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利用者:LilyKitty - Wikipedia コンテンツにスキップ

利用りようしゃ:LilyKitty

本日ほんじつ震災しんさいいのちうしなわれた方々かたがたのご冥福めいふくあらためておいのもうげます。そして、いまなお困難こんなんなかにあられる被災ひさいしゃ皆様みなさまかたしんより御見舞おみまいもうげます。--LilyKitty会話かいわ) 2012ねん3がつ11にち (日)にち 05:21 (UTC)

このたび大震災だいしんさい大津おおつ被害ひがい犠牲ぎせいしゃ方々かたがたのご冥福めいふくをおいのりいたしますとともに、被災ひさいしゃ方々かたがたへの一刻いっこくはや支援しえん復興ふっこうをおいのもうげます。そして未曾有みぞう困難こんなんなか懸命けんめいきるためたたかっていらっしゃる方々かたがたおよ救援きゅうえん支援しえんにあたられていらっしゃる関係かんけいしゃ方々かたがたふか敬意けいいかんじざるをません。--LilyKitty 2011ねん3がつ18にち (金)きん 00:21 (UTC)

天皇てんのう御代みよさかええむとひがしなるみちのくさんきむはなく -『万葉集まんようしゅう』、まき18、4097
ウクライナ平和へいわ自由じゆう
ガザ地区ちくふくパレスチナ平和へいわ自由じゆう

戦争せんそう廃絶はいぜつ国際こくさい連合れんごう改革かいかくのため連帯れんたいあらわします。

ガザ地区ちくでの戦争せんそう停戦ていせんパレスチナじんへの迫害はくがいシオニズムの廃絶はいぜつ希求ききゅうします。

そして戦争せんそう犯罪はんざい資金しきんげん廃絶はいぜつ地球ちきゅう温暖おんだん防止ぼうしのため、原子力げんしりょく発電はつでん拡大かくだい技術ぎじゅつ革新かくしん支持しじします。

"placet Stoicis homines hominum causa esse generatos, ut ipsi inter se aliis prodesse possunt."

ストアは、ひとひとのためにまれ、たがいにたすこと出来できることをつたえる。」キケロー

すべてのあい尊厳そんげんを。すべての個性こせいひかりを。--LilyKitty会話かいわ) 2012ねん5がつ17にち (木)もく 08:35 (UTC)

"Den sterkeste man i verden, det er han som står mest alene." Henrik Ibsen "En folkefiende"

世界せかいもっとつよ人間にんげんは、もっと孤独こどくにあるもの味方みかた人間にんげんである。」- ヘンリック・イプセン、『民衆みんしゅうてき

政府せいふにすら期待きたいしてはならない。政府せいふは、最後さいご場合ばあいには民衆みんしゅう阿諛あゆすることしかかんがえないであろう。世論せろんはいつも民主みんしゅ社会しゃかいにおけるかみだからである。われわれは民主みんしゅ社会しゃかいにおけるかみである世論せろん否定ひていし、最終さいしゅうてきには大衆たいしゅう社会しゃかいっているその人間にんげんせい否定ひていしようとするのである。 では、その少数しょうすうしゃ意識いしき行動こうどう根拠こんきょなにであるか。それこそは、天皇てんのうである。中略ちゅうりゃく)われわれは、自民党じみんとうまもるためにたたかうのでもなければ、民主みんしゅ主義しゅぎ社会しゃかいまもるためにたたかうのでもない。(中略ちゅうりゃく結局けっきょく目標もくひょう天皇てんのう護持ごじであり、その天皇てんのう終局しゅうきょくてき否定ひていするような政治せいじ勢力せいりょくを、粉砕ふんさいし、撃破げきはることでなければならない。

言論げんろん自由じゆう観点かんてんからも、天皇てんのう統治とうちの「わたし」の本来ほんらいてき性格せいかくからも、もっともおそれるべき理論りろんてき変質へんしつはじまったのは、大正たいしょういちよんねんの「治安ちあん維持いじほう以来いらいだとかんがえるからである。そのだいいちじょうの、「国体こくたい変革へんかくまた私有しゆう財産ざいさん制度せいど否認ひにんスルコトヲ目的もくてきトシテ……」という並列へいれつてき規定きていは、まさにこの瞬間しゅんかん天皇てんのう国家こっか国体こくたいを、私有しゆう財産ざいさん制度せいどならびに資本しほん主義しゅぎそのものと同義語どうぎごにしてしまったからである。この条文じょうぶんの「不敬ふけい」にづいたものはなかった。

かつてたて武中たけなか輿こし後醍醐天皇ごだいごてんのうによって実現じつげんしたとき、それは政権せいけん移行いこうのみならず、王朝おうちょう文化ぶんか復活ふっかつ意味いみしていた。 孝明天皇こうめいてんのうだいしんこたえておこった桜田さくらだ門外もんがいへん義士ぎしたちは、「一筋ひとすじみやび」を実行じっこうしたのであって、天皇てんのうのための蹶起けっきは、文化ぶんか様式ようしき背理はいりせぬかぎり、容認ようにんされるべきであったが、西欧せいおうてき立憲りっけん君主政体くんしゅせいたい固着こちゃくした昭和しょうわ天皇てんのうせいは、二・二六事件ににろくじけんの「みやび」を理解りかいするちからうしなっていた。 御歌所おうたどころ伝承でんしょうは、帝王ていおうによって主催しゅさいされ、(中略ちゅうりゃく民衆みんしゅうを「みやび」をもっ統治とうちするという、万葉集まんようしゅう以来いらい文化ぶんか共同きょうどうたい存在そんざい証明しょうめいであり、独創どくそう周辺しゅうへんいやられ、月並つきなみ核心かくしんかがやいている。民衆みんしゅうはみやびに参与さんよすることにより、くに伝統でんとうをただ「る」だけでなく、つくることによって参加さんかし、つその文化ぶんかてき連続れんぞくせいから「見返みかえし」されるという栄光えいこうあたえられる。その主催しゅさいしゃたるげん天皇てんのうは、あたかも伊勢神宮いせじんぐう式年しきねん遷宮せんぐうのように、今上きんじょうであらせられるととも原始げんし天皇てんのうなのであった。だい嘗会新嘗祭にいなめさいは、このことをよくつたえている。 文化ぶんかげん存在そんざい源泉げんせん創造そうぞう伝承でんしょうが、このようなかたちかかわりっている文化ぶんか共同きょうどうたいとしての天皇てんのうせいは、近代きんだい文化ぶんかにな意識いしきからは一切いっさい払拭ふっしょくされているようにえるけれど、われわれは宮廷きゅうていふう優雅ゆうがのほかには、しん典型てんけいてき優雅ゆうが規範きはんたず、文化ぶんか全体ぜんたいせいは、自由じゆう責任せきにんという平面へいめんてき対立たいりつ概念がいねんうらにではなく、自由じゆう優雅ゆうがという立体りったいてきてき構造こうぞううらにしかないのである。- 三島みしま由紀夫ゆきお文化ぶんか防衛ぼうえいろん、p.30,31,72-74,76-77より引用いんよう (一部いちぶ中略ちゅうりゃく

