(Translated by https://www.hiragana.jp/)
映画芸術 - Wikipedia コンテンツにスキップ

映画えいが芸術げいじゅつ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

映画えいが芸術げいじゅつ』(えいがげいじゅつ)は、映画えいが芸術げいじゅつ発行はっこうする日本にっぽん映画えいが雑誌ざっしである。季刊きかん

概要がいよう

[編集へんしゅう]

1946ねん清水しみずひかり[1]京都きょうと[2]創刊そうかんする。

一度いちど休刊きゅうかんしているところを、1955ねん[3]沢村さわむら貞子さだこおっとであり京都きょうと新聞しんぶん(みやこしんぶん)[4]出身しゅっしん大橋おおはし恭彦やすひこ編集へんしゅう発行はっこうじんとなって、東京とうきょう再刊さいかん[5]。なお、各種かくしゅ資料しりょうで「大橋おおはし恭彦やすひこ創刊そうかん」とされているが[6][7][8][9]本人ほんにん著作ちょさく矛盾むじゅんしている内容ないようである。

1963ねんころ執筆しっぴつじんは、吉本よしもと隆明たかあき埴谷はにやゆうだか花田はなた清輝きよてるいいだもも斎藤さいとうりゅう三島みしま由紀夫ゆきお武田たけだ泰淳たいじゅんら。社長しゃちょう大橋おおはし恭彦やすひこで、編集へんしゅうちょう小川おがわとおるという体制たいせいで、のち映画えいが監督かんとくとなる神山かみやま征二郎せいじろうがレイアウトのアルバイトで参加さんかしていた[7][10]1964ねんには6,000だった発行はっこう部数ぶすうは、1969ねんすえには13,000びた[11]

しかし、1970ねん6がつから経営けいえいなんのためストライキ勃発ぼっぱつして、従業じゅうぎょういんたちが経営けいえいしゃ大橋おおはし対立たいりつ大橋おおはしき、発行はっこう編集へんしゅうちょう小川おがわとおるおこなうようになった。従来じゅうらい映画えいが雑誌ざっしげなかったアングラ映画えいがポルノ映画えいが積極せっきょくてきげて評論ひょうろんするようになる。1960年代ねんだいすえから1970年代ねんだいにかけての小川おがわ編集へんしゅうちょう時代じだいの『映画えいが芸術げいじゅつ』は、佐藤さとう重臣じゅうしんの『映画えいが評論ひょうろん』や松田まつだ政男まさおの『映画えいが批評ひひょう』となら存在そんざいだったが、「政治せいじてきぎる」ともみなされる[6][7][11][12]

商業しょうぎょうてきには低迷ていめいして、1972ねん8がつから隔月かくげつかん[13]、その季刊きかん休刊きゅうかんとなる。休刊きゅうかんさいには葬式そうしきパーティーがひらかれた[7][14]

1989ねん脚本きゃくほん荒井あらい晴彦はるひこがん直前ちょくぜん小川おがわとおるからかたちで、発行はっこうじんけん編集へんしゅうちょうとなって、季刊きかんとして復刊ふっかんした。執筆しっぴつじんは、荒井あらい人脈じんみゃくで、田中たなか陽造ようぞう大川おおかわ俊道としみちかつら千穂ちほ佐治さじいぬい神波かんなみ史男ふみおなど脚本きゃくほん仲間なかまおお参加さんかして、映画えいが評論ひょうろんから映画えいがじん比重ひじゅううつした[6]金欠きんけつのために編集へんしゅうスタッフは報酬ほうしゅうのボランティアであり、新宿しんじゅくゴールデンがいでクダをいているような映画えいがじん愚痴ぐちばかりと揶揄やゆされるような誌面しめんづくりの一方いっぽう個人こじん雑誌ざっしつよみから、映画えいが業界ぎょうかいてきな『キネマ旬報きねまじゅんぽう』には不可能ふかのう業界ぎょうかいタブーをけるとも評価ひょうかされている。1997ねんなつには、執筆しっぴつじん大量たいりょう離反りはんして、浅田あさだあきら鹿島かしまとおるといった学者がくしゃ起用きようして誌面しめんをリニューアルした[7]

