おんな

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おんな(そじょ)は、道教どうきょうにおけるおんなせん一人ひとりである。音楽おんがく女神めがみである。紀元きげんから道教どうきょう関連かんれん書籍しょせきぼうちゅうじゅつ精通せいつうしゃ代表だいひょうとされているゆえ、それにかんする道教どうきょう文献ぶんけんにも登場とうじょうする。

なお、もとしろでありげんくろであるが[1]玄女げんにょとともに陰陽いんようじゅつつかさど[2]しんだい文学ぶんがく作品さくひん通俗つうぞく大明だいめいおんなせんでん』(原題げんだい:『おんなせん外史がいし』)にも、おんな九華きゅうかみやぬし玄女げんにょいもうとという言及げんきゅうがあり、おんなせんなかでは地位ちいたか[3]

概要がいよう[編集へんしゅう]

山海さんかいけい』「海内かいだいけい」(紀元前きげんぜん4世紀せいき - 紀元きげん3世紀せいき)には「もとおんな黒水くろみずみやこひろ出身しゅっしん」であるとしるされている[4]楊慎1488ねん - 1559ねん)は、みやこひろとは(いまの)四川しせんしょうなり都市としであろうと指摘してきした[5]

おんなけい[編集へんしゅう]

ずいしょまきさんじゅうよん経籍けいせきさん」(636ねん - 656ねん)に、『もとおんなどうけい』および『もと女方おざかた』という文献ぶんけん記載きさいされているが[6]、これらは中国ちゅうごくではうしなわれたかにえた。ところが、藤原ふじわらたすく編纂へんさんした『日本にっぽん国見くにみざい書目しょもくろく』(c891)に、『おんなけい』という文献ぶんけん記載きさいされている[7]

丹波たんばかんよりゆきの『しんかたまきはち房内ぼうないへん」(984ねん)にも引用いんようられ、とくてる1864ねん - 1927ねん)が集録しゅうろくして『おんなけい』となす[7]。『もとおんなけい』は、みかどおんな問答もんどうという対話たいわ形式けいしきによる、養生ようじょう目的もくてきとしたせい奥義おうぎしょ。さらにかずらひろしの『だきほおおびえ惑篇では「げんもとほう玄女げんにょもとおんなほう)」はぼうちゅうじゅつ(あるいはかえせいのうじゅつ[8]射精しゃせいおさえ、女性じょせい体液たいえき吸収きゅうしゅうし、せいかえしてのうつよめることによって長寿ちょうじゅるという[9])の代名詞だいめいしてき存在そんざいであり、みかどみちびけやしなえ長生ちょうせい不老ふろう秘訣ひけつだとう)をろんじて玄女げんにょもとおんなただしたとのかたりがある[10][11]ちょうくんぼうの『くもきゅうななくじけんながえ本紀ほんぎ』ではみかどぼうちゅうじゅつ玄女げんにょもとおんなからまなび、300にん女性じょせい性的せいてきまじわることができる[12]

その[編集へんしゅう]

ちょうの「どうこえ」という詩歌しか100ねん)にも、初夜しょや花嫁はなよめおんなおしえである春画しゅんがしたがってこれから性交せいこういど描写びょうしゃがある[13]春画しゅんが別名べつめいひとつとしておんなぶことさえあった。

史記しきまきじゅうはちふうぜんしょだいろく」に、げんきん起源きげんたんとしてつぎのような記述きじゅつがある:「もとおんなじゅうげんきんかなでたところ、その音色ねいろふとしみかどしんうごかした。あまりにかなしくなったふとしみかどじゅうげんきんえさせた」[14]

しろ水素すいそおんな[編集へんしゅう]

上述じょうじゅつおんなとは別人べつじんとうふかしあきら365ねん - 427ねんせん・『さがせしん後記こうきまきしろ水素すいそおんなという人物じんぶつ登場とうじょうする。

