本 ほん 形式 けいしき は第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん に伴 ともな う戦時 せんじ 輸送 ゆそう のために導入 どうにゅう された大型 おおがた 貨物 かもつ 用 よう 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ であり、燃焼 ねんしょう 室 しつ を持 も つ大型 おおがた のボイラーを採用 さいよう したことと、資材 しざい 不足 ふそく に対応 たいおう するための戦時 せんじ 設計 せっけい となっていることが特徴 とくちょう である。
本 ほん 形式 けいしき が計画 けいかく 、製造 せいぞう された1940年代 ねんだい 頃 ころ の日本 にっぽん では1937年 ねん の日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう 開始 かいし 以降 いこう 、人 ひと も物資 ぶっし も動 うご きが活発 かっぱつ になっており、旅客 りょかく 列車 れっしゃ は毎年 まいとし 10 - 20千 せん km、貨物 かもつ 列車 れっしゃ は20 - 30千 せん kmの増発 ぞうはつ が行 おこな われ、以後 いご 6年間 ねんかん で旅客 りょかく 列車 れっしゃ は60千 せん km、貨物 かもつ 列車 れっしゃ は110千 せん km 増加 ぞうか していた[1] 。
さらに、太平洋戦争 たいへいようせんそう の進展 しんてん に伴 ともな い、日本 にっぽん 国内 こくない の貨物 かもつ 輸送 ゆそう は貨物 かもつ 船 せん の陸 りく 海軍 かいぐん による徴発 ちょうはつ とアメリカ軍 ぐん の攻撃 こうげき による喪失 そうしつ が増大 ぞうだい したこともあって産 さん 炭 すみ 地 ち からの石炭 せきたん 輸送 ゆそう を中心 ちゅうしん に内 うち 航 こう 運輸 うんゆ の輸送 ゆそう 力 りょく が不足 ふそく した。これに対応 たいおう するため、1942年 ねん 10月6日 にち に閣議 かくぎ 決定 けってい された「戦時 せんじ 陸運 りくうん の非常 ひじょう 体制 たいせい 確立 かくりつ に関 かん する件 けん 」[2] および「戦時 せんじ 陸運 りくうん 非常 ひじょう 体制 たいせい 確立 かくりつ 方策 ほうさく 要綱 ようこう 」[3] においては
船舶 せんぱく 建造 けんぞう の遅延 ちえん 、海難 かいなん 其 そ の他 ほか に事由 じゆう に因 よ る海上 かいじょう 輸送 ゆそう 力 りょく の減退 げんたい 状勢 じょうせい に対応 たいおう し、且 か つ今後 こんご に於 お ける非常 ひじょう 事態 じたい の生起 せいき をも考慮 こうりょ し、(略 りゃく )戦時 せんじ 陸運 りくうん の非常 ひじょう 体制 たいせい を確立 かくりつ し、以 もっ て内地 ないち 沿岸 えんがん 海上 かいじょう 輸送 ゆそう の貨物 かもつ は極力 きょくりょく 之 これ を陸上 りくじょう 輸送 ゆそう に転移 てんい せしめんとす
—戦時 せんじ 陸運 りくうん ノ非常 ひじょう 体制 たいせい 確立 かくりつ ニ関 せき スル件 けん
として戦時 せんじ 陸運 りくうん の非常 ひじょう 体制 たいせい を確立 かくりつ し、まずは石炭 せきたん 輸送 ゆそう の確保 かくほ を主眼 しゅがん とし、逐次 ちくじ 鉄鋼 てっこう その他 た の重要 じゅうよう 物資 ぶっし の海上 かいじょう 輸送 ゆそう を陸上 りくじょう 輸送 ゆそう に移 うつ して余剰 よじょう の船舶 せんぱく を満 まん 洲 しゅう ・中国 ちゅうごく 大陸 たいりく 方面 ほうめん や南方 なんぽう 方面 ほうめん からの輸送 ゆそう に充 あ てるための5項目 こうもく からなる要綱 ようこう が定 さだ められ、その要綱 ようこう の下 した に9項目 こうもく からなる措置 そち が定 さだ められており、そのうち国内 こくない 輸送 ゆそう に関 かん する主 おも な事項 じこう は以下 いか の通 とお りであった。
関門 かんもん トンネル を経由 けいゆ する九州 きゅうしゅう 炭 ずみ の輸送 ゆそう 能力 のうりょく を年間 ねんかん 750万 まん トン程度 ていど を目標 もくひょう として増強 ぞうきょう する。
北海道 ほっかいどう 炭 ずみ は青函 せいかん 連絡 れんらく 船 せん の増強 ぞうきょう により輸送 ゆそう 能力 のうりょく の年間 ねんかん 250万 まん トン程度 ていど を目標 もくひょう として増強 ぞうきょう する。
危険 きけん 性 せい の高 たか い太平洋 たいへいよう 側 がわ の海上 かいじょう 輸送 ゆそう を日本海 にほんかい 側 がわ への陸揚 りくあ げ・陸上 りくじょう 輸送 ゆそう への連携 れんけい にシフトさせて、月間 げっかん 13万 まん トンから50万 まん トン程度 ていど に引上 ひきあ げる。
輸送 ゆそう 線区 せんく ・設備 せつび の増強 ぞうきょう 工事 こうじ の施工 しこう 、車両 しゃりょう の増 ぞう 備および改造 かいぞう 、荷役 にやく 力 りょく ・小 しょう 運搬 うんぱん 力 りょく の増強 ぞうきょう ・石炭 せきたん 荷役 にやく 設備 せつび の整備 せいび などの緊急 きんきゅう 措置 そち を行 おこな う。
この計画 けいかく を念頭 ねんとう に、1943年 ねん 2月 がつ のダイヤ改正 かいせい では旅客 りょかく 列車 れっしゃ を21千 せん km削減 さくげん して貨物 かもつ 列車 れっしゃ 約 やく 20千 せん kmを増発 ぞうはつ し、その後 ご も約 やく 2か月 げつ 毎 ごと 程度 ていど のダイヤ改正 かいせい を行 おこな って北海道 ほっかいどう ・九州 きゅうしゅう ・裏 うら 日本 にっぽん 揚 あげ の石炭 せきたん 輸送 ゆそう 増 ぞう や山田 やまだ 線 せん の鉄鉱 てっこう 石 せき 輸送 ゆそう 開始 かいし に対応 たいおう し、さらに同年 どうねん 10月 がつ のダイヤ改正 かいせい では旅客 りょかく 列車 れっしゃ を約 やく 46千 せん km削減 さくげん して貨物 かもつ 列車 れっしゃ 約 やく 35千 せん kmを増発 ぞうはつ して貨物 かもつ 列車 れっしゃ の運行 うんこう は398千 せん kmの設定 せってい となり、旅客 りょかく 列車 れっしゃ の削減 さくげん により余剰 よじょう となった機関 きかん 車 しゃ を貨物 かもつ 列車 れっしゃ に回 まわ すとともに、列車 れっしゃ 運行 うんこう の効率 こうりつ 化 か などを行 おこな うなどの施策 しさく によりこれに対応 たいおう している[4] 。1944年 ねん に入 はい ってもダイヤ改正 かいせい が続 つづ き、4月 がつ には第 だい 五 ご 青函 せいかん 丸 まる の就航 しゅうこう に伴 ともな う北海道 ほっかいどう 炭 ずみ 輸送 ゆそう 増強 ぞうきょう と急行 きゅうこう 列車 れっしゃ 13.4千 せん kmの削減 さくげん 、6月 がつ には九州 きゅうしゅう 炭 ずみ 輸送 ゆそう 増強 ぞうきょう のための貨物 かもつ 列車 れっしゃ 9.5千 せん kmの増発 ぞうはつ などが実施 じっし され、10月のダイヤ改正 かいせい では旅客 りょかく 列車 れっしゃ を6千 せん km削減 さくげん して貨物 かもつ 列車 れっしゃ を17.5千 せん km増発 ぞうはつ し、旅客 りょかく 列車 れっしゃ 350千 せん km・貨物 かもつ 列車 れっしゃ 430千 せん kmの設定 せってい となっている[4] 。1937年 ねん から1945年 ねん の間 あいだ の輸送 ゆそう 量 りょう の変化 へんか は以下 いか の通 とお り。
年度 ねんど 別 べつ の戦時 せんじ 輸送 ゆそう の状況 じょうきょう [5]
種別 しゅべつ
項目 こうもく
1937年 ねん
1938年 ねん
1939年 ねん
1940年 ねん
1941年 ねん
1942年 ねん
1943年 ねん
1944年 ねん
1945年 ねん
貨物 かもつ 列車 れっしゃ
トン数 とんすう
106百 ひゃく 万 まん t
118百 ひゃく 万 まん t
131百 ひゃく 万 まん t
146百 ひゃく 万 まん t
152百 ひゃく 万 まん t
158百 ひゃく 万 まん t
178百 ひゃく 万 まん t
161百 ひゃく 万 まん t
81百 ひゃく 万 まん t
トンキロ数 すう
18.9十 じゅう 億 おく t・km
21.9十 じゅう 億 おく t・km
25.3十 じゅう 億 おく t・km
27.9十 じゅう 億 おく t・km
29.8十 じゅう 億 おく t・km
33.9十 じゅう 億 おく t・km
42.8十 じゅう 億 おく t・km
41.2十 じゅう 億 おく t・km
19.0十 じゅう 億 おく t・km
1日 にち 1キロ平均 へいきん 通貨 つうか 貨車 かしゃ
447.4 両 りょう
480.5 両 りょう
521.4 両 りょう
542.3 両 りょう
562.1 両 りょう
613.6 両 りょう
647.0 両 りょう
561.9 両 りょう
291.9 両 りょう
1列車 れっしゃ あたり輸送 ゆそう トン
221.1 t
237.6 t
243.0 t
256.6 t
263.1 t
278.0 t
306.2 t
297.1 t
229.1 t
旅客 りょかく 列車 れっしゃ
人 ひと キロ数 すう
29.1十 じゅう 億 おく 人 にん ・km
33.6十 じゅう 億 おく 人 にん ・km
42.1十 じゅう 億 おく 人 にん ・km
49.3十 じゅう 億 おく 人 にん ・km
55.5十 じゅう 億 おく 人 にん ・km
60.5十 じゅう 億 おく 人 にん ・km
74.1十 じゅう 億 おく 人 にん ・km
77.3十 じゅう 億 おく 人 にん ・km
76.0十 じゅう 億 おく 人 にん ・km
1日 にち 1キロ平均 へいきん 通貨 つうか 客車 きゃくしゃ
165 両 りょう
167 両 りょう
180 両 りょう
193 両 りょう
199 両 りょう
201 両 りょう
186 両 りょう
167 両 りょう
133 両 りょう
戦時 せんじ の車両 しゃりょう 増 ぞう 備と戦時 せんじ 設計 せっけい
編集 へんしゅう
1937年 ねん の日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう 開始 かいし に伴 ともな い鉄道 てつどう 動員 どういん 体制 たいせい となった[6] ことと、開戦 かいせん に伴 ともな う旅客 りょかく ・貨物 かもつ の輸送 ゆそう 量 りょう 増加 ぞうか に対応 たいおう するため、1938年 ねん 度 ど に「輸送 ゆそう 力 りょく 拡充 かくじゅう 4 ヵ年 かねん 計画 けいかく 」(1941年 ねん 度 ど まで)を策定 さくてい し、総額 そうがく 96.6百 ひゃく 万 まん 円 えん の予算 よさん のうち、車両 しゃりょう 増 ぞう 備 つぶさ にその55%を当 とう して輸送 ゆそう 力 りょく の増強 ぞうきょう を図 はか ったが、資材 しざい 不足 ふそく により次第 しだい に計画 けいかく 達成 たっせい 率 りつ が低下 ていか していた[7] 。その後 ご 、1942年度 ねんど から10か年 ねん の「交通 こうつう 施設 しせつ 長期 ちょうき 整備 せいび 計画 けいかく 」を策定 さくてい し、当初 とうしょ の5年間 ねんかん は毎年 まいとし 220百 ひゃく 万 まん 円 えん の予算 よさん のうち22%を車両 しゃりょう 増 ぞう 備 つぶさ に充 あ てることとしていた。しかし、1942年 ねん の戦時 せんじ 陸運 りくうん 非常 ひじょう 体制 たいせい 確立 かくりつ に伴 ともな いこちらに経営 けいえい 資源 しげん を振 ふ り向 む けることとなり[8] 、1943年 ねん 7月 がつ 20日 はつか の閣議 かくぎ 決定 けってい により、「鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう の計画 けいかく 増産 ぞうさん 確保 かくほ に関 かん する件 けん 」[9] が以下 いか の通 とお り定 さだ められた。
鉄道 てつどう 車両 しゃりょう 製造 せいぞう 工場 こうじょう は国家 こっか 総動員 そうどういん 法 ほう に基 もとづ き鉄道 てつどう 大臣 だいじん の管理 かんり とする
車両 しゃりょう 製造 せいぞう および修繕 しゅうぜん 能力 のうりょく を最大限 さいだいげん に発揮 はっき するため、鉄道 てつどう 省 しょう の技術 ぎじゅつ ・労務 ろうむ ・資材 しざい ・施設 しせつ ・経験 けいけん 等 とう を活用 かつよう して鉄道 てつどう 省 しょう の工場 こうじょう ・機関 きかん 区 く ・検車 けんしゃ 区 く と民営 みんえい 工場 こうじょう とを一体 いったい 的 てき に総合 そうごう 運営 うんえい する
車両 しゃりょう 製造 せいぞう に関 かん しては五大 ごだい 重点 じゅうてん 産業 さんぎょう [注釈 ちゅうしゃく 1] 並 な みの扱 あつか いとする
車両 しゃりょう に対 たい して戦時 せんじ 規格 きかく の実施 じっし を徹底 てってい する
必要 ひつよう に応 おう じて戦時 せんじ 行政 ぎょうせい 職権 しょっけん 特例 とくれい および許可 きょか 認可 にんか 等 とう 臨時 りんじ 措置 そち 法 ほう [11] を発動 はつどう する
これに伴 ともな い、民間 みんかん の車両 しゃりょう 製造 せいぞう 工場 こうじょう も国家 こっか 総動員 そうどういん 法 ほう に基 もと づき鉄道 てつどう 大臣 だいじん の管理 かんり 下 か に入 い れて官民 かんみん 一体 いったい で車両 しゃりょう 製造 せいぞう ・修繕 しゅうぜん にあたることとなり、各 かく 民間 みんかん 工場 こうじょう に監理 かんり 官 かん が配置 はいち されて指揮 しき 監督 かんとく または指導 しどう 斡旋 あっせん を行 おこな った[12] 。1937年 ねん から1945年 ねん にかけての蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ の発注 はっちゅう 状 じょう 況 きょう は以下 いか の通 とお り。
年度 ねんど 別 べつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 発注 はっちゅう 状 じょう 況 きょう [13] [表 ひょう 注 ちゅう 1]
用途 ようと
形式 けいしき
1937年 ねん
1938年 ねん
1939年 ねん
1940年 ねん
1941年 ねん
1942年 ねん
1943年 ねん
1944年 ねん
1945年 ねん
備考 びこう
支線 しせん 用 よう
C11形 かたち
31両 りょう
-
60両 りょう
26両 りょう
20両 りょう
-
19両 りょう
59両 りょう
-
1943年度 ねんど 発注 はっちゅう 分 ぶん 以降 いこう は戦時 せんじ 型 がた
C12形 かたち
22両 りょう
26両 りょう
30両 りょう
30両 りょう
-
C56形 かたち
45両 りょう
14両 りょう
-
C58形 かたち
10両 りょう
135両 りょう
71両 りょう
73両 りょう
40両 りょう
20両 りょう
19両 りょう
-
旅客 りょかく 用 よう
C57形 かたち
58両 りょう
48両 りょう
28両 りょう
16両 りょう
17両 りょう
-
C59形 かたち
-
15両 りょう [表 ひょう 注 ちゅう 2]
50両 りょう
35両 りょう
-
貨物 かもつ 用 よう
D51形 かたち
58両 りょう
136両 りょう
248両 りょう
194両 りょう
134両 りょう
29両 りょう
100両 りょう
160両 りょう
-
1943年度 ねんど 発注 はっちゅう 分 ぶん は準 じゅん 戦時 せんじ 型 がた [表 ひょう 注 ちゅう 3] 、1944年度 ねんど 発注 はっちゅう 分 ぶん は戦時 せんじ 型 がた
D52形 かたち
-
150両 りょう
220両 りょう
-
全 ぜん 機 き 戦時 せんじ 型 がた
合計 ごうけい
224両 りょう
359両 りょう
437両 りょう
354両 りょう
261両 りょう
84両 りょう
288両 りょう
439両 りょう
0両 りょう
^ 戦時 せんじ 買収 ばいしゅう および樺太 からふと 内地 ないち 編入 へんにゅう による鉄道 てつどう 省 しょう 編入 へんにゅう 機 き を除 のぞ く。
^ 別 べつ 資料 しりょう では1940年度 ねんど 以降 いこう 27両 りょう 、63両 りょう 、10両 りょう [14]
^ 別 べつ 資料 しりょう では1942年度 ねんど 発注 はっちゅう 分 ぶん のうち4両 りょう も準 じゅん 戦時 せんじ 型 がた [15]
一方 いっぽう 、開戦 かいせん により車両 しゃりょう 用 よう の資材 しざい が不足 ふそく する状況 じょうきょう となり、1938年 ねん 製造 せいぞう のC58形 かたち 以降 いこう 代 だい 用材 ようざい が使用 しよう されるようになり、1939年 ねん 11月には269項目 こうもく からなる「蒸気 じょうき 機関 きかん 車代 くるまだい 用材 ようざい ー覧 らん 表 ひょう [16] 」を設定 せってい して新 しん 製 せい ・修繕 しゅうぜん に適用 てきよう し、一部 いちぶ 部品 ぶひん については代 だい 用材 ようざい 使用 しよう に対応 たいおう するための設計 せっけい 変更 へんこう が実施 じっし された[17] 。さらにその後 ご 、一層 いっそう の資材 しざい の節約 せつやく を図 はか るため、1943年 ねん 1月 がつ 4日 にち 付 づけ の「戦時 せんじ 規格 きかく 委員 いいん 会 かい 規程 きてい 」で制定 せいてい された戦時 せんじ 規格 きかく 委員 いいん 会 かい において戦時 せんじ 陸運 りくうん 非常 ひじょう 体制 たいせい 下 か における車両 しゃりょう の生産 せいさん 増強 ぞうきょう のため以下 いか の5項目 こうもく について検討 けんとう がなされた[17] 。
これらの検討 けんとう の結果 けっか 、戦争 せんそう に勝 か つまでの2-3年 ねん を目途 もくと として、耐久 たいきゅう 力 りょく は問題 もんだい 外 がい として急速 きゅうそく 大量 たいりょう 生産 せいさん するための、いわゆる「戦時 せんじ 設計 せっけい 」が策定 さくてい され、1943年 ねん 5月 がつ 10日 とおか にD51形 かたち を対象 たいしょう に「戦時 せんじ 設計 せっけい 要 よう 網 もう 」およびその施行 しこう 細則 さいそく が定 さだ められ、これに基 もと づいた「D51形 かたち 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 戦時 せんじ 設計 せっけい 詳 しょう 表 ひょう 」をもとにD51形 かたち 戦時 せんじ 型 がた が製造 せいぞう されるとともに、他 た 形式 けいしき の新 しん 製 せい ・修繕 しゅうぜん にもこれが準用 じゅんよう されている[17] 。戦時 せんじ 設計 せっけい は「重要 じゅうよう 資材 しざい の節約 せつやく 」「資材 しざい 確保 かくほ の容易 ようい 化 か 」「製作 せいさく 工数 こうすう ・動力 どうりょく 等 とう の節約 せつやく 」の3項目 こうもく の観点 かんてん で定 さだ められており[18] 、これによるD51形 がた の資材 しざい 削減 さくげん 状 じょう 況 きょう は下表 かひょう のとおり。
(参考 さんこう )D51形 がた の戦時 せんじ 設計 せっけい における使用 しよう 資材 しざい 削減 さくげん 状 じょう 況 きょう [19] 上段 じょうだん :所要 しょよう 量 りょう [表 ひょう 注 ちゅう 1] 、下段 げだん :削減 さくげん 率 りつ
材料 ざいりょう
原 はら 設計 せっけい
準 じゅん 戦時 せんじ 設計 せっけい 1942年 ねん
戦時 せんじ 設計 せっけい 1943年 ねん
銅 どう
2400 kg
1080 kg 55 %
500 kg 79 %
鉛 なまり
1200 kg
380 kg 68 %
160 kg 89 %
鋼 はがね
76000 kg
67000 kg 12 %
64000 kg 16 %
^ 所要 しょよう 量 りょう を示 しめ しており、これは設計 せっけい 重量 じゅうりょう とは異 こと なる
1930年代 ねんだい 後半 こうはん から1940年代 ねんだい 前半 ぜんはん において、鉄道 てつどう 省 しょう ではD51形 かたち を増 ふえ 備していたが、同 どう 形式 けいしき はD50形 かたち を元 もと に粘着 ねんちゃく 重量 じゅうりょう の軽減 けいげん 、全長 ぜんちょう の短縮 たんしゅく など地方 ちほう 路線 ろせん でも運用 うんよう しやすくすることを重視 じゅうし した設計 せっけい であったことから、前記 ぜんき のような状況 じょうきょう を踏 ふ まえ、幹線 かんせん の貨物 かもつ 列車 れっしゃ 牽引 けんいん 用 よう としてD51形 かたち より出力 しゅつりょく の高 たか い蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ が鉄道 てつどう 省内 しょうない で検討 けんとう されていた。
そのような中 なか で、動輪 どうりん の軸 じく 重 おも を16 t以上 いじょう 、ボイラー をD51形 かたち より大型 おおがた 化 か させたD形 かたち 機 き で、3種類 しゅるい のボイラー容量 ようりょう 毎 ごと にKD50形 かたち 、KD51形 かたち 、KD52形 かたち としたものが1939年 ねん に、車軸 しゃじく 配置 はいち を1D2としてさらに大 だい 容量 ようりょう のボイラーを採用 さいよう したKD53形 がた および、ボイラーに燃焼 ねんしょう 室 しつ を採用 さいよう したKD54-A形 かたち 、KD-54B形 かたち が1940年 ねん にそれぞれ計画 けいかく され、このうち、KD54-B形 かたち はD51形 かたち と同 どう 程度 ていど の下回 したまわ りに燃焼 ねんしょう 室 しつ を備 そな えた大型 おおがた ボイラーを載 の せたもので、後 のち にD52形 かたち となったものである[20] 。これらの計画 けいかく 機 き とD51形 かたち 、D52形 かたち 、1943年 ねん に計画 けいかく されたKE50形 かたち の比較 ひかく は以下 いか の通 とお り。
KD51 - KD54形 かたち 、KE50形 かたち 、D51 - D52形 がた 主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと 比較 ひかく 表 ひょう [20] [21]
形式 けいしき
車軸 しゃじく 配置 はいち
動輪 どうりん 径 みち
ボイラー
シリンダー
動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう
シリンダー牽引 けんいん 力 りょく
備考 びこう
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき
内径 ないけい [表 ひょう 注 ちゅう 1]
煙管 きせる 長 ちょう
燃焼 ねんしょう 室長 しつちょう
圧力 あつりょく
直径 ちょっけい
行程 こうてい
D51形 かたち [表 ひょう 注 ちゅう 2]
1D1
1400 mm
3.27 m2
1632 mm
5500 mm
-
1.37 MPa
550 mm
660 mm
56.00 t
166.4 kN
1936年 ねん 製 せい
KD52形 かたち
3.60 m2
1700 mm
1.57 MPa
530 mm
62.00 t
176.6 kN
1939年 ねん 計画 けいかく
KD50形 かたち
4.10 m2
1800 mm
560 mm
66.00 t
197.2 kN
KD51形 かたち
4.50 m2
1900 mm
580 mm
70.00 t
211.5 kN
KD53形 かたち
1D2
1520 mm
5.02 m2
1850 mm
570 mm
710 mm
68.00 t
202.4 kN
1940年 ねん 計画 けいかく
KD54-A形 かたち
1D1
1400 mm
3.80 m2
1700 mm
500 mm
550 mm
660 mm
64.40 t
190.2 kN
KD54-B形 かたち
3.85 m2
1846 mm
5000 mm
1000 mm
65.00 t
D52形 かたち
64.79 t[表 ひょう 注 ちゅう 3]
1943年 ねん 製 せい
KE50形 かたち
1E1
1250 mm
5500 mm
70.00 t
212.9 kN
1943年 ねん 計画 けいかく
^ 最大 さいだい 部 ぶ の数値 すうち
^ D51 1 - 85, 91-100号機 ごうき
^ 原形 げんけい 、甲 きのえ 缶 かん ・乙 おつ 缶 かん
当時 とうじ は蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ の設計 せっけい は主要 しゅよう 部 ぶ の鉄道 てつどう 省 しょう が、詳細 しょうさい 設計 せっけい は鉄道 てつどう 省 しょう と民間 みんかん 会社 かいしゃ が分担 ぶんたん しており、D52形 かたち も同様 どうよう の体制 たいせい で進 すす められていた[22] 。1943年 ねん 春 はる 時点 じてん では設計 せっけい がある程度 ていど 進 すす んでいる状況 じょうきょう であったが、その後 ご 「戦時 せんじ 設計 せっけい 要 よう 網 もう 」の適用 てきよう や設計 せっけい の見直 みなお しを行 おこな い[23] 、鉄道 てつどう 省 しょう が詳細 しょうさい 設計 せっけい を担当 たんとう して[24] 急遽 きゅうきょ 設計 せっけい の手直 てなお しが行 おこな われた。製造 せいぞう に当 あ たっては、変更 へんこう 点 てん が多岐 たき にわたる戦時 せんじ 設計 せっけい のD51形 かたち とD52形 かたち は民間 みんかん 工場 こうじょう の混乱 こんらん を防 ふせ ぐために鉄道 てつどう 省 しょう の浜松工 はままつこう 機 き 部 ぶ と鷹取 たかとり 工 こう 機 き 部 ぶ で先行 せんこう 製造 せいぞう されることとなり[23] 、本 ほん 形式 けいしき は1943年 ねん 9月 がつ に製造 せいぞう が開始 かいし され、12月21日 にち に鷹取 たかとり 工 こう 機 き 部 ぶ でD52 21号機 ごうき が、12月28日 にち に浜松工 はままつこう 機 き 部 ぶ でD52 1号機 ごうき が竣工 しゅんこう している[25] 。その後 ご 、鉄道 てつどう 省 しょう の工場 こうじょう に引続 ひきつづ いて民間 みんかん の汽車 きしゃ 製造 せいぞう ・日本車輌製造 にっぽんしゃりょうせいぞう ・川崎 かわさき 車輛 しゃりょう ・日立製作所 ひたちせいさくしょ ・三菱重工業 みつびしじゅうこうぎょう でも生産 せいさん が開始 かいし され1944年 ねん には量産 りょうさん 体制 たいせい となった。
D52形 かたち はD51形 かたち より動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう を増 ま して粘着 ねんちゃく 引張 ひっぱ 力 ちから を増強 ぞうきょう するとともに、その分 ぶん の重量 じゅうりょう とD51形 かたち が搭載 とうさい していたデッドウエイト を廃止 はいし した分 ぶん の重量 じゅうりょう を利用 りよう したボイラーの大形 おおぎょう 化 か と高圧 こうあつ 化 か により、シリンダー 引張 ひっぱ 力 ちから および出力 しゅつりょく の増強 ぞうきょう を図 はか っている。また、火 ひ 室 しつ に燃焼 ねんしょう 室 しつ を設置 せっち することにより、ボイラー効率 こうりつ をD51形 がた の70 %から78 %に向上 こうじょう させるとともに煙管 きせる の短縮 たんしゅく による資材 しざい の節約 せつやく を図 はか り、また、これにより重心 じゅうしん を前方 ぜんぽう に移 うつ すことによってD51形 がた では後方 こうほう に偏 かたよ っていた軸 じく 重 じゅう バランスを前方 ぜんぽう に移 うつ して均等 きんとう 化 か を図 はか っている[26] 。一方 いっぽう 、各部 かくぶ の構造 こうぞう については機能 きのう の改善 かいぜん を図 はか るとともに生産 せいさん 性 せい 向上 こうじょう や資材 しざい 入手 にゅうしゅ の容易 ようい 化 か を考慮 こうりょ して、単 たん なる代用 だいよう 材 ざい の使用 しよう に留 と まらずに銅 どう 、鉛 なまり などの重要 じゅうよう 資材 しざい の節約 せつやく を図 はか った本格 ほんかく 的 てき な銅 どう 鉛 なまり 節約 せつやく 設計 せっけい となっており[27] 、これらの設計 せっけい により、D52形 かたち はD51形 かたち との比較 ひかく において空車 くうしゃ 重量 じゅうりょう (≒資材 しざい 所要 しょよう 量 りょう )は5 %、製造 せいぞう 時 じ の工数 こうすう は約 やく 6 %それぞれ増加 ぞうか したが、出力 しゅつりょく は約 やく 22 %の増加 ぞうか となり、重量 じゅうりょう および所要 しょよう 資材 しざい 量 りょう ・工数 こうすう あたりの出力 しゅつりょく が増強 ぞうきょう されている[26] 。
