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レディオヘッド - Wikipedia

レディオヘッド

イギリスのロックバンド

レディオヘッド英語えいご: Radiohead)は、イギリスロックバンド1985ねん前身ぜんしんにあたるバンドを結成けっせい1992ねんのメジャー・デビュー以降いこう外部がいぶミュージシャンの起用きようおおいものの、おなじパーマネント・メンバーで活動かつどうしている。

レディオヘッド
ひだりからトム、ジョニー、コリン、エド、フィル
基本きほん情報じょうほう
別名べつめい オン・ア・フライデー
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド オックスフォードシャーアビンドン=オン=テムズ
ジャンル
活動かつどう期間きかん 1991ねん -
レーベル
公式こうしきサイト Radiohead Public Library
メンバー

かれらのルーツであるポストパンクオルタナティヴ・ロック大枠おおわくに、ポストロック電子でんし音楽おんがくジャズクラシック現代げんだい音楽おんがくなどを混交こんこうした多彩たさい音楽おんがくせいや、アルバムごとの急進きゅうしんてき実験じっけんせい変化へんか特徴とくちょう。また、ソロ活動かつどうさかんである。 アルバムそう売上うりあげは3,000まんまいえている。

2011ねんローリング・ストーンえら歴史れきしじょうもっと偉大いだいな100くみのアーティスト」においてだい73

来歴らいれき

編集へんしゅう
 
メンバーがかよっていたアビンドン・スクール

オックスフォード郊外こうがいアビンドン=オン=テムズにある男子だんし全寮ぜんりょうせいパブリックスクールのアビンドン・スクールでメンバー5にん出会であう。それぞれべつのバンドで活動かつどうしたのち、1985ねんに「オン・ア・フライデー英語えいご: On A Friday)」というバンドを結成けっせい。ジョニー以外いがいのメンバーはスクールを卒業そつぎょうオックスフォードをはなれ、バンドは解散かいさん状態じょうたいになる。

1991ねん大学だいがく卒業そつぎょうしたメンバーがオックスフォードにもどり、バンドをさい結成けっせいする。同年どうねんにEMI傘下さんかパーロフォンとメジャー契約けいやくし、バンドめいをレディオヘッドに変更へんこうする。1992ねんにEP『Drill』でメジャーデビュー。翌年よくねん、1stアルバム『パブロ・ハニー』からのシングル『クリープ』が若者わかものから熱烈ねつれつ支持しじけ、世界せかいてきなヒットとなる。この当時とうじはUSオルタナティヴ・ロック、UKシューゲイザーなどの影響えいきょう頻繁ひんぱんかたられるような、トリプルギターにベース、ドラムという比較的ひかくてきオーソドックスなロックバンドであった。

ギターロックをよりすすめつつもアコースティックソングやサイケデリック・ロックからの影響えいきょう昇華しょうかした2ndアルバム『ザ・ベンズ』(1995ねん)により、人気にんき不動ふどうのものとする。この作品さくひんからプロデューサーのナイジェル・ゴッドリッチとむようになる。

このころから次第しだいにロックミュージック以外いがい音楽おんがく接近せっきんしていき、メンバー各自かくじ様々さまざま楽器がっき使つかけるようになる。1996ねんけには映画えいが音楽おんがく・サイケデリック・トリップ・ホップなどからの影響えいきょうをシングルのBめん限定げんていシングルカット「Lucky」などに表出ひょうしゅつはじめ、1997ねんにはそれらの実験じっけんてきこころみの結晶けっしょうともいえる3rdアルバム『OK コンピューター』(1997ねん)を発表はっぴょう。このアルバムはぜん世界せかいおおきな評価ひょうか獲得かくとくし、1990年代ねんだいのポップ・ミュージックを代表だいひょうする金字塔きんじとうとしばしばひょうされる出世しゅっせさくとなる。

アルバムの世界せかいてき成功せいこうにより名声めいせいたメンバーだったが、評価ひょうかたそれらのサウンドをり、当時とうじポップミュージック分野ぶんやではほぼつかずのジャンルであったエレクトロニカ・現代げんだい音楽おんがくなどにおおきく傾倒けいとうながいスタジオ作業さぎょうてに「商業しょうぎょうてき自殺じさつ[2]ともわれた4thアルバム『キッド A』(2000ねん)を発表はっぴょうし、大方おおかた予想よそう裏切うらぎ再度さいど成功せいこうおさめる。実験じっけんてき電子でんし音楽おんがくとバンド・サウンドを融合ゆうごうさせ、前作ぜんさく『OK コンピューター』からの劇的げきてき変化へんかげた作品さくひんとなった。

