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阿賴耶識 - 维基百科,自由的百科全书 とべ转到内容ないよう

おもねよりゆき耶識

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重定しげさだこうおもねなし耶識

おもねよりゆき耶識梵語ぼんごआलयविज्ञानālaya-vijñāna[1][2]またわけためおもねなし耶識,也稱ため一切いっさい種子しゅしsarva-bījaka-vijñāna[1][3]じゅくvipāka-vijñāna[4][5]おもね陀那識ādāna-vijñāna[6]そくもち識」よし[7]そくこれはちaṣṭa-vijñāna[8]丈夫じょうぶ[9]。「おもねよりゆき耶識」これ瑜伽ゆがぎょう唯識ゆいしき學派がくは主要しゅよう依據いきょかいふかみつけい[10]提出ていしゅつてき學說がくせつ這個學派がくはてき基本きほん理論りろん基礎きそいち

定義ていぎ[编辑]

おもねよりゆき耶識ぞくだい一能いちのうへんげんなり唯識ゆいしきろんゆうせき有情うじょうてきはち所屬しょぞくのうへんてき說明せつめい如下:

音義おんぎ[编辑]

おもねよりゆき耶(ā-layaざいおもね含經ちゅうやめけい出現しゅつげんはらただしよう表示ひょうじしる[12]てき一般いっぱん術語じゅつご根據こんきょちょ大乘だいじょうろん》,せつ一切いっさいゆう所傳しょでんぞういちおもね含經ちゅう,曾提いたおもねよりゆき[13]せつ一切いっさいゆうぞういちおもね含經ある如來にょらい出現しゅつげんよんとくけいつてにゅう中國ちゅうごくみなやめしつでんただし日本にっぽん學者がくしゃ月輪げつりんけんたかし考證こうしょう,這段經文きょうもん相當そうとう於巴利文としふみ三藏さんぞうぞう支部しぶ》〈よんほうひんだい128けい[14]かんやくぞういちおもね含經》〈四諦したいひんだい3けい[15]おうげん上座かみざ共有きょうゆうてき傳承でんしょうざい俱舍ろん[16]あずか清淨せいじょうどうろん[17]なか,也曾援引えんいん類似るいじ經文きょうもんみな以阿よりゆき耶為ちょ

ざいかいふかみつけいちゅうはたおもねよりゆき耶(ā-laya),れつためこれいち解釋かいしゃくためじゅうちょ[18]受、ぞうかくれ[19],這個含義可能かのうげん它的梵文ぼんぶん √lī

學說がくせつ起源きげん[编辑]

佛教ぶっきょうかい一般將阿賴耶識學說的最早完整論說追溯至《かいふかみつけい》:

ちょ大乘だいじょうろんちゅう引證いんしょうおもね達磨だるま大乘だいじょうけいためおもねよりゆき耶識學說がくせつてき起源きげん[1]

佛教ぶっきょう時期じきたいしん意識いしき三分理論就有了仔細的研討,ただしせつ一切いっさいゆうれつため參考さんこう異說いせつ[41]ざい佛教ぶっきょう早期そうきてきゆうせき論述ろんじゅつちゅう主要しゅよう採用さいようじゅく識或結生ゆき識等術語じゅつござい瑜伽ゆがぎょうただ识学ちゅうてん使用しようおもねよりゆき耶識」這個ばららい作為さくいじゅく識別しきべつめいてき術語じゅつごらい表示ひょうじだいなな意識いしき及前五識ごしきてき根本こんぽん

佛教ぶっきょうかいてきいち般看ほうおもね陀那識和おもねよりゆき耶識,這兩個りゃんこじゅく識別しきべつめいざい佛教ぶっきょう初期しょき經論きょうろんちゅうぼつゆう出現しゅつげんいんため它們以功のうとくめい,而且ぎょうしょうじゅうふん微細びさい,如《かいふかみつけいちゅうせつおもね陀那識的ぎょうしょう微細びさい所以ゆえんふつ陀於凡夫ぼんぷじょうまえ演說えんぜつまた如唐やくよんじゅうかんほん大方おおかたこうふつ華嚴經けごんきょうまきはち:「如是にょぜ甚深おもねよりゆき耶識くだりしょう微細びさい究竟くっきょうさいただしょ如來にょらいじゅう菩薩ぼさつこれしょ通達つうたつほう聲聞しょうもん及辟ささえふつ凡夫ぼんぷ外道げどう不能ふのう。」

學說がくせつ發展はってん[编辑]

大乘だいじょうみつげんけい指出さしでおもねよりゆき耶識つねあずか一切染淨之法而作所依」,ただし本體ほんたいぞう[42]卻是「せいつねまどかきよしぞうげん[43]ちょおや遵崇如來にょらいぞうほうよし[44],引入りょうぞう識藏[45]如來にょらいぞう釋義しゃくぎ[46]こう世論せろんまた依據いきょ楞伽けいとう[42]こうおもねよりゆき耶識增加ぞうかりょう別名べつめい無垢むくそくぜんきよしはち,如げんなり唯識ゆいしきろん》:

しかだいはち雖諸有情うじょうみな成就じょうじゅ,而隨べつたて種種しゅじゅめい
いいあるしんゆかり種種しゅじゅほう熏习種子しゅししょせきしゅうゆえあるおもね陀那種子しゅし及諸しょくれい不壞ふえゆえ[47]あるところとものうあずかしみきよししょ諸法しょほうためとめゆえある種子しゅしのうへんにん持世もちよ出世間しゅっせけんしょ種子しゅしゆえ。此等しょどおり一切いっさい
あるおもねよりゆきぞう一切雜染品法令不失故,我見がけんあいとうぞう以為內我ゆえ。此名ただざいせいゆうがく無學むがくくらい退すさ菩薩ぼさつ[48]ゆうざつしみほうぞうゆえ
あるじゅくのう引生ぜん不善ふぜんぎょうじゅくはてゆえ。此名ただざいことせい二乘にじょうもろ菩薩ぼさつくらい如來にょらいなおゆうじゅく記法きほうゆえ
ある無垢むくさいきょく清淨せいじょうしょほうしょとめゆえ。此名ただざい如來にょらいゆう菩薩ぼさつ、二乘及異生位持有漏種、受熏习,とくぜんきよしだいはち識故。如契けい[49]せつ:「如來にょらい無垢むく識,きよしさかい解脫げだつ一切いっさいさわえんかがみさとし相應そうおう。」[50]

另外,ゆう说其せい灭与なま灭的和合わごう[51]

詳述しょうじゅつ[编辑]

唯識ゆいしきむねみとめため,八識在因地凡夫位時阿賴耶性重故名為阿賴耶識,ため一切いっさい諸法しょほうしょおもね赖耶识是ただ识学てき核心かくしん范畴,根本ねもともちのうしゅ,其它かく识(みみはなしたすえみやこゆかり衪生无始以来いらいおもね赖耶识就含藏ちょ净染まんほう种子。如果たい“万法从心而起”这一真理しんり不明ふめいりょう,就称さく无明”。此“无明”产生其他无明てき根本こんぽん所以ゆえんまたしょう为“无始无明”(“根本こんぽん无明”),并由此产せいじんほう二我执等烦恼的“えだまつ无明”。而这一切いっさい凡、おやしょうおもね赖耶识前てき本能ほんのうじょう态。

异熟识[编辑]

ただ识宗みとめため:「おもね赖耶识所含藏てきゆう有為ゆういほうしゅ經由けいゆしょづくりてきぜん恶业しょかおる习而轉變てんぺんぜんしみせい,以业种子为ぞうじょう而招かん异熟はてまたたたえため异熟识,它是以阿赖耶识之はてしょう命名めいめい。」部分ぶぶんろんしょう:「とうおもね赖耶识中なまおもね赖耶せいだんじょ改名かいめい异熟识あるしょうおもねまたたたえだいきゅう識」,其實本體ほんたいどうだいはち识,ただ含藏てき內容不同ふどう而有異名いみょう,它仍因果いんが业报これ主体しゅたい

如來にょらいぞう[编辑]

依據いきょ大乘だいじょうみつげんけい》:

おもねよりゆき耶識」就是「ぞう」,そく如來にょらいぞう[42]

三界さんがい唯心ゆいしんまんほう唯識ゆいしき[编辑]

おや唯識ゆいしきじゅうろん[52]

其立ろん依據いきょ華嚴經けごんきょう》:「若人わこうどよく了知りょうちさんせい一切いっさいふつおうかん法界ほうかいせい一切いっさいただしんみやつこ。」「こころ如工畫師えしのうしょ世間せけん五蘊ごうん悉從せい無法むほう而不づくり,如心ぼとけまたしか,如佛眾生しかおうほとけあずかこころからだせいみな無盡むじん。」[54]

けい[编辑]

現代げんだい研究けんきゅうしゃしるしじゅんしょう[55]たい於阿よりゆき耶識てき性質せいしつ唯識ゆいしきがくちゅうまたぶん兩派りょうは

  • 真心まごころ南北なんぼくあさ真諦しんたい三藏さんぞうよりどころあんとし[56]學說がくせつ建立こんりゅうてきろんむねぞく於此みとめため諸佛しょぶつ如來にょらいてき無垢むく識,永遠えいえんだんじょりょうにんなん習氣[57]とう經由けいゆ修行しゅぎょう[58]おもねよりゆき耶識與以其ため根本こんぽんてきしょ煩惱ぼんのうしみざつ俱滅のち[59]修行しゅぎょうしゃのう夠證どく心性しんせいもときよし[53]てきこころ真如しんにょ[60]そくおもね最終さいしゅう究竟くっきょう成佛じょうぶつ[61]
  • 妄心からあさげん三藏さんぞうよりどころ護法ごほう[62]學說がくせつ建立こんりゅうてき法相ほうしょうむねぞく於此,以虛妄きょもうこころためしみきよしてきしょ清淨せいじょうほう附屬ふぞくてき主張しゅちょうおもねよりゆき耶識ただ妄非しん,其中つつみ涵的種子しゅし開發かいはつまんほう[63]したがえゆうてき種子しゅしひらきあきら迷界,したがえてき種子しゅし[64]ひらけあらわさとるかい淨化じょうかおもねよりゆき耶識しょ含藏しみ種子しゅしてん化成かせいぜんきよしだいはち識即大圓だいえんかがみさとしのり最終さいしゅう成佛じょうぶつげん三藏さんぞうさくゆう八识规矩颂》,其中おもね赖耶识颂ため:「せいただくつがえへんぎょうさかいずいぎょうりょくせい二乘にじょうりょういん迷執。よし此能きょうろんしゅそうひろしひろし三藏さんぞう不可ふかきゅうふちふかなななみ境為さかためふう。受熏しゅ後來こうらいさきさくおもこう不動ふどうぜん纔捨ぞう金剛こんごうどうじゅくそら大圓だいえん無垢むく同時どうじはつひろしあきら十方じっぽうちり剎中。」

反對はんたい意見いけん[编辑]

ざい大智たいちろんちゅうりゅういつき提出ていしゅつ佛說ぶっせつろく識,意識いしき所緣しょえんてき諸法しょほう生滅しょうめつほう,如果存在そんざいわがほうてきばなしおう該有だいなな識去識別しきべつ它,ただしぼつゆうだいなな存在そんざいいん無我むが[65]しんべんろんとうじん解讀かいどくりゅうじゅ著作ちょさく,以真如しんにょうたてため假名がな[66]ただりつろく[67]げん引證いんしょう楞伽けいせつはち作為さくいかいおう

相傳そうでんりゅうじゅ曾為《華嚴經けごんきょうさく註疏ちゅうそただしざいりゅうじゅ著作ちょさくちゅう曾提及阿よりゆき耶識てき存在そんざいいん此有じんみとめためおもねよりゆき耶識學說がくせつざいりゅうじゅ時代じだいおうひさし出現しゅつげんおもねよりゆき耶識てき建立こんりゅう可能かのうためりょうかいおうりゅうじゅちゅうかん學派がくは提出ていしゅつてきしつなん

つきしょうにゅうちゅうろんみとめため需要じゅようりつおもねよりゆき耶識[68]

學術がくじゅつ研究けんきゅう[编辑]

ゆう研究けんきゅうしゃ[谁?]みとめため如來にょらいぞう學派がくはなか有人ゆうじんいんためだんあきらよし佛經ぶっきょうてき義理ぎり誤認ごにんためおもねよりゆき耶識そく如來にょらいぞうざい講說こうせつ如來にょらいぞうてき經典きょうてんちゅう如來にょらいぞう乃實しょう第一義だいいちぎたいとうどう於多其他名詞めいし。如佛せいほう自性じしょう涅槃ねはん真如しんにょほうせい實際じっさいまどかさとしとうみなあずかひじりたい如來にょらいぞう同義どうぎ異名いみょう。 而「おもねよりゆき耶識、はち識、含藏識」とうとうみなゆうほう如來にょらいぞう乃為ほうざいまとい,而阿よりゆき耶識乃人身じんしん五蘊ごうん識主,一為實相聖諦,いちため我執がしゅう妄識,不可ふかあずか如來にょらいぞうだい一義諦相提並論[69]

註釋ちゅうしゃくあずか引用いんよう[编辑]

