長島 ながしま ダム (ながしまダム)は、静岡 しずおか 県 けん 榛原 はいばら 郡 ぐん 川根 かわね 本町 ほんまち 、一級 いっきゅう 水系 すいけい ・大井川 おおいがわ 本川 ほんがわ 上流 じょうりゅう 部 ぶ に建設 けんせつ されたダム である。
大井 おおい 川 がわ では1902年 ねん (明治 めいじ 35年 ねん )以来 いらい 本 ほん ・支流 しりゅう において盛 さか んに電源 でんげん 開発 かいはつ が行 おこな われ、大井 おおい 川 がわ 本川 ほんかわ だけでも田代 たしろ ダム (1927年 ねん )・大井川 おおいがわ ダム (1935年 ねん )・奥泉 おくいずみ ダム (1956年 ねん )・井川 いかわ ダム (1957年 ねん )・畑 はたけ 薙 なぎ 第 だい 二 に ダム (1961年 ねん )・畑 はたけ 薙 なぎ 第 だい 一 いち ダム (1962年 ねん )と6ヶ所 かしょ のダムが建設 けんせつ され、一大 いちだい 電源 でんげん 地帯 ちたい となった。利水 りすい についても、1947年 ねん (昭和 しょうわ 22年 ねん )より農林省 のうりんしょう (現 げん ・農林水産省 のうりんすいさんしょう )による「国営 こくえい 大井 おおい 川 がわ 農業 のうぎょう 水利 すいり 事業 じぎょう 」が着手 ちゃくしゅ され、1968年 ねん (昭和 しょうわ 43年 ねん )に大井川 おおいがわ 用水 ようすい が完成 かんせい 。流域 りゅういき の茶 ちゃ 畑 はたけ を始 はじ め、広大 こうだい な農地 のうち に水 みず が供給 きょうきゅう された。
このような形 かたち で大井 おおい 川 がわ は高度 こうど な水 みず 利用 りよう が行 おこな われた反面 はんめん 、治水 ちすい に関 かん しては従来 じゅうらい より進 すす められている堤防 ていぼう 整備 せいび や河川敷 かせんしき 整備 せいび を行 おこな っており、大 だい 河川 かせん の割 わり には他 た の河川 かせん と比 くら べ「河川 かせん 総合 そうごう 開発 かいはつ 事業 じぎょう 」のような多目的 たもくてき ダム を中心 ちゅうしん とした総合 そうごう 開発 かいはつ は行 おこな われていなかった。流域 りゅういき の年間 ねんかん 降水 こうすい 量 りょう が3,000mmを超 こ える大井 おおい 川 がわ は度々 どど 洪水 こうずい をひき起 お こし、1954年 ねん (昭和 しょうわ 29年 ねん )9月 の台風 たいふう 14号 ごう は流域 りゅういき に大 おお きな被害 ひがい を与 あた えた。これを機 き に1958年 ねん (昭和 しょうわ 33年 ねん )に大井川 おおいがわ 河口 かこう から24.9kmまでの区間 くかん (島田 しまだ 市 し 神座 かんざ 付近 ふきん )が旧 きゅう 河川 かせん 法 ほう による指定 してい 区間 くかん となり、建設省 けんせつしょう (現 げん ・国土 こくど 交通省 こうつうしょう )による直轄 ちょっかつ 管理 かんり が行 おこな われた。1967年 ねん (昭和 しょうわ 42年 ねん )5月 には新 しん 河川 かせん 法 ほう による一級 いっきゅう 水系 すいけい に指定 してい され、河川 かせん 管理 かんり の基本 きほん となる「大井川 おおいがわ 水系 すいけい 工事 こうじ 実施 じっし 基本 きほん 計画 けいかく 」が策定 さくてい された。だが、1974年 ねん (昭和 しょうわ 49年 ねん )7月 がつ の通称 つうしょう 「七夕 たなばた 豪雨 ごうう 」では静岡 しずおか 県 けん 下 か に甚大 じんだい な被害 ひがい をもたらし、大井 おおい 川 がわ の抜本 ばっぽん 的 てき な治水 ちすい 対策 たいさく が求 もと められた。
