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めしおか八幡宮はちまんぐう

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めしおか八幡宮はちまんぐう


拝殿はいでん

地図
所在地しょざいち 千葉ちばけん市原いちはら八幡やはた1057-1
位置いち 北緯ほくい3532ふん15.11びょう 東経とうけい1407ふん3.63びょう / 北緯ほくい35.5375306 東経とうけい140.1176750 / 35.5375306; 140.1176750
主祭しゅさいしん 誉田ほんだべつみこと
いきちょうたいひめたかし
たまひめたかしほか7はしら
社格しゃかくひとし 上総かずさこく総社そうじゃ
きゅうけんしゃ
創建そうけんつて白鳳はくほう年間ねんかん675ねん
本殿ほんでん様式ようしき 入母屋いりもやづくりどう板葺いたぶき
例祭れいさい 旧暦きゅうれき8がつ15にち
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めしおか八幡宮はちまんぐう(いいがおかはちまんぐう)は、千葉ちばけん市原いちはら八幡やはたにある神社じんじゃである。「八幡やはた」の地名ちめい由来ゆらいとなった。房総ぼうそう魅力みりょく500せんちば遺産いさん100せんにも選定せんていされている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

所在地しょざいち[編集へんしゅう]

祭神さいじん[編集へんしゅう]

歴史れきし[編集へんしゅう]

めしおか八幡宮はちまんぐうとして鎮座ちんざする以前いぜんろくしょ御影みかげ神社じんじゃしょうしたといわれ、白鳳はくほう年間ねんかん675ねん)、いちこくいちしゃ八幡宮はちまんぐうとして勧請かんじょうされたことに起源きげんつという。天平てんぴょうたから3ねん759ねん)、全国ぜんこく放生ほうじょう鎮座ちんざする国府こくふ八幡宮はちまんぐうさだめられ、国府こくふ司祭しさい放生会ほうじょうえ現在げんざいつたえる上総かずさこく古社ふるやしろひとつである。中世ちゅうせい以降いこう上総かずさ総社そうじゃとしての機能きのうつ。その名残なごりから国府こくぶ総社そうじゃ尊称そんしょうされている。

もと3ねん1158ねん)、山城やましろこく石清水八幡宮いわしみずはちまんぐう諸国しょこく荘園しょうえんかん』に「上総かずさこく市原いちはら別宮べつく」と記載きさいされ、石清水八幡宮いわしみずはちまんぐう別宮べつみや市原いちはら八幡宮はちまんぐうとして中世ちゅうせい以降いこうみなもと千葉ちば足利あしかが徳川とくがわ崇敬すうけいあつめた。

徳川とくがわ家康いえやすにより、所領しょりょう150せき安堵あんどされ、10まんせき格式かくしきあたえられ明治めいじいたる。きゅう社格しゃかくけんしゃ

昭和しょうわ43ねん1968ねん)、本社ほんしゃ別宮べつみやとして辰巳台たつみだい神社じんじゃまつられた。

りゃく年表ねんぴょう(『めしおか八幡宮はちまんぐう由緒ゆいしょほん』による)[編集へんしゅう]

