いつかギラギラする

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いつかギラギラする
The Triple Cross
監督かんとく 深作ふかさく欣二きんじ
脚本きゃくほん 丸山まるやま昇一しょういち
製作せいさく 奥山おくやま和由かずよし
出演しゅつえんしゃ 萩原はぎはら健一けんいち
木村きむら一八かずや
多岐川たきがわ裕美ひろみ
荻野目おぎのめ慶子けいこ
石橋いしばし蓮司れんじ
千葉ちば真一しんいち
音楽おんがく 菱田ひしだ吉美よしみ
小川おがわ尚子しょうこ
長谷川はせがわ智樹ともき
撮影さつえい 浜田はまだあつし
編集へんしゅう 川島かわしまあきらただし
製作せいさく会社かいしゃ 日本テレビ放送網にほんてれびほうそうもう
バンダイ
松竹しょうちくだいいち興行こうぎょう
配給はいきゅう 松竹しょうちく
公開こうかい 日本の旗 1992ねん9月12にち
上映じょうえい時間じかん 108ふん
製作せいさくこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本語にほんご
配給はいきゅう収入しゅうにゅう 4.3おくえん[1]
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いつかギラギラする』 は、1992ねん平成へいせい4ねん9月公開こうかいされた、日本にっぽんアクション映画えいがである。深作ふかさく欣二きんじ監督かんとく

概要がいよう[編集へんしゅう]

1980年代ねんだいおも女性じょせい映画えいが文芸ぶんげい映画えいがってきた深作ふかさく欣二きんじが、当時とうじ映画えいがかい有力ゆうりょくプロデューサーだった松竹しょうちく奥山おくやま和由かずよしんで、ひさしぶりにアクション映画えいが挑戦ちょうせんした作品さくひんである[2][3]製作せいさくは、日本テレビ放送網にほんてれびほうそうもうバンダイ松竹しょうちくだいいち興行こうぎょう配給はいきゅう松竹しょうちく当初とうしょ予算よさんは3おくえんほどだったが、大量たいりょうくるま破壊はかい火薬かやく大量たいりょう使用しよう銃撃じゅうげきシーンのおおさから、製作せいさくは11おくえんにまで膨張ぼうちょうした。また興行こうぎょう成績せいせきもふるわなかった。キャッチコピーは「頭蓋骨ずがいこつまであつくなる。」。

萩原はぎはら健一けんいち石橋いしばし蓮司れんじ千葉ちば真一しんいちらのベテランギャングと、強盗ごうとうネタを野心やしん木村きむら一八かずや裏切うらぎもの荻野目おぎのめ慶子けいことのあいだ現金げんきん争奪そうだつせん展開てんかいされる[4]

北海道ほっかいどう舞台ぶたい爆破ばくは・カーチェイスをおも存分ぞんぶんった。北海道ほっかいどう舞台ぶたいになっているが撮影さつえい当時とうじ時期じきはずれの台風たいふうおそわれ、北海道ほっかいどうのほかに神奈川かながわけん三崎みさき漁港ぎょこう木更津きさらづでも撮影さつえいされている。

ヒロインをえんじた荻野目おぎのめ慶子けいこ愛人あいじん河合かわい義隆よしたか監督かんとく自殺じさつしたスキャンダルから1ねんぶりに本格ほんかく復帰ふっき[5]、それまで清純せいじゅんってきた荻野目おぎのめ木村きむらのラブ・シーンも注目ちゅうもくされた。ほんさく荻野目おぎのめ日本にっぽんアカデミーしょう助演じょえん女優じょゆうしょう受賞じゅしょう[6]。そして、ほんさく撮影さつえいに、監督かんとく深作ふかさく欣二きんじ不倫ふりん関係かんけいおちいった[5]

当初とうしょは3おくえん予算よさんだったのが深作ふかさくねばりで4おく8000まんえんとなり、さらにパトカーをなんじゅうだいならべてこわすシーンのため車輌しゃりょうることになり[7]最終さいしゅうてきやく11おくえん製作せいさくになった[8]。しかし興行こうぎょうてきにはたらず、インタビューほんつくっていた映画えいが評論ひょうろん山根やまね貞男さだおによると、深作ふかさくはショックをけたようだったという[2]。さらにほんさくのために制作せいさく会社かいしゃも1しゃ倒産とうさんした[8]