  1. ^ 1.0 1.1 1.2 きたたかし佛陀ぶっだおうぎおおわけちょ大乘だいじょうろん》:「如來にょらいけいちゅうせついいおもね犁耶識,以阿犁耶識語しきごさくおもね犁耶識語しきごせつ如來にょらい於《大乘だいじょうおもね毘曇けいちゅうせつ:『はじめやめせい一切いっさいほうしょゆうかれ諸道しょどう。及令とく涅槃ねはん。』かえかれけい所說しょせつ:『一切いっさい諸法しょほうかれ一切いっさいしゅせつため識。聰明そうめいしゃじょう此。』」
    ひねあさ真諦しんたいわけちょ大乘だいじょうろん》:「世尊せそん於何しょせつ此識,及說此識めいおもねはじむ耶,如佛世尊せそんおもね達磨だるまりゃくほんちゅうせつ:『此界はじめ一切いっさいほうとめわかゆう諸道しょどうゆう。及有とく涅槃ねはん。』《おもね達磨だるまちゅうふくせつうん:『諸法しょほうぞうじゅう一切いっさい種子しゅし識。おもねはじむ耶。わがため勝人まさとせつ。』」
    ずいあさ達磨だるまきゅうおおわけおや大乘だいじょうろんしゃくろん》:「ろん曰。世尊せそん於何しょせつ此阿なし耶識,めいおもねなし耶識。世尊せそん於《おもね達磨だるまけいちゅうせつ:『さかいたいはじめ諸法しょほうどもとめよし此有しょおもむき。及涅槃ねはん勝得かちえ。』……そくかれけいふくせつ:『諸法しょほうしょじゅう一切いっさい種子しゅし識。めいなし耶識。わがため勝人まさとせつ。』」
    からあさげんわけちょ大乘だいじょうろんほん》:「世尊せそん何處どこせつおもねよりゆき耶識,めいおもねよりゆき耶識,いいうすとぎ於《おもね達磨だるま大乘だいじょうけいとぎちゅうせつ:『はじめかい一切いっさいほうとうよし此有しょおもむき。及涅槃證とく。』そく於此ちゅうふくせつ頌曰:『ゆかりぞう諸法しょほう一切いっさい種子しゅしおもねよりゆき勝者しょうしゃわが開示かいじ。』」
    瑜伽ゆがろん·こじぶん》:「とい何等なんらこれさかいこたえいん種子しゅし本性ほんしょうたねせい微細びさいにんかい。」
    げんわけおや大乘だいじょうろんしゃく》:「此中のうしょうおもねよりゆき耶識,其からだていおもねよりゆき耶識。……いまさかいものいいいん一切法等所依止,げん見世みせあいだ金鑛きんこうとうせつかいめいゆえよし此是いん,一切法等所依止因,たいそくしょとめよし此有しゃよし一切法等所依有。しょおもむきしゃ,於生死中しちゅう所有しょゆうしょおもむきおもむきしゃいいじゅくはてよし此果ある頑愚がんぐ瘖瘂種類しゅるいあるゆう勢力せいりょくのうりょうぜんせつあく說法せっぽうあるのうしょうとく上勝かみかつしょうとくまたため煩惱ぼんのうしょとめせいゆかり此故ゆうもう煩惱ぼんのうちょう煩惱ぼんのう如是にょぜ四種異熟差別所依止故,ゆう堪能たんのうおうこぼし此名ゆう堪能たんのうただしょおもむきよし此而ゆうまたよし此故しょうとく涅槃ねはんようよしゆうざつしみかたとく涅槃ねはんゆえ。」
    無性むしょう大乘だいじょうろん無性むしょうしゃく》:「此引阿きゅうあかしおもねよりゆき耶識めいところともはじめしゃはつきわゆえさかいしゃいん也,そく種子しゅし也。だれいんしゅいい一切いっさいほう,此唯ざつしみ清淨せいじょうこうとうげん多聞たもん熏习ところおもねよりゆき耶識しょ,如阿よりゆき耶識なり種子しゅし,如理作意さくいしょほうしょおこりとうかれ一切法等所依者,のうにんいんせいのうにんよししょよしいんせいしょのうせいかくゆえわかなんじしゃさかいごえやめりょうかりげん。」げんわけおや大乘だいじょうろんしゃく》:「多聞たもん熏习ところしゃいいだい乘法じょうほうしょ熏自たいおもねよりゆき耶識しょしゃいいのうたいおもねよりゆき耶識。如阿よりゆき耶識なり種子しゅししゃいい如阿よりゆき耶識ため一切いっさいざつしみほういん,此為一切いっさい清淨せいじょうほういんまたなんじ。如理作意さくいしょしゃいい如理作意さくいため自性じしょうほう而生しゃいいほうしょう生起せいき。」
  2. ^ 2.0 2.1 きたたかし佛陀ぶっだおうぎおおわけ大乘だいじょうろん》:「しかふくかれ何故なぜめいおもね犁耶識。有生ゆうせいほうしゃかれ,一切諸染法作果於彼,かれまたしょ識作いんせつためおもね犁耶識。あるふく眾生かれためわがめいおもね犁耶識。」
    ひねあさ真諦しんたいわけ大乘だいじょうろん》:「うんなん佛說ぶっせつ此識,めいおもねはじむ耶。一切いっさい有生ゆうせい不淨ふじょうひんほう,於中かくれぞう為果しおおせ,此識於諸ほうちゅうかくれぞうためいんふくしょ眾生ぞう此識ちゅうゆかりわがあいゆえめいおもねはじむ耶識。」真諦しんたいわけおや大乘だいじょうろんしゃく》:「ろん曰。一切いっさい有生ゆうせい不淨ふじょうひんほう,於中かくれぞう為果しおおせしゃく曰。一切いっさいいいさんせい。三世中取正生能生不淨品法。いいこぼししゅきよしひんめい不淨ふじょうひんろん曰。此識於諸ほうちゅうかくれぞうためいんしゃく曰。諸法しょほういいおもねはじむ耶識はてそく不淨ふじょう品等ひんとうおもねはじむ耶識ぞうじゅう此果ちゅうためいんろん曰。ふくしょ眾生,ぞう此識ちゅうゆかりわがあいおもねはじむ耶識。しゃく曰。ぞうしゃ以執よしやくおもね陀那識及意識いしきせつ眾生めいなに以故,一切いっさい眾生我執がしゅう我執がしゅうわかおこりえんなんさかいえんほん識起,微細びさい一類いちるい相續そうぞく不斷ふだんゆえ。」
    ずいあさ達磨だるまきゅうおおわけおや大乘だいじょうろんしゃくろん》:「ろん曰。……しか此識なんいん緣故えんこせつめいおもねなし耶。一切いっさい有生ゆうせいしみほうじゅう為果しおおせ,此識またかれほうためいんめいおもねなし耶識。また眾生じゅう以為自我じがゆえめいおもねなし耶識。しゃく曰。此識めいおもねなし耶者,いい諸法しょほうじゅうゆえじゅうしゃきょうてんゆえ有生ゆうせいしゃいいゆう生起せいきるいみなめい有生ゆうせいゆえしみほうしゃいい於淨ほうゆえ。眾生じゅうため自我じがしゃ。」
    からあさげんわけちょ大乘だいじょうろんほん》:「ふくなん緣故えんこ,此識せつめいおもねよりゆき耶識。一切有生雜染品法,於此ぞう為果しおおせせいまたそく此識,於彼ぞうためいんせいせつめいおもねよりゆき耶識。あるしょ有情うじょうぞう此識ため自我じがせつめいおもねよりゆき耶識。」げんわけおや大乘だいじょうろんしゃく》:「こんくん此識阿よりゆき耶名。一切いっさい有生ゆうせいしゃしょ有生ゆうせいるいみなめい有生ゆうせいざつしみひんほうしゃさえぎ清淨せいじょう。於中てんめいためぞうあるしょ有情うじょうぞう此識ため自我じがしゃ。」
    無性むしょう大乘だいじょうろん無性むしょうしゃく》:「のうぞう諸法しょほうしゃいいしょ熏,習氣如大とうあらわ了法りょうほうせいぞうさいかちちゅうおもねよりゆき耶識攝ぞう諸法しょほうまたふく如是にょぜため簡彼よしふくごと一切いっさい種子しゅし識,あずか一切種子俱生俱滅故,おもねよりゆき耶識あずかしょてん識互ため緣故えんこてんうたてぞうせつめいおもねよりゆき耶識。如最しょうそくあらわりょうせいあらわ簡劣ゆえ。……一切いっさいざつしみくら藏所くらしょ種子しゅしからだせいこれしょぞうのうかれ相違そういため因果いんがせい是正ぜせい道理どうりしかとく為所しどころわかしょゆうしょまた有能ゆうのう。於此攝ぞうしゃ顯能あきよし習氣,ゆかりただ習氣めいおもねよりゆき耶識,ようのう習氣,如彼せつ意識いしき。」「且有なんじしょ熏习けいあるせつ六識展轉相熏。あるせつぜんねん熏於ねんあるせつ熏識剎那種類しゅるい如是にょぜ一切いっさいみなおうただせつおもねよりゆき耶識しょ熏习識者しきしゃ。」
    げんなり唯識ゆいしきろん》:「ゆかり此本識具しょ種子しゅしのうぞうしょざつしみほう建立こんりゅうおもねよりゆき耶名。如勝せいうたてためだいとう種子しゅしあずかはてたいいちのうところ生滅しょうめつあずかざつしみほう互相ぞうまたため有情うじょうぞうためわがせつ此識めいおもねよりゆき耶。」
    窺基なり唯識ゆいしき論述ろんじゅつ》:「此正じゅつおもねよりゆき名義めいぎ簡外そとうん:三德冥性將起轉變,めいためかちせいてんためだいとうじゅうさんたい如前敘。かれ雖計ゆう因果いんが,而體じょういちつね。……此遮そう佉計ためかちせいそく自性じしょうたい起用きよう名勝めいしょうせい。」「梵云そう佉,此翻ためすうそく智惠ちえすうすう諸法しょほう根本こんぽんだてめいしたがえすうおこりろんめいためかずろんろん能生のうすうまた名數めいすうろん。其造すう論及ろんきゅうがくすうろん名數めいすうろんしゃ。此師しょづくりかねななじゅうろん》,いいゆう外道げどう入金にゅうきんみみこく,以鐵鍱腹、頂戴ちょうだいぼんげきおうろんもとめそう論議ろんぎいんいさかい世界せかいはつゆうそしそう如外どうとげづくりななじゅうぎょう頌申すうろんむねおうともかれ以金たまもの外道げどうよくあきらおのれれいほまれとげ以所づくりめいきんななじゅうろんかれろん長行おさゆきてんおや菩薩ぼさつこれしょづくり也。……かねななじゅうろんりつじゅうたいそうりゃくためさんちゅうためよんこうためじゅうかれろんうんりゃくためさんしゃいいへんえき自性じしょうわがへん易者えきしゃいい中間ちゅうかんじゅうさんたい自性じしょう所作しょさめいためへんえき自性じしょうしゃめいせい也,こんめい自性じしょう古名こみょうめいせいいままたかちせい未生みしょうだいとうただしじゅう自分じぶんめいため自性じしょう若生わこうまさるとう便びん名勝めいしょうせいようぞうかちゆえわが知者ちしゃかみわが也。ちゅうためよんしゃ一本いっぽん而非へんえきいいそく自性じしょう能生のうまさるとうめい為本ためもとしたがえ他生たしょうへんえき。二變易而非本,一說いっせついいじゅうろくたいそくじゅういち及五だいそうじゅうろくたいまたせつただしじゅういちただしたがえ生名いきなためへんえき不能ふのうせいほん。三亦本亦變易,一說いっせついいななたいそくだいわが慢及ただりょうまたせつ并五だいごうじゅうほういいしたがえ他生たしょうふくせいゆえ。四非本非變易,いいしんわがたいこうためじゅうたいしゃいち自性じしょうだいさん我慢がまんよんただだいろく五知ごちなな作業さぎょうはちしん平等びょうどうきゅうわが知者ちしゃ,於此きゅうひらけためじゅうたいとい自性じしょううんなんのうあずか諸法しょほうためせいいん也。こたえ三德さんとくごう能生のうしょたい三德さんとくしゃ:梵云薩埵,此云有情うじょうまたげん勇健ゆうけんいまいさむよし;梵云剌闍,此名ためほろうしちりとうみなめい剌闍,まためいちり坌,いまちり;梵云こたえ,此名ためやみどんやみやみ三德さんとくおうめいいさむちりやみ也;わかはたこぼし舊名きゅうめいしみ、麁、くろこんうんあかくろ舊名きゅうめいゆうやみいまめいむさぼ、嗔、きゅう名樂めいらくこんげんらく、捨。外人がいじんとい曰:此我知者ちしゃさく受者耶?こたえ受者,三德さんとくさくゆえといすんで作者さくしゃもちいわがなにためこたえ曰:ためりょうよしげんさかいあかし於境也,わが知者ちしゃあまり不能ふのうまたしたがえめいせいすんで轉變てんぺんやめわが受用じゅよう次第しだい生者しょうじゃ自性じしょう本有ほんゆう無為むい常住じょうじゅうただ能生のうしたがえ他生たしょうよしわがおこりおもえ受用じゅよう境界きょうかいしたがえ自性じしょう先生せんせいだいだいしゃ增長ぞうちょうよし自性じしょうしょうぞうめいためだいあるめいさとしまためいおもえめい遍滿へんまんめいさとしめいめぐみしたがえだいなま我執がしゅう我執がしゅうしゃ自性じしょう起用きよう觀察かんさつ於我,わが須境,めい我執がしゅうはつまためいてんことまためいあぶら膩。」《かねななじゅうろん》:「故知こち自性じしょう中有ちゅううだい。……故知こちいん中有ちゅううはて。」
  3. ^ 3.0 3.1 ちょ大乘だいじょうろん》:「おもねよりゆき耶識ちゅうしょざつしみひんほう種子しゅしためべつじゅうためべつことかれ種子しゅしゆうべつ實物じつぶつ於此ちゅうじゅうまたことしかおもねよりゆき耶識如是にょぜ而生,有能ゆうのうせいかれこうのう差別さべつめい一切いっさい種子しゅし。」
    おや大乘だいじょうろんしゃく》:「おもねよりゆき耶識ちゅうざつしみほう種子しゅしためことためことわかなんじなんしつわかゆうことしゃかれしょ種子しゅし應分おうぶん分別ふんべつおもねよりゆき耶識剎那めつよしまたおうなりゆうべつゆかりぜん不善ふぜん熏习ちから種子しゅしおうなりぜん不善ふぜんせいしかもとわかことしゃうんなんゆう,此不おうせつ俱有過失かしつかれ種子しゅしゆうべつ實物じつぶつ於此ちゅうじゅうまたこと乃至ないしめい一切いっさい種子しゅし識者しきしゃため避如ぜん所說しょせつ過失かしつ不定ふてい及不こと如是にょぜ而生しゃいいよし如是にょぜひんるい而生。有能ゆうのうせいかれこうのう差別さべつしゃいい有能ゆうのうせいざつしみひんほうこうのう差別さべつ相應そうおう道理どうりよしあずかなまかれこうのう相應そうおうめい一切いっさい種子しゅし。於此中有ちゅううげんたとえ喻,如大むぎ於生有功ゆうこうのうゆう種子しゅしせいわかときひねひさしある相應そうおう,此大むぎはてこうのう損壞そんかいなんじむぎしょう雖住如本,勢力せいりょく壞故種子しゅしせいおもねよりゆき耶識またふく如是にょぜ有生ゆうせいざつしみ諸法しょほうこうのうゆかり此功のう相應そうおうせつめい一切いっさい種子しゅし。」「剎那めつしゃいい(內外)種子しゅしみなせいあいだていめつ壞故。所以ゆえんしゃなにおう常法じょうほうため種子しゅしたい,以一切時其性如本無差別故。」
  4. ^ 4.0 4.1 ちょ大乘だいじょうろん》:「おもねよりゆき耶識ようじゅく一切いっさい種子しゅしため其自せいのう三界さんがい一切いっさい自體じたい一切いっさいおもむきとう。」「なにいん緣故えんこぜん不善ふぜん法能ほうのうかんじゅく,其異じゅくはてくつがえゆかりじゅくはてくつがえあずかぜん不善ふぜん互不相違そういぜんあずか不善ふぜん相違そういわかじゅくはてぜん不善ふぜんせいざつしみかえめつおうとくなりゆえじゅくただくつがえ。」
    おや大乘だいじょうろんしゃく》:「『おもねよりゆき耶識ようじゅく一切いっさい種子しゅしため自性じしょうしゃいいとく自體じたい異類いるいじゅく諸法しょほう種子しゅし熏在ちゅうゆえ一切いっさいおもむきとうしゃいいおもむきとう一切いっさい自體じたいしゃいいおもむきおもむきちゅうどうぶんことぶん種種しゅじゅ差別さべつ。」
    おや大乘だいじょう成業せいぎょうろん》:「のうつづけ有能ゆうのうゆえせつ此名おもね陀那識。ぞう一切いっさい諸法しょほう種子しゅしゆえふくせつめいおもねよりゆき耶識。前生ぜんしょうしょ引業じゅくそく此亦めいじゅくはて識。」
  5. ^ ちょ大乘だいじょうろん》:「わかゆう於此とう引地ひきじぼつやめせい中有ちゅううくらいおこりしみ意識いしき結生ゆき相續そうぞく,此染污意識於中有ちゅううちゅうめつ。於母胎ぼたいちゅう,識、羯羅あいさらしょう和合わごうわかそく意識いしきあずかかれ和合わごうすんで和合わごうやめとめ此識,於母胎ぼたい中有ちゅうう意識いしきてんわかなんじ即應そくおうゆう意識いしき,於母胎ぼたいちゅう同時どうじ而轉。またそくあずかかれ和合わごう識是意識いしきせいおう道理どうりしみ污故,無斷むだん意識いしき所緣しょえん不可ふかゆえ。……成就じょうじゅ,此和合わごう意識いしきただしこれじゅく一切いっさい種子しゅし識。」
