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ガイオ

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ガイオ(Gaios)は『新約しんやく聖書せいしょ』に登場とうじょうする人物じんぶつ当時とうじとしてはありふれた名前なまえであり、新約しんやくせいてんちゅう複数ふくすう文献ぶんけん登場とうじょうするが、一部いちぶのぞいて、それぞれ別人べつじんであろうとかんがえられている。ガイオスガイなどとも表記ひょうきされる。

登場とうじょう箇所かしょ

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新約しんやく聖書せいしょせいてんでは『使徒しと言行げんこうろく』、パウロ書簡しょかんである『ローマの信徒しんとへの手紙てがみ』と『コリントの信徒しんとへの手紙てがみいち』、ヨハネ書簡しょかんである『ヨハネの手紙てがみさん』の、けい4文書ぶんしょ5箇所かしょ言及げんきゅうされている[1][2]。これらについては日本にっぽん聖書せいしょ協会きょうかい発行はっこうしん共同きょうどうやくスタディばんではそれぞれ別人べつじんであろうとされているが、一部いちぶについてはどう一人物いちじんぶつなす見解けんかい複数ふくすう存在そんざいする。

使徒しと言行げんこうろく』での言及げんきゅう

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使徒しと言行げんこうろく』では以下いかの2箇所かしょでの言及げんきゅうがある。

そして、町中まちなかだい混乱こんらんおちいり、人々ひとびとはパウロの道連みちづれであるマケドニヤじんガイオとアリスタルコとをとらえて、いっせいに劇場げきじょうへなだれんだ。 — 『使徒しと言行げんこうろく』19しょう29せつ口語こうごやく聖書せいしょ (Wikisource)

これはエフェソパウロ滞在たいざいしていたおりに、デメトリオというぎん細工ざいく演説えんぜつがきっかけでこった騒動そうどうによって、パウロの同行どうこうしゃたちがらわれた場面ばめんである。

プロのであるベレヤじんソパテロ、テサロニケじんアリスタルコとセクンド、デルベじんガイオ、それからテモテ、またアジヤじんテキコとトロピモがパウロの同行どうこうしゃであった。 — 『使徒しと言行げんこうろく』20しょう4せつ口語こうごやく聖書せいしょ (Wikisource)

こちらは上記じょうきのエフェソの騒動そうどうのちマケドニアしゅうおもむいたさいのパウロの同行どうこうしゃたちである。ちか時期じきについての描写びょうしゃであるが、19しょう言及げんきゅうされていたマケドニアじんガイオと、20しょう言及げんきゅうされているデルベのガイオについては、しん共同きょうどうやくスタディばんでは別人べつじんであろうとされており[3]同様どうよう見方みかたをする文献ぶんけん[4]がある一方いっぽうどう一人物いちじんぶつ可能かのうせい指摘してきする文献ぶんけん[5][1]や、どう一人物いちじんぶつ推測すいそくする論者ろんしゃ多数たすうとする文献ぶんけん[2]などもある。

パウロ書簡しょかんでの言及げんきゅう

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わたしとぜん教会きょうかいとの家主やぬしガイオから、あなたがたによろしく。会計かいけいがかりエラストと兄弟きょうだいクワルトから、あなたがたによろしく。 — 『ローマの信徒しんとへの手紙てがみ』16しょう23せつ口語こうごやく聖書せいしょ (Wikisource)
わたしは感謝かんしゃしているが、クリスポとガイオ以外いがいには、あなたがたのうちのだれにも、バプテスマをさづけたことがない。 — 『コリントの信徒しんとへの手紙てがみいち』1しょう14せつ口語こうごやく聖書せいしょ (Wikisource)

パウロ書簡しょかん合計ごうけい2かい言及げんきゅうされているガイオはどう一人物いちじんぶつであろうとかんがえられている[1][5][2]。『ローマの信徒しんとへの手紙てがみ』はコリントかれたと推測すいそくされており[6][7]、そのでパウロからバプテスマさづけられてキリスト教徒きょうととなっていたガイオは、自分じぶんいえをパウロとその集会しゅうかいのために提供ていきょうしていたとかんがえられている[6][5][8]。ただし、前出ぜんしゅつしん共同きょうどうやくスタディばんのように、『ローマの信徒しんとへの手紙てがみ』と『コリントの信徒しんとへの手紙てがみいち』で言及げんきゅうされているガイオをそれぞれ別人べつじんなす文献ぶんけんもある[9]ぎゃくに、宮内みやうちあきらのように、パウロ書簡しょかんのガイオを同一どういつなしたうえで、『使徒しと言行げんこうろく』に登場とうじょうしたデルベのガイオ、さらにこうだしのヨハネ書簡しょかんのガイオまでどう一人物いちじんぶつなしている論者ろんしゃもいる[10]

なお、『コリントじんへの手紙てがみいち』でガイオとともに言及げんきゅうされているクリスポのは、『使徒しと言行げんこうろく』18しょう8せつにも登場とうじょうする。そのクリスポが会堂かいどうちょうつとめる会堂かいどうとなりにティティオ・ユストという人物じんぶついえがあり、パウロはそこにうつったという記述きじゅつどう18しょう7せつ)がある。このティティオ・ユストのフルネームにガイオがふくまれていたと想定そうていするせつがあるが[5]、そのような想定そうてい否定ひていする見解けんかい[11]もある。

『ヨハネの手紙てがみさん』での言及げんきゅう

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長老ちょうろうのわたしから、真実しんじつあいしている親愛しんあいなるガイオへ。 — 『ヨハネの手紙てがみさん』1せつ口語こうごやく聖書せいしょ (Wikisource)

『ヨハネの手紙てがみさん』はみじか文書ぶんしょであるが、「長老ちょうろう」と名乗なの著者ちょしゃがガイオにてた個人こじんてき手紙てがみである[10]。このガイオは巡回じゅんかい伝道でんどうしゃれ、世話せわをしていた人物じんぶつらしいことが本文ほんぶんかられるが[12]、それ以上いじょうくわしい情報じょうほう直接的ちょくせつてきにはかれていない。前述ぜんじゅつのように、パウロとかかわりのあったガイオとの同一どういつせい想定そうていする意見いけんもあるが[10]、むしろ、それらとむすびつける客観きゃっかんてき根拠こんきょなにもなく[13]別人べつじんであると断言だんげんしている文献ぶんけん[14]もある。また、どう一人物いちじんぶつかどうか不明ふめいとする文献ぶんけん[12]もある。

ふる伝承でんしょうにはガイオが使徒しとヨハネからペルガモ司教しきょうにんぜられたとするものがあるが、史実しじつせい不明ふめいである[13]

表記ひょうきのゆれ

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Gaios [15]日本語にほんご表記ひょうきについて、「ガイオ」とするのはしん共同きょうどうやくのほか、文語ぶんごやく口語こうごやくしん改訳かいやくラゲやくフェデリコ・バルバロわけフランシスコかい聖書せいしょ研究所けんきゅうじょやく塚本つかもととらわけ前田まえだまもるろうわけなどである。

これ以外いがい表記ひょうきとしては、共同きょうどうやく岩波いわなみ委員いいんかいやく田川たがわ建三けんぞうわけなどが採用さいようしている「ガイオス」、日本にっぽん正教会せいきょうかいやく採用さいようしている「ガイ」がある。

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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