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那珂川 - Wikipedia

那珂川なかがわ

栃木とちぎけん茨城いばらきけんながれる河川かせん

那珂川なかがわ(なかがわ)は、栃木とちぎけん茨城いばらきけんながれる河川かせん

那珂川なかがわ
那珂川 2007年1月14日撮影
茨城いばらきけん水戸みとながれる那珂川なかがわ
水系すいけい 一級いっきゅう水系すいけい 那珂川なかがわ
種別しゅべつ 一級いっきゅう河川かせん
延長えんちょう 150 km
平均へいきん流量りゅうりょう 96.1 m³/s
野口のぐち観測かんそくしょ(2000ねん))
流域りゅういき面積めんせき 3,270 km²
水源すいげん 那須なすたけし栃木とちぎけん
水源すいげん標高ひょうこう -- m
河口かこう合流ごうりゅうさき 太平洋たいへいよう茨城いばらきけん
流域りゅういき 日本の旗 日本にっぽん
栃木とちぎけん茨城いばらきけん福島ふくしまけん

地図

地図
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那須野なすのはら那珂川なかがわおよびその支流しりゅう
写真しゃしん箒川ほうきがわ那珂川なかがわ合流ごうりゅう八溝山地やみぞさんち鷲子とりのこ(とりのこ)山塊さんかい鶏足山けいそくさんかたまりあいだひがしおりする。
那珂川なかがわわた東北自動車道とうほくじどうしゃどう那須なすインターチェンジ

一級いっきゅう水系すいけい那珂川なかがわ本流ほんりゅうである。栃木とちぎけん那須なすぐん那須なすまち那須なすたけし山麓さんろくみなもととし、栃木とちぎけん東部とうぶみなみながれたのち芳賀はがぐん茂木もぎまちひがしきをえ、茨城いばらきけん南東なんとうながれてひたちなか東茨城ひがしいばらきぐん大洗おおあらいまち境界きょうかい太平洋たいへいようそそぐ。

概要がいよう

編集へんしゅう

関東かんとう地方ちほうだい3の大河たいがである[独自どくじ研究けんきゅう?]関東かんとう随一ずいいち清流せいりゅうとしてられる[よう出典しゅってん]上流じょうりゅう日光にっこう国立こくりつ公園こうえん指定していされており、ちゅう流域りゅういき那珂川なかがわ県立けんりつ自然しぜん公園こうえん指定していされている。江戸えど時代じだいにはサケ遡上そじょうする河川かせんとしてられ、那珂川なかがわれたサケは水戸みとはんへの献上けんじょうひんとされていた。初夏しょかには栃木とちぎけんから茨城いばらきけんにかけての中流ちゅうりゅうおよびその支流しりゅうに、アユ捕獲ほかくするための多数たすう観光かんこうやな設置せっちされ、れたてのアユの塩焼しおやきをたのしむ観光かんこうきゃくにぎわうほか、天然てんねんアユをふく放流ほうりゅうアユの友釣ともづりもおこなわれる。栃木とちぎけん大田原おおたわら佐良土さらど(さらど)の那珂川なかがわ河畔かはんには栃木とちぎけん水産すいさん試験場しけんじょうがあり、淡水魚たんすいぎょ研究けんきゅうおこなわれているほか、淡水魚たんすいぎょ水族館すいぞくかんとしては国内こくない有数ゆうすう栃木とちぎけんなかがわみず遊園ゆうえん併設へいせつされている。河口かこう付近ふきん那珂湊なかみなと漁港ぎょこうには観光かんこうスポットの那珂湊なかみなとおさかな市場いちばがある。支流しりゅう涸沼ひぬまニシン南限なんげんとしてもられる。

名称めいしょう由来ゆらい

編集へんしゅう

常陸ひたちこく風土記ふどき』には「あわかわ」(あわがわ、上流じょうりゅう阿波あわきょうげんしろさとまちきゅう桂村かつらむら)があるため名付なづけられる)、『万葉集まんようしゅう』には「なか」とまれていた。

「ナカ」の語源ごげんについては諸説しょせつがある[1][2]

栃木とちぎけん那須なすぐん那須なすまち那須なすたけし山麓さんろく源流げんりゅうとし、南東なんとうからみなみきにながれる。どうけん茂木もぎまちひがしおりし、茨城いばらきけん常陸ひたち大宮おおみや水戸みとながれ、ひたちなか東茨城ひがしいばらきぐん大洗おおあらいまちとのさかい太平洋たいへいようそそぐ。