一方 いっぽう 、静岡 しずおか 県 けん 中部 ちゅうぶ 地域 ちいき は東海道新幹線 とうかいどうしんかんせん や東名高速道路 とうめいこうそくどうろ の開通 かいつう に伴 ともな って首都 しゅと 圏 けん や名古屋 なごや 市 し などへのアクセスが格段 かくだん に向上 こうじょう 。工場 こうじょう 進出 しんしゅつ や物流 ぶつりゅう の中継 ちゅうけい 拠点 きょてん として産業 さんぎょう 整備 せいび が活発 かっぱつ 化 か 、それに伴 ともな い急速 きゅうそく に人口 じんこう が増加 ぞうか していった。このため上水道 じょうすいどう の需要 じゅよう が増大 ぞうだい し新規 しんき の水 みず 供給 きょうきゅう が不可欠 ふかけつ となった。だが大井 おおい 川 がわ は慣行 かんこう 水利 すいり 権 けん や発電 はつでん 用水 ようすい 利権 りけん が既得 きとく 権 けん として設定 せってい されており、新規 しんき に取水 しゅすい するのは他 た の事業 じぎょう 者 しゃ との調整 ちょうせい が必要 ひつよう であり、困難 こんなん が予想 よそう された。このため新 あら たなる水 みず がめが求 もと められた。
こうした背景 はいけい があり、大井 おおい 川 がわ に多目的 たもくてき ダムを建設 けんせつ して大井川 おおいがわ 流域 りゅういき の治水 ちすい と利水 りすい を賄 まかな おうとする機運 きうん が高 たか まった。そして1972年 ねん に上流 じょうりゅう 部 ぶ 、大井川 おおいがわ ダムの直上 ちょくじょう 流 りゅう 部 ぶ にあたる本川根 ほんかわね 町 まち 梅地 うめじ 地 ち 先 さき にダムを建設 けんせつ する計画 けいかく が発表 はっぴょう され、1974年 ねん (昭和 しょうわ 49年 ねん )に「大井川 おおいがわ 水系 すいけい 工事 こうじ 実施 じっし 基本 きほん 計画 けいかく 」の一部 いちぶ 改訂 かいてい を受 う けて正式 せいしき なダム事業 じぎょう として事業 じぎょう が開始 かいし された。この「大井川 おおいがわ 総合 そうごう 開発 かいはつ 事業 じぎょう 」の中核 ちゅうかく 施設 しせつ となったのが長島 ながしま ダム である。
長島 ながしま ダムは型式 けいしき が重力 じゅうりょく 式 しき コンクリートダム で、堤 つつみ 高 だか は当初 とうしょ 112.0mを計画 けいかく していたが後 のち に修正 しゅうせい されて109.0mとなった。特定 とくてい 多目的 たもくてき ダム法 ほう に基 もと づき国土 こくど 交通 こうつう 大臣 だいじん が直轄 ちょっかつ 管理 かんり を行 おこな う特定 とくてい 多目的 たもくてき ダム であり、大井川 おおいがわ 水系 すいけい 唯一 ゆいいつ の多目的 たもくてき ダム である。目的 もくてき は洪水 こうずい 調節 ちょうせつ 、不 ふ 特定 とくてい 利水 りすい 、灌漑 かんがい 、上水道 じょうすいどう 供給 きょうきゅう であり、水力 すいりょく 発電 はつでん 目的 もくてき は有 ゆう しない。水力 すいりょく 発電 はつでん を行 おこな わないダムとしても大井 おおい 川 がわ 本川 ほんかわ では唯一 ゆいいつ となる。計画 けいかく から29年 ねん 後 ご の2001年 ねん (平成 へいせい 13年 ねん )に完成 かんせい しており、日本 にっぽん の長期 ちょうき 化 か ダム事業 じぎょう の一 ひと つでもある。
長島 ながしま ダムの洪水 こうずい 吐 は き