  • けいぎょう天皇てんのう40ねん110ねんごろ - 日本にっぽんたけたかし東征とうせいときろくしょ御影みかげ神社じんじゃ休息きゅうそくしたという。そのさい社人しゃにんみこと食事しょくじささげたところ、めしかおりをしょうした故事こじにより、御影みかげさんを「めしおか(いいがおか)」とぶことになったという。
  • 天武天皇てんむてんのう白鳳はくほう4ねん675ねん) - 勅使ちょくしさくらまちみつる奉幣ほうへい使菅原すがわら時春ときはる下向げこうし、神殿しんでんめしおか創建そうけんして誉田ほんだべつとうと以下いかさんかみたてまつときする。そのさい勅使ちょくしさくらまちまんんだ和歌わかきみがため今日きょううえゑそへしちちの幾世いくよへむともしんやどるらむ」
  • 天平てんぺいかちたから元年がんねん749ねん) - 社殿しゃでん造営ぞうえいする。
  • 天平てんぴょうたから3ねん759ねん) - 勅命ちょくめいによりいちこくいちしゃ八幡宮はちまんぐうとなり、国府こくぶ総社そうじゃしょうせられる。
  • もとけい3ねん879ねん)3がつ - 朝廷ちょうていにより社殿しゃでん造営ぞうえいされる。
  • てんけい3ねん940ねん) - 社殿しゃでん造営ぞうえい
  • 寛弘かんこう5ねん1008ねん) - 鎮守ちんじゅ将軍しょうぐん源頼光みなもとのよりみつにより社殿しゃでん造営ぞうえいされる。
  • 康平こうへい7ねん1064ねん) - 鎮守ちんじゅ将軍しょうぐん源頼義みなもとのよりよし造営ぞうえいりょうとしてべい1000いし寄進きしんする。
  • れき元年がんねん1065ねん) - 源頼義みなもとのよりよし寄進きしんにより、社殿しゃでん造営ぞうえいする。
  • 寛治かんじ5ねん1091ねん) - 源義家みなもとのよしいえ鉄製てつせい矢筒やづついち箇とほん寄進きしんする。
  • もと3ねん1158ねん)10がつ - 石清水八幡宮いわしみずはちまんぐう諸国しょこく荘園しょうえんかんちゅうに「上総かずさこく市原いちはら別宮べつく」の記事きじあり。
  • うけたまわやす元年がんねん1171ねん) - 千葉ちば常胤つねたね武運ぶうん長久ちょうきゅう家門かもん繁栄はんえい祈願きがんし、社殿しゃでん修理しゅうりおこなう。
  • うけたまわ4ねん1180ねん) - みなもと頼朝よりとも太刀たちいち奉納ほうのうする。
    • 同年どうねん12がつ - 所領しょりょうは、市原いちはらそう八幡やはた郷内ごうないいちまち菊間きくま郷内ごうないはちまち市原いちはらむらないまち府中ふちゅうないろくまち郡元こおりもとむらないななまち村上むらかみむらないろくまちあいうつしむらないろくまち山木やまきむらないまち大厩おおまや谷村たにむらないまち海上かいじょうぐんへだたそう小野田おのだ郷内ごうないよんまちたん皆吉みなよしむらないよんまちさんたん久吉ひさよしむらないまちさんたんほとりひるぐん菅生すがおそう伊豆いず嶋村しまむらないまち大成たいせいむらないまち市原いちはらぐんひがしそうしょうすみむらないまち八反はったん馬場うまばむら真生まさおまちたん山辺やまべぐん神房かんぼうむらないまち宮谷みやたにむらないまち夷隅いすみぐん伊保田いほたそう藤村ふじむらないまち筒森つつもりむらないまちたんえびすきたそう萩原はぎはらむらまちたん今関いまぜきむらないまち南夷みなみえびす南荘なんそう江渡えとむらないまち石神いしがみむらないまち夷隅いすみぐんあら田野でんやそう国府台こうのだいないまち八反はったん荒田あらた野内やないまちよんたんとうであった。
    • 同年どうねん12がつ - 安達あだち盛長もりながひがしそう奉納ほうのうする。
  • 文治ぶんじ5ねん1189ねん) - みなもと頼朝よりとも奥州おうしゅう藤原ふじわらやすし征伐せいばつのため、武運ぶうん長久ちょうきゅう祈願きがん安達あだち盛長もりなが奉幣ほうへい使として太刀たちいち甲冑かっちゅういちりょう寄進きしんする。
  • たてひさ3ねん1192ねん)8がつ - みなもと頼朝よりともめしおか八幡宮はちまんぐう保護ほごするため、府中ふちゅう五井ごい惣社そうしゃ市原いちはら菊間きくま八幡やはたきょう禁制きんせい制札せいさつかかげさせる。
