(Translated by https://www.hiragana.jp/)
H-IIロケット - Wikipedia コンテンツにスキップ

H-IIロケット

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
H-IIから転送てんそう
H-II
H-II GTV
基本きほんデータ
運用うんようこく 日本の旗 日本にっぽん
開発かいはつしゃ NASDA
三菱重工みつびしじゅうこう
運用うんよう機関きかん NASDA →RSC
使用しよう期間きかん 1994ねん - 1999ねん
射場いば 種子島宇宙たねがしまうちゅうセンター 吉信よしのぶしゃてん
すう 7かい成功せいこう5かい
開発かいはつ費用ひよう 2,750おくえん
費用ひよう 190おくえん
発展はってんがた H-IIAロケット
公式こうしきページ JAXA - H-IIロケット
物理ぶつりてき特徴とくちょう
段数だんすう 2だん
ブースター 2
そう質量しつりょう 264 トン
全長ぜんちょう 49.9 m
直径ちょっけい 4.0 m(本体ほんたい部分ぶぶん
軌道きどう投入とうにゅう能力のうりょく
てい軌道きどう 10,000 kg[1]
300km / 30.4
ちゅう軌道きどう 5,000 kg
1,000km / 30.4
太陽たいよう同期どうき軌道きどう 4,000 kg
800km / 99
静止せいし移行いこう軌道きどう 3,800 kg[1]
250km x 36,226km / 28.5
地球ちきゅう脱出だっしゅつ軌道きどう 2,000 kg
宇宙うちゅう基地きち軌道きどう[2] 9,000 kg
250km / 51.6
テンプレートを表示ひょうじ

H-IIロケット(エイチツーロケット、エイチにロケット)は、宇宙開発事業団うちゅうかいはつじぎょうだん (NASDA) と三菱重工みつびしじゅうこう開発かいはつし、三菱重工みつびしじゅうこう製造せいぞうした人工じんこう衛星えいせい打上うちあようロケット日本にっぽん人工じんこう衛星えいせいよう液体えきたい燃料ねんりょうロケットとしてははじめて主要しゅよう技術ぎじゅつすべてが国内こくない開発かいはつされた。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

科学かがく衛星えいせいげを目的もくてきとした宇宙うちゅう科学かがく研究所けんきゅうじょ一連いちれん固体こたい燃料ねんりょうロケットでは、日本にっぽん世界せかい4番目ばんめ人工じんこう衛星えいせいこくとなるひとし国産こくさん技術ぎじゅつによる開発かいはつすすんでいたが、科学かがく衛星えいせいくらべて大型おおがた通信つうしん放送ほうそう気象きしょうなどの実用じつよう衛星えいせいげる液体えきたい燃料ねんりょうロケットの開発かいはつ担当たんとうすることになった宇宙開発事業団うちゅうかいはつじぎょうだんでは3世代せだいH-Iロケットまで、アメリカデルタロケット技術ぎじゅつ導入どうにゅうして主要しゅようのライセンス生産せいさんをしていた。たとえば、H-Iロケットで国内こくない開発かいはつ実現じつげんしていた主要しゅよう部位ぶいだい2だんだい3だんようエンジンや慣性かんせい誘導ゆうどう装置そうちひとしのみで、もっと重要じゅうようだい1だんようエンジンはアメリカのものであった。

こうした状況じょうきょうなか国内こくない技術ぎじゅつ進歩しんぽはかってたか信頼しんらいせいていコストで打上うちあげを可能かのうにし、1990ねん以降いこうの2tきゅう静止せいし衛星えいせい需要じゅよう増加ぞうか適応てきおうすることを目標もくひょうに、1984ねん昭和しょうわ59ねん)にH-IIロケットの「開発かいはつ研究けんきゅう」が[3]1986ねんに「開発かいはつ」が開始かいしされた[4]。これと同時どうじLE-5開発かいはつ経験けいけんもとはつ国産こくさんだい1だんようエンジンLE-7開発かいはつ開始かいしされ、開発かいはつ試験しけんちゅう一人ひとり死亡しぼう事故じこふく爆発ばくはつ火災かさい事故じこなどの難航なんこう1994ねん完成かんせいした。また、固体こたい補助ほじょロケットブースターも国産こくさんし、はじめてじゅん国産こくさん液体えきたい燃料ねんりょうロケットの開発かいはつ成功せいこうした[5]。また、H-IIを使用しようした衛星えいせいげを民間みんかんロケット会社かいしゃロケットシステム(RSC)』を1990ねん設立せつりつしている。(1995ねん試験しけん3号機ごうきから請負うけおい。)