皇祖こうそ皇宗こうそうのおんれい体現たいげんしたたまい、へいひきいてはかうてきなく、蒼生そうせいあわれんでは慈雨じうよりもゆたかなおんかた
われらはその怪獣かいじゅうどもを仆して、陛下へいかをおすくもうげたい、とせつねんじた。
おもいみよ。
そのとき玉穂たまほなす瑞穂みずほくに荒廃こうはいし、みんえにき、女児じょじられ大君おおきみのしろしめす王土おうどちていた。かみ々はかみはかりにはかりたまい歴史れきし井戸いどのもっともきよらかなみずげ、それをわれらがあたまそそいで、荒地あれちしてあお岷にわらしめ、現人神あらひとがみとの対話たいわをひそかに用意よういされた。
陛下へいかのおんにくしみはかぎりがなかった。
赤誠せきせい叛徒はんととなりしかんしんのナチスかぶれの軍閥ぐんばつは、さえぎるもののない戦争せんそうへのみちひらいた。
しかし叛逆はんぎゃくとは!叛乱はんらんとは国体こくたいあきらかにせんための義軍ぎぐんをば、叛乱はんらんぐんばしてなしむる、そのだいしん仁慈じんじはつよほどもなかりしか。
いちあにかみたちの蹶起けっきときいちわれらののあと、くにやぶれたあとのときである。
歴史れきしに『もし』はおろかしい。しかし、もしこののときに、陛下へいか決然けつぜんかみにましませば、あのようなむなしい悲劇ひげきふせがれ、このようなむなしい幸福こうふくふせがれであろう。
されど、ただひとつ、ただひとつ、
いなかる強制きょうせい、いかなる弾圧だんあつ
いかなる脅迫きょうはくありとても、
陛下へいか人間にんげんなりとおおせられべかざりし。
ただ陛下へいかいちにんかみとして御身おんみたもたせだまい、
そを架空かくう、そをいつわりとはゆめのたまわず、
祭服さいふく玉体ぎょくたいつつみ、夜昼よるひるおぼろげに
宮中きゅうちゅう賢所かしこどころのなお奥深おくふか
皇祖こうそ皇宗こうそうのおんみたまのまえにぬかずき
かみのおんみたまにしたるものらのれいまつりて
ただいつき、ただいのりてまさば、
なにほどかみことかりしらん。 - 三島みしま由紀夫ゆきお、『英霊えいれいこえ』p.27~p.70より抜粋ばっすい
"Democracy meant all men ware to be heard, and decision was taken together as a people. Majority rule was a foreign notion. A minority was not to be crushed by a majority.
While I was stimulated by the Communist Manifesto, I was exhausted by the Das Kapital.
Man's goodness is a flame that can be hidden but be never extinguished." - Nelson Mandela, "Long Walk to Freedom"

民主みんしゅ主義しゅぎ元来がんらいすべてのひとみみかたむけ、その決定けってい人民じんみんにおいてともになされた。多数決たすうけつとは無縁むえん概念がいねんであった。少数しょうすうしゃ多数たすうによって否定ひていされなかった。」「[わたし共産党きょうさんとう宣言せんげん関心かんしんったとき、資本しほんろん高揚こうようした。」「人間にんげんぜんかくされることはあっても、けっしてやされることのないほのおである。」- ネルソン・マンデラ、『自由じゆうへのながあゆみ』

An die Stelle der alten bürgelischen Gesellschaft mit Klassen und Klassen-Gegensätzen tritt eine Assosiation, worin die frie Etwicking eines Jeden, die Bedingung för die frie Entwicklung Aller ist.

階級かいきゅう階級かいきゅう対立たいりつともなうブルジョア社会しゃかいわって、一人ひとりいちにん自由じゆう発展はってんが、全体ぜんたい自由じゆう発展はってん条件じょうけんとなる共同きょうどうたいあらわれる。」カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『共産党きょうさんとう宣言せんげん

みずかむしけらになるものは、あとみつけられても文句もんくえない。」それは、「自分じぶん権利けんり他人たにんあししたてること、自分じぶん自身じしんたいする人間にんげん義務ぎむ違反いはんすることである。」イマニュエル・カント、『人倫じんりん形而上学けいじじょうがく基礎きそづけ

Das Recht ist nicht blosser Gedenken, sondern lebendige Recht. Denn führt die Gerechtigkeit die in der einer Hand die Wagshule, mit welcher sie das Recht abwägt, in der andern die Schwert, wie den es behauptet. Das Schwert ohne die Wagen, das nackte Gewalt, die Wagen ohne Schwert, des Ohmacht des Rechts.

