諸富 もろとみ 祥 さち 彦 によると「中年 ちゅうねん の危機 きき (Mid-life crisis)」などとも呼 よ ばれる段階 だんかい で、あらためて「残 のこ された人生 じんせい で、私 わたし は何 なに をすることを求 もと められているのだろう?」「自分 じぶん の人生 じんせい を意味 いみ あるものにするためには、今後 こんご どう生 い きてゆけばいいのだろう?」という問 と いに真正面 ましょうめん から向 む き合 あ うことになるのであり、老年 ろうねん 期 き にも、このような問 と いが心 しん をとらえることがある。神谷 かみや 美恵子 みえこ によれば、老年 ろうねん 期 き の悲哀 ひあい の大 だい 部分 ぶぶん は「自分 じぶん の存在 そんざい は何 なに かのため、またはだれかのために必要 ひつよう であるか」という問 と いに充分 じゅうぶん 確信 かくしん をもって答 こた えられなくなることによる。そのため、老人 ろうじん に生 い きがい感 かん を与 あた えるには、老人 ろうじん にできる何 なん らかの役割 やくわり を分担 ぶんたん してもらうことを推奨 すいしょう している。また、愛情 あいじょう の関係 かんけい としても老人 ろうじん の存在 そんざい がこちらにとって必要 ひつよう なのだ、と感 かん じてもらうことが大切 たいせつ であるという。
心療内科 しんりょうないか 学 がく ・精神 せいしん 医学 いがく における諸 しょ 見解 けんかい
編集 へんしゅう
医学 いがく 的 てき 健康 けんこう ・解決 かいけつ と人生 じんせい の意味 いみ
編集 へんしゅう
心療内科 しんりょうないか ・精神 せいしん 科 か の医師 いし の益田 ますだ 裕介 ゆうすけ は2021年 ねん 、こう述 の べている。
「
人生 じんせい の
意味 いみ ってなんだろう?」というのはついつい
考 かんが えがちのようです。
本来 ほんらい ならば
人生 じんせい の
意味 いみ を
考 かんが える
前 まえ に
転職 てんしょく したり
勉強 べんきょう した
方 ほう が
解決 かいけつ まで
早 はや いことはたくさんあるのですが、ついつい
足 あし を
踏 ふ み
入 い れやすいとのことです。
確 たし かに、
メンタル 系 けい の
コンテンツ は
伸 の びますからそうなのかなと
思 おも います。
益田 ますだ は「人生 じんせい の意味 いみ 」に関 かん して、心理 しんり 学 がく 博士 はかせ [6] 兼 けん 行動 こうどう 科学 かがく 者 もの [7] ピアーズ・スティールの本 ほん 『ヒト はなぜ先 さき 延 の ばし をしてしまうのか』を取 と り上 あ げている。この本 ほん には「先 さき 延 の ばししやすいものランキング」が
1位 い 健康 けんこう
2位 い 転職 てんしょく
3位 い 教育 きょういく
︙
11位 い 精神 せいしん 分野 ぶんや 、宗教 しゅうきょう ・哲学 てつがく 、人生 じんせい の意味 いみ
12位 い 子育 こそだ て
と並 なら んでいる。これを踏 ふ まえると、ヒトは「精神 せいしん 分野 ぶんや に関 かん することはすぐ取 と り掛 か かってしまう」と益田 ますだ は述 の べている。
エンパワーメント(強化 きょうか ・権限 けんげん 付与 ふよ )
編集 へんしゅう
斎藤 さいとう 学 まなぶ (1941年 ねん ~)によれば、自己 じこ 肯定 こうてい は人生 じんせい の大 おお きな力 ちから になる。特 とく に、治療 ちりょう 者 もの を介 かい さず自分 じぶん で自己 じこ 肯定 こうてい できるようになることが望 のぞ ましい。
この自己 じこ 肯定 こうてい はエンパワーメント (強化 きょうか ・権限 けんげん 付与 ふよ )であり、もう一人 ひとり の自分 じぶん が語 かた る自己 じこ 卑下 ひげ を、聞 き いている自分 じぶん が否定 ひてい していくという作業 さぎょう である。自己 じこ 卑下 ひげ に対 たい して、「そんなことない。あなた(と呼 よ ばれる「私 わたし 」)は精一杯 せいいっぱい やったじゃない。ここまでできたのはあなたの力 ちから だよ」と否定 ひてい する作業 さぎょう であり、斎藤 さいとう 学 まなぶ は以下 いか のように説明 せつめい している。
看護 かんご 師 し や
薬剤師 やくざいし や
教員 きょういん の
資格 しかく 、
運転 うんてん 免許 めんきょ など、
皆 みな さんはいろいろな
資格 しかく を
持 も っていると
思 おも いますが、これはみんなあなたの
力 ちから が
勝 か ち
取 と ったものです。…こういうものひとつひとつを
自分 じぶん の
力 ちから として
感 かん じることです。
もし
何 なに ひとつやらずに
家 いえ に
十 じゅう 数 すう 年 ねん 、あるいは
数 すう 十 じゅう 年 ねん こもり
続 つづ けたという
人 ひと がいれば、
私 わたし はその
人 ひと の
我慢強 がまんづよ さに
打 う たれます。
何 なに かの
病気 びょうき を
持 も っているならともかく(その
場合 ばあい には
疾患 しっかん との
激務 げきむ をこなしていたわけです)、
引 び きこもり続 つづ ける
力 ちから というのは
並大抵 なみたいてい のものではありません。
両親 りょうしん の
経済 けいざい 力 りょく のおかげというのであれば、その
親 おや たちからの
ケア を
引 ひ き
出 だ すことにあなたは
有能 ゆうのう だったのです。
精神 せいしん 衛生 えいせい ・福利 ふくり (メンタルヘルス・ウェルビーイング)
編集 へんしゅう
2014年 ねん にイギリス国民 こくみん 保健 ほけん サービス (NHS)は、「精神 せいしん 衛生 えいせい と福利 ふくり 」(メンタルヘルスアンドウェルビーイング “mental health and wellbeing”)をめざして、5 いつ つの方法 ほうほう の推奨 すいしょう を行 おこな い始 はじ めた。それは、1.地域 ちいき や家族 かぞく とつながりを持 も つこと、2.身体 しんたい 的 てき 運動 うんどう を行 おこな うこと、3.一 いち 生涯 しょうがい 学 まな ぶこと、4.他 た の者 もの に与 あた えること、5.自分 じぶん の周 まわ りの世界 せかい を注目 ちゅうもく すること(マインドフルネス )、である[11] 。
ヴィクトール・フランクル (1905年 ねん ~1997年 ねん )は以下 いか のように述 の べた。
「人間 にんげん が人生 じんせい の意味 いみ は何 なに かと問 と う前 まえ に、人生 じんせい のほうが人間 にんげん に対 たい し問 と いを発 はっ してきている。だから人間 にんげん は、本当 ほんとう は、生 い きる意味 いみ を問 と い求 もと める必要 ひつよう などないのである。人間 にんげん は、人生 じんせい から問 と われている存在 そんざい である。人間 にんげん は、生 い きる意味 いみ を求 もと めて問 と いを発 はっ するのではなく、人生 じんせい からの問 と いに答 こた えなくてはならない。そしてその答 こた えは、それぞれの人生 じんせい からの具体 ぐたい 的 てき な問 と いかけに対 たい する具体 ぐたい 的 てき な答 こた えでなくてはならない」
— ヴィクトール・フランクル 『死 し と愛 あい 』 みすず書房 しょぼう 、1961年 ねん [要 よう ページ番号 ばんごう ] 。(原題 げんだい 『医師 いし による魂 たましい の癒 いや し』)
