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軍事ぐんじ参議院さんぎいん

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軍事ぐんじ参議さんぎかんから転送てんそう

軍事ぐんじ参議院さんぎいん(ぐんじさんぎいん、きゅう字体じたい軍事ぐんじ參議院さんぎいん英語えいご: Supreme War Council, Military Council[1])とは、1903ねん明治めいじ36ねん)に設置せっちされ、1945ねん昭和しょうわ20ねん)に廃止はいしされた軍事ぐんじかんする天皇てんのう諮問しもん機関きかんである[2]。1887ねん明治めいじ20ねん)の軍事ぐんじ参議さんぎかん条例じょうれいによる参議さんぎ官制かんせいわって設置せっちされた[2]軍政ぐんせいがわりく海軍かいぐん大臣だいじん)、軍令ぐんれいがわ元帥げんすい陸軍りくぐん参謀さんぼう総長そうちょう海軍かいぐん軍令ぐんれい部長ぶちょうおやされた陸海りくかいぐん将官しょうかん)を参議さんぎかんとし、そのうちの古参こさんしゃ議長ぎちょうとした[2]

軍事ぐんじ参議院さんぎいんは、天皇てんのう諮詢しじゅんって参議さんぎかいひらき、意見いけん上奏じょうそうするものとされ、独自どくじ活動かつどうすることをきんじられた。なお、陸海りくかいぐんかたみ相関そうかんつなぎしない事項じこうについては陸軍りくぐんまたは海軍かいぐんのみの参議さんぎかんを以って参議さんぎかいひらくことがみとめられていた。

沿革えんかく

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前史ぜんし

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軍事ぐんじ参議院さんぎいん設置せっちされる以前いぜん1887ねん明治めいじ20ねん)に軍事ぐんじ参議さんぎかん条例じょうれいもとづき軍事ぐんじ参議さんぎかん設置せっちされた[3]軍事ぐんじ参議さんぎかん条例じょうれいもとづく軍事ぐんじ参議さんぎかん制度せいどドイツからしょうへいしたメッケル少佐しょうさによって提唱ていしょうされた「さい高等こうとう陸軍りくぐん参議さんぎかん」に起因きいんしている[3]軍事ぐんじ参議さんぎかん制度せいどでは官制かんせい改正かいせいなどの事項じこう頻繁ひんぱん審議しんぎされたが、しょうあいだ利害りがい調整ちょうせいたせず、陸軍りくぐん関係かんけい事項じこう陸軍りくぐん当局とうきょくしゃない討議とうぎできたが、海軍かいぐん関係かんけい事項じこううみしょう参謀さんぼう本部ほんぶちょう合議ごうぎ必要ひつようだったためとく海軍かいぐんがわ不満ふまんたかかった[3]

設置せっち

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軍事ぐんじ参議院さんぎいん構想こうそうは1901ねん明治めいじ34ねん)4がつには陸軍りくぐん大臣だいじん児玉こだま源太郎げんたろうによる談話だんわあらわれている[3]児玉こだま構想こうそうには陸海りくかいぐん合議ごうぎ機関きかん必要ひつようせいのほか、とく廃止はいしによるとくあらたな処遇しょぐう必要ひつようせい元帥げんすい改革かいかく元帥げんすいんで多数決たすうけつせいとすることで介入かいにゅうおさえる)などの意図いとがあったとされる[3]。しかし、児玉こだまらの軍事ぐんじ参議院さんぎいん条例じょうれいあんは、行政ぎょうせい整理せいりあん自体じたいがとんし、「最上さいじょう諮詢しじゅん」の設置せっち否定ひていてき海軍かいぐん将官しょうかん会議かいぎ海軍かいぐん技術ぎじゅつ会議かいぎなど独自どくじ機関きかん行政整理ぎょうせいせいり対象たいしょうになっていた海軍かいぐんつよ反対はんたいにあって裁可さいかにはいたらなかった[3]

