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国鉄D52形蒸気機関車 - Wikipedia

国鉄こくてつD52かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ

D52から転送てんそう

D52かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ(D52がたじょうききかんしゃ)は、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう国鉄こくてつ製造せいぞう鉄道てつどうしょう運輸うんゆ通信つうしんしょう)の貨物かもつようテンダーしき蒸気じょうき機関きかんしゃである。 愛称あいしょうデゴニ

D52かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ
静態保存されているD52形(相模原市鹿沼公園)
静態せいたい保存ほぞんされているD52がた相模原さがみはら鹿沼かぬま公園こうえん
基本きほん情報じょうほう
運用うんようしゃ 運輸省うんゆしょう日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう
製造せいぞうしょ 浜松工はままつこう鷹取たかとりこう
汽車きしゃ製造せいぞう日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう
川崎かわさき車輛しゃりょう日立製作所ひたちせいさくしょ
三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう
製造せいぞうねん 1943ねん - 1946ねん
製造せいぞうすう 285りょう
主要しゅようしょもと
じく配置はいち 1D1 (2-8-2、ミカド)
軌間きかん 1067 mm
全長ぜんちょう 21105 mm
ぜんこう 3982 mm
機関きかんしゃ重量じゅうりょう

74.42 t(空車くうしゃ

85.13 t(運転うんてん整備せいび
動輪どうりんじょう重量じゅうりょう

56.95 t(空車くうしゃ

66.29 t(運転うんてん整備せいび
炭水車たんすいしゃ重量じゅうりょう

19.74 t(空車くうしゃ

51.76 t(運転うんてん整備せいび
そう重量じゅうりょう

94.16 t(空車くうしゃ

136.89 t(運転うんてん整備せいび
固定こていじく 4650 mm
さきみち 860 mm
動輪どうりんみち 1400 mm
したがえみち 860 mm
じくおも 16.63 t運転うんてん整備せいび最大さいだいだい2動輪どうりんじょう
シリンダすう 単式たんしき2気筒きとう
シリンダ
直径ちょっけい×行程こうてい
550 mm × 660 mm
べん装置そうち ワルシャートしき
ボイラー圧力あつりょく 1.57 MPa
ボイラーすい容量ようりょう 9.6 m3
だい煙管きせる
直径ちょっけい×ながさ×かず
140 mm × 5500 mm × 35ほん
しょう煙管きせる
直径ちょっけい×ながさ×かず
57 mm × 5500 mm × 94ほん
格子こうし面積めんせき 3.85 m2
ぜんつてねつ面積めんせき 224.9 m2
過熱かねつでんねつ面積めんせき 77.4 m2
ぜん蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき 167.5 m2
煙管きせる蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき 147.7 m2
しつ蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき 20.1 m2
燃料ねんりょう 石炭せきたん
燃料ねんりょう搭載とうさいりょう 10.0 t
みずタンク容量ようりょう 22.0 m3
制動せいどう装置そうち ET6自動じどう空気くうきブレーキ
最高さいこう運転うんてん速度そくど 85 km/h
最大さいだい出力しゅつりょく 1949 PS[よう出典しゅってん]
動輪どうりんしゅう出力しゅつりょく 1660 PS[よう出典しゅってん]
シリンダ引張ひっぱちから 190.1 kN
粘着ねんちゃく引張ひっぱちから 162.4kN
備考びこう しょもと装備そうび改造かいぞうのボイラーかぶとおつ燃焼ねんしょうしつかぶと)の機体きたいのものをしめす。詳細しょうさいしょもとひょうこう参照さんしょう
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導入どうにゅう経緯けいい

編集へんしゅう

ほん形式けいしきだい世界せかい大戦たいせんともな戦時せんじ輸送ゆそうのために導入どうにゅうされた大型おおがた貨物かもつよう蒸気じょうき機関きかんしゃであり、燃焼ねんしょうしつ大型おおがたのボイラーを採用さいようしたことと、資材しざい不足ふそく対応たいおうするための戦時せんじ設計せっけいとなっていることが特徴とくちょうである。

戦時せんじ輸送ゆそう

編集へんしゅう

ほん形式けいしき計画けいかく製造せいぞうされた1940年代ねんだいころ日本にっぽんでは1937ねんにちちゅう戦争せんそう開始かいし以降いこうひと物資ぶっしうごきが活発かっぱつになっており、旅客りょかく列車れっしゃ毎年まいとし10 - 20せん km、貨物かもつ列車れっしゃは20 - 30せん kmの増発ぞうはつおこなわれ、以後いご6年間ねんかん旅客りょかく列車れっしゃは60せん km、貨物かもつ列車れっしゃは110せん km 増加ぞうかしていた[1]

さらに、太平洋戦争たいへいようせんそう進展しんてんともない、日本にっぽん国内こくない貨物かもつ輸送ゆそう貨物かもつせんりく海軍かいぐんによる徴発ちょうはつアメリカぐん攻撃こうげきによる喪失そうしつ増大ぞうだいしたこともあってさんすみからの石炭せきたん輸送ゆそう中心ちゅうしんうちこう運輸うんゆ輸送ゆそうりょく不足ふそくした。これに対応たいおうするため、1942ねん10月6にち閣議かくぎ決定けっていされた「戦時せんじ陸運りくうん非常ひじょう体制たいせい確立かくりつかんするけん[2]および「戦時せんじ陸運りくうん非常ひじょう体制たいせい確立かくりつ方策ほうさく要綱ようこう[3]においては

船舶せんぱく建造けんぞう遅延ちえん海難かいなんほか事由じゆう海上かいじょう輸送ゆそうりょく減退げんたい状勢じょうせい対応たいおうし、今後こんごける非常ひじょう事態じたい生起せいきをも考慮こうりょし、(りゃく戦時せんじ陸運りくうん非常ひじょう体制たいせい確立かくりつし、もっ内地ないち沿岸えんがん海上かいじょう輸送ゆそう貨物かもつ極力きょくりょくこれ陸上りくじょう輸送ゆそう転移てんいせしめんとす
戦時せんじ陸運りくうん非常ひじょう体制たいせい確立かくりつせきスルけん

として戦時せんじ陸運りくうん非常ひじょう体制たいせい確立かくりつし、まずは石炭せきたん輸送ゆそう確保かくほ主眼しゅがんとし、逐次ちくじ鉄鋼てっこうその重要じゅうよう物資ぶっし海上かいじょう輸送ゆそう陸上りくじょう輸送ゆそううつして余剰よじょう船舶せんぱくまんしゅう中国ちゅうごく大陸たいりく方面ほうめん南方なんぽう方面ほうめんからの輸送ゆそうてるための5項目こうもくからなる要綱ようこうさだめられ、その要綱ようこうしたに9項目こうもくからなる措置そちさだめられており、そのうち国内こくない輸送ゆそうかんするおも事項じこう以下いかとおりであった。

  • 関門かんもんトンネル経由けいゆする九州きゅうしゅうずみ輸送ゆそう能力のうりょく年間ねんかん750まんトン程度ていど目標もくひょうとして増強ぞうきょうする。
  • 北海道ほっかいどうずみ青函せいかん連絡れんらくせん増強ぞうきょうにより輸送ゆそう能力のうりょく年間ねんかん250まんトン程度ていど目標もくひょうとして増強ぞうきょうする。
  • 危険きけんせいたか太平洋たいへいようがわ海上かいじょう輸送ゆそう日本海にほんかいがわへの陸揚りくあげ・陸上りくじょう輸送ゆそうへの連携れんけいにシフトさせて、月間げっかん13まんトンから50まんトン程度ていど引上ひきあげる。
  • 輸送ゆそう線区せんく設備せつび増強ぞうきょう工事こうじ施工しこう車両しゃりょうぞう備および改造かいぞう荷役にやくりょくしょう運搬うんぱんりょく増強ぞうきょう石炭せきたん荷役にやく設備せつび整備せいびなどの緊急きんきゅう措置そちおこなう。

この計画けいかく念頭ねんとうに、1943ねん2がつダイヤ改正かいせいでは旅客りょかく列車れっしゃを21せん km削減さくげんして貨物かもつ列車れっしゃやく20せん kmを増発ぞうはつし、そのやく2かげつごと程度ていどのダイヤ改正かいせいおこなって北海道ほっかいどう九州きゅうしゅううら日本にっぽんあげ石炭せきたん輸送ゆそうぞう山田やまだせん鉄鉱てっこうせき輸送ゆそう開始かいし対応たいおうし、さらに同年どうねん10がつのダイヤ改正かいせいでは旅客りょかく列車れっしゃやく46せん km削減さくげんして貨物かもつ列車れっしゃやく35せん kmを増発ぞうはつして貨物かもつ列車れっしゃ運行うんこうは398せん kmの設定せっていとなり、旅客りょかく列車れっしゃ削減さくげんにより余剰よじょうとなった機関きかんしゃ貨物かもつ列車れっしゃまわすとともに、列車れっしゃ運行うんこう効率こうりつなどをおこなうなどの施策しさくによりこれに対応たいおうしている[4]1944ねんはいってもダイヤ改正かいせいつづき、4がつにはだい青函せいかんまる就航しゅうこうともな北海道ほっかいどうずみ輸送ゆそう増強ぞうきょう急行きゅうこう列車れっしゃ13.4せん kmの削減さくげん、6がつには九州きゅうしゅうずみ輸送ゆそう増強ぞうきょうのための貨物かもつ列車れっしゃ9.5せん kmの増発ぞうはつなどが実施じっしされ、10月のダイヤ改正かいせいでは旅客りょかく列車れっしゃを6せん km削減さくげんして貨物かもつ列車れっしゃを17.5せん km増発ぞうはつし、旅客りょかく列車れっしゃ350せん km・貨物かもつ列車れっしゃ430せん kmの設定せっていとなっている[4]。1937ねんから1945ねんあいだ輸送ゆそうりょう変化へんか以下いかとおり。

年度ねんどべつ戦時せんじ輸送ゆそう状況じょうきょう[5]
種別しゅべつ 項目こうもく 1937ねん 1938ねん 1939ねん 1940ねん 1941ねん 1942ねん 1943ねん 1944ねん 1945ねん
貨物かもつ列車れっしゃ トン数とんすう 106ひゃくまん t 118ひゃくまん t 131ひゃくまん t 146ひゃくまん t 152ひゃくまん t 158ひゃくまん t 178ひゃくまん t 161ひゃくまん t 81ひゃくまん t
トンキロすう 18.9じゅうおく t・km 21.9じゅうおく t・km 25.3じゅうおく t・km 27.9じゅうおく t・km 29.8じゅうおく t・km 33.9じゅうおく t・km 42.8じゅうおく t・km 41.2じゅうおく t・km 19.0じゅうおく t・km
1にち1キロ平均へいきん通貨つうか貨車かしゃ 447.4 りょう 480.5 りょう 521.4 りょう 542.3 りょう 562.1 りょう 613.6 りょう 647.0 りょう 561.9 りょう 291.9 りょう
1列車れっしゃあたり輸送ゆそうトン 221.1 t 237.6 t 243.0 t 256.6 t 263.1 t 278.0 t 306.2 t 297.1 t 229.1 t
旅客りょかく列車れっしゃ ひとキロすう 29.1じゅうおく にん・km 33.6じゅうおく にん・km 42.1じゅうおく にん・km 49.3じゅうおく にん・km 55.5じゅうおく にん・km 60.5じゅうおく にん・km 74.1じゅうおく にん・km 77.3じゅうおく にん・km 76.0じゅうおく にん・km
1にち1キロ平均へいきん通貨つうか客車きゃくしゃ 165 りょう 167 りょう 180 りょう 193 りょう 199 りょう 201 りょう 186 りょう 167 りょう 133 りょう

戦時せんじ車両しゃりょうぞう備と戦時せんじ設計せっけい

編集へんしゅう

1937ねんにちちゅう戦争せんそう開始かいしともな鉄道てつどう動員どういん体制たいせいとなった[6]ことと、開戦かいせんともな旅客りょかく貨物かもつ輸送ゆそうりょう増加ぞうか対応たいおうするため、1938ねんに「輸送ゆそうりょく拡充かくじゅう4 ヵ年かねん計画けいかく」(1941ねんまで)を策定さくていし、総額そうがく96.6ひゃくまんえん予算よさんのうち、車両しゃりょうぞうつぶさにその55%をとうして輸送ゆそうりょく増強ぞうきょうはかったが、資材しざい不足ふそくにより次第しだい計画けいかく達成たっせいりつ低下ていかしていた[7]。その、1942年度ねんどから10かねんの「交通こうつう施設しせつ長期ちょうき整備せいび計画けいかく」を策定さくていし、当初とうしょの5年間ねんかん毎年まいとし220ひゃくまんえん予算よさんのうち22%を車両しゃりょうぞうつぶさてることとしていた。しかし、1942ねん戦時せんじ陸運りくうん非常ひじょう体制たいせい確立かくりつともないこちらに経営けいえい資源しげんけることとなり[8]、1943ねん7がつ20日はつか閣議かくぎ決定けっていにより、「鉄道てつどう車輌しゃりょう計画けいかく増産ぞうさん確保かくほかんするけん[9]以下いかとおさだめられた。

  • 鉄道てつどう車両しゃりょう製造せいぞう工場こうじょう国家こっか総動員そうどういんほうもとづ鉄道てつどう大臣だいじん管理かんりとする
  • 車両しゃりょう製造せいぞうおよび修繕しゅうぜん能力のうりょく最大限さいだいげん発揮はっきするため、鉄道てつどうしょう技術ぎじゅつ労務ろうむ資材しざい施設しせつ経験けいけんとう活用かつようして鉄道てつどうしょう工場こうじょう機関きかん検車けんしゃ民営みんえい工場こうじょうとを一体いったいてき総合そうごう運営うんえいする
  • 車両しゃりょう製造せいぞうかんしては五大ごだい重点じゅうてん産業さんぎょう[注釈ちゅうしゃく 1]みのあつかいとする
  • 車両しゃりょうたいして戦時せんじ規格きかく実施じっし徹底てっていする
  • 必要ひつようおうじて戦時せんじ行政ぎょうせい職権しょっけん特例とくれいおよび許可きょか認可にんかとう臨時りんじ措置そちほう[11]発動はつどうする

これにともない、民間みんかん車両しゃりょう製造せいぞう工場こうじょう国家こっか総動員そうどういんほうもとづき鉄道てつどう大臣だいじん管理かんりれて官民かんみん一体いったい車両しゃりょう製造せいぞう修繕しゅうぜんにあたることとなり、かく民間みんかん工場こうじょう監理かんりかん配置はいちされて指揮しき監督かんとくまたは指導しどう斡旋あっせんおこなった[12]。1937ねんから1945ねんにかけての蒸気じょうき機関きかんしゃ発注はっちゅうじょうきょう以下いかとおり。

年度ねんどべつ蒸気じょうき機関きかんしゃ発注はっちゅうじょうきょう[13][ひょうちゅう 1]
用途ようと 形式けいしき 1937ねん 1938ねん 1939ねん 1940ねん 1941ねん 1942ねん 1943ねん 1944ねん 1945ねん 備考びこう
支線しせんよう C11かたち 31りょう - 60りょう 26りょう 20りょう - 19りょう 59りょう - 1943年度ねんど発注はっちゅうぶん以降いこう戦時せんじがた
C12かたち 22りょう 26りょう 30りょう 30りょう -
C56かたち 45りょう 14りょう -
C58かたち 10りょう 135りょう 71りょう 73りょう 40りょう 20りょう 19りょう -
旅客りょかくよう C57かたち 58りょう 48りょう 28りょう 16りょう 17りょう -
C59かたち - 15りょう[ひょうちゅう 2] 50りょう 35りょう -
貨物かもつよう D51かたち 58りょう 136りょう 248りょう 194りょう 134りょう 29りょう 100りょう 160りょう - 1943年度ねんど発注はっちゅうぶんじゅん戦時せんじがた[ひょうちゅう 3]、1944年度ねんど発注はっちゅうぶん戦時せんじがた
D52かたち - 150りょう 220りょう - ぜん戦時せんじがた
合計ごうけい 224りょう 359りょう 437りょう 354りょう 261りょう 84りょう 288りょう 439りょう 0りょう
  1. ^ 戦時せんじ買収ばいしゅうおよび樺太からふと内地ないち編入へんにゅうによる鉄道てつどうしょう編入へんにゅうのぞく。
  2. ^ べつ資料しりょうでは1940年度ねんど以降いこう27りょう、63りょう、10りょう[14]
  3. ^ べつ資料しりょうでは1942年度ねんど発注はっちゅうぶんのうち4りょうじゅん戦時せんじがた[15]

一方いっぽう開戦かいせんにより車両しゃりょうよう資材しざい不足ふそくする状況じょうきょうとなり、1938ねん製造せいぞうのC58かたち以降いこうだい用材ようざい使用しようされるようになり、1939ねん11月には269項目こうもくからなる「蒸気じょうき機関きかん車代くるまだい用材ようざいらんひょう[16]」を設定せっていしてしんせい修繕しゅうぜん適用てきようし、一部いちぶ部品ぶひんについてはだい用材ようざい使用しよう対応たいおうするための設計せっけい変更へんこう実施じっしされた[17]。さらにその一層いっそう資材しざい節約せつやくはかるため、1943ねん1がつ4にちづけの「戦時せんじ規格きかく委員いいんかい規程きてい」で制定せいていされた戦時せんじ規格きかく委員いいんかいにおいて戦時せんじ陸運りくうん非常ひじょう体制たいせいにおける車両しゃりょう生産せいさん増強ぞうきょうのため以下いかの5項目こうもくについて検討けんとうがなされた[17]

これらの検討けんとう結果けっか戦争せんそうつまでの2-3ねん目途もくととして、耐久たいきゅうりょく問題もんだいがいとして急速きゅうそく大量たいりょう生産せいさんするための、いわゆる「戦時せんじ設計せっけい」が策定さくていされ、1943ねん5がつ10日とおかにD51かたち対象たいしょうに「戦時せんじ設計せっけいようもう」およびその施行しこう細則さいそくさだめられ、これにもとづいた「D51かたち蒸気じょうき機関きかんしゃ戦時せんじ設計せっけいしょうひょう」をもとにD51かたち戦時せんじがた製造せいぞうされるとともに、形式けいしきしんせい修繕しゅうぜんにもこれが準用じゅんようされている[17]戦時せんじ設計せっけいは「重要じゅうよう資材しざい節約せつやく」「資材しざい確保かくほ容易ようい」「製作せいさく工数こうすう動力どうりょくとう節約せつやく」の3項目こうもく観点かんてんさだめられており[18]、これによるD51がた資材しざい削減さくげんじょうきょう下表かひょうのとおり。

参考さんこう)D51がた戦時せんじ設計せっけいにおける使用しよう資材しざい削減さくげんじょうきょう[19]
上段じょうだん所要しょようりょう[ひょうちゅう 1]下段げだん削減さくげんりつ
材料ざいりょう はら設計せっけい じゅん戦時せんじ設計せっけい
1942ねん
戦時せんじ設計せっけい
1943ねん
どう 2400 kg 1080 kg
55 %
500 kg
79 %
なまり 1200 kg 380 kg
68 %
160 kg
89 %
はがね 76000 kg 67000 kg
12 %
64000 kg
16 %
  1. ^ 所要しょようりょうしめしており、これは設計せっけい重量じゅうりょうとはことなる

D52がた導入どうにゅう

編集へんしゅう

1930年代ねんだい後半こうはんから1940年代ねんだい前半ぜんはんにおいて、鉄道てつどうしょうではD51かたちふえ備していたが、どう形式けいしきD50かたちもと粘着ねんちゃく重量じゅうりょう軽減けいげん全長ぜんちょう短縮たんしゅくなど地方ちほう路線ろせんでも運用うんようしやすくすることを重視じゅうしした設計せっけいであったことから、前記ぜんきのような状況じょうきょうまえ、幹線かんせん貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいんようとしてD51かたちより出力しゅつりょくたか蒸気じょうき機関きかんしゃ鉄道てつどう省内しょうない検討けんとうされていた。

そのようななかで、動輪どうりんじくおもを16 t以上いじょうボイラーをD51かたちより大型おおがたさせたDかたちで、3種類しゅるいのボイラー容量ようりょうごとにKD50かたち、KD51かたち、KD52かたちとしたものが1939ねんに、車軸しゃじく配置はいちを1D2としてさらにだい容量ようりょうのボイラーを採用さいようしたKD53がたおよび、ボイラーに燃焼ねんしょうしつ採用さいようしたKD54-Aかたち、KD-54Bかたち1940ねんにそれぞれ計画けいかくされ、このうち、KD54-BかたちはD51かたちどう程度ていど下回したまわりに燃焼ねんしょうしつそなえた大型おおがたボイラーをせたもので、のちにD52かたちとなったものである[20]。これらの計画けいかくとD51かたち、D52かたち、1943ねん計画けいかくされたKE50かたち比較ひかく以下いかとおり。

