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G.55 (航空機こうくうき)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

G.55 チェンタウロ

飛行するG.55 (第2グルッポ所属、1944年撮影)

飛行ひこうするG.55
(だい2グルッポ所属しょぞく1944ねん撮影さつえい)

G.55 チェンタウロFiat G.55 Centauroケンタウルス)は、イタリアフィアットしゃ開発かいはつし、だい世界せかい大戦たいせんなかから戦後せんごにかけておもイタリア王立おうりつ空軍くうぐんイタリア国家こっか空軍くうぐん英語えいごばん運用うんようされた単発たんぱつ単座たんざ戦闘せんとう設計せっけいおよ製造せいぞうトリノおこなわれた。フィアット G.55はだい世界せかい大戦たいせんちゅうにイタリアで製造せいぞうされたなかではほぼ最良さいりょう機体きたいであり[3]、1943ねんになるまで製造せいぞう開始かいしされなかったが[4]メッサーシュミット Bf109およびフォッケウルフ Fw190との比較ひかくテストのあとで、ルフトヴァッフェがフィアット G.55を「最良さいりょう枢軸すうじくこく戦闘せんとう」ととなえている[5]

もっぱら1943ねん9がつ8にちイタリアの降伏ごうぶく以降いこうイタリア国家こっか空軍くうぐん英語えいごばん識別しきべつマークをつけていたみじか現役げんえき期間きかんに、頑丈がんじょう高速こうそく機体きたいこう高度こうどでのすぐれた迎撃げいげきであることを証明しょうめいした。1944ねんにイタリア北部ほくぶ上空じょうくうで、チェンタウロはイギリスぐんスーパーマリン スピットファイアP-51 マスタングP-47 サンダーボルトおよびP-38 ライトニング交戦こうせんし、容易ようい対戦たいせん相手あいてではないことを証明しょうめいした[6]。イタリアぐんパイロットはチェンタウロをこのんだが、戦争せんそう終盤しゅうばんになっており、製造せいぞうされたのは300たなかった[3]。これにくらべて、ドイツはメッサーシュミット Bf109を35,000製造せいぞうした[7]

概要がいよう

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G.55はドイツせいダイムラー・ベンツ DB 605えきひやエンジン(1,475hp)を搭載とうさいした高性能こうせいのうおよ生産せいさんせいそなえた戦闘せんとうとしてフィアットしゃ開発かいはつすすめられた。

原型げんけい1942ねん4がつ30にちはつ飛行ひこうし、それまでの戦闘せんとうより格段かくだん高速こうそく運動うんどうせいく、パイロットたちからたか評価ひょうかた。ただし生産せいさんたってはDB605がドイツ国内こくないけの生産せいさんわれて入手にゅうしゅ困難こんなんだったため、どうエンジンをライセンス生産せいさんしたフィアットRA1050RC58 ティフォーネ(Tifone、台風たいふう)を搭載とうさいすることになった。ただしこのエンジンの生産せいさん軌道きどうるまで時間じかんがかかり、結局けっきょくほん実戦じっせん投入とうにゅう終戦しゅうせんの3ヶ月かげつまえである1943ねん6がつまでずれんだ。

G.55はおなじDB605けいエンジンを搭載とうさいしたMC.205ベルトロRe.2005サジタリオ(MC.205、Re.2005、G.55を総称そうしょうして「serie5」とぶ)にくらべて武装ぶそうめんすぐれていた。量産りょうさんがたMG151/20(20mm機関きかんほう×3、ブレダSAFAT12.7mm機銃きじゅう×2は、M.C.205(MG151/20×2、ブレダSAFA12.7mm×2)より強力きょうりょくでRe.2005 (MG151/20×3、ブレダSAFA12.7mm×2)と同等どうとう装弾そうだんすうはブレダSAFA12.7mmかく300はつ、MG151/20はじくない250はつつばさないかく200はつであった。

イタリアでは戦局せんきょく悪化あっかともなきたアフリカからB-17B-24といった連合れんごうぐん大型おおがたばくげき頻繁ひんぱん来襲らいしゅうするようになった。それまでのイタリア戦闘せんとうばくげき迎撃げいげきするには武装ぶそう貧弱ひんじゃく火力かりょくとぼしく(たとえば大戦たいせんけるイタリア主力しゅりょく戦闘せんとうであるMC.202 フォルゴーレはブレダSAFAT7.7mm×2、ブレダSAFAT12.7mm×2であり、列国れっこく戦闘せんとうくらべると見劣みおとりしてしまう)、くわえてこう高度こうど性能せいのうおとっていた。

G.55はそのてん強力きょうりょく武装ぶそうゆうし、また実用じつよう上昇じょうしょう限度げんどが12,500mと比較的ひかくてきたかく、すぐれた迎撃げいげき戦闘せんとうであった。

イタリアが降伏ごうぶくする1943ねん9月8にちまでにイタリア王立おうりつ空軍くうぐんわたされたG.55はそれほどおおくはなかった。降伏ごうぶく生産せいさん継続けいぞくされ、完成かんせいはイタリア北部ほくぶ誕生たんじょうしたファシストけいイタリア社会しゃかい共和きょうわこくした共和きょうわこく空軍くうぐんわたされた。G.55は最終さいしゅうてきやく300生産せいさんされた。