そして、1994ねん平成へいせい6ねん2がつ4にち午前ごぜん720ふんだい1号機ごうきげに成功せいこうした。LE-7の開発かいはつ難航なんこうしたため予定よていより2ねんおくれてのげであった。このげで、搭載とうさいした性能せいのう確認かくにんよう衛星えいせい(VEP、のちに「みょうじょう」と命名めいめい)と、軌道きどうさい突入とつにゅう実験じっけん(OREX、のちに「りゅうせい」と命名めいめい)の地球ちきゅう周回しゅうかい軌道きどう投入とうにゅう成功せいこうした。

その1997ねんまで合計ごうけい5連続れんぞくげに成功せいこうしたが、打上うちあげコストは1あたり190おくえんアリアンなどのしょ外国がいこくせいロケットよりはるかにたかく、100おくえん以下いか標準ひょうじゅんとされる国際こくさい市場いちばでの競争きょうそうりょくかった。これはH-IIの開発かいはつ検討けんとうはじまった1982ねん当時とうじの1ドル240えんレートからえんだか急激きゅうげきすすんだためであり、1号機ごうきがった1994ねんには、1ドル100えんだい前半ぜんはんであった。このため打上うちあげコストを半減はんげんするため次世代じせだいH-IIAロケット開発かいはつすることがまった。

1998ねん5号機ごうき翌年よくねん8号機ごうき連続れんぞく打上うちあげに失敗しっぱいしたため、原因げんいん究明きゅうめいとH-IIA開発かいはつにリソースを集中しゅうちゅうするため、7号機ごうき打上うちあげげをキャンセルし運用うんよう終了しゅうりょうすることになった[5]

開発かいはつやく2,700おくえんで、おなじく全段ぜんだん新規しんき開発かいはつした欧州おうしゅう宇宙うちゅう機関きかん (ESA) の主力しゅりょくロケットのアリアン5シリーズの開発かいはつやく8800おくえんから9900おくえんの3ぶんの1以下いかである[6]

上段じょうだんもちいられていた液体えきたい酸素さんそ液体えきたい水素すいそわせを、だい1だんだい2だん両方りょうほう利用りようする大型おおがた実用じつようロケットは、H-IIが世界せかいはつであった(スペースシャトルはメインエンジンが液体えきたい酸素さんそ液体えきたい水素すいそだがだい1段式だんしき)。この推進すいしんざいわせは推力すいりょく燃料ねんりょう効率こうりつしめ尺度しゃくど)がたかく、燃焼ねんしょう水蒸気すいじょうきしか発生はっせいしないためオゾンそうへの悪影響あくえいきょうがほとんどなく環境かんきょうとの親和しんわせいたかいのが特徴とくちょうである。ただし、だい出力しゅつりょくのエンジンがつくりにくく推力すいりょく不足ふそくするときにはブースターが使用しようされるが、ブースターの固体こたい燃料ねんりょうふくまれる塩素えんそさんアンモニウムの塩素えんそ成分せいぶんはオゾンそう悪影響あくえいきょうあたえるほか、燃焼ねんしょう毒性どくせいつよ塩化えんか水素すいそガスを大量たいりょうしょうじさせる。

H-IIロケットをもと全面ぜんめん改良かいりょうされた次世代じせだいのH-IIAロケットとは基本きほんてき要求ようきゅう性能せいのうおなじなので、8号機ごうきの2だんはH-IIAロケットの2だんえられ使用しようされている。また、J-Iロケットの1号機ごうきには一段いちだんにH-IIのSRBが使用しようされているが、2号機ごうきではH-IIAのSRBが使用しようされている。HOPE(H‐II Orbiting Plane)や、宇宙うちゅうステーション補給ほきゅう(H-II Transfer Vehicle、略称りゃくしょう: HTV)はH-IIのとき計画けいかくはじまりH-IIAに(名称めいしょうにはH-IIがふくまれたまま)がれている。

構成こうせいしょもと

[編集へんしゅう]

