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どう

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重定しげさだこうせいせいはなれせい

どう梵語ぼんごdarśana-mārga),またたたえたいどうたい佛教ぶっきょう術語じゅつごため修行しゅぎょう位階いかいこれいちよしせつ一切いっさいゆう提出ていしゅつ以無さとしらい觀察かんさつ四聖しせいたいこれいたてき成果せいか經由けいゆ修行しゅぎょうじゅんけつぶん而成。どう修道しゅうどうあずか無學むがくどうため進入しんにゅう涅槃ねはんてきさん位階いかいどうこれ,就進入しんにゅう修道しゅうどう相當そうとうよんこうよんはてちゅうしたがえ須陀洹はていたり阿羅漢あらかんこう阿羅漢あらかんはてそく學位がくい瑜伽ゆがぎょうそく以資糧道りょうどう行道ぎょうどうどう修道しゅうどうあずか無學むがく道合みちあいしょう

概論がいろん[编辑]

どうてき方法ほうほうげんかん四聖しせいたい[1]だん見所みどころだん[2]ずいねむ煩惱ぼんのう[3]根據こんきょ修行しゅぎょうしゃ本身ほんみてき狀況じょうきょう可分かぶんためずい信行のぶゆき梵文ぼんぶん:śraddhānusārin)あずかずいほうぎょう梵文ぼんぶん:dharmānusārin)しゃ[4]はなれ凡夫ぼんぷいれせいせい決定けってい」(梵語ぼんご:samyaktva-niyata、samyaktva-niyāma;ともえとし:sammatta-niyata、sammatta-niyāma)[5]あるしょういれせいせいはなれせい」(梵語ぼんご:samyaktva-niyāma[6]ともえとし:sammatta-niyāma)[7]なおとく須陀洹果。わかとく須陀洹而中間なかま不死ふし,必得須陀洹果[8]どうようだんじょてき煩惱ぼんのう,也稱ため

各派かくは見解けんかい[编辑]

おもね含經ゆうじゅうななけんきよし[9]道則みちのりだつはなれ凡夫ぼんぷ而入けんきよし[10]

せつ一切いっさいゆう[编辑]

せつ一切いっさいゆうだい毗婆すなろん》,はたひとぶんため凡夫ぼんぷ對應たいおうよん沙門しゃもんはててきなな聖者せいじゃ[11]凡夫ぼんぷゆうさんしゅ善根ぜんこんじゅん福分ふくぶんじゅん解脫げだつぶんじゅんけつぶん[12]じゅんけつぶん中有ちゅううよんほう:煖(梵語ぼんご:ūṣman)、いただき梵語ぼんご:mūrdhan)、にん梵語ぼんご:kṣānti)、だい一法いっぽう梵語ぼんご:laukikā agra-dharma),ゆう關學かんがくせつはつさとしろんさい重要じゅうようてき理論りろん貢獻こうけんいち[13]

したがえだい一法いっぽういれほうさとししのべ,就名ためいれせいせいはなれせい」,はちさとしはちにんてきじゅうろく心中しんちゅうのぜんじゅう五心為見道位,特稱とくしょうどうじゅうしん,而第じゅうろくしんぞく修道しゅうどうまたゆう異說いせつじゅうろくしんみなどう[14]たい於次だいあかししゃ而言,「どう」就是あずかりゅうむかい,而預りゅうはていちらいむこうはてかえこうはて阿羅漢あらかんむこう,這ろくかいしょうため修道しゅうどう」。どうあずか修道しゅうどうぞく於有學位がくい最後さいご阿羅漢あらかんはてぞく於無學位がくい

たい凡夫ぼんぷくらい超越ちょうえつしょうしゃ而言,以世俗せぞく道修どしょうゆうこれろくぎょうかん[15]やめだんじょおさむ惑之一部いちぶ份,ずい其斷惑程度ていど[16]於第じゅう六心證得預流果、一來果或不還果之一。修道しゅうどうのりゆび以上いじょうはて乃至ないし阿羅漢あらかんむこうあいだ階段かいだん

かんでん佛教ぶっきょう傳統でんとうはんきょう理論りろんそうゆい一切いっさいゆう學說がくせつざい其七聖位之前立七賢位,ためあいしょうさんけん」(そと凡位)てきとましんかんべつしょうねんじゅうそうあいねんじゅう,及合しょうよんゆきくらい」(內凡てき煖法とうよん善根ぜんこん;也稱ななゆきそく進入しんにゅうひじりまえてきゆき[17]

せつ一切有部以四念處是初業地,四正勤是煖位,四如意足是頂位,五根ごこんにん,五力是世第一法,八正道是見道位,七覺支是修道位。

犢子[编辑]

ことむねろん》记载犢子そうよし:「そくしのべ梵語ぼんご:nāma)、そう梵語ぼんご:nimitta)、だい一法いっぽう[18]めいのうおもむきにゅうせいせいはなれせい[19]わかやめにゅうせいせいはなれせいじゅう二心頃說名行向[20]だいじゅうさんしんせつめいじゅうはて[21]。」。

犢子せつだい一法いっぽう而入どうたてじゅうしんどうせつそく四諦したいかくゆうさんしんまい一諦皆具有法智、ほうしのべるいさとしさんしん,於じゅう二心為預流向。だいじゅうさんしんじゅうはてあるせつ此為どうるいさとしだいねん相續そうぞくしんあるせつためそうかん四諦したいしんしたがえ進入しんにゅうあずかりゅうはてだいじゅうさんしん以後いごため修道しゅうどう」。

ばばやぶばつてき四諦したいろん引用いんよう犢子しのべそうだい一法いっぽうこれせつ並稱へいしょうよんねんしょかん發行はっこう」。「發行はっこうこれけつりょう」,其中よんせいつとむめいにんよん如意にょいあしめい五根ごこんしょうりょくめいだい一法いっぽう,此よんつうぞくけつりょう」,ざいどうまえはちひじりどうためみちななさとしぶんおさむみち[22]

けいりょう[编辑]

けいりょうなりろんみとめためはちさとしはちにんてきじゅうろくしんめい得道とくどう[23]たてめつさんしん得道とくどうせつ[24]

けいりょうろんむろとし邏多上座かみざたてきよしていにんはちしんどう[25]出入でいり於說一切いっさいゆう,及大眾、分別ふんべつせつなり一說いっせつ[26]

だい眾部及分べつ論者ろんしゃ[编辑]

相對そうたい於說一切有部等所立「ややげんかん」,だい眾部分別ふんべつろんしゃだてひたすらげんかん」。だい部立ぶだて「以一剎那げんかんさとし[27]へん四諦したい諸相しょそう差別さべつ[28]」,だて「於四聖諦一時現觀[29]たい能見のうみしょたい[30]ようやめしゃのう如是にょぜ[31]」,赤銅しゃくどう鍱部だていち剎那いちさとしぶん四諦したい[32]」。

だい眾部みとめためだいはち地中ちちゅうまた久住ひさずみ[33],其住あずかりゅうむかいてき時間じかんちょう於說一切いっさいゆう所說しょせつじゅうしんせつ一切いっさいゆう學說がくせつざいどう,「だい一法いっぽうただ一念いちねん現前げんぜん」而入「せいせいはなれせい」,だい眾部分別ふんべつろんしゃぼう舍利しゃりどるおもね毘曇ろんとうざいどうまえだて相似そうじ相續そうぞくこれだい一法いっぽうためたねせいほう[34]みなみでん上座かみざ清淨せいじょうどうろんざい緊鄰どうぜんだて種姓すじょうさとし[35]

窺基按「げんかんさとしたいげんかんひたぶるだん見所みどころだん煩惱ぼんのう[36]らい解釋かいしゃくだい眾部てきひたすらげんなみはた其與緊隨其後てきげんかんさとしたいげんかん」,ごうたたえよんしんかん[37]

みなみでん上座かみざ[编辑]

みなみでん上座かみざ清淨せいじょうどうろん》,だてなな清淨せいじょうこれせつそく清淨せいじょうしん清淨せいじょう清淨せいじょううたぐ清淨せいじょうみち非道ひどう清淨せいじょう行道ぎょうどうさとし清淨せいじょうさとし清淨せいじょう

ざい談論だんろんじょう學的がくてきしん清淨せいじょう」,蒐羅りょうじゅうへんしょえいKasinaじゅう不淨ふじょうじゅうずいねんえいAnussatiよん無量むりょうこころしょくいやそうさかい分別ふんべつよん無色むしょくじょうえいArūpajhānaいちどもよんじゅうしゅごうしょ。此階段かいだん相當そうとう於說一切いっさいゆうてきさんけんちゅう最初さいしょてきとましんかん[38]

したがえ清淨せいじょういたさとし清淨せいじょう」,さとしおん尊者そんじゃぶんためじゅうろくかんさとしともえとしVipassanā-ñāṇa),とう到達とうたつえつだいじゅういちさとしくだり捨智」てき階段かいだん,以滅為所しどころえん一旦いったんみちさとし生起せいき,就能於同いち剎那げんかん四諦したい進入しんにゅうさとし清淨せいじょうてき位階いかい[38]

