パニヒダ台 だい [1] 。リティヤ台 だい (Lity tray)とも。ハリストス(キリスト) の磔刑 たっけい 像 ぞう が据 す えられ、その前 まえ に蝋燭 ろうそく を嵌 は め込 こ む突起 とっき が多数 たすう 設 もう けられ、火 ひ が灯 とも された蝋燭 ろうそく が立 た てられている。信徒 しんと はこのように蝋燭 ろうそく を捧 ささ げて永眠 えいみん 者 しゃ のために祈 いの る。パニヒダはこの台 だい の前 まえ で行 おこな われる事 こと が多 おお い(通夜 つや としてのパニヒダの際 さい には永眠 えいみん 者 しゃ の棺 かん の前 まえ で行 おこな われる事 こと が多 おお く、墓地 ぼち でのパニヒダでは墓前 ぼぜん で行 おこな われる事 こと が多 おお い)。この台 だい は移動 いどう する事 こと が可能 かのう で、聖堂 せいどう 中央 ちゅうおう に移動 いどう させてパニヒダをその前 まえ で行 おこな う事 こと もある。左 ひだり の台 だい の基部 きぶ に書 か き込 こ まれているのは八 はち 端 はし 十字架 じゅうじか 。(ポーランド のビャウィストク にある正教会 せいきょうかい の聖 せい ミコライ大 だい 聖堂 せいどう 内 うち )
『敗北 はいぼく 。パニヒダ。』(ロシア語 ご : Побежденные. Панихида. )ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン による露 ろ 土 ど 戦争 せんそう の一 いち 場面 ばめん を描 えが いた油彩 ゆさい 画 が 。膨大 ぼうだい な数 かず の兵士 へいし 達 たち の遺体 いたい を前 まえ に、正教会 せいきょうかい の司祭 しさい が振 ふ り香炉 こうろ を振 ふ りつつ、パニヒダを捧 ささ げている。[2]
『墓地 ぼち での九日 ここのか 祭 さい パニヒダ』(コンスタンティン・サヴィツキー (ロシア語 ご 版 ばん ) )
パニヒダ (ギリシア語 ご : Μνημόσυνο , ロシア語 ご : Панихи́да , 英語 えいご : Memorial service (or panikhída) )は正教会 せいきょうかい において永眠 えいみん 者 しゃ の為 ため に行 おこな われる奉 たてまつ 神 かみ 礼 あや 。永眠 えいみん した人 ひと が神 かみ の国 くに に安住 あんじゅう するために祈 いの り、かつ永眠 えいみん した人 ひと の信仰 しんこう を受 う け継 つ いで共 とも に永遠 えいえん の国 くに に与 あずか れるよう祈願 きがん するものである[3] 。
埋葬 まいそう 式 しき もパニヒダも未 み 信徒 しんと (正 せい 教徒 きょうと でない者 もの )の為 ため には通常 つうじょう 行 おこな われないが、未 み 信徒 しんと の永眠 えいみん 者 しゃ の為 ため には「異教 いきょう 人 じん パニヒダ」がある[4] 。
通夜 つや の祈 いの りとして行 おこな われたり、永眠 えいみん 者 しゃ の死後 しご 一定 いってい の時期 じき に適宜 てきぎ 行 おこな われたり、さらに暦 こよみ の上 うえ で定 さだ められた日 ひ に行 おこな われたりする[3] 。
「正教会 せいきょうかい のレクイエム」と呼 よ ばれるケースが正教会 せいきょうかい の聖歌 せいか を扱 あつか う市販 しはん のCD等 とう で散見 さんけん されるが、パニヒダはカトリック教会 きょうかい ・聖 せい 公会 こうかい のレクイエム とは形式 けいしき は全 まった く異 こと なるものであり、適切 てきせつ な表現 ひょうげん ではない。