主要しゅようしょもと一覧いちらん

[編集へんしゅう]
主要しゅようしょもと一覧いちらん
段数だんすう(Stage) だい1だん 固体こたいロケット
ブースタ
だい2だん フェアリング
全長ぜんちょう 35 m 23 m 11 m 12 m
そとみち 4.0 m 1.8 m 4.0 m 4.1 m
かくだん質量しつりょう 98 t 70.5 t 20 t 1.4 t
使用しようエンジン LE-7 SRB LE-5A N/A
推進すいしんやく 液体えきたい酸素さんそ
液体えきたい水素すいそ
(LOX/LH2)
ポリブタジエンけい
コンポジット推進すいしんやく
液体えきたい酸素さんそ
液体えきたい水素すいそ
(LOX/LH2)
推進すいしんやく供給きょうきゅう方式ほうしき ターボポンプ N/A ターボポンプ
推進すいしんやく質量しつりょう 86 t 59 t 17 t
真空しんくうちゅう推力すいりょく 1,079 kN(110.1 tf) 1,765kN(180.1 tf) 122 kN(12.4 tf)
空中くうちゅう推力すいりょく 445 s 273 s 452 s
燃焼ねんしょう時間じかん 345 s 93 s 598 s
姿勢しせい制御せいぎょ エンジンジンバル
補助ほじょエンジン
ジンバル ジンバル
ガスジェット
搭載とうさい電子でんし機器ききるい よこ加速度かそくど計測けいそく装置そうち
制御せいぎょ電子でんしパッケージ
・PCMテレメータパッケージ
・PCMテレメータパッケージ 慣性かんせい誘導ゆうどう計算けいさん
慣性かんせいセンサユニット
・データ・インタフェース・ユニット
制御せいぎょ電子でんしパッケージ
計測けいそく制御せいぎょ装置そうち
・PCMテレメータパッケージ
・テレメータ送信そうしん装置そうち
・レーダトランスポンダ
指令しれい破壊はかい受信じゅしん(2だい

構成こうせい

[編集へんしゅう]
日本にっぽんはつだい1だんよう大型おおがた液体えきたい燃料ねんりょうエンジンのLE-7

世界せかいてきにもすくない液体えきたい酸素さんそ液体えきたい水素すいそ推進すいしんざいとする液体えきたい燃料ねんりょうロケットエンジンを2段式だんしきロケットのりょうだんそなえ、1だんには推力すいりょく増強ぞうきょうのための大型おおがた固体こたいロケットブースターが2ほんけられている[1]全体ぜんたい構成こうせいについて、以下いかしたからじゅんしめす。

だい1だん機体きたい LE-7エンジン
1だんのエンジンには、NASDAと航空宇宙技術研究所こうくううちゅうぎじゅつけんきゅうじょ三菱重工みつびしじゅうこう石川島播磨いしかわじまはりま重工じゅうこう共同きょうどう開発かいはつした、液体えきたい酸素さんそ液体えきたい水素すいそ推進すいしんざいとするだん燃焼ねんしょうサイクルLE-7エンジンを使用しようする。
技術ぎじゅつテレメータ送信そうしんをオプションでそなえることが出来できる。
だい2だん機体きたい LE-5Aエンジン
2だんのエンジンには、さい着火ちゃっか能力のうりょく保有ほゆう液体えきたい酸素さんそ液体えきたい水素すいそ推進すいしんざいとするエキスパンダーブリードサイクルLE-5Aエンジンを使用しようする。ただし高度こうど機体きたいの8号機ごうきのみはH-IIAロケットだい2だん使用しようし、エンジンにはLE-5B使用しようした[7]
テレメータ送信そうしん、レーダートランスポンダ2指令しれい破壊はかい受信じゅしん2そなえる。
固体こたいロケットブースタ SRB
日産自動車にっさんじどうしゃIHIエアロスペース)が開発かいはつした大型おおがた固体こたいロケットブースタのSRBを2ほん使用しようする。分離ぶんり方式ほうしき確認かくにんのためにTR-Iロケット(そのTR-IAロケット発展はってん)が開発かいはつされた。[8]170.5tのうち、59tをめるポリブタジエンけいコンポジット固体こたい燃料ねんりょうにより、1,560kN(海面かいめんじょう)×2推力すいりょくし、94秒間びょうかんほど燃焼ねんしょうしたのちすうびょう分離ぶんり投棄とうきされる。推力すいりょくは273びょう真空しんくうちゅう)であり、可動かどうしきノズルによって姿勢しせい制御せいぎょおこなう[1]能力のうりょく向上こうじょうのためSRBを6ほん使用しようする構想こうそうもあった。
固体こたい補助ほじょロケット SSB
日産自動車にっさんじどうしゃIHIエアロスペース)が開発かいはつした小型こがた固体こたい補助ほじょロケットのSSBを2ほん使用しようする。TR-Iロケットのコアモータとほぼ同一どういつのものであり、試験しけん3号機ごうきのみに使用しようされた。離床りしょう10びょう空中くうちゅう点火てんかされる。
ペイロード・フェアリング
川崎重工かわさきじゅうこう開発かいはつしたフェアリングそとみち4.1mから5.1mまで、ペイロードである衛星えいせいおおきさにわせて複数ふくすうしゅ使用しようされる。
誘導ゆうどう装置そうち
ストラップダウンしき慣性かんせい誘導ゆうどう装置そうち[5]NEC日本航空にほんこうくう電子でんし開発かいはつ)とリング・レーザー・ジャイロを搭載とうさいしている[1]

