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赤城山 - Wikipedia

赤城山あかぎやま

群馬ぐんまけんにあるやま

赤城山あかぎやま(あかぎやま/あかぎさん、後述こうじゅつ)は、関東かんとう地方ちほう北部ほくぶ群馬ぐんまけんのほぼ中央ちゅうおう位置いちするやま太平洋たいへいようプレートオホーツクプレートしずんでできたしまかた火山かざんである。また、赤城山あかぎやまは、カルデラみずうみともなカルデラ関東かんとう地方ちほう有数ゆうすうふくなり火山かざんである。

赤城山あかぎやま
南東なんとう桐生きりゅう茶臼山ちゃうすやま)からのぞ赤城山あかぎやま
標高ひょうこう 1,827.6 m
所在地しょざいち 日本の旗 日本にっぽん
群馬ぐんまけん前橋まえばし桐生きりゅう渋川しぶかわ
沼田ぬまた利根とねぐん昭和しょうわむら
位置いち 北緯ほくい3633ふん39びょう 東経とうけい13911ふん37びょう / 北緯ほくい36.5608 東経とうけい139.1936 / 36.5608; 139.1936座標ざひょう: 北緯ほくい3633ふん39びょう 東経とうけい13911ふん37びょう / 北緯ほくい36.5608 東経とうけい139.1936 / 36.5608; 139.1936
山系さんけい 独立どくりつほう
種類しゅるい ふくなり火山かざん活火山かっかざんランクC)
赤城山の位置(群馬県内)
赤城山
赤城山あかぎやま (群馬ぐんまけん)
赤城山の位置(関東地方内)
赤城山
赤城山あかぎやま (関東かんとう地方ちほう)
赤城山の位置(日本内)
赤城山
赤城山あかぎやま (日本にっぽん)
赤城山あかぎやま位置いち
プロジェクト やま
テンプレートを表示ひょうじ
南西なんせい前橋まえばし群馬ぐんまけん庁舎ちょうしゃ)よりのぞ赤城山あかぎやま前橋まえばし市街しがい
南西なんせい高崎たかさき高崎たかさき白衣はくい大観たいかんおん)よりのぞ赤城山あかぎやま高崎たかさき前橋まえばし市街しがい

概要がいよう

編集へんしゅう

榛名山はるなさん妙義山みょうぎさんならび、うえもう三山さんざんひとつにかぞえられている。また、日本にっぽん百名山ひゃくめいざん日本にっぽんひゃくけいひとつにもえらばれている。中央ちゅうおうのカルデラの周囲しゅういを、えんいただきつ1,200mから1,800mの峰々みねみねかこみ、その外側そとがわ標高ひょうこうにしてやく800mまではひろゆるやかな裾野すその高原こうげん台地だいちをなしている。これは富士山ふじさんつづ日本にっぽん番目ばんめながさである[1][注釈ちゅうしゃく 1][注釈ちゅうしゃく 2]

中央ちゅうおうカルデラうちには、カルデラみずうみ大沼おおぬま(おおぬま、おの)やさとまんふち(かくまんぶち)、火口湖かこうこ小沼おぬま(こぬま、この)がある。

大沼おおぬま東岸とうがん最高峰さいこうほう くろ檜山ひやま(くろびさん)の山麓さんろくたる場所ばしょ赤城あかぎ神社じんじゃがあり、山麓さんろく各地かくちさとみやがあるほか、関東かんとういちえん末社まっしゃやく300しゃ分布ぶんぷしている。中腹ちゅうふくにパノラマ展望てんぼうだいがある。

古名こみょう「クロホ」

編集へんしゅう

奈良なら時代じだい編纂へんさんされた『万葉集まんようしゅう』では、まき14の東歌あずまうたに「加美かみ家野いえのひさ乃禰りょ乃久受葉わが」(かみつけの くろほのねろの くずはがた)とまれている[2][3][4]。「くろほのねろ」(くろほのみね)が赤城山あかぎやま、「くずはがた」は山上さんじょう大沼おおぬますとされる[3]。「クロホ」はくろ雷雲らいうんこる山容さんよう描写びょうしゃした表現ひょうげんかんがえられている[2][3][4][注釈ちゅうしゃく 3][注釈ちゅうしゃく 4]。この古称こしょうは、現代げんだいでは赤城山あかぎやま外輪山がいりんざん最高峰さいこうほうの「くろ檜山ひやま」や、赤城山あかぎやま南東なんとうの「黒保根くろほねむら」(合併がっぺいにより桐生きりゅう黒保根くろほね)の継承けいしょうされている[3]

「アカギ」の初出しょしゅつ

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平安へいあん時代じだいの『ぞく日本にっぽんまき8には、うけたまわ6ねん西暦せいれき839ねん)6がつに「赤城あかぎかみ」にしたがえ神階しんかいさづけられたとあり[5][注釈ちゅうしゃく 5]、これが「赤城あかぎ」の史料しりょうじょう初出しょしゅつである[2]以来いらい、『日本にっぽんさんだい実録じつろく』(901ねん)や『延喜えんぎしきかみめいちょう』(927ねん)にも「赤城あかぎしん」が記載きさいされている[5]鎌倉かまくら時代じだいには、『きむえんじゅ和歌集わかしゅう』(1213ねん収録しゅうろく源実朝みなもとのさねとも和歌わかに「上野うえの勢多せた赤城あかぎ」がまれている[6]。『吾妻あづまきょうけんちょう3ねんじょうには「赤木あかぎたけ」とある[2]