権利けんりほうは、たんなる思想しそうではなく、きとしたちからなのである。だからこそ、片手かたて権利けんりほうはかるためのばかりをもつ正義せいぎ女神めがみは、もう一方いっぽう権利けんりほうつらぬくためのけんにぎっているのだ。ばかりともなわないけんはだか実力じつりょくを、けんともなわないばかり権利けんりほう無力むりょく意味いみする。」ルドルフ・フォン・イェーリング 、「権利けんりのための闘争とうそう」(村上むらかみ淳一じゅんいちやく、13,14,29こうより引用いんよう

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仁徳天皇にんとくてんのうもちけむり
高津たかつみや闕望炊煙すいえん
御製ぎょせいこんてるへん
四海しかい洋洋ようよう恩澤おんたくあまね
きよしくん修徳しゅうとくたがえてん
きょう畝傍うねびりょう
松柏しょうはく囲山かこいやまみどり鬱然うつぜん
白雲しらくも揺曳ようえいりょうまえ
はじめもとたれすべ仰天ぎょうてんぎょう
はるせんひゃくねん
乃木のぎ希典まれすけ惜花ゆうかん
くさちょううぐいす啼日よく
よし桜花おうか惜花ふか
桜花おうか再発さいはつ将軍しょうぐん
うら長留ながる千古せんここころ 大正天皇たいしょうてんのう御製ぎょせい

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  • いままで資本しほん主義しゅぎ各種かくしゅ矛盾むじゅん暴露ばくろしながら進展しんてんげてきた。そしてそのたび経済けいざいがく発展はってんし、徐々じょじょ認識にんしきすすめて、マルクスにいたりほぼ完全かんぜん資本しほん主義しゅぎ機構きこう科学かがくてき解明かいめいしつくされた。
  • いちけたって、日本人にっぽんじんのこかぎり、日本にっぽんほろびないのだ。
  • 軽井沢かるいざわたような富豪ふごう生活せいかつ近時きんじ見聞みききする軍人ぐんじんときがお振舞ふるまい、かん資本しほん実情じつじょうるにつけ、我々われわれむねえくりかえるをおぼえる。  - 佐々木ささき八郎はちろう、 1945ねん4がつ14にち沖縄おきなわ海上かいじょう昭和しょうわ特別とくべつ攻撃こうげきたいとして戦死せんし。22さい(『きけ わだつみのこえ』193、195、197、200ページより引用いんよう
  • おそらくいま人間にんげんほどかみからとおくかけはなれた時代じだいはないとおもう。そしてこれから将来しょうらい宗教しゅうきょうおもんぜられるというものはたしてるのであろうか。
  • じつ馬鹿馬鹿ばかばかしい。近代きんだい文化ぶんかせいきわめてこれからの戦争せんそうしょするくに軍隊ぐんたいに、文字もじいちいちちがえたらいかん・・・・・の原始げんしてき能率のうりつてき国民こくみん学校がっこうりゅうのものが存在そんざいするとは、ただあきれるばかり。
  • 人間にんげんは、人間にんげんがこのつくったとき以来いらいすこしも進歩しんぽしていないのだ。
今次こんじ戦争せんそうには、もはや正義せいぎ云々うんぬん問題もんだいではなく、ただただ民族みんぞくあいだ憎悪ぞうお爆発ばくはつあるのみだ。
敵対てきたい民族みんぞくには各々おのおのその滅亡めつぼうまでせんめることはないであろう。
おそろしき哉、あさましき哉
人類じんるいよ、さる親類しんるいよ。 - 長谷川はせがわしん、1945ねん4がつ12にち武揚ぶよう特別とくべつ攻撃こうげきたいとして沖縄おきなわにて戦死せんし陸軍りくぐん少尉しょうい。23さい (『きけ わだつみのこえ』 280、281、284ページより引用いんよう
  • クローチェえり。こん国家こっか特殊とくしゅなる使命しめいはありず。もしありとせば、それは神話しんわなりと。八紘はっこう一宇いちう理想りそうは、おのおのそのところをしむることにありとせば、そは自由じゆう主義しゅぎてきなるものをふくみ、また一方いっぽうにおいては共産きょうさん主義しゅぎてきまんにん平等びょうどう性質せいしつゆうす。わば、その折衷せっちゅうならん。
  • 本来ほんらい人間にんげん個人こじんのことをかんがえる。国家こっか概念がいねん個人こじんうえにせしめるごと強要きょうようすることは自然しぜんせいはんす。自然しぜんせいはんするものはながつづかぬ。たとえば飛行ひこうよ。
  • 日本にっぽん軍隊ぐんたいにおいては、人間にんげん本性ほんしょうたる自由じゆうおさえることを修業しゅぎょうすれど、いいく、そして自由じゆうせいをある程度ていどおさえることができると,修養しゅうようができた、軍人ぐんじん精神せいしんはいったとおもい、ほこらしくおもう。およそこれほどおろかなものはない。
  • かくてかれらは、いち無知むち国民こくみんをあざむきたが、どきつにしたがい、てん自然しぜん我々われわれしめしてくれたのである。かれらは、ジャーナリズムを以って、あくまでも国民こくみんをあざむかんとつとめたるも、自然しぜんちからにはそのまえあたまげざるをなくなりつつある。
  • 特攻隊とっこうたいいんたけたい)となりて
あらかじするところ、死所しにどころたるをよろこぶ。えらばれて今日きょうれの栄光えいこうを受く。
日本にっぽん昔日せきじつだいえい帝国ていこくごとくせんとする、わたし理想りそうむなしくやぶれました。このうえはただ、日本にっぽん自由じゆう独立どくりつのため、よろこんで、いのちささげます。
人間にんげんにとっていちこく興亡こうぼうは、じつ重大じゅうだいなことでありますが、宇宙うちゅう全体ぜんたいからかんがえたときは、じつ些細ささいことです。  

- 上原うえはら良司りょうじ、1943ねん12月1にち松本まつもと歩兵ほへいだい50連隊れんたい入隊にゅうたい、1945ねん5がつ11にち陸軍りくぐん特別とくべつ攻撃こうげきたいとして、沖縄おきなわ嘉手納かでなおきべい機動きどうたい突入とつにゅう戦死せんし陸軍りくぐん大尉たいい。22さい (『きけ わだつみのこえ』366、367、371~374、376ページより引用いんよう