1903ねん明治めいじ36ねん)9がつ海軍かいぐん大臣だいじん山本やまもと権兵衛ごんべえから海軍かいぐん軍令ぐんれい海軍かいぐん参謀さんぼう本部ほんぶへの名称めいしょう変更へんこうあんされた[3]首相しゅしょうかつら太郎たろう元帥げんすい山縣やまがた有朋ありとも協議きょうぎした結果けっか海軍かいぐん軍令ぐんれい存置そんちして山縣やまがた委員いいんちょうとする臨時りんじ会議かいぎ改正かいせい審議しんぎすることになった[3]。そこで参謀さんぼう次長じちょう就任しゅうにんしていた児玉こだま山本やまもと大本営だいほんえい条例じょうれい改正かいせい同調どうちょうしつつ軍事ぐんじ参議院さんぎいん設置せっち推進すいしんした[3]

こうして軍事ぐんじ参議院さんぎいん明治めいじ36ねんみことのりれいだい294ごうもとづいて設置せっちされた。

運用うんよう

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軍事ぐんじ参議さんぎかん役職やくしょく次第しだい古参こさん将官しょうかん名誉めいよしょく、あるいはつぎおや補職ほしょくまでの待機たいきポストにわっていった。とくおや補職ほしょくとの兼任けんにんがない軍事ぐんじ参議さんぎかん専任せんにん場合ばあいはその傾向けいこうつよかった。

1936ねん昭和しょうわ11ねん)の二・二六事件ににろくじけんさいしては、当初とうしょ軍事ぐんじ参議さんぎかんなかにも野中のなか四郎しろう大尉たいい反乱はんらんぐん同情どうじょうてきうごきがあり、事態じたい収束しゅうそくはかるために軍事ぐんじ参議さんぎかん非公式ひこうしき会議かいぎひらき、つぎ陸軍りくぐん大臣だいじん告示こくじ昭和しょうわ11ねん2がつ26にち)がはっせられた。

陸軍りくぐん大臣だいじん告示こくじ昭和しょうわ11ねん2がつ26にち
いち蹶起けっき趣旨しゅしニ就テハ天聴てんちょうたちセラレアリ
諸子しょし行動こうどう国体こくたい顕現けんげん至情しじょうもとクモノトみとめ
さん国体こくたい姿すがた顕現けんげん弊風へいふうヲ含ム)ニ就テハ恐懼きょうくこらえヘズ
よんかく軍事ぐんじ参議さんぎかん一致いっちシテみぎ趣旨しゅし邁進まいしんスルコトヲさるあいセタリ
これ以上いじょういちだいしんまち

しかし昭和しょうわ天皇てんのう断固だんこ討伐とうばつ意思いしえず、軍事ぐんじ参議さんぎかん最終さいしゅうてき追随ついずい日和見ひよりみ主義しゅぎ無力むりょくさを露呈ろていし、陸軍りくぐんない世代せだい交代こうたい下克上げこくじょうをさらに促進そくしんすることとなった。

廃止はいし

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1945ねん昭和しょうわ20ねん)11月30にち元帥げんすい条例じょうれいとう廃止はいしけん昭和しょうわ20ねんみことのりれいだい669ごう)により廃止はいしされた。

構成こうせい

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軍事ぐんじ参議院さんぎいんつぎ軍事ぐんじ参議さんぎかんをもって構成こうせいされる。

