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先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ

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きゅうこと本紀ほんぎから転送てんそう

先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』(せんだいくじほんぎ、さきのよのふることのふみ、先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ)は、日本にっぽん史書ししょであり、神道しんとうにおける神典しんてんである。『きゅうこと』(くじき)あるいは『きゅうこと本紀ほんぎ』(くじほんぎ)ともいう。

概要がいよう[編集へんしゅう]

ぜん10かんからなり、天地開闢てんちかいびゃくから推古天皇すいこてんのうまでの歴史れきし記述きじゅつされている。著者ちょしゃ不明ふめいだが、「天孫てんそん本紀ほんぎ」に尾張おわり物部ものべ系譜けいふくわしく記述きじゅつし、物部ものべかかわる事柄ことがらおおせる[1]ところから、著者ちょしゃ物部ものべ人物じんぶつであるというせつもある。

蘇我馬子そがのうまこなどによる序文じょぶん[2]が、大同だいどう年間ねんかん806ねん - 810ねん以後いご延喜えんぎしょ講筵こうえん904ねん - 906ねん以前いぜん平安へいあん時代じだい初期しょき成立せいりつしたとされる[2][3]江戸えど時代じだい国学こくがくしゃである多田ただよししゅん伊勢いせ貞丈さだたけほんきょ宣長のりながらによって偽書ぎしょとされた[4][5]近年きんねん序文じょぶんのみが後世こうせいされた偽作ぎさくであると反証はんしょうされたことから[6][7][8][9][10][11]本文ほんぶん研究けんきゅう資料しりょうれい:[12][13] [14] [15] [16][17])としてもちいられている。

成立せいりつ時期じき[編集へんしゅう]

本書ほんしょ実際じっさい成立せいりつ年代ねんだいについては推古あさ以後いごの『古語こご拾遺しゅうい』(807ねん成立せいりつ)からの引用いんようがあること、延喜えんぎころ矢田部やたべ公望きんもちもとけい日本にっぽん講筵こうえんにおけるおもんみ高尚こうしょうらの議論ぎろんについて先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ引用いんようして意見いけんべていること[18]藤原ふじわら春海しゅんかいによる『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎろんうけたまわひらた(931ねん - 938ねん)の日本にっぽん講筵こうえんわたし引用いんようされていることから、『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』は博士はかせ藤原ふじわら春海しゅんかいによる延喜えんぎの『日本書紀にほんしょきこうしょさい(904ねん - 906ねん)には存在そんざいしたと推定すいていされ、『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の成立せいりつ大同だいどう年間ねんかん806ねん - 810ねん以後いご延喜えんぎしょ講筵こうえん904ねん - 906ねん以前いぜん推定すいていされている。

  • また、868ねん編纂へんさんされた『れいしゅうかい』に『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』からの引用いんようがあるとして、『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の成立せいりつ時期じきを807ねん - 868ねんとみるせつがある。
まず『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の成立せいりつ時期じきであるが……まきなな天皇てんのう本紀ほんぎ』の神武じんむ即位そくい記述きじゅつちゅうに、『古語こご拾遺しゅうい』のなかほどにえる神武じんむ東征とうせいぶんけた箇所かしょがある……そこで『古語こご拾遺しゅうい』の末尾まつびにいう「大同だいどうねんはちさん[ちゅう 1]上限じょうげんとなる。下限かげんは、まきさん天神てんじん本紀ほんぎ[19] ならびにまきなな天皇てんのう本紀ほんぎ[20]えるじゅうしゅ神宝しんぽう祝詞のりとを『れいしゅうかい』がいている[21]ことからもとめられる。『れいしゅうかい』の成立せいりつは……瀧川たきがわ政次郎まさじろう先生せんせいにより、ひろじん格式かくしきくもさだかん格式かくしきかずと考証こうしょうされた結果けっかさだかんじゅうねんはちろくはち)と推定すいていされた(『定本ていほんれいしゅうかい釈義しゃくぎ解題かいだい昭和しょうわろくねん内外ないがい書籍しょせき)。その年次ねんじをもって本書ほんしょ成立せいりつ下限かげんとすべきである」 — あらし義人よしひと[22]
  • また『れいしゅうかい』に引用いんようされる、穴太あのうないじん(あのうのうちひと)のちょあな』(ひろしひとし(810ねん - 823ねんてんちょう(824 - 833ねん年間ねんかん成立せいりつか。)に『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』からの引用いんようがあるとして成立せいりつ時期じきを807ねん - 833ねんとみるせつがある。ただし、『あな』の成立せいりつ年代ねんだいひろしひとし4ねん以後いごということのみが特定とくていできるにとどまるため、推定すいてい根拠こんきょとしては有効ゆうこうではないともいわれる[4]

編纂へんさんしゃ[編集へんしゅう]

きょうはら敏久としひさ

編纂へんさんしゃ有力ゆうりょく候補こうほとしては、平安へいあん時代じだい初期しょきあかりほう博士はかせであるきょうはら敏久としひさ(おきはらのみにく)がげられる。これは江戸えど時代じだい国学こくがくものみこせいただし(みかんなぎ きよなお、文化ぶんか9ねん(1812ねん) - 1894ねん明治めいじ27ねん))のせつである[23]きょうはら敏久としひさ物部ものべけい人物じんぶつもと物部ものべきょうひさ)であり、かれ活躍かつやく時期じきは『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の成立せいりつかさなっている。

編纂へんさんしゃについては、きょうはら敏久としひさせつほかに、石上いしがみ神宮じんぐう神官しんかんせつ石上宅嗣いそのかみのやかつぐせつ矢田部やたべ公望きんもちせつなどがある。