清淨せいじょうどうろんみとめためざい行道ぎょうどうさとし清淨せいじょうぜんぞく於「せい」,而見どう修道しゅうどうざいさとし清淨せいじょう」;而有だんいたなな清淨せいじょうてききたでんろんてん(如《なりろん》、《瑜伽ゆがろん》)のりみとめため清淨せいじょうあずかこころ清淨せいじょう於「せい」、清淨せいじょううたぐ清淨せいじょうあずかみち非道ひどう清淨せいじょうどう」,而行どうさとし清淨せいじょう和智わち清淨せいじょうそくため修道しゅうどう[39][40]

學術がくじゅつ研究けんきゅう[编辑]

しるし順法じゅんぽうみとめためせつ一切いっさいゆうけいしょせつたいようしたがえたい開始かいし所以ゆえん得道とくどう」;だい眾部及上座かみざけい分別ふんべつせつ各派かくはせつ一心いっしんどうぞく於「めつ得道とくどう」,あずか大乘だいじょう佛教ぶっきょうてきせいほうにん血脈けちみゃくしょうどおり[41]

大智たいちろん記載きさい聲聞しょうもんせいよんゆき[42]菩薩ぼさつゆうどもじゅう[43]ざい基礎きそじょうしるしじゅん法師ほうしたたえたいだい眾分べつせつけい乃至ないし赤銅しゃくどう鍱部,「せいせいはなれせいどうまえてきほうじゅう[44]意義いぎ相近すけちかじゅう地中ちちゅうてきせい[45]類似るいじ聲聞しょうもん四加行中的頂位,ほうじゅうしゃ未見みけんどう,卻已けいちょうこしりょう凡夫ぼんぷ[46]

註釋ちゅうしゃくあずか引用いんよう[编辑]