議長ぎちょう
軍事ぐんじ参議さんぎかんちゅう高級こうきゅう古参こさんものもってこれにてるものとされた。緊急きんきゅう事件じけんについては議長ぎちょう院議いんぎないで諮詢しじゅんたいえることができる。
軍事ぐんじ参議さんぎかん
元帥げんすい陸軍りくぐん大臣だいじん海軍かいぐん大臣だいじん参謀さんぼう総長そうちょう軍令ぐんれい総長そうちょうおよとく軍事ぐんじ参議さんぎかんおやされた陸海りくかいぐん将官しょうかんおや補職ほしょく兼任けんにんする場合ばあいと、軍事ぐんじ参議さんぎかん専任せんにん場合ばあいがあった)。とくおやされた軍事ぐんじ参議さんぎかんには副官ふっかんとして尉官いかん1にんされた。軍事ぐんじ参議さんぎかん自体じたい閑職かんしょくであったが、予備よびやく編入へんにゅう審議しんぎさん長官ちょうかん人選じんせんなどの業務ぎょうむにない、派閥はばつあらそいでは重要じゅうようなポストであった。
幹事かんじちょう
侍従じじゅう武官ぶかんちょうまた将官しょうかんもってこれにて、軍事ぐんじ参議さんぎかい庶務しょむ整理せいりさせた。
幹事かんじ
侍従じじゅう武官ぶかんちゅう陸海りくかいぐん佐官さかんかく1人ひとりもってこれにて、幹事かんじちょう職務しょくむ補助ほじょさせる。

その必要ひつようある場合ばあいにおいては重要じゅうようしょく将官しょうかんを以って臨時りんじ参議さんぎかんして参議さんぎかいれつさせる。ただし、その関係かんけいする議事ぎじおわったときはただちに解職かいしょくされたものとされる。

とく軍事ぐんじ参議さんぎかんおやされた陸海りくかいぐん将官しょうかん

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階級かいきゅうおぎなえせられた時点じてんのものを表記ひょうきする。