  • ためによしとおもえはることも各々おのおのの ひとたがえへばなべてにあらず
  • いざ吾妹わぎも高天こうてんはらまいりのぼり てんはしらまわりらむ
  • けんりて蹶起けっきすることは一見いっけん至高しこう大義たいぎおもわるも今日きょうこのままの状態じょうたいにおいては人為じんい人力じんりきにさらに人為じんい人力じんりきくわえ、神意しんいそむきしうえにもにもさらに神意しんいそむくものであり、ますますぎゃく結果けっかいたり」
  • 玉音ぎょくおん放送ほうそうのあったにちの8がつ17にち、16さいになったばかりのいち少女しょうじょが、疎開そかいさき長野ながのけん北佐久きたさくぐん農家のうか一室いっしつ自決じけつした。短刀たんとうもちい、十文字じゅうもんじはらいたのちさきくびいて絶命ぜつめいいたるという、むかし武士ぶしでもなかなかこうはいかなかっただろうとおもえるほどの、見事みごとかただった。んだ少女しょうじょがもたせけた経机きょうづくえには、東京とうきょうだい空襲くうしゅうくなった父母ちちはは位牌いはいならべられ、遺言ゆいごんには、

せんけた日本にっぽんにはきたくありません。おんなながら日本人にっぽんじんらしく切腹せっぷくしてにます」

とあった。

  • 昭和しょうわ29ねん11月、千葉ちばでハトが大好だいすきな中学ちゅうがくさんねん少年しょうねん自殺じさつした。手段しゅだん切腹せっぷく当時とうじ、それが平和へいわのシンボルとされたことも手伝てつだって、少年しょうねんたちのあいだでハトの飼育しいくだい流行りゅうこうしていたのだが、かれもその一人ひとりだった。
  • 「しかしみずからのガソリンをかけ合掌がっしょうしたままくろこげこげになる僧侶そうりょと、それを人間にんげんのバーべキュとののし政治せいじ理論りろんのあいだにひらく深淵しんえんこそ、いまなお人類じんるい克服こくふくしえないでいる非人ひにんあいだせいのいっさいがふくまれている。」
  • 1961ねん8がつ1にち交通こうつう事故じこにあってんだいち老人ろうじんたいする警官けいかん人道的じんどうてきあつかいに抗議こうぎしてがった釜ヶ崎かまがさきだいいち暴動ぼうどうは、よん日間にちかんにわたって、近畿きんき警察官けいさつかんいちまんいちせんのうちろくせんめい武装ぶそう警官けいかん日本にっぽんがたな武装ぶそうした私設しせつ暴力団ぼうりょくだんすうじゅうにんをひきずりし、威嚇いかく射撃しゃげきをもものとせず、いちまんにん以上いじょう労働ろうどうしゃしゃ住民じゅうみんが、あらゆるものを武器ぶきにし、いちめい死亡しぼうしゃしつつ、あら死闘しとうひろげたのである。(中略ちゅうりゃく暴動ぼうどうとは、日常にちじょうてきにやられつづけて寝入ねいりさせられてきた『弱者じゃくしゃ』の、『強者きょうしゃ』たるてき権力けんりょくたいする心底しんそこからのうらみをたたきつけるたたかいであり、そうであるがゆえに、その戦闘せんとう行為こういすぐれてゲリラてき妥協だきょうてき和解わかいてき階級かいきゅう闘争とうそうである。
  • 超越ちょうえつせい崩落ほうらく
  • 超越ちょうえつてきしんきゅうによる規範きはんてき規則きそくは、それ自身じしん、その超越ちょうえつてきしんきゅう従属じゅうぞくするものからの内的ないてき承認しょうにん依存いぞんしている。超越ちょうえつてきしんきゅうは、このような反照はんしょう規定きてい循環じゅんかんなかでのみ存立そんりつすることができるのだ。」- 朝倉あさくら喬司たかし、『自殺じさつ思想しそう』(きることへの窮極きゅうきょくい)の、それぞれ83、192、197、198、268-269、347-348、352、394、405ページより引用いんよう


かみながらのみち祭政さいせい一致いっちであり、このうつあらわかみである天皇てんのうつかえまつるのと、かそけとおかみつかえまつることはおなじことであり、まつりごとはいずれもかみいのちけておこなわれるべきであるが、かみいのちけるには敬虔けいけんかぎりをくして、宇気うけるのほかはない。
純粋じゅんすいとは、はなのような概念がいねん薄荷はっかをよくかせた含嗽がんそうやくあじのような概念がいねん、やさしいははむねにすがりつくような概念がいねんを、ただちに、概念がいねん不正ふせいたおかたな概念がいねん袈裟けさがけにげると同時どうじしぶきの概念がいねん、あるいは切腹せっぷく概念がいねんむすびつけるものだった。「はなる」というときに、みどろのの屍体したいはたちまちにおいやかあさくらはなした。純粋じゅんすいとは、せい反対はんたい概念がいねんのほしいままの転換てんかんだった。だから、純粋じゅんすいとはなのである。-三島みしま由紀夫ゆきお、『奔馬ほんば
川上かわかみのゆついわぐんくさむさず つねにもがなつね処女しょじょにて
いにしえのななさかしきひとどももほっりせしものはさけにしあるらし
世間せけんなにたとええむあさびらきこぎにしせんあとのなきごとし
天地てんちかみけよくさまくら たびゆくきみいえいたるまで
かみめいかみませててときへどもひとしんまもり敢へずも
生死せいしふたつのうみいやはしみ 潮干しおひやまをしのひつるかも - 万葉集まんようしゅう、 (だい340、だい351、だい549、だい2657、3849うた)


昨日きのうまではなるをぞ惜こしゆめうつつなつくれにけり
につもるつみやいかなるつみならむ けふゆきともにけななむ
大日だいにち種子しゅしよりいでて三味しゃみ耶形 さまやぎやうまたみことがたとなる
ほのほのみ虚空こくうにみてる阿鼻地獄あびじごく くへもなしといふもはかなし
かくてのみありてはかなきちゅうしとやいはむあはれとやいはむ
ものいはぬ四方しほうししすらだにも あわれなるかなおやおもふ - じつあさ右大臣うだいじんきむえんじゅ和歌集わかしゅう
地上ちじょうにはわれわれのくにがない
地上ちじょうにはわれわれのなまあたいするくにがない - 田村たむら隆一りゅういち、『だてかん』(「よんせんよる収録しゅうろくより)