1993ねんに「いつかギラギラする2」として松竹しょうちくから『非合法ひごうほう大陸たいりく』の製作せいさく発表はっぴょうされた。主演しゅえん岩城いわき滉一こういち又野またの誠治せいじだったが、発表はっぴょう半年はんとし制作せいさく中止ちゅうしとなった[9]北海道ほっかいどう舞台ぶたいとした「マッドマックス」ばりのバイオレンスアクションであり、オートバイ専門せんもん「ミスターバイク」にてエキストラ募集ぼしゅう記事きじ掲載けいさいされた。

函館はこだてでライブハウスシーンの撮影さつえい実際じっさい横浜よこはま関内かんないったCLUB24yokohamaで撮影さつえい)に参加さんかし、同名どうめいのままげきちゅうにも登場とうじょうする実在じつざいのヘヴィメタルバンド「JACKS'N'JOKER」の恩田おんだかいひとは、ファンである友人ゆうじんいでエキストラをしていたYUKIい、のちにロックバンド「JUDY AND MARY」を結成けっせいした。

企画きかく経緯けいい[編集へんしゅう]

1980年代ねんだい後半こうはん松竹しょうちく奥山おくやま和由かずよし深作ふかさくにアクション映画えいが企画きかくみ、隆三りゅうぞう原作げんさくの『旅人たびびとたちの南十字星みなみじゅうじせい』、『そのおとこ凶暴きょうぼうにつき』の原型げんけいである『灼熱しゃくねつ』、『怪人かいじんじゅう面相めんそう』などが企画きかくされるも実現じつげんしなかった[7]。そんななかで「どういうタイトルなら、いまの映画えいがらしいか」という深作ふかさくいかけに奥山おくやまが『いつかギラギラする』を提案ていあん奥山おくやま角川かどかわ交渉こうしょうしてタイトルを譲渡ゆずりわたしてもらったのがほんさくとなる[10]

ほんさく台本だいほんった主演しゅえん俳優はいゆう萩原はぎはら健一けんいちは、深作ふかさく欣二きんじ監督かんとくに「これ、Vシネマみたいだよ」と不満ふまんべたが、尊敬そんけいする深作ふかさく監督かんとくとの映画えいがはつ仕事しごとのため引受ひきうけることにしたという[11]実際じっさい主人公しゅじんこうのモデルになったあかいスポーツカーにった金髪きんぱつ長身ちょうしん不良ふりょうがいて、当時とうじ松竹しょうちく関係かんけいしゃがたむろしていた小料理こりょうり息子むすこらしくそこからモデルぞうえがいた裏話うらばなしがある。

ストーリー[編集へんしゅう]

観光かんこうシーズンの洞爺湖とうやこリゾートホテル週末しゅうまつ売上うりあげきん札幌さっぽろ銀行ぎんこうはこ現金げんきん輸送ゆそうしゃ壮瞥そうべつまち郊外こうがいおそわれた。仕事しごと成功せいこうした犯人はんにんたちだが仲間割なかまわれに。はなつぶされた強盗ごうとう<タタキ>のプロ、無軌道むきどうなロック青年せいねんとその恋人こいびとヤクザ組織そしきやとわれたシャブちゅう死神しにがみからんで悪党あくとう同士どうしころうが、警察けいさつ圧倒的あっとうてき機動きどうりょくにより包囲ほういされる。

仕事しごとたびんでは、銀行ぎんこう強盗ごうとうなどをかえすギャングチームの神崎かんざき井村いむらしば。ある神崎かんざき井村いむらしばから仕事しごとけ、北海道ほっかいどうかう。それはすみまちんだ企画きかく現金げんきん輸送ゆそうしゃ強奪ごうだつ計画けいかくだった。4にん大胆だいたん計画けいかく暴走ぼうそうバイクをいかける偽装ぎそうしろバイと偽装ぎそう覆面ふくめんパトカーを使つかって強奪ごうだつ成功せいこうする。しかし肝心かんじん現金げんきんは5せんまんしかはいっていない。井村いむらすみまちはどうしても、緊急きんきゅうに5せんまん現金げんきんようしていて、ものにしようと仲間割なかまわれが……。

メインキャスト[編集へんしゅう]