おさないころ父母ちちははうしなったはたらもの礼儀れいぎただしくつつしふか青年せいねんおおきなタニシをつけ、いえかえる。青年せいねんそと農作業のうさぎょうをしていえかえると食事しょくじ支度したくができている。となりひと親切しんせつだろうとれいうと、女房にょうぼうもらってかくしているなんて、とわれてしまう。つぎ、こっそりいえなかをうかがっていると少女しょうじょ煮炊にたきをはじめる。その少女しょうじょめると、自分じぶんしろ水素すいそおんな天帝てんていいのちにより青年せいねんませようとしていたが、つけられたのでかえらなければならないとってしまう。その青年せいねんゆたかにらす[15]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 池内いけうち輝雄てるお成瀬なるせ哲生てつお露伴ろはん随筆ずいひつ潮待しおまそう」をむ』岩波書店いわなみしょてん、2002ねんだい57ぺーじ
  2. ^ しんかたまきじゅうはち”. ウィキソース. 2021ねん9がつ9にち閲覧えつらん
  3. ^ おんなせん外史がいしだいさんじゅういちかい”. ウィキソース. 2021ねん9がつ9にち閲覧えつらん
  4. ^ うみ內經”. 中國ちゅうごく哲學てつがくしょ電子でんしけい. 2020ねん7がつ14にち閲覧えつらん。 “西南せいなん黑水くろみずあいだゆうみやこ廣之ひろゆききさききびそう焉。爰有あぶらまめあぶらいねあぶらきびあぶらきびひゃくこく自生じせいふゆなつ播琴。鸞鳥うたおおとりとり儛,れいことぶき實華みか草木くさきしょ聚。爰有百獸ひゃくじゅうそうぐん爰處。此草也,ふゆなつ不死ふし以下いかりゃく
  5. ^ 中国ちゅうごく神話しんわ伝説でんせつだい事典じてん 1999, p. 432.
  6. ^ まきさんじゅうよんこころざしだいじゅうきゅう 経籍けいせきさん”. 中國ちゅうごく哲學てつがくしょ電子でんしけい. 2020ねん7がつ14にち閲覧えつらん
  7. ^ a b 道教どうきょう事典じてん 1996, p. 353.
  8. ^ のきながえみかどでん”. ウィキソース. 2021ねん9がつ9にち閲覧えつらん
  9. ^ R.H.ファン・フーリック『古代こだい中国ちゅうごくせい生活せいかつ先史せんしから明代あきよまで】』まつへいいをわけせりか書房しょぼう、1988ねんだい110ぺーじ
  10. ^ だきほおまき十三じゅうざ”. ウィキソース. 2021ねん9がつ9にち閲覧えつらん
  11. ^ だきほおまきじゅう”. ウィキソース. 2021ねん9がつ9にち閲覧えつらん
  12. ^ くもきゅうななくじまきいちひゃく”. ウィキソース. 2021ねん9がつ9にち閲覧えつらん
  13. ^ たていのちかん文學ぶんがく 2013, p. 721.
  14. ^ まきじゅうはち”. 中國ちゅうごく哲學てつがくしょ電子でんしけい. 2020ねん7がつ14にち閲覧えつらん。 “ある曰太みかど使もとおんな五十絃瑟悲帝禁不止故破其瑟為二十五弦
  15. ^ だいかん”. 中國ちゅうごく哲學てつがくしょ電子でんしけい. 2020ねん7がつ14にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • いむ善昭よしあき「『しんかた房内ぼうないへんについての考察こうさつ」『日本にっぽん史学しがく雑誌ざっしだい47かんだい2ごう、2001ねん、337-349ぺーじ 
  • 袁珂 しる鈴木すずきひろし やく中国ちゅうごく神話しんわ伝説でんせつだい事典じてん大修館書店たいしゅうかんしょてん、1999ねんISBN 4-469-01261-0 
  • 岡本おかもと隆三りゅうぞうもとおんなけい入門にゅうもん 中国ちゅうごくんだ絶倫ぜつりん医学いがく青春せいしゅん出版しゅっぱんしゃ〈PLAY BOOKS〉、1973ねん7がつ15にちASIN B00GJEZUNI 
  • 高田たかだこと三郎さぶろう現代げんだいじんのためのおんなけい あい健康けんこうほう』ABC出版しゅっぱん、1986ねん11月1にちISBN 4900387355 
  • 長谷川はせがわ五郎ごろうもとおんなけい秘伝ひでん 性感せいかんツボ健康けんこうほう』ABC出版しゅっぱん、2000ねん1がつ1にちISBN 4900387282 
  • 石上いしがみおもねまれ日本にっぽん春画しゅんがにおける外来がいらい思想しそう受容じゅよう展開てんかい」『たていのちかん文學ぶんがくだい630ごう、2013ねん、720-730ぺーじdoi:10.34382/00006402 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]