"Si ad naturam vives, numquam eris pauper; si ad opiniones, numquam eris dives. Exiguum natura desiderat, opinio immensum." Lucius Annaeus Seneca, "Epistulae Morales"

「もしあなたが自然しぜん本性ほんしょう沿ってきるなら、あなたはけっしてまずしくはならないでしょう。もしひと意見いけん沿ってきるならあなたはけっしてゆたかにはならないでしょう。自然しぜん本性ほんしょう極小きょくしょうを、意見いけん極大きょくだいほっするのです。」- ルキウス・アンナエウス・セネカ、「道徳どうとく書簡しょかんしゅう

「ほんとうの犯罪はんざいしゃとは、宗教しゅうきょうまたは政治せいじ次元じげん正統せいとうせいて、信者しんじゃ背徳はいとくしゃ峻別しゅんべつする人々ひとびとのことなのである」- エミール・シオラン、『崩壊ほうかい概論がいろん』p.13

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οおみくろんυうぷしろん μみゅーαあるふぁνにゅー γがんまαあるふぁρろー τたうιいおた τたうοおみくろんυうぷしろん εいぷしろんσしぐまτたうιいおたνにゅー οιξυρωτρον ανδρος πぱいαあるふぁνにゅーτたうωおめがνにゅー, οおみくろんσしぐまσしぐまαあるふぁ τたうεいぷしろん γがんまαあるふぁιいおたαあるふぁνにゅー εいぷしろんπぱいιいおた πνειει τたうεいぷしろん κかっぱαあるふぁιいおた ερπει.   -Homerus "Ilias" XVII, 446

地上ちじょうにて呼吸こきゅうし這へるまんけるものうち人間にんげんさりて悲惨ひさんなるは。」  ホメーロス 「イーリアス

οおみくろんυうぷしろん μみゅーεいぷしろんνにゅー σχετλια εいぷしろんρろーγがんまαあるふぁ θしーたεいぷしろんοおみくろんιいおた μακαπες φιλεοθσιν, αλλα δでるたιいおたκかっぱηいーたνにゅー τιοθσι κかっぱαあるふぁιいおた αισιμα εいぷしろんρろーγがんま ανθρωπον. - Homerus "Odyssea", XIV, 83

多幸たこうなるかみ々は残虐ざんぎゃくなる仕事しごとよみせず、しか人々ひとびと正義せいぎせいしき行為こういむくいゆ。」ホメーロス 「オデュッセイア

μみゅーοおみくろんνにゅーοおみくろんυうぷしろん γがんまαあるふぁρろー αあるふぁυうぷしろんτたうοおみくろんυうぷしろん κかっぱαあるふぁιいおた θεος στερισκεται, αγενητα ποιειν αあるふぁσしぐまσしぐま' αあるふぁνにゅー ηいーた πεπραγμενα. - Aristoteles "Ethica Nicomachea", Liber VI

かみですら出来でき唯一ゆいいつのこと、それはされたることをされざることとえることなり。」 アリストテレス 「ニコマコス倫理りんりがく

"Hoc tempore obsequium amicos, veritas odium parit"    -Terentius "Andria"

いまにあつてはび諂ひがともみ、真実しんじつにくしみをむ。」 プビリウス・テレンティウス・アフェル 「アンドロスとうおんな

"Pax enim non belli privatio, sed virtus est, quae ex animi fortitudine orituri est. namque obsequium constans voluntas id exequendi, quod ex communi Civitatis decreto fieri debet. Illa preaterea Civitas, cuius pax a subditiorum inertia pendet, qui scilicet veluti pecora ducuntur, ut tantum servire discant, rectius solitudo, quam Civitas dici potest."     -Benedictus de Spinoza "Tractatus politicus" Caput. V, sectio IV

平和へいわとは戦争せんそう不在ふざいず、その権力けんりょく本質ほんしつ問題もんだいたる積極せっきょくてきとくり。なんとならばしばしば隷従れいじゅう一貫いっかんした意思いしをなし、国家こっか一般いっぱん意思いしによりて決定けっていによりてさるるべき事項じこう執行しっこうするがゆえに。しかしてくに臣民しんみん無力むりょくによりて平和へいわ維持いじせる状況じょうきょうになれリ。その臣民しんみん家畜かちくごとおどされ、ある特定とくてい役割やくわり順応じゅんのうのうざらば、奴隷どれい役割やくわりあずからるる。しかるにかくのごと政府せいふ国家こっかあたいせず、むし砂漠さばくぶに相応ふさわし。」   バルーフ・デ・スピノザ  「政治せいじろん

"princeps rei pubilica gratia constituitur, non res pubilica principis causa." - Erasmus, "Colloquia Familiaria"