発行はっこうもとは、ほしりんしゃだいいち出版しゅっぱんしゃ共立きょうりつ通信つうしんしゃ出版しゅっぱん映画えいが芸術げいじゅつしゃなどを変遷へんせんしている。

日本にっぽん映画えいがベストテン&ワーストテン

[編集へんしゅう]
映画えいが芸術げいじゅつベストテン
受賞じゅしょう対象たいしょう作品さくひん
開催かいさい翌年よくねん1がつ下旬げじゅん
くに日本の旗 日本にっぽん
主催しゅさい映画えいが芸術げいじゅつ
初回しょかい1964ねん
最新さいしんかい2023ねん
最新さいしん受賞じゅしょうしゃはなくさ

映画えいが芸術げいじゅつベストテンは総合そうごうてき順位じゅんいではなく、選者せんじゃ個々人ここじん過去かこ1年間ねんかん映画えいが批評ひひょう総括そうかつしたベストテン[15]映画えいが評論ひょうろん映画えいが監督かんとく脚本きゃくほん、プロデューサー、劇場げきじょうスタッフ、一般いっぱん会社かいしゃいんからなる選者せんじゃ[16]とくに、ワーストテンを発表はっぴょうするのが、のベストテンとのおおきなちがいとなっている[15]

だい1かい(1964年度ねんど)とだい2かい(1965年度ねんど)は、早慶そうけいなど有名ゆうめい私大しだい中心ちゅうしんとした大学だいがくうつとぎによってベストテンを決定けっていした[17]だい3かい(1966年度ねんど)からは映画えいが評論ひょうろんによる選考せんこう変更へんこうされた[17]。また、ワースト作品さくひん選出せんしゅつだい5かい(1968年度ねんど)からおこなわれているが、ポイントの合計ごうけいでワースト順位じゅんいめるようになったのは、だい10かい(1974年度ねんど)から[17]

対象たいしょうとなるのは、前年ぜんねん12がつから当該とうがいねん11がつまでに公開こうかいされた映画えいが[15]。12月下旬げじゅん投票とうひょう締切しめきり、1がつ下旬げじゅん発売はつばいふゆごう発表はっぴょう[15]

発行はっこうじんである荒井あらい晴彦はるひこ自身じしん監督かんとく脚本きゃくほん作品さくひんたか順位じゅんい反面はんめん、『おくりびと』や『万引まんび家族かぞく』など、映画えいがしょうこう評価ひょうか映画えいがをワースト1にすることがあり、そのことがきっかけで掲示板けいじばんらされることもある。また、ほんランキングは「ベストひょうてんからワーストひょう点数てんすうぶんいて、その結果けっかをベストランキングとする」という方式ほうしき[18]であるが、『映画えいが秘宝ひほう』の常連じょうれんライターである柳下やぎした毅一郎きいちろうは、「荒井あらい晴彦はるひこ都合つごう結果けっかにするためのシステムである」という趣旨しゅし批判ひはんをブログでしている[19]。それにたいしては、『映画えいが芸術げいじゅつがわ公式こうしきサイトで反論はんろんしている[20]

2016ねんベストテンにおいてアニメーション映画えいがこの世界せかい片隅かたすみ』をだい1選出せんしゅつしていたが、2017ねんからアニメーション映画えいが対象たいしょうがいとした[21][22]。この方針ほうしん抗議こうぎした『別冊べっさつ映画えいが秘宝ひほう編集へんしゅうは、2018ねん6がつに『アニメ秘宝ひほう 発進はっしん準備じゅんびごう オールタイム・ベスト・アニメーション』を「アニメでなぜわる映画えいがきょうのためのアニメーション必携ひっけい」と副題ふくだいをつけて刊行かんこうした。ほとんどの寄稿きこうしゃが『映画えいが芸術げいじゅつ』を非難ひなんしていたが、映画えいが監督かんとく金子かねこ修介しゅうすけは「カッとなったひと冷静れいせいになったほうがいい、とおもった。アニメは裾野すその記憶きおくひろがりすぎているし、もともと実写じっしゃとはべつなところから発生はっせいしている芸術げいじゅつで、(りゃく優劣ゆうれつ基準きじゅん同一どういつにして芸術げいじゅつてき評価ひょうかはできないとかんじるのは、当然とうぜんはなしだとおもう」[23]とコメントした。

