マルチステーション5550

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マルチステーション5550
別名べつめい IBM 5550
開発元かいはつもと 日本にっぽんIBM
製造元せいぞうもと 松下電器産業まつしたでんきさんぎょう
姉妹しまい機種きしゅ IBM JX
種別しゅべつ パーソナルコンピュータ
発売はつばい 1983ねん (41ねんまえ) (1983)[1]
OS 日本語にほんごDOS、OS/2
CPU Intel 808680286
グラフィック テキスト82けた×25ぎょう、グラフィック1024×768または720×512ドット
次世代じせだいハード PS/55

IBM 5550(アイビーエムごうごうごうまる)は、1983ねんから1990年代ねんだいまで日本にっぽんIBM開発かいはつ販売はんばいした、おも企業きぎょうけのパーソナルコンピューターのシリーズ。日本にっぽんでの正式せいしき名称めいしょうは「IBM マルチステーション5550」。後継こうけいPS/55シリーズ。

IBM日本にっぽん最初さいしょ販売はんばいしたパーソナルコンピュータであり、漢字かんじなどの2バイト文字もじ表示ひょうじできたため、韓国かんこく台湾たいわん中国ちゅうごくなどでも販売はんばいされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

IBM世界せかいてきには1981ねんIntel 8088搭載とうさいしたIBM PC発売はつばいしていたが、当時とうじ日本語にほんご処理しょりには非力ひりきであったため、日本にっぽんではIBM PCを発売はつばいせず、わりに日本にっぽんのパソコン市場いちばではひろ使つかわれたIntel 8086利用りようして日本にっぽん独自どくじ仕様しようの「マルチステーション5550」シリーズを発売はつばいした。最初さいしょのモデルぐんは1983ねん3がつ15にち発表はっぴょう、6月出荷しゅっか採用さいようしたCPU i8086 の動作どうさ周波数しゅうはすうは8MHz、しゅ記憶きおく容量ようりょうとしてはROM 16Kbyte、RAM 256Kbyte(標準ひょうじゅん)、512Kbyte(最大さいだい)[2]

1987ねんに「パーソナルシステム/55」シリーズと改称かいしょうされたが、その上位じょういモデル(PS/55 S/T/V以降いこう)はIBM PS/2MCAバス)ベースとなり、下位かいモデル(PS/55 M/Pまで)は従来じゅうらいモデル(マルチステーション5550)のアーキテクチャであった。

キャッチフレーズは「1だい3やくで、3やくとは「日本語にほんごビジネス・パーソナル・コンピューター」「日本語にほんごワード・プロセッサー」「日本語にほんごオンライン端末たんまつ」であった。「マルチステーション」の名前なまえもここからている。および「機能きのうワークステーション」「つながるOA、ひろがるOA」。

イメージキャラクターは渥美あつみきよし、CMのコピーは「ともよ。は、じゅくした。」であった。

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

5550は開発かいはつ当初とうしょより、IBM PCとの互換ごかんせいにとらわれない、日本にっぽん市場いちばとくしたパソコンとワープロふくごうとしてかんがえられていた[3]日本語にほんごワープロ専用せんようでは一般いっぱんてきであった24×24ドットの明朝体みんちょうたいフォントを表示ひょうじするため、当時とうじのパソコンとしてはこう解像度かいぞうどの1024×768ドット(グラフィック画面がめん場合ばあい)での表示ひょうじをサポートした(ディスプレイ型式けいしき5555-B01モノクロ15インチ利用りよう[4])。日本語にほんごのみならず中国語ちゅうごくご韓国かんこくといったほか言語げんごへの対応たいおう見据みすえて、表示ひょうじようフォントはディスクからんでソフトウェアで表示ひょうじする方式ほうしきをとった[5]。これはDOS/Vおな手法しゅほうである。キーボードは日本語にほんごワープロ機能きのうてきした1がた各種かくしゅ通信つうしん端末たんまつ機能きのうてきした配列はいれつなどが用意よういされた。ディスプレイはつかれをふせぐためにちょうざんこう蛍光けいこうたい使用しようし、モノクロディスプレイは緑色みどりいろ単色たんしょく表示ひょうじであった[1]