「アカギ」の語源ごげんかんする諸説しょせつ

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「アカギ」の語源ごげん不明ふめいである[2]。さまざまなせつがある。

豊城とよきにゅう彦命関連かんれんせつ
  • 古老ころうつてふるところによると、往古おうこ豊城とよきみことが此のやま登山とざんせられ、東国とうごくなおらすべくくにせられたとき、裾野すそのながちょうつて、国原くにはらとおはだからけてゐる風光ふうこう御覧ごらんせられていわく、「き哉これしろなり」と、「しろおおせられたことがつたでんはりて「アカギ」となまり、「赤城あかぎ」とくやうになつたとつたへてゐる。」[7]
赤色あかいろせつ
  • やまあかえることから「あかき」やま[2]
  • 上野うえのこく赤城山あかぎやま下野げやこく二荒ふたあらさんが、それぞれだいムカデと大蛇おろち化身けしんしてあらそった[注釈ちゅうしゃく 6]最終さいしゅうてきに、二荒ふたあらさん大蛇おろち加勢かせいしたものはなったによって流血りゅうけつし、やま全体ぜんたいあかまった[8][9][10][11]
  • 赤城山あかぎやまぜんやまがほぼ落葉らくよう広葉樹こうようじゅであり、あき紅葉こうようではぜんやまあかくなる[8]
  • ツツジ開花かいかにはぜんやま茜色あかねいろでうずめられるので、赤城山あかぎやまというのは「あかねさん」に由来ゆらいするのであると東歌あずまうたより引用いんようしてぼう教授きょうじゅはなされた」[12]
  • 一説いっせつには日本にっぽんたけたかし東征とうせいのとき、このやまよりどころつて反抗はんこうしたえびすぞく火攻ひぜめにしたところ、ぜんやまにつゝまれあたかもあかしろのようにえたことから赤城あかぎんだようにもつたえている。」[13]
その
  • 「アカ」は仏教ぶっきょうの「閼伽」(ひじりきよしみず功徳くどくすい)をし、「キ」は「うつわ」のことで、「アカキ」は「高貴こうきみずところ」を意味いみする[8]
  • 「アカ」は「かみ」、「ギ」はもり神社じんじゃ[8]

「やま」か「さん」か

編集へんしゅう

赤城山あかぎやま」のみは「あかぎやま」・「あかぎさん」の2とおりがあり、いくつかの事典じてん辞書じしょでは2とおりのみを併記へいきしている[14]

国土こくど地理ちりいんでは、地図ちず表記ひょうきじょうやま」は「さん」とむと規定きていしており、「あかぎさん」と表記ひょうきしていた[15]群馬ぐんま県庁けんちょうのある前橋まえばし周辺しゅうへんでは「あかぎやま」とばれてしたしまれていたため、県庁けんちょうがわ国土こくど地理ちりいん異議いぎもうて「あかぎやま」への改称かいしょうもとめた。国土こくど地理ちりいんはこれをれ、表記ひょうきを「あかぎやま」にあらためた[15]

赤城山あかぎやま周辺しゅうへんにいくつかある「赤城山あかぎやま」という地名ちめいは、江戸えど時代じだい入会地いりあいち宮内庁くないちょう管轄かんかつ御料地ごりょうち1950年代ねんだいころ大字だいじとなったときはじめてけられたもので、すべて「あかぎさん」と[注釈ちゅうしゃく 7]地名ちめいかたは「やま」と「さん」が混在こんざいしているともされる[15]

やま

1947ねん昭和しょうわ22ねん)に誕生たんじょうした群馬ぐんまけん郷土きょうどかるたである「うえかるた」のふだに『裾野すそのなが赤城山あかぎやま(あかぎやま)』とあるように、群馬ぐんま県民けんみんあいだでは「あかぎやま」とばれ、したしまれている[16]地元じもと道路どうろ案内あんない標識ひょうしきでの表記ひょうきは「赤城山あかぎやま Mt.Akagi」のほかは、「赤城山あかぎやま Akagiyama」または「赤城山あかぎやま Mt.Akagiyama」である。また、昭和しょうわ時代じだい郷土きょうど力士りきしであるあか城山しろやまあきら藤岡ふじおか出身しゅっしん)の四股しこめいかたも「あかぎやま」である。

「やま」とするおも文献ぶんけん
さん

国土こくど地理ちりいんウェブサイトうち日本にっぽんおも山岳さんがく標高ひょうこう」のやま紹介しょうかいでは「あかぎさん」をだいいちとし、「あかぎやま」は備考びこうとしてあつかわれている[21]。また、気象庁きしょうちょうウェブサイトないにある赤城山あかぎやまのページにおいても、仮名がなは「あかぎさん」である[22]

ふる時代じだい文献ぶんけんとしては赤城あかぎ神社じんじゃ社務しゃむしょ1911ねん明治めいじ44ねん)に発行はっこうした旅行りょこうガイドブック赤城山あかぎやま名勝めいしょう案内あんない』がある。そのだい2ばんとして1912ねん明治めいじ45ねん)に発行はっこうした『赤城山あかぎやま案内あんない』では、「あかぎさん」と仮名がなっていた。

