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见道

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见道梵语darśana-mārga),またたたえ见谛どう见谛佛教ぶっきょう术语,为修行しゅぎょうこれいちよし一切いっさいゆう提出ていしゅつ以无漏さとしらい观察よん圣谛これきさきいたてき成果せいか,经由修行しゅぎょう顺决择分而成。见道、修道しゅうどうあずか无学どう,为进いれ涅槃ねはんてきさん个位阶;见道きさき,就进にゅう修道しゅうどう相当そうとうよんこうよんはてちゅう须陀洹はていたりおもね罗汉こうおもね罗汉はてそく无学瑜伽ゆがぎょう则以资粮どう行道ぎょうどう、见道、修道しゅうどうあずか无学道合みちあいしょう

がい

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见道てき方法ほうほう现观よん圣谛[1]だん见所だん[2]ずいねむ烦恼[3]すえ修行しゅぎょうしゃ本身ほんみてきじょう况,可分かぶん为随信行のぶゆき梵文ぼんぶん:śraddhānusārin)あずかずいほうぎょう梵文ぼんぶん:dharmānusārin)しゃ[4],离凡夫ぼんぷいれせいせい决定”(梵语:samyaktva-niyata、samyaktva-niyāma;ともえとし语:sammatta-niyata、sammatta-niyāma)[5]あるしょういれせいせい离生”(梵语:samyaktva-niyāma[6]ともえとし语:sammatta-niyāma)[7]なおとく须陀洹果。わかとく须陀洹而ちゅう间不,必得须陀洹果[8]。见道时要だんじょてき烦恼,也称为见惑

各派かくは见解

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おもね含经ゆうじゅうなな贤圣[9],见道则脱离凡夫ぼんぷ而入贤圣[10]

一切いっさいゆう

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一切いっさいゆうだい毗婆すな》,はたひとぶん凡夫ぼんぷかず对应よんすな门果てきなな圣者[11]凡夫ぼんぷゆうさん善根ぜんこん:顺福ぶん解脱げだつぶん顺决择分[12]顺决择分中有ちゅううよんほう:煖(梵语:ūṣman)、顶(梵语:mūrdhan)、にん(梵语:kṣānti)、だい一法いっぽう(梵语:laukikā agra-dharma),ゆう关学说是《发智论さい重要じゅうようてき论贡けんじいち[13]

从世だい一法いっぽういれほうさとししのべ,就名为入“せいせい离生”,はちさとしはちにんてきじゅうろく心中しんちゅうのぜんじゅうしん为见どう特称とくしょう见道じゅうしん,而第じゅうろくしんぞく修道しゅうどうまたゆう异说“じゅうろくしんみな见道”[14]。对于次第しだい证者而言,“见道”就是预流むかい,而预りゅうはていちらいむこうはて还向、はておもね罗汉むこう,这六个阶位称为“修道しゅうどう”。见道あずか修道しゅうどうぞく于有学位がくいさいきさきおもね罗汉はてぞく于无学位がくい

凡夫ぼんぷくらい超越ちょうえつ证者而言,以世俗せぞく道修どしょうゆうこれろくぎょう[15]やめだんじょおさむ惑之いち部分ぶぶんずい其断惑程度ていど[16]于第じゅう六心证得预流果、一来果或不还果之一。修道しゅうどう,则指以上いじょうはて乃至ないしおもね罗汉むこう间之阶段。

汉传佛教ぶっきょう传统はんきょう论,总结一切有部学说,ざい其七圣位之前立七贤位,为合しょうさん贤位”(そと凡位)てきとまこころ、别相ねんじゅう、总相ねんじゅう,及合しょうよんゆきくらい”(うち凡位)てき煖法とうよん善根ぜんこん;也称ななゆきそく进入圣位まえてきゆき[17]

说一切有部以四念处是初业地,四正勤是煖位,四如意足是顶位,五根ごこんにん,五力是世第一法,八正道是见道位,なな觉支修道しゅうどう

犊子

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异部むね轮论》记载犊子そう义:“そくしのべ(梵语:nāma)、そう(梵语:nimitta)、だい一法いっぽう[18]めいのうおもむきにゅうせいせい离生[19]わかやめにゅうせいせい离生,じゅう二心顷说名行向[20]だいじゅう三心说名住果[21]。”。

