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芙蓉ふようグループ

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芙蓉ふよう懇談こんだんかいから転送てんそう
富士銀行ふじぎんこう本店ほんてん

芙蓉ふようグループ(ふようグループ、英語えいごFUYO GROUP)は、安田やすだ財閥ざいばつ浅野あさの財閥ざいばつ大倉おおくら財閥ざいばつひとし系譜けいふ企業きぎょう富士銀行ふじぎんこうげんみずほ銀行ぎんこう)の融資ゆうし系列けいれつからなる企業きぎょう集団しゅうだんである。芙蓉ふようかい芙蓉ふよう懇談こんだんかい加盟かめいする企業きぎょうからなる。“芙蓉ふよう”のは、中核ちゅうかくだった富士銀行ふじぎんこうの“富士ふじ”の雅称がしょう由来ゆらいする[ちゅう 1]芙蓉ふようマ字まじ表記ひょうき頭文字かしらもじって「Fグループ」ともばれる。

富士銀行ふじぎんこうとの“つながり”がベースとなって形成けいせいされた企業きぎょう集団しゅうだんであり、「富士銀行ふじぎんこう筆頭ひっとうとする垂直すいちょく関係かんけい具備ぐびしたグループとしての経営けいえい支配しはい」ではなく、「グループ企業きぎょうたがいに対等たいとう関係かんけいにあっての業種ぎょうしゅえた交流こうりゅう」といえる。

古川ふるかわ鉄治郎てつじろう設立せつりつした財団ざいだん芙蓉ふようかいや、ざいかん日本にっぽん婦人ふじんかいである芙蓉ふようかいは、いずれも芙蓉ふようグループとはべつ団体だんたいである。

歴史れきし

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安田やすだ財閥ざいばつ創始そうししゃ安田やすだ善次郎ぜんじろうは「金融きんゆうぎょう金融きんゆうぎょうてっするべき」という哲学てつがくをもっており、三菱みつびし三井みつい住友すみとものようなほか財閥ざいばつことなり重工業じゅうこうぎょう通商つうしょうには参入さんにゅうしなかった。そのため経営けいえい資源しげん金融きんゆう部門ぶもん集中しゅうちゅうすることで金融きんゆう財閥ざいばつとして成功せいこう安田やすだ銀行ぎんこう安田火災やすだかさい安田やすだ生命せいめいなどの強力きょうりょく金融きんゆう企業きぎょうそだてた。また沖電気おきでんき日本精工にっぽんせいこうなどといったきゅう安田やすだ関連かんれん企業きぎょうへも融資ゆうしとうおこなっていたものの、企業きぎょう育成いくせい経営けいえい支配しはいなどについてはおおよそ消極しょうきょくてきであった。

安田やすだ善次郎ぜんじろう死後しごになって安田やすだ銀行ぎんこう企業きぎょう育成いくせいすようになり、浅野あさの財閥ざいばつ根津ねづ財閥ざいばつ大倉おおくら財閥ざいばつなど小規模しょうきぼ財閥ざいばつへの融資ゆうしおこなった。また、新興しんこう財閥ざいばつであるもりコンツェルン日産にっさんコンツェルンとも親密しんみつとなる。しかし、これらは融資ゆうし関係かんけいまり直系ちょっけい企業きぎょうとして産業さんぎょう垂直すいちょく支配しはいしようとするうごきはなかった。

だい世界せかい大戦たいせん安田やすだ財閥ざいばつ持株もちかぶ会社かいしゃであった安田やすだたもつぜんしゃは、GHQによる財閥ざいばつ解体かいたいれいたずして自主じしゅてき解散かいさん。プロパーの安田やすだ銀行ぎんこう幹部かんぶ安田やすだによる同族どうぞく経営けいえい決別けつべつし、1948ねん安田やすだ銀行ぎんこう富士銀行ふじぎんこう改称かいしょうした。これ以降いこう戦前せんぜんしょう財閥ざいばつとの関係かんけいつづいた。