陸軍りくぐん

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  • 野津のつ道貫みちつら大将たいしょう(1904ねん1がつ14にち - 1906ねん1がつ31にち):薩摩さつまはん
  • 黒木くろきため大将たいしょう(1904ねん1がつ14にち - 1909ねん3がつ16にち):薩摩さつまはん
  • おく保鞏やすかた大将たいしょう(1904ねん1がつ14にち - 1906ねん7がつ30にち):小倉こくらはん
  • 山口やまぐちしん大将たいしょう(1904ねん3がつ17にち - 8がつ7にち):長州ちょうしゅうはん
  • 伏見ふしみみやさだあい親王しんのう大将たいしょう(1905ねん1がつ19にち - 1915ねん1がつ9にち
  • かつら太郎たろう大将たいしょう(1906ねん1がつ7にち - 1908ねん7がつ14にち):長州ちょうしゅうはん
  • 乃木のぎ希典まれすけ大将たいしょう(1906ねん1がつ26にち - 1912ねん9がつ13にち):長州ちょうしゅうはん
  • 川村かわむら景明かげあき大将たいしょう(1906ねん1がつ26にち - 8がつ30にち、1908ねん12月21にち - 1915ねん1がつ9にち):薩摩さつまはん
  • 長谷川はせがわ好道よしみち大将たいしょう(1908ねん12月21にち - 1912ねん1がつ20日はつか):岩国いわくにはん
  • 西にしひろし二郎じろう大将たいしょう(1908ねん12月21にち - 1911ねん3がつ10日とおか):薩摩さつまはん
  • 大島おおしま久直ひさなお大将たいしょう(1911ねん9がつ6にち - 1913ねん9がつ5にち):秋田あきたはん
  • 寺内てらうち正毅まさき大将たいしょう(1911ねん9がつ6にち - 1916ねん10がつ9にち):長州ちょうしゅうはん
  • 大島おおしま義昌よしまさ大将たいしょう(1912ねん4がつ26にち - 1915ねん8がつ15にち):長州ちょうしゅうはん
  • 閑院みやじん親王しんのう大将たいしょう:(1912ねん11月27にち - 1919ねん12月12にち
  • 浅田あさだしんきょう大将たいしょう(1914ねん4がつ22にち - 1916ねん10がつ12にち):川越かわごえはん
  • 上原うえはら勇作ゆうさく大将たいしょう(1915ねん2がつ15にち - 12月17にち):陸士りくしきゅう3
  • いち兵衛ひょうえ中将ちゅうじょう(1915ねん2がつ15にち - 12月17にち、(けん大将たいしょう:1915ねん12月17にち - 、1919ねん8がつ26にち- 1920ねん6がつ20日はつか):津軽つがるはん
  • 大迫おおさこ尚道なおみち中将ちゅうじょう(1915ねん2がつ15にち - 1919ねん7がつ25にち):陸士りくしきゅう2
  • 井口いぐち省吾しょうご中将ちゅうじょう(1916ねん8がつ18にち - 1920ねん8がつ10日とおか):陸士りくしきゅう2
  • 中村なかむらさとし大将たいしょう(1917ねん7がつ31にち - 1919ねん2がつ20日はつか):彦根ひこねはん
  • 大谷おおや喜久蔵きくぞう大将たいしょう(1917ねん8がつ6にち - 1920ねん12月28にち):陸士りくしきゅう2
  • 秋山あきやま好古よしふる大将たいしょう(1917ねん8がつ6にち - 1923ねん3がつ17にち):陸士りくしきゅう3
  • 仁田にったはら重行しげゆき大将たいしょう(1918ねん7がつ2にち - 1921ねん7がつ15にち):陸士りくしきゅう6
  • 松川まつかわさとしたね大将たいしょう(1918ねん7がつ24にち - 1922ねん11月24にち):陸士りくしきゅう5
  • 本郷ほんごう房太郎ふさたろう大将たいしょう(1918ねん10がつ10日とおか - 1921ねん6がつ25にち):陸士りくしきゅう3
  • 久邇くにみや邦彦くにひこおう中将ちゅうじょう(1919ねん11月25にち - 1929ねん1がつ27にち):陸士りくし7
  • 梨本なしもと宮守みやもりただしおう中将ちゅうじょう(1919ねん11月25にち - 1932ねん8がつ8にち):陸士りくし7
  • 大庭おおば二郎じろう中将ちゅうじょう(1919ねん11月25にち - 1920ねん8がつ16にち、1922ねん11月24にち - 1926ねん3がつ2にち):陸士りくしきゅう8
  • 宇都宮うつのみや太郎たろう大将たいしょう(1920ねん8がつ16にち - 1922ねん2がつ15にち):陸士りくしきゅう7
  • 大井おおいしげるもと大将たいしょう(1921ねん1がつ6にち - 1923ねん3がつ17にち):陸士りくしきゅう6
  • しば五郎ごろう大将たいしょう(1921ねん5がつ5にち - 1922ねん11月24にち):陸士りくしきゅう3