本 ほん 形式 けいしき の原 げん 設計 せっけい は極端 きょくたん な戦時 せんじ 設計 せっけい ではなく、主 しゅ 連 れん 棒 ぼう のビッグエンド(主動 しゅどう 輪 わ 側 がわ 端 はし 部 ぶ )の丸 まる ブッシュ 化 か や鋳鋼 ちゅうこう 製 せい 主 おも 台 だい 枠 わく の採用 さいよう などはされていたものの砂 すな 箱 ばこ ・蒸気 じょうき 溜 ため カバーは通常 つうじょう の形状 けいじょう で除 じょ 煙 けむり 板 ばん も鋼 はがね 製 せい のものであった[22] 。その後 ご 設計 せっけい 途中 とちゅう で戦時 せんじ 設計 せっけい が採用 さいよう されて砂 すな 箱 ばこ ・蒸気 じょうき 溜 ため カバーの角 かく 型 がた 化 か や、台 たい 枠 わく ・弁 べん 装置 そうち などに鋳鋼 ちゅうこう 製 せい 部品 ぶひん 使用 しよう といった資材 しざい 確保 かくほ や工作 こうさく の簡易 かんい 化 か 、銅 どう 系 けい 材料 ざいりょう の節約 せつやく 、除 じょ 煙 けむり 板 ばん や踏板 ふみいた 、炭水車 たんすいしゃ の炭庫 たんこ といった部分 ぶぶん に木材 もくざい を代用 だいよう 材 ざい として採用 さいよう するなどの変更 へんこう がなされ、総体 そうたい として非常 ひじょう に質 しつ の悪 わる いものとなった。 また、給水 きゅうすい 加熱 かねつ 器 き もボイラー台 だい の中 なか に排気 はいき 膨張 ぼうちょう 室 しつ 兼用 けんよう のものを設置 せっち して配管 はいかん を簡略 かんりゃく 化 か と金属 きんぞく 材料 ざいりょう の使用 しよう 量 りょう 削減 さくげん を図 はか っている。本 ほん 形式 けいしき が準拠 じゅんきょ している戦時 せんじ 設計 せっけい の代表 だいひょう 的 てき なものは以下 いか の通 とお り[19] 。
大形 おおがた 機関 きかん 車 しゃ でもボイラー缶 かん 胴 どう の長手 ながて (レール 方向 ほうこう )継手 つぎて を溶接 ようせつ 組立 くみたて とする
主 しゅ 連 れん 棒 ぼう のビッグエンド(主動 しゅどう 輪 わ 側 がわ 端 はし 部 ぶ )の形状 けいじょう を丸 まる ブッシュとして、主動 しゅどう 輪 わ のバランスウェイト内 ない に充填 じゅうてん する鉛 なまり を全廃 ぜんぱい
車 くるま 軸受 じくうけ 金 きん に三 さん メタル 式 しき のものを採用 さいよう
炭水車 たんすいしゃ 水 すい タンク の外郭 がいかく によって列車 れっしゃ 荷重 かじゅう を負担 ふたん し、台 たい 枠 わく の骨組 ほねぐみ を廃止 はいし
炭水車 たんすいしゃ 輪 わ 心 しん の鋳鉄 ちゅうてつ 化 か
タイヤ の止 とめ 輪 わ の廃止 はいし
歩 あゆ み板 いた 、石炭 せきたん 庫 こ の木造 もくぞう 化 か
また、資材 しざい および人員 じんいん の不足 ふそく による細部 さいぶ の設計 せっけい 変更 へんこう は本省 ほんしょう の承認 しょうにん を得 え ることなく、工場 こうじょう 長 ちょう や各 かく 民間 みんかん 工場 こうじょう に配置 はいち されていた監督 かんとく 官 かん の判断 はんだん に任 まか せられたとされており[28] 、そのため、蒸気 じょうき 溜 ため ・砂 すな 箱 ばこ のカバー、除 じょ 煙 けむり 板 ばん 、煙突 えんとつ などの形状 けいじょう の変更 へんこう や、工作 こうさく の簡略 かんりゃく 化 か や装備 そうび の省略 しょうりゃく が行 おこな われ、結果 けっか として形態 けいたい が多様 たよう 化 か している。
本 ほん 形式 けいしき のボイラーは、D51形 がた から動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう を増大 ぞうだい させた分 ぶん の重量 じゅうりょう を利用 りよう した大 だい 容量 ようりょう 化 か [27] 、燃焼 ねんしょう 室 しつ の設置 せっち による燃焼 ねんしょう 効率 こうりつ の向上 こうじょう 、過熱 かねつ 蒸気 じょうき 温度 おんど の確保 かくほ によるボイラー効率 こうりつ の向上 こうじょう などを図 はか り、D51形 がた から大幅 おおはば な増強 ぞうきょう を図 はか ったものである一方 いっぽう 、戦時 せんじ 設計 せっけい に対応 たいおう して使用 しよう 材料 ざいりょう や工数 こうすう の削減 さくげん 、資材 しざい 確保 かくほ の容易 ようい 化 か を図 はか ったものであることが特徴 とくちょう となっているそのため、戦時 せんじ 中 ちゅう はボイラー の爆発 ばくはつ 事故 じこ が多 おお くなった。なお、ボイラーの大型 おおがた 化 か により、機関 きかん 車 しゃ の重心 じゅうしん 高 たか さは旅客 りょかく 用 よう のC59形 がた (1665 mm)と同等 どうとう の1660 mmとなっている[29] 。
ボイラーの種類 しゅるい は3種 しゅ (甲 きのえ 缶 かん 、乙 おつ 缶 かん 、丙 へい 缶 かん )あり、丙 へい 缶 かん はボイラー用材 ようざい の幅広 はばひろ 鋼材 こうざい が不足 ふそく したため各 かく 缶 かん 胴 どう の長 なが さを変 か えて2000 mm幅 はば のボイラー用材 ようざい からでも製造 せいぞう 可能 かのう となっている[26] が、煙管 きせる 長 ちょう は各 かく 缶 かん 種 しゅ とも5000 mmのままとしたため、丙 へい 缶 かん では燃焼 ねんしょう 室長 しつちょう が短 みじか くなっている。原 げん 設計 せっけい は甲 かぶと 缶 かん で、缶 かん 胴 どう の長手 ながて (レール方向 ほうこう )継手 つぎて はリベット 組立 くみたて 、缶 かん 胴 どう の周 しゅう 接 せっ 手 しゅ は将来 しょうらい の増 ぞう 圧 あつ (18 kg/cm2 ) を考慮 こうりょ してリベットが2列 れつ であったが、乙 おつ 缶 かん ・丙 へい 缶 かん では長手 ながて 継手 つぎて をC12形 かたち 、C56形 かたち 、C11形 かたち で実績 じっせき のあった溶接 ようせつ 組立 くみたて とし[30] 、周 しゅう 接 せっ 手 しゅ はリベットを1列 れつ とする[26] など、構造 こうぞう の簡略 かんりゃく 化 か が図 はか られている。なお、日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 刊 かん の『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 』では「甲 きのえ 缶 かん は実際 じっさい には製造 せいぞう されていない」[31] と記述 きじゅつ されている一方 いっぽう 、「甲 きのえ 缶 かん が鉄道 てつどう 省 しょう →運輸 うんゆ 通信 つうしん 省 しょう の工 こう 機 き 所 しょ 製 せい 、乙 おつ ・丙 へい 缶 かん が民間 みんかん 工場 こうじょう 製 せい が大体 だいたい の区分 くぶん とされている」とする文献 ぶんけん [28] や、「甲 きのえ 缶 かん が鉄道 てつどう 省 しょう →運輸 うんゆ 通信 つうしん 省 しょう の工 こう 機 き 所 しょ 製 せい 、乙 おつ 缶 かん が1943年度 ねんど 発注 はっちゅう の汽車 きしゃ 製造 せいぞう および日立製作所 ひたちせいさくしょ 製 せい 、丙 へい 缶 かん がその他 た 」とする文献 ぶんけん [32] があり、形式 けいしき 図 ず においてはD52 1-142号機 ごうき を燃焼 ねんしょう 室 しつ 甲 かぶと (甲 きのえ 缶 かん もしくは乙 おつ 缶 かん )、D52 143号機 ごうき 以降 いこう を燃焼 ねんしょう 室 しつ 乙 おつ (丙 へい 缶 かん )としている[33] 。ボイラー種別 しゅべつ ごとの要目 ようもく は以下 いか の通 とお り。
D52形 かたち ボイラー種別 しゅべつ 一覧 いちらん 表 ひょう [20] [34]
ボイラー種別 しゅべつ
缶 かん 胴 どう
火 ひ 室 しつ ・燃焼 ねんしょう 室 しつ
煙管 きせる
伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき
缶 かん 水 すい 容量 ようりょう
重量 じゅうりょう
缶 かん 胴 どう 種別 しゅべつ
缶 かん 胴 どう 長 ちょう
缶 かん 胴 どう [表 ひょう 注 ちゅう 1] 内径 ないけい
缶 かん 胴 どう 工法 こうほう
燃焼 ねんしょう 室 しつ 種別 しゅべつ
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき
燃焼 ねんしょう 室長 しつちょう
外 そと 火 ひ 室 しつ 天 てん 板 いた 長 ちょう
火 ひ 室 しつ 容積 ようせき
煙管 きせる 長 ちょう
大 だい 煙管 きせる [表 ひょう 注 ちゅう 2] 本数 ほんすう
小 しょう 煙管 きせる [表 ひょう 注 ちゅう 3] 本数 ほんすう
火 ひ 室 しつ
煙管 きせる
過熱 かねつ
第 だい 1
第 だい 2
第 だい 3
第 だい 1
第 だい 2
第 だい 3
周 しゅう 方向 ほうこう
長手 ながて 方向 ほうこう
甲 きのえ 缶 かん
甲 きのえ
2230 mm
2470 mm
1501 mm
1770 mm
1808 mm
1846 mm
リベット2列 れつ
リベット
甲 きのえ
3.85 m2
1000 mm
2296 mm
7.0 m2
5000 mm
35本 ほん
94本 ほん
20.1 m2
147.7 m2
77.4 m2
9.6 m3
18.37 t
乙 おつ 缶 かん
乙 おつ
2100 mm
1450 mm
リベット1列 れつ
溶接 ようせつ
2276 mm
17.65 t
丙 へい 缶 かん
丙 へい
各 かく 1980 mm
乙 おつ
920 mm
2275 mm
6.88m3
19.7 m2
9.5 m3
17.53 t
^ 板 いた 厚 あつ 19 mm
^ 直径 ちょっけい 140 mm
^ 直径 ちょっけい 57 mm
燃焼 ねんしょう 室 しつ は、火 ひ 室 しつ の前方 ぜんぽう に、甲 かぶと ・乙 おつ 缶 かん は1000 mm(燃焼 ねんしょう 室 しつ 甲 かぶと )、丙 へい 缶 かん は920 mm(燃焼 ねんしょう 室 しつ 乙 おつ )のものを設 もう けており、D51形 かたち と比較 ひかく すると火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき の3.27 m2 から3.85 m2 と17 %増 ぞう となったのに対 たい し、火 ひ 室 しつ 容積 ようせき を4.37 m3 から7.0 m3 (燃焼 ねんしょう 室 しつ 甲 かぶと 、燃焼 ねんしょう 室 しつ 乙 おつ では6.88 m3 )と60 %(57 %)拡大 かくだい した結果 けっか [35] 、火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき /火 ひ 室 しつ 容積 ようせき 比 ひ はD51形 がた の1.33から、石炭 せきたん 中 ちゅう の炭素 たんそ および揮発 きはつ 性 せい 成分 せいぶん [注釈 ちゅうしゃく 2] の両方 りょうほう が十分 じゅうぶん に燃焼 ねんしょう されるため適切 てきせつ とされる1.6 - 2.0の範囲 はんい [37] 内 うち の1.81(燃焼 ねんしょう 室 しつ 甲 かぶと 、燃焼 ねんしょう 室 しつ 乙 おつ では1.79)となっている[注釈 ちゅうしゃく 3] 。また、火 ひ 室 しつ における輻射 ふくしゃ による伝 つて 熱 ねつ 量 りょう は煙管 きせる における接触 せっしょく による伝 つて 熱量 ねつりょう にに比 くら べて約 やく 10倍 ばい で、ボイラー内 ない での缶 かん 水 すい の熱 ねつ 吸収 きゅうしゅう の大半 たいはん は火 ひ 室 しつ 周辺 しゅうへん におけるものであり[36] 、本 ほん 形式 けいしき の火 ひ 室 しつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき もD51形 がた の12.7 m2 から20.1 m2 (燃焼 ねんしょう 室 しつ 甲 かぶと 、燃焼 ねんしょう 室 しつ 乙 おつ では19.7 m2 )に拡大 かくだい されて伝 つて 熱量 ねつりょう の増大 ぞうだい を図 はか っている。燃焼 ねんしょう 室 しつ は1920年代 ねんだい のアメリカ において普及 ふきゅう したもので、南 みなみ 満 まん 洲 しゅう 鉄道 てつどう や朝鮮 ちょうせん 鉄道 てつどう でも1927年 ねん 以降 いこう 採用 さいよう されるようになり[注釈 ちゅうしゃく 4] 、日本 にっぽん においても1920年代 ねんだい 後半 こうはん 以降 いこう 研究 けんきゅう が進 すす められていた[36] が、1926年 ねん にアメリカから輸入 ゆにゅう したC52形 かたち において、アメリカのメーカー側 がわ では燃焼 ねんしょう 室 しつ の採用 さいよう を計画 けいかく していたが鉄道 てつどう 省 しょう 側 がわ でこれを不 ふ 採用 さいよう としている[39] 。その後 ご 、1932-33年度 ねんど にはD50形 かたち とC51形 がた で現 げん 車 くるま 試験 しけん も実施 じっし されてその有効 ゆうこう 性 せい も確認 かくにん された[注釈 ちゅうしゃく 5] 一方 いっぽう で、構造 こうぞう 上 じょう 複雑 ふくざつ となるため本 ほん 形式 けいしき に至 いた るまで実装 じっそう はされなかったが、本 ほん 形式 けいしき ではボイラーの重量 じゅうりょう 配分 はいぶん を前方 ぜんぽう へ移 うつ して各 かく 動輪 どうりん の軸 じく 重 じゅう を均等 きんとう 化 か する目的 もくてき もあって燃焼 ねんしょう 室 しつ が設 もう けられている[37] 。
燃焼 ねんしょう 室 しつ が設置 せっち されて大 だい 煙管 きせる 長 なが さが5000 mmに短縮 たんしゅく された一方 いっぽう で、大 だい 煙管 きせる 本数 ほんすう を7列 れつ × 5段 だん の35本 ほん として過熱 かねつ 面積 めんせき をD51形 がた の64.4 m2 から77.4 m2 に拡大 かくだい する[35] するとともに、過熱 かねつ 面積 めんせき /全 ぜん 蒸発 じょうはつ 面積 めんせき 比 ひ を0.41から0.46に向上 こうじょう させている[41] 。この過熱 かねつ 面積 めんせき /全 ぜん 蒸発 じょうはつ 面積 めんせき 比 ひ は過熱 かねつ 温度 おんど 上昇 じょうしょう によるボイラー効率 こうりつ 向上 こうじょう のため、最初 さいしょ にこれを考慮 こうりょ して設計 せっけい された8620形 がた の実績 じっせき を基 もと に採 と り入 い れられた指標 しひょう で、その後 ご 設計 せっけい される機関 きかん 車 しゃ はこの数値 すうち を約 やく 0.3以上 いじょう とすることとしたものである[42] 。さらに、本 ほん 形式 けいしき では燃焼 ねんしょう ガス の煙管 きせる に対 たい する配分 はいぶん を改良 かいりょう して過熱 かねつ 温度 おんど を高 たか めるため、ガス通路 つうろ の流体 りゅうたい 抵抗 ていこう に着目 ちゃくもく した川崎 かわさき 車輛 しゃりょう の提案 ていあん に基 もと づき、過熱 かねつ 管 かん の煙 けむり 室 しつ 側 がわ 折 おり 返 かえし 部 ぶ を煙 けむり 室 しつ 内 ない から大 だい 煙管 きせる 内 ない に変更 へんこう している[43] 。
これらの設計 せっけい の結果 けっか 、本 ほん 形式 けいしき においては過熱 かねつ 蒸気 じょうき 温度 おんど は平均 へいきん 368.5 °C、瞬間 しゅんかん 値 ち ではD51形 がた では358°Cであったものが375 °Cとなり[43] 、試験 しけん 台 だい 試験 しけん における比較 ひかく において、燃焼 ねんしょう 率 りつ 500 kg/m2 /h時 とき のボイラー効率 こうりつ はD51形 がた の70 %から78%に、伝 つて 熱 ねつ 効率 こうりつ は79 %から84 %に、ボイラー効率 こうりつ は55 %から59 %にそれぞれ向上 こうじょう し、ボイラーへの熱 ねつ 入力 にゅうりょく 量 りょう が同一 どういつ であった場合 ばあい 、指示 しじ 出力 しゅつりょく はD51形 かたち より約 やく 10 %向上 こうじょう している[32] 。
車軸 しゃじく 配置 はいち はD50形 かたち 、D51形 かたち と同 おな じく、火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき を大 おお きくとることができる[44] 1D1(日本 にっぽん 国鉄 こくてつ 式 しき )、2-8-2 (ホワイト式 しき )もしくは通称 つうしょう ミカドと呼 よ ばれる配列 はいれつ で、直径 ちょっけい 1400 mmの動輪 どうりん を4軸 じく 、直径 ちょっけい 860 mmの先 さき 輪 わ もしくは従 したがえ 輪 わ を有 ゆう する1軸 じく 先 さき 台車 だいしゃ および1軸 じく 従 したがえ 台車 だいしゃ をそれぞれ装備 そうび している。軸 じく 距 は先 さき 輪 わ - 第 だい 1動輪 どうりん 間 あいだ 2500 mm、第 だい 1 - 第 だい 4動輪 どうりん 間 あいだ は各 かく 1550 mm、第 だい 4動輪 どうりん - 従 したがえ 輪 わ 間 あいだ 2450 mmとしており[45] 、各 かく 動輪 どうりん 間 あいだ の軸 じく 距はD51形 かたち と同一 どういつ であるが、先 さき 輪 わ - 第 だい 1動輪 どうりん 間 あいだ が50 mm、第 だい 4動輪 どうりん 間 あいだ - 従 したがえ 輪 わ 間 あいだ が100 mm延長 えんちょう されているほか、前 ぜん 台 たい 枠 わく 先端 せんたん - 先 さき 輪 わ 間 あいだ も50 mm延長 えんちょう されている一方 いっぽう で、後台 ごだい 枠 わく 後 ご 端 はし - 従 したがえ 輪 わ 間 あいだ は150 mm短縮 たんしゅく されており、台 たい 枠 わく 全長 ぜんちょう がD51形 かたち より50 mm短縮 たんしゅく されている。各 かく 車軸 しゃじく のばね装置 そうち は上 うえ ばね式 しき の重 かさ ね板 ばん ばね で、先 さき 輪 わ と第 だい 1動輪 どうりん の左右 さゆう の軸 じく ばね群 ぐん およびイコライザーで1点 てん 、第 だい 2 - 4動輪 どうりん と従 したがえ 輪 わ の左右 さゆう の軸 じく ばね群 ぐん およびイコライザーで左右 さゆう 2点 てん の3点 てん 支持 しじ 式 しき として、先 さき 輪 わ - 第 だい 2動輪 どうりん で1点 てん ・第 だい 3動輪 どうりん - 従 したがえ 輪 わ で2点 てん としていたD51形 かたち と比較 ひかく して負担 ふたん 重量 じゅうりょう の均等 きんとう 化 か を図 はか っている[46] ほか、第 だい 4動輪 どうりん に6 mmの横 よこ 動 どう 量 りょう を付与 ふよ して[47] 曲線 きょくせん 通過 つうか 性能 せいのう を確保 かくほ している。また、先 さき 台車 だいしゃ はD51形 かたち と同 おな じコロ式 しき 復元 ふくげん 装置 そうち ・1点 てん 支持 しじ で心 こころ 向 こう 棒 ぼう 長 ちょう 1600 mmのLT128、従 したがえ 台車 だいしゃ はC57形 かたち やD51形 かたち が装備 そうび するLT157を若干 じゃっかん 変更 へんこう した、ばね式 しき 復元 ふくげん 装置 そうち で心 こころ 向 こう 棒 ぼう 長 ちょう 1800 mmのLT157AもしくはLT157B[注釈 ちゅうしゃく 6] [49] を装備 そうび しており[50] 、軸 じく 箱 ばこ と軸 じく ばね間 あいだ の滑 すべ り台 だい が前者 ぜんしゃ は開放 かいほう 式 しき 、後者 こうしゃ は密閉 みっぺい 式 しき となっている[51] 。
台 たい 枠 わく は厚 あつ 板 いた 鋼板 こうはん を使用 しよう した棒 ぼう 台 だい 枠 わく で、 前部 ぜんぶ 端 はし 梁 はり まで厚 あつ 板 いた 鋼板 こうはん 台 だい 枠 わく であったD51形 かたち と異 こと なり、前 ぜん 台 たい 枠 わく とボイラー台 だい をC12形 かたち ・C56形 かたち やC55形 かたち 以降 いこう の大型 おおがた 旅客 りょかく 用 よう 機関 きかん 車 しゃ と同様 どうよう の大型 おおがた 鋳鋼 ちゅうこう 部品 ぶひん としてシリンダーとともに主 おも 台 だい 枠 わく にボルト 止 と めしており、D51形 がた で多発 たはつ して問題 もんだい となっていた主 おも 台 だい 枠 わく のシリンダー取付 とりつけ 部 ぶ 後部 こうぶ のクラック に対 たい しては、台 たい 枠 わく の切抜 きりぬき 部 ぶ 隅 すみ 部分 ぶぶん の形状 けいじょう 変更 へんこう をもって対策 たいさく としている[46] 。一方 いっぽう で、台 たい 枠 わく 中 ちゅう 間 あいだ 鋳物 いもの はD51形 かたち と共通 きょうつう 品 ひん を使用 しよう している[52] ほか、後部 こうぶ 台 だい 枠 わく は後 ご のD62形 がた のように左右 さゆう 間隔 かんかく を狭 せば めて資材 しざい と工程 こうてい の節約 せつやく を図 はか る案 あん もあったが、発案 はつあん 時点 じてん ですでに製造 せいぞう 段階 だんかい に入 はい っていたため、D51形 かたち と同様 どうよう の、後台 ごだい 枠 わく が従 したがえ 輪 わ の外側 そとがわ に張出 はりだ す構造 こうぞう のままとなっている[53] 。また、従来 じゅうらい の機関 きかん 車 しゃ の主 おも 台 だい 枠 わく 板 いた は厚 あつ 板 いた 鋼板 こうはん を切抜 きりぬけ 加工 かこう したものを使用 しよう していたが、本 ほん 形式 けいしき では厚 あつ 鋼板 こうはん 切抜 きりぬき 加工 かこう のものと鋳鋼 ちゅうこう のものの双方 そうほう が用意 ようい されている[54] 。鋳鋼 ちゅうこう 製 せい の主 おも 台 だい 枠 わく はアメリカや南 みなみ 満 まん 洲 しゅう 鉄道 てつどう などでは基本 きほん とされていた[55] もので、日本 にっぽん においてもC52形 がた の主 おも 台 だい 枠 わく が鋳鋼 ちゅうこう 製 せい であったほか、1936年 ねん にC55形 かたち を例 れい にとって鋳鋼 ちゅうこう 製 せい 主 おも 台 だい 枠 わく と厚 あつ 板 いた 切抜 きりぬき 式 しき 主 おも 台 だい 枠 わく の比較 ひかく がなされた結果 けっか [注釈 ちゅうしゃく 7] 、両者 りょうしゃ の間 あいだ に大 おお きな差 さ はないとされた。その後 ご 、日 にち 中 ちゅう 戦争 せんそう の影響 えいきょう によって厚 あつ 鋼板 こうはん が入手 にゅうしゅ 困難 こんなん となった[注釈 ちゅうしゃく 8] ことに伴 ともな い、D51形 かたち [注釈 ちゅうしゃく 9] 、C11形 かたち 、C57形 かたち 、C58形 かたち に鋳鋼 ちゅうこう 製 せい 台 だい 枠 わく の追加 ついか 設計 せっけい がなされ、C59形 かたち および本 ほん 形式 けいしき は当初 とうしょ から鋼板 こうはん 、鋳鋼 ちゅうこう 双方 そうほう に対応 たいおう できる設計 せっけい がなされている[54] 。
弁 べん 及 およ びリンク装置 そうち と走 はし り装置 そうち にはワルシャート式 しき 弁 べん 装置 そうち を使用 しよう しており、シリンダーはD51形 かたち と同 おな じ直径 ちょっけい 550 mm、行程 こうてい 660 mmで使用 しよう 圧力 あつりょく 増加 ぞうか 分 ぶん だけシリンダー牽引 けんいん 力 りょく を増強 ぞうきょう している。戦時 せんじ 設計 せっけい 要 よう 網 もう および施行 しこう 細則 さいそく により、リンク装置 そうち の鍛造 たんぞう 部品 ぶひん の型 かた 打 だ 部品 ぶひん もしくは鋳鋼 ちゅうこう 部品 ぶひん への変更 へんこう や、ブッシュ類 るい の銅 どう 系 けい 材料 ざいりょう の削減 さくげん などがなされており[57] 、また、本 ほん 形式 けいしき では主 しゅ 連 れん 棒 ぼう のビッグエンド(主動 しゅどう 輪 わ 側 がわ 端 はし 部 ぶ )をアメリカ や南 みなみ 満 まん 洲 しゅう 鉄道 てつどう で標準 ひょうじゅん とされていた丸 まる ブッシュ式 しき としている。従来 じゅうらい の機関 きかん 車 しゃ ではビッグエンドに角形 かくがた で調整 ちょうせい 式 しき のブッシュを使用 しよう し、重量 じゅうりょう バランス確保 かくほ のため主動 しゅどう 輪 わ のバランスウエイト内部 ないぶ に鉛 なまり を充填 じゅうてん していたが、本 ほん 形式 けいしき の丸 まる ブッシュ式 しき は鉛 なまり の節約 せつやく と主 しゅ 連 れん 棒 ぼう の回転 かいてん 不釣合 ふつりあい の軽減 けいげん を目的 もくてき としたもので、調整 ちょうせい 機構 きこう のない分 ぶん だけ軽量 けいりょう 化 か を図 はか り、主動 しゅどう 輪 わ バランスウエイト内 ない の鉛 なまり を全廃 ぜんぱい したものである[31] 。
先 さき 輪 わ および従 したがえ 輪 わ はディスク式 しき 、動輪 どうりん はボックス式 しき で、タイヤの抜出 ぬけだ し防止 ぼうし 用 よう の止 とめ 輪 わ が廃止 はいし されているほか、先 さき 台車 だいしゃ ・従 したがえ 台車 だいしゃ の軸受 じくうけ や棒 ぼう 類 るい の受金に三 さん メタル式 しき のものが使用 しよう されている[58] 。タイヤの止 とめ 輪 わ はその要 よう 不要 ふよう が1920年代 ねんだい より議論 ぎろん され、南 みなみ 満 まん 洲 しゅう 鉄道 てつどう において焼 しょう 嵌 は めのみで止 とめ 輪 わ を使用 しよう しない方式 ほうしき での実績 じっせき があったこともあって国内 こくない でも試験 しけん が行 おこな われており、戦時 せんじ 設計 せっけい に際 さい して廃止 はいし されている[59] 。三 さん メタル方式 ほうしき は受金の銅 どう 系 けい 材料 ざいりょう の削減 さくげん のため採用 さいよう されたもので、受金を鋼 はがね 製 せい のものに銅 どう 合金 ごうきん を裏 うら 貼 ば りしたものとして、さらにその上 うえ に軸受 じくうけ 合金 ごうきん としてホワイトメタル を貼 は る方式 ほうしき となっている[60] 。また、汽車 きしゃ 製造 せいぞう 製 せい のD52 379-384号機 ごうき の6両 りょう [61] [62] [注釈 ちゅうしゃく 10] は原形 げんけい の鋳鋼 ちゅうこう 製 せい のボックス輪 わ 心 しん に代 か えて、円 えん 板 ばん を湾曲 わんきょく させて一 いち 枚 まい 板 いた 構造 こうぞう とした鋳鋼 ちゅうこう 製 せい のディスク輪 わ 心 しん を使用 しよう した。この方式 ほうしき はボックス輪 わ 心 しん と同 どう 時期 じき にアメリカで開発 かいはつ されたもので、二 に 重 じゅう 壁 かべ 構造 こうぞう のボックス輪 わ 心 しん で鋳造 ちゅうぞう 時 じ に必要 ひつよう となる中子 なかご を不要 ふよう として工数 こうすう を削減 さくげん したものとなっている[63] 。さらに、日立製作所 ひたちせいさくしょ 製 せい のD52 393-416号機 ごうき および三菱重工業 みつびしじゅうこうぎょう 製 せい のD52 146号機 ごうき は先 さき 輪 わ に、後述 こうじゅつ する炭水車 たんすいしゃ 用 よう 車輪 しゃりん と同 おな じ鋳鉄 ちゅうてつ 製 せい 二 に 重 じゅう 壁 かべ の輪 わ 心 しん のものを装備 そうび している[64] 。