  1. ^ ざつおもね含經·よんさん五經ごきょう》:「ふつつげ長者ちょうじゃ:此四ひじりたい漸次ぜんじあいだ[ひとし],とみあいだとうabhi-samecca)。ふつつげ長者ちょうじゃわかゆうせつげん,於苦ひじりたい無間むげんとう,而於かれしゅうひじりたいめつひじりたいめつどうあとひじりたいあいだとうしゃ,此說おう所以ゆえんしゃなにわか於苦ひじりたい無間むげんとう,而欲於苦しゅうひじりたいめつひじりたいめつどうあとひじりたいあいだとうしゃゆうしょ。」
    だかもんろん》:「梵行もとめしゃしたがえだい一法いっぽうおもむきほうさとしにんゆう梵行もとめゆう梵行,所以ゆえんしゃなにはちささえせいみちせつめい梵行;かれ於爾未得みとくきんゆう現有げんゆうしたがえほうさとししのべおもむきほうさとしゆう梵行もとめまたゆう梵行,……かれ於爾やめやめきんやめゆうやめ現有げんゆう如是にょぜしたがえほうさとしおもむきるいさとしにんしたがえるいさとししのべおもむきるいさとししたがえるいさとしおもむきしゅうほうさとしにんしたがえしゅうほうさとししのべおもむきしゅうほうさとししたがえしゅうほうさとしおもむきしゅうるいさとしにんしたがえしゅうるいさとししのべおもむきしゅうるいさとししたがえしゅうるいさとしおもむき滅法めっぽうさとしにんしたがえ滅法めっぽうさとししのべおもむき滅法めっぽうさとししたがえ滅法めっぽうさとしおもむきめつるいさとしにんしたがえめつるいさとししのべおもむきめつるいさとししたがえめつるいさとしおもむきどうほうさとしにん從道つぐみちほうさとししのべおもむきどうほうさとし從道つぐみちほうさとしおもむきどうるいさとしにん從道つぐみちるいさとししのべおもむきどうるいさとし從道つぐみちるいさとしおもむきどうるいさとしあるおもむきしょあまりさとしゆう梵行もとめまたゆう梵行。……」
    だい毘婆すなろん》:「いいあるゆうせつ:於四聖諦一時現觀,如分別ふんべつろんしゃといかれ何故なぜさくせつこたえかれちぎりけい,如世尊せそんせつ:『わか於苦たいゆう疑惑ぎわく,於集、ほろびみちたいまたゆう疑惑ぎわく。』すんで四諦したいひたすら疑惑ぎわく故知こちげんかんていとみややためさえぎかれあらわげんかん,於四ひじりたいじょうややとみわかなんじしゃ便びんたがえちぎりけい,如契けいせつ:『きゅう孤獨こどく長者ちょうじゃまいふつしょいただきれいふつあしはくふつごと世尊せそんしょ瑜伽ゆが,於四ひじりたいためひたすらげんかんためややげんかんふつつげ居士こじしょ瑜伽ゆが,於四ひじりたいじょうややげん,如漸とうじょうよん桄梯ほう。』」
  2. ^ しなるいろん》:「うんなにしょだんいいわかしょずいしんずいほうぎょうげんかんにんしょだん;此復うんなにいいしょだんじゅうはちずいねむり相應そうおうしょうんなにしゅうしょだんいいわかしょずいしんじずいほうぎょうしゅうげんかんあたりにんしょだん;此復うんなにいいしゅうしょだんじゅうきゅうずいねむり相應そうおうしょうんなにめつしょだんいいわかしょずいしんじずいほうぎょうほろびげんかんにんしょだん;此復うんなにいいめつしょだんじゅうきゅうずいねむり相應そうおうしょうんなにどうしょだんいいわかしょずいしんじずいほうぎょうみちげんかんにんしょだん;此復うんなにいいどうしょだんじゅうずいねむり相應そうおうしょうんなんおさむしょだんいいわかしょがくおさむしょだん;此復うんなにいいおさむしょだんじゅうずいねむり相應そうおうしょ,及不しみ污有しょ。」
    眾事ぶんおもね毘曇ろん》:「うんなにだんわかいれずい信行のぶゆきずいほう行人こうじんあいだにんとうだん。」
    だい毘婆すなろん》:「とい何故なぜめい見所みどころだん何故なぜめいおさむしょだん耶?不離ふりおさむおさむ不離ふり如何いか建立こんりゅうしょだんめいこたえ:雖見道中どうちゅうまたゆう如實にょじつおさむとく修道しゅうどうちゅうまたゆう如實にょじつとく;而見しゃとしおさむしゃ放逸ほういつ如實にょじつしゃぞう廣義こうぎあるもう道中どうちゅうとし放逸ほういつしょう修道しゅうどうちゅう放逸ほういつとししょう。……ふくわか以隨しんじずいほうぎょう道斷どうだんしゃめい見所みどころだんわか以信しょうほどけいたりしょう道斷どうだんしゃめいおさむしょだんふくわか以初ひたぶるおこりどう而斷しゃめい見所みどころだんわか以後いごすうおこりどう而斷,めいおさむしょだん。……」
    げんかんものいいどう;此忍ちかかれめいため。」「うんなんため乃至ないしこうせつとい何故なぜさく此論?こたえためとめ他宗たしゅう顯正けんしょうゆえ。……あるふくゆうせつげんかんしのべまたさとしせい,如たとえ喻者かれさくせつさとしはつ墮境せつめいためしのべこう安住あんじゅうさかいせつめいためさとし;如涉しゃ,於平坦へいたんしょはつねんとめいき後便こうびん安住あんじゅう大德だいとくまたせつしたさとしめいしのべ上智じょうちめいさとしためさえぎかれあらわしのべさとし。……ふく、此智蘊中,おう分別ふんべつさとしとしさん自性じしょう差別さべつさく斯論。」
  3. ^ しなるいろん》:「此九じゅうはちずいねむりいく見所みどころだんいくおさむしょだんこたえはちじゅうはち見所みどころだんじゅうおさむしょだん。」
    迦多衍尼はつさとしろん》:「きゅうじゅうはちずいねむなかじゅうはち見所みどころだんじゅうおさむしょだんわかことせいだんおさむしょだん世尊せそん弟子でしだん見所みどころだん。」
    だい毘婆すなろん》:「きゅうじゅうはちずいねむなかじゅうはち見所みどころだんいいゆういただきまえよんじゅうおさむしょだんいい三界さんがいおさむしょだんわかことせいだんおさむしょだん世尊せそん弟子でしだん見所みどころだんいい下八しもはっまえよんといわかじゅうはち見所みどころだんじゅうおさむしょだんあまり不定ふていしゃ,《しなるいあしろん何故なぜせつきゅうじゅうはちずいねむなかはちじゅうはち見所みどころだんじゅうおさむしょだん』耶?こたえ:此文りょうよしかれぶんりょう。……」
    たとえ喻者さく如是にょぜせつなま不能ふのうだんしょ煩惱ぼんのう大德だいとくさとしてんせつ曰:なまゆうだんずいねむりよしただしのうふくまといわかさくせつ,於理そんといかれ何故なぜさく此執?こたえちぎりけいいいちぎりけいせつ:『わか以聖としほうだんしゃめいだん。』しょことせいやめゆうひじりとしのうだん。……ためさえぎかれあらわしょことせい,以世俗せぞくどうまたのうだんゆい。」「聖者せいじゃどう現在げんざいまえだん見所みどころだんわか修道しゅうどう現在げんざいまえだんおさむしょだんせい修道しゅうどう現在げんざいまえそうだん,以諸ことせい不能ふのう分別ふんべつ差別さべつただのうそうだん。」
  4. ^ 迦多衍尼はつさとしろん》:「また世尊せそんせつ:『大目おおめいぬいれんそこすな梵天ぼんてんせつだい六無相住者耶?』うんなんめいだい六無相住者耶?こたえずい信行のぶゆきずいほうぎょうめいためだいろくあいじゅうしゃ所以ゆえんしゃなに,此二そう不可ふか安立あだち不可ふか施設しせつざい此在かれわかほうさとししのべわかほうさとしこうせつ乃至ないしわかみちるいさとししのべ,以此しょう不可ふか安立あだち不可ふか施設しせつざい此在かれだいろくあいじゅうしゃ。」
    だい毘婆すなろん》:「というんなんとくずいしんじほうぎょうめいためだいろくそうじゅうしゃこたえ一切いっさい聖者せいじゃ總有そうゆうななしゅそこすな梵天ぼんてんやめせつしゅせつずいしんじずいほう行者ぎょうじゃ此二合為第六無相住者。」
    うんなにずい信行のぶゆきとく伽羅きゃらいいゆう一類いちるい本來ほんらい稟性ひんせいしんじあいおんらく隨順ずいじゅんかちかいこう思量しりょう觀察かんさつ、簡擇。ゆかりかれ稟性ひんせいしんとう,……漸次ぜんじ引起だい一法いっぽうつぎふく引生ほうさとししのべしたがえ此見どうじゅう剎那,一切いっさいみなめいずい信行のぶゆきしゃ。此隨信行のぶゆきとく伽羅きゃらあるあずかりゅうむこうあるいちらいむかいあるかえこういい
    • わかばくある乃至ないしだんひんゆいやめにゅうせいせいはなれせいかれ於見どうじゅうしんごろめいあずかりゅうむこう
    • わかだんろくひんある乃至ないしだんはちひんゆいやめにゅうせいせいはなれせいかれ於見どうじゅうしんごろめいいちらいむこう
    • わかはなれよくしみある乃至ないしはなれ所有しょゆうしょしみやめにゅうせいせいはなれせいかれ於見どうじゅうしんごろめいかえこう
    うんなにずいほうぎょうとく伽羅きゃらいいゆう一類いちるい本來ほんらい稟性ひんせいおもえ多量たりょう觀察かんさつ簡擇,こう信愛しんあいおもえらく隨順ずいじゅん、及與しょうほどけゆかりかれ稟性ひんせいおもえひとしゆえ,……しょあまりこうせつ,如隨信行のぶゆき。」