経済けいざい主流しゅりゅう取引とりひき

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富士ふじは、終戦しゅうせん、しばらく都市とし銀行ぎんこうさかいにおいてトップの地位ちいにあった。だが、2三菱銀行みつびしぎんこう、3住友銀行すみともぎんこう企業きぎょう集団しゅうだん背景はいけいにトップの目指めざ猛攻もうこう開始かいしきゅう安田やすだ財閥ざいばつには事業じぎょう部門ぶもん優良ゆうりょう企業きぎょうがなかったため、富士ふじ苦戦くせん目立めだはじめた。そこで、案出あんしゅつされた戦略せんりゃくが「経済けいざい主流しゅりゅう取引とりひき」であった。「経済けいざい主流しゅりゅう取引とりひき」とは、その時々ときどき経済けいざい情勢じょうせいにおいて、主流しゅりゅうすとおもわれる経済けいざい主体しゅたい当時とうじだい企業きぎょう取引とりひき強化きょうかメインバンクとなることであり、富士ふじ東京大学とうきょうだいがくそつ優秀ゆうしゅう行員こういん企画きかく配置はいち。「経済けいざい主流しゅりゅう取引とりひき」をまかせられる有為ゆうい人材じんざい育成いくせいちからそそいだ[1]。この「経済けいざい主流しゅりゅう取引とりひき」が全店ぜんてんレベルで実践じっせんうつされると、重点じゅうてん企業きぎょう取引とりひき担当たんとうてん主管しゅかんてん)が取引とりひきさき調しらべ、その取引とりひきさき所在地しょざいち支店してん協力きょうりょくしながら、取引とりひき開拓かいたくする「躍進やくしんさんだい運動うんどう」(預金よきん躍進やくしん基盤きばん確立かくりつ合理ごうり)を展開てんかいした。なお、この「経済けいざい主流しゅりゅう取引とりひき」なる用語ようごかんがえたしたのは業務ぎょうむ綜合そうごう企画きかく課長かちょう代理だいりであった松沢まつざわ卓二たくじ(のち頭取とうどり)であった[2]

富士ふじ中心ちゅうしんとした企業きぎょう集団しゅうだん明確めいかく形成けいせいされるのは、1950年代ねんだいのことである。当時とうじ常務じょうむであった岩佐いわさ凱実(のち頭取とうどり)が中心ちゅうしんとなって有力ゆうりょく取引とりひきさき社長しゃちょうらと懇談こんだんかさね、融資ゆうしさきとのコネクションの形成けいせいになった[3]。そうしたなか髙島から分離ぶんりして発足ほっそくした商社しょうしゃ高島屋たかしまや飯田いいだ経営けいえい不安ふあんおちいり、再建さいけんさく俎上そじょうった。当初とうしょ三井物産みついぶっさんなどに営業えいぎょう譲渡じょうと模索もさくされたが、結果けっかとして富士ふじ主導しゅどう丸紅まるべにとの合併がっぺいばなしすすみ、丸紅まるべに飯田いいだ(のち丸紅まるべに改称かいしょう)が誕生たんじょうした。これにともない、融資ゆうし系列けいれつ住友銀行すみともぎんこうから富士ふじ系列けいれつとなり、丸紅まるべに富士ふじにおける融資ゆうし系列けいれつ代表だいひょうする企業きぎょうとなった。くわえて丸紅まるべに富士ふじ融資ゆうし系列けいれつ企業きぎょうとのしょう取引とりひき拡大かくだい。これによって、従前じゅうぜん繊維せんい部門ぶもん偏重へんちょうだった丸紅まるべに総合そうごう商社しょうしゃとして脱皮だっぴすることに成功せいこうした[3]。こうして、資金しきんながれを管理かんりする銀行ぎんこう・モノのながれを管理かんりする商社しょうしゃからなる戦後せんご高度こうど経済けいざい成長せいちょう企業きぎょう集団しゅうだん必要ひつようふたつの要素ようそそろい、芙蓉ふようグループの基礎きそととのった。

芙蓉ふよう懇談こんだんかい芙蓉ふようかい結成けっせい

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富士ふじ1960ねん4がつ日本にっぽん鋼管こうかんげんJFEホールディングス)の千葉ちば進出しんしゅつ計画けいかく契機けいき富士ふじ丸紅まるべに飯田いいだ日本鋼管にほんこうかん昭和電工しょうわでんこうげんレゾナック・ホールディングス)、東燃とうねん石油せきゆ化学かがくげん東燃化学とうねんかがく)、日本にっぽん油槽ゆそうせんげん日本郵船にっぽんゆうせん)による「企画きかく部長ぶちょうかい」を結成けっせい徐々じょじょ参加さんかメンバーをひろげ、1963ねん11月にグループ機関きかん「F」を創刊そうかんした。そして、1964ねん12月に富士ふじ融資ゆうし系列けいれつ企業きぎょう22しゃ営業えいぎょう担当たんとう役員やくいん一堂いちどうかいして、だいいちかい販売はんばい促進そくしんグループ懇談こんだんかい開催かいさい。 のちにこの会合かいごうを「芙蓉ふよう懇談こんだんかい」と改称かいしょうした[4]