開発かいはつ

[編集へんしゅう]
  • 1984ねん
    • 開発かいはつ研究けんきゅう」スタート。
  • 1986ねん
    • 開発かいはつ」スタート。
  • 1987ねん
    • フェアリング分離ぶんり試験しけん
  • 1988ねん
    • 詳細しょうさい設計せっけい終了しゅうりょう
  • 1988ねん - 1989ねん
    • H-IIロケットの4ぶんの1モデルであるTR-Iロケットによる(おなじく4ぶんの1のダミーSRBを使用しようした)固体こたいロケット分離ぶんり試験しけんおよび飛行ひこう特性とくせいなどのそらりょく特性とくせい確認かくにんおこなわれる。[9]
  • 1990ねん
    • 固体こたいロケット開発かいはつ完了かんりょう
  • 1991ねん
    • LE-7エンジンぬし噴射ふんしゃ加圧かあつ試験しけん配管はいかん破裂はれつばされた試験しけんチャンバーのドアが直撃ちょくげき三菱重工業みつびしじゅうこうぎょう技術ぎじゅつしゃ1にん死亡しぼう
  • 1992ねん
    • GTVによる地上ちじょう試験しけん
  • 1994ねん
    • はつげ。

打上うちあ実績じっせき

[編集へんしゅう]
機体きたい 打上うちあ年月日ねんがっぴ フェアリング 成否せいひ 積荷つみに 目的もくてき 衛星えいせい軌道きどう 備考びこう
試験しけん1号機ごうき 1994ねん2がつ4にち 4S 成功せいこう りゅうせい (OREX) 軌道きどうさい突入とつにゅう実験じっけん LEO 地球ちきゅう周回しゅうかい軌道きどうやく1しゅうしてからぎゃく噴射ふんしゃおこな大気圏たいきけんさい突入とつにゅう実験じっけん成功せいこう
みょうじょう (VEP) 性能せいのう確認かくにんようペイロード GTO H-IIロケットの衛星えいせい軌道きどう投入とうにゅう精度せいど打上うちあ機械きかい環境かんきょう条件じょうけんとう測定そくてい
試験しけん2号機ごうき 1994ねん8がつ28にち 4S 成功せいこう きく6ごう (ETS-VI) 技術ぎじゅつ試験しけん衛星えいせいVIがた GSO SRB点火てんかせず一時いちじ延期えんき
えきしきアポジエンジン不調ふちょうでGSO投入とうにゅう断念だんねん楕円だえん軌道きどう通信つうしん実験じっけん実施じっし
試験しけん3号機ごうき 1995ねん3月18にち 5/4D 成功せいこう ひまわり5ごう (GMS-5) 静止せいし気象きしょう衛星えいせい5ごう GSO RSCった最初さいしょ
固体こたい補助ほじょロケットSSBを2ほん使用しよう
SFU 宇宙うちゅう実験じっけん観測かんそくフリーフライヤ LEO
4号機ごうき 1996ねん8がつ17にち 5S 成功せいこう みどり (ADEOS) 地球ちきゅう観測かんそくプラットフォーム技術ぎじゅつ衛星えいせい LEO 地球ちきゅう環境かんきょう観測かんそく次世代じせだい観測かんそくシステムに必要ひつようなデータ収集しゅうしゅう軌道きどうあいだデータ中継ちゅうけい技術ぎじゅつとう開発かいはつ
ふじ3ごう (JAS-2) アマチュア衛星えいせい3ごう LEO Fuji-Oscar-29, FO-29
6号機ごうき 1997ねん11月28にち 4/4D 成功せいこう TRMM 熱帯ねったい降雨こうう観測かんそく衛星えいせい LEO 熱帯ねったい降雨こうう観測かんそく
きく7ごう (ETS-VII) 技術ぎじゅつ試験しけん衛星えいせいVIIがた LEO おりひめ・ひこぼしの愛称あいしょう無人むじんドッキング試験しけん成功せいこう
5号機ごうき 1998ねん2がつ21にち 4S 一部いちぶ失敗しっぱい かけはし (COMETS) 通信つうしん放送ほうそう技術ぎじゅつ衛星えいせい GSO 2だんエンジンの燃焼ねんしょう予定よていよりはやく(192sにたいし47s)停止ていししGTO投入とうにゅう失敗しっぱい
衛星えいせいのアポジエンジンによりじゅん回帰かいき軌道きどう投入とうにゅう
8号機ごうき 1999ねん11月15にち 5S 失敗しっぱい 命名めいめいされず (MTSAT-1) 運輸うんゆ多目的たもくてき衛星えいせい1ごう GSO 1だんエンジンが破損はそん推力すいりょくうしなったため指令しれい破壊はかい
父島ちちじま北西ほくせいやく380kmの海上かいじょう落下らっか
公募こうぼによる名称めいしょうは「みらい」
7号機ごうき 平成へいせい12年度ねんど[10] 4/4D 中止ちゅうし
展示てんじ
(MDS-1) 民生みんせい部品ぶひん・コンポーネント実証じっしょう衛星えいせい GTO H-IIAロケット2号機ごうきの2001ねんげる予定よていが、8号機ごうき失敗しっぱいけて製作せいさく打上うちあげげを中止ちゅうし
(DRTS-W) データ中継ちゅうけい技術ぎじゅつ衛星えいせい GSO

ちゅう:LEO:てい軌道きどう、GSO:静止せいし軌道きどう、GTO:静止せいしトランスファ軌道きどう

H-II 展示てんじ

[編集へんしゅう]
筑波宇宙つくばうちゅうセンターの展示てんじ
展示てんじ接続せつぞくされたLE-7がたエンジン(2007ねん10がつ20日はつか撮影さつえい

H-IIロケット7号機ごうき

[編集へんしゅう]

打上うちあ中止ちゅうしだいいちだんおよびだいだん機体きたいJAXA種子島宇宙たねがしまうちゅうセンター大崎おおさきだいいち事務所じむしょ(ロケットガレージに改称かいしょう)に保管ほかんされたままとなっており、2023ねん現在げんざいも、施設しせつ案内あんないツアーでることができる[11]2008ねん10月9にち国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん重要じゅうよう科学かがく技術ぎじゅつ資料しりょう通称つうしょう未来みらい技術ぎじゅつ遺産いさんだい00023ごうとして登録とうろくされた[12][13]

筑波宇宙つくばうちゅうセンター

[編集へんしゅう]