5550は以下いかの3つの機能きのうじくにソフトウェアを供給きょうきゅうした。

  • 日本語にほんごビジネス・パーソナル・コンピューター - IBM PC DOS 2.0相当そうとう日本語にほんごDOS」と、そのうえ動作どうさするマイクロソフトMultiplanなどのアプリケーションソフトが用意よういされた。日本語にほんごDOSには標準ひょうじゅんBASICインタプリタ付属ふぞくした。
  • 日本語にほんごワード・プロセッサー - 日本にっぽんIBMが開発かいはつした文書ぶんしょプログラム
  • 日本語にほんごオンライン端末たんまつ - 日本にっぽんIBMが開発かいはつした3270漢字かんじエミュレーション[6]」「5250漢字かんじエミュレーション」

当初とうしょ文書ぶんしょプログラムは日本語にほんごDOSとはことなる独自どくじのOSで動作どうさするもので、かく端末たんまつエミュレータ特殊とくしゅなプログラムのうえうごいていた。また、日本語にほんごDOSは内部ないぶコードにシフトJIS使用しようしたが、文書ぶんしょプログラムはEBCDICIBM漢字かんじコード使用しようし、データようのフロッピーディスクも日本語にほんごDOSと互換ごかんせいがない独自どくじのフォーマットであった。これら3つの機能きのう起動きどう使用しようするフロッピーディスクのえ、またはハードディスクの起動きどう区画くかく変更へんこうすることで、えて使用しようすることになっていた。これらのあいだでデータを交換こうかんするには変換へんかんプログラムをとお必要ひつようがあった。それぞれ独立どくりつした別々べつべつのソフトウェアとして供給きょうきゅうされたことについて、日本にっぽんIBMの5550担当たんとうしゃは「アプリケーションが独立どくりつしているため、ぎゃくに1つ1つの機能きのう十分じゅうぶんすことができる」と釈明しゃくめいした[7]。3270漢字かんじエミュレーションは1983ねん10がつに「日本語にほんご3270PC」、5250漢字かんじエミュレーションは1984ねん9がつに「日本語にほんご5250PC」として日本語にほんごDOSじょううごくバージョンが発表はっぴょうされ、従来じゅうらいひん並行へいこうして段階だんかいてき機能きのう実装じっそうされていった[8]文書ぶんしょプログラムについても、1986ねん5がつ日本語にほんごDOSじょううごく「DOS文書ぶんしょプログラム」が追加ついかされた[9]

5550の本体ほんたいは、3だいの5.25インチフロッピーディスクドライブがたてきで搭載とうさいできる立方体りっぽうたいちか形状けいじょうになっていた。これは、ハードディスク搭載とうさいモデルの場合ばあい、システムディスク、日本語にほんごフォント、ユーザーデータようわせて3まいのフロッピーディスクが必要ひつようになるためであった。1985ねん2がつ発売はつばいされた下位かい機種きしゅ「5540」は漢字かんじROMボードを内蔵ないぞうし、本体ほんたいJXちかいスタイルのしょうスペースデスクトップがたになった。1985ねん9がつには5550と同様どうよう本体ほんたい形状けいじょうでCPUにIntel 80286搭載とうさいした「5560」が発表はっぴょうされた。

5550はIBM PCとはハードウェア・ソフトウェアども互換ごかんせいがなく、一部いちぶ文字もじベースのMS-DOSアプリケーションをのぞくソフトウェアの移植いしょく改造かいぞう必要ひつようとした。また、IBM PCはハードウェアの仕様しようBIOS公開こうかいされたオープンアーキテクチャであったのにたいし、5550は仕様しよう一般いっぱん公開こうかいされていないクローズドアーキテクチャであった[9]

