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きゅうカ国かこく条約じょうやく

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ワシントン体制たいせいから転送てんそう
ささえせきスルきゅうこく条約じょうやく
通称つうしょう略称りゃくしょう きゅうカ国かこく条約じょうやく
署名しょめい 1922ねん2がつ6にち
署名しょめい場所ばしょ ワシントンD.C.
発効はっこう 1925ねん8がつ5にち[1]
締約ていやくこく アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく[2]
イギリスの旗 イギリス[2]
オランダの旗 オランダ[2]
イタリア王国の旗 イタリア王国おうこく[2]
フランスの旗 フランス共和きょうわこく[2]
ベルギーの旗 ベルギー[2]
ポルトガルの旗 ポルトガル[2]
日本の旗 日本にっぽん[2]
中華民国の旗 中華民国ちゅうかみんこく[2]
寄託きたくしゃ アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく連邦れんぽう政府せいふ
文献ぶんけん情報じょうほう 大正たいしょう14ねん8がつ6にち官報かんぽう号外ごうがい条約じょうやくだい8ごう
言語げんご フランス語ふらんすご英語えいご
おも内容ないよう 列国れっこく中国ちゅうごく独立どくりつ行政ぎょうせいてき領土りょうどてき保全ほぜんやくし、門戸もんこ開放かいほう機会きかい均等きんとう原則げんそく承認しょうにん[2]
条文じょうぶんリンク 条約じょうやく本文ほんぶん - 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション
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きゅうカ国かこく条約じょうやく(きゅうかこくじょうやく、Nine-Power Treaty)は、1922ねん大正たいしょう11ねん)のワシントン会議かいぎ出席しゅっせきした9かこく、すなわちアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくイギリスオランダイタリアフランスベルギーポルトガル日本にっぽん中華民国ちゅうかみんこくあいだ同年どうねん2がつ6にち締結ていけつされた条約じょうやく[2]列国れっこく中国ちゅうごく独立どくりつ行政ぎょうせいてき領土りょうどてき保全ほぜんやくし、門戸もんこ開放かいほう機会きかい均等きんとう原則げんそく承認しょうにんした[2]。なお、9かこく条約じょうやく表記ひょうきすることもある[注釈ちゅうしゃく 1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

この条約じょうやくは、中国ちゅうごくかんする条約じょうやくであり、門戸もんこ開放かいほう機会きかい均等きんとう主権しゅけん尊重そんちょう原則げんそく包括ほうかつし、日本にっぽん中国ちゅうごく進出しんしゅつ抑制よくせいするとともに列強れっきょうによる中国ちゅうごく権益けんえき保護ほごはかったものである。日本にっぽんは、だいいち世界せかい大戦たいせんなかむすんだ石井いしい・ランシング協定きょうてい解消かいしょうし、機会きかい均等きんとう体現たいげんし、この条約じょうやくもとづいて別途べっと中国ちゅうごく条約じょうやくむすび、山東さんとうしょう権益けんえきおおくを返還へんかんした(山東さんとう還付かんぷ条約じょうやく)。

これ以後いご国際こくさい社会しゃかいワシントン体制たいせいばれる、中国ちゅうごく権益けんえき侵害しんがい傾向けいこうかった。きゅうカ国かこく条約じょうやく根本こんぽんてき誤謬ごびゅうは、中華民国ちゅうかみんこく国境こっきょう明確めいかくさだめないで、その領土りょうど保全ほぜんみとめ、清朝せいちょう忠誠ちゅうせいちかったモンゴルひとまんしゅうひとチベットひとかい教徒きょうとトルキスタンひとらの種族しゅぞくがその独立どくりつけんを、かん民族みんぞく共和きょうわこく譲渡じょうとしたものと「推定すいてい」したことである[3]