日本酒にほんしゅ銘柄めいがらである「赤城山あかぎやま」の蔵元くらもとである近藤こんどう酒造しゅぞうのウェブサイトを参照さんしょうすると、ウェブサイトおよびメールアドレスドメインめいは「akagisan」となっている[23]講談社こうだんしゃ発行はっこうの『日本酒にほんしゅ本格ほんかく焼酎しょうちゅう泡盛あわもり銘柄めいがらコレクション』では「あかぎさん」と仮名がなられている[24]

「さん」とするおも文献ぶんけん
  • 世界せかい山岳さんがく百科ひゃっか事典じてん』(やま渓谷社けいこくしゃ、1971ねん[25]
  • 郷土きょうど資料しりょう事典じてん』(人文じんぶんしゃ、1991ねん[10]

赤城山あかぎやまひとつのおおきな火山かざんたい名称めいしょうであり、同名どうめいみね存在そんざいしていない。

  • くろ檜山ひやま (1828m)[1] - 赤城山あかぎやま最高峰さいこうほう - くろびさん
  • 駒ヶ岳こまがだけ (1685m)[2] - 赤城山あかぎやまだい高峰こうほう - 外輪山がいりんざん - こまがたけ
  • 地蔵岳じぞうだけ (1674m)[3] - 赤城山あかぎやまだいさん高峰こうほう - 溶岩ようがんドーム、山頂さんちょう複数ふくすう通信つうしん施設しせつ - じぞうだけ
  • 長七郎山ちょうしちろうさん (1579m)[4] - 赤城山あかぎやまだいよん高峰こうほう - 小沼おぬま火山かざん火口かこうえん - ちょうしちろうさん
  • しょう地蔵岳じぞうだけ (1574m)[5] - 赤城山あかぎやまだい高峰こうほう - 小沼おぬま火山かざん一部いちぶで、爆裂ばくれつ火口かこう小沼おぬまかこ火口かこうかべ一部いちぶ - こじぞうだけ
  • 荒山あらやま (1572m)[6] - 赤城山あかぎやまだいろく高峰こうほう - 溶岩ようがんドーム - あらやま
  • 鈴ヶ岳すずがたけ (1565m)[7] - 赤城山あかぎやまだいなな高峰こうほう- 溶岩ようがんドーム - すずかだけ
  • 小沼おぬま (1480m) - タフリング、こうカルデラ火山かざん - こぬま
  • いけ (1450m) - みずあかまるいけ - ちのいけ
  • 大沼おおぬま (1360m) - カルデラゆか形成けいせいされたみずうみ - おおぬま
  • 鍋割山なべわりさん (1332m) - 溶岩ようがんドーム - なべわりやま
   
赤城あかぎ火山かざん火山かざんたい地形ちけい
山頂さんちょう地形ちけい

火山かざん活動かつどう

編集へんしゅう
 
おく長七郎山ちょうしちろうさん地蔵岳じぞうだけ
手前てまえ大沼おおぬま赤城あかぎ神社じんじゃ

形成けいせい

編集へんしゅう

赤城山あかぎやま形成けいせいはいくつかの時期じきけられる。期成きせいそう火山かざん形成けいせいしん期成きせいそう火山かざん形成けいせい中央ちゅうおう火口丘かこうきゅう形成けいせいである。

期成きせいそう火山かざん形成けいせい

編集へんしゅう

やく50まんねんまえ足尾あしお山地さんち利根川とねがわあいだ低湿ていしつ柏崎かしわざき千葉ちば構造こうぞうせん群馬ぐんまけん東部とうぶ部分ぶぶん利根川とねがわ構造こうぞうせん)の火山かざん活動かつどう開始かいしされる。安山岩あんざんがんしつ(Sio2 54 - 60%)の溶岩ようがんスコリアから成層せいそう火山かざん形成けいせいした。最大さいだい標高ひょうこうは2,500m程度ていど推定すいていされる。

やく20まんねんまえごろから二酸化にさんかケイ素けいそりょうえて溶岩ようがんデイサイトしつになり、それにともな爆発ばくはつてき噴火ふんか多発たはつし、火砕流かさいりゅうやまたい崩壊ほうかいによるいわくずなだれが山麓さんろく流下りゅうかして現在げんざいひろ山麓さんろく形成けいせいした。標高ひょうこうが1,500mほどになったとみられる。

南西なんせいがわへは赤城あかぎ橘山たちばなやまがんくずなだれがあり、赤城あかぎ西側にしがわにある孤立こりつおかぐん橘山たちばなやま城山しろやまじゅうやまなど)、うえ大橋おおはし東側ひがしがわにあるカールじょう地形ちけい形成けいせいした。一説いっせつには、前橋まえばし昭和しょうわまちにある岩神やがみ稲荷いなり神社じんじゃ飛石とびいし敷島しきしま公園こうえんつやいわはこのいわくずなだれによるものだという。

南東なんとうふもとがわでは梨木なしきどろりゅう発生はっせいしている。やまたい崩落ほうらくともなだい規模きぼいわくずなだれであり、大胡おおご大間々おおまま方面ほうめんながれ、伊勢崎いせざき北部ほくぶ権現山こんげんやま華蔵寺けぞうじ周辺しゅうへん)まで到達とうたつした。

