(Translated by https://www.hiragana.jp/)
高根第一ダム - Wikipedia

高根たかねだいいちダム

岐阜ぎふけんのダム

高根たかねだいいちダム(たかねだいいちダム)は、岐阜ぎふけん高山市たかやまし一級いっきゅう河川かせん木曽川きそがわ水系すいけい飛騨川ひだがわさい上流じょうりゅう建設けんせつされたダムである。

高根たかねだいいちダム
高根第一ダム
所在地しょざいち 岐阜ぎふけん高山市たかやまし高根たかねまちじょうほら
位置いち
高根第一ダムの位置(日本内)
高根第一ダム
北緯ほくい3601ふん55びょう 東経とうけい13729ふん35びょう / 北緯ほくい36.03194 東経とうけい137.49306 / 36.03194; 137.49306
河川かせん 木曽川きそがわ水系すいけい飛騨川ひだがわ
ダムみずうみ 高根乗鞍湖たかねのりくらこ
ダムしょもと
ダム型式けいしき アーチしきコンクリートダム
つつみだか 133.0 m
つつみいただきちょう 276.4 m
つつみ体積たいせき 330,000
流域りゅういき面積めんせき 159.8 km²
たたえ水面すいめんせき 117.0 ha
そう貯水ちょすい容量ようりょう 43,568,000 m³
有効ゆうこう貯水ちょすい容量ようりょう 34,013,000 m³
利用りよう目的もくてき 発電はつでん
事業じぎょう主体しゅたい 中部電力ちゅうぶでんりょく
電気でんき事業じぎょうしゃ 中部電力ちゅうぶでんりょく
発電はつでんしょめい
認可にんか出力しゅつりょく
高根たかねだいいち発電はつでんしょ(340,000kW)
施工しこう業者ぎょうしゃ あいだぐみ
着手ちゃくしゅねん/竣工しゅんこうねん 1963ねん/1969ねん
出典しゅってん [1][2]
テンプレートを表示ひょうじ

中部電力ちゅうぶでんりょく管理かんりする発電はつでん専用せんようダムで、飛騨川ひだがわ流域りゅういき建設けんせつされたダムのなかでは随一ずいいちたかさ・133メートルアーチしきコンクリートダム飛騨川ひだがわ流域りゅういき一貫いっかん開発かいはつ計画けいかくもとづき建設けんせつされた自流じりゅう混合こんごうしき揚水ようすい発電はつでんしょである高根たかねだいいち発電はつでんしょ上部じょうぶ調整ちょうせいであり、直下ちょっかりゅう建設けんせつされた下部かぶ調整ちょうせいである高根たかねだいダムとのあいだ最大さいだい34まんキロワット水力すいりょく発電はつでんおこな飛騨川ひだがわ流域りゅういき最大さいだい水力すいりょく発電はつでんしょゆうする。ダムによって形成けいせいされた人造湖じんぞうこ高根乗鞍湖たかねのりくらこ(たかねのりくらこ)と命名めいめいされた。

飛騨川ひだがわ木曽川きそがわ水系すいけいなかでは木曽きそ三川さんせん包括ほうかつされる長良川ながらがわ揖斐川いびがわ比肩ひけんする最大さいだいきゅう支流しりゅうであり、りゅう延長えんちょうやく148.0キロメートル流域りゅういき面積めんせきやく2,177平方へいほうキロメートル[3]ゆう流域りゅういき面積めんせきでは木曽川きそがわ水系すいけい最大さいだい河川かせんである。乗鞍のりくらたけし御嶽山おんたけさんなかあいだ付近ふきんにある野麦峠のむぎとうげ水源すいげんとし、高山たかやま久々野くぐのまちまではきたに、それ以降いこうおおむみなみから南西なんせいながれり、中山七里なかやましちりすいかいなどの険阻けんそ峡谷きょうこく形成けいせい美濃加茂みのかも今渡いまわたりダム直上ちょくじょうりゅう木曽川きそがわ合流ごうりゅう太平洋たいへいようそそぐ。ダムは飛騨川ひだがわさい上流じょうりゅう建設けんせつされ、かずある飛騨川ひだがわのダムではもっとおく位置いちする。

