IBM PCコンバーティブル

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IBM PCコンバーティブル
開発元かいはつもと IBM
発売はつばい アメリカ合衆国の旗1986ねん4がつ3にち (38ねんまえ) (1986-04-03)[1]
日本の旗1986ねん9がつ (37ねんまえ) (1986-09)[2]
標準ひょうじゅん価格かかく アメリカ合衆国の旗US$2,000
日本の旗¥506,800[2]
OS IBM PC DOS 3.2(アイコンベースのカスタムシェル搭載とうさい[3]
CPU Intel 80C88 @ 4.77MHz
メモリ 256KB RAM (最大さいだい640KB)
ストレージ 720KB 3.5インチFDD × 2
ディスプレイ モノクロ CGA互換ごかん LCD
グラフィック 80×25ぎょう(テキスト), 640×200, 320×200
電源でんげん バッテリー: 9.6V/2400mAh (Ni-Cd)
外部がいぶ電源でんげん: DC15V, 2.7A.
サイズ 312(W)×374(D)×67(H)mm
重量じゅうりょう 5.8kg
ぜん世代せだいハード IBMポータブルPC
次世代じせだいハード IBM PS/2 L40 SX
IBM PS/55note

IBM PCコンバーティブル英語えいご: IBM PC Convertible、アイビーエム ピーシー コンバーティブル)はIBM開発かいはつ販売はんばいした同社どうしゃはつラップトップパソコンである。1986ねん4がつ3にちにリリースされ、のちにデファクトスタンダードとなる3.5インチ フロッピーディスクドライブ (FDD) を搭載とうさいした最初さいしょのIBMせいパソコンでもあった。最近さいきんノートパソコンのように電源でんげん管理かんり機能きのう搭載とうさいし、内蔵ないぞうバッテリーで駆動くどうすることができた。

ほんIBM Portable英語えいごばん後継こうけいで、モデル番号ばんごう51401991ねんIBM PS/2 L40SX、日本にっぽんではIBM PS/55noteThinkPad前身ぜんしん)にえられた。

前身ぜんしん[編集へんしゅう]

1983ねんにコードネーム"Sweetpea"としてTandy Model 100のようなラップトップが開発かいはつされたが、IBM PC互換ごかんでなかったためドン・エストリッジによって中止ちゅうしされたとわれている。1984ねんにはよりおおきな液晶えきしょうディスプレイを搭載とうさいしたもうひとつのプロトタイプ("P-14")が開発かいはつされたが、チクレット・ルール英語えいごばん人間にんげん工学こうがくテスト)をたさなかった。とくData General/Oneのディスプレイにおとっていた。[4]

説明せつめい[編集へんしゅう]

PCコンバーティブルはCPUCMOSはんIntel 8088(4.77 MHz駆動くどう)、256KBのRAM最大さいだい640KB)、2だいの720KB 3.5インチFDD、CGA互換ごかんモノクロ液晶えきしょう画面がめん搭載とうさいし、価格かかくは2,000ドルであった。重量じゅうりょうは5.8kgではこよう装備そうびしていた。

PCコンバーティブルは背面はいめん独特どくとくISAバスベースのポートによる拡張かくちょうせいそなえていた。小型こがたプリンター映像えいぞう出力しゅつりょくモジュールなどの拡張かくちょうモジュールをけることができた。ほんモデム内蔵ないぞうできるが、ハードディスク内蔵ないぞうするスペースはなかった。ボディのコンセプトとデザインはドイツのインダストリアルデザイナーであるリヒャルト・ザッパーによってつくられた。

コンピューターの電源でんげんボタンをしても電源でんげんることはできず、わりにサスペンドモードにすることができた。これは長時間ちょうじかん起動きどう処理しょりけるためであった。CMOSばん80C88はスタティックコアをつ。これは、システムクロック発振はっしん停止ていししても内部ないぶ状態じょうたい保持ほじできることを意味いみする。これによりクロック信号しんごう再始動さいしどうしたときにまるでずっと電源でんげんはいっていたかのように処理しょり再開さいかいできた。CMOSばん80C88はクロック信号しんごう停止ていしちゅうには非常ひじょうちいさな電力でんりょくしか消費しょうひしなかった。