治水 ちすい 目的 もくてき では、ダム地点 ちてん における計画 けいかく 高 だか 水流 すいりゅう 量 りょう (計画 けいかく された最大限 さいだいげん の洪水 こうずい 流量 りゅうりょう )毎秒 まいびょう 6,600m3 を毎秒 まいびょう 5,000m3 に軽減 けいげん (毎秒 まいびょう 1,600m3 の水量 すいりょう カット)する洪水 こうずい 調節 ちょうせつ を行 おこな うが、膨大 ぼうだい な洪水 こうずい 量 りょう を調節 ちょうせつ するために、日本 にっぽん 最大 さいだい 級 きゅう の常用 じょうよう 洪水 こうずい 吐ゲート を6門 もん 備 そな えている。また不 ふ 特定 とくてい 利水 りすい については大井 おおい 川 がわ の正常 せいじょう な流量 りゅうりょう を維持 いじ する河川 かせん 維持 いじ 放流 ほうりゅう が最大 さいだい の目的 もくてき となる。大井 おおい 川 がわ は1961年 ねん (昭和 しょうわ 36年 ねん )の塩 しお 郷 きょう ダム完成 かんせい 以後 いご 「水 みず 枯 か れ」状態 じょうたい が長 なが く続 つづ き、正常 せいじょう な流量 りゅうりょう 復活 ふっかつ は流域 りゅういき 住民 じゅうみん の悲願 ひがん であった。中部電力 ちゅうぶでんりょく は1989年 ねん (平成 へいせい 元年 がんねん )の水利 すいり 権 けん 更新 こうしん 以後 いご 、毎秒 まいびょう 3-5m3 の維持 いじ 放流 ほうりゅう を行 おこな ったが、長島 ながしま ダムではこれら電力 でんりょく 会社 かいしゃ 管理 かんり ダム と連携 れんけい して河川 かせん 維持 いじ 放流 ほうりゅう を行 おこな う。2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )からは田代 たしろ ダムの水利 すいり 権 けん 一部 いちぶ 返還 へんかん による維持 いじ 放流 ほうりゅう 開始 かいし に伴 ともな い、毎秒 まいびょう 0.43-1.49m3 の連携 れんけい 放流 ほうりゅう を開始 かいし している。
さらに、大井川 おおいがわ 上流 じょうりゅう の山岳 さんがく 部 ぶ は糸魚川 いといがわ 静岡 しずおか 構造 こうぞう 線 せん の影響 えいきょう で崩落 ほうらく が激 はげ しく、それに伴 ともな う河水 こうすい の白濁 はくだく 化 か がかつては問題 もんだい になっていた。これを防止 ぼうし するため、長島 ながしま ダムと直下 ちょっか 流 りゅう の大井川 おおいがわ ダム では湖水 こすい の表面 ひょうめん から清浄 せいじょう な水 みず を放流 ほうりゅう することによって、下流 かりゅう の濁水 だくすい を解消 かいしょう する機能 きのう も有 ゆう している。
川口 かわぐち 発電 はつでん 所 しょ ・川口 かわぐち 取水 しゅすい 口 こう の取水 しゅすい 源 げん 笹 ささ 間 あいだ 川 かわ ダム (笹 ささ 間 あいだ 川 がわ )
まず灌漑 かんがい 目的 もくてき としては、大井川 おおいがわ 用水 ようすい の水源 すいげん として農林水産省 のうりんすいさんしょう が施工 しこう している「国営 こくえい 大井 おおい 川 がわ 用水 ようすい 農業 のうぎょう 水利 すいり 事業 じぎょう 」や「国営 こくえい 牧 まき の原 はら 農業 のうぎょう 水利 すいり 事業 じぎょう 」、および静岡 しずおか 県 けん 営農 えいのう 業 ぎょう 水利 すいり 事業 じぎょう と連携 れんけい した農業 のうぎょう 用水 ようすい の供給 きょうきゅう を行 おこな っている。大井川 おおいがわ 用水 ようすい は従来 じゅうらい 、笹 ささ 間 あいだ 川 かわ ダム (笹 ささ 間 あいだ 川 がわ )に付設 ふせつ する川口 かわぐち 発電 はつでん 所 しょ の放流 ほうりゅう 水 すい を同 どう 地点 ちてん にある川口 かわぐち 取水 しゅすい 口 こう より取水 しゅすい し、大井川 おおいがわ 下流 かりゅう や牧之原 まきのはら 台地 だいち へ供給 きょうきゅう していた。これに長島 ながしま ダムからの供給 きょうきゅう 分 ぶん を加 くわ え潤沢 じゅんたく な用水 ようすい 供給 きょうきゅう を図 はか る。島田 しまだ 市 し 神座 かんざ において東西 とうざい に分水 ぶんすい され、焼津 やいづ 市 し ・藤枝 ふじえだ 市 し ・島田 しまだ 市 し ・牧之原 まきのはら 市 し ・掛川 かけがわ 市 し ・袋井 ふくろい 市 し ・菊川 きくかわ 市 し ・御前崎 おまえざき 市 し ・榛原 はいばら 郡 ぐん 吉田 よしだ 町 まち の8市 し 1町 まち 、約 やく 5,145ha へ新規 しんき の用水 ようすい 供給 きょうきゅう を行 おこな う。