だい1かい(1964年度ねんど) - だい10かい(1973年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい1かい(1964年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい2かい(1965年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい3かい(1966年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい4かい(1967年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい5かい(1968年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい6かい(1969年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい7かい(1970年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい8かい(1972年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい9かい(1973年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい10かい(1974年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい11かい(1975年度ねんど) - だい20かい(1984年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい11かい(1975年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい12かい(1976年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい13かい(1977年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい14かい(1978年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい15かい(1979年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい16かい(1980年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい17かい(1981年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい18かい(1982年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい19かい(1983年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい20かい(1984年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい21かい(1985年度ねんど) - だい30かい(1994年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい21かい(1985年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい22かい(1986年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい23かい(1987年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい24かい(1988年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい25かい(1989年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい26かい(1990年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい27かい(1991年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい28かい(1992年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい29かい(1993年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい30かい(1994年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい31かい(1995年度ねんど) - だい40かい(2004年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい31かい(1995年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい32かい(1996年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい33かい(1997年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい34かい(1998年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい35かい(1999年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい36かい(2000年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい37かい(2001年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい38かい(2002年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい39かい(2003年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい40かい(2004年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい41かい(2005年度ねんど) - だい40かい(2014年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい41かい(2005年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい42かい(2006年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい43かい(2007年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい44かい(2008年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい45かい(2009年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい46かい(2010年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい47かい(2011年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい48かい(2012年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい49かい(2013年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい50かい(2014年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい51かい(2015年度ねんど) - だい58かい(2022年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい51かい(2015年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい52かい(2016年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい53かい(2017年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい54かい(2018年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい55かい(2019年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい56かい(2020年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい57かい(2021年度ねんど

[編集へんしゅう]