翌年よくねんには『キッド A』とどう時期じき制作せいさくされた5thアルバム『アムニージアック』(2001ねん)を発表はっぴょう。1920年代ねんだいスウィング・ジャズれるなど、ジャンルにとらわれない音楽おんがくせいをより明確めいかくにした。同年どうねんはつ公式こうしきライブアルバム『I Might Be Wrong - Live Recordings』を発表はっぴょうした。

6thアルバム『ヘイル・トゥ・ザ・シーフ』(2003ねん)では、これまでの実験じっけんせい包括ほうかつしたうえであらためてバンドサウンドにかえった。このアルバムを最後さいごEMIとの契約けいやく終了しゅうりょう契約けいやく金額きんがくわなかったことが理由りゆうほうじられている[3]同年どうねん、ジョニーがはつのソロ作品さくひんとしてテレビ・ドキュメンタリー『Bodysong』のサウンドトラックを発表はっぴょうよく2006ねんにトムがはつのソロ・アルバム『ジ・イレイザー』を発表はっぴょう

2005ねんから新作しんさくけた活動かつどう再開さいかいされ、2006ねんには欧米おうべいでのツアーもおこなわれた。2007ねん10がつ1にち突然とつぜん公式こうしきブログにて7thアルバム『イン・レインボウズ』を発表はっぴょう期間きかん限定げんてい専用せんようサイトをつうじ、MP3形式けいしき先行せんこうダウンロード販売はんばいおこなわれた。購入こうにゅう価格かかく自由じゆうめる方式ほうしきとなっており[4]話題わだいになった。同時どうじに、豪華ごうかばんのディスクボックス(ダウンロードばんどう内容ないようのDisc1にDisc2をくわえた2まいぐみCD、どう内容ないようのアナログばん2まい、ブックレット、化粧けしょうばこ構成こうせいされる)も40ポンド定額ていがくでリリースされ、2007ねん12月3にちより発送はっそう開始かいしとなった。その、TBDレコード(きたアメリカのみ)、ホステス・エンタテインメント(日本にっぽんのみ)、XLレコーディングス(それ以外いがいぜん世界せかい)と契約けいやくし、通常つうじょうのCDフォーマットでもリリースされた(内容ないようはダウンロードばん豪華ごうかばんDisc1と同様どうよう)。

2008ねんはつのベスト・アルバム『ザ・ベスト・オブ』とどうタイトルのベストDVDをリリース。バンド自身じしんきょくじゅんやアートワークなどの制作せいさく全般ぜんぱんかかわっておらず、EMIがのこされたアルバム契約けいやく消化しょうかするためにおこなわれた。

2009ねんより、トムがレッド・ホット・チリ・ペッパーズフリー、ナイジェル・ゴッドリッチらとともしんバンド「アトムス・フォー・ピース」(ソロ・アルバムの曲名きょくめい由来ゆらい)を結成けっせい。セットリストはソロアルバムのきょく中心ちゅうしんに、バンドのカバーや新曲しんきょくをちりばめたようなもので、各所かくしょでライブを精力せいりょくてきっている。

2010ねんよりフィルがソロ・アルバム『Familial』を発表はっぴょう。また、フジロックフェスティバルにアトムス・フォー・ピースが出演しゅつえんした。

2011ねん2がつ14にち突如とつじょ公式こうしきサイトにて8thアルバム『ザ・キング・オブ・リムズ』の完成かんせい発表はっぴょう専用せんようサイトにて、アルバムダウンロード(MP3またWAV)と豪華ごうかばんニュースペーパー・アルバムのやく受付うけつけ開始かいしした。7月4にちには『ザ・キング・オブ・リムズ』のリミックスシリーズの発売はつばい決定けってい完全かんぜん生産せいさん限定げんてい12インチ・アナログシングル(輸入ゆにゅうばんのみ)と、デジタル・シングルでの発売はつばいとなる。「リトル・バイ・リトル」と「ロータス・フラワー」のリミックスが収録しゅうろくされた。

2011ねんはる、2013ねんなつ、2015ねんなつ断続だんぞくてきにスタジオりがほうじられており[5][6]、ジョニーはインタビューで新作しんさくには発表はっぴょうきょくの「Lift」が収録しゅうろくされる予定よていだとこたえている[7]

2015ねん映画えいが007 スペクター』の主題歌しゅだいか候補こうほとして「スペクター」をうたうが、最終さいしゅう選考せんこうサム・スミスやぶれた[8]