物部ものべ

佐伯さえきゆうきよしは「著者ちょしゃしょうであるが、「天孫てんそん本紀ほんぎ」には尾張おわりおよび物部ものべ系譜けいふ詳細しょうさいしるし、またほかにも物部ものべ関係かんけい事績じせきおおくみられるので、本書ほんしょ著者ちょしゃ物部ものべ一族いちぞくか。」とする[1]

矢田部やたべ公望きんもち

みこせいただしは『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の本文ほんぶんしとするが、序文じょぶん矢田部やたべ公望きんもちが904ねん - 936ねんつくったものとする[23]安本やすもとよしてんは『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の本文ほんぶんきょうはら敏久としひさが『日本書紀にほんしょき』の推古天皇すいこてんのうじょうしるされた史書ししょ史料しりょう残存ざんそんしたものに、『古事記こじき』『日本書紀にほんしょき』『古語こご拾遺しゅうい』などの文章ぶんしょう物部ものべけい史料しりょうなどもくわえてととのえ、その矢田部やたべ公望きんもちが「ついでぶんと『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』という題名だいめいあたえ、矢田部やたべ関係かんけい情報じょうほうなどをくわえて現在げんざいの『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』が成立せいりつしたと推定すいていしている[24]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

序文じょぶんかれた本書ほんしょ成立せいりつかんする記述きじゅつうたがいがたれることから、江戸えど時代じだい今井いまいゆうじゅん徳川とくがわ光圀みつくに多田ただよししゅん伊勢いせ貞丈さだたけほんきょ宣長のりながらに偽書ぎしょうたがいがかけられていたが、近年きんねん研究けんきゅうにより後世こうせいされた序文じょぶん以外いがい価値かちさい評価ひょうかされている[6][10][11]。『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の場合ばあい、その来歴らいれき記載きさいがある序文じょぶんいつわりなら『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎすべてを偽書ぎしょとみなすのに問題もんだいはないという意見いけんや、聖徳太子しょうとくたいしがかつてえらんだと仮託かたくされた書物しょもつという意見いけん[25]もある。先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ元々もともと存在そんざいした本文ほんぶん後世こうせいになって聖徳太子しょうとくたいし序文じょぶんくわえられたとみられるので「偽書ぎしょ」の定義ていぎ偽書ぎしょ imposture すでにほろんでつてそんしない作品さくひん,あるいは元々もともと存在そんざいしていない作品さくひんを,原本げんぽんのように内容ないよういつわって作成さくせいしたほん.仮託かたくしょ(かりたくしょ)ともいう.それにたいして,刊本かんぽん奥書おくがきなどを偽造ぎぞうしたり,蔵書ぞうしょしるし偽造ぎぞうして捺印なついんしたりして,古書こしょとしての価値かちたかめようとしたものは,偽造ぎぞうしょ,にせほん,にせほん(がんぽん)という.[26][27]」にれば「偽造ぎぞうしょ,にせほん,にせほん」に相当そうとうするといえる。鎌田かまた純一じゅんいちは「しかしその一方いっぽう新井あらい白石はくせきはこれを信頼しんらいしているし、その水戸みとはんでも栗田くりたひろしなどは「国造くにのみやつこ本紀ほんぎ」、あるいは物部ものべ伝記でんきといったところを非常ひじょう重視じゅうししています……ですから完全かんぜん偽書ぎしょあつかいされてしまうのは、江戸えど時代じだいというよりも、むしろ明治めいじからあとのことでしょう[28]」とべている。

偽書ぎしょせつ[編集へんしゅう]

  • 今井いまいゆうじゅん:「推古あさ以後いご記述きじゅつられる」[29]
  • 徳川とくがわ光圀みつくに:「聖徳太子しょうとくたいしせんといいながら、天皇てんのう諡号しごうしるしている。天皇てんのう諡号しごう淡海三船おうみのみふねせんしたものである。……応仁おうにんらん以後いご卜部うらべ勝手かってつくった偽書ぎしょ[28]すなわち「後人こうじんにせしょ」とし、信用しんようできないとする[30]
  • 多田ただよししゅんは『きゅうこと偽書ぎしょ明証めいしょうこう』(1731ねん)で偽書ぎしょせつ主張しゅちょう
  • 伊勢いせ貞丈さだたけは『きゅうこと本紀ほんぎへずにせ』(1778ねん)をあらわし、「きゅうこと本紀ほんぎ先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ)は往古おうこ偽書ぎしょなり」としるしている[31]
  • ほんきょ宣長のりながは『古事記こじきでん巻一けんいちにおいて、「"きゅうこと本紀ほんぎづけたる、じゅうかんしょあり、此はひといつわり輯(アツ)めたるものにして、さらにかの聖徳太子しょうとくたいしいのち(シャウトクノミコノミコト)ノえらきゅうし、しん(マコト)の(フミ)にはず"……"たださんまきうちにょうそくいのちてんよりすわことと、まき尾張おわりれんぶつ部連ぶれんと、じゅうまき國造くにのみやつこ本紀ほんぎうんぶつと、とうなにしょにもえず、しんつくれるせつともえざれば、古書こしょありて、れるものなるべし、"こうした記事きじふる文書ぶんしょ記事きじ採用さいようしてつづった記録きろくであり、後世こうせいにほしいままに造作ぞうさくした捏造ねつぞう物語ものがたりではない。ほんきょ宣長のりながはこう推定すいていしている」[4]
  • 栗田くりたひろし国造くにのみやつこ本紀ほんぎこう』(文久ぶんきゅう元年がんねん1861ねん)のなかで徳川とくがわ光圀みつくにが「後人こうじんにせしょ」とし、信用しんようできないとべたと記録きろくしている。[よう出典しゅってん]