ダムが建設けんせつされた高山たかやま高根たかねまちは、建設けんせつ当時とうじ大野おおのぐん高根たかねむらばれていたが、平成へいせいだい合併がっぺいともなって周辺しゅうへん市町村しちょうそん合併がっぺい新制しんせい高山たかやまとなった。また、建設けんせつ当時とうじ飛騨川ひだがわ上流じょうりゅう益田ますだ(ました)かわばれていたが、1964ねん昭和しょうわ39ねん)に河川かせんほう改訂かいていされ水系すいけい一貫いっかん河川かせん管理かんり原則げんそくとなったことで河川かせん名称めいしょう統一とういつされ、従来じゅうらい下呂げろ金山かなやままちより上流じょうりゅう呼称こしょうされていた益田川ますだがわは、1965ねん昭和しょうわ40ねん)に全域ぜんいき飛騨川ひだがわ統一とういつされている[4]

沿革えんかく

編集へんしゅう

飛騨川ひだがわ流域りゅういき年間ねんかんそう降水こうすいりょうが2,500ミリと多雨たう地帯ちたい水量すいりょう豊富ほうふであり、かつ流域りゅういき大半たいはん山地さんち急流きゅうりゅう形成けいせい落差らくさおおきいことから木曽川きそがわ本流ほんりゅうとも只見川ただみがわなどとなら水力すいりょく発電はつでんてきした河川かせんであり、1911ねん明治めいじ44ねん)に日本にっぽん電力でんりょく[ちゅう 1]瀬戸せとだいいち発電はつでんしょなどの発電はつでんよう水利すいりけん申請しんせいして以降いこう東邦とうほう電力でんりょく[ちゅう 2]競争きょうそうしながら流域りゅういき多数たすう水力すいりょく発電はつでんしょとダムを建設けんせつ飛騨川ひだがわ本流ほんりゅうには小坂こさか瀬戸せと下原しもばる大船渡おおふなと七宗ひちそう名倉なくら上麻生かみあさお川辺かわべといった発電はつでんしょおよびダム・取水しゅすいせき建設けんせつされた。1939ねん昭和しょうわ14ねん)に日本にっぽんはつ送電そうでん発足ほっそく戦時せんじ体制たいせい強化きょうか名目めいもくでこれらの発電はつでんしょやダムは「接収せっしゅう」という強制きょうせい収用しゅうようおこなわれ、以後いご飛騨川ひだがわ水力すいりょく開発かいはつ日本にっぽんはつ送電そうでんになう。

日本にっぽんはつ送電そうでん開発かいはつびていない飛騨川ひだがわさい上流じょうりゅう着目ちゃくもく1942ねん昭和しょうわ17ねん)より大野おおのぐん朝日あさひむら[ちゅう 3]だい規模きぼダムしき発電はつでんしょ建設けんせつ計画けいかく1946ねん昭和しょうわ21ねん)に調査ちょうさ事務所じむしょもう本格ほんかくてき着手ちゃくしゅした。これが朝日あさひダムであるが日本にっぽんはつ送電そうでん戦時せんじ体制たいせい協力きょうりょくした独占どくせん資本しほんとして1948ねん昭和しょうわ23ねん過度かど経済けいざいりょく集中しゅうちゅう排除はいじょほう指定していけ、紆余曲折うよきょくせつすえ1951ねん昭和しょうわ26ねん)にポツダム政令せいれいもとづく電気でんき事業じぎょうさい編成へんせいれい発令はつれいで9電力でんりょく会社かいしゃ分割ぶんかつ民営みんえい東海とうかい地方ちほう長野ながのけんについては中部電力ちゅうぶでんりょく電気でんき事業じぎょう継承けいしょうし、飛騨川ひだがわ流域りゅういき水力すいりょく発電はつでん事業じぎょうもまた継承けいしょうすることになった[5]

