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国鉄専用型式 - Wikipedia

国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき(こくてつせんようかたしき)は、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう自動車じどうしゃきょく国鉄こくてつバス)が東名とうめい高速こうそくせん運行うんこうさいして開発かいはつさせ、1969ねんから1986ねんまで導入どうにゅうされた、特別とくべつ設計せっけいのバスの総称そうしょうである。書籍しょせきによっては国鉄こくてつ専用せんよう形式けいしき(こくてつせんようけいしき)と記載きさいされていることもある。「かたしき」は運輸省うんゆしょうげん国土こくど交通省こうつうしょう)の自動車じどうしゃかんする用語ようご、「かたち」のもちいる「けいしき」は国鉄こくてつ用語ようごである[ちゅう 1]

国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき 三菱みつびしP-MS735SA
車両しゃりょう称号しょうごう : 744-4952→H654-84452

試作しさく試験しけんよう車両しゃりょう開発かいはつ

編集へんしゅう

1958ねん国鉄こくてつバスはきたるべき高速こうそくバス時代じだいけ、国鉄こくてつバス専用せんようどう白棚線はくほうせん)にて、日野ひのBC10がた使用しようした高速こうそく試験しけん開始かいしした。

国鉄こくてつからの発注はっちゅうけ、まず1961ねん試作しさく車両しゃりょうとして日野ひのRX10Pがた車両しゃりょう称号しょうごう : 773-1901)を製造せいぞう、1962ねんにはいすゞBU20PAあらためがた車両しゃりょう称号しょうごう : 713-2501→741-2901)が製造せいぞうされた。これらの車両しゃりょうは1だいずつで、実際じっさいには名神めいしん高速こうそく道路どうろでの営業えいぎょう運行うんこうにはもちいられなかったといわれている[ちゅう 2]流線型りゅうせんけい車体しゃたいは、当時とうじのバスとはおおきくことなる印象いんしょうけるものであった。

また、三菱みつびし1962ねん販売はんばい開始かいしされていた MAR820がたをベースとした試作しさくしゃとして、MAR820あらためがた車両しゃりょう称号しょうごう : 743-2901→744-2901)を開発かいはつした。この車両しゃりょうはその製造せいぞうされた量産りょうさんしゃちか外観がいかんで、試験しけん終了しゅうりょうには名神めいしん高速こうそくせん実際じっさい営業えいぎょう使用しようされた。

これらの試作しさくしゃにより、白棚線はくほうせんのバス専用せんようどう一部いちぶ完成かんせいした名神めいしん高速こうそく道路どうろでの走行そうこう試験しけんおこなわれ、加減かげんそく性能せいのう操縦そうじゅう安定あんていせい確認かくにんした。

量産りょうさんしゃ

編集へんしゅう

1964ねん昭和しょうわ39ねん)の名神めいしん高速こうそく道路どうろ全通ぜんつうともな名神めいしん高速こうそくせん運行うんこう決定けっていすると試作しさくしゃのテスト結果けっかまえてかくメーカーに高速こうそくバスに対応たいおうした車両しゃりょう開発かいはつ依頼いらいした。

上述じょうじゅつ4しゃからRA100P・MAR820あらため採用さいよう当初とうしょ導入どうにゅう車両しゃりょう車体しゃたいちょうが11.5 mであったが、1964ねん導入どうにゅうの1だいだけは大型おおがた自動車じどうしゃわく上限じょうげんの12 mまで延長えんちょうされたうえ車内しゃない便所べんじょ設置せっちされた。この評価ひょうかまえて1965ねん昭和しょうわ40ねん以降いこうぞう備車では、ぜん車両しゃりょう便所べんじょならびアンチスキッド装置そうち装備そうび車体しゃたいちょうすべて12 mに延長えんちょうされた。

国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき開発かいはつ導入どうにゅう

編集へんしゅう

要求ようきゅう仕様しよう

編集へんしゅう

東名高速道路とうめいこうそくどうろ全通ぜんつうを1969ねんひかえ、国鉄こくてつバスでは東名とうめい高速こうそくせん運行うんこうおこなうことになった。名神めいしん高速こうそくせん使用しようされた車両しゃりょう運用うんよう保守ほしゅ実績じっせきから、東名とうめい高速こうそくせんにはさらに高速こうそくバス運行うんこうとくした特別とくべつ設計せっけい車両しゃりょう導入どうにゅうすることを決定けってい1966ねんかく車両しゃりょうメーカーに開発かいはつ依頼いらいした。

国鉄こくてつから要求ようきゅうされていた性能せいのうは、下記かきげるようなものであったが、この要求ようきゅうは、当時とうじのバス・トラックようのエンジンは230 - 280 PSというのが標準ひょうじゅんレベルで、もっと強力きょうりょくなエンジンを搭載とうさいしていた日野ひの RA100P でも320 PSであったこと、また、当時とうじ一般いっぱんてきな1.5 Lクラスの乗用車じょうようしゃでさえ、120 km/h程度ていどさい高速度こうそくどであることをかんがえると、大型おおがたバスにたいする性能せいのう要求ようきゅうとしては、当時とうじ自動車じどうしゃ全般ぜんぱん常識じょうしきおおきく逸脱いつだつした内容ないようであった。