設計せっけい開発かいはつ

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1939ねんまでにおもなイタリアの航空機こうくうきメーカーは、だい世界せかい大戦たいせん初期しょき使用しようしていたほしがたエンジン搭載とうさいだいいち世代せだい単葉たんよう戦闘せんとうフィアット G.50マッキ C.200などの戦闘せんとう)をえる、Vがたエンジン使用しようしたあたらしいシリーズの単葉たんよう戦闘せんとう設計せっけい着手ちゃくしゅしていた。このプロセスでは、だいいち世代せだいほしがたエンジン戦闘せんとうダイムラー・ベンツ DB 601イタリア製いたりあせいコピーでかわそうしたもので(シリーズ 1/2ばれた)、そのもっとも目覚めざましい成果せいかマッキ C.202フォルゴーレだった(そらりょくてき改善かいぜんされたマッキ C.200 - マッキ C.201ともばれる - のほしがたエンジンのわりにVがた12気筒きとうエンジンを搭載とうさいしていた)。一連いちれん航空機こうくうきには末尾まつび数字すうじの「2」をけた、アルファベットと数字すうじからなる識別しきべつめいあたえられた。しかしながら、この過程かていはここにまらず、1941ねんには設計せっけいしゃ関心かんしんダイムラー・ベンツ DB 605のライセンス生産せいさんひんであるあたらしく大型おおがた強力きょうりょくなフィアット RA.1500エンジンにうつっていた。このあたらしいエンジンを搭載とうさいした航空機こうくうきは「セリエ5」となり、すべての末尾まつび数字すうじの「5」からなるアルファベットと数字すうじ識別しきべつめいあたえられた(マッキ C.205レジアーネ Re.2005およびフィアット G.55)。DB 601を搭載とうさいした自身じしん設計せっけいしたフィアット G.50戦闘せんとうあたらしいバージョンをためしていたフィアットの設計せっけいしゃジュゼッペ・ガブリエッリは、DB 605を搭載とうさいしたあたらしい設計せっけいかった。

G.55の原型げんけい1号機ごうきは、ヴァレンティーノ・クスの操縦そうじゅうで1942ねん4がつ30にちはつ飛行ひこう[8]、すぐにそのすぐれた性能せいのう操縦そうじゅうせいあきらかにした。200はつ砲弾ほうだん搭載とうさいし、胴体どうたい前部ぜんぶ搭載とうさいされ、プロペラハブをとおして、エンジンのシリンダーバンクのあいだにから発射はっしゃされる20 mm MG 151 機関きかんほう武装ぶそうしていた。「サブシリーズ O」の機体きたいにはエンジンカウリング上部じょうぶに2ちょう下部かぶに2ちょう合計ごうけい4ちょうのプロペラ同期どうき機構きこうきの12.7 mmブレダSAFAT機関きかんじゅうも、300はつ弾丸だんがんとともに搭載とうさいした。この配置はいちは、カウリング下部かぶ搭載とうさいした機関きかんじゅうさい装填そうてん整備せいびせい問題もんだいがあることがすぐに判明はんめいしたためこの2ちょうはずされ、そのわりにその生産せいさんシリーズである「セリエ1」では主翼しゅよくないに2ちょうの20 mm MG 151/20が搭載とうさいされた(合計ごうけい3もん機関きかんほうと2ちょうの12.7 mm機関きかんじゅう構成こうせいには、主翼しゅよくない機関きかんほうわりに機関きかんじゅう搭載とうさいしたバリエーションも存在そんざいする)。

原型げんけいグイドーニア飛来ひらいし、ここでそれぞれがライセンス生産せいさんされた強力きょうりょくダイムラー・ベンツ DB 605エンジンを搭載とうさいした「セリエ5」とばれるほか戦闘せんとうマッキ C.205V ヴェルトロおよびごわいレジアーネ Re.2005 サジタリオ)との比較ひかく試験しけんおこなわれた。この試験しけんでチェンタウロは全体ぜんたいで2番目ばんめ性能せいのうしめし、イタリア王立おうりつ空軍くうぐん設定せっていした納入のうにゅう条件じょうけんをクリアすることができた。C.205Vはてい高度こうどから中高なかだかすぐれており、高速こうそくすぐれた降下こうか特性とくせいそなえていたが、8,000 m以上いじょうでは、とく操縦そうじゅうせいにおいて性能せいのう大幅おおはば低下ていかした。Re.2005は高速こうそくこう高度こうどでの最良さいりょう格闘かくとう戦闘せんとう能力のうりょくゆうしていたが、振動しんどうなやまされ、これはバランスの問題もんだいであることが判明はんめいした。この問題もんだい修正しゅうせいされたが、技術ぎじゅつてきにもっとも高度こうど複雑ふくざつなため製造せいぞう時間じかんがかかり、戦争せんそうのこの段階だんかいでは魅力みりょくてきとはえなかった。G.55はC.205とともに大量たいりょう生産せいさんけて選択せんたくされた。G.55の原型げんけいはフル装備そうびでWEP(戦時せんじ緊急きんきゅう出力しゅつりょく)を使用しようせずに高度こうど7,000 mで620 km/hに到達とうたつした。これは想定そうていよりもすこおそかったが、頑丈がんじょう機体きたいすべての高度こうどすぐれた操縦そうじゅうせい安定あんていせい発揮はっきした。G.55のパイロットによる唯一ゆいいつ否定ひていてき評価ひょうかは、強力きょうりょくなエンジンのトルクはんりょくによって離陸りりく顕著けんちょひだりにヨーイングすることだった。この欠点けってんは、エンジントルクの影響えいきょうをキャンセルするために垂直すいちょく尾翼びよくをわずかにオフセットすることで部分ぶぶんてきには改善かいぜんされた。

ラツィオしゅうブラッチャーノ湖畔こはんヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍くうぐん歴史れきし博物館はくぶつかん展示てんじされるANR塗装とそうのフィアットG.55

1943ねん初頭しょとうまでに、イタリア全土ぜんど蹂躙じゅうりんする連合れんごうぐんばくげき増加ぞうかしたが、効果こうかてき対応たいおうできるこう高度こうど戦闘せんとうがないことがあきらかになった。マッキ C.202はばくげき通常つうじょう高度こうどである高度こうど8,000 m以上いじょうでは性能せいのう低下ていかし、12.7 mmおおび7.7 mm機銃きじゅうというけい武装ぶそうではじゅう爆撃ばくげき撃墜げきついすることは困難こんなんだった。「セリエ5」の戦闘せんとうなかで、チェンタウロがつばさ面積めんせきおおきさからこう高度こうど最高さいこう性能せいのうしめした。だい1シリーズの生産せいさん標準ひょうじゅんされた豊富ほうふ弾薬だんやく供給きょうきゅう機体きたい中心ちゅうしんせん搭載とうさいした機関きかんほうに、Re.2005の120はつたいしてG.55は250はつ)とともに武装ぶそう強力きょうりょくであり、アメリカせいじゅう爆撃ばくげき撃墜げきついするのに十分じゅうぶんだった。