    げんわけおや大乘だいじょうろんしゃく》:「とう引地ひきじそく欲界よくかいぼつしゃ也。しみ意識いしきそく煩惱ぼんのう俱行意識いしき結生ゆき相續そうぞくしゃいい受自たい。此染污意識いしきえんせい有為ゆういさかい,於中有ちゅううちゅうめつげん和合わごうしゃ,識與あかしろ同一どういつ安危あんきわか和合わごう識即意識いしき此復せいしょあまり意識いしき是則これのりいち意識いしきてんいいしょとめ和合わごう意識いしき,及能とめしょあまり意識いしきまた和合わごう識是意識いしきせいおう道理どうりなに以故?しみ污故,無斷むだんゆえいい意識いしきむさぼとう煩惱ぼんのうしょしみ污意為所しどころとめえんせいゆうさかいしみ污。そく此為めいしみ污。於此ちゅうしょじゅくようしみ污,。此和合わごう識常間斷かんだんにんぎょううたて意識いしき所緣しょえん不可ふかとくゆえしゃ意識いしき所緣しょえんあきらりょう所謂いわゆる諸法しょほう,此和合わごう識無ゆう如是にょぜあきらりょう所緣しょえん此識意識いしきせいおう道理どうり。」
    ずいあさ達磨だるまきゅうおおわけおや大乘だいじょうろんしゃくろん》:「またかれ和合わごう意識いしき不可ふか成立せいりつため意識いしきなに以故,一切時染污為依止故。かれ和合わごう意識いしき,以欲とう煩惱ぼんのうしみ污意ためとめよじえんせいゆうしみ污故。とめ於此,めいしみ污為とめ。此已じゅう胎識,以染污為とめ,以報たい。」
    無性むしょう大乘だいじょうろん無性むしょうしゃく》:「中有ちゅううしゃいい死生しせいゆう中間ちゅうかん中有ちゅううてんしんおこりしみ污者,あずかあい恚俱ゆう顛倒てんとうげん意識いしきしゃ識爾ひさしやめぼつゆえれんせいめいため相續そうぞく受生めいため結生ゆき。此染污意識者しきしゃえんせいゆう。於中有ちゅううちゅうめつしゃ,此若不滅ふめつなまゆう。於母胎ぼたいちゅう識羯あいさらしょう和合わごうしゃいい此滅,於母胎ぼたいちゅうゆうじゅく識與其赤しろ同一どういつ安危あんきれいしょうざつなり羯羅あい,如世尊せそんせつ:『おもねなん陀!識若不入ふにゅう母胎ぼたいしゃおう和合わごう羯羅あい』,なり羯羅あいからだせいわかそく意識いしきしゃいい此若おもねよりゆき耶識。すんで和合わごうやめしゃいい受生やめとめ此識しゃじゅく識。有意ゆうい識轉しゃゆうべつうたて識,いい與信よしんとうむさぼとう相應そうおうらく受俱分別ふんべつ意識いしき後後あとあとてんわかなんじ即應そくおうゆう意識いしき,於母胎ぼたいちゅう同時どうじ而轉しゃいいじゅくたい有情うじょうほんごとまち今時いまどきゆき而轉意識いしき,及可了知りょうち所緣しょえんぎょうしょうらく受等相應そうおう意識いしき意識いしきおういち身中しんちゅういち而轉。しかおうもとけい相違そうい如是にょぜ頌言:『しょよう前非ぜんぴどう同類どうるい識並せい。』またおうもと此二,いち自性じしょうべつゆえまたじゅく識不おう間斷かんだんゆい相續そうぞくやめこうおうあまりしょさら結生ゆきまたじゅくたいただつね相續そうぞくさらおもむきまたそくあずかかれ和合わごう識是意識いしきせいおう道理どうりしみ污故,無斷むだんゆえしゃゆかりたて宗門しゅうもんあらわあずかかれほうあい相違そういいいども決定けっていわか意識いしき一切いっさいしょ一切いっさいしゅ一切時依於染污,なお如後所有しょゆう意識いしき如是にょぜ結生ゆき相續そうぞく識,於一切いっさいしょ一切いっさい種類しゅるい、一切時分皆依染污,そく中有ちゅううのちこころため。此所こころなま有為ゆういさかい,於一切いっさいしょ一切いっさい種類しゅるい、一切時分是染污故,のうこれ識非意識いしきゆかり此越於意識いしきほうゆえあるゆうせつげん:『あずかよん煩惱ぼんのうつね相應そうおうしんめいしみ污依,やめ相續そうぞくこころおうなりしみ污』,此已成立せいりつもとためじゅくせいゆえ意識いしき所緣しょえん不可ふかとくゆえしゃ,此義じゅうぞうさえぎ意識いしきいんわか意識いしき決定けってい所緣しょえんさかいいい了知りょうち,如中有ちゅうう最後さいご意識いしきやめ相續そうぞくしん所緣しょえん境界きょうかい不可ふか了知りょうち意識いしきおう以彼じゅうほろびていしんため此妨なんもと彼是あれこれ意識いしきせいゆえ如是にょぜ此中ただしせつ所緣しょえんため不可ふかなん了知りょうちぜんゆう,以於なんじゆうほう,雖是其有,而不可知かち。」
  6. ^ 6.0 6.1 ちょ大乘だいじょうろん》:「ふく此識またおもね陀那識。此中おもねきゅうしゃ,如《かいふかみつけいせつ:『おもね陀那識甚ふかほそ一切いっさい種子しゅし如瀑りゅうわが凡愚ぼんぐ開演かいえんこわかれ分別ふんべつため。』なにえん此識またふくせつめいおもね陀那識,一切いっさい有色ゆうしょく,一切自體取所依故。所以ゆえんしゃなに有色ゆうしょく諸根もろねゆかり此執受無ゆうしつ壞,つきことぶきずいてんまた相續そうぞくせい結生ゆきかれせい受自たい此識またふくせつめいおもね陀那識。」おや大乘だいじょうろんしゃく》:「一切いっさい有色ゆうしょく諸根もろねしゃ,『所以ゆえんしゃなに有色ゆうしょく諸根もろねゆかり此執受,つきことぶきずいてん。』よう此為しゃくいいよしとう有色ゆうしょく諸根もろねおもねよりゆき耶識しょ受故,死身しにみあお瘀等。一切自體取所依故者,『また相續そうぞくせい結生ゆきかれせい受自たい。』よう此為しゃくいいよし此識相續そうぞく,於相續そうぞくせい結生ゆきのう受生,一期自體亦為此識之所攝受。よしおもねよりゆき耶識ちゅう一期いっき自體じたい熏习じゅうかれたいおこりせつめいかれせい。受彼せい名取なとりかれせいよし能取のとろ受自たい。以是よしおもねよりゆき耶識またふくせつめいおもね陀那識。」
  7. ^ おや大乘だいじょう五蘊ごうんろん》:「おもねよりゆき耶識しゃいいのうぞう一切いっさい種子しゅしまたのうぞう我慢がまんしょうまた復緣ふくえんため境界きょうかいそく此亦めいおもね陀那識のうゆえ。」
  8. ^ げんわけ瑜伽ゆがろん·ぎまぶん》:「うんなんめいため勝義まさよし道理どうり建立こんりゅう差別さべついいりゃくゆう識,いちしゃおもねよりゆき耶識しゃうたておもねよりゆき耶識しょうたて識是のう,此復ななたね所謂いわゆる眼識がんしき乃至ないし意識いしきたとえ如水にょすいなみとめ暴流,ある如影ぞうとめ明鏡めいきょう。」
    からあさげんわけちょ大乘だいじょうろん》:「またわか略說りゃくせつおもねよりゆき耶識,もちいじゅく識一切種子為其自性,のう三界さんがい一切いっさい自體じたい一切いっさいおもむきとう。……ふく其餘うたてひろし一切いっさい自體じたいしょおもむきおうせつめいのう受用じゅようしゃ,如《ちゅうあたり分別ふんべつろんちゅうせつとぎ曰:『一則かずのりめいえん識。だいめい受者。此中のう受用じゅよう分別ふんべつ推心ほう。』如是にょぜ二識更互為緣,如《おもね達磨だるま大乘だいじょうけいちゅうせつとぎ曰:『諸法しょほう於識ぞう。識於ほうまたなんじさら互為はてせいまたつねためいんせい。』」
    げんわけおや大乘だいじょうろんしゃく》:「おもねよりゆき耶識與一よいちきりほう,於一切いっさい互為因果いんがてんうたて相生あいおいわか於此おもねよりゆき耶識ため諸法しょほういんそく於爾諸法しょほう為果しおおせわか於此おもねよりゆき耶識ため諸法しょほうはてそく於爾諸法しょほうためいん。」
    ずいあさ達磨だるまきゅうおおわけおや大乘だいじょうろんしゃくろん》:「ろん曰。此二種識亦更互為緣,如《おもね達磨だるま修多羅すたらせつ:『諸法しょほう識住。識依ほうまたなんじかくかく互為いんまたつね互為はて。』しゃく曰。かくかく互為いんしゃおもねなし耶識,於一切いっさいため諸法しょほうせいいんまたつね互為はてしゃわかおもねなし耶識ためいんのり諸法しょほう為果しおおせ諸法しょほうためいんのりおもねなし耶識為果しおおせ。」
    無性むしょう大乘だいじょうろん無性むしょうしゃく》:「此中ためあらわおもねよりゆき耶識あずかしょてん識更互為えん,引阿きゅうれい堅固けんごせつ諸法しょほう於識ぞうとうまた如《瑜伽ゆがろん·ぎまぶんちゅうせつ。……」《瑜伽ゆがろん·ぎまぶん》:「おもねよりゆき耶識あずかしょてん識作えんせい:一為彼種子故,二為彼所依故。ため種子しゅししゃいい所有しょゆうぜん不善ふぜんてん識轉,一切皆用阿賴耶識為種子故。為所しどころしゃいいよしおもねよりゆき耶識執受色,五種識身依之而轉,受。またよしゆうおもねよりゆき耶識とく有末ありすえゆかり此末ためとめ意識いしきとくてんたとえ如依とめとう五根ごこん五識ごしきてん五根ごこん意識いしきまたしかふくしょてん識與おもねよりゆき耶識さくえんせいいち於現ほうちゅうのうちょうようかれ種子しゅし於後ほうちゅうためかれとくせいふえかれ種子しゅしゆえ。於現ほうちゅうちょうやしなえかれ種子しゅししゃいい如依とめおもねよりゆき耶識,ぜん不善ふぜんてん識轉如是にょぜ如是にょぜ於一とめどうなまどうほろび熏习おもねよりゆき耶識,ゆかり此因えん後後あとあとうたて識善、不善ふぜんせいてんさら增長ぞうちょうてんさらおきもりてんさらあかりりょう而轉。於後ほうちゅうためかれとくせいふえかれ種子しゅししゃいいかれ熏习種類しゅるいのう引攝當來とうらいじゅくおもねよりゆき耶識。如是にょぜためかれ種子しゅしためかれしょちょうよう種子しゅしふえ種子しゅしおう建立こんりゅうおもねよりゆき耶識あずかしょてん識互ためえんせい。」
    きたたかし佛陀ぶっだおうぎおおわけちょ大乘だいじょうろん》:「略說りゃくせつおもね犁耶識。いんごと及果ごとほう一切いっさい種子しゅしせいやめ三界中攝一切身及一切道。……所有しょゆうあまりろくてんじゅん識。かれ一切身道處受果報。」
  9. ^ みつげんけいまき2:「所謂いわゆるおもねよりゆき耶,だいはち丈夫じょうぶ識,運動うんどう一切いっさい,如輪轉りんてん眾瓶。如油遍在へんざいあさしお中有ちゅうう鹹味かんみ。」丈夫じょうぶそく原人げんじんあるかみてき另譯。
  10. ^ えんはかかいふかみつけい》:「此經一部いちぶゆうしゅいちしゃ廣本ひろほんゆうじゅうまんしゃりゃくほんせんひゃく頌。しか此略けい。梵本唯一ゆいいつずい譯者やくしゃ乃成よん。」
  11. ^ げんわけ瑜伽ゆがろん·ぎまぶん》:「此中しょ識,みなめいこころ、識。わか就最しょうおもねよりゆき耶識めいこころなに以故,ゆかり此識のうしゅう一切いっさいほう種子しゅし,於一切時緣執受境,えん可知かち一類いちるいさかいすえめい,於一切時執我我所及我慢等,思量しりょうためせい識名しきな識,いい境界きょうかいりょうべつ為相ためすけ。」
    げんわけ顯揚けんよう聖教せいきょうろん·ことひん》:「しんしゃいいしん、識,差別さべつめい也。とい何等なんらため識,とう識有はちしゅいいおもねよりゆき耶識、みみはなした識、、及意識いしき。……しゃいいしたがえおもねよりゆき耶識種子しゅし所生しょせいかええんかれ識,わがわがあいわがわがところ我慢がまん相應そうおうあるこぼしかれ相應そうおう,於一切いっさい,恃舉ためぎょうある平等びょうどうぎょうあずかかれ俱轉,りょうべつためせい。如薄とぎ梵說:『內意しょ不壞ふえ外法そとのりしょ現前げんぜん,及彼所生しょせい作意さくいせいおこり如是にょぜ所生しょせい意識いしきとくせい。』」
    おや大乘だいじょう五蘊ごうんろん》:「うんなん識蘊,いい於所えんさかいりょうべつためせいまためいしんよし採集さいしゅうしょさいかちしんしゃいいおもねよりゆき耶識。……さいかちものいいえんおもねよりゆき耶識ためさかいつねあずかわが我見がけん我慢がまん、及我あいとう相應そうおう識。前後ぜんご一類いちるい相續そうぞくずいてんじょ阿羅漢あらかんはて,及與せいみち滅盡めつじんとういたり現在げんざいまえ。」
    あんとし大乘だいじょうこう五蘊ごうんろん》:「うんなん識蘊,いい於所えんりょうべつためせいまためいしんのう採集さいしゅうまためいしょわかさいかちしんそくおもねよりゆき耶識。……さいかちものいいえんぞう識為さかい識,つねあずかわが我見がけん我慢がまんわがあい相應そうおう前後ぜんご一類いちるい相續そうぞくずいてんじょ阿羅漢あらかんひじりどうほろびてい現在げんざいまえ如是にょぜろくてん,及しみ污意おもねよりゆき耶識,此はちめい識蘊。」
    おやtriṁśikāvijñaptikārikāḥ唯識ゆいしきさんじゅうろん》:ātmadharmopacāro hi vividho yaḥ pravartate। vijñānapariṇāme'sau pariṇāmaḥ sa ca tridhā॥1॥ vipāko mananākhyaśca vijñaptirviṣayasya ca। ゆかり假說かせつわがほうゆう種種相しゅじゅそうてんかれ識所へん,此能へんたださんいいじゅく思量しりょう,及了べつさかい識。」
    げんなり唯識ゆいしきろん》:「おもねよりゆき耶識俱有しょまたただしいちしゅいいだいななかれ識若じょうてんゆえ論說ろんせつぞう識恒あずかすえ俱時てんゆえまたせつぞう識恒しみ污。此即すえ。」窺基なり唯識ゆいしき論述ろんじゅつ》:「またせつぞう識恒しみ污。そく無性むしょうだいさんかんうん:『あるゆうせつげんあずか四煩惱恒相應心名染污依。』どうおやせつよし此既げんつねしみ污,故知こちだい八以七為依。」
    げんわけ瑜伽ゆがろん·ぎまぶん》:「ところしゃいいよしおもねよりゆき耶識執受色。五種識身依之而轉。受。またよしゆうおもねよりゆき耶識とくゆうすえよし此末ためとめゆえ意識いしきとくてんたとえ如依とめとう五根ごこん五識ごしきてん五根ごこん意識いしきまたなんじ。」
    真諦しんたいわけ決定けっていぞうろん》:「依託いたくしゃおもね耶識諸色しょしき五識ごしきとくせいせいゆうおもね耶識意識いしきとくせい。」
    げんわけ顯揚けんよう聖教せいきょうろん·かちけつしな》:「とめいんしゃいいよしおもねよりゆき耶識しょいろためとめゆえ五識ごしきてん受。またゆかりゆう此識とくゆうよし此意ためとめゆえ意識いしきとくせいたとえ如依とめとうしゅしょく五識ごしきてん五根ごこん意識いしきまたなんじ。」
    げんわけ瑜伽ゆがろん·ぎまぶん》:「うんなん建立こんりゅうおもねよりゆき耶識與てん識等俱轉轉てんてんしょういいおもねよりゆき耶識ある於一時唯與一種轉識俱轉。所謂いわゆるすえなに以故。よし此末我見がけん慢等つねども相應そうおう思量しりょうくだりしょうわか有心うしんわか無心むしんつねあずかおもねよりゆき耶識いち俱轉。えんおもねよりゆき耶識以為境界きょうかいわがおこり慢。思量しりょうぎょうしょうあるいちあずか俱轉。いいまつ意識いしきあるいち與三よそう俱轉。いい五識ごしきずい一轉いってんあるいちあずかよん俱轉。いい五識ごしきずいてんあるとき乃至ないしあずかなな俱轉。いい五識ごしき和合わごうてんまたふく意識いしきしみ污末以為とめかれめつあいりょうべつばくとく解脫げだつすえめつやめあいばく解脫げだつ。」
    真諦しんたいわけ決定けっていぞうろん》:「とくども相應そうおう生者しょうじゃおもね耶識あるともいち識相おうとくせい。如說於しんこころゆう我見がけん憍慢為相ためすけ。於有意識いしき。於無意識いしきおもね耶識つね相應そうおうせい。此我慢心まんしんおもね耶識ためさかいげんわがげん有我ありが為相ためすけある識俱せいいい意識いしきあるさん共生きょうせいいい意識いしき。於五識中隨取一識。あるよん識相おうせい。於五識取識。乃至ないし於五ろくなな共生きょうせいろくちり現在げんざいぜんゆえ。此意識依しんとくりつよしこころめつとき意識いしきかいばくいんしんわかめつ意識いしきそくかい。」
