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五十鈴依媛命

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五十鈴依媛命
だい2だい天皇てんのうきさき
在位ざいい期間きかん
綏靖天皇てんのう2ねん1がつ - 綏靖天皇てんのう33ねん5がつ10日とおか
皇后こうごう 綏靖天皇てんのう2ねん1がつ
皇太后こうたいごう 安寧天皇あんねいてんのう元年がんねん10がつ11にち

別称べっしょう 五十鈴いすずひめ五十鈴いすずひめいのち
父親ちちおや 事代ことしろ主神しゅしん
配偶はいぐうしゃ 綏靖天皇てんのう
子女しじょ 安寧天皇あんねいてんのう
異説いせつ 河俣かわまた毘売かわひめ)、糸織いとおりひめ
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天皇てんのうりゃく系図けいず初代しょだい - だい10代)

五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)は、『日本書紀にほんしょき』、『きゅうこと本紀ほんぎ』に登場とうじょうする綏靖天皇てんのう皇后こうごう

概要がいよう

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あねひめ踏鞴五十鈴いすずひめいのち[1]神武じんむ天皇てんのう皇后こうごうであり、豊玉とよたまひめたまひめ姉妹しまいおなじく、おい叔母おば世代せだいこん系譜けいふつたえる。

日本書紀にほんしょき』の安寧あんねいおさむによると、五十鈴いすずひめいのち事代ことしろ主神しゅしん少女しょうじょ(おとむすめ)とあり、これは綏靖ねんじょうに「(安寧天皇あんねいてんのうちちである綏靖天皇てんのうは)五十鈴いすずひめてて皇后こうごうしたまう。すなわち天皇てんのうの姨(みおば)なり」とあるのと合致がっちする。なお、『古事記こじき』には五十鈴いすずひめいのち登場とうじょうせず、河俣かわまた毘売綏靖天皇てんのう皇后こうごうである。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ あねひめ踏鞴五十鈴いすずひめいのちははは『日本書紀にほんしょき』では三島みしまみぞ橛耳しんむすめ玉櫛たまくしひめ、『きゅうこと本紀ほんぎ』では三嶋みしまみぞくいむすめたまひめはは事代ことしろ主神しゅしんとのあいだに1なん1じょのうちいもうとひめとなっている。

注釈ちゅうしゃく

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