう流入りゅうにゅうもあって大阪おおさかべん変容へんようつづけている。近年きんねんインバウンドたかまりにともな大阪おおさか京都きょうとでは東京とうきょう標準ひょうじゅん(tokyo dialect:標準ひょうじゅんぶん)とはことなる「Kansai dialect大阪おおさか」(大阪おおさかべん)が使用しよう言語げんごとなっていることが海外かいがいでもられるようになり[6]youtubeうえ大阪おおさかべん講座こうざのような動画どうが、あるいは大阪おおさかべんによる旅行りょこうけい動画どうがアップロードする外国がいこくじんあらわれつつある。

地域ちいき

編集へんしゅう

大阪おおさかがわ摂津せっつ方言ほうげんについて、山本やまもと俊治しゅんじつぎのように区分くぶんしている[7]狭義きょうぎ摂津せっつ方言ほうげん一般いっぱんてきに「大阪おおさかべん」とされる方言ほうげんである[8]

以上いじょう区画くかくは1962ねん時点じてんのものであり、その方言ほうげん地域ちいき縮小しゅくしょうしている。2009ねんきしこう信介しんすけ摂津せっつ河内かわうち泉北せんぼく言語げんご類似るいじがかなりたかいことを指摘してきし、それをまえて高木たかぎ千恵ちえは、おおまかにいえば現代げんだい(21世紀せいき初頭しょとう)の大阪おおさか府下ふかには「大阪おおさかべん」(摂津せっつ河内かわうち泉北せんぼく)と「泉州せんしゅうべん」(泉南せんなん)のふたつの方言ほうげん存在そんざいすることになるとした[10]

兵庫ひょうごけん阪神はんしんあいだ方言ほうげんについて、山本やまもと俊治しゅんじ尼崎あまがさき西宮にしのみや川西かわにし伊丹いたみ宝塚たからづか大阪おおさか方言ほうげんに、芦屋あしや神戸こうべ方言ほうげんぞくすとした[11]鎌田かまた良二りょうじは、1958ねん調査ちょうさ住吉すみよしがわはさんで敬語けいご表現ひょうげん「はる」と「て(や)」の優勢ゆうせいわるとめ、住吉すみよしがわ大阪おおさかべん神戸こうべべん境界きょうかいをなすと報告ほうこくしている[12](その、「はる」が優勢ゆうせい地域ちいき西にし拡大かくだいしている)。なお、三田みたも「て(や)」が優勢ゆうせい地域ちいきである(2010年代ねんだい高年こうねんそうへの調査ちょうさ[13]

なお、現在げんざい大阪おおさかにあたる地域ちいきかぎっても、江戸えど時代じだいから明治めいじにかけては、地区ちく階層かいそうによって様々さまざま言葉ことば存在そんざいしていた。船場ふなば町人ちょうにん)、島之内しまのうち芸人げいにん)、天満てんま役人やくにん江戸えどなまり)、天王寺てんのうじ農民のうみん)、長町ながまち(スラム)、木津きづ市場いちば商人しょうにん)など。明治めいじ後期こうき以降いこう大阪おおさか市電しでん路線ろせんもう充実じゅうじつなどによって市内しない各所かくしょ交流こうりゅう活発かっぱつになるにつれて、市内しない言葉ことば均質きんしつ簡略かんりゃくしていったという[14]

阪神はんしん言葉ことば

編集へんしゅう

谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう小説しょうせつ細雪ささめゆき』に登場とうじょうするこいさんのモデル、しまがわ信子のぶこ証言しょうげんによると、戦前せんぜん阪神はんしんあいだでは「阪神はんしん言葉ことば」または「芦屋あしや言葉ことば」とばれる言葉ことば存在そんざいしたという。

船場ふなば島之内しまのうち富商ふしょう六甲ろっこう東南とうなんふもと居宅きょたくかまえはじめたころ阪神はんしんあいだには本格ほんかくてき船場ふなば言葉ことばもちいるひとおおかった。そこへ東京とうきょうからホワイトカラーが転勤てんきんうつってきたり、地方ちほう出身しゅっしんみかど大出おおいで婿養子むこようしむかえるいええたりした関係かんけいから、伝統でんとうてき上方かみがた言葉ことばやわらかさをたもちながら標準ひょうじゅん表現ひょうげんれた「阪神はんしん言葉ことば」がわか女性じょせい中心ちゅうしんまれた。それがのちに大阪おおさかちゅうへもながれこみ、現在げんざい関西かんさい共通きょうつう母胎ぼたいとなったと推測すいそくされる。

女性じょせいがわからまれた口語こうごであったため、当然とうぜんながら「おんな」の世界せかいえが散文さんぶん芸術げいじゅつてきしていた。夙川しゅくがわこうはぜのきえん舞台ぶたいにして谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうの『まんじ』がりひらいた「はなしことば」文学ぶんがく系譜けいふは、やがて井上いのうえやすしの『猟銃りょうじゅう』や宮本みやもとあきらの『錦繍きんしゅう』といった、有閑ゆうかんマダムの書簡しょかんたい小説しょうせつへとがれることになる。阪神はんしん言葉ことばこそ「関西かんさいべん近代きんだい」をになった市民しみん言葉ことばといえる[15]

音声おんせい

編集へんしゅう
 
大阪おおさか市内しない質屋しちや看板かんばん

したくちびるなどをあまり緊張きんちょうさせずに発音はつおんすることが特徴とくちょうである。とく高齢こうれいそうでは子音しいん発音はつおん不明瞭ふめいりょうになりやすく、サぎょうおんのハぎょうおとれい:すみません→すんまへん、なな→ひち)やザ・ダ・ラぎょう混同こんどうれい淀川よどがわみず→よろがーのみる、座敷ざしき→だしき。ただし紀州きしゅうべんほどではない)、半母音はんぼいん脱落だつらくれいおよぐ→おーぐ、わる→かーる)などがこる。男性だんせいあら口調くちょうではラぎょうおんじたになりやすい。高齢こうれいそうではかたりちゅうぎょう鼻濁音びだくおんかれるが、中年ちゅうねんそう以下いかでは衰退すいたいしている。

子音しいん対照たいしょうてき母音ぼいん明瞭めいりょう発音はつおんされ、無声むせいすくない。たとえば「そうです」は「そーですー」のように語尾ごびびる。れん母音ぼいん転訛てんかはエイ→エーをのぞいてこらないが、「えた→めーた」「える→けーる」のようなイエ→エーや、「はえ→はい」「むかえにく→むかいにいく」のようなアエ→アイがこることがある。1はく日常にちじょうは「→かー」「→めー」のように長音ちょうおんするが、「いそがしいなー→いそがしなー」「関東かんとう→かんとだき(=おでん)」のように本来ほんらい長音ちょうおんのものがみじかくなることもある。ウはえんくちびるしたせま母音ぼいんちか発音はつおんされる。

その、イ・ウだんにア・ヤぎょうおんつづさいの「日曜にちよう→にっちょ」「きやねん→すっきゃねん」のような促音そくおん拗音ようおんには「洗濯せんたく→せんたっき」、「昨日きのう→きんのー」「小便しょうべん→しょんべん」「ゴミ箱ごみばこ→ごんはこ」のようなかたりちゅう語尾ごび撥音はつおん、「なにするねん→なにすんねん」「電車でんしゃる→電車でんしゃる」のような動詞どうしのラぎょうおん助詞じょし「に」の撥音はつおん(ダ・ナぎょうおんつづ場合ばあい)などが特徴とくちょうてきである。

アクセントは京阪けいはんしきアクセントであり、大阪おおさか市内しないだけでなく大阪おおさか全域ぜんいきでも地域ちいきがほとんどないが、世代せだいあいだでのちがいはかなりおおきい(以下いかれい[16])。

  • 高年こうねんアノオトレワ フネ ナカシンジテルミタイヤ(=あのおとこは、あれはふねなかにあるとしんじているようだ)
  • 中年ちゅうねんアノオトコ アレワ フネ ナカト シンジテルタイヤ
  • 若年じゃくねんアノオトコ アレワノ ナニ アト シンジテルタイヤ

谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろう大阪おおさかべん発音はつおん印象いんしょう以下いかのようにしるしている。

東西とうざい婦人ふじんこえ相違そういは、三味線しゃみせん音色ねいろれいるのが一番いちばんいゝ。わたしは、長唄ながうた三味線しゃみせんのやうなえた音色ねいろ器楽きがく東京とうきょういて発達はったつしたのはまこと偶然ぐうぜんでないとおもふ。東京とうきょうおんなこえは、くもわるくも、あの長唄ながうた三味線しゃみせん音色ねいろであり、またじつにあれとよく調和ちょうわする。キレイとうんへばキレイだけれども、はばがなく、あつみがなく、まるみがなく、そしてなによりもねばりがない。だから会話かいわ精密せいみつで、明瞭めいりょうで、文法ぶんぽうてき正確せいかくであるが、余情よじょうがなく、含蓄がんちくがない。大阪おおさかほうは、浄瑠璃じょうるり乃至ないし地唄じうた三味線しゃみせんのやうで、どんなに調子ちょうし甲高かんだかくなつても、こえうらかならじゅんひがあり、つやがあり、あたゝかあじがある。 — 谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうわたし大阪おおさかおよ大阪おおさかじん[17]

表現ひょうげん

編集へんしゅう

以下いかにみられるのが大阪おおさかべん表現ひょうげん特徴とくちょうである。一言ひとことに「関西かんさいべん」とまとめると大阪おおさかべんすことがおおいが、京都きょうと神戸こうべ方面ほうめんではつうじにくいものもある。