    げんわけ顯揚けんよう聖教せいきょうろん·かちけつしな》:「といしょ識俱てんしょう建立こんりゅううんなにこたえおもねよりゆき耶識ある於一時唯與一轉識俱起。いいあずか所以ゆえんしゃなによし此意つねあずか我見がけん我慢がまんとう相應そうおうこうくだりしょうわか有心うしんわか無心むしんつねあずか此識俱時生起せいきまた此意つねえんおもねよりゆき耶識ため其境かいわが及慢。こう舉行しょう而起。またそく此識於一時間或與二轉識俱起。いい意識いしき。於一時間或與三轉識俱起。いい五識ごしき隨一ずいいちおこりぜん及此いち。於一時間或與四轉識俱起。いい五識ごしきずいおこりぜん及此如是にょぜ於一時間或乃至與七轉識俱起。いい五識ごしき和合わごうおこりぜん及此ふく前說ぜんせつ意識いしきしみ污意せいめつ。於相りょうべつばくとく解脫げだつわかめつやめあいばく解脫げだつ。」
    げんわけ瑜伽ゆがろん·ぎまぶん》:「また前說ぜんせつすえつねあずかおもねよりゆき耶識俱轉。乃至ないしだん當知とうちつねあずか俱生にんうんよんしゅ煩惱ぼんのういち相應そうおういい薩迦耶見、我慢がまんわがあい、及與無明むみょう。此四煩惱ぼんのうわかざいじょうわか不定ふてい當知とうち恒行つねゆきあずかぜんとう相違そういゆうくつがえせい。」
    真諦しんたいわけ決定けっていぞうろん》:「しんかい於前やめせついたり於滅あずかよん煩惱ぼんのうどもしょうざつせい我見がけん、憍慢、我欲がよく無明むみょう。此四煩惱ぼんのう於定、不定ふてい。於善、不善ふぜん記法きほうちゅうゆうさまたげ礙。そくけがれ污無ほう。」
    げんわけ顯揚けんよう聖教せいきょうろん·かちけつしな》:「ふく如前所說しょせつつねあずか此識俱轉。於一切いっさい乃至ないしだん當知とうちつねあずかにんうん俱生。よんしゅ煩惱ぼんのう相應そうおう所謂いわゆる薩迦耶見、我慢がまんわがあい無明むみょう。此四煩惱ぼんのうわかざいじょうわか不定ふてい當知とうち恒行つねゆきあずかぜんとう相違そういゆうくつがえせい。」
    げんわけ瑜伽ゆがろん·ぎまぶん》:「わかろくためかれろくひとしあいだえんそく施設しせつ此名ためまたしょまたかい。」
    真諦しんたいわけ決定けっていぞうろん》:「いちため識作次第しだいえんまためいためまたいれまたしんかい。」
    げんなり唯識ゆいしきろん》:「瑜伽ゆがげん:『わか此六識為彼六識等無間緣,そく施設しせつ此名ため。』わか五識前後定唯有意識,かれろんおうごと:『わか此一識為彼六識等無間緣。』あるかれおうごと:『わか此六識為彼一識等無間緣。』すんで如是にょぜ識有相續そうぞく。」
    真諦しんたいわけうたて識論》(したがえそうろんだし):「のうえんゆうさんしゅいち果報かほう識,そくおもねなし耶識。識,そくおもね陀那識さんちり識,そくろく識。」
    おやじゅう經論きょうろん》:「うんなんあまりしょもとめ解脫げだつ凡夫ぼんぷ如是にょぜ愚癡ぐち顛倒てんとうつねおう於阿なし耶識及おもね陀那識ちゅうもとめ解脫げだつ,乃於あまりしょわがしょちゅうもとめ解脫げだつ。」
  12. ^ ひとしどう於“渴愛”,梵文ぼんぶんtṛṣṇā ある tṛṣā
  13. ^ ちょ大乘だいじょうろん》:「ふく聲聞しょうもんじょうちゅうまた以異もんみつやめせつおもねよりゆき耶識。如彼ぞういちおもねきゅうせつ:『世間せけん眾生あいおもねよりゆき耶,らくおもねよりゆき耶,欣阿よりゆき耶,憙阿よりゆき耶。ためだん如是にょぜおもねよりゆき耶故,せつ正法しょうぼう恭敬きょうけいみみじゅうもとめかいしんほうずいほうぎょう如來にょらい出世しゅっせ如是にょぜ甚奇,希有けう正法しょうぼう出現しゅつげん世間せけん。』於聲聞乘《如來にょらい出現しゅつげんよんとくけいちゅうゆかり此異もんみつやめあらわおもねよりゆき耶識。」
    げんなり唯識ゆいしきろん》:「せつ一切いっさいゆうぞういちけいちゅうまたみつせつ此名おもねよりゆき耶。いいあいおもねよりゆき耶,らくおもねよりゆき耶,欣阿よりゆき耶,憙阿よりゆき耶。」
    ざいともえとし三藏さんぞうてき相應そうおう·ゆうへん·だいろく梵天ぼんてん相應そうおう·だいいち梵天ぼんてんひん中有ちゅうう:「Ālayarāmā kho panāyaṃ pajā ālayaratā ālayasammuditā.はた此句やくためちゅうぶん,就是:“またかれ諸人もろびとらくおもねよりゆき耶、おもねよりゆき耶、えつおもねよりゆき耶。”
    かんやくぞういちおもね含經·まきだいじゅう·勸請かんじょうひん·だいじゅうきゅうちゅう對應たいおうてきただゆういちばなし:「ひと不信ふしん受,また奉行ぶぎょう」。
  14. ^ ともえ利文としふみ三藏さんぞうぞう支部しぶ》〈よんほうひんだい128けい:「此丘眾哦!眾生あいおもねよりゆき耶(aalaya-aaraama),らくおもねよりゆき耶(aalaya-rata),欣阿よりゆき耶(aalaya-sammudita)。如來にょらいせつおもねよりゆき耶(anaalaya)ほう彼等かれらあらいみみきょう聽,生起せいきおもえよう了解りょうかいてきしん比丘びく眾哦!いんため如來にょらいおうきょうせいとうさとししゃてき出現しゅつげん,而有此第いちまれ未曾有みぞうほう出現しゅつげん。」
  15. ^ ぞういちおもね含經》〈四諦したいひんだい3けい:「わか如來にょらい出現しゅつげん於世便びんゆうよん未曾有みぞうほう出現しゅつげん於世。うんなんためよん?此眾生類しょうるいゆうしょちょわかせつしみちょほうまたふくうけたまわ受,ねん修行しゅぎょうこころとおはなれわか如來にょらい出現しゅつげん於世ゆう此四未曾有みぞうほう出現しゅつげん於世,いいはつ未曾有みぞうほう出現しゅつげん於世。」
  16. ^ おもね達磨だるま俱舍ろんまき16〈分別ふんべつぎょうひん〉:「いいちぎりけいせつふつつげだいはは:『なんじうんなにしょ所有しょゆうしょくなんじなんじ曾見,なんじとう希求ききゅうなんじためいん此,おこりよくおこりむさぼおこりおやおこりあいおこりおもねよりゆき耶、おこりあまのべそこおこりふけしる?』」
  17. ^ ひとしやく清淨せいじょうどうろん》〈せつたいひん〉:「また世尊せそんせつ(迴的)發生はっせいとき同時どうじまた說明せつめい其原そのはらいん;ざいせつ(迴的)とまこれ同時どうじまた說明せつめい停止ていしてき方法ほうほう如是にょぜせつ發生はっせい停止ていしなみ此二しゃいん結論けつろんただゆうよんしゅ;ある以應()、おうだん(しゅう)、おうしょう(めつ)、おうおさむ(みち);ある以愛ごと(ところ)、あいあいほろびあいめつ方便ほうべん;ある以阿よりゆき耶(ちょ)、おもねよりゆき耶、やぶおもねよりゆき耶、やぶおもねよりゆき耶之方便ほうべん,而說ためよん如是にょぜおう以不增減ぞうげん而知こじ。 」
    さんしゃくめつただ一涅槃法而依如是之義:『そくかれ前述ぜんじゅつあいてき(消滅しょうめつ)あまりはなれむさぼほろび、捨離、放棄ほうき解脫げだつちょ(おもねよりゆき耶)』。」
  18. ^ 18.0 18.1 きたたかし菩提ぼだいりゅうささえわけふかみつ解脫げだつけい》:「まためいおもねなし耶識,なに以故。以彼身中しんちゅうじゅうちょ一體いったい相應ふさわしゆえ。」
  19. ^ ひねあさ真諦しんたいわけ大乘だいじょうろんしゃく》:「此證したがえかいぶしけい。……あるせつめいおもねはじむ耶識。なに以故,此本識於つねぞうかくれどうなり壞故。」
    ずいあさ達磨だるまきゅうおおわけ大乘だいじょうろんしゃくろん》:「ふく於《かいぶしおもね含》ちゅう。……あるせつめいおもねなし耶。於身かくれぞう普遍ふへんどうおとろえ安否あんぴゆえ。」
    からあさげんわけかいふかみつけい》:「まためいおもねよりゆき耶識。なに以故,ゆかり此識於身ぞうかくれどう安危あんきよし。」
  20. ^ ちょ大乘だいじょうおもね達磨だるましゅうろん》:「何等なんら為心いしんいい蘊界しょ習氣しょ一切いっさい種子しゅしおもねよりゆき耶識,まためいじゅく識,まためいおもね陀那識,以能せきしゅうしょ習氣ゆえ。」あんとし大乘だいじょうおもね達磨だるまざつしゅうろん》:「習氣しゃいいよし現行げんこう蘊等れいかれ種子しゅしみなとく增益ぞうえき一切いっさい種子しゅしものいい能生のう蘊等諸法しょほう種子しゅししょせきしゅうゆえおもねよりゆき耶識ものいいのうぞう諸法しょほう種子しゅしまたしょ有情うじょうためわがゆえじゅくものさきぎょう所生しょせいゆえおもね陀那識ものいいのうすうすうれいせい相續そうぞくもち諸根もろねひとしれい不壞ふえゆえまたげんしんしゃいいのうせきしゅう一切いっさいほう習氣ゆえ。」
    ちょ大乘だいじょうろん》:「此亦めいこころ,如世尊せそんせつこころ意識いしきさん。……しんたいだいさんわかはなれおもねよりゆき耶識べつ成就じょうじゅおもねよりゆき耶識以為しんたいよし此為種子しゅし及識てんなに因緣いんねんまたせつめいこころゆかり種種しゅじゅほう熏习種子しゅししょせきしゅうゆえ。」
    からあさげんわけおや大乘だいじょうろんしゃく》:「此亦めいしんしゃおもねよりゆき耶識そくしんたい意識いしき差別さべつ當知とうちしんよしまたゆう差別さべつ。……しんたいだいさんわかはなれおもねよりゆき耶識べつ有性ゆうせいゆかり此為いん及轉識皆とく生起せいき見取みとりてん識,當知とうちまたそくだい所以ゆえんしゃなにかれはたほろび得意とくいめいゆえ。……よし種種しゅじゅほうしゃゆかりかく別品べっぴんるいほう熏习種子しゅししゃこうのう差別さべついんところつもるしゅうゆえしゃこれごくせきいちごうしょう。」
    ずいあさ達磨だるまきゅうおおわけ大乘だいじょうろんしゃくろん》:「ろん曰。またせつめいこころ,如世尊せそんせつこころ意識いしき。……しんたいだいさんはなれおもねなし耶識不可ふか成就じょうじゅおもねなし耶識為心いしんよし此為種子しゅし意識いしきとう轉生てんせいなに緣故えんこせつめい為心いしん種種しゅじゅ諸法しょほう熏习種子しゅし聚集ゆえしゃく曰。ふくせつめいしんしゃおもねはじむ耶識そくめい為心いしん及識二種有別義可見,當知とうちこころまたゆうべつ。……以見及轉識,以阿なし耶識ためいんせいこころからだあまりしょ不可ふかとく佛說ぶっせつ識者しきしゃそく次第しだいめつしょゆかりかれ識滅やめせつためゆえふくよし種種しゅじゅほう熏习種子しゅし聚集とくめいしん。於中種種しゅじゅしゃ諸法しょほうかく各相かくしょうゆえ熏习種子しゅししゃいい有功ゆうこうのうためかれ差別さべついん。聚集しゃみつあいせき聚一摶相ゆえ。」
    無性むしょう大乘だいじょうろん無性むしょうしゃく》:「此亦めいしんしゃふく引餘きょう安立あんりゅう異名いみょうれい堅固けんご。……しんたいだいさんわかはなれおもねよりゆき耶識べつとくしゃいい如意にょいごえせつしみ污意,あいだめつ意識いしきごえのりせつろくしゅてん識,如是にょぜしんごえはなれかれしゅ無體むたいとく有體ありてい有能ゆうのうかいまたもん、識二ごえ所詮しょせんゆえ。此中からだごえ所詮しょせん成就じょうじゅおもねよりゆき耶識とうしゃあらわおもねよりゆき耶識しんごえ所詮しょせん道理どうり決定けってい。……よし種種しゅじゅほうしゃいいよし種種しゅじゅひんるいうたて識所諸法しょほう熏习種子しゅししゃいいしょ成功せいこうのう差別さべつところつもるしゅうしゃいいざつ種類しゅるいせきしゅう其中。ゆえしゃそくかどよしよし,此則顯示けんじしんごえてんいん。」
  21. ^ ちょ大乘だいじょうおもね達磨だるましゅうろん》:「何等なんらためいい一切いっさいえんおもねよりゆき耶識,おもえたびためせいあずかよん煩惱ぼんのうつね相應そうおういい我見がけんわがあい我慢がまん無明むみょう。此意あまねぎょう一切いっさいぜん不善ふぜんただじょせいみち現前げんぜんわかしょ滅盡めつじんじょう,及在無學むがくまたろく識以あいだめつため。」あんとし大乘だいじょうおもね達磨だるまざつしゅうろん》:「當知とうち此中よししょ緣故えんこ釋義しゃくぎ相應ふさわしゆえ生起せいきあらわりょう於意。何故なぜせいみち現前げんぜんしみ污意耶,ゆかり勝義まさよしさとしあずか我見がけん現行げんこうきょく相違そういせいみちしたがえおもねよりゆき耶識ふくさらげんおこり,以有學位がくい未永すえながだんゆえまた滅盡めつじんていもち想定そうていごく寂靜じゃくじょう,此染污意とく現行げんこうあいだめつしゃゆかりずいさとしあいださとし意義いぎ當知とうち此中ずいあらわしょうせつ。」
    瑜伽ゆがろん·本地ほんじぶん》:「うんなん自性じしょういいしん、識。こころいい一切種子所隨依止性,しょしたがえ(とめ)せいたいのう受,じゅくしょおもねよりゆき耶識。いい恒行つねゆき、及ろく識身あいだめつ。識,いい現前げんぜんりょうべつ所緣しょえん境界きょうかいかれしょしゃとう無間むげんいい種子しゅしいい如前せつ一切種子阿賴耶識。」
    窺基瑜伽ゆがろんりゃく》:「『いい恒行つねゆき及六識身無間滅依』しゃ,此中通明みちあき過去かころく識名しきなただだいなな,一切皆有依止義故,よりどころじつ此意ただだいなな,如《なり唯識ゆいしき》、《大乘だいじょうろん》,しゃくこころ、識,三種さんしゅべつ。……『かれしょしゃ俱有ひとしあいだいいしゃ。其俱ゆう唯識ゆいしきだいよんりゃくゆうよんせつ。……だいよんかいうんだいろく意識いしきしょななはち,及七、八更互相依,俱意しょなみめいためよし此論うん:俱有いいわかなんじしゃなに簡別しん、識三,ゆう。而今通言つうげん:俱有いいだい四說最為中理。」遁倫瑜伽ゆがろん》:「五識地中所以不說恒行意者,以五識地各別有同時色根。意地いじべつ同時どうじせつすえ恒行つねゆき六識皆有同時根,及次だいめつ也。すえ有三ゆうぞういちにんほうさんしゃ平等びょうどううんなん有無うむすえ?如下だいろくじゅうさんかんちゅううんわかかれまつ,於一切いっさい思量しりょうためせい相續そうぞく而轉。如世尊せそんせつ出世しゅっせまつうんなん建立こんりゅうこたえめいかり施設しせつ必如よし乃至ないしこうせつ。……しょなか,其俱ゆう唯識ゆいしきよんせつだいよん正義せいぎだいろく意識いしきしょななはち,及七、八更互相依。……しか於此しょ不言ふげん俱有しゃ,以意識いしききょう俱有りゃく也。もとこう牒論文中ぶんちゅう俱有未知みちなんせい。」
    きたたかし佛陀ぶっだおうぎおおわけちょ大乘だいじょうろん》:「ちゅうゆうしゅ近作きんさくえん事故じこきんめつあずか意識いしきさくせいいんだいざつよんしゅ煩惱ぼんのうつね共同きょうどう我慢がまんあい、及無明むみょう彼是あれこれ識所しみせいわか一身いっしん所生しょせい識,だいしみ境界きょうかい識義きんよし,及分別ふんべつよしあかり。」
    ひねあさ真諦しんたいわけちょ大乘だいじょうろん》:「ゆうしゅ:一能與彼生次第緣依故,さきめつためまた以識せいとめためゆうしみ污意あずかよん煩惱ぼんのうつね相應そうおう一身いっしん我慢がまんさんわがあいよん無明むみょう,此識あまり煩惱ぼんのう識依どめ。此煩惱ぼんのう識由いちとめせいよしだいしみ污。由緣ゆえんちり、及次第しだいのう分別ふんべつ,此めいうんなん得知とくちゆうしみ污心。……此心しみ污故,せいつねあずかよん惑相おうたとえ如色、無色むしょくかい惑,ゆうくつがえ,此二界煩惱奢摩他所藏故。此心恒生つねおはいひろ。」真諦しんたいわけおや大乘だいじょうろんしゃく》:「ろん曰。ゆうしみ污意あずかよん煩惱ぼんのうつね相應そうおうしゃく曰。此欲しゃくおもね陀那識。……」「ろん曰。うんなん得知とくちゆうしみ污心。……わか此心。……ふくめいおうゆうしゃく曰。うんなんわかだてぜんめつこころため,此但有名ゆうめいなに以故,りょうべつためよし,於無ちゅううんなんりつ識隨ろく識前やめほろび,此意めい不可ふか不能ふのうりょうべつ,以無體むたい。」