支配しはいしゃ国家こっかためり、国家こっか支配しはいしゃためるにず。」 デジデリウス・エラスムス 「対話たいわしゅう

Zum ewigen Frieden
Ob diese satirische Überschrift auf dem Schilde jenes holländischen Gastwirts, worauf ein Kirchhof gemalt war, die Menschen überhaupt, oder besonders die Staatsoberhäupter, die das Krieges nie satt werden können, oder wohl gar nur die Pilosophen gelte, die jenen süßen Traum träumen, mag dahingestellt sein. - Immanuel Kant, "Zu ewigen Frieden, Ein philosophischer Entwurf"
永遠えいえん平和へいわのために
墓場はかばえがかれたる阿蘭陀おらんだ食堂しょくどう宿やど看板かんばんにあつたこの皮肉ひにくなるめいは、人間にんげん一般いっぱん妥当だとうするものか、あるひはけっして戦争せんそうめようとせぬ国家こっか元首げんしゅらに妥当だとうするものか、あるひはかのあま夢見ゆめみ哲学てつがくしゃのみに妥当だとうするものかは、未定みていとせなむ。イマヌエル・カント永遠えいえん平和へいわのために
Κかっぱαあるふぁιいおた εいぷしろんτたうιいおた εいぷしろんιいおたδでるたοおみくろんνにゅー υうぷしろんπぱいοおみくろん τたうοおみくろんνにゅー ηいーたλらむだιいおたοおみくろんνにゅー τたうοおみくろんπぱいοおみくろんνにゅー της κρισεως, εいぷしろんκかっぱεいぷしろんιいおた οおみくろん ασεβης,
κかっぱαあるふぁιいおた τたうοおみくろんπぱいοおみくろんνにゅー τたうοおみくろんυうぷしろん δικαιου, εいぷしろんκかっぱεいぷしろんιいおた οおみくろん ασεβης.
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Σしぐまυうぷしろんνにゅー τたうοおみくろんνにゅー δικαιον κかっぱαあるふぁιいおた σしぐまυうぷしろんνにゅー τたうοおみくろんνにゅー αあるふぁσしぐまεいぷしろんβべーたηいーた κριυει οおみくろん θεος
οおみくろんτたうιいおた καιρος τたうωおめが πぱいαあるふぁνにゅーτたうιいおた πραγματι κかっぱαあるふぁιいおた εいぷしろんπぱいιいおた πぱいαあるふぁνにゅーτたうιいおた τたうωおめが ποιηματτι.
κかっぱαあるふぁιいおた τたうιいおた επερισσευσεν οおみくろん ανθρωπος πぱいαあるふぁρろーαあるふぁ τたうοおみくろん κτηνος;
οおみくろんυうぷしろんδでるたεいぷしろんνにゅー οおみくろんτたうιいおた τたうαあるふぁ πぱいαあるふぁτたうαあるふぁ ματαιοτης. -Liber Ecclesiastes III, 16-17, 19
Κかっぱαあるふぁιいおた επεστρεψα εいぷしろんγがんまωおめが κかっぱαあるふぁιいおた εいぷしろんιいおたδでるたοおみくろんνにゅー σしぐまυうぷしろんνにゅー
πασας τας συκφαντιας τας γιγνομενας υうぷしろんπぱいοおみくろん ηいーたλらむだιいおたοおみくろんνにゅー.
κかっぱαあるふぁιいおた ιいおたδでるたοおみくろんυうぷしろん δακρουον τたうωおめがνにゅー συκοφαντουμενων,
κかっぱαあるふぁιいおた οおみくろんυうぷしろんκかっぱ εいぷしろんσしぐまτたうιいおたνにゅー αυτοις παλακαλων,
κかっぱαあるふぁιいおた αあるふぁπぱいοおみくろん χειρος συκοφαντουντων αυτους ισχυς,
κかっぱαあるふぁιいおた οおみくろんυうぷしろんκかっぱ εいぷしろんσしぐまτたうιいおたνにゅー αυτοις παλακαλων,
κかっぱαあるふぁιいおた επηνεσα εいぷしろんγがんまωおめが σしぐまυうぷしろんνにゅー τοιυς τεθνηκοτας
τους ηいーたδでるたηいーた αποθανοντας υうぷしろんπぱいεいぷしろんρろー τους ζωντας,
οおみくろんσしぐまοおみくろんιいおた αあるふぁυうぷしろんτたうοおみくろんιいおた ζぜーたωおめがσしぐまιいおたνにゅー εως τたうοおみくろんυうぷしろん νにゅーοおみくろんνにゅー.
κかっぱαあるふぁιいおた αγαθος υうぷしろんπぱいεいぷしろんρろー τους αあるふぁπぱいοおみくろん δでるたυうぷしろんοおみくろん τουτους οστις οおみくろんυうぷしろんπぱいωおめが εγεντο,
ος οおみくろんυうぷしろんκかっぱ εいぷしろんιいおたδでるたεいぷしろんνにゅー σしぐまυうぷしろんνにゅー τたうοおみくろん ποιημα τたうοおみくろん πぱいνにゅーηいーたρろーοおみくろんνにゅー
τたうοおみくろん πεποιημενον υποτον ηいーたλらむだιいおたοおみくろんνにゅー.  -Liber Ecclesiastes IV, 1-3
しかしてしたたり、さばきのに瀆神しゃが臨在し、
正義せいぎ極悪ごくあくじんすわるるを。
心中しんちゅうのにてかたれり、
かみせいしきしゃ邪悪じゃあくなるもの見極みきわめん、
まん事象じしょうまんおこないはしかるべきときゆうす。」
ひとししまさるところ皆無かいむ
すべ空虚くうきょなるがゆえに。
かくしてたり、にちしたおこなわるるまんしいたげを。
よ、しいたげらるるしゃなみだを!
されどかれらをなぐさむるもの
しかるにしいたげぐるしゃ権力けんりょくゆうせリ。
されどしいたげらるるしゃなぐさらず。
ゆえにわれは、いまなほいのちたもてる生者しょうじゃより、
すでにいのちぜっへたる死者ししゃたたえり。
しかるにかかる両者りょうしゃよりぜんなるは、
いまかつまれざるものにして、にちしたさるるしきぎょうひをざりししゃなり。 「伝道でんどうしょ
Ηκουσατε οおみくろんτたうιいおた ερρεθη τοις αρχαιος ΟおみくろんΥうぷしろん ΦΟΝΕΥΣΕΙΣ. ος δでるたαあるふぁνにゅー φονευση, ενοχος εいぷしろんσしぐまτたうαあるふぁιいおた τたうηいーた κρισει.
Εいぷしろんγがんまωおめが δでるたεいぷしろん λらむだεいぷしろんγがんまωおめが υうぷしろんμみゅーιいおたνにゅー οおみくろんτたうιいおた πας οおみくろん οπγιζομενος τたうωおめが αδελφω αあるふぁυうぷしろんτたうοおみくろんυうぷしろん ενοχος εいぷしろんσしぐまτたうαあるふぁιいおた τたうηいーた κρισει. ος δでるたαあるふぁνにゅー εいぷしろんιいおたπぱいηいーた τたうωおめが αδελφηω αあるふぁυうぷしろんτたうοおみくろんυうぷしろん ενοχος εいぷしろんσしぐまτたうαあるふぁιいおた τたうηいーた κρισει ος δでるたαあるふぁνにゅー εいぷしろんιいおたπぱいηいーた τたうωおめが αδελφω αあるふぁυうぷしろんτたうοおみくろんυうぷしろん ρろーαあるふぁκかっぱαあるふぁ, ενοχος εいぷしろんσしぐまτたうαあるふぁιいおた τたうωおめが συνεδριω. ος δでるたαあるふぁνにゅー εいぷしろんιいおたπぱいηいーた μみゅーωおめがρろーεいぷしろん, ενοχος εいぷしろんσしぐまτたうαあるふぁιいおた εις γέένναν τたうοおみくろんυうぷしろん πυρος. ΚかっぱΑあるふぁΤたうΑあるふぁ ΜΑΘΘΑΙΟΝ 5, 21-22
いにしえへのひとに「ころすなかれ、ころもの審判しんぱんにあふべし」とうんへることあるをなんじひとしきけり。
しかれどなんじらにぐ:すべて兄弟きょうだいおこもの審判しんぱんにあふべし。また兄弟きょうだいたいして、愚者ぐしゃよといふしゃ衆議しゅうぎにあふべし。またしゃよといふものは、ゲヘナあずかふべし。 - マタイによる福音ふくいんしょだい5しょう21-22