上水道 じょうすいどう 供給 きょうきゅう 目的 もくてき としては、1977年 ねん (昭和 しょうわ 52年 ねん )より大井 おおい 川下 かわしも 流域 りゅういき の市町 しちょう で構成 こうせい する「静岡 しずおか 県 けん 大井 おおい 川 がわ 広域 こういき 水道 すいどう 企業 きぎょう 団 だん 」が上水道 じょうすいどう 事業 じぎょう に参加 さんか することで具体 ぐたい 化 か した。大井川 おおいがわ 用水 ようすい と同様 どうよう に川口 かわぐち 発電 はつでん 所 しょ の放流 ほうりゅう 水 すい を川口 かわぐち 取水 しゅすい 口 こう で取水 しゅすい 、途中 とちゅう の相賀 あいが 浄水 じょうすい 場 じょう より企業 きぎょう 団 だん 参加 さんか 自治体 じちたい に供給 きょうきゅう される。焼津 やいづ 市 し ・藤枝 ふじえだ 市 し ・島田 しまだ 市 し ・牧之原 まきのはら 市 し ・掛川 かけがわ 市 し ・菊川 きくかわ 市 し ・御前崎 おまえざき 市 し の6市 し に日 にち 量 りょう 518,400m3 の水道 すいどう 用水 ようすい を現在 げんざい 供給 きょうきゅう している。
更 さら に近年 きんねん 、工業 こうぎょう 用 よう 水道 すいどう の供給 きょうきゅう を長島 ながしま ダムより図 はか る計画 けいかく が進 すす められている。ダム完成 かんせい 以後 いご も工場 こうじょう 立地 りっち が進 すす み工業 こうぎょう 用水 ようすい の需要 じゅよう は増大 ぞうだい する一 いち 方 ぽう であったが、静岡 しずおか 県 けん 西部 せいぶ 地域 ちいき (遠 とお 州 しゅう 地域 ちいき )のような天竜川 てんりゅうがわ を利用 りよう した工業 こうぎょう 用水 ようすい 整備 せいび が大井 おおい 川 がわ では行 おこな われていなかった。このため従来 じゅうらい は大井川 おおいがわ 用水 ようすい より農業 のうぎょう 用水 ようすい を転用 てんよう して工業 こうぎょう 用水 ようすい を利用 りよう していたが、農業 のうぎょう 用水 ようすい の他 た 目的 もくてき への転用 てんよう は違法 いほう であった。当局 とうきょく は黙認 もくにん していたが2003年 ねん (平成 へいせい 15年 ねん )に大井川 おおいがわ 用水 ようすい の上水道 じょうすいどう ・工業 こうぎょう 用 よう 水道 すいどう への違法 いほう 転用 てんよう 問題 もんだい が報道 ほうどう によって発覚 はっかく 。早急 そうきゅう な対策 たいさく が迫 せま られた。
掛川 かけがわ 市 し ・菊川 きくかわ 市 し ・御前崎 おまえざき 市 し ・牧之原 まきのはら 市 し の4市 し は「東 ひがし 遠 どお 工業 こうぎょう 用 よう 水道 すいどう 事業 じぎょう 企業 きぎょう 団 だん 」を設立 せつりつ し、大井川 おおいがわ からの適正 てきせい な取水 しゅすい を行 おこな い地域 ちいき の工業 こうぎょう 団地 だんち へ安定 あんてい した工業 こうぎょう 用水 ようすい を供給 きょうきゅう する「東 ひがし 遠 どお 工業 こうぎょう 用 よう 水道 すいどう 事業 じぎょう 」を推進 すいしん している。