    ずいあさ達磨だるまきゅうおおわけおや大乘だいじょうろんしゃくろん》:「ろん曰。……於中ゆうしゅ:一次第緣與作依處者,よし次第しだいほろび意識いしき此生だいしみ污意あずかよん煩惱ぼんのうつね相應そうおういい我慢がまんわがあい無明むみょう,此意そくあまり識染污依どめ識由だいいちとめせいよしだいしみ污。よしりょうさかいよしだいねんよしゆうしゅ。……ふくうんなん得知とくちゆうしみ污意。……此意しみ污故,障礙しょうがいつねあずかよん煩惱ぼんのう相應そうおう,如色、無色むしょくかい煩惱ぼんのう障礙しょうがいためしょく無色むしょくかいおご所藏しょぞう。此意一切いっさいしみしるゆえ。」
    からあさげんわけちょ大乘だいじょうろんほん》:「此中ゆうしゅだい一與作等無間緣所依止性,あいだめつのうあずか意識いしきさくなまとめだいしみ污意あずかよん煩惱ぼんのうつねども相應そうおう,一者薩迦耶見,しゃ我慢がまんさんしゃわがあいよんしゃ無明むみょう,此即識雜しみしょ識。ふくよしかれだいいちなまだいざつしみりょうべつさかいよしとう無間むげんよし思量しりょうよしなりしゅふくうんなん得知とくちゆうしみ污意。……此意しみ污故,ゆうくつがえせいあずかよん煩惱ぼんのうつねきょう相應そうおう,如色、無色むしょくまとい煩惱ぼんのう其有くつがえせいいろ無色むしょくまといためおご他所よそぞう,此意一切時微細隨逐故。」げんわけおや大乘だいじょうろんしゃく》:「此中與作よさくとうあいだえんいんせいいいあいだめつ識與意識いしきためいんだい一意いちいよし四煩惱常所染污,だい。此中薩迦耶見しゃいいわがせいよし勢力せいりょく便びんおこり我慢がまん,恃我しょ而自だか舉。於實無我むがおこり有我ありがむさぼめいためわがあい如是にょぜさんしゅ無明むみょうためいんげん無明むみょうしゃそく智識ちしきふくよしかれだいいちなまだいざつしみしゃいいあいだめつ識說めいためあずかはたなま識容受處しょさくせいだいしみ污意,ためざつしみしょ,以於善心ぜんしんちゅうまた有我ありがりょうべつさかいよしとう無間むげんよし思量しりょうなりしゅしゃいい於此ちゅうゆかりさかいよしせつめいため識;よしあずかしょめいだい一意いちいよしわがとうなりざつしみめいだいろん曰。ふくうんなん得知とくちゆうしみ污意。いい此若。……またくんしゃくまたとくゆうなり過失かしつゆえ。……しゃく曰。……またくんしゃく所以ゆえんしゃなに,『のう思量しりょうせつめいため。』此訓しゃくなんしょとめかれ六識與無間識作所依止,おうせい道理どうりやめしゃほろび。……くんわかなり過失かしつしゃ所緣しょえんしょう,而思量しりょうあいだめつ能取のとろさかいせつめいため過去かこやめほろび所思しょしりょううんなんとう有能ゆうのう思量しりょうせいくんなりだい過失かしつ。」
    ちょ大乘だいじょうろん》:「此中何者なにものおこりしょういいおもねよりゆき耶識ため種子しゅし虛妄きょもう分別ふんべつしょしょ識。此復うんなにいいしゃ、受者識,かれしょ受識(おう受識),かれのう受識(せい受識),せい識,すう識,しょ識,言說げんせつ識,自他じた差別さべつ識,ぜんおもむき惡趣あくしゅ死生しせい識。……此中身なかみしゃ、受者識,おうそくとうろく內界かれしょ受識,おうそくしょくとうろく外界がいかいかれのう受識,おうそくとうろく識界。其餘しょ識,おう此諸識差別さべつ。」
    おや大乘だいじょう五蘊ごうんろん》:「ふくゆうじゅうはちかいいい眼界がんかいいろかい眼識がんしきかいみみかいこえかいみみ識界,はなかいこうかいはな識界,したかいあじかいした識界,かいさわさかい識界,かい法界ほうかい意識いしきかいとうもろかい,及色とうもろかい,如處ちゅうせつろく識界ものいいとうえんしょくとうさかいりょうべつためせいげんかいものいいそくかれあいだめつひとしためよく顯示けんじだいろく意識いしき,及廣建立こんりゅうじゅうはちかいゆえ如是にょぜしょく蘊即十處十界及法處法界一分。識蘊そくしょななしんかいあまりさん蘊及しょくいちふん,并諸無為むいそくほうしょ法界ほうかい。」
    おや大乘だいじょうろんしゃく》:「いいしゃ、受者識者しきしゃいいとうかいしゃいいしみ污意のう受者,いいかい。」
    無性むしょう大乘だいじょうろん無性むしょうしゃく》:「いいしゃ、受者識者しきしゃ:如後とうせつとうろく內界ためせい,如其しょおうとう五識ごしきしょかいめいしゃ識。だいろく意識いしきしょかいめい受者識。」
    げんなり唯識ゆいしきろん》:「また相等そうとうよんほうじゅういち識等ろんみなせつためおこり。」窺基なり唯識ゆいしき論述ろんじゅつ》:「じゅういち識者しきしゃ一身いっしんしゃさん受者,よんかれしょ受,五彼能受,ろくせいななすうはちしょきゅう言說げんせつじゅう自他じたべつじゅう一善惡趣死生識。とう五根ごこんめい。五識所依意界,めいしゃだい六意識所依意界,めい受者識。……」
    真諦しんたいわけあらわ識論》(したがえそうろんだし):「一切いっさい三界さんがいただしただ有識ゆうしき何者なにもの耶,三界さんがいゆうしゅ識,いちしゃあらわ識,しゃ分別ふんべつ識。あらわ識者しきしゃそくほん識,此本識轉さくちりよんだいとう何者なにもの分別ふんべつ識,そく意識いしき,於顯識中分別ふんべつさくじんてん長短ちょうたん大小だいしょう男女だんじょふじ諸物しょぶつとう分別ふんべつ一切いっさいほう,此識聚分別法べっぽうちり名分めいぶんべつ識。たとえ如依きょうしょくかげしょくとくおこり如是にょぜえんあらわ識,分別ふんべつ識得おこり分別ふんべつわかおこり安立あだち熏习ちから於阿なし耶識,ゆかり此熏りょくほん未來みらいとくせいえん未來みらいあらわ識,未來みらい分別ふんべつ識得おこり。以此いん生死せいしゆう前後ぜんこう。……あきら識者しきしゃゆうきゅうしゅ一身いっしん識,ちり識,さんよう識,よんせい識,識,ろくすう識,ななよんしゅ言說げんせつ識,はち自他じた識,きゅう善惡ぜんあく生死せいし識。其次分別ふんべつ識有しゅ,一有身者識,受者識。……またゆうしゃもの我見がけんしょくつがえ。此識ため我見がけんむさぼあいしょくつがえ,受六趣ろくしゅせい。此識ためせい死身しにみわかゆう此識,そくゆう,此識わかつきのりせい死身しにみつき我見がけんせい一切いっさいにく惑,むさぼ愛生あいおい一切いっさいがわ惑故,有生ゆうせい死身しにみわかはなれあい我見がけんそく皮肉ひにく煩惱ぼんのうわか皮肉ひにく煩惱ぼんのうそく三界さんがい識受生死せいし也。かい受者識そく三種さんしゅ意識いしき:一謂阿梨耶識,ほそひん意識いしきつね受果むくい不通ふつう善惡ぜんあくただしくつがえ陀那識,ちゅうひん意識いしきただし凡夫ぼんぷ果報かほう;三者謂常所明意識,麁品意識いしきつう受善、あくさんせいはて五識ごしきまたなんじ。此さんひん意識いしきつうのう受用じゅよう果報かほうただしこんよりどころ興廢こうはいためげんよびなし耶識ため受者識。またなし耶識凡夫ぼんぷしょけいしょゆかり陀那なし耶識さくわがさかいのうせい陀那,七識是我見體故。分別ふんべつ識有しゅいちゆう識,受(大正たいしょうぞうため)しゃ識,合名ごうめい大本おおもとしみ污根,そく陀那識,二次第緣意根體,そくえんほん識作わがさかいかれえんしょうあきらあらわ識有きゅうしゅ如上じょじょうあらわ識唯なし耶。わか分別ふんべつ識,のり陀那及意識いしき,陀那分別ふんべつわが意識いしき分別ふんべつまんほう意識いしきゆうさんしゅ分別ふんべつ五識ごしきただしゆう自性じしょう分別ふんべつ。」
    からあささだかんななねんなみ頗蜜わけちょ大乘だいじょう莊嚴しょうごん經論きょうろん》:「曰。如是にょぜてん變化へんかとくぞうじょうごくきよし分別ふんべつつねずい變化へんかぎょうしゃく曰。此偈顯示けんじてん變化へんかいいしみ污識ゆかり此轉とくごくきよし無分別むふんべつさとしつね與一よいちきり變化へんか隨行ずいこうども所作しょさゆえ。」
    げんなり唯識ゆいしきろん》:「じゅうぜんしょく,以本識等しょへんとうきよししょくためせい男女だんじょ身根しんこんしょそく以彼しょうぶんためせいいのちただしほん識親しゅぶん假立かりだちべつ有性ゆうせいそうはちためせい受根,如應各自かくじ受為せいしんとう五根ごこんそく以信とう及善ねんとう而為自性じしょう未知みち當知とうち體位たいいゆうさんしゅいち根本こんぽん。……ゆき。……さんかて。……於此さんしんとう五根ごこんらく、捨為此根せい。……はじめしたがえどう最後さいご剎那乃至ないし金剛こんごう喻定,所有しょゆうしんとうきゅうみなやめ根性こんじょう。……しょ學位がくい九根一切皆是具知根性。……」
    えんはかかいふかみつけい》:「大乘だいじょううんろん曰:此中何者なにものおこりしょういいおもねよりゆき耶識ため種子しゅし。虗妄分別ふんべつしょしょ識。……しか此諸識有差別さべつしゃわか無性むしょうとう五識所依意界,めいしゃ識;だい六意識所依意界,めい受者識。かいうん無性むしょうろんとう五識所依意界,そくよりゆき耶,めいしゃ識;だい六意識所依意界,そくまつめい受者識。わかおやあずか此相こぼしだいななまつめいしゃ識;だいはちよりゆき耶,めい受者識。かれろんうんしゃいいしみ汙意;受者,いいかいまた此諸識,すうゆう差別さべつわかはりろん》及《なり唯識ゆいしき》,みなうんじゅういちわか大乘だいじょう》,ゆうりょうぶん前文ぜんぶんじゅういちぶんじゅういいひらきぜんおもむき惡趣あくしゅ死生しせい識,以為,一善趣惡趣識,死生しせい識。かれろんうんぎょうはてじゅく數量すうりょうしょ受死せい數量すうりょうゆえ無性むしょうしゃくうんぜんおもむき惡趣あくしゅ及與死生しせいかいうんせつ及言,故知こちじゅうおやしゃくためじゅういち,於理たがえ。」
  22. ^ ちょ大乘だいじょうおもね達磨だるましゅうろん》:「何等なんらため識,いいろく識身,眼識がんしきみみ識、はな識、した識、識、意識いしき何等なんら眼識がんしきいいえんしょくりょうべつためせい何等なんらみみ識,いいみみえんごえりょうべつためせい何等なんらはな識,いいはなえんりょうべつためせい何等なんらした識,いいしたえんあじりょうべつためせいなに等身とうしん識,いいえんさわりょうべつためせい何等なんら意識いしきいいえんほうりょうべつためせい。」あんとし大乘だいじょうおもね達磨だるまざつしゅうろん》:「當知とうち此中よししょ所緣しょえん自性じしょうゆえ建立こんりゅう於識。」
  23. ^ ちょ大乘だいじょうおもね達磨だるましゅうろん》:「ふくゆうよんしゅ祕密ひみつよし祕密ひみつ,於方ひろぶんちゅう,一切如來所有祕密應隨決了。何等なんらためよんいちれいにゅう祕密ひみつそう祕密ひみつさんたい祕密ひみつよん轉變てんぺん祕密ひみつ。」
  24. ^ 瑜伽ゆがろん·本地ほんじぶん》:「なんじ父母ちちははむさぼあい俱極,最後さいご決定けっていかくいちてき濃厚のうこうせい,二滴和合住母胎中合為一段,なお如熟ちち凝結ぎょうけつときとう於此しょ,一切種子異熟所攝、受所おもねよりゆき耶識,和合わごう依託いたく
    うんなん和合わごう依託いたくいい此所濃厚のうこうせい合成ごうせいいちだんあずか顛倒てんとうえん中有ちゅうう俱滅,あずかめつ同時どうじそくよし一切種子識功能力故,有餘ゆうよ微細びさい及大しゅ和合わごう而生,及餘ゆうどうぶんせい和合わごう摶生,於此ちゅうせつ識已じゅう結生ゆき相續そうぞくそく此名ため羯羅あい。此羯あい中有ちゅうう諸根もろねだいたねただあずか身根しんこん及根しょしょだいしゅ俱生;そくよし身根しんこん俱生諸根もろねだいたねりょくとう諸根もろね次第しだいとうなままたよし身根しんこん俱生しょしょだいたねりょく諸根もろねしょ次第しだいとうなまよしかれ諸根もろね及所しょ具足ぐそくせいめいとく圓滿えんまんとめ成就じょうじゅまた此羯藍色あいいろあずか心心こころごころしょ安危あんき共同きょうどうめい依託いたくよし心心こころごころしょ依託いたくりょくしょくただれ壞,しょく損益そんえきかれまた損益そんえきせつかれ安危あんき共同きょうどうまた此羯あい,識最はつたくしょそくめいにくこころ如是にょぜ識於此處ここ最初さいしょたくそくしたがえ此處ここら最後さいご捨。」
  25. ^ 瑜伽ゆがろん·本地ほんじぶん》:「また羯羅あい漸增ぜんぞうちょうめいあずかいろ平等びょうどう增長ぞうちょう,俱漸廣大こうだい如是にょぜ增長ぞうちょう乃至ないしとめ圓滿えんまんおう此中よしかいとめづくりしょくやや漸增ぜんぞうこう由水ゆみかいよしかい成熟せいじゅくけん鞕;由無よしなほとびよしふうかい分別ふんべつぶしかくやす其所。……ふく此之胎藏はち差別さべつ何等なんらためはちいい羯羅あい、遏部くもり、閉尸かぎみなみはち賒佉かみつめかたち。」
  26. ^ ふかみつ解脫げだつけい》:「はつゆう一切いっさい種子しゅしこころせい和合わごう不同ふどう差別さべつ增長ぞうちょう。」
  27. ^ えんはかかいふかみつけい》:「受。しゃく曰。……うえらいやめべんとう生起せいき增長ぞうちょう。此下あかり識依しょくとう
    いちしゃ有色ゆうしょく諸根もろね及所受。相名あいな分別ふんべつ言說げんせつおどけろん習氣受。しゃく曰。此即だい數列すうれつめいいい受生ゆうじゅく識執受しゅ為所しどころえんさかいいちしゃ受五根及彼所依色香味觸為所依止。しゃ相名あいな分別ふんべつ三法習氣為所緣境。じょたねしょ緣故えんこ。此所受。みな所緣しょえん瑜伽ゆがじゅういちうん。……」
    瑜伽ゆがろん·ぎまぶん》:「わか略說りゃくせつおもねよりゆき耶識。よししゅ所緣しょえんさかいてん。一由了別內執受故。二由了別外無分別器相故。りょうべつ內執受者。いいのうりょうべつあまねけいところ自性じしょう妄執もうしゅう習氣。及諸しょくしょしょ。此於有色ゆうしょくかいわかざい無色むしょくただゆう習氣受了べつりょうべつがい無分別むふんべつ相者そうしゃいいのうりょうべつとめえん內執受阿よりゆき耶識。於一切いっさいゆう間斷かんだんうつわ世間せけんしょうたとえ如燈焰生內執あぶら炷外はつ光明こうみょう如是にょぜおもねよりゆき耶識えん內執受緣がいしょう生起せいき道理どうりおうまたなんじ。」
    げんなり唯識ゆいしきろん》:「受有いいしょ種子しゅし及有しょ種子しゅししゃいい諸相しょそう名分めいぶんべつ習氣。ゆうしゃいい諸色しょしき及根しょ。此二皆是識所執受。ため自體じたいどう安危あんきゆえ受及しょ俱是所緣しょえんおもねよりゆき耶識因緣いんねんりょく自體じたいせい。內變ためしゅ及有そとへんためそく以所へんため所緣しょえんくだりしょう仗之而得おこりゆえ。」
    ひねあさ真諦しんたいわけおや大乘だいじょうろんしゃく》:「うんなん此識あるせつためおもね陀那識。のう一切いっさい有色ゆうしょく諸根もろねいいのうゆう五根及相等習氣故。此識まためいおもね陀那。」
  28. ^ ふかみつ解脫げだつけい》:「こうところしげる就依しゅ何等なんらしゅ。一者謂依色心根取。二者依於分別ふんべつあい言語げんごおどけろん熏集而取。こうとしいろかいちゅう種取たねとりせい無色むしょくかいちゅう種取たねとりせい。」