イタリア王立おうりつ空軍くうぐんは1,800のG.55の生産せいさん委託いたくし、のちに2,400変更へんこうした[9]。34量産りょうさんぜんサンプルが発注はっちゅうされたが、これらの機体きたい飛行ひこう特性とくせい改善かいぜんするためのしょう変更へんこうくわえられた以外いがいはほぼ原型げんけいのままだった。これらはことなる武器ぶき配置はいちをとっており、上述じょうじゅつしたように、下部かぶカウリングの2ちょう機関きかんじゅう主翼しゅよくうつされていた。34委託いたくされた機体きたいのうち19だけがてられ、そのうちの6工場こうじょうだい1シリーズ基準きじゅん変更へんこうされた。

量産りょうさんタイプはだい1シリーズ(Serie I)と名付なづけられ、3もんの20 mm MG 151/20と2ちょうの12.7 mmブレダSAFAT機関きかんじゅうからなる標準ひょうじゅん武装ぶそうくわえて、主翼しゅよくばくだん2はつ最大さいだい160 kg)か落下らっかぞうそう2(100リットル)を搭載とうさい可能かのうハードポイントそなえていた。1943ねん9がつ8にちイタリアの降伏ごうぶくまでに、原型げんけいふくすべてのシリーズの35のG.55が納入のうにゅうされた。そのうちの1だけがイタリア共同きょうどう交戦こうせん空軍くうぐん英語えいごばん合流ごうりゅうするためにイタリア南部なんぶ飛行ひこうし(2のG.55、MM.91150は、1944ねんなつにテストパイロットのセラフィーノ・ゴスティーニが、脱走だっそうした捕虜ほりょRAF将校しょうこうひざせて亡命ぼうめいしたさい連合れんごうぐんはいった。機体きたいはRAFに接収せっしゅうされてイギリスのタングミア英語えいごばん中央ちゅうおう戦闘せんとう施設しせつ英語えいごばん移送いそうされ、1945ねん3がつ17にち識別しきべつ番号ばんごうVF204をあたえられてフォード倉庫そうこおくられたが、最終さいしゅうてきさき不明ふめいである[10][11])。

そのからチェンタウロは、ドイツの支援しえんけてムッソリーニがイタリア北部ほくぶ設立せつりつしたファシスト国家こっか空軍くうぐんであるイタリア国家こっか空軍くうぐん英語えいごばんイタリア: Aeronautica Nazionale Repubblicana、ANR)に就役しゅうえきした。最終さいしゅうてきにドイツ国防こくぼう空軍くうぐん徴発ちょうはつしたチェンタウロおよびANRが獲得かくとくしたチェンタウロの総数そうすうはいまだにわかっていない。およそ18がANRにとりこまれ、12から20(いくつかの公式こうしき報告ほうこくによると42可能かのうせいもある)がドイツに徴発ちょうはつされた[10]

ドイツ支配しはいトリノにあったフィアットの工場こうじょうでは、やく6ヶ月かげつあいだ生産せいさんつづけられた。1944ねん4がつ25にちにフィアット工場こうじょうはげしいばくげきにあい、15のG.55とともに[11]、ドイツ空軍くうぐん発注はっちゅうしたすうフィアット G.12さんはつ輸送ゆそうBR.20爆撃ばくげきおよびCR.42LW複葉ふくよう戦闘せんとう破壊はかいされた164のチェンタウロが完成かんせいしたが、そのうちの97降伏ごうぶくのち生産せいさんされてANRに納入のうにゅうされた。ドイツの管理かんり委員いいんかいである兵器へいきおよび戦争せんそう生産せいさん参謀さんぼうドイツ: Rüstung und Kriegsproduktion Stab、RuK)の助言じょげんによって生産せいさんモンフェッラートしょう都市とし分散ぶんさんされ、部品ぶひん生産せいさんノヴァーラのCANSAとヴェルチェッリのAVIAに委託いたくされた。かく部品ぶひんはそのトリノ集積しゅうせきされ、テストパイロットのヴァレンティーノ・クス英語えいごばん、ロランディ、アゴスティーニおよびカテッラによって試験しけん飛行ひこうおこなわれた[12]生産せいさんいちじるしく低下ていかし、1944ねん9がつにドイツ当局とうきょくによって停止ていしされた[13]総計そうけいで148のG.55がANRに納入のうにゅうされ、工場こうじょう占領せんりょうされたときには37完成かんせいしており、73がさまざまな状態じょうたい生産せいさんラインじょうのこっていた。

運用うんようれき

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チェンタウロの最初さいしょ実戦じっせん投入とうにゅうには原型げんけい3号機ごうき使用しようされた。1943ねん3がつ21にちに、この機体きたいローマ・チャンピーノ拠点きょてんとするだい51ストルモ(航空こうくうだんだい2グルッポ(飛行ひこうだん)に実用じつよう評価ひょうかのために配属はいぞくされた。5月にG.55は部隊ぶたいしたがってカリャリ近郊きんこうのカポテッラに移動いどうし、1943ねん6がつ5にちサルディーニャ攻撃こうげきちゅう連合れんごうぐん航空機こうくうき対峙たいじして戦火せんか洗礼せんれいけた。つづいて1943ねん4がつ10日とおかおよび5がつに2つのだい生産せいさんぜんシリーズが飛行ひこうした。6がつ上旬じょうじゅんにこれらの機体きたいウンブリアしゅうフォリーニョ拠点きょてんとするだい353飛行ひこうたい配属はいぞくされ、8がつまでにさらに9到着とうちゃくした[14]。パイロットたちは1943ねんなつにこのあたらしい戦闘せんとうったことをよろこんだ[15]

