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美保みほ神社じんじゃ

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美保みほ神社じんじゃ
拝殿
所在地しょざいち 島根しまねけん松江まつえ美保関みほのせきまち美保関みほのせき 608番地ばんち
位置いち 北緯ほくい3533ふん44.32びょう 東経とうけい13318ふん21.77びょう / 北緯ほくい35.5623111 東経とうけい133.3060472 / 35.5623111; 133.3060472 (美保みほ神社じんじゃ)座標ざひょう: 北緯ほくい3533ふん44.32びょう 東経とうけい13318ふん21.77びょう / 北緯ほくい35.5623111 東経とうけい133.3060472 / 35.5623111; 133.3060472 (美保みほ神社じんじゃ)
主祭しゅさいしん 事代ことしろ主神しゅしん
三穂みほひめいのち
社格しゃかくひとし 式内しきないしゃしょう
きゅうくにぬさ中社なかやしろ
別表べっぴょう神社じんじゃ
創建そうけん しょう
本殿ほんでん様式ようしき 美保みほづくり
札所ふだしょとう 出雲いずも國神くにかみふつ霊場れいじょう8ばん
例祭れいさい 4がつ7にちあお柴垣しばがき神事しんじ
おも神事しんじ かみむかい神事しんじ
むしさがせ神事しんじ
諸手もろてせん神事しんじ
地図ちず
地図
美保神社の位置(島根県内)
美保神社
美保みほ神社じんじゃ (島根しまねけん)
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島根しまね美穂みほ神社じんじゃしゃもん

美保みほ神社じんじゃ(みほじんじゃ)は、島根しまねけん松江まつえにある神社じんじゃである。式内しきないしゃで、きゅう社格しゃかくくにぬさ中社なかやしろ

えびすしんとしての商売しょうばい繁盛はんじょう神徳しんとくのほか、漁業ぎょぎょう海運かいうんかみ虫除むしよけのかみとして信仰しんこうあつめる。また、「もの」の神様かみさまとして楽器がっき奉納ほうのうおおい。


祭神さいじん

みぎ殿どの大国たいこく主神しゅしん事代ことしろ主神しゅしんひだり殿どの大国たいこく主神しゅしんきさき三穂みほひめいのちまつる。三穂みほひめいのち大国たいこく主神しゅしんこうたましいたましい(さきみたま・くしみたま)である「大物おおもの主神しゅしん」のきさきしん事代ことしろ主命しゅうめい神屋かみやだてうれしん(かむやたてひめ)と大国たいこく主神しゅしんとのあいだ子供こどもなので義理ぎり母親ははおやにあたる。

出雲いずもこく風土記ふどき』には、大穴おおあないのち大国たいこく主神しゅしん)とやつ奈宣なみうりいのちやつ奈川ながわひめいのち)のあいだまれた「須須いのち」が美保みほさとましますとの記述きじゅつがある。元々もともと当社とうしゃ祭神さいじん須須いのちのみであったのが、記紀きき神話しんわ影響えいきょうにより事代ことしろ主神しゅしん三穂みほひめいのちとされたものとられる。

歴史れきし

創建そうけん由緒ゆいしょしょうであるが、8世紀せいき編纂へんさんされた出雲いずもこく風土記ふどき』の神社じんじゃ台帳だいちょう記載きさいされる古社ふるやしろである。延喜えんぎしきかみめいちょうでは小社しょうしゃれっする。

中世ちゅうせいより横山よこやま神職しんしょく世襲せしゅうした。近世きんせいころから「大社たいしゃ出雲いずも大社たいしゃ)だけではかたまい」とわれるようになり、出雲いずも大社たいしゃとともに参拝さんぱいしゃえるようになった。出雲いずも大社たいしゃとあわせて「出雲いずものえびすだいこく」と総称そうしょうされる。