  • たてひさ4ねん1193ねん)8がつ15にち - みなもと頼朝よりとも天下てんか掌握しょうあく祈願きがんのため宮殿きゅうでん新造しんぞうする。このとき名代なだい藤原ふじわらちかしのう中原なかはらなかぎょう奉行ぶぎょう和田わだ義盛よしもり神主かんぬし市川いちかわ誉田ほんだ斎宮いつき藤原ふじわら義重よししげ大工だいく棟梁とうりょう修理しゅうりかい正広まさひろ
  • せいよしみ2ねん1258ねん)3がつ - ひがしそう領主りょうしゅ左右さゆう衛門えもんじょうふじつな祈願きがん成就じょうじゅのため太刀たちいち奉納ほうのうする。
  • 弘安ひろやす4ねん1281ねん)2がつ - 征夷大将軍せいいたいしょうぐんおもんみかん親王しんのう北条ほうじょうせん幣帛へいはくほうぜさせ、太刀たちいちゆみいちはり奉納ほうのうする。
    • 同年どうねん6がつ - こうむ襲来しゅうらいもと寇)により、国家こっか安穏あんのん武運ぶうん長久ちょうきゅう祈祷きとう下知げじをうける。
    • 同年どうねん9がつ - こうむ追討ついとう祈願きがんしょうされ、祭祀さいし厳重げんじゅう執行しっこうするようにおおせられる。
  • 14世紀せいき前半ぜんはん12がつ13にち - 鎌倉かまくら幕府ばくふ管領かんりょう長崎ながさきだか大輔だいすけ律師りっししゅん上総かずさこく市原いちはらそう八幡宮はちまんぐうめしおか八幡宮はちまんぐう別当べっとう補任ほにんする(みことけいかく文書ぶんしょ)。
  • 正平しょうへい5ねんかんおう元年がんねん1350ねん)10がつ26にち - 室町むろまち幕府ばくふ執事しつじ高師直こうのもろなお地蔵じぞういんそう正覚しょうがくゆう上総かずさこく市原いちはら八幡宮はちまんぐうめしおか八幡宮はちまんぐう)の別当べっとうしょく補任ほにんする(みことけいかく文書ぶんしょ)。
  • 正平しょうへい6ねんかんおう2ねん1351ねん)7がつ16にち - 武田たけだ幕府ばくふいのちけて上総かずさこく市原いちはら八幡宮はちまんぐうめしおか八幡宮はちまんぐう別当べっとうしょく醍醐寺だいごじ地蔵じぞういんそう正覚しょうがくゆう交付こうふする(前田まえだ所蔵しょぞう文書ぶんしょ)。
  • 正平しょうへい13ねんのべぶん3ねん1358ねん)11月11にち - 神事しんじ流鏑馬やぶさめつとめていた円蔵えんぞう剃髪ていはつして円蔵えんぞうぼうみなもとあきら解明かいめいし、境内けいだいいちぼうてるという。
  • 正平しょうへい24ねんおうやす2ねん1369ねん) - 足利あしかが義満よしみつ祈願きがんのため宮殿きゅうでん造営ぞうえいする。そのため奉行ぶぎょう上杉うえすぎ中務なかつかさしょう輔が八幡宮はちまんぐう来宮くるみやする。
  • 建徳けんとく2ねんおうやす4ねん1371ねん) - 石川いしかわ左近さこん将監しょうげんたがえらんにより、市原いちはらそう八幡宮はちまんぐうめしおか八幡宮はちまんぐう)の社務しゃむ神事しんじが闕怠する(みことけいかく文書ぶんしょ)。
  • 文中ぶんちゅう元年がんねんおうやす5ねん1372ねん)5がつ - がつかい費用ひよう負担ふたん53ぬき750ぶん豊成とよしげしまあな青柳あおやぎいれぬま郡本こおりもとかくさと配分はいぶんする(みことけいかく文書ぶんしょ)。
  • 文中ぶんちゅう4ねんおうやす8ねん1375ねん)2がつ10日とおか - 上総かずさこく市原いちはら八幡宮はちまんぐうめしおか八幡宮はちまんぐう)のくにやくそうやくを、山辺やまべたけしゃ刑部おさかべ佐是さぜ長柄ながらちょうきた埴生はぶひがし西にしあずか宇呂山田やまだもちひがしかくぐん配分はいぶんする(三宝さんぼういん文書ぶんしょ)。
  • 弘和ひろかず3ねんえいいさお3ねん1383ねん) - 足利あしかが義満よしみつ社殿しゃでん改造かいぞうする。
  • 正中せいちゅう元年がんねん至徳しとく元年がんねん1384ねん) - 足利あしかが義満よしみつ祈願きがん成就じょうじゅにより御輿みこし4しゃ造立ぞうりゅう奉納ほうのうする。神輿しんよ墨書ぼくしょによると、鎌倉かまくら法華ほっけ堂下どうした中小ちゅうしょうにて造営ぞうえいされる。
  • 正中せいちゅう4ねんよしみけい元年がんねん1387ねん)9がつ - 足利あしかが義満よしみつ祈願きがんのためいちだい鳥居とりい寄進きしんする。
  • おうひさし19ねん1412ねん)1がつ - 足利あしかが義持よしもち武運ぶうん長久ちょうきゅう国家こっか安泰あんたい祈願きがんのため太刀たちいち奉納ほうのうする。