6がつ最初さいしょだい1シリーズが、ペルージャちかくのフォリーニョのだい51航空こうくうだん補完ほかんてき飛行ひこうだん」(イタリア: Gruppo Complementare)に配属はいぞくされたが、「補完ほかんてき飛行ひこうだん」の11のG.55は7がつに、ローマ・チャンピーノみなみ飛行場ひこうじょうから運用うんようされるべく、すでに生産せいさんぜんシリーズを運用うんようしていただい335飛行ひこうたい移籍いせきした。エジェーオ・ピットーニ大尉たいい指揮しきするだい353飛行ひこうたいはアメリカぐん爆撃ばくげき編隊へんたいたいするすうおおくの任務にんむ飛行ひこうおこなったが、戦闘せんとうローマ防備ぼうび都市とし宣言せんげんしたことによって終結しゅうけつした。8月27にちだい351およびだい352飛行ひこうたいはG.55をさい装備そうびするためにサルディーニャをはなれてフォリーニョに到着とうちゃくした。しかし9がつ8にち時点じてんでG.55はまだ到着とうちゃくしていなかった。9月のだい1しゅうあいだに、12のチェンタウロがトリノ・ミラフィオーリイタリアばんだい153航空こうくうだんだい372飛行ひこうたい配属はいぞくされた[16]。イタリアが降伏ごうぶくした1943ねん9がつ8にちに、イタリア王立おうりつ空軍くうぐんは35のG.55を受領じゅりょうした。そのうちの1だけがMaresciallo d'Italia(イタリア元帥げんすい)ことピエトロ・バドリオまねきをれて連合れんごうぐん降伏ごうぶくするためにみなみイタリアに飛行ひこうした。

ANRでの運用うんよう

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ドイツ国防こくぼう空軍くうぐん徴発ちょうはつされたり、イタリア社会しゃかい共和きょうわこく入手にゅうしゅしたG.55の厳密げんみつなデータはいまだに不明ふめいである。およそ18がANRにとりこまれ、12から20ないしいくつかの報告ほうこくによると42がドイツに徴発ちょうはつされた[14]。チェンタウロはANRで就役しゅうえきし、300のG.55/Iと、機関きかんじゅう搭載とうさいぜずに5もんの20 mm MG 151/20機関きかんほう(1もん機体きたい中央ちゅうおうに、2もん上部じょうぶカウリング、2もん主翼しゅよく搭載とうさい)で武装ぶそうした200だい2シリーズ、G.55/IIの製造せいぞう決定けっていされた。148だけがANRの部隊ぶたい納入のうにゅうされ、G.55のかずるにれてさまざまな派生はせいがたBf 109G配備はいびすすんだが、イタリアじんパイロットはG.55をこのんだので生産せいさん中止ちゅうしきわめて不評ふひょうだった[13]

ANRは2戦闘せんとう飛行ひこうだんイタリア: Gruppi Caccia terrestre)をゆうし、だい1飛行ひこうだん当初とうしょ1943ねん11月から1944ねん5がつあいだマッキ C.205装備そうびしていたが、その1944ねん6がつにG.55/Iに装備そうび変更へんこうし、1944ねん11月にBf 109Gはじめるまで使用しようした。だい2飛行ひこうだんはG.55を装備そうびした主力しゅりょく部隊ぶたいで、1943ねん12月から1944ねん8がつまで70使用しようしていたがBf 109G装備そうび変更へんこうした。

ANRで1943ねん11月に最初さいしょにG.55を装備そうびした部隊ぶたいは、だい1飛行ひこうだん交代こうたいされてヴェネトしゅう移動いどうするまでピエモンテから1944ねん3がつ29にちまで運用うんようされたモンテフスコ=ボネット補完ほかん警備けいび部隊ぶたいイタリアばんだった。だい2飛行ひこうだんはブレッソで編成へんせいされた。部隊ぶたいは、初期しょきにはアントーニオ・ヴィゾット中佐ちゅうさ指揮しきし、のちにアルド・アレッサンドリーニ中佐ちゅうさ交代こうたいした[17]。3飛行ひこうたいだい4:ジジ・トレ・オセイ、だい5:ディアヴォーリ・ロッシ、だい6:ガンバ・ディ・フェッロ)をゆうしていた。1944ねん4がつまではミラノおよびヴァレーゼ近郊きんこう運用うんようされ、そのパルマパヴィーアちかくにうつり、さらにガルダブレシアおよびヴェローナ近郊きんこう)に移転いてんした。5月のわりに、だい2飛行ひこうだんはG.55をだい1飛行ひこうだんわたし、ドイツぐんだい53戦闘せんとう航空こうくうだんだいI航空こうくうたい(I./JG 53)およびだい77戦闘せんとう航空こうくうだんだいII航空こうくうたい(II./JG 77)が使用しようしていたBf 109G-6/R6にえた[17]

ANRにおいて、G.55はスピットファイアやマスタングといった連合れんごうぐん戦闘せんとう相手あいて好成績こうせいせきをおさめた[18]