諸富 もろとみ いわく人生 じんせい の価値 かち をもってすれば、人 ひと は息 いき を引 ひ き取 と るその瞬間 しゅんかん まで、人生 じんせい から意味 いみ が無 な くなることは無 な く、「人生 じんせい の意味 いみ 」は絶 た えず送 おく り届 とど けられ、発見 はっけん され、実現 じつげん されるのを待 ま っている、ということになる[12] 。
神谷 かみや 美恵子 みえこ (1914年 ねん ~1979年 ねん )は、「生 い きがい感 かん 」を一番 いちばん 感 かん じている人種 じんしゅ というのは、使命 しめい 感 かん に生 い きている人 ひと (自己 じこ の生存 せいぞん 目標 もくひょう をはっきりと自覚 じかく し、自分 じぶん の生 い きている必要 ひつよう を確信 かくしん し、その目標 もくひょう にむかって全力 ぜんりょく で歩 ある いている人 ひと )ではないか、と述 の べる[13] 。「自己 じこ に対 たい するごまかし」こそが、生 い きがい感 かん を何 なに よりも損 そこな うものである、と指摘 してき する[14] 。使命 しめい にもとっていた人 ひと (使命 しめい に背 そむ いていた人 ひと )は、安 やす らかに死 し ぬことすらできない[14] 。
生存 せいぞん 目標 もくひょう の喪失 そうしつ と喪失 そうしつ した人 ひと の心 しん の世界 せかい
編集 へんしゅう
神谷 かみや は、難病 なんびょう にかかったり、恋人 こいびと を失 うしな ったり、子供 こども を失 うしな ったり、職 しょく を失 うしな うなどして生存 せいぞん 目標 もくひょう を失 うしな うと、人 ひと は「前途 ぜんと が真 ま っ暗 くら な世界 せかい に閉 と ざされた」「世 よ の中 なか が真 ま っ暗 くら になった」「深 ふか い谷 たに 底 そこ につき落 お とされた」などといった感覚 かんかく を味 あじ わうとしており[15] 、カール・ヤスパース やクーレンカンプ(Kulenkampff, C)が「足場 あしば 」とか「立場 たちば 」などと表現 ひょうげん しているのは、決 けっ して抽象 ちゅうしょう 概念 がいねん などではなく、人間 にんげん の根源 こんげん 的 てき な感覚 かんかく に根 ね ざした表現 ひょうげん である[16] [17] [18] 。
つまり価値 かち 観 かん が崩壊 ほうかい し、これは概念 がいねん レベルにとどまらず、もっと根本 こんぽん 的 てき な生 なま 体験 たいけん (感情 かんじょう や欲求 よっきゅう や知覚 ちかく )にも影響 えいきょう を及 およ ぼす[19] [20] 。
新 あたら しい生存 せいぞん 目標 もくひょう の発見 はっけん は、自分 じぶん 自身 じしん の本質 ほんしつ 的 てき なものの線 せん に沿 そ ったものではなくてはならない、と神谷 かみや は言 い う[21] 。自分 じぶん 自身 じしん の本質 ほんしつ に沿 そ ったもので、これ以外 いがい に自分 じぶん の生 い きる道 みち はないのだ、とわかったら思 おも い切 き ってそれを選 えら びとるほかはない、この決断 けつだん と選択 せんたく と賭 か けの前 まえ にしり込 ご みしたときには、いわゆる実存 じつぞん 的 てき 欲求 よっきゅう 不満 ふまん の種 たね をまくことになり、後日 ごじつ に神経症 しんけいしょう や「にせの生 い き方 かた 」や自殺 じさつ をひきおこす、と述 の べる[22] 。
新 あたら しい生存 せいぞん 目標 もくひょう の例 れい は神秘 しんぴ 家 か などに多 おお く、失恋 しつれん を契機 けいき として修道院 しゅうどういん での人生 じんせい を選 えら ぶ人 ひと などもこの例 れい にあたる[23] 。例 たと えばゴーギャン においては、株 かぶ の仲買人 なかがいにん で生 い きていたが、35歳 さい の時 とき その職 しょく を捨 す て、絵画 かいが に走 はし り、現世 げんせい 的 てき な幸福 こうふく はすべて捨 す てさってしまった、という[24] 。
結局 けっきょく 、自分 じぶん の内 うち にさまざまの可能 かのう 性 せい を持 も っている人 ひと は、ひとつの生 い きがいを失 うしな っても、ほかの生存 せいぞん 目標 もくひょう をみいだし、強 つよ く生 い きてゆけるのではないか、と言 い い、内在 ないざい 的 てき 傾向 けいこう の複雑 ふくざつ なひとほど生 い きがいの置 お き換 か え現象 げんしょう が起 お きやすいのだろう、とする[25] 。また、ある事例 じれい を挙 あ げて、全 すべ てのできごとを「天 てん の摂理 せつり 」として受 う け入 い れる素朴 そぼく な宗教 しゅうきょう 心 しん をもっている人 ひと だと、新 あたら しい境遇 きょうぐう に置 お かれればまたそこで新 あら たな生 い きがいを見出 みいだ すものだ、とも述 の べる[26] 。ホラー映画 えいが のテーマの1つのように、心臓 しんぞう 発作 ほっさ などを乗 の り越 こ えた人 ひと や、トラウマを経験 けいけん した人 ひと は、人生 じんせい の新 あたら しい目的 もくてき を見 み つけることがよくある[27] 。
“宗教 しゅうきょう というものは現世 げんせい において満 み たされない欲求 よっきゅう を埋 う め合 あ わすもので、代償 だいしょう と自己 じこ 防衛 ぼうえい の役割 やくわり を果 は たしているものに過 す ぎない”、などと考 かんが えてしまう人 ひと が多 おお くいるが、もし仮 かり にそのようなものだとしたら、現実 げんじつ の苦悩 くのう の原因 げんいん がとりのぞかれれば宗教 しゅうきょう は必要 ひつよう でなくなってしまうということになるが、実際 じっさい はそうではない、と神谷 かみや は言 い う[28] 。
宗教 しゅうきょう は、単 たん なる思想 しそう や理想 りそう の意味 いみ をこえて、人間 にんげん の心 しん の世界 せかい を内部 ないぶ から作 つく りかえ、価値 かち 基準 きじゅん を変革 へんかく し、もののみかたのみならず、見 み えかたまで変 か え、世界 せかい に対 たい する意味 いみ づけまで変 か える、とする[29] 。また、多 おお くの思想家 しそうか や心理 しんり 学者 がくしゃ の言 い うように、宗教 しゅうきょう の果 は たしうるもっとも本質 ほんしつ 的 てき な役割 やくわり は、人格 じんかく に新 あたら しい統合 とうごう を与 あた え、意味 いみ 感 かん 、すなわち生 い きがい感 かん を与 あた えることであろう、とも述 の べる[30] 。
心理 しんり 学 がく ・行動 こうどう 科学 かがく における諸 しょ 見解 けんかい
編集 へんしゅう
心理 しんり 学 がく 博士 はかせ [6] 兼 けん 行動 こうどう 科学 かがく 者 もの [7] ピアーズ・スティールは、「人生 じんせい の意味 いみ 」に関 かん するデータ を『ヒト はなぜ先 さき 延 の ばし をしてしまうのか』(2012年 ねん )で載 の せている。4000人 にん への質問 しつもん 調査 ちょうさ 結果 けっか によると、ヒトは精神 せいしん 生活 せいかつ (「信仰 しんこう 、哲学 てつがく 、人生 じんせい の意味 いみ の探究 たんきゅう 」)を強 つよ く優先 ゆうせん する反面 はんめん 、健康 けんこう やキャリア については先 さき 延 の ばしするという傾向 けいこう がある。スティールは
と述 の べている。