  • 丁寧ていねいたいには「です」と「ます」をもちいるが、年配ねんぱいそうでは「です」のわりに「体言たいげんだす」「体言たいげんでおます」「形容詞けいようし連用形れんようけいウ音便うおんびんおます」をもちいる(「おます」単体たんたいでは「ある」の丁寧ていねい)。丁寧ていねいたいうしろにおわり助詞じょし接続せつぞくすると「す」が促音そくおん撥音はつおんするのも伝統でんとうてき大阪おおさかべん特徴とくちょうである。「だす」「ます」「おます」は「す」が省略しょうりゃくされることもある。
    • れい:ここが大阪城おおさかじょうです、ここが大阪城おおさかじょうだす、ここが大阪城おおさかじょうだ、ここが大阪城おおさかじょうでおます、ここが大阪城おおさかじょうでおま
    • れいきます→きま、きますねん→ぎょうきまんねん、きますがな→きまんがな、きますなあ→ぎょうきまんなあ、きますえ→きまっせ、きますか→きまっか、きますやろ→きまっしゃろ
  • だん活用かつよう動詞どうし否定ひてい助動詞じょどうし「へん」を接続せつぞくさせる場合ばあいおもに「アだん+へん」と「エだん+へん」の2かたちがあるが、大阪おおさかべんでは「だん+へん」が優勢ゆうせいである(同様どうよう用法ようほう名古屋なごやべんにもられる)。「アだん+へん」が優勢ゆうせい地域ちいき京都きょうと神戸こうべなど)では不可能ふかのうあらわすのに可能かのう動詞どうしの「エだん+へん」をもちいるが、大阪おおさかべんでは通常つうじょうの「エだん+へん」との同音どうおん衝突しょうとつけるため、可能かのう動詞どうし使つかわずに「未然みぜんがた+れへん」をもちいる(近年きんねん京都きょうとでも「未然みぜんがた+れへん」が多用たようされるようになっている)。ただし「ん」の場合ばあいは、「エだん+ん」を通常つうじょう否定ひていもちいることはなく、京都きょうとなどとおなじく不可能ふかのう表現ひょうげんとなる。
    • れいけへん - 大阪おおさかでは「かぬ」、京都きょうとでは「けぬ」の。「けん」は大阪おおさかでも京都きょうとでも「けぬ」の
    • れいかれへん - 大阪おおさかで「けぬ」の京都きょうとでは「けへん」だが、最近さいきん京都きょうとでも「かれへん」をもちいるものえている。
    • れいひざわらえへんやろ - 大阪おおさかでは「ひざわらわないだろう」、京都きょうとでは「ひざわらえないだろう」の
    • れい:なんで決勝けっしょうのこれへんねん - 大阪おおさかでは「なぜ決勝けっしょうのこらないんだ」、京都きょうとでは「なぜ決勝けっしょうのこれないんだ」の[18]
  • したいちだん活用かつよう動詞どうし否定ひてい助動詞じょどうし「へん」を接続せつぞくさせる場合ばあいは「エだん+へん」で安定あんていしているが、うえいちだん活用かつよう動詞どうし接続せつぞくさせる場合ばあいには個人こじん世代せだいによって複数ふくすうかたちがあり、たとえば「る」の否定ひていがたには「めーへん」「みえへん」「みーへん」があり、若年じゃくねんそうでは「みーひん」というかたちおおい。ぎょう変格活用へんかくかつよう動詞どうしぎょう変格活用へんかくかつよう動詞どうし場合ばあいは「けーへん」と「せーへん」が優勢ゆうせいで、一部いちぶでは「こえへん」や「しえへん」もあるが、若年じゃくねんそうでは「きーひん」「こーへん」や「しーひん」がひろまっている。21世紀せいきはいり、一段いちだん活用かつよう・カぎょう変格活用へんかくかつよう・サぎょう変格活用へんかくかつようでは「みやん」「こやん」「しやん」といった「やん」をもちいる否定ひていがた和歌山わかやま奈良なら方面ほうめんからひろまりつつある。
  • もうかりまっか
    • もうかりますか」のてん。いかにもかねこまかい大阪おおさかじんらしい表現ひょうげんとして喧伝けんでんされ、大阪おおさかべん代名詞だいめいしともいうべき有名ゆうめいなフレーズ。しかし、実際じっさいには「もうかりまっか」をもちいる大阪おおさか商人しょうにんほとんどおらず、「どう(どない)でっか」「けてはりまっか」「おいそがしいでっか」などが一般いっぱんてき商人しょうにん挨拶あいさつだったという。「もうかりまっか」のたいとしてられている「ぼちぼちでんな」(「ぼちぼちですな」のてん)は現在げんざい多用たようされる表現ひょうげんであるが[19]、「もうかりまっか」→「ぼちぼちでんな」という挨拶あいさつわせは菊田きくた一夫かずお小説しょうせつないつくられたものであり、近年きんねん大阪おおさかでこのりが模倣もほうされるのは関東かんとうから大阪おおさかべんのイメージをぎゃく輸入ゆにゅうした結果けっかぎない。大阪おおさか浪速なにわまれの放送ほうそう作家さっかである新野しんのしんは「『ばん僑』という言葉ことばは、評論ひょうろん大宅おおたく壮一そういち造語ぞうごだが、ぼくの推論すいろんとして、そのながれをくむ週刊しゅうかんジャーナリズムが、昭和しょうわ20年代ねんだい後半こうはんに『大阪おおさかじんかおわせると『もうかりまっか』とあいさつする』としたのではないだろうか」と推察すいさつしている[20]

船場ふなば言葉ことば

編集へんしゅう

船場ふなば言葉ことば(せんばことば)は、近世きんせいから近代きんだいにかけて商都しょうと大阪おおさか中心ちゅうしんとしてさかえた船場ふなば商家しょうかもちいられた言葉ことば豊臣とよとみ秀吉ひでよしによって船場ふなば開発かいはつはじまってから、江戸えど時代じだいて、明治めいじから昭和しょうわ中期ちゅうきいたるまでのあいだに、うつくしく格式かくしきのある大阪おおさか商人しょうにん言葉ことばとしてげられ[21]ただしい大阪おおさかべん代表だいひょうかくとして意識いしきされていた。大阪おおさかべん研究けんきゅう前田まえだいさむは「大阪おおさかべん庶民しょみんてき言語げんごであるというのが通説つうせつであるけれども、すくなくとも船場ふなば言葉ことばにそれはたらず、船場ふなば言葉ことばは、いうべくば貴族きぞくてき以外いがいなにぶつでもない。」とひょうした[22]

豊臣とよとみ秀吉ひでよし船場ふなば開発かいはつした当初とうしょさかいから強制きょうせい移住いじゅうさせられた商人しょうにん大半たいはんめていたが、その平野へいや商人しょうにん伏見ふしみ商人しょうにんらが台頭たいとうし、江戸えど時代じだい中期ちゅうきには近江おうみ商人しょうにん船場ふなば進出しんしゅつした。このような経緯けいいから船場ふなば言葉ことば各地かくち商人しょうにん言葉ことばざりって成立せいりつした。あきないという職業しょくぎょうがら丁寧ていねいかつ上品じょうひん言葉ことばづかいがもとめられたため、きょう言葉ことば(とりわけ御所ごしょ言葉ことば)の表現ひょうげんおおれ、独自どくじのまろやかな語感ごかん表現ひょうげん発達はったつした。一口ひとくち船場ふなば言葉ことばといっても、はな相手あいて状況じょうきょう業種ぎょうしゅ役職やくしょくなどによって言葉ことばこまかくかれていた。暖簾のれんまも船場ふなば商人しょうにんかぎっては、経営けいえいしゃ主人しゅじん旦那だんな一族いちぞく従業じゅうぎょういん奉公人ほうこうにん)の独特どくとく呼称こしょう固定こていしてもちいた(後述こうじゅつ)。

明治めいじ以後いご社会しゃかい情勢じょうせい変化へんか中等ちゅうとう高等こうとう教育きょういく普及ふきゅうによる標準ひょうじゅん船場ふなば言葉ことば使用しようそう裕福ゆうふく家庭かていおおく、教育きょういくねつたかかった)によって船場ふなば言葉ことば徐々じょじょ変化へんかしていった。大正たいしょう以降いこう大阪おおさかではしょくもとめてけんからおおくの流入りゅうにゅうがあったが、移住いじゅうしゃ難解なんかい船場ふなば言葉ことば容易ようい馴染なじめず、西横にしよこ堀川ほりかわ以西いせい下船げせんじょう(とりわけ阿波座あわざうつぼ)の商人しょうにんもちいるはしてきでスピーディーな商業しょうぎょう言葉ことば影響えいきょうけた。都市とし拡大かくだいとともにそのような言葉ことば勢力せいりょくばし、郡部ぐんぶ素朴そぼく言葉ことばはいこんじるなか、船場ふなば言葉ことば孤立こりつ無援むえん状態じょうたいかれた。