犊子说“だい一法いっぽうきさき而入见道,たてじゅうしん见道说,そくよん谛各ゆうさんしんまいいち谛皆具有ぐゆうほうさとしほうしのべ、类智さんしん,于じゅうしん为预りゅうむこうだいじゅうさんしんじゅうはてある说此为道类智だいねんしょう续心,ある说为总观よん谛心,从此进入预流はてだいじゅうさんしん以后为“修道しゅうどう”。

ばばやぶばつてきよん谛论引用いんよう犊子しのべそうだい一法いっぽう说,并称:よんねん观是“发行”。“发行きさき“决了”,其中よんせいつとむめいにんよん如意にょいあしめい五根ごこんしょうりょくめいだい一法いっぽう,此よんつう摄属“决了”,ざい见道まえはち圣道为见(みちなな觉分おさむみち[22]

经量

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经量なり实论》认为,はちさとしはちにんてきじゅうろくしんめい得道とくどう[23]たてさんしん得道とくどう[24]

经量论师むろとし逻多上座かみざたて圣定にんはちしん见道[25]出入でいり于说一切いっさいゆう,及大众、ぶん别说なりいち[26]

だい众部及分别论しゃ

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あい对于说一切有部等所立“渐现观”,だい众部ぶん别论しゃだて“顿现观”。だい部立ぶだて“以一刹那せつな现观边さとし[27]へん四谛诸相差别[28]”,だて“于四圣谛一时现观[29],见苦谛时のう见诸谛[30]ようやめ见者のう如是にょぜ[31]”,あか铜鍱だていち刹那せつないちさとしぶん别四谛[32]”。

だい众部认为“だいはち地中ちちゅうまた久住ひさずみ[33],其住预流むかいてき时间长于说一切有部所说十五心。说一切有部学说,ざい见道时,“だい一法いっぽうただ一念いちねん现前”而入“せいせい离生”,だい众部ぶん别论しゃぼう舍利しゃりどるおもね毘昙论とうざい见道まえだて相似そうじしょうこれだい一法いっぽう”为“种性ほう[34]みなみ上座かみざきよし净道论ざい紧邻见道ぜんだて“种姓さとし[35]

窥基按“现观さとし谛现观”顿断见所だん烦恼[36]らいかい释大众部てき顿现观,并将其与紧随其后てき现观边さとし谛现观”,ごうたたえよんしん[37]

みなみ上座かみざ

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みなみ上座かみざきよし净道论》,だてななきよしこれ说,そく戒清净、こころきよし净、见清净、うたぐきよし净、みち非道ひどうきよし净、行道ぎょうどうさとし见清净、さとし见清净。

ざい谈论じょう学的がくてきこころきよし净”,さがせ罗了じゅうへんえいKasinaじゅうじゅうずいねんえいAnussatiよん无量こころしょく厌想さかいぶんよん无色じょうえいArūpajhānaいちどもよんじゅう业处。此阶だん相当そうとう于说一切いっさいゆうてきさん贤位”ちゅう最初さいしょてきとまこころ[38]

从“见清净”いたさとし见清净”,觉音尊者そんじゃぶんじゅうろく观智ともえとし语:Vipassanā-ñāṇa),とういた达越过第じゅういちさとしくだりしゃさとしてき阶段,以灭为所缘,一旦いったんみちさとし生起せいき,就能于同いち刹那せつな现观よん,进入“さとし见清净”てき[38]

きよし净道论》认为ざい行道ぎょうどうさとし见清净”ぜんぞく于“异生”,而见どう修道しゅうどうざいさとし见清净”;而有谈到ななきよしてききた传论てん(如《なり实论》、《瑜伽ゆが师地论》)则认为戒きよし净与こころきよし净是于“异生”、见清净、うたぐきよし净与どう非道ひどうきよし净是“见道”,而行どうさとし见清净、和智わち见清净则为“修道しゅうどう[39][40]

がく研究けんきゅう

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しるし顺法师认为,说一切いっさいゆうけい诸部,说见谛要从见谛开はじめ所以ゆえん“见苦得道とくどう”;だい众部及上座かみざけいぶん别说各派かくは一心いっしん见道ぞく于“见灭得道とくどう”,あずか大乘だいじょう佛教ぶっきょうてき无生ほうにん脉相どおり[41]