2016ねんに9thアルバム『ア・ムーン・シェイプト・プール』が発表はっぴょうされたが、上記じょうきの「Lift」は収録しゅうろくされなかった。

2019ねんには、ロックの殿堂でんどうりをたした[9]

かれらの音楽おんがくてき影響えいきょう

編集へんしゅう

レディオヘッドのメンバーは、ジョイ・ディヴィジョンマガジンスージー・アンド・ザ・バンシーズ[10] [11] [12]U2といったポストパンクや、ピクシーズR.E.M.ソニック・ユースといったオルタナティヴ・ロックにはやくから影響えいきょうけてきた。また、トムは小学生しょうがくせいころにはクイーンなどをこのみ、エルヴィス・コステロなどもいていた[13][14][15]。 1990年代ねんだいなかばにはマッシヴ・アタックDJシャドウなどのエレクトロヒップホップからの影響えいきょうをうかがわせ、それらは『OK コンピューター』に顕著けんちょである[16]に『OK コンピューター』にはマイルス・デイヴィスエンニオ・モリコーネなどや、ビートルズビーチ・ボーイズピンク・フロイドなどからの参照さんしょう見受みうけられ、メンバーもそれを公言こうげんしている[13][17]

キッド A』で、メンバーはグリッチやアンビエントなどのエレクトロニカ手法しゅほう関心かんしんせ、ワープ・レコーズオウテカエイフェックス・ツインといったアーティストの音楽おんがくせい接近せっきんしていった。またそれ以降いこうモダン・ジャズアリス・コルトレーンやマイルス・ディヴィス、チャールズ・ミンガスアート・ブレイキーなどもこのんで参照さんしょうし、カンノイ!クラフトワークなどのクラウトロック影響えいきょう顕著けんちょである。とくにジョニーはいわゆる現代げんだい音楽おんがくや、オリヴィエ・メシアンクシシュトフ・ペンデレツキ などの独特どくとく方法ほうほうろんった音楽家おんがくかからの影響えいきょうおおきい[18]

レディオヘッドの楽曲がっきょくは、基本きほんてき作詞さくし/作曲さっきょくクレジットがメンバー全員ぜんいん(Radiohead)となっている。これは、きょく大枠おおわくデモおおくをつくるのはトムだが、そこからさらに議論ぎろんかさねてそこに肉付にくづけしたり、ぎゃくけずったりすることで楽曲がっきょくもとつくっているからである。録音ろくおんについてもパートべつじゅんぐり録音ろくおんしたりするのではなく、メンバー全員ぜんいんプロデューサーアレンジ議論ぎろんし、個々ここがパートにとらわれずに音楽おんがくつくっている。パートごとの演奏えんそうしゃもまちまちで、あまり問題もんだいとされない。ストリングスブラスバンド主体しゅたいきょくなどでは、楽隊がくたいんで録音ろくおんするため、そもそもメンバーが譜面ふめんやアレンジを指示しじするだけで演奏えんそうしないこともありる。歌詞かしについては、基本きほんてきにほぼすべてがトムによって作詞さくし推敲すいこうされる[19]

アートワーク

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グラフィック・アーティストのスタンリー・ドンウッド (Stanley Donwood) は、『ザ・ベンズ以降いこう、レディオヘッドのぜん作品さくひんのアートワークをがけている。かれはトム・ヨークの大学だいがく時代じだいからの友人ゆうじんであり、トムの社会しゃかい活動かつどうにも一緒いっしょ参加さんかしている。

基本きほんてきにアートワークはアルバムごとに一定いっていのテーマがめられている。シングルのジャケットやツアーでのグッズなど、つぎのアルバムをリリースするまではそのテーマに沿ったものが作成さくせいされる。

  • Slowly Downward 公式こうしきサイト
  • トム・ヨークもDr.Tchock名義めいぎでアートワークに参加さんかしている。
名前なまえ プロフィール 担当たんとう楽器がっき
トム・ヨーク
英語えいご: Thomas Edward Yorke
(1968-10-07) 1968ねん10月7にち(55さい
  イングランド ノーサンプトンシャー
ボーカル
ギター
ピアノ
キーボード
ジョニー・グリーンウッド
英語えいご: Jonathan Richard Gordon Greenwood
(1971-11-05) 1971ねん11月5にち(52さい
  イングランド オックスフォード
ギター
キーボード
オンド・マルトノ
ストリングス
コリン・グリーンウッド
英語えいご: Colin Charles Greenwood
(1969-06-26) 1969ねん6月26にち(55さい
  イングランド オックスフォード
ベース
サンプリング[ちゅう 1]
エド・オブライエン
英語えいご: Edward John O'Brien
(1968-04-15) 1968ねん4がつ15にち(56さい
  イングランド オックスフォード
ギター
サンプリング[ちゅう 1]
コーラス
フィル・セルウェイ
英語えいご: Philip James Selway
(1967-05-23) 1967ねん5月23にち(57さい
  イングランド オックスフォードシャー
ドラムス
パーカッション