ブレーキ装置 そうち は自動 じどう 空気 くうき ブレーキ 、手 て ブレーキ を装備 そうび しており、基礎 きそ ブレーキ装置 そうち は台 たい 枠 わく 内 ない 第 だい 1および第 だい 3動輪 どうりん 間 あいだ の内側 うちがわ にブレーキシリンダを1基 き ずつ搭載 とうさい し、それぞれ第 だい 1・2動輪 どうりん および第 だい 3・4動輪 どうりん の2軸 じく ずつ計 けい 4軸 じく に作用 さよう する[65] 片 かた 押式の踏面ブレーキ となっており、制動 せいどう 軸 じく や一部 いちぶ の制動 せいどう 梁 はり はD51形 かたち と共通 きょうつう 品 ひん を使用 しよう している[52] 。制 せい 輪 わ 子 こ は制 せい 輪 わ 子 こ に制 せい 輪 わ 子 こ ホルダーが付 つ き、そこに制 せい 輪 わ 子 こ を取付 とりつ ける乙種 おつしゅ のうち、機関 きかん 車 しゃ は乙 おつ -163号 ごう (制 せい 輪 わ 子 こ ホルダーは偏心 へんしん 1号 ごう )、炭水車 たんすいしゃ は乙 おつ -162号 ごう (制 せい 輪 わ 子 こ ホルダーは偏心 へんしん 2号 ごう )を使用 しよう している[66] 。
空気 くうき ブレーキ装置 そうち は蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 標準 ひょうじゅん のET6を採用 さいよう している。この方式 ほうしき はアメリカ のウェスティングハウス・エア・ブレーキ [注釈 ちゅうしゃく 11] が開発 かいはつ したもので、H6自動 じどう ブレーキ弁 べん 、S6単独 たんどく ブレーキ弁 べん 、6番 ばん 分配 ぶんぱい 弁 べん 、C6減圧 げんあつ 弁 べん 、B6吸気 きゅうき 弁 べん などで構成 こうせい されるもので、その特徴 とくちょう は以下 いか の通 とお りとなっている[67] 。
構造 こうぞう が簡単 かんたん で取付 とりつけ および保守 ほしゅ が容易 ようい
非常 ひじょう ブレーキが使用 しよう 可能 かのう
ブレーキ弁 べん に連動 れんどう して元 もと 空気 くうき 溜 ため 圧力 あつりょく を2段階 だんかい に設定 せってい 可能 かのう
補助 ほじょ 機関 きかん 車 しゃ もしくは無火 むか 回送 かいそう 時 じ においても客車 きゃくしゃ ・貨車 かしゃ と同様 どうよう にブレーキが作用 さよう する
運転 うんてん 室 しつ は1937年度 ねんど 発注 はっちゅう のC58形 かたち 以降 いこう 、C59形 かたち や計画 けいかく 機 き のKD51形 かたち 、KD52形 かたち 、KD53形 がた では、乗務 じょうむ 員 いん の安全 あんぜん 性 せい 向上 こうじょう や灯火 ともしび 管制 かんせい に対応 たいおう できるといった利点 りてん のある[68] 密閉 みっぺい 式 しき の運転 うんてん 室 しつ を装備 そうび していたが、本 ほん 形式 けいしき では開放 かいほう 式 しき の運転 うんてん 室 しつ としている。また、アメリカの機関 きかん 車 しゃ と同様 どうよう に運転 うんてん 室 しつ の荷重 かじゅう を後台 ごだい 枠 わく に負担 ふたん させず、ボイラーに取付 とりつ ける方式 ほうしき としている[35] ほか、運転 うんてん 室 しつ 内 ない の機器 きき 類 るい は戦時 せんじ 設計 せっけい により、速度 そくど 計 けい の省略 しょうりゃく や圧力 あつりょく 計 けい 類 るい の簡素 かんそ 化 か 、運転 うんてん 室内 しつない 灯 とう の削減 さくげん など[58] の簡素 かんそ 化 か がされている[46] 。
本 ほん 形式 けいしき の煙突 えんとつ はボイラーが機関 きかん 車 しゃ 前方 ぜんぽう へ延長 えんちょう されたことに伴 ともな い、シリンダ中心 ちゅうしん 線 せん より600 mm前方 ぜんぽう にずれていることが特徴 とくちょう となっており、これにより容積 ようせき の大 おお きくなったボイラー台 だい 内部 ないぶ のスペースのうち、上 うえ 半 はん 部 ぶ を容積 ようせき 0.303 m3 の排気 はいき 膨張 ぼうちょう 室 しつ [注釈 ちゅうしゃく 12] [69] とし、下 した 半 はん 部 ぶ には水 みず 管 かん を配置 はいち して給水 きゅうすい 加熱 かねつ 器 き として[70] 、給水 きゅうすい 加熱 かねつ 器 き 筐体 きょうたい と配管 はいかん の資材 しざい を節約 せつやく している[19] 。また、煙突 えんとつ は鋼板 こうはん 溶接 ようせつ 組立 くみたて のものと鋳鉄 ちゅうてつ 製 せい のものがあり[71] 、いずれも煙突 えんとつ 基部 きぶ とボイラー間 あいだ の取付 とりつけ 座 ざ を省略 しょうりゃく している。
砂 すな 箱 ばこ ・蒸気 じょうき 溜 ため カバーは形状 けいじょう を簡略 かんりゃく 化 か としており、製造 せいぞう 時期 じき や製造 せいぞう 所 しょ によって、断面 だんめん の角 かく 型 がた ・カマボコ 型 かた の違 ちが い、砂 すな 箱 ばこ 部 ぶ と蒸気 じょうき 溜 ため 部 ぶ の段差 だんさ の有無 うむ 、前後 ぜんご 端 はし 部 ぶ の形状 けいじょう の違 ちが いで5種類 しゅるい に大別 たいべつ される[25] 。また、除 じょ 煙 けむり 版 ばん は原形 げんけい においては前部 ぜんぶ 端 はし 梁 はり より先端 せんたん 部 ぶ が張出 はりだ しており、下隅 したすみ 部 ぶ に丸 まる みをつけた形状 けいじょう であった[72] が、戦時 せんじ 設計 せっけい においては原形 げんけい の形状 けいじょう のまま木製 もくせい 化 か したもののほか、先端 せんたん 部 ぶ を前部 ぜんぶ 端 はし 梁 はり の位置 いち としたものが前方 ぜんぽう の上隅 うえすみ 部 ぶ の形状 けいじょう の違 ちが い等 とう により3種 しゅ の計 けい 4種 しゅ に大別 たいべつ される[71] 。
炭水車 たんすいしゃ は当初 とうしょ C59形 かたち と同一 どういつ の10-25形 かたち を使用 しよう することを予定 よてい していたとされる[72] が、戦時 せんじ 設計 せっけい の導入 どうにゅう により、戦時 せんじ 設計 せっけい のD51形 かたち が装備 そうび する10-20形 かたち 台車 だいしゃ の全長 ぜんちょう と台車 だいしゃ 中間 なかま 距離 きょり を1200 mm延長 えんちょう して石炭 せきたん および水 みず の搭載 とうさい 量 りょう を増大 ぞうだい させた12-25形 かたち を装備 そうび している[35] 。戦時 せんじ 設計 せっけい の炭 すみ 水 すい は使用 しよう 石炭 せきたん の質 しつ の低下 ていか ならびに貨物 かもつ 列車 れっしゃ の重 じゅう 列車 れっしゃ 長距離 ちょうきょり 化 か の傾向 けいこう から、積載 せきさい 炭 ずみ 水量 すいりょう を増加 ぞうか させた一方 いっぽう で、全面 ぜんめん 的 てき 設計 せっけい 変更 へんこう を行 おこな って所要 しょよう 資材 しざい を削減 さくげん しつつ積載 せきさい 容量 ようりょう 増 ぞう に対応 たいおう し、かつ、運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう を減少 げんしょう することにより勾配 こうばい 区間 くかん における機関 きかん 車 しゃ の牽引 けんいん 能力 のうりょく を増大 ぞうだい させている[18] 。
この炭水車 たんすいしゃ は、前 ぜん 端 はし 部 ぶ 側 がわ に中間 ちゅうかん 緩衝 かんしょう 器 き 受・中間 ちゅうかん 引張 ひっぱ 棒 ぼう 受と台車 だいしゃ 心 こころ 皿 さら を設置 せっち した鋳鋼 ちゅうこう 製 せい の前 ぜん 台 たい 枠 わく を、後端 こうたん 部 ぶ 側 がわ には連結 れんけつ 器 き の伴 とも 板 いた 守 もり と台車 だいしゃ 心 こころ 皿 さら を設置 せっち した同 おな じく鋳鋼 ちゅうこう 製 せい の後台 ごだい 枠 わく を設置 せっち し[73] 、前後 ぜんご の台 たい 枠 わく 間 あいだ は、水 みず タンクの底 そこ 板 ばん を6 mm厚 あつ の鋼板 こうはん を使用 しよう した船底 ふなそこ 型 がた のものとして、ここに重量 じゅうりょう および引張 ひっぱ 力 ちから ・連結 れんけつ 衝撃 しょうげき を負担 ふたん させる[35] フレームレス構造 こうぞう とした[注釈 ちゅうしゃく 13] [注釈 ちゅうしゃく 14] ものである。また、炭庫 たんこ 部分 ぶぶん は石炭 せきたん の質 しつ が悪化 あっか したことに対応 たいおう して容量 ようりょう を当初 とうしょ 計画 けいかく の10 tから12 tに増大 ぞうだい するとともに、転 うたて 車台 しゃだい が空襲 くうしゅう の被害 ひがい などで使用 しよう できない場合 ばあい の逆行 ぎゃっこう 運転 うんてん を想定 そうてい し、後方 こうほう 視界 しかい を確保 かくほ するために水槽 すいそう 部分 ぶぶん より幅 はば を狭 せば めた形状 けいじょう となった[74] 。このほか前 ぜん 床板 とこいた 、道具 どうぐ 箱 ばこ などを木造 もくぞう のものに変更 へんこう したほか、基礎 きそ ブレーキ装置 そうち 部品 ぶひん や配管 はいかん を簡素 かんそ 化 か している[75] 。
台車 だいしゃ は構造 こうぞう を簡素 かんそ 化 か したベッテンドルフ式 しき [76] の鋳鋼 ちゅうこう 製 せい 側 がわ 枠 わく 式台 しきだい 車 しゃ のLT204形 かたち [49] [注釈 ちゅうしゃく 15] を装荷 そうか し、車軸 しゃじく を従来 じゅうらい の長 ちょう 軸 じく のものから短 たん 軸 じく にしたほか、車輪 しゃりん の輪 わ 心 しん を鋳鉄 ちゅうてつ 製 せい の箱 はこ 型 がた 輪 わ 心 しん としている[75] 。なお、枕 まくら ばね は重 かさ ね板 ばん ばね であるが、初期 しょき に製造 せいぞう されたものは3組 くみ 並列 へいれつ のもの、その後 ご 製造 せいぞう されたものは2組 くみ 並列 へいれつ のものとなっている[77] 。
本 ほん 形式 けいしき は設計 せっけい に並行 へいこう して1943年 ねん 6月 がつ から2か所 しょ の鉄道 てつどう 省 しょう (→運輸 うんゆ 通信 つうしん 省 しょう )の工場 こうじょう (工 こう 機 き 部 ぶ [注釈 ちゅうしゃく 16] )で先行 せんこう 的 てき に部品 ぶひん や機関 きかん 車 しゃ 本体 ほんたい の製造 せいぞう を開始 かいし し[注釈 ちゅうしゃく 17] 、その後 ご に製造 せいぞう 計画 けいかく を割 わ り当 あ てられた民間 みんかん メーカー5社 しゃ による本格 ほんかく 的 てき な製造 せいぞう に移行 いこう した。本 ほん 形式 けいしき は1943年度 ねんど に150両 りょう 、1944年度 ねんど に220両 りょう が発注 はっちゅう されて[32] 、D51形 がた (1943・44年 ねん に計 けい 260両 りょう を発注 はっちゅう [15] )と並行 へいこう して生産 せいさん されることとなったが、1941年度 ねんど 以降 いこう の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ の生産 せいさん 状 じょう 況 きょう は発注 はっちゅう 年度内 ねんどない に竣工 しゅんこう するものは少 すく なく、翌々 よくよく 年度 ねんど に竣工 しゅんこう がずれ込 こ むものもあるといった状況 じょうきょう であり[80] 、本 ほん 形式 けいしき は発注 はっちゅう 370両 りょう のうち、終戦 しゅうせん 後 ご にも納入 のうにゅう が認 みと められた1945年度 ねんど 末 まつ 竣工 しゅんこう 分 ぶん までの計 けい 285両 りょう が生産 せいさん された[32] (最終 さいしゅう 出場 しゅつじょう は、1946年 ねん 3月31日 にち 付 づけ 、日本 にっぽん 車輌 しゃりょう 製 せい のD52 62号機 ごうき 。実際 じっさい の竣工 しゅんこう 日 び は4月 がつ 16日 にち [81] 。)。未 み 竣工 しゅんこう は計 けい 85両 りょう で[32] 、メーカー各社 かくしゃ に残 のこ った素材 そざい は戦後 せんご の輸出 ゆしゅつ 向 こう 機関 きかん 車 しゃ に転用 てんよう されたとされており[82] 、川崎 かわさき 車輌 しゃりょう で製造 せいぞう されたサハリン 向 む けのD51形 かたち 7両 りょう には本 ほん 形式 けいしき 用 よう の主 おも 台 だい 枠 わく が流用 りゅうよう されている[83] 。
発注 はっちゅう 時 じ の予定 よてい 最終 さいしゅう 番号 ばんごう はD52 492号 ごう 予定 よてい 機 き で、D52 153-197・256-332号機 ごうき は予定 よてい 欠番 けつばん であった[32] が、生産 せいさん 計画 けいかく について、鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう 史 し 研究 けんきゅう 家 か の臼井 うすい 茂信 しげのぶ はD52 153-197号 ごう 予定 よてい 機 き を三菱重工業 みつびしじゅうこうぎょう 生産 せいさん 割当 わりあて 分 ぶん 、D52 256-332号 ごう 予定 よてい 機 き を川崎 かわさき 車輌 しゃりょう 生産 せいさん 割当 わりあて 分 ぶん として計 けい 約 やく 500両 りょう の計画 けいかく [82] 、同 おな じく蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 研究 けんきゅう 家 か の金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし は予定 よてい 欠番 けつばん 分 ぶん を除 のぞ く約 やく 400両 りょう の計画 けいかく [71] であったとそれぞれ推定 すいてい している。
竣工 しゅんこう 年度 ねんど ・製造 せいぞう 所 しょ ごとの番号 ばんごう 、製 せい 番 ばん 、両 りょう 数 かず は下表 かひょう のとおり。
D52形 かたち 製造 せいぞう 一覧 いちらん (上段 じょうだん :番号 ばんごう 下段 げだん ()内 ない :製造 せいぞう 番号 ばんごう )
年度 ねんど
鉄道 てつどう 省 しょう →運輸 うんゆ 通信 つうしん 省 しょう 工場 こうじょう
民間 みんかん 工場 こうじょう
合計 ごうけい
浜松工 はままつこう 機 き 部 ぶ
鷹取 たかとり 工 こう 機 き 部 ぶ
日本 にっぽん 車輌 しゃりょう
川崎 かわさき 車輛 しゃりょう
日立製作所 ひたちせいさくしょ
汽車 きしゃ 製造 せいぞう
三菱重工業 みつびしじゅうこうぎょう
番号 ばんごう
両 りょう 数 かず
1943年度 ねんど
D52 1-5 (89-93)
D52 21-24 (59-62)
D52 123-132 (2390-2399)
D52 1-5, 21-24 123-132
19両 りょう
1944年度 ねんど
D52 6-15 (94-103)
D52 25-33 (63-71)
D52 41-58 (1319-1330, 1374-1379)
D52 68-97 151-152[表 ひょう 注 ちゅう 1] , 198-227 (2972-2978, 2986-2990 2994,2998, 2995-2996 2997,2999, 3047-3058 3060-3061, 3064-3071 3073-3075, 3077-3078 3080-3086, 3088-3089 3092-3100)
D52 98-122 393-408 (1734-1736, 1838-1847 1894-1905, 1960-1975)
D52 133-142 333-368 (2433-2442, 2458-2459 2467-2494, 2497-2502)
D52 143-150 443-451,453 (469-476, 477-485, 487)
D52 6-15, 25-33, 41-58, 68-122 133-152, 198-227 333-368, 393-408 443-451, 453
204両 りょう
1945年度 ねんど
D52 59-62[表 ひょう 注 ちゅう 2] (1409-1412)
D52 228-238 (3101-3111)
D52 409-423 (1976-1990)
D52 369-384 (2503-2518)
D52 452, 454-468 (486, 488-502)
D52 59-62 228-238 369-384 409-423, 452, 454-468
62両 りょう
計 けい
番号 ばんごう
D52 1-15
D52 21-33
D52 41-62
D52 68-97 151-152, 198-238
D52 98-122 393-423
D52 123-142 333-384
D52 143-150 443-468
D52 1-15, 21-33, 41-62, 68-152 198-238 333-384, 393-423 443-468
285両 りょう
両 りょう 数 かず
15両 りょう
13両 りょう
22両 りょう
73両 りょう
56両 りょう
72両 りょう
34両 りょう
^ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 研究 けんきゅう 家 か の金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし は「D52 151-152号機 ごうき は三菱重工業 みつびしじゅうこうぎょう で製造 せいぞう 予定 よてい であったが、川崎 かわさき 車輛 しゃりょう に製造 せいぞう が代替 だいたい された。」と推測 すいそく している[84] 一方 いっぽう 、同 おな じく高木 たかぎ 宏之 ひろゆき は発注 はっちゅう 時 じ から川崎 かわさき 車輛 しゃりょう に割当 わりあて られた番号 ばんごう としている[32] 。
^ D52 60-62号機 ごうき の実際 じっさい の竣工 しゅんこう は1946年度 ねんど であり、D52 60号機 ごうき が1946年 ねん 4月 がつ 9日 にち 、61号機 ごうき が4月 がつ 13日 にち 、62号機 ごうき が4月 がつ 16日 にち [85] 。
また、発注 はっちゅう 年度 ねんど ・製造 せいぞう 所 しょ 毎 ごと の、発注 はっちゅう 両 りょう 数 かず と予定 よてい 機 き 番 ばん は下表 かひょう のとおり。
D52形 かたち 発注 はっちゅう 年度 ねんど 別 べつ 製造 せいぞう 両 りょう 数 すう 一覧 いちらん [32] (上段 じょうだん :両 りょう 数 かず 、下段 げだん ()内 ない :予定 よてい 機 き 番 ばん )
年度 ねんど
鉄道 てつどう 省 しょう →運輸 うんゆ 通信 つうしん 省 しょう 工場 こうじょう
民間 みんかん 工場 こうじょう
合計 ごうけい
浜松工 はままつこう 機 き 部 ぶ
鷹取 たかとり 工 こう 機 き 部 ぶ
日本 にっぽん 車輌 しゃりょう
川崎 かわさき 車輛 しゃりょう
日立製作所 ひたちせいさくしょ
汽車 きしゃ 製造 せいぞう
三菱重工業 みつびしじゅうこうぎょう
1943年度 ねんど
20両 りょう (D52 1-20)
20両 りょう (D52 21-40)
27両 りょう (D52 41-67)
30両 りょう (D52 68-97)
25両 りょう (D52 98-122)
20両 りょう (D52 123-142)
8両 りょう (D52 143-150)
150両 りょう (D52 1-150)
1944年度 ねんど
0両 りょう
0両 りょう
0両 りょう
60両 りょう (D52 151-152, 198-255)
50両 りょう (D52 393-442)
60両 りょう (D52 333-392)
50両 りょう (D52 443-492)
220両 りょう (D52 151-152, 198-225 333-492)
合計 ごうけい
発注 はっちゅう 分 ぶん
20両 りょう (D52 1-20)
20両 りょう (D52 21-40)
27両 りょう (D52 41-67)
90両 りょう (D52 68-97 151-152, 198-255[表 ひょう 注 ちゅう 1] )
75両 りょう (D52 98-122 393-442)
80両 りょう (D52 123-142 333-392)
58両 りょう (D52 143-150[表 ひょう 注 ちゅう 2] ) 443-492)
370両 りょう (D52 1-152[表 ひょう 注 ちゅう 3] , 198-225[表 ひょう 注 ちゅう 4] 333-492)
うち竣工 しゅんこう 分 ぶん
15両 りょう (D52 1-15)
13両 りょう (D52 21-33)
22両 りょう (D52 41-62)
73両 りょう (D52 68-97 151-152[表 ひょう 注 ちゅう 5] , 198-238)
56両 りょう (D52 98-122 393-423)
72両 りょう (D52 123-142 369-384)
34両 りょう (D52 143-150 443-468)
285両 りょう (D52 1-15, 21-33, 41-62, 68-152 198-238 333-384, 393-423 443-468)
^ D52 256-332号機 ごうき を川崎 かわさき 車輌 しゃりょう 発注 はっちゅう 分 ぶん とする文献 ぶんけん [82] がある一方 いっぽう 、蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 研究 けんきゅう 家 か の金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし は「何 なん の確証 かくしょう もないが、故意 こい に空 そら 番 ばん を作 つく って各 かく 工場 こうじょう の生産 せいさん 能力 のうりょく を外部 がいぶ から知 し られ難 がた くするための工作 こうさく であったと考 かんが えられるのではないか」と推測 すいそく している[84] 。
^ D52 153-197号機 ごうき を三菱重工業 みつびしじゅうこうぎょう 発注 はっちゅう 分 ぶん とする文献 ぶんけん [82] がある一方 いっぽう 、蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 研究 けんきゅう 家 か の金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし は「何 なん の確証 かくしょう もないが、故意 こい に空 そら 番 ばん を作 つく って各 かく 工場 こうじょう の生産 せいさん 能力 のうりょく を外部 がいぶ から知 し られ難 がた くするための工作 こうさく であったと考 かんが えられるのではないか」と推測 すいそく している[84] 。
^ D52 153-197号機 ごうき は予定 よてい 欠番 けつばん [32] 。
^ D52 256-332号機 ごうき は予定 よてい 欠番 けつばん [32] 。
^ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 研究 けんきゅう 家 か の金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし は「D52 151-152号機 ごうき は三菱重工業 みつびしじゅうこうぎょう で製造 せいぞう 予定 よてい であったが、川崎 かわさき 車輛 しゃりょう に製造 せいぞう が代替 だいたい された。」と推測 すいそく している[84] 一方 いっぽう 、同 おな じく高木 たかぎ 宏之 ひろゆき は発注 はっちゅう 時 じ から川崎 かわさき 車輛 しゃりょう に割当 わりあて られた番号 ばんごう としている[32] 。
戦時 せんじ 中 ちゅう の使用 しよう 状 じょう 況 きょう と状態 じょうたい 不良 ふりょう 機 き の廃車 はいしゃ
編集 へんしゅう
戦時 せんじ 設計 せっけい の主旨 しゅし は、加工 かこう を簡略 かんりゃく 化 か すべきところはこれを徹底的 てっていてき に簡略 かんりゃく するが、重要 じゅうよう 部分 ぶぶん に対 たい してはむしろ細心 さいしん の加工 かこう を要求 ようきゅう したものであり、機会 きかい あるごとにこのことは強調 きょうちょう されていたが[31] 、実際 じっさい には使用 しよう 資材 しざい の品質 ひんしつ 不良 ふりょう や熟練工 じゅくれんこう の不足 ふそく 、戦時 せんじ 設計 せっけい に便乗 びんじょう した粗製 そせい 乱造 らんぞう などにより[86] 粗雑 そざつ な製造 せいぞう の機体 きたい が多 おお かった。このため、設計 せっけい 上 じょう の性能 せいのう はD51形 かたち よりも大幅 おおはば に改善 かいぜん されており、D52 1号機 ごうき による試験 しけん 結果 けっか も好成績 こうせいせき で、上 のぼ り10 ‰までの区間 くかん では一般 いっぱん 貨物 かもつ 列車 れっしゃ が19 km/hで1100 t、石炭 せきたん 貨物 かもつ 列車 れっしゃ が17 km/hで1200 t牽引 けんいん と設定 せってい された[32] にもかかわらず、本来 ほんらい の性能 せいのう を出 だ せない機体 きたい が多 おお く、1944年 ねん 末 まつ の大阪 おおさか 鉄道 てつどう 局 きょく 管内 かんない を例 れい にすると配属 はいぞく 33両 りょう 中 ちゅう 12両 りょう が材質 ざいしつ や工作 こうさく 状態 じょうたい の不良 ふりょう による故障 こしょう を起 お こしていた[87] 。
また、保守 ほしゅ ・修繕 しゅうぜん においても、本 ほん 形式 けいしき に限 かぎ らず資材 しざい 入手 にゅうしゅ 難 なん や代 だい 用材 ようざい 使用 しよう の影響 えいきょう により状況 じょうきょう は困難 こんなん なものであった。例 たと えばボイラー水面 すいめん 計 けい のガラス は戦前 せんぜん においては平均 へいきん 1年 ねん 程度 ていど の耐久 たいきゅう 性 せい であったものが、戦時 せんじ 中 ちゅう においてはほぼ毎日 まいにち 交換 こうかん が必要 ひつよう で、場合 ばあい によっては一 いち 仕業 しわざ 中 ちゅう に数 すう 回 かい の交換 こうかん を要 よう したこともあり[88] 、また、断熱 だんねつ 材 ざい やパッキン ・ガスケット に使用 しよう される石綿 いしわた の入手 にゅうしゅ 難 なん から、煙 けむり 室 しつ 扉 とびら のパッキンにグラスウール や場合 ばあい によっては土 ど で目塗 めぬ りをして代用 だいよう とした事例 じれい [注釈 ちゅうしゃく 18] や、加減 かげん 弁 べん 作用 さよう 軸 じく 部 ぶ のパッキンを樹皮 じゅひ で代用 だいよう した事例 じれい もあった[89] 。また、代用 だいよう 材料 ざいりょう に関 かん しては、戦時 せんじ 設計 せっけい によるもののほか、代用 だいよう 材 ざい を使用 しよう するよう指定 してい されなかった部品 ぶひん においても資材 しざい 入手 にゅうしゅ 難 なん から代用 だいよう 材料 ざいりょう を使用 しよう せざるを得 え なかった部分 ぶぶん も多 おお く、銅 どう 系 けい 材料 ざいりょう の部品 ぶひん を鉄 てつ 系 けい 材料 ざいりょう としたものについては錆 さび の発生 はっせい や固着 こちゃく に、鋼 はがね 製 せい 部品 ぶひん から鋳鋼 ちゅうこう もしくは鋳鋼 ちゅうこう から鋳鉄 ちゅうてつ としたものについては亀裂 きれつ や割 わ れによる破損 はそん に悩 なや まされ、代用 だいよう 材 ざい として木材 もくざい を使用 しよう した箇所 かしょ は木材 もくざい の反 そ りや割 わ れ、腐食 ふしょく の発生 はっせい に悩 なや まされていた[89] 。