その、いったん火山かざん活動かつどう休止きゅうしした。

しん期成きせいそう火山かざん形成けいせい

編集へんしゅう

やく15まんねんまえ(または13まんねんまえ)ごろ、だい規模きぼ爆発ばくはつともなって活動かつどう活発かっぱつし、山頂さんちょう崩落ほうらくおおうように溶岩ようがんドーム形成けいせいされた。くろ檜山ひやま駒ヶ岳こまがたけなどの部分ぶぶんである。ふね丘山おかやまはこのときの流出りゅうしゅつ溶岩ようがんかたまったものという。

また小黒おぐろ檜山ひやま荒山あらやま鍋割山なべわりさん鈴ヶ岳すずがたけ、コフタさんといった溶岩ようがんドームのがわ火山かざん形成けいせいされた。11〜12まんねんほどまえ鈴ヶ岳すずがたけなどの噴火ふんかでは西北西せいほくせい火砕流かさいりゅうながれた(棚下たなした火砕流かさいりゅう)。この火砕流かさいりゅう子持山こもちやまめられるかたち堆積たいせき利根川とねがわさえぎって沼田ぬまた形成けいせいしている。なお鈴ヶ岳すずがたけ北西ほくせいから一帯いったいたに地域ちいき深山ふかやまカルデラとしてこの時期じき陥没かんぼつしたとするせつもある。このせつでは鈴ヶ岳すずがたけ地蔵岳じぞうだけ小沼おぬま火山かざんどう時期じき形成けいせいされた深山ふかやまカルデラの中央ちゅうおう火口丘かこうきゅうとみなしている。荒山あらやま鍋割山なべわりさん噴火ふんかやく7まん5せんねんまえで、みなみふもと大胡おおご火砕流かさいりゅうながれている。

中央ちゅうおう火口丘かこうきゅう形成けいせい

編集へんしゅう

やく4,5まんねんまえにはくち降下こうか軽石かるいし噴出ふんしゅつし、山頂さんちょうおおきく陥没かんぼつ現在げんざい山頂さんちょうカルデラ形成けいせいした。外輪山がいりんざんとしてのこっているのはくろ檜山ひやまをはじめ、駒ヶ岳こまがだけ陣笠じんがささん薬師やくしたけし出張しゅっちょうさんくわ柄山からやま鳥居とりいとうげである。また、正確せいかく時期じき不明ふめいだが、カルデラ内部ないぶにはカルデラみずうみ形成けいせいされた。

3まんねんまえには鹿沼かぬま降下こうか軽石かるいし噴出ふんしゅつした。その地蔵岳じぞうだけ溶岩ようがんドーム小沼おぬまタフリング見晴山みはらしやま中央ちゅうおう火口丘かこうきゅうとして形成けいせいされた。これを最後さいごだい規模きぼプリニーしき噴火ふんか途絶とだえている。

中央ちゅうおう火口丘かこうきゅう出現しゅつげんによりカルデラみずうみ分割ぶんかつされ、中央ちゅうおう火口丘かこうきゅう北東ほくとうおおきくひろがる大沼おおぬま西側にしがわ新坂しんざかたいら南側みなみがわのオトギのもりの3つになったが、大沼おおぬま新坂しんざかたいらはこれを源流げんりゅうとして北西ほくせいながれていた沼尾川ぬまおがわ侵食しんしょくによって縮小しゅくしょう新坂しんざかたいら消失きえうせ大沼おおぬま現存げんそんする大沼おおぬまさとしまんふち湿原しつげん地帯ちたい)にかれた。オトギのもりみずうみ粕川かすかわ[注釈ちゅうしゃく 8]侵食しんしょく消失しょうしつした。

小沼おぬまタフリングには火口かこうみずまり小沼おぬま形成けいせいした。当初とうしょ現在げんざいよりもおおきかったが粕川かすかわ[注釈ちゅうしゃく 8]排水はいすい現在げんざいひろさまで縮小しゅくしょうしている。

最新さいしん噴火ふんか

編集へんしゅう

吾妻あづまきょう」のなかに「けんちょうさんねんよんがつじゅうきゅうにち1251ねん5月11にち赤木あかぎたけししょう」とある(赤木あかぎたけし当時とうじ)。この記述きじゅつ根拠こんきょ気象庁きしょうちょう活火山かっかざん指定していしているが、噴火ふんか相当そうとうする堆積たいせきぶつつかっていない。

カルデラないにある最新さいしん火山かざん活動かつどう地形ちけい同時どうじ噴火ふんか形成けいせいされた小沼おぬまタフリングいけ火口かこう)は、やく2まん4000ねんまえ形成けいせいされたと推定すいていされており、それを榛名山はるなさんが6世紀せいきおこした噴火ふんからせた、榛名はるな伊香保いかほ降下こうか軽石かるいし表面ひょうめんおおっていることから、吾妻あづまきょう記述きじゅつやま火事かじ意味いみする可能かのうせいたかいとされる[26][27]みなみふもとてら火事かじのことではないかというせつ[28]もあり、もしやま火事かじであるとすると、吾妻あづまきょうは「おおむ過去かこ1まんねん以内いない噴火ふんかした火山かざん」と定義ていぎされている活火山かっかざん該当がいとうする根拠こんきょとなる資料しりょうではないことになる。

