(Translated by https://www.hiragana.jp/)
日本の花嫁 - Wikipedia コンテンツにスキップ

日本にっぽん花嫁はなよめ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本にっぽん花嫁はなよめ
The Japanese Bride
著者ちょしゃ 田村たむらただししん
発行はっこう 米国べいこく1893ねん
発行はっこうもと ハーパー・アンド・ブラザーしゃ
ジャンル 日本にっぽん文化ぶんか宗教しゅうきょう結婚けっこん
くに 米国べいこく日本にっぽん
言語げんご 英語えいご日本語にほんご
ページすう 92
[ ウィキデータ項目こうもく編集へんしゅう ]
テンプレートを表示ひょうじ

日本にっぽん花嫁はなよめ』(にほんのはなよめ)は、キリスト教きりすときょう牧師ぼくし田村たむらただししん著書ちょしょ内容ないようきょうかい内外ないがい問題もんだいとなり、田村たむら自身じしん長老ちょうろう教会きょうかいからいち時期じき追放ついほうされた。

出版しゅっぱん[編集へんしゅう]

1889ねん

田村たむら1893ねん米国べいこく出版しゅっぱんしゃからThe Japanese Bride出版しゅっぱんした。これは日本語にほんごで『米国べいこく婦人ふじん』として6ねんまえ出版しゅっぱんされていたものである。

内容ないよう[編集へんしゅう]

田村たむら自身じしん説明せつめいによると「このしょいて、日本にっぽん米国べいこく婦人ふじん地位ちい相違そういろんじ、わたし持論じろんなる男女だんじょ同権どうけんろん主張しゅちょうし、日本にっぽん風俗ふうぞく習慣しゅうかん破壊はかいし、新日本しんにほんいて、しんホームをつくるの必要ひつよう高調こうちょうし、キリストきょうちからでなくては、男女だんじょ貞潔ていけつまもこと出来できず、婦人ふじん地位ちいたかめることの出来できないことも極論きょくろんした」[1]

  • いち何故なぜ彼等かれら結婚けっこんするか
  • よめさが
  • さん媒介ばいかいしゃ
  • よん結婚けっこん支度したく
  • 結婚式けっこんしき
  • ろく結婚けっこん旅行りょこう
  • なな家庭かていにおける花婿はなむこ花嫁はなよめ
  • はちはは祖母そぼ

の8しょうからなっている。

序文じょぶんに「仏教ぶっきょう影響えいきょう家庭かていとキリストきょう影響えいきょう家庭かてい比較ひかく」することとあり、「あくまでもキリスト教きりすときょう立場たちばから、このしょ著述ちょじゅつしたものである。当時とうじ日本にっぽん主義しゅぎれて人々ひとびと応戦おうせんこころみたのである。[2]」「キリストきょうはんする日本にっぽん風俗ふうぞく習慣しゅうかんかんして、おのれ意見いけん発表はっぴょうした[3]」としている。また序文じょぶんで「日本人にっぽんじん徳義とくぎはパリサイてき(形式けいしき主義しゅぎてき)かたちであってしんではない」という。

日本にっぽん花嫁はなよめ事件じけん[編集へんしゅう]

新聞しんぶん日本にっぽん』、『まんあさほう』がこのほん非難ひなんし、日本にっぽんの200以上いじょう新聞しんぶんが『まんあさほう』の論説ろんせつ転載てんさいした。

キリスト教きりすときょう牧師ぼくしである植村うえむら正久まさひさ1893ねん、『福音ふくいん新報しんぽう』127ごう田村たむら非難ひなんした。

「『日本にっぽん花嫁はなよめ』はしるしていわく、われらはあい禽獣きんじゅうてき情欲じょうよくとを同一どういつす。いわく、わが人民じんみん清潔せいけつなるあいあじわいらず。いわく、日本にっぽんにては、父親ちちおや無限むげん独裁どくさい君主くんしゅなり。まんけんこれにぞくす。いわく、おや児女じじょこんよめのみに熱心ねっしんして、その将来しょうらい幸福こうふく繁栄はんえいおもんばかることなし云々うんぬん。このるい枚挙まいきょするにあらざるなり。これ真実しんじつ日本にっぽん社会しゃかいうつせるものにざるなり。」
いま田村たむらうえぶんのごときかいなる文字もじろうして、同胞どうほう外国がいこくそしれり。我輩わがはいのためにふかくこれを愧じ、またこれをかなしまんずばあらざるなり、よし真実しんじつなることにもせよ、自国じこくこと一々いちいちこれを外国がいこくつげぐるの必要ひつようなし。あるいはこれを隠蔽いんぺいするの義務ぎむあり。きょう虚妄きょもう記事きじつらねて自国じこく恥辱ちじょく海外かいがい風潮ふうちょう(原文げんぶんママ)するをや。我輩わがはいこの種類しゅるいぞくする著書ちょしょ軽薄けいはく爪弾つまびきす。」 [4]