大智たいち》记载,こえせいよんゆき[42]菩萨ゆうどもじゅう[43]ざい此基础上,しるしほう师称,对大众分别说けい乃至ないしあか铜鍱,“せいせい离生”见道まえてきほうじゅう[44]义相きんじゅう地中ちちゅうてきせい[45]而类こえ四加行中的顶位,ほうじゅうしゃ虽未见道,却已经超こしりょう凡夫ぼんぷ[46]

ちゅう释与引用いんよう

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  1. ^ 杂阿含经·よんさん经》:“ふつつげ长者:此四圣谛,渐次无间[ひとし],无间とうabhi-samecca)。ふつつげ长者:わかゆう说言,于苦圣谛无间とう,而于かれしゅう圣谛、灭圣谛、灭道迹圣谛无间等しゃ,此说应,所以ゆえんしゃなにわか于苦圣谛无间とう,而欲于苦しゅう圣谛、灭圣谛、灭道迹圣谛无间等しゃ,无有处。”
    しゅう异门论》:“梵行もとめしゃ,从世だい一法いっぽうおもむきほうさとしにん时,ゆう梵行もとめゆう梵行,所以ゆえんしゃなにはちささえ圣道,说名梵行;かれ于尔时,未得みとくきんゆう现有。从苦ほうさとししのべおもむきほうさとし时,ゆう梵行もとめまたゆう梵行,……かれ于尔时,やめやめきんやめゆうやめ现有。如是にょぜ,从苦ほうさとしおもむき类智にん;从苦类智しのべおもむき类智;从苦类智,おもむきしゅうほうさとしにん;从集ほうさとししのべおもむきしゅうほうさとし;从集ほうさとしおもむきしゅう类智にん;从集类智しのべおもむきしゅう类智;从集类智,おもむき灭法さとしにん;从灭ほうさとししのべおもむき灭法さとし;从灭ほうさとしおもむき灭类さとしにん;从灭类智しのべおもむき灭类さとし;从灭类智,おもむきどうほうさとしにん;从道ほうさとししのべおもむきどうほうさとし;从道ほうさとしおもむきどう类智にん;从道类智しのべおもむきどう类智;从道类智,おもむきどう类智,あるおもむきしょあまり无漏さとし时,ゆう梵行もとめまたゆう梵行。……”
    だい毘婆すな》:“谓或ゆう说:于四圣谛一时现观,如ぶん别论しゃ。问:かれ何故なぜさく说?こたえかれちぎり经,如世尊せそん说:‘わか于苦谛,无有疑惑ぎわく,于集、灭、みち谛,また无有疑惑ぎわく。’すんで于四谛顿无疑惑,故知こち现观てい顿非渐。为遮かれ,显:现观时,于四圣谛,てい渐非顿。わか尔者,便びん违契经,如契经说:‘给孤どく长者,らい诣佛しょ,顶礼ふつあしはくふつごと世尊せそん!诸瑜伽ゆが师,于四圣谛,为顿现观?为渐现观?ふつつげ居士こじ:诸瑜伽ゆが师,于四圣谛,てい渐现观,如渐とうじょうよん桄梯ほう。’”
  2. ^ しな类论》:“うんなん见苦しょだん?谓:わか处,ずいしんずいほうぎょう现观边にんしょだん;此复うんなに?谓:见苦しょだんじゅうはちずいねむりあい应意处。うんなん见集しょだん?谓:わか处,ずいしんじずいほうぎょうしゅう现观边忍しょだん;此复うんなに?谓:见集しょだんじゅうきゅうずいねむりあい应意处。うんなん见灭しょだん?谓:わか处,ずいしんじずいほうぎょう,灭现观边にんしょだん;此复うんなに?谓:见灭しょだんじゅうきゅうずいねむりあい应意处。うんなん见道しょだん?谓:わか处,ずいしんじずいほうぎょうみち现观边忍しょだん;此复うんなに?谓:见道しょだんじゅうずいねむりあい应意处。うんなんおさむしょだん?谓:わか处,がく见迹おさむしょだん;此复うんなに?谓:おさむしょだんじゅうずいねむりあい应意处,及不しみ污有处。”