  • 田中たなか義一ぎいち大将たいしょう(1921ねん8がつ30にち - 1923ねん9がつ2にち、1924ねん1がつ7にち - 1925ねん4がつ9にち):陸士りくしきゅう8
  • 河合かわいみさお大将たいしょう(1922ねん5がつ10日とおか - 1923ねん3がつ17にち):陸士りくしきゅう8
  • 立花たちばな小一郎こいちろう大将たいしょう(1922ねん11月6にち - 1923ねん3がつ17にち):陸士りくしきゅう6
  • 由比ゆひ光衛みつえ大将たいしょう(1922ねん12月15にち - 1923ねん1がつ20日はつか):陸士りくしきゅう5
  • 町田まちだけい大将たいしょう(1923ねん4がつ1にち - 1925ねん5がつ1にち):陸士りくしきゅう9
  • 福田ふくだ雅太郎まさたろう大将たいしょう(1923ねん8がつ6にち - 1925ねん5がつ1にち):陸士りくしきゅう9
  • 山梨やまなしはんづくり大将たいしょう(1923ねん9がつ6にち - 1923ねん9がつ20日はつか、1924ねん8がつ20日はつか - 1925ねん5がつ1にち):陸士りくしきゅう8
  • 尾野おのみのるしん大将たいしょう(1923ねん10がつ10日とおか - 1925ねん5がつ1にち):陸士りくしきゅう10
  • 菊池きくちまことこれすけ大将たいしょう(1924ねん8がつ20日はつか - 1927ねん8がつ22にち):陸士りくしきゅう11
  • 森岡もりおか守成しゅせい中将ちゅうじょう(1925ねん5がつ1にち - 1926ねん3がつ2にち大将たいしょう:1927ねん3がつ5にち - 7がつ26にち):陸士りくし2
  • 武藤むとう信義のぶよし中将ちゅうじょう(1925ねん5がつ1にち - 1926ねん7がつ28にち、1932ねん5がつ26にち - 8がつ8にち):陸士りくし3
  • 白川しらかわ義則よしのり大将たいしょう(1926ねん7がつ28にち - 1927ねん4がつ20日はつか、1929ねん7がつ2にち - 1932ねん2がつ25にち):陸士りくし1
  • 菅野かんの尚一しょういち大将たいしょう(1926ねん7がつ28にち - 1927ねん12月16にち):陸士りくし2
  • 井上いのうえ幾太郎いくたろう中将ちゅうじょう(1926ねん7がつ28にち - 1933ねん3がつ18にち):陸士りくし4
  • 鈴木すずき孝雄たかお中将ちゅうじょう(1926ねん7がつ28にち - 1933ねん3がつ18にち):陸士りくし2
  • 宇垣うがき一成いっせい大将たいしょう(1927ねん4がつ20日はつか - 1929ねん7がつ2にち、1931ねん4がつ14にち - 6月17にち):陸士りくし1
  • 田中たなか国重くにしげ大将たいしょう(1928ねん8がつ10日とおか - 1929ねん8がつ1にち):陸士りくし4
  • 金谷かなやはんさん大将たいしょう(1929ねん8がつ1にち - 1930ねん2がつ19にち、1931ねん12月23にち - 1933ねん6がつ6にち):陸士りくし5
  • みなみ次郎じろう大将たいしょう(1930ねん12月22にち - 1931ねん4がつ14にち、1931ねん12月13にち - 1934ねん12月10にち):陸士りくし6
  • 菱刈ひしかりたかし大将たいしょう(1931ねん8がつ1にち - 1933ねん7がつ29にち、1934ねん12がつ10日とおか- 1935ねん8がつ1にち):陸士りくし5
  • 渡辺わたなべじょう太郎たろう大将たいしょう(1931ねん8がつ1にち - 1936ねん2がつ26にち):陸士りくし8
  • はやしずくじゅうろう大将たいしょう(1932ねん5がつ26にち - 1934ねん1がつ23にち、1935ねん9がつ5にち- 1936ねん3がつ6にち):陸士りくし8
  • 本庄ほんじょうしげる中将ちゅうじょう(1932ねん8がつ8にち - 1933ねん4がつ6にち):陸士りくし9
  • 真崎まさき三郎さぶろう中将ちゅうじょう(1932ねん8がつ8にち- 1936ねん3がつ6にち、1935ねん7がつ16にち- 1936ねん3がつ6にち):陸士りくし9
  • 松井まついいし中将ちゅうじょう(1933ねん3がつ18にち- 8がつ1にち大将たいしょう:1934ねん8がつ1にち - 1935ねん8がつ1にち):陸士りくし9
  • 阿部あべ信行のぶゆき大将たいしょう(1933ねん8がつ1にち- 1936ねん3がつ6にち):陸士りくし9
  • 荒木あらき貞夫さだお大将たいしょう(1934ねん1がつ23にち- 1936ねん3がつ6にち):陸士りくし9
  • 川島かわしま義之よしゆき大将たいしょう(1934ねん8がつ1にち- 1935ねん9がつ5にち):陸士りくし10
  • 西にし義一ぎいち大将たいしょう(1935ねん12月2にち- 1936ねん3がつ5にち):陸士りくし10