だいいち世界せかい大戦たいせん前後ぜんごから郊外こうがい電車でんしゃ発達はったつし、電鉄でんてつ会社かいしゃ沿線えんせん開発かいはつすすめるとともに郊外こうがい生活せいかつ快適かいてきせい宣伝せんでんした。最初さいしょ成金なりきんかぶ成金なりきん浜寺はまでら御影みかげ別荘べっそうて、そのもブームはつづき、船場ふなば商人しょうにんはこぞって郊外こうがい別荘べっそうつようになった(阪神はんしんあいだモダニズム参照さんしょう)。さずじゅう空間くうかんしょう空間くうかん圧迫あっぱくされる船場ふなば町家まちや郊外こうがい住宅じゅうたくよりも居住きょじゅうせいひくく、やがて郊外こうがい別荘べっそう本宅ほんたくとする商人しょうにんえ、それとともに船場ふなば言葉ことば郊外こうがいはじされて一層いっそう変化へんかしていくこととなった。この時代じだい船場ふなば商家しょうか生活せいかつ文化ぶんか描写びょうしゃした谷崎たにざきの『細雪ささめゆき』には、当時とうじ船場ふなば言葉ことば特徴とくちょうがよく反映はんえいされている(以下いかはそのれい)。

  • あなた旦那だんなさん、きつときつと無事ぶじでおかえりになりますわ(りゃく)」(幸子こうじからシュトルツ夫人ふじんへの台詞せりふちゅうまきよん
    • 幸子こうじおっとまたは下位かいしゃたいしては「あんた」を使用しようし、ソトの関係かんけい人物じんぶつたいしては「あなた」を使用しようしている。また、見合みあいのなどでは「あんさん」という敬称けいしょう使用しようしている。
  • 「………雪子ゆきこはをりやつけど、んでまおか」(幸子こうじから富永とみなが叔母おばへの台詞せりふ上巻じょうかんじゅう
    • この「お」のかない「やす」言葉ことばについて、前田まえだいさむは「これこそ船場ふなば特有とくゆうのもの」とべている[23]
  • 今日きょう雪子ゆきこちやんもこいさんもおうちにゐてやおまへんか」「さうですか、それであたしも使つかい甲斐かいがごわしたわ」(どちらも富永とみなが叔母おばから幸子こうじへの台詞せりふ上巻じょうかんじゅう
    • 富永とみなが叔母おばむかしながらの船場ふなば言葉ことば使用しようする人物じんぶつであるが、楳垣じつは「これだけの簡単かんたん対話たいわ船場ふなば言葉ことば代表だいひょうてき語法ごほうがこれだけあらわれていることは、たしかに注目ちゅうもくすべきことであって、谷崎たにざきたしかな資料しりょうもとづいてかれたものとしんじてよかろう[24]」とひょうしている。

細雪ささめゆき』で描写びょうしゃされている言葉ことばについて、織田おだ作之助さくのすけ以下いかのようにひょうしている。

谷崎たにざきの「細雪ささめゆき」は大阪おおさかべんうつくしさを文学ぶんがく再現さいげんしたというてんでは、比類ひるいなきものであるが、しかし、この小説しょうせつんだあるまったくズブの素人しろうと読者どくしゃが「あの大阪おおさかべんはあら神戸こうべ言葉ことばや」とった。「細雪ささめゆき」は大阪おおさか神戸こうべ中間ちゅうかん、つまり阪神はんしんあいだ有閑ゆうかん家庭かていえがいたものであって、それだけにじゅん大阪おおさか言葉ことばではない。大阪おおさかべん神戸こうべべんあいのような言葉ことば使つかわれているから、読者どくしゃはあれをじゅん大阪おおさか言葉ことばおもってはならない。 — 織田おだ作之助さくのすけ大阪おおさか可能かのうせい[25]

船場ふなば歴史れきし文化ぶんかくわしいこうやつむら菊雄きくおは、『細雪ささめゆき』でえがかれた昭和しょうわ10年代ねんだい船場ふなば言葉ことば様々さまざま方言ほうげんじった「チャンポン船場ふなば言葉ことば」であり、あれが正統せいとう船場ふなば言葉ことばだと誤解ごかいしないようにしなければいけないとしている[26]。「正統せいとう船場ふなば言葉ことば」がはなされていた時期じきについてこうやつむらは、船場ふなば店舗てんぽ住居じゅうきょ一緒いっしょにあり、雇人やといにん家族かぞくとがおな屋根やねしたらしていて、だい部分ぶぶん商家しょうか会社かいしゃにならない個人こじん経営けいえい時代じだい、すなわち産業さんぎょう資本しほん主義しゅぎ勃興ぼっこうするなかでなお商業しょうぎょう資本しほん主義しゅぎはばをきかし、大阪おおさか近郊きんこう郊外こうがい電車でんしゃ発達はったつしていない明治めいじ末期まっきから大正たいしょう初期しょきとした[27]

その大阪大おおさかだい空襲くうしゅう戦後せんご混乱こんらんによる旧来きゅうらい住人じゅうにん離散りさんや、高度こうど経済けいざい成長せいちょうによるしょう習慣しゅうかん変化へんか企業きぎょう東京とうきょう移転いてんなどが原因げんいんとなって船場ふなば言葉ことば急速きゅうそく衰退すいたいし、いまでは上方かみがた落語らくご古典こてん落語らくごなどでみみにするほかは、団塊だんかい世代せだい以前いぜんまれた世代せだい一部いちぶ住民じゅうみんにしか船場ふなば言葉ことばのこっていない。船場ふなば言葉ことばまもつたえようとするうごきもあり、たとえば1983ねん結成けっせいされた「なにわことばのつどい」では2000年代ねんだい時点じてんやく200にん会員かいいん活動かつどうしていた[28]。2015年度ねんどNHK連続れんぞくテレビ小説しょうせつあさが』は明治めいじ大正たいしょう船場ふなば商家しょうかがモデルになり、松寺まつでら千恵美ちえみ指導しどうのもと様々さまざま登場とうじょう人物じんぶつ船場ふなば言葉ことば使用しようしたが、「おます」や「だす」の多用たよう、「ごりょんさん」ではなく「おくさん」の使用しようなど、船場ふなば言葉ことばらしからぬ描写びょうしゃ目立めだった。

特徴とくちょう

編集へんしゅう

船場ふなば言葉ことばについてきしたものには、船場ふなば言葉ことば優雅ゆうがでやわらかい言葉ことばであったとひょうするものがおおい。そのれいとして、牧村まきむらふみの『大阪おおさかべん善哉ぜんざい』に「綺麗きれいなめらかで、なんとなくまったりした、やわらかく優雅ゆうが言葉ことばはばのある表現ひょうげんのなかに適度てきどにユーモアをたたえた、苦労くろうったうえの気取きどらなさがあり、そのうえ、うっかりするとのがしてしまうかもわからぬような諷刺ふうしが、そのなかにそっとつつまれていて、それがすこしも耳立みみだたない。」とあり、随筆ずいひつ森田もりたたまによる牧村まきむらの『大阪おおさかことば事典じてん』の書評しょひょうに「まったくびろうどのぬのうえたまをすべらせているようだった。なめらかでつやであった。」とある[29]

そのような印象いんしょうあたえる主因しゅいんとして、子音しいん接頭せっとうなどを省略しょうりゃくせず、ききてかりやすくはなすことにある。一般いっぱんてき大阪おおさかべん方言ほうげんよりもはやはなすとされているが[30]船場ふなば言葉ことば河内かわちべんなどとくらべておな内容ないよう会話かいわであっても言葉ことばすうおおく、よってはな速度そくどおそく、いた印象いんしょう丁寧ていねい印象いんしょうつながる[31]きょう言葉ことばとの類似るいじせいにききて無意識むいしきにでもづいた場合ばあいきょう言葉ことばのやさしい、やわらかいといった印象いんしょう付加ふかされる。また、うつくしいといった印象いんしょう無声音むせいおん多用たようによる部分ぶぶんおおいとかんがえられる。

しかし、こうやつむらは「船場ふなば言葉ことばもびろうどのぬのうえたまをすべらせるような、優雅ゆうが場合ばあいばかりとはかぎらず、一度いちど船場ふなば言葉ことばでねっとりとからまれると、なんともいえぬ、意地悪いじわる(いけず)さがぬらりくらりとまわって、まるで真綿まわたくびというか、くちな(へび)にじわじわけられてゆくようなおそろしさがある。それはおこっているときであり、皮肉ひにくときである。」ともべている。以下いかは、船場ふなばひとであるこうやつむら母親ははおや会話かいわれいである。

へえへえ、わたしらは尋常じんじょう小学校しょうがっこう)もろくにあがらん無学むがく文盲もんもうでごあす。おかしこいあんさんみたいなおかたはんの、ねき(はた)にもられいたしやへん。せえだい(きよし々)悪口わるぐちあっこおっしゃっとくれやす。けどなああんさん。おやをないがしろにおしやしたら、どないなむくいがさんじますやら、ぞんじやへんでごあっせ。

鰻谷うなぎだにまれそだったこうやつむらつまはこの船場ふなば言葉ことばくと、さぶいぼがつとおそれおののいたという。鰻谷うなぎだにのある島之内しまのうちは、いまてられた長堀ながほりがわはさんで船場ふなばせっする地区ちくである。たったはば20mのかわひとつが国境こっきょうでもあるかのように、言葉ことばちがえば気質きしつ風習ふうしゅうちがっていた[32]

表現ひょうげん

編集へんしゅう

大阪おおさか人間にんげん挨拶あいさつわりに「もうかりまっか」という表現ひょうげんをとる、とわれるが、むかし船場ふなば人々ひとびとは、絶対ぜったいにそんな一旗ひとはたぐみの、新興しんこう商人しょうにんのような下品げひん挨拶あいさつはしなかった。また、「これけてんか」「けときまひょ」などのズケズケしたしなのない取引とりひきもしなかった。おなじことでも「もうちょっとなにとかなりまへんか」「さいでごあんなぁ。あとあとのこともごあすし、清水しみず舞台ぶたいからびおりたつもりで、勉強べんきょうさしていただきやす」というような、相手あいてたてまつったものやわらかい調子ちょうしであった[33]

