クレメンス1せい (ローマ教皇きょうこう)

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ローマのクレメンスから転送てんそう
ローマ教皇きょうこうクレメンス1せい
(ロマのパパ クリメント)
ローマ教皇きょうこう神品しんぴん致命ちめいしゃ使徒しと教父きょうふ
言語げんご表記ひょうき ラテン語らてんご: Clemens Romanus
ギリシア: Κλήμης Ρώμης
英語えいご: Clement of Rome
ロシア: Климент Римский
生誕せいたん 紀元きげんやく35ねんごろ
マ帝国まていこく ローマ
死没しぼつ 101ねんごろ
ボスポロス王国おうこくケルソネソスクリミア半島くりみあはんとう
崇敬すうけいする教派きょうは カトリック教会きょうかい
せい公会こうかい
ルーテル教会きょうかい
正教会せいきょうかい
カルケドン
記念きねん カトリック教会きょうかい11月23にち
正教会せいきょうかい12月8にち修正しゅうせいユリウスれき使用しよう教会きょうかいでは11月25にち)。
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クレメンス1せいラテン語らてんご: Papa Clemens I)もしくはローマのクレメンスラテン語らてんご: Clemens Romanus, ギリシア: Κλήμης Ρώμης, ? - 101ねん?)は、初代しょだい教会きょうかい時代じだいのローマ司教しきょう。のちにローマ教皇きょうこうだい4だいとしてれっせられている(在位ざいい91ねん? - 101ねん?)。英語えいごめい(Clement)からクレメントばれることもあり、また日本にっぽん正教会せいきょうかいでは教会きょうかいスラヴ再建さいけんおんからクリメント転写てんしゃされる。

使徒しと教父きょうふ一人ひとりカトリック教会きょうかい正教会せいきょうかいせい公会こうかいルーテル教会きょうかいなどで聖人せいじん。カトリック教会きょうかいでの記念きねん11月23にち正教会せいきょうかいでの記憶きおく12月8にち修正しゅうせいユリウスれきでは11月25にち)。

正教会せいきょうかいでは神品しんぴん致命ちめいしゃロマの「パパ」クリメント(ロマの「パパ」=ローマ教皇きょうこうのこと、かぎ括弧かっこ原文げんぶんママ)として記憶きおくされる[1][2]

概説がいせつ[編集へんしゅう]

いかりむすけられてうみしずめられてころされるクレメンス(1726ねんさく、Pinacoteca Vaticana)

史実しじつうらづけはないが、伝承でんしょうではペトロ直接ちょくせつ人物じんぶつであり、パウロいた「フィリピの信徒しんとへの手紙てがみ」4:3にあらわれるクレメンスとはかれのことである、といわれてきた。

かれによるといわれる「クレメンスのだいいち手紙てがみ」(96ねん)はコリントス教会きょうかいきたトラブルを仲裁ちゅうさいしようとしたクレメンスの書簡しょかんである。カトリックを中心ちゅうしんに、ここからしょ教会きょうかい仲介ちゅうかいやくとしてローマ司教しきょう役割やくわりたしていたとかんがえ、それがこう教皇きょうこう制度せいど萌芽ほうがになっていくとるむきもある。一方いっぽう、これをクレメンスがローマ教会きょうかい権威けんい教会きょうかいおよぼそうとしたのであって、ローマ教会きょうかい常時じょうじそのような役割やくわりたしていたとはかんがえない学者がくしゃもいる。

伝統でんとうてきにクレメンスにされた「クレメンスのだい手紙てがみ」は、今日きょうでは2世紀せいきなかばごろの成立せいりつ推測すいそくされ、クレメンスのさくではないとかんがえられている。

についての詳細しょうさい不明ふめいであるが、かれ初期しょきのローマ司教しきょうたちとおなじように殉教じゅんきょうしたと推測すいそくされる。マ帝国まていこく版図はんととなっていたクリミア半島くりみあはんとうケルソネソス致命ちめいしたという伝承でんしょうがあり[3]すでキリスト教きりすときょう黒海こっかい沿岸えんがんのギリシア植民しょくみんひろまっていたことがしめされている。ただしこの地域ちいきにおけるキリスト教きりすときょうは、ルーシ内陸ないりくにまでは定着ていちゃくしなかったとされる[4]

このころはまだ、ニカイアこう会議かいぎ決議けつぎされた三位一体さんみいったいについて定式ていしきされていない。しかし、三位一体さんみいったい初期しょき形体けいたいは、1世紀せいきわりころに、ローマのクレメン(35-99ねん)がいた書簡しょかんなかあらわれているとするせつもある。かれは、キリスト教徒きりすときょうとのコミュニティの一部いちぶ堕落だらく存在そんざいする理由りゆうについてたずねている。

わたしたちにはひとりのかみ、ひとりのキリスト、わたしたちにめぐみをそそがれたひとりのれいがあるではありませんか。キリストにあってしはひとつではありませんか?」(クレメンスの手紙てがみ1。46:6)[5][注釈ちゅうしゃく 1]いている。

ただしクレメンス自身じしんは「熱烈ねつれついのりと請願せいがんをもって、宇宙うちゅう創造そうぞうしゃ最愛さいあいのみイエス・キリストをとおし、ぜん世界せかいにいるご自分じぶん選民せんみん過不足かふそくのないかずをそのままにたもたれることを懇願こんがんします。あなたが唯一ゆいいつかみであられ、イエス・キリストがみであることをすべての国民こくみん理解りかいしますように」とべ、ちち唯一ゆいいつかみをし、イエスがかみつかわされたものであるとの理解りかいであった[6]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ The Apostolic Fathers. Vol. 1のなかで、Eharmanは、「クレメンスは Ephesiansの4:4-6で三位一体さんみいったい形式けいしきをほのめかしている」とべている。さらに 1 Clement 58:2も参照さんしょう

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 出典しゅってん:『せいことけい日本にっぽんハリストス正教会せいきょうかい教団きょうだん明治めいじ28ねん初版しょはん平成へいせい5ねん再版さいはん
  2. ^ ロマのせいクリメントをななじゅう門徒もんとせいクリメントと同一どういつするせつもあるが、普通ふつう正教会せいきょうかいではななじゅう門徒もんとせいクリメントとどう一人物いちじんぶつとは看做みなされない。ななじゅう門徒もんとのクリメントは使徒しとパウェル(パウロ)の弟子でしであり、ほん記事きじあつかっているクリメントは使徒しとペトル(ペテロ)の弟子でしである。(出典しゅってんたけおか武夫たけおへんななじゅう小伝しょうでん発行はっこうしゃ及川おいかわしん名古屋なごやハリストス正教会せいきょうかい、1987ねん4がつ19にちばん
  3. ^ しょせい略伝りゃくでん じゅうがつ』71ぺーじ日本にっぽんハリストス正教会せいきょうかい主教しゅきょうちょう(2004ねん1がつ発行はっこう
  4. ^ 黒川くろかわともぶん『ロシア・キリスト教きりすときょう』42ぺーじきょうぶんかん、1999ねん初版しょはん
  5. ^ Ehrman, Bart D. (2003). The Apostolic Fathers. Vol. 1. Loeb Classical Library 
  6. ^ The Library of Christian Classics Volume1, Early Christian Fathers, by Cyril C.Richardson.page70

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]