一方いっぽうで、けんちょう3ねん噴火ふんかについて吾妻あづまきょう以外いがいにも言及げんきゅうする史料しりょう発見はっけんされている。三夜沢みよさわ赤城あかぎ神社じんじゃ神官しんかん伝来でんらいした古文書こもんじょ赤城あかぎ神社じんじゃ伝来でんらい」のなかに、「けんちょうさんねんごろとう於呂おろだけはるよりはじめ、よんがつじゅうきゅう日焼ひやけいしすなをふらすことおびただしけれとも当所とうしょ無難ぶなんなり、こんあか石平いしだいらただしなり」(於呂おろだけ荒山あらやまあか石平いしだいら現在げんざいしょう麦沢むぎさわ)とある。峰岸みねぎし純夫すみおは、赤城あかぎ大穴おおあな大穴おおあながわみなもとあたまさわ、3〜4まんまえ水蒸気すいじょうき爆発ばくはつ火口かこうあとと推)で小規模しょうきぼ水蒸気すいじょうき爆発ばくはつがこのけんちょう3ねんにあった可能かのうせいしめしている。

気候きこう気象きしょう

編集へんしゅう

冬期とうき関東平野かんとうへいや特有とくゆう北風きたかぜからかぜ」を、群馬ぐんまけん平地ひらちでは赤城あかぎおろし(あかぎおろし)とぶ。この語源ごげん赤城山あかぎやま方角ほうがくからくため。うえかるたふだには『かみなり(らい)とそらふう(からっかぜ) 義理ぎり人情にんじょう』とあり、群馬ぐんまけんかたじょうからかぜ存在そんざいはずせない。

伝説でんせつ伝承でんしょう

編集へんしゅう
 
日光にっこう男体山なんたいさん

日光にっこう男体山なんたいさん北西ほくせいふもと戦場ヶ原せんじょうがはらには、男体山なんたいさんかみ赤城山あかぎやまかみがそれぞれ大蛇おろちだいムカデになってたたかい、男体山なんたいさんかみ勝利しょうりをおさめた、という伝説でんせつがある。赤城山あかぎやまきたにある老神おいかみ温泉おんせん地名ちめいは、このときびたかみわれてやってきたことに由来ゆらいするといわれ、「アカギ」という山名やまなかみながしたあかまったことから「あかき」がてんじたというせつもある。戦場ヶ原せんじょうがはらけた赤城山あかぎやまかみ老神おいかみ温泉おんせんきずいやしたのち男体山なんたいさんかみかえしたという。

また、ひらき伝説でんせつでは、赤城山あかぎやまかみ大蛇おろち男体山なんたいさんかみだいムカデとなっており、大蛇おろち勝利しょうりしたというせつになっている。

江戸川えどがわ沿いにある千葉ちばけん流山ながれやまには、赤城あかぎ神社じんじゃまつられた小山こやまがあり、だい洪水こうずいさい赤城山あかぎやまやまたい一部いちぶながれてきたものだ、という伝説でんせつがある。「流山ながれやま」という地名ちめいはこれに由来ゆらいするという。

万葉集まんようしゅうにおいては「美都みと家野いえの ひさ乃祢りょひさ受葉わが 可奈かな師家しかりょうよるさとひさははかみつけの くろほのねろの くずはがた かなしけこらに いやざかりくも)」(じゅうよん東歌あずまうた3412)とまれている。

 
国定くにさだ忠治ただはる

赤城山あかぎやまといえば、うえしゅう侠客きょうかく国定くにさだ忠治ただはる有名ゆうめいであり、明治めいじ大正たいしょう昭和しょうわ初期しょき講談こうだん新国劇しんこくげき題材だいざいとして大人気だいにんきだった。国定くにさだ忠治ただはる一節いっせつ赤城あかぎやま今宵こよいかぎまれ故郷こきょう国定くにさだむらや、縄張なわばりをこくて、可愛かわいいぬいぶん(こぶん)の手前てまえ(てめえ) たちとも、わかわかれになる首途しゅと(かどで)だ。」の台詞せりふで、このやま名前なまえ全国ぜんこくひろがった。忠治ただはるちなんでか赤城山あかぎやま岩穴いわあな賭場とば開帳かいちょうされた時代じだいがあったが、明治めいじ時代じだいまりの強化きょうか一掃いっそうされている[29]

赤城山あかぎやまさんひめ物語ものがたり

編集へんしゅう

そのむかしだい17だい天皇てんのう履中天皇りちゅうてんのう時代じだい高野辺たかのべ大将たいしょうなりという公家くげがいた。あるとき無実むじつつみで、上野うえのこく勢多せたぐんふか栖(げん前橋まえばし粕川かすかわまち深津ふかづともいわれる)という山里やまざとながされ、そこで、若君わかぎみいちにん姫君ひめぎみさんにんめぐまれた。

成人せいじんした息子むすこは、のぼ仕官しかんしたが、さんにんひめたちはふか栖で両親りょうしんともらしていた。

ふちめいひめ赤城あかぎひめ伊香保いかほひめがそれぞれじゅういちさいきゅうさいななさいはるに、母親ははおやが38さいくなってしまい、ちちなりは、そのとしあき世間せけん習慣しゅうかんしたがって後妻ごさいむかえる。

そのつみゆるされたいえなりは、上野うえの国司くにじ任命にんめいされ任地にんちかうが、さんにんむすめたちは、それぞれの乳母うばもと成長せいちょうする。継母けいぼは、うつくしく成長せいちょうしたさんにんむすめうとましくおもうようになり、おとうと更科さらしな次郎じろうけんひかりをそそのかして殺害さつがい計画けいかくする。