  5. ^ おもね毘曇毘婆すなろん》:「とくせい決定けっていしゃどう是也これやとい曰:一切いっさいひじりどう是正ぜせい決定けってい何故なぜどくしょうどう是也これやこたえ曰:あるゆうせつしゃしょ煩惱ぼんのうれい眾生,善根ぜんこんじゅくあいじゅん增長ぞうちょうしみちょ不離ふりかれたいどうのうれい眾生,善根ぜんこん成熟せいじゅくいぬい竭愛すいはなれしょしみちょ不作ふさくくつがえさわ為所しどころ壞,ざつあまりこころどうめいせい決定けっていあるゆうせつしゃ:眾生じゅくにゅう於聖どうどうめいせい決定けっていふくゆうせつしゃ:拔煩惱根,にゅう於聖どうどうめいせい決定けっていふくゆうせつしゃ:捨五人種じんしゅいれはちにんせいどうめいせい決定けっていあるゆうせつしゃ扶持ふちちょうやしなえめいせい決定けっていなお如牛いん於水そうちょうようせいいのち一切いっさい聖人せいじんいん於見どうちょうようとしいのちどうめいせい決定けっていあるゆうせつしゃ:此法かいばくながさら繫,どうめいせい決定けっていあるゆうせつしゃせい必定ひつじょう決定けっていゆう決定けってい而非ただし所謂いわゆるよこしまじょう必定ひつじょうめいせい決定けっていあるゆうせつしゃ相應そうおう如法にょほうよし決定けっていどう相應そうおう如法にょほうめいせい決定けってい。」
    だい毘婆すなろん》:「有餘ゆうよせつ:此文おうごといれせいせい決定けってい』,所以ゆえんしゃなにいい:於此したがえ不定ふてい聚出,いれただしてい聚故。ふく行者ぎょうじゃなんじ,捨邪てい聚所せいせいいれただしてい聚所どうめいためにゅうせいせい決定けっていふく行者ぎょうじゃなんじ,捨五どうぶんいれはちどうぶんどうぶんしゃいいしょなま所有しょゆうどうぶんかれのうづくりあいだはちどうぶんしゃいいしょ聖者せいじゃ所有しょゆうどうぶんかれのうとくよんこうはてゆえかれ於爾,捨邪じょうぶんにゅうせいじょうぶん名入ないりせいせい決定けっていふくところにゅうどうよこしまてい聚,めいせいせい不定ふてい聚,めい決定けってい。……
    尊者そんじゃともさく如是にょぜせつゆう誦名いれせいせいはなれせい』,いいしょひじりどうながめつ顛倒てんとうめいせいせい離隔りかくせいふくめいはなれせいいいはじめらいおさむしょだん二分にぶん煩惱ぼんのうてんてん和合わごうさくしょ惡事あくじせいごうつよゆえせつめいためせいどうおこりやめだんかれいちふんれいかれてんうたてえい乖離かいりだい一法いっぽうためいちふんとうあいだ緣故えんこめいためいれゆう誦名いれせいせい決定けってい』,いいどう相續そうぞく,必無あまりへだためい決定けっていこうしか如前せつ。」
  6. ^ だい毘婆すなろん》:「有作ゆうさくごと:……以此『あまよるこえまたあらわにん。……たとえ喻部さく如是にょぜせつ:……以『よるこえまたあらわ『繫』;『あまいいさえぎとめまたあらわはなれ。……こえろんしゃげん:……以『よるこえまたあらわ『往』;『あまいいさえぎとめまたあらわ。……」
  7. ^ だい毘婆すなろん》:「のういれせいせいはなれせいしゃいい:此心、しんしょほうのういれどうとい一切いっさいひじりどうみな是正ぜせいせいまたはなれせい何故なぜ此中どくせつどうこたえ一切いっさい煩惱ぼんのうあるしょむさぼあいれいしょ善根ぜんこんとく成熟せいじゅく,及令しょゆうじゅんあいおこり,雖皆めいせい;而見しょだん,於此所說しょせつせいぞうじょうどうのうため畢竟ひっきょうたいどうどくせつはなれせいしょ不正ふせいようよしどうのう畢竟ひっきょうだんめいせいせいだい一法いっぽう間引まびきおこりせつのうにゅうせいせいはなれせいふく一切いっさい煩惱ぼんのうあるしょむさぼあい,……みなめいためせいどうおこりやめ,摧彼勢力せいりょくれいふくためぞう上生わぶゆかり此見どうどくめいはなれせい。……ゆかり此義尊者そんじゃ妙音みょうおんさく如是にょぜせつしょ有情うじょうるい善根ぜんこん成熟せいじゅくのういれどうどうめいためはなれせいふく見所みどころだん惑,れいしょ有情うじょう墮諸惡趣あくしゅ,受諸げき,……此惑せつめいためせいどうのうほろびめいはなれせい。……ふくゆうとうつよしきょうなんふく,……せつめいせいどうのうほろびめいはなれせい。……ふく、此中生名いきなあらわせいせいのうおこり暴惡ぼうあくしょ惑業どう捨彼せつはなれせい。……ふくおさむしょだんしょ煩惱ぼんのう聚,てんてんしょうすけ,引無きゅうせいどうおこりやめ,摧彼勢力せいりょくれい不能ふのう招無きゅうせいどうどくいいはなれせい。……ふく生身なまみちゅう煩惱ぼんのう惡業あくごうごく不調ふちょうじゅんせつためせいしょ瑜伽ゆが,於此淪沒;どう拔彼,おけひじりちゅうめいはなれせい。……ふく見所みどころだん惑,なお如根栽,なま無窮むきゅうどうなが拔故,めいはなれせい。」
  8. ^ ざつおもね含·61けい》:「世尊せそんつげしょ比丘びくゆう受陰。……比丘びくわか於此ほう智慧ちえ思惟しい觀察かんさつ分別ふんべつしのべめいずい信行のぶゆきちょうのぼりはなれせいえつ凡夫ぼんぷとく須陀洹果,中間なかま不死ふし,必得須陀洹果。比丘びくわか於此ほうぞうじょう智慧ちえ思惟しい觀察かんさつしのべめいずいほうぎょうちょうのぼりはなれせいえつ凡夫ぼんぷとく須陀洹果,中間なかま不死ふし,必得須陀洹果。」
    ざつおもね含·892けい》:「世尊せそんつげしょ比丘びくゆうろくにゅうしょ。……於此ろくほう觀察かんさつにんめい為信ためのぶぎょうちょうのぼりはなれせいはなれ凡夫ぼんぷとく須陀洹果,乃至ないしいのちおわりようとく須陀洹果。わか此諸ほうぞうじょう觀察かんさつしのべめいためほうぎょうちょうのぼりはなれせいはなれ凡夫ぼんぷとく須陀洹果,乃至ないしいのちおわりようとく須陀洹果。」
  9. ^ ちゅうおもね含經·だいひん·福田ふくだけい》:「世尊せそんつげ曰:居士こじちゅう凡有しゅ福田ふくだじんうんなんためいちしゃがくじんしゃ無學むがくじんがくじんゆうじゅうはち無學むがくじんゆうきゅう居士こじうんなんじゅうはちがくじん信行のぶゆきほうぎょうしん解脫げだついたしょう家家いえいえ一種いっしゅこう須陀洹,とく須陀洹,こう斯陀含、とく斯陀含,こうおもね含、おもね含;ちゅう涅槃ねはんなま涅槃ねはんくだり涅槃ねはんくだり涅槃ねはん上流じょうりゅうしょく究竟くっきょういいじゅうはちがくじん居士こじうんなんきゅう無學むがくじんおもえほう昇進しょうしんほう不動ふどうほう退すさほう退すさほう護法ごほうまもるのり退すさまもるのり退すさじつじゅうほうとし解脫げだつ,俱解脫げだついいきゅう無學むがくじん。」
    ざつおもね含經·はちさんけい》:「
    • 何等なんらためぞうじょう戒?比丘びく滿足まんぞくしょうじょうしょうとし,於彼かれぶん細微さいび戒,乃至ないし受持うけもちがく戒。如是にょぜ如是にょぜだんさんゆいむさぼ、恚、うすとくいち種子しゅしみちわかかれひつじとうさとししゃとく斯陀含かれひつじとうさとししゃめい家家いえいえかれひつじとうさとししゃとく須陀洹かれひつじとうさとししゃとくずいほうぎょうかれひつじとうさとししゃとくずい信行のぶゆきめいぞうじょう戒學。
    • 何等なんらためぞう上意じょういがく比丘びく滿足まんぞくてい滿足まんぞくしょう於慧,於彼かれぶん細微さいび戒,乃至ないし受持うけもちがく戒。如是にょぜ如是にょぜだん下分しもぶんゆいいい、戒取、うたぐ貪欲どんよく瞋恚しんにだん此五下分しもぶんゆいとくちゅう涅槃ねはん;於彼ひつじとうさとししゃとくなま涅槃ねはん;於彼ひつじとうさとししゃとくくだり涅槃ねはん;於彼ひつじとうさとししゃとくゆうぎょう涅槃ねはん;於彼ひつじとうさとししゃとく上流じょうりゅう涅槃ねはんめいぞう上意じょういがく
    • 何等なんらためぞうじょうとしがく比丘びくがく滿足まんぞくてい滿足まんぞくとし滿足まんぞく如是にょぜ如是にょぜよくゆうしん解脫げだつゆうゆうこころ解脫げだつ無明むみょうこころ解脫げだつ解脫げだつ知見ちけん:『わがなまやめつき,梵行りつ所作しょさやめさく受後ゆう。』めいぞうじょうとしがく。」
    ざつおもね含經·きゅうさんろくけい》:「ふつつげ訶男:……
    • 訶男!せい弟子でし,於佛,一向いっこうきよししん,於法、そう一向いっこうきよししんじ,於法,さとしさとし決定けっていさとしはち解脫げだつ具足ぐそくさくしょう;以智慧ちえゆうだん如是にょぜせい弟子でしおもむき地獄じごく畜生ちくしょう餓鬼がき惡趣あくしゅせつ阿羅漢あらかん解脫げだつふく訶男!せい弟子でし一向いっこう於佛清淨せいじょうしんじ乃至ないし決定けってい智慧ちえとくはち解脫げだつさくしょう具足ぐそくじゅうしかかれ知見ちけんゆうだんめいせい弟子でし惡趣あくしゅ乃至ないしとし解脫げだつ
    • ふく,……はち解脫げだつさくしょう具足ぐそくじゅう;而不ゆうだんめいせい弟子でし惡趣あくしゅ乃至ないししょうふく,……とくはち解脫げだつさくしょう具足ぐそくじゅうしか於正ほうりつ如實にょじつ知見ちけんめいせい弟子でし惡趣あくしゅ乃至ないしいたふく,……於正ほうりつ如實にょじつ知見ちけんとくいためいせい弟子でし惡趣あくしゅ乃至ないししん解脫げだつ
    • ふく訶男!せい弟子でししん於佛,言說げんせつ清淨せいじょうしんほうしんそう言說げんせつ清淨せいじょう;於ほうぞうじょう智慧ちえしんたい堪忍かんにんいいしんじ精進しょうじんねんじょうとしめいせい弟子でし惡趣あくしゅ乃至ないしずいほうぎょうふく,……乃至ないしほうしょうとし,……;めいせい弟子でし惡趣あくしゅ乃至ないしずい信行のぶゆき。」
