アフリカの音楽おんがく

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アフリカの音楽おんがく(アフリカのおんがく、Music of Africa)は、アフリカ大陸たいりく広大こうだいさをかんがえると多様たようであり、地域ちいきくににはおおくのことなる音楽おんがく伝統でんとうがある。

概要がいよう[編集へんしゅう]

アフリカ音楽おんがくには、アマピアノ、ジュジュ、フジ、アフロビートハイライフマコッサキゾンバなどのジャンルがふくまれる。

アフリカけい人々ひとびと音楽おんがくとダンスはアフリカの音楽おんがく伝統でんとうもとづいて形成けいせいされたが、その程度ていど様々さまざまであり、ディキシーランド・ジャズブルースジャズなどのアメリカ音楽おんがくカリプソソカなどのおおくのカリブ音楽おんがくふくまれる。

コンガ英語えいごばんルンバソン・クバーノサルサボンバ英語えいごばんクンビアサンバズークなどのラテン・アメリカの音楽おんがくジャンルは、大西洋たいせいよう奴隷どれい貿易ぼうえき奴隷どれいにされたアフリカじん音楽おんがくもとづいてまれ、アフリカのポピュラー音楽おんがく影響えいきょうあたえた[1]

アジア、インド、中東ちゅうとう音楽おんがく同様どうよう非常ひじょうにリズミカルな音楽おんがくである。あるリズムがべつのリズムにたいして演奏えんそうされることでまれた複雑ふくざつなリズムパターンはポリリズムつくる。もっと一般いっぱんてきなポリリズムは、はちふん音符おんぷきざまれるストレート・ノートにたいして3れん演奏えんそうするように、2ビートにかさねて3ビートを演奏えんそうする。サハラ以南いなんのアフリカ音楽おんがく伝統でんとうでは、木琴もっきんジャンベドラムムビラや「親指おやゆびピアノ」などの音色ねいろ生成せいせい楽器がっきなど、さまざまな種類しゅるい打楽器だがっき頻繁ひんぱん使つかわれる。[1][2]

アフリカ音楽おんがくのもう1つのさいった形式けいしきは、その「コール&レスポンス」の性質せいしつにある。あるこえまたは楽器がっきみじか旋律せんりつのフレーズを演奏えんそうし、そのフレーズがべつこえまたは楽器がっきによってかえされる。このかえしの性質せいしつはリズムでもおこなわれ、1つのドラムがリズミカルなパターンを演奏えんそうすると、べつのドラムがおなじパターンをかえ演奏えんそうする。またアフリカ音楽おんがくには即興そっきょうせいもある。通常つうじょう、コアとなるリズミカルなパターンが演奏えんそうされ、ドラマーは変化へんかすくないもとのパターンにかさねてあたらしいパターンを即興そっきょう演奏えんそうする。

大陸たいりくのほとんどの伝統でんとう音楽おんがくは、口頭こうとうで(ききとりで)つたえられており、文字もじのこされていない。西洋せいようほう簡単かんたん変換へんかんできないピッチとイントネーションの微妙びみょうちがいがある。アフリカ音楽おんがくは、西洋せいようのテトラトニック(4ふん音符おんぷ)、ペンタトニック(5ふん音符おんぷ)、ヘキサトニック(6ふん音符おんぷ)、およびヘプタトニック(7ふん音符おんぷ) スケールにもっと厳密げんみつしたがっている。メロディーの調和ちょうわは、3、4、または5並行へいこうしてうたうことによって完成かんせいされる。

音楽おんがくはアフリカの宗教しゅうきょうにとって重要じゅうようであり、儀式ぎしき宗教しゅうきょう儀式ぎしきではうたおどりに音楽おんがく使用しようするのと同様どうよう世代せだいから世代せだいへと物語ものがたりつたえるために音楽おんがく使つかわれる。

地域ちいきべつ音楽おんがく[編集へんしゅう]

きたアフリカとアフリカのかく[編集へんしゅう]