支流しりゅうふく那珂川なかがわ水系すいけい上流じょうりゅう那須なす火山かざんたい南端なんたんにあたり、那珂川なかがわ水系すいけい流域りゅういきには板室いたむろ温泉おんせん那須なす温泉郷おんせんきょう塩原しおばら温泉郷おんせんきょうなどすうおおくの温泉おんせん点在てんざいする。また那珂川なかがわ上流じょうりゅう那須野なすのはら北端ほくたん渓谷けいこくし、JR東北本線とうほくほんせん黒磯くろいそえき北側きたがわ栃木とちぎけんどう55ごう西那須野にしなすの那須なすせんきゅう国道こくどう4ごう晩翠ばんすいきょうぎ、那須高原なすこうげん降雨こううあつめながら徐々じょじょ川幅かわはばひろげる。大田原おおたわら那須なすぐん那珂川なかがわまちとの境界きょうかい箒川ほうきがわわせ、那須なす烏山うざん付近ふきんからりょうきしふたたやませまり、蛇行だこうしながら荒川あらかわわせる。

芳賀はがぐん茂木もぎまち大瀬おおせ付近ふきんひがしきにながれえ、逆川さかがわわせるともなく国道こくどう123ごうしん那珂川なかがわきょう付近ふきんいた茨城いばらきけんはいる。この付近ふきんは「北関東きたかんとう嵐山あらしやま」とばれる前山さきやまであり、景観けいかんすぐれた地域ちいきである。

茨城いばらきけんはいってながれを南東なんとうきにえ、御前山ごぜんやま大橋おおはしえると緒川おがわ合流ごうりゅう小場おばこう頭首とうしゅこうぎると再度さいど南下なんか東茨城ひがしいばらきぐんしろさとまち那珂なかあいだながれ、藤井川ふじいがわ合流ごうりゅうしたあたりで水戸みとはいる。国田くにた大橋おおはし田野川たのかわわせるとかわりゅうひがしきをえ、水戸みと北部ほくぶ低地ていちながれる。

国道こくどう118ごう千歳ちとせきょう国道こくどう349ごうしんまんだいきょう水府すいふきょうぎ、水戸みとひたちなかあいだながれるようになると中州なかすくなり、下流かりゅう河川かせんからだになる。国道こくどう6ごう水戸みと大橋おおはし付近ふきん桜川さくらがわわせ東進とうしん那珂湊なかみなと付近ふきん中丸なかまるがわわせ、大洗おおあらい付近ふきん涸沼川ひぬまがわわせるとぐにきた太平洋たいへいよう鹿島灘かしまなだ那珂湊なかみなと漁港ぎょこう)へとそそぐ。

那珂川なかがわ流域りゅういき古来こらいより穀倉こくそう地帯ちたいであり、水戸みと以外いがいかんしてはあまり都市としされておらず、水田すいでんおおい。水系すいけいには汽水みずうみである涸沼ひぬま千波湖せんばこなどの天然てんねんみずうみ存在そんざいする。御前山ごぜんやまから水戸みとにかけては河岸かわぎし段丘だんきゅう発達はったつしている。

那珂川なかがわ開発かいはつ

編集へんしゅう

那珂川なかがわ流域りゅういき古来こらいより穀倉こくそう地帯ちたいで、おおくの人間にんげんんでいた。常陸ひたちこくまたを「常世とこよくに」とばれ、『常陸ひたちこく風土記ふどき』においてもその豊穣ほうじょうぶりがうかがえる。

水戸みとはん河川かせん開発かいはつ

編集へんしゅう

那珂川なかがわ利水りすい本格ほんかくてき開発かいはつされたのは江戸えど時代じだいのことである。1590ねん天正てんしょう18ねん佐竹さたけ義宣よしのぶ常陸ひたち全域ぜんいき平定へいていし、豊臣とよとみ秀吉ひでよしより常陸ひたちいちこく54まんせき安堵あんどされた。義宣よしのぶ水戸みとじょう本拠ほんきょえ、領国りょうごく経営けいえいはかったが関ヶ原せきがはらたたかにおいて首鼠しゅそ両端りょうたんもたしたために(義宣よしのぶ西にしぐん石田いしだかた加担かたんしたかったが、ちち佐竹さたけ義重よししげひがしぐん徳川とくがわかたへの加担かたん強硬きょうこう主張しゅちょうし、西にしぐん上杉うえすぎ密約みつやくむすんでいたにもかかわらず徳川とくがわぐん家臣かしん派遣はけん1602ねん慶長けいちょう7ねん出羽でわ久保田くぼた秋田あきた)にげんてんふうとなった。

徳川とくがわ家康いえやす水戸みとたい伊達だてまさしむね要衝ようしょうとして重要じゅうようし、5なん武田たけだ信吉のぶよし、10なん徳川とくがわ頼宣よりのぶ、11なん徳川とくがわ頼房よりふさ相次あいついで水戸みとはんおもえて仙道せんどうすじ防衛ぼうえいになわせた。このため水戸みと急速きゅうそく城下町じょうかまち発展はってんするが、城下じょうか千波湖せんばこ現在げんざいの2ばいおおきさで水害すいがい被害ひがいけやすかった。このため家康いえやす関東かんとうぐんだい伊奈いな忠次ただつぐめいじて洪水こうずい調節ちょうせつかんがい目的もくてきとした用水路ようすいろ建設けんせつめいじた。これが備前びぜんほり1610ねん慶長けいちょう15ねん)に完成かんせいし、功績こうせきとな伊奈いな備前びぜんもり忠次ちゅうじかんした。そう延長えんちょう10kmの用水路ようすいろで、これにより那珂川なかがわ南岸なんがんのかんがいをはかることができるようになった。