この調査 ちょうさ でスティールは、人生 じんせい の主要 しゅよう な領域 りょういき を12種類 しゅるい に分類 ぶんるい している。そしてスティールの設問 せつもん により被験者 ひけんしゃ らは、それぞれの人生 じんせい 領域 りょういき ごとの先 さき 延 の ばし頻度 ひんど を「1」から「5」までの中 なか で選択 せんたく した。
いつも先 さき 延 の ばししない
めったに先 さき 延 の ばししない
ときどき先 さき 延 の ばしする
頻繁 ひんぱん に先 さき 延 の ばしする
いつも先 さき 延 の ばしする
同時 どうじ に被験者 ひけんしゃ らは、自分 じぶん にとって「最 もっと も先 さき 延 の ばしが深刻 しんこく な三 みっ つの領域 りょういき 」を選 えら んだ。この調査 ちょうさ により、次 つぎ のことが判明 はんめい した。
ヒトが人生 じんせい の中 なか で最 もっと も頻繁 ひんぱん に先 さき 延 の ばししている領域 りょういき は「健康 けんこう 」であり、その先 さき 延 の ばし頻度 ひんど 平均 へいきん 値 ち は3.4で、ヒトのうち42.2%が「健康 けんこう 」において深刻 しんこく な先 さき 延 の ばしをしている。
ヒトが最 もっと も優先 ゆうせん しやすい人生 じんせい 領域 りょういき は、「子育 こそだ て 」を除 のぞ けば「精神 せいしん 生活 せいかつ 」(「信仰 しんこう 、哲学 てつがく 、人生 じんせい の意味 いみ の探究 たんきゅう 」)であり、その値 ね は2.5で、ヒトのうち8.5%が「精神 せいしん 生活 せいかつ 」において深刻 しんこく な先 さき 延 の ばしをしている。
優先 ゆうせん されにくい人生 じんせい 領域 りょういき (健康 けんこう やキャリアなど)では、自分 じぶん の状態 じょうたい を悪化 あっか させている人々 ひとびと も多 おお いとスティールは言 い う。表 ひょう にあるように先 さき 延 の ばしにおける頻度 ひんど は、先 さき 延 の ばしにおける「深刻 しんこく さ」とおおよそ連動 れんどう している。
スティールはこうも述 の べている。
スティールは、行動 こうどう 主義 しゅぎ 心理 しんり 学 がく と行動 こうどう 経済 けいざい 学 がく が研究 けんきゅう してきた動機 どうき づけ (モチベーション)のモデル を踏 ふ まえ、「先 さき 延 の ばし方程式 ほうていしき 」として
という分数 ぶんすう を挙 あ げている[注 ちゅう 3] 。この方程式 ほうていしき は、「先 さき 延 の ばしを生 う み出 だ す神経 しんけい 生物 せいぶつ 学 がく 的 てき なメカニズム を経済 けいざい 学 がく 的 てき な視点 してん で説明 せつめい するための道具 どうぐ 」であり、「簡潔 かんけつ に説明 せつめい するためのスナップ写真 しゃしん のようなもの」だとスティールは言 い う。
たとえば、課題 かだい の「遅 おく れ」──課題 かだい 達成 たっせい という価値 かち を入手 にゅうしゅ できるまでの残 のこ り時間 じかん ──が長大 ちょうだい 化 か するほど、期待 きたい 効用 こうよう (=期待 きたい ×価値 かち )が小 ちい さくなり、結果 けっか としてヒトの動機 どうき づけは下 さ がる。また、「衝動 しょうどう 性 せい 」が強 つよ いほどヒトは「遅 おく れ」をより増強 ぞうきょう させる──い換 いか えると、「遅 おく れ」をより強 つよ く感 かん じて今 いま すぐ入手 にゅうしゅ できる価値 かち を欲 ほ しがる──ため、これも動機 どうき づけを下 さ げる。
一方 いっぽう 、2020年 ねん のハーバード大学 だいがく 保険 ほけん 出版 しゅっぱん 局 きょく は「生 い きることに意味 いみ を見出 みいだ すと健康 けんこう 増進 ぞうしん になるかもしれない」("Finding meaning in life could improve your health")という記事 きじ を発表 はっぴょう している[44] 。とある質問 しつもん 調査 ちょうさ への参加 さんか 者 しゃ たちの内 うち 、生 い きることに意味 いみ があると信 しん じていた者 もの は、そうでなかった者 もの に比 くら べて心身 しんしん の健康 けんこう 状態 じょうたい や認知 にんち 機能 きのう が良好 りょうこう だった[44] 。「もし今 いま とある人間 にんげん が生 い きる目的 もくてき を感 かん じていないとしても、生 い きる目的 もくてき を見出 みいだ せば健康 けんこう になっていくか否 ひ かを確定 かくてい するには、追加 ついか 調査 ちょうさ が必要 ひつよう である」[注 ちゅう 4] と記事 きじ は締 し めくくっている[44] 。
近代 きんだい ・現代 げんだい の生物 せいぶつ 学 がく と外科 げか 学 がく では、生物 せいぶつ (人間 にんげん )は「自然 しぜん の手先 てさき 」であり倫理 りんり 的 てき 価値 かち は全 まった く無 な く、自然 しぜん も生物 せいぶつ も、ただ科学 かがく 的 てき に「あるがゆえにある」だけだという考 かんが えがある。このような考 かんが えはフリードリヒ・ニーチェ のような哲学 てつがく 者 しゃ たちも述 の べており、ニーチェによると生 い きる上 うえ で重要 じゅうよう なのは、「神 かみ 」や彼岸 ひがん ではなく健康 けんこう や栄養 えいよう である[注 ちゅう 5] 。一方 いっぽう 、1990年 ねん ~2004年 ねん のポジティブ心理 しんり 学 がく の研究 けんきゅう 者 しゃ 達 たち は、人生 じんせい の満足 まんぞく [47] 、活動 かつどう への全面 ぜんめん 的 てき 関与 かんよ [48] 、自分 じぶん の個人 こじん 的 てき な強 つよ みを用 もち いて十分 じゅうぶん に貢献 こうけん すること[49] 、自分 じぶん より大 おお きいものに関 かか わる意味 いみ 、などをもたらす実証 じっしょう 可能 かのう な要因 よういん について研究 けんきゅう している[50] 。
ある作業 さぎょう に熱中 ねっちゅう することはフローの一 いち 面 めん である
1990年 ねん のフロー の経験 けいけん についてのデータを用 もち いた研究 けんきゅう が示 しめ していることによれば、人間 にんげん の経験 けいけん の意味 いみ ややりがいは、困難 こんなん な課題 かだい を達成 たっせい したときに感 かん じられるものであり、課題 かだい の単 たん なる選択 せんたく よりも、その課題 かだい への取 と り組 く み方 かた や遂行 すいこう の仕方 しかた に由来 ゆらい する経験 けいけん が大 おお きく影響 えいきょう する。例 たと えば、フローの経験 けいけん は、強制 きょうせい 収容 しゅうよう 所 しょ で自由 じゆう がほとんど無 な い囚人 しゅうじん にも、得 え られることがある。それは億 おく 万 まん 長者 ちょうじゃ が得 え るよりも、わずかだが頻度 ひんど が高 たか い。古典 こてん 的 てき な例 れい としては、[48] 工場 こうじょう のラインでうんざりする仕事 しごと をする2人 ふたり の労働 ろうどう 者 しゃ を挙 あ げることができる。1人 ひとり は退屈 たいくつ で嫌 いや な仕事 しごと と考 かんが え、他 た の1人 ひとり は仕事 しごと をどのくらい速 はや くできるかというゲームと捉 とら えてフローの経験 けいけん を得 え た。