KD51 - KD54かたち、KE50かたち、D51 - D52がた主要しゅようしょもと比較ひかくひょう[20][21]
形式けいしき 車軸しゃじく配置はいち 動輪どうりんみち ボイラー シリンダー 動輪どうりんじょう重量じゅうりょう シリンダー
牽引けんいんりょく
備考びこう
格子こうし面積めんせき 内径ないけい [ひょうちゅう 1] 煙管きせるちょう 燃焼ねんしょう室長しつちょう 圧力あつりょく 直径ちょっけい 行程こうてい
D51かたち[ひょうちゅう 2] 1D1 1400 mm 3.27 m2 1632 mm 5500 mm - 1.37 MPa 550 mm 660 mm 56.00 t 166.4 kN 1936ねんせい
KD52かたち 3.60 m2 1700 mm 1.57 MPa 530 mm 62.00 t 176.6 kN 1939ねん計画けいかく
KD50かたち 4.10 m2 1800 mm 560 mm 66.00 t 197.2 kN
KD51かたち 4.50 m2 1900 mm 580 mm 70.00 t 211.5 kN
KD53かたち 1D2 1520 mm 5.02 m2 1850 mm 570 mm 710 mm 68.00 t 202.4 kN 1940ねん計画けいかく
KD54-Aかたち 1D1 1400 mm 3.80 m2 1700 mm 500 mm 550 mm 660 mm 64.40 t 190.2 kN
KD54-Bかたち 3.85 m2 1846 mm 5000 mm 1000 mm 65.00 t
D52かたち 64.79 t[ひょうちゅう 3] 1943ねんせい
KE50かたち 1E1 1250 mm 5500 mm 70.00 t 212.9 kN 1943ねん計画けいかく
  1. ^ 最大さいだい数値すうち
  2. ^ D51 1 - 85, 91-100号機ごうき
  3. ^ 原形げんけいきのえかんおつかん

当時とうじ蒸気じょうき機関きかんしゃ設計せっけい主要しゅよう鉄道てつどうしょうが、詳細しょうさい設計せっけい鉄道てつどうしょう民間みんかん会社かいしゃ分担ぶんたんしており、D52かたち同様どうよう体制たいせいすすめられていた[22]。1943ねんはる時点じてんでは設計せっけいがある程度ていどすすんでいる状況じょうきょうであったが、その戦時せんじ設計せっけいようもう」の適用てきよう設計せっけい見直みなおしをおこな[23]鉄道てつどうしょう詳細しょうさい設計せっけい担当たんとうして[24]急遽きゅうきょ設計せっけい手直てなおしがおこなわれた。製造せいぞうたっては、変更へんこうてん多岐たきにわたる戦時せんじ設計せっけいのD51かたちとD52かたち民間みんかん工場こうじょう混乱こんらんふせぐために鉄道てつどうしょう浜松工はままつこう鷹取たかとりこう先行せんこう製造せいぞうされることとなり[23]ほん形式けいしきは1943ねん9がつ製造せいぞう開始かいしされ、12月21にち鷹取たかとりこうでD52 21号機ごうきが、12月28にち浜松工はままつこうでD52 1号機ごうき竣工しゅんこうしている[25]。その鉄道てつどうしょう工場こうじょう引続ひきつづいて民間みんかん汽車きしゃ製造せいぞう日本車輌製造にっぽんしゃりょうせいぞう川崎かわさき車輛しゃりょう日立製作所ひたちせいさくしょ三菱重工業みつびしじゅうこうぎょうでも生産せいさん開始かいしされ1944ねんには量産りょうさん体制たいせいとなった。

D52かたちはD51かたちより動輪どうりんじょう重量じゅうりょうして粘着ねんちゃく引張ひっぱちから増強ぞうきょうするとともに、そのぶん重量じゅうりょうとD51かたち搭載とうさいしていたデッドウエイト廃止はいししたぶん重量じゅうりょう利用りようしたボイラーの大形おおぎょう高圧こうあつにより、シリンダー引張ひっぱちからおよび出力しゅつりょく増強ぞうきょうはかっている。また、しつ燃焼ねんしょうしつ設置せっちすることにより、ボイラー効率こうりつをD51がたの70 %から78 %に向上こうじょうさせるとともに煙管きせる短縮たんしゅくによる資材しざい節約せつやくはかり、また、これにより重心じゅうしん前方ぜんぽううつすことによってD51がたでは後方こうほうかたよっていたじくじゅうバランスを前方ぜんぽううつして均等きんとうはかっている[26]一方いっぽう各部かくぶ構造こうぞうについては機能きのう改善かいぜんはかるとともに生産せいさんせい向上こうじょう資材しざい入手にゅうしゅ容易ようい考慮こうりょして、たんなる代用だいようざい使用しようまらずにどうなまりなどの重要じゅうよう資材しざい節約せつやくはかった本格ほんかくてきどうなまり節約せつやく設計せっけいとなっており[27]、これらの設計せっけいにより、D52かたちはD51かたちとの比較ひかくにおいて空車くうしゃ重量じゅうりょう(≒資材しざい所要しょようりょう)は5 %、製造せいぞう工数こうすうやく6 %それぞれ増加ぞうかしたが、出力しゅつりょくやく22 %の増加ぞうかとなり、重量じゅうりょうおよび所要しょよう資材しざいりょう工数こうすうあたりの出力しゅつりょく増強ぞうきょうされている[26]

概要がいよう

編集へんしゅう

ほん形式けいしきげん設計せっけい極端きょくたん戦時せんじ設計せっけいではなく、しゅれんぼうのビッグエンド(主動しゅどうがわはし)のまるブッシュ鋳鋼ちゅうこうせいおもだいわく採用さいようなどはされていたもののすなばこ蒸気じょうきためカバーは通常つうじょう形状けいじょうじょけむりばんはがねせいのものであった[22]。その設計せっけい途中とちゅう戦時せんじ設計せっけい採用さいようされてすなばこ蒸気じょうきためカバーのかくがたや、たいわくべん装置そうちなどに鋳鋼ちゅうこうせい部品ぶひん使用しようといった資材しざい確保かくほ工作こうさく簡易かんいどうけい材料ざいりょう節約せつやくじょけむりばん踏板ふみいた炭水車たんすいしゃ炭庫たんこといった部分ぶぶん木材もくざい代用だいようざいとして採用さいようするなどの変更へんこうがなされ、総体そうたいとして非常ひじょうしつわるいものとなった。 また、給水きゅうすい加熱かねつもボイラーだいなか排気はいき膨張ぼうちょうしつ兼用けんようのものを設置せっちして配管はいかん簡略かんりゃく金属きんぞく材料ざいりょう使用しようりょう削減さくげんはかっている。ほん形式けいしき準拠じゅんきょしている戦時せんじ設計せっけい代表だいひょうてきなものは以下いかとお[19]

  • 大形おおがた機関きかんしゃでもボイラーかんどう長手ながてレール方向ほうこう継手つぎて溶接ようせつ組立くみたてとする
  • しゅれんぼうのビッグエンド(主動しゅどうがわはし)の形状けいじょうまるブッシュとして、主動しゅどうのバランスウェイトない充填じゅうてんするなまり全廃ぜんぱい
  • くるま軸受じくうけきんさんメタルしきのものを採用さいよう
  • 炭水車たんすいしゃすいタンク外郭がいかくによって列車れっしゃ荷重かじゅう負担ふたんし、たいわく骨組ほねぐみ廃止はいし
  • 炭水車たんすいしゃしん鋳鉄ちゅうてつ
  • タイヤとめ廃止はいし
  • あゆいた石炭せきたん木造もくぞう

また、資材しざいおよび人員じんいん不足ふそくによる細部さいぶ設計せっけい変更へんこう本省ほんしょう承認しょうにんることなく、工場こうじょうちょうかく民間みんかん工場こうじょう配置はいちされていた監督かんとくかん判断はんだんまかせられたとされており[28]、そのため、蒸気じょうきためすなばこのカバー、じょけむりばん煙突えんとつなどの形状けいじょう変更へんこうや、工作こうさく簡略かんりゃく装備そうび省略しょうりゃくおこなわれ、結果けっかとして形態けいたい多様たようしている。

ほん形式けいしきのボイラーは、D51がたから動輪どうりんじょう重量じゅうりょう増大ぞうだいさせたぶん重量じゅうりょう利用りようしただい容量ようりょう[27]燃焼ねんしょうしつ設置せっちによる燃焼ねんしょう効率こうりつ向上こうじょう過熱かねつ蒸気じょうき温度おんど確保かくほによるボイラー効率こうりつ向上こうじょうなどをはかり、D51がたから大幅おおはば増強ぞうきょうはかったものである一方いっぽう戦時せんじ設計せっけい対応たいおうして使用しよう材料ざいりょう工数こうすう削減さくげん資材しざい確保かくほ容易よういはかったものであることが特徴とくちょうとなっているそのため、戦時せんじちゅうボイラー爆発ばくはつ事故じこおおくなった。なお、ボイラーの大型おおがたにより、機関きかんしゃ重心じゅうしんたかさは旅客りょかくようのC59がた(1665 mm)と同等どうとうの1660 mmとなっている[29]

ボイラーの種類しゅるいは3しゅきのえかんおつかんへいかん)あり、へいかんはボイラー用材ようざい幅広はばひろ鋼材こうざい不足ふそくしたためかくかんどうながさをえて2000 mmはばのボイラー用材ようざいからでも製造せいぞう可能かのうとなっている[26]が、煙管きせるちょうかくかんしゅとも5000 mmのままとしたため、へいかんでは燃焼ねんしょう室長しつちょうみじかくなっている。げん設計せっけいかぶとかんで、かんどう長手ながて(レール方向ほうこう継手つぎてリベット組立くみたてかんどうしゅうせっしゅ将来しょうらいぞうあつ (18 kg/cm2) を考慮こうりょしてリベットが2れつであったが、おつかんへいかんでは長手ながて継手つぎてC12かたちC56かたちC11かたち実績じっせきのあった溶接ようせつ組立くみたてとし[30]しゅうせっしゅはリベットを1れつとする[26]など、構造こうぞう簡略かんりゃくはかられている。なお、日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどうかんの『鉄道てつどう技術ぎじゅつ発達はったつ』では「きのえかん実際じっさいには製造せいぞうされていない」[31]記述きじゅつされている一方いっぽう、「きのえかん鉄道てつどうしょう運輸うんゆ通信つうしんしょうこうしょせいおつへいかん民間みんかん工場こうじょうせい大体だいたい区分くぶんとされている」とする文献ぶんけん[28]や、「きのえかん鉄道てつどうしょう運輸うんゆ通信つうしんしょうこうしょせいおつかんが1943年度ねんど発注はっちゅう汽車きしゃ製造せいぞうおよび日立製作所ひたちせいさくしょせいへいかんがその」とする文献ぶんけん[32]があり、形式けいしきにおいてはD52 1-142号機ごうき燃焼ねんしょうしつかぶときのえかんもしくはおつかん)、D52 143号機ごうき以降いこう燃焼ねんしょうしつおつへいかん)としている[33]。ボイラー種別しゅべつごとの要目ようもく以下いかとおり。

D52かたちボイラー種別しゅべつ一覧いちらんひょう[20][34]
ボイラー種別しゅべつ かんどう しつ燃焼ねんしょうしつ 煙管きせる つてねつ面積めんせき かんすい容量ようりょう 重量じゅうりょう
かんどう
種別しゅべつ
かんどうちょう かんどう[ひょうちゅう 1]内径ないけい かんどう工法こうほう 燃焼ねんしょうしつ
種別しゅべつ
格子こうし
面積めんせき
燃焼ねんしょう室長しつちょう そとしつ
てんいたちょう
しつ容積ようせき 煙管きせるちょう だい煙管きせる[ひょうちゅう 2]
本数ほんすう
しょう煙管きせる[ひょうちゅう 3]
本数ほんすう
しつ 煙管きせる 過熱かねつ
だい1 だい2 だい3 だい1 だい2 だい3 しゅう方向ほうこう 長手ながて方向ほうこう
きのえかん きのえ 2230 mm 2470 mm 1501 mm 1770 mm 1808 mm 1846 mm リベット2れつ リベット きのえ 3.85 m2 1000 mm 2296 mm 7.0 m2 5000 mm 35ほん 94ほん 20.1 m2 147.7 m2 77.4 m2 9.6 m3 18.37 t
おつかん おつ 2100 mm 1450 mm リベット1れつ 溶接ようせつ 2276 mm 17.65 t
へいかん へい かく1980 mm おつ 920 mm 2275 mm 6.88m3 19.7 m2 9.5 m3 17.53 t
  1. ^ いたあつ19 mm
  2. ^ 直径ちょっけい140 mm
  3. ^ 直径ちょっけい57 mm

燃焼ねんしょうしつは、しつ前方ぜんぽうに、かぶとおつかんは1000 mm(燃焼ねんしょうしつかぶと)、へいかんは920 mm(燃焼ねんしょうしつおつ)のものをもうけており、D51かたち比較ひかくすると格子こうし面積めんせきの3.27 m2から3.85 m2と17 %ぞうとなったのにたいし、しつ容積ようせきを4.37 m3から7.0 m3燃焼ねんしょうしつかぶと燃焼ねんしょうしつおつでは6.88 m3)と60 %(57 %)拡大かくだいした結果けっか[35]格子こうし面積めんせき/しつ容積ようせきはD51がたの1.33から、石炭せきたんちゅう炭素たんそおよび揮発きはつせい成分せいぶん[注釈ちゅうしゃく 2]両方りょうほう十分じゅうぶん燃焼ねんしょうされるため適切てきせつとされる1.6 - 2.0の範囲はんい[37]うちの1.81(燃焼ねんしょうしつかぶと燃焼ねんしょうしつおつでは1.79)となっている[注釈ちゅうしゃく 3]。また、しつにおける輻射ふくしゃによるつてねつりょう煙管きせるにおける接触せっしょくによるつて熱量ねつりょうににくらべてやく10ばいで、ボイラーないでのかんすいねつ吸収きゅうしゅう大半たいはんしつ周辺しゅうへんにおけるものであり[36]ほん形式けいしきしつでんねつ面積めんせきもD51がたの12.7 m2から20.1 m2燃焼ねんしょうしつかぶと燃焼ねんしょうしつおつでは19.7 m2)に拡大かくだいされてつて熱量ねつりょう増大ぞうだいはかっている。燃焼ねんしょうしつ1920年代ねんだいアメリカにおいて普及ふきゅうしたもので、みなみまんしゅう鉄道てつどう朝鮮ちょうせん鉄道てつどうでも1927ねん以降いこう採用さいようされるようになり[注釈ちゅうしゃく 4]日本にっぽんにおいても1920年代ねんだい後半こうはん以降いこう研究けんきゅうすすめられていた[36]が、1926ねんにアメリカから輸入ゆにゅうしたC52かたちにおいて、アメリカのメーカーがわでは燃焼ねんしょうしつ採用さいよう計画けいかくしていたが鉄道てつどうしょうがわでこれを採用さいようとしている[39]。その、1932-33年度ねんどにはD50かたちとC51がたげんくるま試験しけん実施じっしされてその有効ゆうこうせい確認かくにんされた[注釈ちゅうしゃく 5]一方いっぽうで、構造こうぞうじょう複雑ふくざつとなるためほん形式けいしきいたるまで実装じっそうはされなかったが、ほん形式けいしきではボイラーの重量じゅうりょう配分はいぶん前方ぜんぽううつしてかく動輪どうりんじくじゅう均等きんとうする目的もくてきもあって燃焼ねんしょうしつもうけられている[37]

燃焼ねんしょうしつ設置せっちされてだい煙管きせるながさが5000 mmに短縮たんしゅくされた一方いっぽうで、だい煙管きせる本数ほんすうを7れつ × 5だんの35ほんとして過熱かねつ面積めんせきをD51がたの64.4 m2から77.4 m2拡大かくだいする[35]するとともに、過熱かねつ面積めんせき/ぜん蒸発じょうはつ面積めんせきを0.41から0.46に向上こうじょうさせている[41]。この過熱かねつ面積めんせき/ぜん蒸発じょうはつ面積めんせき過熱かねつ温度おんど上昇じょうしょうによるボイラー効率こうりつ向上こうじょうのため、最初さいしょにこれを考慮こうりょして設計せっけいされた8620がた実績じっせきもとれられた指標しひょうで、その設計せっけいされる機関きかんしゃはこの数値すうちやく0.3以上いじょうとすることとしたものである[42]。さらに、ほん形式けいしきでは燃焼ねんしょうガス煙管きせるたいする配分はいぶん改良かいりょうして過熱かねつ温度おんどたかめるため、ガス通路つうろ流体りゅうたい抵抗ていこう着目ちゃくもくした川崎かわさき車輛しゃりょう提案ていあんもとづき、過熱かねつかんけむりしつがわおりかえしけむりしつないからだい煙管きせるない変更へんこうしている[43]

これらの設計せっけい結果けっかほん形式けいしきにおいては過熱かねつ蒸気じょうき温度おんど平均へいきん368.5 °C、瞬間しゅんかんではD51がたでは358°Cであったものが375 °Cとなり[43]試験しけんだい試験しけんにおける比較ひかくにおいて、燃焼ねんしょうりつ500 kg/m2/hときのボイラー効率こうりつはD51がたの70 %から78%に、つてねつ効率こうりつは79 %から84 %に、ボイラー効率こうりつは55 %から59 %にそれぞれ向上こうじょうし、ボイラーへのねつ入力にゅうりょくりょう同一どういつであった場合ばあい指示しじ出力しゅつりょくはD51かたちよりやく10 %向上こうじょうしている[32]

走行そうこう装置そうち

編集へんしゅう

車軸しゃじく配置はいちはD50かたち、D51かたちおなじく、格子こうし面積めんせきおおきくとることができる[44]1D1(日本にっぽん国鉄こくてつしき)、2-8-2ホワイトしき)もしくは通称つうしょうミカドとばれる配列はいれつで、直径ちょっけい1400 mmの動輪どうりんを4じく直径ちょっけい860 mmのさきもしくはしたがえゆうする1じくさき台車だいしゃおよび1じくしたがえ台車だいしゃをそれぞれ装備そうびしている。じくさき - だい1動輪どうりんあいだ2500 mm、だい1 - だい4動輪どうりんあいだかく1550 mm、だい4動輪どうりん - したがえあいだ2450 mmとしており[45]かく動輪どうりんあいだじく距はD51かたち同一どういつであるが、さき - だい1動輪どうりんあいだが50 mm、だい4動輪どうりんあいだ - したがえあいだが100 mm延長えんちょうされているほか、ぜんたいわく先端せんたん - さきあいだも50 mm延長えんちょうされている一方いっぽうで、後台ごだいわくはし - したがえあいだは150 mm短縮たんしゅくされており、たいわく全長ぜんちょうがD51かたちより50 mm短縮たんしゅくされている。かく車軸しゃじくのばね装置そうちうえばねしきかさばんばねで、さきだい1動輪どうりん左右さゆうじくばねぐんおよびイコライザーで1てんだい2 - 4動輪どうりんしたがえ左右さゆうじくばねぐんおよびイコライザーで左右さゆう2てんの3てん支持しじしきとして、さき - だい2動輪どうりんで1てんだい3動輪どうりん - したがえで2てんとしていたD51かたち比較ひかくして負担ふたん重量じゅうりょう均等きんとうはかっている[46]ほか、だい4動輪どうりんに6 mmのよこどうりょう付与ふよして[47]曲線きょくせん通過つうか性能せいのう確保かくほしている。また、さき台車だいしゃはD51かたちおなじコロしき復元ふくげん装置そうち・1てん支持しじこころこうぼうちょう1600 mmのLT128、したがえ台車だいしゃはC57かたちやD51かたち装備そうびするLT157を若干じゃっかん変更へんこうした、ばねしき復元ふくげん装置そうちこころこうぼうちょう1800 mmのLT157AもしくはLT157B[注釈ちゅうしゃく 6][49]装備そうびしており[50]じくばこじくばねあいだすべだい前者ぜんしゃ開放かいほうしき後者こうしゃ密閉みっぺいしきとなっている[51]