1885ねん明治めいじ18ねん)にくにぬさ中社なかやしろれっせられ、だい世界せかい大戦たいせんこう神社じんじゃ本庁ほんちょう別表べっぴょう神社じんじゃとなった。

境内けいだい

2023ねんれい5ねん現在げんざい本殿ほんでん寛政かんせい12ねん1800ねん)の火災かさいのち文化ぶんか10ねん1813ねん)に再建さいけんされたものである[1]大社たいしゃづくり左右さゆう殿どのれんとう特殊とくしゅ形式けいしきで「美保みほづくり」または「比翼ひよく大社たいしゃづくり」といわれ、くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている。このような様式ようしき成立せいりつ時期じきあきらかではない[1]たかられき13ねん(1763ねん)の『はくさま御用ごようさとし』とばれる文書ぶんしょでは、天文てんもん3ねん(1534ねんじょうに「美保みほ神社じんじゃ」、天正てんしょう11ねん(1583ねんじょうに「美保みほ両社りょうしゃ」というしゃごう表記ひょうきされている。また1886ねん明治めいじ19ねん)の『くにぬさ中社なかやしろ美保みほ神社じんじゃ明細めいさい図書としょ』によればもとかめ年間ねんかんもとかめ元年がんねん1570ねん) - もとかめ4ねん1573ねん))の戦災せんさいによってうしなわれるまでは本殿ほんでんは1むねであったが、そのぶんろく年間ねんかんぶんろく元年がんねん1593ねん) - ぶんろく5ねん1596ねん))までのあいだ現在げんざいのように1つの基礎きそに2むね本殿ほんでん形式けいしき再建さいけんされたという[1]。このふたつの文書ぶんしょから、天文てんもん3ねん1534ねん時点じてんでは1むねづくりの神社じんじゃであり、天正てんしょう11ねん1583ねん)までには2むねづくりの「両社りょうしゃ」とばれるような構成こうせいになっていたと推定すいていされる[1]。また、ぶんろく5ねん1596ねん)5がつ吉日きちじつしるされた吉川よしかわひろ朝鮮ちょうせん出兵しゅっぺいでの立願りゅうがんのため造営ぞうえいをしたときむねさつにも「たてまつ建立こんりゅう美保関みほのせきりょうしゃ御殿ごてん」とあり、当時とうじすでに2社殿しゃでん並立へいりつしていたことを傍証ぼうしょうしている[1]。ただし、当時とうじの2社殿しゃでん現在げんざいのように連結れんけつされた形態けいたいをとっていたかどうかは不明ふめいである[1]1928ねん昭和しょうわ3ねん)の修理しゅうりによって本殿ほんでんげん位置いちから現在げんざい場所ばしょへ100メートル程度ていど移築いちくされ、神域しんいき拡張かくちょうされて現在げんざいかたち完成かんせいさせた[2]本殿ほんでんはじ拝殿はいでん神門ごうど廻廊かいろうつうへいともに屋根やね現在げんざいでは桧皮葺ひわだぶきであるが、修理しゅうり以前いぜんはこけら葺であった[2]本殿ほんでん2むねあいだ末社まっしゃだいきさきしゃがあり、3しゃ5かみだいきさきしゃ 神屋かみやだてうりいのちぬまかわうりいのち姫子ひめごしゃ ひめ蹈鞴たたら五十鈴いすずひめいのち五十鈴依媛命かみ使しゃ いね脊脛いのち)をまつる。


文化財ぶんかざい

重要じゅうよう文化財ぶんかざいくに指定してい

建造けんぞうぶつ
  • 美保みほ神社じんじゃ本殿ほんでん :むねさつ18まい - 文化ぶんか10ねん1813ねん

重要じゅうよう有形ゆうけい民俗みんぞく文化財ぶんかざいくに指定してい

  • 諸手もろてせん 2せき
  • 美保みほ神社じんじゃ奉納ほうのう鳴物なりもの 846てん
  • そりこ 1せき

けん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい

  • かみほん墨書ぼくしょ手鑑てかがみ(てかがみ)