ディスコグラフィ

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シングルと各国かっこくごとの収録しゅうろくきょく内容ないようとうさらなる詳細しょうさい英語えいごばんWikipediaのディスコグラフィ参照さんしょう

スタジオ・アルバム

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コンピレーション・アルバム

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  • Manic Hedgehog [Self released] (1991ねん
  • Drill(1992ねん
  • 『イッチ (ジャパン・ツアー・ミニ・アルバム)』 - Itch(1994ねん) ※日本にっぽん限定げんてい企画きかくばん
  • My Iron Lung [CD1&2] (1994ねん
  • 『ノー・サプライゼズ〜ランニング・フロム・デーモンズ〜』 - No Surprises - Running From Demons(1997ねん) ※日本にっぽん限定げんてい企画きかくばん
  • 『エアーバッグ/ハウ・アム・ アイ・ドライヴィング?』 - Airbag/How Am I Driving?(1998ねん)※アメリカ限定げんてい企画きかくばん
  • 『アイ・マイト・ビー・ロング (ライヴ・レコーディングズ)』 - I Might Be Wrong - Live Recordings(2001ねん
  • 『コム・ラグ:2+2=5』 - Com Lag : 2+2=5(2004ねん
  • 『マイ・アイアン・ラング』 - My Iron Lung [Re-release](2007ねん) ※日本にっぽん限定げんてい企画きかくばん、イギリスばんのCD1&2の編集へんしゅうばん

ダウンロード

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レディオヘッドの作品さくひんには、ダウンロードのみで発表はっぴょうされる楽曲がっきょく(アートワークもふくむ)も存在そんざいする。

  • "Harry Patch (In Memory Of)"(2009ねん
  • "These Are My Twisted Words"(2009ねん
    • フリーダウンロード。
  • "Burn The Witch"(2016ねん
  • "Daydreaming"(2016ねん

映像えいぞう作品さくひん

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  • 『ライヴ・アット・ザ・アストリア』 - Live at the Astoria(1995ねん) ※VHS / 2005ねんにDVD再発さいはつ
  • 『7テレヴィジョン・ コマーシャルズ』 - 7 Television Commercials(1998ねん) ※VHS/DVD
  • 『ミーティング・ピープル・イズ・イージー』 - Meeting People Is Easy(1999ねん) ※VHS/DVD
  • 『ザ・モスト・ギガンティック・ライン・マウス・オブ・オール・タイム』 - The Most Gigantic Lying Mouth Of All Time(2004ねん) ※DVD
  • In Rainbows - From the Basement(2008ねん) ※iTunes Store digital download
  • ザ・ベスト・オブ』 - The Best Of Radiohead(2008ねん) ※DVD

コラボレーション

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トム・ヨーク

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  • スパークルホース
    ピンク・フロイド楽曲がっきょく「Wish You Were Here」(1997ねん)にバッキングボーカルで参加さんか
  • Drugstore
    アルバム『White Magic for Lovers』(1998ねん)の楽曲がっきょく「El President」にボーカルで参加さんか
  • PJ ハーヴェイ(1998ねん
    アルバム『Stories From The City, Stories From The Sea』の楽曲がっきょく「This Mess We're In」にボーカルで参加さんか
  • U.N.K.L.E.
    アルバム『Psyence Fiction』(1998ねん)の楽曲がっきょく「Rabbit in Your Headlights」にボーカルで参加さんか
  • 映画えいがベルベット・ゴールドマイン』サウンドトラック
    トムとジョニーが参加さんかした"Venus in Furs"というバンド名義めいぎロキシー・ミュージック楽曲がっきょくをカバー(1998ねん)。
  • ビョーク
    アルバム『Selma Songs』(2000ねん)の楽曲がっきょく「I've Seen It All」にボーカルで参加さんか
  • モードセレクター
    アルバム『Happy Birthday』(2007ねん)の楽曲がっきょく「The White Flash」にボーカルで参加さんか
  • フライング・ロータス
    アルバム『Until The Quiet Comes』(2012ねん)の楽曲がっきょく「Electric Candyman」にボーカルで参加さんか