藤原ふじわらあきら偽書ぎしょせつ[編集へんしゅう]

藤原ふじわらあきらは『きゅうこと』は聖徳太子しょうとくたいし勅撰ちょくせんとして、うけたまわひらた6ねん936ねん日本にっぽんこう(『日本書紀にほんしょきこう)のせき矢田部やたべ公望きんもちによって突如とつじょされた書物しょもつであり、その本書ほんしょは『日本書紀にほんしょき』の原典げんてんともいうべき地位ちい獲得かくとくしたが、矢田部やたべ公望きんもち物部ものべ権威けんいけのために創作そうさくした書物しょもつである可能かのうせいたかく(矢田部やたべ公望きんもち物部ものべであり、当時とうじ朝廷ちょうていないでは、対立たいりつする氏族しぞくとの権力けんりょくあらそいがあったと指摘してきしている)、実際じっさい創作そうさくしたのはべつ人物じんぶつ可能かのうせいもあるが、物部ものべ矢田部やたべ公望きんもちちかすじものであろうと推定すいていして、本書ほんしょ偽書ぎしょであるとしている[32]

偽書ぎしょせつ経緯けいい[編集へんしゅう]

序文じょぶんには推古28ねん620ねん)に推古天皇すいこてんのういのちによって聖徳太子しょうとくたいし蘇我馬子そがのうまこしるし、推古30ねん622ねん完成かんせいしたものとある。

ときしょう治田はるた豊浦とようらみや御宇ぎょうゆたかしょく炊屋ひめ天皇てんのう即位そくいじゅうはちねん歳次さいじかのえ辰春たつはるさんがつかぶとうまついたちつちのえいぬに、摂政せっしょうめたまふ上宮かみみやうまやゆたかさとしみみ聖徳太子しょうとくたいし尊命そんめいす。大臣だいじん蘇我馬子そがのうまこ宿やど祢等、みことのりまつりてえらていむ……ときに、さんじゅうねん歳次さいじみずのえうまはるがつついたちおのれうしなり — 『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ序文じょぶん[33]

このことなどから、平安へいあん中期ちゅうきから江戸えど中期ちゅうきにかけては日本にっぽん最古さいこ歴史れきししょとして『古事記こじき』・『日本書紀にほんしょき』より尊重そんちょうされることもあった。

江戸えど時代じだい偽書ぎしょせつ発生はっせい[編集へんしゅう]

しかし、推古あさ以後いごの『古語こご拾遺しゅうい』と酷似こくじした箇所かしょがあり、『古語こご拾遺しゅうい[34]が『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ[35]引用いんようしたのではなく『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』が『古語こご拾遺しゅうい』を引用いんようしたとかんがえられたため、江戸えど時代じだいはいって偽書ぎしょではないかといううたがいがかけられるようになる。

またれいてんとみいのちりつとき諸氏しょしさく種種しゅじゅ神寶しんぽうきょうだま矛盾むじゅん木綿こわたあさとうくしあかりだまいのちまごづくりいのりだま古語こご美保みほ伎玉げん祈祷きとう也) — 『古語こご拾遺しゅうい[34]
ふくてんとめ(とみ)いのちりつとき諸氏しょしさく種々しゅじゅ神寶しんぽうきょうだま矛盾むじゅん木綿もめん(あさ)とう ふくくしあかりだまいのちまごづくりしんたま古語こご美保みほだい(伎)たまいいしん(いのり)いみな — 『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ[35]

みこせいただしも『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ析疑』にて推古あさ以降いこう記載きさい指摘してきしている[36]

此連こう難波なんばちょう御世みよ[ちゅう 2]……此連こうほん淡海たんかいあさ御世みよため[ちゅう 3]……きよしはらちょう御世みよ[ちゅう 4] — 『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ[37][38]
いい摂津せっつしょくはつため京師けいし柏原かしわばらみかどだいあらためしょく爲国ためくに[ちゅう 5]……だくちょう御世みよどうねん[ちゅう 6]…… — 『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ[39][40]

江戸えど時代じだい偽書ぎしょ・『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ大成たいせいけい事件じけん[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだいのべたから年間ねんかんあらわされた偽書ぎしょ・『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ大成たいせいけい』の影響えいきょうで、その発想はっそうもと使用しようされた『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』への評価ひょうかがった。『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ大成たいせいけい』は僧侶そうりょしおおん伊勢神宮いせじんぐう別宮べつく祠官しかん著述ちょじゅつしたもので、伊勢神宮いせじんぐう幕府ばくふだい事件じけんとなり著者ちょしゃ2めい流罪るざいとなった[41]神官しんかん47めい伊勢いせ志摩しまこくから追放ついほうとなり禁書きんしょとされたが版木はんぎのこり、さんじゅういちかんほんななじゅうかんほんさんじゅうかんほんとしてつたわっている[42]

研究けんきゅうしゃによるさい評価ひょうか[編集へんしゅう]