中部電力ちゅうぶでんりょく朝日あさひダムと支流しりゅう秋神川あきがみがわあきしんダム1953ねん昭和しょうわ28ねん)に完成かんせいさせ朝日あさひ発電はつでんしょ運転うんてん開始かいしつづいて東上田ひがしうえだ発電はつでんしょ久々野くぐの発電はつでんしょ運転うんてん開始かいしするが、1960年代ねんだいはいると電力でんりょく開発かいはつ主軸しゅじくだい容量ようりょう新鋭しんえい火力かりょく発電はつでんしょうつるいわゆる「ぬしすいしたがえ時代じだい突入とつにゅうする。しかし高度こうど経済けいざい成長せいちょうともな電力でんりょく需要じゅよう増大ぞうだいは、夏季かきなど電力でんりょく消費しょうひのピークに対応たいおうれない部分ぶぶんがあり、こまめに出力しゅつりょく調整ちょうせいできない火力かりょく発電はつでん連携れんけいはかって電力でんりょく需要じゅようのピークに対処たいしょする必要ひつようせいしょうじた。水力すいりょく発電はつでんはピーク即応そくおうせいたかいことから、火力かりょく発電はつでんとの連携れんけいはかりやすい揚水ようすい発電はつでん注目ちゅうもくされ、日本にっぽん各地かくち揚水ようすい発電はつでんしょ建設けんせつさかんになった。

中部電力ちゅうぶでんりょくすで静岡しずおかけん大井川おおいがわさい上流じょうりゅう1962ねん昭和しょうわ37ねん)、出力しゅつりょく13まん7,000キロワットのはたけなぎだいいち発電はつでんしょ運転うんてん開始かいししており、ひろ水力すいりょく発電はつでん事業じぎょう展開てんかいしている飛騨川ひだがわ流域りゅういきにおいても揚水ようすい発電はつでんじくにしたあらたな電力でんりょく開発かいはつもとめられた。こうして1962ねん昭和しょうわ37ねん)、飛騨川ひだがわ本流ほんりゅう支流しりゅう水力すいりょく有効ゆうこう開発かいはつして名古屋なごやなどをはじめとする東海とうかい地方ちほう電力でんりょく需要じゅよう対応たいおうするためのだい規模きぼ広域こういき水力すいりょく発電はつでん計画けいかく立案りつあんした[6]。これが飛騨川ひだがわ流域りゅういき一貫いっかん開発かいはつ計画けいかくであるが、その根幹こんかん施設しせつひとつとして1963ねん昭和しょうわ38ねん)より計画けいかくされたのが高根たかねだいいちダム高根たかねだいダム利用りようした揚水ようすい発電はつでんしょ高根たかねだいいち発電はつでんしょである。

補償ほしょう

編集へんしゅう
 
高根乗鞍湖たかねのりくらこ高根たかねむら住民じゅうみん生業せいぎょうであった牧場ぼくじょうワラビえる原野げんや湖底こていしずむ。

高根たかねだいいち発電はつでんしょ揚水ようすい発電はつでんであることから、高根たかねだいいちだいダムを建設けんせつしなければならない。ダム建設けんせつともな高根たかねむら69住民じゅうみん移転いてん余儀よぎなくされたが、その大半たいはんだいダム建設けんせつともなうもので、高根たかねむら中心ちゅうしんである日影ひかげ地区ちく大古井おおぶるい地区ちく水没すいぼつするため地元じもと反対はんたい運動うんどう当初とうしょはげしいものがあった[7]。このうち高根たかねだいいちダムにおいてはとく農業のうぎょう補償ほしょう紛糾ふんきゅうしたが、当時とうじ高根たかねむらでは飛騨ひだうし飼育しいくワラビ加工かこうして粉末ふんまつにするワラビ生産せいさんさかんであり、生業せいぎょうとして多額たがく収益しゅうえきげていた。しかし高根たかねだいいちダム建設けんせつにより牧場ぼくじょうやワラビが生育せいいくする村民そんみん共同きょうどう所有しょゆう原野げんや水没すいぼつ移転いてんによりこれらの収入しゅうにゅうげん途絶とだえることから移転いてん住民じゅうみんはこれら農業のうぎょう損失そんしつ補償ほしょうつよもとめた。すで朝日あさひダム建設けんせつにおいてワラビ生産せいさん損失そんしつ補償ほしょうおこなわれていたこともあって、最終さいしゅうてきには松野まつの幸泰ゆきやす岐阜ぎふけん知事ちじ仲介ちゅうかいにて生活せいかつ再建さいけん補償ほしょうとして牧場ぼくじょうについては1世帯せたいたり50まんえん、ワラビ生産せいさん補償ほしょうについては生産せいさんがく多寡たかおう上中かみなかさん段階だんかいけ、それぞれ20まん、15まん、10まんえん補償ほしょうを1世帯せたいたりに実施じっしした[8]。なお、補償ほしょうきんについては現金げんきん支給しきゅうではなく、中部電力ちゅうぶでんりょく社債しゃさいによる支給しきゅうだい多数たすう世帯せたい実施じっしされた。ダム補償ほしょうきんおおむ高額こうがくであり、いち多額たがく補償ほしょうきんにすることで移転いてん住民じゅうみん金銭きんせん感覚かんかくくるい、結果けっかてきくずすといった問題もんだいきており、田子倉たごくらダム只見川ただみがわ)での一部いちぶ住民じゅうみん末路まつろ城山しろやま三郎さぶろうの『黄金おうごんかい』にもえがかれている。中部電力ちゅうぶでんりょくはこのような事態じたいふせぐために社債しゃさい購入こうにゅうによる堅実けんじつ運用うんようで、住民じゅうみん生活せいかつ基盤きばん維持いじしようと一般いっぱん補償ほしょうの13パーセント社債しゃさい転換てんかん購入こうにゅうすすめたところ、移転いてんする69のほぼすべてにたる64住民じゅうみんおうじた。こうした社債しゃさいなどの証券しょうけんによる補償ほしょう東北電力とうほくでんりょくが、山形やまがたけんはち久和くわダム八久和川やくわがわ)で移転いてんする住民じゅうみん株券かぶけん補償ほしょうきん一部いちぶとして提供ていきょうしたれいがある[9]