  • 長禄ちょうろく3ねん1459ねん)3がつ - ぬさ殿どの拝殿はいでん新造しんぞうしたきむね足利あしかが義政よしまさ代官だいかん太田おおた左衛門さえもん持資もちすけねがたところ将軍しょうぐん義政よしまされられ、営金として1000りょう寄付きふされる。これにより本殿ほんでん修復しゅうふくくわえてぬさ殿どの拝殿はいでんこうはい神前しんぜんせきまゆみせき瑞籬みずがきとうまでも建立こんりゅうする。
  • ひろしせい元年がんねん1460ねん) - 足利あしかが義明よしあき社殿しゃでん新造しんぞうする。
  • ひろしせい6ねん1465ねん)8がつ15にち - 足利あしかが義明よしあき舎弟しゃていみなもとはじめよりゆき太刀たちいち奉納ほうのうする。
    • 同年どうねん - 足利あしかが義明よしあき八幡やはた御所ごしょ)、いち大鳥居おおとりい建立こんりゅうする。
  • 文明ぶんめい元年がんねん1469ねん)8がつ - 足利あしかが義明よしあき祈願きがんにより、ひのきがわ屋根やねどう板葺いたぶき屋根やね葺替ふきかえし、そのそと造営ぞうえい寄進きしんをする。このとき真里まり谷原やはら式部しきぶ入道にゅうどうじょかん奉行ぶぎょうする。
  • 天文てんもん8ねん1539ねん)8がつ - しょうゆみ御所ごしょ御殿ごてんあと白幡しらはた権現ごんげんしゃ勧請かんじょうし、めしおか八幡宮はちまんぐう神官しんかん幣帛へいはくたてまつる。
  • 天文てんもん16ねん1547ねん) - 社殿しゃでん修理しゅうりおこなう。
  • えいろく2ねん1559ねん)3がつ - 千葉介平富胤舎弟菊間城主千葉源三平親胤、祈願きがんによりいち鳥居とりい再建さいけん寄進きしんする。
  • もとかめ2ねん1571ねん)7がつ - 織田おだ信長のぶなが神田かんだうばう。
  • 天正てんしょう8ねん1576ねん)8がつ - 先年せんねんより神領しんりょう減石げんこくし、自力じりきでの造営ぞうえいかながたく、しょさと肝心かんじんゆるしを国主こくしゅ北条ほうじょうねがる。これにたい城代しろだい北条ほうじょう治郎じろうしょう輔・遠山とおやま左衛門尉さえもんのじょう神領しんりょうじょとうたずね、めしおか八幡宮はちまんぐうは「じょう」を提出ていしゅつするという。
  • 天正てんしょう9ねん1581ねん)7がつ - めしおか八幡宮はちまんぐう造営ぞうえいのため「新市しんいち」をてることが免許めんきょされる。また八幡やはた守護しゅご不入ふにゅうとなる。
  • 天正てんしょう18ねん1590ねん)3がつ - 徳川とくがわ要所ようしょ青山あおやま藤蔵とうぞう由緒ゆいしょ神領しんりょうじょとう調しらべる。八幡宮はちまんぐうではしょじょう絵図えずとう差出さしだす。
  • 同年どうねん5がつ - 徳川とくがわより上総かずさこく市原いちはらそう八幡やはたきょう禁制きんせい軍勢ぐんぜい甲乙こうおつじんとうらんさまたげ狼藉ろうぜきごと以下いかカ条かじょう)がくだされる。
  • 天正てんしょう19ねん1591ねん)11月 - 徳川とくがわ家康いえやす神領しんりょう150せき寄進きしんする。めしおか八幡宮はちまんぐう祭礼さいれい格式かくしきなる。
  • 天正てんしょう20ねん1592ねん)8がつ15にち - 本多ほんだわたる八郎はちろうせいつな徳川とくがわ家康いえやす武運ぶうん長久ちょうきゅういのだい太刀たち寄進きしんする。
    • 同年どうねん10がつ - しゃそう円蔵えんぞうぼう寂光じゃっこうぼうえんじょうぼうもとさとしぼう四坊しぼうしゃそうとしてあいつとめるという。
  • ぶんろく2ねん1593ねん)8がつ - 千葉ちばとみたね甲冑かっちゅういちりょう寄進きしんする。
  • ぶんろく3ねん1594ねん)3がつ - 一宇いちう造立ぞうりゅうする。このとき神主かんぬし誉田ほんだだい内蔵ないぞうあきら代官だいかん大塚おおつかすけすすむであった。また、しゃによれば、このとき永井ながい右近うこん太夫たゆうは、本殿ほんでん修理しゅうり拝殿はいでん修理しゅうりのため造営ぞうえいりょうとして蔵米くらまい200たわら寄進きしんしたという。
  • 慶長けいちょう9ねん1604ねん) - 改修かいしゅうおこなう。
  • 元和がんわ2ねん1616ねん)4がつ17にち - 徳川とくがわ家康いえやすあずまあきらだい権現ごんげんかみごう宣下せんげにつき、かみさい以下いか毎年まいとし執行しっこうする。