みこせいただし著書ちょしょ先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ析疑』にて「序文じょぶんわるいのであり、それをのぞけばどこにも偽作ぎさくなすべき理由りゆうはない」となし、1947ねん飯田いいだは『標注ひょうちゅう先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の解題かいだい偽書ぎしょせつ批判ひはんし、1958ねんG.W.ロビンソンは『きゅうこと本紀ほんぎ攷』[43]にて「『日本書紀にほんしょき』が部分ぶぶんてきには『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』を材料ざいりょうにしたとするせつ」をあらわした[10][44]。 1962ねん鎌田かまた純一じゅんいちの『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ研究けんきゅう 研究けんきゅう[8]・『校本こうほん[45]は「研究けんきゅう対象たいしょうとしての『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の復権ふっけんは、鎌田かまた著作ちょさくなしにはありないことであった」と評価ひょうかされている[46]鎌田かまた純一じゅんいちは、さき成立せいりつしていた本文ほんぶん部分ぶぶんから序文じょぶんされたために、あたかも本書ほんしょ成立せいりついつわっているような体裁ていさいになったとして、本文ほんぶん偽書ぎしょではないとろんじた。鎌田かまた序文じょぶんかんして、奈良なら平安へいあん初期しょきほか文献ぶんけん序文じょぶんくらべると文法ぶんぽう稚拙ちせつであること、延喜えんぎ4ねん904ねん)の日本にっぽん講筵こうえんさいに『古事記こじき』と『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』はどちらがふるいかという話題わだいていること(当時とうじすでに序文じょぶん存在そんざいしていたならそもそもそのようないは成立せいりつしない)、鎌倉かまくら時代ときよ中期ちゅうきの『かみすめらぎ系図けいず』という書物しょもつしるしていることを指摘してきし、序文じょぶん成立せいりつ年代ねんだい鎌倉かまくら時代じだい以降いこうとした。すなわち、9世紀せいきごろつくられた本来ほんらいの『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』には製作せいさくしゃ製作せいさく時期じきなどをいつわ要素ようそかったということである[8]。2001ねん上田うえだただしあきらとの対談たいだんでは、序文じょぶんくわえられたのは「古代こだい末期まっき中世ちゅうせい初期しょき」とべている[47]

偽書ぎしょせつへの反証はんしょう[編集へんしゅう]

近年きんねん上田うえだただしあきら鎌田かまた純一じゅんいちあらし義人よしひといにしえしょう正美まさみ研究けんきゅうしゃによって偽作ぎさくからされた序文じょぶんのみだとかんがえられている[28][36][48][36][10][11][4]

……うけたまわひらろくねんきゅうさんろくねん)、朱雀すざく天皇てんのうのときの講筵こうえんでは、矢田部やたべ公望きんもち講義こうぎをしているのですが、そこで『古事記こじき』と『きゅうこと本紀ほんぎ』とどちらがさき成立せいりつしたのかということについてかたっています。矢田部やたべ公望きんもちは「先師せんしせついわく」として、醍醐天皇だいごてんのうのときに講義こうぎをした藤原ふじわら春海しゅんかいは、『古事記こじき』のほうさきで『きゅうこと本紀ほんぎ』のほうがあとだとっていたとべています。そしてそのうえで、自分じぶんは、『きゅうこと本紀ほんぎ』のほうさきで『古事記こじき』のほうがあとだとおもうとみずからのかんがえをっているのです。

こういうことがかれているということは、藤原ふじわら春海しゅんかい矢田部やたべ公望きんもちのときには、まだ序文じょぶんいていなかったとかんがえられます。もしも序文じょぶんいていたのなら、「序文じょぶんにこういてあるではないか」[ちゅう 7]ろんじるはずなのですが、そういうことを一切いっさいろんじていない。したがって、この当時とうじ序文じょぶんはなく、序文じょぶんはその時代じだいくわえられたものだとかんがえられるのです。

それに國學院こくがくいんにおられた岩橋いわはし小弥太こやた先生せんせいっておられますが、序文じょぶんがいかにも稚拙ちせつだということです。文章ぶんしょうになっていない。 — 鎌田かまた純一じゅんいち[28]
  • ひろじん3ねん812ねん日本にっぽん講筵こうえんにて「天皇てんのう敕阿れい使習帝おうほん及先だいきゅうこと」と日本にっぽん私記しき記録きろくされている[49]
  • 904ねん延喜えんぎ日本にっぽん講筵こうえんにおいての藤原ふじわら春海しゅんかい議論ぎろんが936ねんうけたまわたいら日本にっぽん講筵こうえんにて引用いんようされている。
  • 904ねん藤原ふじわら春海しゅんかい延喜えんぎ日本にっぽん講筵こうえんにて日本にっぽん最初さいしょ史書ししょを『古事記こじき』ととなえている(「せつ。以古事記こじきためはじめ」)と936ねんうけたまわたいら日本にっぽん講筵こうえんにて矢田部やたべ公望きんもちにより引用いんようされている(延喜えんぎ日本にっぽん講筵こうえんでは公望きんもち補佐ほさやくなおふくだった)[50][51]
とい本朝ほんちょうこれ以何しょためはじめ乎。せつ先師せんしせつ。以古事記こじきためはじめ。而今あん上宮かみみや太子たいししょせん先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎじゅうかん — 矢田部やたべ公望きんもち[52]
  • 936ねんうけたまわたいら日本にっぽん講筵こうえんにて矢田部やたべ公望きんもち聖徳太子しょうとくたいしせんの『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』が最古さいこ(「而今あん上宮かみみや太子たいししょせん先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎじゅうかん」)といたと『日本にっぽん私記しき』・『しゃく日本にっぽん』にて記録きろくされている[50][51]
  • 延喜えんぎ公望きんもち私記しき』にて矢田部やたべ公望きんもちが『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎだいさんの「かえで」を引用いんようしてそのまえもとけい日本にっぽん講筵こうえん(878ねん)にておもんみ高尚こうしょう神代かみしろおさむもり」の「もり」は「かつら」のあやまりではないかとうて博士はかせがそれを否定ひていした箇所かしょについておもんみ大夫たいふ支持しじしたと『しゃく日本にっぽんまき8にあるので、延喜えんぎ日本にっぽん講筵こうえん(904ねん)の時期じき公望きんもちは『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』をんでいる[18][53]
  • 先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の序文じょぶんには完成かんせいねん推古30ねん622ねん)が明記めいきされている。