  • エンジン出力しゅつりょく自然しぜん吸気きゅうきターボチャージャーなどのきゅうなし)で320 PS以上いじょう
    • 当時とうじ国鉄こくてつは、ターボチャージャーの信頼しんらいせい疑問ぎもんしていたため、採用さいようみとめていなかった。
      ただし、当時とうじユニフロー2ストロークエンジン主力しゅりょく商品しょうひんとしていた日産ディにっさんでぃゼル工業ぜるこうぎょうだけは、スーパーチャージャー必須ひっすとなるため例外れいがいとしてみとめられている。
  • 最高さいこう速度そくど140 km/h巡航じゅんこう速度そくど100 km/h[1]
  • 3そくで80 km/hまで加速かそく可能かのうというギアリング
    • 途中とちゅうバスストップではみじか距離きょりでの加速かそくいられるが、名神めいしん高速こうそくせん採用さいようされた車両しゃりょう性能せいのうでは合流ごうりゅうまでに十分じゅうぶん加速かそくができないことがあった。基準きじゅんは、0 km/hの状態じょうたいから発進はっしん加速かそくして400 mさき到達とうたつするまでの時間じかん(ゼロヨン加速かそくタイム)は29びょう以内いないで、加速かそくでは4そく80 km/hから100 km/hまでは15びょう以内いないさだめられた[ちゅう 4]
  • 高性能こうせいのうブレーキ
    • フェード・ヒートトラック・タイヤスキッドを防止ぼうしすることで安全あんぜんせい向上こうじょうすることを目的もくてきとする[2]排気はいきブレーキ基準きじゅんは、4そくで100 km/hから60 km/hまでの減速げんそくが22びょう以内いないさだめられた。
  • サブエンジンしき冷房れいぼう装置そうち
    • 名神めいしん高速こうそくせん採用さいようされた車両しゃりょう直結ちょっけつしき冷房れいぼうで、発電はつでん能力のうりょくちる渋滞じゅうたいバッテリー消耗しょうもうこしたり、登坂とさかにも出力しゅつりょく低下ていかおさえるため冷房れいぼうカットをおこな必要ひつようがあった。
  • 急激きゅうげきなエアれをふせチューブレスタイヤ
  • 便所べんじょ設置せっち
    • 東京とうきょう - 名古屋なごや所要しょよう5時間じかん以上いじょうドリームごう所要しょよう8時間じかん以上いじょうとなるため、必要ひつようかんがえられた。
  • 高速こうそく走行そうこううわがりをふせワイパー

また、名神めいしん高速こうそくせん運用うんようしていた車両しゃりょうにおいて冷却れいきゃく性能せいのう不足ふそく駆動くどうけいのトラブルが発生はっせいしたため、改善かいぜん目標もくひょうとして「30まん kmノンオーバーホール」がさだめられた。耐久たいきゅうせいがこの目標もくひょうたっしているかどうかを確認かくにんするため、名神めいしん高速こうそく道路どうろでの100 km/hでの20まん km走行そうこう試験しけん課題かだいとして要求ようきゅうした[ちゅう 5]。まずこれをクリアしないかぎり、東名とうめい高速こうそくせんへの採用さいようはなかったのである。20まん kmという走行そうこう距離きょりは、東京とうきょう - 大阪おおさか毎日まいにち往復おうふくしていれば1ねん程度ていど到達とうたつする距離きょりであり、100まん kmノンオーバーホールがあたりまえの今日きょうでは、ごくひかえめの試験しけん内容ないようであるが、やはり当時とうじ常識じょうしきからはおおきくかけはなれた[ちゅう 6] 過酷かこく試験しけんであった。

開発かいはつされた車両しゃりょう

編集へんしゅう
 
国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき 日野ひのRA900P
車両しゃりょう称号しょうごう : 747-9901
つくばのさくら交通こうつう公園こうえん保存ほぞん車両しゃりょう
 
国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき 三菱みつびしB906R
車両しゃりょう称号しょうごう : 744-9901
交通こうつう科学かがく博物館はくぶつかん保存ほぞん車両しゃりょう
 
国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき 三菱みつびしK-MS504R
車両しゃりょう称号しょうごう : 744-2903
東京とうきょうえき八重洲やえす南口みなみぐち
 
国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき 日産にっさんディーゼルK-RA60S
ジェイアール東海とうかいバス
車両しゃりょう称号しょうごう : 748-1902
(JR東日本ひがしにっぽん東京とうきょう自動車じどうしゃ営業えいぎょうしょ
 
日野ひのDS140がたエンジン。日野ひのRA900Pに搭載とうさいされた。(きゅう交通こうつう博物館はくぶつかん所蔵しょぞうひん現在げんざい鉄道てつどう博物館はくぶつかんにて展示てんじ
 