  10. ^ ざつおもね含經·ろくけい》:「わか比丘びく,於此五根ごこんわかわか滿足まんぞくとく阿羅漢あらかんわか軟、わかれつとくおもねわか軟、わかれつとく斯陀含わか軟、わかれつとく須陀洹滿足まんぞくしゃなり滿足まんぞくごと不滿足ふまんぞくしゃなり不滿足ふまんぞくごと;於此五根ごこん不空ふくうはてわか於此五根ごこん一切いっさいしゃせつかれため外道げどう凡夫ぼんぷこれすう。」
    ざつおもね含經·ろくさんけい》:「わか比丘びく,於彼五根ごこんぞううえ明利あきとし滿足まんぞくしゃとく阿羅漢あらかん俱分解脫げだつわか軟、わかれつしゃとくしょう。於彼わか軟、わかれつとくいた。於彼わか軟、わかれつとくしん解脫げだつ。於彼わか軟、わかれつとく一種いっしゅ。於彼わか軟、わかれつとく斯陀含。於彼わか軟、わかれつとく家家いえいえ。於彼わか軟、わかれつとくななゆう。於彼わか軟、わかれつとくほうぎょう。於彼わか軟、わかれつとく信行のぶゆき。……如是にょぜ滿足まんぞくしゃさく滿足まんぞくごと減少げんしょうしゃさく減少げんしょうごとかれ諸根もろねのり不空ふくうはてわか此諸しゃせつかれためさく凡夫ぼんぷかず。」
    ぞういちおもね含經·九眾生居品·ななけい》:「こんゆうきゅうしゅこれにんはなれ苦患くげんうんなんためきゅう所謂いわゆるこう阿羅漢あらかんとく阿羅漢あらかんこうおもね含,とくおもねこう斯陀含,とく斯陀含こう須陀洹,とく須陀洹たねせいひとgotrabhūためきゅう。」
  11. ^ だい毘婆すなろん》:「うんなんずい信行のぶゆきとく伽羅きゃら?……うんなんずいほうぎょうとく伽羅きゃら?……
    うんなに信勝のぶかつかいとく伽羅きゃらいいずい信行のぶゆき得道とくどうるいさとし,捨隨信行のぶゆきとく信勝のぶかつかいといかれ於爾なんしょ捨得?こたえ:捨名とくめい,捨道得道とくどう。捨名しゃ,捨隨信行のぶゆきめいとくめいしゃとく信勝のぶかつかいめい。捨道しゃ,捨見どう得道とくどうしゃとく修道しゅうどう。此信しょうかいとく伽羅きゃらあるあずかりゅうはてあるいちらいこうあるいちらいはてあるかえこうあるかえはてある阿羅漢あらかんむこういい うんなにいたりとく伽羅きゃらいいずいほうぎょう得道とくどうるいさとし,捨隨ほうぎょうとくいたりといかれ於爾なんしょ捨得?こたえ:……捨道しゃ,捨見どう得道とくどうしゃとく修道しゅうどう。此見いたりとく伽羅きゃらあるあずかりゅうはて乃至ないしある阿羅漢あらかんむこう,如信しょうほどけおうせつ其相。
    うんなにしょうとく伽羅きゃらいい信勝のぶかつかいあるいたり,以身しょうはち解脫げだつ以慧つきしょかれ捨信しょうほどけあるいたりとくしょう。……
    うんなにとし解脫げだつとく伽羅きゃらいい信勝のぶかつかいあるいたりただし以慧つきしょ以身しょうはち解脫げだつかれ捨信しょうほどけあるいたりとくとし解脫げだつといかれ於爾なんしょ捨得?こたえ:……捨道しゃ,捨修道しゅうどう得道とくどうしゃとく無學むがくどう
    うんなに解脫げだつとく伽羅きゃらいいとし解脫げだつあるいたりあるしょう,以身しょうはち解脫げだつまた以慧つきしょかれ捨慧解脫げだつあるいたりあるしょうとく解脫げだつ。……捨道しゃ,捨修道しゅうどう得道とくどうしゃとく無學むがくどうわかもろ菩薩ぼさつあかしとく上正かみしょうとう菩提ぼだいかれつきさとし,捨見いたりとく解脫げだつ。……」
    「此中家家いえいえあずかりゅう差別さべつ一間いっけんいちらい差別さべつ家家いえいえゆうしゅいいなまいえ三家みつえべつゆえなまいえしゃいいだん欲界よくかいまえよんひんゆいゆう欲界よくかいゆう種子しゅしなまさんいえしゃいいだん欲界よくかいまえさんひんゆいゆう欲界よくかいさんゆう種子しゅし。……一間いっけんしゃいいだん欲界よくかいまえななひんあるはちひんゆいゆう欲界よくかいいちゆう種子しゅしといかれあるなおゆうひんゆいざい何故なぜせつかれためいちあいだ耶?こたえいちひん煩惱ぼんのうざいめいためいちあいだただし以彼ゆういちゆう種子しゅしめいいちあいだゆえ。」
    ゆうかえいいちゅう涅槃ねはんなま涅槃ねはんゆうぎょう涅槃ねはんくだり涅槃ねはん上流じょうりゅう往色究竟きゅうきょう。」
    阿羅漢あらかんゆうろくしゅいち退すさほうおもえほうさん護法ごほうよん安住あんじゅうほうこらえたちほうろく不動ふどうほう。」
  12. ^ だい毘婆すなろん》:「善根ぜんこんゆうさんしゅいちじゅん福分ふくぶんじゅん解脫げだつぶんさんじゅんけつぶん。」
    しょことせい總有そうゆうしゅいち內、がい不斷ふだん善根ぜんこんせつめいため內;だん善根ぜんこんしゃせつめいためがい。」
  13. ^ だい毘婆すなろん》:「あずかりゅうはてさき廣加ひろか行者ぎょうじゃいいかれさきもとめ解脫げだつはて精勤せいきん修習しゅうしゅうめぐみほどこせきよし戒,不淨ふじょうかんもちいきねんねんじゅう、聞思おさむとし,及煖いただきにんだい一法いっぽう,并見道中どうちゅうじゅうしんごろそく此總めいやすあし堅固けんご。」
    聞所ききどころなりとししゃ,如觀じゅうはちかいきょう相等そうとうおもえしょなりとししゃ,如持いきねんよんねんじゅうとうおさむしょなりとししゃ,如煖、いただきしのべだい一法いっぽうとう。」
  14. ^ だい毘婆すなろん》:「そとくにせつじゅうろくしん剎那,みなどう。」
  15. ^ だい毘婆すなろん》:「とい:以世俗せぞくどうはなれしょしみあいだ解脫げだつゆういくぎょうしょうこたえもろ間道かんどうゆうさんぎょうしょういち、麁行しょう苦行くぎょうしょうさんさわくだりしょうもろ解脫げだつどうゆうさんぎょうしょういちしずゆきしょうみょうぎょうしょうさんはなれゆきしょう。」
    俱舍ろん》:「寂靜じゃくじょうせつめいため麁。ゆかりだい劬勞かたのうこし美妙びみょうせつめいためゆかり麁重のうたがえがい出離しゅつりせつめいためさわよし此,のう礙越,如獄あつかべのうさわ出離しゅつりせいみょうはなれさんこぼし此應しゃく。」
  16. ^ 俱舍ろん》:「どうちゅう聖者せいじゃ有二ゆうじいちずい信行のぶゆきずいほうぎょうよしどんべつりつめいしょ鈍根どんこんめいずい信行のぶゆきしゃしょ利根りこんめいずいほう行者ぎょうじゃ。……そく聖者せいじゃゆかりおさむだんゆうことたてためさんこういいかれひじりわか於先以世道斷どうだんおさむだん惑,めいためばくあるさきやめだん欲界よくかいいちひん乃至ないしひんいたり此位ちゅうめいはつはてむこうおもむきはつはてゆえげんはつはてしゃいいあずかりゅうはて,此於一切いっさい沙門しゃもんはてちゅう,必初ゆえわかさきやめだん欲界よくかいろくひんあるななはちひんいたり此位ちゅうめいだいはてむこうおもむきだいはてゆえだいはてしゃいいいちらいはてへんとくはてちゅう,此第ゆえわかさきやめはなれ欲界よくかいきゅうひんあるさきやめことわはつじょういちひん乃至ないしはなれ所有しょゆうしょいたり此位ちゅうめいだいさんはてむこうおもむきだいさんはてゆえだいさんはてしゃいいかえはてすうじゅんぜんしゃく。」
  17. ^ さとし妙法みょうほう蓮華れんげけいげんよし》:「おもね毘曇有門ありかどあかりななけんななひじりだんふくくらいゆだねざい兩論りょうろんこんりゃく有門ありかどちゅうそうくらいはつあかりななけんあかりななひじりなな賢者けんじゃいちとまこころべつしょうねんしょさんそうあいねんしょよん、煗法,いただきほうろく忍法にんぽうななだい一法いっぽう通稱つうしょう賢者けんじゃとなりせい曰賢,のう以似かい伏見ふしみいんはつしんげんとなりひじりまた天魔てんま外道げどうあい流轉るてん四諦したい,此ななじんあきら四諦したいだいけいうん:『わがむかしあずかなんじとうよん真諦しんたい (云云うんぬん) 。』四諦したいしゃ,識屬あい四諦したい,識屬四諦したいみなのうあきらりょうわかかい四諦したいのり所見しょけん真正しんせいゆう邪曲じゃきょく賢人けんじんしょう也。……ななひじりしゃいちずい信行のぶゆきずいほうぎょうさんしんかいよんしょうろく解脫げだつ羅漢らかんなな不時ふじ解脫げだつ羅漢らかんつうめい聖者せいじゃ正也まさやしのぶあきらはつ,捨凡せいにゅうひじりせい真智まちめい聖人せいじん。」
  18. ^ さん法度はっとろん》:「きんくだりぜんものしのべそうきん思惟しい曰近ぎょうぜんといためちかだれこたえ:如前せつ善勝よしかつとい:如前やめせつよんぜん何故なぜじゅうせつこたえ前說ぜんせつぜんおもむき生死せいししょう,此趣ようかち,此次だいかん真諦しんたい。如人はじめ曠野あらの種種しゅじゅみょうこうはな若干じゃっかんきよしいずみみつる滿みつる,及園かん種種しゅじゅはないつきいむかざりやめさくねん:『此非そら野中のなか,必近じょう邑。』如是にょぜぎょうしゃざい生死せいし曠野あらのいんいか煩勞はんろうとくしん知識ちしき
    • せい思惟しいかんかげさかいいれ無常むじょうそら無我むがわかほしらくいいにん
    • せい思惟しい不動ふどういい
    • 如夢ちゅうおや,如鏡ちゅうぞう如是にょぜかんそう
    これ世間せけんだい一法いっぽうゆかり世尊せそんそういいきんくだりぜんかれ次第しだい,如夢さとしおやせい諦觀ていかんまた如是にょぜ。」
    四阿あずまや鋡暮しょうかい》:「思惟しいやましぎょうかげさかいしょ無常むじょう無我むが所有しょゆうかんわかよくゆうにん(さんにん)ぞう思惟しい不動ふどう,如夢ちゅうらく其形ぞうあいそうぞう世間せけんさいこうほう世尊せそんそう如是にょぜぜんぎょう,其中あいださとしひじりたい。」