折 おり から小泉 こいずみ 純一郎 じゅんいちろう 内閣 ないかく の進 すす める「地域 ちいき 再生 さいせい 計画 けいかく 」の対象 たいしょう にもなり、事業 じぎょう は「大井 おおい 川下 かわしも 流域 りゅういき 水 すい 利用 りよう 再生 さいせい 計画 けいかく 」として上水道 じょうすいどう 事業 じぎょう 者 しゃ の「静岡 しずおか 県 けん 大井 おおい 川 がわ 広域 こういき 水道 すいどう 企業 きぎょう 団 だん 」も参加 さんか して2007年 ねん (平成 へいせい 19年 ねん )4月 がつ までに長島 ながしま ダムを水源 すいげん とした転用 てんよう 手続 てつづ きを現在 げんざい 進 すす めている。これは上水道 じょうすいどう 需要 じゅよう や農業 のうぎょう 合理 ごうり 化 か による利水 りすい の余剰 よじょう 化 か (いわゆる「水 みず 余 あま り」)も背景 はいけい にあって、余剰 よじょう 分 ぶん を有効 ゆうこう 活用 かつよう しようとする思惑 おもわく もある。
日本 にっぽん 初 はつ のCSG工法 こうほう による長島 ながしま 貯砂ダム(上流 じょうりゅう より撮影 さつえい )
大井川 おおいがわ は流域 りゅういき が糸魚川 いといがわ 静岡 しずおか 構造 こうぞう 線 せん に沿 そ っている事 こと から山地 さんち の崩壊 ほうかい が激 はげ しく、土砂 どしゃ 流出 りゅうしゅつ が多 おお い。このため流域 りゅういき のダムは堆 うずたか 砂 すな が進行 しんこう しており、支流 しりゅう の寸又川 すまたがわ 上流 じょうりゅう に建設 けんせつ された千 せん 頭 とう ダム は堆 うずたか 砂 すな 率 りつ 98.1%と全国一 ぜんこくいち である。長島 ながしま ダムにとって、堆 うずたか 砂 すな の進行 しんこう は特 とく に治水 ちすい 機能 きのう に重大 じゅうだい な影響 えいきょう を及 およ ぼすため、建設 けんせつ 当時 とうじ から堆 うずたか 砂 すな 対策 たいさく が重要 じゅうよう な課題 かだい となっていた。
建設省 けんせつしょう は、長島 ながしま ダムの上流 じょうりゅう 部 ぶ に大 だい 規模 きぼ な砂防 さぼう 堰堤 えんてい を建設 けんせつ し、貯留 ちょりゅう した堆 うずたか 砂 すな を定期 ていき 的 てき に除去 じょきょ する事 こと でダムの堆 うずたか 砂 すな を防除 ぼうじょ する対策 たいさく を採 と った。こうして建設 けんせつ されたのが長島 ながしま 貯砂 (ながしまちょさ)ダム である。この貯砂ダムは長期 ちょうき 供用 きょうよう されるダムとしては日本 にっぽん で初 はつ の施工 しこう 例 れい となるCSG工法 こうほう を採用 さいよう した砂防 さぼう ダムである。
CSG (Cemented Sand and Gravel、直訳 ちょくやく すると「セメントで固 かた めた砂礫 されき (されき)」)とは、河床 かしょう 砂礫 されき や掘削 くっさく 土砂 どしゃ をセメント ・水 みず と混 ま ぜて出来 でき たセメント系 けい 固化 こか 材 ざい を台形 だいけい 状 じょう に形成 けいせい して建設 けんせつ する方式 ほうしき のダムである。日本 にっぽん で開発 かいはつ された型式 けいしき であるが、長島 ながしま ダムではこの貯砂ダムのほか、ダム上流 じょうりゅう 部 ぶ の仮 かり 締切 しめきり (ダム建設 けんせつ 時 じ に河水 こうすい を転 うたて 流 なが させる際 さい 、ダム本体 ほんたい へ水 みず が来 こ ないようにせき止 と める堰堤 えんてい )でも同様 どうよう の型式 けいしき が採用 さいよう されている。経済 けいざい 性 せい にも優 すぐ れ、コンクリート 製 せい のダムに比 くら べ総 そう 工費 こうひ を5%程度 ていど 圧縮 あっしゅく する事 こと に成功 せいこう した。なお長島 ながしま 貯砂ダムのCSGは、外部 がいぶ コンクリートにレディミクストコンクリート(生 なま コン )を使用 しよう したことや骨 ほね 材 ざい の岩 いわ 級 きゅう 区分 くぶん 行 おこな われたため、本来 ほんらい のCSG工法 こうほう ではなく、RCD工法 こうほう 用 よう のコンクリートを改良 かいりょう したものとされる(日本 にっぽん 初 はつ の台形 だいけい CSGダム の施工 しこう 例 れい は、大保 たいほ ダムの脇 わき ダム沢 さわ 処理 しょり 工 こう である)。