兼光かねみつは、まずあねひめであるふちめいひめを、利根川とねがわばいふちしずめてころしてしまう。次女じじょ赤城あかぎひめわれ、赤城山あかぎやまんだところ、赤城あかぎぬま龍神りゅうじんあらわひめたすけてくれた。ひめはその龍神りゅうじんいで赤城あかぎ大明神だいみょうじんとなる。 すえ伊香保いかほひめは、伊香保いかほ太夫たゆう居城きょじょうまもられなんとかきながらえることができた。

事件じけんったいえなりは、あわててもどるが、ときすでにおそく、ふちめいひめくなったふちかみとなったふちめいひめ再会さいかいし、かなしみのあまりこのふち入水じゅすいしてしまう。

出世しゅっせしていた息子むすこは、このらせを軍勢ぐんぜいひきいてもどり、けんひかりころし、継母けいぼらをらえるが、かりのも一時いちじははであったという理由りゆうで、ころさずに、継母けいぼ出身しゅっしん信濃しなの追放ついほうした。信濃しなのもどった継母けいぼは、おいたよるが、おいてられんでしまう。この、おい叔母おばてたやまが、姥捨山うばすてやまわれている。

事件じけん収拾しゅうしゅうさせた息子むすこは、ふちめいひめんだふちふちめい明神みょうじんしゃてる。その大沼おおぬま赤城あかぎ大沼おおぬま)のほとりで、かみとなっていちかもはねったいもうとふちめいひめ赤城あかぎひめ再会さいかいする。このかも大沼おおぬままり、しまとなったのが、現在げんざい赤城あかぎ神社じんじゃのあるしょう鳥ヶ島とりがしまである。その大沼おおぬま小沼おぬまほとりに、神社じんじゃて(赤城あかぎ神社じんじゃ小沼おぬまみや)、かみ々をおまつりしたとつたわる。

事件じけんけいもどり、伊香保いかほ大夫たいふ国司こくし後見こうけん代理だいりしょく)をつとめた。現在げんざい赤城山あかぎやま大沼おおぬましょう鳥ヶ島とりがしま赤城あかぎ神社じんじゃは「女性じょせいねがいがかなう」とされ、たくさんの女性じょせい参拝さんぱいしゃおとずれている[30]

観光かんこう

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さとまんふち

観光かんこう自然しぜん

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観光かんこう施設しせつ

編集へんしゅう
  • 赤城あかぎ公園こうえんビジターセンター
  • 赤城山あかぎやま総合そうごう観光かんこう案内あんないしょ新坂しんざかたいら売店ばいてんまえ群馬ぐんまけんエネルギー資料しりょうかん
  • 赤城あかぎ神社じんじゃ - 山頂さんちょう山麓さんろくにある神社じんじゃ
  • 赤城山あかぎやまスキーじょう
  • 白樺しらかんば牧場ぼくじょう
  • サントリービア・バーベキューホール(赤城あかぎ登山とざん鉄道てつどう赤城山あかぎやまいただきえきあと

登山とざんどう

編集へんしゅう

複数ふくすう山頂さんちょうのぼるため登山とざんコースがいくつかある。

  • くろ檜山ひやま駒ヶ岳こまがだけへのコース
    • 大沼おおぬま湖畔こはんから2つの登山とざんこうがあり、尾根おねとお駒ヶ岳こまがだけ山頂さんちょうおよびくろ檜山ひやまける。ただし、くろひのき山頂さんちょう手前てまえ大沼おおぬまからのぼみち駒ヶ岳こまがだけへの分岐ぶんきがある。大沼おおぬまくろひのきがわ登山とざんこうくろひのきあいだは1あいだはんほど、くろひのきから駒ヶ岳こまがだけまでと駒ヶ岳こまがだけから大沼おおぬま駒ヶ岳こまがだけがわ登山とざんこうまではそれぞれ1あいだじゃくである。
  • 鈴ヶ岳すずがたけへのコース
    • 大沼おおぬま西にしにある白樺しらかんば牧場ぼくじょう駐車ちゅうしゃじょう登山とざんこうがあり、くわ柄山からやまておよそ1あいだ鈴ヶ岳すずがたけ山頂さんちょういたる。山頂さんちょうまりでおなどうもどることになる。
  • 鍋割山なべわりさん荒山あらやまコース
  • 長七郎山ちょうしちろうさんしょう地蔵じぞうコース

など

交通こうつう

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連絡れんらく道路どうろ

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カルデラないへの連絡れんらく道路どうろ

鉄道てつどう

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  • 赤城あかぎ登山とざん鉄道てつどう1967ねん廃止はいし) - 東武とうぶ路線ろせんバスの最終さいしゅう停車駅ていしゃえき利平りへい茶屋ちゃやえきから大沼おおぬま湖畔こはんにある赤城山あかぎやまいただきえきまでを運行うんこうしていたケーブルカー路線ろせんあと登山とざんどうになっている。
  • 赤城山あかぎやまロープウェイ1998ねん休止きゅうしのち廃止はいし) - 赤城あかぎ登山とざん鉄道てつどう開業かいぎょうしたロープウェイ赤城あかぎ大洞おおほら昇降しょうこうじょうからあか城平じょうひらえきをリフトで、地蔵岳じぞうだけ展望てんぼうだいまでをロープウェイでむすんでいた。