    [Buddha-l] Pudgalavada - Vasumitra. [2017-01-06]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 
  19. ^ 異論いろん》:「しのべそうだい一法いっぽう,此よんめいせいじょう。」
    窺基ことむね論述ろんじゅつ》:「そくしのべそうだい一法いっぽうはつかん四諦したいただしそうにんめいにん』。またかん四諦したいめい』。つぎかん四諦したい所詮しょせんからだめいそう』,せいだい一法いっぽう可知かち。此根本所ほんじょ誦,ただしせつ此四,而為善根ぜんこん。」
  20. ^ さん法度はっとろん》:「見地けんちしゃほう未知みちさとしほうさとしかんさとし未知みちさとし,此是見地けんちさとし
    • 於中ほう智者ちしゃげん智義ともよしたとえ如良ようやめじゅく,以利がたなやぶようしかこう以指貫通かんつうどうれいきずみゃく,而後やぶようかれ修行しゅぎょうじんまた如是にょぜせい思惟しいかん欲界よくかいだんしょだん煩惱ぼんのうしか後生ごしょうだいさとし;如欲かい無常むじょうしょく無色むしょくかいまた如是にょぜしたがえ此比さとしだんしょく無色むしょくかい煩惱ぼんのういい三智みち
    • 欲界よくかいあいいんほうさとしそくかんさとし如是にょぜしょく無色むしょくかい未知みちさとし見習みならい三智みち
    • 欲界よくかいめつどめほうさとしそくかんさとし如是にょぜしょく無色むしょくかい未知みちさとしいいつき三智みち
    • 此道めつ欲界よくかいほうさとしそくかんさとし如是にょぜいろ無色むしょくかい未知みちさとしいいどう三智みち
    じゅうさとし見地けんちこう當知とうち。」
  21. ^ 窺基ことむね論述ろんじゅつ》:「わかやめにゅうせいせいはなれせいじゅうしんとうしゃ。此中たいべつゆうさんしんいちほうさとしそくかん欲界よくかいほうにんかん欲界よくかいたい惑,だんだん,以猶ゆうじょうかい惑故,じゅうかんだんとうさんるいさとしそくごうかんしょく無色むしょくかい。以苦たい三界さんがいつきふくじゅうかんごうじゅうしんだいじゅうさんしんあるせつそくどうるいさとしだいねん相續そうぞくしんあるそうかん四諦したいしん次第しだい超越ちょうえつとくはてみななんじ次第しだいだい三果みか,如常。」
  22. ^ ばばやぶばつ四諦したいろん》:「四念處觀是初發行位,そく解脫げだつぶん。四正勤名忍位,四如意足是名位,五根ごこんめいしょうちからめいだい一法いっぽう,此よんつうめいけつりょう。八聖道名見位。七覺分名修位。つきさとしなまさとしめい究竟くっきょうはていんたてためどう。」
  23. ^ なりろん》:「以說滅盡めつじんめい知見ちけんきよし知見ちけんめつめいひじりたいまたさきほうじゅうさとしこうどろ洹智,めつたいめいとくひじりどう。」「またしろ喻經》せつ:『わがわか未知みち老死ろうし老死ろうしせいろう死滅しめつろう死滅しめつどう乃至ないし諸行しょぎょう諸行しょぎょうせい諸行しょぎょうほろび諸行しょぎょうめつどう自說じせつわがとく無上むじょうどうわか如實にょじつ說得せっとくぼとけ。』如是にょぜとうわか得道とくどうしゃのりじゅうろくしんめい得道とくどう。」
  24. ^ しるしじゅん. せつ一切有部為主的論書與論師之研究-だいさんこう なりろんろん略述りゃくじゅつ. [2017-01-07]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 無為むいほうただしたていちめつたい所以ゆえんせつ:「めつたいめいため得道とくどう」,あずかだい眾及分別ふんべつせつしゃしょうどうただしあかし入滅にゅうめつたいてきおさむしょう次第しだい,卻是ややいれてき,如『ろんまき大正たいしょうさんいちちゅうせつ:「假名かめいしんほうしんそらしんめつ此三しんめいめつたい」。……這一げんかん次第しだいしたがえ一時見諦來說,どう於大おだい眾、分別ふんべつせつしゃただし修行しゅぎょう過程かていじつとおるりょうせつ一切有部的漸入。せつ一切いっさいゆうろんむね本立ほんたて假名がなゆうあずかじつほうゆうただし以為どうこれやや四諦したいてき理性りせいざいやめ形成けいせいかりたい事理じり二諦的二重二諦。所以ゆえん本論ほんろんてきじゅうたいあずかせつ一切有部有密切關係,ただ以滅たいだい四諦したい而已。就是ざいたい以前いぜん,也立だんいただきしのべだい一法いっぽうあずかせつ一切有部論宗相同。 
  25. ^ じゅんせい理論りろん》:「此中上座かみざたがええつひゃくせんしょ瑜伽ゆがげんりょうしょうさとし所說しょせつてんてん傳來でんらい,如大王路だいおうじたいげんかんりつべつたてげんかん次第しだいいい瑜伽ゆが,於四諦したいさかいさき世智せち,如理觀察かんさつ引生しのべよくとしみる。此忍增進ぞうしんさく無間むげんえんおやのう引生せいせい決定けってい,引起せいみち光明こうみょうしょうゆえ。此忍現前げんぜん,如後ひじりどう,於四諦したいさかいにんほしらく,簡擇、觀察かんさつ,推度、分明ふんみょう,如隔けいしゃひかりちゅうかんぞう,此位名入ないりせいせい決定けっていこう四諦したい,以妙けつどうさとしめいためあずかりゅう佛說ぶっせつ涅槃ねはんめいためせいせい,此能ていおもむきとく決定けっていめいぜん名入ないりせいせい決定けっていそくのういれめいたいじゅんしのべ,此忍在世ざいせいだいいちまえ。……此復なんことだい一法いっぽうゆかりひじりじょうしのべあずかぜんゆうこといい出世しゅっせ,此名ためせい動搖どうよう,此名ためていよしひじりじょうめいためたいしか此猶めい未得みとくせいみちわかせいみちてんめいあずかりゅう。……わかなんじなにえんめいため聖者せいじゃよし此已とくきよしていにんゆえじゅう此忍ため經久つねひさ如?引聖どう力強ちからづよひさしか緣故えんこゆう暫出,さくあまり事業じぎょうとくはて於中あいだゆういのちおわり。此聖ていにんゆうなんためさわ?雖已現行げんこう,而未だん惑,さとし未滿みまん決定けっていつぎおこりほうさとしめいあずかりゅう初心しょしんなんじ便びんのうひたすらだんさんゆいのうながだんかれきゅうずいかいしたがえ此引せいるいさとしとうげんかんていゆうはちしん。」
  26. ^ しるしじゅん. 上座かみざ──むろとし邏多てきろんよし. [2017-01-03]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 這一げんかん次第しだいさいのう上座かみざてき出入でいり於說一切いっさいゆう,及大眾、分別ふんべつせつ,而進行しんこう協調きょうちょうてき精神せいしんむろとし邏多てきげんかん次第しだい的確てきかく以自なり一部いちぶりょう 
  27. ^ だい毘婆すなろん》:「とい何故なぜ此智めいげんかんabhisamayāntika)?こたえげんかんあたりしゅうあたりめつとく此智めいげんかんあたりゆうせつ:此是しょ瑜伽ゆがかんひじりたいはた修得しゅうとくめいげんかんあたり尊者そんじゃ妙音みょうおんせつ曰:此智きんげんかんめいげんかんあたり,如近むらぶつめい曰村とい:此現かんあたりところおさむ世俗せぞくぜんほうよん蘊、五蘊ごうんため自性じしょう何故なぜただしせつ世俗せぞくさとし耶?こたえ:以智ぞうせつめいためさとし。……ふく、此智,げんかんおさむめいげんかんあたり世俗せぞくさとし。」
    おもね毘曇毘婆すなろん》:「とい曰:何故なぜげん『此智道邊みちべ』耶?こたえ曰:以事故じこいちしたがえ道中どうちゅうしたがえ道後どうごとく行人こうじん道中どうちゅうこと道中どうちゅう』;しゅうほろび最後さいごとくことこうあたり』。……ふくゆうせつしゃ:此智,以見道後どうごめい道邊みちべさとし。」
  28. ^ 異論いろん》:「一心いっしんただしたいかん四聖しせいたい,一智通四聖諦及四聖諦相。」
    窺基ことむね論述ろんじゅつ》:「いい道後どうご更別さらべつおこりさとしいち剎那ごろのう四諦したい諸相しょそう差別さべつ。其見道中どうちゅう,雖亦いち剎那,のう四諦したいしかただしそうりょうのうべつだん惑故,せい分別ふんべつ能取のとろ四諦したい差別さべつこれしょうわかそくせつ『此知差別さべつさとし道者どうしゃ何故なぜめいあたりわか不言ふげんあたりほんむねすえむねふくなんこと?俱真げんかん差別さべつさとし。」
  29. ^ だい毘婆すなろん》:「といわか非我ひがぎょうしょうあずか空行くうぎょうしょう,俱能えん一切いっさいほうしゃ,此ぎょうしょうゆうなん差別さべつこたえ非我ひがくだりしょうたい我見がけんそらくだりしょうたいわが所見しょけん。……ゆうせつかん非我ひが是非ぜひわがくだりしょうかん蘊中無我むが空行くうぎょうしょう;如觀蘊非我ひが,蘊中無我むがかんかいさかいちゅうかんしょしょちゅうおうまたなんじ。」
    窺基ことむね論述ろんじゅつ》:「,於四ひじりたい一時いちじげんかん。此是どうさくどもしょうそら無我むがかんにゅうそら無我むがへんかん四諦したい。」
    ばばやぶばつ四諦したいろん》:「よんそう不同ふどううんなんいち而得なみかんしゃこたえ