  • 植田うえだ謙吉けんきち大将たいしょう(1935ねん12月2にち- 1936ねん3がつ6にち):陸士りくし10
  • 寺内てらうち寿一ひさいち大将たいしょう(1935ねん12月2にち- 1936ねん3がつ9にち、1937ねん2がつ2にち- 8がつ26にち、1938ねん12月9にち- 1941ねん11月6にち):陸士りくし11
  • 朝香あさかみやばと彦王中将ちゅうじょう(1935ねん12月2にち- 1937ねん12月2にち、1938ねん3がつ14にち- 1945ねん11月30にち):陸士りくし20
  • ひがし久邇くにみや稔彦としひこおう中将ちゅうじょう(1935ねん12月2にち- 1938ねん4がつ30にち、1939ねん1がつ13にち -1945ねん8がつ17にち、1945ねん4がつ15にち - 9月20にち):陸士りくし20
  • 杉山すぎやまはじめ中将ちゅうじょう(1936ねん8がつ1にち- 1937ねん2がつ9にち、1938ねん6がつ3にち- 12月9にち、1939ねん9がつ12にち- 1940ねん10がつ3にち):陸士りくし12
  • 中村なかむら孝太郎こうたろう中将ちゅうじょう(1937ねん3がつ1にち- 1938ねん7がつ15にち大将たいしょう:1941ねん7がつ7にち- 12月24にち):陸士りくし13
  • はた俊六しゅんろく大将たいしょう(1937ねん8がつ2にち- 1938ねん2がつ14にち、1938ねん12月15にち- 1939ねん5がつ25にち、1940ねん7がつ22にち- 1941ねん3がつ1にち):陸士りくし12
  • そう幹郎みきお大将たいしょう(1939ねん5がつ19にち- 1940ねん7がつ21にち):陸士りくし14
  • 宇佐美うさみきょう中将ちゅうじょう(1939ねん5がつ25にち- 1940ねん1がつ23にち):陸士りくし14
  • 山田やまだおつさん中将ちゅうじょう(1939ねん10がつ14にち- 1944ねん7がつ18にち)::陸士りくし14
  • 東條とうじょう英機ひでき中将ちゅうじょう(1940ねん2がつ24にち - 2がつ26にち臨時りんじ軍事ぐんじ参議さんぎかん):陸士りくし17
  • 岡村おかむらやすし中将ちゅうじょう(1940ねん3がつ9にち- 1941ねん7がつ7にち):陸士りくし16
  • 土肥どいはら賢二けんじ中将ちゅうじょう(1940ねん9がつ28にち- 1944ねん3がつ22にち、1945ねん5がつ5にち - 11月30にち):陸士りくし16
  • 西尾にしお寿ひさしづくり大将たいしょう(1941ねん3がつ1にち- 1943ねん5がつ1にち):陸士りくし14
  • 尾高おだか亀蔵かめぞう中将ちゅうじょう(1941ねん3がつ1にち- 6月21にち):陸士りくし16
  • 園部そのべ和一郎かずいちろう中将ちゅうじょう(1941ねん4がつ10日とおか- 6がつ20日はつか):陸士りくし16
  • 山下やました奉文ともゆき中将ちゅうじょう(1941ねん6がつ9にち- 7がつ17にち):陸士りくし18
  • 篠塚しのづか義男よしお中将ちゅうじょう(1941ねん6がつ20日はつか- 1942ねん6がつ2にち):陸士りくし17
  • 多田ただ駿しゅん大将たいしょう(1941ねん7がつ7にち- 9月2にち):陸士りくし15
  • 安藤あんどう三郎さぶろう中将ちゅうじょう(1941ねん12月1にち- 1942ねん8がつ2にち):陸士りくし18
  • 岩松いわまつ義雄よしお中将ちゅうじょう(1942ねん8がつ1にち - 12月27にち):陸士りくし17
  • 岡部おかべ直三郎なおさぶろう中将ちゅうじょう(1942ねん10がつ8にち - 1943ねん10がつ29にち):陸士りくし18
  • 木村きむら兵太郎へいたろう中将ちゅうじょう(1943ねん3がつ11にち - 1944ねん8がつ30にち):陸士りくし20
  • 後宮こうきゅうあつし大将たいしょう(1944ねん2がつ11にち - 8がつ25にち):陸士りくし17
  • 安田やすだ武雄たけお中将ちゅうじょう(1944ねん3がつ28にち - 1945ねん4がつ1にち):陸士りくし21
  • 田中たなかしずいち大将たいしょう(1944ねん8がつ3にち - 1945ねん3がつ9にち):陸士りくし19
  • 阿南あなみ惟幾これちか大将たいしょう(1944ねん12月26にち - 1945ねん4がつ7にち):陸士りくし18
  • おう中将ちゅうじょう(1945ねん4がつ1にち -):陸士りくし29
  • 賀陽かようみやつねけんおう中将ちゅうじょう(1945ねん9がつ16にち - 11月16にち):陸士りくし32
  • 梅津うめづ美治よしはるろう大将たいしょう(1945ねん10がつ15にち - 11月30にち):陸士りくし15