神崎かんざき萩原はぎはら健一けんいち
ギャングボス
すみまち木村きむら一八かずや
函館はこだてライブハウス刹那せつなかんオーナー
美里みさと多岐川たきがわ裕美ひろみ
神崎かんざきおんな
麻衣まい荻野目おぎのめ慶子けいこ
しばおんな
井村いむら石橋いしばし蓮司れんじ
ギャングの一員いちいん在日ざいにち韓国かんこくじん
しば千葉ちば真一しんいち
ギャングの一員いちいん

そののキャスト[編集へんしゅう]

西沢にしざわ正浩まさひろ(vo)、篠崎しのざき辰也たつや(g)、恩田おんだかいひと(b)、梅澤うめざわ康博やすひろ(dr)

メディア[編集へんしゅう]

CD『いつかギラギラする ミュージック・ファイル』 1994ねん12月21にち発売はつばい
発売はつばいもとバップ VPCD-81082 廃盤はいばん
DVD『いつかギラギラする』 2001ねん6がつ25にち発売はつばい
発売はつばいもとバンダイビジュアル ASIN:B00005L82C
特典とくてん映像えいぞう特報とくほう劇場げきじょう予告編よこくへん収録しゅうろく
VHS『いつかギラギラする』 1993ねん5がつ20日はつか発売はつばい
発売はつばいもとバンダイビジュアル ASIN:B00005EFAB

挿入歌そうにゅうか[編集へんしゅう]

ジャクスン・ジョーカー
「WANDERER」 「DO OR DIE」
(アルバム『SHUFFLE AND DEAL』 インディーズレーベル(ACID HEAD) 1990ねん7がつ15にち発売はつばい AH-001 廃盤はいばん
※「DO OR DIE」はアルバム『JACKS'N'JOKER』(発売はつばいもとBMGビクター 1990ねん12月5にち発売はつばい BVCR-24 廃盤はいばん)にも収録しゅうろく
「BAD FRIENDS」
(アルバム『INSIDE OUTLAW』 発売はつばいもとBMGビクター 1991ねん9がつ21にち発売はつばい BVCR-52 廃盤はいばん
「FREEDOM LAND」
(シングル 発売はつばいもとBMGビクター 1990ねん11月21にち発売はつばい BVDR-23 廃盤はいばん
上記じょうきアルバム『JACKS'N'JOKER』にも収録しゅうろく
萩原はぎはら健一けんいち
ラストダンスはわたし徳間とくまジャパンコミュニケーションズ 廃盤はいばん
上記じょうきCD『いつかギラギラする ミュージック・ファイル』にも収録しゅうろく

スタッフ[編集へんしゅう]

カーチェイス[編集へんしゅう]

萩原はぎはら健一けんいち運転うんてん国産こくさんしゃ「テラノ」と、木村きむら一八かずやあかい「ポンティアック・ファイヤーバード」の派手はでなカー・チェイスが物語ものがたり後半こうはんげる。撮影さつえいのため、中古ちゅうこのテラノ2だい新車しんしゃのファイヤーバード・コーベル2だい価格かかくは1だいやく380まんえん)が用意よういされたが、すべぜん損壊そんかいさせた。また八名やな信夫しのぶえんじる「ヤクザの事務所じむしょくるま」や、「大量たいりょうのパトカー」がカー・アクションに使用しようされ、修学旅行しゅうがくりょこうせいった国産こくさん観光かんこうバス」も横転おうてんさせた。「クラウン」がアクションに大量たいりょう使用しようされているのが特徴とくちょうであり、「現金げんきん輸送ゆそうしゃ」も追突ついとつ破壊はかいされている。なお、カーマニアのための映画えいがではなく、くるま大量たいりょう破壊はかい火薬かやく大量たいりょう消費しょうひ多数たすう銃撃じゅうげきシーン、台風たいふうその理由りゆうによる撮影さつえい遅延ちえんなどで、予算よさんは「11おくえん」にたっしてしまった。

ラスト、よるみなとでのテラノVSパトカー20だいのバトルで、路面ろめんらしパトカーのヘッドライトやパトライト路面ろめん反射はんしゃさせて、ばい台数だいすうがいるようにせる手法しゅほう深作ふかさく欣二きんじのアイデアである。せっかくならべたパトカーのならなおしや面倒めんどうみず作業さぎょうに、最初さいしょ渋々しぶしぶうごいていた若手わかてスタッフたちも、出来できあがった映像えいぞう納得なっとくしたという。