ドイツの関心かんしん

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1942ねん12月に、イタリア王立おうりつ空軍くうぐん技術ぎじゅつ委員いいんかいはドイツ国防こくぼう空軍くうぐん「ルフトヴァッフェ」からレヒリン英語えいごばんでの複数ふくすうのドイツせい航空機こうくうきのテストにまねかれた。この訪問ほうもん枢軸すうじくこく航空機こうくうき生産せいさん標準ひょうじゅんのための合同ごうどう計画けいかく一環いっかんだった。おなごろすうにんのドイツ空軍くうぐん将校しょうこうがグイドーニアを訪問ほうもんし、「セリエ5」戦闘せんとう発揮はっきするであろう能力のうりょくとく関心かんしんせた。12月9にち、こういった印象いんしょうがドイツ空軍くうぐんのスタッフ会議かいぎ議論ぎろんされ、ヘルマン・ゲーリングそのひと興味きょうみいだかせることになった。1943ねん2がつに、ドイツのテスト委員いいんかいあたらイタリア製いたりあせい戦闘せんとう評価ひょうかするためにイタリアに派遣はけんされた[19]どう委員いいんかいはペターセン大佐たいさひきいられるドイツ空軍くうぐんパイロットと技術ぎじゅつしゃからなっており、そのなかには航空機こうくうき設計せっけいしゃのマルツもふくまれていた。ドイツじんたちは模擬もぎ空戦くうせん直接ちょくせつ比較ひかくできるように自国じこくFw 190 A-5Bf 109 G-4などの航空機こうくうきんでいた。

テストは1943ねん2がつ20日はつか開始かいしされ、ドイツの委員いいんかいとくにG.55に感銘かんめいけた。全般ぜんぱんてきに「セリエ5」の戦闘せんとうてい高度こうどでは非常ひじょう良好りょうこうだったが、G.55はこう高度こうどでもドイツのライバルとくらべて速度そくど上昇じょうしょうりつ対抗たいこうでき、非常ひじょう良好りょうこう操縦そうじゅう特性とくせい維持いじした。ドイツの委員いいんかいによる最終さいしゅうてき評価ひょうかでは、G.55が「優秀ゆうしゅう」、Re.2005は「優秀ゆうしゅう」だが製造せいぞう困難こんなんでC.205は「平均へいきんてき」とうものだった。ペターセン大佐たいさはG.55を「枢軸すうじくこく最高さいこう戦闘せんとう」と判断はんだんし、ただちに自分じぶん感想かんそうをゲーリングに電報でんぽうつたえた。ペターセン、ミルヒおよびガーランド推薦すいせんいたのちで、ゲーリングが開催かいさいした会議かいぎは1943ねん2がつ22にちにドイツ国内こくないでG.55を製造せいぞうすることを議決ぎけつした。

良好りょうこう試験しけん結果けっかとはべつに、ドイツの興味きょうみはG.55およびRe.2005を実現じつげんした開発かいはつ能力のうりょくにもかった。とくに、G.55はおおきく重量じゅうりょうがあることからあたらしくあきらかにおおきくBf 109の機体きたいにはおおきすぎて搭載とうさいできないとかんがえられていたよりこう出力しゅつりょくDB 603エンジン搭載とうさい候補こうほとして考慮こうりょされていた。ことなる訪問ほうもんだんが1943ねん3がつから5がつにかけてレヒリンとベルリンで組織そしきされた。G.55はミルヒ臨席りんせきのもとでレヒリンで再度さいどテストされた。ガブリエッリのフィアットの担当たんとうしゃが、航空機こうくうき改善かいぜんについての議論ぎろんのためにドイツの工場こうじょう招待しょうたいされた。ドイツのG55/IIの仕様しようには、DB 603エンジン、5もんの20 mm機関きかんほうおよびあずかあつコックピットがふくまれていた。武装ぶそうだい1シリーズのオリジナルの構成こうせいである主翼しゅよく左右さゆうのそれぞれに1もんずつの20 mmほう限定げんていするという提案ていあんにしたがうことで、DB 603エンジンはG.56原型げんけいとなる機体きたい無事ぶじおさまった。G.55にたいするドイツの関心かんしん具体ぐたいてきあらわれとして、ドイツ空軍くうぐん評価ひょうか実験じっけんのために3完全かんぜんなG.55/0(MM 91064, 65, 66)を取得しゅとくし、3のDB 603と専用せんようをDB 605のイタリア製いたりあせいコピーを搭載とうさいしたほか量産りょうさんけるために提供ていきょうした。ドイツ空軍くうぐんの2のG.55は、ドイツとイタリアの技術ぎじゅつしゃ計画けいかくされた修正しゅうせいと、生産せいさん工程こうてい可能かのう最適さいてき研究けんきゅうするためにトリノのイタリア王立おうりつ空軍くうぐん工場こうじょうのこされた。のちに、この2はG.55だい1シリーズにえられ、ANRに納入のうにゅうされた。3はドイツでのテストと実験じっけんのためにレヒリンにうつされた。DB 603エンジンはG.56原型げんけい製作せいさく使用しようされた。

G.55計画けいかくかんする関心かんしんはイタリアの降伏ごうぶくたかかった。1943ねん10がつに、以前いぜんにレヒリンで個人こじんてきにG.55をテストしており、この機体きたい称賛しょうさんしていたクルト・タンクはG.55の製造せいぞうについて議論ぎろんするためにトリノにおもむいた。しかしながら、戦争せんそうちゅう出来事できごといまだに最適さいてきされていない生産せいさん工程こうていがドイツ空軍くうぐんによってG.55計画けいかく中止ちゅうしされた要因よういんだった。

初期しょきのG.55生産せいさんにはやく15,000ひとようし、工数こうすうやく9,000にんにするという見積みつもりはあったが、熟練じゅくれんしたドイツの工場こうじょうではBf 109を5,000にんだけでてることが可能かのうだった。G.55計画けいかくわりに、DB 603はタンク自身じしんTa-152C使用しようされた。