たいわくあついた鋼板こうはん使用しようしたぼうだいわくで、 前部ぜんぶはしはりまであついた鋼板こうはんだいわくであったD51かたちことなり、ぜんたいわくとボイラーだいをC12かたち・C56かたちC55かたち以降いこう大型おおがた旅客りょかくよう機関きかんしゃ同様どうよう大型おおがた鋳鋼ちゅうこう部品ぶひんとしてシリンダーとともにおもだいわくボルトめしており、D51がた多発たはつして問題もんだいとなっていたおもだいわくのシリンダー取付とりつけ後部こうぶクラックたいしては、たいわく切抜きりぬきすみ部分ぶぶん形状けいじょう変更へんこうをもって対策たいさくとしている[46]一方いっぽうで、たいわくちゅうあいだ鋳物いものはD51かたち共通きょうつうひん使用しようしている[52]ほか、後部こうぶだいわくのD62がたのように左右さゆう間隔かんかくせばめて資材しざい工程こうてい節約せつやくはかあんもあったが、発案はつあん時点じてんですでに製造せいぞう段階だんかいはいっていたため、D51かたち同様どうようの、後台ごだいわくしたがえ外側そとがわ張出はりだ構造こうぞうのままとなっている[53]。また、従来じゅうらい機関きかんしゃおもだいわくいたあついた鋼板こうはん切抜きりぬけ加工かこうしたものを使用しようしていたが、ほん形式けいしきではあつ鋼板こうはん切抜きりぬき加工かこうのものと鋳鋼ちゅうこうのものの双方そうほう用意よういされている[54]鋳鋼ちゅうこうせいおもだいわくはアメリカやみなみまんしゅう鉄道てつどうなどでは基本きほんとされていた[55]もので、日本にっぽんにおいてもC52がたおもだいわく鋳鋼ちゅうこうせいであったほか、1936ねんにC55かたちれいにとって鋳鋼ちゅうこうせいおもだいわくあついた切抜きりぬきしきおもだいわく比較ひかくがなされた結果けっか[注釈ちゅうしゃく 7]両者りょうしゃあいだおおきなはないとされた。そのにちちゅう戦争せんそう影響えいきょうによってあつ鋼板こうはん入手にゅうしゅ困難こんなんとなった[注釈ちゅうしゃく 8]ことにともない、D51かたち[注釈ちゅうしゃく 9]、C11かたち、C57かたち、C58かたち鋳鋼ちゅうこうせいだいわく追加ついか設計せっけいがなされ、C59かたちおよびほん形式けいしき当初とうしょから鋼板こうはん鋳鋼ちゅうこう双方そうほう対応たいおうできる設計せっけいがなされている[54]

べんおよびリンク装置そうちはし装置そうちにはワルシャートしきべん装置そうち使用しようしており、シリンダーはD51かたちおな直径ちょっけい550 mm、行程こうてい660 mmで使用しよう圧力あつりょく増加ぞうかぶんだけシリンダー牽引けんいんりょく増強ぞうきょうしている。戦時せんじ設計せっけいようもうおよび施行しこう細則さいそくにより、リンク装置そうち鍛造たんぞう部品ぶひんかた部品ぶひんもしくは鋳鋼ちゅうこう部品ぶひんへの変更へんこうや、ブッシュるいどうけい材料ざいりょう削減さくげんなどがなされており[57]、また、ほん形式けいしきではしゅれんぼうのビッグエンド(主動しゅどうがわはし)をアメリカみなみまんしゅう鉄道てつどう標準ひょうじゅんとされていたまるブッシュしきとしている。従来じゅうらい機関きかんしゃではビッグエンドに角形かくがた調整ちょうせいしきのブッシュを使用しようし、重量じゅうりょうバランス確保かくほのため主動しゅどうのバランスウエイト内部ないぶなまり充填じゅうてんしていたが、ほん形式けいしきまるブッシュしきなまり節約せつやくしゅれんぼう回転かいてん不釣合ふつりあい軽減けいげん目的もくてきとしたもので、調整ちょうせい機構きこうのないぶんだけ軽量けいりょうはかり、主動しゅどうバランスウエイトないなまり全廃ぜんぱいしたものである[31]

さきおよびしたがえはディスクしき動輪どうりんはボックスしきで、タイヤの抜出ぬけだ防止ぼうしようとめ廃止はいしされているほか、さき台車だいしゃしたがえ台車だいしゃ軸受じくうけぼうるいの受金にさんメタルしきのものが使用しようされている[58]。タイヤのとめはそのよう不要ふよう1920年代ねんだいより議論ぎろんされ、みなみまんしゅう鉄道てつどうにおいてしょうめのみでとめ使用しようしない方式ほうしきでの実績じっせきがあったこともあって国内こくないでも試験しけんおこなわれており、戦時せんじ設計せっけいさいして廃止はいしされている[59]さんメタル方式ほうしきは受金のどうけい材料ざいりょう削減さくげんのため採用さいようされたもので、受金をはがねせいのものにどう合金ごうきんうらりしたものとして、さらにそのうえ軸受じくうけ合金ごうきんとしてホワイトメタル方式ほうしきとなっている[60]。また、汽車きしゃ製造せいぞうせいのD52 379-384号機ごうきの6りょう[61][62][注釈ちゅうしゃく 10]原形げんけい鋳鋼ちゅうこうせいのボックスしんえて、えんばん湾曲わんきょくさせていちまいいた構造こうぞうとした鋳鋼ちゅうこうせいのディスクしん使用しようした。この方式ほうしきはボックスしんどう時期じきにアメリカで開発かいはつされたもので、じゅうかべ構造こうぞうのボックスしん鋳造ちゅうぞう必要ひつようとなる中子なかご不要ふようとして工数こうすう削減さくげんしたものとなっている[63]。さらに、日立製作所ひたちせいさくしょせいのD52 393-416号機ごうきおよび三菱重工業みつびしじゅうこうぎょうせいのD52 146号機ごうきさきに、後述こうじゅつする炭水車たんすいしゃよう車輪しゃりんおな鋳鉄ちゅうてつせいじゅうかべしんのものを装備そうびしている[64]

ブレーキ装置そうち

編集へんしゅう

ブレーキ装置そうち自動じどう空気くうきブレーキブレーキ装備そうびしており、基礎きそブレーキ装置そうちたいわくないだい1およびだい3動輪どうりんあいだ内側うちがわにブレーキシリンダを1ずつ搭載とうさいし、それぞれだい1・2動輪どうりんおよびだい3・4動輪どうりんの2じくずつけい4じく作用さようする[65]かた押式の踏面ブレーキとなっており、制動せいどうじく一部いちぶ制動せいどうはりはD51かたち共通きょうつうひん使用しようしている[52]せいせいせいホルダーがき、そこにせい取付とりつける乙種おつしゅのうち、機関きかんしゃおつ-163ごうせいホルダーは偏心へんしん1ごう)、炭水車たんすいしゃおつ-162ごうせいホルダーは偏心へんしん2ごう)を使用しようしている[66]

空気くうきブレーキ装置そうち蒸気じょうき機関きかんしゃ標準ひょうじゅんのET6を採用さいようしている。この方式ほうしきアメリカウェスティングハウス・エア・ブレーキ[注釈ちゅうしゃく 11]開発かいはつしたもので、H6自動じどうブレーキべん、S6単独たんどくブレーキべん、6ばん分配ぶんぱいべん、C6減圧げんあつべん、B6吸気きゅうきべんなどで構成こうせいされるもので、その特徴とくちょう以下いかとおりとなっている[67]

  • 構造こうぞう簡単かんたん取付とりつけおよび保守ほしゅ容易ようい
  • 非常ひじょうブレーキが使用しよう可能かのう
  • ブレーキべん連動れんどうしてもと空気くうきため圧力あつりょくを2段階だんかい設定せってい可能かのう
  • 補助ほじょ機関きかんしゃもしくは無火むか回送かいそうにおいても客車きゃくしゃ貨車かしゃ同様どうようにブレーキが作用さようする

運転うんてんしつは1937年度ねんど発注はっちゅうのC58かたち以降いこう、C59かたち計画けいかくのKD51かたち、KD52かたち、KD53がたでは、乗務じょうむいん安全あんぜんせい向上こうじょう灯火ともしび管制かんせい対応たいおうできるといった利点りてんのある[68]密閉みっぺいしき運転うんてんしつ装備そうびしていたが、ほん形式けいしきでは開放かいほうしき運転うんてんしつとしている。また、アメリカの機関きかんしゃ同様どうよう運転うんてんしつ荷重かじゅう後台ごだいわく負担ふたんさせず、ボイラーに取付とりつける方式ほうしきとしている[35]ほか、運転うんてんしつない機器ききるい戦時せんじ設計せっけいにより、速度そくどけい省略しょうりゃく圧力あつりょくけいるい簡素かんそ運転うんてん室内しつないとう削減さくげんなど[58]簡素かんそがされている[46]

ほん形式けいしき煙突えんとつはボイラーが機関きかんしゃ前方ぜんぽう延長えんちょうされたことにともない、シリンダ中心ちゅうしんせんより600 mm前方ぜんぽうにずれていることが特徴とくちょうとなっており、これにより容積ようせきおおきくなったボイラーだい内部ないぶのスペースのうち、うえはん容積ようせき0.303 m3排気はいき膨張ぼうちょうしつ[注釈ちゅうしゃく 12][69]とし、したはんにはみずかん配置はいちして給水きゅうすい加熱かねつとして[70]給水きゅうすい加熱かねつ筐体きょうたい配管はいかん資材しざい節約せつやくしている[19]。また、煙突えんとつ鋼板こうはん溶接ようせつ組立くみたてのものと鋳鉄ちゅうてつせいのものがあり[71]、いずれも煙突えんとつ基部きぶとボイラーあいだ取付とりつけ省略しょうりゃくしている。

すなばこ蒸気じょうきためカバーは形状けいじょう簡略かんりゃくとしており、製造せいぞう時期じき製造せいぞうしょによって、断面だんめんかくがたカマボコかたちがい、すなばこ蒸気じょうきため段差だんさ有無うむ前後ぜんごはし形状けいじょうちがいで5種類しゅるい大別たいべつされる[25]。また、じょけむりばん原形げんけいにおいては前部ぜんぶはしはりより先端せんたん張出はりだしており、下隅したすみまるみをつけた形状けいじょうであった[72]が、戦時せんじ設計せっけいにおいては原形げんけい形状けいじょうのまま木製もくせいしたもののほか、先端せんたん前部ぜんぶはしはり位置いちとしたものが前方ぜんぽう上隅うえすみ形状けいじょうちがとうにより3しゅけい4しゅ大別たいべつされる[71]

炭水車たんすいしゃ

編集へんしゅう

炭水車たんすいしゃ当初とうしょC59かたち同一どういつの10-25かたち使用しようすることを予定よていしていたとされる[72]が、戦時せんじ設計せっけい導入どうにゅうにより、戦時せんじ設計せっけいのD51かたち装備そうびする10-20かたち台車だいしゃ全長ぜんちょう台車だいしゃ中間なかま距離きょりを1200 mm延長えんちょうして石炭せきたんおよびみず搭載とうさいりょう増大ぞうだいさせた12-25かたち装備そうびしている[35]戦時せんじ設計せっけいすみすい使用しよう石炭せきたんしつ低下ていかならびに貨物かもつ列車れっしゃじゅう列車れっしゃ長距離ちょうきょり傾向けいこうから、積載せきさいずみ水量すいりょう増加ぞうかさせた一方いっぽうで、全面ぜんめんてき設計せっけい変更へんこうおこなって所要しょよう資材しざい削減さくげんしつつ積載せきさい容量ようりょうぞう対応たいおうし、かつ、運転うんてん整備せいび重量じゅうりょう減少げんしょうすることにより勾配こうばい区間くかんにおける機関きかんしゃ牽引けんいん能力のうりょく増大ぞうだいさせている[18]

この炭水車たんすいしゃは、ぜんはしがわ中間ちゅうかん緩衝かんしょう受・中間ちゅうかん引張ひっぱぼう受と台車だいしゃこころさら設置せっちした鋳鋼ちゅうこうせいぜんたいわくを、後端こうたんがわには連結れんけつともいたもり台車だいしゃこころさら設置せっちしたおなじく鋳鋼ちゅうこうせい後台ごだいわく設置せっち[73]前後ぜんごたいわくあいだは、みずタンクのそこばんを6 mmあつ鋼板こうはん使用しようした船底ふなそこがたのものとして、ここに重量じゅうりょうおよび引張ひっぱちから連結れんけつ衝撃しょうげき負担ふたんさせる[35]フレームレス構造こうぞうとした[注釈ちゅうしゃく 13][注釈ちゅうしゃく 14]ものである。また、炭庫たんこ部分ぶぶん石炭せきたんしつ悪化あっかしたことに対応たいおうして容量ようりょう当初とうしょ計画けいかくの10 tから12 tに増大ぞうだいするとともに、うたて車台しゃだい空襲くうしゅう被害ひがいなどで使用しようできない場合ばあい逆行ぎゃっこう運転うんてん想定そうていし、後方こうほう視界しかい確保かくほするために水槽すいそう部分ぶぶんよりはばせばめた形状けいじょうとなった[74]。このほかぜん床板とこいた道具どうぐばこなどを木造もくぞうのものに変更へんこうしたほか、基礎きそブレーキ装置そうち部品ぶひん配管はいかん簡素かんそしている[75]

台車だいしゃ構造こうぞう簡素かんそしたベッテンドルフしき[76]鋳鋼ちゅうこうせいがわわく式台しきだいしゃのLT204かたち[49][注釈ちゅうしゃく 15]装荷そうかし、車軸しゃじく従来じゅうらいちょうじくのものからたんじくにしたほか、車輪しゃりんしん鋳鉄ちゅうてつせいはこがたしんとしている[75]。なお、まくらばねかさばんばねであるが、初期しょき製造せいぞうされたものは3くみ並列へいれつのもの、その製造せいぞうされたものは2くみ並列へいれつのものとなっている[77]

製造せいぞう

編集へんしゅう

ほん形式けいしき設計せっけい並行へいこうして1943ねん6がつから2かしょ鉄道てつどうしょう(→運輸うんゆ通信つうしんしょう)の工場こうじょうこう[注釈ちゅうしゃく 16])で先行せんこうてき部品ぶひん機関きかんしゃ本体ほんたい製造せいぞう開始かいし[注釈ちゅうしゃく 17]、その製造せいぞう計画けいかくてられた民間みんかんメーカー5しゃによる本格ほんかくてき製造せいぞう移行いこうした。ほん形式けいしきは1943年度ねんどに150りょう、1944年度ねんどに220りょう発注はっちゅうされて[32]、D51がた(1943・44ねんけい260りょう発注はっちゅう[15])と並行へいこうして生産せいさんされることとなったが、1941年度ねんど以降いこう蒸気じょうき機関きかんしゃ生産せいさんじょうきょう発注はっちゅう年度内ねんどない竣工しゅんこうするものはすくなく、翌々よくよく年度ねんど竣工しゅんこうがずれむものもあるといった状況じょうきょうであり[80]ほん形式けいしき発注はっちゅう370りょうのうち、終戦しゅうせんにも納入のうにゅうみとめられた1945年度ねんどまつ竣工しゅんこうぶんまでのけい285りょう生産せいさんされた[32]最終さいしゅう出場しゅつじょうは、1946ねん3月31にちづけ日本にっぽん車輌しゃりょうせいのD52 62号機ごうき実際じっさい竣工しゅんこう4がつ16にち[81]。)。竣工しゅんこうけい85りょう[32]、メーカー各社かくしゃのこった素材そざい戦後せんご輸出ゆしゅつこう機関きかんしゃ転用てんようされたとされており[82]川崎かわさき車輌しゃりょう製造せいぞうされたサハリンけのD51かたち7りょうにはほん形式けいしきようおもだいわく流用りゅうようされている[83]

発注はっちゅう予定よてい最終さいしゅう番号ばんごうはD52 492ごう予定よていで、D52 153-197・256-332号機ごうき予定よてい欠番けつばんであった[32]が、生産せいさん計画けいかくについて、鉄道てつどう車輌しゃりょう研究けんきゅう臼井うすい茂信しげのぶはD52 153-197ごう予定よてい三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう生産せいさん割当わりあてぶん、D52 256-332ごう予定よてい川崎かわさき車輌しゃりょう生産せいさん割当わりあてぶんとしてけいやく500りょう計画けいかく[82]おなじく蒸気じょうき機関きかんしゃ研究けんきゅう金田かねだしげるひろし予定よてい欠番けつばんぶんのぞやく400りょう計画けいかく[71]であったとそれぞれ推定すいていしている。

竣工しゅんこう年度ねんど製造せいぞうしょごとの番号ばんごうせいばんりょうかず下表かひょうのとおり。

D52かたち製造せいぞう一覧いちらん
上段じょうだん番号ばんごう 下段げだん()ない製造せいぞう番号ばんごう
年度ねんど 鉄道てつどうしょう運輸うんゆ通信つうしんしょう工場こうじょう 民間みんかん工場こうじょう 合計ごうけい
浜松工はままつこう 鷹取たかとりこう 日本にっぽん車輌しゃりょう 川崎かわさき車輛しゃりょう 日立製作所ひたちせいさくしょ 汽車きしゃ製造せいぞう 三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう 番号ばんごう りょうかず
1943年度ねんど D52 1-5
(89-93)
D52 21-24
(59-62)
D52 123-132
(2390-2399)
D52 1-5, 21-24
123-132
19りょう
1944年度ねんど D52 6-15
(94-103)
D52 25-33
(63-71)
D52 41-58
(1319-1330, 1374-1379)
D52 68-97
151-152[ひょうちゅう 1], 198-227
(2972-2978, 2986-2990
2994,2998, 2995-2996
2997,2999, 3047-3058
3060-3061, 3064-3071
3073-3075, 3077-3078
3080-3086, 3088-3089
3092-3100)
D52 98-122
393-408
(1734-1736, 1838-1847
1894-1905, 1960-1975)
D52 133-142
333-368
(2433-2442, 2458-2459
2467-2494, 2497-2502)
D52 143-150
443-451,453
(469-476, 477-485, 487)
D52 6-15, 25-33, 41-58, 68-122
133-152, 198-227
333-368, 393-408
443-451, 453
204りょう
1945年度ねんど D52 59-62[ひょうちゅう 2]
(1409-1412)
D52 228-238
(3101-3111)
D52 409-423
(1976-1990)
D52 369-384
(2503-2518)
D52 452, 454-468
(486, 488-502)
D52 59-62
228-238
369-384
409-423, 452, 454-468
62りょう
けい 番号ばんごう D52 1-15 D52 21-33 D52 41-62 D52 68-97
151-152, 198-238
D52 98-122
393-423
D52 123-142
333-384
D52 143-150
443-468
D52 1-15, 21-33, 41-62, 68-152
198-238
333-384, 393-423
443-468
285りょう
りょうかず 15りょう 13りょう 22りょう 73りょう 56りょう 72りょう 34りょう
  1. ^ 蒸気じょうき機関きかんしゃ研究けんきゅう金田かねだしげるひろしは「D52 151-152号機ごうき三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう製造せいぞう予定よていであったが、川崎かわさき車輛しゃりょう製造せいぞう代替だいたいされた。」と推測すいそくしている[84]一方いっぽうおなじく高木たかぎ宏之ひろゆき発注はっちゅうから川崎かわさき車輛しゃりょう割当わりあてられた番号ばんごうとしている[32]
  2. ^ D52 60-62号機ごうき実際じっさい竣工しゅんこうは1946年度ねんどであり、D52 60号機ごうきが1946ねん4がつ9にち、61号機ごうき4がつ13にち、62号機ごうき4がつ16にち[85]