きたアフリカは、古代こだいエジプトカルタゴ本拠地ほんきょちであり、古代こだいオリエントつよむすびつきを文明ぶんめいであり、古代こだいギリシャローマの文化ぶんか影響えいきょうあたえた。最終さいしゅうてきに、エジプトはペルシャの支配しはいちてそのギリシャとローマの支配しはいつづき、カルタゴはのちローマじんヴァンダルじんによって支配しはいされた。きたアフリカはのちにアラブじんによって征服せいふくされ、アラブ世界せかいマグレブとしてこの地域ちいき確立かくりつした。

Aar Maanta がオランダハーグのPier Scheveningen Strandweg でかれのバンドと演奏えんそう

ナイル渓谷けいこくアフリカのかく(地図ちずじょう空色そらいろ緑色みどりいろ地域ちいき)音楽おんがくジャンルのように[3] 、その音楽おんがく中東ちゅうとう音楽おんがく密接みっせつ関係かんけいがあり、同様どうよう旋法せんぽう(マカーム) を利用りようしている[4]きたアフリカの音楽おんがくには、古代こだいエジプトの音楽おんがくからベルベルじん砂漠さばく遊牧民ゆうぼくみんのトゥアレグ音楽おんがくまで、かなりの範囲はんいがある。この地域ちいき芸術げいじゅつ音楽おんがくは、なに世紀せいきにもわたってアラビアとアンダルシアの古典こてんてき音楽おんがく輪郭りんかく踏襲とうしゅうしてきた。その人気にんきのある現代げんだいてきなジャンルには、アルジェリアのライふくまれる。

これらと一緒いっしょに、エリトリア、エチオピア、ジブチ、ソマリア音楽おんがくふくむ、スーダンとアフリカのかく音楽おんがくをグループすることができる。ソマリア音楽おんがく通常つうじょうメジャー・スケールなどのヘプタトニック(7 音符おんぷ) スケールとは対照たいしょうてきに、オクターブあたり5つのピッチ使用しようするペンタトニックである[3]。エチオピアの高地こうち音楽おんがくは、qenetばれる基本きほんてき旋法せんぽうシステムを使用しようする。このシステムには、テゼタ、バティ、アンバセル、およびアンチホイの 4 つの主要しゅよう旋法せんぽうがある。 また追加ついか旋法せんぽうとしてテゼータ・マイナー、バティ・メジャー、バティ・マイナー[5]があるが、みっつとも上記じょうきのバリエーションである。

西にし中央ちゅうおう南東なんとうみなみアフリカ[編集へんしゅう]

民族みんぞく音楽おんがくがくのパイオニア、アーサー・モリス・ジョーンズ(1889–1980) は、サハラ以南いなんのアフリカ音楽おんがく伝統でんとう共通きょうつうするリズム原理げんり1 つの主要しゅようなシステムを構成こうせいしていることを観察かんさつした[6]同様どうように、マスタードラマーで学者がくしゃの CK Ladzekpo は、サハラ以南いなんのアフリカのリズム原理げんりの「ふか均質きんしつせい」を断言だんげんしている[7]

アフリカの伝統でんとう音楽おんがくは、本質ほんしつてき機能きのうてきであることがよくある。パフォーマンスは長時間ちょうじかんになる場合ばあいがあり、おおくの場合ばあい聴衆ちょうしゅう参加さんか必要ひつようである[8]たとえば、専門せんもんてき労働ろうどう出産しゅっさん結婚けっこん狩猟しゅりょう政治せいじ活動かつどうともなうた悪霊あくりょうはらい、ぜんれい死者ししゃ先祖せんぞ敬意けいいはらうための音楽おんがく存在そんざいする。これは意図いとされた社会しゃかいてき文脈ぶんみゃくそとおこなわれることはなく、そのおおくは特定とくていのダンスに関連かんれんしている。プロの音楽家おんがくかによって演奏えんそうされるその一部いちぶは、宗教しゅうきょう音楽おんがく、または宮廷きゅうてい演奏えんそうされる儀式ぎしき宮廷きゅうてい音楽おんがくである。

音楽おんがく学的がくてきには、サハラ以南いなんのアフリカは 4 つの地域ちいきけられる[6]