赤城山あかぎやまにちなむ名前なまえ

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高崎線たかさきせんはし特急とっきゅうスワローあかぎ
 
空母くうぼ赤城あかぎ
艦船かんせん名前なまえ
鉄道てつどう駅名えきめいおよ車両しゃりょうめい
企業きぎょうめい
スポーツ
その

赤城山あかぎやまかんする作品さくひん

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歌謡かようきょく

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東海林しょうじ太郎たろう赤城あかぎ子守こもりうた
東海林しょうじ太郎たろう名月めいげつ赤城山あかぎやま
東海林しょうじ太郎たろう『さらば赤城あかぎよ』
島津しまつ亜矢あや赤城山あかぎやま
大江おおえひろし赤城あかぎこいしや』
ジュエルペット きら☆デコッ!
メインキャラであるキラデコ5メンバーのリーダー赤城あかぎれつおとうとみどり過去かこ因縁いんねんにまつわる事件じけん舞台ぶたいとなっている。また、このこと原因げんいんみどりれつきらいになった。

ドライブコースとして赤城山あかぎやま登場とうじょうする作品さくひん

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関連かんれん画像がぞう

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 赤城山あかぎやまくろ檜山ひやまなど、いくつかのやま総称そうしょうであり、裾野すそのながさはその総称そうしょうとしてのである。
  2. ^ うえかるたのには、赤城山あかぎやま裾野すそのながさが2ばんめにながいということがかれている。
  3. ^ うえかるたに「かみなりそらふう」などとまれるように、かみなり群馬ぐんまけん特徴とくちょうひとつとみなされている。実際じっさい渡良瀬川わたらせがわ方面ほうめん雷雨らいう赤城山あかぎやまからしょうじることがおお[2]
  4. ^ 「嵓秀(くろほ)」のをあてるとも[4]「嵓」は「いわお」(いわお)の字体じたい
  5. ^ このとき同時どうじに「伊賀いがたもつかみ」=榛名はるな神社じんじゃにもしたがえあたえられている。(『ぞく日本にっぽんまきはちうけたまわろくねんはちさんきゅうろくがつみずのえさるじょう
  6. ^ 地方ちほうによっては「だいムカデ」と「大蛇おろち」がわり、赤城山あかぎやま大蛇おろち二荒ふたあらさんだいムカデとも。
  7. ^ 現存げんそんするのは、前橋まえばしの「富士見ふじみまち赤城山あかぎやま」(1960ねん昭和しょうわ35ねん設置せっち)、桐生きりゅうの「新里あらざとまち赤城山あかぎやま」(1950ねん昭和しょうわ25ねん〉より)、渋川しぶかわの「北橘きたたちばなまち赤城山あかぎやま」(1954ねん昭和しょうわ29ねん〉より)がある。またかつては敷島しきしまむら横野よこのむらに「赤城山あかぎやま」(1942ねん昭和しょうわ17ねん〉 - 1956ねん昭和しょうわ31ねん〉)があったが、りょうむら合併がっぺい赤城あかぎむらとなったさい同名どうめい回避かいひのため「北赤城山きたあかぎさん」「南赤城山みなみあかぎさん」と改名かいめいし、現在げんざいは「渋川しぶかわ赤城あかぎまち北赤城山きたあかぎさん」・「同市どうし赤城あかぎまち南赤城山みなみあかぎさん」となっている。
  8. ^ a b オトギのもり消失しょうしつさせたのはガラン沢がらんさわという西側にしがわながれ。小沼おぬま縮小しゅくしょうさせたのは現在げんざい小沼おぬまつながる東側ひがしがわながれである。
  9. ^ 群馬ぐんま県内けんない小学校しょうがっこうでは、運動会うんどうかいくみけを、うえもう三山さんざん名前なまえもちいて「赤城あかぎだん」、「榛名はるなだん」、「妙義みょうぎだん」の3くみとし、対抗たいこうさせることがおおい。かつては「浅間あさまだん」(浅間山あさまやま由来ゆらい)または「白根しらねだん」(白根山しらねさん由来ゆらい)をふくめる場合ばあいもあったが、少子化しょうしか影響えいきょうで4くみ対抗たいこう困難こんなんになっている。