一方いっぽう那珂川なかがわ北岸ほくがん那珂なかぐん河岸かわぎし段丘だんきゅううえ水不足みずぶそく慢性まんせいしており、この地域ちいきのかんがいも課題かだいとなっていた。1656ねんあかりれき2ねん頼房よりふさは、永田ながたしげるみぎ衛門えもんたい那珂川なかがわ北岸ほくがん用水路ようすいろ開削かいさくめいじた。しげみぎ衛門えもん那珂なかぐん下江戸しもえどげん那珂なか下江戸しもえど)において那珂川なかがわから取水しゅすい現在げんざいひたちなか武田たけだいた延長えんちょうやく30kmの用水路ようすいろ建設けんせつした。これが小場おばこう用水路ようすいろであり、現在げんざい常陸ひたち大宮おおみや三美みよしにある小場おばこう頭首とうしゅこうから取水しゅすいしているが、完成かんせい350ねん経過けいかした現在げんざいでも地域ちいき重要じゅうよう農業のうぎょう用水ようすいげんとして利用りようされている。

水戸みとはんだいさんだい藩主はんしゅ徳川とくがわつなじょうだいには涸沼ひぬま北浦きたうらむす運河うんが整備せいび計画けいかくされた。水戸みと江戸えどむす流通りゅうつう発展はってんさせることを目的もくてきに、鹿島灘かしまなだ迂回うかいせずに直接ちょくせつ北浦きたうらから利根川とねがわ江戸えど物資ぶっし輸送ゆそうさせることで、財政難ざいせいなんにあえぐ水戸みとはん財政ざいせい好転こうてんさせることを目的もくてきとしていた。つなじょう浪人ろうにんである松浪まつなみかんじゅうろう登用とうようし、支出ししゅつ削減さくげん年貢ねんぐ増徴ぞうちょうによる収入しゅうにゅう増加ぞうかはかるとともに、「かんじゅうろうほり」とばれる運河うんが涸沼ひぬま北浦きたうらあいだ建設けんせつし、流通りゅうつう航路こうろ確保かくほはかろうとした。この事業じぎょう1706ねん宝永ほうえい6ねん)に着手ちゃくしゅされたが、農民のうみん負担ふたんあまりにもおおきかったかんじゅうろう政策せいさくはたちまちだい規模きぼ百姓ひゃくしょう一揆いっき誘発ゆうはつ事業じぎょう頓挫とんざ1709ねん宝永ほうえい9ねん)に責任せきにんらされたかんじゅうろう水戸みとはん追放ついほうされた。

那須なす疏水そすい事業じぎょう

編集へんしゅう

那珂川なかがわ上流じょうりゅう栃木とちぎけん那須野なすのばら那須なすたけし大佐飛山おおさびやま高原山こうげんやまよりなが複数ふくすう河川かせん那珂川なかがわ熊川くまかわ蛇尾川さびがわ箒川ほうきがわ)によって国内こくない最大さいだいきゅうふくあい扇状地せんじょうち形成けいせいされている。その面積めんせきはおよそ4まんhaにのぼるが河水こうすいはそのほとんどが伏流ふくりゅうすいとして地下ちかくぐる。このため流域りゅういき住民じゅうみんきびしいみず供給きょうきゅう余儀よぎなくされていた。実話じつわとして、那須野なすのばらよりやく4kmはなれている箒川ほうきがわまでみずおけかかえてみず確保かくほしに往復おうふくしていたというはなしもある。『にすくうみずもなし』とたとえられるほど慢性まんせいてき水不足みずぶそくなやまされた那須野なすの住民じゅうみんにとって安定あんていしたみず供給きょうきゅう悲願ひがんであったが、大田原おおたわらはん黒羽くろははんなどの那須なす地域ちいきしょはんが、城下じょうかみず確保かくほするために掘削くっさくした小規模しょうきぼ蟇沼ひきぬま用水ようすいノ俣用水ようすい細々こまごま水脈すいみゃくたもっていた以外いがい水利すいりはなく、明治めいじはいるまで那須野なすのばら原野げんやのまま存置そんちされてきた。

明治めいじ時代じだい那須野なすのばら本格ほんかくてき開拓かいたくおこなわれたがみず供給きょうきゅう問題もんだいいていた。栃木とちぎけん初代しょだい県令けんれい鍋島なべしまみきであったがかれ那須なす東京とうきょう運河うんがむすぶ「だい運河うんが構想こうそう」をっていた。この構想こうそう壮大そうだいすぎ実現じつげんにはいたらなかったが、これにヒントを那須野なすのばら灌漑かんがい整備せいび構想こうそうがもたれるようになった。那須なす地方ちほう実業じつぎょうであった印南いなみたけさく矢板やいたたけしは、那珂川なかがわから用水ようすい那須野なすのばら灌漑かんがい用水ようすい利用りようしようとする構想こうそうてた。事業じぎょう計画けいかく容易よういすすまなかったが、栃木とちぎけんれい三島みしま通庸みちつね強力きょうりょく後援こうえんもあって内務省ないむしょうによる正式せいしき事業じぎょうとなり1885ねん明治めいじ18ねん)9がつ住民じゅうみん宿願しゅくがんである那須なす疏水そすい事業じぎょう着手ちゃくしゅされた。