雷撃らいげき戦闘せんとう

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イタリア王立おうりつ空軍くうぐんはしばしば、さんはつSIAI-Marchetti SM.79スパルヴィエーロ中型ちゅうがた爆撃ばくげきなどの雷撃らいげき航空こうくう魚雷ぎょらい使用しようした。戦争せんそう初期しょきにはある程度ていど成功せいこうおさめ、地中海ちちゅうかい攻防こうぼうせん英語えいごばんにかなりの損失そんしつをもたらした。1942ねんまつまでに、旧式きゅうしきしたスパルヴィエーロは継続けいぞくして増強ぞうきょうされる連合れんごうぐん戦闘せんとう対空たいくう防御ぼうぎょ直面ちょくめんし、イタリアぐん参謀さんぼう強力きょうりょくなエンジンをそなえた単座たんざじゅう戦闘せんとう魚雷ぎょらい攻撃こうげきおこなうという、のちに「雷撃らいげき戦闘せんとう」とばれるアイデアを模索もさくした。イタリアの海岸かいがんちかくに拠点きょてんくこのような航空機こうくうきは、300~400 kmの行動こうどう半径はんけいゆうし、680 kg魚雷ぎょらい(SM.79が搭載とうさいしていたものの、よりみじかくコンパクトなタイプ)を搭載とうさいして比較的ひかくてき高速こうそく飛行ひこうし、てき戦闘せんとう回避かいひしたり、同等どうとう条件じょうけん戦闘せんとうすることができるものだった。

G.55を適合てきごうさせるために熟考じゅっこうかさねられた一方いっぽうで、フィアットは930 kW(1,250馬力ばりき)のフィアット A.83 R.C24/52ほしがたエンジンを搭載とうさいしたべつ設計せっけい魚雷ぎょらい搭載とうさいするによりてきしたG.57の設計せっけい開始かいしした。その、G.57計画けいかく中止ちゅうしとなったのちでもANRはSM.79にわる航空機こうくうき必要ひつようとしつづけ、ANRの技術ぎじゅつしゃはチェンタウロを雷撃らいげきよう修正しゅうせいする作業さぎょうけた。

量産りょうさんがたG.55(ぐんシリアル番号ばんごう MM.91086)が、920 kg、5.46 mのなが魚雷ぎょらいはこべるように改造かいぞうされた。通常つうじょうはコックピット真下ました胴体どうたい下面かめん単一たんいつのユニットとしてけられているエンジン冷却れいきゃくすいラジエーターは2分割ぶんかつされて主翼しゅよくしたうつされ(Bf 109が採用さいようした配置はいち同様どうよう)、魚雷ぎょらい搭載とうさいのための2つのラックがけられる90 cmの場所ばしょけることができた。支柱しちゅうは、魚雷ぎょらい安定あんていばん接地せっちしないように延長えんちょうされるとともに強化きょうかされた緩衝かんしょうけられ、延長えんちょうされた支柱しちゅうによる空気くうき抵抗ていこう増加ぞうかおさえるためにカバーがそなえられた。G.55/Sは、武装ぶそうとしてG.55/Iとおなじ3もんのMG 151/20と2ちょうのブレダSAFAT機関きかんじゅう搭載とうさいしていた。

G.55/Sと識別しきべつ記号きごうあたえられたこの航空機こうくうきは、1944ねん8がつはつ飛行ひこうし、アドリアーノ・マンテッリ英語えいごばん操縦そうじゅうで1945ねん1がつにテストに成功せいこうした[13]あつかいにくい外部がいぶ搭載とうさいぶつがあるのにもかかわらず性能せいのう良好りょうこうで、操縦そうじゅうせい許容きょよう範囲はんいないだった。ANRは量産りょうさんぜんサンプルとして10発注はっちゅうし、量産りょうさんシリーズとして100発注はっちゅうしたが、戦争せんそう終結しゅうけつによって計画けいかく中止ちゅうしとなった。G.55/Sの原型げんけい戦後せんごまでのこり、だい1シリーズの標準ひょうじゅん状態じょうたいみなおされたのちで、あらたに編成へんせいされたイタリア共和きょうわこく空軍くうぐん(AMI)に配属はいぞくされた最初さいしょのG.55となった。

Fiat G.56

フィアット G.56は実質じっしつてきにはよりおおきなダイムラー・ベンツ DB 603エンジンを搭載とうさいしたフィアット G.55である。原型げんけい2製造せいぞうされ、1944ねん3がつ飛行ひこう試験しけん開始かいしされた[13]。3月30にちにヴァレンティーノ・クス司令しれいかん操縦そうじゅうで690~700 km/hにたっした[20]公式こうしきさい高速度こうそくどは685 km/hで、プロペラ同軸どうじくの1もんと、左右さゆう主翼しゅよくにそれぞれ1もんの20 mm MG 151/20 機関きかんほう搭載とうさいしていた[21]性能せいのう素晴すばらしく、あらゆる種類しゅるい試験しけんBf 109KとBf 109GおよびFw 190Aにった[3]。しかしながら、ドイツ当局とうきょく量産りょうさん許可きょかしなかった[13]

戦後せんご

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1946ねんにフィアットは、工場こうじょうのこされていた部分ぶぶんてき完成かんせいした機体きたい大量たいりょう部品ぶひん使用しようしてG.55の生産せいさん再開さいかいした。それぞれ原型げんけいが1946ねん9がつ5にちと2がつ12にち飛行ひこうした、単座たんざ戦闘せんとう/高等こうとう練習れんしゅうであるG.55Aと、ふく高等こうとう練習れんしゅうのG.55Bの2種類しゅるいがあった。[21]

イタリア共和きょうわこく空軍くうぐんは19のG.55Aと10のG.55Bを取得しゅとくし、アルゼンチン空軍くうぐんは30のG.55Aと15のG.55Bを購入こうにゅうした[22]。1951ねん9がつアルゼンチン海軍かいぐん陸軍りくぐん部隊ぶたいフアン・ペロン政権せいけんたいする軍事ぐんじクーデター参加さんかした。アルゼンチン空軍くうぐんGrupo 2 de Cazaだい2戦闘せんとうぐん)のG.55と、唯一ゆいいつののアルゼンチンぐんのG.59がくプンタ・インディオ海軍かいぐん航空こうくう基地きち英語えいごばんにむけて飛行ひこう反乱はんらんぐんくわわろうとした。パイロットたちは到着とうちゃく拘束こうそくされ、飛行機ひこうき使つかえなくされたが、体制たいせいがわ軍隊ぐんたいやぶれた反乱はんらんにはそれ以上いじょうくわわらなかった[23]