メーターパネルじょう電気でんきしき速度そくどけいけた運転うんてんだい特徴とくちょうだった(1987ねんしき三菱みつびしエアロクィーンW

この国鉄こくてつ過酷かこく要求ようきゅうに、かくメーカーはさまざまな方法ほうほう対応たいおうした。

  • 日野ひのRA900P(747かたち・1969ねん・49だい
    • すでにRA100Pに搭載とうさいされていた180°Vがた12気筒きとうOHV・320 PSのDS120がたディーゼルエンジンチューンアップほどこしたDS140がたディーゼルエンジンにより、自然しぜん吸気きゅうき出力しゅつりょく350 PSを実現じつげん最高さいこう速度そくどは141 km/h[3]車体しゃたい帝国ていこく車体しゃたいせい
    • 4しゃなか唯一ゆいいつの180°Vがたエンジンを採用さいようしており、最後さいごの「ひなだん」がなく、室内しつないスペースを有効ゆうこう使用しようできることからシートピッチが860 mmとひろく(他社たしゃ車両しゃりょうは830 - 845 mm)、おもドリームごう使用しようされることになり、すべ夜行やこう仕様しようでの導入どうにゅうとなった。センターアンダーフロアエンジン実績じっせき日野ひのらしく、ラジエターをフロントにくのが特徴とくちょう1975ねん最後さいご導入どうにゅう終了しゅうりょうしている。
  • 三菱みつびしB906R(744かたち・1969ねん・62だい)→MS504Q(744かたち・1974ねん・38だい)→K-MS504R(744かたち・1979ねん・42だい
  • 日産にっさんディーゼルV8RA120(748かたち・1969ねん・27だい)→K-RA60S(748かたち・1979ねん・29だい
    • 当時とうじ日産にっさんディーゼルとしてはめずらしいVがたエンジン採用さいよう2サイクルUDVがた8気筒きとうで、しょう排気はいきりょう9.9リッターながら出力しゅつりょく340 PSを実現じつげん、2サイクルのつよみを遺憾いかんなく発揮はっきした[ちゅう 7]。UDエンジンは掃気のための機械きかいしきスーパーチャージャー必須ひっすとなるため、ほん型式けいしきのみきゅう装備そうびする[ちゅう 8]。のちの騒音そうおんはいガス規制きせいにともない、4サイクルVがた10気筒きとう 350 PSのRD10がたディーゼルエンジンに変更へんこう車体しゃたい富士重工ふじじゅうこうせい
    • 名古屋なごや中心ちゅうしんひるぎょう便びん使用しようされた。
  • いすゞBH50P(741かたち・1969ねん・2だい
    • 自然しぜん吸気きゅうきVがた8気筒きとうOHV32バルブ(1気筒きとうあたり4バルブ)ディーゼルエンジンを新規しんき開発かいはつ公称こうしょう出力しゅつりょくは330 PSだったが、国鉄こくてつ試験しけんおこなった結果けっか、320 PSという国鉄こくてつ要求ようきゅうたすことは出来できなかった[ちゅう 9]。また、そうディスクブレーキ採用さいようされたが、ブレーキパッド消耗しょうもうはげしく、信頼しんらいせい経済けいざいせい観点かんてんからこれも採用さいようとなった[ちゅう 10][ちゅう 11]。このため、BH50Pは2だいだけの導入どうにゅうわり、以後いご国鉄こくてつ時代じだいには東名とうめい名神めいしん高速こうそくせん専用せんようしゃとしていすゞしゃ導入どうにゅうされることはなかった[ちゅう 12]車体しゃたい川崎かわさき航空機こうくうきせいで、国鉄こくてつへははつ納入のうにゅうとなった。
    • がわまど客室きゃくしつまど)が固定こていしきだったが、ひるぎょう便びん使用しようされた。

開発かいはつされた車両しゃりょうでは、ゼロヨン加速かそくタイムは26びょうたっした[5]

いずれの車両しゃりょうも、ひるぎょう便びんけの車両しゃりょうはBH50Pをのぞがわまど客室きゃくしつまど)がちがしき、BH50Pと夜行やこう仕様しよう固定こていしきである。また、夜行やこう仕様しようではぜん座席ざせきにシートベルトが設置せっちされた。

国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしきでは、運転うんてんだいまわりもメーカー標準ひょうじゅんがたとはことなっていた。