日本 にっぽん 正教会 せいきょうかい における日本語 にほんご 表記 ひょうき 「パニヒダ」は教会 きょうかい スラヴ語 ご "Панихида " (パニヒダ)に由来 ゆらい する。語源 ごげん はギリシャ語 ご の「パン(すべて)」と「ニクス(夜 よる )」と「オーデー(歌 うた )」の三 みっ つの言葉 ことば の合成 ごうせい であり、「夜 よる を徹 てっ して歌 うた う」「徹夜 てつや の祈 いの り」を意味 いみ する[4] 。この名 な は、古代 こだい の教会 きょうかい においては異教徒 いきょうと からの迫害 はくがい を避 さ けるため、棺 かん の上 うえ で終夜 しゅうや 祈 いの り、埋葬 まいそう 式 しき も夜中 よなか に行 おこな われていたことに由来 ゆらい する[5] 。
ただし現代 げんだい の正教会 せいきょうかい では夜通 よどお し祈 いの る事 こと は殆 ほとん ど行 おこな われない[4] 。また、語源 ごげん は徹夜 てつや の祈 いの りという意味 いみ であるが、通常 つうじょう 、パニヒダは日本語 にほんご では徹夜 てつや 祷 いのり とは呼 よ ばれない。
語源 ごげん は上記 じょうき のようにギリシャ語 ご であるが、現代 げんだい のギリシャ正教会 せいきょうかい では"Μνημόσυνο "(ムニモーシノ[6] :「記憶 きおく 」の意 い )と呼 よ ばれ、パニヒダとは呼 よ ばれない[7] 。
このことと、先述 せんじゅつ した語源 ごげん の語義 ごぎ が殆 ほとん ど同 おな じであることなどから、日本 にっぽん 正教会 せいきょうかい においては埋葬 まいそう 式 しき の前 ぜん 晩 ばん に行 おこな われるパニヒダの事 こと を、仏教 ぶっきょう において一般 いっぱん 的 てき な呼称 こしょう である「通夜 つや 」と呼 よ ぶことがあまり忌避 きひ されない。但 ただ しパニヒダは埋葬 まいそう 式 しき の前 ぜん 晩 ばん だけに行 おこな われるものではなく、埋葬 まいそう 式 しき 後 ご の永眠 えいみん 者 しゃ の記憶 きおく を行 おこな う時期 じき に適宜 てきぎ 行 おこな われるものであり、パニヒダと通夜 つや とは完全 かんぜん には同義 どうぎ でない[4] 。
埋葬 まいそう 式 しき の前 ぜん 晩 ばん の「通夜 つや 」、および埋葬 まいそう 式 しき 後 ご の適宜 てきぎ に、永眠 えいみん 者 しゃ の記憶 きおく を行 おこな う祈 いの りとして行 おこな われる。「通夜 つや 」の際 さい 、パニヒダの祈 いの りを行 おこな うほか、親族 しんぞく や友人 ゆうじん が聖 ひじり 詠 えい (詩篇 しへん )を夜通 よどお し祈 いの る習慣 しゅうかん がある[4] 。
正教会 せいきょうかい においては人 ひと の死 し を「天国 てんごく への入 い り口 くち としての永眠 えいみん 」と捉 とら えており、忌避 きひ すべきものとして考 かんが えないため、他 た の多 おお くの奉 たてまつ 神 かみ 礼 あや と同様 どうよう に「祭 まつり 」として位置付 いちづ ける。それゆえ、パニヒダにも「祭 まつり 」の名 な を冠 かん した呼称 こしょう が多数 たすう 存在 そんざい する[4] 。
正教会 せいきょうかい においてはパニヒダを永眠 えいみん 者 しゃ のために行 おこな うにあたって奨励 しょうれい される時期 じき がある。しかし、諸々 もろもろ の事情 じじょう によって時期 じき をずらして行 おこな われる事 こと がしばしばある。特 とく に九日 ここのか 祭 さい は日本 にっぽん 正教会 せいきょうかい においては火葬 かそう が行 おこな われた後 のち すぐに、聖堂 せいどう 等 ひとし において行 おこな われるのが一般 いっぱん 的 てき である。
三日 みっか 祭 さい …永眠 えいみん 者 しゃ が永眠 えいみん した三日 みっか 目 め に行 おこな う。3日 にち 目 め に死 し から復活 ふっかつ したイイスス・ハリストス(イエス・キリスト) によって永眠 えいみん 者 しゃ の霊 れい が救 すく われるよう祈 いの る[8] 。
九日 ここのか 祭 さい …永眠 えいみん 者 しゃ が永眠 えいみん した九日 ここのか 目 め に行 おこな う。永眠 えいみん 者 しゃ の霊 れい が九 きゅう 階 かい 級 きゅう ある天使 てんし と共 とも に天上 てんじょう の教会 きょうかい に合 あ わせられるよう祈 いの る[8] 。
