アルミニウス主義しゅぎ

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アルミニウス主義しゅぎ(アルミニウスしゅぎ)は、オランダ改革かいかく出身しゅっしんヤーコブス・アールミニウス(ハルメンセン)カルヴァン主義しゅぎ神学しんがく定説ていせつ疑問ぎもんったことからまれた、ちゅうミドル・ノウレッヂ主義しゅぎ神学しんがくふくカルビニスム修正しゅうせい主義しゅぎ神学しんがく、カルヴァン主義しゅぎ傍流ぼうりゅう神学しんがくである。

論争ろんそう途中とちゅうくなったアルミニウスの死後しご1610ねんに、かれ支持しじしゃたちが、ウーテンボハールトを中心ちゅうしん自分じぶんたちの信条しんじょうさだめた『建白けんぱくしょ』(Remonstrantie)を提出ていしゅつ、アルミニウス主義しゅぎ認可にんか政府せいふもとめたことから、レモンストランスばれた。この問題もんだい解決かいけつするために1618ねんドルトレヒト会議かいぎがもたれたが、この会議かいぎでは、アルミニウス主義しゅぎは、公式こうしきみとめられなかった。現在げんざいでは、メソジストホーリネスなどがこの立場たちばっている。

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

先行せんこうてき恩寵おんちょう概念がいねん前提ぜんていとした全的ぜんてき堕落だらく全的ぜんてき無能むのうせい[編集へんしゅう]

アダムつみいでいる人間にんげんは、かみいかのもとにあるが、かみ人間にんげん自分じぶん意志いしかみ協力きょうりょくするちからあたえているので、人間にんげんは、自分じぶんちからイエスすくいをもとめ、回心かいしんのためにそなえることができる。

アルミニウスが主張しゅちょうしたのは「部分ぶぶんてき堕落だらく部分ぶぶんてき無能力むのうりょく」ではない。そのように主張しゅちょうすることは、アルミニウス主義しゅぎペラギウス主義しゅぎ同類どうるいのものとして批判ひはんてきさら理由りゆうとなる。カルヴァン主義しゅぎ同様どうよう、アルミニウスも「全的ぜんてき堕落だらく」「全的ぜんてき無能力むのうりょく」の教理きょうりれた。ただし、このせいけたひとで、全的ぜんてき堕落だらく状態じょうたいのままで放置ほうちされているもの一人ひとりもいない、キリストの十字架じゅうじかによるあがないのめぐみによって、すくなくともかみけ・すくいへのまねきに応答おうとうする能力のうりょく恢復かいふくされたとかんがえたのである。これにたいし、カルヴァン主義しゅぎは、「全的ぜんてき堕落だらく」をこのような能力のうりょくすらない堕落だらくした状態じょうたいであるとかんがえる。

このような能力のうりょく一部いちぶ回復かいふくすくいに先立さきだめぐみを「先行せんこうてき恩寵おんちょう」とぶが、この概念がいねんは、ジョン・ウェスレーにおいて顕著けんちょであって、それゆえアルミニウス主義しゅぎは、しばしば「ウェスレー・アルミニウス主義しゅぎ」としょうされる。

条件じょうけんてきえら[編集へんしゅう]

かみはあらかじめだれがキリストをしんじるかており、その予知よちもとづいてしんじるもの天国てんごくえらぶことをめる。すくいは信仰しんこう条件じょうけんづけられているので、まんにん救済きゅうさい主義しゅぎ(ユニバーサリズム)ではなく、すくいのそなえが、まんにんのものであるとする。

特定とくてい贖罪しょくざい[編集へんしゅう]

キリストの贖罪しょくざいは、かれ意識いしきてきこばものをもふくすべてのひとのためである(しんじないですくわれるわけではないが、かみあわれみとめぐみは予定よていされるものではない)。