  29. ^ えんはかかいふかみつけい》:「此即だいしゃくおもね陀那識。梵云おもね陀那。此翻名執なとりいいよし此識ずい逐於受色れいしつ壞。せつ此識めいため大乘だいじょう》。ゆう其二そのじよししゃくおもね陀那。一執受色根令不壞故。二執受自體取彼生故。如彼だいいちこう分別ふんべつなり唯識ゆいしき》。具有ぐゆうさんだいさんうん。以能諸法しょほう種子しゅし。及能受色しょまたのう取結とりむすべなま相續そうぞくせつ此識めいおもね陀那。此當二論所說執受。」
  30. ^ ふかみつ解脫げだつけい》:「こうとしかれ識名しきなおもね陀那識。なに以故。以彼おもね陀那識。此身相應そうおうゆえ。」
  31. ^ げんわけ顯揚けんよう聖教せいきょうろん·ことひん》:「おもねよりゆき耶識しゃいいさき所作しょさ增長ぞうちょうぎょう煩惱ぼんのうためえんはじめらいおどけろん熏习ためいん所生しょせい一切種子異熟識為體。此識のう受了べつしょくしょしょ及戲ろん熏习,於一切いっさい一類いちるい生滅しょうめつ不可ふか了知りょうちまたのうりょうべつがい世界せかいあずからく受等相應そうおう一向いっこうくつがえあずかうたて識等さくしょいんあずかしみきよしてん識受とう俱轉,のう增長ぞうちょうゆうしみてん識等ためぎょう,及能そんげん清淨せいじょうてん識等ためぎょううんなんゆう此識。如薄とぎ梵說:『無明むみょうしょくつがえあいゆいしょ繫。おっと感得かんとく有識ゆうしき。』此言あらわゆうじゅくおもねよりゆき耶識。またせつ:『如五種子しゅし。此則めいためゆうこれ識。』此言あらわゆう一切種子阿賴耶識。またせつ:『おもね陀那識甚ふかほそ一切いっさい種子しゅし如暴りゅうわが凡愚ぼんぐ開演かいえんこわかれ分別ふんべつため。』」
    瑜伽ゆがろん·ぎまぶん》:「おもねよりゆき耶識一切いっさいざつしみ根本こんぽん。……由緣ゆえん真如しんにょさかいさとし修習しゅうしゅう修習しゅうしゅう,而得うたてうたてあいだとうげんやめだんおもねよりゆき耶識,ゆかり此斷とうげんやめだん一切いっさいざつしみ當知とうちうたてよし相違そういのうながたいおもねよりゆき耶識。またおもねよりゆき耶識たい無常むじょうゆう受性;うたてつね受性,えん真如しんにょさかいきよし道方みちかたのううたてまたおもねよりゆき耶識,つねため一切いっさい麁重しょずいうたて究竟くっきょうとおはなれ一切いっさい所有しょゆう麁重。またおもねよりゆき耶識,煩惱ぼんのうてんいんひじりみちてんいんうたて煩惱ぼんのうてんいんひじりみちてんいんおうただし建立こんりゅういんせいなまいんせいまたおもねよりゆき耶識,れい於善きよし記法きほうちゅうとく自在じざいうたてれい於一切善淨無記法中得大自在。……如是にょぜ建立こんりゅうざつしみ根本こんぽんおもむきにゅう通達つうたつ修習しゅうしゅう作意さくい建立こんりゅううたて當知とうち建立こんりゅうおもねよりゆき耶識ざつしみかえめつそう。」
  32. ^ おや大乘だいじょう五蘊ごうんろん》:「うんなん識蘊,いい於所えんさかいりょうべつためせいまためいしんよし採集さいしゅうしょさいかちこころものいいおもねよりゆき耶識。なに以故,ゆかり此識ちゅう諸行しょぎょう種子しゅしみな採集さいしゅうまた此行えん不可ふか分別ふんべつ前後ぜんご一類いちるい相續そうぞくずいてんまたよし此故,したがえ滅盡めつじんとういたり無想むそうとういたり無想むそう所有しょゆうおこりしゃりょうべつさかいめいうたて識還せいまち所緣しょえんえん差別さべつてんすうすう間斷かんだんかえふくてんまたれい生死せいし流轉るてん旋還ゆえ。」
  33. ^ ふかみつ解脫げだつけい》:「こうとしまためい為心いしんなに以故。以彼こころためしょくごえ香味こうみ觸法しょくほう增長ぞうちょう。」
  34. ^ えんはかかいふかみつけい》:「はつおもね陀那與六よろく識俱てんこうこうとしわか於下おしたあかり意識いしきたい俱轉多少たしょうはつ、舉本まつ以辨俱轉。、以意たい五明ごみょう其俱てんしか瑜伽ゆがとう。且約はつ。以辨俱轉。此中おうせつすえ俱轉。而不せつしゃ。舉初舉後。じゅん可知かちりゃく而不せつ瑜伽ゆがとう通約つうやくまつ。以辨俱轉。」
  35. ^ ふかみつ解脫げだつけい》:「こうとしかれおもね陀那識。能生のうろくしゅ識。所謂いわゆるみみはなした意識いしき。」
  36. ^ 瑜伽ゆがろん·本地ほんじぶん》:「ふくゆういちしゅいい能見のみしょく。……あるだてななしゅいい有識ゆうしき識眼,つよじゃくぜん識所不善ふぜん識所識所。……」
    瑜伽ゆがろん·こじぶん》:「といじゅうはちかいいくどうぶんいくかれどうぶんこたえ有識ゆうしきさかいめいためどうぶんしょあまり眼界がんかいめいかれどうぶん。如眼かい乃至ないしかいまたなんじ唯根ただねしょ內諸かいちゅう思量しりょうどうぶん及彼どうぶん於色等外とうがいもろかいちゅう當知とうち法界ほうかいしょゆう所緣しょえん如心かいせつしょ所緣しょえん如色とうせつ。」
  37. ^ 瑜伽ゆがろん·本地ほんじぶん》:「ふくよし眼識がんしきせいさんしん,如其次第しだいいい率爾そつじこころひろ求心きゅうしん決定けっていしんはつ眼識がんしきざい意識いしき決定けっていしんほうゆうしみきよし,此後乃有ひとしりゅう眼識がんしきぜん不善ふぜんてん,而彼よし自分じぶんべつりょく乃至ないし此意おもむきあまりさかいけいなんじしょ識,あるぜんあるしみ相續そうぞく而轉。如眼識がんしきせい乃至ないし識,おうまたなんじ。」遁倫瑜伽ゆがろん》:「つぎやく率爾そつじとうこころ分別ふんべつしんせい次第しだいしょ不同ふどうわかなり》,あきら識、おもえ、受、そうよんしんぜんさんだいよんつうさんせいまたはつつうろく識,さんざいわかせいりょうあかりりょうろんまたたてよんしんいちはついたり識,隨行ずいこう識,さん決行けっこう識,よんだいろく識。わか上座かみざだてきゅうしんろんいちゆうぶん識,、引發,さんかんよんひろもとめ貫徹かんてつろく安立あだちなないきおいもちいはちへんえんきゅうかえゆうぶん識。いま此論,やくろく識,あかりしん次第しだいせいななはちつねおこりろん次第しだい也。あるあるしみ相續そうぞく而轉しゃ西方にしかたりょうかいいちうん眼識がんしき唯一ゆいいつ剎那;いちうんまたとく相續そうぞく,如唯識ゆいしきろんこうかいしんゆび如別あきらしも喻辨如文。」
    真諦しんたいわけあらわ識論》(したがえそうろんだし):「ふつ於《かいぶしけいちゅうせつごと:『あらわ識起分別ふんべつ分別ふんべつおこり熏习熏习おこりあらわ識。生死せいし輪轉りんてん。』」
    だい乘入のりいれ楞伽けい》:「だいとし!識廣せつゆうはちりゃくそくただいいげん分別ふんべつごとだいとし!如明きょうちゅうげん諸色しょしきぞうげん識亦なんじだいとしげん識與分別ふんべつごと識,此識無こと相互そうごためいんだいとしげん識以不思議ふしぎ熏變ためいん分別ふんべつごと識以分別ふんべつ境界きょうかい,及無はじめおどけろん習氣ためいん。」
    楞伽おもねばつたからけい》:「だいとし略說りゃくせつゆうさんしゅ識,こうせつゆうはちそう何等なんら為三ためぞういいげん,及分別ふんべつごとだいとしたとえ如明きょうもち諸色しょしきぞうげん識處げんまたふく如是にょぜだいとしげん識及分別ふんべつごと識,此不壞ふえそうてんてんいんだいとし不思議ふしぎかおる不思議ふしぎへんげん識因。だいとし種種しゅじゅちり,及無はじめ妄想もうそうかおる分別ふんべつごと識因。」
    にゅう楞伽けい》:「だいとしゆうはちしゅ識,略說りゃくせつゆうしゅ何等なんらためいちしゃりょうべつしゃ分別ふんべつごとだいとし!如明きょうちゅう諸色しょしきぞうだいとしりょうべつ識亦如是にょぜ種種しゅじゅきょうぞうだいとしりょうべつ識、分別ふんべつごと識,かれしゅ識無差別さべつしょう,迭共ためいんだいとしりょうべつ不可思議ふかしぎ熏變いんだいとし分別ふんべつごと識分べつ境界きょうかいいんはじめらいおどけろん熏习。」
  38. ^ ふかみつ解脫げだつけい》:「こうとしわかいち境界きょうかい現前げんぜんいち識身おこり無分別むふんべつ意識いしきそくきょう眼識がんしきいち俱生。」えんはかかいふかみつけい》:「ふかみつけいうん無分別むふんべつ意識いしきかいぶしけいとうみなうん分別ふんべつ意識いしきあずか此本どう故知こち分別ふんべつためただし。」
  39. ^ えんはかかいふかみつけい》:「しかしゃく此頌。しょろん不同ふどう大乘だいじょう無性むしょうしゃく》曰:げん甚者。さとあきらしゃ所有しょゆうさとしとしなんきゅうそこゆえげん甚細しゃしょ聲聞しょうもんとうなん了知りょうち。……《おやしゃくうんおもね陀那識者しきしゃところしゃく異名いみょう。甚深ほそしゃなん了知りょうち。……《なり唯識ゆいしきろん護法ごほうしゃくうん:以能もち諸法しょほう種子しゅし。及能いろしょまたのう結生ゆき相續そうぞくせつ此識めいおもね陀那無性むしょう有情うじょう不能ふのうきゅうそこせつ甚深。おもむきさびしゅせい不能ふのう通達つうたつめい甚細。」
    窺基瑜伽ゆがろんりゃく》:「ろん頌云おもねよりゆき耶識甚深ほそしゃ。……さきうんだい七及八皆名阿陀那者。也。そくきゅうろん頌云:『ふかほそ。』すんでうんだいななあにのう也。梵音うん訖利瑟吒まつ。此云しみ污意。こんうんおもね陀那しゃそくだい八執持之義也。此之いちそう舉第はちふかぼそ也。とい曰:きゅうろん識深ほそ何故なぜこんこぼしべつうんゆうなん所以ゆえんじゅつ曰:げん。其義便びんせいしか簡有こと不同ふどう簡。所以ゆえんしゃなにさきうんふかほそしゃただし凡夫ぼんぷじょうゆえ。其凡夫ぼんぷ藉義みな麁淺。此言ふかほそただし凡夫ぼんぷ其二そのじじょう教義きょうぎみなふかほそ。此應あずかひとしゆえこん以甚簡別じょう。二乘經教深細非甚故。此簡具足ぐそく須異也。したげんたい聖者せいじゃかたのう了知りょうちのうどうまえだいろく識非唯識ゆいしきかん未見みけんだいはちにゅう見方みかたげん甚深ほそ也。」
  40. ^ ふかみつ解脫げだつけい》:「なんじ世尊せそん,而說ごと諸種しょしゅおもね陀那,能生のう於諸ほうわがせつ水鏡みずかがみ喻,不為ふため愚人ぐじんせつ。」
    ひねあさ真諦しんたいわけ大乘だいじょうろん》:「おもね含云,如《かいぶしけい所說しょせつ識深ほそほう種子しゅしつねりゅう,於凡わがせつかれ勿執ため。」
  41. ^ だい毘婆すなろん》:「ちぎりけいせつこころ意識いしきさんこえ雖有而無差別さべつふくゆうせつしゃこころ意識いしきさんまたゆう差別さべつ。(いち)いいめいそく差別さべつめいしんめいめい識異ゆえ。(ふくまた差別さべついい過去かこめい未來みらいめいしん現在げんざいめい識故。(さんふく施設しせつまたゆう差別さべついいかいちゅう施設しせつしんしょちゅう施設しせつ。蘊中施設しせつ識故。(よんふくよしまたゆう差別さべついいこころ種族しゅぞくせいかどよし。識是せき聚義。(ふくぎょうまたゆう差別さべついいとおぎょうしんぎょう。如有頌曰。『のうとおぎょう獨行どっこう寐於くつ調伏ちょうぶく此心しゃ解脫げだつだいこわかしこ。』ぜんくだりぎょう。如有頌曰。『諸法しょほうまえぎょうみことしょ引。しみきよしげんさく苦樂くらく如影ずい。』續生ぞくせい識業。如契けいせつ。『にゅう母胎ぼたい識若しゃ。羯刺あいとうとく成就じょうじゅ。』故知こち續生ぞくせい識業よう。(ろくふくいろどりしんぎょう。如契けいせつ。『苾芻當知とうちしょはたせいおもむきゆかりこころいろどりゆう種種しゅじゅしょく。』おもむきぎょう。如契けいせつ。『苾芻當知とうち如是にょぜ五根各別所行各別境界。總領そうりょう受彼所行しょぎょう境界きょうかいおもむきかれさくしょ事業じぎょう。』りょうべつ識業。如契けいせつ。『苾芻當知とうち。識能りょうべつ種種しゅじゅさかいごと。』(ななふくしげるちょうしんぎょう思量しりょうぎょう分別ふんべつ識業。わき尊者そんじゃごと。『しげるちょう分割ぶんかつしんぎょう思量しりょう思惟しいぎょう分別ふんべつかいりょう識業。』おう此中しげる長者ちょうじゃゆうこころ分割ぶんかつしゃこころ思量しりょうしゃゆう思惟しいしゃ分別ふんべつしゃゆう識。かいりょうしゃ識。こころ意識いしきさんいい差別さべつ。」
  42. ^ 42.0 42.1 42.2 だい乘入のりいれ楞伽けい》:「だいとしわがためかちかずら夫人ふじん及餘ふかみょうきよしさとし菩薩ぼさつせつ如來にょらいぞうぞうあずかなな識俱おこりれい諸聲もろごえ聞見ほう無我むが。」
    楞伽おもねばつたからけい》:「だいとしわが於此よし,以神りょく建立こんりゅうれいかちかずら夫人ふじん及利さとし滿足まんぞくしょ菩薩ぼさつとう宣揚せんよう演說えんぜつ如來にょらいぞう識藏あずかなな識俱せい聲聞しょうもんけいちょじんほう無我むが。」
    にゅう楞伽けい》:「だいとしわが此義かちかずら夫人ふじん菩薩ぼさつ訶薩ふか智慧者ちえしゃせつ如來にょらいぞうおもねなし耶識きょう七種識生名轉滅相,ためしょ聲聞しょうもん辟支ふつとうしめせほう無我むが。」
  43. ^ 43.0 43.1 大乘だいじょうみつげんけい》:「一切いっさい眾生おもねよりゆき耶識本來ほんらい而有圓滿えんまん清淨せいじょう出過ですぎ於世どう涅槃ねはんたとえ明月めいげつげん國土こくど世間せけん人見ひとみゆう虧盈。而月からだせい嘗增げんぞうまたしかひろしげん一切いっさい眾生かいちゅうせいつねまどかきよしぞうげん智之としゆきじん妄生けいちょわかゆう於此のうせい了知りょうちそくとくうたて差別さべつ。此差別さべつほうとくしゃ甚難。如月きさらぎざいくも中性ちゅうせい恒明つねあききよしぞうまたしか。於轉識境界きょうかい習氣ちゅう而常清淨せいじょう。如河ちゅう有木ありきずいりゅう漂轉。而木與きよ流體りゅうたいしょうかくべつぞうまたしかしょ識習雖常あまり俱不為所しどころざつしょ仁者じんしゃおもねよりゆき耶識つねあずか一切染淨之法而作所依。しょ聖人せいじんげん法樂ほうらくじゅう三昧之境人天等趣。諸佛しょぶつ國土こくど悉以ためいんつねあずかしょじょう而作しゅせいわかのうりょうさとるそく成佛じょうぶつどう。」
  44. ^ ちょ大乘だいじょう莊嚴しょうごん經論きょうろん》:「曰。一切いっさいべつゆえとく清淨せいじょうせつしょ眾生。めいため如來にょらいぞうしゃく曰。此偈顯示けんじ法界ほうかい如來にょらいぞう一切いっさいべつゆえしゃ。一切眾生一切諸佛等無差別。めいため如。とく清淨せいじょうゆえしゃとく清淨せいじょう如以ため自性じしょうめい如來にょらい。以是よしせつ一切いっさい眾生めいため如來にょらいぞう。」
    究竟きゅうきょういちじょうたからせいろん》:「とい曰。うんなんとく一切眾生有如來藏。こたえ曰。ごと一切いっさい眾生かい不離ふり諸佛しょぶつさとし。以彼きよし無垢むくせいたいゆえ一切いっさい諸佛しょぶつ平等びょうどうほうせい一切いっさい眾生。みなゆう如來にょらいぞう。」