木村きむら元三もとぞうは、母親ははおや使つか船場ふなば言葉ことばいて、おだやかで、相手あいて非難ひなんしたり、あらそいをするようなことはひとつもなく、ボキャブラリーがゆたかで、いたいことを過不足かふそくなくつたえられて、相手あいてへのおもいやりがあふれている。語感ごかんもすっきりして、言葉ことばとしても完成かんせいされていた、と回想かいそうしている。また、「『もうかりまっか』とかいうのが大阪おおさかべん典型てんけいみたいにいわれてますけど、大阪おおさか商売人しょうばいにんはそんなん使つかいつこたことないです。他所よそよそからひと流行はやらした言葉ことばでしょうな。」とかたっており、大阪おおさかじんは「ごあへん」「ごあっさかい」とか、しゃちこばらず、かくのとれた言葉ことばで、しかもじゅうふん礼儀れいぎくした言葉ことば使つかっていた、とかたっている[34][35]

よそきの言葉ことば日常にちじょう言葉ことば目下もっかもの友人ゆうじん同士どうし奉公人ほうこうにん同士どうしなど、状況じょうきょうによって表現ひょうげん使つかけがあった。たとえば、子供こども場合ばあい自分じぶんのことを学校がっこうでは「ぼく」、いえでは「わて」とい、返事へんじ学校がっこうでは「はい」、いえでは「へえ」とった。それは船場ふなばだけでなく、船場ふなば周辺しゅうへんにある島之内しまのうち京町堀きょうまちぼり江戸堀えどぼり、靱あたりの商家しょうかでも同様どうようであった。したしいもの同士どうし場合ばあいは、うんとくだけて河内かわちべんはいり、喧嘩けんか場合ばあいなどはドスをきかせるためにわる言葉ことば[36]一方いっぽうで、「したろか」「いてこましたろか」「やったるで」などのよくられる大阪おおさかべんは、しなのない言葉ことばだからと、たとえ冗談じょうだんでも使つかわないようにいましめられていた[37]

「お ……やす」のような敬語けいご表現ひょうげんや「すもじ・おすもじ(寿司すし)」「おだい(大根だいこん)」「おみや(あし)」のような女房にょうぼう言葉ことば多用たようなど、船場ふなば言葉ことばにはきょう言葉ことばているてんおおい。船場ふなば商人しょうにんらがきょうあこがれて真似まねた、あるいは京都きょうとむすめおお船場ふなばとついできたなどの理由りゆうかんがえられている[38]

船場ふなば言葉ことばれい

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参照さんしょう[39][40]

  • 敬称けいしょう
    • ひと名字みょうじ名前なまえを、そのひとかって直接ちょくせつときは「さん」をつけることがおおく、そのひとのことを第三者だいさんしゃ同士どうしはなしなかはなときには「はん」をつけることがおおい。ただし、人名じんめいがイれつ・ウれつ・オ・ハぎょう・ンでわる場合ばあいは「はん」とはいづらくきづらいため、かならず「さん」となる。シ・ス・チ・ツでわる場合ばあいは「さん」もいづらく、小林こばやしさん→コバヤッサン、甘粕あまかすさん→アマカッサン、野口のぐちさん→ノグッツァン、赤松あかまつさん→アカマッツァンのように変化へんかする。よって、エノケンロッパは「エノケンさんとロッパはん」、アチャコエンタツは「アチャコはんとエンタッつぁん」となり、エノケンはんとロッパはん、アチャコはんとエンタツはんとはばない。
    • 名前なまえだけのときでは、丁稚でっちには「きち」がつき、手代てだいしょう番頭ばんがしらにはとくななのように「なな(ひち)」がつき、だい番頭ばんがしらには「すけ」がつく。女中じょちゅうはどのいえでも「おまつ」「おたけ」「おうめ」で、ときには「どん(殿しんがり)」がつく。丁稚でっち手代てだい番頭ばんがしらにも「どん」がつく。だい番頭ばんがしらには「はん」がつく。ただし、◯きちどん、◯ななどん、おまつどんはきづらくいづらいため、「◯きっとん」「◯ひっとん」となる。
  • 人称にんしょう代名詞だいめいし
    • ・ア・ワタチ(わたし
      • ワテは男女だんじょども使つかう。当主とうしゅ家族かぞくあいだではワテであったが、奉公人ほうこうにんまえではワシとった。わかおんなはウチとほうおおく、中年ちゅうねんになるとワタイともった。おんなはワをアと変化へんかさせ、アタシ・アテ・アタイともう。中高年ちゅうこうねんおとこでワァ使つかうこともある。しなよくうときは男女だんじょともにワタシを使つかう。ワタクシ→ワタシ→ワタイ→ワテと変化へんかしたもの。
      • へりくだった場合ばあいテマイ手前てまえ)を使つかうが、かならずそのしたコやドモをつけて、テマイコ(わが・わがみせ)やテマイドモ(われわれ)というふうに使つかう。
    • ンサン(貴方あなた
      • 敬称けいしょうである。男女だんじょとも、おとこにもおんなにも使つかう。アナタサン→アンタサン→アンサンと変化へんかしたもの。
    • オマハ(おまえさん)
      • 目下もっかもの男女だんじょともに使つかう。ときには「おまえ」とてにすることもある。オマエサン→オマエハン→オマハンと変化へんかしたもの。
    • アノオヒアノオカ(あのひと
      • 男女だんじょともに使つかう。アノオカタは敬語けいご。アノオヒトは敬語けいごほどではないが、丁寧ていねいないいかた
  • ソサン・ソハン(他人たにんいえ
    • ヨソとはそと他所よそ遠方えんぽうなどので、余所よそく。他人たにんはヨソのひとで、サンがつくと他人たにんいえということになる。
  • ゴワスゴアス(ございます)
    • 船場ふなば独特どくとくのややくだけた丁寧ていねい。ゴワスのワは、Wのおとがほとんどえてゴアスとこえる。鹿児島かごしまべんのゴワスとはことなる。ゴサリマス[よう出典しゅってん]ゴワリマスひともある。ゴワイヤスとこえるひともある。ゴザリマス→ゴワリマス→ゴワイヤス→ゴワス→ゴアスと変化へんかしたもの。一般いっぱん大阪おおさか市民しみん多用たようしたオマスやダスはあまりもちいなかった。
    • 「ございません」にたるしはゴワヘンゴアヘンで、ゴザリマヘンゴザヘンなどとひともある。ゴザリマセン→ゴザリマヘン→ゴワリマヘン→ゴワイヤへン→ゴワヘン→ゴアヘンと変化へんかしたもの。
  • オイデス(いらっしゃいませ)
    • オイデスはオイデナサレマセがつづまったもの[よう出典しゅってん]きゃくもゴメンス、またはゴメンヤシトクレス(御免ごめんくださいませ)と至極しごく丁寧ていねいはいってくる。
    • その、オシス(なさいませ)、オイイス(おっしゃい)、オオキス(おやめなさい)など、スは丁寧ていねい命令めいれいにもなる。オシシテ(なさいまして)、オイイシテ(おっしゃいまして)、オオキシテ(おやめなさいまして)というふうにも、またオシシタラ(なさいましたら)、オオイシタラ、オオキシタラというふうにも使つかう。
  • イタシヤス(いたします)
    • このヤスは、マスからの変化へんかしはイタシヤヘン(いたしません)。
  • イキハルきなさる)
    • イキはきのことで、ユをイとうことがおおい。ハルハル(なさる)である。イキハルよりも丁寧ていねいないいかたとして、オイキハルとうこともある。しはイキハレヘン(おきなさらない)。過去かこがたイキハッタ。そのしはイキハラナンダで、もっと丁寧ていねいえばイキハリマヘナンダとなる。
  • イテテヤナ(いらっしゃらない)
    • イテテは「る」を意味いみするイテルの連用形れんようけいにテがついたもの。ヤナはじゃない。イテテヤゴアヘンともイテテヤオマヘンともう。ヤはよく使つかう。タベテヤナイ、コウテって)ヤナイなど。江戸えど時代じだい多用たようされた「てや敬語けいご」の名残なごり
  • サイデ左様さようで)
    • サイデゴワス(さようでございます)、サイデゴワッカ(さようでございますか)、サイデゴワッカイナ(さようでございますか、それはそれは)、サイデゴワストモ(さようでございますとも)となる。しとなる場合ばあいはサイデを使つかわず、ヤゴワヘン(そうではございません)、ヤゴワヘンカ(そうではございませんか)となる。
  • イテサンジマスってまいります)
    • 使つかいなどでいえとき学校がっこうときなどの挨拶あいさつイテキマスではしかられる。「さんじ」はさんじのさんじである。帰宅きたくしたときイテサンジマシタと挨拶あいさつする。
  • オハウオカイリ(おはやくおかえりなさい)
    • 奉公人ほうこうにん主人しゅじんかたおくときはオハウオカイリスという。オカイとリをげる場合ばあいもある。物見ものみ遊山ゆさんなどにときには、ゴユルリトということもある。そうしてくのはオデマという。
  • オハウサン(おはようございます)
    • オハウサンデゴワスと挨拶あいさつするひともある。解釈かいしゃくとしては「あさのお天道てんとうさまがおましになりましてござります」ということになる。
  • ゴメンス(ごめんください・さようなら)
    • 他家たけはい場合ばあい使つかうが、また他家たけときにも使つかう。サイ子供こどもおおい。おいえさんや御寮ごりょうさんたちは、ゴメンヤシトクレス(ごめんなされてくださいませ)と丁寧ていねいにいう。主客しゅかくおとこ同士どうし場合ばあい同格どうかくなら、ゴメンとも、ゴメンとも簡易かんいわす。
  • イジナ(かまわない、別条べつじょうない)
    • 大事だいじない」である。かまわない。丁寧ていねいにいうと、イジョゴアヘン簡単かんたんにいうとダンナイになる。
  • カシコマリマシタ(かしこまりました)
    • 承知しょうちいたしましたという使つかう。
  • そやし、あかんし、ええし
    • 明治めいじまつから、したしいおんな同士どうしはなときおわり助詞じょし「わ」を「し」に変化へんかさせてった。遊女ゆうじょ言葉ことば由来ゆらいするとして、年寄としよりなどはこの表現ひょうげんきびしくきんじていた[41]。 