かみじつにそのひとりをおあたえになったほどにこのあいされた。それは、御子みこしんじるもの一人ひとりとしてほろびることなく、永遠えいえんのいのちをつためである。かみ御子みこつかわされたのは、をさばくためではなく、御子みこによってすくわれるためである。 — ヨハネ 3:16~17
おもは、あるひとたちがおそいとおもっているように、その約束やくそくのことをおくらせておられるのではありません。かえって、あなたがたにたいして忍耐にんたいふかくあられるのであって、ひとりでもほろびることをのぞまず、すべてのひとあらためにすすむことをのぞんでおられるのです。 — 2ペトロ 3:9

こうてき恩恵おんけい[編集へんしゅう]

人間にんげんすくおうとするかみめぐみに抵抗ていこうし、こばむことができる。 創世そうせい3しょうにおいて、かみは「善悪ぜんあく知識ちしき」をべてはならない、とめいじておきながら、見張みはっていてべることを強制きょうせいてきめるようなことはしなかった。自分じぶんかたち創造そうぞうした人間にんげん自由じゆう意志いし尊重そんちょうした。ヨナしょむと、このままだと40にちにあなたかたほろぶ、というヨナの使つかいしんについて、ニネベ人々ひとびと無視むしすることができたが、実際じっさいには、しんじてあらためたので、40にちほろびをかみおもなおした。

相対そうたいてき保証ほしょう[編集へんしゅう]

すくわれたもの堕落だらくし、ほろびることがある。かれらの最後さいご状態じょうたいがどうなるかはいえない。ただし「かみあいのうちに自分じぶん自身じしんたもつ」(ユダ21せつめぐみはそなえられているので、背教はいきょう必然ひつぜんせいはない。可能かのうせいのみをみとめる。

ただしいひとがそのただしいおこないをやめて、不正ふせいおこなうなら、わたしはかれまえにつまづきをく。かれななければならない。 — エゼキエル 3:20
ただしいひとがそのただしいおこないからとおざかり、不正ふせいをし、悪者わるものがするようなあらゆるきらうべきことをするならかれきられるだろうか。(中略ちゅうりゃくかれ不信ふしんさからいと、おかしたつみのために、ななければならない。 — エゼキエル18:24

カルヴァン主義しゅぎ正統せいとうとの対比たいひ[編集へんしゅう]

アルミニウス主義しゅぎたいして、ドルト信仰しんこう基準きじゅんについて簡単かんたんうと、

  1. 全的ぜんてき堕落だらく (Total depravity)
  2. 無条件むじょうけんてきえらび (Unconditional election)
  3. 制限せいげんてき贖罪しょくざい (Limited atonement)
  4. 不可ふか抵抗ていこうてき恩恵おんけい (Irresistible grace)
  5. 聖徒せいと堅忍けんにん (Perseverance of the saints)

であり、この5つの特質とくしつをもってカルヴァン主義しゅぎ正統せいとうとし、この頭文字かしらもじをとって、しばしば「TULIP」の神学しんがく神学しんがくしゃもいる[だれ?]

アルミニウス主義しゅぎはこのぎゃくであったわけだが、アルミニウスは、しんじていなくても結果けっかてきすくわれる(まんにん救済きゅうさい主義しゅぎ、ユニバーサリズム)とかんがえたのではなく、

あなたがたは、おこなって、あらゆる国々くにぐに人々ひとびと弟子でしとしなさい。そして、ちち聖霊せいれい御名ぎょめいによってバプテスマさづけ、またわたしがあなたがたにめいじておいたすべてのことをまもるようにかれらにおしえなさい。 — マタイ 28:20

とある聖書せいしょのことばが、カルヴァンめぐかみ予定よていひじりじょう強調きょうちょうするあまり、あらかじめまっているのだから伝道でんどうしなくてもよいような、むなしいようなかんがかたおちいってしまうこと、人間にんげん自由じゆう意志いし軽視けいししている、ことをいいたかったのである。

