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たいはな21カ条かじょう要求ようきゅう

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たいはな21カ条かじょう要求ようきゅう(たいか21かじょうようきゅう)は、だいいち世界せかい大戦たいせんなか1915ねん1がつ18にち日本にっぽん中国ちゅうごくたいしてった満蒙まもうにおける日本にっぽん権益けんえき問題もんだいざいはな日本人にっぽんじん条約じょうやくじょう法益ほうえき保護ほご問題もんだいをめぐる21かじょう要求ようきゅう希望きぼうのこと[1]たいささえ21ヶ条かじょう要求ようきゅうじゅういちじょう要求ようきゅうともばれる(中国語ちゅうごくごばんでは「じゅういちじょう」)。

一部いちぶ山東さんとう条項じょうこうとしてヴェルサイユ条約じょうやく反映はんえいされたが、最終さいしゅうてきには1922ねん山東さんとう懸案けんあん解決かいけつかんする条約じょうやくひとしにより、日本にっぽんぐん撤退てったい租借そしゃくおよ公有こうゆう財産ざいさん青島ちんたお税関ぜいかん返還へんかんおこなわれ、外国がいこくじん青島ちんたお市政しせい参与さんよけん拒否きょひされ、山東さんとうしょう主要しゅよう都市とし外国がいこくじんには解放かいほうされずに終了しゅうりょうした。

概要がいよう

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当初とうしょ中国ちゅうごくがわ袁世凱希望きぼう条項じょうこうとして秘密ひみつ交渉こうしょうゆだねられていただい5ごうの7かじょう日本人にっぽんじん政治せいじ財政ざいせい警察けいさつ顧問こもん招聘しょうへい日本にっぽん兵器へいき受給じゅきゅうなどの要求ようきゅう)を国際こくさい社会しゃかい暴露ばくろすることで国際こくさい社会しゃかい反発はんぱつあおって不成立ふせいりつにしようと画策かくさくしたが、 日本にっぽんがわは4がつ26にち要求ようきゅうを19ヶ条かじょうらして若干じゃっかん緩和かんわし、さらに5月7にちにはだい5ごう要求ようきゅう削除さくじょした13ヶ条かじょうにし、5月9にち期限きげんとする「最後さいごどおり告文こくぶん」をした結果けっか同日どうじつに袁世凱が最後さいごどおり告文こくぶん承認しょうにん [1][2][3]。しかし中国ちゅうごく国内こくないでは受諾じゅだくたいするはげしい反対はんたい運動うんどう暴動ぼうどうがおこり[2]にちちゅう関係かんけい悪化あっか。また外国がいこく猜疑心さいぎしんまねき、ワシントン会議かいぎでは10かじょう縮小しゅくしょうされた[3]

経緯けいい

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だいいち世界せかい大戦たいせんヨーロッパはじまり、日本にっぽんだいさんかいにちえい同盟どうめい協約きょうやくにより、1914ねん8がつ23にちドイツ帝国ていこく宣戦せんせん布告ふこくし、連合れんごうこく一員いちいんとして参戦さんせんした。参戦さんせんさい日本にっぽん政府せいふはドイツ政府せいふあてに「どくこく政府せいふあずかヘタル帝国ていこく政府せいふ勧告かんこく」を8がつ15にちはっし、そのなかにかわしゅうわん租借そしゃく青島ちんたお)の全部ぜんぶささえこく中華民国ちゅうかみんこく)に還付かんぷする目的もくてきをもって無償むしょう無条件むじょうけん日本にっぽん帝国ていこく官憲かんけん公布こうふすることを要求ようきゅうした[4]。しかしその真意しんいけっして文面ぶんめんどおりのものではなかった[5]日本にっぽん政府せいふ租借そしゃく解消かいしょうとともに外国がいこくじん日本人にっぽんじん居留きょりゅう設営せつえいしたのち従来じゅうらいのドイツ商権しょうけんおよび鉄道てつどう運行うんこうけん日本人にっぽんじん居留民きょりゅうみん継承けいしょうすることを想定そうていしており、青島ちんたお攻略こうりゃくせんののちこの認識にんしきちがいがただちに外交がいこう問題もんだいとなった。

だいいち世界せかい大戦たいせんにおいて中華民国ちゅうかみんこく当初とうしょ中立ちゅうりつであり[注釈ちゅうしゃく 1]日本にっぽんたいどく宣戦せんせん布告ふこくたいし、山東さんとう半島はんとうにおいて交戦こうせん区域くいき設定せっていした。この交戦こうせん区域くいき中華民国ちゅうかみんこくにちどくえい一方いっぽうてき通告つうこくしたものであったが、ドイツはにかわずみ鉄道てつどう物資ぶっし補給ほきゅう利用りようし、日本にっぽんはこれを占領せんりょうするなど交戦こうせん区域くいきがいでの軍事ぐんじ行動こうどうおこなわれ、また中華民国ちゅうかみんこく交戦こうせん区域くいきからの逸脱いつだつ有効ゆうこう排除はいじょしえなかった[注釈ちゅうしゃく 2]日本にっぽんぐんは1914ねん10がつまつ実施じっしした青島ちんたおたたかさい、「交戦こうせん区域くいきそと進出しんしゅつにかわずみ鉄道てつどうがドイツぐん物資ぶっし輸送ゆそう利用りようされているとしてこれを占領せんりょう[注釈ちゅうしゃく 3]、10月7にちには終着駅しゅうちゃくえきであるすみみなみ停車場ていしゃじょうまで進出しんしゅつしている[8]すみみなみ山東さんとうしょう首都しゅとであり、維県(維坊)はドイツにかわずみ鉄道てつどう山東さんとう鉄道てつどうじょう重要じゅうよう都市としである。青島ちんたお攻略こうりゃくにかわずみ鉄道てつどう附属ふぞく地域ちいき占領せんりょう継続けいぞくされた。