家族かぞくものかた

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  • だんさ
    • 当主とうしゅ主人しゅじん。「旦那だんなさま」が変化へんかしたもの。
  • おやだんさん
    • 当主とうしゅちち当主とうしゅ家督かとくゆず隠居いんきょしているものもあれば、なお営業えいぎょうにくちばしをれたりするものもある。
  • りょんさん
    • 御寮人ごりょうにんさま当主とうしゅつま。ゴリョウニンサマのニがえ、サマがサンになり、ゴリョンサンとなった。たんなる主婦しゅふでなく、親類しんるい縁者えんじゃとのい、分家ぶんけ別家べっけへの配慮はいりょ勿論もちろん雇人やといにんたいしてもまわりのこと、食事しょくじ相談そうだんごとなどの面倒めんどうをみたり、それらの親元おやもととの連絡れんらくをとったり、ダンサンとのパイプ役ぱいぷやくになったりした。また、金庫きんこくらかぎすべあずかっているのも御寮人ごりょうにんさんである。とにかく船場ふなば御寮人ごりょうにんさんというのは、みせ家族かぞくっくるめてのそう支配人しはいにんである。
    • 京都きょうと公家くげ言葉ことば未婚みこん部屋へやりょうじゅうむすめを「御寮人ごりょうにん」といい、「御料ごりょうじん」ともく。それが他家たけとつさいには、まわりの世話せわをさせるために日頃ひごろ使つかっていた女中じょちゅう何人なんにん一緒いっしょれてく。その女中じょちゅうたち実家じっかにいたときおなじように「ごりょうひとさま」とんだので、いつしか妻女さいじょをそうぶようになった。船場ふなばではそれを真似まねたものである。
  • おえさ
    • 御家おいえさま。オイエサマのイエがエとつづまった。もと御寮人ごりょうにんさんであったものが、息子むすこ当主とうしゅになり、息子むすこよめ御寮人ごりょうにんさんになるのにわせて、格上かくあげされたものである。オエサンという言葉ことばひびきは年寄としよくさく、老女ろうじょおもわせるものがあるので、これをきらって相変あいかわらず御寮人ごりょうにんさんとばせて、息子むすこよめをワカゴリョンサン(わか御寮人ごりょうにんさん)とばせているいえもあった。
  • おこひっつぁ
    • 後室こうしつさま」に由来ゆらいする言葉ことば公家くげ武家ぶけにおける未亡人みぼうじんであるが、船場ふなばでは由緒ゆいしょあるだい町人ちょうにんのおいえさんで、つれあいのくなったひとをそうんだ。
  • ぼん
    • おとこ一般いっぱん言葉ことばぼうぼうん。家庭かていないでは雇人やといにんたちが、家庭かていがいでは他家たけ息子むすこのことをび、家族かぞくものはそうばない。ンサンともぶ。兄弟きょうだいおおときにはうえがアニボンサで、なかをナカボンサしたがコボンサで、まだしたがあれば、4にんからは名前なまえしたにボンサンをつける。
  • さん
    • おんな一般いっぱん言葉ことば。「いとしい」または「いとけない」に由来ゆらいするものとおもわれる。トオサンともぶが、これはイトサンのイがえてトがばされたものとされる。ぞくにイトハンといういいかたがあるが、第三者だいさんしゃ同士どうしはな場合ばあいはそれでいが、直接ちょくせつ、またはその家族かぞくはな場合ばあいは、ハンではなくサンでなければならない。ハンはれなれしいかたで、ひと見下みさげたようなニュアンスをふくむため、むかし他人たにんにイトハンなどとけられると返事へんじもしないむすめもあった。ゴリョンハンにもおなじことがいえる。
    • うえアネイトサンなかをナカイトサしたはコイトサまたはコサンとぶ。これは雇人やといにんまたは他人たにん場合ばあいで、両親りょうしん場合ばあいは、めいめい名前なまえび、姉妹しまい同士どうしときは、うえエサンまたはエチャン、なかをナカンサ(ナカアネサンのつづまったもので、さらにナカサになる)、ナカンチャしたはコサンまたはコチャン、または名前なまえぶ。
  • こどもしこどもっさん
    • たち・おたちさんので、他家たけ子供こどもたちにたいして使つかう。「子供こどもしゅ」のつづまったもの。しゅうを「し」とつづめるのは「ええしゅう」を「ええし」などとうのと同様どうようである。
  • おなごしおなごっさん
    • 女中じょちゅう。「女子衆おなごしゅ」のつづまったもの。他家たけ女中じょちゅうには「さん」をつける。上女中かみじょちゅう小間使こまづかい)・下女中しもじょちゅう下働したばたらき)の女中じょちゅうともにいう。よその女中じょちゅうには「さん」をつける。女中じょちゅうときは、その本名ほんみょうばず、松竹梅しょうちくばいからとって「おまつとん」「おたけどん」「おうめどん」と名付なづける。「おまつとん」がめてわりがると「おまつとん」をぐ。4にん以上いじょうになると、御寮人ごりょうにんさんがびやすい名前なまえける(れい:おはなどん)。女中じょちゅうには上女中かみじょちゅう小間使こまづかい)と下女中しもじょちゅう下働したばたらき)があるが、たがいに両方りょうほう用事ようじをする。上女中かみじょちゅうには古参こさんおんなおおい。
  • おとこしおとこっさん
    • 下男げなん。「男衆おとこしゅ」のつづまったもの。中年ちゅうねん以上いじょうおおく、おなごしと夫婦ふうふ場合ばあいもある。にわ掃除そうじよねふみ、薪割まきわり、おもものはこび、たかところ作業さぎょう風呂ふろみずみなど力仕事ちからしごとしたがう。おおむね家族かぞくようつとめるが、店舗てんぽいそがしいとき店舗てんぽ手伝てつだうこともある。人力車じんりきしゃのあるいえでは車夫しゃふがこれをねるときもある。番頭ばんがしらより古参こさんしゃもいて奉公人ほうこうにんにはうるさい存在そんざいでもある。おくきの内密ないみつ用事ようじをつとめることもあり、「はん」づけでばれるものもある。
  • ば・おばはん
    • 乳母うば河内かわうち出身しゅっしんひとおおかった。子供こども乳離ちばなれするとかえものもあり、成長せいちょうもおなごしとして居着いつものもある。

しゃれ言葉ことば

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大阪おおさかでは様々さまざま駄洒落だじゃれ言葉ことば発達はったつした。近世きんせいだいざかは、「諸色しょしき値段ねだん相場そうば元方もとかた」である堂島どうじまべい市場いちば天満てんま青物あおもの市場いちばざつのどじょうぎょ市場いちばさんだい市場いちばようし、全国ぜんこく物資ぶっし物流ぶつりゅう集散しゅうさんであった。中之島なかのしまにはしょはん蔵屋敷くらやしきならび、「出船しゅっせんせんそう入船いりふねせんそう」の活況かっきょうていした。こうしてヒト・モノ・カネ・情報じょうほう集積しゅうせきするだいさか一大いちだい商都しょうとであり、商行為しょうこういにはコミュニケーションが必須ひっすであった。

とはいえ、おのれ利益りえきをただ露骨ろこつ表明ひょうめいするだけでは、顧客こきゃくしんつかむことはできない。一方いっぽう甘言かんげんろうして顧客こきゃくびるだけではかえって警戒けいかいされるし、かりにうまく成約せいやくにこぎつけても、すぐにきられてしまう。そこで、相手あいてらさないようにしつつ、同時どうじおのれ相応そうおう確保かくほするというたくみな会話かいわりょく必要ひつようとされた。そのさい威力いりょく発揮はっきしたのが「しゃれ言葉ことば」であった。依頼いらい勧誘かんゆう哀願あいがん保留ほりゅう交渉こうしょう譲歩じょうほ提案ていあん謝絶しゃぜつ皮肉ひにく揶揄やゆしょうさんなどを、しゃれをかいしてやわらかくほがらかに、しかししんをぶらすことなく、相手あいてつたえたのである。

大阪おおさか洒落しゃれ言葉ことばはみな江戸えど時代じだいのもので、やはり元禄げんろく以後いご文化ぶんかはなやかなとき芝居しばいまち遊里ゆうり発達はったつしたものとおもわれる。そしてにわかや、幇間ほうかんなどのくちからたものが世間せけん流行りゅうこうしたという。せいといわれる文化ぶんか文政ぶんせい時代じだいは、江戸えど時代じだい爛熟らんじゅくで、いわゆるエロ・グロ・ナンセンス時代じだいだった。それが天保てんぽうて、幕末ばくまつから明治めいじへかけての100ねんちかあいだ大阪おおさか人々ひとびと生活せいかつのユーモアとしてあいし、したしんだ。その伝播でんぱ一役ひとやくったのが、これらの言葉ことばあつめたいちまいずりの出版しゅっぱんであった。「かわりもんくしんいたすいこと」といういちまいずりは、松屋まつやまち出版しゅっぱんからてよくれたという[42]