以上いじょうてんから904ねん延喜えんぎ日本にっぽん講筵こうえんさいには先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ序文じょぶんく、そのあいだ序文じょぶんえられたとする学者がくしゃたちがいる[28][48][8][10][11]

資料しりょう価値かち[編集へんしゅう]

本文ほんぶん内容ないようは『古事記こじき』・『日本書紀にほんしょき』・『古語こご拾遺しゅうい』の文章ぶんしょう適宜てきぎぎしたものがだい部分ぶぶんであるが、それらにはない独自どくじ伝承でんしょうかみめいられる。また、物部ものべ祖神そしんであるにょうそくみこと(にぎはやひのみこと)にかんする独自どくじ記述きじゅつとくおおく、現存げんそんしない物部ものべ文献ぶんけんからの引用いんようではないかとかんがえる意見いけんもある。

まきさんの「天神てんじん本紀ほんぎ(てんじんほんぎ)」の一部いちぶまきの「天孫てんそん本紀ほんぎ(てんそんほんぎ)」の尾張おわり物部ものべ伝承でんしょうにょうそくみことかんする伝承でんしょうとう)とまきじゅうの「国造くにのみやつこ本紀ほんぎ(こくぞうほんぎ)」には、文献ぶんけん存在そんざいしない独自どくじ所伝しょでんがみられる。「天孫てんそん本紀ほんぎ」には現存げんそんしない物部ものべ文献ぶんけんからの引用いんようがあるとする意見いけんもあり、国造くにのみやつこ関係かんけい史料しりょうとしての「国造くにのみやつこ本紀ほんぎ」ととも資料しりょうてき価値かちがあるとする意見いけんもある。

  • 青木あおき和夫かずおまきの「天孫てんそん本紀ほんぎ」は尾張おわり物部ものべ古来こらい伝承でんしょうであり、まきじゅうの「国造くにのみやつこ本紀ほんぎ」もふる資料しりょうによっているとする[54]
  • 新野しんの直吉なおきちは「国造くにのみやつこ本紀ほんぎ」について「畿内きない大倭おおやまとからとり(たね)までの大化たいか前代ぜんだい地方ちほうかん豪族ごうぞくである国造くにのみやつこ(くにのみやつこ)めいかかげ、その系譜けいふ任命にんめい設置せっちしめしている。後世こうせい国造くにのみやつこである律令りつりょう国造くにのみやつこ国司こくしめい混入こんにゅうしているが、れいのないまとまった国造くにのみやつこ関係かんけい史料しりょうなので、独自どくじ価値かち古代こだい研究けんきゅう史料しりょうとなっている。」とする[55]
  • 佐伯さえきゆうきよしは『鎌田かまた純一じゅんいちちょ先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ研究けんきゅうぜんかん(1960、62・吉川弘文館よしかわこうぶんかん)』を参考さんこう文献ぶんけんにあげて「天孫てんそん本紀ほんぎ」「国造くにのみやつこ本紀ほんぎ」は史料しりょうとして重要じゅうようとする[1]
  • 上田うえだただしあきらは「わたしもまたおりあるごとに『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』はたんなる「偽書ぎしょ」ではなく、貴重きちょう古典こてんである所以ゆえんについて言及げんきゅうしてきた」[56]、『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』には注目ちゅうもくすべき内容ないよう多々たたあるとべている[ちゅう 8]
  • 鎌田かまた純一じゅんいちいま宮中きゅうちゅう大嘗祭だいじょうさい新嘗祭にいなめさい前日ぜんじつおこなわれる鎮魂ちんこんさいでの御玉おたまいとぐちいとむすびの宇気うけそう御衣おんぞ振動しんどうにおいて『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』にしるされているじゅうしゅ神宝しんぽうかんするとな言葉ことばとなえることからも重要じゅうよう資料しりょうであるとしるしている[57]にょうそくみこと降臨こうりんした「河内かわちこく河上かわかみたけみね伝承でんしょうは、住吉すみよし大社たいしゃしゃでん住吉すみよし大社たいしゃ神代かみよ』の「きもこま神南じんなん本紀ほんぎ」にて神南じんなん備である生駒いこまさん北限ほくげんにょうそく日山ひやま記載きさいしてあることから、大阪おおさか交野かたのいわせん神社じんじゃ近辺きんぺん推定すいていしている[58][59]
  • 渡邉わたなべたくは「平安へいあん時代じだいにはすで成立せいりつしていたことは間違まちがいない……偽書ぎしょせつることにより、かえって本文ほんぶんのこされた古伝こでん価値かち指摘してきされたのであった」と評価ひょうかしている[10]
  • 心理しんり学者がくしゃ安本やすもとよしてん物部ものべ伝承でんしょう国造くにのみやつこ関係かんけい情報じょうほう貴重きちょうであり、推古あさ遺文いぶん推古天皇すいこてんのう時代じだいかれたとされる文章ぶんしょう)のようなふる文字もじ使つかかたがあり相当そうとうふる資料しりょうふくまれている可能かのうせいがあるとする[60][61]大和やまと岩雄いわおにょうそくみこと降臨こうりんした「河内かわちこく河上かわかみたけみね伝承でんしょうについて、河内かわちこく交野かたのぐん交野かたの物部もののべほんぬきであること、「天神てんじん本紀ほんぎ」の天物てんぶつじゅうかた物部もののべかた交野かたのであること、にょうそくみことろくせいまご伊香いかしょくゆういのち多弁たべん宿禰すくね交野かたのれん祖先そせん記載きさいされていること、にょうそくみことじゅうさんせいまご物部ものべ大連たいれん物部ものべしんちくれんこう交野かたのれんらの祖先そせんであるとも記載きさいされていることからたけみねかわ内国ないこくさんりょうぐん西田原にしたわらいわ船山ふなやまにょうそく日山ひやませつとうから1713ねん貝原かいばら益軒えきけんみなみゆう紀行きこう』、1789ねん平沢ひらさわもと愷「漫遊まんゆうぶんそう」、1801ねん秋里あきさと籬島まがきじま河内かわうち名所めいしょ図会ずえにもかれた北河内きたかわちいわせんせつ南河内みなみかわちせつよりも有利ゆうりとの推定すいてい[62]支持しじしている[63]
  • 法学ほうがくしゃ蓮沼はすぬま啓介けいすけ[64][65][66]は「天神てんじん本紀ほんぎ」、「天孫てんそん本紀ほんぎ」、「国造くにのみやつこ本紀ほんぎ」に資料しりょう価値かちみとめつつも、これらのまきにも「後世こうせい加筆かひつしたうたがわしい記事きじじっている。」として、批判ひはんてきあつかうべきであるとする[4]