一方いっぽう中華民国ちゅうかみんこく政府せいふ交戦こうせん区域くいきからの逸脱いつだつ抗議こうぎし、1915ねん1がつ交戦こうせん区域くいき撤廃てっぱいにちどくえい通告つうこくし、ドイツ租借そしゃくおよびにかわずみせん附属ふぞくがい日本にっぽんぐん撤収てっしゅう要求ようきゅうした。また日本にっぽんにかわずみ鉄道てつどう山東さんとう鉄道てつどう)や青島ちんたお税関ぜいかん管理かんりけん拒否きょひした。中華民国ちゅうかみんこくはドイツ権益けんえき中華民国ちゅうかみんこく政府せいふ管理かんりにおかれるべきと要求ようきゅうしたのだが、日本にっぽん政府せいふ戦時せんじ国際こくさいほうじょう軍事ぐんじ占領せんりょうとして日本にっぽんぐん管理かんりするべきものとした。日本にっぽん政府せいふとしてはドイツと開戦かいせんしたのであり、休戦きゅうせん講和こうわ条件じょうけんによって山東さんとう半島はんとうたいドイツ租借そしゃくけんをドイツから継承けいしょうしたのち中華民国ちゅうかみんこく返還へんかんする意向いこうであると表明ひょうめいしたが(ただし、租借そしゃく返還へんかん期限きげん明示めいじすることはなく、パリ講和こうわ会議かいぎにおいてにちちゅうあいだ直接ちょくせつ交渉こうしょう意図いとであった)、一方いっぽう中華民国ちゅうかみんこく主張しゅちょうたいどく租借そしゃく条約じょうやく文言もんごんに「他国たこく譲渡ゆずりわたせず」の文言もんごんがあり中華民国ちゅうかみんこく直接ちょくせつ返還へんかんされなければならないとした[9]

欧州おうしゅうではだいいち世界せかい大戦たいせん継続けいぞくちゅうであり、日本にっぽん政府せいふとしてはドイツとの休戦きゅうせん講和こうわ成立せいりつするまで山東さんとうにかわしゅうわんのドイツ権益けんえき占領せんりょうする必要ひつようがあり、にかわずみ鉄道てつどう青島ちんたお税関ぜいかん日本にっぽん戦時せんじ接収せっしゅうしていた。軍事ぐんじ占領せんりょう権益けんえき帰属きぞく確定かくていさせるものではなく、日本にっぽん政府せいふ一方いっぽうてき中華民国ちゅうかみんこく返還へんかんした場合ばあい戦争せんそう推移すいい講和こうわ条件じょうけん如何いかによっては日本にっぽん政府せいふがドイツあるいは中華民国ちゅうかみんこくたいして山東さんとう一方いっぽうてき返還へんかんについて多額たがく賠償ばいしょう義務ぎむ可能かのうせいがある。またからし革命かくめい成立せいりつ以降いこう中華民国ちゅうかみんこく中央ちゅうおう政府せいふ日本にっぽん政府せいふとの正式せいしき外交がいこう条約じょうやくはいまだ締約ていやくされておらず、過去かこにちしんあいだしょ条約じょうやく継承けいしょう関係かんけい明確めいかくでなく、とりわけ旅順りょじゅん大連たいれん租借そしゃくけんが1923ねん期限きげんむかえること[注釈ちゅうしゃく 4]外交がいこうじょう懸案けんあんであった。

日本にっぽん政府せいふ袁世凱だい総統そうとう直接ちょくせつ交渉こうしょうすることで事態じたい打開だかいうごいた。1914ねん12月3にち加藤かとう高明こうめい外相がいしょうは、ちゅうはな公使こうし日置ひおきえきたいはな要求ようきゅう訓令くんれいし、よく1915ねん大正たいしょう4ねん1がつ18にち大隈おおくま重信しげのぶ内閣ないかく加藤かとう高明こうめい外務がいむ大臣だいじん)は袁世凱に5ごう21かじょう要求ようきゅうおこなった。おもつぎのような内容ないようであった[10]

  • だい1ごう 山東さんとうしょうについて
  • だい2ごう みなみまんしゅうおよ東部とうぶないこうむふるについて
    • 旅順りょじゅん大連たいれん関東かんとうしゅう)の租借そしゃく期限きげんまんてつやすたてまつ鉄道てつどう権益けんえき期限きげんを99ねん延長えんちょうすること(旅順りょじゅん大連たいれん1997ねんまで、まんてつやすたてまつ鉄道てつどう2002ねんまで)
    • 日本人にっぽんじんたいし、各種かくしゅしょう工業こうぎょうじょう建物たてもの建設けんせつ耕作こうさく必要ひつよう土地とち貸借たいしゃく所有しょゆうけんあたえること
    • 日本人にっぽんじんみなみまんしゅう東部とうぶないこうむふるにおいて自由じゆう居住きょじゅう往来おうらいしたり、各種かくしゅしょう工業こうぎょうなどの業務ぎょうむ従事じゅうじすることをゆるすこと
    • 日本人にっぽんじんたいし、指定していする鉱山こうざん採掘さいくつけんあたえること
    • 他国たこくじん鉄道てつどう敷設ふせつけんあたえるとき、鉄道てつどう敷設ふせつのために他国たこくから資金しきん援助えんじょけるとき、また諸税しょぜい担保たんぽとして借款しゃっかんけるときは日本にっぽん政府せいふ同意どういること
    • 政治せいじ財政ざいせい軍事ぐんじかんする顧問こもん教官きょうかん必要ひつようとする場合ばあい日本にっぽん政府せいふ協議きょうぎすること
    • 吉長よしなが鉄道てつどう管理かんり経営けいえいを99年間ねんかん日本にっぽん委任いにんすること
  • だい3ごう かん冶萍公司こうし(かんやひょうこんす:中華民国ちゅうかみんこく最大さいだい製鉄せいてつ会社かいしゃ)について
    • かん冶萍公司こうしにちちゅう合弁ごうべんすること。また、中国ちゅうごく政府せいふ日本にっぽん政府せいふ同意どういなくどう公司こうし権利けんり財産ざいさんなどを処分しょぶんしないようにすること。
    • かん冶萍公司こうしぞくするしょ鉱山こうざん付近ふきん鉱山こうざんについて、どう公司こうし承諾しょうだくなくして他者たしゃ採掘さいくつ許可きょかしないこと。また、どう公司こうし直接的ちょくせつてき間接かんせつてき影響えいきょうおよぶおそれのある措置そち場合ばあいは、まずどう公司こうし同意どういること
  • だい4ごう 中国ちゅうごく領土りょうど保全ほぜんについて
  • だい5ごう 中国ちゅうごく政府せいふ顧問こもんとして日本人にっぽんじん雇用こようすること、その
    • 中国ちゅうごく政府せいふ政治せいじ顧問こもん経済けいざい顧問こもん軍事ぐんじ顧問こもんとして有力ゆうりょく日本人にっぽんじん雇用こようすること
    • 中国ちゅうごく内地ないち日本にっぽん病院びょういん寺院じいん学校がっこうたいして、その土地とち所有しょゆうけんみとめること
    • これまではにちちゅうあいだ警察けいさつ事故じこ発生はっせいすることがおおく、不快ふかい論争ろんそうかもしたこともすくなくなかったため、必要ひつようせいのある地方ちほう警察けいさつにちちゅう合同ごうどうとするか、またはその地方ちほう中国ちゅうごく警察けいさつ多数たすう日本人にっぽんじん雇用こようすることとし、中国ちゅうごく警察けいさつ機関きかん刷新さっしん確立かくりつはかること[11]
    • 一定いってい数量すうりょう中国ちゅうごく政府せいふ所有しょゆう半数はんすう以上いじょう兵器へいき供給きょうきゅう日本にっぽんよりおこない、あるいは中国ちゅうごく国内こくないにちちゅう合弁ごうべん兵器廠へいきしょう設立せつりつし、日本にっぽんより技師ぎし材料ざいりょう供給きょうきゅうあおぐこと
    • たけあきらきゅう連絡れんらくする鉄道てつどう、およびみなみあきら杭州こうしゅうあいだみなみあきらうしおしゅうあいだ鉄道てつどう敷設ふせつけん日本にっぽんあたえること
    • 福建ふっけんしょうにおける鉄道てつどう鉱山こうざん港湾こうわん設備せつび造船ぞうせんしょふくむ)にかんして、建設けんせつ外国がいこく資本しほん必要ひつようとする場合ばあいはまず日本にっぽん協議きょうぎすること
    • 中国ちゅうごくにおいて日本人にっぽんじん布教ふきょうけんみとめること