おなころ三菱みつびしグループが「BUY三菱みつびし」(三菱みつびしいましょう)運動うんどうはじめ、1965ねんに「あなたの三菱みつびし世界せかい三菱みつびし」をグループの共通きょうつう宣伝せんでん標語ひょうごとして三菱みつびしグループ企業きぎょう従業じゅうぎょういんとその家族かぞく対象たいしょうとして「三菱みつびしファミリー・ショー」を開催かいさいした[5]。すると、これに追随ついずい住友すみともグループ三井みついグループ企業きぎょう集団しゅうだんぐるみの広報こうほうマーケティング展開てんかいはじめた。

こうしたうごきをて、さんだい財閥ざいばつ系譜けいふかない企業きぎょうあいだでグループして対抗たいこうしていかなければならないとの機運きうんたかまり、1966ねん1がつ富士ふじ融資ゆうし系列けいれつ有力ゆうりょく財界ざいかいじんくわえて社長しゃちょうかい芙蓉ふようかい」を結成けっせい[6]。またふく社長しゃちょうかい「芙二かい」、総務そうむ部長ぶちょうかい「芙総かい」、企画きかく部長ぶちょうかい「芙水かい」とかく役職やくしょくごとのかいまれた[7]

芙蓉ふようグループの特徴とくちょうとして、歴史れきしてき因縁いんねんむすばれた財閥ざいばつけいグループとことなり、合理ごうりせいのある、反面はんめんドライなつながりであることがげられる。芙蓉ふよう懇談こんだんかい発足ほっそくさいしても、富士ふじ頭取とうどり岩佐いわさ凱実は「歴史れきしてき資本しほんてきつよむすびついた閉鎖へいさてきなものでなく、相互そうご連携れんけいのメリットをもと友人ゆうじんのような企業きぎょうあつまりに」とべている。のち頭取とうどりつとめた松澤まつざわ卓二たくじは「のグループの企業きぎょう連携れんけいすることは一向いっこうつかえない」と発言はつげんしている。

芙蓉ふようグループの発足ほっそく沿って、グループの総合そうごうはかろうとかつての財閥ざいばつ系列けいれつ以外いがい企業きぎょう積極せっきょくてきにグループにんだほか、共同きょうどう投資とうし会社かいしゃ設立せつりつ活発かっぱつとなった。この方針ほうしんのっとり、1969ねん芙蓉ふよう海洋かいよう開発かいはつ、また翌年よくねん5がつ芙蓉ふよう情報じょうほうセンター(げんみずほリサーチ&テクノロジーズ)が発足ほっそくしたさいには系列けいれつ以外いがいふくめて出資しゅっしさきは53しゃかぞえた[8]。このほか1972ねん芙蓉ふよう総合そうごう開発かいはつげんヒューリック)、1973ねん芙蓉ふよう石油せきゆ開発かいはつ共同きょうどう投資とうし会社かいしゃ設立せつりつした[9][ちゅう 2][ちゅう 3]下記かき加盟かめい企業きぎょうにあるように、「融資ゆうし系列けいれつ」として親密しんみつになったメンバーもおおい。しかし、2オイルショックによる景気けいき後退こうたいで、企業きぎょう資金しきん需要じゅよう後退こうたいし、都市とし銀行ぎんこう威光いこうかげりがはじめると[10]、1978ねんごろには富士ふじ財閥ざいばつけいである三和銀行さんわぎんこうとの合併がっぺい計画けいかく現出げんしゅつ[ちゅう 4]次第しだい芙蓉ふようグループは求心力きゅうしんりょくよわめていく。

