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万章 - 维基百科,自由的百科全书 とべ转到内容ないよう

まんしょう

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まんしょう
本名ほんみょうまん
あきら
国籍こくせき一說いっせつ
かつ跃时戰國せんごく時期じき
知名ちめい孟子もうし弟子でし

まんしょう(?—?),またしょうまん戰國せんごくとき鄒國ひと一說いっせつため薛國ひと孟子もうし弟子でし。萬章是孟子極為親近的弟子,也是《孟子もうしてき主要しゅよう作者さくしゃいち,其中有ちゅうういちへん以其めい命名めいめい[1][2]きたそう政和まさかずねん(1115ねん),まんしょうみことのりふうためひろしきょうはく其陵ざいいま山東さんとうしょう鄒城北宿きたやどりため山東さんとうしょう文物ぶんぶつ保護ほご單位たんい[3][4][5][6]

ざい孟子もうしちゅうせき於萬章的問答篇章皆直呼萬章之名,ただしょまつつきしんざいゆうまん曰」てき記述きじゅつあきら論語ろんごちゅうゆうわかざいしょくびしょう有子ゆうこ曰」てき先例せんれい證明しょうめい孟子もうしてき作者さくしゃ包含ほうがんまんしょうあずかまんしょうてき弟子でし[7]

生平おいだいら

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まんしょう曾問孟子もうし小國おぐにそうこくわかよう推行仁政じんせい,怎麼應對おうたい大國たいこくひとしこくすわえこくてきおさむ呢?孟子もうこしょうおさむかずらこくためれい說明せつめいそく使小國しょうこくただよう推行王政おうせい,四海的百姓都會仰望與降服[8]

まんしょうあずか孟子もうしたいしゅんゆう許多きょたこたえとい討論とうろん。萬章曾問舜是否怨恨其父母、しゅんめとつまためなん稟告父母ちちははしゅんといなんころせりょう曾欲はかりごとがいてきどうちち異母弟いぼていぞう[9]。萬章也曾問孟子關於聖王禪讓之事,包括ほうかつつてきゅうしゅんこれごとつてきゅう自己じここと[9]

萬章也曾問孟子關於古代聖人、賢人けんじん傳聞でんぶん,如問いんいん廚藝こう才能さいのうためかん[10]孔子こうし曾借じゅうざい瘍醫與太よたかん家中いえじゅう[11]百里ひゃくりうりかわひつじがわ以求かん[12]孔子こうしためなん不滿ふまんごうすなおこれにん[13]かのえため何人なんにんとう[14]

萬章曾問孟子交友之道,孟子もうこ回答かいとう不要ふよう自恃じじ年長ねんちょう不要ふよう自恃じじあらわとうと、也不よう兄弟きょうだいある姻親てきあらわ自恃じじなみはじめけんじめぐみおおやけ晉平しんぺいおおやけしゅんとうひとゆい朋友ほうゆうてき態度たいど說明せつめい[15]孟子もうこ也曾つげまんしょうゆい交善かみ交古人的じんてき道理どうり[16]

萬章問孟子關於收受禮物。孟子もうこ回答かいとうただ收受しゅうじゅ以禮しょうまちてき朋友ほうゆうしょおくてきらい正當せいとうてき禮物れいもつ[17]

萬章曾問孟子為何士人不肯依附諸侯、くにくん如何いかたてまつやしなえ君子くんし士人しじんためなん肯求諸侯しょこうあずかもとめ官等かんとう[18]

孟子もうしがいしょ記載きさい孟母もうぼ葬禮そうれいじょう,萬章負責操辦喪服之事[19]。萬章曾與孟子同遊牛山,孟子もうこ講述こうじゅつさん不朽ふきゅう[20]