このうち、日本にっぽんがわ重視じゅうししたのはだいごう、なかんずく旅順りょじゅん大連たいれん租借そしゃく期限きげん延長えんちょうまんてつおよやすたてまつせん期限きげん延長えんちょうであった[注釈ちゅうしゃく 5]

日本にっぽん中国ちゅうごく特殊とくしゅ利益りえきゆうすることは、イギリス、フランス、ロシアは、明文めいぶんあるいは黙示もくしを以って承認しょうにんしていたが、ドイツは不承認ふしょうにんでありアメリカの態度たいど明確めいかくでなかった。3月8にち、イギリスのグレイ外相がいしょう加藤かとう外相がいしょうたいし、「自分じぶん非常ひじょう懸念けねんしているのは、にちちゅう問題もんだいから生起せいきすべき政治せいじじょう事態じたい進展しんてんにある。ドイツが中国ちゅうごくにおいてさかんに陰謀いんぼうをたくましくしつつあるはもちろん事実じじつであって、中国ちゅうごくをそそのかして日本にっぽん要求ようきゅう反抗はんこうさせるために百方ひゃっぽう手段しゅだんこうじつつあるのみならず、これによってにちちゅう両国りょうこくあいだ衝突しょうとつるようなことがあれば、ドイツのもっと本懐ほんかいとするところであろう。自分じぶん今回こんかい問題もんだいについてなに質問しつもんける場合ばあい、できるかぎ日本にっぽん要求ようきゅう支持しじして同盟どうめい友好ゆうこう関係かんけいまっとうしたい精神せいしんである」とべた[13]ちゅうにちえい大使たいしグリーンは加藤かとう外相がいしょうに、中国ちゅうごくがわ態度たいどはまことに了解りょうかいしがたい、ちゅうはなえい公使こうしにちちゅう両国りょうこく不幸ふこう衝突しょうとつるにいたらないよう、北京ぺきん政府せいふ注意ちゅういしており、袁世凱だい総統そうとう直接ちょくせつもうしいれてもいる、とかたっている。

日本にっぽん要求ようきゅうしょけとった袁世凱は、即答そくとうけ、ポール・ラインシュべい公使こうしやヒンツェどく公使こうしらと緊密きんみつ連絡れんらくをとり、あいはかって国内こくない世論せろん沸騰ふっとうさせ、外国がいこくたいしては、日本にっぽん要求ようきゅう誇大こだい吹聴ふいちょうして列国れっこくたいにち反感はんかん挑発ちょうはつした。在中ざいちゅうドイツけい機関きかんである北京ぺきんガゼットやどくはな日報にっぽう山東さんとう問題もんだいかんする袁世凱との直接ちょくせつ交渉こうしょう攻撃こうげきしはじめ、20あまりはドイツの新任しんにん公使こうしヒンツェに買収ばいしゅうされたなどとわれた[14]排日はいにち宣教師せんきょうしらは日本にっぽんぐん暴行ぼうこう喧伝けんでん日本にっぽんぐん撤兵てっぺい要求ようきゅうした[15]とされる。

アメリカはだい1ごうだい2ごうだい3ごうについては抗議こうぎする意図いとなく、あるいは敢て反対はんたいしない態度たいど日本にっぽん政府せいふ提示ていじしたが[16]だい4ごうだい5ごうかんしては明確めいかく反対はんたいであり、とりわけウィルソンの関心かんしんだい5ごう集中しゅうちゅうしていた[17]大隈おおくま内閣ないかくは3がつ15にち日本にっぽんがわ提示ていじされたこのたいにち覚書おぼえがき意図いとただしく理解りかいすることができず、だい5ごうかんして米国べいこくは「ひだりシテじゅうキを措カサルモノ」と判断はんだん安易あんいたいはな強硬きょうこうさくてんじたことは、4がつ中旬ちゅうじゅん以降いこうのアメリカの極東きょくとう政策せいさく影響えいきょうをあたえることになった[18]