  • 東部とうぶ地域ちいき(地図ちずじょううす緑色みどりいろ地域ちいき)には、ウガンダ、ケニア、ルワンダ、ブルンジ、タンザニア、マラウイ、モザンビーク、ジンバブエ、マダガスカル、セイシェル、モーリシャス、コモールの島々しまじまふくまれる。これらのおおくはアラビア音楽おんがくやインド、インドネシア、ポリネシアの音楽おんがく影響えいきょうけているが、この地域ちいき土着どちゃく音楽おんがく伝統でんとうおもにサハラ以南いなんニジェール・コンゴはな人々ひとびと主流しゅりゅうである。
  • 南部なんぶ地域ちいき(地図ちずじょう茶色ちゃいろ地域ちいき)には、みなみアフリカ、レソト、スワジランド、ボツワナ、ナミビア、アンゴラ音楽おんがくふくまれている。
  • 中央ちゅうおう地域ちいき(地図ちずじょう紺色こんいろ地域ちいき)には、ピグミー音楽おんがくふくむ、チャド、中央ちゅうおうアフリカ共和きょうわこく、コンゴ民主みんしゅ共和きょうわこくザンビア音楽おんがくふくまれている。
  • 西にしアフリカの音楽おんがく(地図ちずじょう黄色おうしょく地域ちいき)には、セネガルとガンビア、ギニアとギニアビサウ、シエラレオネとリベリア、マリ、ニジェール、ブルキナファソの内陸ないりく平原へいげん、コートジボワールの沿岸えんがん諸国しょこく音楽おんがくふくまれる。 ガーナ、トーゴ、ベナン、ナイジェリア、カメルーン、ガボン、コンゴ共和きょうわこくサントメ・プリンシペなどの島々しまじま

南部なんぶアフリカ中央ちゅうおうアフリカ西にしアフリカ同様どうように、サハラ以南いなん幅広はばひろ音楽おんがく伝統でんとうぞくしている。かれらはまた、アフリカのイスラム教徒きょうと地域ちいきから、そして現代げんだいではアメリカ大陸あめりかたいりく西にしヨーロッパから、いくつかの補助ほじょてき影響えいきょうっている。

アフロビート、ジュジュ、フジ、ハイライフ、マコッサ、キゾンバが西にしアフリカで上演じょうえんされる。西にしアフリカの音楽おんがくには地域ちいきてきなバリエーションがあり、歴史れきしのシルヴィアン・ディウフと民族みんぞく音楽おんがく学者がくしゃゲルハルト・クビックによると、イスラム教徒きょうと地域ちいきはイスラム音楽おんがく要素ようそれ、イスラム教徒きょうと地域ちいき先住民せんじゅうみんぞく伝統でんとう影響えいきょうをよりつよけている[9]。ディウフによれば、伝統でんとうてきなイスラム教徒きょうと西にしアフリカ音楽おんがくには、かみ賛美さんびする歌詞かし、メロディー、音符おんぷ変化へんか声帯せいたいふるえ、音階おんかい劇的げきてき変化へんかはなのイントネーションが存在そんざいする。クビックによれば、イスラム教徒きょうと西にしアフリカの歌手かしゅこえのスタイルについて「メリスマ波状はじょうのイントネーションなどを使用しようすることは、西にしアフリカの広大こうだい地域ちいき遺産いさんであり、7世紀せいき以降いこうマグレブイスラム世界せかい接触せっしょくしていた。」という。楽器がっきかんしては、弦楽器げんがっきバンジョー祖先そせんふくむ)は伝統でんとうてきにイスラム教徒きょうと西にしアフリカじんこのまれ、太鼓たいこ伝統でんとうてきイスラム教徒きょうと西にしアフリカじんこのまれていたとクビックはべている[9]

楽器がっき[編集へんしゅう]

マンドールを演奏えんそうするアルジェリアのミュージシャンAbderrahmane Abdelli

複雑ふくざつなハードメリスマヨーデルなど様々さまざま技法ぎほう駆使くしした発声はっせいほか幅広はばひろ楽器がっき使用しよう。アフリカの楽器がっきには、幅広はばひろドラムスリット・ゴングラトルダブル・ベル、さまざまな種類しゅるいハープコランゴニなどのハープに楽器がっきフィドルおおくの種類しゅるい木琴もっきんやラメロフォンなどが存在そんざいする。ムビラ、フルートトランペットなどのさまざまな種類しゅるい管楽器かんがっき。さらに、弦楽器げんがっき使用しようされ、一部いちぶ地域ちいきではリュートのようなウードとンゴニが音楽おんがく伴奏ばんそうとして機能きのうしている。