ボイラーについては、製造 せいぞう 不良 ふりょう や戦時 せんじ 規格 きかく にも適合 てきごう しないボイラー用 よう 鋼板 こうはん が材料 ざいりょう として使用 しよう されたものがあった[88] ほか、運用 うんよう 上 じょう の酷使 こくし や整備 せいび の不良 ふりょう もあり、1945年 ねん に死傷 ししょう 者 しゃ を伴 ともな うボイラー破裂 はれつ 事故 じこ が3件 けん 相次 あいつ いで発生 はっせい した。そのため一旦 いったん 全 ぜん 機 き の使用 しよう が停止 ていし され、X線 せん によるボイラーの検査 けんさ 等 とう を実施 じっし する一方 いっぽう 、応急 おうきゅう 的 てき な対策 たいさく としてボイラー水位 すいい を高 たか めたり火 ひ 室 しつ 控 ひかえ の交換 こうかん 、蒸気 じょうき 圧 あつ の減圧 げんあつ といった処置 しょち を施 ほどこ して対応 たいおう した[注釈 ちゅうしゃく 19] が、事故 じこ および状態 じょうたい 不良 ふりょう で1946年 ねん - 1950年 ねん に以下 いか の55両 りょう が廃車 はいしゃ となった。
D52 5, 7-9, 27, 30, 47, 51, 59, 73, 78, 80, 83(事故 じこ ), 84, 87, 88(戦災 せんさい ), 90(戦災 せんさい ), 91(戦災 せんさい ), 95, 97, 103, 107, 110-114, 116, 120, 205-208, 209(事故 じこ ), 212, 215, 220-221, 238, 346, 347, 350-351, 359, 364, 371, 381, 394-395, 409-413, 443, 465
一方 いっぽう 、戦時 せんじ 中 ちゅう にはアメリカ軍機 ぐんき による機銃 きじゅう 掃射 そうしゃ 等 とう への対策 たいさく として本 ほん 形式 けいしき への迷彩 めいさい 塗装 とそう の実施 じっし と運転 うんてん 室 しつ の防弾 ぼうだん 化 か 改造 かいぞう が計画 けいかく されている。迷彩 めいさい 塗装 とそう は他 た 形式 けいしき も含 ふく めいくつかの事例 じれい があった一方 いっぽう 、運転 うんてん 室 しつ 防弾 ぼうだん 化 か については図面 ずめん が用意 ようい されたのみで実施 じっし はされていないが、その内容 ないよう は以下 いか の通 とお りとなっている[91] 。
屋根 やね は雨 あめ 樋 とい を撤去 てっきょ し、この部分 ぶぶん に防弾 ぼうだん 板 ばん を設置 せっち
側面 そくめん は防弾 ぼうだん 板 いた およびコンクリートの防弾 ぼうだん 材 ざい を設置 せっち するとともに、側面 そくめん 窓 まど の前方 ぜんぽう を鋼板 こうはん で塞 ふさ ぎ、防弾 ぼうだん 引窓 ひきまど を設置 せっち
前面 ぜんめん は正面 しょうめん 窓 まど 庇 ひさし を防弾 ぼうだん 化 か
背面 はいめん に防弾 ぼうだん 戸 ど を設置 せっち
本 ほん 形式 けいしき は、性能 せいのう を確保 かくほ して大量 たいりょう 速 そく 製 せい を主眼 しゅがん とする点 てん ではその目的 もくてき を達 たっ し、耐用 たいよう 年数 ねんすう 約 やく 2-3年 ねん という当初 とうしょ の目標 もくひょう もほぼ達成 たっせい されていた[88] が、終戦 しゅうせん 後 ご の日本 にっぽん の状況 じょうきょう においては、耐用 たいよう 年数 ねんすう に達 たっ した本 ほん 形式 けいしき を廃車 はいしゃ することができず、引続 ひきつづ き使用 しよう さざるを得 え ない状況 じょうきょう であった[92] 。そのため、本 ほん 形式 けいしき をはじめとする戦時 せんじ 設計 せっけい の車両 しゃりょう は通常 つうじょう 設計 せっけい への復元 ふくげん 工事 こうじ を施工 しこう することとし、蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ に関 かん しては1945年 ねん 10月 がつ に「戦争 せんそう 終結 しゅうけつ に伴 ともな う車両 しゃりょう 並 なみ に同 どう 部分 ぶぶん 品 ひん の原 げん 設計 せっけい 復元 ふくげん に関 かん する件 けん 」という通達 つうたつ が各 かく 鉄道 てつどう 局長 きょくちょう へ出 だ され、「戦時 せんじ 設計 せっけい 機関 きかん 車 しゃ 装備 そうび 改造 かいぞう 」として1947、48年度 ねんど に予算 よさん が計上 けいじょう されてボイラー控 ひかえ の改造 かいぞう 、シリンダーへの安全弁 あんぜんべん の設置 せっち 、速度 そくど 計 けい の設置 せっち 、炭水車 たんすいしゃ の補強 ほきょう などが施工 しこう されている[92] ほか、以降 いこう も補修 ほしゅう や原 げん 設計 せっけい への復元 ふくげん が継続 けいぞく され、機体 きたい によっては除 じょ 煙 けむり 板 ばん や炭庫 たんこ など木部 きべ の鋼 はがね 製 せい 化 か が実施 じっし されている[93] 。
ボイラー缶 かん 胴 どう の周 しゅう 継手 つぎて をリベット1列 れつ とした乙 おつ 缶 かん と丙 へい 缶 かん では、経年 けいねん により缶 かん 胴 どう 下 か 半 はん 部 ぶ のリベットに緩 ゆる みが生 しょう じたものが多 おお く、缶 かん 胴 どう 下 か 半 はん 部 ぶ に板 いた を継足 つぎた して継手 つぎて をリベット2列 れつ に補強 ほきょう している。なお、同様 どうよう の事象 じしょう は同 おな じく周 しゅう 継手 つぎて をリベット1列 れつ とした戦時 せんじ 設計 せっけい のD51形 かたち と戦後 せんご 製 せい のC59形 がた でも発生 はっせい しているが、戦後 せんご 製 せい のC57形 がた では発生 はっせい しておらず、ボイラー径 みち に拠 よ るものと考 かんが えられている[94] 。また、ボイラー控 ひかえ のうち、ボイラーの火 ひ 室外 しつがい 板 ばん と外 そと 火 ひ 室 しつ 後 ご 板 いた の間 ま の後 のち 隅 すみ 板 ばん 控 ひかえ は、戦時 せんじ 設計 せっけい においては板 いた 厚 あつ を薄 うす くしてリベット組立 くみたて から溶接 ようせつ 組立 くみたて としていたが、亀裂 きれつ の発生 はっせい や溶接 ようせつ 部 ぶ の剥離 はくり が発生 はっせい したため、戦時 せんじ 設計 せっけい 機関 きかん 車 しゃ 装備 そうび 改造 かいぞう で原 はら 設計 せっけい に復元 ふくげん されている[注釈 ちゅうしゃく 20] ほか、原 はら 設計 せっけい ではねじ組立 くみたて であった、火 ひ 室外 しつがい 板 ばん と内 うち 火 ひ 室 しつ 板 いた の間 ま の側 がわ 控 ひかえ は、戦時 せんじ 設計 せっけい においては溶接 ようせつ 組立 くみたて としていたが、こちらも溶接 ようせつ 部 ぶ の剥離 はくり が発生 はっせい したため、同 おな じく戦時 せんじ 設計 せっけい 機関 きかん 車 しゃ 装備 そうび 改造 かいぞう で原 はら 設計 せっけい に復元 ふくげん されている[94] 。
走行 そうこう 装置 そうち においては、弁 べん 装置 そうち のリンク装置 そうち で黒 くろ 皮 かわ 付 つ きのままの鋳鋼 ちゅうこう 部品 ぶひん を使用 しよう したものは傷 きず の発見 はっけん が困難 こんなん であったり曲 きょく 損 そん の検査 けんさ に手数 てかず を要 よう するため、原 はら 設計 せっけい の鍛造 たんぞう 機械 きかい 仕上 しあげ のものに交換 こうかん されている[94] 。また、戦時 せんじ 設計 せっけい によりタイヤの抜出 ぬけだ し防止 ぼうし 用 よう の止 とめ 輪 わ が廃止 はいし されたが、実際 じっさい にはタイヤの抜出 ぬけだ しが発生 はっせい したため、1952年 ねん には止 とめ 輪 わ の必要 ひつよう 性 せい が再 さい 確認 かくにん され、以後 いご 止 とめ 輪 わ を追加 ついか している[94] 。さらに、先 さき 台車 だいしゃ ・従 したがえ 台車 だいしゃ および炭 すみ 水 すい 台車 だいしゃ の軸受 じくうけ や棒 ぼう 類 るい の受金に使用 しよう された三 さん メタル式 しき 受金は、銅 どう 合金 ごうきん は節約 せつやく されるが、鋼材 こうざい をに銅 どう 合金 ごうきん を裏 うら 貼 ば りする際 さい に工数 こうすう がかかり、当初 とうしょ は密着 みっちゃく がよくないものがあったが、工作 こうさく が良好 りょうこう なものは使用 しよう 状態 じょうたい も良好 りょうこう であり、炭水車 たんすいしゃ 車軸 しゃじく の受金では戦後 せんご もそのまま使用 しよう されているものもある[60] 。
戦時 せんじ 設計 せっけい 機関 きかん 車 しゃ 装備 そうび 改造 かいぞう における炭水車 たんすいしゃ の補強 ほきょう は、前後 ぜんご の台 たい 枠 わく 鋳物 いもの と水 みず タンク底 そこ 板 ばん との取付 とりつけ 部 ぶ の緩 ゆる みや、水 みず タンク底 そこ 板 ばん の台 たい 枠 わく 鋳物 いもの 取付 とりつけ 部 ぶ の亀裂 きれつ 発生 はっせい に対応 たいおう するもので、台 たい 枠 わく 鋳物 いもの の取付 とりつけ 面積 めんせき を増大 ぞうだい して衝撃 しょうげき 荷重 かじゅう の伝達 でんたつ を良好 りょうこう にするとともに、水 みず タンク底 そこ 板 ばん の台 たい 枠 わく 鋳物 いもの 取付 とりつけ 部 ぶ の板 いた 厚 あつ を9 mmから12 mmとしつつ、内側 うちがわ にも当 とう 板 いた を設置 せっち するものであり、施工 しこう 後 ご の状況 じょうきょう は良好 りょうこう であった[注釈 ちゅうしゃく 21] [95] 。
戦時 せんじ 輸送 ゆそう の終了 しゅうりょう による貨物 かもつ 用 よう 機関 きかん 車 しゃ の余剰 よじょう 化 か と、旅行 りょこう の制限 せいげん がなくなったことによる旅客 りょかく 輸送 ゆそう 量 りょう の増加 ぞうか にともなう旅客 りょかく 用 よう 機関 きかん 車 しゃ 不足 ふそく のため、1948年 ねん から1949年 ねん にかけて本 ほん 形式 けいしき のボイラーを流用 りゅうよう し、C59形 かたち 相当 そうとう で従 したがえ 軸 じく を2軸 じく とした走行 そうこう 装置 そうち と組合 くみあ わせた旅客 りょかく 用 よう 機関 きかん 車 しゃ C62形 かたち が49両 りょう (うち1両 りょう は2両分 りょうぶん のボイラーを組合 くみあ わせて1両分 りょうぶん としたため、種 たね 車 しゃ となったD52形 かたち は50両 りょう 。)製造 せいぞう された。前後 ぜんご の機 き 番 ばん 対称 たいしょう は以下 いか の通 とお り。
D52形 かたち →C62形 かたち 改造 かいぞう 一覧 いちらん [96]
形式 けいしき
改造 かいぞう 後 ご 番号 ばんごう
改造 かいぞう 前 ぜん 番号 ばんごう
製造 せいぞう 所 しょ
製造 せいぞう 番号 ばんごう
竣工 しゅんこう 日 び
C62形 かたち
C62 1
D52 74
日立製作所 ひたちせいさくしょ
1921
1948年 ねん
1月 がつ 17日 にち
C62 2
D52 455
1930
5月 がつ 20日 はつか
C62 3
D52 458
1931
6月18日 にち
C62 4
D52 399
1932
6月30日 にち
C62 5
D52 349
1933
7月 がつ 20日 はつか
C62 6
D52 461
1934
7月 がつ 31日 にち
C62 7
D52 464
1955
8月 がつ 26日 にち
C62 8
D52 446
1956
8月 がつ 19日 にち
C62 9
D52 121
1957
9月6日 にち
C62 10
D52 119
1958
9月23日 にち
C62 11
D52 150
1959
10月6日 にち
C62 12
D52 445
1796
10月23日 にち
C62 13
D52 447
1797
11月10日 にち
C62 14
D52 145
1798
11月30日 にち
C62 15
D52 112
1799
12月15日 にち
C62 16
D52 127
1800
12月22日 にち
C62 17
D52 269
1801
12月30日 にち
C62 18
D52 375
1802
1949年 ねん
1月 がつ 26日 にち
C62 19
D52 407
1803
3月6日 にち
C62 20
D52 225
1804
3月14日 にち
C62 21
D52 277
1805
3月 がつ 20日 はつか
C62 22
D52 222
川崎 かわさき 車輛 しゃりょう
3155
1948年 ねん
8月 がつ 20日 はつか
C62 23
D52 23
3156
8月 がつ 31日 にち
C62 24
D52 233 (D52 106)[表 ひょう 注 ちゅう 1]
3157
9月24日 にち
C62 25
D52 226
3158
9月30日 にち
C62 26
D52 46
3159
10月8日 にち
C62 27
D52 49
3160
10月16日 にち
C62 28
D52 151
3161
10月21日 にち
C62 29
D52 85
3162
10月28日 にち
C62 30
D52 152
3163
11月11日 にち
C62 31
D52 227
3164
11月18日 にち
C62 32
D52 147
3165
11月24日 にち
C62 33
D52 82
3166
11月30日 にち
C62 34
D52 230
3167
12月18日 にち
C62 35
D52 93
3168
12月26日 にち
C62 36
D52 231
3169
12月12日 にち
C62 37
D52 358
汽車 きしゃ 製造 せいぞう
2450
9月18日 にち
C62 38
D52 374
2564
9月29日 にち
C62 39
D52 141
2565
10月6日 にち
C62 40
D52 367
2566
10月15日 にち
C62 41
D52 352
2567
10月23日 にち
C62 42
D52 357
2568
11月12日 にち
C62 43
D52 345
2569
11月30日 にち
C62 44
D52 356
2570
12月26日 にち
C62 45
D52 353
2571
1949年 ねん
3月8日 にち
C62 46
D52 226
2572
3月21日 にち
C62 47
D52 366
2573
3月31日 にち
C62 48
D52 380
2574
4月 がつ 8日 にち
C62 49
D52 104
2575
4月 がつ 20日 はつか
^ 公式 こうしき にはD52 233号機 ごうき の乙 おつ 缶 かん を使用 しよう 、実際 じっさい にはD52 106号機 ごうき の丙 へい 缶 かん を組合 くみあ わせて1両分 りょうぶん とし、丙 へい 缶 かん 扱 あつか い。
また、第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 後 ご に主要 しゅよう 幹線 かんせん の急速 きゅうそく な電化 でんか が計画 けいかく されたことに伴 ともな い、1950年 ねん から1951年 ねん にかけて戦時 せんじ 設計 せっけい から標準 ひょうじゅん 設計 せっけい への復元 ふくげん に併 あわ せて従 したがえ 軸 じく を1軸 じく から2軸 じく として、軸 じく 重 じゅう を線路 せんろ 規格 きかく の低 ひく い「乙 おつ 線 せん 」への入線 にゅうせん 可能 かのう な値 ね に調整 ちょうせい することが可能 かのう なD62形 かたち に20両 りょう が改造 かいぞう された[97] 。当時 とうじ の線路 せんろ 等級 とうきゅう ごとの軌道 きどう 延長 えんちょう は以下 いか の通 とお り。
線路 せんろ 種別 しゅべつ ・本線 ほんせん 軌道 きどう 延長 えんちょう の構成 こうせい (1945年度 ねんど 末 まつ )[98] 上段 じょうだん :延長 えんちょう 、下段 げだん :構成 こうせい 率 りつ
種別 しゅべつ
特 とく 甲 かぶと 線 せん [表 ひょう 注 ちゅう 1]
甲 かぶと 線 せん
乙 おつ 線 せん
丙 へい 線 せん
簡易 かんい 線 せん [表 ひょう 注 ちゅう 2]
計 けい
構成 こうせい
1267 km 5.7 %
3710 km 16.6 %
6788 km 30.4 %
8518 km 38.2 %
2041 km 9.1 %
22326 km 100.0 %
^ 甲 かぶと 線 せん のうち、特 とく に主要 しゅよう な線区 せんく [99]
^ 丙 へい 線 せん のうち、特 とく に簡易 かんい な構造 こうぞう の鉄道 てつどう [100]
改造 かいぞう 後 ご しばらくは動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう をほとんど軽減 けいげん せずにD52形 かたち と共通 きょうつう 運用 うんよう されていたが、1958年 ねん から1959年 ねん にかけて動輪 どうりん の軸 じく 重 じゅう を軽減 けいげん して乙 おつ 線 せん に入線 にゅうせん 可能 かのう にするとともに、シリンダー直径 ちょっけい を550 mmから530 mmに縮小 しゅくしょう してシリンダー牽引 けんいん 力 りょく をD51形 かたち とほぼ同等 どうとう に変更 へんこう しており、低速 ていそく 域 いき ではD51形 かたち と、高速 こうそく 域 いき ではD52形 かたち と同等 どうとう の性能 せいのう となった[97] [注釈 ちゅうしゃく 22] 。しかし、幹線 かんせん の電化 でんか が当初 とうしょ の計画 けいかく 通 どお りには進展 しんてん せず、輸送 ゆそう 情況 じょうきょう も変化 へんか したため、当分 とうぶん の間 あいだ はD52形 かたち が必要 ひつよう とされることとなってD62形 がた への改造 かいぞう は20両 りょう で終了 しゅうりょう し[97] 、D52形 がた のまま標準 ひょうじゅん 設計 せっけい に復元 ふくげん する装備 そうび 改造 かいぞう の実施 じっし に移行 いこう することとなった[27] 。
改造 かいぞう 前後 ぜんこう の機 き 番 ばん 対称 たいしょう は以下 いか の通 とお り。
D52形 かたち →D62形 かたち 改造 かいぞう およびD62形 かたち 軸 じく 重 じゅう 軽減 けいげん 改造 かいぞう 一覧 いちらん [102]
形式 けいしき
車軸 しゃじく 配置 はいち 変更 へんこう 改造 かいぞう
軸 じく 重 じゅう 軽減 けいげん 改造 かいぞう
改造 かいぞう 後 ご 番号 ばんごう
改造 かいぞう 前 ぜん 番号 ばんごう
改造 かいぞう 所 しょ
竣工 しゅんこう 日 び
改造 かいぞう 所 しょ
出場 しゅつじょう 日 び
D62形 かたち
D62 1
D52 368
浜松 はままつ 工場 こうじょう
1950年 ねん
3月1日 にち
郡山 こおりやま 工場 こうじょう
1959年 ねん
11月6日 にち
D62 2
D52 448
3月7日 にち
10月27日 にち
D62 3
D52 401
3月13日 にち
9月15日 にち
D62 4
D52 450
3月22日 にち
11月23日 にち
D62 5
D52 449
3月30日 にち
9月2日 にち
D62 6
D52 42
8月 がつ 24日 にち
11月26日 にち
D62 7
D52 344
9月1日 にち
10月1日 にち
D62 8
D52 336
9月18日 にち
鷹取 たかとり 工場 こうじょう
1958年 ねん
12月13日 にち
D62 9
D52 94
10月5日 にち
郡山 こおりやま 工場 こうじょう
1959年 ねん
9月3日 にち
D62 10
D52 132
10月24日 にち
12月2日 にち
D62 11
D52 337
11月6日 にち
11月8日 にち
D62 12
D52 397
11月20日 にち
11月26日 にち
D62 13
D52 211
12月7日 にち
10月31日 にち
D62 14
D52 334
12月19日 にち
9月27日 にち
D62 15
D52 377
1951年 ねん
1月 がつ 9日 にち
9月15日 にち
D62 16
D52 338
1月 がつ 19日 にち
10月21日 にち
D62 17
D52 343
2月 がつ 5日 にち
11月29日 にち
D62 18
D52 360
2月 がつ 15日 にち
10月5日 にち
D62 19
D52 339
3月5日 にち
12月25日 にち
D62 20
D52 462
3月19日 にち
9月9日 にち
1947、48年度 ねんど 予算 よさん による「戦時 せんじ 設計 せっけい 機関 きかん 車 しゃ 装備 そうび 改造 かいぞう 」や1948年度 ねんど 以降 いこう のC62形 かたち 化 か 改造 かいぞう 、1950年度 ねんど のD62形 かたち 化 か 改造 かいぞう に引続 ひきつづ き、D62形 かたち ・C62形 がた へ改造 かいぞう した70両 りょう と状態 じょうたい 不良 ふりょう 等 とう で廃車 はいしゃ となった55両 りょう を除 のぞ いた160両 りょう のうち148両 りょう に対 たい し、1951年度 ねんど から「D52形 かたち 装備 そうび 改造 かいぞう 」の名称 めいしょう で改造 かいぞう 工事 こうじ を実施 じっし している[92] 。装備 そうび 改造 かいぞう はD62形 がた の整備 せいび 内容 ないよう に準 じゅん じたもので、浜松 はままつ 工場 こうじょう 、鷹取 たかとり 工場 こうじょう ならびに広島 ひろしま 工場 こうじょう で実施 じっし された。この装備 そうび 改造 かいぞう によって全面 ぜんめん 的 てき に標準 ひょうじゅん 設計 せっけい に復元 ふくげん されるとともに、保守 ほしゅ 取扱 とりあつかい も容易 ようい な日本 にっぽん 最強 さいきょう の貨物 かもつ 用 よう 機関 きかん 車 しゃ となっている[27] 。装備 そうび 改造 かいぞう の主 おも な内容 ないよう は以下 いか の通 とお り[103] であるが、一方 いっぽう で戦時 せんじ 設計 せっけい でも長期 ちょうき 使用 しよう に耐 た えると判断 はんだん された炭水車 たんすいしゃ の台車 だいしゃ や鋳鉄 ちゅうてつ 製 せい 車輪 しゃりん 、主 しゅ 連 れん 棒 ぼう のビッグエンドの丸 まる ブッシュなどは引続 ひきつづ きそのまま使用 しよう された[70] ほか、この装備 そうび 改造 かいぞう により、機関 きかん 車 しゃ 本体 ほんたい の重心 じゅうしん 高 だか は1660 mmから1668 mmになっている[29] 。
自動 じどう 給 きゅう 炭 すみ 機 き の装備 そうび 。
ブラストノズルへの吐出 としゅつ 加減 かげん 装置 そうち の装備 そうび 。
炭水車 たんすいしゃ の車 くるま 端 はし 耐 たい 荷重 におも に対 たい する強度 きょうど 増大 ぞうだい 。
給水 きゅうすい 加熱 かねつ 器 き の位置 いち 変更 へんこう 。
炭庫 たんこ の本 ほん 設計 せっけい 復元 ふくげん 。
蒸気 じょうき 溜 ため ・砂 すな 箱 ばこ カバーの本 ほん 設計 せっけい 復元 ふくげん 。
木部 きべ の鋼 はがね 製 せい 化 か など代用 だいよう 材料 ざいりょう の本 ほん 設計 せっけい 復元 ふくげん 。
一方 いっぽう 、装備 そうび 改造 かいぞう から外 はず れた13両 りょう (D52 12, 96, 126, 131, 146, 216, 222, 340, 417-419, 456, 460号機 ごうき ) は、給水 きゅうすい 加熱 かねつ 器 き の移設 いせつ と除 じょ 煙 けむり 板 ばん や歩 あゆ み板 いた 、石炭 せきたん 庫 こ 側板 そくばん などの木製 もくせい 部 ぶ を鋼板 こうはん 製 せい への交換 こうかん 程度 ていど の改造 かいぞう のみで、自動 じどう 給 きゅう 炭 すみ 機 き も装備 そうび しておらず、角 かく 型 がた のドームを残 のこ すなど戦時 せんじ 型 がた の形態 けいたい を残 のこ した通称 つうしょう 準 じゅん 装備 そうび 改造 かいぞう となっており、その多 おお くは瀬野 せの 機関 きかん 区 く に配置 はいち されて瀬野 せの 八 はち の後部 こうぶ 補 ほ 機 き 運用 うんよう に使用 しよう された。また、1950年 ねん から数 すう 次 じ に渡 わた って順次 じゅんじ 改造 かいぞう を実施 じっし して装備 そうび 改造 かいぞう 機 き 相当 そうとう となったD52 335号機 ごうき のような事例 じれい [104] や、給水 きゅうすい 加熱 かねつ 器 き の位置 いち 変更 へんこう のみ先行 せんこう して実施 じっし されたD52 13号機 ごうき のような事例 じれい [105] も見 み られるほか、瀬野 せの 機関 きかん 区 く で補 ほ 機 き 専用 せんよう として運用 うんよう されるため、装備 そうび 改造 かいぞう 実施 じっし 済 ず みながら自動 じどう 給 きゅう 炭 すみ 機 き を装備 そうび しないD52 100号機 ごうき のような事例 じれい [63] もあった。
自動 じどう 給 きゅう 炭 すみ 機 き は南 みなみ 満 まん 洲 しゅう 鉄道 てつどう では1921年 ねん の試用 しよう の後 のち 、ミカニ型 がた 以降 いこう の大型 おおがた 機 き に搭載 とうさい され、日本 にっぽん においては1948年 ねん 5月 がつ に発動 はつどう 機 き 製造 せいぞう 製 せい のHT形 がた のもの3台 だい が製造 せいぞう されてC62 2-3号機 ごうき に搭載 とうさい されたのが最初 さいしょ となっており、以降 いこう は給 きゅう 炭 ずみ 機 き 部分 ぶぶん を発動 はつどう 機 き 製造 せいぞう 、機関 きかん 部 ぶ を汽車 きしゃ 製造 せいぞう を担当 たんとう した本省 ほんしょう 基本形 きほんけい がC61形 かたち 、C62形 かたち に搭載 とうさい されている[注釈 ちゅうしゃく 23] [106] 。本 ほん 形式 けいしき ではC62形 かたち と異 こと なり機関 きかん 部 ぶ が機関 きかん 車 しゃ 側 がわ ではなく炭水車 たんすいしゃ 側 がわ に搭載 とうさい されている[107] ほか、搭載 とうさい に際 さい しては、給 きゅう 炭 ずみ 用 よう コンベアを避 さ けるために運転 うんてん 室 しつ 床板 とこいた の中央 ちゅうおう 部 ぶ を205 mm嵩上 かさあ げして中央 ちゅうおう 部 ぶ が1段 だん 低 ひく い2段 だん であった床 ゆか 面 めん がほぼ平面 へいめん となり、これに伴 ともな い乗降 じょうこう 口 こう のクリアランス確保 かくほ のために運転 うんてん 室 しつ 屋根 やね 後部 こうぶ を切上 きりあ げて幅 はば も若干 じゃっかん 狭 せま くなっているほか、床 ゆか 面 めん を一部 いちぶ 切取 きりと ったため後台 ごだい 枠 わく から運転 うんてん 室 しつ への支持 しじ 材 ざい が追加 ついか されており[70] 、また、機関 きかん 車 しゃ 本体 ほんたい と炭水車 たんすいしゃ 間 あいだ が100 mm延長 えんちょう されて機関 きかん 車 しゃ 全長 ぜんちょう が21105 mmとなっている[108] 。