  • 運転うんてんだい機器きき配置はいちは、メーカーにかかわらず統一とういつされていた。
  • 通常つうじょう空気くうきしきホーンほかボッシュタイプの電気でんきホーンをけ、しかも自動車じどうしゃ全体ぜんたいでもめずらしい足踏あしぶしきであった。JR1987ねん導入どうにゅうされたエアロバスでも採用さいようされていたほか電気でんきホーン自体じたいは1990年代ねんだい新車しんしゃまで採用さいようしていた。
  • 速度そくどけい電気でんきしきのものをメーターパネルじょうけ、運転うんてん視界しかい速度そくどけいはいるようにした。また、速度そくどけいはり真上まうえいたとき時速じそく100キロをしめすようになっていた。メーターパネルで本来ほんらい速度そくどけいがある場所ばしょふさがれていた。この速度そくどけいはJRも、1996ねん新車しんしゃまで採用さいようされていた。
  • ぜんあきらとうのディマースイッチは足踏あしぶしき、ハザードランプスイッチ、排気はいきブレーキスイッチはコンソールに配置はいちされており、大型おおがた表示ひょうじとう別途べっとけられていた。これらも末期まっきには民間みんかんがた同様どうようのマルチファンクションレバーに統一とういつされ、表示ひょうじとう廃止はいしされた。この表示ひょうじとうつきスイッチばんは、国鉄こくてつでは一般いっぱん路線ろせんしゃにも装備そうびされており、2006ねん時点じてんでもジェイ・アール北海道ほっかいどうバスでは標準ひょうじゅん装備そうびとなっている[6]
  • 高速こうそく走行そうこうとくしたステアリング特性とくせいとするため、専用せんようジオメトリーと「だいはんちからパワーステアリング」を採用さいようした。ただし、一般いっぱんどう区間くかんではパワーアシストしにちかいほど、操舵そうだおもかったそうである。
  • 無線むせん搭載とうさいしていた。これは新幹線しんかんせん列車れっしゃ無線むせんシステム(400 MHzたい)とはべつに、保線ほせん作業さぎょう事故じこ災害さいがい情報じょうほう連絡れんらくとうのため鉄道てつどう電話でんわあみ接続せつぞくされた自動車じどうしゃ無線むせん(150 MHzたい)を使用しようしていた。

メーカーの苦悩くのう

編集へんしゅう

自然しぜん吸気きゅうきだい排気はいきりょうエンジンととも自動車じどうしゃメーカーをなやませたのが、1そく発進はっしんギアとした、5そくトランスミッションであった。通常つうじょう大型おおがたバスは2そく発進はっしんであり、1そくはエクストラローのいで、きゅう勾配こうばいでの発進はっしんなどの常用じょうようである。当然とうぜん国鉄こくてつけのトランスミッションはせん用品ようひんとなり、生産せいさんすうごく少量しょうりょうとなったが、公道こうどうはし以上いじょう法令ほうれい自動車じどうしゃ型式けいしき指定してい規則きそくなど)にもとづく形式けいしき認定にんていけなければならなかった。そのため、国鉄こくてつがたのみべつ試験しけんおこな必要ひつようがあり、多大ただい費用ひよう負担ふたんともなう。これは補給ほきゅう部品ぶひん常時じょうじ確保かくほともに、メーカーにとっては非常ひじょうおおきな損失そんしつとなっていた。

しかし、きびしい注文ちゅうもん一方いっぽうで、開発かいはつなどでの国鉄こくてつのバックアップは皆無かいむひとしく、きびしくなる一方いっぽう排出はいしゅつガス騒音そうおん規制きせい看過かんかできないところまでめられてしまった。さらに、開発かいはつ停滞ていたいにより、ついには性能せいのうめんでも民間みんかんがた後塵こうじんはいするありさまとなってしまった。この性能せいのうめんについて、一般いっぱんてきにメーカーにもとめられていたものは、あくまで通常つうじょう観光かんこうバスとしての高速こうそく巡航じゅんこう性能せいのうであり、国鉄こくてつハイウェイバスのように途中とちゅうバスストップでの加速かそくりょく重視じゅうしされるなどの性能せいのうは「特殊とくしゅ要求ようきゅう」でしかなかったのである。

これらの状況じょうきょうから、日野ひのは「継続けいぞく価値かちし」と判断はんだんし、1975ねんかぎりで国鉄こくてつ高速こうそくしゃ開発かいはつ中止ちゅうし決定けっていした。おいえ事情じじょうによりけられない三菱みつびしと、市場いちばシェアの低下ていか歯止はどめをかけたい日産にっさんディーゼルの車両しゃりょうは、1982ねんまで導入どうにゅうつづけられた。シャーシ型式けいしき変更へんこうはあったものの、車体しゃたいのフルモデルチェンジはまったおこなわれず、新規しんき参入さんにゅう民営みんえいバスとくらべても陳腐ちんぷいなめなかったが、座席ざせき単体たんたい改善かいぜんなどはおこなわれた。

  • 開業かいぎょう直後ちょくご増発ぞうはつ便びんにはじゅん高速こうそくしゃ名神めいしん高速こうそくせん車両しゃりょう使用しようされることもあったが、いずれも直結ちょっけつクーラーだったことから、一般いっぱんどう区間くかん渋滞じゅうたいには冷房れいぼうカットの励行れいこうびかけられた。しかし、サブエンジンしき冷房れいぼう装備そうびした国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしきでは、そのような気遣きづかいはまったくなかったそうである。
  • 当時とうじとしては最先端さいせんたんのバスであったが、乗客じょうきゃく車内しゃない備品びひんってしまうこともおおかったという。灰皿はいざらやトイレットペーパーなどのほか、リクライニングレバーやシートベルト金具かなぐなど、かえってもやくちそうもものまでられてしまったそうである。

最後さいご国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき

編集へんしゅう
三菱みつびし・P-MS735SA
国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき 744かたち
 