5550にはIBM PC互換ごかん英語えいご環境かんきょう実装じっそうされていなかったため、日本にっぽんIBMは英文えいぶん需要じゅようたい当初とうしょJXのオプション、のちPC/XTATやPS/2そのもの、最終さいしゅうてきにPS/55(モデルS/T/V以降いこう)でこたえていた。

開発かいはつ[編集へんしゅう]

1981ねん3がつ日本にっぽんIBM藤沢ふじさわ研究所けんきゅうじょ川原かわはらひろしがパソコンとワープロのふくあい端末たんまつ「マルチファンクショナルワークステーション」の企画きかく立案りつあんし、米国べいこくIBM本社ほんしゃにて提案ていあん[3]開発かいはつチームは通常つうじょう意思いし決定けってい過程かてい省略しょうりゃくできる IBU (Independent Business Unit独立どくりつ事業じぎょうたい) として設立せつりつされた[10]

IBM 5550の開発かいはつ目標もくひょうは、パソコンとワープロのどちらとしても本格ほんかくてき使つかえるものであること。また、最低さいてい3ねんから5ねん同一どういつのアーキテクチャーで十分じゅうぶん使つかえることとされた。当初とうしょ、パソコンとしてはすでボカラトン事業じぎょうしょでIBUが開発かいはつしていたIBM PCをベースに、ワープロは1980ねんIBMオースティン米国べいこくテキサスしゅうオースティン)で開発かいはつされた英文えいぶんワープロのIBM Displaywriter System 6580英語えいごばんをベースに、日本にっぽんけに改造かいぞうすることになっていた。しかし、互換ごかんせいはおろか設計せっけい思想しそうことなる両者りょうしゃを1だいのマシンに統合とうごうするのは難問なんもんであった[10]

CPUの選定せんていにあたっては価格かかく性能せいのうやアーキテクチャの発展はってんせいまえ、Intel以外いがいのメーカーもふくめて検討けんとうされた。IBM PCでは8ビットバスのIntel 8088が採用さいようされたが、画面がめん解像度かいぞうどたかい5550ではバス速度そくど性能せいのうおおきな影響えいきょうおよぼすとみて、16ビットバスのIntel 8086が採用さいようされた[9]

日本語にほんごワープロ機能きのうでは競合きょうごう機種きしゅとの差別さべつはかった。24ドットフォント表示ひょうじのモデルでは、文字もじブロック26×29ドット(罫線けいせんあいだ空白くうはくふく領域りょういき)を41×25ぎょう表示ひょうじするため、画面がめん解像度かいぞうどは1066×725ドット。16ドットフォント表示ひょうじのモデルでは、文字もじブロック18×21ドットで画面がめん解像度かいぞうどは738×525ドットになった。当時とうじのパソコンで一般いっぱんてき表示ひょうじサイズである40×25ぎょうより1おおいのは、日本語にほんご禁則きんそく処理しょり必要ひつようかんがえられたためであった[9]

パソコンの機能きのうとしては、マイクロソフトによって日本語にほんごMS-DOS 2.0に相当そうとうする「日本語にほんごDOS バージョン K2.00」が開発かいはつされた。これは日本語にほんごMS-DOS 2.0の実装じっそうとしてはパソピア16ぐものであった。日本語にほんごDOSには同社どうしゃ開発かいはつしたBASICインタプリタが標準ひょうじゅん付属ふぞくした。また、日本語にほんごDOSじょう動作どうさするFORTRANコンパイラなどの開発かいはつ言語げんご漢字かんじばんMultiplanが供給きょうきゅうされた[10]

開発かいはつ当初とうしょ、5550に通信つうしん端末たんまつ機能きのうけることは想定そうていされていなかったが、開発かいはつちゅうにその重要じゅうようせい認識にんしきされていき、1982ねん1がつ通信つうしん端末たんまつ機能きのうくわえた「1だい3やく」となることが決定けっていされた[3]SNAなどの通信つうしんプロトコル実装じっそうするのは容易よういではなく、この変更へんこう開発かいはつスケジュールにおおきな影響えいきょうあたえた[10]。1982ねん5がつ開催かいさいされたビジネスシヨウでは日本にっぽんIBMはIBM PCを参考さんこう出品しゅっぴんとして展示てんじするにまり、そのとしあきになって独自どくじのパソコンを開発かいはつしていることがようやくあきらかになった[11][12]