ジョニー・グリーンウッド

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  • ペイヴメント
    アルバム『Terror Twilight』(1999ねん)にハーモニカで参加さんか
  • ブライアン・フェリー
    アルバム『Frantic』(2002ねん)の楽曲がっきょく「Hiroshima...」にギターで参加さんか

そののメンバー

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トリビュート・アルバム

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  • Helping Hand『Tribute To Radiohead』(2013ねん)
    日本にっぽんkilk recordsよりリリースされた国内こくないアーティストによるトリビュート。

社会しゃかい問題もんだいかんする活動かつどう

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レディオヘッドのメンバーは社会しゃかい問題もんだい関心かんしんつよく、これまでにおおくのキャンペーンにかかわってきた。

  • チャリティー・アルバム『HELP』(1996ねん)
    ユーゴスラビア紛争ふんそうによるボスニア・ヘルツェゴビナ戦災せんさい孤児こじ救済きゅうさいするため、ブライアン・イーノびかけたチャリティー・キャンペーン。イギリスのすうおおくのミュージシャンが参加さんかし、レディオヘッドも楽曲がっきょく『Lucky』を提供ていきょうした。
  • チベタン・フリーダム・コンサート (1997ねん - 1998ねん)
    チベットへの中国ちゅうごく侵略しんりゃく人権じんけん問題もんだいうったえるため、ビースティ・ボーイズのアダム・ヤウクがびかけたキャンペーン。トムとジョニーがだい2かいだい3かい参加さんかしている。
  • ジュビリー2000 (2000ねん)
    途上とじょうこく債務さいむ帳消ちょうけしをうったえた国際こくさいてきなキャンペーン。U2ボノ坂本さかもと龍一りゅういちらとともに、トム・ヨークも賛同さんどうした。
  • Band Aid 20『Do They Know It's Christmas?』(2004ねん)
    ボブ・ゲルドフびかけたバンド・エイド20のチャリティー・ソングにトムとジョニーが参加さんかした。
  • MAKE POVERTY HISTORY (2005ねん)
  • Friend of the Earth "THE BIG ASK" (2005ねん)
    イギリス政府せいふ地球ちきゅう温暖おんだんかんする政策せいさく変更へんこううったえるキャンペーン。
  • チャリティー・アルバム『HELP: A Day In The Life』(2005ねん)
    上記じょうき『HELP』からの10周年しゅうねん記念きねんしたキャンペーン。レディオヘッドは新曲しんきょく『I Want None Of This』を提供ていきょうした。
  • イギリスの自殺じさつ予防よぼう団体だんたい「サマリタンズ」
    フィル・セルウェイが学生がくせい時代じだいから支援しえんしており、チャリティー・オークションやチャリティー・マラソンなどに参加さんかしている。
  • MTV EXIT はん人身じんしん取引とりひきキャンペーン
    人身じんしん取引とりひきをなくすキャンペーンをMTVと実施じっし人身じんしん取引とりひき実態じったいうつす「All I Need」プロモーションビデオをリリース。
  • Japan tour 2008(Make THE RULEキャンペーン) (2008ねん)
    2005ねんのTHE BIG ASKと同様どうよう、ライブ会場かいじょう日本にっぽんのMAKE THE RULEキャンペーンの署名しょめい活動かつどうびかけた。
  • バンドめいトーキング・ヘッズのアルバム『True Stories』の収録しゅうろくきょく「Radio Head(ラジオ ヘッド)」に由来ゆらい
  • 1991ねんに、オリジナル・メンバーはトム、コリン、エドの3にんでメジャー契約けいやくするまでは「On a Friday」というバンドめいだった。バンドが毎週まいしゅう金曜日きんようび練習れんしゅうしていたことに由来ゆらいする。名付なづおやは、コリン・グリーンウッド(初期しょきプロデューサーの一人ひとりポール・コルデリーによれば「インディーかんつよすぎるバンドめいだったので、ぎゃくにそのままぎてインディーシーンではいていた」らしい)。
  • トム・ヨークのおとうとアンディ・ヨークもミュージシャン。Unbelievable Truthというバンド・ソロで活動かつどう
  • 発表はっぴょうきょく非常ひじょうおおいバンドとしても有名ゆうめい。ライブで演奏えんそうしていても音源おんげんがされていないきょくかぞれないほど存在そんざいする。ぎゃくに、完全かんぜん新規しんききょくだけでアルバムがつくられることはいちもなく、いまのところキャリアのぜんオリジナルアルバムには、リリース以前いぜんのライブで披露ひろうされていたきょくかならず1きょく以上いじょう収録しゅうろくされている。そのなかには、以前いぜんライブで演奏えんそうされていたアレンジとはまったちがったアレンジで収録しゅうろくされるものもおおい。
  • 有名ゆうめいになるまえシガー・ロススパークルホースひとし前座ぜんざひきいたこともあり、これがきっかけとなりシガー・ロスは世界せかいてきられることとなった。
  • 2001ねんにアメリカのアニメ『サウスパーク』のエピソード「カートマン・レクターの鬼畜きちく晩餐ばんさんかい」に、メンバー全員ぜんいん本人ほんにんやくこえ出演しゅつえんをした。レディオヘッド・ファンの少年しょうねん実際じっさいいにくという役回やくまわりであった。
  • メンバー全員ぜんいんMacユーザーである。とくにトムは、自身じしんテレキャスター・デラックスにMacのステッカーをっているほど。
  • コリンをのぞいた4にんベジタリアンである。
  • 世界せかいてきなバンドであるにもかかわらず、私生活しせいかつなどがゴシップなどでほとんどりざたされない。とく家族かぞく関係かんけい話題わだいについては、おおくのインタビューでなるべく黙秘もくひする。トム・ヨークは以前いぜんQにおいて「タブロイド雑誌ざっしなんてすべて廃刊はいかんして、パパラッチ全員ぜんいん交通こうつう事故じこねばいい」という発言はつげんのこしたこともある。
  • 2012ねん6がつ16にちカナダトロント郊外こうがいおこなわれる予定よていだった野外やがいライブは、屋外おくがいステージが開演かいえんまえ突然とつぜん崩落ほうらく。メンバーに被害ひがいはなかったが、スタッフ1めい死亡しぼうするなどし、ライブが中止ちゅうしとなった。