1986ねんしき 車両しゃりょう称号しょうごう : 744-6904→H654-86404
概要がいよう
製造せいぞうこく 日本にっぽん
ボディ
乗車じょうしゃ定員ていいん 乗務じょうむいん2めい+乗客じょうきゃく40めい
ボディタイプ ぜんとびらはこがたリアエンジン
駆動くどう方式ほうしき RR
パワートレイン
エンジン 8DC9T (ターボチャージャーづけVがた8気筒きとう
最高さいこう出力しゅつりょく 350 PS / 2200 rpm
最大さいだいトルク 125 kg·m / 1400 rpm
変速へんそく 5そくMT
まえ
のち
車両しゃりょう寸法すんぽう
ホイールベース 6500 mm
全長ぜんちょう 11980 mm
全幅ぜんぷく 2490 mm
ぜんこう 3415 mm
その
製造せいぞう台数だいすう 16だい
系譜けいふ
先代せんだい K-MS504R
後継こうけい なし
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ハイデッカー

編集へんしゅう

1980年代ねんだいはいると、一般いっぱん観光かんこうバスではすでハイデッカーくるま時代じだいとなりつつあった。国鉄こくてつバス東京とうきょう湾岸わんがんせんようにハイデッカーしゃ (MS613SA → MS715S) を導入どうにゅうしていたことから、1984ねん新車しんしゃ導入どうにゅうするさいには、東名とうめい名神めいしん高速こうそくせんにもハイデッカーの高速こうそくしゃ導入どうにゅうすることをめた。

このとき各社かくしゃ発注はっちゅう打診だしんおこなったが、受注じゅちゅうしたのは三菱みつびしのみであった。排出はいしゅつガス規制きせい強化きょうかにより、再度さいどエンジン開発かいはつからはじめることになるが、1事業じぎょうしゃのために特注とくちゅう車両しゃりょう少数しょうすう製造せいぞうすることについて、コストだかになってしまうことが敬遠けいえんされたのである。三菱みつびし当初とうしょ辞退じたいすることになっていたが、他社たしゃにもことわられたことをき、やむなく受注じゅちゅうったという。

ターボチャージャーの採用さいよう

編集へんしゅう

要求ようきゅう仕様しようは1969ねん当時とうじとほぼ同様どうようであるが、このころにはターボチャージャー信頼しんらいせい確立かくりつしていたため、メーカーのはたらきかけに国鉄こくてつれるかたちで、はじめてターボチャージャーづけエンジンの導入どうにゅうみとめられた。これにより、ようやく標準ひょうじゅん仕様しようのバスエンジンをベースにした開発かいはつ可能かのうになった。

こうして、東名とうめい名神めいしん高速こうそくせんでははつのハイデッカーしゃであるとともに、最後さいご国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしきとなるP-MS735SA がた(744かたち)が登場とうじょうした。搭載とうさいエンジンは、ターボチャージャーづけVがた8気筒きとうの 8DC9T がた・350 PS、トランスミッションは従来じゅうらいどおり1そく発進はっしんの5そくMTであった。フロントサスペンションは、独立どくりつ懸架けんかではなく従来じゅうらいどおり車軸しゃじく懸架けんかだが、リアにはワイドサスが装備そうびされた。車体しゃたいつづ富士重工ふじじゅうこうせいとされた。

MS735SA は東名とうめい高速こうそくせんあたらしい看板かんばんしゃとして、1984ねんから1986ねんまでに16だい製造せいぞうされ、ドリームごう中心ちゅうしん運用うんようされた。1986ねんしきでは方向ほうこうまくがフロントガーニッシュないおさめられ、より市販しはんしゃちかいスタイルになっている。

この型式けいしき最後さいごに、事実じじつじょう国鉄こくてつバスのフラッグシップの歴史れきしわりをげることになる。

終焉しゅうえん

編集へんしゅう

市販しはんしゃ導入どうにゅう

編集へんしゅう

1986ねんにははつのスーパーハイデッカーしゃとして、ドリームごうよう三菱みつびしエアロクィーンW(P-MU525TAあらため)を導入どうにゅうしている。また、名神めいしんハイウェイバスちょう特急とっきゅう使用しようする車両しゃりょうとして、日産にっさんディーゼル・スペースウイング(P-DA67UEあらため)が採用さいようされている。国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき登場とうじょうから17ねん経過けいかし、国鉄こくてつ分割ぶんかつ民営みんえいひかえていたこともあって、ようやく国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしきではなく、市販しはんしゃへのターボチャージャー装備そうび対応たいおうすることになった。

つよ馬力ばりき指向しこう

編集へんしゅう

JR以降いこう高速こうそくしゃは、国産こくさん4メーカーそろっての納入のうにゅう再開さいかいされ、輸入ゆにゅうしゃまじえた豊富ほうふなバリエーションでたびはなえる存在そんざいとなっている[ちゅう 13]。しかし、東名とうめい高速こうそくせん車両しゃりょうについては、JRもしばらくだい馬力ばりき指向しこうつづいた。