一方いっぽう漁業ぎょぎょう補償ほしょうについては、流域りゅういき益田川ますだがわ上流じょうりゅう漁業ぎょぎょう協同きょうどう組合くみあい管理かんりにあり、ダム建設けんせつともな漁業ぎょぎょうけん喪失そうしつたいしての補償ほしょうきん養殖ようしょく施設しせつ建設けんせつはしらとした補償ほしょうおこなうことで1968ねん昭和しょうわ43ねん9月総額そうがく4,670まんえん比較的ひかくてき円滑えんかつ妥結だけつした[10]。ところが、小坂こさかダムより下流かりゅう漁業ぎょぎょうけんゆうする益田川ますだがわ漁業ぎょぎょう協同きょうどう組合くみあいとの漁業ぎょぎょう補償ほしょう交渉こうしょう難航なんこうきわめた。1965ねん昭和しょうわ40ねん)の集中しゅうちゅう豪雨ごうう飛騨ひだ川上かわかみ流域りゅういきさわだい規模きぼがけくずこし、それにより発生はっせいした泥水どろみず朝日あさひダムに流入りゅうにゅう朝日あさひダムがその泥水どろみず放流ほうりゅうすることで以来いらいすうねんにわたる朝日あさひダム濁水だくすい問題もんだい発生はっせい原因げんいん高根たかねだいいちダムの工事こうじ関係かんけいするとする益田川ますだがわ漁協ぎょきょう濁水だくすい根本こんぽんてき解決かいけつはからないかぎりダム建設けんせつおうじられないと主張しゅちょうし、解決かいけつしなければ実力じつりょく行使こうしを以って高根たかねだいいちダムの工事こうじ中断ちゅうだんさせるうごきをせた。事態じたい憂慮ゆうりょした岐阜ぎふけん当局とうきょく仲裁ちゅうさいもあり、最終さいしゅうてきには1968ねん9がつ濁水だくすいへの迷惑めいわくりょう合算がっさん総額そうがく1おく2,000まんえん妥結だけつ[11]1972ねん昭和しょうわ47ねん)に恒久こうきゅうてき濁水だくすい防止ぼうし対策たいさくはかることで岐阜ぎふけん協定きょうてい締結ていけつ濁水だくすい問題もんだい解決かいけつている。