Verrà un tempo in cui considereremo l'uccisione di un aminale con lo stresso biasimo con cui consideriamo oggi quella di un uomo. - Leonardo da Vinci "Della crudeltà del uomo"

いまひと殺害さつがいたいしてさるるとおな非難ひなん動物どうぶつ殺害さつがいたいしてもさるるときることを。」 レオナルド・ダ・ヴィンチ 「人間にんげん残虐ざんぎゃくせいに就ひて」

  • συννελοντι δでるたεいぷしろん ειπειν, πぱいαあるふぁνにゅーτたうαあるふぁ τたうαあるふぁ μみゅーεいぷしろんνにゅー τたうοおみくろんυうぷしろん σωματος ποταμος. τたうαあるふぁ δでるたεいぷしろん της ψυχης ονειρος καιτυφος. οおみくろん δでるたεいぷしろん βιος πολεμος κかっぱαあるふぁιいおた ξくしーεいぷしろんνにゅーοおみくろんυうぷしろん επιδημια ηいーた υστεροφημια δでるたεいぷしろん, λらむだηいーたθしーたηいーた.
  • Σωκρατησ κかっぱαあるふぁιいおた τたうαあるふぁ τたうωおめがνにゅー πολλων δογματα Λαμιος εいぷしろんκかっぱαあるふぁλらむだεいぷしろんιいおた, παιδιων δειματα.   -Marcus Aurelius Antonius "Τたうαあるふぁ εις εαυτον" II 17, XI 23

「かくして肉体にくたいすべかわにして精神せいしんゆめ蒸気じょうきなり。人生じんせいたたかいと異国いこくける滞在たいざいなり。死後しご名声めいせい忘却ぼうきゃくにしかず。」「ソクラテスは民衆みんしゅう意見いけん児童じどうらをおどため幽霊ゆうれいしょうせり。」 マルクス・アウレリウス・アントニウス自省じせいろく

οおみくろんπぱいοおみくろんυうぷしろん γがんまαあるふぁρろー μみゅーηいーた νにゅーοおみくろんμみゅーοおみくろんιいおた αρχουσιν, οおみくろんυうぷしろんκかっぱ εいぷしろんσしぐまτたうιいおた πολιτεια. δでるたεいぷしろんιいおた γがんまαあるふぁρろー τたうοおみくろんνにゅー μみゅーεいぷしろんνにゅー νにゅーοおみくろんμみゅーοおみくろんνにゅー αρχειν παντων. - Aristoteles, Politica 「ほう支配しはいせざるところ国家こっからず。ほうまん支配しはいするをようす。」 アリストテレース政治せいじがく

ουτως αあるふぁπぱいαあるふぁ υποληπτσον πぱいεいぷしろんρろーιいおた τたうοおみくろんυうぷしろん δικαιου ανδορος εいぷしろんαあるふぁνにゅー τたう'εいぷしろんνにゅー πぱいεいぷしろんνにゅーιいおたαあるふぁ γιγηται εいぷしろんαあるふぁνにゅー τたう'εいぷしろんνにゅー νοσοις ηいーた τたうιいおたνにゅーιいおた αあるふぁλらむだλらむだωおめが τたうωおめがνにゅー δοκουντων κかっぱαあるふぁκかっぱωおめがνにゅー ως τたうαあるふぁυうぷしろんτたうαあるふぁ εις αあるふぁγがんまαあるふぁθしーたοおみくろんνにゅー τたうιいおた τευτησει ζぜーたωおめがνにゅーτたうαあるふぁιいおた ηいーた κかっぱαあるふぁιいおた αποθεοντι. οおみくろんυうぷしろん γがんまαあるふぁρろー δでるたηいーた υうぷしろんπぱいοおみくろん γがんまεいぷしろん θしーたεいぷしろんωおめがνにゅー ποτς αμελειται, ος ανπροθυμεισθαι εいぷしろんθしーたεいぷしろんλらむだηいーた δικαιος γιεσθαι κかっぱαあるふぁιいおた επιτηδευων αあるふぁρろーεいぷしろんτたうηいーたνにゅー εις οおみくろんσしぐまαあるふぁνにゅー δυνατον ανθρωποω ομοιουσθαι θしーたεいぷしろんωおめが. - Plato, "Res Publica", X 613. A

せいしきじんかんしては、たとえそのもの貧困ひんこんあるいは、やまいわざわいと做さるる状況じょうきょうにありても、そのことはそのもの生存せいぞんちゅう死後しご名声めいせいつながるものとかんがえらるるべし。正義せいぎなるを熱望ねつぼうし、人間にんげん可能かのうかぎかみんとしただしくあらんと熱心ねっしんつとめるひとかみ々はけっして見捨みすてぬがゆえに。」 プラトン 「国家こっか

οおみくろんυうぷしろん νにゅーοおみくろんμみゅーωおめが αあるふぁρろーαあるふぁ μみゅーοおみくろんνにゅーοおみくろんνにゅー εいぷしろんσしぐまτたうιいおたνにゅー αισχιρον τたうοおみくろん αδικειν τたうοおみくろんυうぷしろん αδικεισθαι, οおみくろんυうぷしろんδでるたεいぷしろん δικαιον τたうοおみくろん ιいおたσしぐまοおみくろんνにゅー εいぷしろんχかいεいぷしろんιいおたνにゅー, αλλα κかっぱαあるふぁιいおた φふぁいυうぷしろんσしぐまεいぷしろんιいおた.    -Plato "Gorgias" XLIII 489, A