2009年 ねん ~2013年 ねん の研究 けんきゅう によれば、人生 じんせい の意味 いみ の有無 うむ は、身体 しんたい 的 てき 健康 けんこう の予 よ 後 ご をよく予見 よけん するとのことである。つまり、人生 じんせい に大 おお きな意味 いみ を見出 みいだ している人 ひと ほど、アルツハイマー病 びょう になるリスクが低下 ていか し、[51] 冠動脈 かんどうみゃく 疾患 しっかん を持 も つ人 ひと に起 お きる心臓 しんぞう 発作 ほっさ のリスクが低下 ていか し、[52] 脳卒中 のうそっちゅう のリスクが低下 ていか し、[53] アメリカと日本 にっぽん の調査 ちょうさ において長寿 ちょうじゅ の人 ひと が増 ふ えたのである[54] 。
政治 せいじ 学 がく ・経済 けいざい 学 がく における諸 しょ 見解 けんかい
編集 へんしゅう
チャールズ・ダーウィン たちによれば、自然 しぜん および「自然 しぜん の手先 てさき 」である生物 せいぶつ (人間 にんげん )に、「善 ぜん 」や「悪 あく 」のような倫理 りんり 的 てき 価値 かち は全 まった く無 な い。自然 しぜん も生物 せいぶつ も、ただ科学 かがく 的 てき に「あるがゆえにある」だけであり、この認識 にんしき はフリードリヒ・ニーチェ たちが広 ひろ めた思想 しそう にも共通 きょうつう している。外科医 げかい ・科学 かがく 者 しゃ のロバート・ウィンストン (1940年 ねん ~)によれば
人間 にんげん は機械 きかい 的 てき な自然 しぜん 淘汰 とうた の産物 さんぶつ であり、そのためニーチェ流 りゅう の思想 しそう は人間 にんげん を「自然 しぜん の手先 てさき 」と呼 よ んだ。これは、進化 しんか 生物 せいぶつ 学 がく 者 もの リチャード・ドーキンス が、人間 にんげん を含 ふく め生物 せいぶつ を「遺伝子 いでんし の乗 の り物 もの 」と解説 かいせつ したことに類似 るいじ している。
哲学 てつがく 者 しゃ の仲島 なかじま 陽一 よういち が言 い うには、ニーチェは医療 いりょう 科学 かがく や自然 しぜん 科学 かがく を引 ひ き合 あ いに出 だ すことで自 みずか らの主張 しゅちょう に「根拠 こんきょ 付 づ け」しようとしており、例 たと えばニーチェは次 つぎ のようにも記 しる している。
医師 いし であること、情 なさ け容赦 ようしゃ なくやること、メス を振 ふ るうこと、 ―― これぞ私 わたし 達 たち のなすべきことである。
ニーチェによると、生 せい の本質 ほんしつ とは「力 ちから への意志 いし 」である。ニーチェが言 い うには、人生 じんせい にとって重要 じゅうよう なのは、「神 かみ 」や「彼岸 ひがん 」や「真 しん の世界 せかい 」ではなく、「健康 けんこう 」や「栄養 えいよう 、住居 じゅうきょ 、精神 せいしん の食餌 しょくじ 、病気 びょうき の治療 ちりょう 、清潔 せいけつ 、天気 てんき の問題 もんだい 」である。
あなたがね、大 おお きな使命 しめい を果 は たすよう定 さだ められているのなら、なおさらあなた自身 じしん 、傷 きず つくでしょう。
答 こた えはこうだ。こういう小 ちい さなこと――つまり栄養 えいよう のことや、土地 とち のことや、気候 きこう のことや、保養 ほよう のことや、それから自分 じぶん 欲 よく のアラを探 さが すことですが――こういうことこそ、これまで重要 じゅうよう だと思 おも われてきたどんなことよりも、はるかに重要 じゅうよう なんですよ。まさにこの点 てん において、<<学習 がくしゅう の転換 てんかん >>をはじめる必要 ひつよう があるんです。
これまで人類 じんるい が真剣 しんけん に検討 けんとう してきたことは、現実 げんじつ ですらないんですよ。たんなる想像 そうぞう にすぎない。もっと厳密 げんみつ に言 い うとですね、病気 びょうき の人間 にんげん たちの、もっとも深 ふか い意味 いみ で有害 ゆうがい な人間 にんげん たちの、劣悪 れつあく な本能 ほんのう から生 う まれた<<嘘 うそ >>なんですよ。――「神 かみ 」、「魂 たましい 」、「徳 とく 」、「罪 つみ 」、「彼岸 ひがん 」、「真理 しんり 」、「永遠 えいえん の命 いのち 」などの概念 がいねん は、みんな嘘 うそ なんです。
教育 きょういく 学 がく 者 もの ・教育 きょういく 哲学 てつがく 者 もの の菱刈 ひしかり 晃夫 てるお によると、ニーチェ、マルキ・ド・サド 、ショーペンハウアー 等 ひとし やその流 なが れを継 つ ぐ思想家 しそうか たちの共通 きょうつう 点 てん は、自然 しぜん 法則 ほうそく や自然 しぜん 科学 かがく を重視 じゅうし して、信仰 しんこう や伝統 でんとう を批判 ひはん する点 てん である。
ニヒリズム は、人生 じんせい には意味 いみ はない、と示唆 しさ ・主張 しゅちょう する。簡潔 かんけつ に言 い うと、ニヒリズムというのは「最 もっと も高 たか い価値 かち があるものを無 む 価値 かち にしてしまう」過程 かてい と言 い える[60] 。マルティン・ハイデッガー は、ニヒリズムというのは、「存在 そんざい 」が忘 わす れ去 さ られてしまい、存在 そんざい を価値 かち へと変容 へんよう させてしまう動 うご きであり、価値 かち へと交換 こうかん するために存在 そんざい を減 へ らしてしまうことである、とした[61] 。
功利 こうり 主義 しゅぎ の起源 きげん はエピクロス まで遡 さかのぼ れるものの、学派 がくは としてのこの思想 しそう の創始 そうし 者 しゃ はジェレミー・ベンサム であるとされている[62] 。
セーレン・キルケゴール はは、たとえ他 た の人々 ひとびと と関 かか わることは自分 じぶん が傷 きず ついてしまう結果 けっか をうみがちだとしても、それでも他 た の人々 ひとびと と関 かか わり合 あ うことで、そうすることによってこそ、意味 いみ のある人生 じんせい が送 おく れる、とした[63] 。
アルトゥール・ショーペンハウアー によれば、美的 びてき な瞑想 めいそう 、他者 たしゃ からの共感 きょうかん を求 もと めること、そして禁欲 きんよく 主義 しゅぎ というのは、救 すく い・救済 きゅうさい ・痛 いた み からの逃避 とうひ である[64] [65] 。
ニーチェに言 い わせると結局 けっきょく 、人生 じんせい をどう評価 ひょうか するか、ということは解釈 かいしゃく の問題 もんだい なのであって、世界 せかい 自体 じたい が(客観 きゃっかん 的 てき に)どうあるか、という問題 もんだい ではないのである。そして人 ひと が想 おも うことは、その人 ひと の特定 とくてい の立場 たちば から来 き ているのだ、とした[66] 。
論理 ろんり 実証 じっしょう 主義 しゅぎ 者 もの は「人生 じんせい の意味 いみ とは何 なに か?」そして「問 と うことに意味 いみ はあるのか?」と問 と いかけたことがある[67] [68] 。 もし客観 きゃっかん 的 てき な価値 かち が存在 そんざい しないとすれば、人生 じんせい は無意味 むいみ なのだろうか?[69]
