バークレー・バックストン

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バークレー・フォーエル・バックストン
生誕せいたん 1860ねん8がつ16にち
イギリスエセックスしゅうレイトン
死没しぼつ 1946ねん2がつ5にち
イギリスウィンブルトン
出身しゅっしんこう ケンブリッジ大学けんぶりっじだいがく
職業しょくぎょう 牧師ぼくし宣教師せんきょうし神学校しんがっこう教師きょうし
配偶はいぐうしゃ マーガレット・レイルトン
子供こども マーレー・バックストンアルフレッド・バックストンゴッドフレー・バックストン
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バックストン
バークレー・バックストン最後さいご来日らいにち三谷みたにたねきちらと。1937ねん

バークレー・フォーエル・バックストン(Barclay Fowell Buxton、1860ねん8がつ16にち - 1946ねん2がつ5にち)は、1890ねんから1907ねんまで日本にっぽん活動かつどうしたイギリスせい公会こうかい宣教師せんきょうし[1]司祭しさい牧師ぼくし神学校しんがっこう教師きょうし聖霊せいれいたされることを強調きょうちょうしておしえた。バックストンとその弟子でしたちは、日本にっぽん福音ふくいん源流げんりゅうひとつ「松江まつえバンド」とばれるクリスチャン集団しゅうだん形成けいせいしたとされる。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

最後さいご来日らいにち77さいごろのバックストン
  • 1937ねん ふたた来日らいにち半年はんとしあいだ全国ぜんこく巡回じゅんかいし、125かい講演こうえんおこない、のちにイギリスにかえる。
  • 1946ねん2がつ5にち イギリスで死去しきょ(85さい) 

弟子でし[編集へんしゅう]

松江まつえ時代ときよ[編集へんしゅう]

神戸こうべ時代じだい[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ バクストン」『ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてんコトバンク。2020ねん7がつ10日とおか閲覧えつらん
  2. ^ p12、上野うえの和也かずや、「バックストンと松江まつえバンド」、Asia Graduate School of Theology 博士はかせ論文ろんぶん
  3. ^ 島根しまねけん松江まつえ北堀きたほりまち赤山あかやまにてバックストンていにて「赤山あかやま講話こうわ」がはじまる。ほん赤山あかやま講話こうわ(福田ふくだ平治へいじひろしこうしゃ印刷いんさつ)松江まつえのバックストン活躍かつやく写真しゃしんり;福田ふくだ平治へいじまご:福田ふくだ良子りょうこ所蔵しょぞう (イギリス社会しゃかい福祉ふくしについておしえ、の「山陰さんいん社会しゃかい事業じぎょうちち-福田ふくだ平治へいじ」をキリストきょうみちびいた)

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]