サハラ以南いなんのアフリカ楽器がっきには、メンブラノフォン、コードフォン、エアロフォン、イディオフォン、パーカッションの5つのグループが存在そんざいする。メンブラノフォンは、やかん、土鍋どなべたるなどのドラムである。コードフォンは、ハープやフィドルなどの弦楽器げんがっきである。エアロフォンは管楽器かんがっき別名べつめいである。これらには、フルートやトランペットがふくまれる場合ばあいがあり、アメリカ音楽おんがくこえる楽器がっき同様どうようである。イディオフォンはガラガラやシェイカーであるが、パーカッションは足踏あしぶみや手拍子てびょうしのようなおとになる[10]木製もくせい楽器がっきおおくには、祖先そせんあらわかたちられている。はねやビーズでかざられたものも存在そんざいする[10]

アフリカの伝統でんとう音楽おんがく使用しようされる太鼓たいこには、トーキング・ドラム西にしアフリカのブーガラブー、ジャンベ中央ちゅうおうアフリカと西にしアフリカみず太鼓たいこ中央ちゅうおうアフリカと南部なんぶアフリカのさまざまな種類しゅるいのンゴマドラム(またはエンゴマ) が存在そんざいする。打楽器だがっきには、コシカ(カシャカ)、レインスティック、ベル、ウッドスティックなど、おおくのガラガラシェイカーふくまれる。また、アフリカにはほかにもおおくの種類しゅるい太鼓たいこおおくのフルート、弦楽器げんがっき管楽器かんがっき存在そんざいする。

ポリリズム演奏えんそうは、西洋せいよう音楽おんがくポリフォニーとは対照たいしょうてきに、サブサハラ音楽おんがくもっと普遍ふへんてき特徴とくちょうの1つである。同時どうじ対照たいしょうてきなリズムの演奏えんそう容易よういにするために、いくつかのユニークに設計せっけいされた楽器がっき時間じかん経過けいかとともに進化しんかしてきた。ムビラ、カリンバ、コラ、ンゴニ、ドゥスングーニはこれらの楽器がっきれいであり、低音ていおんから高音こうおんへの通常つうじょう単一たんいつ線形せんけい順序じゅんじょではなく、クロスリズムの演奏えんそうをさらに容易よういにする2つの別々べつべつのランク配列はいれつ音符おんぷ編成へんせいする。この原則げんそく継続けいぞくてき影響えいきょうは、20世紀せいきのアメリカの楽器がっきであるグラビコラとグラビコードにることができる。これらはあたらしい現代げんだいれいである。

言語げんごとの関係かんけい[編集へんしゅう]

アフリカではなされている言語げんごおおくは声調せいちょう言語げんごであり、一部いちぶ地域ちいき文化ぶんかでは音楽おんがく言語げんご密接みっせつむすびついている。これらの特定とくていのコミュニティは、音楽おんがくとともにこえおとうごきも使用しようする。歌唱かしょうでは、調しらべせいパターンまたはテキストが旋律せんりつパターンにいくつかの制約せいやくす。一方いっぽう、インストゥルメンタル音楽おんがくでは、その言語げんごのネイティブ・スピーカーは、おおくの場合ばあい音楽おんがくないのテキストまたはテキストを知覚ちかくできる。この効果こうかは、ドラム言語げんご(トーキング ドラム) の基礎きそともなる[11]

アフリカ音楽おんがくへの影響えいきょう[編集へんしゅう]