四 よん 十 じゅう 日 にち 祭 さい …永眠 えいみん 者 しゃ が永眠 えいみん した四 よん 十 じゅう 日 にち 目 め に行 おこな う。復活 ふっかつ 後 ご 40日 にち 目 め に昇天 しょうてん したイイスス・ハリストスによって、永眠 えいみん 者 しゃ の霊 れい が天国 てんごく に救 すく われるように祈 いの る[8] 。
一 いち 年 ねん 祭 さい …永眠 えいみん して一 いち 年 ねん 目 め に行 おこな う[4] 。
年 とし 祭 さい …年数 ねんすう に関係 かんけい なく任意 にんい に、永眠 えいみん 者 しゃ が永眠 えいみん した日 ひ に行 おこな う[4] 。
また、土曜日 どようび は永眠 えいみん 者 しゃ を特 とく に記憶 きおく する曜日 ようび とされる[8] 。これは土曜日 どようび に神 かみ が創造 そうぞう の業 ごう を休 やす んだことが(創世 そうせい 記 き 2:3)、神 かみ の国 くに における安息 あんそく を象 かたど っていると理解 りかい されることによる(ヘブライ人 じん への手紙 てがみ 4:9 – 10)[9] 。
上記 じょうき 永眠 えいみん 者 しゃ 個々人 ここじん に関連付 かんれんづ けられたものの他 ほか に、以下 いか の日 ひ が全 ぜん 永眠 えいみん 者 しゃ を特 とく に記憶 きおく する日 ひ とされている。
大 だい 斎 とき 準備 じゅんび 週間 しゅうかん の第 だい 三 さん 週間 しゅうかん 目 め (審判 しんぱん の週間 しゅうかん )の土曜日 どようび - 神 かみ の審判 しんぱん を記憶 きおく する日 ひ であり、神 かみ の審判 しんぱん において永眠 えいみん 者 しゃ の霊 れい が義人 ぎじん 達 たち の霊 れい と共 とも に天国 てんごく に救 すく われるのを祈 いの るため[9] [10] 。
大 だい 斎 とき の第 だい 2・第 だい 3・第 だい 4週間 しゅうかん の土曜日 どようび [11]
復活 ふっかつ 大祭 たいさい 後 ご の第 だい 一 いち 週間 しゅうかん (フォマの週間 しゅうかん )の月曜日 げつようび もしくは火曜日 かようび - 人 ひと の復活 ふっかつ の本源 ほんげん であるイイスス・ハリストスの復活 ふっかつ を讃 たたえ 揚 あげ しかつ記憶 きおく するため[10] 。
五 ご 旬 しゅん 祭 さい の土曜日 どようび - 世 よ の終 お わりにおける全 ぜん 死者 ししゃ の復活 ふっかつ を記憶 きおく すること、および「凡の霊 れい は聖 せい 神 かみ (聖霊 せいれい ) にて活 かつ され(いかされ)云々 うんぬん 」との祈祷 きとう 文 ぶん が歌 うた われるため[9] [10] 。
前駆 ぜんく 授洗イオアン斬首 ざんしゅ 祭 さい (9月 がつ 11日 にち )[11]
ソルンの聖 せい ディミトリイの記念 きねん の前 まえ の土曜日 どようび [11] (11月8日 にち の前 まえ の土曜日 どようび [9] )
パニヒダの殆 ほとん どの部分 ぶぶん は、司祭 しさい ・輔祭 ・詠 えい 隊 たい による永眠 えいみん 者 しゃ のための連 れん 祷 いのり と聖歌 せいか によって行 おこな われる[12] 。パニヒダの後半 こうはん にはリティヤ と呼 よ ばれる部分 ぶぶん がある[4] 。墓地 ぼち 祈祷 きとう や納骨 のうこつ の際 さい などにこの部分 ぶぶん のみを用 もち いて祈祷 きとう が行 おこな われることが多 おお い。