5550では用途ようとおうじた数種類すうしゅるいのキーボードに共通きょうつうして、上部じょうぶに4単位たんいはばけた12または24ファンクションキーがある。これは3270/5250専用せんよう端末たんまつではファンクションキーが12または24なためである。これらは文書ぶんしょプログラム使用しようには機能きのうしに使用しようでき、1がたキーボードにはかくキーに機能きのうしめ文字もじ印字いんじされている。一方いっぽう、IBM PC・PC/XTではファンクションキーは10となっており、12標準ひょうじゅんになるのはPC/AT後期こうきの101キーボードからである。5550がパソコン・ワープロ・通信つうしん端末たんまつ統合とうごうした企業きぎょうけパソコンとして開発かいはつされたのにたいし、IBM PCは個人こじん簡単かんたん使つかえる個人こじんけパソコンとして開発かいはつされたという設計せっけい思想しそうちがいがあらわれている[10]

製造せいぞう委託いたく[編集へんしゅう]

5550の本体ほんたいとディスプレイ、ハードディスクは松下電器産業まつしたでんきさんぎょうプリンター沖電気工業おきでんきこうぎょう、キーボードはアルプス電気あるぷすでんき製造せいぞう担当たんとうした[12][13]

5550はすうせんだいえる規模きぼ販売はんばい予定よていされていたが、日本にっぽんIBMの自社じしゃ工場こうじょうにはパソコンを大量たいりょう生産せいさんする環境かんきょうととのっていなかったため、松下電器産業まつしたでんきさんぎょう製造せいぞう受託じゅたくして日本にっぽんIBMにOEM供給きょうきゅうすることになった[14][15]松下まつした自社じしゃ販売はんばいしようというあんもあったが日本にっぽんIBMがわがこれを拒否きょひつぎ日本にっぽんIBMと合弁ごうべん販売はんばい会社かいしゃ設立せつりつしようとしたが、小林こばやしだいゆう当時とうじ富士通ふじつう会長かいちょうけんパナファコムの社長しゃちょう)が難色なんしょくしめしたため実現じつげんしなかった[16][17]。シリーズがPS/55に移行いこうして日本にっぽんIBM藤沢ふじさわ工場こうじょうでパソコンの生産せいさんはじまったのちも、5550系統けいとうのモデルは松下まつした製造せいぞう担当たんとうした[18]

ただ、1984ねん松下通信工業まつしたつうしんこうぎょう松下電器産業まつしたでんきさんぎょうから互換ごかんせいはないものの仕様しよう酷似こくじした特注とくちゅうのビジネスパソコン「JB-5000」やワープロの「パナワード5000」が販売はんばいされていた[19]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

日本にっぽんでは企業きぎょう機能きのうふくあいパソコンとしてはすで日本電気にほんでんきN5200富士通ふじつうFACOM 9450販売はんばいしていたが、どちらも需要じゅようびずくるしい状況じょうきょうにあった。日本にっぽんIBMが5550でパソコン市場いちば参入さんにゅうし、大々的だいだいてき宣伝せんでんしたことで機能きのうパソコンの市場いちば活性かっせいされ、N5200やFACOM 9450はそれまでのばい以上いじょうのペースでげた。これらの機能きのうパソコンは、当時とうじ市販しはんのパソコンがりで保守ほしゅメンテナンスがないことに不満ふまんったユーザーの注目ちゅうもくあつめた。