ガーナ伝統でんとうてき太鼓たいこ奏者そうしゃ

歴史れきしてきに、いくつかの要因よういんがアフリカの伝統でんとう音楽おんがく影響えいきょうあたえてきた。音楽おんがくは、言語げんご環境かんきょう、さまざまな文化ぶんか政治せいじ人口じんこう移動いどうなどの影響えいきょうけ、それらすべてが混在こんざいしている。アフリカのかくグループは、大陸たいりくことなる地域ちいき進化しんかした。つまり、かれらはことなるものべ、ことなる気象きしょう条件じょうけん直面ちょくめんし、社会しゃかいとはことなるグループと接触せっしょくした。かくグループは、のグループとはことなる速度そくどことなる場所ばしょ移動いどうしたため、それぞれことなる人々ひとびと状況じょうきょう影響えいきょうけた。さらに、かく社会しゃかいかならずしもおな政府せいふした運営うんえいされているとはかぎらず、それもかれらの音楽おんがくスタイルにおおきな影響えいきょうあたえた[12]

北米ほくべい音楽おんがくへの影響えいきょう[編集へんしゅう]

アフリカ音楽おんがくは、今日きょうわたしたちがディキシーランドブルースジャズとしてっているものを形成けいせいするおも要因よういんとなっている。これらのスタイルはすべて、奴隷どれいにされたアフリカじんによって大西洋たいせいようにもたらされた、アフリカのリズムとサウンドから借用しゃくようしたものである。サハラ以南いなんのアフリカのアフリカ音楽おんがくは、ほとんどが陽気ようきポリリズミカルたのしいものであるが、ブルースはしん世界せかい奴隷どれいせい状況じょうきょうからしょうじた美的びてき発展はってんなされるべきだとえる[13]ブルースは、アフリカのブルー ノートスケールとヨーロッパの12おと楽器がっき融合ゆうごうとして進化しんかした可能かのうせいがある[14]。アイルランドとスコットランドの入植にゅうしょくしゃ音楽おんがく伝統でんとうは、アフリカけいアメリカじん音楽おんがくてき要素ようそ融合ゆうごうして、のジャンルのなかでもとくにオールドタイムやブルーグラス変化へんかした。.

スティーブ・ウィンウッドのプログレッシブ・ロック/ジャズ・ロック・バンド、トラフィック西にしアフリカのリズムをよく使用しようしていた

かれのアルバムGracelandで、アメリカのフォーク ミュージシャン、ポール・サイモンは、アフリカのバンド、リズム、メロディーをかれ自身じしん歌詞かし音楽おんがくてき背景はいけいとして採用さいようしている。とくレディスミス・ブラック・マンバーゾ。 1970 年代ねんだい初頭しょとうアフロ・ロック前衛ぜんえいドラマーであるレミ・カバカは、ジンジャー・ベイカーのエアフォース、ローリング・ストーンズスティーブ・ウィンウッドトラフィックなどのバンドでアフロ・ロック サウンドを作成さくせいする最初さいしょのドラム・パターンを作成さくせいした。かれは 10 年間ねんかん、ウィンウッド、ポール・マッカートニーミック・ジャガー仕事しごとつづけた[15]

サハラ以南いなんアフリカの特定とくてい音楽おんがくてき伝統でんとうは、伝統でんとう音楽おんがく西洋せいよう音楽おんがく融合ゆうごうさせたディズニーの『ライオン・キング』や『ライオン・キング II: シンバズ・プライド』などの作品さくひんにもおおきな影響えいきょうあたえた。 「Circle of Life」や「He Lives in You」などのきょくは、ズールー英語えいご歌詞かしのほか、アフリカの伝統でんとうてきなスタイルとよりモダンな西洋せいようのスタイルをわせたものである。さらに、ディズニーの映画えいがには、バントゥースワヒリ単語たんご数多かずおおふくまれている。たとえば、hakuna matataというフレーズは実際じっさいのスワヒリのフレーズで、実際じっさいには「心配しんぱいはいりません」という意味いみである。Simba、Kovu、Ziraなどの文字もじもスワヒリで、それぞれ「ライオン」、「傷跡きずあと」、「にくしみ」を意味いみする[16][17]