    きたたかし佛陀ぶっだおうぎおおわけちょ大乘だいじょうろん》:「如來にょらい於《大乘だいじょうおもね毘曇けいちゅうせつ:『はじめやめらいせい一切いっさいほうしょゆうかれ諸道しょどう。及令とく涅槃ねはん。』」《究竟きゅうきょういちじょうたからせいろん》:「けいちゅうごと:『はじめらいせいさく諸法しょほうとめせいゆう諸道しょどう。及證涅槃ねはんはて。』此偈あかりなんはじめ世界せかいせいしゃ。如經せつげん諸佛しょぶつ如來にょらい如來にょらいぞうせつしょ眾生はじめほんきわ不可ふか得知とくちところげんせいもの。如聖しゃかちかずらけいごと世尊せそん如來にょらいせつ如來にょらいぞうしゃ法界ほうかいぞう出世間しゅっせけんほうぞう出世間しゅっせけん上上じょうじょうぞう自性じしょう清淨せいじょうほうぞう自性じしょう清淨せいじょう如來にょらいぞうさく諸法しょほうとめしゃ。如聖しゃかちかずらけいごと世尊せそん如來にょらいぞう住持じゅうじ建立こんりゅう世尊せそん不離ふり不離ふりさとし不斷ふだんだっ無為むい不思議ふしぎ佛法ぶっぽう世尊せそんまたゆうだんだつことがいはなれはなれさとし有為ゆういほうまたまたもちまた住持じゅうじまた建立こんりゅう如來にょらいぞうせいゆう諸道しょどうしゃ。如聖しゃかちかずらけいごと世尊せそん生死せいししゃ如來にょらいぞう世尊せそんゆう如來にょらいぞうせつ生死せいしめいぜんせつゆえ。及證涅槃ねはんはてしゃ。如聖しゃかちかずらけいごと世尊せそん如來にょらいぞう有生ゆうせい如來にょらいぞうあかし涅槃ねはん世尊せそんわか如來にょらいぞうしゃとくいや苦樂くらくもとめ涅槃ねはんよく涅槃ねはんねがい涅槃ねはんゆえ。」
  45. ^ きたたかし佛陀ぶっだおうぎおおわけちょ大乘だいじょうろん》:「《大乘だいじょうおもね毘曇修多羅すたらゆう:『一切いっさい諸法しょほう如是にょぜかれしょ識。迭互さくはてごと一切いっさい及因ごと。』」
    ひねあさ真諦しんたいわけちょ大乘だいじょうろん》:「如《大乘だいじょうおもね達磨だるませつ:『諸法しょほう識藏。識於ほうまたなんじ。此互為いんまたつね互為はて。』」
    ずいあさ達磨だるまきゅうおおわけおや大乘だいじょうろんしゃくろん》:「ろん曰。……如《おもね達磨だるま修多羅すたらせつ:『諸法しょほう識住。識依ほうまたなんじかくかく互為いんまたつね互為はて。』」
    からあさげんわけちょ大乘だいじょうろんほん》:「如《おもね達磨だるま大乘だいじょうけいちゅうせつとぎ曰:『諸法しょほう識藏。識於ほうまたなんじさら互為はてせいまたつねためいんせい。』」
  46. ^ ちょ大乘だいじょうろん》:「うんなんおうえんなりじつ自性じしょうおうせんせつよん清淨せいじょうほう何等なんらめいためよん清淨せいじょうほういちしゃ自性じしょう清淨せいじょういい真如しんにょそら實際じっさいそう勝義まさよし法界ほうかいしゃはなれあか清淨せいじょういいそく此離一切いっさいさわあか三者さんしゃとく此道清淨せいじょういい一切菩提分法波羅蜜多等。よんしゃせい此境清淨せいじょういいしょ大乘だいじょうみょう正法しょうぼうきょうよし此法きょう清淨せいじょう緣故えんこあまねけいところ自性じしょうさいきよし法界ほうかいとうりゅうせいゆえおこり自性じしょう如是にょぜ四法總攝一切清淨法。」おや大乘だいじょうろんしゃく》:「自性じしょう清淨せいじょうしゃいい此自せい本來ほんらい清淨せいじょうそく真如しんにょ自性じしょうじつゆう一切いっさい有情うじょう平等びょうどうどもしょうゆかりゆう此故。せつ一切いっさいほうゆう如來にょらいぞう。」
  47. ^ えんはかかいふかみつけい》:「《なり唯識ゆいしきろん護法ごほうしゃくうん:以能もち諸法しょほう種子しゅし。及能いろしょまたのう結生ゆき相續そうぞくせつ此識めいおもね陀那。」
  48. ^ げんなり唯識ゆいしきろん》:「また不動ふどう已上いじょう菩薩ぼさつ。一切煩惱永不行故。ほう駛流ちゅうにん運轉うんてんのう諸行しょぎょう中起なかおこし諸行しょぎょうゆえ。剎那剎那てん增進ぞうしん。此位かためい退すさ菩薩ぼさつしか此菩薩雖だんつきじゅく識中煩惱ぼんのう種子しゅし。而緣此識我見がけんあいとうふくぞうため內我。よし斯永捨阿よりゆき耶名。せつなりおもねよりゆき耶識。此亦せつかれめい阿羅漢あらかん。……七地已前猶有俱生我見愛等。ぞう此識ため內我。如何いかやめ捨阿よりゆき耶名。わかかれ分別ふんべつ我見がけんあいとうふくぞうせつめいため捨。のりあずかりゅうとうしょゆう學位がくいまたおうやめ捨阿よりゆき耶名。もと便びんたがえがいもろろん所說しょせつ。」
  49. ^ 窺基なり唯識ゆいしき論述ろんじゅつ》:「此即《如來にょらい功德くどく莊嚴しょうごんけい》頌也。」
    えんはかかいふかみつけい》:「また真諦しんたいうん:『おもね反照はんしょう自體じたい』。きょう憑。ふくたがえ如來にょらい功德くどく莊嚴しょうごんけい》。かれうん:『如來にょらい無垢むく識。きよしかい解脫げだつ一切いっさいさわえんかがみさとし相應そうおう。』じゅんけい可知かち無垢むく識者しきしゃそくきよしぶんだいはち識也。また決定けっていぞうろんそく瑜伽ゆが》。かれろんほんきゅう識品也。」
  50. ^ げんわけ佛說ぶっせつふつけい》:「みょうせい當知とうちゆう五種法攝大覺地。何等なんらため所謂いわゆる清淨せいじょう法界ほうかい大圓だいえんかがみさとし平等びょうどうせいさとしみょうかん察智。なり所作しょささとしみょうせい當知とうち清淨せいじょう法界ほうかいものたとえ虛空こくう。雖遍諸色しょしき種種相しゅじゅそうちゅう。而不可ふかせつゆう種種相しゅじゅそうからだただ一味いちみ如是にょぜ如來にょらい清淨せいじょう法界ほうかい。雖復へんいたり種種相しゅじゅそうるいところとも境界きょうかい。而不可ふかせつゆう種種相しゅじゅそうからだただ一味いちみ。……ふくみょうせい大圓だいえんきょう智者ちしゃ。如依えんきょう眾像かげげん如是にょぜとめ如來にょらいさとしきょう諸處しょしょさかい識眾ぞうかげげんただ以圓きょうためたとえ喻者。當知とうちえんきょう如來にょらいさとしきょう平等びょうどう平等びょうどう故智こちきょうめいえんかがみさとし。……また如圓きょうごくぜんすり瑩。鑒淨無垢むく光明こうみょう遍照へんじょう如是にょぜ如來にょらい大圓だいえんかがみさとし。於佛さとしじょう一切煩惱所知障あかなが出離しゅつりごくぜんすり瑩為とめじょうところ鑒淨無垢むくさくしょ生利しょうりらく事故じこ光明こうみょう遍照へんじょう。……」
  51. ^ 大乘だいじょうおこりしんろん. ゆかり释, じつまたなんこぼし译. [2023-05-30]. (原始げんし内容ないようそん于2023-05-30). しん生滅しょうめつもんしゃいい如來にょらいぞうゆう生滅しょうめつこころてん生滅しょうめつあずか生滅しょうめつ和合わごういちことめいおもねよりゆき耶識。 
  52. ^ げんわけおやちょ唯識ゆいしきじゅうろん》:「安立あだち大乘だいじょう三界さんがい唯識ゆいしき,以契けいせつ三界さんがい唯心ゆいしんこころ(citta)、(manas)、識(vijñāna)、りょう(vijñapti),めい差別さべつ。」
    真諦しんたいわけおや大乘だいじょう唯識ゆいしきろん》:「於大おだいじょう中立ちゅうりつ三界さんがいただ有識ゆうしき,如經ごと佛子ぶっし三界さんがいしゃただ有心うしんこころ、識等そうめい。」
    瞿曇般若はんにゃりゅうささえわけおや唯識ゆいしきろん》:「如大乘だいじょうけいちゅうせつ三界さんがい唯心ゆいしん。……如じゅうけいせつ:『三界さんがい虛妄きょもうただしいちしんさくゆえ。』こころあずか識及りょうべつとう如是にょぜよんほういちめいこと。……ごと:『唯識ゆいしき境界きょうかいゆえ。』」
    ばとわけじゅうじゅうけい》:「またさくねん三界さんがい虛妄きょもうただししんさく如來にょらいせつ所有しょゆうじゅう因緣いんねんぶんみなこころ。」
    菩提ぼだいりゅうささえわけおやじゅう經論きょうろん》:「けい曰:『菩薩ぼさつさくねん三界さんがい虛妄きょもうただしいちしんさく。』ろん曰:ただしいちしん作者さくしゃ一切いっさい三界さんがい唯心ゆいしんてんゆえ。……けい曰:『如來にょらい所說しょせつじゅう因緣いんねんぶんみな一心いっしん。』」
    よしきよしわけ護法ごほうなり唯識ゆいしき寶生ほうしょうろん》:「ゆかり其先もとこころ、識、りょうめい差別さべつよし同體どうたいごとめい俱陳,以異めい,而宣其義。そく此『ただりょうげん眾共もとよくれいかいきょうごえさらひねあまりごうふくさらあらわあずかけい相違そういじゅうせつ、識二ごえきょうかれたいべつそく其果。わかほしようあきらたがえけいしゃしんりょうこえどういちあきらたがえきょうしゃくさまたげやめしゅうなに須更せつあずか識耶。……」
    窺基唯識ゆいしきじゅう論述ろんじゅつ》:「梵云:毘若そこ(此云識)呾喇(此云ただ)憑始迦(此云じゅう)おご薩咀(此云ろん),じゅん此方こちらげんめい唯識ゆいしきじゅうろんただしゃどくただし簡別識者しきしゃりょうべつかいべんただゆう內心,心外しんがいさかいたて唯識ゆいしきめい。」
    しん、識、及了べつ,此之よんめい,其體ことただしめい差別さべつこころせきしゅう思量しりょう。識,りょうべつりょう,識いたるおうげんりょうべつ,此中げんりゃくただしせつりょうげん。」
  53. ^ 53.0 53.1 瞿曇般若はんにゃりゅうささえわけおや唯識ゆいしきろん》(いちめいやぶいろこころろん》):「またふくゆう,如大乘だいじょうけいちゅうせつ三界さんがい唯心ゆいしん』。ただしんしゃただしゆう內心色香いろか等外とうがいしょ境界きょうかい。此云なん,如《じゅうけいせつ:『三界虛妄但是一心作』こころあずか識及りょうべつとう如是にょぜよんほういちめいこと。此依相應そうおうしんせつ相應そうおうしんせつこころゆうしゅ何等なんらためいちしゃ相應そうおうしんしゃ不相應ふそうおうしん相應そうおうしんしゃ所謂いわゆる一切煩惱結使受想行等諸心相應,以是げんこころあずか識及りょうべつとういちめいあやゆえ不相應ふそうおうしんしゃ所謂いわゆる第一義だいいちぎたい常住じょうじゅう不變ふへん自性じしょう清淨せいじょうしんげん『三界虛妄但是一心作』。ごと:『唯識ゆいしき境界きょうかい。」
    真諦しんたい大乘だいじょう唯識ゆいしきろん·じょ》:「《唯識ゆいしきろんげん:『唯識ゆいしきしゃあきらただしゆう內心,色香いろか等外とうがいしょ境界きょうかい。』なに以得,如人ゆうはだかげ,妄見犍闥ばばじょうとう種種しゅじゅ諸色しょしきじつぜん境界きょうかいただし虛妄きょもうゆう如是にょぜしょ眾生等外とうがいしょ境界きょうかいげん唯識ゆいしきわかしかただしおうげんやぶいろおうげんやぶこころ。此亦ゆうしんゆうしゅいちしゃ相應そうおうしんしゃ不相應ふそうおうしん相應そうおうしんしゃいい無常むじょう妄識虛妄きょもう分別ふんべつあずか煩惱ぼんのうゆい使相應そうおうめい相應そうおうしん不相應ふそうおうしんしゃ所謂いわゆる常住じょうじゅう第一義だいいちぎたい古今ここんいちそう自性じしょう清淨せいじょうしんこんげんやぶこころものただやぶ妄識煩惱ぼんのう相應そうおうしん不破ふわふつせい清淨せいじょうしんとくげんやぶこころ也。」
    真諦しんたいわけりゅういつきじゅうはち空論くうろん》:「といわかなんじすんで自性じしょう不淨ふじょうまたおうゆう自性じしょうきよしうんなんふんばん法界ほうかいきよし不淨ふじょうこたえおもねこれ自性じしょう清淨せいじょうしんただしためきゃくちりしょ污故めい不淨ふじょうためきゃくちりつきたてためきよし。」「あきら唯識ゆいしき真實しんじつべん一切諸法唯有淨識。有能ゆうのううたぐまたところうたぐこうしゃく如《唯識ゆいしきろん》。ただし唯識ゆいしきゆうりょういちしゃ方便ほうべんいいさきかんただゆうおもねなし耶識境界きょうかいげんとくさかいさとしりょうそらじょ妄識やめつきめいため方便ほうべん唯識ゆいしき也。明正めいせいかん唯識ゆいしきとろけ生死せいし虛妄きょもう識心,及以境界きょうかいいちみなきよしつきただゆうおもね清淨せいじょうしん也。」
  54. ^ にゅう楞伽けい》:「如來にょらいぞうぜん不善ふぜんいんのう與六よろくみちさく生死せいし因緣いんねんたとえ如伎種種しゅじゅ伎。眾生如來にょらいぞう。」
  55. ^ しるしじゅん唯識ゆいしきがくさがせげん自序じじょ:「ざい印度いんど大乘だいじょう佛教ぶっきょうてきひらきてんちゅう唯心ゆいしんろんゆう真心まごころあずか妄心大流おおりゅうでんいた中國ちゅうごくらいそくゆうろんろん唯識ゆいしきさん。此兩大流おおりゅう真心まごころしたがえ印度いんど東方とうほうみなみてきだい眾分べつせつけい發展はってん而來;妄心したがえ印度いんど西方せいほうきたてきせつ一切いっさいゆうけいちゅう出來できざい長期ちょうきてき離合りごう發展はってんちゅう彼此ひしせきわたるとく很深;しかりょう大體だいたいけいてき不同ふどう到底とうてい存在そんざい大體だいたいてきせつ:妄心じゅう於論てん,如無ちょ親等しんとうてき著作ちょさくじゅう思辨しべんじゅう分析ぶんせきじゅう事相じそうじゅう認識にんしきろん;以虛妄きょもうこころためしみきよしてきしょ清淨せいじょうほう附屬ふぞくてき真心まごころじゅう經典きょうてん編集へんしゅうため經典きょうてんてき體裁ていさいじゅう直覺ちょっかくじゅう綜合そうごうじゅう理性りせいじゅう本體ほんたいろん;,以真つねしんためしみきよしてきしょざつしみがい鑠的。」
  56. ^ えんはかかいふかみつけい》:「真諦しんたい三藏さんぞう決定けっていぞうろん》。だてきゅう識義。如《きゅう識品》せつげんきゅう識者しきしゃとうろく識。大同だいどう識論。だいななおもね陀那。此云だいはちためわがしょただはん惱障。而無ほうてい成佛じょうぶつだい八阿梨耶識。ゆうさんしゅいちかいせいなし耶。ゆう成佛じょうぶつ果報かほうなし耶。えんじゅうはちかいちゅうあたり分別ふんべつうんちりわが及識。ほん識生かれかれろんとうせつだいはち識緣じゅうはちかい。三染汙阿梨耶。えん真如しんにょさかいおこりよんしゅそしそくほう。而非じんあんとしむねさく如是にょぜせつだいきゅうおもね。此云無垢むく識。真如しんにょためたい。於一真如しんにょゆう其二そのじいち所緣しょえんさかいめい為真ためざに如及實際じっさいとうのうえんめい無垢むく識。まためいもとさとし如《きゅう識章》。引《決定けっていぞうろんきゅう識品ちゅうせつ。」
    真諦しんたいわけうたて識論》(したがえそうろんだし):「ほん識亦なんじあいさかい差別さべつただしよし事故じこ其有也。就此識中。具有ぐゆうはちたねこといい止處とめどひとし如《きゅう識義ひんせつ。」《瑜伽ゆがろん·こじぶん》:「よしはちしゅしょうあかしおもねよりゆき耶識決定けっていゆういいわかはなれおもねよりゆき耶識。とめ受不おう道理どうり最初さいしょ生起せいきおう道理どうり有明ありあけりょうせいおう道理どうりゆう種子しゅしせいおう道理どうりぎょうよう差別さべつおう道理どうり差別さべつおう道理どうりところ無心むしんていおう道理どうりいのちおわり識不おう道理どうり。」
  57. ^ 大乘だいじょうおもむき六波羅蜜ろくはらみつけいまき10〈般若はんにゃ波羅蜜はらみつしな〉: 「如來にょらい無垢むく識,えいだんしょ習氣,清淨せいじょうさとし圓明えんめいけんひじりしょおもむき。 」 (CBETA, T08, no. 261, p. 912, a19-20)
  58. ^ 真諦しんたいわけあらわ識論》(したがえそうろんだし):「ふつ於《かいぶしけいちゅうせつごと:『あらわ識起分別ふんべつ分別ふんべつおこり熏习熏习おこりあらわ識。生死せいし輪轉りんてん。』しょげん熏习もの,一執著分別性,かん真實しんじつせい,以此ゆえめい熏习だいいち熏习もの增長ぞうちょうおもねなし耶識,おもねなし耶識增長ぞうちょう具足ぐそくしょのう能生のう六道受生諸識,以是よし生死せいし圓滿えんまんだい熏习ものめいかん真實しんじつせい,此熏习のうじょしる分別ふんべつせいだいいち熏习損壞そんかいおもねなし耶識またそんおもねなし耶識すんでそん,受生識亦そん,以阿なし耶識能生のう三界さんがいゆかりそんとく三界さんがいてんうたてしゅ,如《めつ差別さべつしょうちゅう解說かいせつ。」