つまり、アルミニウスは、かみ主権しゅけんめぐみが人間にんげん自由じゆう意志いしとどのようにかみっているのか、とかんがえたのであって、ペラギウスのように、意思いしはたらかせて努力どりょくすればかみのもとへのぼっていくことができるとかんがえたわけではなく、また、かみめぐみの質量しつりょう保持ほじするために、人的じんてきはたらきの意義いぎ極限きょくげんにまで減少げんしょうさせなければならないとかんがえたわけでもない。さらに、創造そうぞうしゃであるかみ主権しゅけん人間にんげんとの関係かんけいにおいて絶対ぜったいてき不可ふか抵抗ていこうてきかたち行使こうしされなければ主権しゅけん意義いぎがないがしろにされるとはかんがえなかった。アルミニウスにとって、すくいも信仰しんこう人間にんげん功績こうせきとは無関係むかんけいに、キリストのめぐみのゆえにあたえられるかみ賜物たまものである。しかし、その信仰しんこうは、ひと自分じぶんけてはたらかせなければ意味いみがない、先行せんこうしていくめぐみにたいしてついていくのかそれともこばむのか、またかみ一方いっぽうてきあいたいしてどのような態度たいどり、どのように反応はんのうするのかは、人間にんげん責任せきにん領域りょういきにあるとう。あい礼拝れいはい世界せかいでは、自発じはつてき参加さんかすることは、強制きょうせいてきなかまれるよりはるかにすばらしいという道徳どうとくてき原則げんそくを、かみ主権しゅけん否定ひていしない。

自由じゆうりつほう(=信仰しんこうによってすくわれているので、りつほうまもることから自由じゆうになっている状態じょうたい)にさばかれるものらしくかたり、またそのようにおこないなさい。(中略ちゅうりゃく)〔よろこばしい確信かくしんにあふれる=(信仰しんこうによってすくわれた状態じょうたい)〕あわれみは、さばきにかってほこるのです。(中略ちゅうりゃく)だれかが自分じぶんには信仰しんこうがあるとっても、そのひとおこないがないなら、なんやくちましょう。 — ヤコブ 2:12~14
兄弟きょうだいまた姉妹しまいだれかが、るものがなく、また、毎日まいにちものにもこといているようなときに、(中略ちゅうりゃく)そのひとたちに、(中略ちゅうりゃく必要ひつようなものをあたえないなら、なにやくつでしょう。」 — ヤコブ 2:15~16
ひとりひとり、いやいやながらでなく、いられてでもなく、しんめたとおりにしなさい。かみよろこんであたえるひとあいしてくださいます。 — 2コリント 9:7

しかし、アルミニウスの後継こうけいしゃなかから、すくいにおける人間にんげん役割やくわり強調きょうちょうするあまり、ペラギウス主義しゅぎはんペラギウス主義しゅぎおちいってしまうものあらわれたという事実じじつと、聖書せいしょをよくむとわかるように、じつ両派りょうは聖書せいしょつたえたいことをべつめんからいいかえていることから、カルヴァン主義しゅぎしゃも、論争ろんそうからはなれてしまえばアルミニウス主義しゅぎしゃおなじように行動こうどうし、生活せいかつしていることも事実じじつである。

また、カルヴァンとアルミニウスには、19世紀せいき以降いこう自由じゆう主義しゅぎ神学しんがくなどおおくの共通きょうつうてきかわなければならなくなったため、現在げんざいでは、おたがいに相手あいて異端いたんとはみなしていない[1]

1784ねんメソジスト英国えいこく国教こっきょうかいせい公会こうかい)から独立どくりつしたが、そのさい同派どうはは、アルミニウス主義しゅぎ英国えいこく国教こっきょうかいからいだ。メソジスト母体ぼたいとなって、アメリカでホーリネス、ナザレン、アライアンス、フリーメソジストなどの教会きょうかいまれ、ホーリネス教会きょうかいからペンテコステながれがされたが、すべてアルミニウス主義しゅぎいでいくこととなった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 福音ふくいん主義しゅぎキリスト教きりすときょう福音ふくいん』p.95-96

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 『ウェスレアン神学しんがく事典じてん』リチャード・テーラーへん 福音ふくいん文書ぶんしょ刊行かんこうかい
  • 『カルヴィニズムの5特質とくしつ』エドウィン・H・パーマー つのぶえしゃ
  • 福音ふくいん主義しゅぎキリスト教きりすときょう福音ふくいん宇田うだすすむ いのちのことばしゃ

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]