日本にっぽんとの関係かんけい

編集へんしゅう
  • トムとジョニーは、一時期いちじき日本語にほんごまなんでおり、カーオーディオ日本語にほんご学習がくしゅうのテープをながしていた。来日らいにちちゅうのジョニーは片言かたこと日本語にほんごをよくはなし、トムはライブで「ドウモ」と上手うま発音はつおん挨拶あいさつすることでも有名ゆうめい。しかし、2003ねんのサマーソニック2003のアンコールにおいて、「クリープ」を演奏えんそうしたのち大団円だいだんえん花火はなびがるなか、トムは「コンバンワ!」とまるでいまからはじめるかのようなMCをしたことがある。
  • トムは、渋谷しぶや原宿はらじゅくでの洋服ようふくをたくさんうという。
  • 音楽おんがく「BUZZ」2001ねん11がつごうでは、来日らいにちちゅうのジョニーが世界せかいてきオンド・マルトノ奏者そうしゃである原田はらだたかし対談たいだんしている。
  • 2006ねん2がつから8がつまで放送ほうそうされたテレビアニメ『Ergo Proxy』のエンディングテーマに「Paranoid Android」が起用きようされた(2023ねん7がつ現在げんざい唯一ゆいいつのアニメソングでもある)。
  • 2007ねん12がつ10日とおかには、mixiに公認こうにんのアカウントで参加さんかしている。
  • 2010ねん映画えいが告白こくはく』の主題歌しゅだいかに「Last Flowers」が起用きようされた。
  • 2019ねん映画えいが彼女かのじょゆめおど』の挿入歌そうにゅうかに「Creep」が起用きようされた。