   
MS735SAと同様どうようのシャーシを利用りようしたエアロバス(三菱みつびしP-MS725SAあらため
車両しゃりょう称号しょうごう : 644-7930→H654-87430
JR東海とうかいバスではエアロクィーンMのあしまわりとエアロバスの車体しゃたいわせた(三菱みつびしP-MS729SAあらため
車両しゃりょう称号しょうごう : 744-9952

1987ねんJR東日本ひがしにっぽんバス導入どうにゅうしたのは、型式けいしきこそ市販しはんしゃ同様どうよう純正じゅんせいエアロバス(P-MS725SAあらため)であるものの、実際じっさいにはMS735SAとほぼ同様どうようのシャーシ(ただぜんじく市販しはんしゃ同様どうよう独立どくりつ懸架けんか進化しんか)を利用りようし、変速へんそく一般いっぱん市販しはんしゃおなフィンガーシフトの6そくMT(2そく発進はっしん)とした車両しゃりょうであった。また、1989ねんJR東海とうかいバス導入どうにゅうされた車両しゃりょうは、エアロクィーンMのあしまわりとエアロバスの車体しゃたいわせた車両しゃりょう[ちゅう 14]であった。また1991年度ねんどまでの MS7 けい車輌しゃりょうは、頻繁ひんぱん変速へんそく時速じそく90 kmにおいて6そく → 5そくにシフトダウンできるよう、クラッチシンクロメッシュ、ギア関係かんけい強化きょうかされており、ギア一般いっぱん市販しはんしゃくらべ、高速こうそくいきでの加速かそくりょく重視じゅうししたもの(クロースレシオ)となっていた。JR東海とうかいバスでどう時期じき導入どうにゅうされた北陸ほくりくどう東名とうめい高速こうそくせんよう日産にっさんディーゼルしゃ[ちゅう 15]についても同様どうよう措置そちられていた。

動力どうりょく性能せいのうとは関係かんけいないが、運転うんてんせきがわバックミラー標準ひょうじゅんしゃとはことなり、延長えんちょうステーでのけとなっていた。これも国鉄こくてつ基準きじゅん沿ったものががれていたが、1993ねん導入どうにゅうされたニューエアロバスからは、設計せっけい段階だんかい延長えんちょうステー設置せっち想定そうていしておらず、ステーの延長えんちょうはかえって視界しかいそこねることから、メーカー標準ひょうじゅんのミラーに変更へんこうされている[7]。このニューエアロバス (U-MS821PA) も、折戸おりと装備そうびするハイデッカーながら、自然しぜん吸気きゅうき400 PSエンジンを搭載とうさいしていた。

1996ねんJRバス関東かんとう導入どうにゅうされたいすゞ・ガーラは、東名とうめい高速こうそくせん専用せんようしゃとしてはじつに27ねんぶりのいすゞしゃとしてバス雑誌ざっし誌上しじょうでも話題わだいとなり、自然しぜん吸気きゅうき450 PSエンジンと、28ねんまえ採用さいようとなった BH50Pの汚名おめい返上へんじょうするかのような性能せいのうで、乗務じょうむいん評価ひょうかかった。一方いっぽう搭載とうさいエンジンはVがた12気筒きとうと、しくも27ねんまえ国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき開発かいはつされたとき同様どうようのものになっていた。

運用うんよう終了しゅうりょうまで

編集へんしゅう
   
続行ぞっこう便びん運用うんようされた三菱みつびしK-MS504R(1992ねん3がつ
車両しゃりょう称号しょうごう : 744-0910→M654-80410
開業かいぎょう30周年しゅうねん記念きねん東名とうめい高速こうそくせんでリバイバル運行うんこうされた三菱みつびしP-MS735SA(1999ねん6がつ
車両しゃりょう称号しょうごう : 744-5952→H654-85452

MS735SA以外いがい国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき車両しゃりょうは、1993ねんごろまで使用しようされていた。西日本にしにほんJRバス車両しゃりょう早期そうききかえられたが、JR東海とうかいバスでは最後さいごまで東名とうめい高速こうそくせん導入どうにゅうしていた。また、JRバス関東かんとうでは、常磐ときわ自動車じどうしゃどう常磐ときわどうひがし関東かんとう自動車じどうしゃどう東関ひがしせきどうへの高速こうそくバスの続行ぞっこう便びん使用しようしていたほか、一部いちぶはトイレ撤去てっきょ座席ざせき増設ぞうせつ旅客りょかく定員ていいんを44にんとし東京とうきょう湾岸わんがんせんにも使用しようされた。カラーリングは大半たいはん車両しゃりょうがJR高速こうそくバスしょくりかえられたが、JR東海とうかいバスの車両しゃりょうなかには国鉄こくてつ高速こうそくバスしょくのまま廃車はいしゃになった車両しゃりょうもあった。