稱號しょうごう

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注釋ちゅうしゃく

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  1. ^ りゅうつちかえかつら. 孟子もうこ弟子でししんこう. 孟子もうしあずか孟子もうこ故里ふるさと. 北京ぺきん: 中國ちゅうごくぶん出版しゅっぱんしゃ. 2001. 
  2. ^ 簡逸こう. まんしょう. 臺北たいぺいあなびょう儒學じゅがく文化ぶんかもう. [2018-08-15]. (原始げんし内容ないようそん档于2018-08-15). 
  3. ^ 孟子もうし弟子でしこう補正ほせい》:《一統いっとうこころざし》:そう鄒縣西南せいなんまたうんすみみなみ新城しんじょうけん
  4. ^ うまほしつばさ新建しんたけ萬子墓前享堂記〉
  5. ^ 古今ここん圖書としょ集成しゅうせい》:《ひとしじょううんざい滕州みなみまんむら。《つうこころざしうんざい鄒縣西南せいなんじゅうさといままつ于鄒。
  6. ^ 济宁あまやま专家学者がくしゃはし访《孟子もうしなり书地薛城まんしょう书院旧址きゅうし. だい眾日ほう. 2022-06-17. [失效しっこう連結れんけつ]
  7. ^ 孟子もうし弟子でしこう補正ほせい》:まんしょう曰:「一鄉皆稱原人焉」,註疏ちゅうそさくまん曰」,ちょうちゅううん:「まんそくまんしょう也。孟子もうころく,以其かい於聖じんいいまん男子だんし通稱つうしょう也,美之みゆきしゃよく以責也。」まごこころざしうん:「岐說かた迂曲うきょくしか經文きょうもん自作じさくまんうたぐななへんまんしょうしょ輯,於篇おわりとくちょまん,以表これまた如論ゆうわかしょろく篇首へんしゅ大書たいしょ有子ゆうこ曰,せい其例也。こうらい訓詁くんこ罕有及此しゃ
  8. ^ 孟子もうし·滕文おおやけ》:まんしょうとい曰:「そう小國おぐに也,いま將行まさゆき王政おうせいひとしすわえあく而伐のり如之なに?」孟子もうし曰:「きょ亳,あずかかずらため鄰。かずらはく而不まつ使じんとい曰:『なにためまつ?』曰:『以供犧牲ぎせい也。』使のここれうしひつじかずらはくしょくまた以祀。また使つかいじんとい曰:『なにためまつ?』曰:『以供しとぎもり也。』使亳眾,往為たがやせ老弱ろうじゃく饋食。かずらはくりつ其民,よう其有酒食しゅしょくきびいねしゃだつこれ授者,ころせこれゆう童子どうじ以黍にく餉,ころせ而奪しょ曰:『かずらはくかたき餉。』此之いい也。ため其殺童子どうじ而征,四海之內皆曰:『とみ天下でんか也,ため匹夫ひっぷひき復讎ふくしゅう也。』はじめせいかずらじゅう一征而無敵於天下。東面とうめん而征西にしえびす怨;南面なんめん而征きた狄怨;曰:『奚為わが?』みんもちわか大旱たいかんもち也。かえりしゃどるどめ芸者げいしゃ不變ふへん;誅其くんとむらい其民,如時くだみんだいえつしょ曰:『徯我きさききさきらい其無ばつ』『ゆう不為ふためしん東征とうせい,綏厥おんな;匪厥玄黃げんこう;紹我しゅうおうきゅうおもんみしん于大邑周。』其君じつ玄黃げんこう于匪以迎其君子くんし;其小じん,簞食つぼ漿以むかえ其小じん救民きゅうみん於水なか其殘而已矣。ふとしちかい曰:『わがおもんみあげおかせ于之疆,のり于殘,殺伐さつばつようちょう,于湯有光ありみつ。』くだり王政おうせいうんなんじ。苟行王政おうせい四海しかい內,みな舉首而望よく以為くんひとしすわえ雖大,なにかしこ焉?」
  9. ^ 9.0 9.1 孟子もうし·まんしょうじょう