    众事ぶんおもね毘昙论》:“うんなん见断?わかいれずい信行のぶゆきずいほう行人こうじん,无间にんとうだん。”
    だい毘婆すな》:“问:何故なぜめい见所だん何故なぜめいおさむしょだん耶?见不离修,おさむ离见,如何いか建立こんりゅうしょだんめいこたえ:虽见道中どうちゅうまたゆう如实おさむとく修道しゅうどうちゅうまたゆう如实见可とく;而见しゃとしおさむしゃ放逸ほういつ如实しゃぞう广义,あるもう义。见道ちゅうとし放逸ほういつしょう修道しゅうどうちゅう放逸ほういつとししょう。……复次、わか以随しんじずいほうぎょう道断どうだんしゃめい见所だんわか以信胜解、见至、道断どうだんしゃめいおさむしょだん。复次、わか以初顿起どう而断しゃめい见所だんわか以后すうおこりどう而断,めいおさむしょだん。……”
    现观もの,谓见どう;此忍ちかかれめい为边。”“うんなん为见?乃至ないし广说。问:何故なぜさく此论?こたえ:为止他宗たしゅう,显正ゆえ。……ある复有说:现观边しのべまたさとしせい,如たとえ喻者かれさく说:无漏さとしはつ堕境时,说名为忍,きさき安住あんじゅうさかい,说名为智;如涉しゃ,于平坦へいたん处;はつねんとめいききさき便びん安住あんじゅう大德だいとくまた说:したさとしめいしのべ上智じょうちめいさとし。为遮かれ,显:无漏しのべ见非さとし。……复次、此智蕴中,应具ぶん别,见、さとしとしさん自性じしょう别,さく斯论。”
  3. ^ しな类论》:“此九じゅうはちずいねむり,几见しょだん?几修しょだんこたえはちじゅうはち见所だんじゅうおさむしょだん。”
    迦多衍尼发智论》:“きゅうじゅうはちずいねむなかじゅうはち见所だんじゅうおさむしょだんわか异生,だんおさむしょだん世尊せそん弟子でしだん见所だん。”
    だい毘婆すな》:“きゅうじゅうはちずいねむなかじゅうはち见所だん,谓:ゆう顶前よんじゅうおさむしょだん,谓:三界さんがいおさむしょだんわか异生,だんおさむしょだん世尊せそん弟子でしだん见所だん,谓:下八しもはっまえよん。问:わかじゅうはち见所だんじゅうおさむしょだんあまり不定ふていしゃ,《しな类足论何故なぜ说‘きゅうじゅうはちずいねむなかはちじゅうはち见所だんじゅうおさむしょだん’耶?こたえ:此文りょう义,かれぶんりょう义。……”
    たとえ喻者さく如是にょぜ说:异生不能ふのうだん诸烦恼。大德だいとく觉天)说曰:异生无有だんずいねむり义,ただしのうふく缠。わかさく说,于理无损。问:かれ何故なぜさく此执?こたえちぎり经故,谓契经说:‘わか以圣とし见法だんしゃめいだん。’诸异せいやめゆう圣慧のうだん。……为遮かれ显:诸异せい,以世俗せぞくどうまたのうだん结。”“圣者见道,现在ぜん时,だん见所だんきさきわか修道しゅうどう,现在ぜん时,だんおさむしょだん异生修道しゅうどう,现在ぜん时,总断,以诸异生,不能ふのうぶん别,ただのう总断。”
  4. ^ 迦多衍尼发智论》:“また世尊せそん说:‘大目おおめ连!そこすな梵天ぼんてん说第六无相住者耶?’うんなんめいだい六无相住者耶?こたえずい信行のぶゆきずいほうぎょうめい为第ろく无相じゅうしゃ所以ゆえんしゃなに,此二无相不可ふか安立あだち不可ふかほどこせ设,ざい此在かれわかほうさとししのべわかほうさとし,广说乃至ないしわかみち类智しのべ,以此无相,不可ふか安立あだち不可ふかほどこせ设,ざい此在かれだいろく无相じゅうしゃ。”