  • 元和がんわ3ねん1617ねん)3がつ - 徳川とくがわ秀忠ひでただ鉄扇てっせん1箇を寄進きしんする。
  • 元和がんわ9ねん1623ねん) - 徳川とくがわ秀忠ひでただ家光いえみつ上洛じょうらくにつき、天下てんか太平たいへい武運ぶうん長久ちょうきゅう祈願きがんを7日間にちかんおこなう。
  • 寛永かんえい3ねん1626ねん)9がつ - 徳川とくがわ秀忠ひでただ太政大臣だじょうだいじん任官にんかんにつき、なな日間にちかん天下でんか太平たいへい武運ぶうん長久ちょうきゅう祈願きがんおこなう。
  • 寛永かんえい5ねん1628ねん)4がつ - 徳川とくがわ家光いえみつ日光にっこう東照宮とうしょうぐうしゃさんにつき、さん日間にちかん天下でんか太平たいへい祈願きがんおこなう。
  • 寛永かんえい7ねん1630ねん)5がつ - 徳川とくがわ秀忠ひでただ家光いえみつ日光にっこう東照宮とうしょうぐうしゃさんにつき、さん日間にちかん武運ぶうん長久ちょうきゅう祈願きがんおこなう。また、足利あしかが義満よしみつ奉納ほうのう御輿みこし4しゃ修理しゅうりおこなう。さんみや鳳凰ほうおう菊間きくま八幡やはた神社じんじゃ社家しゃけ玄蕃げんば寄進きしんする。
  • 寛永かんえい11ねん1634ねん)7がつ - 徳川とくがわ家光いえみつ上洛じょうらくにつき、天下てんか太平たいへい武運ぶうん長久ちょうきゅう祈願きがんを7日間にちかんおこなう。
  • 寛永かんえい13ねん1636ねん)1がつ - 徳川とくがわ家光いえみつ日光にっこう東照宮とうしょうぐうしゃさんにつき、天下てんか太平たいへい武運ぶうん長久ちょうきゅう祈願きがんを3日間にちかんおこなう。
  • 同年どうねん4がつ - 徳川とくがわ家光いえみつ太刀たちいちりを奉納ほうのうする。
  • 寛永かんえい17ねん1640ねん)4がつ - 徳川とくがわ家光いえみつ日光にっこう東照宮とうしょうぐうしゃさんにつき、天下てんか太平たいへい武運ぶうん長久ちょうきゅう祈願きがんを3日間にちかんおこなう。
  • 寛永かんえい18ねん1641ねん)4がつ - 徳川とくがわ家光いえみつ日光にっこう東照宮とうしょうぐうしゃさんにつき、天下てんか太平たいへい武運ぶうん長久ちょうきゅう祈願きがんを3日間にちかんおこなう。
  • 慶安けいあん2ねん1649ねん)4がつ - 徳川とくがわ家光いえみつ日光にっこう東照宮とうしょうぐうしゃさんにつき、天下てんか太平たいへい武運ぶうん長久ちょうきゅう祈願きがんを3日間にちかんおこなう。
  • うけたまわおう2ねん1653ねん)8がつ - 大鳥居おおとりい修復しゅうふくする。材木ざいもく下総しもふさこく千葉寺ちばでら清地せいじりん選定せんていする。
  • あかりれき元年がんねん1655ねん)10がつ - 梵鐘ぼんしょう鋳造ちゅうぞうする。
  • 寛文ひろふみ2ねん1662ねん)9がつ - 手水ちょうずはち奉納ほうのうされる。
  • 寛文ひろふみ3ねん1663ねん)4がつ - 徳川とくがわ家綱いえつな日光にっこう東照宮とうしょうぐうしゃさんにつき、天下てんか太平たいへい武運ぶうん長久ちょうきゅう祈願きがんを3日間にちかんおこなう。
  • 寛文ひろふみ4ねん1664ねん)4がつ - 永井ながいゆたかぜんもりちょくよりゆきがくいちめん寄進きしんする。
  • 貞享ていきょう3ねん1686ねん)5がつ - 田中たなか佐助さすけ川口かわぐち助兵衛すけべえめいによりずいけん奉納ほうのうされる。
  • 元禄げんろく4ねん1691ねん) - ほり飛騨ひだもりちょくなだめ大久保おおくぼ伊豆いずまもるぬさ殿どの拝殿はいでん改造かいぞうのために寄進きしんす。
  • 元禄げんろく7ねん1694ねん)6がつ12にち - めしおか八幡宮はちまんぐう放生会ほうじょうえさいし、榊原さかきばらななりょうみぎ衛門えもんゆうばと1096はなつ。
  • 元禄げんろく8ねん1695ねん)6がつ11にち - 境内けいだいしゃ御影みかげしゃ杉井すぎいさん左右さゆう衛門えもんつねせいにより再建さいけんされる。
  • 元禄げんろく10ねん1697ねん)6がつ11にち - 瑞垣みずがきが、杉井すぎいさん左右さゆう衛門えもんつねせいにより造営ぞうえいされる。
  • 正徳しょうとく5ねん1715ねん)4がつ17にち - 日光にっこう東照宮とうしょうぐういちひゃくねんさいさいし、臨時りんじ大祭たいさいを3日間にちかんおこなう。