しゃれ言葉ことば人々ひとびと日常にちじょう会話かいわなか不断ふだんされ、おおくの人々ひとびと共感きょうかん秀作しゅうさくのこり、意味いみがとりにくいものや面白おもしろみにけるものは時代じだいなみあらわれてえていった。以下いか実例じつれい例示れいじする。

  • しろけんのおいど:面白おもしろい(←しろい)
  • くろけんのおいど:面白おもしろうない(←しろうない)
  • うしのおいど:物知ものしり(←モーのしり
  • うどんがまうばかり(←ぅばかり)
  • 雪隠せっちんじょう火事かじ:やけくそ(←くそ
  • ごうとっくり:一生いっしょうつまらん(←いちしょうまらぬ)
  • ありじゅうひきさるひき:ありがとうござる(←ありじゅうさる
  • 夜明よあけの行灯あんどんうすぼんやり
  • やもめの行水ぎょうずい勝手かってうとれ(←勝手かってれ)
  • いもうといもと嫁入よめいり:値段ねだん相談そうだん(←あねねえ相談そうだん
  • だこ天麩羅てんぷらあしをとる
  • 竹屋たけや火事かじ:ポンポン
  • 看板かんばん上手じょうずうえ
  • いわしなべ:(男女だんじょが)くさいなかである・どうもにお
  • ちびたのこ:(なかが)ってもれない
  • はる夕暮ゆうぐれ:ケチ(←くれそうでくれん)
  • 赤子あかご行水ぎょうずい金足かなあしらいでいている(←金盥かなだらいいている)
  • きつねのやいと:困窮こんきゅうしている(←コンやいと
  • うまのやいと:貧窮ひんきゅうしている(←ヒンやいと
  • 無地むじ羽織はおり一文いちぶんなし(←いちもんなし)

役割やくわりとしての大阪おおさかべん

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漫画まんがやドラマなどのフィクション世界せかいにおいて、大阪おおさかべんおよび関西かんさいべん一定いっていステレオタイプともな役割やくわりとしてえがかれることがある。「役割やくわり」の提唱ていしょうしゃであるかねすいさとしは、大阪おおさかべんはな登場とうじょう人物じんぶつがいたらほぼ間違まちがいなく、以下いかのステレオタイプを1つか2つ以上いじょうっているとべている[43]。また、ステレオタイプな役割やくわり表現ひょうげんしゃ意図いとした、あるいは意図いとしない偏見へんけん差別さべつ意識いしきつたえる場合ばあいがあると指摘してきしている[44]

  1. 冗談じょうだんき、わらわせき、おしゃべり
  2. けち、守銭奴しゅせんど拝金はいきん主義しゅぎしゃ
  3. 食通しょくつういしんぼう
  4. 派手はで
  5. 好色こうしょく下品げひん
  6. 根性こんじょう逆境ぎゃっきょうつよく、エネルギッシュにそれをえていく)
    • なお、大阪おおさかでは本来ほんらい、「ど根性こんじょう」とはわる根性こんじょう意味いみするかたりであった[45]本来ほんらい大阪おおさかべん現在げんざいの「ど根性こんじょう」のニュアンスにちかかたりは「土性骨どしょうぼね」である[46]
  7. やくざ、暴力団ぼうりょくだんこわ

2から6はいずれも、直感ちょっかんてき現実げんじつてき快楽かいらく欲望よくぼうをなりふりかまわず肯定こうてい追求ついきゅうしようとする性質せいしつむすびついている。それは周囲しゅうい常識じょうしきじんから顰蹙ひんしゅくい、嘲笑ちょうしょう軽蔑けいべつ対象たいしょうとなるが、一方いっぽうで1とむすびついてあいすべき道化どうけやくとなり、また偽善ぎぜん権威けんい理想りそう規範きはんといったしばりをわらばす役回やくまわりにもなる。すなわち、ステレオタイプな大阪おおさかじん関西かんさいじんトリックスターやくどころをあたえられているとかねすい指摘してきする[47]

1から6のステレオタイプは、江戸えど時代じだい後期こうきにはすで相当そうとう完成かんせいされていたとされる。江戸えど時代じだい上方かみがたでは現実げんじつてき経済けいざいせいおもんじる気風きふうがあり、またしょう交渉こうしょう円滑えんかつにするため饒舌じょうぜつ歓迎かんげいされていたとかんがえられる。これは禁欲きんよく主義しゅぎ理想りそう主義しゅぎ行動こうどう主義しゅぎてき寡黙かもく人格じんかくこのまれる江戸えどとは対照たいしょうてきであった。とく商都しょうと大坂おおさかから江戸えど金儲かねもうけにやってくる上方かみがた商人しょうにんたち姿すがたは「宵越よいごしのぜにたない江戸えどにとってつよ印象いんしょうてきだったろうとかんがえられる。また上方かみがた人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり芸風げいふうもステレオタイプの形成けいせい影響えいきょうあたえたとかんがえられる[48]十返舎一九じっぺんしゃいっく東海道とうかいどうちゅう膝栗毛ひざくりげ』に登場とうじょうする喜多きたはちの「そうたい上方かみがたものはあたじけねへ。のしれたべらぼうどもだ」[49]という台詞せりふ当時とうじ江戸えどから上方かみがたしゃのイメージのれいえよう。

近代きんだいになると、大阪おおさかではエンタツアチャコ中心ちゅうしん漫才まんざい急速きゅうそく発展はってんし、ラジオをつうじて日本にっぽん全国ぜんこく人気にんきはくした。また戦後せんごのテレビにおいても『番頭ばんがしらはんと丁稚でっちどん』や『てなもんや三度笠さんどがさ』などの上方かみがた喜劇きげき番組ばんぐみさかんに放送ほうそうされた。こうしたマスメディアでの発信はっしん大阪おおさかべん関西かんさいべん浸透しんとう日本にっぽん全国ぜんこくうながすとともに、「関西かんさいじん=おわらい」が固定こていされていったとかんがえられる。またこのどう時期じきには菊田きくた一夫かずお戯曲ぎきょくがめついやつ[50]はなとうの「根性こんじょうもの」がブームとなり、「関西かんさいじん=どケチ・ど根性こんじょう」が固定こていされていったとかんがえられる[51]中井なかい精一せいいちは「大阪おおさかべん面白おもしろく、大阪おおさかはおわらいだ。このイメージは、80年代ねんだい漫才まんざいブームが火付ひつやくになり、90年代ねんだいになって一般いっぱん普及ふきゅうしていった。これは見方みかたえると、90ねん以降いこう、バブルがはじけておおくの中小ちゅうしょう企業きぎょう倒産とうさんし、大阪おおさか凋落ちょうらく決定的けっていてきになったこととどう一線いっせんじょうかたられる現象げんしょうで、成功せいこうしゃ激減げきげんした大阪おおさかは『ど根性こんじょう』から『どあほう』のまち全国ぜんこく人々ひとびとのイメージを変容へんようさせたともえそうである」と記述きじゅつしている[52]

最後さいごの7は戦後せんごになって形成けいせいされた、比較的ひかくてきあたらしいステレオタイプである。江戸えど時代じだい明治めいじ時代じだいにおいては、べらんめえ口調くちょう喧嘩けんかはや江戸えどくらべて、上方かみがたしゃなが柔弱にゅうじゃくであるとされていた[53]いずみ鏡花きょうかが「草雙紙くさぞうしあらわれたる江戸えどおんな性格せいかく」で同様どうようひょうしている。福澤ふくさわ諭吉ゆきちは「元来がんらい大阪おおさか町人ちょうにんきわめて臆病おくびょうだ。江戸えど喧嘩けんかをすると野次馬やじうま滅茶苦茶めちゃくちゃにしてしまうが、大阪おおさかでは野次馬やじうまはとてもてこない。」とぶくおう自伝じでんにてべている。

関西かんさい言葉ことばについて、谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうは、1932ねん昭和しょうわ7ねん)に随筆ずいひつわたし大阪おおさかおよ大阪おおさかじん」にて、「関西かんさい婦人ふじんは凡べてそういうふうに、言葉ことばすうすくなく、婉曲えんきょく心持こころもち表現ひょうげんする。それが東京とうきょうくらべてしなよくもきこえ、非常ひじょう色気いろけがある。(中略ちゅうりゃく猥談わいだんなどをしても、上方かみがたおんなはそれをしなよくほのめかしていうじゅつっている。東京とうきょうだとどうしても露骨ろこつになる。」としるしている。織田おだ作之助さくのすけ1947ねん昭和しょうわ22ねん)「大阪おおさか可能かのうせい」において「わたしはかねがねおもうのだが、大阪おおさかべんほど文章ぶんしょうきにくい言葉ことばはない。」とし、「大阪おおさかべんというものはかたものてき饒舌じょうぜつにそのねちねちした特色とくしょく発揮はっきするが、やはり瞬間しゅんかん瞬間しゅんかん感覚かんかくてき表現ひょうげんを、その人物じんぶつうごきとともにとらえたほうが、大阪おおさかべんらしい感覚かんかくるのではなかろうか。大阪おおさかべんは、独自どくじてき一人ひとりしゃべっているのをいていると案外あんがいつまらないが、にん乃至ないしさんにん会話かいわのやりとりになると、感覚かんかくてき心理しんりてき飛躍ひやくして面白おもしろさがきゅう発揮はっきされるのは、わたしたちが日常にちじょう経験けいけんしているとおりである。」とひょうしている。