企業きぎょうへの一括いっかつ導入どうにゅうたいしてメーカーやディーラーのサポートが手厚てあついことも利点りてんげられた。IBM専用せんよう端末たんまつのリプレースとしてやく500だいの5550を導入どうにゅうすることをめた明治生命保険めいじせいめいほけんのシステム担当たんとうしゃは「専用せんよう端末たんまつなみはやさでホストコンピューターと応答おうとうできなければ意味いみいし、また多様たよう通信つうしんソフトがないとこまる。これだけの仕事しごとをこなす市販しはんソフトは現在げんざい見当みあたりませんから。」とコメントした。日本にっぽんIBMのあるセールスマンは、専用せんよう端末たんまつ半額はんがく端末たんまつ機能きのうとパソコン機能きのうあわ機能きのうふくあいパソコンが登場とうじょうしたことに困惑こんわくする様子ようすせた[20]。IT情報じょうほう日経にっけいコンピュータ』は、FACOM 9450とN5200は独自どくじOSでマルチジョブやファイルの互換ごかんせい配慮はいりょしていて使つかいやすいだろう、と評価ひょうかしたことにくらべ、5550についてはIBMとの接続せつぞくだけをかんがえるならその選択せんたく無難ぶなんとした。日本語にほんごワープロの機能きのうでは、5550が入力にゅうりょくキーボードへの配慮はいりょ機種きしゅよりいちすぐれているとしたが、ソフトウェア体系たいけいとかな漢字かんじ変換へんかん機能きのう統一とういつされていないことに不満ふまんげた[7]

パソコン市場いちば全体ぜんたいでみた場合ばあい日本にっぽんIBMは5550で高級こうきゅう志向しこう企業きぎょうけパソコンを発売はつばいしてからやく2ねん個人こじんけパソコン JX や下位かいモデルの5540を展開てんかいしたが、5550発売はつばい時点じてんでは日本電気にほんでんきPC-9800シリーズ相当そうとうするてい価格かかくビジネスパソコンのラインナップが存在そんざいしなかった。5550の発売はつばい価格かかくについて、あるジャーナリストは後年こうねんつぎのようにかえっている[21]

5550は発売はつばい価格かかくても、CRTディスプレー、16ビットの漢字かんじプリンター、5.25インチのFDDが2だいで、134まんえん。83ねん当時とうじ発売はつばいされた国産こくさんパソコンにくらべると、若干じゃっかんたか程度ていどで、それほどたか価格かかくではなかったが、けっして個人こじん購買こうばい意欲いよくをそそるパソコンではなかった。それにくら当時とうじのIBM PCはすでに、日本円にほんえん換算かんさんすると78まんえんにまでがっていた。日本にっぽんでも、その国内こくないのベストセラーパソコンに成長せいちょうする日本電気にほんでんきのPC-98シリーズは、100まんえんっていたのを記憶きおくしている。

1985ねん2がつ発売はつばいされた5540については、わずか4ヶ月かげつまえ市販しはんパソコンのIBM JX発売はつばいされており、5550の下方かほう展開てんかいおもわれていたJXとのあいだに5550と互換ごかんせいたかい5540が登場とうじょうしたことで、JXのユーザーに混乱こんらんをもたらした。日本にっぽんIBMはパソコンのラインナップを強化きょうかしたかったと説明せつめいした。パソコン雑誌ざっし日経にっけいパソコン』は、べいIBM本社ほんしゃIBM PCjr互換ごかんせいつJXが5540とおな事業じぎょうしょ同時どうじ開発かいはつされていたことをげて、JXの発表はっぴょうが5540に先行せんこうしたのはIBM本社ほんしゃから圧力あつりょくがあったのかと疑問ぎもんげた。また、IBMの製品せいひん高価こうかという指摘してきたいして日本にっぽんIBMの手嶋てじま邦彦くにひこ当時とうじ機器きき事業じぎょう企画きかく管理かんり担当たんとう)は、既存きそんモデルとの互換ごかんせいへの配慮はいりょ米国べいこくIBM本社ほんしゃによるきびしい技術ぎじゅつ審査しんさ苦労くろうして時間じかんけていることをけた[22]