また、発注はっちゅう年度ねんど製造せいぞうしょごとの、発注はっちゅうりょうかず予定よていばん下表かひょうのとおり。

D52かたち発注はっちゅう年度ねんどべつ製造せいぞうりょうすう一覧いちらん[32]
上段じょうだんりょうかず下段げだん()ない予定よていばん
年度ねんど 鉄道てつどうしょう運輸うんゆ通信つうしんしょう工場こうじょう 民間みんかん工場こうじょう 合計ごうけい
浜松工はままつこう 鷹取たかとりこう 日本にっぽん車輌しゃりょう 川崎かわさき車輛しゃりょう 日立製作所ひたちせいさくしょ 汽車きしゃ製造せいぞう 三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう
1943年度ねんど 20りょう
(D52 1-20)
20りょう
(D52 21-40)
27りょう
(D52 41-67)
30りょう
(D52 68-97)
25りょう
(D52 98-122)
20りょう
(D52 123-142)
8りょう
(D52 143-150)
150りょう
(D52 1-150)
1944年度ねんど 0りょう 0りょう 0りょう 60りょう
(D52 151-152, 198-255)
50りょう
(D52 393-442)
60りょう
(D52 333-392)
50りょう
(D52 443-492)
220りょう
(D52 151-152, 198-225
333-492)
合計ごうけい 発注はっちゅうぶん 20りょう
(D52 1-20)
20りょう
(D52 21-40)
27りょう
(D52 41-67)
90りょう
(D52 68-97
151-152, 198-255[ひょうちゅう 1])
75りょう
(D52 98-122
393-442)
80りょう
(D52 123-142
333-392)
58りょう
(D52 143-150[ひょうちゅう 2])
443-492)
370りょう
(D52 1-152[ひょうちゅう 3], 198-225[ひょうちゅう 4]
333-492)
うち竣工しゅんこうぶん 15りょう
(D52 1-15)
13りょう
(D52 21-33)
22りょう
(D52 41-62)
73りょう
(D52 68-97
151-152[ひょうちゅう 5], 198-238)
56りょう
(D52 98-122
393-423)
72りょう
(D52 123-142
369-384)
34りょう
(D52 143-150
443-468)
285りょう
(D52 1-15, 21-33, 41-62, 68-152
198-238
333-384, 393-423
443-468)
  1. ^ D52 256-332号機ごうき川崎かわさき車輌しゃりょう発注はっちゅうぶんとする文献ぶんけん[82]がある一方いっぽう蒸気じょうき機関きかんしゃ研究けんきゅう金田かねだしげるひろしは「なん確証かくしょうもないが、故意こいそらばんつくってかく工場こうじょう生産せいさん能力のうりょく外部がいぶからられがたくするための工作こうさくであったとかんがえられるのではないか」と推測すいそくしている[84]
  2. ^ D52 153-197号機ごうき三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう発注はっちゅうぶんとする文献ぶんけん[82]がある一方いっぽう蒸気じょうき機関きかんしゃ研究けんきゅう金田かねだしげるひろしは「なん確証かくしょうもないが、故意こいそらばんつくってかく工場こうじょう生産せいさん能力のうりょく外部がいぶからられがたくするための工作こうさくであったとかんがえられるのではないか」と推測すいそくしている[84]
  3. ^ D52 153-197号機ごうき予定よてい欠番けつばん[32]
  4. ^ D52 256-332号機ごうき予定よてい欠番けつばん[32]
  5. ^ 蒸気じょうき機関きかんしゃ研究けんきゅう金田かねだしげるひろしは「D52 151-152号機ごうき三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう製造せいぞう予定よていであったが、川崎かわさき車輛しゃりょう製造せいぞう代替だいたいされた。」と推測すいそくしている[84]一方いっぽうおなじく高木たかぎ宏之ひろゆき発注はっちゅうから川崎かわさき車輛しゃりょう割当わりあてられた番号ばんごうとしている[32]

改造かいぞう

編集へんしゅう

戦時せんじちゅう使用しようじょうきょう状態じょうたい不良ふりょう廃車はいしゃ

編集へんしゅう

戦時せんじ設計せっけい主旨しゅしは、加工かこう簡略かんりゃくすべきところはこれを徹底的てっていてき簡略かんりゃくするが、重要じゅうよう部分ぶぶんたいしてはむしろ細心さいしん加工かこう要求ようきゅうしたものであり、機会きかいあるごとにこのことは強調きょうちょうされていたが[31]実際じっさいには使用しよう資材しざい品質ひんしつ不良ふりょう熟練工じゅくれんこう不足ふそく戦時せんじ設計せっけい便乗びんじょうした粗製そせい乱造らんぞうなどにより[86]粗雑そざつ製造せいぞう機体きたいおおかった。このため、設計せっけいじょう性能せいのうはD51かたちよりも大幅おおはば改善かいぜんされており、D52 1号機ごうきによる試験しけん結果けっか好成績こうせいせきで、のぼり10 ‰までの区間くかんでは一般いっぱん貨物かもつ列車れっしゃが19 km/hで1100 t、石炭せきたん貨物かもつ列車れっしゃが17 km/hで1200 t牽引けんいん設定せっていされた[32]にもかかわらず、本来ほんらい性能せいのうせない機体きたいおおく、1944ねんまつ大阪おおさか鉄道てつどうきょく管内かんないれいにすると配属はいぞく33りょうちゅう12りょう材質ざいしつ工作こうさく状態じょうたい不良ふりょうによる故障こしょうこしていた[87]

また、保守ほしゅ修繕しゅうぜんにおいても、ほん形式けいしきかぎらず資材しざい入手にゅうしゅなんだい用材ようざい使用しよう影響えいきょうにより状況じょうきょう困難こんなんなものであった。たとえばボイラー水面すいめんけいガラス戦前せんぜんにおいては平均へいきん1ねん程度ていど耐久たいきゅうせいであったものが、戦時せんじちゅうにおいてはほぼ毎日まいにち交換こうかん必要ひつようで、場合ばあいによってはいち仕業しわざちゅうすうかい交換こうかんようしたこともあり[88]、また、断熱だんねつざいパッキンガスケット使用しようされる石綿いしわた入手にゅうしゅなんから、けむりしつとびらのパッキンにグラスウール場合ばあいによっては目塗めぬりをして代用だいようとした事例じれい[注釈ちゅうしゃく 18]や、加減かげんべん作用さようじくのパッキンを樹皮じゅひ代用だいようした事例じれいもあった[89]。また、代用だいよう材料ざいりょうかんしては、戦時せんじ設計せっけいによるもののほか、代用だいようざい使用しようするよう指定していされなかった部品ぶひんにおいても資材しざい入手にゅうしゅなんから代用だいよう材料ざいりょう使用しようせざるをなかった部分ぶぶんおおく、どうけい材料ざいりょう部品ぶひんてつけい材料ざいりょうとしたものについてはさび発生はっせい固着こちゃくに、はがねせい部品ぶひんから鋳鋼ちゅうこうもしくは鋳鋼ちゅうこうから鋳鉄ちゅうてつとしたものについては亀裂きれつれによる破損はそんなやまされ、代用だいようざいとして木材もくざい使用しようした箇所かしょ木材もくざいりやれ、腐食ふしょく発生はっせいなやまされていた[89]

ボイラーについては、製造せいぞう不良ふりょう戦時せんじ規格きかくにも適合てきごうしないボイラーよう鋼板こうはん材料ざいりょうとして使用しようされたものがあった[88]ほか、運用うんようじょう酷使こくし整備せいび不良ふりょうもあり、1945ねん死傷ししょうしゃともなうボイラー破裂はれつ事故じこが3けん相次あいついで発生はっせいした。そのため一旦いったんぜん使用しよう停止ていしされ、Xせんによるボイラーの検査けんさとう実施じっしする一方いっぽう応急おうきゅうてき対策たいさくとしてボイラー水位すいいたかめたりしつひかえ交換こうかん蒸気じょうきあつ減圧げんあつといった処置しょちほどこして対応たいおうした[注釈ちゅうしゃく 19]が、事故じこおよび状態じょうたい不良ふりょうで1946ねん - 1950ねん以下いかの55りょう廃車はいしゃとなった。

D52 5, 7-9, 27, 30, 47, 51, 59, 73, 78, 80, 83(事故じこ), 84, 87, 88(戦災せんさい), 90(戦災せんさい), 91(戦災せんさい), 95, 97, 103, 107, 110-114, 116, 120, 205-208, 209(事故じこ), 212, 215, 220-221, 238, 346, 347, 350-351, 359, 364, 371, 381, 394-395, 409-413, 443, 465

一方いっぽう戦時せんじちゅうにはアメリカ軍機ぐんきによる機銃きじゅう掃射そうしゃとうへの対策たいさくとしてほん形式けいしきへの迷彩めいさい塗装とそう実施じっし運転うんてんしつ防弾ぼうだん改造かいぞう計画けいかくされている。迷彩めいさい塗装とそう形式けいしきふくめいくつかの事例じれいがあった一方いっぽう運転うんてんしつ防弾ぼうだんについては図面ずめん用意よういされたのみで実施じっしはされていないが、その内容ないよう以下いかとおりとなっている[91]

  • 屋根やねあめとい撤去てっきょし、この部分ぶぶん防弾ぼうだんばん設置せっち
  • 側面そくめん防弾ぼうだんいたおよびコンクリートの防弾ぼうだんざい設置せっちするとともに、側面そくめんまど前方ぜんぽう鋼板こうはんふさぎ、防弾ぼうだん引窓ひきまど設置せっち
  • 前面ぜんめん正面しょうめんまどひさし防弾ぼうだん
  • 背面はいめん防弾ぼうだん設置せっち

はら設計せっけいへの復元ふくげんなど

編集へんしゅう

ほん形式けいしきは、性能せいのう確保かくほして大量たいりょうそくせい主眼しゅがんとするてんではその目的もくてきたっし、耐用たいよう年数ねんすうやく2-3ねんという当初とうしょ目標もくひょうもほぼ達成たっせいされていた[88]が、終戦しゅうせん日本にっぽん状況じょうきょうにおいては、耐用たいよう年数ねんすうたっしたほん形式けいしき廃車はいしゃすることができず、引続ひきつづ使用しようさざるをない状況じょうきょうであった[92]。そのため、ほん形式けいしきをはじめとする戦時せんじ設計せっけい車両しゃりょう通常つうじょう設計せっけいへの復元ふくげん工事こうじ施工しこうすることとし、蒸気じょうき機関きかんしゃかんしては1945ねん10がつに「戦争せんそう終結しゅうけつともな車両しゃりょうなみどう部分ぶぶんひんげん設計せっけい復元ふくげんかんするけん」という通達つうたつかく鉄道てつどう局長きょくちょうされ、「戦時せんじ設計せっけい機関きかんしゃ装備そうび改造かいぞう」として1947、48年度ねんど予算よさん計上けいじょうされてボイラーひかえ改造かいぞう、シリンダーへの安全弁あんぜんべん設置せっち速度そくどけい設置せっち炭水車たんすいしゃ補強ほきょうなどが施工しこうされている[92]ほか、以降いこう補修ほしゅうげん設計せっけいへの復元ふくげん継続けいぞくされ、機体きたいによってはじょけむりばん炭庫たんこなど木部きべはがねせい実施じっしされている[93]

ボイラーかんどうしゅう継手つぎてをリベット1れつとしたおつかんへいかんでは、経年けいねんによりかんどうはんのリベットにゆるみがしょうじたものがおおく、かんどうはんいた継足つぎたして継手つぎてをリベット2れつ補強ほきょうしている。なお、同様どうよう事象じしょうおなじくしゅう継手つぎてをリベット1れつとした戦時せんじ設計せっけいのD51かたち戦後せんごせいのC59がたでも発生はっせいしているが、戦後せんごせいのC57がたでは発生はっせいしておらず、ボイラーみちるものとかんがえられている[94]。また、ボイラーひかえのうち、ボイラーの室外しつがいばんそとしついたのちすみばんひかえは、戦時せんじ設計せっけいにおいてはいたあつうすくしてリベット組立くみたてから溶接ようせつ組立くみたてとしていたが、亀裂きれつ発生はっせい溶接ようせつ剥離はくり発生はっせいしたため、戦時せんじ設計せっけい機関きかんしゃ装備そうび改造かいぞうはら設計せっけい復元ふくげんされている[注釈ちゅうしゃく 20]ほか、はら設計せっけいではねじ組立くみたてであった、室外しつがいばんうちしついたがわひかえは、戦時せんじ設計せっけいにおいては溶接ようせつ組立くみたてとしていたが、こちらも溶接ようせつ剥離はくり発生はっせいしたため、おなじく戦時せんじ設計せっけい機関きかんしゃ装備そうび改造かいぞうはら設計せっけい復元ふくげんされている[94]

走行そうこう装置そうちにおいては、べん装置そうちのリンク装置そうちくろかわきのままの鋳鋼ちゅうこう部品ぶひん使用しようしたものはきず発見はっけん困難こんなんであったりきょくそん検査けんさ手数てかずようするため、はら設計せっけい鍛造たんぞう機械きかい仕上しあげのものに交換こうかんされている[94]。また、戦時せんじ設計せっけいによりタイヤの抜出ぬけだ防止ぼうしようとめ廃止はいしされたが、実際じっさいにはタイヤの抜出ぬけだしが発生はっせいしたため、1952ねんにはとめ必要ひつようせいさい確認かくにんされ、以後いごとめ追加ついかしている[94]。さらに、さき台車だいしゃしたがえ台車だいしゃおよびすみすい台車だいしゃ軸受じくうけぼうるいの受金に使用しようされたさんメタルしき受金は、どう合金ごうきん節約せつやくされるが、鋼材こうざいをにどう合金ごうきんうらりするさい工数こうすうがかかり、当初とうしょ密着みっちゃくがよくないものがあったが、工作こうさく良好りょうこうなものは使用しよう状態じょうたい良好りょうこうであり、炭水車たんすいしゃ車軸しゃじくの受金では戦後せんごもそのまま使用しようされているものもある[60]

戦時せんじ設計せっけい機関きかんしゃ装備そうび改造かいぞうにおける炭水車たんすいしゃ補強ほきょうは、前後ぜんごたいわく鋳物いものみずタンクそこばんとの取付とりつけゆるみや、みずタンクそこばんたいわく鋳物いもの取付とりつけ亀裂きれつ発生はっせい対応たいおうするもので、たいわく鋳物いもの取付とりつけ面積めんせき増大ぞうだいして衝撃しょうげき荷重かじゅう伝達でんたつ良好りょうこうにするとともに、みずタンクそこばんたいわく鋳物いもの取付とりつけいたあつを9 mmから12 mmとしつつ、内側うちがわにもとういた設置せっちするものであり、施工しこう状況じょうきょう良好りょうこうであった[注釈ちゅうしゃく 21][95]

形式けいしきへの改造かいぞう

編集へんしゅう

戦時せんじ輸送ゆそう終了しゅうりょうによる貨物かもつよう機関きかんしゃ余剰よじょうと、旅行りょこう制限せいげんがなくなったことによる旅客りょかく輸送ゆそうりょう増加ぞうかにともなう旅客りょかくよう機関きかんしゃ不足ふそくのため、1948ねんから1949ねんにかけてほん形式けいしきのボイラーを流用りゅうようし、C59かたち相当そうとうしたがえじくを2じくとした走行そうこう装置そうち組合くみあわせた旅客りょかくよう機関きかんしゃC62かたちが49りょう(うち1りょうは2両分りょうぶんのボイラーを組合くみあわせて1両分りょうぶんとしたため、たねしゃとなったD52かたちは50りょう。)製造せいぞうされた。前後ぜんごばん対称たいしょう以下いかとおり。

D52かたち→C62かたち改造かいぞう一覧いちらん[96]
形式けいしき 改造かいぞう番号ばんごう 改造かいぞうぜん番号ばんごう 製造せいぞうしょ 製造せいぞう番号ばんごう 竣工しゅんこう
C62かたち C62 1 D52 74 日立製作所ひたちせいさくしょ 1921 1948ねん 1がつ17にち
C62 2 D52 455 1930 5がつ20日はつか
C62 3 D52 458 1931 6月18にち
C62 4 D52 399 1932 6月30にち
C62 5 D52 349 1933 7がつ20日はつか
C62 6 D52 461 1934 7がつ31にち
C62 7 D52 464 1955 8がつ26にち
C62 8 D52 446 1956 8がつ19にち
C62 9 D52 121 1957 9月6にち
C62 10 D52 119 1958 9月23にち
C62 11 D52 150 1959 10月6にち
C62 12 D52 445 1796 10月23にち
C62 13 D52 447 1797 11月10にち
C62 14 D52 145 1798 11月30にち
C62 15 D52 112 1799 12月15にち
C62 16 D52 127 1800 12月22にち
C62 17 D52 269 1801 12月30にち
C62 18 D52 375 1802 1949ねん 1がつ26にち
C62 19 D52 407 1803 3月6にち
C62 20 D52 225 1804 3月14にち
C62 21 D52 277 1805 3がつ20日はつか
C62 22 D52 222 川崎かわさき車輛しゃりょう 3155 1948ねん 8がつ20日はつか
C62 23 D52 23 3156 8がつ31にち
C62 24 D52 233
(D52 106)[ひょうちゅう 1]
3157 9月24にち
C62 25 D52 226 3158 9月30にち
C62 26 D52 46 3159 10月8にち
C62 27 D52 49 3160 10月16にち
C62 28 D52 151 3161 10月21にち
C62 29 D52 85 3162 10月28にち
C62 30 D52 152 3163 11月11にち
C62 31 D52 227 3164 11月18にち
C62 32 D52 147 3165 11月24にち
C62 33 D52 82 3166 11月30にち
C62 34 D52 230 3167 12月18にち
C62 35 D52 93 3168 12月26にち
C62 36 D52 231 3169 12月12にち
C62 37 D52 358 汽車きしゃ製造せいぞう 2450 9月18にち
C62 38 D52 374 2564 9月29にち
C62 39 D52 141 2565 10月6にち
C62 40 D52 367 2566 10月15にち
C62 41 D52 352 2567 10月23にち
C62 42 D52 357 2568 11月12にち
C62 43 D52 345 2569 11月30にち
C62 44 D52 356 2570 12月26にち
C62 45 D52 353 2571 1949ねん 3月8にち
C62 46 D52 226 2572 3月21にち
C62 47 D52 366 2573 3月31にち
C62 48 D52 380 2574 4がつ8にち
C62 49 D52 104 2575 4がつ20日はつか
  1. ^ 公式こうしきにはD52 233号機ごうきおつかん使用しよう実際じっさいにはD52 106号機ごうきへいかん組合くみあわせて1両分りょうぶんとし、へいかんあつかい。

また、だい大戦たいせん主要しゅよう幹線かんせん急速きゅうそく電化でんか計画けいかくされたことにともない、1950ねんから1951ねんにかけて戦時せんじ設計せっけいから標準ひょうじゅん設計せっけいへの復元ふくげんあわせてしたがえじくを1じくから2じくとして、じくじゅう線路せんろ規格きかくひくい「おつせん」への入線にゅうせん可能かのう調整ちょうせいすることが可能かのうD62かたちに20りょう改造かいぞうされた[97]当時とうじ線路せんろ等級とうきゅうごとの軌道きどう延長えんちょう以下いかとおり。

線路せんろ種別しゅべつ本線ほんせん軌道きどう延長えんちょう構成こうせい(1945年度ねんどまつ[98]
上段じょうだん延長えんちょう下段げだん構成こうせいりつ
種別しゅべつ とくかぶとせん[ひょうちゅう 1] かぶとせん おつせん へいせん 簡易かんいせん[ひょうちゅう 2] けい
構成こうせい 1267 km
5.7 %
3710 km
16.6 %
6788 km
30.4 %
8518 km
38.2 %
2041 km
9.1 %
22326 km
100.0 %
  1. ^ かぶとせんのうち、とく主要しゅよう線区せんく[99]
  2. ^ へいせんのうち、とく簡易かんい構造こうぞう鉄道てつどう[100]

改造かいぞうしばらくは動輪どうりんじょう重量じゅうりょうをほとんど軽減けいげんせずにD52かたち共通きょうつう運用うんようされていたが、1958ねんから1959ねんにかけて動輪どうりんじくじゅう軽減けいげんしておつせん入線にゅうせん可能かのうにするとともに、シリンダー直径ちょっけいを550 mmから530 mmに縮小しゅくしょうしてシリンダー牽引けんいんりょくをD51かたちとほぼ同等どうとう変更へんこうしており、低速ていそくいきではD51かたちと、高速こうそくいきではD52かたち同等どうとう性能せいのうとなった[97][注釈ちゅうしゃく 22]。しかし、幹線かんせん電化でんか当初とうしょ計画けいかくどおりには進展しんてんせず、輸送ゆそう情況じょうきょう変化へんかしたため、当分とうぶんあいだはD52かたち必要ひつようとされることとなってD62がたへの改造かいぞうは20りょう終了しゅうりょう[97]、D52がたのまま標準ひょうじゅん設計せっけい復元ふくげんする装備そうび改造かいぞう実施じっし移行いこうすることとなった[27]