また、きゅうカ国かこくには中国ちゅうごく強大きょうだい影響えいきょうりょくおよぼしソビエト連邦れんぽうソ連それん)がふくまれておらず、ソ連それんは、1924ねん大正たいしょう13ねん)には、そとこうむふる中国ちゅうごくから独立どくりつさせてその支配しはいにおき、また国民党こくみんとう多大ただい援助えんじょあたえるなど、条約じょうやくしばられず自由じゆう活動かつどうた。その結果けっかどう条約じょうやく日本にっぽん防共ぼうきょう活動かつどう制約せいやくくわえる効果こうか発揮はっきし、ソ連それんたい中国ちゅうごく政策せいさくおおきく寄与きよした。

日本にっぽんとワシントン体制たいせい[編集へんしゅう]

ワシントン体制たいせいとはワシントン会議かいぎ締結ていけつされたきゅうカ国かこく条約じょうやくよんカ国かこく条約じょうやくワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやく基礎きそとする、アジア・太平洋たいへいよう地域ちいき国際こくさい秩序ちつじょ維持いじする体制たいせいのことをう。日本にっぽんでは、この体制たいせい基盤きばんとする外交がいこう姿勢しせいを「協調きょうちょう外交がいこう」とび、代々だいだい立憲りっけん民政みんせいとう内閣ないかく外相がいしょうぬさはら喜重郎きじゅうろうらによって遵守じゅんしゅされてきた。

しかし1926ねん大正たいしょう15/昭和しょうわ元年がんねん)に蔣介せききた開始かいしされ、同年どうねんまんけん事件じけん1927ねん昭和しょうわ2ねん)に南京なんきん事件じけんかんこう事件じけん発生はっせいすると、日本にっぽん国内こくないでは協調きょうちょう外交がいこうたいする不満ふまんおおきくなり、とりわけ軍部ぐんぶは「協調きょうちょう外交がいこう」による外交がいこう政策せいさくを「弱腰よわごし外交がいこう」としてつよ批判ひはんした。そして1931ねん昭和しょうわ6ねん)のまんしゅう事変じへんは、きゅうカ国かこく条約じょうやくさだめられた中国ちゅうごく領土りょうど保全ほぜん原則げんそく違反いはんしているとして、各国かっこくから非難ひなんけた。それ以後いごもたびたび日本にっぽん行動こうどうどう条約じょうやく違反いはん非難ひなんされたが、日本にっぽんがわ非難ひなんけるたびにほん条約じょうやく遵守じゅんしゅする声明せいめい公表こうひょうつづけた(しかし1860ねん北京ぺきん条約じょうやくではウスリーがわ以西いせい清国きよくに領土りょうど規定きていされたが、中華民国ちゅうかみんこくはこの条約じょうやく無効むこう主張しゅちょうしていた)。

1932ねん昭和しょうわ7ねん)に成立せいりつしたまんしゅうこく中華民国ちゅうかみんこく義務ぎむ継承けいしょうするとし、またまんしゅうこく承認しょうにんこくたいしても門戸もんこ開放かいほう機会きかい均等きんとう政策せいさくおこなっていた。しかし1934ねん昭和しょうわ9ねん)11月にまんしゅうこくにおいて石油せきゆ専売せんばいほう公布こうふされると、イギリス・アメリカ・オランダのさんヶ国かこくは、承認しょうにんまんしゅうこくではなく日本にっぽん抗議こうぎした[4]。それにたい日本にっぽんは、日本にっぽんにとってまんしゅうこく独立どくりつこくであるため干渉かんしょうすることができず、門戸もんこ開放かいほう機会きかい均等きんとう特定とくてい第三国だいさんごくに、通商つうしょうじょう独占どくせんてき排他はいたてき特権とっけんあたえないことにすぎないとつたえただろうとされている[4]