関西かんさいじん暴力ぼうりょくてき」のイメージは、1950年代ねんだいから1970年代ねんだいにかけて、こん東光とうこうの「河内かわうちもの」、『極道ごくどうシリーズ』に代表だいひょうされる関西かんさい舞台ぶたいやくざ映画えいが、『嗚呼ああ!!はな応援おうえんだん』や『じゃりンチエ』のようなエネルギッシュな漫画まんが作品さくひん流行りゅうこうなどによって形成けいせいされたとかんがえられる[46]。その、1980年代ねんだいには映画えいがさながらのこうそう事件じけんグリコ・森永もりなが事件じけんなどの凶悪きょうあく犯罪はんざい関西かんさい多発たはつし、新聞しんぶんやワイドショーを連日れんじつにぎわわせるなかで「関西かんさいこわい」のイメージがあおりてられた[54]

これらの印象いんしょうけを木津川きつかわはかるは「マスコミでは、ふだん、大阪おおさかのことは全国ぜんこく記事きじになりにくいのに、暴力団ぼうりょくだんこうそう警官けいかん不祥事ふしょうじなどというとすぐにおおきいあつかいとなる。これでは大阪おおさか印象いんしょうくならない」「イメージのひとりあるきが『文化ぶんかテロル』につながる」と指摘してきしている[55]。また、関西大学かんさいだいがくふく学長がくちょう黒田くろだいさむもスポーツから次第しだい一般いっぱんしたと、役割やくわりとしての関西かんさいべんひろがりを指摘してきする[56]大阪おおさかげる在京ざいきょうマスコミの姿勢しせいがそもそも、「あくまで関東かんとうじんにとってのステレオタイプの大阪おおさか」しかもとめようとしないという指摘してきもある[57]

例文れいぶん

編集へんしゅう
  • 設定せっていしたぶん近畿きんき各地かくち方言ほうげんやくしてまとめた『近畿きんき方言ほうげん総合そうごうてき研究けんきゅう』の「近畿きんき方言ほうげん文例ぶんれいしょう」から、きゅう摂津せっつこく範囲はんい方言ほうげん抜粋ばっすいする[58]。なお、この項目こうもくでの「摂津せっつ」は狭義きょうぎ摂津せっつ方言ほうげんす。
    • あめっているから、かさしていきなさいよ
      • 摂津せっつ:アメ(ガ) フッテ(イ)ル ヨッテ(ニ)/サカイニ、カサ(オ) サシテ イキー/イキ(ナハレ) ヤ/ナ
      • 能勢のせ:アメ フットル サカイ、カサ サシテ イキ/イキナハレ ヨ
      • 三島みしま:アメ(ガ) フッタール/フッテル サカイ(ニ)、カサ サシテ/サヒテ イキ ヤ
      • 神戸こうべ:アメ フリヨル サカイ、カサ サシテ イキヨ
    • おはようございます。さあおがりくださいませ。皆様みなさまっていらっしゃいますから
      • 摂津せっつ:オハヨーサンデス/オハヨーサン。サー アガットク(レ)ナハレ/オアガンナハッテ。ミナサンガ/ドナタハンモ マッテハリマッセ/マッテハリマスヨッテ
      • 能勢のせ:オハヨーオス/オハヨーゴザイマス。サー アガットクナハレ/アガッテクナハレ。ミナハン/ミンナ マッタハリマッセ/マッタハリマッサカイ
      • 三島みしま:オハヨーサンデス/オハヨーゴザイマス。サー アガットクナハレ/アガットクナーレ。ミ(ン)ナ/ミナハン マッテテクレタハリマスネン/マッターリマ
      • 神戸こうべ:オハヨーサンデス。マー アガットクンナハレ。ミナサンガ マットッテデッサカイ
    • あかぼうさせるのだから、しずかにしていなければいけないよ
      • 摂津せっつ:ヤヤコ/アカンボー ネヤセルヨッテ/ネサセンナンサカイ、シズカニ/オトナシー セント/シテオカント アカンデ(ー)
      • 能勢のせ:ヤヤコ/アカチャン ネサスネンサカイ/ネヤスノヤサカイ、シズカニ シテナ/シトラナ アカンデー/イカンデ
      • 三島みしま:ヤーコオ ネヤスサカイ/ネサセルサカイ、シズカニ/オトナシー シテ(ヤ)ナ イカンデ/アカンデ
      • 神戸こうべ:アカンボー ネサセンネヤカラ、シズカニ シトラナ アカンデー
  • 1990ねん記録きろくされた、明治めいじ44ねんまれの大阪おおさか生野いくの女性じょせい船場ふなば南久宝寺みなみきゅうほうじまち出身しゅっしん)と調査ちょうさしゃきしこう信介しんすけ)のやりとり[59]。()は調査ちょうさしゃ発言はつげん。なお、みやすさのため、カタカナ表記ひょうきをひらがな表記ひょうきに、アクセント記号きごう「」を[]にあらため、共通きょうつうやくくわえた。
    (オワタリというのはどういうこと?)
    おわたりわ[ね]ー、
    わたりはねー
    そ[こ]の[うじがみさんの[ね、
    そこの氏神うじがみさんのね、
    あのー [ま、
    あのー ま、
    わたしらー あの [なんばじ]んじゃいー]まして ね あのーいまー[ま]ーまだ[のこってますけ]ど みどー[す]じに なんばじ]んじゃゆーの]が [のこってますけ]ど [その]おまつりの[ひ]ーが、
    わたしらー あの 難波なんば神社じんじゃといいまして ね あのーいままあまだのこっていますけど 御堂筋みどうすじ難波なんば神社じんじゃというのが のこっていますけど そのおまつりのが、
    あのー[に]じゅー は[つか に]じゅー い[ち]とあります]ねん[な、
    あのーじゅう じゅうにち じゅういちとあるんですよね、
    [ひち]がつのそーと その よ[み]やの ひ]ー[に、
    なながつの その 宵宮よいみやに、
    あの[ほんまつりのひ]ーか あの [あれお[ね、
    あのほんまつりのか あの あれをね、
    ちょ[ー]ないから み]な[ね、
    町内ちょうないから みなね、
    おちご[さん]も だし[ます]し そして あの まー おうち[の] おかた[が、
    稚児ちごさんも しますし そして あの まあ おいえの おかたが、
    おやくあのーお[せ]わ[したはる]おか[た]やら [じゅんばんに]ま]た[ではる]おう[ち]もありますちゃんと [い]み[た]だして そら も]んつき[はか]まで[ね、
    やく あのーお世話せわしておられるおかたやら 順番じゅんばんにまたられるおいえもあります ちゃんと 意味いみただして そりゃ 紋付もんつきはかまでね、
    それ ついて[いきはります]ね ほんで [その か]みさん[が、
    それ ついてかれるんです それで その かみさんが、
    あの こ]しに[の]って [そして、
    あの 輿こしって そして、
    あのあのー [なん]ちゅーねん[な]ー あの [む]この えー おた[び]しょゆー]のがありまして そ[こ][え あの [いかれます]ねん [そのぎょーれつお、
    あのあのー なんうのかなー あの こうの えー 御旅所おたびしょというのがありまして そこへ あの かれるんです その行列ぎょうれつを、
    そのーおみやさんから ずーっ[と、
    そのーおみやさんから ずーっと、
    [ぎょーれつし]て[いきはります ほて ちょ[ー]ないに[よ]ったら おちご[さん]だしはる[と]こもあれ]ば [そーゆ]ーなこ]とでまた [い]っしょー[け]んめー [い]っしょー[け]んめー[み]たもんです [ゆ]ーちょーな[も]ん[で]して
    行列ぎょうれつしていかれます そして 町内ちょうないによったら お稚児ちごさんをされるところもあれば そういうようなことでまた 一生懸命いっしょうけんめい 一生懸命いっしょうけんめいたものです 悠長ゆうちょうなものでして
    (そういうのがいま全然ぜんぜんなくなってますね)
    ありませ[ん ありませ[ん もー ぜん[ぜん、
    ありません ありません もう 全然ぜんぜん
    [そーでし]てん まー そ[れ]ぞれの[ね、
    そうだったんです まあ それぞれのね、
    あのーおみやさん[の、
    あのーおみやさんの、
    [その]おわた[り]わあるそ[れ]ぞれでっ[せ、
    そのおわたりはある それぞれですよ、
    ある[と]こもない[と]こもありまし]たやよってに[ね
    あるところもないところもありましたからね
    (やはり船場ふなば
    まーやっ[ぱ]しあた[し]らー [そーゆーこ]とやっぱ [なつか]し[な]と [お]もて いま[で]も[おもてます]けど[ね、
    まあやっぱりわたしらー そういうことやっぱり なつかしいなと おもって いまでもおもっていますけどね、
    [もー おそ]らくわたしが[しまい]でしょ
    もう おそらくわたし最後さいごでしょ