    だい毘婆すな》:“问:うんなんとくずいしんじほうぎょうめい为第ろく无相じゅうしゃこたえ一切いっさい圣者,总有なな种,そこすな梵天ぼんてんやめ说五种,说随しんじずいほう行者ぎょうじゃ此二合为第六无相住者。”
    うんなにずい信行のぶゆき补特とぎ罗?谓有いち类,本来ほんらい禀性しんじ爱、おん乐、ずい顺、胜解,こう思量しりょう、观察、简择。ゆかりかれ禀性しんとう,……渐次引起だい一法いっぽうつぎ复引せいほうさとししのべ,从此见道じゅう刹那せつな一切いっさいみなめいずい信行のぶゆきしゃ。此随信行のぶゆき补特とぎ罗,ある预流むこうあるいちらいむかいある还向。谓:
    • わか缚,ある乃至ないしだんひん结已,にゅうせいせい离生,かれ于见どうじゅうしん顷,めい预流むこう
    • わかだんろくひんある乃至ないしだんはちひん结已,にゅうせいせい离生,かれ于见どうじゅうしん顷,めいいちらいむこう
    • わか离欲しみある乃至ないし离无所有しょゆう处染やめにゅうせいせい离生,かれ于见どうじゅうしん顷,めい还向。
    うんなにずいほうぎょう补特とぎ罗?谓有いち类,本来ほんらい禀性おもえ多量たりょう观察、简择,好信よしのぶ爱、おもえ乐、ずい顺、及与胜解,ゆかりかれ禀性おもえひとしゆえ,……しょあまり广说,如随信行のぶゆき。”
  5. ^ おもね毘昙毘婆すな》:“とくせい决定’しゃ,见道是也これや。问曰:一切いっさい圣道,是正ぜせい决定,何故なぜどくしょう见道是也これやこたえ曰:あるゆう说者:诸烦恼,れい众生,善根ぜんこんじゅく,爱润ぞう长,しみちょ离;かれ见谛どうのうれい众生,善根ぜんこん成熟せいじゅく竭爱すい,离诸しみちょ不作ふさくくつがえさわ为所坏,杂余しん见道めいせい决定。あるゆう说者:众生じゅくにゅう于圣どう见道めいせい决定。复有说者:拔烦恼根,にゅう于圣どう见道めいせい决定。复有说者:しゃにん种,いれはちにんせい见道めいせい决定。あるゆう说者:扶持ふち长养,めいせい决定;犹如うし马,いん于水そう,长养せいいのち一切いっさい圣人,いん于见どう,长养としいのち见道めいせい决定。あるゆう说者:此法かい缚,ながさらけい见道めいせい决定。あるゆう说者:せい必定ひつじょう义,决定义,ゆう决定而非せいしょ谓邪じょう必定ひつじょうめいせい决定。あるゆう说者:あい应如ほう义,决定义;见道しょう应如ほうめいせい决定。”
    だい毘婆すな》:“有余ゆうよ师说:此文应言,いれせいせい决定’,所以ゆえんしゃなに?谓:于此时,从不定ふてい聚出,いれただしてい聚故。复次、行者ぎょうじゃ尔时,しゃよこしまてい聚所异生せいいれただしてい聚所见道,めい为入せいせい决定。复次、行者ぎょうじゃ尔时,しゃどうぶんいれはちどうぶんどうぶんしゃ,谓:诸异せい所有しょゆうどうぶんかれのうづくり无间はちどうぶんしゃ,谓:诸圣しゃ所有しょゆうどうぶんかれのうとくよんこうはてゆえかれ于尔时,しゃよこしまじょうぶんにゅうせいじょうぶん名入ないりせいせい决定。复次、ところにゅう见道,よこしまてい聚,めいせいせい不定ふてい聚,めい决定。……
    尊者そんじゃともさく如是にょぜ说:ゆう诵名いれせいせい离生’,谓:诸圣どうなが灭颠たおせめいせいせい;离隔せい,复名离生,谓:无始らい,见、おさむしょだん二分にぶん烦恼,てん和合わごうさく诸恶ごとせい刚强,说名为生。见道おこりやめだんかれいちふんれいかれてん转永乖离ゆえだい一法いっぽう,为此一分等无间缘故,めい为入。ゆう诵名いれせいせい决定’,谓:见道,无漏しょう续,必无あまりへだためい决定。きさきしか如前说。”