Fiat G.59

イタリアおよびアルゼンチンけのG.55の注文ちゅうもんへの対応たいおうは、イタリアでライセンス生産せいさんされたDB 605エンジンの不足ふそくまねいた。この機体きたい需要じゅようがまだあったので、より容易ようい入手にゅうしゅ可能かのうロールス・ロイス マーリン エンジンに転換てんかんすることが決定けっていされ、エンジン変更へんこうばんは1948ねん前半ぜんはん飛行ひこうした[24]。この転換てんかん成功せいこうし、イタリア空軍くうぐん所有しょゆうするG.55をマーリン・エンジンにえることを決定けっていし、G.59-1A(単座たんざ)およびG.59-1B(ふく)として1950ねんレッチェ飛行ひこう学校がっこうさい就役しゅうえきさせた[25]

シリア同様どうよう機体きたいを30発注はっちゅうしたが、このときにはG.55の部品ぶひんそこをついていたので完全かんぜん新造しんぞう機体きたいとなった。このうちの26単座たんざ(G.59-2A)であり、のこり4ふく(G.59-2B)だった[24]。1のG.59-2Aが評価ひょうかようにアルゼンチンに取得しゅとくされたが、みなみアメリカの共和きょうわこくからそれ以上いじょう注文ちゅうもんはなかった。

最終さいしゅうバージョンは単座たんざのG.59-4AとふくのG.59-4Bであり、視野しや改善かいぜんするためにバブル・キャノピーが採用さいようされていた。イタリアによって20のG.594Aと10のG.59-4Bが製造せいぞうされた[24]

派生はせいがた

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G.55
3原型げんけい
G.55/0
16量産りょうさんまえ機体きたい
G.55/1
初期しょき量産りょうさん
G.55/2
ばくげき迎撃げいげきタイプ
G.55/S
雷撃らいげき
G.55/A,B
単座たんざおよびふく練習れんしゅうタイプ、終戦しゅうせん開発かいはつされた
G.56
1,300 kW (1,750 hp)のダイムラー・ベンツ DB 603エンジンを搭載とうさいした2原型げんけい
G.57
930 kW (1,250 hp)のほしがたエンジンフィアット A.83 R.C.24/52英語えいごばんエンジン搭載とうさい計画けいかくされたタイプ
G.59-1A
G.55にロールス・ロイス マーリン・エンジンを搭載とうさいした単座たんざ高等こうとう練習れんしゅう
G.59-1B
G.55にロールス・ロイス マーリン・エンジンを搭載とうさいしたふく高等こうとう練習れんしゅう
G.59-2A
シリアけに新造しんぞうされた26ロールス・ロイス マーリン搭載とうさい単座たんざ練習れんしゅう
G.59-2B
シリアけに新造しんぞうされた4ロールス・ロイス マーリン搭載とうさいふく練習れんしゅう
G.59-4A
バブル・キャノピー英語えいごばん採用さいようされた、イタリア共和きょうわこく空軍くうぐんけの新造しんぞうされた20単座たんざ20[26]
G.59-4B
バブル・キャノピー英語えいごばん採用さいようされた、イタリア共和きょうわこく空軍くうぐんけの新造しんぞうされた10ふく[26]

運用うんようこく

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シリアぐんのフィアット G.55
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
エジプトの旗 エジプト
イタリア王国の旗 イタリア王国おうこく
イタリア社会しゃかい共和きょうわこく
イタリアの旗 イタリア
シリアの旗 シリア

仕様しよう (G.55/I)

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出典しゅってん: "Centauro – The Final Fling"[28]

しょもと

性能せいのう

  • 最大さいだい速度そくど: 623 km/h
  • フェリー飛行ひこう航続こうぞく距離きょり: 1,650 km 100リットル落下らっかぞうそうx2
  • 航続こうぞく距離きょり: 1,200 km
  • 実用じつよう上昇じょうしょう限度げんど: 12,750 m
  • つばさめん荷重かじゅう: 154 kg/m2
  • 馬力ばりき荷重かじゅう(プロペラ): 0.308 kW/kg
  • 上昇じょうしょう時間じかん
  • 6,000 mまで5ふん50びょう
  • 7,000 mまで8ふん34びょう

武装ぶそう

  • 固定こてい武装ぶそう:

G.55 セリエ 0:

G.55 セリエ I:

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現存げんそんする機体きたい

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G.55の現存げんそんする機体きたいいが、ヴィーニャ・ディ・ヴァッレ空軍くうぐん歴史れきし博物館はくぶつかん(イタリア空軍くうぐん博物館はくぶつかん)には、G.55と基本きほん設計せっけい同様どうようであるG.59-2A練習れんしゅう セリエIVのMM53265号機ごうき改造かいぞうしたG.55が展示てんじされている。

博物館はくぶつかん公式こうしきサイト 説明せつめいページ

博物館はくぶつかん公式こうしきサイト しょもとページ

空軍くうぐん博物館はくぶつかんのG.55(本来ほんらいはG.59)

登場とうじょう作品さくひん

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ストライクウィッチーズ
ロマーニャ公国こうこく出身しゅっしん隊員たいいんフランチェスカ・ルッキーニ少尉しょうい使用しようするストライカーユニット。
ストライカーズ1945Plus』(あやきょう
シューティングゲームほんをモデルとする「フィアットG.56」がのひとつとして登場とうじょう移動いどう速度そくど攻撃こうげき能力のうりょくなんがあるが、げきちを小刻こきざみにつことで対処たいしょしていく機体きたいとなっている。
War Thunder
G.55 sottoserie 0、G.55 serie 1、G.55s、G.56の4種類しゅるい存在そんざいする。こう火力かりょく良好りょうこう機動きどうせいでイタリア屈指くっしつよ機体きたいである。