海軍かいぐん

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関連かんれん資料しりょう

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軍事ぐんじ参議さんぎかん条例じょうれい明治めいじ20ねん6がつ2にちみことのりれいだい20ごう

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軍事ぐんじ参議さんぎかん条例じょうれい明治めいじ20ねん6がつ2にちみことのりれいだい20ごう)による軍事ぐんじ参議さんぎかん制度せいど概要がいようつぎとおりである。

  • 軍事ぐんじ参議さんぎかんは、これをとばりにぎなかき、軍事ぐんじかんする利害りがい得失とくしつ審議しんぎさせる。
  • 軍事ぐんじ参議さんぎかんつぎとおりである。
    • 陸軍りくぐん大臣だいじん
    • 海軍かいぐん大臣だいじん
    • 参謀さんぼう本部ほんぶちょう
    • かんぐん
  • およそごと陸軍りくぐんかんするものは陸軍りくぐん大臣だいじん参謀さんぼう本部ほんぶちょうおよかんぐんがこれを審議しんぎし、海軍かいぐんかんするものは海軍かいぐん大臣だいじんおよ参謀さんぼう本部ほんぶちょうがこれを審議しんぎする。
  • およそごと陸海りくかいりょうぐんかんするものはかく参議さんぎかんにおいてこれを審議しんぎする。

軍事ぐんじ参議さんぎかん条例じょうれい明治めいじ26ねん5がつ20日はつかみことのりれいだい35ごう

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軍事ぐんじ参議さんぎかん条例じょうれい明治めいじ26ねん5がつ20日はつかみことのりれいだい35ごう)による、軍事ぐんじ参議さんぎかん制度せいど概要がいようつぎとおりである(明治めいじ33ねんみことのりれいだい212ごうによる改正かいせいまえ制定せいてい概要がいよう)。

  • 軍事ぐんじ参議さんぎかんは、これをとばりにぎなかき、軍事ぐんじかんするつとむ参議さんぎさせる。
  • 軍事ぐんじ参議さんぎかんつぎとおりである。
    • 陸軍りくぐん大臣だいじん
    • 海軍かいぐん大臣だいじん
    • 参謀さんぼう総長そうちょう
    • かんぐん
    • 海軍かいぐん軍令ぐんれい部長ぶちょう
  • およそごと陸海りくかいりょうぐんかんするものはかく参議さんぎかんにそのさんさせて、陸軍りくぐんのみにかんするものは陸軍りくぐん大臣だいじん参謀さんぼう総長そうちょうおよかんぐん海軍かいぐんのみにかんするものは海軍かいぐん大臣だいじんおよ海軍かいぐん軍令ぐんれい部長ぶちょうにそのさんさせる。

出典しゅってん

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  1. ^ アジア歴史れきし資料しりょうセンター. “アジア歴史れきし資料しりょうセンター にちえい対訳たいやくしゅう”. www.jacar.go.jp. 2023ねん5がつ16にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)「軍事ぐんじ参議院さんぎいん
  3. ^ a b c d e f g h i 飯島いいじま直樹なおき元帥げんすい軍事ぐんじ参議院さんぎいん成立せいりつ」『史学しがく雑誌ざっしだい128かんだい3ごう史学しがくかい、2019ねん、1-36ぺーじdoi:10.24471/shigaku.128.3_1ISSN 0018-24782022-12-12にち閲覧えつらん