ボイラー台 だい 内部 ないぶ に設置 せっち された本 ほん 形式 けいしき の給水 きゅうすい 加熱 かねつ 器 き は場所 ばしょ 的 てき に保守 ほしゅ 点検 てんけん が困難 こんなん であったため、D51形 かたち と同様 どうよう に煙 けむり 室 しつ 上部 じょうぶ 煙突 えんとつ 前部 ぜんぶ に移設 いせつ されて[31] 煙突 えんとつ が50 mm後方 こうほう へ移設 いせつ されており[109] 、あわせて燃焼 ねんしょう 室 しつ とシリンダーの間 あいだ に排気 はいき つなぎ管 かん が追加 ついか されている[69] 。また、ブラストノズルへの吐出 としゅつ 加減 かげん 装置 そうち は1950年 ねん にボイラーの燃焼 ねんしょう 機構 きこう の改良 かいりょう 策 さく として試験 しけん されたもので、C61形 がた から搭載 とうさい されたものであり[110] 、自動 じどう 給 きゅう 炭 すみ 機 き により粉砕 ふんさい された粉炭 ふんたん による火 ひ 床 ゆか 詰 づ まりに起因 きいん する通風 つうふう 不良 ふりょう への対応 たいおう としてC61, 62形 がた およびD52, D62形 かたち に装備 そうび されている[111] 。この装置 そうち は吐出 としゅつ 管内 かんない 中央 ちゅうおう 部 ぶ に設置 せっち した、先端 せんたん が水滴 すいてき 形 がた の加減 かげん 棒 ぼう を上下 じょうげ に動 うご かすことで吐出 としゅつ 口径 こうけい を加減 かげん するものとなっており[112] [113] 、C61形 かたち 、C62形 がた では煙 けむり 室 しつ 横部 よこべ のレバーで加減 かげん 棒 ぼう を操作 そうさ するものであったが、本 ほん 形式 けいしき およびD62形 がた のものは運転 うんてん 室 しつ 内助 ないじょ 士 し 席 せき 側 がわ に設置 せっち されたハンドルで操作 そうさ が可能 かのう なものとなっている[114] 。動力 どうりょく 火 ひ 格子 こうし 装置 そうち はD62形 がた で好成績 こうせいせき であった、蒸気 じょうき 分配 ぶんぱい 弁 べん を回転 かいてん 滑 すべ り弁 べん からピストンバルブ に変更 へんこう し、揺 ゆら シリンダー径 みち を140 mmとしたものとしており[115] 、火 ひ 格子 こうし は自動 じどう 給 きゅう 炭 すみ 機 き を装備 そうび したことから、構造 こうぞう の簡易 かんい 化 か のため前後 ぜんご 左右 さゆう の4分割 ぶんかつ からC62形 かたち やD62形 かたち と同 おな じ左右 さゆう 2分割 ぶんかつ のものに変更 へんこう されている[116] 。
炭水車 たんすいしゃ は前後 ぜんご の台 たい 枠 わく 鋳物 いもの を撤去 てっきょ して全長 ぜんちょう に渡 わた る鋼材 こうざい 組立 くみたて 式 しき の台 たい 枠 わく に置換 おきか えて車 くるま 端 はし 耐 たい 荷重 におも に対 たい する強度 きょうど を増大 ぞうだい しており、水 みず タンクの一部 いちぶ を仕切 しき って自動 じどう 給 きゅう 炭 すみ 機 き を搭載 とうさい して前部 ぜんぶ にその機関 きかん 部 ぶ を設置 せっち したほか、炭庫 たんこ の鋼 はがね 製 せい 化 か を実施 じっし して形式 けいしき が10-22AS形 がた となっている[33] が、装備 そうび 改装 かいそう 前 まえ に炭庫 たんこ の鋼 はがね 製 せい 化 か を実施 じっし していたものの中 なか には炭庫 たんこ 側面 そくめん の高 たか さが高 たか く、後部 こうぶ だけでなく前 ぜん 端 はし 部 ぶ にも欠 か き取 と りがある機体 きたい がある[注釈 ちゅうしゃく 24] [117] 。一方 いっぽう でベッテンドルフ式 しき の炭水車 たんすいしゃ 台車 だいしゃ はタイヤ摩耗 まもう 時 じ の高 たか さ調整 ちょうせい 作業 さぎょう が難 むずか しく、改造 かいぞう 方 かた の要望 ようぼう があったものの改造 かいぞう が困難 こんなん であり[31] 、長期 ちょうき 使用 しよう に耐 た えるとされたため引続 ひきつづ きそのまま使用 しよう されているが、枕 まくら ばねの重 かさ ね板 ばん ばねが3組 くみ 並列 へいれつ のものは2組 くみ 並列 へいれつ のものに改造 かいぞう されている[77] 。
本 ほん 形式 けいしき の丸 まる ブッシュ式 しき の主 しゅ 連 れん 棒 ぼう ビッグエンドは戦後 せんご には調整 ちょうせい 式 しき の角 かく ブッシュ式 しき への改造 かいぞう の要望 ようぼう があり、本 ほん 形式 けいしき からD62形 がた への改造 かいぞう の際 さい には角 すみ ブッシュ式 しき に改造 かいぞう されて主 しゅ 動輪 どうりん のバランスウェイトに鉛 なまり を充填 じゅうてん しているが、本 ほん 形式 けいしき の装備 そうび 改造 かいぞう に際 さい しては丸 まる ブッシュ式 しき のままとされている[118] [注釈 ちゅうしゃく 25] 。これは当時 とうじ 、1950年 ねん から実施 じっし された本 ほん 形式 けいしき での主 しゅ 連 れん 棒 ぼう のビッグエンドに浮動 ふどう ブッシュ を試用 しよう する試験 しけん において良質 りょうしつ のグリース を使用 しよう した場合 ばあい には良好 りょうこう な結果 けっか が得 え られており[120] 、将来 しょうらい 浮動 ふどう ブッシュ式 しき に改造 かいぞう する際 さい には丸 まる ブッシュ式 しき からの方 ほう が改造 かいぞう が容易 ようい であった[注釈 ちゅうしゃく 26] ことと[118] 、主 しゅ 連 れん 棒 ぼう ビッグエンドには在来 ざいらい の割 わり ブッシュから一体 いったい ブッシュが使用 しよう されるようになっており、この一体 いったい ブッシュは摩耗 まもう 時 じ にはホワイトメタルを盛 もり 替 か えるものであるため、角 すみ ブッシュ式 しき におけるクサビ 調整 ちょうせい が不要 ふよう になったため、丸 まる ブッシュ式 しき のままでよくなったことによるものである[118] 。
施工 しこう 年度 ねんど ・実施 じっし 工場 こうじょう ごとの番号 ばんごう は下表 かひょう のとおり。
D52形 かたち 装備 そうび 改造 かいぞう 一覧 いちらん (一部 いちぶ 推測 すいそく を含 ふく む、()内 ない は準 じゅん 装備 そうび 改造 かいぞう )
年度 ねんど
改造 かいぞう 所 しょ
合計 ごうけい
浜松 はままつ 工場 こうじょう
鷹取 たかとり 工場 こうじょう
広島 ひろしま 工場 こうじょう
大宮 おおみや 工場 こうじょう
不明 ふめい
番号 ばんごう
両 りょう 数 かず
1950年度 ねんど
D52 234 335 (D52 12)
D52 234, 335 (D52 12)
2+(1)両 りょう
1951年度 ねんど
D52 43, 54-58, 68 115, 122 201, 203-204, 213-214, 217-219, 223, 228 342, 348, 361-363, 379, 383 404-406, 408, 415-416, 459
D52 144, 148-149 224 365, 372-373
D52 135 (D52 418[表 ひょう 注 ちゅう 1] )
D52 142 225
D52 43, 54-58, 68 115, 122, 135, 142, 144, 148-149 201, 203-204, 213-214, 217-219, 223-225, 228 342, 348, 361-363, 365, 372-373, 379, 383 404-406, 408, 415-416, 459 (D52 418)
43+(1)両 りょう
1952年度 ねんど
D52 1, 14, 44-45, 48, 50, 53, 60-61, 71, 81 117, 125, 128, 130, 136-137, 139, 199 229, 232, 235-236 376, 378, 382, 384, 393, 398 400, 403, 414, 420-421, 444, 452-453、457, 463, 466-468
D52 24 109, 138
D52 143 (D52 96, 222)
(D52 417, 419)
D52 200, 210 (D52 126, 146 216 340 456, 460)
D52 1, 14, 24, 44-45, 48, 50, 53, 60-61, 71, 81 109, 117, 125, 128, 130, 136-139, 143, 199-200 210, 229, 232, 235-236 376, 378, 382, 384, 393, 398 400, 403, 414, 420-421, 444, 452-453、457, 463, 466-468 (D52 96, 126, 146, 216, 222, 340, 417, 419, 456, 460)
48+(10)両 りょう
1953年 ねん 度 ど
D52 3, 4, 6, 10-11, 15, 28-29, 33 62, 70, 75-76, 86、92, 98-101 105, 124, 140 341, 354,
D52 32 102, 108, 134, 198 369
(D52 131)
D52 3, 4, 6, 10-11, 15, 28-29, 32-33 62, 70, 75-76, 86, 92, 98-102 105, 108, 124, 134, 140, 198 341, 354, 369 (D52 131)
31+(1)両 りょう
1954年度 ねんど
D52 13, 31, 41, 79 118, 123, 129, 133 333, 370, 396 402, 422-423,
D52 13, 31, 41, 79 118, 123, 129, 133 333, 370, 396 402, 422-423,
14両 りょう
1955年度 ねんど
D52 2, 52, 72 237
D52 89
D52 2, 52, 72, 89, 237
5両 りょう
1956年度 ねんど
D52 454
D52 454
1両 りょう
不明 ふめい
D52 202 355 455
D52 202 355 455
3両 りょう
計 けい
両 りょう 数 かず
121+(1)両 りょう
16両 りょう
2+(3)両 りょう
(3)両 りょう
8+(6)両 りょう
D52 1-4, 6, 10-11, 13-15, 24, 28-29, 31-33, 41, 43-45, 48 50, 52-58, 60-62, 68, 70-72, 75-76, 79, 81, 86, 89, 92, 98-102 105, 108-109, 115, 117-118, 122-125 128-130, 133-140, 142-144, 148-149, 198-204 210, 213-214, 217-219, 223-225, 228-229, 232, 234-237 333, 335, 341-342, 348, 354-355, 361-363, 365 369-370, 372-373, 376, 378-379, 382-384, 393, 396, 398 400, 402-406, 408, 414-416, 420-423, 444 452-455、457, 459, 463, 466-468 (D52 12, 96, 126, 131, 146, 216, 222, 340, 417-419, 456, 460)
147+(13)両 りょう
番号 ばんごう
D52 1-4, 6, 10-11, 13-15, 28-29, 31, 33, 41, 43-45, 48 50, 52-58, 60-62, 68, 70-72, 75-76, 79, 81, 86, 92, 98-101 105, 115, 117-118, 122-123, 124-125 128-129, 130, 133, 136-137, 139-140, 199 201, 203-204, 213-214, 217-219, 223, 228-229, 232, 234-237 333, 335, 341-342, 348, 354, 361-363 370, 376, 378, 379, 382-384, 393, 396, 398 400, 402-406, 408, 414-416, 420-423, 444 452-454, 457, 459, 463, 466-468 (D52 12)
D52 24, 32 102, 108-109, 134 138, 144, 148-149, 198 224 365, 369, 372-373
D52 135, 143 (D52 96, 222, 418)
(D52 131 417, 419)
D52 89 142 200, 210, 225 (D52 126, 146 216 340 456, 460)
^ D52 418号機 ごうき を準 じゅん 装備 そうび 改造 かいぞう ではなく装備 そうび 改造 かいぞう 機 き とする文献 ぶんけん もある[121] 。
装備 そうび 改造 かいぞう 機 き は当初 とうしょ の設計 せっけい どおりの性能 せいのう を発揮 はっき できるようになり、ボイラーは戦時 せんじ 中 ちゅう 製造 せいぞう のものを検査 けんさ ・修繕 しゅうぜん を実施 じっし しながら引続 ひきつづ き使用 しよう していたが、1954年 ねん にD52 365号機 ごうき のボイラーの火 ひ 室 しつ 左肩 ひだりかた 部 ぶ が破裂 はれつ する事故 じこ [注釈 ちゅうしゃく 27] が発生 はっせい [86] し、1948年 ねん にはD51 1140号機 ごうき でもボイラー破裂 はれつ 事故 じこ が発生 はっせい していた[83] ことから、本 ほん 形式 けいしき やD51形 かたち 、D62形 かたち ・C62形 かたち を中心 ちゅうしん に、戦中 せんちゅう 戦後 せんご に製造 せいぞう された蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ のボイラー再 さい 検査 けんさ を実施 じっし し、翌 よく 1955年 ねん から新造 しんぞう ボイラーへの交換 こうかん が行 おこな われ[122] 、甲 きのえ 缶 かん に準 じゅん じたボイラーが搭載 とうさい されている[123] 。
施工 しこう 年度 ねんど ・実施 じっし 工場 こうじょう ごとの番号 ばんごう は下表 かひょう のとおり。
D52形 かたち ボイラー交換 こうかん 一覧 いちらん [102]
年度 ねんど
改造 かいぞう 所 しょ
合計 ごうけい
浜松 はままつ 工場 こうじょう
鷹取 たかとり 工場 こうじょう
広島 ひろしま 工場 こうじょう
小倉 おぐら 工場 こうじょう
苗穂 なえぼ 工場 こうじょう
番号 ばんごう
両 りょう 数 かず
1955年度 ねんど
D52 105, 138 210 384
D52 6
D52 6 105, 138 210 384
5両 りょう
1956年度 ねんど
D52 335-336
D52 32, 42 134 334
D52 44, 53 133, 135, 143 219, 228 342, 348 463, 466
D52 32, 42, 44, 53 133-135, 143 219, 228 334-336 342, 348 463, 466
17両 りょう
1957年度 ねんど
D52 55 132, 136 223, 235 368, 383, 393 401, 423, 449-450
D52 24, 61, 86 109, 128 333 420
D52 79 396
D52 24, 55, 61, 79, 86 109, 128, 132, 136 223, 235 333, 368, 383, 393, 396 401, 420, 423, 449-450
21両 りょう
1958年度 ねんど
D52 70, 72 142 403
D52 29, 54 102, 148 204 337, 360, 397 448
D52 1, 50, 75-76, 99 124 406, 408, 453
D52 415
D52 1, 29, 50, 54, 70, 72, 75-76, 99 102, 124, 148 204 337, 360, 397 406, 408, 448, 453
23両 りょう
1959年度 ねんど
D52 404
D52 404
1両 りょう
1964年度 ねんど
D52 140
D52 140
1両 りょう
計 けい
両 りょう 数 かず
6両 りょう
30両 りょう
28両 りょう
3両 りょう
1両 りょう
D52 1, 6, 24, 29, 32, 42, 44, 50, 53-55, 61, 70, 72, 75-76, 79, 86, 99 102, 105, 109, 124, 128, 132-136, 138, 140, 143, 148 204, 210, 219, 223, 228, 235 333-337, 342, 348, 360, 368, 383-384. 393, 396-397 401, 404, 406, 408, 420, 423, 448-450, 453, 463, 466
68両 りょう
番号 ばんごう
D52 70, 72 142 335-336 403
D52 29, 32, 42, 54-55 102, 105, 132, 134, 136, 138, 148 204, 210, 223, 235 334, 337, 360, 368, 383-384, 393, 397 401, 404, 423, 448-450
D52 1, 6, 24, 44, 50, 53, 61, 75-76, 86, 99 109, 124, 128, 133, 135, 143 219, 228 333, 342, 348 406, 408, 420, 453, 463, 466
D52 79 396 415
D52 140
電化 でんか まで九州 きゅうしゅう で使用 しよう されていた6両 りょう のうちD52 333号機 ごうき は本 ほん 形式 けいしき で唯一 ゆいいつ 小倉 おぐら 工場 こうじょう 式 しき 切 せつ 取除 とりのけ 煙 けむり 板 ばん を装備 そうび した機体 きたい であるが、改造 かいぞう 当初 とうしょ は除 じょ 煙 けむり 板 いた 下 か 縁 えん 部 ぶ が歩 あゆ み板 いた に接 せっ する形状 けいじょう であった[124] 。一方 いっぽう 、残 のこ る5両 りょう (D52 79, 379, 396, 415, 451号機 ごうき )は除 じょ 煙 けむり 板 ばん の前半 ぜんはん 部 ぶ 下部 かぶ を斜 なな めに切除 せつじょ した形態 けいたい となっており、これは前部 ぜんぶ デッキに添乗 てんじょう する誘導 ゆうどう 員 いん の足場 あしば 確保 かくほ を目的 もくてき としたものと推測 すいそく されている[125] 。また、岡山 おかやま 機関 きかん 区 く や糸崎 いとさき 機関 きかん 区 く に配置 はいち された機体 きたい (D52 28, 32, 89, 102, 203, 354[124] , 418[126] , 466[127] 号機 ごうき など)や五稜郭 ごりょうかく 機関 きかん 区 く に配置 はいち されたD52 204号機 ごうき といった除 じょ 煙 けむり 板 ばん の前 ぜん 端 はし を短 みじか く切除 せつじょ した機体 きたい も、同様 どうよう に誘導 ゆうどう 員 いん の足場 あしば 確保 かくほ を目的 もくてき としたものと推測 すいそく されている[125]
1960年 ねん 以降 いこう に北海道 ほっかいどう に配置 はいち された機体 きたい のうち13両 りょう [注釈 ちゅうしゃく 28] [129] は苗穂 なえぼ 工場 こうじょう で耐寒 たいかん 仕様 しよう 機 き への改造 かいぞう を実施 じっし しており、その主 おも な内容 ないよう は以下 いか の通 とお りであるが、機体 きたい によって詳細 しょうさい は異 こと なる[130] 。
運転 うんてん 室 しつ 正面 しょうめん 窓 まど への旋回 せんかい 窓 まど の設置 せっち 、窓 まど 横部 よこべ へのツララ 除 の けの設置 せっち
運転 うんてん 室 しつ 側面 そくめん 窓 まど へのバタフライスクリーンの設置 せっち
運転 うんてん 室 しつ 後部 こうぶ への防寒 ぼうかん カーテンの設置 せっち
配管 はいかん 類 るい への防寒 ぼうかん カバーの設置 せっち
凍結 とうけつ 防止 ぼうし のため、清 きよし 缶 かん 剤 ざい 投入 とうにゅう 装置 そうち の撤去 てっきょ
炭水車 たんすいしゃ の水 みず タンク保温 ほおん のため、空気 くうき 圧縮 あっしゅく 器 き の排気 はいき を炭水車 たんすいしゃ へ導 みちび く配管 はいかん を設置 せっち
速度 そくど 計 けい の速度 そくど 検出 けんしゅつ 軸 じく を従 したがえ 輪 わ から第 だい 4動輪 どうりん へ変更 へんこう 。
さらにD52 56, 136, 201, 235号機 ごうき の4両 りょう は運転 うんてん 室 しつ を密閉 みっぺい 式 しき 運転 うんてん 室 しつ に改造 かいぞう している[131] 。密閉 みっぺい 式 しき 運転 うんてん 室 しつ への改造 かいぞう に当 あ たっては運転 うんてん 室 しつ 背面 はいめん に妻 つま 板 いた を、側面 そくめん に乗降 じょうこう 扉 とびら を設置 せっち しているほか、炭水車 たんすいしゃ 前部 ぜんぶ 端 はし 面 めん を平面 へいめん から3面 めん 折 おり 妻 つま として[132] 曲線 きょくせん 通過 つうか 時 じ の運転 うんてん 室 しつ との接触 せっしょく を回避 かいひ している。また、本 ほん 形式 けいしき の運転 うんてん 室 しつ は幅 はば がC62形 かたち やD51形 がた などの2800 mmより広 ひろ い2900 mmであるため、扉 とびら の把手 とって や手摺 てすり が車両 しゃりょう 限界 げんかい (2950 mm)を超 こ えないよう乗降 じょうこう 扉 とびら を側面 そくめん から47 mm奥 おく まった位置 いち に設置 せっち している[133] 。
吹田 すいた 第 だい 一 いち 機関 きかん 区 く に配置 はいち されて東海道本線 とうかいどうほんせん の東山 ひがしやま トンネルおよび逢坂山 おうさかやま トンネル を通過 つうか する運用 うんよう に使用 しよう される本 ほん 形式 けいしき の計 けい 34両 りょう [注釈 ちゅうしゃく 29] にはD62形 かたち 13両 りょう とともに鷹取 たかとり 式 しき 集 しゅう 煙 けむり 装置 そうち が装備 そうび されている[135] 。1953年 ねん にまず吹田 すいた 機関 きかん 区 く でD52 142号機 ごうき に試作 しさく 型 がた のものが、次 つぎ に1954年 ねん に鷹取 たかとり 式 しき の試作 しさく 型 がた のものがD52 229号機 ごうき にそれぞれ装備 そうび され、試作 しさく 型 がた の開閉 かいへい 機構 きこう は電車 でんしゃ 用 よう の戸 と 閉機械 きかい を転用 てんよう したものであった[134] 。その後 ご 1955年 ねん から装備 そうび された鷹取 たかとり 式 しき の集 しゅう 煙 けむり 装置 そうち は多度津 たどつ 式 しき のものから発展 はってん した空気 くうき 作動 さどう 式 しき で、本 ほん 形式 けいしき とD62形 がた のほか、D51形 かたち 、D60形 かたち 、C57形 かたち 、C58形 かたち に装備 そうび されており[136] 、開閉 かいへい 機構 きこう には多度津 たどつ 工場 こうじょう 製 せい の専用 せんよう のものが装備 そうび されている[134] 。
国府津 こうづ 機関 きかん 区 く および沼津 ぬまづ 機関 きかん 区 く に配置 はいち されて御殿場 ごてんば 線 せん で運用 うんよう されていた機体 きたい は転 うたて 車台 しゃだい のない途中 とちゅう 駅 えき 折返 おりかえ しの列車 れっしゃ をバック運転 うんてん で運行 うんこう するため、通常 つうじょう は第 だい 1 - 3動輪 どうりん の前方 ぜんぽう に設置 せっち されていた砂 すな 撒管がバック運転 うんてん 時 じ にも対応 たいおう できるよう第 だい 2 - 3動輪 どうりん の前方 ぜんぽう と第 だい 3動輪 どうりん の後方 こうほう に設置 せっち されるように改造 かいぞう されていた[125] 。
瀬野 せの 機関 きかん 区 く に配置 はいち されて山陽本線 さんようほんせん の瀬野 せの - 八本松 はちほんまつ で補助 ほじょ 機関 きかん 車 しゃ として運用 うんよう されていた機体 きたい は、1951年 ねん 以降 いこう 八本松 はちほんまつ 駅 えき を通過 つうか する列車 れっしゃ は後 こう 補 ほ 機 き の走行 そうこう 開放 かいほう を行 おこな うこととなったため[137] 、前部 ぜんぶ 端 はし 梁 はり にドレン弁 べん 作用 さよう シリンダーを転用 てんよう した連結 れんけつ 器 き の解放 かいほう テコ作用 さよう シリンダーを設置 せっち して遠隔 えんかく 操作 そうさ を可能 かのう としてい[125] 。この連結 れんけつ 器 き 自動 じどう 解放 かいほう 装置 そうち は瀬野 せの 機関 きかん 区 く が開発 かいはつ したもので、運転 うんてん 室 しつ 内 ない のコック操作 そうさ によって圧縮 あっしゅく 空気 くうき により解放 かいほう テコを押 お し上 あ げるとともに、シリンダの動作 どうさ 状態 じょうたい を運転 うんてん 室 しつ の解 かい 錠 じょう 指示 しじ 器 き で表示 ひょうじ する仕組 しく みとなっている[138] 。
広島 ひろしま 工場 こうじょう では運転 うんてん 室 しつ 特別 とくべつ 整備 せいび として、運転 うんてん 室 しつ 内 ない の採光 さいこう 改善 かいぜん のための側面 そくめん 窓 まど の拡大 かくだい 改造 かいぞう をD52 45, 125, 135, 348, 444, 467号機 ごうき の6両 りょう に実施 じっし をしている[139] 。改造 かいぞう 内容 ないよう はC59形 がた などに実施 じっし されたものと同様 どうよう のもので、側面 そくめん 前方 ぜんぽう に縦長 たてなが の固定 こてい 窓 まど を、その後方 こうほう に原型 げんけい のものより若干 じゃっかん 幅 はば が狭 せま く天地 てんち 寸法 すんぽう の大 おお きい開閉 かいへい 窓 まど を設置 せっち したもので、開閉 かいへい 窓 まど は2枚 まい 引窓 ひきまど で固定 こてい 窓 まど 部 ぶ 裏側 うらがわ に引込 ひきこ まれる構造 こうぞう となっている。
D52形 がた 主要 しゅよう 諸 しょ 元 もと 一覧 いちらん [表 ひょう 注 ちゅう 1]
形式 けいしき
D52形 かたち
(参考 さんこう )D62形 かたち
種別 しゅべつ
原形 げんけい
装備 そうび 改造 かいぞう
重量 じゅうりょう 型 がた
ボイラー区分 くぶん
ボイラー甲 かぶと ・乙 おつ (燃焼 ねんしょう 室 しつ 甲 かぶと )
ボイラー丙 へい (燃焼 ねんしょう 室 しつ 乙 おつ )
ボイラー甲 かぶと ・乙 おつ (燃焼 ねんしょう 室 しつ 甲 かぶと )
ボイラー丙 へい (燃焼 ねんしょう 室 しつ 乙 おつ )
ボイラー甲 かぶと ・乙 おつ (燃焼 ねんしょう 室 しつ 甲 かぶと )
ボイラー丙 へい (燃焼 ねんしょう 室 しつ 乙 おつ )
寸法 すんぽう
軌間 きかん
1067 mm
全長 ぜんちょう
21005 mm
21105 mm
全 ぜん 高 こう
3982 mm
固定 こてい 軸 じく 距
4650 mm
動輪 どうりん 径 みち
1400 mm
先 さき 輪 わ 径 みち
860 mm
従 したがえ 輪 わ 径 みち
860 mm
走行 そうこう 装置 そうち
軸 じく 配置 はいち
1D1
1D2
シリンダ数 すう
単式 たんしき 2気筒 きとう
弁 べん 装置 そうち
ワルシャート式 しき
シリンダ(径 みち ×行程 こうてい )
550 mm × 660 mm
先 さき 台車 だいしゃ 形式 けいしき
LT128
従 したがえ 台車 だいしゃ 形式 けいしき
LT157A/LT157B
LT254
ボイラー
ボイラー中心 ちゅうしん 高 だか
2550 mm
ボイラー内径 ないけい (第 だい 2缶 かん 胴 どう )
1846 mm
ボイラー圧力 あつりょく
1.57 MPa
ボイラー水 すい 容量 ようりょう
9.6 m3
9.5 m3
9.6 m3
9.5 m3
9.6 m3
9.5 m3
大 だい 煙管 きせる (径 みち ×長 ちょう ×本数 ほんすう )
140 mm × 5500 mm × 35本 ほん
小 しょう 煙管 きせる (径 みち ×長 ちょう ×本数 ほんすう )
57 mm × 5500 mm × 94本 ほん
火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき
3.85 m2
過熱 かねつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき
77.4 m2
全 ぜん 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき
167.5 m2
167.1 m2
167.5 m2
167.1 m2
167.5 m2
167.1 m2
煙管 きせる 蒸発 じょうはつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき
147.4 m2