来日らいにち公演こうえん

編集へんしゅう
  • 1994ねん6がつ クラブチッタ川崎かわさきなど
  • 1995ねん6がつ 渋谷しぶや公会堂こうかいどうなど
  • 1998ねん1がつ 赤坂あかさかブリッツなど
    1998ねん、『OK コンピューター』リリースにともなうジャパンツアーはきた仙台せんだいからみなみ福岡ふくおかまでをめぐり、これまでのツアー最多さいたとなる8かしょ10公演こうえんおこなわれた。ツアーは宮城みやぎからスタートしたが、序盤じょばん記録きろくてき大雪おおゆき見舞みまわれ、移動いどう困難こんなんになった。ドラムのフィル・セルウェイが風邪かぜいたため、終盤しゅうばん福岡ふくおかでのライブからアコースティックセットがまれるなどのトラブルがこった。
    またこのツアーには「Meeting People Is Easy」の製作せいさくスタッフが同行どうこうしており、福岡ふくおかでのライブまえのサウンドチェックで演奏えんそうされた発表はっぴょうきょく「Follow me around」が収録しゅうろくされたほか日本にっぽん撮影さつえいされた映像えいぞうが「Palo Alto」のビデオクリップ(MTVなど一部いちぶきょく放送ほうそう)にもちいられている。7thアルバム『イン・レインボウズ』に収録しゅうろくされた楽曲がっきょく「Nude」は、1がつ23にち赤坂あかさかブリッツでのライブではじめて披露ひろうされた。
  • 2001ねん9月-10月
    大阪城おおさかじょうホール 9月29にちさい追加ついか公演こうえん)、30にち
    日本武道館にほんぶどうかん 10月2にち追加ついか公演こうえん
    横浜よこはまアリーナ 10月3にち、4にち再々さいさい追加ついか公演こうえん
    『キッド A』、『アムニージアック』をげておこなわれたこの来日らいにち公演こうえん当初とうしょ、「大阪おおさか(9がつ30にち)・横浜よこはま(10がつ3にち)でそれぞれ1にちのみ」とアナウンスされていたため、チケットは早々そうそう完売かんばいした。しかし、日本武道館にほんぶどうかんでの追加ついか公演こうえんのアナウンスを皮切かわきりに、大阪おおさかでのさい追加ついか公演こうえん横浜よこはまでの再々さいさい追加ついか公演こうえん次々つぎつぎ発表はっぴょうされたために混乱こんらんまねき、結果けっかてきかく会場かいじょうどもにアリーナせきでも当日とうじつけんえるほどチケットはあまってしまった。また、しくもこの来日らいにち直前ちょくぜんニューヨークアメリカ同時どうじ多発たはつテロ事件じけんこったため、大阪おおさか公演こうえんではトム・ヨークによるブッシュ大統領だいとうりょうへの「この盗人ぬすっとさる野郎やろう!」という批判ひはんともとれるメッセージとともに、カンの「ザ・シーフ(=盗人ぬすっと)」をカバーした。なお、10月4にち横浜よこはま公演こうえんはツアーの最終さいしゅう公演こうえんであったため、トム・ヨークがMCにてはっした「This Is Final Show」というセリフを解散かいさん宣言せんげんだと勘違かんちがいしたひとすくなからずいた。
  • 2003ねん8がつ サマーソニック2003 千葉ちばマリンスタジアムWTCオープンエアスタジアム
    日本にっぽんでのライブとしてははつフェスティバル参加さんかとなったこの公演こうえんは、そもそも会場かいじょう規模きぼおおきく人気にんきたかいフェスであり、日本にっぽん公演こうえんはじめてプロショットのライブ映像えいぞうのこされた。大阪おおさか東京とうきょう両日りょうじつのトリとして参加さんか東京とうきょう公演こうえんアンコールのちに、セットリストに予定よていのなかった「クリープ」を演奏えんそうした(セットリストにないきょく演奏えんそうすること自体じたいはしばしばある)。バンドの演奏えんそう調子ちょうし自体じたい非常ひじょうく、前述ぜんじゅつのサプライズなどもあり、しばしばサマーソニックや日本にっぽんのロックフェスにおけるトップギグとしてメディアでげられることもおおい。
  • 2004ねん4がつ Japan Tour 2004 インテックス大阪おおさか幕張まくはりメッセ
  • 2008ねん10がつ Japan Tour 2008 大阪おおさか中央ちゅうおう体育館たいいくかんさいたまスーパーアリーナ東京とうきょう国際こくさいフォーラム・ホールA(追加ついか公演こうえん
    2008ねん、『イン・レインボウズ』世界せかいツアーのなかでの来日らいにちとなったこの公演こうえんは、当初とうしょまえ2会場かいじょうしかアナウンスされていなかったものの、一般いっぱん発売はつばい早々そうそうとチケットは完売かんばいし、追加ついか東京とうきょう国際こくさいフォーラムでの公演こうえんふくめて過去かこ来日らいにち公演こうえんなかもっとおおくの動員どういんすう記録きろくした。5にちのさいたまスーパーアリーナでの公演こうえんWOWOWやネットじょう放送ほうそうされ、とくにネットじょうのものは「冒頭ぼうとうきょく『15 Step』のカメラワークをがわ自由じゆうにいじることのできる」サービスが提供ていきょうされ、話題わだいあつめた。ちなみに、このとし世界せかいツアーでバンドが演奏えんそうした曲目きょくもくすうぜんオリジナルアルバムきょく発表はっぴょうきょく、Bめんきょくわせて150きょく以上いじょうにのぼり、セットリストは毎日まいにちのように様変さまがわりしていた。
  • 2012ねん7がつ29にち FUJI ROCK FESTIVAL出演しゅつえん
  • 2016ねん8がつ20日はつか大阪おおさか)、21にち千葉ちば)にておこなわれたサマーソニック2016に出演しゅつえん