カー・アクションを担当たんとうしたカースタントTA・KAのはなしによると、一番いちばんむずかしかったところはラスト、テラノでよるうみむシーンだったという(千葉ちばけん木更津きさらづこうでのロケ)。通常つうじょうくるまみずなかんでもまどさえまっていればすうふんかんでいる。しかし映画えいがでは、銃撃じゅうげきせんによってほとんどのまどられていたが、カメラワーク、照明しょうめいふく撮影さつえい成功せいこうであった。

どうタイトルのべつ企画きかく[編集へんしゅう]

この「いつかギラギラする」というタイトルは、本来ほんらいまった内容ないようことなる内容ないよう作品さくひんだった[10][12]

仁義じんぎなきたたかいシリーズ」によって、いわゆる「実録じつろく路線ろせん」がまくけた直後ちょくご1973ねん1がつ[12]東映とうえい社長しゃちょう岡田おかだしげる当時とうじ)により『実録じつろく共産党きょうさんとう』の企画きかくがる[10][12][13][14][15][16][17]。「山谷さんや労働ろうどうしゃにもかる映画えいがつくれ」をモットーとする岡田おかだ社長しゃちょう[12]、「坊主ぼうず政治せいじはあかん」が口癖くちぐせ[12]、どちらも註文ちゅうもんがうるさいためで、このふたつをテーマをした映画えいが東映とうえい企画きかく会議かいぎプロデューサープレゼンすると即座そくざ却下きゃっかした[12]。ところが『仁義じんぎなきたたかい』で「実録じつろく路線ろせん」という鉱脈こうみゃくたこと[12]1972ねん12月の衆議院しゅうぎいんそう選挙せんきょ日本にっぽん共産党きょうさんとう大都市だいとしけんひょうあつめ38議席ぎせき獲得かくとく自民じみん社会しゃかいだいさんとう躍進やくしんしたこと[12]東宝とうほう1973ねん池田いけだ大作だいさく原作げんさくの『人間にんげん革命かくめい』を創価学会そうかがっかい大量たいりょう動員どういんでヒットさせたのを[15][17]おなじように組織そしきてき動員どういん見込みこめるのは共産党きょうさんとうではないかとおも[15][16]企画きかく部長ぶちょう渡邊わたなべ達人たつひとに「共産党きょうさんとう実録じつろくはどうや」と研究けんきゅう指示しじ[12]笠原かさはら和夫かずお共産党きょうさんとう題材だいざいにした脚本きゃくほんかせた[15][16][17]岡田おかだ戦前せんぜん共産党きょうさんとうならアクション映画えいがになると見込みこんでいた[15]。しかし笠原かさはらは『あゝ決戦けっせん航空こうくうたい』にかかりきりで脚本きゃくほんすすまないため[12]差別さべつ問題もんだい綿密めんみつ調査ちょうさするなど調しらべものに定評ていひょうのある野波のなみ静雄しずおきょう作者さくしゃ指名しめいした[12]。ドラマになるネタが意外いがいになく脚本きゃくほん難航なんこう[12]、『丹野たんのセツ―革命かくめい運動うんどうきる』(1969ねん丹野たんのセツじゅつ山代やましろともえ牧瀬まきせ菊枝きくえへん勁草書房しょぼう)をくちにようやく脚本きゃくほんすす[12]、1974ねんなつ製作せいさく決定けってい、9月にクランクインし、シルバーウィーク公開こうかい告知こくちもされ[18][19]、「渡辺わたなべ政之まさゆき丹野たんのセツ夫婦ふうふあいをそれにまつわる数々かずかず事件じけん実録じつろくものとしてえがく。渡辺わたなべ政之まさゆき輔役に菅原すがわら文太ぶんた決定けってい丹野たんのセツやく吉永よしなが小百合さゆり栗原くりはら小巻こまきことわられ、川口かわぐちあきらさい有力ゆうりょく日本にっぽん共産党きょうさんとうおよ赤旗あかはた動員どういんめんにおける協力きょうりょくもとめたが、いずれもドラマの主人公しゅじんこう思想しそう現在げんざい日本にっぽん共産党きょうさんとうとはことなるとして協力きょうりょく拒否きょひされた。笠原かさはら脚本きゃくほんおくれていることから場合ばあいによっては封切ふうきりを来年らいねんまわしにすることも検討けんとうちゅう」などと報道ほうどうされた[19]笠原かさはら脚本きゃくほん丹野たんのセツを中心ちゅうしんとした共産党きょうさんとう残虐ざんぎゃくのような非常ひじょうくら内容ないよう[20][21]当時とうじ社会しゃかい情勢じょうせいから共産党きょうさんとう映画えいがれられる環境かんきょうにあるかどうか[22]、『山口組やまぐちぐみさん代目だいめ』などとは本質ほんしつてきちが問題もんだいもあり[22]岡田おかだ社長しゃちょうあし[12][22]、いろいろ問題もんだいがあると判断はんだんされ延期えんきされた[20][21][22]。「丹野たんのセツやく吉永よしなが小百合さゆりまり[23]共産党きょうさんとう関係かんけいしゃ組織そしき動員どういん見込みこんだものの、渡辺わたなべ政之まさゆきえがかたなどをめぐって共産党きょうさんとうがわ意見いけんれ、窓口まどぐちとなる東映とうえい京都きょうと撮影さつえいしょ労働ろうどう組合くみあい共産きょうさん党員とういん委員いいんちょう了解りょうかいられずに企画きかくたおれとなった」とする文献ぶんけん複数ふくすうある[10][12][13][14]山城やましろ新伍しんごは、おおかた宮本みやもと顕治けんじ共産党きょうさんとう委員いいんちょう当時とうじ)からのクレームかとおもい、(山城やましろは、『独占どくせん!おとこ時間じかん』は、宮本みやもと影響えいきょうられたことにたい宮本みやもと日本にっぽん共産党きょうさんとううらんでいた。)岡田おかだ社長しゃちょうに「どうしてめるのか?」といたら「代々木よよぎ共産党きょうさんとう本部ほんぶ)がおもったよりキップ(前売まえうけんわんのや」とわれたとはなしている[17][24][25]。この笠原かさはらによる脚本きゃくほんは、笠原かさはら深作ふかさく相次あいついでぼっした直後ちょくごの『映画えいが芸術げいじゅつ』2003ねんはるごうにてりょう追悼ついとう企画きかくとしてはじめて公刊こうかんされたほか扶桑社ふそうしゃかんen-taxi2005ねんあきごうにも付録ふろくとして収録しゅうろくされた。