改造かいぞう前後ぜんこうばん対称たいしょう以下いかとおり。

D52かたち→D62かたち改造かいぞうおよびD62かたちじくじゅう軽減けいげん改造かいぞう一覧いちらん[102]
形式けいしき 車軸しゃじく配置はいち変更へんこう改造かいぞう じくじゅう軽減けいげん改造かいぞう
改造かいぞう番号ばんごう 改造かいぞうぜん番号ばんごう 改造かいぞうしょ 竣工しゅんこう 改造かいぞうしょ 出場しゅつじょう
D62かたち D62 1 D52 368 浜松はままつ工場こうじょう 1950ねん 3月1にち 郡山こおりやま工場こうじょう 1959ねん 11月6にち
D62 2 D52 448 3月7にち 10月27にち
D62 3 D52 401 3月13にち 9月15にち
D62 4 D52 450 3月22にち 11月23にち
D62 5 D52 449 3月30にち 9月2にち
D62 6 D52 42 8がつ24にち 11月26にち
D62 7 D52 344 9月1にち 10月1にち
D62 8 D52 336 9月18にち 鷹取たかとり工場こうじょう 1958ねん 12月13にち
D62 9 D52 94 10月5にち 郡山こおりやま工場こうじょう 1959ねん 9月3にち
D62 10 D52 132 10月24にち 12月2にち
D62 11 D52 337 11月6にち 11月8にち
D62 12 D52 397 11月20にち 11月26にち
D62 13 D52 211 12月7にち 10月31にち
D62 14 D52 334 12月19にち 9月27にち
D62 15 D52 377 1951ねん 1がつ9にち 9月15にち
D62 16 D52 338 1がつ19にち 10月21にち
D62 17 D52 343 2がつ5にち 11月29にち
D62 18 D52 360 2がつ15にち 10月5にち
D62 19 D52 339 3月5にち 12月25にち
D62 20 D52 462 3月19にち 9月9にち

装備そうび改造かいぞう

編集へんしゅう

1947、48年度ねんど予算よさんによる「戦時せんじ設計せっけい機関きかんしゃ装備そうび改造かいぞう」や1948年度ねんど以降いこうのC62かたち改造かいぞう、1950年度ねんどのD62かたち改造かいぞう引続ひきつづき、D62かたち・C62がた改造かいぞうした70りょう状態じょうたい不良ふりょうとう廃車はいしゃとなった55りょうのぞいた160りょうのうち148りょうたいし、1951年度ねんどから「D52かたち装備そうび改造かいぞう」の名称めいしょう改造かいぞう工事こうじ実施じっししている[92]装備そうび改造かいぞうはD62がた整備せいび内容ないようじゅんじたもので、浜松はままつ工場こうじょう鷹取たかとり工場こうじょうならびに広島ひろしま工場こうじょう実施じっしされた。この装備そうび改造かいぞうによって全面ぜんめんてき標準ひょうじゅん設計せっけい復元ふくげんされるとともに、保守ほしゅ取扱とりあつかい容易ようい日本にっぽん最強さいきょう貨物かもつよう機関きかんしゃとなっている[27]装備そうび改造かいぞうおも内容ないよう以下いかとお[103]であるが、一方いっぽう戦時せんじ設計せっけいでも長期ちょうき使用しようえると判断はんだんされた炭水車たんすいしゃ台車だいしゃ鋳鉄ちゅうてつせい車輪しゃりんしゅれんぼうのビッグエンドのまるブッシュなどは引続ひきつづきそのまま使用しようされた[70]ほか、この装備そうび改造かいぞうにより、機関きかんしゃ本体ほんたい重心じゅうしんだかは1660 mmから1668 mmになっている[29]

  • 自動じどうきゅうすみ装備そうび
  • ブラストノズルへの吐出としゅつ加減かげん装置そうち装備そうび
  • 炭水車たんすいしゃくるまはしたい荷重におもたいする強度きょうど増大ぞうだい
  • 給水きゅうすい加熱かねつ位置いち変更へんこう
  • 炭庫たんこほん設計せっけい復元ふくげん
  • 蒸気じょうきためすなばこカバーのほん設計せっけい復元ふくげん
  • 木部きべはがねせいなど代用だいよう材料ざいりょうほん設計せっけい復元ふくげん

一方いっぽう装備そうび改造かいぞうからはずれた13りょう (D52 12, 96, 126, 131, 146, 216, 222, 340, 417-419, 456, 460号機ごうき) は、給水きゅうすい加熱かねつ移設いせつじょけむりばんあゆいた石炭せきたん側板そくばんなどの木製もくせい鋼板こうはんせいへの交換こうかん程度ていど改造かいぞうのみで、自動じどうきゅうすみ装備そうびしておらず、かくがたのドームをのこすなど戦時せんじがた形態けいたいのこした通称つうしょうじゅん装備そうび改造かいぞうとなっており、そのおおくは瀬野せの機関きかん配置はいちされて瀬野せのはち後部こうぶ運用うんよう使用しようされた。また、1950ねんからすうわたって順次じゅんじ改造かいぞう実施じっしして装備そうび改造かいぞう相当そうとうとなったD52 335号機ごうきのような事例じれい[104]や、給水きゅうすい加熱かねつ位置いち変更へんこうのみ先行せんこうして実施じっしされたD52 13号機ごうきのような事例じれい[105]られるほか、瀬野せの機関きかん専用せんようとして運用うんようされるため、装備そうび改造かいぞう実施じっしみながら自動じどうきゅうすみ装備そうびしないD52 100号機ごうきのような事例じれい[63]もあった。

自動じどうきゅうすみみなみまんしゅう鉄道てつどうでは1921ねん試用しようのちミカニがた以降いこう大型おおがた搭載とうさいされ、日本にっぽんにおいては1948ねん5がつ発動はつどう製造せいぞうせいのHTがたのもの3だい製造せいぞうされてC62 2-3号機ごうき搭載とうさいされたのが最初さいしょとなっており、以降いこうきゅうずみ部分ぶぶん発動はつどう製造せいぞう機関きかん汽車きしゃ製造せいぞう担当たんとうした本省ほんしょう基本形きほんけいがC61かたち、C62かたち搭載とうさいされている[注釈ちゅうしゃく 23][106]ほん形式けいしきではC62かたちことなり機関きかん機関きかんしゃがわではなく炭水車たんすいしゃがわ搭載とうさいされている[107]ほか、搭載とうさいさいしては、きゅうずみようコンベアをけるために運転うんてんしつ床板とこいた中央ちゅうおうを205 mm嵩上かさあげして中央ちゅうおうが1だんひくい2だんであったゆかめんがほぼ平面へいめんとなり、これにともな乗降じょうこうこうのクリアランス確保かくほのために運転うんてんしつ屋根やね後部こうぶ切上きりあげてはば若干じゃっかんせまくなっているほか、ゆかめん一部いちぶ切取きりとったため後台ごだいわくから運転うんてんしつへの支持しじざい追加ついかされており[70]、また、機関きかんしゃ本体ほんたい炭水車たんすいしゃあいだが100 mm延長えんちょうされて機関きかんしゃ全長ぜんちょうが21105 mmとなっている[108]

ボイラーだい内部ないぶ設置せっちされたほん形式けいしき給水きゅうすい加熱かねつ場所ばしょてき保守ほしゅ点検てんけん困難こんなんであったため、D51かたち同様どうようけむりしつ上部じょうぶ煙突えんとつ前部ぜんぶ移設いせつされて[31]煙突えんとつが50 mm後方こうほう移設いせつされており[109]、あわせて燃焼ねんしょうしつとシリンダーのあいだ排気はいきつなぎかん追加ついかされている[69]。また、ブラストノズルへの吐出としゅつ加減かげん装置そうちは1950ねんにボイラーの燃焼ねんしょう機構きこう改良かいりょうさくとして試験しけんされたもので、C61がたから搭載とうさいされたものであり[110]自動じどうきゅうすみにより粉砕ふんさいされた粉炭ふんたんによるゆかまりに起因きいんする通風つうふう不良ふりょうへの対応たいおうとしてC61, 62がたおよびD52, D62かたち装備そうびされている[111]。この装置そうち吐出としゅつ管内かんない中央ちゅうおう設置せっちした、先端せんたん水滴すいてきがた加減かげんぼう上下じょうげうごかすことで吐出としゅつ口径こうけい加減かげんするものとなっており[112][113]、C61かたち、C62がたではけむりしつ横部よこべのレバーで加減かげんぼう操作そうさするものであったが、ほん形式けいしきおよびD62がたのものは運転うんてんしつ内助ないじょせきがわ設置せっちされたハンドルで操作そうさ可能かのうなものとなっている[114]動力どうりょく格子こうし装置そうちはD62がた好成績こうせいせきであった、蒸気じょうき分配ぶんぱいべん回転かいてんすべべんからピストンバルブ変更へんこうし、ゆらシリンダーみちを140 mmとしたものとしており[115]格子こうし自動じどうきゅうすみ装備そうびしたことから、構造こうぞう簡易かんいのため前後ぜんご左右さゆうの4分割ぶんかつからC62かたちやD62かたちおな左右さゆう2分割ぶんかつのものに変更へんこうされている[116]

炭水車たんすいしゃ前後ぜんごたいわく鋳物いもの撤去てっきょして全長ぜんちょうわた鋼材こうざい組立くみたてしきたいわく置換おきかえてくるまはしたい荷重におもたいする強度きょうど増大ぞうだいしており、みずタンクの一部いちぶ仕切しきって自動じどうきゅうすみ搭載とうさいして前部ぜんぶにその機関きかん設置せっちしたほか、炭庫たんこはがねせい実施じっしして形式けいしきが10-22ASがたとなっている[33]が、装備そうび改装かいそうまえ炭庫たんこはがねせい実施じっししていたもののなかには炭庫たんこ側面そくめんたかさがたかく、後部こうぶだけでなくぜんはしにもりがある機体きたいがある[注釈ちゅうしゃく 24][117]一方いっぽうでベッテンドルフしき炭水車たんすいしゃ台車だいしゃはタイヤ摩耗まもうたか調整ちょうせい作業さぎょうむずかしく、改造かいぞうかた要望ようぼうがあったものの改造かいぞう困難こんなんであり[31]長期ちょうき使用しようえるとされたため引続ひきつづきそのまま使用しようされているが、まくらばねのかさばんばねが3くみ並列へいれつのものは2くみ並列へいれつのものに改造かいぞうされている[77]

ほん形式けいしきまるブッシュしきしゅれんぼうビッグエンドは戦後せんごには調整ちょうせいしきかくブッシュしきへの改造かいぞう要望ようぼうがあり、ほん形式けいしきからD62がたへの改造かいぞうさいにはすみブッシュしき改造かいぞうされてしゅ動輪どうりんのバランスウェイトになまり充填じゅうてんしているが、ほん形式けいしき装備そうび改造かいぞうさいしてはまるブッシュしきのままとされている[118][注釈ちゅうしゃく 25]。これは当時とうじ、1950ねんから実施じっしされたほん形式けいしきでのしゅれんぼうのビッグエンドに浮動ふどうブッシュ試用しようする試験しけんにおいて良質りょうしつグリース使用しようした場合ばあいには良好りょうこう結果けっかられており[120]将来しょうらい浮動ふどうブッシュしき改造かいぞうするさいにはまるブッシュしきからのほう改造かいぞう容易よういであった[注釈ちゅうしゃく 26]ことと[118]しゅれんぼうビッグエンドには在来ざいらいわりブッシュから一体いったいブッシュが使用しようされるようになっており、この一体いったいブッシュは摩耗まもうにはホワイトメタルをもりえるものであるため、すみブッシュしきにおけるクサビ調整ちょうせい不要ふようになったため、まるブッシュしきのままでよくなったことによるものである[118]

施工しこう年度ねんど実施じっし工場こうじょうごとの番号ばんごう下表かひょうのとおり。

D52かたち装備そうび改造かいぞう一覧いちらん
一部いちぶ推測すいそくふくむ、()ないじゅん装備そうび改造かいぞう
年度ねんど 改造かいぞうしょ 合計ごうけい
浜松はままつ工場こうじょう 鷹取たかとり工場こうじょう 広島ひろしま工場こうじょう 大宮おおみや工場こうじょう 不明ふめい 番号ばんごう りょうかず
1950年度ねんど D52 234
335
(D52 12)
D52 234, 335
(D52 12)
2+(1)りょう
1951年度ねんど D52 43, 54-58, 68
115, 122
201, 203-204, 213-214, 217-219, 223, 228
342, 348, 361-363, 379, 383
404-406, 408, 415-416, 459
D52 144, 148-149
224
365, 372-373
D52 135
(D52 418[ひょうちゅう 1])
D52 142
225
D52 43, 54-58, 68
115, 122, 135, 142, 144, 148-149
201, 203-204, 213-214, 217-219, 223-225, 228
342, 348, 361-363, 365, 372-373, 379, 383
404-406, 408, 415-416, 459
(D52 418)
43+(1)りょう
1952年度ねんど D52 1, 14, 44-45, 48, 50, 53, 60-61, 71, 81
117, 125, 128, 130, 136-137, 139, 199
229, 232, 235-236
376, 378, 382, 384, 393, 398
400, 403, 414, 420-421, 444, 452-453、457, 463, 466-468
D52 24
109, 138
D52 143
(D52 96, 222)
(D52 417, 419) D52 200, 210
(D52 126, 146
216
340
456, 460)
D52 1, 14, 24, 44-45, 48, 50, 53, 60-61, 71, 81
109, 117, 125, 128, 130, 136-139, 143, 199-200
210, 229, 232, 235-236
376, 378, 382, 384, 393, 398
400, 403, 414, 420-421, 444, 452-453、457, 463, 466-468
(D52 96, 126, 146, 216, 222, 340, 417, 419, 456, 460)
48+(10)りょう
1953ねん D52 3, 4, 6, 10-11, 15, 28-29, 33
62, 70, 75-76, 86、92, 98-101
105, 124, 140
341, 354,
D52 32
102, 108, 134, 198
369
(D52 131) D52 3, 4, 6, 10-11, 15, 28-29, 32-33
62, 70, 75-76, 86, 92, 98-102
105, 108, 124, 134, 140, 198
341, 354, 369
(D52 131)
31+(1)りょう
1954年度ねんど D52 13, 31, 41, 79
118, 123, 129, 133
333, 370, 396
402, 422-423,
D52 13, 31, 41, 79
118, 123, 129, 133
333, 370, 396
402, 422-423,
14りょう
1955年度ねんど D52 2, 52, 72
237
D52 89 D52 2, 52, 72, 89, 237 5りょう
1956年度ねんど D52 454 D52 454 1りょう
不明ふめい D52 202
355
455
D52 202
355
455
3りょう
けい りょうかず 121+(1)りょう 16りょう 2+(3)りょう (3)りょう 8+(6)りょう D52 1-4, 6, 10-11, 13-15, 24, 28-29, 31-33, 41, 43-45, 48
50, 52-58, 60-62, 68, 70-72, 75-76, 79, 81, 86, 89, 92, 98-102
105, 108-109, 115, 117-118, 122-125
128-130, 133-140, 142-144, 148-149, 198-204
210, 213-214, 217-219, 223-225, 228-229, 232, 234-237
333, 335, 341-342, 348, 354-355, 361-363, 365
369-370, 372-373, 376, 378-379, 382-384, 393, 396, 398
400, 402-406, 408, 414-416, 420-423, 444
452-455、457, 459, 463, 466-468
(D52 12, 96, 126, 131, 146, 216, 222, 340, 417-419, 456, 460)
147+(13)りょう
番号ばんごう D52 1-4, 6, 10-11, 13-15, 28-29, 31, 33, 41, 43-45, 48
50, 52-58, 60-62, 68, 70-72, 75-76, 79, 81, 86, 92, 98-101
105, 115, 117-118, 122-123, 124-125
128-129, 130, 133, 136-137, 139-140, 199
201, 203-204, 213-214, 217-219, 223, 228-229, 232, 234-237
333, 335, 341-342, 348, 354, 361-363
370, 376, 378, 379, 382-384, 393, 396, 398
400, 402-406, 408, 414-416, 420-423, 444
452-454, 457, 459, 463, 466-468
(D52 12)
D52 24, 32
102, 108-109, 134
138, 144, 148-149, 198
224
365, 369, 372-373
D52 135, 143
(D52 96, 222, 418)
(D52 131
417, 419)
D52 89
142
200, 210, 225
(D52 126, 146
216
340
456, 460)
  1. ^ D52 418号機ごうきじゅん装備そうび改造かいぞうではなく装備そうび改造かいぞうとする文献ぶんけんもある[121]

その改造かいぞう

編集へんしゅう

装備そうび改造かいぞう当初とうしょ設計せっけいどおりの性能せいのう発揮はっきできるようになり、ボイラーは戦時せんじちゅう製造せいぞうのものを検査けんさ修繕しゅうぜん実施じっししながら引続ひきつづ使用しようしていたが、1954ねんにD52 365号機ごうきのボイラーのしつ左肩ひだりかた破裂はれつする事故じこ[注釈ちゅうしゃく 27]発生はっせい[86]し、1948ねんにはD51 1140号機ごうきでもボイラー破裂はれつ事故じこ発生はっせいしていた[83]ことから、ほん形式けいしきやD51かたち、D62かたち・C62かたち中心ちゅうしんに、戦中せんちゅう戦後せんご製造せいぞうされた蒸気じょうき機関きかんしゃのボイラーさい検査けんさ実施じっしし、よく1955ねんから新造しんぞうボイラーへの交換こうかんおこなわれ[122]きのえかんじゅんじたボイラーが搭載とうさいされている[123]

施工しこう年度ねんど実施じっし工場こうじょうごとの番号ばんごう下表かひょうのとおり。

D52かたちボイラー交換こうかん一覧いちらん[102]
年度ねんど 改造かいぞうしょ 合計ごうけい
浜松はままつ工場こうじょう 鷹取たかとり工場こうじょう 広島ひろしま工場こうじょう 小倉おぐら工場こうじょう 苗穂なえぼ工場こうじょう 番号ばんごう りょうかず
1955年度ねんど D52 105, 138
210
384
D52 6 D52 6
105, 138
210
384
5りょう
1956年度ねんど D52 335-336 D52 32, 42
134
334
D52 44, 53
133, 135, 143
219, 228
342, 348
463, 466
D52 32, 42, 44, 53
133-135, 143
219, 228
334-336 342, 348
463, 466
17りょう
1957年度ねんど D52 55
132, 136
223, 235
368, 383, 393
401, 423, 449-450
D52 24, 61, 86
109, 128
333
420
D52 79
396
D52 24, 55, 61, 79, 86
109, 128, 132, 136
223, 235
333, 368, 383, 393, 396
401, 420, 423, 449-450
21りょう
1958年度ねんど D52 70, 72
142
403
D52 29, 54
102, 148
204
337, 360, 397
448
D52 1, 50, 75-76, 99
124
406, 408, 453
D52 415 D52 1, 29, 50, 54, 70, 72, 75-76, 99
102, 124, 148
204
337, 360, 397
406, 408, 448, 453
23りょう
1959年度ねんど D52 404 D52 404 1りょう
1964年度ねんど D52 140 D52 140 1りょう
けい りょうかず 6りょう 30りょう 28りょう 3りょう 1りょう D52 1, 6, 24, 29, 32, 42, 44, 50, 53-55, 61, 70, 72, 75-76, 79, 86, 99
102, 105, 109, 124, 128, 132-136, 138, 140, 143, 148
204, 210, 219, 223, 228, 235
333-337, 342, 348, 360, 368, 383-384. 393, 396-397
401, 404, 406, 408, 420, 423, 448-450, 453, 463, 466
68りょう
番号ばんごう D52 70, 72
142
335-336
403
D52 29, 32, 42, 54-55
102, 105, 132, 134, 136, 138, 148
204, 210, 223, 235
334, 337, 360, 368, 383-384, 393, 397
401, 404, 423, 448-450
D52 1, 6, 24, 44, 50, 53, 61, 75-76, 86, 99
109, 124, 128, 133, 135, 143
219, 228
333, 342, 348
406, 408, 420, 453, 463, 466
D52 79
396
415
D52 140

電化でんかまで九州きゅうしゅう使用しようされていた6りょうのうちD52 333号機ごうきほん形式けいしき唯一ゆいいつ小倉おぐら工場こうじょうしきせつ取除とりのけけむりばん装備そうびした機体きたいであるが、改造かいぞう当初とうしょじょけむりいたえんあゆいたせっする形状けいじょうであった[124]一方いっぽうのこる5りょう(D52 79, 379, 396, 415, 451号機ごうき)はじょけむりばん前半ぜんはん下部かぶななめに切除せつじょした形態けいたいとなっており、これは前部ぜんぶデッキに添乗てんじょうする誘導ゆうどういん足場あしば確保かくほ目的もくてきとしたものと推測すいそくされている[125]。また、岡山おかやま機関きかん糸崎いとさき機関きかん配置はいちされた機体きたい(D52 28, 32, 89, 102, 203, 354[124], 418[126], 466[127]号機ごうきなど)や五稜郭ごりょうかく機関きかん配置はいちされたD52 204号機ごうきといったじょけむりばんぜんはしみじか切除せつじょした機体きたいも、同様どうよう誘導ゆうどういん足場あしば確保かくほ目的もくてきとしたものと推測すいそくされている[125]