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう
  1. ^ 楳垣へん(1962)、429ぺーじ
  2. ^ a b 橋爪はしづめ監修かんしゅう(2009)、12ぺーじ
  3. ^ 平山ひらやまほかへん(1997)、10ぺーじ
  4. ^ 岡田おかだ・楳垣(1962), 506ぺーじ
  5. ^ 。「芥子からしがわ尾張おわり方言ほうげんというものを寛延かんえい元年がんねん山本やまもと格安かくやすというひといとる。そのなかに「そやさかい」「さかい」という言葉ことばを、名古屋なごやべんなかれてるんですよ。あきらかに大阪おおさかべんですが、それが名古屋なごやべんおもわれるほどよく使つかわれているわけです。それから「じゃによって」とかいう大阪おおさかべんも、うんとはいってる』」「なごやべん 杉戸すぎときよしさんのおしゃべり」編集へんしゅう委員いいんかい. 『なごやべん 杉戸すぎときよしさんのおしゃべり』. 日進にっしんどう書店しょてん. p. 290
  6. ^ だい一次到大阪旅遊時感到驚訝的5けんごと” (中国ちゅうごく). Yahoo!新聞しんぶん > (2024-8/22). 2024ねん9がつ15にち閲覧えつらん
  7. ^ 山本やまもと(1962), 427-429ぺーじ
  8. ^ 高木たかぎ(2018), 74ぺーじ
  9. ^ 原文げんぶんママ。「豊能とよのまち西部せいぶ」の誤記ごき
  10. ^ 高木たかぎ(2018), 77-79ぺーじ
  11. ^ 楳垣・岡田おかだ(1962), 506ぺーじ
  12. ^ 鎌田かまた良二りょうじ兵庫ひょうごけん方言ほうげん文法ぶんぽう研究けんきゅう』、1979ねんさくらかえでしゃ
  13. ^ 都染つそめ(2018), 83ぺーじ
  14. ^ 前田まえだ(1977)、47ぺーじ
  15. ^ 河内かわうち厚郎あつろう阪神はんしん文化ぶんかのパイオニアたち」、阪神はんしんあいだモダニズム実行じっこう委員いいんかいへん阪神はんしんあいだモダニズム 六甲ろっこう山麓さんろく花開はなひらいた文化ぶんか明治めいじ末期まっき昭和しょうわ15ねん軌跡きせきあわ交社、1997ねん所収しょしゅう、164-165ぺーじ
  16. ^ 平山ひらやまほかへん(1997)、19ぺーじ
  17. ^ 谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうわたし大阪おおさかおよ大阪おおさかじん」、昭和しょうわ7ねん2がつ-4がつ、『中央公論ちゅうおうこうろん
  18. ^ 宮本みやもと慎也しんやの2006ねん12月のブログより[よう出典しゅってん]
  19. ^ さつ埜(2006)、p13-23
  20. ^ さつ埜(2006)、p13-23。朝日新聞あさひしんぶん大阪おおさか本社ほんしゃ社会しゃかいへん『ごめんやす「おおさかべん」』(1994ねんリバティ書房りばてぃしょぼう)からの引用いんよう
  21. ^ こうやつむら(1976)、54ぺーじ
  22. ^ 前田まえだ(1977)、45ぺーじ
  23. ^ 前田まえだいさむ(1977)『大阪おおさかべん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ
  24. ^ 楳垣(1955)『船場ふなば言葉ことば近畿きんき方言ほうげん学会がっかい
  25. ^ 新生しんせい」1947ねん昭和しょうわ22ねん)1がつ
  26. ^ こうやつむら(1976)、59-61ぺーじ
  27. ^ こうやつむら(1976)、61ぺーじ
  28. ^ 千葉ちばかつら. “歴史れきし都心としん船場ふなばのことばをまもつたえる活動かつどうをする『伝統でんとうまもる なにわのかい”. JUDI関西かんさい. 2009ねん4がつ9にち閲覧えつらん
  29. ^ こうやつむら(1976)、62ぺーじ
  30. ^ 彭飛(1993)『大阪おおさかことばの特徴とくちょう和泉いずみ書院しょいん p.14
  31. ^ 文学ぶんがく作品さくひんにみられる船場ふなば言葉ことば河内かわちべん谷崎たにざき純一郎じゅんいちろう細雪ささめゆきいま東光とうこう悪名あくめい」より」『大阪教育大学おおさかきょういくだいがく附属ふぞく天王寺てんのうじ中学校ちゅうがっこう 自由じゆう研究けんきゅう』2016ねん 
  32. ^ こうやつむら(1976)、63ぺーじ
  33. ^ こうやつむら(1976)、72ぺーじ
  34. ^ 前川まえかわ佳子けいこ近江おうみ晴子はるこ船場ふなば大阪おおさかかたりつぐ』和泉いずみ書院しょいん、2016ねん、233ぺーじ
  35. ^ 大阪おおさかじん 2007ねん7がつごう』、「大阪おおさかことばをかたりつぐ ―大阪おおさか出会であった恩人おんじんたちのこと 木村きむら元三もとぞうさん―」
  36. ^ こうやつむら(1976)、95ぺーじ
  37. ^ こうやつむら(1976)、73-74ぺーじ
  38. ^ 堀井ほりいれい以知(1995)『大阪おおさかことば辞典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん p.76
  39. ^ 前田まえだ(1977)、31-32ぺーじ
  40. ^ こうやつむら(1976)、64-89⾴
  41. ^ こうやつむら(1976)、74ぺーじ
  42. ^ ⾹村(1976)、90-91⾴
  43. ^ かねすい(2003)、82-83ぺーじ
  44. ^ かねすいさとし (2003), 役割やくわり不思議ふしぎ世界せかい, http://www.let.osaka-u.ac.jp/~kinsui/ronbun/nightessay.html 2008ねん5がつ4にち閲覧えつらん 
  45. ^ 牧村まきむらふみ大阪おおさかことば事典じてん講談社こうだんしゃ、1979ねんISBN 978-4-06-158658-1 
  46. ^ a b 名物めいぶつ編集へんしゅうしゃの「一人ひとりかた劇場げきじょう」と大阪おおさかあい関西かんさいテレビFNNスーパーニュースアンカー」2010ねん12月22にち放送ほうそう
  47. ^ かねすい(2003)、84-85ぺーじ
  48. ^ かねすい(2003)、85-91ぺーじ
  49. ^ はちへん、472ぺーじ
  50. ^ さつ埜(2006)、p24-25では「がめつい」という言葉ことば自体じたい『がめついやつ』に由来ゆらいしているとしており、つまり菊田きくた造語ぞうごであると説明せつめいしている。
  51. ^ かねすい(2003)、92-95ぺーじ
  52. ^ さつ埜(2006)、p33-34。「おわらいの言葉ことば大阪おおさかべん吉本興業よしもとこうぎょうちからとは―」『日本語にほんごがく』2004ねん9がつごうからの引用いんよう
  53. ^ かねすい(2003)、90ぺーじ
  54. ^ かねすい(2003)、95-98ぺーじ
  55. ^ 日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ大阪おおさか挑戦ちょうせん 快適かいてきナンバー1都市としをめざして」ISBN 4-532-14109-5
  56. ^ 新聞しんぶんかつ!】関西大学かんさいだいがくふく学長がくちょう黒田くろだいさむ (1-2ページ)」、「新聞しんぶんかつ!】関西大学かんさいだいがくふく学長がくちょう黒田くろだいさむ (2-2ページ)MSN産経さんけいニュース2009ねん10がつ31にち。リンクれ。
  57. ^ 大阪おおさかいまるとっておきの3さつ 現在げんざい過去かこじゅううつしに毎日まいにちjpブックウオッチング
  58. ^ 楳垣へん(1962), 598-607ぺーじ
  59. ^ 山口やまぐち幸洋ゆきひろきしこう信介しんすけ大阪おおさか方言ほうげん談話だんわ資料しりょう分析ぶんせき:文法ぶんぽうとアクセント」『言語げんご文化ぶんか研究けんきゅうだい10かん、2003ねんISSN 13405632 

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 楳垣へん近畿きんき方言ほうげん総合そうごうてき研究けんきゅう三省堂さんせいどう、1962ねん
    • 山本やまもと俊治しゅんじ大阪おおさか方言ほうげん
    • 岡田おかだそう輔・楳垣兵庫ひょうごけん方言ほうげん
  • 前田まえだいさむ上方かみがた語源ごげん事典じてん東京とうきょうどう出版しゅっぱん、1965ねん
  • こうやつむら菊雄きくお大阪おおさか慕情ぼじょう 船場ふなばものがたり』神戸こうべ新聞しんぶん出版しゅっぱんセンター、1976ねん
  • 前田まえだいさむ大阪おおさかべん朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、1977ねん
  • 平山ひらやま輝男てるおほかへん日本にっぽんのことばシリーズ 27 大阪おおさかのことば』、明治めいじ書院しょいん、1997ねんISBN 978-4625522277
  • かねすいさとし『ヴァーチャル日本語にほんご 役割やくわりなぞ岩波書店いわなみしょてん、2003ねんISBN 978-400006827-7
  • 橋爪はしづめしん監修かんしゅう大阪おおさか教科書きょうかしょ大阪おおさか検定けんてい公式こうしきテキスト』つくもとしゃ、2009ねん
  • さつ埜和おとこ大阪おおさかべん「ほんまもん」講座こうざ新潮社しんちょうしゃ、2006ねんISBN 978-4106101601
  • 福井ふくい栄一えいいち大阪おおさかじんの 「うまいことう」 技術ぎじゅつ』2005ねんPHP研究所ぴーえいちぴーけんきゅうしょISBN 978-4569644936
  • 真田さなだ信治しんじ監修かんしゅう関西かんさいべん事典じてん』、2018ねん、ひつじ書房しょぼう
    • 高木たかぎ千恵ちえ大阪おおさか方言ほうげん概説がいせつ
    • 都染つそめ直也なおや兵庫ひょうごけん方言ほうげん概説がいせつ

関連かんれん項目こうもく

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