影響えいきょう[編集へんしゅう]

本書ほんしょ序文じょぶん聖徳太子しょうとくたいし蘇我馬子そがのうまこらがあらわしたものとあるため、中世ちゅうせい神道しんとうなどに尊重そんちょうされた。

鎌倉かまくら時代ときよそう慈遍は、『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』を神道しんとう思想しそう中心ちゅうしんかんがえて注釈ちゅうしゃくしょきゅうこと本紀ほんぎげんよし』をあらわし、度会わたらい神道しんとう影響えいきょうあたえた。

室町むろまち時代ときよ吉田よしだ兼倶かねとも創始そうしした吉田よしだ神道しんとうでも『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』を重視じゅうしし、記紀ききおよび『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』を「さん本書ほんしょ」としている。

先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ大成たいせいけい』(のべたからはんしおおんほんななじゅうかんほん))、およびその異本いほんである『鷦鷯みそさざい(ささき、さざき)でんほん先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ大成たいせいけい大成たいせいけい鷦鷯みそさざいでん)』(さんじゅういちかんほん寛文ひろふみ10ねん1670ねんかん)、『白河しらかわほんきゅうこと』(はく家伝かでんさんじゅうかんほん)などはすべて『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』をもとにして江戸えど時代じだい創作そうさくされたとわれ、のち多数たすうあらわれる偽書ぎしょぐん古史こし古伝こでん」の成立せいりつにも影響えいきょうあたえた。

構成こうせい[編集へんしゅう]

かみすめらぎ系図けいず 1かん[編集へんしゅう]

現在げんざいけてつたわらない。

だい1かん神代かみしろ本紀ほんぎ」「神代かみよけい」「陰陽いんよう本紀ほんぎ[編集へんしゅう]

天地開闢てんちかいびゃくイザナギ神話しんわ

だい2かん神祇じんぎ本紀ほんぎ[編集へんしゅう]

ウケイ神話しんわスサノオ追放ついほう

だい3かん天神てんじん本紀ほんぎ[編集へんしゅう]

ニギハヤヒ神話しんわ出雲いずもくにゆず

だい4かん地祇ちぎ本紀ほんぎいちうん地神ちじん本紀ほんぎ)」[編集へんしゅう]

出雲神いずものかみばなし

だい5かん天孫てんそん本紀ほんぎいちうん皇孫こうそん本紀ほんぎ)」[編集へんしゅう]

物部ものべ尾張おわり系譜けいふ

だい6かん皇孫こうそん本紀ほんぎいちうん天孫てんそん本紀ほんぎ)」[編集へんしゅう]

日向ひなたさんだい神武じんむ東征とうせい

だい7かん天皇てんのう本紀ほんぎ[編集へんしゅう]

神武じんむ天皇てんのうから神功じんぐう皇后こうごうまで。

だい8かんかみすめらぎ本紀ほんぎ[編集へんしゅう]

応神天皇おうじんてんのうからたけれつ天皇てんのうまで。

だい9かんみかどすめらぎ本紀ほんぎ[編集へんしゅう]

つぎたい天皇てんのうから推古天皇すいこてんのうまで。

だい10かん国造くにのみやつこ本紀ほんぎ[編集へんしゅう]

国造くにのみやつこ135祖先そせん伝承でんしょう

刊行かんこうほん[編集へんしゅう]

  • きゅうこと溝口みぞぐちこまづくり 改造かいぞう文庫ぶんこ 1943ねん
  • きゅうこときのさとしかいじょうした さんじゅうさだあきらちょ 明世あきよどう 1944ねん
  • しめぎきゅうこと校本こうほん飯田いいだ校訂こうてい 瑞穂みずほ出版しゅっぱん 1947ねん
  • 先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ研究けんきゅう』 <校本こうほん>・<研究けんきゅう> 鎌田かまた純一じゅんいちしる 吉川弘文館よしかわこうぶんかん 1960ねん
  • 先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ くん註』 大野おおのななさん編著へんちょ 富之とみゆきしゃ新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ 1989ねん ISBN 4404016115
  • 先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ くん註』 大野おおのななさん校訂こうてい編集へんしゅう 批評社ひひょうしゃ 2001ねん ISBN 4826503253
  • 先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ 現代げんだいやく安本やすもとよしてん監修かんしゅう志村しむら裕子ゆうこやく 2013ねん ISBN 482650585X
  • 先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ注釈ちゅうしゃく工藤くどうひろし松本まつもと直樹なおき松本まつもと弘毅こうきこうちゅうわけ 花鳥かちょうしゃ 2022ねん ISBN 9784909832535