1960ねん以降いこう北海道ほっかいどう配置はいちされた機体きたいのうち13りょう[注釈ちゅうしゃく 28][129]苗穂なえぼ工場こうじょう耐寒たいかん仕様しようへの改造かいぞう実施じっししており、そのおも内容ないよう以下いかとおりであるが、機体きたいによって詳細しょうさいことなる[130]

  • 運転うんてんしつ正面しょうめんまどへの旋回せんかいまど設置せっちまど横部よこべへのツララけの設置せっち
  • 運転うんてんしつ側面そくめんまどへのバタフライスクリーンの設置せっち
  • 運転うんてんしつ後部こうぶへの防寒ぼうかんカーテンの設置せっち
  • 配管はいかんるいへの防寒ぼうかんカバーの設置せっち
  • 凍結とうけつ防止ぼうしのため、きよしかんざい投入とうにゅう装置そうち撤去てっきょ
  • 炭水車たんすいしゃみずタンク保温ほおんのため、空気くうき圧縮あっしゅく排気はいき炭水車たんすいしゃみちび配管はいかん設置せっち
  • 速度そくどけい速度そくど検出けんしゅつじくしたがえからだい4動輪どうりん変更へんこう

さらにD52 56, 136, 201, 235号機ごうきの4りょう運転うんてんしつ密閉みっぺいしき運転うんてんしつ改造かいぞうしている[131]密閉みっぺいしき運転うんてんしつへの改造かいぞうたっては運転うんてんしつ背面はいめんつまいたを、側面そくめん乗降じょうこうとびら設置せっちしているほか、炭水車たんすいしゃ前部ぜんぶはしめん平面へいめんから3めんおりつまとして[132]曲線きょくせん通過つうか運転うんてんしつとの接触せっしょく回避かいひしている。また、ほん形式けいしき運転うんてんしつはばがC62かたちやD51がたなどの2800 mmよりひろい2900 mmであるため、とびら把手とって手摺てすり車両しゃりょう限界げんかい(2950 mm)をえないよう乗降じょうこうとびら側面そくめんから47 mmおくまった位置いち設置せっちしている[133]

吹田すいただいいち機関きかん配置はいちされて東海道本線とうかいどうほんせん東山ひがしやまトンネルおよび逢坂山おうさかやまトンネル通過つうかする運用うんよう使用しようされるほん形式けいしきけい34りょう[注釈ちゅうしゃく 29]にはD62かたち13りょうとともに鷹取たかとりしきしゅうけむり装置そうち装備そうびされている[135]。1953ねんにまず吹田すいた機関きかんでD52 142号機ごうき試作しさくがたのものが、つぎに1954ねん鷹取たかとりしき試作しさくがたのものがD52 229号機ごうきにそれぞれ装備そうびされ、試作しさくがた開閉かいへい機構きこう電車でんしゃよう機械きかい転用てんようしたものであった[134]。その1955ねんから装備そうびされた鷹取たかとりしきしゅうけむり装置そうち多度津たどつしきのものから発展はってんした空気くうき作動さどうしきで、ほん形式けいしきとD62がたのほか、D51かたちD60かたち、C57かたち、C58かたち装備そうびされており[136]開閉かいへい機構きこうには多度津たどつ工場こうじょうせい専用せんようのものが装備そうびされている[134]

国府津こうづ機関きかんおよび沼津ぬまづ機関きかん配置はいちされて御殿場ごてんばせん運用うんようされていた機体きたいうたて車台しゃだいのない途中とちゅうえき折返おりかえしの列車れっしゃをバック運転うんてん運行うんこうするため、通常つうじょうだい1 - 3動輪どうりん前方ぜんぽう設置せっちされていたすな撒管がバック運転うんてんにも対応たいおうできるようだい2 - 3動輪どうりん前方ぜんぽうだい3動輪どうりん後方こうほう設置せっちされるように改造かいぞうされていた[125]

瀬野せの機関きかん配置はいちされて山陽本線さんようほんせん瀬野せの - 八本松はちほんまつ補助ほじょ機関きかんしゃとして運用うんようされていた機体きたいは、1951ねん以降いこう八本松はちほんまつえき通過つうかする列車れっしゃこう走行そうこう開放かいほうおこなうこととなったため[137]前部ぜんぶはしはりにドレンべん作用さようシリンダーを転用てんようした連結れんけつ解放かいほうテコ作用さようシリンダーを設置せっちして遠隔えんかく操作そうさ可能かのうとしてい[125]。この連結れんけつ自動じどう解放かいほう装置そうち瀬野せの機関きかん開発かいはつしたもので、運転うんてんしつないのコック操作そうさによって圧縮あっしゅく空気くうきにより解放かいほうテコをげるとともに、シリンダの動作どうさ状態じょうたい運転うんてんしつかいじょう指示しじ表示ひょうじする仕組しくみとなっている[138]

広島ひろしま工場こうじょうでは運転うんてんしつ特別とくべつ整備せいびとして、運転うんてんしつない採光さいこう改善かいぜんのための側面そくめんまど拡大かくだい改造かいぞうをD52 45, 125, 135, 348, 444, 467号機ごうきの6りょう実施じっしをしている[139]改造かいぞう内容ないようはC59がたなどに実施じっしされたものと同様どうようのもので、側面そくめん前方ぜんぽう縦長たてなが固定こていまどを、その後方こうほう原型げんけいのものより若干じゃっかんはばせま天地てんち寸法すんぽうおおきい開閉かいへいまど設置せっちしたもので、開閉かいへいまどは2まい引窓ひきまど固定こていまど裏側うらがわ引込ひきこまれる構造こうぞうとなっている。

主要しゅようしょもと

編集へんしゅう
D52がた主要しゅようしょもと一覧いちらん[ひょうちゅう 1]
形式けいしき D52かたち 参考さんこう)D62かたち
種別しゅべつ 原形げんけい 装備そうび改造かいぞう 重量じゅうりょうがた
ボイラー区分くぶん ボイラーかぶとおつ
燃焼ねんしょうしつかぶと
ボイラーへい
燃焼ねんしょうしつおつ
ボイラーかぶとおつ
燃焼ねんしょうしつかぶと
ボイラーへい
燃焼ねんしょうしつおつ
ボイラーかぶとおつ
燃焼ねんしょうしつかぶと
ボイラーへい
燃焼ねんしょうしつおつ
寸法すんぽう 軌間きかん 1067 mm
全長ぜんちょう 21005 mm 21105 mm
ぜんこう 3982 mm
固定こていじく 4650 mm
動輪どうりんみち 1400 mm
さきみち 860 mm
したがえみち 860 mm
走行そうこう装置そうち じく配置はいち 1D1 1D2
シリンダすう 単式たんしき2気筒きとう
べん装置そうち ワルシャートしき
シリンダ(みち×行程こうてい 550 mm × 660 mm
さき台車だいしゃ形式けいしき LT128
したがえ台車だいしゃ形式けいしき LT157A/LT157B LT254
ボイラー ボイラー中心ちゅうしんだか 2550 mm
ボイラー内径ないけいだい2かんどう 1846 mm
ボイラー圧力あつりょく 1.57 MPa
ボイラーすい容量ようりょう 9.6 m3 9.5 m3 9.6 m3 9.5 m3 9.6 m3 9.5 m3
だい煙管きせるみち×ちょう×本数ほんすう 140 mm × 5500 mm × 35ほん
しょう煙管きせるみち×ちょう×本数ほんすう 57 mm × 5500 mm × 94ほん
格子こうし面積めんせき 3.85 m2
過熱かねつでんねつ面積めんせき 77.4 m2
ぜん蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき 167.5 m2 167.1 m2 167.5 m2 167.1 m2 167.5 m2 167.1 m2
煙管きせる蒸発じょうはつでんねつ面積めんせき 147.4 m2
しつでんねつ面積めんせき 17.9 m2 17.5 m2 17.9 m2 17.5 m2 17.9 m2 17.5 m2
アーチかんでんねつ面積めんせき 2.2 m2
煙管きせるでんねつ面積めんせき 147.7 m2
ぜんつてねつ面積めんせき 224.9 m2 224.5 m2 224.9 m2 224.5 m2 224.9 m2 224.5 m2
運転うんてん整備せいび重量じゅうりょう 機関きかんしゃ重量じゅうりょう 84.50 t[ひょうちゅう 2] 84.30 t 85.13 t 87.74 t
動輪どうりんじょう重量じゅうりょう 64.75 t[ひょうちゅう 3] 64.60 t 66.29 t 64.33 t
炭水車たんすいしゃ重量じゅうりょう 54.10 t 51.76 t
そう重量じゅうりょう 138.60 t 138.40t 136.89 t 139.50 t
じくおも さき 7.35 t 7.30 t 7.15 t 9.31 t
だい1動輪どうりん 16.16 t 16.02 t 15.70 t 16.04 t
だい2動輪どうりん 16.28 t[ひょうちゅう 4] 16.28 t 16.63 t 16.15 t
だい3動輪どうりん 16.24 t 16.24 t 16.56 t 16.22 t
だい4動輪どうりん 16.07 t 16.06 t 16.40 t 15.92 t
したがえ 12.40 t 12.40 t 12.69 t かく8.05 t
炭水車たんすいしゃだい1りん 12.30 t 12.04 t
炭水車たんすいしゃだい2りん 12.30 t 12.04 t
炭水車たんすいしゃだい3りん 14.75 t 13.84 t
炭水車たんすいしゃだい4りん 14.75 t 13.84 t
空車くうしゃ重量じゅうりょう 機関きかんしゃ重量じゅうりょう 73.90 t 73.75 t 74.42 t 77.03t
動輪どうりんじょう重量じゅうりょう 56.43 t 56.32 t 56.95 t 56.46 t
炭水車たんすいしゃ重量じゅうりょう 17.10 t 19.74 t
そう重量じゅうりょう 91.00 t 90.85 t 94.16 t 94.16 t
じくおも さき 7.21 t 7.17 t 6.84 t 6.84 t
だい1動輪どうりん 15.78 t 15.70 t 14.99 t 14.99 t
だい2動輪どうりん 13.54 t 13.53 t 13.99 t 13.99 t
だい3動輪どうりん 13.79 t 13.78 t 14.21 t 14.21 t
だい4動輪どうりん 13.32 t 13.31 t 13.76 t 13.76 t
したがえ 10.26 t 10.26 t 10.63 t 10.63 t
炭水車たんすいしゃだい1りん 4.21 t 5.47 t
炭水車たんすいしゃだい2りん 4.21 t 5.47 t
炭水車たんすいしゃだい3りん 4.34 t 4.40 t
炭水車たんすいしゃだい4りん 4.34 t 4.40 t
炭水車たんすいしゃ 炭水車たんすいしゃ形式けいしき 12-25かたち 10-22ASがた
石炭せきたん搭載とうさいりょう 12.0 t 10.0 t
水槽すいそう容量ようりょう 25.0 m3 22.0 m3
制動せいどう装置そうち ET6自動じどう空気くうきブレーキ
最高さいこう運転うんてん速度そくど 85 km/h
シリンダ引張ひっぱちから 190.1 kN
粘着ねんちゃく引張ひっぱちから 158.7 kN 158.3 kN 162.4 kN 157.6 kN
  1. ^ 鉄道てつどう技術ぎじゅつ発達はったつ だい4へん掲載けいさい形式けいしきしょもとひょう[140]をベースに一部いちぶ機関きかんしゃ系譜けいふ 4』[25]、『国鉄こくてつ蒸気じょうき機関きかんしゃ[141]より補足ほそく
  2. ^ 84.54 tとする文献ぶんけんもある[23]
  3. ^ 64.79 tとする文献ぶんけんもある[23]
  4. ^ 16.32 tとする文献ぶんけんもある[23]

運用うんよう

編集へんしゅう

戦時せんじちゅう運用うんよう

編集へんしゅう

ほん形式けいしきはまず東海道とうかいどう山陽本線さんようほんせん沼津ぬまづ - 下関しものせきあいだ沿線えんせん機関きかん重点的じゅうてんてき配置はいちされ、つづいて函館はこだて室蘭本線むろらんほんせん函館はこだて - 倶知安くっちゃんあいだおよび長万部おしゃまんべ - 岩見沢いわみざわあいだ)での運用うんよう目的もくてきから北海道ほっかいどう配置はいちされたほか、しなづるせん山手やまて貨物かもつせん東北とうほく貨物かもつせん新鶴見しんつるみ操車そうしゃじょう - 大宮おおみや操車そうしゃじょうあいだようとして関東かんとう地方ちほうにも投入とうにゅうされた[142]

ほん形式けいしき牽引けんいん定数ていすうは、1944ねんおこなわれたD52 1号機ごうき性能せいのう試験しけん結果けっかもとづいて一般いっぱん貨物かもつ列車れっしゃが19 km/hで1100 t、石炭せきたん列車れっしゃが17 km/hで1200 t運転うんてん設定せっていされ[32]東海道とうかいどう山陽さんよう本線ほんせんにおいても10 ‰勾配こうばいで1100 t、石炭せきたん列車れっしゃは1200 tの列車れっしゃ牽引けんいんするようになったが、大戦たいせん末期まっきから終戦しゅうせん前後ぜんこうにかけての車両しゃりょう線路せんろ保守ほしゅじょうきょう炭質たんしつ低下ていかのため列車れっしゃ運行うんこうみだれたため[143]運用うんようじょうはD51かたちおなじ1牽引けんいんトン数とんすう一般いっぱん貨物かもつ列車れっしゃで1000 t)に変更へんこうされ[28]終戦しゅうせん直後ちょくごの1945ねん10がつには牽引けんいん定数ていすう見直みなおされて10 ‰勾配こうばいにおける牽引けんいんトン数とんすうほん形式けいしき・D51かたちともに900 tに変更へんこうされている[143]。この結果けっか、この時期じき1200 t列車れっしゃ牽引けんいんしていたのはEF12かたち電気でんき機関きかんしゃのみ[注釈ちゅうしゃく 30]であった。

なお、ほん形式けいしき重要じゅうよう用途ようとでもある戦時せんじ輸送ゆそうにおける石炭せきたん輸送ゆそう列車れっしゃようとして、1943ねんから1946ねんにかけて戦時せんじ設計せっけいの30 tせき、3じく無蓋むがいしゃであるトキ900かたちが8209りょう製造せいぞうされている。このトキ900かたち当時とうじ製造せいぞうされていた17t せき無蓋むがいしゃトラ6000かたち全長ぜんちょうおなじ9550 mmであるが、石炭せきたんとう積載せきさい荷重かじゅうを30 tとするため、側面そくめんたかさ856 mmのあおり上部じょうぶたかさ638 mmの側板そくばん追加ついかしたたかさ1500 mmのものとし、妻板つまいた最大さいだいだかを1800 mm(トラ6000かたちはそれぞれ800mm、1100mm)とし[146]じくじゅう建設けんせつ規定きていないおさめるため3じくとしている[147]線路せんろ有効ゆうこうちょう460 m、機関きかんしゃ牽引けんいんトン数とんすう1000 tの場合ばあい、トキ900かたちと35 tせき2じくボギー貨車かしゃ石炭せきたん列車れっしゃ比較ひかくにおいて、機関きかんしゃ1りょう場合ばあい積載せきさいりょうはトキ900がた列車れっしゃで720 t(貨車かしゃ24りょう)、2じくボギー貨車かしゃ列車れっしゃで665 t(貨車かしゃ19りょう)、機関きかんしゃじゅうれんとした場合ばあいはトキ900がた列車れっしゃで1220 t(貨車かしゃ38りょう)、2じくボギー貨車かしゃ場合ばあいで1330 t(貨車かしゃ41りょう)となっており、製造せいぞう所要しょよう資材しざいりょう工数こうすうともに2じくボギぼぎしゃより大幅おおはばすくないものとなっていた[147][注釈ちゅうしゃく 31]

ほん形式けいしきぜん出揃でそろった1946ねん3がつまつ時点じてん配置はいち以下いかのとおりであるが、戦災せんさい事故じことうにより稼働かどうもしくはげんくるま存在そんざいしない機体きたいふくまれる。

D52かたち配置はいち一覧いちらん(1946ねん3がつまつ[102]
鉄道てつどうきょく 機関きかん 番号ばんごう りょうかず
札幌さっぽろ鉄道てつどうきょく 長万部おしゃまんべ機関きかん D52 21, 31, 46-52, 94-97, 111-113, 146, 151-152, 205-208, 220-222, 345-348 30りょう 285りょう
東京とうきょう鉄道てつどうきょく 大宮おおみや機関きかん D52 26, 131, 380-381, 402, 417-419 8りょう 40りょう
新鶴見しんつるみ機関きかん D52 28[ひょうちゅう 1], 70[ひょうちゅう 1], 72[ひょうちゅう 1], 78, 130, 235, 420-423 10りょう
国府津こうづ機関きかん D52 2-3, 4[ひょうちゅう 1], 5, 7[ひょうちゅう 1], 8, 62, 234, 379, 382-384 12りょう
沼津ぬまづ機関きかん D52 59-60, 61[ひょうちゅう 1], 236-238, 465[ひょうちゅう 1], 466-468 10りょう
名古屋なごや鉄道てつどうきょく 静岡しずおか機関きかん D52 204, 215, 217, 360, 403[ひょうちゅう 2], 409-411 8りょう 73りょう
浜松はままつ機関きかん D52 53-58, 114-115, 211-214, 216, 218-219, 361-363 18りょう
稲沢いなざわ機関きかん D52 1, 9-14, 41-43, 99, 133-137, 139-140, 201-203, 336-338, 375-378, 414-415, 462 31りょう
米原まいばら機関きかん D52 15, 44-45, 209[ひょうちゅう 3], 210, 333-335, 339, 343-344, 404-405, 412-413, 416 16りょう
大阪おおさか鉄道てつどうきょく 梅小路うめこうじ機関きかん D52 354, 356-359, 364-366, 368 9りょう 80りょう
吹田すいた機関きかん D52 32-33, 102-109, 198-199, 223-233, 340-342, 353, 355, 406-407 30りょう
鷹取たかとり機関きかん D52 89, 110, 138, 200, 393-395, 408 8りょう
姫路ひめじ機関きかん D52 22-24, 29-30, 73, 74, 80-82, 83[ひょうちゅう 4], 84-87, 90[ひょうちゅう 5], 91[ひょうちゅう 6], 92-93, 141-142, 147-149, 351-352, 367, 369-374 33りょう
広島ひろしま鉄道てつどうきょく 岡山おかやま機関きかん D52 117, 119-121, 150, 445-447, 461 9りょう 62りょう
糸崎いとさき機関きかん D52 122, 144-145, 451-453, 460 7りょう
広島ひろしまだい一機関区瀬野支区[ひょうちゅう 7] D52 123, 444, 449, 459 4りょう
広島ひろしまだいいち機関きかん D52 79, 98, 100, 116, 118, 124, 129, 396, 448, 450, 463-464 12りょう
岩国いわくに機関きかん D52 401, 443, 458 3りょう
小郡おごおり機関きかん D52 75-77, 101, 125-127, 132, 143, 349-350, 397-400, 454-457 19りょう
下関しものせき機関きかん D52 6, 25, 27, 68-69, 71, 88[ひょうちゅう 8], 128 8りょう
  1. ^ a b c d e f g 1946ねん時点じてん特別とくべつきゅう車中しゃちゅう[102]
  2. ^ 新造しんぞうから1949ねん5月16にち]までだい1しゅきゅうしゃ、そのあいだ使用しよう[102]
  3. ^ 1945ねん10月19にち醒ケ井さめがいえきでのボイラー破裂はれつ事故じこにより破損はそん1947ねん6月25にち廃車はいしゃ[102]
  4. ^ 1945ねん8がつ11にちのボイラー破裂はれつ事故じこにより破損はそん、1946ねん11月28にち廃車はいしゃ[102]
  5. ^ 1945ねん1がつ19にち西明石にしあかしえき付近ふきんでの空襲くうしゅうさい軌道きどうじょう爆裂ばくれつあな転落てんらくして埋没まいぼつ、その特別とくべつきゅうしゃ、1949ねん3月29にち廃車はいしゃ[102]
  6. ^ 1945ねん川崎かわさき車輌しゃりょう神戸こうべ工場こうじょう入場にゅうじょうちゅう空襲くうしゅうにて被災ひさい、1946ねん11月28にち廃車はいしゃ[102]
  7. ^ 1946ねん4がつ1にち瀬野せの機関きかん改称かいしょう
  8. ^ 1945ねん日立製作所ひたちせいさくしょかさ工場こうじょう入場にゅうじょうちゅう空襲くうしゅう被災ひさい、1947ねん6月25にち廃車はいしゃ[102]