しかしてほうによりてのみならず、自然しぜんによりても、がいせらるるよりがいすことはじにして、平等びょうどう保持ほじこそ正義せいぎなるをる。」 プラトン、「ゴルギアス

"Nunquam irasci desinet sapiens, si semel coeperit; omnia sceleribus ac vitiis plena sunt." -Lucius Annaeus Seneca "De ira" II,9

賢人けんじん一度いちどいかはじめむれば、けっしてむことまん物事ものごと罪業ざいごう悪徳あくとくち溢るるがゆえに。」 ルキウス・アンナエウス・セネカ 「いかりに就ひて」 

  • Propositio XXIV:
  • Ex virtute absolute agere nihil aliud in nobis est, quam ex ductu rationis agere, vivere, suum esse conservare (haec tria idem significant), idque ex fundamento proprium utile quarendi.
  • Propositio LXIII:
  • Qui Metu ducitur, & bonum, ut malum vitet, agit, is ratione non ducitur.
  • Propositio LXVII:
  • Homo liber de nulla re minus quam de morte cogitat, et eius sapientia non mortis, sed vitae meditatio est.   
  • Demonstratio:
  • "Homo liber, hoc est, qui ex solo rationis dictamine vivit, mortis Metu non ducitur (per Prop. 63 hujus); sed bonum directe cupit (per Coroll. ejusdem Prop.), hoc est (per Prop. 24 hujus), agere, vivere, suum esse conservare ex fundamento proprium utile quarendi; atque adeo nihil minus, quam de morte cogitat; sed ejus sapientia vitae est meditatio. Q.E.D.           - Benedictus de Spinoza "Ethica" (Pars IV, De Servitute Humana)
  • Propositio XXIII:
  • Mens humana non potest cum Corpore absolute destrui; sed ejus aliquid remanet, quod aeternum est. -Id, (Pars V, De Libertate Humana)
  • 定理ていり24:「我々われわれ絶対ぜったいてきとくによりて行動こうどうすることは、理性りせいみちびかれ行動こうどうし、き、その存在そんざい保存ほぞん(かかる3つは同意どういなり)にならず、その独自どくじせい有効ゆうこう追及ついきゅうせんとす原理げんり由来ゆらいす。」
  • 定理ていり63:「恐怖きょうふゆえに、あくぜんくだりしゃは、理性りせいにはみちびかれず。」
  • 定理ていり67:「自由じゆうなる人間にんげんに就ひてなににもまして思索しさくす。しかしてその英知えいちず、なまに就ひての考察こうさつなり。」
  • 証明しょうめい:「自由じゆうなる人間にんげんすなわ理性りせい助言じょげんにのみしたがえひてけるものはその行動こうどう恐怖きょうふによりて支配しはいされずして(定理ていり63により)直接ちょくせつぜんほっす。(どう定理ていり帰結きけつにより)すなわち、(定理ていり24により)その独自どくじせい有効ゆうこう追及ついきゅうせんとする原理げんり由来ゆらいし、行動こうどうし、き、存在そんざい保存ほぞんす。しかしてなににもしてについて思索しさくすにいたる。しかるにその英知えいちなまに就ひての考察こうさつなり。:証明しょうめい完了かんりょう
  • 定理ていり23:「人間にんげん精神せいしん身体しんたいによりて完全かんぜん破壊はかいされず、その一部いちぶのこる、それは永遠えいえんなり。」

バルーフ・デ・スピノザ、「エチカ」(だい4人間にんげん隷属れいぞくせいに就ひて、だい5人間にんげん自由じゆうに就ひて)

Un homme qui serait seul dans l'univers n'aurait aucun droit, mais il aurait des obligations. - Simone Weil "L'enracinement"

宇宙うちゅうただ一人ひとり人間にんげんゆうるものは、権利けんりではなく、義務ぎむであろう。」 シモーヌ・ヴェイユ、「つこと」

  • Le héros ne saurait faire la moue à une mort héroique. Il n'est héros que par cette mort, elle est la condition si amèrement rechrcheée par les êtres sans gloire, elle est la gloire, elle est, enfin (cette mort et l'accumulation des apparents malheures qui y conduisent) le couronnement d'une vie predisposée, mais surtout le regard de notre propre image dans un miroir idéal qui nous montre resplendissant éternellment (jusqu'à l'usure de cette lumière qui portera notre nom).
  • Il faut pousuivre les actes jusqu'à leur achèvement. Quel que soit leur point de départ la fin sera belle. C'est parce qu'elle n'est pas achvée qu'une action est infâme. -Jean Genet "Journal du voleur"

英雄えいゆう英雄えいゆうてきたいしかめんをすることなどできない。かれはこのによってはじめて英雄えいゆうであり、この栄光えいこうなき人間にんげん苦渋くじゅうちてさがもとめる条件じょうけんである。それはしん栄光えいこうそのものである。それは畢竟ひっきょう(このと、それへとみちび外見がいけんてき不幸ふこう堆積たいせきは)、あらかじめ運命うんめいさだめられた生涯しょうがい戴冠たいかんである、しかしなににもして我々われわれ永遠えいえんひかかがやくものとしてしめひとつの理想りそうてききょううち我々われわれ自身じしんのまなざしなのである。(我々われわれびたこのひかり消滅しょうめつするまで)」

ひと行為こういをその成就じょうじゅまで遂行すいこうさせなくてはならない。その出発しゅっぱつてんなにであっても終極しゅうきょくはすべてうつくしいはず。行為こういみにくいのはそれがまだ完全かんぜん成就じょうじゅされていないから。」  ジャン・ジュネ 「泥棒どろぼう日記にっき

あたし、リリーキティ(リリーエカチェリーナ)は、十字じゅうじのないはかより名前なまえさづけてくださったドミートリイ・ショスタコーヴィチ感謝かんしゃいたします。

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