  59. ^ 真諦しんたいわけうたて識論》(したがえそうろんだし):「おこり種種しゅじゅ分別ふんべつとうしゃ,一一識中皆具能所,のう分別ふんべつそく識,しょ分別ふんべつそくさかいのうそくせいしょそく分別ふんべつせいうんおこり種種しゅじゅ分別ふんべつ及所分別ふんべつ也。よし如此よしはなれ識之がいべつさかいただしただ有識ゆうしき義成よしなりすんで未明みめい識,惑亂わくらんじょめい不淨ふじょうひん也。といさかいざい識,乃可しょう唯識ゆいしきすんでさかい識俱遣,なに識可なりこたえたて唯識ゆいしき乃一往遣さかいとめしんそつおわりためろん境為さかためよくそらしん其正さかい識俱泯,其義なり。此さかい識俱泯そくせいせいそくこれおもねまたそつおわりためろん識也。」
  60. ^ 菩提ぼだいりゅうささえわけふかみつ解脫げだつけい》:「真如しんにょゆうななしゅ何等なんらためなな所謂いわゆるはじめ有為ゆういぎょうしょう真如しんにょしょう真如しんにょ所謂いわゆるわがそらほうそら唯識ゆいしき真如しんにょ有為ゆういぎょうおもんみこれこころしる真如しんにょ所謂いわゆるわがせつたいよこしまぎょう真如しんにょ所謂いわゆるわがせつしゅうたい清淨せいじょう真如しんにょ所謂いわゆるせつめつたいせい修行しゅぎょう真如しんにょ所謂いわゆるわがせつどうたい。」
    真諦しんたいわけりゅういつきじゅうはち空論くうろん》「《かいぶしけいあきら佛說ぶっせつゆうななしゅ真如しんにょ一生いっしょうそうさん識、よんとめよこしまぎょうろく清淨せいじょうなな正行まさゆき。……さん真如しんにょものいい一切いっさい有為ゆういただ有識ゆうしき。……さん真如しんにょものただしただ有識ゆうしきゆう境界きょうかい境界きょうかいなり,識亦なり。此則のうえん所緣しょえんどう不可ふかとくせいめい識真如也。……」
    げんわけかいふかみつけい》:「如是にょぜ一切いっさい如所有性ゆうせいしゃいいそく一切染淨法中所有真如,めい此中如所有しょゆうせい。此復ななしゅいちしゃ流轉るてん真如しんにょいい一切いっさいぎょう先後せんごせいしゃしょう真如しんにょいい一切法補特伽羅,無我むがせい及法無我むがせいさんしゃりょうべつ真如しんにょいい一切行唯是識性;よんしゃ安立あんりゅう真如しんにょいいわが所說しょせつしょひじりたいしゃよこしまぎょう真如しんにょいいわが所說しょせつしょしゅうひじりたいろくしゃ清淨せいじょう真如しんにょいいわが所說しょせつしょめつひじりたいななしゃ正行まさゆき真如しんにょいいわが所說しょせつ諸道しょどうひじりたい。」
    真諦しんたいわけさん無性むしょうろん》(したがえそうろんだし):「真諦しんたいしゃいいななしゅ如如:一生いっしょうそうさん識、よんとめよこしまぎょうろく清淨せいじょうなな正行まさゆき。……さん識如如ものいい一切諸行但唯是識。此識しょう如如:いちたおせ變異へんいたおせしゃいいじゅう二入等一切諸法但唯是識,はなれらん識外べつあまりほう一切いっさい諸法しょほうみなため識攝。此義決定けっていたたえたおせたおせ如如,たおせ如如あい如如也。變異へんいしゃあきら此亂識,そく分別ふんべつほかちり識所あらわよし分別ふんべつせいひさしせいまたゆう,此二所有しょゆうそくこれおもねただゆう此識どく變異へんいしょう如如。ぜんしょう如如,ただしじゅういれ小乘しょうじょうしょべん一切いっさい諸法しょほうただじゅういれ顛倒てんとうこん大乘だいじょうやぶしょいれなみみなただらん識所さくじゅういれそくため顛倒てんとう唯一ゆいいつらん識則顛倒てんとうしょう如如。此識たいなお變異へんい以分べつほか此亂識,ただおもね識是顛倒てんとう變異へんい真如しんにょ如也。まえ唯識ゆいしきよしちゅうまたおうさく此識せつさき以唯いちらん識,於外さかいおもね於亂識故,究竟きゅうきょう唯一ゆいいつきよし也。……」
    げんわけ顯揚けんよう聖教せいきょうろん·なり無性むしょうひん》:「ふく頌曰。せんせつわがほうようみなめいため世俗せぞく當知とうち勝義まさよしたいいいななしゅ真如しんにょろん曰。俗諦ぞくたいしゃ當知とうちせんせつわがほう作用さようやめ。如攝きよしひんちゅうせつ勝義まさよしたいしゃいいななしゅ真如しんにょやめ如攝ごとひんちゅうせつ。」
    なみ頗蜜わけ大乘だいじょう莊嚴しょうごん經論きょうろん》:「曰。やめせつ心性しんせいきよし。而為きゃくちりしみ不離ふりこころ真如しんにょべつ有心うしんせいきよししゃく曰。たとえ如水にょすいせいきよし而為きゃくあかしょにご如是にょぜ心性しんせい自淨じじょう而為きゃくちりしょしみ。此義やめなりよしよし不離ふりしん真如しんにょべつゆうしんいいそうせつため自性じしょう清淨せいじょう。此中おうせつこころ真如しんにょ為心いしんそくせつ此心ため自性じしょう清淨せいじょう。此心そくおもね。」
  61. ^ 真諦しんたいわけ決定けっていぞうろん》:「あずか煩惱ぼんのう俱滅もの如是にょぜおもね耶識而是一切いっさい煩惱ぼんのう根本こんぽんおさむぜんほう此識そくめつげんおさむぜんしゃしょ凡夫ぼんぷじんおこりぜん思惟しい,而取しょ識以ため境界きょうかい進行しんこう安心あんしんはつかんしょたいわかあかし四諦得眼智明慧,のりのう破壞はかいおもね耶識,未見みけん四諦したいそく不能ふのうやぶなん能見のうみおもね耶識,如是にょぜ進行しんこうわかもろ聲聞しょうもんにゅう退すさまたしょ菩薩ぼさつにゅう退すさとく通達つうたつ法界ほうかいそくのうとく,於此識中そく一切いっさいしょ煩惱ぼんのう聚,於內於外そくおのれため煩惱ぼんのうばく,於內而為三界麁惡煩惱諸苦所縛。一切行種煩惱攝者,聚在おもね耶識ちゅうとく真如しんにょさかいさとしぞうじょうぎょうゆえ修習しゅうしゅうぎょうゆえだんおもね耶識そくてん凡夫ぼんぷせい,捨凡夫ぼんぷほうおもね耶識ほろび,此識ほろび一切いっさい煩惱ぼんのうほろびおもね耶識たいしょうおもねおもね耶識無常むじょうゆうほうおもねつねほうとく真如しんにょさかいどうしょうおもねおもね耶識ため麁惡はてこれしょつい逐;おもねゆう一切いっさい麁惡はておもね耶識而是一切いっさい煩惱ぼんのう根本こんぽん不為ふためひじりどう而作根本こんぽんおもねまたふく不為ふため煩惱ぼんのう根本こんぽんただしためせいみち得道とくどうとくさく根本こんぽんおもねさくせいみちいん不作ふさくせいいんおもね耶識於善とく自在じざいおもね耶識めつゆう相貌そうぼういい來世らいせ煩惱ぼんのう不善ふぜんいんほろび,以因ほろびのり來世らいせ五盛陰苦不復得生,げん在世ざいせいちゅう一切煩惱惡因滅故,のり凡夫ぼんぷかげほろび,此身自在じざいそく便びん如化,捨離一切いっさい麁惡果報かほうとくおもねこれいん緣故えんこ,此身壽命じゅみょう便びんとく自在じざい壽命じゅみょう因緣いんねんのうめつ於身,またのうだんいのちつきめつあまり一切いっさいしょ受皆とく清淨せいじょう乃至ないし如經こうせつ一切いっさい煩惱ぼんのうしょうにゅう通達つうたつぶんおさむぜん思惟しいしょうおもね故知こちおもね耶識あずか煩惱ぼんのう俱滅,如是にょぜ分別ふんべつ真實しんじつ解釋かいしゃくしん意識いしきよし解釋かいしゃくしん意識いしき,於三界中得知一切煩惱之法,しょ清淨せいじょうほう。」
    げんわけ瑜伽ゆがろん·ぎまぶん》:「うんなん建立こんりゅうおもねよりゆき耶識ざつしみかえめつそういい略說りゃくせつおもねよりゆき耶識一切いっさいざつしみ根本こんぽん。……ふく此雜しみ根本こんぽんおもねよりゆき耶識,おさむぜんほうふるかたとくてんめつ。此修ぜんほうわかしょことせい,以緣うたてためさかい作意さくい方便ほうべんじゅうしんのうにゅう最初さいしょひじりたいげんかん未見みけんたいしゃ於諸たいちゅうとく法眼ほうげん便びんのう通達つうたつ一切種子阿賴耶識。此未見みけんたいしゃおさむ如是にょぜぎょうやめあるいれ聲聞しょうもんせいせいはなれせいあるいれ菩薩ぼさつせいせいはなれせいたち一切いっさいほう法界ほうかいやめまたのう通達つうたつおもねよりゆき耶識。とう於爾のうそう觀察かんさつ所有しょゆう一切いっさいざつしみまたのう了知りょうち自身じしん外為がいためしょうばくしょばく,內為麁重ばくしょばくふくおさむかん行者ぎょうじゃ,以阿よりゆき耶識一切戲論所攝諸行界故,りゃくかれ諸行しょぎょう,於阿よりゆき耶識ちゅうそうためいちだんいちせきいち聚,ためいち聚已。由緣ゆえん真如しんにょさかいさとし修習しゅうしゅう修習しゅうしゅう,而得うたてうたてあいだとうげんやめだんおもねよりゆき耶識,ゆかり此斷とうげんやめだん一切いっさいざつしみ當知とうちうたてよし相違そういのうながたいおもねよりゆき耶識。またおもねよりゆき耶識からだ無常むじょうゆう受性;うたてつね受性,えん真如しんにょさかいきよし道方みちかたのううたてまたおもねよりゆき耶識つねため一切いっさい麁重しょずいうたて究竟くっきょうとおはなれ一切いっさい所有しょゆう麁重。またおもねよりゆき耶識煩惱ぼんのうてんいんひじりみちてんいんうたて煩惱ぼんのうてんいんひじりみちてんいんおうただし建立こんりゅういんせいなまいんせいまたおもねよりゆき耶識れい於善きよし記法きほうちゅうとく自在じざいうたてれい於一切善淨無記法中得大自在。またおもねよりゆき耶識斷滅だんめつ相者そうしゃいいよし此識せい斷滅だんめつ種取たねとり,其身雖住なお變化へんか所以ゆえんしゃなに當來とうらいゆういんだん便びん當來とうらいゆう;於現ほうちゅう一切煩惱因永斷故,便びん捨現ほう一切雜染所依之取。一切麁重永遠離故,ただゆういのちえん暫時ざんじとくじゅうゆかりゆう此故,ちぎりけいちゅうげんなんじただし受身うけみさい受、いのちさい受,こうせつ乃至ないしそく於現ほういち切所せっしょ究竟きゅうきょう滅盡めつじん如是にょぜ建立こんりゅうざつしみ根本こんぽんおもむきにゅう通達つうたつ修習しゅうしゅう作意さくい建立こんりゅううたて當知とうち建立こんりゅうおもねよりゆき耶識ざつしみかえ滅相めっそう。」
    かいふかみつけい》:「ふつつげ曼殊まんしゅしつ菩薩ぼさつ曰:善男ぜんなん! わか於諸波羅蜜はらみつぜんおさむ出離しゅつりうたてなり滿まんめい如來にょらいほうこれしょう。」
  62. ^ えんはかかいふかみつけい》:「だいから三藏さんぞう楞伽とう護法ごほうむねただりつはちせつだいきゅうやぶしんべんうんところりつりょうちゅう便びんゆうきょう相違そういしつ。《楞伽とうけいみなせつだい八阿賴耶故。」
  63. ^ 瑜伽ゆがろん·こじぶん》:「おもねよりゆき耶識一切いっさいざつしみ根本こんぽん所以ゆえんしゃなによし此識有情うじょう世間せけん生起せいき根本こんぽん能生のう諸根もろねしょしょ及轉識等ゆえまた世間せけん生起せいき根本こんぽんよしのう生起せいき世間せけんゆえまた有情うじょう互起根本こんぽん。一切有情相望互為增上緣故。所以ゆえんしゃなにゆう有情うじょうあずか有情うじょう互相とうなま苦樂くらくとうさらしょう受用じゅようよし道理どうり當知とうち有情うじょうかい互為ぞうじょうえんまたそく此阿よりゆき耶識。のう一切いっさいほう種子しゅしゆえ。於現在世ざいせいたいたいまた未來みらいたいなまいんまた現在げんざいしゅうたいなまいん如是にょぜ能生のう有情うじょう世間せけんゆえ能生のう世間せけんゆえたいからだゆえ能生のう未來みらいたい能生のう現在げんざいしゅうたい當知とうちおもねよりゆき耶識一切いっさいざつしみ根本こんぽん。」
  64. ^ 瑜伽ゆがろん·こじぶん》:「ふくおもねよりゆき耶識しょじゅん解脫げだつぶん、及順けつぶんとうぜんほう種子しゅし。此非しゅうたいいんよしじゅん解脫げだつぶんとう善根ぜんこんあずか流轉るてん相違そういところあまり世間せけん所有しょゆう善根ぜんこんよし此生てんさら明盛めいせいよし此因えんかれしょ受自るい種子しゅしてん有功ゆうこうのううたてゆう勢力せいりょく增長ぞうちょう種子しゅしそくとく成立せいりつふくよし種子しゅしかれしょぜんほうてん明盛めいせいせいまたふくのうかん當來とうらいてんぞうてんしょう可愛かわいらくしょじゅくはてふく此一切種子阿賴耶識故。うすとぎ梵說。ゆう眼界がんかいしょくかい眼識がんしきかい乃至ないし有意ゆういかい法界ほうかい意識いしきかいよし於阿よりゆき耶識中有ちゅうう種種しゅじゅかいゆえまた如經せつあくまた聚喻。よし於阿よりゆき耶識中有ちゅううかいゆえ。」
  65. ^ 大智たいちろんまき12:「とい曰:うんなん不可ふかとくこたえ曰:如上じょじょう我聞がもんいちちゅうやめせつこんとうさらせつ佛說ぶっせつろく識:識及眼識がんしき相應そうおうほうきょうえんしょく不緣ふえん屋舍おくしゃ城郭じょうかく種種しゅじゅしょみみはなした識,また如是にょぜ意識いしき意識いしき相應そうおうほうしょく眼識がんしき乃至ないしほう意識いしき識所えんほうみなそら無我むが生滅しょうめつ自在じざい無為むいほうちゅうまたけい苦樂くらく受故。ちゅうわかつよし有我ありがほうおうとうゆうだいなな識識わが;而今なんじ,以是故知こち無我むが。」
  66. ^ しんべん大乘だいじょうてのひらちんろん》:「ゆかり此聖きょうおう真如しんにょただ一切いっさい分別ふんべつながめつじつ有性ゆうせいはなれゆうせい真如しんにょうたて為相ためすけほう成就じょうじゅよしとくかんそらしんたいどう。一切分別遍計所執種子所依じゅくなか分別ふんべつとうしゅあまりながだん因緣いんねんゆえ畢竟ひっきょうせい本性ほんしょうせい本性ほんしょう常住じょうじゅうめい如來にょらいうたてほう。」
    てのひらちんろん》:「よんよし此聖きょうしゃくけいあきらはなれしょう文中ぶんちゅうまたよんいちよし此聖きょうおう涅槃ねはん真如しんにょただ一切いっさい分別ふんべつながめつ無法むほうじつ有性ゆうせいはなれはんかいあらわ涅槃ねはん無性むしょういいはなれゆうせい真如しんにょうたて為相ためすけほう成就じょうじゅ。此言ほうそく涅槃ねはん也。三由みよしとくじゅんかいあらわほう無性むしょうよしとくかんそらしんたい道者どうしゃそく無分別むふんべつさとし假說かせつ為真ためざにたいどう一切いっさい分別ふんべつ出所しゅっしょ畢竟ひっきょう無性むしょう假說かせつためうたてほう。如文かい。」
  67. ^ えんはかかいふかみつけい》:「諸聲もろごえ聞藏きくぞうただしせつろく識。而無ななはち如諸きょういま大乘だいじょうゆうりょうしゃくいちりゅうたけしひとしただしせつろく識。ゆえしんべん菩薩ぼさつしょづくり。《ちゅうかんしんろんにゅう甘露かんろひんうんはなれろく識外。べつおもねよりゆき耶識。とう六識所不攝故。なお如空はな故知こちかれそうゆいたてろく識。彌勒みろくむね金光かねみつあきらとうりつはち識。しか此宗。西方せいほうしょゆう其三せつ。……」
  68. ^ にゅうちゅうろん》〈だいろく菩提心ぼだいしん現前げんぜん〉:「よしぎょう以自せいほろび無賴ぶらい耶亦能生のうゆうぎょう雖滅經久つねひさ當知とうちなお能生のうはて。」
  69. ^ 瑜伽ゆがろんうん:「おもねよりゆき耶識乃一切戲論所成諸行界…………」
    かちかずら獅子吼ししくけいほうあきらうん:「世尊せそん如是にょぜ如來にょらいほう不離ふり煩惱ぼんのうぞうめい如來にょらいぞう。」

まいり[编辑]