会談かいだん初期しょき中国ちゅうごくがわ会議かいぎ遷延せんえんさくをとっていたが、2がつ6にちには、だい1ごうだい2ごうかん十分じゅうぶん考慮こうりょし、だい2ごう吉長よしながせんかんすることをのぞきできるかぎ譲歩じょうほすると返答へんとうした。ただ、だい5ごうについてはおうじられないという姿勢しせいであった。また中国ちゅうごくがわは、だい2ごうだい2じょうだい3じょうみなみまんしゅうについてだけみとめ、ひがしこうむいにしえ除外じょがいしようとしたが、日本にっぽんがわは、東部とうぶないこうむいにしえは、地理ちり上南かみなまんしゅう分離ぶんりできないいち地域ちいき形成けいせいし、歴史れきしじょう行政ぎょうせいじょう経済けいざいじょうならびに交通こうつうじょうたがいに密接みっせつ関係かんけいゆうしており、また1912ねんつゆこうむ協定きょうてい付属ふぞく通商つうしょう議定ぎていしょにおいて、だい1じょうは「ロシアじんこうむ古内ふるうちにおいて随所ずいしょ居住きょじゅうし、自由じゆう移転いてんし、しょう工業こうぎょうその業務ぎょうむ従事じゅうじできる」、だい6じょうは「ロシアじんこうむいにしえ随所ずいしょしょう工業こうぎょうじょう経営けいえいしょ創設そうせつし、しょ家屋かおく店舗てんぽおよび倉庫そうこ建設けんせつするため、指定してい賃借ちんしゃくすることができる」となっており、日本にっぽんたいしてこれとおなじことをひがしこうむいにしえみとめないのは到底とうてい承認しょうにんできない、と主張しゅちょうした[13]

3月3にち日置ひおき公使こうしだい6かい会議かいぎで、「元来がんらい革命かくめいらん勃発ぼっぱつした当時とうじ、シナの大半たいはん粉々こなごなとしてあたかもかなえくような情勢じょうせいであったにもかかわらず、みなみまんしゅう東部とうぶこうむいにしえらんはなれわざわいからまぬかれえたのは、まったく日本にっぽんなんらの野心やしんをもいだかないで、終始しゅうし公明正大こうめいせいだい態度たいどもたし、つとめてこのりょう地方ちほう秩序ちつじょ維持いじ留意りゅういしたことと、日本にっぽんがこの方面ほうめんにおいて特殊とくしゅ地位ちい保有ほゆうしていた結果けっかにほかならない。もし万一まんいち日本にっぽんがこの機会きかいじょうじてあるしゅ行動こうどうをとった場合ばあいには、みなみまんしゅうひがしこうむもあるいは今日きょうそとこうむふる同様どうよう運命うんめい遭遇そうぐうしたかもわからない。ついては日本にっぽんこくのこの公明正大こうめいせいだい心事しんじとその優越ゆうえつする特殊とくしゅ地位ちいかえりみて、中国ちゅうごく政府せいふすみやかに満蒙まもうにおけるわが優越ゆうえつなる地位ちい確認かくにんし、だい2ごうからひがしこうむ除外じょがいするかんがえをひるがえしてほしい」とべた。全権ぜんけんりくしるしさち外交がいこう総長そうちょうは「革命かくめいらん当時とうじにおける事情じじょう、ならびに日本にっぽんこく態度たいどは、まことにとうとせつとおりである。これらの事情じじょうからして中国ちゅうごくは、今回こんかいみなみまんしゅうかん条約じょうやく締結ていけつ商議しょうぎおうずる次第しだいである」とこたえた[13]

5ごう条項じょうこう秘密ひみつ希望きぼう条項じょうこうとされていたがただちにリークされ、報道ほうどう中国ちゅうごくがわが21ヶ条かじょう要求ようきゅうきつけられたと喧伝けんでんし、国際こくさいてきおもにアメリカからの批判ひはんびた。日本にっぽんは5ごう条項じょうこうのち撤回てっかいした[19]中国ちゅうごく国内こくないでも反対はんたい運動うんどうこったが、中国ちゅうごくがわ日本にっぽんぐん実力じつりょく排除はいじょするちからく、日本にっぽんがわ5月7にち最終さいしゅう通告つうこくおこない、どう9にちに袁政けん要求ようきゅうれた。袁世凱は自己じこ地位ちい強固きょうこにするために、日本にっぽん横暴おうぼう内外ないがい宣伝せんでんして中国ちゅうごく国民こくみん団結だんけつうったえた。中国ちゅうごく国民こくみんはこれを非難ひなんし、要求ようきゅう受諾じゅだくした(5がつ9にち)を「くにはじ記念きねん」とんだ。

アメリカは、まんしゅうにおける租借そしゃく鉄道てつどう租借そしゃく期限きげん延長えんちょうたいしては、特別とくべつ反対はんたいはなかったが、山東さんとうしょうまんしゅう同様どうよう日本にっぽん勢力せいりょく範囲はんいとすることにたいしては絶対ぜったい反対はんたいであった。イギリスも、まんしゅうにおける租借そしゃく鉄道てつどう租借そしゃく期限きげん延長えんちょうには賛成さんせい協力きょうりょくしたが、長城ちょうじょう以南いなんにおいては最大さいだい競争きょうそう相手あいてかんがえる日本にっぽんつよ警戒けいかいし、だい5ごうあん同盟どうめいこくにも秘密ひみつにしたことで不信ふしんかんつよくし、たけあきらきゅう江間えま鉄道てつどうみなみあきらうしおしゅうあいだ鉄道てつどうかんする要求ようきゅうたいしては、イギリスの利益りえき侵害しんがいするものとして、3がつ10日とおか日本にっぽん政府せいふ考慮こうりょもとめた[20]