バブル経済けいざい

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バブル景気けいき崩壊ほうかいは、富士ふじ巨額きょがく不良ふりょう債権さいけん問題もんだい公的こうてき資金しきん注入ちゅうにゅうおよび芙蓉ふよう懇談こんだんかいメンバーであったしゅ幹事かんじ証券しょうけん山一證券やまいちしょうけん自主じしゅ廃業はいぎょう、それに連動れんどう富士ふじ安田信託銀行やすだしんたくぎんこう株式かぶしきびせなど[12]芙蓉ふようグループに所属しょぞくする企業きぎょう時代じだい荒波あらなみをもろにかぶった。

大倉商事おおくらしょうじ倒産とうさんさいには、富士ふじ丸紅まるべに大成建設たいせいけんせつのトップがあつまり、富士ふじ丸紅まるべに大倉商事おおくらしょうじ全面ぜんめん救済きゅうさい依願いがんしたが丸紅まるべに拒否きょひ。また日本にっぽん鋼管こうかん大倉商事おおくらしょうじとの取引とりひき一時いちじストップしたことが危機ききせつ拍車はくしゃをかけたともわれた。さらに昭和海運しょうわかいうん債務さいむ超過ちょうかによる日本郵船にっぽんゆうせんへの吸収きゅうしゅう合併がっぺいさいには富士ふじ冷淡れいたんなスタンスに終始しゅうしした。くわえて、日産自動車にっさんじどうしゃ経営けいえい危機ききおちいり、ルノー業務ぎょうむ提携ていけいむす同社どうしゃからカルロス・ゴーンCOOまねき、リストラ断行だんこうしたさいには、富士ふじ経営けいえい計画けいかく策定さくてい関与かんよできなかった[13]。このほか、安田やすだ財閥ざいばつ系譜けいふ東邦とうほうレーヨンは1960年代ねんだい業績ぎょうせき不振ふしんおちいり、富士ふじ主導しゅどう日清紡績にっしんぼうせき傘下さんかおさまったが、1999ねん10がつ帝人ていじん炭素たんそ繊維せんい部門ぶもん強化きょうかねら買収ばいしゅう子会社こがいしゃした。これを東邦とうほうレーヨンは芙蓉ふようかい脱退だったいした[14]。これら以外いがいにも商社しょうしゃふゆ時代じだいによる丸紅まるべに経営けいえい不振ふしん飛島建設とびしまけんせつ不良ふりょう資産しさんなどもがった。

一番いちばん転機てんきは、富士ふじ2000ねん9月に第一勧業銀行だいいちかんぎょうぎんこう日本興業銀行にほんこうぎょうぎんこうとともに設立せつりつした持株もちかぶ会社かいしゃみずほホールディングスげんみずほフィナンシャルグループ)のもとで経営けいえい統合とうごう、みずほFGが発足ほっそくしたことげられる。これにともない、富士ふじ前年ぜんねんあき芙蓉ふようかい幹事かんじ退しりぞき、幹事かんじ丸紅まるべに安田やすだ生命せいめい安田火災やすだかさいの3交代こうたいせい移行いこう富士ふじみずほ銀行ぎんこう)は芙蓉ふようかいいち加盟かめいしゃとなった。さらに2000ねん9がつには事務じむきょく丸紅まるべにうつした[15]。こののち安田火災やすだかさいは2002ねん日産にっさん火災かさい合併がっぺい損害そんがい保険ほけんジャパン初代しょだい)となり、2010ねん損害そんがい保険ほけんジャパンは日本にっぽん興亜こうあ損害そんがい保険ほけん経営けいえい統合とうごう。2014ねん両社りょうしゃ合併がっぺい損害そんがい保険ほけんジャパン日本にっぽん興亜こうあとなり、2020ねん損害そんがい保険ほけんジャパン(2代目だいめ)となった。また2004ねん1がつ安田やすだ生命せいめい三菱みつびしグループ明治生命保険めいじせいめいほけん合併がっぺいし、明治めいじ安田生命保険やすだせいめいほけんとなった。

2017ねん現在げんざい芙蓉ふようかいはトップの懇親こんしんかいとして26しゃ加盟かめいし、丸紅まるべに、みずほFG、みずほ信託しんたく銀行ぎんこう幹事かんじしゃになうが[16]芙蓉ふようグループとしての活動かつどうはほとんどおこなっておらず、グループとしての活動かつどうは64しゃ加盟かめいする(2017ねん11がつ現在げんざい芙蓉ふよう懇談こんだんかい中心ちゅうしん地道じみち展開てんかいしている[17]