貯砂ダムは満水 まんすい 時 じ には完全 かんぜん に水没 すいぼつ して見 み えなくなるが、それ以外 いがい では姿 すがた を現 あらわ す。こうした貯砂ダムに加 くわ え、海 うみ 砂 すな 採取 さいしゅ に使 つか う特殊 とくしゅ エジェクターという設備 せつび を利用 りよう した新 あたら しい堆 うずたか 砂 すな 技術 ぎじゅつ を近年 きんねん 導入 どうにゅう している。この特殊 とくしゅ エジェクターは高 こう 圧 あつ 水 すい によって排 はい 砂 すな 管内 かんない 部 ぶ に真空 しんくう を発生 はっせい させ、その圧力 あつりょく を利用 りよう して堆 うずたか 砂 すな を吸収 きゅうしゅう しダム下流 かりゅう や土 ど 捨場に排出 はいしゅつ するというものである。間 あいだ 組 ぐみ と京都大学 きょうとだいがく が開発 かいはつ したものであるが、砂 すな 密度 みつど 90%以上 いじょう の堆 うずたか 砂 すな も吸収 きゅうしゅう できることから新 あら たな堆 うずたか 砂 すな 対策 たいさく として期待 きたい されている。
補償 ほしょう 事業 じぎょう と大井川鐵道 おおいがわてつどう [ 編集 へんしゅう ]
長島 ながしま ダムより望 のぞ む大井川鐵道 おおいがわてつどう 井川線 いかわせん の赤 あか い車両 しゃりょう 最 さい 後方 こうほう は電気 でんき 機関 きかん 車 しゃ
大井 おおい 川 がわ の治水 ちすい と利水 りすい に貢献 こうけん する長島 ながしま ダムであるが、ダム建設 けんせつ によって川根 かわね 本町 ほんまち の39戸 こ が水没 すいぼつ 、関連 かんれん 移転 いてん を含 ふく めると43戸 こ の住居 じゅうきょ が移転 いてん を余儀 よぎ なくされた。住民 じゅうみん はダム建設 けんせつ に対 たい し反対 はんたい 運動 うんどう を繰 く り広 ひろ げたが、当時 とうじ 大井 おおい 川 がわ の枯渇 こかつ 原因 げんいん がダムであった事 こと もあって下流 かりゅう の流域 りゅういき 住民 じゅうみん も長島 ながしま ダム建設 けんせつ に否定 ひてい 的 てき 姿勢 しせい を見 み せた。建設省 けんせつしょう は1979年 ねん (昭和 しょうわ 54年 ねん )4月 がつ 17日 にち に長島 ながしま ダムを水源 すいげん 地域 ちいき 対策 たいさく 特別 とくべつ 措置 そち 法 ほう の対象 たいしょう ダムに指定 してい 、水没 すいぼつ 住民 じゅうみん への補償 ほしょう を厚 あつ くする他 ほか に水没 すいぼつ 地域 ちいき である本川根 ほんかわね 町 まち の地域 ちいき 整備 せいび を実施 じっし した。具体 ぐたい 的 てき には大井川 おおいがわ 沿 ぞ いの露天風呂 ろてんぶろ 「もりのいずみ」新設 しんせつ 、接 せっ 岨 そわ 峡 かい 温泉 おんせん 内 うち への温泉 おんせん 会館 かいかん の建設 けんせつ 、久保山 くぼやま ゲートボール 場 ば の新設 しんせつ 、奥 おく 大井 おおい 湖 こ 上 うえ 駅 えき へのレイクコテージ奥 おく 大井 おおい の新設 しんせつ などである。
また、大井川 おおいがわ 沿岸 えんがん を走 はし る大井川鐵道 おおいがわてつどう 井川線 いかわせん が川根 かわね 市代 いちよ 駅 えき から川根長島 かわねながしま 駅 えき 間 あいだ でダム建設 けんせつ により水没 すいぼつ する事 こと から、井川線 いかわせん の存廃 そんぱい 問題 もんだい も起 お こった。井川線 いかわせん は上流 じょうりゅう の静岡 しずおか 市 し 井川 いかわ と千 せん 頭 とう を結 むす ぶ重要 じゅうよう な交通 こうつう 機関 きかん であり、観光 かんこう 路線 ろせん の一 ひと つでもある事 こと から存続 そんぞく を求 もと める声 こえ が上 あ がった。このため建設省 けんせつしょう は1990年 ねん (平成 へいせい 2年 ねん )より補償 ほしょう 工事 こうじ の一環 いっかん として井川線 いかわせん の付 つ け替 か え工事 こうじ の施工 しこう を開始 かいし した。