アメリカは3月15にちに、日本にっぽん提案ていあんだい1ごうだい2ごうとはこれを問題もんだいにするかんがえはないという書簡しょかんおくってきたが[16]5月6にちブライアン国務こくむ長官ちょうかんは、えいふつさんこくびかけてにちちゅう両国りょうこく協同きょうどう干渉かんしょうをするよう提議ていぎして、さんこく当局とうきょくから拒絶きょぜつされると、5月13にち中国ちゅうごく領土りょうど保全ほぜん門戸もんこ開放かいほう原則げんそく、および中国ちゅうごくにおけるアメリカやアメリカじん権利けんり抵触ていしょくする条約じょうやく協定きょうてい了解りょうかいはすべて、アメリカとして承認しょうにんしない、と通告つうこくした。

5月7にち、イギリスのグレイ外相がいしょうちゅうえい井上いのうえ勝之助かつのすけ大使たいしたいし、「北京ぺきん政府せいふ強硬きょうこう反対はんたいしてきたのはしゅとしてだい5ごう各項かくこうであるが、日本にっぽんがこれをほん交渉こうしょうからはなしたことは日本にっぽんがわおおきな譲歩じょうほといえる。北京ぺきん政府せいふすみやかにこれを受諾じゅだくして、時局じきょく妥協だきょうはかることが得策とくさくであるむねを、ちゅうはな公使こうし自分じぶん勧告かんこくとしてべておいた」とべ、また5がつ10日とおか、「5がつ7にちあさジョルダン公使こうし電報でんぽうして、日本にっぽん最後さいご提案ていあん非常ひじょう寛大かんだいであるからただちにこれを承諾しょうだくし、妥協だきょうはかるほうが利益りえきであるむね非公式ひこうしきつよ勧告かんこくあたえるよう訓令くんれいした」とべた。一方いっぽうロシアマレヴィッチ大使たいしは5月6にち、「充分じゅうぶん了解りょうかいした。しん今度こんどのご措置そち賢明けんめいなる方法ほうほうかんがえる。かならずや北京ぺきん政府せいふ承諾しょうだくするだろう。袁世凱最後さいご通牒つうちょうっているものとおもわれる」と加藤かとう高明こうめい外相がいしょうべた。さらに、日本にっぽんたいはな21カ条かじょう要求ようきゅうたいとく異議いぎのなかったフランスに、石井いしい菊次郎きくじろう大使たいし最後さいご通牒つうちょう説明せつめいおこなったさいデルカッセふつ外相がいしょうは「今更いまさら内容ないようをうかがうまでもなく、貴国きこく成功せいこうしゅくす」とべた[13]

小池こいけちょうづくり(1873-1921) 明治めいじ-大正たいしょう時代じだい外交がいこうかん加藤かとう高明こうめい外相がいしょう秘書官ひしょかんなどをへて、ニューヨーク・奉天ほうてんなどの総領事そうりょうじをつとめる。大正たいしょう2ねん外務省がいむしょう政務せいむ局長きょくちょうとなり、加藤かとう外相がいしょうのもとでたいはなじゅういちヵ条かじょう要求ようきゅう原案げんあん作成さくせいにあたった。のち久原くはら本店ほんてん理事りじ福島ふくしまけん出身しゅっしん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがくそつ

一方いっぽうまごぶんは3がつ中旬ちゅうじゅん外務省がいむしょう小池こいけちょうづくり書簡しょかんおくり、にちちゅう盟約めいやくあんとして提案ていあんした。その内容ないようだいごうの4、5、6じょう趣旨しゅし符合ふごうするものであった。まだ日本にっぽん期待きたいしていたまごぶんにとって、苦渋くじゅう選択せんたくだった。また、進歩しんぽ知識ちしきじん代表だいひょうかくであった吉野よしの作造さくぞうは「ことここにいたれば最後さいご通牒つうちょうはっするのほかにとるべき手段しゅだんはない」とだんじた。

特徴とくちょう

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この要求ようきゅう草案そうあん非常ひじょう短時間たんじかんつくられたものであり、要求ようきゅう希望きぼう条項じょうこうのぞいて、現在げんざいから、過去かここった事項じこうかんすることへとじゅんさかのぼって記述きじゅつされるという特徴とくちょうてき構成こうせいとなっている。

交渉こうしょう結果けっかだい5ごう希望きぼう条項じょうこう棚上たなあげされ最終さいしゅうてきにはじゅうろくヶ条かじょう5月25にち、2条約じょうやくおよび13交換こうかん公文こうぶんとしてむすばれた。

  • 山東さんとうしょうかんする条約じょうやく
  • 山東さんとうしょう割譲かつじょうかんする交換こうかん公文こうぶん
  • 山東さんとうしょうける都市とし開放かいほうかんする交換こうかん公文こうぶん
  • みなみまんしゅう及東部内ぶないこうむいにしえかんする条約じょうやく
  • 旅順りょじゅん大連たいれん租借そしゃく期限きげんなみみなみまんしゅう鉄道てつどう及安たてまつ鉄道てつどう期限きげんとうかんする交換こうかん公文こうぶん
  • 東部とうぶないこうむいにしえける都市とし開放かいほうかんする交換こうかん公文こうぶん
  • みなみまんしゅうける鉱山こうざん採掘さいくつけんかんする交換こうかん公文こうぶん
  • みなみまんしゅう及東部内ぶないこうむいにしえける鉄道てつどうまた各種かくしゅぜいたいする借款しゃっかんかんする交換こうかん公文こうぶん
  • みなみまんしゅうける外国がいこく顧問こもん教官きょうかんかんする交換こうかん公文こうぶん
  • みなみまんしゅう及東部内ぶないこうむいにしえかんする条約じょうやくだいじょう規定きていするしょう租の解釈かいしゃくかんする交換こうかん公文こうぶん
  • みなみまんしゅう及東部内ぶないこうむいにしえかんする条約じょうやくだいじょう規定きていする日本国にっぽんこく臣民しんみん服従ふくじゅうすべき警察けいさつ法令ほうれい課税かぜい決定けっていかんする交換こうかん公文こうぶん
  • みなみまんしゅう及東部内ぶないこうむいにしえかんする条約じょうやくだいじょう乃至ないしだいじょう実施じっし延期えんきかんする交換こうかん公文こうぶん
  • かん冶萍公司こうしかんする交換こうかん公文こうぶん
  • にかわしゅうわん租借そしゃくかんする交換こうかん公文こうぶん
  • 福建ふっけんしょうかんする交換こうかん公文こうぶん