こうしてすべての補償ほしょう問題もんだいは1968ねんには解決かいけつたが、高根たかねむらはダム・発電はつでんしょ建設けんせつともな人口じんこうの16.5パーセント・世帯せたいすうの16パーセントにたる66・350めい高山たかやまなどに移転いてんむらのこったのはわずかに3まり過疎かそ進行しんこうしていた高根たかねむらはさらに過疎かそ深刻しんこくしている。しかし国道こくどう361ごうはじめとする道路どうろ整備せいびにより、従来じゅうらい通行つうこうするのに頻繁ひんぱんかえしをしなければ通行つうこうできない慎重しんちょう運転うんてん技術ぎじゅつようした朝日あさひダム沿いの国道こくどう361ごう[ちゅう 4]整備せいびされ、小中学校しょうちゅうがっこうはじめとする公共こうきょう施設しせつなどのインフラストラクチャーもダム・発電はつでんしょ建設けんせつともな充実じゅうじつしている[12]。なお、1974ねん昭和しょうわ49ねん)には電源でんげんさんほう施行しこうされ、完成かんせいより15ねん以上いじょう経過けいかした発電はつでんしょがある自治体じちたい補助ほじょきん支給しきゅうされる発電はつでんよう施設しせつ周辺しゅうへん地域ちいき整備せいびほう対象たいしょうにこの地域ちいき指定していされている。

高根たかねだいいちダムは1954ねん昭和しょうわ29ねん)に予備よび調査ちょうさ開始かいし1960ねん昭和しょうわ35ねん)には高根たかね水力すいりょく調査ちょうさしょ設置せっちされたが当初とうしょだいいちダム単独たんどく計画けいかく出力しゅつりょくも6まん7,400キロワットであった[13]。しかし飛騨川ひだがわ流域りゅういき一貫いっかん開発かいはつ計画けいかく構想こうそうすすむにつれ揚水ようすい発電はつでんによる開発かいはつ変更へんこうされ、1961ねん昭和しょうわ36ねん)にだいダムをふく計画けいかく拡充かくじゅうされ飛騨川ひだがわ流域りゅういき一貫いっかん開発かいはつ計画けいかく中心ちゅうしん事業じぎょうえられた[14]。またダムの規模きぼについては当時とうじ農林省のうりんしょう[ちゅう 5]濃尾平野のうびへいやへの灌漑かんがい目的もくてきとする木曽川きそがわ総合そうごう用水ようすい計画けいかくし、その水源すいげんとして高根たかねだいいちダムをしていたためたかさ153メートル、有効ゆうこう貯水ちょすい容量ようりょう7,000まん立方りっぽうメートルの規模きぼ計画けいかくされたが、飛騨川ひだがわのダム地点ちてんにおける流入りゅうにゅうりょう下流かりゅう農地のうち需要じゅようりょうのバランスにいがれず、費用ひようたい効果こうかにも問題もんだいがあり灌漑かんがい目的もくてきくわえた多目的たもくてきダム構想こうそう岩屋いわやダム馬瀬川まぜかわ)を中心ちゅうしんとした馬瀬川まぜかわ総合そうごう開発かいはつ事業じぎょううつされ、現在げんざい規模きぼとなった[15]。またダムの型式けいしきについても重力じゅうりょくしきコンクリートダム中空なかぞら重力じゅうりょくしきコンクリートダム重力じゅうりょくしきアーチダム、アーチしきコンクリートダム、ロックフィルダムの5つで検討けんとうされ、基礎きそ岩盤がんばん堅固けんごさと経済けいざいせいでアーチダムがえらばれた[16]。そして出力しゅつりょくについては最大さいだいで67まんキロワットまで可能かのうとされたが、40まんキロワットをえると高根たかねだいダムの工事こうじ増大ぞうだいするため限度げんどいちはいの34まんキロワットで決定けっていした[17]

建設けんせつよう資材しざい国鉄こくてつ[ちゅう 6]高山本線たかやまほんせん久々野くぐのえきまでは鉄道てつどうで、久々野くぐのえきからダム建設けんせつ地点ちてんまでは国道こくどう361ごう拡幅かくふくして工事こうじよう道路どうろ建設けんせつ輸送ゆそうした。しかし鉄道てつどうによる輸送ゆそう高山本線たかやまほんせん単線たんせんであるためそのままでは輸送ゆそう支障ししょうたすため、鉄道てつどう建設けんせつ公債こうさい購入こうにゅう国鉄こくてつ施工しこう委託いたくしろ川口かわぐちえき禅昌寺ぜんしょうじえき待避たいひ側線そくせん建設けんせつ久々野くぐのえきには専用せんよう引込ひきこせん敷設ふせつして円滑えんかつ輸送ゆそうおこなった。1965ねん昭和しょうわ40ねん11月より岩盤がんばん掘削くっさく1967ねん昭和しょうわ42ねん4がつよりコンクリートしつらえ開始かいししたダム本体ほんたい工事こうじ厳寒げんかん1がつから3がつのぞいて実施じっしされ、途中とちゅう集中しゅうちゅう豪雨ごううによりダム工事こうじ現場げんばから河水こうすいバイパス迂回うかいさせるかり排水はいすいトンネル土砂どしゃ閉塞へいそくしてダム本体ほんたい洪水こうずいえつりゅうするなどのトラブルがあったがおおむ順調じゅんちょう工事こうじ進行しんこうし、ダム本体ほんたい完成かんせいした1969ねん昭和しょうわ44ねん)4がつより貯水ちょすい開始かいし9月には満水まんすいとなった。そして同年どうねん11月21にち高根たかねだいいち発電はつでんしょ運転うんてん開始かいしされ、事業じぎょう完成かんせいする[18]だいダムはだいいちダムの完成かんせい先立さきだつ1969ねん昭和しょうわ44ねん3月19にち完成かんせいしている[19]