プラグマティズム の哲学 てつがく 者 しゃ ウィリアム・ジェイムズ によると、人 ひと は人生 じんせい が順調 じゅんちょう に進 すす んでいるときは「生 い きる意味 いみ があるのか?」などとは考 かんが えないのであって[70] 、人 ひと は自分 じぶん の人生 じんせい で何 なに か壁 かべ にぶつかった時 とき に「何 なに のために生 い きている?」などと疑問 ぎもん に思 おも うという[70] 。ジェイムズに言 い わせると、「人生 じんせい は生 い きるに値 あたい するか?」などという問 とい の真 しん の意味 いみ は「最近 さいきん 私 わたし の人生 じんせい はつらいことが多 おお くてやってられない!」ということであって、要 よう は愚痴 ぐち なのだ、という[70] 。ジェイムズに言 い わせれば、「人生 じんせい は生 い きるに値 あたい するか?」の答 こた えは、「人生 じんせい は生 い きるに値 あたい するから値 あたい する」であって、「人生 じんせい の意味 いみ とは何 なに か?」などという本質 ほんしつ を求 もと める問 と いは止 と めて、人生 じんせい の実際 じっさい 的 てき な効能 こうのう に着目 ちゃくもく したほうがいいという[70] 。人 ひと がどのように思 おも うかということは、その人 ひと の人生 じんせい で起 お きることに影響 えいきょう しており、ポジティブに考 かんが えて行動 こうどう するからポジティブな結果 けっか が生 う まれる。人生 じんせい は生 い きるに値 あたい すると思 おも って行動 こうどう していれば、実際 じっさい に生 い きるに値 あたい する人生 じんせい になる、とする[70] 。
思想 しそう 史学 しがく ・宗教 しゅうきょう 学 がく における諸 しょ 見解 けんかい
編集 へんしゅう
反 はん 西洋 せいよう ・反 はん 近代 きんだい ・反 はん 合理 ごうり 化 か
編集 へんしゅう
バード大学 だいがく 教授 きょうじゅ イアン・ブルマ およびヘブライ大学 だいがく 名誉 めいよ 教授 きょうじゅ アヴィシャイ・マルガリートによれば、
暖 あたた かい
人間 にんげん の
絆 きずな が
蘇 よみがえ り、
人生 じんせい はもう
一度 いちど 深 ふか い意味 いみ を
持 も ち、
人々 ひとびと は
信頼 しんらい を
思 おも い
出 だ す
という類 るい の主張 しゅちょう をした事例 じれい として、都市 とし (バビロン )を戒 いまし めた一神教 いっしんきょう (ユダヤ教 きょう ・キリスト教 きりすときょう ・イスラム )がまず挙 あ げられる。このような主張 しゅちょう は、ジハード 戦士 せんし をはじめとするイスラム過激 かげき 派 は や、毛沢東 もうたくとう 主義 しゅぎ 政権 せいけん 等 とう の全体 ぜんたい 主義 しゅぎ 者 もの も共通 きょうつう して行 い っている。近代 きんだい の資本 しほん 主義 しゅぎ 社会 しゃかい (市民 しみん 社会 しゃかい )は、西欧 せいおう とアメリカ を中心 ちゅうしん に建設 けんせつ され広 ひろ まったが、そうした民営 みんえい 的 てき ・民主 みんしゅ 的 てき な近代 きんだい 社会 しゃかい に対抗 たいこう した人々 ひとびと は「田舎 いなか に対 たい する都市 とし の勝利 しょうり 」を、概念 がいねん 上 じょう で「都市 とし に対 たい する田舎 いなか の勝利 しょうり 」へと反転 はんてん させ、
等 ひとし からの脱出 だっしゅつ を約束 やくそく した。ただし、近代 きんだい 西洋 せいよう から広 ひろ まった合理 ごうり 的 てき 産業 さんぎょう 都市 とし に敵対 てきたい したり嫉妬 しっと ・憎悪 ぞうお を感 かん じたりする人々 ひとびと というのは、都市 とし の生活 せいかつ がどんなものかを想像 そうぞう することさえ難 むずか しい田舎 いなか の住民 じゅうみん ・第 だい 一 いち 次 じ 産業 さんぎょう 従事 じゅうじ 者 しゃ などではない。むしろ、都市 とし 生活 せいかつ からもたらされるイメージや商品 しょうひん を身近 みぢか に感 かん じたり消費 しょうひ したりしている都会人 とかいじん ・知識 ちしき 人 じん ・学者 がくしゃ などだった。20世紀 せいき のイスラム思想 しそう 家 いえ ・哲学 てつがく 者 しゃ で最 もっと も影響 えいきょう 力 りょく があった一人 ひとり のサイイド・クトゥブ によると、近代 きんだい における人生 じんせい や社会 しゃかい は「分割 ぶんかつ 」されてしまっており、その原因 げんいん は「経済 けいざい 競争 きょうそう (利己 りこ 的 てき な野心 やしん )」である。
解決 かいけつ 策 さく としてクトゥブは
イスラム教 いすらむきょう の生 い き方 かた でのみ
人間 にんげん は
他 た の
人間 にんげん への
隷属 れいぞく から
解放 かいほう される。そして
神 かみ の
崇拝 すうはい だけに
専心 せんしん し、
神 かみ からのみ
指導 しどう を
受 う け、
神 かみ の
御前 ごぜん にだけひれ
伏 ふ すようになる。
と述 の べた。広範 こうはん な政治 せいじ 活動 かつどう を巻 ま き起 お こしたイスラム哲学 てつがく 者 しゃ ・神学 しんがく 者 しゃ としてクトゥヴ、サイード・ムハマド・タレカニ 、アブララ・マウドゥディ などが居 お り、彼 かれ らは出身 しゅっしん 国 こく や宗派 しゅうは が異 こと なっていても、同 おな じような世界 せかい 観 かん を共有 きょうゆう していた。イスラム、特 とく にイスラム過激 かげき 主義 しゅぎ では、唯一 ゆいいつ 神 かみ (アッラーフ )の性質 せいしつ である「神 かみ の単一 たんいつ 性 せい 」(タウヒード)が、「イスラム信仰 しんこう 者 しゃ の共同 きょうどう 体 たい (ウンマ)の単一 たんいつ 性 せい 」として解釈 かいしゃく されている。前提 ぜんてい として、どんな人間 にんげん でも「神 かみ の単一 たんいつ 性 せい 」の共同 きょうどう 体 たい に加 くわ わろうとすることは可能 かのう だが、こうした考 かんが えや信仰 しんこう からすると、共同 きょうどう 体 たい の外側 そとがわ は全 すべ て「敵 てき 」ということになる。クトゥブは
と述 の べている。
反 はん 分業 ぶんぎょう 化 か ・反 はん 個人 こじん 化 か ・統一 とういつ 的 てき 人生 じんせい 観 かん
編集 へんしゅう
宗教 しゅうきょう と全体 ぜんたい 主義 しゅぎ は、「一体化 いったいか 」という点 てん で共通 きょうつう していると言 い われる。例 たと えば近代 きんだい 社会 しゃかい の「政教 せいきょう 分離 ぶんり 」原則 げんそく に反 はん して、敬虔 けいけん なムスリムにとっては政治 せいじ ・経済 けいざい ・科学 かがく ・宗教 しゅうきょう は別 べつ のカテゴリに分離 ぶんり できない。大日本帝国 だいにっぽんていこく で「近代 きんだい の超克 ちょうこく 」に参加 さんか した哲学 てつがく 者 しゃ 西谷 にしたに 啓 あきら 治 ち はムスリムではないが、彼 かれ の理想 りそう も、政治 せいじ と宗教 しゅうきょう が継 つ ぎ目 め 無 な く一 ひと つの「全体 ぜんたい 」を形成 けいせい すること、言 い わば教会 きょうかい と国家 こっか が合体 がったい することだった。(彼 かれ の批判 ひはん によれば、ヨーロッパ精神 せいしん 文化 ぶんか が崩壊 ほうかい した原因 げんいん は自然 しぜん 科学 かがく や分業 ぶんぎょう 化 か だった。)こうした統一 とういつ 的 てき な国家 こっか 宗教 しゅうきょう または精神 せいしん 的 てき 政治 せいじ は、1930年代 ねんだい 日本 にっぽん の京都 きょうと から1970年代 ねんだい イラン のテヘラン にいたるまで、広 ひろ く全体 ぜんたい 主義 しゅぎ や反 はん 西洋 せいよう 思想 しそう (オクシデンタリズム)に見 み られる。毛沢東 もうたくとう の中国 ちゅうごく 、ヒトラー の第 だい 三 さん 帝国 ていこく ナチスドイツ 、スターリン体制 たいせい 下 した のソビエト連邦 れんぽう でも、宗教 しゅうきょう 施設 しせつ から大学 だいがく の自然 しぜん 科学 かがく 系 けい 学部 がくぶ まで、あらゆる機関 きかん が全体 ぜんたい 主義 しゅぎ 思想 しそう に従 したが うよう強制 きょうせい 的 てき に再 さい 構築 こうちく された。