その展開てんかい

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締結ていけつ直後ちょくごの6がつ22にち中華民国ちゅうかみんこく懲弁国賊こくぞく条例じょうれい公布こうふした。これは外国がいこくじん土地とちしたものは公開こうかい裁判さいばんなしに死刑しけいしょすもので、土地とちしょう租権は調印ちょういん同時どうじはやくも空文くうぶんし、中国ちゅうごく条約じょうやく違反いはんした[21][22]中国ちゅうごく門戸もんこ開放かいほう(Open door)をとなえるアメリカは、日本にっぽんたいちゅう政策せいさくとの妥協だきょうてんもとめ、1917ねん石井いしい・ランシング協定きょうていむすんだ。1919ねん大戦たいせんパリ講和こうわ会議かいぎでも日本にっぽん要求ようきゅうみとめられたが、中国ちゅうごく国内こくないでは学生がくせいデモを発端ほったん各地かくちでストライキがこり、軍閥ぐんばつ政権せいけん屈服くっぷくヴェルサイユ条約じょうやく調印ちょういん拒絶きょぜつした(よん運動うんどう)。日本にっぽん中国ちゅうごく政策せいさく批判ひはんする国際こくさいとくにアメリカの)世論せろんたかまり、ワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやくりたこくあいだ協議きょうぎ山東さんとう懸案けんあん解決かいけつかんする条約じょうやく締結ていけつされ、日本にっぽん守備しゅびへい撤兵てっぺいし、にかわしゅうわん租借そしゃくにかわずみ鉄道てつどうなどを返還へんかんしたが、にかわずみ鉄道てつどう日本にっぽん借款しゃっかん鉄道てつどうとなり、どう鉄道てつどう沿線えんせん鉱山こうざんにちちゅう合弁ごうべん会社かいしゃ経営けいえいとなるなど、山東さんとうしょうにおいて名義めいぎのうえで一定いってい権益けんえき確保かくほした(中国ちゅうごく官憲かんけんによる権益けんえき侵害しんがい民衆みんしゅう動員どういんした抗日こうにち運動うんどうにより実施じっしされなかった)。

まごぶんは、「21ヶ条かじょう要求ようきゅうは、袁世凱自身じしんによって起草きそうされ、要求ようきゅうされた策略さくりゃくであり、皇帝こうていであることをみとめてもらうために、袁が日本にっぽん支払しはらった代償だいしょうである」、と断言だんげんした。また、加藤かとう高明こうめい外相がいしょうは、最後さいご通牒つうちょうは、譲歩じょうほするさい中国ちゅうごく国民こくみんたいして袁のかおてるために、袁に懇願こんがんされたものである、と公然こうぜんみとめた。さらに、アメリカ公使こうしポール・ラインシュ(Paul S. Reinsch)の国務省こくむしょうへの報告ほうこくしょには、「中国ちゅうごくがわは、譲歩じょうほすると約束やくそくしたよりも要求ようきゅうがはるかにすくなかったので、最後さいご通牒つうちょう寛大かんだいさにおどろいた」とある[23]最後さいご通牒つうちょう手交しゅこう必要ひつようとしない状況じょうきょうにおいて最後さいご通牒つうちょう強行きょうこうしたことは、中国ちゅうごく国民こくみん民族みんぞく主義しゅぎ軽視けいしした日本にっぽん外交がいこう失敗しっぱいであった[20]

この外交がいこう交渉こうしょうにより、2条約じょうやく13交換こうかん公文こうぶんにまとめられたもののうちみなみまんしゅう及東部内ぶないこうむいにしえかんする条約じょうやくなど満蒙まもう問題もんだいかんする重要じゅうようめがなされ、まんしゅう善後ぜんご条約じょうやくまんしゅう協約きょうやく北京ぺきん議定ぎていしょにちしん追加ついか通商つうしょう航海こうかい条約じょうやくなどをふく日本にっぽん中国ちゅうごく特殊とくしゅ権益けんえき条約じょうやくじょう固定こていされた。日本にっぽん中華民国ちゅうかみんこくによるこれら条約じょうやく継続けいぞく有効ゆうこう日本にっぽん)と破棄はき無効むこう中国ちゅうごく)をめぐるあらそいが宣戦せんせん布告ふこくなき戦争せんそう[注釈ちゅうしゃく 6]みちびくこととなる。

のち、だいきた開始かいしした中華民国ちゅうかみんこく蒋介石しょうかいせき政府せいふは1928ねん7がつ19にちにちしん通商つうしょう航海こうかい条約じょうやく一方いっぽうてき破棄はき宣言せんげん日本にっぽん政府せいふはその無効むこう主張しゅちょうすることとなる。また1915ねん懲弁国賊こくぞく条例じょうれいは1929ねん強化きょうかされ「土地とちぬすめうり厳禁げんきん条例じょうれい」「しょう禁止きんしれい」などおよそ59の追加ついか法令ほうれいとなり、日本人にっぽんじんたいする土地とち家屋かおくしょう禁止きんし従前じゅうぜん貸借たいしゃくしている土地とち家屋かおく回収かいしゅうはかられた[25]間島まじままんしゅう各地かくち朝鮮ちょうせんけい中心ちゅうしんとした日本人にっぽんじん居住きょじゅうしゃ退きを強要きょうようされあるいは迫害はくがいされた。このことはまんしゅう事変じへんおおきな要因よういんとなる。

名称めいしょうについて

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いわゆる「たいはな21カ条かじょう要求ようきゅう」とばれる一連いちれん外交がいこう交渉こうしょうについて、正式せいしき名称めいしょう存在そんざいしない。1915ねん当時とうじ報道ほうどうでは「たいささえ交渉こうしょう」「山東さんとう問題もんだい」「山東さんとう善後ぜんご処分しょぶん[14]あるいは「要求ようきゅうじゅういちじょう」「重要じゅうよう条件じょうけんじゅういち款」[26]こうじゅういち箇条かじょう[27]などと記述きじゅつしている。