H-II開発かいはつ試験しけん機体きたいだい一段いちだん種子島宇宙たねがしまうちゅうセンターに、だいだん三菱重工みつびしじゅうこう飛島とびしま工場こうじょう愛知あいちけん)、衛星えいせいフェアリングは角田つのだ宇宙うちゅうセンター(宮城みやぎけん)、SRBはアイ・エイチ・アイ・エアロスペース富岡とみおか事業じぎょうしょ群馬ぐんまけん)にそれぞれ保管ほかんされていた[14]保管ほかんにかかる費用ひようなどが負担ふたんになりいち廃棄はいきすることも検討けんとうされたが、2007ねん4がつ21にちおこなわれた筑波宇宙つくばうちゅうセンター特別とくべつ公開こうかいわせてやく1おくえんをかけて輸送ゆそう[14]屋外おくがい特別とくべつ展示てんじされ、特別とくべつ公開こうかいはそのまま常設じょうせつ展示てんじされている[15][16]展示てんじされているのは本体ほんたいだいいちだんだいだん、フェアリング、LE-7がたエンジン)およびSRB 1(これは7号機ごうきのもの)である。設置せっち当初とうしょは、LE-7は装着そうちゃくされない状態じょうたいであったが、2007ねん10がつ20日はつか筑波宇宙つくばうちゅうセンター一般いっぱん公開こうかいわせるかたちで、からLE-7が装着そうちゃくされた[17]。LE-7装着そうちゃくのカバーは部分ぶぶんてき透明とうめいいたになっており、配管はいかん様子ようすることができる。また、試験しけん接続せつぞくするケーブルなどの部分ぶぶんもビニールぶくろなどで簡易かんい防水ぼうすい処理しょりだけがおこなわれている。 なお、上述じょうじゅつ展示てんじきょうされた機体きたいとはべつに、実機じっきおな構造こうぞう製作せいさくされたH-II地上ちじょう試験しけん(GTV)は、試験しけんフライトモデルへと改修かいしゅうのうえ4号機ごうきとしてげられている[18]

実物じつぶつだい模型もけい

[編集へんしゅう]

上記じょうき2実機じっき展示てんじしているが、展示てんじよう実物じつぶつだい模型もけいとしては、種子島宇宙たねがしまうちゅうセンターの公園こうえんないにもう1展示てんじよう模型もけい設置せっちされている。また、つくばエキスポセンターもと横浜よこはま博覧はくらんかいのYES'89宇宙うちゅうかん展示てんじぶつ)と、JAXA角田つのだ宇宙うちゅうセンターのある角田つのだスペースタワー・コスモハウスと、栃木とちぎけん栃木とちぎけんども総合そうごう科学かがくかんと、鹿児島かごしまけん錦江湾きんこうわん公園こうえんの4箇所かしょにもH-IIロケットがてられた状態じょうたい屋外おくがい展示てんじされている。

名称めいしょう

[編集へんしゅう]