なお、この高根たかねだいいち発電はつでんしょおよびだいいちだいダム建設けんせつでは20めい労務者ろうむしゃ労働ろうどう災害さいがい殉職じゅんしょくしており、飛騨川ひだがわ水力すいりょく開発かいはつによる安定あんていした電力でんりょく供給きょうきゅうという大義たいぎしたいのちらした人々ひとびと存在そんざいしている。

高根たかねだいいち発電はつでんしょ

編集へんしゅう

高根たかねだいいちダムはたかさ133メートルと完成かんせい当時とうじ木曽川きそがわ水系すいけいのダムではもっとつつみだかたかいダムであり、現在げんざいでも揖斐川いびがわ徳山とくやまダム木曽川きそがわ本流ほんりゅう味噌みそかわダムいで3番目ばんめたかく、飛騨川ひだがわ流域りゅういきでは随一ずいいちたかさである。またアーチダムとしても木曽川きそがわ水系すいけい最初さいしょ施工しこうれいであり、1995ねん平成へいせい7ねん)におな中部電力ちゅうぶでんりょく管理かんりする川浦かわうら(かおれ)ダムがアーチダムとして完成かんせいするが木曽川きそがわ水系すいけいでは希少きしょうたかさでは黒部くろべダム黒部川くろべがわ)、温井ぬくいダム滝山川たきやまがわ)、奈川ながわわたるダム犀川さいがわ)、川治かわじダム鬼怒川きぬがわ)にいで日本にっぽん5番目ばんめのアーチダムでもある。ダムには表面ひょうめん取水しゅすい設備せつびそなえられているが、これは朝日あさひダム濁水だくすい問題もんだい岐阜ぎふけん締結ていけつした濁水だくすい防止ぼうし協定きょうていそくして設置せっちされたものであり、ダム建設けんせつにおける環境かんきょう対策たいさくとしてコンクリート生成せいせいしょうじる濁水だくすい清浄せいじょうにするための高度こうどすい処理しょり対策たいさくならんで実施じっしされた。この表面ひょうめん取水しゅすい設備せつび洪水こうずい濁水だくすいしょうじたときに比較的ひかくてき清浄せいじょう貯水池ちょすいち上層じょうそう上澄うわずすい下流かりゅう放流ほうりゅうして濁水だくすい防止ぼうしするものであり、現在げんざい日本にっぽん各地かくちのダムのおおくにそなえられている。2006ねん平成へいせい18ねん)の集中しゅうちゅう豪雨ごうう発生はっせいした洪水こうずいにおいて長期間ちょうきかん濁水だくすい防止ぼうし威力いりょく発揮はっき財団ざいだん法人ほうじんダム水源すいげん環境かんきょう整備せいびセンターより「ダム・せき危機きき管理かんり業務ぎょうむ顕彰けんしょう奨励しょうれいしょう」を受賞じゅしょうしている[20]

