恭きょう陵りょう位くらい于緱氏縣けん(今いま中国ちゅうごく河南かなん省しょう洛らく阳市偃师区く缑氏镇)东北2.5公里くり的てき滹沱岭上。为唐とう高だか宗むね第だい五ご子し、武たけ则天长子李り弘ひろし墓はか。[1]陵りょう园座北朝ほくちょう南みなみ,平面へいめん正方形せいほうけい,建けん筑规化工かこう整せい,长、宽均440米まい。四面しめん建けん围墙,辟四门,门外均ひとし有ゆう石せき狮一对。神道しんとう宽50米めーとる,两旁列石れっせき雕佣群ぐん,封土ほうど呈てい覆くつがえ斗と状じょう。东西现长150米めーとる,南北なんぼく宽130米めーとる,现高22米まい。其东北きた50米めーとる为太子たいし妃ひ裴氏墓はか,底そこ边长、宽40-50米めーとる,现高13米まい。