付 つ け替 が えにより川根 かわね 市代 いちよ 駅 えき から長島 ながしま ダム右岸 うがん までの間 あいだ が標高 ひょうこう 差 さ ができて急 きゅう 勾配 こうばい となるため、アプト式 しき のラック式 しき 鉄道 てつどう が採用 さいよう された。川根 かわね 市代 いちよ 駅 えき をアプトいちしろ駅 えき と改称 かいしょう 、長島 ながしま ダム右岸 うがん に長島 ながしま ダム駅 えき を新設 しんせつ して、この2駅 えき 間 あいだ を電気 でんき 機関 きかん 車 しゃ によって推進 すいしん する方式 ほうしき である。また、ダム湖 みずうみ を渡 わた る鉄橋 てっきょう を「奥 おく 大井 おおい レインボーブリッジ 」と名付 なづ け、橋 はし の中間 ちゅうかん に奥 おく 大井 おおい 湖 こ 上 うえ 駅 えき を新設 しんせつ した。こうした工事 こうじ により大井川鐵道 おおいがわてつどう は蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 導入 どうにゅう に次 つ ぐ新 あたら しい特徴 とくちょう を得 え ることとなった。その後 ご 、井川線 いかわせん には「南 みなみ アルプスあぷとライン 」の愛称 あいしょう が付 つ けられた。
接 せっ 岨 そわ 湖 みずうみ と噴水 ふんすい
ダム上流 じょうりゅう の接 せっ 岨 そわ 峡 かい
長島 ながしま ダムによって形成 けいせい された人造湖 じんぞうこ は2001年 ねん (平成 へいせい 13年 ねん )に接 せっ 岨 そわ 湖 みずうみ (せっそこ)と命名 めいめい された。これは大井川 おおいがわ 上流 じょうりゅう 部 ぶ の峡谷 きょうこく ・接 せっ 岨 そわ 峡 かい に因 ちな み命名 めいめい されたものである。接 せっ 岨 そわ 湖 みずうみ は総 そう 貯水 ちょすい 容量 ようりょう 7,800万 まん 立方 りっぽう メートルであり、井川湖 いかわこ (井川 いかわ ダム)、畑薙湖 はたなぎこ (畑 はたけ 薙 なぎ 第 だい 一 いち ダム)に次 つ ぐ大井川 おおいがわ 水系 すいけい の大 だい 貯水池 ちょすいち である。
接 せっ 岨 そわ 湖 みずうみ ではカヌー をする人 ひと の姿 すがた が多 おお い。これは2003年 ねん (平成 へいせい 15年 ねん )に開催 かいさい されたNEW!!わかふじ国体 こくたい で漕艇 そうてい 会場 かいじょう として競技 きょうぎ が実施 じっし された事 こと による。以後 いご 接 せっ 岨 そわ 湖 みずうみ カヌー競技 きょうぎ 場 じょう が設置 せっち され、多 おお くのカヌーイストが練習 れんしゅう を行 おこな う。川根 かわね 本町 ほんまち は2005年 ねん より「接 せっ 岨 そわ 湖 みずうみ カヌー講習 こうしゅう 会 かい &ツーリング」を実施 じっし しており、初心者 しょしんしゃ が競技 きょうぎ 場 じょう ~長島 ながしま 貯砂ダム間 あいだ を往復 おうふく してカヌーに親 した しむイベントが行 おこな われている。2006年 ねん (平成 へいせい 18年 ねん )8月 がつ には「文部 もんぶ 科学 かがく 大臣 だいじん 杯 はい ・日本 にっぽん カヌーフラットウォーターレーシング・ジュニア選手権 せんしゅけん 大会 たいかい 」の会場 かいじょう となっている。接 せっ 岨 そわ 湖 みずうみ は春 はる の新緑 しんりょく や秋 あき の紅葉 こうよう も美 うつく しく、2006年 ねん 7月 がつ には「森 もり と湖 みずうみ に親 した しむ旬間 じゅんかん 」の全国 ぜんこく 行事 ぎょうじ である「奥 おく 大井 おおい 接 せっ 岨 そわ 湖 みずうみ フェスタ」も行 おこな われた。