  • とおる13ねん1728ねん)4がつ - 徳川とくがわ吉宗よしむね日光にっこう東照宮とうしょうぐうしゃさんにつき、天下てんか太平たいへい武運ぶうん長久ちょうきゅう祈願きがんを3日間にちかんおこなう。
  • 同年どうねん11がつ - 社殿しゃでん改修かいしゅうする。
  • たかられき10ねん1760ねん) - 『めしおか八幡宮はちまんぐう伝記でんき』が成立せいりつする。
  • 文化ぶんか12ねん1815ねん)4がつ - 東照宮とうしょうぐうひゃくねんさいたり、府中ふちゅうおよ翼下よくか8ヶ村かそん廻文かいぶんまわ臨時りんじ大祭たいさいおこなう。
  • 文政ぶんせい2ねん1819ねん)8がつ - 『年中ねんじゅう神祭しんさい行事ぎょうじ書留かきとめ』をしるく。
  • 天保てんぽう6ねん1835ねん)7がつ - 社殿しゃでん修復しゅうふくおこなう。
  • ひろし2ねん1845ねん)8がつ - いちみやみやさんみや若宮わかみや神輿しんよ新造しんぞうする。
  • 万延まんえん元年がんねん1860ねん)10がつ3にち - 生実いくみじょうしゅ森川もりかわ出羽守でわのかみ太刀たちいち奉納ほうのうする。
  • 文久ぶんきゅう元年がんねん1861ねん)11月 - 社殿しゃでん改修かいしゅうおこなう。
  • 慶応けいおう4ねん1868ねんうるう4がつ7にち - 神主かんぬし市川いちかわ信明のぶあき有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるひとしんのう拝謁はいえつ玉串たまぐし祈願きがんさつ)を献上けんじょうする。
  • 明治めいじ4ねん1871ねん)11がつ20日はつか - 郷社ごうしゃれつかくする。きゅうこう150せきそのじょるい奉還ほうかんする。
  • 明治めいじ5ねん1872ねん) - 千葉ちば県庁けんちょうより祭礼さいれいきょうしんあり。
  • 明治めいじ6ねん1873ねん) - 千葉ちば県庁けんちょうより以降いこう10年間ねんかん祭典さいてん営繕えいぜん支給しきゅうされる。
  • 明治めいじ9ねん1876ねん)8がつ - 内務省ないむしょう伺のうえ千葉ちばけんれい柴原しばはらかずよりきゅうこう150せき代価だいか下渡さげわたされる。
  • 明治めいじ11ねん1878ねん)3がつ - 千葉ちば県庁けんちょう明治めいじななはちねん年貢ねんぐ免除めんじょきゅうこう150せきぶつなりまい祭典さいてん営繕えいぜんとして支給しきゅうするように懇願こんがん。5月、懇願こんがんどお支給しきゅうされる。
  • 明治めいじ13ねん1880ねん)4がつ3にち - 150せきぶつなりをもって、千葉ちば警察けいさつしょ八幡やはた分署ぶんしょ新築しんちく献納けんのうする。
  • 明治めいじ24ねん1891ねん)3がつ13にち - 拝殿はいでん天井てんじょう修復しゅうふく
  • 明治めいじ26ねん1893ねん)4がつ24にち - けんしゃれっする。
  • 明治めいじ35ねん1902ねん)8がつ - みやあらたにくわわり、神輿しんよ新造しんぞうする。
  • 明治めいじ37ねん1904ねん)3がつ3にち - 拝殿はいでんぬさ殿どのだいゆか吹抜ふきぬき格子こうし修復しゅうふく工事こうじおこなう。
  • 昭和しょうわ10ねん1935ねん)7がつ12にち - 夫婦ふうふ銀杏いちょうけん指定してい文化財ぶんかざいとなる。
  • 昭和しょうわ27ねん1952ねん)9がつ28にち - いちみや神輿しんよ新造しんぞうする。
  • 昭和しょうわ28ねん1954ねん)7がつ12にち - 若宮わかみや神輿しんよ新造しんぞうする。
  • 昭和しょうわ29ねん(1954ねん)9がつ17にち - 本殿ほんでんくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされる。
  • 昭和しょうわ40ねん1965ねん)9がつ5にち - みやさんみやみや神輿しんよ新造しんぞうする。後藤ごとう直光なおみつさく
  • 昭和しょうわ41ねん1966ねん) - 拝殿はいでんけん指定してい文化財ぶんかざいとなる。
  • 昭和しょうわ43ねん1968ねん)12月31にち - 本殿ほんでん修理しゅうり工事こうじ竣功しゅんこう
  • 平成へいせい9ねん1997ねん)3がつ15にち - いちみや神輿しんよ新造しんぞうする。