ほかにもきょうかいの『基督教きりすときょう新聞しんぶん』、『おんながく雑誌ざっし』もこのほん非難ひなんし、日本にっぽんキリスト教きりすときょう婦人ふじん矯風きょうふうかい絶版ぜっぱんもとめた。キリスト教きりすときょう青年せいねんかい(YMCA)理事りじしょくからは追放ついほうされた。

さらに、井深いぶか梶之助かじのすけ山本やまもとしげる熊野くまのつよしななにより、日本基督教会にほんきりすときょうかい教会きょうかい法廷ほうてい告発こくはつされる。告訴こくそじょうには「本書ほんしょ記述きじゅつ体裁ていさい軽佻けいちょう浮薄ふはくにして虚実きょじつ混淆こんこうみだりに日本人にっぽんじんみん恥辱ちじょくとなるべきことを記載きさいしたり。すなわ同胞どうほうを讒誣(ざんぶ)したるものにして、日本基督教会にほんきりすときょうかい教師きょうししょくよごしたるものとす」[5]とある。

ちゅうかい教会きょうかい法廷ほうていは「同胞どうほう讒誣ざい(どうほうざんぶざい)」で田村たむらただししん譴責けんせきした。

判決はんけつ不服ふふくとする田村たむら大会たいかい上告じょうこくした。かれ社会しゃかい風俗ふうぞくたいして批評ひひょうしたのであって、信仰しんこうてき異端いたんとなえたわけでないのだから、教会きょうかい法廷ほうてい判決はんけつ不当ふとうであると主張しゅちょうした。

大和やまと連合れんごうかい基督きりすと青年せいねんかいちゅうかい判決はんけつ直後ちょくごの10がつ6にち基督教きりすときょう新聞しんぶん』に公開こうかい書簡しょかん発表はっぴょうした。

現今げんこん我国わがくににおいてキリストきょう伝道でんどう妨害ぼうがいとなるものもとよりいちにしてたらず。されどもキリストきょうをもって忠君ちゅうくん愛国あいこくとなす悪感情あくかんじょうおよび誤解ごかいなんとなく全国ぜんこく伝播でんぱせることはたしかにそのいちにしてだん重大じゅうだいなるものならざるべからず。ゆえいまときにあっては吾輩わがはいキリスト教徒きりすときょうとよろしく全国ぜんこく同胞どうほうにむかってキリストきょう本旨ほんし根拠こんきょあかりべんすると同時どうじ我輩わがはいキリスト教徒きりすときょうと陛下へいかおよびわれ国家こっかたいする赤心せきしんしめしてもって同胞どうほう安堵あんどせしめざるべからざるなり。しかしてときときなれやなにはからん田村たむら日本にっぽん花嫁はなよめ事件じけんんとはそのくちわる反対はんたいしゃおよび浅見せんけんなるキリスト教きりすときょうしゃのために嘲罵ちょうばざんしょしんたる材料ざいりょう引証いんしょうあたえたるこそかしこけれ」

1894ねんだい9かい日本基督教会にほんきりすときょうかい大会たいかい植村うえむらは、

「此の問題もんだいに就ては最早もはや多言たげんするをようしない。先刻せんこく以来いらいかれ自己じこ弁護べんごする態度たいどればわかる。此のごとひと日本基督教会にほんきりすときょうかい教職きょうしょくとしてみとめむるべきかなにうか、またづから分明ぶんめいである。」

べた[6]

大会たいかいではちゅうかいよりさらに罪状ざいじょう処分しょぶんおもくなり、大会たいかいは「日本にっぽん国民こくみん侮辱ぶじょくしたるもの」として、田村たむらただししん牧師ぼくしから免職めんしょくした。「教職きょうしょくまぬかれず」とする判決はんけつくだした教会きょうかい法廷ほうてい判決はんけつぶんつぎとおり。

「そもそもこの著書ちょしょ国民こくみん面目めんぼく犠牲ぎせいとなして金銭きんせんはくしたるものにしてすなわ同胞どうほう海外かいがい侮辱ぶじょくしみだりに本邦ほんぽうじん名誉めいよ毀損きそんせるものなり」。[7]