しかし1937ねん昭和しょうわ12ねん7がつ7にちきた、盧溝橋ろこうきょう事件じけんはじまるにちちゅう戦争せんそうささえ事変じへん)でも不拡大ふかくだい方針ほうしん発表はっぴょうしているにもかかわらず、戦線せんせん徐々じょじょ拡大かくだいしたため[注釈ちゅうしゃく 2]にちちゅう和平わへい仲介ちゅうかいすべく1937ねん昭和しょうわ12ねん11月ブリュッセルきゅうカ国かこく条約じょうやく会議かいぎ(ブリュッセル国際こくさい会議かいぎ)が開催かいさいされた。これをけて休戦きゅうせん主張しゅちょうする石原いしはら莞爾かんじらの協力きょうりょくもあり、だい1近衛このえないかく外務がいむ大臣だいじん広田ひろた弘毅こうきトラウトマン工作こうさく開始かいしした。

しかし日本にっぽんがわは、この会議かいぎへの出席しゅっせき拒否きょひ中華民国ちゅうかみんこく度重たびかさなる条約じょうやく違反いはんや、ほん条約じょうやく不参加ふさんかソ連それん極東きょくとう大軍たいぐん配備はいびをするにいたり、きゅうカ国かこく条約じょうやく無効むこうなすべき状況じょうきょうとなっており[5][ようページ番号ばんごう][注釈ちゅうしゃく 3]ワシントン体制たいせい名実めいじつともに崩壊ほうかいした[よう出典しゅってん][注釈ちゅうしゃく 4]。その日本にっぽんやその加盟かめいこく和平わへいみちさぐるも、1938ねん昭和しょうわ13ねん1がつ16にちには「爾後じご國民こくみん政府せいふたいトセズ」とするだいいち近衛このえ声明せいめい発表はっぴょうされ、和平わへいへのみちざされた。さらに、近衛このえ文麿ふみまろ内閣ないかく総理そうり大臣だいじんひろしちょうめい政権せいけん樹立じゅりつし、石原いしはら莞爾かんじらの独自どくじ和平わへい工作こうさく完全かんぜん阻止そしした。こうして、にちちゅう戦争せんそう泥沼どろぬまし、日本にっぽん国際こくさいてき孤立こりつ加速かそくすることとなる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 中学ちゅうがく社会しゃかい 歴史れきし』(教育きょういく出版しゅっぱん株式会社かぶしきがいしゃ平成へいせい10ねん1がつ20日はつか発行はっこう文部省もんぶしょう検定けんていずみ教科書きょうかしょ中学校ちゅうがっこう社会しゃかいよう)p 229には、「9かこく条約じょうやく」と記載きさいされている。
  2. ^ 自衛じえい要件ようけんたさずに、武力ぶりょく解決かいけつはかることは、日本にっぽん締約ていやくした不戦ふせん条約じょうやく違反いはんする。
  3. ^ まんしゅう事変じへんきた時点じてんすで条約じょうやく無効むこうとなっていたとするせつもある[よう出典しゅってん]
  4. ^ ワシントン体制たいせい一翼いちよくになっていたワシントン海軍かいぐん軍縮ぐんしゅく条約じょうやく1936ねん昭和しょうわ11ねん12月失効しっこうしている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本にっぽん学術がくじゅつ振興しんこうかい条約じょうやく目録もくろく』1936ねん
  2. ^ a b c d e f g h i j k l "きゅうヵ国かこく条約じょうやく". ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてん. コトバンクより2021ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  3. ^ ブロンソン・レーちょ 田村たむらみゆきさくやくまんしゅうこく出現しゅつげん合理ごうりせい日本にっぽん国際こくさい協会きょうかい 1936ねん
  4. ^ a b まんしゅうこく石油せきゆ問題もんだいえいべいらんさんこく毅然きぜんわが態度たいど宣明のぶあき 第三国だいさんごく不当ふとう抗議こうぎくさび一両日いちりょうじつちゅう外務省がいむしょうから通牒つうちょう 大阪毎日新聞おおさかまいにちしんぶん 1934ねん11月4にち
  5. ^ 渡部わたなべ昇一しょういち『アメリカが畏怖いふした日本にっぽん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]