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ a b サンプリングにかんしてはかくアルバムのクレジットにも明記めいきされている。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d Radiohead | Biography & History - オールミュージック  
  2. ^ ピッチフォーク・ガイドの『キッド A』レビューより、当時とうじ反応はんのう
  3. ^ レディオヘッド、EMIと決別けつべつした理由りゆう Barks 2008ねん1がつ2にち
  4. ^ 価格かかくはあなた次第しだい」のレディオヘッド新作しんさくいくらでれた? ITメディア 2007ねん11月6にち
  5. ^ レディオヘッド「あまりさきのことはかんがえないことにした」 Barks 2011ねん3がつ7にち
  6. ^ レディオヘッド、2013ねんなつにも通算つうさん9まい新作しんさくスタジオ・アルバム制作せいさく開始かいし Barks 2013ねん2がつ18にち
  7. ^ ジョニー・グリーンウッド、レディオヘッド新作しんさく進捗しんちょくじょうきょうかた RO69 2015ねん6がつ18にち
  8. ^ BBCを英語えいごむ「ボンド映画えいが主題歌しゅだいかになれなかった名曲めいきょくたち」(9)
  9. ^ ロキシー、ゾンビーズ、ジャネット、ロックの殿堂でんどうりによろこびのコメント”. BARKS (2018ねん12月14にち). 2019ねん2がつ2にち閲覧えつらん
  10. ^ Lamacq, Steve. “Interview with Thom Yorke”. BBC 6 Music radio. 26-08-2006閲覧えつらん。 “My best gig in Oxford ever though, was Siouxsie and the Banshees [...] they were absolutely... they were just amazing [...] the band were like, they were really, really exciting [...] Siouxsie and the Banshees were just genius”
  11. ^ Dombal, Ryan. “Radiohead interview”. Pitchfork.com. 21-03-2008閲覧えつらん。 “Colin Greenwood: In rehearsals yesterday, Thom, Ed and I were running through a Siouxsie and the Banshees cover called "Happy House" and Jonny [Greenwood]-- the young one-- was like, "What the fuck is this?" And we're like, You know, Siouxsie and the Banshees! Check out Juju [ Siouxsie and the Banshees' 1981 album]”
  12. ^ Casandra Scaroni, Samuel Dietz.. “You’ve got to find a voice [Radiohead Ed O'Brien interview]”. Alltuntun. 01-09-2018てんオリジナルよりアーカイブ。2-09-2011閲覧えつらん。 “I was very lucky because I grew up in an era... It was the post-punk era, so you had a lot of music like Siouxsie and the Banshees... it was a great era of music, you'd been listening to the charts or tape them on a cassette recorder so you’d have... "Spellbound" by Siouxsie And The Banshees,”
  13. ^ a b Randall, Mac (1998-04-01), “The Golden Age of Radiohead”, Guitar World 
  14. ^ Ross, Alex (2001-08-20), “The Searchers”, The New Yorker, オリジナルの2008ねん2がつ14にち時点じてんにおけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20080214053947/http://www.therestisnoise.com/2004/04/mahler_1.html 2007ねん12月24にち閲覧えつらん 
  15. ^ Reynolds, Simon (June 2001), “Walking on Thin Ice”, The Wire 
  16. ^ Gillespie, Ian (1997-08-17), “It all got very surreal”, London Free Press 
  17. ^ DiMartino, Dave (1997-05-02), “Give Radiohead Your Computer”, LAUNCH, オリジナルの2007ねん8がつ14にち時点じてんにおけるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20070814183856/http://music.yahoo.com/read/interview/12048024 2007ねん12月21にち閲覧えつらん 
  18. ^ Zoric, Lauren (2000-10-01), “Fitter, Happier, More Productive”, Juice 
  19. ^ Eccleston, Danny (2000-10-01), Q 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 『エグジット・ミュージック - レディオヘッド・ストーリー』 Mac Randallちょ 丸山まるやま京子きょうこやく シンコー・ミュージックかん
  • 『music life』1997ねん6がつごう シンコー・ミュージックかん
  • 『CROSSBEAT FILE Vol.2 レディオヘッド』シンコー・ミュージックかん

外部がいぶリンク

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