出典しゅってん

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  1. ^ 富士山ふじさんいで日本にっぽんでは2番目ばんめ裾野すそのながやまは?じゃらん2021ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i 平凡社へいぼんしゃ日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい』「10 群馬ぐんまけん地名ちめい」、1987ねん、pp.476-477「赤城山あかぎやま
  3. ^ a b c d 『なるほど赤城あかぎまなぶ-赤城山あかぎやま自然しぜん歴史れきし文化ぶんか』、pp.19-20「だい3しょう 赤城山あかぎやま名前なまえ」「くろほのみね
  4. ^ a b c d ナカニシヤ出版しゅっぱん改訂かいてい しん日本にっぽん山岳さんがく』、日本にっぽん山岳さんがくかいへん、2016ねん。pp.632-633「赤城山あかぎやま
  5. ^ a b 『なるほど赤城あかぎまなぶ-赤城山あかぎやま自然しぜん歴史れきし文化ぶんか』、pp.13-14「赤城あかぎ神社じんじゃ社歴しゃれき
  6. ^ 『なるほど赤城あかぎまなぶ-赤城山あかぎやま自然しぜん歴史れきし文化ぶんか』、p.21「だい3しょう 赤城山あかぎやま名前なまえ」「赤城あかぎ名前なまえ登場とうじょう
  7. ^ 岩沢いわさわただしさく赤城山あかぎやま大観たいかんもう研究けんきゅうかい、1932ねん10がつ30にち、81ぺーじ 
  8. ^ a b c d 『なるほど赤城あかぎまなぶ-赤城山あかぎやま自然しぜん歴史れきし文化ぶんか』、pp.21-23「だい3しょう 赤城山あかぎやま名前なまえ」「赤城あかぎ名前なまえ由来ゆらい
  9. ^ a b 三省堂さんせいどう日本にっぽん山名やまな事典じてん』、へん石井いしい光造こうぞう徳久とくひさだまゆう武内たけうちただし、2004ねん。p.8「あかぎやま」
  10. ^ a b 人文じんぶんしゃけんべつシリーズ8郷土きょうど資料しりょう事典じてん 群馬ぐんまけん観光かんこうたび」、1991ねん、pp.31-32「赤城山あかぎやま
  11. ^ 五十嵐いがらしまことゆう柳井やない久雄ひさお、『赤城山あかぎやま文学ぶんがく』、上毛新聞社じょうもうしんぶんしゃ、1997ねん、pp.70-75「赤城あかぎかみ日光にっこうかみのたたかい」
  12. ^ 富士見ふじみむら編纂へんさん委員いいんかい富士見ふじみむら富士見ふじみ村役場むらやくば昭和しょうわ29-11-23、36ぺーじ 
  13. ^ 勢多せたぐん編纂へんさん委員いいんかい勢多せたぐん勢多せたぐん編纂へんさん委員いいんかい、1958ねん3がつ30にち、49ぺーじ 
  14. ^ コトバンク 赤城山あかぎやま”. 2016ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  15. ^ a b c 栗原くりはらひさ『なるほど赤城あかぎまなぶ-赤城山あかぎやま自然しぜん歴史れきし文化ぶんか上毛新聞社じょうもうしんぶんしゃ、2007ねん、p.6「あかぎやま・あかぎさん?」
  16. ^ 県立けんりつ赤城あかぎ公園こうえん 群馬ぐんまけん環境かんきょう森林しんりん自然しぜん環境かんきょうサイト
  17. ^ 角川書店かどかわしょてん角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 10 群馬ぐんまけん』、p.67「赤城山あかぎやま
  18. ^ 上毛新聞社じょうもうしんぶんしゃ群馬ぐんましん百科ひゃっか事典じてん』、p.10「赤城山あかぎやま
  19. ^ やま渓谷社けいこくしゃぶんけん登山とざんガイド10群馬ぐんまけんやま』、編著へんちょ太田おおたハイキングクラブ、2016ねん、p.70「くろ檜山ひやま
  20. ^ 上毛新聞社じょうもうしんぶんしゃ、『まるごとガイド ぐんま百名山ひゃくめいざん』、2007ねん初版しょはん1さつ)、2016ねん初版しょはん4さつ)、p.8
  21. ^ 国土こくど地理ちりいん公式こうしきサイト、日本にっぽんおも山岳さんがく標高ひょうこう群馬ぐんまけんやま、2023ねん5がつ5にち閲覧えつらん
  22. ^ 赤城山あかぎやま”. 気象庁きしょうちょう. 2016ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  23. ^ 近藤こんどう酒造しゅぞう株式会社かぶしきがいしゃ”. 近藤こんどう酒造しゅぞう. 2016ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  24. ^ コトバンク 赤城山あかぎやま日本酒にほんしゅ本格ほんかく焼酎しょうちゅう泡盛あわもり銘柄めいがらコレクション)”. 2016ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  25. ^ やま渓谷社けいこくしゃ世界せかい山岳さんがく百科ひゃっか事典じてん』1971ねん、pp.7-8「赤城山あかぎやま
  26. ^ 早川はやかわ由紀夫ゆきお赤城山あかぎやま活火山かっかざんか?」(1999ねん地球ちきゅう惑星わくせい関連かんれん学会がっかい合同ごうどう大会たいかい As-012)当該とうがい大会たいかい予稿よこうしゅうPDF)
  27. ^ 中央ちゅうおう防災ぼうさい会議かいぎ-災害さいがい教訓きょうくん継承けいしょうかんする専門せんもん調査ちょうさかい災害さいがい教訓きょうくん継承けいしょうかんする専門せんもん調査ちょうさかい報告ほうこくしょだい3)』「1947 カスリーンだい:4しょう 山間さんかん土砂どしゃ災害さいがいとく渡良瀬川わたらせがわ流域りゅういきについて」2010ねん(PDF)
  28. ^ 宮城みやぎむら』(主著しゅちょ尾崎おざきひだりゆう、1973ねん
  29. ^ 赤城山あかぎやま名勝めいしょう案内あんない』5 - 6ページ。
  30. ^ 前橋まえばし伝説でんせつ赤城山あかぎやまさんひめ物語ものがたり”. 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん 前橋まえばし観光かんこうコンベンション協会きょうかい. 2024ねん5がつ31にち閲覧えつらん
  31. ^ 創業そうぎょう明治めいじ26ねん 元祖がんそカリカリうめ開発かいはつメーカー | 赤城あかぎフーズ株式会社かぶしきがいしゃ”. 創業そうぎょう明治めいじ26ねん 元祖がんそカリカリうめ開発かいはつメーカー | 赤城あかぎフーズ株式会社かぶしきがいしゃ. 2020ねん5がつ31にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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