MS735SAは2000ねんまで使用しようされていた。西日本にしにほんJRバスにがれた5だいは、名神めいしん高速こうそくせん北陸ほくりくハイウェイバス使用しようされたが、1996ねん2がつごろ全廃ぜんぱいとなっている。JR東海とうかいバスの6だいは、シートを MU525TA と同様どうようのレッグ・フットレスト、マルチステレオづけ交換こうかん、ピッチを拡大かくだい旅客りょかく定員ていいん36めい変更へんこうし、おもに「ドリームなごやごう」に使用しようされていたが、1990年代ねんだい後半こうはんには予備よびしゃ波動はどうよう高速こうそく道路どうろ経由けいゆ競艇きょうてい輸送ゆそうなど)に格下かくさげとなったのち、3しゃなかではもっとはや1995ねん3がつには全廃ぜんぱいされている(1だい事故じこ廃車はいしゃ)。JRバス関東かんとうの5だい原型げんけいのままで1994ねんごろ地方ちほう支店してん転属てんぞくし、常磐ときわどう東関ひがしせきどうへの高速こうそくバスで使用しようされた。

最後さいごの1だいは、1994ねん以降いこう水戸みと支店してん配置はいちされていたが、1999ねん6がつ東京とうきょう支店してんされ、開業かいぎょう30周年しゅうねんむかえた東名とうめい高速こうそくせんでリバイバル運行うんこうされたほか往時おうじのドリームごう再現さいげんするツアーにも使用しようされたのち、2000ねん6がつ25にちけで廃車はいしゃとなった。ここに、国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき運用うんようすべ終了しゅうりょうしたのである。

 
急行きゅうこう便びん 747-2902

いずれの車両しゃりょうも、貸切かしきりしゃ転用てんようされることはなく、最後さいごまで高速こうそくしゃとして使命しめいまっとうした。設計せっけい段階だんかいから高速こうそく路線ろせんとくさせた車両しゃりょうであったため、きゅう勾配こうばいでの発進はっしんができないことや、ステアリング操作そうさ過重かじゅうであるなど、一般いっぱんでの使用しようには不向ふむきであった。さらに、運転うんてんだい機器きき配置はいちがメーカーにかかわらず統一とういつされており、これはぎゃくにどのメーカーの一般いっぱん市販しはんしゃともことなっていたため、事業じぎょうしゃへの譲渡じょうとまったくなかった。また、MS735SA以外いがい車両しゃりょうは、車体しゃたい内装ないそうけい合金ごうきん多用たようされていたため、解体かいたい業者ぎょうしゃでもややあま気味ぎみだったという。

保存ほぞんしゃ

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廃車はいしゃすくなくとも3だい保存ほぞんされている。すべ静態せいたい保存ほぞんである。

このほか、MS735SA のうち1だいがバスたびフォトラリーの賞品しょうひんとなっていたが、わたされたのち動向どうこう不明ふめい

功績こうせき

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国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしきは、当時とうじ常識じょうしきからかけはなれた高性能こうせいのう要求ようきゅうされたうえ、バス市場いちば全体ぜんたいからればきわめて少数しょうすうで、製造せいぞうコストもたかくついたことから、その要求ようきゅう仕様しようには時期じき尚早しょうそうとするこえもあった。