    • よしおもえけいちゅうせつ:『修習しゅうしゅう無常むじょうおもえ,拔除一切いっさいむさぼあい。』そう境界きょうかいそくたい一切いっさいむさぼあいそくしゅうたい;拔除,そくめつたい無常むじょうおもえそくどうたい;以是よし,雖四不同ふどう一時いちじとく
    • ふくよしおもえ,如經ごと:『いん無常むじょうとうおもえおもえかげむさぼあい未生みしょうとくせいやめなまのりめつ。』此中かげそくたいむさぼあいそくしゅうたいなま及滅,そくめつたい無常むじょうとうおもえそくどうたい;以是よしいちとく四諦したい
    • ふくよしかんしつ,如經ごと:『かんゆいしょ過失かしつむさぼあいそくめつ。』ゆいしょそくたいむさぼあいそくしゅうたいほろびそくめつたい過失かしつかんそくどうたい;以是よしいちたい
    • ふく一時いちじたいたとえ如火,しゃしょうとうぶつ一時いちじしょうじゅくねつあきらかんしゃまたしかがいなませいかく各自かくじしょうはなれめつあかしおさむどうざいいち
    • ふくたとえ如日,にちしゃいぬいとうぶついいみずたねやみはなかくかく異相いそうじゅくやぶひらけどうざいいちかんたいまたしか
    • ふくたとえ如燈,とうしゃしょうとうぶついい:炷、あぶらやみものかくかく異相いそうやきやぶあきらみないちかんたいまたしか
    • ふくたとえ如船,ふねしゃいたひとし同相どうしょうぶついいかれ、此兩がんものながれいたはなれだんみなざいいちかんたいまたしか。」
  30. ^ だい毘婆すなろん》:「いいあるゆうせつ:於四聖諦一時現觀,如分別ふんべつろんしゃといかれ何故なぜさくせつこたえかれちぎりけい,如世尊せそんせつ:『わか於苦たいゆう疑惑ぎわく,於集、ほろびみちたいまたゆう疑惑ぎわく。』すんで四諦したいひたすら疑惑ぎわく故知こちげんかんていとみやや。」
  31. ^ だい毘婆すなろん》:「といわか四諦したいややげんかんしゃうんなんしゃく通分つうぶんべつ論者ろんしゃしょ引契けいこたえかれしょ引經おうさくせつ:『わか於道たいゆう疑惑ぎわく,於苦、しゅうめつたいまたゆう疑惑ぎわく。』而不さくせつしゃおうゆうべつ意趣いしゅいいかれけいせつやめはてしゃわか於苦たいゆう疑惑ぎわく,於餘さんたいまた疑惑ぎわく,迷四諦したいうたぐみなやめことわ。」
    異論いろん》:「四聖しせいたいいちかん若見わかみたいそく一切いっさいたいやめ曾見しょたい。」
    窺基ことむね論述ろんじゅつ》:「修道しゅうどうわかべつかん四諦したいしょう。於修道中どうちゅうたいのうかんあまりさんたい。如一意識いしきそうえん五蘊ごうんじゅうしゅしょく一時いちじこれちゅうのう差別さべつ。此非どうようやめそうたいしゃぽうのう如是にょぜ修道しゅうどうちゅうのう如是にょぜ。」
  32. ^ 解脱げだつどうろん》:「相似そうじさとしあいだ次第しだいしたがえ一切いっさい諸行しょぎょうしょうおこりさくどろ洹事,なませいじょさとしというんなんめいせいじょこたえじょ凡夫ぼんぷほうめいせいじょ凡夫ぼんぷほうしょじょまたせいじょせいしゃどろ洹。ふくたねふえどろ洹者,めいせいじょ。如阿毘曇所說しょせつじょせいめいせいじょせいまたせいじょふくじょせいいんめいせいじょせいそうめいせいじょ。於泥洹,はつ引路,したがえがいおこりてんとし,此性じょそうかたりごと。……
    せい[じょ]さとしあいだ次第しだいげんげんだんしゅうげんさくしょうほろびげん修道しゅうどう生須いけす陀洹どうさとし,及一切いっさい菩提ぼだいほうかれ坐禪ざぜんじん,於此,以寂さびげんゆう無為むい醍醐だいご戒,於一剎那,以一さとしはつ分別ふんべつ四諦したい,以知分別ふんべつ,以斷しゅう分別ふんべつ,以作めつしょう分別ふんべつ,以修道しゅうどう分別ふんべつ成分せいぶんべつ。……
    如船すい。……如燈共生きょうせい。……如日共生きょうせいはつ,於一剎那,さくよんことれいげんいろじょやみれいめつかんれいおこり光明こうみょう;如令げんいろ如是にょぜさとし分別ふんべつ;如除やみ如是にょぜ分別ふんべつだんしゅう;如令めつかん如是にょぜさくしょう分別ふんべつめつ;如令おこり光明こうみょう如是にょぜ修道しゅうどう分別ふんべつ;如日,如是にょぜひじりさとし。」
  33. ^ 窺基ことむね論述ろんじゅつ》:「したがえ阿羅漢あらかんためだいいちすういたりあずかりゅうこう正當せいとうだいはち。此部せつ:如須たち長者ちょうじゃ一時いちじほどこせしょく供養くようそう,於空中有ちゅううてん曰:此預りゅうむこう,此預りゅうはて乃至ないしこうせつすんでもとはつむかい,受施しょくめし明知めいちまたとくどうかん;雖知いちしんかん四諦したいだん惑未つきまたとくかん;如先かん欲界よくかいよん真諦しんたいだん欲界よくかい惑,而且かん。受須たちほどこせふくいれぽうそうだんじょうあずかりゅうこうまたじゅうおおとき不言ふげんけい生得しょうとくじゅうこうきゅうせつはつはてただしゆう七生しちしょうよりどころ欲界よくかいせつしかうえかい處處ところどころかくゆう一生いっしょう,此向またしかとくけいせいしょう此理,不言ふげんはつこうけいいくなまゆえ。」
  34. ^ 窺基ことむね論述ろんじゅつ》:「せいほうしゃそくだい一法いっぽう,如毗ばばすなだいさんかんせつ。此說:したがえ發心ほっしん乃至ないしだい一法いっぽうみなせつゆう退すさ;以世だい一法いっぽうねん相續そうぞく便びんゆう退すさ退すさはつはて,其亦したがえ退ずさこんめいため退すさいたりはつはてじゅうせい便びんゆう退すさ。」
    舍利しゃりどるおもね毘曇ろん·といぶん·ひとしな》:「うんなにせいひと若人わこうど次第しだいじゅう凡夫ぼんぷかちほうわかほうそくほろび上正かみしょう決定けっていめいせいじん。」
    だい毘婆すなろん》:「煖、いただきしのべだい一法いっぽうかくゆうろくしゅたねせい差別さべついい退すさほうしゅせいおもえほう護法ごほうじゅうほうこらえたち不動ふどうほうしゅせい。……だい一法いっぽうろく種種しゅじゅせい,及さんじょうしゅせいみな不可ふかてんいち剎那ゆえ。」
    於此だい一法いっぽうおこり誹謗ひぼう。……於名おこり誹謗ひぼうしゃいいあるゆうせつ:此名たねせいほうおうめいだい一法いっぽう。」
    「如分別ふんべつろんしゃだい一法いっぽう相續そうぞく現前げんぜんかれせつ相續そうぞく總有そうゆうさんしゅいち相續そうぞくなま相續そうぞくさん相似そうじ相續そうぞくだい一法いっぽう,雖無まえ,而有いちこんほっさえぎかれしょよしあらわだい一法いっぽうただ一念いちねん現前げんぜん。」
  35. ^ 清淨せいじょうどうろん》:「其次種姓すじょうさとし轉入てんにゅう於道しょぞく於行どうさとし清淨せいじょうまたぞく於智清淨せいじょうざい此兩しゃあいだ清淨せいじょう名稱めいしょうしかにゅう此觀ながれしょうためかん。……とき,一切相及轉起之所緣為障礙而現起時,ゆう隨順ずいじゅんさとしかれ瑜伽ゆがしゃ,其習ぎょうこれ,以無しょうてんおこりはなれ有為ゆういぎょう涅槃ねはん為所しどころえん超越ちょうえつ凡夫ぼんぷ種姓すじょう凡夫ぼんぷ名稱めいしょう凡夫ぼんぷ進入しんにゅう聖者せいじゃ種姓すじょう聖者せいじゃ名稱めいしょう聖者せいじゃ——たい涅槃ねはん所緣しょえんぎょう最初さいしょ轉入てんにゅう最初さいしょ念慮ねんりょ最初さいしょ專念せんねん——たい於道完成かんせいあいだひとしあいだ、習行、おやゆうはなれこれろくしゅえん狀態じょうたいたち頂點ちょうてんためかん最高さいこう——轉入てんにゅう生起せいき種姓すじょうさとし」。」
  36. ^ 瑜伽ゆがろん·本地ほんじぶん》:「おさむろくしゅげんかんおう何等なんらためろくいいおもえげんしんじげん,戒現かんげんかんさとしたいげんげんかんさとしたいげん究竟きゅうきょうげんかん。」
    瑜伽ゆがろん·ぎまぶん》:「だん煩惱ぼんのうひたすらことわやや所以ゆえんしゃなにゆかりげんかんさとしたいげんかんのうだんどうしょだん煩惱ぼんのうしか此現かんあずか壞緣たい作意さくい相應そうおうさんしんひたすらだん一切迷苦諦等,だん煩惱ぼんのうおさむだん煩惱ぼんのう漸次ぜんじ而斷,すうすう修道しゅうどうぽうのうだんゆえ。」
  37. ^ 窺基ことむね論述ろんじゅつ》:「ぜんほん宗義しゅうぎげんかんちゅういち那智なち四諦したい。……若本わかもとはじめしゃうんよんしんかんすんでごと『以邊さとし諸相しょそう差別さべつ。」
  38. ^ 38.0 38.1 しゃく有信ありのぶ. 四諦現觀之略探 (PDF). ぶくげん學生がくせいろん文集ぶんしゅう. [2017-01-06]. (原始げんし内容ないようそん (PDF)于2017-01-07). 
  39. ^ そう春江はるえ. まなぶふつてき基本きほん認識にんしき -- ざつ (8) なな清淨せいじょう源流げんりゅう. [2017-01-06]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 