画面がめんはそれほどたかさがなく、そのためテキスト文字もじやグラフィックはたて方向ほうこう通常つうじょう半分はんぶんたかさにちぢめられた。ディスプレイは80けたx25ぎょうのテキスト、640x200ドットと320x200ドットのグラフィックモードを表示ひょうじできた。ディスプレイのしたにある2だいのフロッピードライブのあいだのレバーをすと画面がめん本体ほんたいからはずすことができた。これは1つのデスクでフルサイズのデスクトップモニターを使つかうのに便利べんりで、「ドッキングステーション」コンセプトのはしりであった。

評価ひょうか[編集へんしゅう]

ほん様々さまざま理由りゆうによりほとんどれなかった。PCコンバーティブルは重量じゅうりょうおもく、(あたらしいCMOSプロセッサーとSRAM使用しようしているにもかかわらず)IBM Portableをえるにあたいするほどはやくはなく、従来じゅうらいのPCの拡張かくちょうポートをアドオンカードをふく搭載とうさいせず(シリアルポートパラレルポートなど)、視認しにんせいわる奇特きとくかたち液晶えきしょう画面がめん最初さいしょ画面がめんバックライト欠落けつらくしていた)、また、コンパックなどの企業きぎょうから80286やオプションでハードディスクを搭載とうさいしたよりはやいポータブル東芝とうしばZenith Data Systems英語えいごばんといった企業きぎょうからたようなスペックでよりかるく、とき半額はんがくで、競合きょうごうするラップトップ登場とうじょうした。キーボードもまたひろ批判ひはんされるものであった。

日本にっぽんでのあつか[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは1986ねん9がつ日本にっぽんIBMより正規せいき輸入ゆにゅうちかかたち販売はんばいされた。日本語にほんごおこなわれず、またモデムやべいIBMの経営けいえい財務ざいむようソフト「IBM Accounting Assistant Series」など一部いちぶのハードウェア・ソフトウェアはサポートの都合つごう販売はんばいされなかった[2]

またPS/55日本にっぽん独自どくじ仕様しようのラップトップモデルである5535-M[5]のベースとなった。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  1. ^ 携帯けいたいようパソコン発表はっぴょう互換ごかんメーカーは苦境くきょうに―IBM。」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』1986ねん4がつ3にち夕刊ゆうかん、2めん
  2. ^ a b c 岡田おかだ雅之まさゆき「ハード最前線さいぜんせん:IBM PCコンバーティブル―従来じゅうらい機種きしゅ互換ごかんせいたも本格ほんかくてき携帯けいたいがただいいちだん」『日経にっけいパソコン』 1986ねん10がつ20にちごう、pp.159-165。
  3. ^ The IBM PCs debut! - The first 10 years - IBM
  4. ^ Strehlo, Kevin (1985ねん6がつ17にち). “The Chiclet Rule and the Green Dragon”. InfoWorld: pp. 8. https://books.google.com/books?id=sy8EAAAAMBAJ&pg=PA188&lpg=PA188&source=bl&ots=R2H3IQegBq&sig=3U-Wam66Wvx9LTP13xrt-lzslfE&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwirsc26zdjLAhUG3WMKHZbRDE84FBDoAQglMAM#v=onepage&f=false 2016ねん6がつ5にち閲覧えつらん 
  5. ^ パーソナルシステム/55 しんモデル発表はっぴょう - 日本にっぽんIBM

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

  • IBM PC Convertible”. IBM Archives. IBM. 2016ねん6がつ5にち閲覧えつらん
  • IBM Convertible 5140”. Oh no, not another computer museum! (2003ねん11月26にち). 2016ねん6がつ5にち閲覧えつらん
  • IBM-5140 Convertible and collection of old digital and analog computers at oldcomputermuseum.com、2016ねん6がつ5にち閲覧えつらん