  10. ^ 孟子もうし·まんしょうじょう》:まんしょうとい曰:「ひとゆうごと:『いん以割烹要。』ゆうしょ?」孟子もうし曰:「いやしかいんこう於有莘之,而樂堯、しゅんこれどう焉。義也よしや道也みちや祿ろく以天どる顧也;繫馬せんどる也。義也よしや道也みちや一介いっかい以與じん一介いっかい以取諸人もろびと使じん以幣聘之,囂囂ごうごうしか曰:『わがなに以湯聘幣ため哉!わがあにわかしょ畎畝なかゆかり以樂堯、しゅん道哉みちや?』さん使つかい往聘すんで而幡しかあらため曰:『あずかわがしょ畎畝なかゆかり以樂堯、しゅんこれどうわれあにわか使つかいただしくんため堯、しゅんきみ哉!われあにわか使つかいみんため堯、しゅんこれみん哉!われあにわか於吾おや哉!てんなま此民也,使つかいさき知覺ちかく使つかい先覺せんかくさとしさとし也。天民てんみん先覺せんかくしゃ也,はた以斯どうさとし斯民也,予覺よかく而誰也!』おもえ天下でんかみん匹夫ひっぷひきゆう堯、しゅんさわしゃわかおのれ推而內之みぞちゅう;其自任じにん以天じゅう如此,就湯而說以伐なつ救民きゅうみんわれ未聞みもん枉己而正じんしゃ也,きょうはずかしめおのれ以正天下でんかしゃ乎?聖人せいじんこれぎょう不同ふどう也,あるとおあるちかあるあるかえりきよし其身而已矣。われ聞其以堯、しゅんこれどうよう未聞みもん以割烹也。くん曰:『天誅てんちゅうづくりおさむまきみやちん亳。』」
  11. ^ 孟子もうし·まんしょうじょう》:まんしょうとい曰:「あるいい孔子こうし,於衛ぬしよう疽,於齊おさいぬしさむらいじんやせたまきゆうしょ乎?」孟子もうし曰:「いやしか也;好事こうじしゃ為之ためゆき也。於衛,しゅかお讎由。彌子やこつまあずかつま兄弟きょうだい也;彌子やこいい曰:『孔子こうし主我しゅがまもるきょうとく也。』以告,孔子こうし曰:『ゆういのち。』孔子こうしすすむ以禮,退すさ以義,とく,曰有いのち。而主よう疽與さむらいじんやせたまきよしいのち也。孔子こうしえつ於魯、まもる,遭宋桓司はたよう而殺ほろふく而過そう孔子こうしとう阨,しゅ司城つかさき貞子さだこためひねこうしゅうしんわれ聞觀近臣きんしん,以其所為しょいぬしかんどおしん,以其しょぬしわか孔子こうししゅよう疽與さむらいじんやせたまきなに以為孔子こうし?」
  12. ^ 孟子もうし·まんしょうじょう》:まんしょうとい曰:「ある曰,百里奚自鬻於秦養牲者,ひつじかわしょくうし,以要はたきよしおおやけしん乎?」孟子もうし曰:「いやしか好事こうじしゃ為之ためゆき也。百里ひゃくり奚,おそれじん也。すすむじん以垂とげ璧,あずかこごめさんこれじょうかりみち於虞以伐虢。みや諫,百里ひゃくり奚不諫。おそれこう不可ふか諫而去はたねんやめななじゅう矣。曾不知ふち以食うしはたきよしこうため污也,いいさとし乎?不可ふか諫而諫,いいさとし乎?おそれこうはたほろび而先これ不可ふかいい智也ともやとき舉於しんきよしこうあずかゆうくだり也而相之あいのいいさとし乎?あいしん而顯其君於天つて後世こうせいけん而能乎?鬻以なり其君,鄉黨きょうとうこのみしゃ不為ふため,而謂賢者けんじゃ為之ためゆき乎?」
  13. ^ 孟子もうし·つきしん》:まんしょう曰:「一鄉皆稱原人焉,しょ往而不為ふため原人げんじん孔子こうし以為德之のりゆきぞくなに哉?」曰:「舉也,とげとげ也;どう流俗りゅうぞくごう乎污きょ忠信ちゅうしんぎょう廉潔れんけつ;眾皆えつ以為;而不可ふかあずかにゅう堯、しゅんこれどう曰德ぞく也。孔子こうし曰:『あく而非しゃあく莠,おそれ其亂なえ也;あく佞,おそれ其亂義也よしやあく利口りこうおそれ其亂信也しんやあくていごえおそれ其亂らく也;あくむらさきおそれ其亂しゅ也;あく鄉原ごうはらおそれ其亂德也とくや。』君子くんしはんけい而已矣。けいただしのり庶民しょみんきょう庶民しょみんきょう,斯無よこしま慝矣。」
  14. ^ 孟子もうしがいしょ·ぶんせつだい》:まんしょう问曰:「かのえ何人なんにん也?」孟子もうし曰:「これだかじん也,うえしん天子てんししたこと诸侯。《えき》曰:『こと王侯おうこう高尚こうしょう其事。』」