那珂川なかがわ上流じょうりゅう西岩崎にしいわざき地点ちてん頭首とうしゅこう西岩崎にしいわざき頭首とうしゅこう)を建設けんせつし、そこから農業のうぎょう用水ようすい台地だいち送水そうすいするというものであったこの疏水そすいは、安積あさか疏水そすい福島ふくしまけん)を掘削くっさくした熟練じゅくれん技術ぎじゅつ工員こういんにより工事こうじすすめられ、幹線かんせん水路すいろやく16.3kmが着工ちゃっこうからわずか5かげつというきわめてはやいペースで完成かんせいした。翌年よくねんからは支線しせん水路すいろやく46.5kmが建設けんせつされ、長年ながねん水不足みずぶそくなやまされた那須野なすのばらつい安定あんていしたみず供給きょうきゅうはかられた。事業じぎょう当時とうじ予算よさんで10まんえんであるが、この事業じぎょう当時とうじ内務省ないむしょう土木どぼくきょく年間ねんかん予算よさんの10ぶんの1にあたり、いかに巨大きょだいなプロジェクトであったかがかる。1905ねん明治めいじ38ねん)と1928ねん昭和しょうわ3ねん)にも拡張かくちょう事業じぎょうおこなわれ、そう延長えんちょうやく332.9kmの水路すいろもうによってやく4,000haの開墾かいこん可能かのうとなった。この那須なす疏水そすい安積あさか疏水そすい福島ふくしまけん)、琵琶湖びわこ疏水そすい京都きょうと)とともに「日本にっぽんさんだい疏水そすい」ととなえられている。

水害すいがい治水ちすい事業じぎょう

編集へんしゅう

治水ちすいかんしては元来がんらい河岸かわぎし段丘だんきゅうじょう集落しゅうらく形成けいせいされていたこともあり、目立めだった治水ちすい事業じぎょうおこなわれていなかった。だが、明治めいじ以降いこう次第しだい人口じんこう増加ぞうか低地ていちにもひとむようになったことから、水害すいがいによる被害ひがい顕在けんざいした。那珂川なかがわ場合ばあい水源すいげんである那須高原なすこうげんにおいて豪雨ごううると、栃木とちぎけんにおける那珂川なかがわ流域りゅういき洪水こうずい一気いっき下流かりゅう水戸みと付近ふきんせることから水戸みと那珂川なかがわ流域りゅういき水害すいがいつねかさね地帯ちたいであった。

1940ねん昭和しょうわ15ねん)9がつ豪雨ごうう内務省ないむしょう那珂川なかがわ直轄ちょっかつ管理かんりとし、堤防ていぼう整備せいび中心ちゅうしんとした河川かせん整備せいびおこなった。戦後せんご1947ねん昭和しょうわ22ねん)にだい水害すいがい発生はっせい。これ以降いこう那珂川なかがわ水系すいけい治水ちすい事業じぎょう本格ほんかくはじめた。1965ねん昭和しょうわ40ねん)には那珂川なかがわ水系すいけい河川かせんほう改正かいせいともなって一級いっきゅう水系すいけい指定してい現在げんざいでは箒川ほうきがわ合流ごうりゅうてんから河口かこうまでの区間くかん直轄ちょっかつ管理かんり区間くかんとなった。どう時期じきには栃木とちぎけん茨城いばらきけんにより洪水こうずい調節ちょうせつおも目的もくてきとした補助ほじょ多目的たもくてきダム主要しゅようささえかわである箒川ほうきがわ荒川あらかわ藤井川ふじいがわひとし計画けいかくされ、西荒川にしあらかわダムを皮切かわきりに塩原しおばらダム藤井川ふじいがわダム東荒川ひがしあらかわダム飯田いいだダム建設けんせつされた。

だが、その洪水こうずいこり、とく1986ねん昭和しょうわ61ねん)8がつの「昭和しょうわ61ねん8がつ豪雨ごうう」と1998ねん平成へいせい10ねん)8がつの「平成へいせい10ねん8がつまつ豪雨ごうう」は那珂川なかがわ流域りゅういき甚大じんだい被害ひがいあたえた。「昭和しょうわ61ねん8がつ豪雨ごうう」は茨城いばらき県内けんない河川かせんがことごとく氾濫はんらんしたが、那珂川なかがわ水系すいけいでも主要しゅよう河川かせん氾濫はんらん満潮まんちょうともかさなり那珂川なかがわ河水こうすい支流しりゅう河川かせん逆流ぎゃくりゅうして各所かくしょ堤防ていぼう越水こしみず、3,580浸水しんすいする過去かこ最悪さいあく水害すいがいとなった。