広報こうほう広告こうこく

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みずほFG誕生たんじょう以前いぜんは、企業きぎょうグループと同様どうように、大阪おおさか万博ばんぱく沖縄おきなわ海洋かいようはくつくば科学かがくはく大阪おおさかはなはくにおいて芙蓉ふようグループパビリオンもうけグループとしてのPR活動かつどうおこなった。しかし、愛知あいち万博ばんぱくには出展しゅってんしなかった。

グループ共同きょうどう提供ていきょうテレビ番組ばんぐみとしてフジテレビけいで「ザ・ドキュメント タイム&タイド」→「ドキュメント日本人にっぽんじん」→「満足まんぞく!まよたび」(この3番組ばんぐみ日曜にちようあさ8:30-9:00でながらく放送ほうそう)や、1992ねんから2002ねんごろにかけて不定期ふていき放送ほうそうしていた「感動かんどうエクスプレス」や、「FISワールドカップジャンプ札幌さっぽろ大会たいかい」(北海道放送ほっかいどうほうそうTBS系列けいれつ札幌さっぽろテレビ日本にほんテレビ系列けいれつ隔年かくねんごとに放送ほうそう。)などのテレビ番組ばんぐみ提供ていきょうしていた。現在げんざいでは提供ていきょう番組ばんぐみはない。

安田やすだ生命せいめい本社ほんしゃビル
げん明治めいじ安田やすだ生命せいめい新宿しんじゅくビル)
丸紅まるべに本社ほんしゃ丸紅まるべにビルヂング

芙蓉ふよう懇談こんだんかい加盟かめい企業きぎょう

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きゅう安田やすだ財閥ざいばつ

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安田火災やすだかさい海上かいじょう本社ほんしゃビル
げん損保そんぽジャパン本社ほんしゃビル

きゅう安田やすだ財閥ざいばつ以下いかとおり。

みずほフィナンシャルグループ

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きゅう富士銀行ふじぎんこう)は以下いかとおり。

きゅう浅野あさの財閥ざいばつ

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きゅう浅野あさの財閥ざいばつ以下いかとおり。

春光しゅんこう系列けいれつ

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春光しゅんこうきゅう日産にっさんきゅう日立ひたち系列けいれつ以下いかとおり。

きゅう大倉おおくら財閥ざいばつ

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きゅう大倉おおくら財閥ざいばつ以下いかとおり。

きゅう根津ねづ財閥ざいばつ

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きゅう根津ねづ財閥ざいばつ以下いかとおり。

きゅう理研りけん系列けいれつ

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きゅう理研りけん系列けいれつ以下いかとおり。

きゅうもり系列けいれつ

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きゅうもり系列けいれつ以下いかとおり。

きゅうだいけん系列けいれつ

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きゅう富士銀行ふじぎんこう融資ゆうし系列けいれつ

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グループ共同きょうどう

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  • クオラスきゅう富士ふじアドシステム) - フジサンケイグループとの共同きょうどう出資しゅっし。フジサンケイけい広告こうこく代理だいり関連かんれん部門ぶもんだい再編さいへんによりげん社名しゃめいへ。
  • ヒューリック - きゅう芙蓉ふよう総合そうごう開発かいはつきゅう芙蓉ふよう開発かいはつ)を吸収きゅうしゅう合併がっぺい母体ぼたい芙蓉ふようグループ複数ふくすうしゃにより設立せつりつしたきゅう千秋せんしゅう商事しょうじきゅう日本橋にほんばし興業こうぎょう母体ぼたい

他行たこう融資ゆうし系列けいれつ

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芙蓉ふようグループにちか企業きぎょう

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以下いかは、芙蓉ふよう懇談こんだんかい正式せいしきつらねていないものの、芙蓉ふようグループと歴史れきしてき資本しほんてきむすびつきのある企業きぎょうである。