NASDAではH-IIのみを「えいちつー」で統一とういつしているが規定きていではない。「えいちに」というみや「H-2」という表記ひょうきみとめており、これらを使つかってもあやまりとはいえない。NHKでは「えいちに」で統一とういつしている。文化放送ぶんかほうそう梶原かじはらしげるの本気ほんきでDONDONでH-IIを特集とくしゅうしたに、番組ばんぐみ開始かいし当初とうしょは「えいちつー」とんでいたが、番組ばんぐみ途中とちゅうで「えいちに」がただしいとした。以後いご文化放送ぶんかほうそうでは「えいちに」で統一とういつされている。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d e 鈴木すずき弘一こういちちょ 『はじめての宇宙うちゅう工学こうがく』 森北もりきた出版しゅっぱん 2007ねん4がつ25にちだい1はんだい1さつ発行はっこう ISBN 978-4-627-69071-4
  2. ^ 宇宙開発事業団うちゅうかいはつじぎょうだん編纂へんさん委員いいんかい宇宙開発事業団うちゅうかいはつじぎょうだん」、宇宙開発事業団うちゅうかいはつじぎょうだん、2003ねん9がつ、257ぺーじ
  3. ^ 宇宙うちゅう開発かいはつにおける計画けいかく管理かんり進捗しんちょくによって「研究けんきゅう研究けんきゅう概念がいねん設計せっけい)」→「開発かいはつ研究けんきゅう予備よび設計せっけい)」→「開発かいはつ基本きほん設計せっけい詳細しょうさい設計せっけい維持いじ設計せっけい)」→「運用うんよう」の4つの段階だんかい(フェーズ)にかれている。要求ようきゅうもとづき仕様しよう計画けいかくめるのが「研究けんきゅう」、使用しよう計画けいかく詳細しょうさい文書ぶんしょし、しん技術ぎじゅつ試作しさくをし実現じつげんせい目処めどけ、開発かいはつ体制たいせい構築こうちくするのが「開発かいはつ研究けんきゅう」、設計せっけいについての各種かくしゅ解析かいせきをし全体ぜんたい試作しさくひんから実機じっきつくるまでが「開発かいはつ」である。「開発かいはつ研究けんきゅう」までが企画きかく立案りつあんフェーズ、「開発かいはつ以降いこう実施じっしフェーズである。宇宙うちゅう開発かいはつ委員いいんかいかくフェーズアップにたいする審査しんさおこなう。この一連いちれん開発かいはつ手法しゅほうはNASAではPPP(Phased Project Planning)とび、NASDAがれたものである。5.評価ひょうか実施じっしのための原則げんそく文部もんぶ科学かがくしょう公式こうしきサイト)設計せっけい品質ひんしつ確保かくほ思想しそう 航空こうくう宇宙うちゅうエレクトロニクスにまなぶ「信頼しんらいせい設計せっけい」(Tech Village 2006ねん3がつ28にち1 宇宙うちゅう開発かいはつ委員いいんかいにおける宇宙うちゅう開発かいはつプロジェクトの評価ひょうかシステム(宇宙うちゅう開発かいはつ委員いいんかい公式こうしきサイト)参照さんしょう
  4. ^ 宇宙開発事業団うちゅうかいはつじぎょうだん(NASDA)沿革えんかく JAXA公式こうしきサイト
  5. ^ a b c H-IIロケット宇宙うちゅう航空こうくう研究けんきゅう開発かいはつ機構きこう