建設省けんせつしょうげん国土こくど交通省こうつうしょう関東かんとう地方ちほう整備せいびきょく)は1988ねん昭和しょうわ63ねん)より激甚げきじん災害さいがいほうもとづく『那珂川なかがわ災害さいがい緊急きんきゅう改修かいしゅう事業じぎょう』をおこなつつみ解消かいしょう支流しりゅうにおける河水こうすい逆流ぎゃくりゅう防止ぼうしのための水門すいもん整備せいびおこなった。さらに1998ねん平成へいせい10ねん)からは「直轄ちょっかつ河川かせん災害さいがい復旧ふっきゅうとう関連かんれん緊急きんきゅう事業じぎょう制度せいど」の制定せいていともな那珂川なかがわ下流かりゅう事業じぎょう指定していされ、堤防ていぼう整備せいび大場おおば遊水池ゆうすいち御前山ごぜんやま遊水池ゆうすいち整備せいび洪水こうずい流下りゅうか阻害そがい要因よういんとなるJR東日本ひがしにっぽん水郡線すいぐんせん那珂川なかがわ橋梁きょうりょうえるなどの工事こうじ現在げんざい実施じっしちゅうである。

茨城いばらきけんも1988ねんより「藤井川ふじいがわダムさい開発かいはつ事業じぎょう」に着手ちゃくしゅ、ダムみずうみ掘削くっさくして貯水ちょすい容量ようりょう増大ぞうだいさせることで洪水こうずい貯水ちょすい容量ようりょう確保かくほし、洪水こうずい調節ちょうせつ機能きのう強化きょうかさせた。ただしダム建設けんせつかんしては、公共こうきょう事業じぎょう見直みなおしの機運きうん那珂川なかがわ水系すいけいにもせ、「緒川おがわダム建設けんせつ事業じぎょう」(緒川おがわ)や「大谷おおや原川はらがわダム建設けんせつ事業じぎょう」(大谷おおや原川はらがわ)が中止ちゅうしとなっている。とく緒川おがわダム建設けんせつ事業じぎょうかんしては住民じゅうみん反対はんたいはげしく、水源すいげん地域ちいき対策たいさく特別とくべつ措置そちほうみずとくほう)に指定していされるほど事業じぎょう難航なんこうした結果けっか中止ちゅうしとなっている。栃木とちぎけんでは県営けんえい小規模しょうきぼ生活せいかつ貯水池ちょすいち事業じぎょうであった「大室おおむろがわダム建設けんせつ事業じぎょう」が2006ねん財務省ざいむしょう予算よさんあん計上けいじょう見送みおくられ、事業じぎょう中止ちゅうし方向ほうこうせいしめされている。

利水りすい発電はつでん

編集へんしゅう

1885ねん明治めいじ18ねん)に完成かんせいした那須なす疏水そすいはそのさら水路すいろもう拡張かくちょうされ、那須なす疏水そすいよりもふる小規模しょうきぼ用水路ようすいろであり蛇尾川さびがわ水源すいげんとする蟇沼ひきぬま(ひきぬま)用水ようすいの俣川を水源すいげんとするノ俣用水ようすい導水どうすいされさらなる施設しせつ整備せいび実施じっしされた。だが水路すいろ老朽ろうきゅう施設しせつ合理ごうりもとめられるようになり、1967ねん昭和しょうわ42ねん)より農林省のうりんしょうげん農林水産省のうりんすいさんしょう)によって『国営こくえい那須野なすのげん開拓かいたく建設けんせつ事業じぎょう』が着手ちゃくしゅされ、1994ねん平成へいせい6ねん)まで27ねん歳月さいげつけて整備せいびおこなわれた。この事業じぎょうにより那須なす疏水そすい水源すいげん充実じゅうじつさせるために那珂川なかがわ本川ほんがわ深山ふかやまダムいたしつダムが建設けんせつされ1973ねん昭和しょうわ48ねん)に完成かんせい西岩崎にしいわざき頭首とうしゅこう整備せいびされみず供給きょうきゅう強化きょうかされた。那須なす疏水そすい蟇沼ひきぬま用水ようすいノ俣用すいの3用水ようすい改修かいしゅう統合とうごうされ、より合理ごうりてき用水ようすい整備せいび実施じっしされた。