5550の上位じょうい製品せいひんにはオフィスコンピュータのシステム/36があり、システム/36の下方かほう展開てんかいがなされるわりに5550の上方かみがた展開てんかいはしばらくないだろうと予想よそうされていた。しかし、1985ねん9がつに5550の上位じょうい製品せいひんにあたる5560が発売はつばいされた。ソフトハウスは既存きそんのソフト製品せいひん動作どうさ高速こうそくになることを歓迎かんげいした。一方いっぽうで、下位かいオフコンのシステム/36 ETは300まんえんちかくし、150まんえんクラスの5560とは競合きょうごうしていないものの、今後こんご競合きょうごうすことが予想よそうされた[23]

5550はパソコン市場いちば全体ぜんたいではPC-9800シリーズにおおきくけられていったが、企業きぎょうけパソコンとしてはメインフレームでシステムを構築こうちくするだい企業きぎょう中心ちゅうしん善戦ぜんせんした。販売はんばいすうは1983ねんまつでは1まんだいちょうであったが、1985ねんには1年間ねんかんに7まんだい販売はんばいした[9]。1986ねん初頭しょとう日経にっけいパソコンでおこなわれた調査ちょうさによれば、企業きぎょうけパソコンのシェアで5550 (23.8%) が9450 (16.3%) やN5200 (6.5%) をいて首位しゅいになった。これはアンケートの回答かいとうしゃだい企業きぎょうえたためだろうと推測すいそくされた[24]

ラップトップつぎ開発かいはつ[編集へんしゅう]

1987ねん発売はつばいされたIBM パーソナルシステム/55 モデル5535日本にっぽんIBMが開発かいはつした最初さいしょラップトップパソコンであった。

エプソンせいのバックライト方式ほうしき液晶えきしょうディスプレイ搭載とうさいし、サイズはW310×D350×H100mm、重量じゅうりょうは8.1kgであった。日本にっぽんIBMの堀田ほったいち芙(当時とうじ営業えいぎょう推進すいしん企画きかくワークステーション担当たんとう)は「そもそも、日本人にっぽんじんらくはこびできるおもさは3kg。それが最初さいしょから無理むりならば、頑丈がんじょうにして8.1kgにした。」とコメントし、都心としんせまいオフィスにてきしたしょうスペース・しょうエネルギーなパソコンであると主張しゅちょうした[25]

液晶えきしょうディスプレイの技術ぎじゅつてき制約せいやくから、ディスプレイの文字もじモードでの解像度かいぞうどは738×525ドットとなり、16×16ドットフォントでの表示ひょうじになった。これはすで旧型きゅうがたとなっていた5550の16ドットフォント表示ひょうじおなじアーキテクチャで、PS/55対応たいおうソフトがやく1000ほんだったのにたいして5535対応たいおうソフトはやく30ほんと、対応たいおうソフトのすくなさが懸念けねんがった。IBMのメインフレームと接続せつぞくするためのオプションカードが用意よういされ、通信つうしん端末たんまつ機能きのうにもちかられていた[25]