戦後せんご運用うんよう

編集へんしゅう

東海道とうかいどう山陽本線さんようほんせんでは状態じょうたい不良ふりょうからほん形式けいしきはD51かたちとほぼどういち性能せいのうとして運用うんようされていたが、1949ねん5がつ東海道とうかいどうせん浜松はままつまでの電化でんかわせてげん設計せっけいへの復元ふくげん整備せいび実施じっししたほん形式けいしき名古屋なごや鉄道てつどうきょく管内かんない集中しゅうちゅう配備はいびし、D51かたちが950 tを牽引けんいんする区間くかんほん形式けいしきが1100 tを牽引けんいんした[148]。また、同年どうねん6がつ夏季かき牽引けんいん定数ていすう[注釈ちゅうしゃく 32]制定せいていさいほん形式けいしきにこれを適用てきようして東海道本線とうかいどうほんせん浜松はままつ - 稲沢いなざわ操車そうしゃじょうあいだ牽引けんいんトン数とんすうを1100 tから1200 tとし、EF12かたちEF13かたちEF15かたちによる浜松はままつ以東いとうの1200 t牽引けんいんわせて新鶴見しんつるみ操車そうしゃじょう - 稲沢いなざわ操車そうしゃじょうあいだで1200 t列車れっしゃ運転うんてんし、同年どうねんまつには新鶴にいつるみさお車場くるまばゆきとして吹田すいた操車そうしゃじょうから4ほん稲沢いなざわ操車そうしゃじょうから1ほん浜松はままつから2ほん静岡しずおかから2ほんけい8ほんのぼ列車れっしゃを1200 tとした[148]。その1952ねん11月時点じてん東海道とうかいどう山陽さんよう本線ほんせんにおける貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいんおよび牽引けんいんトン数とんすう以下いかとおり。

東海道とうかいどう山陽本線さんようほんせん貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいんトン数とんすう(1952ねん11月)[148]
区間くかん
勾配こうばい
新鶴見しんつるみ操車そうしゃじょう
- 稲沢いなざわ操車そうしゃじょう
 
稲沢いなざわ操車そうしゃじょう
- 米原まいばらえき
(10 ‰)
米原まいばらえき
- 膳所ぜぜえき
(10 ‰)
膳所ぜぜえき
- 梅小路うめこうじえき
(10 ‰)
梅小路うめこうじえき
- 吹田すいた操車そうしゃじょう
 
吹田すいた操車そうしゃじょう
- 姫路ひめじ操車そうしゃじょう
 
姫路ひめじ操車そうしゃじょう
- 八本松はちほんまつえき
(10 ‰)
八本松はちほんまつえき
- 瀬野せのえき
(22.5 ‰)
瀬野せのえき
- 幡生はたぶ操車そうしゃじょう
(10 ‰)
幡生はたぶ操車そうしゃじょう
- 門司もじ操車そうしゃじょう
(25‰)
くだ EF13かたち・EF15かたち
1200 t
D52かたち
1100 t
D52かたち
1250 t
D52かたち
1200 t
EF10かたち × 2りょう
1200 t
のぼ D52かたち
1200 t
D52かたち + D51かたち
1200 t
D52かたち
1350 t
D52かたち
1300 t
D52かたち
1200 t
D52かたち × 3りょう
1200 t
D52かたち
1200 t

また、ほん形式けいしき牽引けんいんトン数とんすう推移すいい以下いかとおり。

D52かたち牽引けんいんトン数とんすう推移すいい[149]
上段じょうだん牽引けんいんトン数とんすう下段げだん均衡きんこう速度そくど
とし 通貨つうか[ひょうちゅう 1]かぶとA[ひょうちゅう 2] 通貨つうかへいC[ひょうちゅう 3] 通貨つうかいぬA[ひょうちゅう 4] つうずみ[ひょうちゅう 5]へいC 備考びこう
10パーミル 25パーミル 10パーミル 25パーミル 25パーミル 10パーミル 25パーミル
1943ねん 750 t
31 km/h
330 t
25 km/h
1100 t
19 km/h
450 t
19 km/h
- 1200 t
17 km/h
-
1945ねん - 900 t
25 km/h
350 t
24 km/h
- 炭質たんしつ低下ていかのため牽引けんいんトン数とんすう削減さくげん
1946ねん 950 t
25 km/h
1950ねん 1200 t
17 km/h
- 400 t
20 km/h
D52かたち、D62がたじくじゅう軽減けいげん改造かいぞう実施じっし共通きょうつう
  1. ^ 貨車かしゃとその車両しゃりょう組成そせいされた通過つうか列車れっしゃ
  2. ^ 速度そくど種別しゅべつ勾配こうばい10パーミルで均衡きんこう速度そくど28 km/h、25パーミルで25 km/h
  3. ^ 速度そくど種別しゅべつ勾配こうばい10パーミルで均衡きんこう速度そくど18 km/h、25パーミルで18 km/h
  4. ^ 速度そくど種別しゅべつ勾配こうばい5パーミルで均衡きんこう速度そくど22 km/h
  5. ^ 石炭せきたんだけを積載せきさいした列車れっしゃ組成そせいされた通過つうか列車れっしゃ

その関ヶ原せきがはら船坂峠ふなさかとうげといった10 ‰勾配こうばい連続れんぞくする区間くかんふく東海道とうかいどう山陽本線さんようほんせん全線ぜんせんでの1200 t貨物かもつ列車れっしゃ運転うんてん使用しようされた一方いっぽうで、ワキ1かたちワキ1000かたちなどで編成へんせいされた急行きゅうこう貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいんしている[150][151]東海道とうかいどう本線ほんせんは1949ねん浜松はままつあいだ電化でんかされ、以降いこう1953ねん稲沢いなざわまで、1955ねん米原まいばら1956ねん京都きょうとまでが電化でんかされて東京とうきょう - 神戸こうべあいだ電化でんかされ、一方いっぽう山陽本線さんようほんせんは1958ねん西明石にしあかし - 姫路ひめじあいだ電化でんかされ、以降いこう1959ねん上郡かみごおりまで、1960ねん倉敷くらしき1961ねん三原みはら1962ねん横川よこかわまでと順次じゅんじ電化でんか区間くかん延伸えんしんされ、1964ねん7がつ25にち横川よこかわ - 小郡おごおりあいだ電化でんかにより全線ぜんせん電化でんかされてほん形式けいしき運用うんよう区間くかん順次じゅんじ短縮たんしゅくされていったが、柳井やない機関きかん小郡おごおり機関きかん配置はいちされたほん形式けいしき一部いちぶ1966ねん6がつまで使用しようされていた[152]

山陽本線さんようほんせん瀬野せの - 八本松はちほんまつあいだ通称つうしょう瀬野せのはち」(10.6 km)はとくのぼせんで22.6 ‰の勾配こうばい連続れんぞくする難所なんしょ補助ほじょ機関きかんしゃ使用しようして運転うんてんされていた。には1931ねんからD50かたち[153]、1935-36ねんからはC52かたち[154]使用しようされ、さらに1941ねんからはD51かたち[137]使用しようされたが、1945-46ねんほん形式けいしき瀬野せのささえ配置はいちされて使用しようされている[102]ほん形式けいしきどう区間くかんとおのぼ旅客りょかく列車れっしゃ軽量けいりょう貨物かもつ列車れっしゃには単機たんき重量じゅうりょう貨物かもつ列車れっしゃにはじゅうれん使用しようされており、特急とっきゅう列車れっしゃでは広島ひろしまから連結れんけつされ、その後部こうぶにはテールマーク設置せっちされていた[137]。その1962ねん5月12にちにこの区間くかんふく山陽さんよう本線ほんせん三原みはら - 広島ひろしまあいだ電化でんかがされてよく1963ねんからはEF59かたち使用しようされるようになったが、ほん形式けいしきは1964ねん6がつまで使用しようされていた[152]

大宮おおみや機関きかん新鶴見しんつるみ機関きかん配置はいちされた機体きたいは1946ねんから1954ねんまで東北とうほく貨物かもつせん赤羽線あかばねせん山手やまて貨物かもつせんしなづるせん使用しようされており、大宮おおみや - 赤羽あかはね - 大崎おおさき - 新鶴見しんつるみあいだでD51がたとともに貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいんしている[155]

御殿場ごてんばせんでは国府津こうづ機関きかん沼津ぬまづ機関きかん配置はいちされた機体きたいが1945ねんから使用しようされ、沼津ぬまづ機関きかん機体きたい同線どうせんよう機体きたい国府津こうづ機関きかん集約しゅうやくされる1961ねんまで、国府津こうづ機関きかん機体きたい1968ねんまで使用しようされ[156]貨物かもつ列車れっしゃのほか旅客りょかく列車れっしゃほん形式けいしき牽引けんいんしていた[注釈ちゅうしゃく 33]。なお、1969ねん4がつ23にち東海道とうかいどう本線ほんせん土砂崩どしゃくずれや1965ねん6がつ20日はつか早川はやかわ橋梁きょうりょうがえ工事こうじさいにはほん形式けいしきによる御殿場ごてんばせんへの迂回うかい運転うんてん実施じっしされており[157]ほん形式けいしき特急とっきゅう急行きゅうこう列車れっしゃ牽引けんいんにも使用しようされている[158]

岩徳線がんとくせんでも旅客りょかく列車れっしゃ貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいんしている[159]

吹田すいた機関きかん配置はいちされた機体きたいは1958ねんごろから梅田うめだ貨物かもつせん城東じょうとう貨物かもつせんでも運用うんようされるようになり、梅田うめだ貨物かもつせんでは新幹線しんかんせん開業かいぎょうころまで、城東じょうとう貨物かもつせんでは1969ねんまで貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいんしており、最終さいしゅうてきにはD52 28, 142号機ごうきの2りょう使用しようされていた[160][159]

鹿児島本線かごしまほんせんでは東海道とうかいどう本線ほんせん電化でんかにより余剰よじょうとなった機体きたいが1955ねん11月に6りょう、1956ねん7-8がつに1955ねん配置はいちとなった機体きたい入替いれかわりで3りょう門司もじ - 鳥栖とすあいだ貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいんようとして門司もじ機関きかん配置はいちとなったが[161]、1961ねん門司もじ - 久留くるよねあいだ電化でんかにより全車ぜんしゃきゅうしゃとなり、廃車はいしゃとなった1りょうのぞ翌年よくねんまでに本州ほんしゅう転属てんぞくした[162]

 
D52 468(京都きょうと鉄道てつどう博物館はくぶつかん

戦時せんじちゅう函館はこだて室蘭本線むろらんほんせんようとして長万部おしゃまんべ機関きかん配属はいぞくされていたほん形式けいしきぜんが1950ねんにかけて本州ほんしゅう転属てんぞくもしくは廃車はいしゃとなった[102]が、1960ねん函館はこだて室蘭本線むろらんほんせん函館はこだて - 東室蘭ひがしむろらん鷲別わしべつあいだじゅう貨物かもつ列車れっしゃ牽引けんいんようとして五稜郭ごりょうかく機関きかんほん形式けいしきあらためて配置はいちされている[163]。このとき配置はいちとなった機体きたい山陽本線さんようほんせん電化でんかともな余剰よじょうとなった姫路ひめじだいいち機関きかん所属しょぞくの8りょう (D52 56, 136, 138, 202, 204, 235, 404, 468号機ごうき)と岡山おかやま機関きかん所属しょぞくの5りょう (D52 140, 201, 217, 400, 414号機ごうき)のけい13りょう[164]であり、また、1964ねん糸崎いとさき機関きかんからの3りょう(D52 89, 418, 422号機ごうき)が配置はいちとなったがよく1965ねん廃車はいしゃとなり、1968ねん吹田すいただいいち機関きかんから2りょう(D52 28, 142号機ごうき)が配属はいぞくとなったが、同年どうねんちゅうの3りょう(D52 201, 217, 400号機ごうき)とともに廃車はいしゃとなった[102]のこる10りょうのうち1972ねん12月に4りょう(D52 56, 138, 204, 404号機ごうき)、よく1973ねんに4りょう(D52 136, 140, 235, 414号機ごうき)が廃車はいしゃとなったほか、1973ねん門司もじ機関きかん展示てんじようとして貸出かしだされたD52 202号機ごうき1975ねんに、梅小路うめこうじ蒸気じょうき機関きかんしゃかん保存ほぞんされるために1972ねん9がつ梅小路うめこうじ機関きかん移動いどうしていたD52 468号機ごうき1979ねん廃車はいしゃとなっている[102]

参考さんこうとして、1962ねん6がつ1にち時点じてん配置はいちひょう以下いかとおり(総数そうすう154りょう)。

D52かたち配置はいち一覧いちらん(1962ねん6がつ1にち
鉄道てつどう管理かんりきょく 機関きかん 番号ばんごう りょうかず
青函せいかん船舶せんぱく鉄道てつどう管理かんりきょく 五稜郭ごりょうかく機関きかん D52 56, 136, 138, 140, 201-202, 204, 217, 235, 400, 404, 414, 468 13りょう 154りょう
東京とうきょう鉄道てつどう管理かんりきょく 国府津こうづ機関きかん D52 62, 70, 72, 236, 335, 403, 460 7りょう
大阪おおさか鉄道てつどう管理かんりきょく 吹田すいただいいち機関きかん D52 142, 148, 200, 203, 229, 232, 340, 355, 382, 405, 466 11りょう 12りょう
鷹取たかとり機関きかん D52 216 1りょう
岡山おかやま鉄道てつどう管理かんりきょく 岡山おかやま機関きかん D52 15, 32, 55, 102, 105, 117, 134, 210, 218, 223, 354, 383, 384, 424 14りょう 22りょう
糸崎いとさき機関きかん D52 10, 13, 28, 89, 418, 421-422, 452 8りょう
広島ひろしま鉄道てつどう管理かんりきょく 瀬野せの機関きかん D52 12, 48, 101, 118, 123, 126, 128, 129, 131, 133, 146, 398, 417, 463 14りょう 94りょう
広島ひろしまだいいち機関きかん D52 11, 14, 45, 50, 52-53, 71, 75, 76, 92, 98-100, 122, 124, 130, 135, 139, 143, 144, 149, 213, 228, 341-342, 348, 356, 373, 376, 378, 406, 408, 416 33りょう
柳井やない機関きかん D52 2, 29, 54, 58, 68, 108, 214, 234, 237, 369, 370, 372, 402, 453, 457, 467 16りょう
小郡おごおり機関きかん D52 1, 3, 6, 24, 31, 33, 41, 43, 57, 60, 61, 81, 86, 109, 115, 125, 137, 198, 199, 219, 224, 225, 361, 362, 363, 393, 420, 444, 454, 456, 459 31りょう
門司もじ鉄道てつどう管理かんりきょく 門司もじ機関きかん D52 79, 333, 379, 396, 415, 451 6りょう

また、年代ねんだいごとの配置はいちりょうかず変遷へんせん以下いかとお

D52かたち配置はいち変遷へんせん(1946ねん - 1972ねん
鉄道てつどうきょく(1950ねんまで) 鉄道てつどう管理かんりきょく(1950ねん以降いこう 機関きかん 時期じき
1944ねん
1がつ1にち[165]
1946ねん
3月31にち[102]
1949ねん
1-7がつ[ひょうちゅう 1][166]
1955ねん
2がつ1にち[167]
1959ねん
4がつ1にち[168]
1965ねん
4がつ
1969ねん
3月31にち[169]
1972ねん
3月31にち[102]
札幌さっぽろ鉄道てつどうきょく 青函せいかん船舶せんぱく鉄道てつどう管理かんりきょく 長万部おしゃまんべ機関きかん 30りょう 14りょう[ひょうちゅう 2]
五稜郭ごりょうかく機関きかん 13りょう 15りょう[ひょうちゅう 3] 10りょう[ひょうちゅう 4]
東京とうきょう鉄道てつどうきょく 東京とうきょう鉄道てつどう管理かんりきょく 高崎たかさきだい機関きかん 3りょう
大宮おおみや機関きかん 8りょう 7りょう 1りょう[ひょうちゅう 5]
新鶴見しんつるみ機関きかん 10りょう[ひょうちゅう 6] 9りょう
国府津こうづ機関きかん 12りょう[ひょうちゅう 7] 6りょう 6りょう 7りょう 6りょう
静岡鉄道しずおかてつどう管理かんりきょく 沼津ぬまづ機関きかん 10りょう 6りょう 8りょう 3りょう[ひょうちゅう 8]
名古屋なごや鉄道てつどうきょく 静岡しずおか機関きかん 8りょう[ひょうちゅう 5] 3りょう
浜松はままつ機関きかん 1りょう 18りょう 23りょう[ひょうちゅう 5]
名古屋なごや管理かんり鉄道てつどうきょく 稲沢いなざわ機関きかん稲沢いなざわだいいち機関きかん 31りょう 25りょう 10りょう[ひょうちゅう 4][ひょうちゅう 9]
米原まいばら機関きかん 16りょう 16りょう 13りょう[ひょうちゅう 4][ひょうちゅう 10]
大阪おおさか鉄道てつどうきょく 大阪おおさか鉄道てつどう管理かんりきょく 梅小路うめこうじ機関きかん 9りょう 2りょう
吹田すいた機関きかん吹田すいただいいち機関きかん 3りょう 30りょう 18りょう 34りょう[ひょうちゅう 11] 7りょう[ひょうちゅう 12] 11りょう
鷹取たかとり機関きかん 8りょう 8りょう
姫路ひめじ機関きかん姫路ひめじだいいち機関きかん 33りょう[ひょうちゅう 8] 11りょう 16りょう 15りょう[ひょうちゅう 7]
広島ひろしま鉄道てつどうきょく 岡山おかやま鉄道てつどう管理かんりきょく 岡山おかやま機関きかん 9りょう 4りょう 13りょう 29りょう[ひょうちゅう 3]
糸崎いとさき機関きかん 7りょう 4りょう 11りょう 13りょう
広島ひろしま鉄道てつどう管理かんりきょく 広島ひろしまだいいち機関きかん広島ひろしま機関きかん 12りょう 2りょう 19りょう[ひょうちゅう 5] 24りょう[ひょうちゅう 4] 15りょう
広島ひろしまだい一機関区瀬野支区→瀬野せの機関きかん 4りょう 14りょう 13りょう 14りょう[ひょうちゅう 5]
岩国いわくに機関きかん 3りょう 2りょう
柳井やない機関きかん 2りょう 10りょう 18りょう
小郡おごおり機関きかん 19りょう 3りょう[ひょうちゅう 13] 17りょう[ひょうちゅう 5] 32りょう[ひょうちゅう 5] 37りょう
下関しものせき機関きかん 8りょう 7りょう[ひょうちゅう 13]
門司もじ鉄道てつどうきょく 門司もじ鉄道てつどう管理かんりきょく 門司もじ機関きかん 6りょう
けい 4りょう 285りょう[ひょうちゅう 14] 189りょう[ひょうちゅう 15] 161りょう 160りょう 100りょう 15りょう 10りょう
  1. ^ 札幌さっぽろ鉄道てつどうきょく1がつ1にち東京とうきょう鉄道てつどうきょく7がつ1にち、その6月1にち
  2. ^ うち5りょうだい一種いっしゅきゅうしゃ
  3. ^ a b うち2りょうだい一種いっしゅきゅうしゃ
  4. ^ a b c d うち3りょうだい一種いっしゅきゅうしゃ
  5. ^ a b c d e f g うち1りょうだい一種いっしゅきゅうしゃ
  6. ^ うち3りょう特別とくべつきゅうしゃ
  7. ^ a b うち2りょう特別とくべつきゅうしゃ
  8. ^ a b うち1りょう特別とくべつきゅうしゃ
  9. ^ このほかD62かたち5りょう配置はいち
  10. ^ このほかD62かたち9りょう配置はいち
  11. ^ このほかD62かたち6りょう配置はいち
  12. ^ このほかD62かたち19りょう(うち16りょうだい一種いっしゅきゅうしゃ)が配置はいち
  13. ^ a b にゅうかわよう区分くぶん
  14. ^ 事故じこによりげんくるま存在そんざいしな機体きたいがある
  15. ^ 1-7がつ各区かっく配置はいちりょうかず合計ごうけい

保存ほぞん

編集へんしゅう

京都きょうと京都きょうと鉄道てつどう博物館はくぶつかんほか各地かくちで7りょう静態せいたい保存ほぞんされている。ほん形式けいしき使用しよう線区せんくひとつだった、御殿場ごてんばせん沿線えんせん神奈川かながわ静岡しずおかりょうけんでの保存ほぞんおおい。