一方いっぽう茨城いばらき県内けんないにおいては小場おばこう用水路ようすいろ整備せいびによって那珂川なかがわ左岸さがん台地だいち灌漑かんがい用水ようすい供給きょうきゅう整備せいびされ、水戸みと南部なんぶ台地だいちについても渡里わたり用水路ようすいろ建設けんせつされてかんがいが可能かのうとなった。だがのこ那珂川なかがわ右岸うがん水戸みと北西ほくせい東茨城ひがしいばらきぐん北部ほくぶ西茨城にしいばらきぐん東部とうぶ)についてはしょう河川かせんしかない状況じょうきょう慢性まんせいてき水不足みずぶそくつづいていた。藤井川ふじいがわダムとうによる既得きとく農地のうちへの用水ようすい補給ほきゅう実施じっしされたが十分じゅうぶんではなく、農林水産省のうりんすいさんしょう関東かんとう農政のうせいきょく茨城いばらきけんとの共同きょうどう事業じぎょうとして1987ねん昭和しょうわ62ねん)より『国営こくえい那珂川なかがわ沿岸えんがん土地とち改良かいりょう事業じぎょう』による那珂川なかがわ右岸うがん地域ちいきへの農業のうぎょう用水ようすい供給きょうきゅうはかり、この水源すいげんとして現在げんざい御前山ごぜんやまダム建設けんせつおこなっている。だが事業じぎょう進捗しんちょくはダム岩盤がんばん予想よそう以上いじょう脆弱ぜいじゃく(ぜいじゃく)さから、当初とうしょ予測よそく2008ねん平成へいせい20ねん完成かんせい予定よてい大幅おおはば遅延ちえんしている。

水道すいどう事業じぎょうかんしては水戸みと上水道じょうすいどう那珂川なかがわ依存いぞんしているが、渇水かっすいには海水かいすい上昇じょうしょう塩害えんがいこす可能かのうせいもあり、不安定ふあんていであった。このため治水ちすいダムであった藤井川ふじいがわダムを1977ねん昭和しょうわ52ねん)に多目的たもくてきダムして上水道じょうすいどう供給きょうきゅうはかったが、1985ねん昭和しょうわ60ねん)にはこうじがわダム建設けんせつ貯水池ちょすいちもう安定あんていしたみず供給きょうきゅうおこなった。栃木とちぎ県内けんないでは東北新幹線とうほくしんかんせん開通かいつうによる流域りゅういき人口じんこう増加ぞうか対応たいおうするべく、深山ふかやまダムや東荒川ひがしあらかわダム、寺山てらやまダムによる上水道じょうすいどう水源すいげん整備せいびはかられた。

水力すいりょく発電はつでんかんしては、那珂川なかがわさい上流じょうりゅうにおいて電源でんげん開発かいはつ沼原ぬまっぱら発電はつでんしょ建設けんせつを1967ねんより計画けいかくした。これはどう時期じき建設けんせつされていた深山ふかやまダムを下池しもいけに、沼原ぬまっぱらダムを上池かみいけとしてじゅん揚水ようすい発電はつでんおこない、67まんkWの電力でんりょく発生はっせいしようというものであった。沼原ぬまっぱら発電はつでんしょは1973ねん完成かんせいしたが今度こんど東京電力とうきょうでんりょくによる揚水ようすい発電はつでん計画けいかく蛇尾川さびがわ1980ねん昭和しょうわ55ねん)より着手ちゃくしゅされ、認可にんか出力しゅつりょく90まんkWの塩原しおばら発電はつでんしょ完成かんせいした。塩原しおばら発電はつでんしょ下池しもいけ形成けいせいする蛇尾川さびがわダム那珂川なかがわ水系すいけいもっとつつみだかたかく、上池かみいけはちしおダムアスファルトフェイシングフィルダムとして世界一せかいいちつつみだかほこるダムとなった。一方いっぽう茨城いばらき県内けんないにおいては河川かせん勾配こうばいゆるく、水量すいりょうすくないことから水力すいりょく発電はつでんには不適ふてきであり水力すいりょく発電はつでんしょ建設けんせつされていない。

水質すいしつ汚濁おだくへの対策たいさく千波湖せんばこ霞ヶ浦かすみがうら

編集へんしゅう

水戸みと長年ながねん下水道げすいどう普及ふきゅう整備せいびおくれ、47都道府県とどうふけんもっとおくれている部類ぶるいはいっていた。このため下水げすいはそのまま市内しない中小ちゅうしょう河川かせん流入りゅうにゅうし、これが原因げんいんによる深刻しんこく水質すいしつ汚濁おだくすすんでいた。とく千波湖せんばこ桜川さくらがわ上流じょうりゅう団地だんち整備せいびされ人口じんこう密度みつどたかくなったことで付近ふきん水源すいげんとする支流しりゅう沢渡さわんどがわ逆川さかかわ汚染おせん激化げきか汚水おすいはそのまま流入りゅうにゅう悪臭あくしゅうヘドロともな河川かせんとなった。