歴史 れきし 学 がく や社会 しゃかい 科学 かがく と異 こと なり、 宗教 しゅうきょう 的 てき ・ロマンチックな世界 せかい 観 かん ではこの種 たね の「一体 いったい 性 せい 」は「純真 じゅんしん 」に等 ひと しく、そして「純真 じゅんしん 」の時代 じだい が「堕落 だらく 」の前 まえ に存在 そんざい する。「純真 じゅんしん 」・「堕落 だらく 」・「救済 きゅうさい 」といった宗教 しゅうきょう 的 てき ・全体 ぜんたい 的 てき 概念 がいねん は古 ふる くからあるが、これらは宗教 しゅうきょう 家 か だけでなくロマンチスト (ロマン主義 しゅぎ 者 しゃ )も多用 たよう してきた。
近代 きんだい の産業 さんぎょう 社会 しゃかい を主導 しゅどう する啓蒙 けいもう 主義 しゅぎ 者 もの や合理 ごうり 主義 しゅぎ 者 もの たちの見解 けんかい は楽観 らっかん 的 てき で、人間 にんげん の歴史 れきし を「より幸福 こうふく でより合理 ごうり 的 てき な世界 せかい へと直線 ちょくせん 的 てき に進行 しんこう するもの」と見 み なしている。(「技術 ぎじゅつ 史観 しかん 」では、「人間 にんげん 社会 しゃかい の歴史 れきし 的 てき 発展 はってん を究極 きゅうきょく 的 てき に決定 けってい している要因 よういん は技術 ぎじゅつ の進歩 しんぽ である」と考 かんが えられており、技術 ぎじゅつ という普遍 ふへん 的 てき 発展 はってん に比 くら べて文化 ぶんか ・思想 しそう ・社会 しゃかい 等 とう は常 つね に技術 ぎじゅつ より遅 おく れている、とされている。) 一方 いっぽう で、宗教 しゅうきょう 的 てき またはロマンチック(ロマン的 てき )な人々 ひとびと は、悲劇 ひげき 的 てき な感覚 かんかく に基 もと づいて自 みずか らの人生 じんせい を「奈落 ならく の底 そこ 」に位置 いち づけ、自分 じぶん たちは救済 きゅうさい を希望 きぼう しながら天 てん を見上 みあ げている、と考 かんが える傾向 けいこう がある。奈落 ならく や堕落 だらく とは、すなわち「断片 だんぺん 化 か 」 ―― 例 たと えば「真実 しんじつ の自己 じこ 」から離 はな れること、社会 しゃかい からの疎外 そがい 、「自然 しぜん 」または「神 かみ 」からの疎遠 そえん ―― とされる。
このような思想 しそう から見 み れば、労働 ろうどう と市場 いちば の関係 かんけい もブルジョア 的 てき (市民 しみん 的 てき ・資本 しほん 家 か 的 てき )に分業 ぶんぎょう されてしまっている。よって非 ひ ブルジョア的 てき な宗教 しゅうきょう 家 か やロマンチストにとっては、「救済 きゅうさい 」は統一 とういつ や調和 ちょうわ への憧 あこが れを満 み たすものである。彼 かれ らは非 ひ 楽観 らっかん 的 てき であるため、結果 けっか (目標 もくひょう 達成 たっせい )よりも過程 かてい (探求 たんきゅう )を重視 じゅうし しており、よって「失 うしな われた一体 いったい 性 せい 」を常 つね に切望 せつぼう し続 つづ けている。
宗教 しゅうきょう 的 てき ・ロマンチックな政治 せいじ や価値 かち 観 かん では、「失 うしな われた過去 かこ の調和 ちょうわ 」への郷愁 きょうしゅう が根強 ねづよ い。表面 ひょうめん 的 てき 種類 しゅるい としては中世 ちゅうせい ヨーロッパ 、初期 しょき キリスト教 きりすときょう 、ロシア正教会 せいきょうかい 全盛期 ぜんせいき 、古代 こだい 日本 にっぽん といった様々 さまざま な「過去 かこ 」が引 ひ き合 あ いに出 だ されるが、いずれにも「失 うしな われた一体 いったい 性 せい 」という内容 ないよう が共通 きょうつう している。そのような「過去 かこ 」は、「一体 いったい 性 せい 」を回復 かいふく する「偉業 いぎょう 」の原点 げんてん としても持 も ち出 だ されている。
比較 ひかく 宗教 しゅうきょう 学 がく 者 もの の大田 おおた 俊寛 としひろ によると、マックス・ウェーバーが述 の べたように近 きん 現代 げんだい 社会 しゃかい の人間 にんげん は、無限 むげん に続 つづ く物質 ぶっしつ 的 てき 発展 はってん や進化 しんか の中 なか で生 い きている。そのため近 きん 現代 げんだい 人 じん は「自己 じこ の生 せい 」の、あるいは「魂 たましい 」や霊的 れいてき 概念 がいねん のよりどころを見失 みうしな っている。
しかし、近代 きんだい に復活 ふっかつ した様々 さまざま な宗教 しゅうきょう 的 てき ・神話 しんわ 的 てき ・伝統 でんとう 的 てき 思想 しそう は、肉体 にくたい や物質 ぶっしつ を超越 ちょうえつ した「魂 たましい 」や「精神 せいしん 」を再度 さいど 持 も ち出 だ し、それらを統一 とういつ させる方向 ほうこう へ向 む かった。この種 たね の思想 しそう 、「霊 れい 性 せい 進化 しんか 論 ろん 」は、近代 きんだい 側 がわ (科学 かがく や進化 しんか 論 ろん )と伝統 でんとう 側 がわ (宗教 しゅうきょう や霊 れい 性 せい 論 ろん )との間 あいだ における断絶 だんぜつ を、精神 せいしん 的 てき 「発展 はってん 」または霊 れい 的 てき 「進化 しんか 」によって解決 かいけつ しようとしている[注 ちゅう 6] 。
これら近代 きんだい 以降 いこう の諸 しょ 宗教 しゅうきょう は、一見 いっけん すると「正 ただし 」の立場 たちば に位置 いち しているようである ―― すなわち霊 れい 性 せい 進化 しんか 論 ろん の目的 もくてき は、「対立 たいりつ 」(特 とく に科学 かがく と宗教 しゅうきょう との対立 たいりつ )を克服 こくふく したり、今 いま までの様々 さまざま な諸 しょ 宗教 しゅうきょう の共通 きょうつう 価値 かち や普遍 ふへん 的 てき 英知 えいち を再 さい 発見 はっけん したり、「神 かみ 」的 てき なユートピア を探求 たんきゅう したり、精神 せいしん 的 てき ・魂 たましい 的 てき な反省 はんせい と研鑽 けんさん を重 かさ ねたりすることである。しかしそれは、強烈 きょうれつ な「負 まけ 」の側面 そくめん と表裏一体 ひょうりいったい であり、結果 けっか として「純然 じゅんぜん たる誇大妄想 こだいもうそう の体系 たいけい 」に行 い き着 つ いてしまうと大田 おおた は述 の べている。その特徴 とくちょう として、
「霊的 れいてき エリート 主義 しゅぎ の形成 けいせい 」[注 ちゅう 7]
「被害 ひがい 妄想 もうそう の昂進 こうしん 」[注 ちゅう 8]
「偽 にせ 史 し の膨張 ぼうちょう 」[注 ちゅう 9]
という三 さん 点 てん が挙 あ げられる。