したがってつぎのようないいかたは、いずれも"通称つうしょう"でありいずれが正式せいしき表記ひょうきというものはない。

  1. たいはな」、「たいささえ」、「たいちゅう」、またはれないか
  2. 「5ごう」、「ごう」、またはれないか(横書よこがきならば数字すうじが、たてきならばかん数字すうじが、それぞれ使つかわれることがおおい)
  3. 「21」、「じゅういち」、「いち」(横書よこがきならば数字すうじが、たてきならばかん数字すうじが、それぞれ使つかわれることがおおい)
  4. 「かじょう」、「ヵ条かじょう」、「カ条かじょう」、「ヶ条かじょう」、「ケ条かじょう」、「箇条かじょう」、「個条かじょう」、「じょう
  5. 「の要求ようきゅう」、「要求ようきゅう」、またはれないか

ちなみに、岩波書店いわなみしょてんから出版しゅっぱんされている4つの年表ねんぴょう(いずれも横書よこがき)をるだけでも、「5ごう21かじょう要求ようきゅう」(『近代きんだい日本にっぽん総合そうごう年表ねんぴょう だいよんはん』2001ねん)、「たいはな21かじょう要求ようきゅう」(『世界せかい年表ねんぴょう だいはん』2001ねん)、「たいはな21かじょう要求ようきゅう」(『日本にっぽん年表ねんぴょう だいよんはん』2001ねん)、「たいちゅう21ヵ条かじょう要求ようきゅう」(『近代きんだいちゅう関係かんけい年表ねんぴょう』2006ねん)と、表現ひょうげんはまるでばらばらである。はらたかし自伝じでんの『はらたかし日記にっき』にて「ささえ条約じょうやく」と表記ひょうきしている。

2000年代ねんだい中学校ちゅうがっこうあつかわれる文部もんぶ科学かがくしょう検定けんていずみ教科書きょうかしょ掲載けいさいされているものには、『21かじょう要求ようきゅう』、『じゅういちじょう要求ようきゅう』、『じゅういちじょう要求ようきゅう』と表記ひょうきされている場合ばあいおお[注釈ちゅうしゃく 7]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 1917ねん8がつ14にちにドイツ・オーストリアに宣戦せんせん布告ふこく
  2. ^ 伝統でんとうてき国際こくさいほうにおいては、交戦こうせんこく以外いがい中立ちゅうりつこくには一連いちれん義務ぎむがあり、中立ちゅうりつこく領域りょういきおよび領水りょうすいは、交戦こうせんこく敵対てきたい作戦さくせん行為こうい禁止きんしされた交戦こうせん区域くいきであり、中立ちゅうりつこくには交戦こうせん防止ぼうし排除はいじょ役割やくわりもとめられる。陸戦りくせん場合ばあいニ於ケル中立ちゅうりつこく中立ちゅうりつじん権利けんり義務ぎむせきスル条約じょうやくだいいちじょうには「中立ちゅうりつこく領土りょうど不可侵ふかしんとす」と、中立ちゅうりつこくのみならず交戦こうせんこく拘束こうそくされる内容ないようになっている。しかし実際じっさい戦史せんしではこの中立ちゅうりつこく権利けんり義務ぎむはしばしば有効ゆうこう機能きのうせず、第三国だいさんごく領域りょういき攻撃こうげき対象たいしょうとされ、あるいは交戦こうせん区域くいきまれるかはほとんど武力ぶりょく紛争ふんそう当事とうじしゃ判断はんだんゆだねられている[6]
  3. ^ 中立ちゅうりつこくには公平こうへい義務ぎむがあり、交戦こうせん当事とうじこく一方いっぽう便宜べんぎ提供ていきょうしない回避かいひ義務ぎむ[7]。ただし、陸戦りくせん場合ばあいニ於ケル中立ちゅうりつこく中立ちゅうりつじん権利けんり義務ぎむせきスル条約じょうやくだい7じょうによれば、中立ちゅうりつこく武器ぶき弾薬だんやくふく物資ぶっし輸出ゆしゅつ通過つうか阻止そしする義務ぎむい。
  4. ^ 1898ねんに「旅順りょじゅんみなと大連たいれんわん租借そしゃくかんする条約じょうやく」でロシアに租借そしゃく、1905ねんポーツマス条約じょうやく日本にっぽん譲渡じょうと
  5. ^ 加藤かとう外相がいしょうによれば「自分じぶん要求ようきゅう眼目がんもくとしたのは、だいごう就中なかんづく旅順りょじゅん大連たいれん租借そしゃく期限きげん延長えんちょうと、おなじくまんてつおよやすたてまつせん期限きげん延長えんちょうとであった。それから、満蒙まもう鉄道てつどう鉱山こうざんかんする利権りけん問題もんだいについても、後日ごじつ紛糾ふんきゅう種子しゅしとなるようなものを全部ぜんぶ解決かいけつするつもり」であり大隈おおくま内閣ないかく達成たっせいしようとした目標もくひょうであった[12]
  6. ^ モーゲンソー日記にっきによれば、ルーズベルト大統領だいとうりょうは「結局けっきょく、イタリアと日本にっぽん宣戦せんせん布告ふこくせず交戦こうせんする技術ぎじゅつ進化しんかさせてきたとすれば、なぜ我々われわれ同様どうよう技術ぎじゅつ開発かいはつできないのか」とかたったとされる[24]
  7. ^ 中学ちゅうがく社会しゃかい 歴史れきし』(文部省もんぶしょう検定けんていずみ教科書きょうかしょ中学校ちゅうがっこう社会しゃかいよう教育きょういく出版しゅっぱん株式会社かぶしきがいしゃ平成へいせい10ねん1がつ20日はつか発行はっこう)p 224には、『21かじょう要求ようきゅう』と表記ひょうきされている。『あたらしい社会しゃかい 歴史れきし』(文部もんぶ科学かがくしょう検定けんていずみ教科書きょうかしょ中学校ちゅうがっこう社会しゃかいよう東京書籍とうきょうしょせき株式会社かぶしきがいしゃ平成へいせい16ねん2がつ10日とおか発行はっこう)p 156、『社会しゃかい 中学生ちゅうがくせい歴史れきし』(文部もんぶ科学かがくしょう検定けんていずみ教科書きょうかしょ中学校ちゅうがっこう社会しゃかいよう株式会社かぶしきがいしゃ帝国ていこく書院しょいん平成へいせい20ねん1がつ20日はつか発行はっこう)p 188には、『じゅういちじょう要求ようきゅう』と表記ひょうきされている。『日本にっぽんB しんていばん』(文部もんぶ科学かがくしょう検定けんていずみ教科書きょうかしょ高等こうとう学校がっこう地理ちり歴史れきしよう実教出版じつきょうしゅっぱん株式会社かぶしきがいしゃ平成へいせい14ねん1がつ25にち発行はっこう)p 288には、『じゅういちじょう要求ようきゅう』と表記ひょうきされている。