こうした水質すいしつ汚濁おだく進行しんこう防止ぼうし水質すいしつ浄化じょうかはかため関東かんとうでも屈指くっし清流せいりゅうといわれる那珂川なかがわから浄水じょうすい導入どうにゅうした水質すいしつ改善かいぜん水戸みと計画けいかくし、渡里わたり用水ようすいかいした導水どうすいによる浄化じょうか対策たいさくである「千波湖せんばこ浄化じょうか事業じぎょう」を1986ねん昭和しょうわ61ねん)より開始かいしした。他方たほう1976ねん昭和しょうわ51ねん)より建設省けんせつしょう土浦つちうら石岡いしおかなど流域りゅういき下水道げすいどう整備せいびおくれにり、やはり深刻しんこく水質すいしつ汚濁おだくすす霞ヶ浦かすみがうら水質すいしつ浄化じょうか首都しゅとけんへの上水道じょうすいどう工業こうぎょうよう水道すいどう供給きょうきゅうはかため霞ヶ浦かすみがうら導水どうすい事業じぎょう」を着手ちゃくしゅ那珂川なかがわみずをトンネルをとおして霞ヶ浦かすみがうら導水どうすい水質すいしつ浄化じょうかみず需要じゅよう確保かくほ目指めざした。同時どうじ建設省けんせつしょう千波湖せんばこ直轄ちょっかつ管理かんり区間くかんである千波ちなみ大橋おおはしより下流かりゅう桜川さくらがわ水質すいしつ環境かんきょう基準きじゅん以下いか抑制よくせいすべく、霞ヶ浦かすみがうら導水どうすい事業じぎょう目的もくてき千波湖せんばこ桜川さくらがわ浄化じょうかくわえ、那珂川なかがわからさくら排水はいすいじょうかいして浄水じょうすい桜川さくらがわ放流ほうりゅう水質すいしつ改善かいぜんはかっている。

こうした水質すいしつ浄化じょうか事業じぎょうによって次第しだい桜川さくらがわ千波湖せんばこ水質すいしつ改善かいぜんはかられるようになり、悪臭あくしゅう次第しだい減少げんしょうしていった。那珂川なかがわ本川ほんがわについてはたかいレベルでの水質すいしつ維持いじされており、なつには前山さきやま千代ちよきょうなど那珂川なかがわ中流ちゅうりゅうおよひとおおい。しかし比較的ひかくてきながれのはや河川かせんであり毎年まいとし水難すいなん事故じこ河川かせん利用りようしゃこうたない。一方いっぽう栃木とちぎけんでは那須なす疏水そすい近年きんねん家電かでん製品せいひんなどの粗大そだいゴミ投棄とうきする事例じれい増加ぞうかしている。これは家電かでんリサイクルほう施行しこうともない、廃棄はいきこまったすえ用水ようすい投棄とうきしており、管理かんりする那須野なすのげん土地とち改良かいりょうあたまなやませている。

ななせん山水さんすいげんもり

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三倉山みくらやまみなみふもと周辺しゅうへんひろがる森林しんりんで、ななせん山水さんすいげんもりとして水源すいげんもりひゃくせん選定せんていされている[3]

山岳さんがく 面積めんせき(ha) 標高ひょうこう(m) 人工じんこうりん(%) 天然てんねんりん(%) おもしゅ 制限せいげんりん 種類しゅるい
三倉山みくらやま 1,196 800 - 1,900 0 100 ブナミズナラダケカンバ 水源すいげんかんよう保安ほあんりん自然しぜん環境かんきょう保全ほぜん地域ちいき保健ほけん保安ほあんりん    流水りゅうすい那珂川なかがわ)ダム貯水ちょすい深山ふかやまダム

那須なす連山れんざん東部とうぶ樹齢じゅれい100ねん以上いじょう広葉樹こうようじゅりん原生げんせいりんであり、多様たよう動植物どうしょくぶつ生息せいそくする。

所在地しょざいち栃木とちぎけん黒磯くろいそ百村もむら深山ふかやま(データは選定せんていねん1995ねん平成へいせい7ねん〉7がつ

那珂川なかがわ水系すいけい主要しゅよう河川かせん

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那珂川なかがわ水系すいけい河川かせん施設しせつ

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那珂川なかがわ水系すいけいにおいては、支流しりゅうにおける河川かせん施設しせつおおい。このなか特筆とくひつすべきは揚水ようすい発電はつでんところが2箇所かしょ稼動かどうしていることである。包蔵ほうぞう水力すいりょくはそれほどおおきくないが、発電はつでんりょうおおい。治水ちすいかんしては堤防ていぼう整備せいび補助ほじょ多目的たもくてきダムおもである。利水りすいにおいてはかんがいよう設備せつびのほか、市営しえい水戸みと)の水道すいどう専用せんようダムが存在そんざいする。