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 大同だいどうねん西暦せいれき807ねんなので803ねん校正こうせいのミスとおもわれる。
  2. ^ 難波なんばあさ(孝徳たかのりあさ)は推古あさのち
  3. ^ 淡海たんかいあさ(天智てんじちょう)は推古あさのち
  4. ^ きよしげんあさ(天武てんむちょう)は推古あさのち
  5. ^ 柏原かしわばらみかど桓武かんむ天皇てんのう
  6. ^ だくあさ(もと明朝みんちょう)は推古あさのち
  7. ^ 序文じょぶんでは古事記こじき以前いぜん聖徳太子しょうとくたいしにより成立せいりつ記載きさい
  8. ^ 徳島とくしまけん埋蔵まいぞう文化財ぶんかざいセンターにおける講演こうえん

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ」 - 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)小学しょうがくかん
  2. ^ a b 先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ」 - 大辞林だいじりん だいさんはん三省堂さんせいどう
  3. ^ きゅうこと本紀ほんぎ」 - 精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん小学しょうがくかん
  4. ^ a b c d e 蓮沼はすぬま啓介けいすけ天孫てんそん本紀ほんぎ史料しりょう価値かち」『神戸こうべ法學ほうがく雜誌ざっしだい56かんだい2ごう神戸こうべほう学会がっかい、2006ねん9がつ、1-50ぺーじdoi:10.24546/81005056 
  5. ^ 歴史れきしけい偽書ぎしょ』の史的してき展開てんかい
  6. ^ a b 日本にっぽんかみ々 : 『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の復権ふっけん
  7. ^ [|あらし義人よしひと]「『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の成立せいりつ撰者せんじゃ編纂へんさん意図いと」『歴史れきし読本とくほん2008ねん11がつごう』、新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、2008ねん11月、63ぺーじ せいただしじょのみ後人こうじん偽作ぎさくとしてしりぞけ、信頼しんらいしてよい文献ぶんけんかいするが、今日きょう学説がくせつ状況じょうきょうも、大勢おおぜいはその影響えいきょうにあるとってよい……また阿部あべ武彦たけひこも、「記紀ききえる国造くにのみやつこ記事きじはなはすくない」ので、「現在げんざいいたるまで、おおくの研究けんきゅうしゃは、「国造くにのみやつこ本紀ほんぎ」を国造くにのみやつこ研究けんきゅう重要じゅうよう史料しりょうとしてもちいるのが通例つうれい」になっていると指摘してきする」」
  8. ^ a b c d 鎌田かまた純一じゅんいち先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ研究けんきゅう 研究けんきゅう吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1962ねん 
  9. ^ [|いにしえしょう正美まさみ]「「ついで」の真偽しんぎ 聖徳太子しょうとくたいしせんろくなぞ」『歴史れきし読本とくほん2008ねん11がつごう』、新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、2008ねん11月、68ぺーじ 偽書ぎしょ……そのなかでも『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』は近世きんせい以降いこう一番いちばん論議ろんぎこしてきたものである。しかも、この偽書ぎしょせつをいいだした人間にんげんが、すうしゅ偽書ぎしょ作成さくせいしたと批難ひなんされる国学こくがくしゃ多田ただよししゅんである……このように、序文じょぶん偽作ぎさくであることは、近世きんせいにおいてすでくわしい指摘してきがあり、その研究けんきゅうしゃ異論いろんとなえてはいない……また、序文じょぶん偽作ぎさくしゃ不明ふめいながら、成立せいりつ年代ねんだいはや時期じきではなく、平安へいあんまつから鎌倉かまくら初期しょき推定すいていされている」
  10. ^ a b c d e f [|渡邉わたなべたく]「『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の偽書ぎしょせつ歴史れきし」『歴史れきし読本とくほん2008ねん12がつごう』、新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、2008ねん12月、79ぺーじ 現代げんだいでの『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』は偽書ぎしょとして排除はいじょされるのではなく、本文ほんぶんめられた価値かち評価ひょうかされているといえよう……『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』は偽書ぎしょせつとなえられるたびに、幾度いくどとなく内容ないよう考察こうさつくわえられてきた。その結果けっかが、今日きょうの『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ研究けんきゅう基礎きそとなったのである」
  11. ^ a b c d 伊藤いとうけん工藤くどうひろし松本まつもと弘毅こうき渡邉わたなべたく「『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ研究けんきゅう[書目しょもく解説かいせつ]」『歴史れきし読本とくほん2008ねん12がつごう』、新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、2008ねん12月、95ぺーじ 
  12. ^ 西別府にしべっぷ元日がんじつ律令りつりょう国家こっか展開てんかい地域ちいき支配しはい思文閣出版しぶんかくしゅっぱんおもえぶんかく史学しがく叢書そうしょ〉、2002ねんISBN 478421111X国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん書誌しょしID:000003675001https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003675001 
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参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

