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IBM PCコンバーティブル (英語 えいご : IBM PC Convertible 、アイビーエム ピーシー コンバーティブル)はIBM が開発 かいはつ ・販売 はんばい した同社 どうしゃ 初 はつ のラップトップパソコン である。1986年 ねん 4月 がつ 3日 にち にリリースされ、後 のち にデファクトスタンダードとなる3.5インチ フロッピーディスクドライブ (FDD) を搭載 とうさい した最初 さいしょ のIBM製 せい パソコンでもあった。最近 さいきん のノートパソコン のように電源 でんげん 管理 かんり 機能 きのう を搭載 とうさい し、内蔵 ないぞう バッテリーで駆動 くどう することができた。
本 ほん 機 き はIBM Portable (英語 えいご 版 ばん ) の後継 こうけい 機 き で、モデル番号 ばんごう は5140 。1991年 ねん にIBM PS/2 L40SX、日本 にっぽん ではIBM PS/55note (ThinkPad の前身 ぜんしん )に置 お き換 か えられた。
1983年 ねん にコードネーム"Sweetpea"としてTandy Model 100 のようなラップトップが開発 かいはつ されたが、IBM PC 互換 ごかん でなかったためドン・エストリッジ によって中止 ちゅうし されたと言 い われている。1984年 ねん にはより大 おお きな液晶 えきしょう ディスプレイを搭載 とうさい したもう一 ひと つのプロトタイプ機 き ("P-14")が開発 かいはつ されたが、チクレット・ルール (英語 えいご 版 ばん ) (人間 にんげん 工学 こうがく テスト)を満 み たさなかった。特 とく にData General/One のディスプレイに劣 おと っていた。[4]
PCコンバーティブルはCPU にCMOS 版 はん Intel 8088 (4.77 MHz駆動 くどう )、256KBのRAM (最大 さいだい 640KB)、2台 だい の720KB 3.5インチFDD、CGA 互換 ごかん モノクロ液晶 えきしょう 画面 がめん を搭載 とうさい し、価格 かかく は2,000ドルであった。重量 じゅうりょう は5.8kgで持 も ち運 はこ び用 よう の取 と っ手 て を装備 そうび していた。
PCコンバーティブルは背面 はいめん に独特 どくとく なISA バスベースのポートによる拡張 かくちょう 性 せい を備 そな えていた。小型 こがた プリンター や映像 えいぞう 出力 しゅつりょく モジュールなどの拡張 かくちょう モジュールを取 と り付 つ けることができた。本 ほん 機 き はモデム を内蔵 ないぞう できるが、ハードディスク を内蔵 ないぞう するスペースはなかった。ボディのコンセプトとデザインはドイツのインダストリアルデザイナー であるリヒャルト・ザッパー によって作 つく られた。
コンピューターの電源 でんげん ボタンを押 お しても電源 でんげん を切 き ることはできず、代 か わりにサスペンド モードにすることができた。これは長時間 ちょうじかん の起動 きどう 処理 しょり を避 さ けるためであった。CMOS版 ばん 80C88はスタティックコアを持 も つ。これは、システムクロック の発振 はっしん を停止 ていし しても内部 ないぶ 状態 じょうたい を保持 ほじ できることを意味 いみ する。これによりクロック信号 しんごう が再始動 さいしどう したときにまるでずっと電源 でんげん が入 はい っていたかのように処理 しょり を再開 さいかい できた。CMOS版 ばん 80C88はクロック信号 しんごう 停止 ていし 中 ちゅう には非常 ひじょう に小 ちい さな電力 でんりょく しか消費 しょうひ しなかった。
画面 がめん はそれほど高 たか さがなく、そのためテキスト文字 もじ やグラフィックは縦 たて 方向 ほうこう に通常 つうじょう の半分 はんぶん の高 たか さに縮 ちぢ められた。ディスプレイは80桁 けた x25行 ぎょう のテキスト、640x200ドットと320x200ドットのグラフィックモードを表示 ひょうじ できた。ディスプレイの下 した にある2台 だい のフロッピードライブの間 あいだ のレバーを押 お すと画面 がめん を本体 ほんたい から外 はず すことができた。これは1つのデスクでフルサイズのデスクトップモニターを使 つか うのに便利 べんり で、「ドッキングステーション」コンセプトの走 はし りであった。
本 ほん 機 き は様々 さまざま な理由 りゆう によりほとんど売 う れなかった。PCコンバーティブルは重量 じゅうりょう が重 おも く、(新 あたら しいCMOSプロセッサーとSRAM を使用 しよう しているにもかかわらず)IBM Portableを置 お き換 か えるに値 あたい するほど速 はや くはなく、従来 じゅうらい 機 き のPCの拡張 かくちょう ポートをアドオンカードを含 ふく め搭載 とうさい せず(シリアルポート やパラレルポート など)、視認 しにん 性 せい の悪 わる い奇特 きとく な形 かたち の液晶 えきしょう 画面 がめん (最初 さいしょ の画面 がめん はバックライト が欠落 けつらく していた)、また、コンパック などの企業 きぎょう から80286 やオプションでハードディスクを搭載 とうさい したより速 はや いポータブル機 き 、東芝 とうしば やZenith Data Systems (英語 えいご 版 ばん ) といった企業 きぎょう から似 に たようなスペックでより軽 かる く、時 とき に半額 はんがく で、競合 きょうごう するラップトップ機 き が登場 とうじょう した。キーボードもまた広 ひろ く批判 ひはん されるものであった。
日本 にっぽん での取 と り扱 あつか い[ 編集 へんしゅう ]
日本 にっぽん では1986年 ねん 9月 がつ に日本 にっぽん IBM より正規 せいき 輸入 ゆにゅう に近 ちか い形 かたち で販売 はんばい された。日本語 にほんご 化 か は行 おこな われず、またモデムや米 べい IBMの経営 けいえい ・財務 ざいむ 用 よう ソフト「IBM Accounting Assistant Series」など一部 いちぶ のハードウェア・ソフトウェアはサポートの都合 つごう で販売 はんばい されなかった[2] 。
またPS/55 の日本 にっぽん 独自 どくじ 仕様 しよう のラップトップモデルである5535-M[5] のベースとなった。