出典しゅってん

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  1. ^ a b 江口えぐち圭一けいいち「1910-30年代ねんだい日本にっぽん アジア支配しはいへの」『岩波いわなみ講座こうざ 日本にっぽん通史つうし だい18かん 近代きんだい3』岩波書店いわなみしょてん、1994ねん7がつ28にちISBN 4-00-010568-X、18~22ぺーじ
  2. ^ a b 櫻井さくらい良樹よしき近代きんだいちゅう関係かんけいになかんする研究けんきゅうちゅうしん派遣はけんたい) ―かんこう駐屯ちゅうとん日本にっぽん陸軍りくぐん派遣はけんたい国際こくさい政治せいじ」『経済けいざい社会しゃかい総合そうごう研究けんきゅうセンター』だい29ごう麗澤大学れいたくだいがく経済けいざい社会しゃかい総合そうごう研究けんきゅうセンター、2008ねん12月、1-41ぺーじdoi:10.18901/00000407NAID 120005397534 
  3. ^ a b 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)『たいはなじゅういちじょう要求ようきゅう』 - コトバンク
  4. ^ 山東さんとう問題もんだいせきスル条約じょうやく公文書こうぶんしょしゅう [1]P.4(アジア歴史れきし資料しりょうセンター)
  5. ^ 白井しらい勝美かつみ日本にっぽん中国ちゅうごく-大正たいしょう時代じだい」、近代きんだい日本にっぽん外交がいこう叢書そうしょ7、はら書房しょぼう1972ねん、P.45。直接ちょくせつきもべに2007.03、PDF-P.2
  6. ^ 森田もりた桂子けいこ武力ぶりょく紛争ふんそう第三国だいさんごく領域りょういき使用しよう帰結きけつ--武力ぶりょく攻撃こうげきへの該当がいとうせい観点かんてんから」『防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ紀要きようだい8かんだい2ごう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ、2006ねん2がつ、31-46ぺーじCRID 1523669555342651904ISSN 13441116 
  7. ^ くらあたまはじめあきら国際こくさいてき中立ちゅうりついち考察こうさつ」『研究けんきゅう論集ろんしゅうだい4ごう広島経済大学ひろしまけいざいだいがく、1971ねん1がつ、225-240ぺーじCRID 1050014282714196992ISSN 0387-1401  PDF-P.6。
  8. ^ 参考さんこうにちどく戦争せんそう俘虜ふりょ郵便ゆうびん時代じだい39 占領せんりょう山東さんとう鉄道てつどう(その1)
  9. ^ きもべに2007.03、PDF-P.3。またきもべにによれば、1917ねん中華民国ちゅうかみんこく参戦さんせんによりドイツ中華民国ちゅうかみんこくあいだ条約じょうやく無効むこうとなっており、租借そしゃく中華民国ちゅうかみんこく直接ちょくせつ返還へんかんされなければならないというのがパリ講和こうわ会議かいぎにおける中華民国ちゅうかみんこく主張しゅちょうであったとされる。
  10. ^ タイムズ 1922ねん4がつ19にち ノースクリフ子爵ししゃくアルフレッド・ハームズワースちょ日本にっぽんをつけろ』
  11. ^ ささえ共同きょうどうぼうてき軍事ぐんじ協定きょうてい連携れんけい強化きょうかされた。
  12. ^ 伊藤いとう正徳まさのり加藤かとう高明こうめい」(昭和しょうわ4ねん下巻げかんP.205)、直接ちょくせつ引用いんようは、(おか俊孝としたか 1965)。
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  14. ^ a b 大阪おおさか朝日新聞あさひしんぶん 1915.1.28[2]神戸大学こうべだいがくデジタルアーカイブ
  15. ^ 大阪おおさか朝日新聞あさひしんぶん 1915.1.21-1915.1.22[3]神戸大学こうべだいがくデジタルアーカイブ
  16. ^ a b おか俊孝としたか 1965, p. PDF-P.7
  17. ^ おか俊孝としたか 1965, p. PDF-P.9.
  18. ^ おか俊孝としたか 1965, p. PDF-P.19.
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  24. ^ 高橋たかはし文雄ふみお経済けいざい封鎖ふうさから太平洋戦争たいへいようせんそう開戦かいせん経緯けいい--経済けいざい制裁せいさいとの相違そうい中心ちゅうしんにして」『戦史せんし研究けんきゅう年報ねんぽうだい14ごう防衛ぼうえいしょう防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょ、2011ねん3がつ、27-56ぺーじISSN 13455117NAID 40018877832NDLJP:10366917。「国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション」 
  25. ^ 山室やまむろ信一しんいちまんしゅうこく」のほう政治せいじ序説じょせつ」『人文じんぶんがくほうだい68かん京都きょうと大学だいがく人文じんぶん科学かがく研究所けんきゅうじょ、1991ねん3がつdoi:10.14989/48355hdl:2433/48355ISSN 0449-0274 , PDF-P.5およびP.137,PDF-P.10脚注きゃくちゅう5
  26. ^ まんしゅう日日ひび新聞しんぶん1915.5.18-5.21[4]神戸大学こうべだいがくデジタルアーカイブ
  27. ^ 大阪おおさか朝日新聞あさひしんぶん1915.4.24-7.2[5]神戸大学こうべだいがくデジタルアーカイブ

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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