  15. ^ 孟子もうし·まんしょう》:まんしょうとい曰:「敢問『とも』?」孟子もうし曰:「はさみちょうはさみとうとはさみ兄弟きょうだい而友;友也ともやしゃとも德也とくや不可ふか以有はさみ也。はじめけんじひゃくじょういえ也,ゆうともにん焉:らくせい裘、まきなか;其三人則予忘之矣。けんじあずかにんしゃ友之とものけんじいえしゃ也;此にんしゃまたゆうけんじいえのりあずかこれとも矣。おもんみ百乘之家為然也,雖小國之くにゆきくんまたゆうめぐみおおやけ曰:『われ於子おもえのり矣;われ於顏般,則友のりとも矣;おうじゅんちょういきのりごとしゃ也。』おもんみしょう國之くにゆきくんためしか也,雖大國之くにゆきくんまたゆう晉平しんぺいこう於亥から也,にゅううんそくいれすわうんそくすわしょくうんそくしょく;雖蔬しょくさいあつもの嘗不飽,ぶた敢不飽也。しかおわり於此而已矣。どるあずかきょうてん也,どるあずか天職てんしょく也,どるあずかしょくてん祿ろく也。みこと賢者けんじゃ也,王公おうこうみこと賢也けんやしゅんなおみかどみかどかんおい於貳しつまたきょうしゅん,迭為まろうどぬし天子てんし而友匹夫ひっぷ也。ようけいじょういいようじょうけいいいみことけんとうとみことけん,其義一也かずや。」
  16. ^ 孟子もうし·まんしょう》:孟子もうこいいまんしょう曰:「いち鄉之ごうのぜん,斯友いち鄉之ごうのぜんいちこくぜん,斯友いちこくぜん天下でんかぜん,斯友天下でんかぜん。以友天下でんかぜんためあしまたなおろんふるこれにん,頌其,讀其しょ不知ふち其人乎,以論其世也,なお友也ともや。」
  17. ^ 孟子もうし·まんしょう》:まんしょうとい曰:「敢問交際こうさいなにこころ也?」孟子もうし曰:「きょう也。」曰:「卻之,卻之ためきょうなに哉?」曰:「尊者そんじゃたまもの,曰:『其所これしゃ乎?不義ふぎ乎?』而後受之;以是ためきょうどるよく也。」曰:「請無以辭卻之,以心卻之,曰:『其取しょみん義也よしや。』而以受,不可ふか乎?」曰:「其交也以どう,其接也以れい,斯孔受之矣。」まんしょう曰:「こんゆう禦人於國もんそとしゃ,其交也以どう,其饋也以どう,斯可受禦與?」曰:「不可ふかかん誥曰:『ころせ越人えつじん于貨,閔不かしこ,凡民罔不譈。』まちきょう而誅しゃ也。いん受夏,しゅう受殷,しょ也。於今ためれつ,如之なん其受!」曰:「いま諸侯しょこうこれ於民也,なお禦也;苟善其禮ぎわ矣,斯君子くんし受之,敢問なんせつ也?」曰:「以為ゆう王者おうじゃさくしょういま諸侯しょこう而誅乎?其教あらため,而後誅之乎?おっといい其有而取これしゃとう也。たかしるいいたり義之よしゆきつき也。孔子こうしつかまつ於魯也,魯人りょう較,孔子こうしまたりょう較;りょう較猶,而況受其たまもの乎?」曰:「しかのり孔子こうしつかまつ也,ことどうあずか?」曰:「こと道也みちや。」「ことどう奚獵較也?」曰:「孔子こうしさき簿せい祭器さいき以四方之食供簿正。」曰:「奚不也?」曰:「為之ためゆきちょう也,兆足以行矣而不行,而後以未嘗有しょおわりさんねん淹也。孔子こうしゆうみるゆきつかまつゆうぎわつかまつゆうおおやけやしなえつかまつ。於季桓子,みるゆきつかまつ也;於衛れいこうきわつかまつ也;於衛こうこうおおやけやしなえつかまつ也。」
  18. ^ 孟子もうし·まんしょう
  19. ^ 孟子もうしがいしょ·こうけいだいさん》:孟母もうぼ門弟子もんていしかく其事,ちん臻治貨,まご郊治しゃ,咸丘こうむばん章治しょうじ縗,たかしおそれ櫬,おおやけ彧治饌,ひねだい牲,らくせい克治かつじ公孫こうそんうし賓客ひんきゃく。」
  20. ^ 孟子もうしがいしょ·ぶんせつだい》:万章从游于牛山之上,孟子もうこ喟然叹曰:「此齐けいこう流涕りゅうていこれしょ也,而其こつやめくち矣。」まんしょう曰:「これにんなん不朽ふきゅう?」孟子もうし曰:「ふとしうえゆう立德りっとく,其次ゆうりつこう,其次ゆう立言りつげん,此之谓さん不朽ふきゅうこれにんみなゆう君子くんし虽死而求其不死者ししゃわか小人こども则未而已矣。」