火 ひ 室 しつ 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき
17.9 m2
17.5 m2
17.9 m2
17.5 m2
17.9 m2
17.5 m2
アーチ管 かん 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき
2.2 m2
煙管 きせる 伝 でん 熱 ねつ 面積 めんせき
147.7 m2
全 ぜん 伝 つて 熱 ねつ 面積 めんせき
224.9 m2
224.5 m2
224.9 m2
224.5 m2
224.9 m2
224.5 m2
運転 うんてん 整備 せいび 重量 じゅうりょう
機関 きかん 車 しゃ 重量 じゅうりょう
84.50 t[表 ひょう 注 ちゅう 2]
84.30 t
85.13 t
87.74 t
動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう
64.75 t[表 ひょう 注 ちゅう 3]
64.60 t
66.29 t
64.33 t
炭水車 たんすいしゃ 重量 じゅうりょう
54.10 t
51.76 t
総 そう 重量 じゅうりょう
138.60 t
138.40t
136.89 t
139.50 t
軸 じく 重 おも
先 さき 輪 わ
7.35 t
7.30 t
7.15 t
9.31 t
第 だい 1動輪 どうりん
16.16 t
16.02 t
15.70 t
16.04 t
第 だい 2動輪 どうりん
16.28 t[表 ひょう 注 ちゅう 4]
16.28 t
16.63 t
16.15 t
第 だい 3動輪 どうりん
16.24 t
16.24 t
16.56 t
16.22 t
第 だい 4動輪 どうりん
16.07 t
16.06 t
16.40 t
15.92 t
従 したがえ 輪 わ
12.40 t
12.40 t
12.69 t
各 かく 8.05 t
炭水車 たんすいしゃ 第 だい 1輪 りん
12.30 t
12.04 t
炭水車 たんすいしゃ 第 だい 2輪 りん
12.30 t
12.04 t
炭水車 たんすいしゃ 第 だい 3輪 りん
14.75 t
13.84 t
炭水車 たんすいしゃ 第 だい 4輪 りん
14.75 t
13.84 t
空車 くうしゃ 重量 じゅうりょう
機関 きかん 車 しゃ 重量 じゅうりょう
73.90 t
73.75 t
74.42 t
77.03t
動輪 どうりん 上 じょう 重量 じゅうりょう
56.43 t
56.32 t
56.95 t
56.46 t
炭水車 たんすいしゃ 重量 じゅうりょう
17.10 t
19.74 t
総 そう 重量 じゅうりょう
91.00 t
90.85 t
94.16 t
94.16 t
軸 じく 重 おも
先 さき 輪 わ
7.21 t
7.17 t
6.84 t
6.84 t
第 だい 1動輪 どうりん
15.78 t
15.70 t
14.99 t
14.99 t
第 だい 2動輪 どうりん
13.54 t
13.53 t
13.99 t
13.99 t
第 だい 3動輪 どうりん
13.79 t
13.78 t
14.21 t
14.21 t
第 だい 4動輪 どうりん
13.32 t
13.31 t
13.76 t
13.76 t
従 したがえ 輪 わ
10.26 t
10.26 t
10.63 t
10.63 t
炭水車 たんすいしゃ 第 だい 1輪 りん
4.21 t
5.47 t
炭水車 たんすいしゃ 第 だい 2輪 りん
4.21 t
5.47 t
炭水車 たんすいしゃ 第 だい 3輪 りん
4.34 t
4.40 t
炭水車 たんすいしゃ 第 だい 4輪 りん
4.34 t
4.40 t
炭水車 たんすいしゃ
炭水車 たんすいしゃ 形式 けいしき
12-25形 かたち
10-22AS形 がた
石炭 せきたん 搭載 とうさい 量 りょう
12.0 t
10.0 t
水槽 すいそう 容量 ようりょう
25.0 m3
22.0 m3
制動 せいどう 装置 そうち
ET6自動 じどう 空気 くうき ブレーキ
最高 さいこう 運転 うんてん 速度 そくど
85 km/h
シリンダ引張 ひっぱ 力 ちから
190.1 kN
粘着 ねんちゃく 引張 ひっぱ 力 ちから
158.7 kN
158.3 kN
162.4 kN
157.6 kN
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』掲載 けいさい の形式 けいしき 図 ず 、諸 しょ 元 もと 表 ひょう [140] をベースに一部 いちぶ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』[25] 、『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』[141] より補足 ほそく 。
^ 84.54 tとする文献 ぶんけん もある[23] 。
^ 64.79 tとする文献 ぶんけん もある[23] 。
^ 16.32 tとする文献 ぶんけん もある[23] 。
本 ほん 形式 けいしき はまず東海道 とうかいどう ・山陽本線 さんようほんせん (沼津 ぬまづ - 下関 しものせき 間 あいだ )沿線 えんせん の機関 きかん 区 く へ重点的 じゅうてんてき に配置 はいち され、続 つづ いて函館 はこだて ・室蘭本線 むろらんほんせん (函館 はこだて - 倶知安 くっちゃん 間 あいだ および長万部 おしゃまんべ - 岩見沢 いわみざわ 間 あいだ )での運用 うんよう 目的 もくてき から北海道 ほっかいどう に配置 はいち されたほか、品 しな 鶴 づる 線 せん ・山手 やまて 貨物 かもつ 線 せん ・東北 とうほく 貨物 かもつ 線 せん (新鶴見 しんつるみ 操車 そうしゃ 場 じょう - 大宮 おおみや 操車 そうしゃ 場 じょう 間 あいだ )用 よう として関東 かんとう 地方 ちほう にも投入 とうにゅう された[142] 。
本 ほん 形式 けいしき の牽引 けんいん 定数 ていすう は、1944年 ねん に行 おこな われたD52 1号機 ごうき の性能 せいのう 試験 しけん の結果 けっか に基 もと づいて一般 いっぱん 貨物 かもつ 列車 れっしゃ が19 km/hで1100 t、石炭 せきたん 列車 れっしゃ が17 km/hで1200 t運転 うんてん に設定 せってい され[32] 、東海道 とうかいどう ・山陽 さんよう 本線 ほんせん においても10 ‰勾配 こうばい で1100 t、石炭 せきたん 列車 れっしゃ は1200 tの列車 れっしゃ を牽引 けんいん するようになったが、大戦 たいせん 末期 まっき から終戦 しゅうせん 前後 ぜんこう にかけての車両 しゃりょう ・線路 せんろ の保守 ほしゅ 状 じょう 況 きょう や炭質 たんしつ の低下 ていか のため列車 れっしゃ の運行 うんこう が乱 みだ れたため[143] 、運用 うんよう 上 じょう はD51形 かたち と同 おな じ1牽引 けんいん トン数 とんすう (一般 いっぱん 貨物 かもつ 列車 れっしゃ で1000 t)に変更 へんこう され[28] 、終戦 しゅうせん 直後 ちょくご の1945年 ねん 10月 がつ には牽引 けんいん 定数 ていすう が見直 みなお されて10 ‰勾配 こうばい における牽引 けんいん トン数 とんすう が本 ほん 形式 けいしき ・D51形 かたち ともに900 tに変更 へんこう されている[143] 。この結果 けっか 、この時期 じき 1200 t列車 れっしゃ を牽引 けんいん していたのはEF12形 かたち 電気 でんき 機関 きかん 車 しゃ のみ[注釈 ちゅうしゃく 30] であった。
なお、本 ほん 形式 けいしき の重要 じゅうよう な用途 ようと でもある戦時 せんじ 輸送 ゆそう における石炭 せきたん 輸送 ゆそう 列車 れっしゃ 用 よう として、1943年 ねん から1946年 ねん にかけて戦時 せんじ 設計 せっけい の30 t積 せき 、3軸 じく 無蓋 むがい 車 しゃ であるトキ900形 かたち が8209両 りょう 製造 せいぞう されている。このトキ900形 かたち は当時 とうじ 製造 せいぞう されていた17t 積 せき 無蓋 むがい 車 しゃ のトラ6000形 かたち と全長 ぜんちょう は同 おな じ9550 mmであるが、石炭 せきたん 等 とう の積載 せきさい 荷重 かじゅう を30 tとするため、側面 そくめん は高 たか さ856 mmのあおり戸 ど の上部 じょうぶ に高 たか さ638 mmの側板 そくばん を追加 ついか した高 たか さ1500 mmのものとし、妻板 つまいた は最大 さいだい 高 だか を1800 mm(トラ6000形 かたち はそれぞれ800mm、1100mm)とし[146] 、軸 じく 重 じゅう を建設 けんせつ 規定 きてい 内 ない に収 おさ めるため3軸 じく としている[147] 。線路 せんろ 有効 ゆうこう 長 ちょう 460 m、機関 きかん 車 しゃ の牽引 けんいん トン数 とんすう 1000 tの場合 ばあい 、トキ900形 かたち と35 t積 せき 2軸 じく ボギー貨車 かしゃ の石炭 せきたん 列車 れっしゃ の比較 ひかく において、機関 きかん 車 しゃ 1両 りょう の場合 ばあい の積載 せきさい 量 りょう はトキ900形 がた の列車 れっしゃ で720 t(貨車 かしゃ 24両 りょう )、2軸 じく ボギー貨車 かしゃ の列車 れっしゃ で665 t(貨車 かしゃ 19両 りょう )、機関 きかん 車 しゃ を重 じゅう 連 れん とした場合 ばあい はトキ900形 がた の列車 れっしゃ で1220 t(貨車 かしゃ 38両 りょう )、2軸 じく ボギー貨車 かしゃ の場合 ばあい で1330 t(貨車 かしゃ 41両 りょう )となっており、製造 せいぞう 時 じ の所要 しょよう 資材 しざい 量 りょう 、工数 こうすう ともに2軸 じく ボギ ぼぎ ー車 しゃ より大幅 おおはば に少 すく ないものとなっていた[147] [注釈 ちゅうしゃく 31] 。
本 ほん 形式 けいしき が全 ぜん 機 き 出揃 でそろ った1946年 ねん 3月 がつ 末 まつ 時点 じてん の配置 はいち は以下 いか のとおりであるが、戦災 せんさい や事故 じこ 等 とう により未 み 稼働 かどう もしくは現 げん 車 くるま が存在 そんざい しない機体 きたい も含 ふく まれる。
D52形 かたち 配置 はいち 一覧 いちらん (1946年 ねん 3月 がつ 末 まつ )[102]
鉄道 てつどう 局 きょく
機関 きかん 区 く
番号 ばんごう
両 りょう 数 かず
札幌 さっぽろ 鉄道 てつどう 局 きょく
長万部 おしゃまんべ 機関 きかん 区 く
D52 21, 31, 46-52, 94-97, 111-113, 146, 151-152, 205-208, 220-222, 345-348
30両 りょう
285両 りょう
東京 とうきょう 鉄道 てつどう 局 きょく
大宮 おおみや 機関 きかん 区 く
D52 26, 131, 380-381, 402, 417-419
8両 りょう
40両 りょう
新鶴見 しんつるみ 機関 きかん 区 く
D52 28[表 ひょう 注 ちゅう 1] , 70[表 ひょう 注 ちゅう 1] , 72[表 ひょう 注 ちゅう 1] , 78, 130, 235, 420-423
10両 りょう
国府津 こうづ 機関 きかん 区 く
D52 2-3, 4[表 ひょう 注 ちゅう 1] , 5, 7[表 ひょう 注 ちゅう 1] , 8, 62, 234, 379, 382-384
12両 りょう
沼津 ぬまづ 機関 きかん 区 く
D52 59-60, 61[表 ひょう 注 ちゅう 1] , 236-238, 465[表 ひょう 注 ちゅう 1] , 466-468
10両 りょう
名古屋 なごや 鉄道 てつどう 局 きょく
静岡 しずおか 機関 きかん 区 く
D52 204, 215, 217, 360, 403[表 ひょう 注 ちゅう 2] , 409-411
8両 りょう
73両 りょう
浜松 はままつ 機関 きかん 区 く
D52 53-58, 114-115, 211-214, 216, 218-219, 361-363
18両 りょう
稲沢 いなざわ 機関 きかん 区 く
D52 1, 9-14, 41-43, 99, 133-137, 139-140, 201-203, 336-338, 375-378, 414-415, 462
31両 りょう
米原 まいばら 機関 きかん 区 く
D52 15, 44-45, 209[表 ひょう 注 ちゅう 3] , 210, 333-335, 339, 343-344, 404-405, 412-413, 416
16両 りょう
大阪 おおさか 鉄道 てつどう 局 きょく
梅小路 うめこうじ 機関 きかん 区 く
D52 354, 356-359, 364-366, 368
9両 りょう
80両 りょう
吹田 すいた 機関 きかん 区 く
D52 32-33, 102-109, 198-199, 223-233, 340-342, 353, 355, 406-407
30両 りょう
鷹取 たかとり 機関 きかん 区 く
D52 89, 110, 138, 200, 393-395, 408
8両 りょう
姫路 ひめじ 機関 きかん 区 く
D52 22-24, 29-30, 73, 74, 80-82, 83[表 ひょう 注 ちゅう 4] , 84-87, 90[表 ひょう 注 ちゅう 5] , 91[表 ひょう 注 ちゅう 6] , 92-93, 141-142, 147-149, 351-352, 367, 369-374
33両 りょう
広島 ひろしま 鉄道 てつどう 局 きょく
岡山 おかやま 機関 きかん 区 く
D52 117, 119-121, 150, 445-447, 461
9両 りょう
62両 りょう
糸崎 いとさき 機関 きかん 区 く
D52 122, 144-145, 451-453, 460
7両 りょう
広島 ひろしま 第 だい 一機関区瀬野支区[表 ひょう 注 ちゅう 7]
D52 123, 444, 449, 459
4両 りょう
広島 ひろしま 第 だい 一 いち 機関 きかん 区 く
D52 79, 98, 100, 116, 118, 124, 129, 396, 448, 450, 463-464
12両 りょう
岩国 いわくに 機関 きかん 区 く
D52 401, 443, 458
3両 りょう
小郡 おごおり 機関 きかん 区 く
D52 75-77, 101, 125-127, 132, 143, 349-350, 397-400, 454-457
19両 りょう
下関 しものせき 機関 きかん 区 く
D52 6, 25, 27, 68-69, 71, 88[表 ひょう 注 ちゅう 8] , 128
8両 りょう
東海道 とうかいどう ・山陽本線 さんようほんせん では状態 じょうたい 不良 ふりょう から本 ほん 形式 けいしき はD51形 かたち とほぼ同 どう 一 いち 性能 せいのう として運用 うんよう されていたが、1949年 ねん 5月 がつ の東海道 とうかいどう 線 せん の浜松 はままつ までの電化 でんか に合 あ わせて原 げん 設計 せっけい への復元 ふくげん 整備 せいび を実施 じっし した本 ほん 形式 けいしき を名古屋 なごや 鉄道 てつどう 局 きょく 管内 かんない に集中 しゅうちゅう 配備 はいび し、D51形 かたち が950 tを牽引 けんいん する区間 くかん で本 ほん 形式 けいしき が1100 tを牽引 けんいん した[148] 。また、同年 どうねん 6月 がつ の夏季 かき 牽引 けんいん 定数 ていすう [注釈 ちゅうしゃく 32] 制定 せいてい の際 さい に本 ほん 形式 けいしき にこれを適用 てきよう して東海道本線 とうかいどうほんせん 浜松 はままつ - 稲沢 いなざわ 操車 そうしゃ 場 じょう 間 あいだ の牽引 けんいん トン数 とんすう を1100 tから1200 tとし、EF12形 かたち ・EF13形 かたち ・EF15形 かたち による浜松 はままつ 以東 いとう の1200 t牽引 けんいん と合 あ わせて新鶴見 しんつるみ 操車 そうしゃ 場 じょう - 稲沢 いなざわ 操車 そうしゃ 場 じょう 間 あいだ で1200 t列車 れっしゃ を運転 うんてん し、同年 どうねん 末 まつ には新鶴 にいつる 操 みさお 車場 くるまば 行 ゆき として吹田 すいた 操車 そうしゃ 場 じょう から4本 ほん 、稲沢 いなざわ 操車 そうしゃ 場 じょう から1本 ほん 、浜松 はままつ から2本 ほん 、静岡 しずおか から2本 ほん の計 けい 8本 ほん の上 のぼ り列車 れっしゃ を1200 tとした[148] 。その後 ご 1952年 ねん 11月時点 じてん の東海道 とうかいどう ・山陽 さんよう 本線 ほんせん における貨物 かもつ 列車 れっしゃ の牽引 けんいん 機 き および牽引 けんいん トン数 とんすう は以下 いか の通 とお り。
東海道 とうかいどう ・山陽本線 さんようほんせん 貨物 かもつ 列車 れっしゃ 牽引 けんいん トン数 とんすう (1952年 ねん 11月)[148]
区間 くかん (勾配 こうばい )
新鶴見 しんつるみ 操車 そうしゃ 場 じょう - 稲沢 いなざわ 操車 そうしゃ 場 じょう
稲沢 いなざわ 操車 そうしゃ 場 じょう - 米原 まいばら 駅 えき (10 ‰)
米原 まいばら 駅 えき - 膳所 ぜぜ 駅 えき (10 ‰)
膳所 ぜぜ 駅 えき - 梅小路 うめこうじ 駅 えき (10 ‰)
梅小路 うめこうじ 駅 えき - 吹田 すいた 操車 そうしゃ 場 じょう
吹田 すいた 操車 そうしゃ 場 じょう - 姫路 ひめじ 操車 そうしゃ 場 じょう
姫路 ひめじ 操車 そうしゃ 場 じょう - 八本松 はちほんまつ 駅 えき (10 ‰)
八本松 はちほんまつ 駅 えき - 瀬野 せの 駅 えき (22.5 ‰)
瀬野 せの 駅 えき - 幡生 はたぶ 操車 そうしゃ 場 じょう (10 ‰)
幡生 はたぶ 操車 そうしゃ 場 じょう - 門司 もじ 操車 そうしゃ 場 じょう (25‰)
下 くだ り
EF13形 かたち ・EF15形 かたち 1200 t
D52形 かたち 1100 t
D52形 かたち 1250 t
D52形 かたち 1200 t
EF10形 かたち × 2両 りょう 1200 t
上 のぼ り
D52形 かたち 1200 t
D52形 かたち + D51形 かたち 1200 t
D52形 かたち 1350 t
D52形 かたち 1300 t
D52形 かたち 1200 t
D52形 かたち × 3両 りょう 1200 t
D52形 かたち 1200 t
また、本 ほん 形式 けいしき の牽引 けんいん トン数 とんすう の推移 すいい は以下 いか の通 とお り。
D52形 かたち 牽引 けんいん トン数 とんすう 推移 すいい [149] 上段 じょうだん :牽引 けんいん トン数 とんすう 、下段 げだん :均衡 きんこう 速度 そくど
年 とし
通貨 つうか [表 ひょう 注 ちゅう 1] 甲 かぶと A[表 ひょう 注 ちゅう 2]
通貨 つうか 丙 へい C[表 ひょう 注 ちゅう 3]
通貨 つうか 戌 いぬ A[表 ひょう 注 ちゅう 4]
通 つう 炭 ずみ [表 ひょう 注 ちゅう 5] 丙 へい C
備考 びこう
10パーミル
25パーミル
10パーミル
25パーミル
25パーミル
10パーミル
25パーミル
1943年 ねん
750 t 31 km/h
330 t 25 km/h
1100 t 19 km/h
450 t 19 km/h
-
1200 t 17 km/h
-
1945年 ねん
-
900 t 25 km/h
350 t 24 km/h
-
炭質 たんしつ 低下 ていか のため牽引 けんいん トン数 とんすう 削減 さくげん
1946年 ねん
950 t 25 km/h
1950年 ねん
1200 t 17 km/h
-
400 t 20 km/h
D52形 かたち 、D62形 がた (軸 じく 重 じゅう 軽減 けいげん 改造 かいぞう 未 み 実施 じっし )共通 きょうつう
^ 貨車 かしゃ とその他 た 車両 しゃりょう で組成 そせい された通過 つうか 列車 れっしゃ
^ 速度 そくど 種別 しゅべつ :勾配 こうばい 10パーミルで均衡 きんこう 速度 そくど 28 km/h、25パーミルで25 km/h
^ 速度 そくど 種別 しゅべつ :勾配 こうばい 10パーミルで均衡 きんこう 速度 そくど 18 km/h、25パーミルで18 km/h
^ 速度 そくど 種別 しゅべつ :勾配 こうばい 5パーミルで均衡 きんこう 速度 そくど 22 km/h
^ 石炭 せきたん だけを積載 せきさい した列車 れっしゃ で組成 そせい された通過 つうか 列車 れっしゃ
その後 ご 、関ヶ原 せきがはら や船坂峠 ふなさかとうげ といった10 ‰勾配 こうばい の連続 れんぞく する区間 くかん も含 ふく む東海道 とうかいどう ・山陽本線 さんようほんせん 全線 ぜんせん での1200 t貨物 かもつ 列車 れっしゃ 運転 うんてん に使用 しよう された一方 いっぽう で、ワキ1形 かたち やワキ1000形 かたち などで編成 へんせい された急行 きゅうこう 貨物 かもつ 列車 れっしゃ も牽引 けんいん している[150] [151] 。東海道 とうかいどう 本線 ほんせん は1949年 ねん に浜松 はままつ 間 あいだ が電化 でんか され、以降 いこう 1953年 ねん に稲沢 いなざわ まで、1955年 ねん に米原 まいばら 、1956年 ねん に京都 きょうと までが電化 でんか されて東京 とうきょう - 神戸 こうべ 間 あいだ が電化 でんか され、一方 いっぽう 、山陽本線 さんようほんせん は1958年 ねん に西明石 にしあかし - 姫路 ひめじ 間 あいだ が電化 でんか され、以降 いこう 1959年 ねん に上郡 かみごおり まで、1960年 ねん に倉敷 くらしき 、1961年 ねん に三原 みはら 、1962年 ねん に横川 よこかわ までと順次 じゅんじ 電化 でんか 区間 くかん が延伸 えんしん され、1964年 ねん 7月 がつ 25日 にち の横川 よこかわ - 小郡 おごおり 間 あいだ の電化 でんか により全線 ぜんせん 電化 でんか されて本 ほん 形式 けいしき の運用 うんよう 区間 くかん も順次 じゅんじ 短縮 たんしゅく されていったが、柳井 やない 機関 きかん 区 く と小郡 おごおり 機関 きかん 区 く に配置 はいち された本 ほん 形式 けいしき の一部 いちぶ は1966年 ねん 6月 がつ まで使用 しよう されていた[152] 。
山陽本線 さんようほんせん の瀬野 せの - 八本松 はちほんまつ 間 あいだ の通称 つうしょう 「瀬野 せの 八 はち 」(10.6 km)は特 とく に上 のぼ り線 せん で22.6 ‰の勾配 こうばい が連続 れんぞく する難所 なんしょ で補助 ほじょ 機関 きかん 車 しゃ を使用 しよう して運転 うんてん されていた。補 ほ 機 き には1931年 ねん からD50形 かたち が[153] 、1935-36年 ねん からはC52形 かたち が[154] 使用 しよう され、さらに1941年 ねん からはD51形 かたち が[137] 使用 しよう されたが、1945-46年 ねん に本 ほん 形式 けいしき が瀬野 せの 支 ささえ 区 く に配置 はいち されて使用 しよう されている[102] 。本 ほん 形式 けいしき は同 どう 区間 くかん を通 とお る上 のぼ り旅客 りょかく 列車 れっしゃ と軽量 けいりょう の貨物 かもつ 列車 れっしゃ には単機 たんき 、重量 じゅうりょう 貨物 かもつ 列車 れっしゃ には重 じゅう 連 れん で使用 しよう されており、特急 とっきゅう 列車 れっしゃ では広島 ひろしま から補 ほ 機 き が連結 れんけつ され、その後部 こうぶ にはテールマーク が設置 せっち されていた[137] 。その後 ご 1962年 ねん 5月12日 にち にこの区間 くかん を含 ふく む山陽 さんよう 本線 ほんせん の三原 みはら - 広島 ひろしま 間 あいだ が電化 でんか がされて翌 よく 1963年 ねん からはEF59形 かたち が使用 しよう されるようになったが、本 ほん 形式 けいしき の補 ほ 機 き は1964年 ねん 6月 がつ まで使用 しよう されていた[152] 。
大宮 おおみや 機関 きかん 区 く と新鶴見 しんつるみ 機関 きかん 区 く に配置 はいち された機体 きたい は1946年 ねん から1954年 ねん まで東北 とうほく 貨物 かもつ 線 せん 、赤羽線 あかばねせん 、山手 やまて 貨物 かもつ 線 せん 、品 しな 鶴 づる 線 せん で使用 しよう されており、大宮 おおみや - 赤羽 あかはね - 大崎 おおさき - 新鶴見 しんつるみ 間 あいだ でD51形 がた とともに貨物 かもつ 列車 れっしゃ を牽引 けんいん している[155] 。
御殿場 ごてんば 線 せん では国府津 こうづ 機関 きかん 区 く と沼津 ぬまづ 機関 きかん 区 く に配置 はいち された機体 きたい が1945年 ねん から使用 しよう され、沼津 ぬまづ 機関 きかん 区 く の機体 きたい は同線 どうせん 用 よう の機体 きたい が国府津 こうづ 機関 きかん 区 く に集約 しゅうやく される1961年 ねん まで、国府津 こうづ 機関 きかん 区 く の機体 きたい は1968年 ねん まで使用 しよう され[156] 、貨物 かもつ 列車 れっしゃ のほか旅客 りょかく 列車 れっしゃ も本 ほん 形式 けいしき が牽引 けんいん していた[注釈 ちゅうしゃく 33] 。なお、1969年 ねん 4月 がつ 23日 にち の東海道 とうかいどう 本線 ほんせん の土砂崩 どしゃくず れや1965年 ねん 6月 がつ 20日 はつか の早川 はやかわ 橋梁 きょうりょう 架 か 替 がえ 工事 こうじ の際 さい には本 ほん 形式 けいしき による御殿場 ごてんば 線 せん への迂回 うかい 運転 うんてん が実施 じっし されており[157] 、本 ほん 形式 けいしき が特急 とっきゅう ・急行 きゅうこう 列車 れっしゃ の牽引 けんいん にも使用 しよう されている[158] 。
岩徳線 がんとくせん でも旅客 りょかく 列車 れっしゃ や貨物 かもつ 列車 れっしゃ を牽引 けんいん している[159] 。
吹田 すいた 機関 きかん 区 く に配置 はいち された機体 きたい は1958年 ねん 頃 ごろ から梅田 うめだ 貨物 かもつ 線 せん や城東 じょうとう 貨物 かもつ 線 せん でも運用 うんよう されるようになり、梅田 うめだ 貨物 かもつ 線 せん では新幹線 しんかんせん 開業 かいぎょう の頃 ころ まで、城東 じょうとう 貨物 かもつ 線 せん では1969年 ねん まで貨物 かもつ 列車 れっしゃ を牽引 けんいん しており、最終 さいしゅう 的 てき にはD52 28, 142号機 ごうき の2両 りょう が使用 しよう されていた[160] [159] 。
鹿児島本線 かごしまほんせん では東海道 とうかいどう 本線 ほんせん の電化 でんか により余剰 よじょう となった機体 きたい が1955年 ねん 11月に6両 りょう 、1956年 ねん 7-8月 がつ に1955年 ねん に配置 はいち となった機体 きたい と入替 いれか わりで3両 りょう が門司 もじ - 鳥栖 とす 間 あいだ の貨物 かもつ 列車 れっしゃ 牽引 けんいん 用 よう として門司 もじ 機関 きかん 区 く の配置 はいち となったが[161] 、1961年 ねん の門司 もじ - 久留 くる 米 よね 間 あいだ 電化 でんか により全車 ぜんしゃ が休 きゅう 車 しゃ となり、廃車 はいしゃ となった1両 りょう を除 のぞ き翌年 よくねん までに本州 ほんしゅう へ転属 てんぞく した[162] 。
D52 468(京都 きょうと 鉄道 てつどう 博物館 はくぶつかん )
