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SU-76i (はしほう)

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SU-76i
性能せいのうしょもと
車体しゃたいちょう 5.38 m
全幅ぜんぷく 2.95 m
ぜんこう 2.375 m
重量じゅうりょう 22.5 t
懸架けんか方式ほうしき トーションバー方式ほうしき
速度そくど 40 km/h
行動こうどう距離きょり 155-180 km
主砲しゅほう 76.2 mm S-1
装甲そうこう 戦闘せんとうしつ前面ぜんめん上部じょうぶ35 mm
戦闘せんとうしつ側面そくめん上部じょうぶ25 mm
戦闘せんとうしつ上面うわつら15 mm
戦闘せんとうしつ下部かぶおよ車体しゃたい下部かぶ装甲そうこう
もとになったIIIごう戦車せんしゃかくかた
じゅんずる
エンジン マイバッハHL120TRM
4ストロークVがた12気筒きとう
水冷すいれいガソリン
300 HP
乗員じょういん 4 めい
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SU-76iロシアСУ-76и)は、だい世界せかい大戦たいせんちゅうソ連それんはしほう。ドイツぐんから捕獲ほかくしたIIIごう戦車せんしゃをベースに、1943ねん4がつ - 11月のあいだ改造かいぞう生産せいさんされた。だい37工場こうじょうだい38工場こうじょうせつもあり)で200りょう前後ぜんこう完成かんせいした。

概要がいよう

1942ねんはじめ、前年ぜんねんのドイツとのたたかいでおおきな損害そんがいしたソ連それんぐんは、モスクワ前面ぜんめん捕獲ほかくしたドイツ戦車せんしゃ修理しゅうり自軍じぐん戦力せんりょくれるこころみをはじめた。当初とうしょ捕獲ほかくしたIIIごう突撃とつげきほう武装ぶそうT-34の1940ねんがたものえたり、またはそのまま使つかっていたが、これらは臨時りんじ改造かいぞうであり、本格ほんかくてきなものではなかった。

1943ねんはじめ、本格ほんかくてき新型しんがたけいはしほうであるSU-76生産せいさんはいった。しかしこの初期しょきかたは、左右さゆうくつたい別々べつべつのエンジンと操行そうこう装置そうちうごかす機構きこうであり、同期どうき上手うまくいかずトラブルが続発ぞくはつしていた。これはのちにSU-76Mとして改良かいりょうされることとなるが、それまでのつなぎとなるものとして、スターリングラード方面ほうめんなどで300りょう以上いじょう捕獲ほかくしたIIIごう戦車せんしゃけいをベースにはしほう改造かいぞうすることとなった。

これ以前いぜんに、IIIごう突撃とつげきほう改造かいぞうし122mm榴弾りゅうだんほうM-30を搭載とうさいしたSG-122(A)開発かいはつされ、試作しさくしゃでの重量じゅうりょう過大かだいなどの不具合ふぐあい改良かいりょうしたものを、1942ねん9がつだい592工場こうじょうで10りょう生産せいさんすることがめいじられていた。のちにIIIごう戦車せんしゃ改造かいぞうし、SG-122(A)に類似るいじした戦闘せんとうしつに、76.2mm戦車せんしゃほうF-34はしほうようにしたS-1を搭載とうさいするタイプがだい37工場こうじょう生産せいさんされることとなり、SU-76(S-1)またはSU-76i(iはinostrannayaの頭文字かしらもじ外国がいこくせい意味いみする)と命名めいめいされた。

これらは砲塔ほうとう車体しゃたい上面うわつら装甲そうこう撤去てっきょ、そのうえにピラミッドじょう傾斜けいしゃしたしん設計せっけい密閉みっぺいしき固定こてい戦闘せんとうしつそなえたものであった。しかし実戦じっせん部隊ぶたいではボルトで固定こていされた上面うわつら装甲そうこうはずし、オープントップの状態じょうたい運用うんようしたれいもあったという。

戦闘せんとうしつ四面しめんにピストルポートがもうけられ、車内しゃないからピストルやサブマシンガンを発砲はっぽうすることができるようになっていた。またクルスクのたたかいののち主砲しゅほうちゅう退すさうつわカバーのまわりにぼうたて追加ついかされ、車体しゃたい後部こうぶ着脱ちゃくだつしき円筒えんとうがた外部がいぶ燃料ねんりょうタンクがふた追加ついかされた。、IIIごう戦車せんしゃようのキューポラをそなえ、そのために戦闘せんとうしつ側面そくめんしをけた指揮しき車輌しゃりょう[1]が20りょうつくられている。

のちに、おな車体しゃたいに85mmほう搭載とうさいするSU-85iも計画けいかくされたが、KV-85SU-85への供給きょうきゅう手一杯ていっぱいであり、中止ちゅうしされた。

1943ねん4がつ最初さいしょ生産せいさんしゃ5りょうがスベルドルブスクのはしほう連隊れんたい訓練くんれんしょおくられ、さらに20りょうくわえられ、翌月よくげつにははやくも実戦じっせん投入とうにゅうされた。そのクルスクのたたかいにもだい13ぐん所属しょぞくの16りょう投入とうにゅうされ、半数はんすう(うち3りょう炎上えんじょうぜんそん)をうしなっている。そして16りょうのSU-76iと指揮しきよう捕獲ほかくIIIごう戦車せんしゃ1りょう(または指揮しきしゃがたふくむSU-76iが15りょう)によるはしほう連隊れんたい複数ふくすう編成へんせいされ、同年どうねんあきのウクライナでのたたかいから本格ほんかくてき投入とうにゅうされた。

ほんしゃ生産せいさんは11月で終了しゅうりょうしたが、即席そくせき車輌しゃりょうながら本命ほんめいであるSU-76Mよりも防御ぼうぎょりょく居住きょじゅうせいすぐれ、乗員じょういんからの評判ひょうばんかった。ただし、もとになったIIIごう戦車せんしゃ車体しゃたい下部かぶ側面そくめんハッチの廃止はいしされたかたであった場合ばあい乗降じょうこうようハッチがひとつしかかったため、撃破げきはされたとき全員ぜんいん素早すばや脱出だっしゅつ困難こんなんであった。

これらの車輌しゃりょう終戦しゅうせんまでたたかつづけたが、その退役たいえきさせられた。戦後せんごも1りょうがクビンカ基地きち稼動かどうしていたが、1968ねん廃棄はいきされた。現在げんざいでも、かわからげられた1りょうがウクライナで記念きねんとして展示てんじされ、べつの1りょうがモスクワの博物館はくぶつかん現存げんそんしている。

脚注きゃくちゅう

  1. ^ [1]

関連かんれん項目こうもく