他行たこう融資ゆうし系列けいれつ

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脚注きゃくちゅう

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ちゅう

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  1. ^ なお、富士ふじぎん統合とうごうさきである現在げんざい“みずほFG”みずほ瑞穂みずほで“日本にっぽんこく”の美称びしょう
  2. ^ 富士ふじは1950年代ねんだいから共同きょうどう事業じぎょうみを開始かいしし、昭和電工しょうわでんこう石油せきゆ化学かがく進出しんしゅつにあたって融資ゆうし系列けいれつによって1956ねん昭和しょうわあぶら設立せつりつした(1979ねん昭和電工しょうわでんこう合併がっぺい)。また1960ねん日産にっさん日立ひたちグループが東京とうきょう原子力げんしりょく産業さんぎょう研究所けんきゅうじょ設立せつりつしたさいには、富士ふじ三和銀行さんわぎんこうとも参加さんかした[9]
  3. ^ 1960ねんには芙蓉ふよう懇談こんだんかい芙蓉ふようかい発足ほっそくさきんじて、富士ふじ丸紅まるべに日本鋼管にほんこうかん昭和電工しょうわでんこう大成建設たいせいけんせつなど17しゃによって芙蓉ふよう開発かいはつ発足ほっそくしている。
  4. ^ 松沢まつざわ頭取とうどり三和さんわ赤司あかし俊雄としお頭取とうどり合併がっぺいはないをはじめるが、三和さんわのドンであった日銀にちぎん出身しゅっしん渡辺わたなべ忠雄ただお相談役そうだんやく名誉めいよ会長かいちょう合併がっぺい反対はんたいしたため、合併がっぺいばなしながれた[11]

出典しゅってん

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  1. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.57 - 58
  2. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.202 - 203
  3. ^ a b 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.58
  4. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.94
  5. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.45
  6. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.59
  7. ^ 週刊しゅうかんダイヤモンド』2017ねん7がつ29にちごう p.50 - 51
  8. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.223
  9. ^ a b 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.221
  10. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.61
  11. ^ 実録じつろく銀行ぎんこう トップバンカーが興亡こうぼうの60ねん』p.398 - 399
  12. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.229
  13. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.231
  14. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.232
  15. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.124
  16. ^ 週刊しゅうかんダイヤモンド』2017ねん7がつ29にちごう p.49
  17. ^ 三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだん』p.63
  18. ^ a b c d e f g h メンバー会社かいしゃ一覧いちらん”. みどりかい. 株式会社かぶしきがいしゃみどりかい. 2024ねん3がつ19にち閲覧えつらん
  19. ^ 週刊しゅうかんダイヤモンド』2017ねん7がつ29にちごう p.48
  20. ^ 『セゾンの歴史れきし 下巻げかん 変革へんかくのダイナミズム』p.286
  21. ^ 『セゾンの挫折ざせつ再生さいせい』p.102

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 政経せいけい通信つうしんしゃ編集へんしゅう『Fグループ 富士銀行ふじぎんこうけい企業きぎょう集団しゅうだん政経せいけい通信つうしんしゃ編集へんしゅう、1967ねん
  • 由井ゆい常彦つねひこへん 『セゾンの歴史れきし 下巻げかん 変革へんかくのダイナミズム』 リブロポート、1991ねんISBN 4845706253
  • 菊地きくち浩之ひろゆき企業きぎょう集団しゅうだん形成けいせい解体かいたい日本にっぽん経済けいざい評論ひょうろんしゃ、2005ねんISBN 9784818817968
  • 由井ゆい常彦つねひこ田付たつき茉莉子まりこ伊藤いとうおさむ 『セゾンの挫折ざせつ再生さいせい Series SAISON 2』 やま愛書あいしょいん、2010ねんISBN 4434143131
  • 菊地きくち浩之ひろゆき三井みつい三菱みつびし住友すみとも芙蓉ふよう三和さんわいちすすむ 日本にっぽんろくだい企業きぎょう集団しゅうだんKADOKAWA角川かどかわ選書せんしょ)、2017ねんISBN 4047036110
  • 前田まえだ裕之ひろゆき実録じつろく銀行ぎんこう トップバンカーが興亡こうぼうの60ねんディスカヴァー・トゥエンティワン、2018ねんISBN 4799322338
  • 田中たなかあきらろくだい企業きぎょう集団しゅうだん機能きのう : ポストバブルにおける企業きぎょうあいだネットワークのオーガナイジング」『同志社どうししゃ商学しょうがくだい64かんだい5ごう同志社大学どうししゃだいがくしょう学会がっかい、2013ねん3がつ、330-351ぺーじCRID 1390290699890654464doi:10.14988/pa.2017.0000013201ISSN 0387-2858NAID 110009605659 

外部がいぶリンク

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