戦時 せんじ 中 ちゅう に函館 はこだて ・室蘭本線 むろらんほんせん 用 よう として長万部 おしゃまんべ 機関 きかん 区 く に配属 はいぞく されていた本 ほん 形式 けいしき は全 ぜん 機 き が1950年 ねん にかけて本州 ほんしゅう へ転属 てんぞく もしくは廃車 はいしゃ となった[102] が、1960年 ねん に函館 はこだて ・室蘭本線 むろらんほんせん の函館 はこだて - 東室蘭 ひがしむろらん ・鷲別 わしべつ 間 あいだ の重 じゅう 貨物 かもつ 列車 れっしゃ 牽引 けんいん 用 よう として五稜郭 ごりょうかく 機関 きかん 区 く に本 ほん 形式 けいしき が改 あらた めて配置 はいち されている[163] 。この時 とき に配置 はいち となった機体 きたい は山陽本線 さんようほんせん の電化 でんか に伴 ともな い余剰 よじょう となった姫路 ひめじ 第 だい 一 いち 機関 きかん 区 く 所属 しょぞく の8両 りょう (D52 56, 136, 138, 202, 204, 235, 404, 468号機 ごうき )と岡山 おかやま 機関 きかん 区 く 所属 しょぞく の5両 りょう (D52 140, 201, 217, 400, 414号機 ごうき )の計 けい 13両 りょう [164] であり、また、1964年 ねん に糸崎 いとさき 機関 きかん 区 く からの3両 りょう (D52 89, 418, 422号機 ごうき )が配置 はいち となったが翌 よく 1965年 ねん に廃車 はいしゃ となり、1968年 ねん に吹田 すいた 第 だい 一 いち 機関 きかん 区 く から2両 りょう (D52 28, 142号機 ごうき )が配属 はいぞく となったが、同年 どうねん 中 ちゅう に他 た の3両 りょう (D52 201, 217, 400号機 ごうき )とともに廃車 はいしゃ となった[102] 。残 のこ る10両 りょう のうち1972年 ねん 12月に4両 りょう (D52 56, 138, 204, 404号機 ごうき )、翌 よく 1973年 ねん に4両 りょう (D52 136, 140, 235, 414号機 ごうき )が廃車 はいしゃ となったほか、1973年 ねん に門司 もじ 機関 きかん 区 く に展示 てんじ 用 よう として貸出 かしだ されたD52 202号機 ごうき が1975年 ねん に、梅小路 うめこうじ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 館 かん に保存 ほぞん されるために1972年 ねん 9月 がつ に梅小路 うめこうじ 機関 きかん 区 く に移動 いどう していたD52 468号機 ごうき が1979年 ねん に廃車 はいしゃ となっている[102] 。
参考 さんこう として、1962年 ねん 6月 がつ 1日 にち 時点 じてん の配置 はいち 表 ひょう は以下 いか の通 とお り(総数 そうすう 154両 りょう )。
D52形 かたち 配置 はいち 一覧 いちらん (1962年 ねん 6月 がつ 1日 にち )
鉄道 てつどう 管理 かんり 局 きょく
機関 きかん 区 く
番号 ばんごう
両 りょう 数 かず
青函 せいかん 船舶 せんぱく 鉄道 てつどう 管理 かんり 局 きょく
五稜郭 ごりょうかく 機関 きかん 区 く
D52 56, 136, 138, 140, 201-202, 204, 217, 235, 400, 404, 414, 468
13両 りょう
154両 りょう
東京 とうきょう 鉄道 てつどう 管理 かんり 局 きょく
国府津 こうづ 機関 きかん 区 く
D52 62, 70, 72, 236, 335, 403, 460
7両 りょう
大阪 おおさか 鉄道 てつどう 管理 かんり 局 きょく
吹田 すいた 第 だい 一 いち 機関 きかん 区 く
D52 142, 148, 200, 203, 229, 232, 340, 355, 382, 405, 466
11両 りょう
12両 りょう
鷹取 たかとり 機関 きかん 区 く
D52 216
1両 りょう
岡山 おかやま 鉄道 てつどう 管理 かんり 局 きょく
岡山 おかやま 機関 きかん 区 く
D52 15, 32, 55, 102, 105, 117, 134, 210, 218, 223, 354, 383, 384, 424
14両 りょう
22両 りょう
糸崎 いとさき 機関 きかん 区 く
D52 10, 13, 28, 89, 418, 421-422, 452
8両 りょう
広島 ひろしま 鉄道 てつどう 管理 かんり 局 きょく
瀬野 せの 機関 きかん 区 く
D52 12, 48, 101, 118, 123, 126, 128, 129, 131, 133, 146, 398, 417, 463
14両 りょう
94両 りょう
広島 ひろしま 第 だい 一 いち 機関 きかん 区 く
D52 11, 14, 45, 50, 52-53, 71, 75, 76, 92, 98-100, 122, 124, 130, 135, 139, 143, 144, 149, 213, 228, 341-342, 348, 356, 373, 376, 378, 406, 408, 416
33両 りょう
柳井 やない 機関 きかん 区 く
D52 2, 29, 54, 58, 68, 108, 214, 234, 237, 369, 370, 372, 402, 453, 457, 467
16両 りょう
小郡 おごおり 機関 きかん 区 く
D52 1, 3, 6, 24, 31, 33, 41, 43, 57, 60, 61, 81, 86, 109, 115, 125, 137, 198, 199, 219, 224, 225, 361, 362, 363, 393, 420, 444, 454, 456, 459
31両 りょう
門司 もじ 鉄道 てつどう 管理 かんり 局 きょく
門司 もじ 機関 きかん 区 く
D52 79, 333, 379, 396, 415, 451
6両 りょう
また、年代 ねんだい ごとの配置 はいち 両 りょう 数 かず の変遷 へんせん は以下 いか の通 とお り
^ 石炭 せきたん 、鉄鋼 てっこう 、アルミニウム 、造船 ぞうせん 、航空機 こうくうき 、1942年 ねん 11月に内閣 ないかく に設置 せっち された臨時 りんじ 生産 せいさん 増強 ぞうきょう 委員 いいん 会 かい 設置 せっち 要綱 ようこう [10] による
^ 揮発 きはつ 性 せい 成分 せいぶん は不完全 ふかんぜん 燃焼 ねんしょう を起 お こしやすく、完全 かんぜん 燃焼 ねんしょう させるためには火 ひ 室 しつ 内 ない での滞留 たいりゅう 時間 じかん を長 なが くする必要 ひつよう があるとされている[36] 。
^ 鉄道 てつどう 省 しょう (国鉄 こくてつ )の国産 こくさん 過熱 かねつ 式 しき 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ で火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき /火 ひ 室 しつ 容積 ようせき 比 ひ がこの範囲 はんい の火 ひ 室 しつ を有 ゆう するのは8620形 かたち 、C50形 かたち および本 ほん 形式 けいしき と本 ほん 形式 けいしき のボイラーを使用 しよう するD62形 かたち 、C62形 かたち のみとなっている[38] 。
^ 1929年 ねん の第 だい 13回 かい 車両 しゃりょう 研究 けんきゅう 会 かい において、南 みなみ 満 まん 洲 しゅう 鉄道 てつどう から「火 ひ 室 しつ 容積 ようせき が過小 かしょう なときは炭素 たんそ および揮発 きはつ 物 ぶつ は火 ひ 室 しつ 内 ない で酸素 さんそ と十分 じゅうぶん に混合 こんごう する時 とき 間 あいだ を与 あた えられずに、煙管 きせる に入 はい るため完全 かんぜん な燃焼 ねんしょう が行 おこな われず煙突 えんとつ から逃 に げる損失 そんしつ が増大 ぞうだい してボイラの効率 こうりつ を低下 ていか する。火 ひ 室 しつ 容積 ようせき を制限 せいげん なく大 だい にすることも不可 ふか であって、火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき に対 たい して適当 てきとう な比 ひ を持 も つべきである。火 ひ 格子 こうし 面積 めんせき 1 m2 に対 たい して1.6 - 2 m3 の火 ひ 室 しつ 容積 ようせき を持 も つのがよい(以下 いか 略 りゃく )」との意見 いけん がなされている[37] 。
^ 1933年度 ねんど の車両 しゃりょう 研究 けんきゅう 会 かい 特別 とくべつ 委員 いいん 会 かい では、減却 げんきゃく 償却 しょうきゃく を考慮 こうりょ しても相当 そうとう な利点 りてん があり、ボイラーの保守 ほしゅ 上 うえ も有効 ゆうこう なことが認 みと められ「将来 しょうらい 大形 おおがた 機関 きかん 車 しゃ を設計 せっけい するときはこれを参考 さんこう とする」との決議 けつぎ がなされた[40] 。
^ LTはLocomotive truckの略 りゃく 、百 ひゃく 位 い は軸 じく 数 すう 、十 じゅう 位 い は復元 ふくげん 装置 そうち の方式 ほうしき で1:エコノミー式 しき 、2:コロ式 しき 、3:傾斜 けいしゃ 面 めん 式 しき 、4:リンク式 しき 、5:バネ式 しき 、一 いち 位 い は製造 せいぞう 順 じゅん をそれぞれ表 あらわ している[48] 。
^ 1936年 ねん の第 だい 27回 かい 車両 しゃりょう 研究 けんきゅう 会 かい で取 と り上 あ げられたもので、「主 おも 台 だい ワク板 ばん を鋳鋼 ちゅうこう 製 せい とすることの可否 かひ は現状 げんじょう では一概 いちがい に断定 だんてい できない。機関 きかん 車 しゃ の設計 せっけい に当 とう つて適当 てきとう に選択 せんたく すべきである」と決議 けつぎ された[54] 。
^ 機関 きかん 車 しゃ の台 たい 枠 わく に厚 あつ 鋼板 こうはん を使用 しよう することは、軍艦 ぐんかん の装甲 そうこう 板 いた 用 よう 厚 あつ 鋼板 こうはん 製造 せいぞう ラインを維持 いじ する目的 もくてき があった[54] 。
^ 書類 しょるい 上 じょう ではD51 354-359, 403-405号機 ごうき の計 けい 9両 りょう が鋳鋼 ちゅうこう 製 せい 台 だい 枠 わく を使用 しよう していると確認 かくにん できる[56] 。
^ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』ではD52 380-384号機 ごうき の5両 りょう とされている[63] 。また、D52 362号機 ごうき およびD62 16号機 ごうき の第 だい 3動輪 どうりん 、D52 16号機 ごうき の第 だい 2動輪 どうりん もディスク輪 わ 心 しん のものを装備 そうび していたことがあるが、これらは後年 こうねん の振替 ふりかえ によるものとされている[61] 一方 いっぽう 、D52 383号機 ごうき の第 だい 4動輪 どうりん は後年 こうねん 通常 つうじょう のボックス輪 わ 心 しん のものを装備 そうび している[63] 。
^ Westinghouse Air Brake Company, Pittsburgh (WABCO)
^ 0.288 m3 のD51形 かたち や0.203 m3 のC57形 がた (戦前 せんぜん 型 がた )、0.244 m3 のC59形 がた (戦前 せんぜん 型 がた )よりは大 だい 容量 ようりょう であるが、0.368 m3 のC57形 がた (戦後 せんご 型 がた )や0.380 m3 のC59形 がた (戦後 せんご 型 がた )およびC62形 かたち 、0.381 m3 のC61形 かたち よりは容量 ようりょう が小 ちい さいものとなっている[69] 。
^ 同 どう 時期 じき の戦時 せんじ 型 がた D51と同様 どうよう な省力 しょうりょく 化 か ・省 しょう 資材 しざい 化 か の手法 しゅほう で、モノコック構造 こうぞう の鉄道 てつどう 車両 しゃりょう への本格 ほんかく 採用 さいよう が1950年代 ねんだい 中期 ちゅうき 近 ちか くとなった日本 にっぽん における、例外 れいがい 的 てき な採用 さいよう 例 れい であり、一部 いちぶ の設計 せっけい を変更 へんこう した形 かたち で終戦 しゅうせん 後 のち に増 ぞう 備された中 なか ・大型 おおがた の旅客 りょかく 用 よう 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ にも導入 どうにゅう されている。
^ 無 む 台 たい 枠 わく 構造 こうぞう の炭水車 たんすいしゃ は遣 や 独 どく 潜水 せんすい 艦 かん 作戦 さくせん でもたらされたドイツの最新 さいしん 技術 ぎじゅつ 資料 しりょう に含 ふく まれていたドイツ国鉄 こくてつ の戦時 せんじ 設計 せっけい 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ である52形 かたち の炭水車 たんすいしゃ に刺激 しげき されたものという説 せつ がある[72] 。
^ アメリカのBettendorf Axel Companyが開発 かいはつ したもので、この台車 だいしゃ やD51形 かたち 戦時 せんじ 型 がた の10-20形 かたち 炭水車 たんすいしゃ が使用 しよう したLT205形 かたち はその後 ご 、軸 じく 距を元 もと の1,700 mm から1,650 mm に縮小 しゅくしょう 改 あらため 設計 せっけい した上 うえ で、1948年 ねん 製 せい のトキ15000形 かたち 以降 いこう 、多 おお くの貨車 かしゃ にTR41形 がた として使用 しよう されている。
^ 鉄道 てつどう 省 しょう の工場 こうじょう は1942年 ねん 9月 がつ に工 こう 機 き 部 ぶ に改称 かいしょう され、1950年 ねん 8月 がつ に工場 こうじょう という名称 めいしょう に戻 もど されている[78] 。
^ 機関 きかん 車 しゃ 番号 ばんごう 「1」は、最 もっと も早 はや く完成 かんせい させた工場 こうじょう に当時 とうじ の東條 とうじょう 総理 そうり 大臣 だいじん を迎 むか えて渡 わた されるとされていたため、1943年 ねん 9月 がつ から製造 せいぞう を開始 かいし し浜松 はままつ ・鷹取 たかとり の両 りょう 工 こう 機 き 部 ぶ が早期 そうき 竣工 しゅんこう を競 きそ った。当初 とうしょ 鷹取 たかとり 工 こう 機 き 部 ぶ は浜松工 はままつこう 機 き 部 ぶ より5 - 10日 とおか 程度 ていど 製造 せいぞう 工程 こうてい が遅 おく れていたが、浜松 はままつ を追 お い抜 ぬ こうという合言葉 あいことば のもとにいろいろな悪条件 あくじょうけん を克服 こくふく し、徹夜 てつや 作業 さぎょう で数日 すうじつ は家 いえ に帰 かえ らぬ者 もの も多 おお く、1943年 ねん 12月17日 にち 23時 じ 、初号 しょごう 機 き の構内 こうない 試運転 しうんてん を実施 じっし して浜松工 はままつこう 機 き 部 ぶ より1日 にち 早 はや く竣工 しゅんこう させた。しかし、機関 きかん 車 しゃ の竣工 しゅんこう 直前 ちょくぜん になって東京 とうきょう 側 がわ に近 ちか い工場 こうじょう から順次 じゅんじ 機関 きかん 車 しゃ 番号 ばんごう が割当 わりあ てられることになり、初号 しょごう 機 き は「D52 21」となった[79] 。
^ 煙 けむり 室 しつ 扉 とびら の気密 きみつ がよくない場合 ばあい 、そこから入 はい った空気 くうき とシンダが接触 せっしょく して煙 けむり 室 しつ 内 ない で燃焼 ねんしょう することにより煙 けむり 室 しつ が焼損 しょうそん し、これにより煙 けむり 室 しつ 扉 とびら が歪 いが んでさらに気密 きみつ 性 せい が悪 わる くなる。
^ 1945年 ねん 8月 がつ 11日 にち に山陽本線 さんようほんせん 万富 まんとみ 駅 えき でボイラーが破裂 はれつ する事故 じこ が発生 はっせい 。乗務 じょうむ 員 いん は50 mも吹 ふ き飛 と ばされた。1945年 ねん 12月7日 にち には、三 さん 石 せき - 吉永 よしなが 間 あいだ でD52 371号機 ごうき の焚口 たきぐち から蒸気 じょうき が噴 ふ き出 だ す事故 じこ が発生 はっせい し、乗務 じょうむ 員 いん が飛 と ばされた。これは、火 ひ 室 しつ の中 なか の天井板 てんじょういた の破裂 はれつ が原因 げんいん である[90] 。
^ 缶 かん 胴 どう と煙 けむり 室 しつ 管 かん 板 いた の間 ま の前 ぜん 隅 すみ 板 ばん 控 ひかえ も後 こう 隅 すみ 板 ばん 控 ひかえ と同様 どうよう に板 いた 厚 あつ を薄 うす くして溶接 ようせつ 構造 こうぞう としているが、使用 しよう 状 じょう 況 きょう は後 こう 隅 すみ 板 ばん 控 ひかえ と比 くら べ良好 りょうこう であった。
^ 旅客 りょかく 用 よう のC59形 がた の戦後 せんご 製造 せいぞう の機体 きたい の炭水車 たんすいしゃ も同様 どうよう の構造 こうぞう であったが、こちらは支障 ししょう なく運用 うんよう されていたため、貨物 かもつ 用 よう の本 ほん 形式 けいしき における不具合 ふぐあい は、貨車 かしゃ 入 いれ 換 かわ 中 なか の車 くるま 端 はし 衝撃 しょうげき が最大 さいだい の要因 よういん と考 かんが えられている[95]
^ 約 やく 20 km/h以下 いか ではシリンダー牽引 けんいん 力 りょく が同 おな じD51形 かたち と同等 どうとう の性能 せいのう 、ボイラー蒸発 じょうはつ 力 りょく に依存 いぞん する約 やく 25 km/h以上 いじょう ではD52形 かたち と同等 どうとう の性能 せいのう で、約 やく 20 - 25 km/hでは両 りょう 形式 けいしき の中間 ちゅうかん の性能 せいのう であった[101] 。
^ C62 2-3号機 ごうき 向 む けのものの機関 きかん 部 ぶ には南 みなみ 満 まん 洲 しゅう 鉄道 てつどう 向 む けの在庫 ざいこ 品 ひん が流用 りゅうよう されているほか、本省 ほんしょう 基本形 きほんけい の機関 きかん 部分 ぶぶん はシリンダ径 みち × ストロークが120 mm × 120 mmの小型 こがた のものとなっている[106] 。
^ D52 32, 89, 102, 198号機 ごうき など[117] 。
^ D52 136号機 ごうき は角 すみ ブッシュ式 しき の主 しゅ 連 れん 棒 ぼう を装備 そうび するが、その経緯 けいい や他 た の機体 きたい にも存在 そんざい するかは不明 ふめい である[119] 。
^ 特 とく に長距離 ちょうきょり 運用 うんよう に適 てき することが判明 はんめい したものの[118] 、使用 しよう するグリースにより保守 ほしゅ に難易 なんい があり、試験 しけん 当時 とうじ では輸入 ゆにゅう 品 ひん のグリース以外 いがい は成功 せいこう しておらず、良質 りょうしつ な国産 こくさん グリースの研究 けんきゅう が進 すす められていた[120] 。
^ 山科 やましな 駅 えき 構内 こうない で発生 はっせい したもので、設計 せっけい 上 じょう では1枚 まい 板 いた の設計 せっけい であった火 ひ 室 しつ 部 ぶ を突合溶接 ようせつ で組立 くみた てていたものが疲労 ひろう 破壊 はかい したと考 かんが えられている [86] 。
^ D52 28, 89, 136, 138, 140, 201-202, 204, 217, 235, 400, 404, 414, 468号機 ごうき [128] 。
^ D52 1, 4, 43, 56-58, 109, 115, 130, 136-138, 142, 148-149, 198, 202-204, 224-225, 229, 232, 235, 340, 362-363, 365, 373, 376, 404-405, 468号機 ごうき [134] 。
^ 戦時 せんじ 設計 せっけい のEF13形 かたち は設計 せっけい 上 じょう はEF12形 かたち と同一 どういつ 性能 せいのう であったが、当初 とうしょ は牽引 けんいん 定数 ていすう は同 どう 形式 けいしき より低 ひく く設定 せってい されており[144] 、1948年 ねん の装備 そうび 改造 かいぞう 以降 いこう にEF12形 かたち と同 おな じく東海道 とうかいどう 本線 ほんせん において1200 t牽引 けんいん となった[145] 。
^ このほか、全 ぜん 軸 じく 距5500 mmがあるのに対 たい し建設 けんせつ 規定 きてい の固定 こてい 軸 じく 距制限 せいげん が4600 mmであるため、3軸 じく とも横 よこ 動 どう 量 りょう を付与 ふよ した可動 かどう 軸 じく としたほか[146] 、中 ちゅう 梁 はり を側 がわ 梁 はり よりも110mm 低 ひく くして連結 れんけつ 器 き の中心 ちゅうしん 線 せん と同一 どういつ 高 たか さとして車 くるま 端 はし 衝撃 しょうげき による曲 ま げモーメントを0とすることで、中 ちゅう 梁 はり の断面 だんめん を小 ちい さいものとして資材 しざい の節約 せつやく を図 はか ったことが特徴 とくちょう となっている[147]
^ 経営 けいえい 合理 ごうり 化 か の一環 いっかん として設定 せってい されたもので、夏期 かき と冬期 とうき の温度 おんど 差 さ による走行 そうこう 抵抗 ていこう ならびに蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 性能 せいのう の相違 そうい を考慮 こうりょ して、隧道 すいどう 区間 くかん および粘着 ねんちゃく 力 りょく の影響 えいきょう の小 ちい さい区間 くかん の牽引 けんいん 定数 ていすう を10 %向上 こうじょう した[148] 。
^ 25 ‰の勾配 こうばい が連続 れんぞく する路線 ろせん ではあるが輸送 ゆそう 量 りょう は多 おお くない御殿場 ごてんば 線 せん への本 ほん 形式 けいしき の配置 はいち について、鉄道 てつどう ファンの松本 まつもと 謙一 けんいち は東海道 とうかいどう 線 せん 支障 ししょう 時 じ の迂回 うかい 運転 うんてん や東 ひがし 富士 ふじ 演習 えんしゅう 場 じょう への兵器 へいき 等 ひとし の運搬 うんぱん 等 とう のためと推測 すいそく している[157] 。
^ 復元 ふくげん に際 さい し中心 ちゅうしん 的 てき な役割 やくわり を担 にな っていた国鉄 こくてつ OBが直後 ちょくご に急逝 きゅうせい し、次回 じかい の運行 うんこう を中止 ちゅうし すると報 ほう じられた[178] が、役割 やくわり は国鉄 こくてつ OBと交流 こうりゅう があった人物 じんぶつ に引継 ひきつ がれた[179]
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』 p.17
^ 「戦時 せんじ 陸運 りくうん ノ非常 ひじょう 体制 たいせい 確立 かくりつ ニ関 せき スル件 けん 」(国立 こくりつ 国会図書館 こっかいとしょかん リサーチ・ナビ)
^ 「戦時 せんじ 陸運 りくうん 非常 ひじょう 体制 たいせい 確立 かくりつ 方策 ほうさく 要綱 ようこう 」『経済 けいざい 基本 きほん 方策 ほうさく 要綱 ようこう 』東京商工会議所 とうきょうしょうこうかいぎしょ 商工 しょうこう 資料 しりょう 第 だい 88号 ごう (国立 こくりつ 国会図書館 こっかいとしょかん デジタルコレクション)
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』 p.18
^ 『日本 にっぽん 国鉄 こくてつ の戦時 せんじ 動員 どういん と陸運 りくうん 転移 てんい の展開 てんかい 』 p.6
^ 『日本 にっぽん 国鉄 こくてつ の戦時 せんじ 動員 どういん と陸運 りくうん 転移 てんい の展開 てんかい 』 p.4
^ 『日本 にっぽん 国鉄 こくてつ の戦時 せんじ 動員 どういん と陸運 りくうん 転移 てんい の展開 てんかい 』 p.7
^ 『日本 にっぽん 国鉄 こくてつ の戦時 せんじ 動員 どういん と陸運 りくうん 転移 てんい の展開 てんかい 』 p.16
^ 「鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ノ計画 けいかく 増産 ぞうさん 確保 かくほ ニ関 せき スル件 けん 」(国立 こくりつ 国会図書館 こっかいとしょかん リサーチ・ナビ)
^ 「臨時 りんじ 生産 せいさん 増強 ぞうきょう 委員 いいん 会 かい 設置 せっち 要綱 ようこう 」(国立 こくりつ 国会図書館 こっかいとしょかん リサーチ・ナビ)
^ 「許可 きょか 認可 にんか 等 とう 臨時 りんじ 措置 そち 法 ほう 」(国立 こくりつ 公文書 こうぶんしょ 館 かん デジタルアーカイブ)
^ 『日本 にっぽん 国鉄 こくてつ の戦時 せんじ 動員 どういん と陸運 りくうん 転移 てんい の展開 てんかい 』 p.18
^ 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.86, 105, 116, 130, 153, 169
^ 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.169
^ a b 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.116
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.436-440
^ a b c 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.435
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.441
^ a b c 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.446
^ a b c 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.146, 189
^ 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.159, 161
^ a b 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.597
^ a b c d e 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.150
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.166
^ a b c 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.599
^ a b c d 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.446-447
^ a b c d 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.188-189
^ a b c 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.601
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.285
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.339
^ a b c d e 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.447-451
^ a b c d e f g h i j k l m 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.153
^ a b 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.148, 156
^ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.540-541
^ a b c d e 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.152
^ a b c 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.144
^ a b c 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.305-306
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.304