  6. ^ わがくに宇宙うちゅう輸送ゆそうけい現状げんじょう今後こんご方向ほうこうせい 平成へいせい23ねん2がつ24にち首相しゅしょう官邸かんてい公式こうしきサイト 宇宙うちゅう開発かいはつ戦略せんりゃく本部ほんぶ
  7. ^ 運輸うんゆ多目的たもくてき衛星えいせい(MTSAT)/H-IIロケット8号機ごうき打上うちあ計画けいかくしょおよびH-IIロケット8号機ごうき開発かいはつじょうきょう報告ほうこく』(プレスリリース)1999ねん6がつ9にちオリジナルの2003ねん9がつ30にち時点じてんにおけるアーカイブhttps://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/233892/www.nasda.go.jp/press/1999/06/h28_990609_j.html2016ねん8がつ7にち閲覧えつらん 
  8. ^ 松尾まつお弘毅こうき監修かんしゅう 「ロケット工学こうがく」 コロナしゃ2001ねん、191ぺーじISBN 978-4-339-01222-4
  9. ^ 大澤おおさわ弘之ひろゆき監修かんしゅう新版しんぱん 日本にっぽんロケット物語ものがたりまことぶんどう新光しんこうしゃ2003ねん、206ぺーじISBN 978-4-416-20305-7
  10. ^ これからのロケット・人工じんこう衛星えいせいとう打上うちあ”. NASDA (1991ねん11月). 1999ねん11月13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2012ねん7がつ31にち閲覧えつらん
  11. ^ ファン!ファン!JAXA! 種子島宇宙たねがしまうちゅうセンター 施設しせつ紹介しょうかい”. JAXA (2017ねん). 2018ねん10がつ8にち閲覧えつらん
  12. ^ 重要じゅうよう科学かがく技術ぎじゅつ資料しりょう愛称あいしょう未来みらい技術ぎじゅつ遺産いさん)の登録とうろく制度せいどだい1かい登録とうろくしょう授与じゅよしきについて国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん、2008.10.3
  13. ^ JAXA's 023”. JAXA (2008ねん12月1にち). 2018ねん11月8にち閲覧えつらん
  14. ^ a b H2えいちつーロケット復元ふくげんへ 宇宙うちゅう開発かいはつ実物じつぶつ”でアピール 」. 産経新聞さんけいしんぶん. 2007ねん1がつ7にち
  15. ^ 森山もりやま和道かずみちJAXA、H-IIロケットを一般いっぱん公開こうかい、ロボットWatch、2007ねん4がつ24にち
  16. ^ JAXA's 014”. JAXA (2007ねん6がつ1にち). 2018ねん11月8にち閲覧えつらん
  17. ^ JAXA's 018”. JAXA (2008ねん2がつ1にち). 2018ねん11月8にち閲覧えつらん
  18. ^ 笹本ささもと祐一ゆういちちょ宇宙うちゅうへのパスポート」朝日あさひソノラマ、2002ねん、46ぺーじISBN 4-257-03649-4 宇宙うちゅうへのパスポート - マンガ図書館としょかんZ外部がいぶリンク)

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]