しかし、その高速こうそく道路どうろもう整備せいびすすむにつれ、市場いちば環境かんきょう高速こうそく道路どうろ走行そうこう日常にちじょうてきになり、車両しゃりょう耐久たいきゅうせい信頼しんらいせいおおきく向上こうじょうした。登場とうじょう当初とうしょ過剰かじょうかんがえられた性能せいのうも、高速こうそくバスもう発達はったつした今日きょうでは標準ひょうじゅんてき性能せいのう位置付いちづけられていることをまえると、国鉄こくてつ専用せんよう型式けいしき高速こうそく道路どうろ走行そうこうするバスの性能せいのうにおける1つの技術ぎじゅつてき目標もくひょうとしての位置いちづけとかんがえられ、日本にっぽんのバス技術ぎじゅつ向上こうじょうおおきく貢献こうけんしたといえる。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ (バス・ジャパン 1990a)でも国鉄こくてつ専用せんよう形式けいしき記載きさいされている箇所かしょがある。
  2. ^ JRバス関東かんとう東北道とうほくどう統括とうかつ支店してん発行はっこうの「白棚線はくほうせん開業かいぎょう50周年しゅうねん記念きねん冊子さっしには、「棚倉たなぐらゆき」のさきした RX10Pの写真しゃしん掲載けいさいされているので、「営業えいぎょう運行うんこう使用しようされたことはある」ということになる。
  3. ^ 日本にっぽん高速こうそく自動車じどうしゃ近畿日本鉄道きんきにほんてつどうしゅたる出資しゅっししゃ近畿車輛きんきしゃりょう製造せいぞうさせるかたち自社じしゃのバス路線ろせん2かいてバスビスタコーチていゆかバスなどの導入どうにゅう実績じっせきがある。
  4. ^ 「バス・ジャパン」13ごう[よう文献ぶんけん特定とくてい詳細しょうさい情報じょうほう]によれば、1そくで25 km/h、2そくで45 km/h、3そくで80 km/hまで加速かそくして合流ごうりゅうという運転うんてん操作そうさだったという。
  5. ^ (バスラマ 1994b, p. 36)での記述きじゅつによると、当時とうじのメーカーがわでは5まん kmから10まん km程度ていど走行そうこう試験しけんかんがえており、国鉄こくてつでは20まん km以上いじょう走行そうこう試験しけん希望きぼうしたが、開発かいはつ時間じかん制約せいやくにより20まん kmとめられたという。
  6. ^ (バスラマ 1994c)の記述きじゅつによると、当時とうじのバス車両しゃりょう寿命じゅみょうは、平均へいきんで40まん kmから60まん km程度ていどであったという。
  7. ^ 2020ねん現在げんざい東名とうめいハイウェイバスで運用うんようされている車両しゃりょうでは、最新さいしんがたエアロエース搭載とうさいされる6S10エンジンが、それよりちいさい排気はいきりょう(7.7 L 直列ちょくれつ6気筒きとう)である。
  8. ^ 出力しゅつりょく増強ぞうきょう目的もくてきでなかったためみとめられた。
  9. ^ いすゞの社内しゃない試験しけんでも本当ほんとうに330 PSを記録きろくしていたのかは不明ふめい
  10. ^ ただし、2018ねん以降いこう東名とうめいハイウェイバスにも投入とうにゅうされているスカニアInterCityDDは、そうディスクブレーキを採用さいようしている。
  11. ^ しくもおなじいすゞ自動車ずじどうしゃから、2019ねん国産こくさんしゃ唯一ゆいいつそうディスクブレーキを採用さいようした大型おおがたバスであるエルガデュオれんぶしバス)が登場とうじょうしている。
  12. ^ ただし、東名とうめい高速こうそくせんのごく初期しょきには、短距離たんきょりローカル便びんようにBH20Pが運用うんようされたことがある。
  13. ^ なお、輸入ゆにゅうしゃにもいくらかのバリエーションがあり、①完全かんぜん輸入ゆにゅうしゃネオプラン・スカイライナーバンホール・アストロメガ)、②シャーシのみ輸入ゆにゅう車体しゃたい国産こくさんボルボ・アステローペ)、③国産こくさんのシャーシ海外かいがいせいのボディをそうしたもの(ヨンケーレ・モナコ)がある。
  14. ^ 89年度ねんどP-MS729SAあらため : 744-9951〜60、90年度ねんどU-MS729SA : 744-0951〜60
  15. ^ 1987年度ねんど 748-7971・72 P-DA67UE、748-7951〜57 P-RA53TAE

出典しゅってん

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  1. ^ バスラマ 1994c.
  2. ^ バス・ジャパン 1987a.
  3. ^ バスラマ 1994a.
  4. ^ バス・ジャパン 1987b.
  5. ^ バスラマ 1994b, p. 41.
  6. ^ 「バス事業じぎょうしゃ訪問ほうもん No.100 JR北海道ほっかいどうバス」『バスラマ・インターナショナル』だい96ごう、39ぺーじ 
  7. ^ バスラマ 1996.
  8. ^ 年鑑ねんかんバスラマ 2016-2017』、ぽると出版しゅっぱん、2016ねん12月、ISBN 978-4-89980-516-8 

参考さんこう文献ぶんけん

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書籍しょせき

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雑誌ざっし記事きじ

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  • 豊倉とよくらだかいち東名とうめい名神めいしん高速こうそくバスにSハイデッカー登場とうじょう」『バス・ジャパン』だい3ごう、バス・ジャパン刊行かんこうかい、1987ねん1がつ、5-9ぺーじISBN 4795277583 
  • 「ふそうバスの戦後せんご だい2かい」『バス・ジャパン』だい3ごう、バス・ジャパン刊行かんこうかい、1987ねん1がつ、53-56ぺーじISBN 4795277583 
  • 日本にっぽんバスともかいしんのこ昭和しょうわ名車めいしゃ・15せん」『バス・ジャパン』だい13ごう、BJエディターズ、1990ねん6がつ、13-23ぺーじISBN 4795277680 
  • 大沢おおさわあつし彦「東名とうめい看板かんばんしゃ 名神めいしんく」『バス・ジャパン』だい13ごう、BJエディターズ、1990ねん6がつ、10-11ぺーじISBN 4795277680 
  • わたしっているバスたち」『バスラマ・インターナショナルだい22ごう、ぽると出版しゅっぱん、1994ねん2がつISBN 978-4938677220 
  • 特集とくしゅう国鉄こくてつ名神めいしん 東名とうめい名神めいしんハイウェイバス」『バスラマ・インターナショナル』だい24ごう、ぽると出版しゅっぱん、1994ねん6がつISBN 978-4938677244 
  • わたしっているバスたち」『バスラマ・インターナショナル』だい27ごう、ぽると出版しゅっぱん、1994ねん12月。 
  • 「MS735 最後さいご活躍かつやく」『バスラマ・インターナショナル』だい37ごう、ぽると出版しゅっぱん、1996ねん8がつISBN 978-4938677374 
  • 「バス事業じぎょうしゃ訪問ほうもん44 ジェイアールバス関東かんとう」『バスラマ・インターナショナル』だい48ごう、ぽると出版しゅっぱん、1998ねん6がつISBN 978-4938677480 

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