高根たかねだいいち発電はつでんしょ飛騨川ひだがわ流域りゅういき最大さいだい規模きぼ出力しゅつりょく・34まんキロワットを発電はつでんするが、中部電力ちゅうぶでんりょくとしてははつとなる地下ちかしき水力すいりょく発電はつでんしょである。また採用さいようされたデリア(はすりゅうしき水車みずぐるま当時とうじ世界せかい最大さいだい容量ようりょうかつ世界せかい最高さいこう落差らくさだい規模きぼ水車みずぐるまであった。4つの水車みずぐるま発電はつでんゆうしており1・2号機ごうき日立製作所ひたちせいさくしょが、3・4号機ごうき三菱電機みつびしでんき受注じゅちゅう製作せいさくしている[21]発生はっせいする電力でんりょく高根たかね幹線かんせんばれる電圧でんあつ27まんボルトちょう高圧こうあつ送電そうでんせんによって高根たかねだいいち発電はつでんしょ起点きてん東西とうざい分岐ぶんきひがし長野ながのけん塩尻しおじりにあるなかしんじ変電へんでんしょ送電そうでん西にし岐阜ぎふけんせきせき開閉かいへいしょへとつながる。また朝日あさひ発電はつでんしょから川辺かわべ発電はつでんしょいた飛騨川ひだがわ本流ほんりゅう発電はつでんしょぐん連結れんけつする幹線かんせんにも連結れんけつされており、飛騨川ひだがわ流域りゅういき発生はっせいした電力でんりょくはこれら送電そうでんせんもうつうじて名古屋なごやなどの中京ちゅうきょうけん長野ながのけんへとおくられている[22]

高根たかねだいいち発電はつでんしょ運転うんてん開始かいし飛騨川ひだがわ流域りゅういきでは揚水ようすい発電はつでんしょとして1976ねん昭和しょうわ51ねん)に馬瀬川まぜかわだいいち発電はつでんしょ(28まん8,000キロワット)が完成かんせいしており、飛騨川ひだがわ流域りゅういき水力すいりょく発電はつでんしょによる電力でんりょく供給きょうきゅう強化きょうかされた。飛騨川ひだがわ流域りゅういき一貫いっかん開発かいはつ計画けいかく1987ねん昭和しょうわ62ねん)のしん上麻生かみあさお発電はつでんしょ運転うんてん開始かいしにより事実じじつじょう終了しゅうりょうするが、中部電力ちゅうぶでんりょくによる揚水ようすい発電はつでん開発かいはつ1980ねん昭和しょうわ55ねん)のおく矢作やさくだいいち発電はつでんしょ(31まん5,000キロワット)と1981ねん昭和しょうわ56ねん)のおく矢作やさくだい発電はつでんしょ(78まんキロワット)を1995ねん平成へいせい7ねん中部電力ちゅうぶでんりょく最大さいだい水力すいりょく発電はつでんしょ奥美濃おくみの発電はつでんしょ(150まんキロワット)に結実けつじつする。しかし電力でんりょく需要じゅようはその低下ていかし、計画けいかくされていた木曽きそ中央ちゅうおう川浦かわうら徳山とくやまかく揚水ようすい発電はつでんしょ中止ちゅうしあるいは規模きぼ縮小しゅくしょうしている。

高根乗鞍湖たかねのりくらこ

編集へんしゅう
 
高根乗鞍湖たかねのりくらこいしぶみ
 
展望てんぼうだいから高根たかねだいいちダム。ダム本体ほんたい立入禁止たちいりきんしであり鉄柵てっさく厳重げんじゅう管理かんりされている。

ダムによって形成けいせいされた人造湖じんぞうこ所在地しょざいちであるきゅう高根たかねむら飛騨川ひだがわ水源すいげんちか乗鞍岳のりくらだけからって高根乗鞍湖たかねのりくらこ命名めいめいされた。飛騨川ひだがわ流域りゅういきでは岩屋いわやダムの人造湖じんぞうこである東仙峡金山湖とうせんきょうかなやまこいでそう貯水ちょすい容量ようりょうおおきい人造湖じんぞうこである。アマゴサツキマスなどがれるりスポットであるが、漁業ぎょぎょうけん益田川ますだがわ上流じょうりゅう漁業ぎょぎょう協同きょうどう組合くみあい管理かんりしており、さいには入漁にゅうぎょけん必要ひつようとなる。