だい58かい(2022年度ねんど

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ 井川いかわいさおどう (2007ねん5がつ). “映画えいがせられ このみち一筋ひとすじ”. 日本にっぽん 映画えいが・テレビ 美術びじゅつ監督かんとく協会きょうかい. 2011ねん12月26にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  2. ^ westedition (2009ねん5がつ10日とおか). “ほしりんしゃ”. 関西かんさい出版しゅっぱんしゃ. 2020ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  3. ^ 沢村さわむら貞子さだこいのみちづれ』(岩波いわなみ現代げんだい文庫ぶんこ、P.84)
  4. ^ 大橋おおはし恭彦やすひこ『テレビ注文ちゅうもんじょう』(光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ)「まえがき」より。これは東京とうきょう発行はっこうされていた新聞しんぶんとは別物べつもの。この「新聞しんぶん」は大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん姉妹しまいとして京都きょうと創刊そうかんされたもの。
  5. ^ 大橋おおはし恭彦やすひこ『テレビ注文ちゅうもんじょう』(光文社こうぶんしゃ文庫ぶんこ)「まえがき」およ日外にちがいアソシエーツ人物じんぶつ情報じょうほう
  6. ^ a b c 谷岡たにおか雅樹まさき『Vシネマたましい せんほんのどしゃぶりをいつくしみ……』四谷よつやラウンド、1999ねん、p.367
  7. ^ a b c d e 山本やまもとおさむ構成こうせいぶんキネマ旬報きねまじゅんぽうたい映画えいが芸術げいじゅつ 老舗しにせ映画えいがはつらいよ」『別冊べっさつ宝島たからじま345 雑誌ざっしきょう時代じだい!』宝島社たからじましゃ、1997ねん、pp.165-167
  8. ^ 斎藤さいとうしげるふとしほね自分じぶんひろえない集英社しゅうえいしゃ文庫ぶんこ今月こんげつ新刊しんかんちょっとみコーナー 集英社しゅうえいしゃ公式こうしきサイトうち
  9. ^ 田中たなか純一郎じゅんいちろう日本にっぽん映画えいが発達はったつ3 戦後せんご映画えいが解放かいほう中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1980ねん、p.416。
  10. ^ 神山かみやま征二郎せいじろうまれたら戦争せんそうだった。 映画えいが監督かんとく神山かみやま征二郎せいじろう自伝じでん』シネ・フロントしゃ、2008ねん、pp.47-48。
  11. ^ a b 佐藤さとう千穂ちほ「シカゴにて『映画えいが芸術げいじゅつ』の歴史れきしおもう」『映画えいが芸術げいじゅつ』1996ねんはる NO.378、p.55
  12. ^ 黒沢くろさわきよし黒沢くろさわきよし映画えいがじゅつ新潮社しんちょうしゃ、2006ねん、p.15。
  13. ^ 田中たなか純一郎じゅんいちろう日本にっぽん映画えいが発達はったつ5 映像えいぞう時代じだい到来とうらい中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ、1980ねん、p.382。
  14. ^ 中島なかじま貞夫さだおしる河野こうのしんさとるへんゆうげき美学びがく 映画えいが監督かんとく中島なかじま貞夫さだおワイズ出版しゅっぱん2004ねん、p.140。
  15. ^ a b c d e f g h i 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 21.
  16. ^ 映画えいが芸術げいじゅつが2023ねんのベスト&ワースト発表はっぴょう、ベスト1は荒井あらい晴彦はるひこ×綾野あやのつよしの「はなくさし」」『ぴあ映画えいがぴあ、2024ねん1がつ25にち2024ねん8がつ28にち閲覧えつらん
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq 石原いしはら良太りょうた へん映画えいがしょう映画えいがさい日本にっぽん外国がいこく受賞じゅしょう作品さくひんだい全集ぜんしゅう : 栄光えいこう虚栄きょえい・アカデミーしょうからヨコハマ映画えいがさい芳賀はが書店しょてん、1986ねん6がつ、169ぺーじISBN 4-8261-0520-7 
  18. ^ 2007年度ねんど廃止はいしされたが、2008年度ねんどには復活ふっかつしている
  19. ^ 映画えいが評論ひょうろん緊張きんちょう日記にっき 2009-02-03
  20. ^ うつげいダイアリーズ座談ざだんかい 柳下やぎした毅一郎きいちろうのブログ発言はつげんから、ベストテン&ワーストテンをかんがえる
  21. ^ 映画えいが芸術げいじゅつが2017ねんベストテン&ワーストテン発表はっぴょう、ベスト1に「夜空よぞらはいつでも」”. 映画えいがナタリー (2018ねん1がつ27にち). 2018ねん2がつ2にち閲覧えつらん
  22. ^ アニメファン反発はんぱつ 「映画えいがランキングの対象たいしょうがいに」の理由りゆう納得なっとくせず”. J-CASTニュース (2018ねん2がつ1にち). 2018ねん2がつ2にち閲覧えつらん
  23. ^ 『アニメ秘宝ひほう 発進はっしん準備じゅんびごう』P.234
  24. ^ 白昼はくちゅうとお - 作品さくひん情報じょうほう映画えいがレビュー”. キネノート. 2023ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  25. ^ a b c d e f 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 22.
  26. ^ 戦争せんそうおわった : 作品さくひん情報じょうほう”. 映画えいが.com. 2023ねん7がつ17にち閲覧えつらん
  27. ^ a b c d e f 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 23.