ババトゥンデ・オラトゥンジ、ミリアム・マケバヒュー・マセケラは、アメリカでかなりのかずのファンを獲得かくとくした初期しょきのアフリカじんアーティストの1人ひとりでした。営利えいりのアフリカけいアメリカじんのラジオきょくは、1960年代ねんだいと1970年代ねんだい文化ぶんかてきおよび政治せいじてき使命しめい一環いっかんとしてアフリカ音楽おんがく宣伝せんでんした。アフリカの音楽おんがくはまた、歴史れきしてき黒人こくじんのカレッジや大学だいがく (HBCU) で熱心ねっしん聴衆ちょうしゅうつけ、とく公民こうみんけん運動うんどうやブラック・パワー運動うんどう活動かつどうにアピールした[18]

アフリカのポピュラー音楽おんがく[編集へんしゅう]

パフォーマンスちゅうミリアム・マケバ

アフリカのポピュラー音楽おんがくは、アフリカの伝統でんとう音楽おんがく同様どうよう広大こうだい多様たようである。アフリカのポピュラー音楽おんがくのほとんどの現代げんだいてきなジャンルは、西洋せいようのポピュラー音楽おんがくとの相互そうご受粉じゅふんもとづいている。ブルースジャズ、ルンバなどのポピュラー音楽おんがくおおくのジャンルは奴隷どれいにされたアフリカじんによってアメリカ大陸あめりかたいりくまれたアフリカの音楽おんがく伝統でんとうにさまざまな程度ていど派生はせいしている。これらのリズムとサウンドは、そのロック、ソウル ミュージック、リズム アンド ブルースなどのあたらしいジャンルに採用さいようされた。同様どうように、アフリカのポピュラー音楽おんがく要素ようそとく西洋せいよう音楽おんがく楽器がっき録音ろくおんスタジオ技術ぎじゅつれている。

西にしアフリカでは、フェラ・クティとトニー・アレンがアフロビート・ミュージックを演奏えんそうした[19]フェミ・クティスン・クティ父親ちちおやフェラ・クティにつづいた[20]みなみアフリカのポピュラー音楽おんがくもっと重要じゅうような20世紀せいき歌手かしゅ1人ひとりは、60年代ねんだいにアフリカ音楽おんがくとその意味いみ世界せかい聴衆ちょうしゅう注目ちゅうもくあつめるうえ重要じゅうよう役割やくわりたしたミリアム・マケバであった。 マケバは、1950年代ねんだいからアフリカでもっと影響えいきょうりょくがあり人気にんきのあるミュージシャンの1人ひとりわれている。彼女かのじょは、1つのすべての女性じょせいのバンドとの2つのバンドをふくむ3つのバンドの一人ひとりであった。彼女かのじょはあらゆる種類しゅるいのジャズ音楽おんがく伝統でんとうてきなアフリカ音楽おんがく当時とうじ西にしアフリカで人気にんきのあった音楽おんがく演奏えんそうした。ミリアムは彼女かのじょ音楽おんがくだい部分ぶぶんを「mbube」のかたち演奏えんそうした。これは「アメリカのジャズ、ラグタイム英国えいこく国教こっきょうかい賛美さんび、および土着どちゃく音楽おんがくスタイルをれたボーカル ハーモニーのスタイル」であった。彼女かのじょ米国べいこくしたのち、マケバのパスポートに問題もんだい発生はっせいし、彼女かのじょはアメリカにまらなければならなかった。彼女かのじょはアフリカの音楽おんがくのほとんどにアメリカのひねりをくわえたとわれている。彼女かのじょ声域せいいき非常ひじょう多様たようで、ほぼすべてのおとすことができた[21]。「アフリカ音楽おんがく女帝にょてい」は76さいくなった[22]

アフロとユーロのハイブリッド・スタイルであるキューバのソンは、アフリカの特定とくていのポピュラー音楽おんがく影響えいきょうあたえている。大陸たいりく最初さいしょのギター・バンドのいくつかは、キューバのうたのカバーを演奏えんそうした[23]コンゴ初期しょきのギターベースのバンドは、自分じぶんたちの音楽おんがくルンバんでいました (ただし、ルンバベースではなく、ソンであった)。コンゴのスタイルは、最終さいしゅうてきスークスとしてられるようになった。