当時とうじ日本にっぽん登場とうじょうはじめた各社かくしゃのラップトップパソコンは640×400ドットのディスプレイを採用さいようし、738×525ドットを採用さいようした機種きしゅれいがなかった。この仕様しよう競合きょうごう他社たしゃ上回うわまわっていたが、そのことが原価げんかおおきく影響えいきょうした。エプソンで独自どくじ解像度かいぞうど液晶えきしょうパネルを開発かいはつするにあたって、そこで使つかわれていたものとまったべつ工程こうてい技術ぎじゅつ開発かいはつツールが必要ひつようになった。また、画面がめん解像度かいぞうど変更へんこうはソフトウェアの移植いしょくむずかしくさせ、対応たいおうソフトがなかなかそろわなかった。日本にっぽんIBMと年間ねんかんすうおくえん取引とりひきがあった顧客こきゃくが5535よりも東芝とうしばJ-3100シリーズえらんだ、という営業えいぎょう担当たんとうからの情報じょうほうに、開発かいはつじんあせりをかんはじめた。開発かいはつじんは5535-Mの開発かいはつえると同時どうじに、640×480ドットの薄型うすがたディスプレイとDOS/Vを搭載とうさいした普及ふきゅうがたVGAパソコン『PS/55 note』の構想こうそうかためていった[26]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 日本アイ・ビー・エム「高性能こうせいのう機能きのうちょう小型こがたシステムを発表はっぴょう日本アイ・ビー・エム―」『情報じょうほう科学かがくだい19かん情報じょうほう科学かがく研究所けんきゅうじょ、1983ねん、101-105ぺーじISSN 03683354 
  2. ^ ASCII 1983ねん5がつごう, p. 95.
  3. ^ a b c “83年度ねんど日経にっけい製品せいひんしょう最優秀さいゆうしゅうしょう (3) 日本にっぽんIBM・マルチステーション5550。”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん: p. 20. (1984ねん2がつ1にち) 
  4. ^ 『ASCII 1983ねん5がつごう』 7かん、5ごう株式会社かぶしきがいしゃアスキー出版しゅっぱん、1983ねん5がつ1にち、95ぺーじ 
  5. ^ 「【創刊そうかん10周年しゅうねん記念きねん特別とくべつ企画きかく】 Special Interview: キーマンがかたる: 日本にっぽんIBM情報じょうほうシステム(かぶ) 竹村たけむらゆずる 日本にっぽんIBM(かぶ) 羽鳥はとり正彦まさひこ 」『The BASICだい120かん技術評論社ぎじゅつひょうろんしゃ、1993ねん、33-40ぺーじ 
  6. ^ 『ASCII 1983ねん5がつごう』 7かん、5ごう株式会社かぶしきがいしゃアスキー出版しゅっぱん、1983ねん5がつ1にち、101ぺーじ 
  7. ^ a b 平野ひらの正信まさのぶ「インダストリ:そろった機能きのうふくあいパソコン」『日経にっけいコンピュータ』、日経にっけいマグロウヒル、1983ねん5がつ30にち、49-65ぺーじ 
  8. ^ 日本アイ・ビー・エム「最新さいしんのワークステーション IBMマルチステーション5560登場とうじょう」『情報じょうほう科学かがくだい21かん情報じょうほう科学かがく研究所けんきゅうじょ、1985ねん、97-107ぺーじISSN 03683354 
  9. ^ a b c d e 戸塚とつかただしかん日本にっぽんIBMのパソコンしん戦略せんりゃく』、pp.95-111。
  10. ^ a b c d e 鈴木すずき智彦ともひこ『IBM 5550 活用かつようほうム社むしゃ、1984ねん9がつ25にち、8-12ぺーじ 
  11. ^ “16ビットパソコン戦国せんごく時代じだい大手おおてしん機種きしゅせいぞろい、日本にっぽんIBMも83ねんはる参入さんにゅう。”. 日経にっけい産業さんぎょう新聞しんぶん: p. 1. (1982ねん11月20にち) 
  12. ^ a b 日本にっぽんIBMと松下まつした共同きょうどう開発かいはつ機能きのうパーソナルコン 58ねん3がつ発売はつばい。”. 日経にっけい産業さんぎょう新聞しんぶん. (1982ねん11月26にち) 
  13. ^ 「ASCII EXPRESS:ついに発売はつばいされたIBMマルチステーション」、100ぺーじ