長島 ながしま ダムは「地域 ちいき に開 ひら かれたダム 」としてダム本体 ほんたい や周辺 しゅうへん 施設 しせつ を積極 せっきょく 的 てき に一般 いっぱん に開放 かいほう しており、社会 しゃかい 科 か 見学 けんがく や観光 かんこう で訪 おとず れる人 ひと が多 おお い。ダム管理 かんり 所 しょ の1階 かい は展示 てんじ 室 しつ となっており、ダムの構造 こうぞう や事業 じぎょう 目的 もくてき について詳 くわ しく解説 かいせつ している。ダム天 てん 端 はし は展望 てんぼう 台 だい になっており、急坂 きゅうざか を登 のぼ る大井川鐵道 おおいがわてつどう 井川線 いかわせん の姿 すがた を見 み ることもできる。ダム直下 ちょっか も開放 かいほう されており、大 だい 樽 たる 広場 ひろば や四季 しき 彩 あや 公園 こうえん が整備 せいび され、しぶき橋 きょう からはダムを真下 ました から見上 みあ げることができる。ただし、放流 ほうりゅう 時 じ には水 みず しぶきをまともに受 う ける点 てん には注意 ちゅうい が必要 ひつよう である。
この地域 ちいき は静岡 しずおか 県 けん 有数 ゆうすう の観光 かんこう 地 ち であり、付近 ふきん には接 せっ 岨 そわ 峡 かい 温泉 おんせん や寸 すん 又 また 峡 かい 温泉 おんせん がある。上流 じょうりゅう には井川 いかわ ダムや畑 はたけ 薙 なぎ 第 だい 一 いち ダム、さらに南 みなみ アルプス登頂 とうちょう のメインルートでもある。アクセスは大井川鐵道 おおいがわてつどう 井川線 いかわせん ・長島 ながしま ダム駅 えき 下車 げしゃ 徒歩 とほ 2分 ふん 。自動車 じどうしゃ では新 しん 東名高速道路 とうめいこうそくどうろ ・島田 しまだ 金谷 かなや インターチェンジ より国道 こくどう 473号 ごう を経由 けいゆ 、国道 こくどう 362号 ごう より静岡 しずおか 県 けん 道 どう 77号 ごう 川根 かわね 寸 すん 又 また 峡 かい 線 せん を寸 すん 又 また 峡 かい 温泉 おんせん ・長島 ながしま ダム方面 ほうめん へ北上 ほくじょう し、奥泉 おくいずみ 交差点 こうさてん で静岡 しずおか 県 けん 道 どう 388号 ごう 接 せっ 岨 そわ 峡 かい 線 せん へ右折 うせつ ししばらく進 すす むと、やがて巨大 きょだい な堤 つつみ 体 たい が眼前 がんぜん に現 あらわ れる。
『日本 にっぽん の多目的 たもくてき ダム』1980年版 ねんばん :建設省 けんせつしょう 河川 かせん 局 きょく 監修 かんしゅう ・全国 ぜんこく 河川 かせん 総合 そうごう 開発 かいはつ 促進 そくしん 期成 きせい 同盟 どうめい 会 かい 編 へん 。山海 さんかい 堂 どう 1980年 ねん
『大井 おおい 川下 かわしも 流域 りゅういき 水 すい 利用 りよう 再生 さいせい 計画 けいかく 』:東 ひがし 遠 どお 工業 こうぎょう 用 よう 水道 すいどう 事業 じぎょう 企業 きぎょう 団 だん 。2006年 ねん
『産業 さんぎょう 技術 ぎじゅつ 遺産 いさん 探訪 たんぼう ~大井川鐵道 おおいがわてつどう アプト式 しき 鉄道 てつどう ・アプト式 しき 電気 でんき 機関 きかん 車 しゃ ED901~ED903』:大木 おおき 利治 としはる 。技術 ぎじゅつ 科 か @スクール 2003年 ねん
『ダム便覧 びんらん 2006』:日本 にっぽん ダム協会 きょうかい 。2006年 ねん
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