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.305
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.306
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.295
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.294
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.296
^ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.512
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.253
^ a b c 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.151
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.288
^ 『新 しん 訂 てい 機関 きかん 車 しゃ 基礎 きそ 工学 こうがく 』 p.105
^ a b 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.91
^ 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.110
^ 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.14, 27
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.270-275
^ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.619
^ a b c d 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.347-348
^ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.589
^ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.590
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.442
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.443
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.411-413
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.451
^ a b 『D52物語 ものがたり 』 p.66
^ 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.155
^ a b c d 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.602
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.68
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.39
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.421-422
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.115
^ 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.197
^ a b c 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.310
^ a b c 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.157
^ a b c 『形式 けいしき 別 べつ 国鉄 こくてつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ IV』 p.502
^ a b c 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.598
^ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.445
^ 「蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 四方山話 よもやまばなし 第 だい 25回 かい 国鉄 こくてつ 唯一 ゆいいつ のヘビー・ミカドD52形 かたち 」高木 たかぎ 宏之 ひろゆき 『国鉄 こくてつ 時代 じだい 』2014年 ねん 5月 がつ 号 ごう (vol.37) p.75
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.443, 446
^ 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.122
^ a b 『D52物語 ものがたり 』 p.25
^ 『形式 けいしき 別 べつ 国鉄 こくてつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ IV』 p.502-505
^ 蒸 ふけ 機 き とともに一 いち 世紀 せいき . 高輪 たかなわ 印刷 いんさつ 株式会社 かぶしきがいしゃ 日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 鷹取 たかとり 工場 こうじょう 編集 へんしゅう . (1970年 ねん 9月30日 にち ). p. 100
^ 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.119
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.6
^ a b c d 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.600
^ a b 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.124
^ a b c d 『形式 けいしき 別 べつ 国鉄 こくてつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ IV』 p.502-503
^ 『機関 きかん 車 しゃ 表 ひょう 』 p.2153-2154
^ a b c 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.154
^ 川上 かわかみ 幸義 ゆきよし 『私 わたし の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 下巻 げかん 』 1981年 ねん 5月 がつ p.364
^ a b c 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.447
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.448
^ おのつよし 『日本 にっぽん の鉄道 てつどう 100ものがたり』文藝春秋 ぶんげいしゅんじゅう 文春 ぶんしゅん 文庫 ぶんこ 1991年 ねん 5月 がつ 10日 とおか pp.318 - 321 「爆発 ばくはつ する機関 きかん 車 しゃ 」
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.187
^ a b c 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.154
^ 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.49
^ a b c d 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.449
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.450
^ 『機関 きかん 車 しゃ 表 ひょう 』 p.1886-1893
^ a b c 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.190-191
^ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.627
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』 p.62
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 1篇 へん 』 p.65
^ 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.191
^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『機関 きかん 車 しゃ 表 ひょう 』 p.2148-2180
^ 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.156
^ 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.66
^ 『形式 けいしき 別 べつ 国鉄 こくてつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ IV』 p.504
^ a b 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.621
^ 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.53
^ 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.98
^ 『形式 けいしき 別 べつ 国鉄 こくてつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ IV』 p.503
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』 p.225
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.82
^ 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.28, 33
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.41
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.40
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.346
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.320
^ a b 『D52物語 ものがたり 』 p.77
^ a b c d 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.450-451
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.38
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』 p.251
^ 『形式 けいしき 別 べつ 国鉄 こくてつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ IV』 p.505-506
^ 川上 かわかみ 幸義 ゆきよし 『私 わたし の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 下巻 げかん 』 pp.365 - 366
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.35
^ a b 『D52物語 ものがたり 』 p.46
^ a b c d 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.39
^ 『機関 きかん 車 しゃ 表 ひょう 』 p.2145
^ 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.76
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.124-125
^ 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.40
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.127
^ 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.64
^ 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.17
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.131
^ a b c 『D52物語 ものがたり 』 p.70
^ 『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 p.38
^ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』 p.593
^ a b c 『D52物語 ものがたり 』 p.92
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.93
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.78
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.253, 255
^ 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』 p.148, 150, 152
^ 今村 いまむら 潔 きよし 「D52・D62形 かたち 機関 きかん 車 しゃ の車 くるま 歴 れき しらべ」『鉄道 てつどう ピクトリアル』 1962年 ねん 10月 がつ 号 ごう (No.137) pp.27 - 29
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』 p.117-118
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』 p.121
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』 p.119
^ a b 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.1040
^ a b c 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』 p.1026-27
^ a b c d 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』 p.123
^ 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』 p.115
^ 今村 いまむら 潔 きよし 「マンモス機 き D52・D62」『蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 』 1978年 ねん 3月 がつ 号 ごう (No.54) pp.75 - 76
^ 西村 にしむら 勇夫 いさお 「名古屋 なごや を中心 ちゅうしん とする戦後 せんご 蒸 ふけ 機 き ものがたり その2」交友 こうゆう 社 しゃ 『鉄道 てつどう ファン』 1990年 ねん 3月 がつ 号 ごう (No.347) pp.84 - 87
^ a b 『全国 ぜんこく 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 配置 はいち 表 ひょう 』 p.339
^ 『機関 きかん 車 しゃ 表 ひょう 』 p.1895-1956
^ 『機関 きかん 車 しゃ 表 ひょう 』 p.1641-1642
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.106
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.111
^ a b 『全国 ぜんこく 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 配置 はいち 表 ひょう 』 p.325-326
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.110
^ a b 今村 いまむら 潔 きよし 「D52・D62形 かたち 機関 きかん 車 しゃ の車 くるま 歴 れき しらべ」『鉄道 てつどう ピクトリアル』 1962年 ねん 10月 がつ 号 ごう (No.137) p.28
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.108
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.104
^ 谷口 たにぐち 良忠 よしただ ・奈良 なら 先 さき 博保 ひろやす 「九州 きゅうしゅう 線 せん のD52」『蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 』 1978年 ねん 3月 がつ 号 ごう (No.54) pp.16 - 17
^ 『全国 ぜんこく 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 配置 はいち 表 ひょう 』 p.337
^ フォト海道 かいどう (道新 どうしん 写真 しゃしん データベース) 【写真 しゃしん 説明 せつめい 】鷲別 わしべつ 機関 きかん 区 く に着 つ いた D52型 がた 機関 きかん 車 しゃ 掲載 けいさい 1960/11/02
^ 『全国 ぜんこく 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 配置 はいち 表 ひょう 』 p.61-79
^ 『全国 ぜんこく 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 配置 はいち 表 ひょう 』 p.89-110
^ 『全国 ぜんこく 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 配置 はいち 表 ひょう 』 p.119-173
^ 『全国 ぜんこく 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 配置 はいち 表 ひょう 』 p.183-237
^ 『全国 ぜんこく 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 配置 はいち 表 ひょう 』 p.247-305
^ 138号機 ごうき の証 あかし - 相模原 さがみはら D52保存 ほぞん 会 かい 、2010年 ねん 4月 がつ 2日 にち
^ 『機関 きかん 車 しゃ 表 ひょう 』 p.2167
^ 『D52物語 ものがたり 』 p.168
^ D52 403号 ごう 機関 きかん 車 しゃ - 平塚 ひらつか 市 し 博物館 はくぶつかん
^ D52型 がた 機関 きかん 車 しゃ の見学 けんがく について - 平塚 ひらつか 市 し 博物館 はくぶつかん
^ “半 はん 世紀 せいき ぶりSL奇跡 きせき の復活 ふっかつ 山北 さんぽく 町 まち でD52試運転 しうんてん ” . 神奈川 かながわ 新聞 しんぶん . (2016年 ねん 3月 がつ 19日 にち ). http://www.kanaloco.jp/article/160258 2016年 ねん 3月 がつ 19日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “「D52」48年 ねん ぶり自 じ 走 はし 、ファンからどよめき” . YOMIURI ONLINE (読売新聞社 よみうりしんぶんしゃ ). (2016年 ねん 10月 がつ 15日 にち ). オリジナル の2016年 ねん 10月 がつ 15日 にち 時点 じてん におけるアーカイブ。. https://archive.is/20161015034055/http://www.yomiuri.co.jp/national/20161015-OYT1T50011.html 2016年 ねん 10月 がつ 15日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “運行 うんこう スケジュール(山北 さんぽく 町 まち ホームページ) ”. 山北 さんぽく 町 まち . 2020年 ねん 10月 がつ 17日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “SL復活 ふっかつ の立役者 たてやくしゃ ・恒松 つねまつ さんの死 し 悼 いた む” . 神奈川 かながわ 新聞 しんぶん . (2016年 ねん 10月 がつ 26日 にち ). http://www.kanaloco.jp/article/208231 2016年 ねん 11月5日 にち 閲覧 えつらん 。
^ “山北 さんぽく 町 まち 駅前 えきまえ に鉄道 てつどう 資料 しりょう 館 かん ” . タウンニュース . (2017年 ねん 1月 がつ 14日 にち ). http://www.townnews.co.jp/0608/2017/01/14/365801.html 2017年 ねん 1月 がつ 21日 にち 閲覧 えつらん 。
^ 「BSジャパン 空 そら から日本 にっぽん をみてみようplus」でも取 と り上 あ げられた。BSジャパン 空 そら から日本 にっぽん をみてみようplus 2017年 ねん 6月 がつ 1日 にち 放送 ほうそう 湧水 わきみず 豊 ゆた かな足柄 あしがら 平野 へいや から富士山 ふじさん の麓 ふもと へ 小田原 おだわら 〜御殿場 ごてんば 。
^ 御殿場 ごてんば 駅前 えきまえ にD52がやってくる! SL解体 かいたい 見学 けんがく 会 かい 開催 かいさい 鉄道 てつどう ホビダス最新 さいしん 鉄道 てつどう 情報 じょうほう (2010年 ねん 8月 がつ 20日 はつか )
書籍 しょせき
日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 1篇 へん 』日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 、1958年 ねん 。
日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 4篇 へん 』日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 、1958年 ねん 。
日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 『鉄道 てつどう 技術 ぎじゅつ 発達 はったつ 史 し 第 だい 5篇 へん 』日本 にっぽん 国有 こくゆう 鉄道 てつどう 、1958年 ねん 。
臼井 うすい 茂信 しげのぶ 『機関 きかん 車 しゃ の系譜 けいふ 図 ず 4』交友 こうゆう 社 しゃ 、1978年 ねん 。
臼井 うすい 茂信 しげのぶ 『日本 にっぽん 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 形式 けいしき 図 ず 集成 しゅうせい 2』誠 まこと 文 ぶん 堂 どう 新光 しんこう 社 しゃ 、1969年 ねん 。
川上 かわかみ 幸義 ゆきよし 『私 わたし の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 下 か 』交友 こうゆう 社 しゃ 、1981年 ねん 。
高田 たかだ 隆雄 たかお 『蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 日本 にっぽん 編 へん 』小学館 しょうがくかん 〈万有 ばんゆう ガイドシリーズ 12〉、1981年 ねん 。
肥 こえ 沼 ぬま 陽一 よういち 、高村 たかむら 俊一 しゅんいち 『D52物語 ものがたり 』D52物語 ものがたり 出版 しゅっぱん 委員 いいん 会 かい 、2003年 ねん 。
高木 たかぎ 宏之 ひろゆき 『国鉄 こくてつ 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 史 し 』ネコ・パブリッシング、2015年 ねん 。ISBN 9784777053797 。
沖田 おきた 祐 ゆう 作 さく 『機関 きかん 車 しゃ 表 ひょう 』ネコ・パブリッシング、2014年 ねん 。ISBN 9784777053629 。
『鉄道 てつどう 車輌 しゃりょう ガイド Vol.4 D52・D62』 1664巻 かん 、ネコ・パブリッシング、2011年 ねん 。ISBN 9784777011643 。
金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし 『形式 けいしき 別 べつ 国鉄 こくてつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ IV』機関 きかん 車 しゃ 研究 けんきゅう 会 かい 、1985年 ねん 。
金田 かねだ 茂 しげる 裕 ひろし 「”形式 けいしき 別 べつ ・国鉄 こくてつ の機関 きかん 車 しゃ ”補遺 ほい 」『形式 けいしき 別 べつ 国鉄 こくてつ の蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 別冊 べっさつ 国鉄 こくてつ 軽便 けいべん 線 せん の機関 きかん 車 しゃ 』機関 きかん 車 しゃ 史 し 研究 けんきゅう 会 かい 、1986年 ねん 。ISBN 4871126153 。
徳永 とくなが 益男 ますお 、松本 まつもと 謙一 けんいち 『全国 ぜんこく 蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 配置 はいち 表 ひょう 』イカロス出版 いかろすしゅっぱん 、2018年 ねん 。ISBN 9784802204354 。
高砂 たかさご 雍郎『鉄道 てつどう 広報 こうほう による国鉄 こくてつ 車両 しゃりょう 台帳 だいちょう 〔機関 きかん 車 しゃ 編 へん 〕』鉄道 てつどう 史 し 資料 しりょう 保存 ほぞん 会 かい 、1991年 ねん 。ISBN 4885400732 。
高木 たかぎ 宏之 ひろゆき ほか『幻 まぼろし の国鉄 こくてつ 車両 しゃりょう 』JTBパブリッシング 〈JTBキャンブックス〉、2007年 ねん 。ISBN 9784533069062 。
雑誌 ざっし
ネコ・パブリッシング『国鉄 こくてつ 時代 じだい 』2014年 ねん 5月 がつ 号 ごう (vol.37) 特集 とくしゅう :貨物 かもつ 列車 れっしゃ
電気 でんき 車 しゃ 研究 けんきゅう 会 かい 『鉄道 てつどう ピクトリアル 』 1962年 ねん 10月 がつ 号 ごう (No.137) D52・D62機関 きかん 車 しゃ 特集 とくしゅう
キネマ旬報社 きねまじゅんぽうしゃ 『蒸気 じょうき 機関 きかん 車 しゃ 』 1978年 ねん 3月 がつ 号 ごう (No.54) D52・D62特集 とくしゅう
林 はやし 采 さい 成 なり 「日本 にっぽん 国鉄 こくてつ の戦時 せんじ 動員 どういん と陸運 りくうん 転移 てんい の展開 てんかい 」『経営 けいえい 史学 しがく 』第 だい 46巻 かん 第 だい 4号 ごう 、経営 けいえい 史 し 学会 がっかい 、2011年 ねん 6月 がつ 、3-28頁 ぺーじ 。