カルポップは、Klassik Nation[24]レコード・レーベルのKlassikanロイヤル・コミュニティでまれた音楽おんがくジャンルである。カルポップは、1990年代ねんだいなかばにケニアで現代げんだいてきかたちはじまり、のち米国べいこく英国えいこくひろがった、クラシカン、アフリカ、言語げんご (文化ぶんか)、およびポピュラー音楽おんがくのジャンルである。カルポップ音楽おんがくは、成長せいちょうするファンベースの本拠地ほんきょちつけており、おおくの地元じもと確立かくりつされたカルポップバンドだけでなく、新興しんこうのカルポップバンド(ナイロビだけでも13をえるアクティブなローカル・カルポップ・バンドがある)が、相互そうご組織そしきされただけでなく、カルポップをテーマにしたイベントとう、さまざまな活動かつどう従事じゅうじすることにより、このジャンルをさらにかためている[25] DON SANTO[26][27]。ケニアにはBadman Killa、Blessed Paul[28]、Cash B、Jay Nuclear、Rekless、G-Youts (Washu B と Nicki Mulla)、Sleek Whizz、Chizei など、カルポップ音楽おんがく演奏えんそうするおおくのアーティストが存在そんざいする[29]

ロック・ミュージックかんしては、やはり英語えいごけんであるきゅうイギリス植民しょくみん発達はったつやす傾向けいこうがある。ザンビアやジンバブエ、コンゴ、みなみアフリカとうでは70年代ねんだいからロック・バンドが活動かつどうしている。みなみアフリカはとく白人はくじん中心ちゅうしん社会しゃかい長年ながねんおくってきた関係かんけいか、白人はくじんけのロックバンドが多数たすう存在そんざいしている。サブジャンルも60年代ねんだいのビートミュージック、サイケデリック・ロックからはじまり、パンクロック、ハードロック、ヘヴィメタル、ブルースロックと、ほぼ欧米おうべいわらないレベルでバンドが存在そんざいしている。そのムーブメントとして存在そんざいするのは70年代ねんだいのザンビアでおこった「ザムロック」である、旧来きゅうらいザンビアの音楽おんがくえいべいサイケデリック・ロックのフュージョンジャンルである。代表だいひょうてきなバンドとしてW.I.T.C.H.The PeaceAmanazひとし存在そんざいする。ただしこのムーブメントは80年代ねんだいわりころにエイズの蔓延まんえん政情せいじょう不安ふあん原因げんいんとしてほぼほろんだ。西部せいぶおよび中央ちゅうおうアフリカでは電気でんき楽器がっき自体じたい使用しよう不安定ふあんてい関係かんけいから、あまり普及ふきゅうしているとはえない(シーンが存在そんざいするレベルではないという意味いみ)。

音楽おんがく業界ぎょうかい[編集へんしゅう]

アフリカのアーティストにとって、コンサートは業界ぎょうかい収入しゅうにゅう数少かずすくない方法ほうほうの1つであった。著作ちょさくけん侵害しんがい消費しょうひしゃ行動こうどう変化へんかが、レコードの売上うりあげ減少げんしょう背後はいごにある。アフリカでは、著作ちょさくけんほう施行しこう依然いぜんとしてよわいままである。MusikBiは、アフリカで最初さいしょ合法ごうほうてき音楽おんがくダウンロードWeb サイトである。ストリーミングを提供ていきょうしておらず、アフリカのインターネット速度そくどによって制限せいげんされている[30]。アフリカ諸国しょこく (ケニア、ガンビア、みなみアフリカ) では、アメリカの音楽おんがくあたえられた放送ほうそう時間じかんたいする抗議こうぎられた。ジンバブエでは、放送ほうそう時間じかんの75%を地元じもと音楽おんがく必要ひつようがある。保護ほご活動かつどうにより、ジンバブエではアーバン・グルーヴスのようなあたらしいジャンルの成長せいちょうられた[31]。2016ねんソニー・ミュージックはナイジェリアにオフィスを開設かいせつし、アフリカでの事業じぎょう開始かいしした。従来じゅうらい西側にしがわ主要しゅよう国際こくさいスタジオのサービスはアフリカでは利用りようできず、かれらの音楽おんがくたいする地元じもと需要じゅよう著作ちょさくけん侵害しんがいによってたされていた[32]。  

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]