その1976ねん川口かわぐちあきら社外秘しゃがいひである『実録じつろく共産党きょうさんとう』の脚本きゃくほん入手にゅうしゅ[12]当時とうじ昵懇じっこんだった角川かどかわ春樹はるきに「どうしても丹野たんのセツやくをやりたい」とたの[12]深作ふかさく笠原かさはら角川かどかわ接近せっきんする[10][12][14][23]同年どうねん5がつ24にち東京とうきょうプリンスホテルおこなわれた角川かどかわ映画えいがとしてはつ製作せいさく発表はっぴょうでは『いぬ神家じんか一族いちぞく』につづ角川かどかわ映画えいがだい2だんとして1977ねん公開こうかい予定よてい発表はっぴょうもされていた[12][26][27]公開こうかいたっては笠原かさはらノベライズして小説しょうせつばんし、東映とうえい下請したうけで制作せいさくして東映とうえい洋画ようがけいでの上映じょうえい予定よていで、主演しゅえん候補こうほとして川口かわぐちあきら川谷かわたに拓三たくぞう深作ふかさく渡辺わたなべやく川谷かわたに想定そうていしていた[28])の名前なまえがっていた[29][30]。ただし、この時点じてんでタイトルは『いつかギラギラする』とあらためられていた[注釈ちゅうしゃく 1]のち角川かどかわはこの改題かいだいについて「東映とうえいでのタイトルは『実録じつろく共産党きょうさんとう』。そのタイトルでは最初さいしょからやるはなかったので、河野こうの典生のりお小説しょうせつめいっていた『いつか、ギラギラする日々ひび』をもらおうとしたんです」とかたっており[32]内容ないようてきにはまった無関係むかんけい[注釈ちゅうしゃく 2]河野こうの短編たんぺん小説しょうせつ「いつか、ギラギラする日々ひび[注釈ちゅうしゃく 3]ちなんだものであることをかしているが、タイトル拝借はいしゃく著作ちょさくけんほうおよばないにもかかわらず、日本にっぽん推理すいり作家さっか協会きょうかい理事りじちょうだった佐野さのひろし河野こうの本人ほんにんから、角川かどかわへクレームがあったという[33]。また角川かどかわは『おれたちに明日あしたはない』や『明日あしたむかってげきて!』のような映画えいがにしてしいと笠原かさはら注文ちゅうもん[12][29]笠原かさはら神波かんなみ史男ふみおたすけを[12]アメリカン・ニューシネマせる作業さぎょうおこなわれた[12]具体ぐたいてきには「どこにでもいるような若者わかものが、ちょっとイイおんな共産きょうさん党員とういんにちょっかいをすうちに運動うんどうきこまれてゆく」ストーリーにあらためられたとされる[29][32]。しかし、そこまでしながら、すんなりと映画えいがとはかなかった。角川かどかわからの要求ようきゅう次第しだいおおくなり[12]関東大震災かんとうだいしんさいじょうじた韓国かんこくじん共産きょうさん党員とういん虐殺ぎゃくさつ事件じけんである亀戸かめいど事件じけんはぶき、あかるく出来できないかなどと深作ふかさく提案ていあんした[10]笠原かさはら亀戸かめいど事件じけんをなくすのではたんなるアクション映画えいがになると抵抗ていこう紛糾ふんきゅう降板こうばんした[12][14]。なお、この時期じきの『いつかギラギラする』は、丹野たんのセツ=川口かわぐちあきら渡辺わたなべ政之まさゆきわたり哲也てつや徳田とくた球一きゅういち加藤かとうたけしきゅう房子ふさこ岩下いわした志麻しま渡辺わたなべテフ=田中たなか絹代きぬよ丹野たんの一郎いちろう東野とうの英治郎えいじろうなど、オールスターキャストがまれていたという[12]