ダムは国道こくどう361ごうからダム下流かりゅう正面しょうめんのぞむことができ、眼前がんぜん巨大きょだいなアーチがたかべがそびえつ。しかしダム本体ほんたいへのりがダム・発電はつでんしょ無人むじん管理かんり実施じっし以降いこう禁止きんしされており、鉄柵てっさく厳重げんじゅう封鎖ふうさされている。かつてはダムてんはし(てんば)から乗鞍岳のりくらだけのぞめ、4がつから5がつにはゆきこうむった乗鞍岳のりくらだけ荘厳そうごん姿すがたることもできたが、現在げんざいこの風景ふうけいのぞむことは不可能ふかのうとなっている。巨大きょだいなダムではあるが閉鎖へいさてきであり、ダムカード発行はっこうされておらずダムみずうみひゃくせんにもえらばれていない。ただ鉄柵てっさく手前てまえまでは立入たちいり可能かのうなので、駐車ちゅうしゃじょうくるまめて展望てんぼうだいからダムをのぞむことはできる。

ダムおよび高根乗鞍湖たかねのりくらこへは国道こくどう41ごうから国道こくどう361ごう松本まつもと木曽きそまち方面ほうめん直進ちょくしんすれば到着とうちゃくする。途中とちゅうあきしんダム・高根たかねだいダムを通過つうかだいダムみずうみぎると右手みぎてにダムがえ、カーブとトンネルのおお区間くかんぎると到着とうちゃくする。付近ふきんには高根たかねだい朝日あさひあきしん久々野くぐのと4箇所かしょのダムがあり、だいダムが密集みっしゅうする地域ちいきでもある。ダムから直進ちょくしんして途中とちゅう左折させつすると紡績ぼうせき女工じょこう苦難くなんえがいた小説しょうせつあゝ野麦峠のむぎとうげ』の舞台ぶたいられる野麦峠のむぎとうげ上高地かみこうち奈良井ならい宿やど方面ほうめんへ、国道こくどう361ごう直進ちょくしんすると日和田ひよりだ高原こうげん開田高原かいだこうげん木曽福島きそふくしま御嶽山おんたけさん方面ほうめんへといたる。野麦峠のむぎとうげ方面ほうめんみちせま離合りごう困難こんなん区間くかんがあり国道こくどう361ごう直進ちょくしんするほう安全あんぜんであるが、湖岸こがん道幅みちはばとくにトンネルが建設けんせつ当時とうじそのままの幅員ふくいんなのでくるまのすれちがいや衝突しょうとつ注意ちゅうい必要ひつようである。

参考さんこう文献ぶんけん

編集へんしゅう
  • 中部電力ちゅうぶでんりょくへん飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』、1979ねん

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ 関西電力かんさいでんりょく前身ぜんしん
  2. ^ 中部電力ちゅうぶでんりょく前身ぜんしん
  3. ^ 現在げんざい高山たかやま朝日あさひまち
  4. ^ あきしんバイパス開通かいつうにより県道けんどう格下かくさげされ、現在げんざいはがけくずれにより通行止つうこうどめとなっている。
  5. ^ 現在げんざい農林水産省のうりんすいさんしょう
  6. ^ 現在げんざい東海旅客鉄道とうかいりょかくてつどう(JR東海とうかい)。

出典しゅってん

編集へんしゅう
  1. ^ 財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽんダム協会きょうかい『ダム便覧びんらん高根たかねだい1ダム2010ねん3がつ26にち閲覧えつらん
  2. ^ 社団しゃだん法人ほうじん電力でんりょく土木どぼく技術ぎじゅつ協会きょうかい水力すいりょく発電はつでんしょデータベース』高根たかねだいいち発電はつでんしょ2010ねん3がつ26にち閲覧えつらん
  3. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』p.375
  4. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』p.407
  5. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』pp.559-567
  6. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』pp.570-573
  7. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』pp.673-674
  8. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』p.801
  9. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』pp.765-766
  10. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』p.751
  11. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』pp.750-751
  12. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』pp858-860
  13. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』p.879
  14. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』p.571
  15. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』p.571,p.582
  16. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』p.578
  17. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』p.575
  18. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』pp.673-677
  19. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』p.682
  20. ^ 中部電力ちゅうぶでんりょくプレスリリース ダム・せき危機きき管理かんり業務ぎょうむ顕彰けんしょう奨励しょうれいしょう」を受賞じゅしょう。2007ねん6がつ29にち2010ねん3がつ26にち閲覧えつらん
  21. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』p.677
  22. ^ 飛騨川ひだがわ 流域りゅういき文化ぶんか電力でんりょく』pp.732-734

関連かんれん項目こうもく

編集へんしゅう

外部がいぶリンク

編集へんしゅう