  14. ^ 日本にっぽんIBMからOAパソコン「マルチステーション5550」”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. (1983ねん3がつ16にち) 
  15. ^ Matsushita Technical Journal「日本にっぽんIBMパソコンのOEM生産せいさん本格ほんかくてきはじめた。IBM 5550は,その1号機ごうきである」との記載きさいあり”. 2011ねん10がつ18にち閲覧えつらん
  16. ^ 当時とうじ、パナファコムのビジネスけパソコン「C-180ファミリ」を富士通ふじつうは「FACOM 9450」、松下まつしたは「C-18シリーズ」としてOEM販売はんばいしていたうえに、これらと5550は競合きょうごう関係かんけいにあった。
  17. ^ 小林こばやしおさむきょう日本電気にほんでんき松下まつした富士通ふじつう連合れんごうぐんおびえる理由りゆう光文社こうぶんしゃ、1985ねん、209ぺーじISBN 4-334-01186-1 
  18. ^ 「ASCII EXPRESS: 日本アイ・ビー・エムがパーソナルシステム/55を発表はっぴょう米国べいこくIBMのPS/2に対応たいおう」『ASCIIだい11かんだい7ごう、アスキー、1987ねん7がつ 
  19. ^ 堀川ほりかわ明美あけみ「ハード最前線さいぜんせん松下通信工業まつしたつうしんこうぎょうJB-5000 松下まつした巧妙こうみょう販売はんばい戦略せんりゃく展開てんかい ひとかわむけばIBM5550との互換ごかんせいが」『日経にっけいパソコン』、日経にっけいマグロウヒル、1985ねん8がつ26にち、73-78ぺーじ 
  20. ^ 高橋たかはし純夫すみお「ハード最前線さいぜんせん機能きのうよりサービス重視じゅうしふくあいはしまつがパソコン市場いちばえる」『日経にっけいパソコン』、日経にっけいマグロウヒル、1983ねん10がつ24にち、122-123ぺーじ 
  21. ^ 戸塚とつかただしかん日本にっぽんIBMのパソコンしん戦略せんりゃく』、p.97。
  22. ^ 「ハード最前線さいぜんせん:IBM 5540 5550の廉価れんかばん下方かほうシリーズだい1だん JXとの近接きんせつ販売はんばいでユーザーは困惑こんわく」、pp.65-69。
  23. ^ 「ハード最前線さいぜんせん日本アイ・ビー・エム IBM5560 5550のやく2ばい処理しょり速度そくど オフコンとのあいだめるべく、さらに発展はってんか」、p.97。
  24. ^ 日経にっけいパソコン調査ちょうさ企業きぎょうないパソコンシェア IBM5550首位しゅいだい企業きぎょうつよみ。」『日経にっけい産業さんぎょう新聞しんぶん』1986ねん3がつ3にち、6めん
  25. ^ a b 岡田おかだ雅之まさゆき「ハード最前線さいぜんせん : IBM パーソナルシステム/55 モデル5535 日本アイ・ビー・エムはつのラップトップパソコン」『日経にっけいパソコン』、日経にっけいマグロウヒル、1987ねん11月2にち、131-134ぺーじ 
  26. ^ 戸塚とつかただしかん日本にっぽんIBMのパソコンしん戦略せんりゃく』、pp.130-135。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 「ASCII EXPRESS : ついに発表はっぴょうされたIBMマルチステーション」『ASCIIだい7かんだい5ごう、アスキー、1983ねん5がつ、94‐95, 100‐101。 
  • 高橋たかはし純夫すみおありゆたか「ハード最前線さいぜんせん:IBM 5540 5550の廉価れんかばん下方かほうシリーズだい1だん JXとの近接きんせつ販売はんばいでユーザーは困惑こんわく」『日経にっけいパソコン』、日経にっけいマグロウヒル、1985ねん4がつ1にち、64-69ぺーじ 
  • 中野なかのきよし「ハード最前線さいぜんせん日本アイ・ビー・エム IBM5560 5550のやく2ばい処理しょり速度そくど オフコンとのあいだめるべく、さらに発展はってんか」『日経にっけいパソコン』、日経にっけいマグロウヒル、1985ねん11月18にち、93-97ぺーじ 
  • 戸塚とつかただしかん日本にっぽんIBMのパソコンしん戦略せんりゃく日本工業新聞社にほんこうぎょうしんぶんしゃ、1991ねん12月18にちISBN 4819108565 

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