笠原かさはら降板こうばんしたのち深作ふかさく神波かんなみ史男ふみおこえけ、いだ神波かんなみは「どうにもならん」と、高見たかみじゅんの『いやなかんじ』[注釈ちゅうしゃく 4]もとにした昭和しょうわ初期しょきアナーキストえがはなし提案ていあんする[14][31]。この提案ていあん深作ふかさくも「あれだ、『いやなかんじ』や!」とおう[31]角川かどかわ諒承りょうしょう脚本きゃくほんすすめられた。神波かんなみによる脚本きゃくほん大原おおはら清秀きよひで応援おうえん完成かんせいし、角川かどかわがわ提出ていしゅつされた[31][34]。しかし、ほどなく角川かどかわがわから製作せいさく中止ちゅうしつたえられることになる。その理由りゆうについて神波かんなみは「あの森村もりむら誠一せいいちの『人間にんげん証明しょうめい』からはじまり、横溝よこみぞ正史せいしものの一大いちだいキャンペーンに突入とつにゅうし、あっとにギラギラは一転いってん暗闇くらやみになってしまった」といている[31]一方いっぽう脚本きゃくほん協力きょうりょくした大原おおはら伝聞でんぶん情報じょうほうことわりつつ、脚本きゃくほんんだ角川かどかわが「おい、これはアナーキストのはなしじゃないか。こんなのはダメだ」とい、そのづる一声いっせい製作せいさく中止ちゅうしになったといている[34]。また大原おおはらは「そんなことは自分じぶん会社かいしゃ文庫ぶんこはいっている高見こうけんじゅん原作げんさくめばわかりそうなものであるが、角川かどかわ春樹はるきはどうも原作げんさくんでいなかった模様もようである」ともいており[34]製作せいさく中止ちゅうし責任せきにんへん角川かどかわがわにあるという見解けんかいしめしている。一方いっぽう角川かどかわは「企画きかくながれたのは、東映とうえい営業えいぎょうトップだった鈴木すずきつねうけたまわから『題材だいざい問題もんだい上映じょうえいできる劇場げきじょうがない』とわれ、東映とうえいけい映画えいがかん上映じょうえいできず、たんかん上映じょうえい可能かのうせいたかくなったのでやめた」と発言はつげんしている[28]。なお、神波かんなみによる脚本きゃくほんは、神波かんなみぼつ追悼ついとう映画えいが芸術げいじゅつ増刊ぞうかんごう ぼうふら脚本きゃくほん神波かんなみ史男ふみお光芒こうぼう:このくやしさにきてゆくべし』(2012ねん12がつ)にはつ収録しゅうろくされた。ストーリーはおおむ高見こうけんじゅん原作げんさく沿ったもので(ただし、原作げんさく斎田さいだ慷堂をきた一輝いっききたつき中尉ちゅうい磯部いそべあさいちにするなど、より史実しじつそくした内容ないようあらためられている)、そもそもの企画きかく主人公しゅじんこう想定そうていされていた丹野たんのセツや渡辺わたなべ政之まさゆき輔は一切いっさい登場とうじょうしない。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 神波かんなみ史男ふみおは「ながれモノ列伝れつでん ぼうふら脚本きゃくほん映画えいが私記しき[31]でタイトルあんとして河野こうの典生のりおの「いつか、ギラギラする日々ひび」をげたのは角川かどかわ春樹はるきではなく深作ふかさく欣二きんじであるとしている。また『いつかギラギラする』と改題かいだいされた時期じきについても高見こうけんじゅんの『いやなかんじ』を原作げんさくとして企画きかく仕切しきなおしされたさいとしている。しかし、1976ねん5がつ24にち東京とうきょうプリンスホテルでおこなわれた製作せいさく発表はっぴょう時点じてんすでに『いつかギラギラする』とされていた以上いじょう神波かんなみ記憶きおくちがいとかんがえるしかない。