正教会 せいきょうかい のパニヒダと埋葬 まいそう 式 しき は、輔祭 (輔祭が居 い ない場合 ばあい は司祭 しさい )が永眠 えいみん 者 しゃ の霊 れい (たましい)の安息 あんそく を願 ねが う祈祷 きとう 文 ぶん を朗誦 ろうしょう した後 のち 、「永遠 えいえん の記憶 きおく 、永遠 えいえん の記憶 きおく 、永遠 えいえん の記憶 きおく 」と三 さん 回 かい 歌 うた われる聖歌 せいか を以 もっ て終結 しゅうけつ する。人 ひと を生 い かす、神 かみ による永遠 えいえん の記憶 きおく が永眠 えいみん 者 しゃ に与 あた えられるように祈願 きがん する祈祷 きとう 文 ぶん である[13] 。
他 た の奉 たてまつ 神 かみ 礼 あや と同様 どうよう 、正教会 せいきょうかい のパニヒダにおいては振 ふ り香炉 こうろ が多用 たよう される。殆 ほとん どの場合 ばあい 乳香 にゅうこう が用 もち いられ、独特 どくとく の香 かお りを伴 ともな う煙 けむり を発 はっ する。ただし、この振 ふ り香炉 こうろ を用 もち いるのは輔祭 か司祭 しさい であって、信徒 しんと が触 ふ れる事 こと は無 な く、信徒 しんと ・参 まいり 祷 いのり 者 しゃ による焼香 しょうこう の習慣 しゅうかん も無 な い。
モルドヴァ の正教会 せいきょうかい での糖 とう 飯 めし 。地域 ちいき によっては干 ほ し葡萄 ぶどう などを十字架 じゅうじか の形 かたち に盛 も って飾 かざ る。
糖 とう 飯 めし (とうはん)と呼 よ ばれる食物 しょくもつ が用意 ようい され、パニヒダの終了 しゅうりょう 後 ご に参 まいり 祷 いのり 者 しゃ に供 きょう される事 こと がある。
糖 とう 飯 めし とは、麦 むぎ ・餅 もち 米 まい といった穀物 こくもつ を炊 た いたものを、蜜 みつ や砂糖 さとう で甘 あま くしたもの。穀物 こくもつ を用 もち いるのはイオアンによる福音 ふくいん 書 しょ (ヨハネによる福音 ふくいん 書 しょ )の12章 しょう 24節 せつ にある一粒 ひとつぶ の麦 むぎ の喩 たと えに由来 ゆらい し、甘 あま くするのは申 さる 命 いのち 記 き 6章 しょう 3節 せつ にあるような「乳 ちち と蜜 みつ の流 なが れる地 ち 」と表現 ひょうげん された天国 てんごく の味 あじ わいを象 かたど るとされる。
皿 さら に丸 まる く盛 も り付 つ けられ、その上 うえ に干 ほ し葡萄 ぶどう などを十字架 じゅうじか の形 かたち に飾 かざ る事 こと が多 おお い。
パニヒダで歌 うた われる正教会 せいきょうかい 聖歌 せいか [ 編集 へんしゅう ]
大体 だいたい において広 ひろ く用 もち いられる簡明 かんめい な旋律 せんりつ が無 む 伴奏 ばんそう で歌 うた われる事 こと が殆 ほとん どであるが(正教会 せいきょうかい の聖歌 せいか は無 む 伴奏 ばんそう の歌唱 かしょう が基本 きほん である)、ごく稀 まれ にロシア正教会 せいきょうかい やセルビア正教会 せいきょうかい の作曲 さっきょく 家 か によって作 つく られた聖歌 せいか が用 もち いられる事 こと もある。日々 ひび のパニヒダにおいてこれらが用 もち いられるケースは極 きわ めて少 すく ないが、CD等 とう の各種 かくしゅ 録音 ろくおん 媒体 ばいたい において、これらの作品 さくひん の録音 ろくおん を聞 き く事 こと が出来 でき る。また、パニヒダの全曲 ぜんきょく もしくは大 だい 部分 ぶぶん を網羅 もうら する作曲 さっきょく は行 おこな わずとも、一部 いちぶ に曲 きょく 付 づ けを行 おこな った作曲 さっきょく 家 か は多数 たすう 存在 そんざい する。
パニヒダに作曲 さっきょく を行 おこな った正教会 せいきょうかい 聖歌 せいか 作曲 さっきょく 家 か [ 編集 へんしゅう ]
葬送 そうそう ・葬儀 そうぎ
自然 しぜん 葬 そう 歴史 れきし 上 うえ の葬 そう 制 せい 宗教 しゅうきょう 上 うえ の葬 そう 制 せい 葬儀 そうぎ 形態 けいたい 学術 がくじゅつ 研究 けんきゅう その他 た
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