書籍しょせき
雑誌ざっし論文ろんぶん
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  • 歴史れきし読本とくほんだい53かん11ごう、2008ねん11月、新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ
    • あらし義人よしひと「『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の成立せいりつ撰者せんじゃ編纂へんさん意図いと」60-65ぺーじ
    • いにしえしょう正美まさみ「「ついで」の真偽しんぎ聖徳太子しょうとくたいしせんろくなぞ」66-71ぺーじ
    • 工藤くどうひろし派生はせいほんなぞさんじゅういちかんほん先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ大成たいせいけい』・ななじゅうかんほんきゅう事大じだい成本なりもと』・さんじゅうかんほん先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』」80-85ぺーじ
  • 歴史れきし読本とくほんだい53かん12ごう、2008ねん12月、新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ
    • 渡邉わたなべたく「『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の偽書ぎしょせつ歴史れきし」74-79ぺーじ
    • 伊藤いとうけん工藤くどうひろし松本まつもと弘毅こうき渡邉わたなべたく「『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ研究けんきゅう書目しょもく解説かいせつ」」80-95ぺーじ

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

書籍しょせき
  • 大野おおのななさん『『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎこう歴史れきし原典げんてん神道しんとう聖典せいてん』ルーツのかい、1987ねん
  • 大野おおのななさんかみ々のはらぞう:『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』にめられたかみ々の伝承でんしょう批評社ひひょうしゃ、2001ねん ISBN 482650327X
  • 梶原かじはら大義たいぎ『「先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ」の真実しんじつ東洋とうよう出版しゅっぱん、2002ねん ISBN 4809674118
  • 青木あおき周平しゅうへいへん古事記こじき受容じゅよう引用いんようぶん世界せかい笠間かさま書院しょいん、2003ねん ISBN 4305601656
  • 工藤くどうひろしへん先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎろん史書ししょ神道しんとうしょ成立せいりつ受容じゅよう花鳥かちょうしゃ、2019ねん ISBN 9784909832092
雑誌ざっし論文ろんぶん
  • 近藤こんどう喜博よしひろ先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎしょほんところどころ」『日本にっぽん上古じょうこ研究けんきゅうだい2かんだい10ごう、1958ねん10がつ、195-200ぺーじ 
  • 本位田ほんいでんきく先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ成立せいりつ(うえ):物部ものべ研究けんきゅう序説じょせつ」『神道しんとう研究けんきゅうだい13かんだい2ごう神道しんとう學會がっかい、1965ねん3がつ、73-88ぺーじ 
  • 本位田ほんいでんきく先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ成立せいりつ(した):物部ものべ研究けんきゅう序説じょせつ」『神道しんとう研究けんきゅうだい13かんだい3ごう神道しんとう學會がっかい、1965ねん5がつ、149-164ぺーじ 
  • 工藤くどうひろし「『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ研究けんきゅう文献ぶんけん目録もくろく」『古代こだい研究けんきゅうだい24ごう早稲田わせだ古代こだい研究けんきゅうかい、1992ねん1がつ 
  • 津田つだ博幸ひろゆき偽書ぎしょづくりのわざ:『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の方法ほうほう日本にっぽんこう」『日本にっぽん文学ぶんがくだい43かんだい11ごう日本にっぽん文学ぶんがく協会きょうかい、1994ねん11月、80-83ぺーじ 
  • 津田つだ博幸ひろゆき日本にっぽんこう先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ」『日本にっぽん文学ぶんがくだい46かんだい10ごう日本にっぽん文学ぶんがく協会きょうかい、1997ねん10がつ、62-66ぺーじ 
  • 植田うえだむぎ先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ文体ぶんたいてき特徴とくちょう文末ぶんまつ助字じょじ中心ちゅうしんに」『上代じょうだい文学ぶんがくだい100ごう上代じょうだい文学ぶんがくかい、2008ねん4がつ、93-107ぺーじ 
  • 青木あおき周平しゅうへい「『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の価値かち」『ひがしアジアの古代こだい文化ぶんかだい137ごう古代こだいがく研究所けんきゅうじょ、2009ねん1がつ、2-4ぺーじ 
  • 大脇おおわき由紀子ゆきこいろもと系譜けいふ:『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の研究けんきゅう」『中京ちゅうきょう国文学こくぶんがくだい28ごう中京大学ちゅうきょうだいがく文学ぶんがくかい、2009ねん3がつ、9-18ぺーじ 
  • ほし愛美まなみ「『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の史書ししょせい系譜けいふをめぐって」『古事記こじき年報ねんぽうだい58ごう古事記こじき学会がっかい、2016ねん3がつ、84-101ぺーじ 
  • 松本まつもと弘毅こうき「『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ兼永かねながほんけんみぎほん関係かんけい」『国文学こくぶんがく研究けんきゅうだい183ごう早稲田大学わせだだいがく国文こくぶん学会がっかい、2017ねん10がつ、1-14ぺーじ 
  • あいだえだりょう太郎たろう「『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の受容じゅよう神話しんわ変奏へんそう神社じんじゃ関連かんれん記事きじ利用りようをめぐって」『國學院こくがくいん雑誌ざっしだい121かんだい10ごう、2020ねん10がつ、43-57ぺーじ 
  • 伊藤いとうけん平安へいあん時代じだい前期ぜんきの『先代せんだいきゅうこと本紀ほんぎ』の受容じゅようじょうきょう:『しゃく日本にっぽんしょ引「私記しき」における〈天日てんじつすみみや問答もんどう〉を手掛てがかりに」『上代じょうだい文学ぶんがくだい125ごう上代じょうだい文学ぶんがくかい、2020ねん11月、47-60ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]