関連かんれん項目こうもく

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ イタリア社会しゃかい共和きょうわこく空軍くうぐんで、イタリア共和きょうわこく空軍くうぐん、イタリア社会しゃかい共和きょうわこく空軍くうぐんやイタリア共和党きょうわとう空軍くうぐんなどともばれる。
  2. ^ 当初とうしょ計画けいかくでは1,284,000リラを使用しようして2,400製造せいぞうされる予定よていであった。
  3. ^ エジプトおよびシリアでは主翼しゅよく機関きかんほうではなく機関きかんじゅう搭載とうさいしていた

出典しゅってん

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  1. ^ Mondey 2006, pp. 60–61.
  2. ^ Nino Arena, FIAT G 55 "Centauro, Modena Edizioni Stem Mucchi, 1994
  3. ^ a b c Ethell 1995, p. 65.
  4. ^ Jackson 2003, pp. 76–77
  5. ^ Arena 1994, p. 23.
  6. ^ Angelucci and Matricardi 1978, p. 234.
  7. ^ U.S. Strategic Bombing Survey, Aircraft Division Industry Report, Exhibit I – German Airplane Programs vs Actual Production.
  8. ^ Green 1961, p. 167.
  9. ^ Green and Swanborough 1974, p. 238.
  10. ^ a b Sgarlato 2009, p. 44.
  11. ^ a b Green and Swanborough 1974, p. 239.
  12. ^ Sgarlato 2009, p. 44-46.
  13. ^ a b c d e Green and Swanborough 1974, p. 261.
  14. ^ a b Sgarlato 2009, pp. 42–43.
  15. ^ Gunston 1988, p. 253.
  16. ^ Sgarlato 2009, pp. 42–44.
  17. ^ a b Neulen 2000, p. 81.
  18. ^ Jackson 2003, p. 77.
  19. ^ Guidonia flight comparison Archived 2007-10-25 at the Wayback Machine.
  20. ^ Arena 1994, p. 31.
  21. ^ a b Green and Swanborough 1994, p. 210.
  22. ^ "Fiat G.55 I Centauro." Century of Flight. Retrieved: 11 April 2009.
  23. ^ Hagedorn 2006, pp. 131–132.
  24. ^ a b c Green and Swanborough 1994, p. 211.
  25. ^ Green and Swanborough 1974, p. 262.
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  28. ^ Green and Swanborough 1974, p. 236.

書誌しょし情報じょうほう

[編集へんしゅう]
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  • Arena, Nino. I Caccia Della Serie 5, Re2005, Mc205, Fiat G.G5 (in Italian). Modena, Italy: STEM-Mucchi, 1976. ISBN 90-70310-11-2.
  • Arena, Nino. Fiat G55 Centauro – Fiat G59(in Italian). Modena, Italy: Mucchi Editore, 1994.
  • Beale, Nick, Ferdinando D'Amico and Gabriele Valentini. Air War Italy, Axis Air Forces from Liberation of Rome to the Surrender. Shrewsbury, UK: Airlife, 1996. ISBN 1-85310-252-0.
  • D'Amico, Ferdinando and Gabriele Valentini.Pictorial History of the Regia Aeronautica Vol.2 – Pictorial History of the Aeronautica Nazionale Repubblicana and the Italian Co-Belligerent Air Force 1943–1945. Carrollton, Texas: Squadron/Signal Publications, 1986. ISBN 87-981206-7-0.
  • Di Terlizzi, Maurizio. Fiat G.55 Centauro (bilingual Italian/English). Roma, Italy: IBN Editore, 2001. ISBN 88-86815-35-2.
  • Dimensione Cielo: Aerei Italiani nella 2° Guerra Mondiale, Caccia Assalto 3 (in Italian). Rome: Edizioni Bizzarri, 1972.
  • Ethell, Jeffrey L. Aircraft of World War II. Glasgow: HarperCollins/Jane's, 1995. ISBN 0-00-470849-0.
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  • Gunston, Bill. The Illustrated Directory of Fighting Aircraft of World War II. London: Salamander Books Limited, 1988. ISBN 1-84065-092-3.
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  • Malizia, Nicola. Fiat G.59. Roma, Italy: IBN Editore, 2004. ISBN 88-7565-018-7.
  • Matricardi, Paolo. Aerei militari: Caccia e Ricognitori. Milano: Mondadori Electa, 2006
  • Mondey, David. The Hamlyn Concise Guide to Axis Aircraft of World War II. London: Bounty Books, 2006. ISBN 0-7537-1460-4.
  • Nicolle, David. "Arab-Italian Fighters: Fiats and Macchis in Egyptian and Syrian Service 1948-1956". Air Enthusiast, No. 55, Autumn 1994, pp. 32–36. ISSN 0143-5450
  • Sgarlato, Nico. I caccia della Serie 5. Parma: Delta Editrice, 2009. ISSN 1720-0636
  • Sgarlato, Nico. Italian Aircraft of World War II. Warren, Michigan: Squadron/Signal Publications, Inc., 1979. ISBN 0-89747-086-9.
  • Thompson, Jonathan W. Italian Civil and Military Aircraft, 1930–1945. Fallbrook, CA: Aero Publishers, 1963.
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  • Winchester, Jim. "Fiat G.55 Centauro." Aircraft of World War II: The Aviation Factfile. Kent, UK: Grange Books plc, 2004. ISBN 1-84013-639-1.

関連かんれん資料しりょう

[編集へんしゅう]
  • Baldini, Atilio; Bontti, Sergio (2006). Núñez Padin, Jorge Felix. ed (スペイン). Fiat G55A/B Centauro & G59-1A. Serie Fuerza Aérea Argentina. 10. Bahía Blanca, Argentina: Fuerzas Aeronavales 

外部がいぶリンク

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