D52かたち静態せいたい保存ほぞん一覧いちらん
画像がぞう 番号ばんごう 所在地しょざいち 備考びこう
  D52 235 神奈川かながわけん相模原さがみはら中央ちゅうおう鹿沼台かぬまだい2丁目ちょうめ15-1
鹿沼かぬま公園こうえん
函館本線はこだてほんせん使用しようされていたもので、運転うんてんしつ前面ぜんめんまど旋回せんかいまどとなっている。「相模原さがみはらD52保存ほぞんかい」が整備せいび維持いじ活動かつどうおこなっている。なお、一部いちぶ部品ぶひんからD52 138の刻印こくいん発見はっけんされている[170]ほか、D52 235号機ごうきは1961ねん9がつ密閉みっぺいしき運転うんてんしつ改造かいぞうされている[171]が、D52 138号機ごうき保存ほぞんされているげんくるま通常つうじょう運転うんてんしつとなっており、さきばねカバーじょうデッキの支柱しちゅうやボイラーよこすなかん逆転ぎゃくてんぼうカバーの形状けいじょうも138号機ごうきのものと同様どうようのものとなっている[172]。1945年度ねんど川崎かわさき車輛しゃりょうせい(D52 235号機ごうき)もしくは1944年度ねんど汽車きしゃ製造せいぞうせい(D52 138号機ごうきであった場合ばあい)。
  D52 403 神奈川かながわけん平塚ひらつか浅間あさままち10-22
平塚ひらつか文化ぶんか公園こうえん[173]
御殿場ごてんばせん電化でんかまで使用しようされた。屋根やねきで保存ほぞんされているが、はなれた場所ばしょから見学けんがく可能かのう隣接りんせつする平塚ひらつか博物館はくぶつかん受付うけつけ申出もうしでればよりちか場所ばしょからの見学けんがく可能かのう[174]。1945年度ねんど日立製作所ひたちせいさくしょせい
  D52 70 神奈川かながわけん足柄上あしがらかみぐん山北さんぽくまち山北やまきた1981
山北やまきた鉄道てつどう公園こうえん
御殿場ごてんばせん電化でんかまで使用しようされた。2016ねん3がつ圧縮あっしゅく空気くうき走行そうこうするよう整備せいびされ[175]同年どうねん10がつ14にちの「D52 奇跡きせき復活ふっかつさい」でじゅうすう mそうした[176]定期ていきてき走行そうこうおこなわれている[177][注釈ちゅうしゃく 34][180]ゆうではないものの、はし可能かのう唯一ゆいいつのD52かたちである。1944年度ねんど川崎かわさき車両しゃりょうせい
  D52 72 静岡しずおかけん御殿場ごてんば新橋しんばし1898-3
御殿場ごてんばえきぜんポッポ広場ひろば
当初とうしょどう市内しない湯沢ゆざわひら公園こうえん保存ほぞんされていたが、2010ねん9がつ28にちにいったん展示てんじ終了しゅうりょうし、同年どうねん11月28にちから現在地げんざいち保存ほぞんされている[181]。1944年度ねんど川崎かわさき車輛しゃりょうせい
  D52 136 静岡しずおかけん沼津ぬまづ高沢たかさわまち8-1ない
高沢たかさわ公園こうえん
御殿場ごてんばせんではなく函館本線はこだてほんせん使用しようされていたもので、スノープラウき。1944年度ねんど汽車きしゃ製造せいぞうせい
  D52 468 京都きょうと京都きょうと下京しもぎょう観喜寺かんきじまち
京都きょうと鉄道てつどう博物館はくぶつかん
1972ねん梅小路うめこうじ蒸気じょうき機関きかんしゃかん京都きょうと鉄道てつどう博物館はくぶつかん前身ぜんしん)の開館かいかんともな保存ほぞんされ、2006ねんに「梅小路うめこうじ蒸気じょうき機関きかんしゃぐん関連かんれん施設しせつ」としてじゅん鉄道てつどう記念きねんぶつ指定していされた。1945年度ねんど三菱重工業みつびしじゅうこうぎょうせいでD52がたのラストナンバー。
  D52 1 広島ひろしまけん広島ひろしまひがし
日本にっぽん貨物かもつ鉄道てつどう(JR貨物かもつ広島ひろしま車両しゃりょうしょ
じゅん鉄道てつどう記念きねんぶつ。1943年度ねんど国鉄こくてつ浜松工はままつこうせい

脚注きゃくちゅう

編集へんしゅう

注釈ちゅうしゃく

編集へんしゅう
  1. ^ 石炭せきたん鉄鋼てっこうアルミニウム造船ぞうせん航空機こうくうき、1942ねん11月に内閣ないかく設置せっちされた臨時りんじ生産せいさん増強ぞうきょう委員いいんかい設置せっち要綱ようこう[10]による
  2. ^ 揮発きはつせい成分せいぶん不完全ふかんぜん燃焼ねんしょうこしやすく、完全かんぜん燃焼ねんしょうさせるためにはしつないでの滞留たいりゅう時間じかんながくする必要ひつようがあるとされている[36]
  3. ^ 鉄道てつどうしょう国鉄こくてつ)の国産こくさん過熱かねつしき蒸気じょうき機関きかんしゃ格子こうし面積めんせき/しつ容積ようせきがこの範囲はんいしつゆうするのは8620かたちC50かたちおよびほん形式けいしきほん形式けいしきのボイラーを使用しようするD62かたち、C62かたちのみとなっている[38]
  4. ^ 1929ねんだい13かい車両しゃりょう研究けんきゅうかいにおいて、みなみまんしゅう鉄道てつどうから「しつ容積ようせき過小かしょうなときは炭素たんそおよび揮発きはつぶつしつない酸素さんそ十分じゅうぶん混合こんごうするときあいだあたえられずに、煙管きせるはいるため完全かんぜん燃焼ねんしょうおこなわれず煙突えんとつからげる損失そんしつ増大ぞうだいしてボイラの効率こうりつ低下ていかする。しつ容積ようせき制限せいげんなくだいにすることも不可ふかであって、格子こうし面積めんせきたいして適当てきとうつべきである。格子こうし面積めんせき1 m2たいして1.6 - 2 m3しつ容積ようせきつのがよい(以下いかりゃく)」との意見いけんがなされている[37]
  5. ^ 1933年度ねんど車両しゃりょう研究けんきゅうかい特別とくべつ委員いいんかいでは、減却げんきゃく償却しょうきゃく考慮こうりょしても相当そうとう利点りてんがあり、ボイラーの保守ほしゅうえ有効ゆうこうなことがみとめられ「将来しょうらい大形おおがた機関きかんしゃ設計せっけいするときはこれを参考さんこうとする」との決議けつぎがなされた[40]
  6. ^ LTはLocomotive truckのりゃくひゃくじくすうじゅう復元ふくげん装置そうち方式ほうしきで1:エコノミーしき、2:コロしき、3:傾斜けいしゃめんしき、4:リンクしき、5:バネしきいち製造せいぞうじゅんをそれぞれあらわしている[48]
  7. ^ 1936ねんだい27かい車両しゃりょう研究けんきゅうかいげられたもので、「おもだいワクばん鋳鋼ちゅうこうせいとすることの可否かひ現状げんじょうでは一概いちがい断定だんていできない。機関きかんしゃ設計せっけいとうつて適当てきとう選択せんたくすべきである」と決議けつぎされた[54]
  8. ^ 機関きかんしゃたいわくあつ鋼板こうはん使用しようすることは、軍艦ぐんかん装甲そうこういたようあつ鋼板こうはん製造せいぞうラインを維持いじする目的もくてきがあった[54]
  9. ^ 書類しょるいじょうではD51 354-359, 403-405号機ごうきけい9りょう鋳鋼ちゅうこうせいだいわく使用しようしていると確認かくにんできる[56]
  10. ^ 機関きかんしゃ系譜けいふ 4』ではD52 380-384号機ごうきの5りょうとされている[63]。また、D52 362号機ごうきおよびD62 16号機ごうきだい3動輪どうりん、D52 16号機ごうきだい2動輪どうりんもディスクしんのものを装備そうびしていたことがあるが、これらは後年こうねん振替ふりかえによるものとされている[61]一方いっぽう、D52 383号機ごうきだい4動輪どうりん後年こうねん通常つうじょうのボックスしんのものを装備そうびしている[63]
  11. ^ Westinghouse Air Brake Company, Pittsburgh(WABCO)
  12. ^ 0.288 m3のD51かたちや0.203 m3のC57がた戦前せんぜんがた)、0.244 m3のC59がた戦前せんぜんがた)よりはだい容量ようりょうであるが、0.368 m3のC57がた戦後せんごがた)や0.380 m3のC59がた戦後せんごがた)およびC62かたち、0.381 m3のC61かたちよりは容量ようりょうちいさいものとなっている[69]
  13. ^ どう時期じき戦時せんじがたD51と同様どうよう省力しょうりょくしょう資材しざい手法しゅほうで、モノコック構造こうぞう鉄道てつどう車両しゃりょうへの本格ほんかく採用さいよう1950年代ねんだい中期ちゅうきちかくとなった日本にっぽんにおける、例外れいがいてき採用さいようれいであり、一部いちぶ設計せっけい変更へんこうしたかたち終戦しゅうせんのちぞう備されたなか大型おおがた旅客りょかくよう蒸気じょうき機関きかんしゃにも導入どうにゅうされている。
  14. ^ たいわく構造こうぞう炭水車たんすいしゃどく潜水せんすいかん作戦さくせんでもたらされたドイツの最新さいしん技術ぎじゅつ資料しりょうふくまれていたドイツ国鉄こくてつ戦時せんじ設計せっけい蒸気じょうき機関きかんしゃである52かたち炭水車たんすいしゃ刺激しげきされたものというせつがある[72]
  15. ^ アメリカのBettendorf Axel Companyが開発かいはつしたもので、この台車だいしゃやD51かたち戦時せんじがたの10-20かたち炭水車たんすいしゃ使用しようしたLT205かたちはそのじく距をもとの1,700 mm から1,650 mm に縮小しゅくしょうあらため設計せっけいしたうえで、1948ねんせいトキ15000かたち以降いこうおおくの貨車かしゃにTR41がたとして使用しようされている。
  16. ^ 鉄道てつどうしょう工場こうじょうは1942ねん9がつこう改称かいしょうされ、1950ねん8がつ工場こうじょうという名称めいしょうもどされている[78]
  17. ^ 機関きかんしゃ番号ばんごう「1」は、もっとはや完成かんせいさせた工場こうじょう当時とうじ東條とうじょう総理そうり大臣だいじんむかえてわたされるとされていたため、1943ねん9がつから製造せいぞう開始かいし浜松はままつ鷹取たかとりりょうこう早期そうき竣工しゅんこうきそった。当初とうしょ鷹取たかとりこう浜松工はままつこうより5 - 10日とおか程度ていど製造せいぞう工程こうていおくれていたが、浜松はままつこうという合言葉あいことばのもとにいろいろな悪条件あくじょうけん克服こくふくし、徹夜てつや作業さぎょう数日すうじついえかえらぬものおおく、1943ねん12月17にち23初号しょごう構内こうない試運転しうんてん実施じっしして浜松工はままつこうより1にちはや竣工しゅんこうさせた。しかし、機関きかんしゃ竣工しゅんこう直前ちょくぜんになって東京とうきょうがわちか工場こうじょうから順次じゅんじ機関きかんしゃ番号ばんごう割当わりあてられることになり、初号しょごうは「D52 21」となった[79]
  18. ^ けむりしつとびら気密きみつがよくない場合ばあい、そこからはいった空気くうきとシンダが接触せっしょくしてけむりしつない燃焼ねんしょうすることによりけむりしつ焼損しょうそんし、これによりけむりしつとびらいがんでさらに気密きみつせいわるくなる。
  19. ^ 1945ねん8がつ11にち山陽本線さんようほんせん万富まんとみえきでボイラーが破裂はれつする事故じこ発生はっせい乗務じょうむいんは50 mもばされた。1945ねん12月7にちには、さんせき - 吉永よしながあいだでD52 371号機ごうき焚口たきぐちから蒸気じょうき事故じこ発生はっせいし、乗務じょうむいんばされた。これは、しつなか天井板てんじょういた破裂はれつ原因げんいんである[90]
  20. ^ かんどうけむりしつかんいたぜんすみばんひかえこうすみばんひかえ同様どうよういたあつうすくして溶接ようせつ構造こうぞうとしているが、使用しようじょうきょうこうすみばんひかえくら良好りょうこうであった。
  21. ^ 旅客りょかくようのC59がた戦後せんご製造せいぞう機体きたい炭水車たんすいしゃ同様どうよう構造こうぞうであったが、こちらは支障ししょうなく運用うんようされていたため、貨物かもつようほん形式けいしきにおける不具合ふぐあいは、貨車かしゃいれかわなかくるまはし衝撃しょうげき最大さいだい要因よういんかんがえられている[95]
  22. ^ やく20 km/h以下いかではシリンダー牽引けんいんりょくおなじD51かたち同等どうとう性能せいのう、ボイラー蒸発じょうはつりょく依存いぞんするやく25 km/h以上いじょうではD52かたち同等どうとう性能せいのうで、やく20 - 25 km/hではりょう形式けいしき中間ちゅうかん性能せいのうであった[101]
  23. ^ C62 2-3号機ごうきけのものの機関きかんにはみなみまんしゅう鉄道てつどうけの在庫ざいこひん流用りゅうようされているほか、本省ほんしょう基本形きほんけい機関きかん部分ぶぶんはシリンダみち × ストロークが120 mm × 120 mmの小型こがたのものとなっている[106]
  24. ^ D52 32, 89, 102, 198号機ごうきなど[117]
  25. ^ D52 136号機ごうきすみブッシュしきしゅれんぼう装備そうびするが、その経緯けいい機体きたいにも存在そんざいするかは不明ふめいである[119]
  26. ^ とく長距離ちょうきょり運用うんようてきすることが判明はんめいしたものの[118]使用しようするグリースにより保守ほしゅ難易なんいがあり、試験しけん当時とうじでは輸入ゆにゅうひんのグリース以外いがい成功せいこうしておらず、良質りょうしつ国産こくさんグリースの研究けんきゅうすすめられていた[120]
  27. ^ 山科やましなえき構内こうない発生はっせいしたもので、設計せっけいじょうでは1まいいた設計せっけいであったしつを突合溶接ようせつ組立くみたてていたものが疲労ひろう破壊はかいしたとかんがえられている [86]
  28. ^ D52 28, 89, 136, 138, 140, 201-202, 204, 217, 235, 400, 404, 414, 468号機ごうき[128]
  29. ^ D52 1, 4, 43, 56-58, 109, 115, 130, 136-138, 142, 148-149, 198, 202-204, 224-225, 229, 232, 235, 340, 362-363, 365, 373, 376, 404-405, 468号機ごうき[134]
  30. ^ 戦時せんじ設計せっけいのEF13かたち設計せっけいじょうはEF12かたち同一どういつ性能せいのうであったが、当初とうしょ牽引けんいん定数ていすうどう形式けいしきよりひく設定せっていされており[144]、1948ねん装備そうび改造かいぞう以降いこうにEF12かたちおなじく東海道とうかいどう本線ほんせんにおいて1200 t牽引けんいんとなった[145]
  31. ^ このほか、ぜんじく距5500 mmがあるのにたい建設けんせつ規定きてい固定こていじく制限せいげんが4600 mmであるため、3じくともよこどうりょう付与ふよした可動かどうじくとしたほか[146]ちゅうはりがわはりよりも110mm ひくくして連結れんけつ中心ちゅうしんせん同一どういつたかさとしてくるまはし衝撃しょうげきによるげモーメントを0とすることで、ちゅうはり断面だんめんちいさいものとして資材しざい節約せつやくはかったことが特徴とくちょうとなっている[147]
  32. ^ 経営けいえい合理ごうり一環いっかんとして設定せっていされたもので、夏期かき冬期とうき温度おんどによる走行そうこう抵抗ていこうならびに蒸気じょうき機関きかんしゃ性能せいのう相違そうい考慮こうりょして、隧道すいどう区間くかんおよび粘着ねんちゃくりょく影響えいきょうちいさい区間くかん牽引けんいん定数ていすうを10 %向上こうじょうした[148]
  33. ^ 25 ‰の勾配こうばい連続れんぞくする路線ろせんではあるが輸送ゆそうりょうおおくない御殿場ごてんばせんへのほん形式けいしき配置はいちについて、鉄道てつどうファンの松本まつもと謙一けんいち東海道とうかいどうせん支障ししょう迂回うかい運転うんてんひがし富士ふじ演習えんしゅうじょうへの兵器へいきひとし運搬うんぱんとうのためと推測すいそくしている[157]
  34. ^ 復元ふくげんさい中心ちゅうしんてき役割やくわりになっていた国鉄こくてつOBが直後ちょくご急逝きゅうせいし、次回じかい運行うんこう中止ちゅうしするとほうじられた[178]が、役割やくわり国鉄こくてつOBと交流こうりゅうがあった人物じんぶつ引継ひきつがれた[179]

出典しゅってん

編集へんしゅう
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参考さんこう文献ぶんけん

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書籍しょせき

  • 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう鉄道てつどう技術ぎじゅつ発達はったつ だい1へん日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう、1958ねん 
  • 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう鉄道てつどう技術ぎじゅつ発達はったつ だい4へん日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう、1958ねん 
  • 日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう鉄道てつどう技術ぎじゅつ発達はったつ だい5へん日本にっぽん国有こくゆう鉄道てつどう、1958ねん 
  • 臼井うすい茂信しげのぶ機関きかんしゃ系譜けいふ 4』交友こうゆうしゃ、1978ねん 
  • 臼井うすい茂信しげのぶ日本にっぽん蒸気じょうき機関きかんしゃ形式けいしき集成しゅうせい 2』まことぶんどう新光しんこうしゃ、1969ねん 
  • 川上かわかみ幸義ゆきよしわたし蒸気じょうき機関きかんしゃ 交友こうゆうしゃ、1981ねん 
  • 高田たかだ隆雄たかお蒸気じょうき機関きかんしゃ 日本にっぽんへん小学館しょうがくかん万有ばんゆうガイドシリーズ 12〉、1981ねん 
  • こえぬま陽一よういち高村たかむら俊一しゅんいち『D52物語ものがたり』D52物語ものがたり出版しゅっぱん委員いいんかい、2003ねん 
  • 高木たかぎ宏之ひろゆき国鉄こくてつ蒸気じょうき機関きかんしゃ』ネコ・パブリッシング、2015ねんISBN 9784777053797 
  • 沖田おきたゆうさく機関きかんしゃひょう』ネコ・パブリッシング、2014ねんISBN 9784777053629 
  • 鉄道てつどう車輌しゃりょうガイド Vol.4 D52・D62』 1664かん、ネコ・パブリッシング、2011ねんISBN 9784777011643 
  • 金田かねだしげるひろし形式けいしきべつ 国鉄こくてつ蒸気じょうき機関きかんしゃIV』機関きかんしゃ研究けんきゅうかい、1985ねん 
  • 金田かねだしげるひろし「”形式けいしきべつ国鉄こくてつ機関きかんしゃ補遺ほい」『形式けいしきべつ 国鉄こくてつ蒸気じょうき機関きかんしゃ別冊べっさつ 国鉄こくてつ軽便けいべんせん機関きかんしゃ機関きかんしゃ研究けんきゅうかい、1986ねんISBN 4871126153 
  • 徳永とくなが益男ますお松本まつもと謙一けんいち全国ぜんこく蒸気じょうき機関きかんしゃ配置はいちひょうイカロス出版いかろすしゅっぱん、2018ねんISBN 9784802204354 
  • 高砂たかさご雍郎『鉄道てつどう広報こうほうによる国鉄こくてつ車両しゃりょう台帳だいちょう機関きかんしゃへん〕』鉄道てつどう資料しりょう保存ほぞんかい、1991ねんISBN 4885400732 
  • 高木たかぎ宏之ひろゆきほか『まぼろし国鉄こくてつ車両しゃりょうJTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2007ねんISBN 9784533069062 

雑誌ざっし

  • ネコ・パブリッシング『国鉄こくてつ時代じだい』2014ねん5がつごう (vol.37) 特集とくしゅう貨物かもつ列車れっしゃ
  • 電気でんきしゃ研究けんきゅうかい鉄道てつどうピクトリアル』 1962ねん10がつごう (No.137) D52・D62機関きかんしゃ特集とくしゅう
  • キネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ蒸気じょうき機関きかんしゃ』 1978ねん3がつごう (No.54) D52・D62特集とくしゅう
  • はやしさいなり日本にっぽん国鉄こくてつ戦時せんじ動員どういん陸運りくうん転移てんい展開てんかい」『経営けいえい史学しがくだい46かんだい4ごう経営けいえい学会がっかい、2011ねん6がつ、3-28ぺーじ 

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