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かがや都市とし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
パリ万国博覧会ばんこくはくらんかい (1925ねん)のエスプリ・ヌーヴォーかん展示てんじされた「ヴォアザン計画けいかく」(1925ねん

かがや都市とし(かがやくとし La Ville Radieuse)は、モダニズム建築けんちくル・コルビュジエ提唱ていしょうした理想りそう都市とし構想こうそうである。

ル・コルビュジエは、人口じんこう過密かみつ環境かんきょう悪化あっかする近代きんだい都市とし批判ひはんし、300まんにん現代げんだい都市とし(1922ねん)、パリヴォアザン計画けいかく(1925ねん)、かがや都市とし(1930ねん)などの計画けいかくあん発表はっぴょうした。1933ねんCIAM近代きんだい建築けんちく国際こくさい会議かいぎ)で採択さいたくされた「アテネ憲章けんしょう」は、かがや都市とし理念りねん沿ったものであった。

高層こうそうビルを建設けんせつして空地くうちオープン・スペース)を確保かくほし、街路がいろ整備せいびして自動車じどうしゃどう歩道ほどう分離ぶんりし(しゃ分離ぶんり)。それにもとづき都市とし問題もんだい解決かいけつはかろうと提唱ていしょうしている。

ル・コルビュジエの思想しそうは、当時とうじフランスにおいて異端いたんてきなものであり、ほとんどれられなかったが、マルセイユをはじめとする各地かくち建設けんせつされたユニテ・ダビタシオン(1952ねん)は、「かがや都市としろん実践じっせんひとつであった。また、ブラジリアなど各国かっこく都市とし計画けいかく理念りねんおおきな影響えいきょうあたえた。

日本語にほんごやく

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著作ちょさく:"La Ville radieuse"(1935年刊ねんかんフランス語ふらんすごで「かがや都市とし」の意味いみ)がある。図版ずはん多数たすう大著たいちょ下記かき日本語にほんごやく公刊こうかん

にル・コルビュジエの都市とし計画けいかくかんする著書ちょしょ "Manière de penser l'urbanisme"(1946年刊ねんかん直訳ちょくやくすれば「都市とし思考しこう方法ほうほう」)は下記かき

なおSD選書せんしょでは、ル・コルビュジエの著作ちょさくじゅうすうさつ刊行かんこうしている。 

その

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もりみのるもりビル社長しゃちょう)は邦訳ほうやくの「かがや都市とし」に衝撃しょうげきけ、アークヒルズ六本木ろっぽんぎヒルズなど、もりビルががけた「都市とし開発かいはつのコンセプトの原点げんてん」になったとかたっている。(日本経済新聞にほんけいざいしんぶん2011.1.18夕刊ゆうかん

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