  28. ^ にっぽん戦後せんご マダムおんぼろの生活せいかつ : 作品さくひん情報じょうほう”. 映画えいが.com. 2023ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  29. ^ a b 日外にちがいアソシエーツ 2009, pp. 23–24.
  30. ^ 四畳半よじょうはんふすまうらり しのびはだ : 作品さくひん情報じょうほう”. 映画えいが.com. 2023ねん7がつ23にち閲覧えつらん
  31. ^ a b c d 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 24.
  32. ^ a b c d e 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 25.
  33. ^ a b c d e 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 26.
  34. ^ a b c d e 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 27.
  35. ^ ニッポンこく古屋敷ふるやしきむら : 作品さくひん情報じょうほう”. 映画えいが.com. 2023ねん7がつ26にち閲覧えつらん
  36. ^ a b c d e 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 28.
  37. ^ a b c d e 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 29.
  38. ^ a b c d e f 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 30.
  39. ^ a b c d e f 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 31.
  40. ^ a b c d e 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 32.
  41. ^ a b c d e f 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 33.
  42. ^ ぼうかなしみ(1994):作品さくひん情報じょうほう”. 映画えいが.com. 2024ねん8がつ25にち閲覧えつらん
  43. ^ a b c d e 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 34.
  44. ^ a b c d e f 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 35.
  45. ^ a b c d e f 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 36.
  46. ^ a b c d e f g 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 37.
  47. ^ a b c d e 日外にちがいアソシエーツ 2009, p. 38.
  48. ^ 映画えいが芸術げいじゅつ」ベストテンワーストテン決定けってい - ウェイバックマシン(2008ねん1がつ17にちアーカイブぶん
  49. ^ 2008ねん日本にっぽん映画えいがベストテン&ワーストテン発表はっぴょう - ウェイバックマシン(2009ねん1がつ21にちアーカイブぶん
  50. ^ 2009ねん日本にっぽん映画えいがベストテン&ワーストテン: 映画えいが芸術げいじゅつ - ウェイバックマシン(2010ねん1がつ24にちアーカイブぶん
  51. ^ 2010ねん日本にっぽん映画えいがベストテン&ワーストテン: 映画えいが芸術げいじゅつ - ウェイバックマシン(2011ねん1がつ23にちアーカイブぶん
  52. ^ 2011ねん日本にっぽん映画えいがベストテン&ワーストテン: 映画えいが芸術げいじゅつ - ウェイバックマシン(2013ねん4がつ5にちアーカイブぶん
  53. ^ 映画えいが芸術げいじゅつ」2012ねん日本にっぽん映画えいがベストテン&ワーストテン決定けってい ! ! : 映画えいが芸術げいじゅつ - ウェイバックマシン(2013ねん1がつ22にちアーカイブぶん
  54. ^ 映画えいが芸術げいじゅつ」2013ねん日本にっぽん映画えいがベストテン&ワーストテン決定けってい ! ! - ウェイバックマシン(2014ねん1がつ18にちアーカイブぶん
  55. ^ 映画えいが芸術げいじゅつ」2014ねん日本にっぽん映画えいがベストテン&ワーストテン決定けってい ! ! - ウェイバックマシン(2015ねん1がつ19にちアーカイブぶん
  56. ^ 映画えいが芸術げいじゅつ」2015ねん日本にっぽん映画えいがベストテン&ワーストテン発表はっぴょう - ウェイバックマシン(2016ねん1がつ21にちアーカイブぶん
  57. ^ a b c d 映画えいが芸術げいじゅつ458ごう発売はつばい!: 映画えいが芸術げいじゅつ - ウェイバックマシン(2017ねん6がつ15にちアーカイブぶん
  58. ^ a b c d e f 映画えいが芸術げいじゅつ462ごう - ウェイバックマシン(2018ねん8がつ19にちアーカイブぶん
  59. ^ 映画えいが芸術げいじゅつ466ごう - ウェイバックマシン(2019ねん2がつ12にちアーカイブぶん
  60. ^ 映画えいが芸術げいじゅつ470ごう - ウェイバックマシン(2020ねん1がつ31にちアーカイブぶん
  61. ^ 映画えいが芸術げいじゅつ」2022ねんベスト&ワースト10を発表はっぴょう(2023ねん1がつ26にち)

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]