けん指定してい有形ゆうけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい

  • アバニ 1せき :かい17ほん、アンバ20ほん
  • ともど 1せき

祭事さいじ

あお柴垣しばがき(あおふしがき)神事しんじ諸手もろてせん(もろたぶね)神事しんじくにゆず神話しんわちなむものである。12月の諸手もろてせん神事しんじは、大国たいこく主神しゅしんくにゆずりの是非ぜひ相談そうだんするため息子むすこげんだい主神しゅしん使者ししゃおくったという故事こじ再現さいげん、4がつあお柴垣しばがき神事しんじは、くにゆずりをめたげんだい主神しゅしんふねあお柴垣しばがきえてそのなかかくすが、ふたたかみとしてよみがえ様子ようす再現さいげんしている[3]。1年間ねんかん鶏肉とりにく鶏卵けいらんけ、毎日まいにちうみきよめた2人ふたりとう前日ぜんじつから断食だんじきし、あお柴垣しばがきかざった2せきふねり、港内こうない一周いっしゅう美保みほ神社じんじゃ参拝さんぱい奉幣ほうへいする[4]

なみ御幣ごへい(なみきりごへい)と月次げつじ御幣ごへい(つきなみごへい)

なみ御幣ごへい
あお柴垣しばがき神事しんじたてまつられる。
月次げつじ御幣ごへい
毎月まいつき7にち月次げつじさいおりそなえられる。

交通こうつう

松江まつええき2ばんのりばから一畑いちはたバス美保関みほのせきターミナルきに乗車じょうしゃ所要しょよう時間じかんやく40ふん)。美保関みほのせきターミナル終点しゅうてんより美保関みほのせきコミュニティバス美保関みほのせききにえて美保関みほのせき終点しゅうてん下車げしゃ所要しょよう時間じかんやく30ふん)。美保みほ神社じんじゃ入口いりくちバス停ばすていから徒歩とほやく1ふん

初詣はつもうでシーズンやゴールデンウィークなつから初冬しょとう土曜日どようび日曜日にちようび祝日しゅくじつ12月3にちには、にちまるバスにより米子よなご空港くうこう境港さかいみなとえきとの直行ちょっこうバス「えびすライナー」が運行うんこうされる[5]

公民館こうみんかんよこ駐車ちゅうしゃじょう無料むりょうじゅうすうだいぶんのスペース)と公衆こうしゅう便所べんじょがあり、神社じんじゃまでは徒歩とほ1ふん

脚注きゃくちゅう

  1. ^ a b c d e f 野々村ののむら 2002, p. 68
  2. ^ a b 野々村ののむら 2002, p. 70
  3. ^ だい36かいサントリー地域ちいき文化ぶんかしょう島根しまねけん松江まつえ美保みほ神社じんじゃ大祭たいさい奉賛ほうさんかい 日本語にほんご - サントリーチャンネル、2014
  4. ^ あお柴垣しばがき神事しんじ 日本語にほんご - 美保関みほのせき地域ちいき観光かんこう振興しんこう協議きょうぎかい 公式こうしきサイト
  5. ^ 期間きかん限定げんてい】えびすライナー - 美保みほ神社じんじゃ(2019ねん3がつ8にち閲覧えつらん)。

関連かんれん図書としょ

  • やすもと梅田うめだ義彦よしひこ 編集へんしゅう けん 監修かんしゅうしゃ神道しんとう辞典じてん』(神社じんじゃ新報しんぽうしゃ1968ねん昭和しょうわ43ねん)、58ぺーじ
  • 白井しらい永二えいじ土岐ときあきらくん 編集へんしゅう神社じんじゃ辞典じてん』(東京とうきょうどう出版しゅっぱん1979ねん昭和しょうわ54ねん)、322 - 323ぺーじ
  • 菅田すげたただしあきら日本にっぽん神社じんじゃる「事典じてん」』(日本文芸社にほんぶんげいしゃ1989ねん平成へいせい元年がんねん)、203ぺーじ
  • 上山うえやま春平しゅんぺい 日本にっぽん神社じんじゃ総覧そうらん』(新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ1992ねん平成へいせい4ねん)、238 - 239ぺーじ
  • 野々村ののむら安浩やすひろ美保みほ神社じんじゃ由来ゆらい」『季刊きかん 文化ぶんか遺産いさん 2002ねん4がつごうそうえいしゃ、2002ねん4がつISBN 978-4-921070-13-7 

関連かんれん項目こうもく

外部がいぶリンク