井深いぶか梶之助かじのすけは、「ものには内外ないがいべつあるもの也然れども花嫁はなよめ著者ちょしゃ日本にっぽん国民こくみん恥辱ちじょくとなるべきこと外国がいこくを以って外国がいこくいて著述ちょじゅつしたり」とべ、押川おしかわ方義まさよしは「祖先そせんのこしたる高潔こうけつなる親子おやこあいだ道徳どうとくを誣て海外かいがいはずかしむる」とった。

教会きょうかい主義しゅぎ内村うちむら鑑三かんぞう判決はんけつ満足まんぞく表明ひょうめいしてべた。

宗教しゅうきょう国家こっか観念かんねんのうえにつものなることはやから充分じゅうぶん是認ぜにんするところなり。されども国家こっか名誉めいよ犠牲ぎせいきょうし、国家こっかはずかしめてつてぬのする宗教しゅうきょう邪道じゃどうなり」 [8]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

古屋こや安雄やすおは、「この問題もんだい教会きょうかい裁判さいばんにまでいった最大さいだい原因げんいんは、国粋こくすい主義しゅぎにたいする教会きょうかい自己じこ保存ほぞんてき迎合げいごう態度たいど」でないかとかんがえている[9]土肥どい昭夫あきおはこの事件じけんを「キリストきょう排撃はいげきする国家こっか主義しゅぎてき風潮ふうちょうたいしてキリストきょうあかしをたてるためであった」としている[10]小野おの静雄しずおはこの事件じけんこったのは、1890ねんごろから日本にっぽん教会きょうかいきょうぜいおとろえていたために田村たむらほうむりさることによってあかしてようとしたことと、かれらが日本にっぽん家族かぞく制度せいどうつくしいものとていたことが理由りゆうかんがえている[11]ウィリアム・インブリーはこの裁判さいばん先立さきだち、コメントを裁判さいばん提出ていしゅつしたいと依頼いらいじょうおくってきた田村たむらたいし、1894ねん5がつ14にちけで「この著書ちょしょ刺激しげきてきではあるけれども、日本にっぽん侮辱ぶじょくする意図いとのもとに、あるいは記述きじゅつ内容ないよういつわりであることを承知しょうちうえかれたとはおもっていない」とアメリカから返事へんじいて田村たむら著作ちょさく理解りかいしめしている[12]

一方いっぽう、このほんにある米国べいこくてき個人こじん主義しゅぎへの疑問ぎもんもでている[13]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 信仰しんこうじゅうねん』p.208
  2. ^ 信仰しんこうじゅうねん』p.211
  3. ^ 信仰しんこうじゅうねん』p.220
  4. ^ 井深いぶか梶之助かじのすけとその時代じだいだいかん p.350-351
  5. ^ 井深いぶか梶之助かじのすけとその時代じだいだいかん p.346-347
  6. ^ 植村うえむら正久まさひさ時代じだいだいかんp.762-764
  7. ^ 井深いぶかかじ乃助とその時代じだい』2かん p.366-390に議事ぎじろく
  8. ^ 内村うちむら鑑三かんぞう信仰しんこう著作ちょさく全集ぜんしゅう』24かん、p.55
  9. ^ 日本にっぽん神学しんがく』p.126
  10. ^ 日本にっぽんプロテスタント・キリスト教きりすときょう
  11. ^ 日本にっぽんプロテスタント教会きょうかい』p.143
  12. ^ 中島なかじま(2011ねん pp.149-150
  13. ^ 花嫁はなよめ事件じけん”のぜん資料しりょう網羅もうら図書としょ新聞しんぶん』2003ねん5がつ24にち

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 植村うえむら正久まさひさ時代じだい佐波さわわたる きょうぶんかん
  • 日本にっぽんプロテスタント教会きょうかい小野おの静雄しずおしる ひじりめぐみ授産じゅさんしょ出版しゅっぱん
  • 田村たむらただししん日本にっぽん花嫁はなよめ米国べいこく婦人ふじん」』資料集しりょうしゅう 藤澤ふじさわあきら梅本うめもと順子じゅんこ共著きょうちょ 大空おおぞらしゃ
  • 日本にっぽん神学しんがく古屋こや安雄やすお ヨルダンしゃ
  • 『キリストしゃであることと日本人にっぽんじんであること』井戸いどかきあきら いのちのことばしゃ
  • 中島なかじまこうつじ直人なおと大西おおにし晴樹はるき長老ちょうろう改革かいかく教会きょうかい来日らいにち宣教師せんきょうし事典じてん (日本にっぽんキリスト教きりすときょう双書そうしょ)』新教しんきょう出版しゅっぱんしゃ、2003ねんISBN 978-4400227403 
  • 中島なかじまこう近代きんだい日本にっぽん外交がいこう宣教師せんきょうし吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2011ねんISBN 978-4642038096 


外部がいぶリンク[編集へんしゅう]