河川かせん施設しせつ一覧いちらん

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いち
ささえかわ
本川ほんがわ

ささえかわ
さん
ささえかわ
ダムめい つつみだか
(m)
そう貯水ちょすい
容量ようりょう
せんm3
型式けいしき 事業じぎょうしゃ 備考びこう
那珂川なかがわ - - 深山ふかやまダム 75.5 25,800 ロックフィル 栃木とちぎけん 農林省のうりんしょう施工しこう
那珂川なかがわ - - 板室いたむろダム 16.8 260 重力じゅうりょくしき 栃木とちぎけん 農林省のうりんしょう施工しこう
那珂川なかがわ - - 西岩崎にしいわざき頭首とうしゅこう - - 可動かどうせき 土地とち改良かいりょう 農林省のうりんしょう施工しこう
那珂川なかがわ - - 御前山ごぜんやま遊水池ゆうすいち - - 遊水池ゆうすいち 国土こくど交通省こうつうしょう 計画けいかくちゅう
那珂川なかがわ - - 小場おばこう頭首とうしゅこう - - 可動かどうせき 土地とち改良かいりょう
那珂川なかがわ - - 大場おおば遊水池ゆうすいち - - 遊水池ゆうすいち 国土こくど交通省こうつうしょう 計画けいかくちゅう
かわ道外みちそと - - 沼原ぬまっぱらダム 38.0 4,336 ロックフィル 電源でんげん開発かいはつ
黒川くろかわ 大沢川おおさわかわ - 黒森くろもりダム 20.2 530 アース 福島ふくしまけん
黒川くろかわ 板敷いたじきがわ - ダム 29.0 1,070 アース 栃木とちぎけん
黒川くろかわ かわ道外みちそと - 千振せんぶりダム 23.0 355 アース 栃木とちぎけん
箒川ほうきがわ - - 箒川ほうきがわダム 11.1 - 重力じゅうりょくしき 東京電力とうきょうでんりょく しょう堰堤えんてい
箒川ほうきがわ - - 塩原しおばらダム 60.0 8,760 重力じゅうりょくしき 栃木とちぎけん
箒川ほうきがわ 蛇尾川さびがわ しょう蛇尾川さびがわ 蛇尾川さびがわダム 104.0 11,800 重力じゅうりょくしき 東京電力とうきょうでんりょく
箒川ほうきがわ 蛇尾川さびがわ なべ有沢ありさわがわ はちしおダム 90.5 13,200 ロックフィル 東京電力とうきょうでんりょく
荒川あらかわ - - 東荒川ひがしあらかわダム 70.0 5,950 重力じゅうりょくしき 栃木とちぎけん
荒川あらかわ 西荒川にしあらかわ - 西荒川にしあらかわダム 43.5 4,300 重力じゅうりょくしき 栃木とちぎけん
荒川あらかわ 内川うちかわ 宮川みやがわ 寺山てらやまダム 62.2 2,550 ロックフィル 栃木とちぎけん
荒川あらかわ 内川うちかわ 宮川みやがわさん
やな目川めがわよん
塩田しおだダム
よん支流しりゅうやな目川めがわのダム)
26.1 450 ロックフィル 栃木とちぎけん
大室おおむろがわ - - だい室川むろかわダム 38.5 - 重力じゅうりょくしき 栃木とちぎけん 中止ちゅうし検討けんとうちゅう
相川あいかわ - - 御前山ごぜんやまダム 52.0 7,200 ロックフィル 農林水産省のうりんすいさんしょう 建設けんせつちゅう
江川えがわ - - 江川えがわ水門すいもん - - 水門すいもん 国土こくど交通省こうつうしょう
藤井川ふじいがわ - - 藤井川ふじいがわダム 37.5 4,000 重力じゅうりょくしき 茨城いばらきけん
藤井川ふじいがわ 西田川にしたがわ - 西田川にしたがわ水門すいもん - - 水門すいもん 国土こくど交通省こうつうしょう
田野川たのかわ こうじがわ - こうじがわダム 35.0 1,970 重力じゅうりょくしき 水戸みと水道すいどう
涸沼川ひぬまがわ 飯田川いいたがわ - 飯田いいだダム 33.0 2,600 重力じゅうりょくしき 茨城いばらきけん
涸沼川ひぬまがわ 涸沼ひぬま前川まえかわ - 三野輪みのわダム 16.0 342 アース 茨城いばらきけん

ちゅう):らん建設けんせつちゅうもしくは計画けいかくちゅうのダム(2006ねん現在げんざい)。

用水路ようすいろ導水どうすい

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用水路ようすいろめい 所在地しょざいち 管理かんりしゃ
那須なす疏水そすい 栃木とちぎけん 栃木とちぎけん
小場おばこう用水路ようすいろ 茨城いばらきけん 土地とち改良かいりょう
渡里わたり用水ようすい 茨城いばらきけん 土地とち改良かいりょう
霞ヶ浦かすみがうら導水どうすい 茨城いばらきけん 国土こくど交通省こうつうしょう

那珂川なかがわ水系すいけいのダム

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 茨城いばらきけん. “いばらきのかわ紹介しょうかい_那珂川なかがわだい15かい”. 茨城いばらきけん. 2019ねん9がつ5にち閲覧えつらん
  2. ^ 茨城いばらきけん. “いばらきのかわ紹介しょうかい_かわ名前なまえ由来ゆらいだい3かい”. 茨城いばらきけん. 2019ねん9がつ5にち閲覧えつらん
  3. ^ ななせん山水さんすいげんもり -水源すいげんもりひゃくせん - 林野庁りんやちょう
  4. ^ 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 8 茨城いばらきけん角川書店かどかわしょてん、1983ねん12月、448ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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