  40. ^ はやし維明. 清淨せいじょうさがせ討 ——以《清淨せいじょうどうろんためぬし (PDF). [2017-01-06]. (原始げんし内容ないようそん (PDF)于2017-01-07). ほん論文ろんぶんなみ剖析みなみでんろんてん中在なかざい行道ぎょうどうさとし清淨せいじょうぜんぞく於「せい」,而見どうざいさとし清淨せいじょう」;而北でんてきろんてんそくみとめため清淨せいじょうあずかこころ清淨せいじょう於「せい」、清淨せいじょううたぐ清淨せいじょうあずかみち非道ひどうさとし清淨せいじょうどう」,而行さとし清淨せいじょう和行かずゆきだんさとし清淨せいじょうそくため修道しゅうどう 
  41. ^ しるし順法じゅんぽう. 初期しょき大乘だいじょう佛教ぶっきょう起源きげんあずかひらきてんだいこう 發展はってんちゅうてき大乘だいじょう傾向けいこう. [2017-01-03]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). せつ一切有系是次第見(よんたいてき,如說一切有部十六心見諦,犢子Vātsīputrīyaけいじゅうしんたいけい部室ぶしつ邏多Śrīrātaはちしんたいぞく於漸系統けいとうたいようしたがえたい開始かいし所以ゆえん得道とくどうてき。……ざい這二けいちゅうだい眾部及上座かみざけい分別ふんべつせつ各派かくはみやこ一心いっしんどうめつ──涅槃ねはんそらさびてきちぎりいれ,雖修道しゅうどう次第しだい方便ほうべん不同ふどう,而「めつ得道とくどう」,あずか大乘だいじょう佛法ぶっぽうてきなまにん」,じつ血脈けちみゃくしょうどおりてき 
  42. ^ 大智たいちろん》:「畢定眾者,せいじんはちにん、須陀洹、斯陀含、おもね含、阿羅漢あらかん、辟支ふつはつ發心ほっしん菩薩ぼさつ乃至ないしおもね鞞跋致地菩薩ぼさつ。……所謂いわゆるせいじん聖人せいじんせいちゅうせいめいためせい。如小兒しょうにざい貴家きかせい,雖小ゆうしょのう必望なり大事だいじしたがえ煖法,乃至ないし世間せけんだい一法いっぽう。」
  43. ^ 大智たいちろん》:「とい曰:此中なんとうじゅうこたえ曰:ゆうしゅいちしゃただし菩薩ぼさつしゃともともしゃ所謂いわゆるいぬいとし乃至ないしふつただし菩薩ぼさつしゃ歡喜かんきはなれあか有光ありみつぞう曜地、なん勝地しょうち現在地げんざいち深入ふかいり不動ふどう善根ぜんこんほうくも;此地しょう,如《じゅうけい中廣なかひろせつ。」「須菩提ぼだい菩薩ぼさつ訶薩,じゅうじゅう地中ちちゅう。以方便びんりょくぎょう六波羅蜜ろくはらみつぎょうよんねんしょ乃至ないしじゅうはちともほういぬいとしせいはちにん見地けんち薄地うすじはなれよくやめさく、辟支ふつ菩薩ぼさつきゅうじゅう於佛ため菩薩ぼさつじゅう。」
  44. ^ ざつおもね含經·さんよんななけい》:「ふつつげ須深:かれさきほうじゅう涅槃ねはんかれしょぜん男子だんしどくいちせいしょ專精せんじょう思惟しい放逸ほういつほうはなれ於我おこりしょこころぜん解脫げだつ。」
  45. ^ 大智たいちろん》:「とい曰:一事いちじなに以故めいためいただきめいためめいためせいこたえ曰:於柔じゅんしのべなまにん中間ちゅうかん所有しょゆうほうめいためいただきじゅういただきうえただしおもむき佛道ぶつどうふくかしこ墮,たとえ聲聞しょうもんほうちゅう,煖、にん中間ちゅうかんめいためいただきほう。………とくいただきしゃ智慧ちえやすかくれのりかしこ墮。……いただき增長ぞうちょう堅固けんごめいため菩薩ぼさつにゅうちゅう一切いっさいゆい使一切いっさいみん不能ふのう動搖どうようまためいせいほうにん所以ゆえんしゃなに於生あいとうゆい使ざつしょぜんほうめいためせい。」「せいしゃ聲聞しょうもんじんしたがえ煖法乃至ないし世間せけんだい一法いっぽう;於菩薩ぼさつとくじゅんしのべあいちょ諸法しょほう實相じっそうまたなま邪見じゃけんとく禪定ぜんじょうすい。」「菩薩ぼさつじゅうせい地中ちちゅう墮頂。」
  46. ^ *しるしじゅん. せいそらがくさがせげん. [2017-01-05]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). ほうじゅう決定けってい無為むい──『舍利しゃりどる毘曇』てききゅうしゅ無為むいちゅうゆうしゅみなみでんろんごとだい六品說案達羅四派同計「決定けっていどう無為むい」;無為むいざいだい眾分べつせつけいちゅう採用さいようてき很多。「決定けってい」就是正ぜせいせいはなれせい;(せいせいはなれせいいにしえやくそくためせいせい決定けってい)。這,ゆうせつざいどうはなれ惑得せいてき境界きょうかいただしだい眾分べつせつけい乃至ないし現在げんざいすずらんてきどう鍱學しゃせつ它是どうてき境界きょうかい,而移おけざい前面ぜんめんあずか三乘共十地的性地意義相近,ゆう於四加行中的頂位。りゅうじゅさとしろん』就討ろんいたいただき決定けっていせい三名是同是異的問題,ろんちゅうゆう解說かいせつ此可せいせいはなれせいゆうちょ前後ぜんこうてきいさかいろん必盡如有所說しょせつざいどう。『ことむねろんせつ菩薩ぼさつとく決定けっていどう退すさてき決定けっていどう,也就這個。ほうじゅう,也是修行しゅぎょう過程かていちゅうてきいちけいせつとくほうじゅうさとし」;『なりろんせつ,以聞おもえとし諸法しょほうてき必然ひつぜんそくさけべほうじゅうしたがえ此以實際じっさい修習しゅうしゅう禪定ぜんじょう,就是決定けっていどうほう住道すみのどうあずか決定けっていどう,二者都是在見道以前的事。ゆう以見どうぶん凡聖,どう以前いぜん凡夫ぼんぷだい眾分べつせつけい及成ろんとうしかどうはつはてかたしか聖人せいじんどう以前いぜんしたがえ聞思おさむとしとくほうじゅう理性りせいやめけい凡夫ぼんぷ,也可以說てきそくはつはてむこうてき聖者せいじゃ們把はつはてむこうてき時間じかんひしげちょうぞうゆうてき局在きょくざいじゅうしん)。所以ゆえんほうじゅうさとしとく決定けっていどう,雖不どう以後いごてき聖者せいじゃただしやめ超過ちょうかりょう凡夫ぼんぷやめしょういた一種不可更動不可轉變不再退墮的無為常住性,這就ほうじゅう無為むいあずか決定けってい無為むい 
    • しゃくひらくじん. ざつおもね含351けい》「ゆうめつ涅槃ねはん思想しそう開演かいえん. [2017-01-03]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 此類「ほうじゅう無為むいてき說法せっぽう導師どうしせつ相當そうとう於有よんゆきてきいただき程度ていど,也就せつようゆう相似そうじゆういただきてきそう──「ゆうにんゆうゆうよくらくゆうぎょうほどけゆうしんおもんばかにん」。這在べつてきらいせつ,就是「凡夫ぼんぷてき階段かいだんりょう導師どうしかいせつだい眾部、分別ふんべつせつ及成ろんたいほうじゅうばんためせいせいはなれせいてき說法せっぽうじつゆう根據こんきょてき 
    • しるしじゅん. せつ一切有部為主的論書與論師之研究. [2017-01-05]. (原始げんし内容ないようそん于2018-12-27). だい一法いっぽう」,本論ほんろんてきはつしょうきゅうおもね達磨だるま持經じきょうあずかせつ一切有部的近支──犢子みやこただしせつ五根ごこんためせい」。這顯あかりてき分別ふんべつりょうあずかだい眾分べつせつけいてき不同ふどうだい眾分べつせつけい,以為五根唯是無漏的、出世しゅっせてきゆうあずか犢子せつだい一法いっぽう五根ごこんためせい,這當然とうぜんどおり於有りょういたりょうはつさとしろん』,卻說「心心こころごころしょほうためせい」,這為什麼いんも呢?犢子以為「ただ五根ごこんためせい」,而『はつさとしろんおもしたがえ融和ゆうわ綜合そうごうてき觀點かんてん知道ともみちこころあずかしんしょ相應そうおうてき營為えいい同一どういつ事業じぎょうてき所以ゆえんおう如犢さませついたりょうだい毘婆すなろん』,したがえさんせいゆうてき融和ゆうわ綜合そうごうてき見地けんち推論すいろんどくさらふかほそ。……這樣,せいだい一法いっぽう到達とうたつりょう五蘊ごうんためせいてき毘婆すな。『だい毘婆すなろんてき五蘊ごうんためせいじつほん於『はつさとしろんてき思想しそう原則げんそく發展はってん而來。『はつさとしろんただしせつだい一法いっぽう」、「いただき」、「煖」,なみぼつゆうせついたにん。……けいちゅうせつだんせついただきあい於這さまてき次第しだい,也還ゆう問題もんだい。這樣,犢子部立ぶだてしのべそうだい一法いっぽうためよんゆき,就不覺ふかくどくまれりょう進一しんいちせつだい眾部しょうだい一法いっぽうためせいいち剎那;だてよんゆきかえ古代こだい素樸そぼくてききょうせつ呢!れい如頂,ゆうれつためよんゆきてきだいゆうてき解說かいせつためとうほうづくりごく所以ゆえん到達とうたついただき,就是にゅうせい──にゅうせいせいはなれせいりょう。這些問題もんだいしたがえはつさとしろん』、『毘婆すな研究けんきゅうたい思想しそうてき分流ぶんりゅうあずか發展はってん很有意義いぎてき 
    • しゃくさとるいん. 讀《だい毘婆すなろん》劄記 ろんてきせいはてかん. [2017-01-03]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 而印こう導師どうしせつ:「だい一法いっぽうためせい」;だい眾部てきせい」,ゆうてきせいせいはなれせい」——どうあずか「三乘共十地的性地意義相近,ゆう於四加行中的頂位」。 

外部がいぶ連結れんけつ[编辑]