大田 おおた が言 い うには、そもそも近代 きんだい 化 か ・産業 さんぎょう 化 か ・科学 かがく 化 か が、宗教 しゅうきょう 的 てき ・伝統 でんとう 的 てき 社会 しゃかい へ多大 ただい な破壊 はかい 的 てき 影響 えいきょう を与 あた えた。まず地動説 ちどうせつ によって地球 ちきゅう は、「宇宙 うちゅう の中心 ちゅうしん 」としての地位 ちい を追 お われた。さらにダーウィン の進化 しんか 論 ろん によって人間 にんげん は、神 かみ 的 てき 存在 そんざい の創造 そうぞう した「特別 とくべつ な存在 そんざい 」という地位 ちい を失 うしな った。つまり人間 にんげん を含 ふく め生物 せいぶつ は、神聖 しんせい な存在 そんざい によって創造 そうぞう されたわけではなく、突然変異 とつぜんへんい と自然 しぜん 淘汰 とうた の「メカニズム 」によって出現 しゅつげん したということが、合理 ごうり 的 てき 方法 ほうほう で証明 しょうめい されたのである。
近代 きんだい 社会 しゃかい の諸 しょ 科学 かがく や諸 しょ 学問 がくもん から見 み れば、宗教 しゅうきょう 的 てき ・伝統 でんとう 的 てき な学 がく 知 ち は、前 ぜん 近代 きんだい 的 てき な「迷信 めいしん 」の寄 よ せ集 あつ めでしかなくなった。
確 たし かに、近代 きんだい 以降 いこう にも「人間 にんげん の生 せい 」、社会 しゃかい の持続 じぞく 的 てき 運営 うんえい 、精神 せいしん といった事柄 ことがら に問題 もんだい はつきまとってきた。宗教 しゅうきょう は近代 きんだい 社会 しゃかい の中 なか で再 さい 解釈 かいしゃく ・再編 さいへん され、そして宗教 しゅうきょう は、「人間 にんげん の生 せい 」の問題 もんだい や、進化 しんか 論 ろん との対立 たいりつ をはじめとするもろもろの問題 もんだい を解決 かいけつ しようとした。しかし比較 ひかく 宗教 しゅうきょう 学 がく から見 み れば、そのような宗教 しゅうきょう 活動 かつどう は「霊 れい 性 せい 進化 しんか 論 ろん 」であり、「妄想 もうそう の体系 たいけい 以外 いがい のものを生 う みだしえない」と結論 けつろん できる。
ゲーテ の『ファウスト 』においては金 かね が欲 ほ しい、地位 ちい や名誉 めいよ が欲 ほ しい、異性 いせい が欲 ほ しいなどの欲望 よくぼう は、欲望 よくぼう を満 み たしたとたんに次 つぎ の新 あら たな欲望 よくぼう が生 しょう じ、どこまでいっても満 み たされない、という「永遠 えいえん の欲求 よっきゅう 不満 ふまん 」の状態 じょうたい に置 お かれてしまう[98] 。
『ファウスト』における「人生 じんせい の意味 いみ 」「本当 ほんとう の幸福 こうふく とは何 なに か」「本物 ほんもの の満足 まんぞく とはどのようなことか」というテーマの答 こた えは、自分 じぶん の欲望 よくぼう の満足 まんぞく へのこだわりは突 つ き抜 ぬ けて、それを手放 てばな し、自己 じこ (小我 しょうが )を超越 ちょうえつ し、利他 りた の状態 じょうたい に至 いた ったときにはじめて手 て に入 はい るものだ、ということである[98] 。
なお、ファウストの心 しん の旅 たび があらゆる学問 がくもん への絶望 ぜつぼう から始 はじ まるように、人生 じんせい の意味 いみ や真 しん の幸福 こうふく というのは、学問 がくもん や思索 しさく によって得 え られるものではないのであり、「人生 じんせい の意味 いみ は○○である」とか「真 しん の幸福 こうふく とは○○」であるということを書物 しょもつ や文章 ぶんしょう を読 よ んで学 まな んだところで、それで人生 じんせい の意味 いみ や幸福 こうふく が得 え られるわけではなく、実際 じっさい に「自分 じぶん の命 いのち を懸命 けんめい に燃 も やす」ことによってのみ人生 じんせい の意味 いみ や真 しん の幸福 こうふく はつかむことができる、と表現 ひょうげん されているのである[98] 。
この
節 ふし には
複数 ふくすう の問題 もんだい があります。
改善 かいぜん や
ノートページ での
議論 ぎろん にご
協力 きょうりょく ください。
原始 げんし 仏教 ぶっきょう では四諦 したい を示 しめ し、人生 じんせい に存在 そんざい する喜 よろこ びと悲 かな しみ(苦 く ,ドゥッカ )を、渇愛 の終止 しゅうし によって消滅 しょうめつ させることを練習 れんしゅう する(滅 めつ 諦 たい )[99] 。人生 じんせい の中 なか で、喜 よろこ びと悲 かな しみの原因 げんいん を見出 みいだ すことを実践 じっせん するのである。たとえば苦 く の原因 げんいん の1つは、触 さわ (phassa)からもたらされる色 いろ への執着 しゅうちゃく である[100] 。それらはすべてサンカーラ (永続 えいぞく 的 てき でないもの)だからである[101] 。
Attadatthaṃ paratthena bahunā'pi na hāpaye
Attadattham bhiññāya sadatthapasuto siyā.
たとえ他人 たにん にとって、いかに大事 だいじ であろうと、
他人 たにん の目的 もくてき のために、自分 じぶん の務 つと めを捨 す て去 さ ってはならない。
自分 じぶん のなすべきことを熟知 じゅくち して、自分 じぶん の務 つと めに専念 せんねん せよ。
— パーリ仏典 ぶってん , ダンマパダ 12.Attavaggo 10, Sri Lanka Tripitaka Project
奔流 ほんりゅう する渇愛の流 なが れを、完全 かんぜん に枯渇 こかつ させ、断 た ちきった修行 しゅぎょう 僧 そう は、
「今 こん 世 よ 」も「来世 らいせ 」もともに捨 す て去 さ る。──蛇 へび が古 ふる い皮 かわ を脱 ぬ ぎ捨 す てるように。
— スッタニパータ 1.3
デーヴァナーガリー によるオーム
ヒンドゥー教 きょう において人生 じんせい の目的 もくてき は、ダルマ (道徳 どうとく 、倫理 りんり )、アルタ (英語 えいご 版 ばん ) (富 とみ 、財産 ざいさん 、生計 せいけい )、カーマ (欲望 よくぼう 、性欲 せいよく 、情熱 じょうねつ )、モークシャ (解脱 げだつ ,輪廻 りんね からの解放 かいほう )である[102] [103] 。これら4つの目標 もくひょう はプルシャールタ(Puruṣārtha)と呼 よ ばれている[104] 。
イエス・キリスト は、唯一 ゆいいつ の神 かみ を知 し り愛 あい することこそ人間 にんげん の最 もっと も大 おお きな生 い きる目的 もくてき だと教 おし えた。そして他 た の人 ひと を愛 あい することが次 つぎ に大切 たいせつ なことであると教 おし えた。これらの愛 あい は無私 むし の愛 あい である。また、神 かみ を知 し る者 もの には、永遠 えいえん の命 いのち を与 あた えられると述 の べ、命 いのち には永遠 えいえん の意義 いぎ があると説 と いている。イエスの弟子 でし ヨハネも「神 かみ は愛 あい である」と述 の べ、神 かみ の愛 あい に倣 なら って生 い きることが人間 にんげん の本質 ほんしつ であると書 か いた。[105]
イエスは言 い われた。「『心 しん を尽 つ くし、精神 せいしん を尽 つ くし、思 おも いを尽 つ くして、あなたの神 かみ である主 あるじ を愛 あい しなさい。』これが最 もっと も重要 じゅうよう な第 だい 一 いち の掟 おきて である。第 だい 二 に も、これと同 おな じように重要 じゅうよう である。『隣人 りんじん を自分 じぶん のように愛 あい しなさい。』ー マタイ22章 しょう 37-39(新 しん 共同 きょうどう 訳 やく )
「ただ一人 ひとり のまことの神 かみ であるあなたと、あなたがこの地上 ちじょう にお遣 つか わしになったわたしを知 し ること、それが永遠 えいえん のいのちを得 え る道 みち です。」ー ヨハネ17章 しょう 3(リビングバイブル)