  2. ^ 他人たにんしろ』の主人公しゅじんこう高田たかだ晨一とどう一人物いちじんぶつおもわれる「高田たかだ」のとおして集団しゅうだん就職しゅうしょく上京じょうきょうしてきたトランペットきの若者わかもの一瞬いっしゅん閃光せんこうのような殺人さつじん衝動しょうどうえがいた短編たんぺん集団しゅうだん就職しゅうしょく上京じょうきょうしてきたという若者わかもの人物じんぶつ造形ぞうけいには永山ながやま則夫のりお投影とうえいみとめられる。
  3. ^ オール讀物よみもの』1973ねん7がつごう。1974ねんには同名どうめいたん編集へんしゅう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしゃから刊行かんこうされている。なお、1981ねん集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこりしているものの、角川かどかわ文庫ぶんこりしたことはない。
  4. ^ 文學ぶんがくかい』1960ねん1がつごう〜1963ねん5がつごう。1963ねん文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうしゃから単行本たんこうぼんされ、1974ねんには角川かどかわ文庫ぶんこりしていた。なお、偶然ぐうぜんながら『いやなかんじ』にも「ギラギラ」という言葉ことばが2ほど登場とうじょうする。1度目どめは「なつがギラギラとりつける炎天下えんてんか」。2度目どめは「波子なみこをギラギラひからせて」。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 「1992年度ねんど日本にっぽん映画えいが外国がいこく映画えいが業界ぎょうかい総決算そうけっさん 日本にっぽん映画えいが」『キネマ旬報きねまじゅんぽう1993ねん平成へいせい5ねん2がつ下旬げじゅんごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1993ねん、147ぺーじ 
  2. ^ a b 山根やまね貞男さだおかたる 『映画えいが監督かんとく 深作ふかさく欣二きんじ』をめぐって け、山羊やぎのように」『キネマ旬報きねまじゅんぽう臨時りんじ増刊ぞうかん 映画えいが監督かんとく 深作ふかさく欣二きんじ軌跡きせきキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、2003ねん、p.144
  3. ^ 樋口ひぐち尚文なおふみ深作ふかさく欣二きんじぜん映画えいが作品さくひん いつかギラギラする」『キネマ旬報きねまじゅんぽう臨時りんじ増刊ぞうかん 映画えいが監督かんとく 深作ふかさく欣二きんじ軌跡きせきキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、2003ねん、pp.187-188
  4. ^ https://moviewalker.jp/mv27361/
  5. ^ a b 荻野目おぎのめ慶子けいこ女優じょゆうよる幻冬舎げんとうしゃ、2002ねん、pp.13-14、25-27
  6. ^ 吉田よしだつよし本人ほんにんほん02 hon・nin列伝れつでん セキララなオンナたち』太田出版おおたしゅっぱん、2008ねん、pp.51-52。荻野目おぎのめ慶子けいこインタビュー。
  7. ^ a b 映画えいがのために自分じぶんけず深作ふかさくさんをぼくてきた 奥山おくやま和由かずよし」『キネマ旬報きねまじゅんぽう臨時りんじ増刊ぞうかん 映画えいが監督かんとく 深作ふかさく欣二きんじ軌跡きせきキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、2003ねん、pp.87-88
  8. ^ a b 萩原はぎはら健一けんいち『ショーケン』講談社こうだんしゃ、2008ねん、p.266
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