めしおか八幡宮はちまんぐうかかわる風習ふうしゅう[編集へんしゅう]

  • 秋季しゅうき大祭たいさい当日とうじつ旧暦きゅうれき8がつ15にち)に、子育こそだ祈願きがんむしふうじなど、子供こどもかんする祈願きがんけるならわしがある。めしおか八幡宮はちまんぐうが「子育こそだ八幡宮はちまんぐう」ともばれる所以ゆえんである。
  • 神立かんだつさい(かみたちさい・旧暦きゅうれき9月30にち)に、未婚みこん子女しじょいえではめしおか八幡宮はちまんぐう参拝さんぱい良縁りょうえんいの風習ふうしゅうがある。八幡宮はちまんぐうではこのを、かみ出雲いずも旅立たびだつとつたえ、出雲いずも全国ぜんこくよりあつまったかみ々がかみりをし縁談えんだんつとつたえられている。

文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

本殿ほんでん

重要じゅうよう文化財ぶんかざいくに指定してい[編集へんしゅう]

  • 本殿ほんでん - 室町むろまち時代じだい中期ちゅうき(1393ねん-1466ねん)の建立こんりゅう桁行けたゆきさんあいだ梁間はりまあいだいちじゅう入母屋いりもやづくりこうはいさんあいだどう板葺いたぶき昭和しょうわ29ねん(1954ねん)09がつ17にち指定してい

千葉ちばけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • 拝殿はいでん
  • 御輿みこし

市原いちはら指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • だい太刀たち
  • 当世とうせい具足ぐそく11りょう

千葉ちばけん指定してい天然記念物てんねんきねんぶつ[編集へんしゅう]

千葉ちばけん指定してい無形むけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • 市原いちはらやなぎだて神事しんじ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]