愛 あい する者 もの たち、互 たが いに愛 あい し合 あ いましょう。愛 あい は神 かみ から出 で るもので、愛 あい する者 もの は皆 みな 、神 かみ から生 う まれ、神 かみ を知 し っているからです。愛 あい することのない者 もの は神 かみ を知 し りません。神 かみ は愛 あい だからです。ー ヨハネの手紙 てがみ 一 いち 4章 しょう 7,8(新 しん 共同 きょうどう 訳 やく )
^ ゴーギャンたちは、タヒチ の現地 げんち 人 じん が使 つか う鮮 あざ やかな布地 ぬのじ を「熱帯 ねったい のエキゾチズム の典型 てんけい 」として描 えが いたが、これらの布地 ぬのじ はもとはフランス からの輸入 ゆにゅう 品 ひん だった。近代 きんだい 西洋 せいよう の産物 さんぶつ (○○イズム )が非 ひ 西洋 せいよう の土着 どちゃく 文化 ぶんか として誤解 ごかい ・誤用 ごよう されているという点 てん で、反 はん 西洋 せいよう 主義 しゅぎ や反 はん 合理 ごうり 主義 しゅぎ は、タヒチの布地 ぬのじ に喩 たと えられる。
^ 大脳 だいのう の前頭 まえがしら 前野 まえの は、人間 にんげん の意志 いし 力 ちから ・計画 けいかく 性 せい ・忍耐 にんたい 強 つよ さなどを──より専門 せんもん 的 てき には「遂行 すいこう (=エグゼクティブ )」機能 きのう を──担 にな っている。前頭 まえがしら 前野 まえの は、企業 きぎょう の戦略 せんりゃく 計画 けいかく を策定 さくてい する「経営 けいえい 幹部 かんぶ (=エグゼクティブ )」と似 に ており、長期 ちょうき 的 てき な目標 もくひょう 追求 ついきゅう や大局 たいきょく 的 てき な分析 ぶんせき のほとんどを行 おこな う。対照 たいしょう 的 てき に、前頭 まえがしら 前野 まえの よりも原始 げんし 的 てき な辺 あたり 縁 えん 系 けい は大脳 だいのう の奥 おく にあり、反射 はんしゃ 的 てき で迅速 じんそく な行動 こうどう を促 うなが す。
^ この数式 すうしき の分母 ぶんぼ には小 ちい さな定数 ていすう を加 くわ える必要 ひつよう があり、たいてい分母 ぶんぼ は定数 ていすう 1を加 くわ えられて「衝動 しょうどう 性 せい ×遅 おく れ+1」になる。この定数 ていすう が加 くわ えられる主 おも な理由 りゆう は、「衝動 しょうどう 性 せい 」または「遅 おく れ」が0に近 ちか い場合 ばあい に計算 けいさん 結果 けっか (である動機 どうき づけ)が、現実 げんじつ を反映 はんえい しなくなるほど極大 きょくだい 化 か するのを防 ふせ ぐため。
^ "Additional research will be needed to determine whether finding purpose in life, even if a man does not feel it now, will lead to better health."[44]
^
^ 諸 しょ 宗教 しゅうきょう を科学 かがく や近代 きんだい 社会 しゃかい への対抗 たいこう 概念 がいねん として、または新 あたら しい「科学 かがく 」的 てき 概念 がいねん として創 つく り直 なお した運動 うんどう の中心 ちゅうしん は、ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー 夫人 ふじん らの神 かみ 智学 ちがく だった。い換 いか えれば、近代 きんだい に入 はい って諸 しょ 科学 かがく や経済 けいざい が急速 きゅうそく に発展 はってん しグローバル化 か する中 なか で、世界 せかい 各地 かくち の宗教 しゅうきょう ・神話 しんわ ・伝統 でんとう も一種 いっしゅ の「グローバル化 か 」を遂 と げていった。そこでは多種 たしゅ 多様 たよう な思想 しそう が、社会 しゃかい 進化 しんか 論 ろん をはじめとする疑似 ぎじ 科学 かがく をも取 と り込 こ んで、折衷 せっちゅう 的 てき に融合 ゆうごう していった。その代表 だいひょう 例 れい として考 かんが えられているものは以下 いか :
等 ひとし 。
^ 具体 ぐたい 例 れい :「自分 じぶん こそは他 た の人々 ひとびと に先 さき んじて高度 こうど な霊 れい 性 せい に到達 とうたつ した人間 にんげん である」
という思考 しこう 。精神 せいしん 的 てき ・霊的 れいてき に「最高 さいこう 度 ど 」である者 もの が崇拝 すうはい され、他 た の成員 せいいん たちは、その者 もの の意思 いし に全面 ぜんめん 的 てき に服従 ふくじゅう しようとする。こうした想 おも い・考 かんが えについて理解 りかい しない者 もの や批判 ひはん する者 もの に対 たい しては、「霊 れい 性 せい のレベルが低 ひく い」「低級 ていきゅう 霊 たま や悪魔 あくま に取 と り憑 つ かれている」「動物 どうぶつ 的 てき 存在 そんざい に堕 だ している」といった差別 さべつ や攻撃 こうげき を行 おこな う。
^ 具体 ぐたい 例 れい :「
目 め に
見 み えない
世界 せかい の
法則 ほうそく をついに
探 さぐ り
当 あ てた」
という喜 よろこ び ・興奮 こうふん ・楽観 らっかん と、その裏 うら にある被害 ひがい 者 しゃ 意識 いしき や不安 ふあん 。自分 じぶん たちの思想 しそう や団体 だんたい が社会 しゃかい によって認知 にんち され、一定 いってい の批判 ひはん を受 う けるようになると、精神 せいしん 的 てき ・魂 たましい 的 てき な楽観 らっかん が被害 ひがい 妄想 もうそう へと切 き り替 か わる。しばしば陰謀 いんぼう 論 ろん 的 てき であり、「目 め に見 み えない」闇 やみ の勢力 せいりょく やネットワーク が、自分 じぶん たちを「攻撃 こうげき ・迫害 はくがい 」しており、「真理 しんり 」を「隠蔽 いんぺい 」しようとしている等 ひとし と思 おも い込 こ む。
^ 具体 ぐたい 例 れい :「人間 にんげん の霊魂 れいこん は死後 しご も永遠 えいえん に存続 そんぞく する」
という原始 げんし 的 てき 観念 かんねん と、近 きん 現代 げんだい 科学 かがく (現代 げんだい 宇宙 うちゅう 論 ろん )との混同 こんどう 。結果 けっか として、
人類 じんるい 登場 とうじょう 以前 いぜん または地球 ちきゅう 誕生 たんじょう 以前 いぜん から、(人間 にんげん の)霊魂 れいこん が既 すで に存在 そんざい していた
歴史 れきし 上 じょう 、光 ひかり の勢力 せいりょく と闇 やみ の勢力 せいりょく が戦 おのの い続 つづ けてきた
人類 じんるい は別 べつ の惑星 わくせい の文明 ぶんめい から地球 ちきゅう へ来 き た、または、有史 ゆうし 以前 いぜん に科学 かがく 文明 ぶんめい を発達 はったつ させていた
等 ひとし の、超 ちょう 古代 こだい 文明 ぶんめい 的 てき ・超 ちょう 古代 こだい 史 し 的 てき な妄想 もうそう が発展 はってん していく。終末 しゅうまつ 論 ろん (最後 さいご の審判 しんぱん や最終 さいしゅう 戦争 せんそう 論 ろん 等 とう )も関 かか わっている可能 かのう 性 せい がある。
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引用 いんよう 句集 くしゅう があります。