(Translated by https://www.hiragana.jp/)
グレゴリウス3世 (ローマ教皇) - Wikipedia コンテンツにスキップ

グレゴリウス3せい (ローマ教皇きょうこう)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
グレゴリウス3せい
だい90だい ローマ教皇きょうこう
教皇きょうこう就任しゅうにん 731ねん3がつ18にち
教皇きょうこう離任りにん 741ねん11月28にち
先代せんだい グレゴリウス2せい
次代じだい ザカリアス
個人こじん情報じょうほう
死去しきょ 741ねん11月28にち
ひがしマ帝国まていこくローマ
そののグレゴリウス
テンプレートを表示ひょうじ

グレゴリウス3せい: Gregorius III, ? - 741ねん11月28にち)は、だい90だいローマ教皇きょうこう在位ざいい:731ねん3月18にち - 741ねん11月28にち)。

生涯しょうがい

[編集へんしゅう]

出身しゅっしんシリアで、教皇きょうこう就任しゅうにんまえ司祭しさいつとめた。731ねん2がつ11にちグレゴリウス2せい死去しきょしたため、3月18にち民衆みんしゅう歓呼かんこによって教皇きょうこう選出せんしゅつされたとつたえられている。

グレゴリウス2せい時代じだいひじりぞう破壊はかい運動うんどうイコノクラスム)をめぐってひがしローマ皇帝こうていレオーン3せい対立たいりつしており、またグレゴリウス2せい翌年よくねんである732ねんにはランゴバルド王国おうこくリウトプランドによるイタリア侵略しんりゃく再開さいかいされてラヴェンナ占領せんりょうされるなどして教皇きょうこう存在そんざいそのものが危機ききてき状況じょうきょうにあった。グレゴリウス3せいフランク王国おうこく援軍えんぐんもとめたが、このころのフランク王国おうこくはランゴバルド王国おうこく同盟どうめいしてイスラム勢力せいりょく交戦こうせんしていたため、援軍えんぐんことわられている。

グレゴリウス3せい事態じたいまりを打開だかいできぬまま、741ねん11月28にち在位ざいい10ねん8かげつ10日とおか死去しきょした。これ以降いこうヨーロッパじん教皇きょうこう2013ねん就任しゅうにんフランシスコまで1271年間ねんかん途絶とだえることとなる。

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]