  6. ^ だい毘婆すな》:“有作ゆうさくごと:……以此‘あまよるこえまた显‘にん’义。……たとえ喻部师さく如是にょぜ说:……以‘よるこえまた显‘けい’义;‘あま’谓遮どめまた显‘离’义。……こえ论者ごと:……以‘よるこえまた显‘往’义;‘あま’谓遮どめまた显‘’义。……”
  7. ^ だい毘婆すな》:“のういれせいせい离生’しゃ,谓:此心、しんしょほうのうにゅう见道。问:一切いっさい圣道,みな是正ぜせいせいまた离生,何故なぜ此中どく说见どうこたえ一切いっさい烦恼,ある诸贪爱,れい善根ぜんこんとく成熟せいじゅく,及令诸有,润合おこり过,虽皆めいせい;而见しょだん,于此しょ说生义增じょう,见道のう为毕竟对见道どく说离せい。诸不正ふせい见,ようよし见道,のう毕竟だんめいせいせいだい一法いっぽう,无间引起,说能にゅうせいせい离生。复次、一切いっさい烦恼,ある诸贪爱,……みなめい为生;见道おこりやめ,摧彼势力,れい复为ぞう上生わぶ过,ゆかり此见どうどくめい离生。……ゆかり此义尊者そんじゃ妙音みょうおんさく如是にょぜ说:诸有情うじょう类,善根ぜんこん成熟せいじゅくのうにゅう见道,见道めい为离せい。复次、见所だん惑,れい有情うじょう堕诸恶趣,受诸剧苦,……此惑说名为生;见道のう灭故,めい离生。……复次、ゆう见等,刚强难伏,……说名せい;见道のう灭故,めい离生。……复次、此中生名いきな,显异せいせいのうおこり暴恶诸惑业故;见道しゃかれ,说离せい。……复次、见修しょだん,诸烦恼聚,てん转相すけ,引无穷生;见道おこりやめ,摧彼势力,れい不能ふのう招无穷生过,见道どく谓离せい。……复次、异生身中しんちゅう,烦恼恶业,极不调顺,说为せい;诸瑜伽ゆが师,于此沦没;见道拔彼,おけ圣位ちゅうめい离生。……复次、见所だん惑,犹如栽,なま无穷过;见道なが拔故,めい离生。”
  8. ^ 《杂阿含·61经》:“世尊せそんつげ比丘びくゆう受阴。……比丘びくわか于此ほう智慧ちえ思惟しい、观察、ぶん别、しのべめいずい信行のぶゆきちょうのぼり离生,えつ凡夫ぼんぷとく须陀洹果,ちゅう间不,必得须陀洹果。比丘びくわか于此ほうぞうじょう智慧ちえ思惟しい、观察、しのべめいずいほうぎょうちょうのぼり离生,えつ凡夫ぼんぷとく须陀洹果,ちゅう间不,必得须陀洹果。”
    《杂阿含·892经》:“世尊せそんつげ比丘びくゆうないろくにゅう处。……于此ろくほう观察しのべめい为信ぎょうちょうのぼり离生,离凡夫ぼんぷとく须陀洹果,乃至ないしいのち终,ようとく须陀洹果。わか此诸ほうぞうじょう观察しのべめい为法ぎょうちょうのぼり离生,离凡夫ぼんぷとく须陀洹果,乃至ないしいのち终,ようとく须陀洹果。”
  9. ^ ちゅうおもね含经·だいひん·福田ふくだ经》:“世尊せそんつげ曰:居士こじちゅう凡有种福田人たびとうんなん为二?いちしゃがくじんしゃ无学じんがくじんゆうじゅうはち,无学じんゆうきゅう居士こじうんなんじゅうはちがくじん信行のぶゆきほうぎょうしん解脱げだつ、见到、证,家家いえいえいち种;こう须陀洹,とく须陀洹,こう斯陀含、とく斯陀含,こうおもね含、おもね含;ちゅう涅槃ねはんなま涅槃ねはんくだり涅槃ねはん、无行般涅槃ねはん上流じょうりゅうしょく究竟くっきょうじゅうはちがくじん居士こじうんなんきゅう无学じんおもえほうのぼり进法,动法;退すさほう退すさほう,护法,护则退すさ护则退;实住ほうとし解脱げだつ,俱解脱げだつ谓九无学じん。”
    杂阿含经·はちさん经》:“
    • 何等なんら为增じょう戒?比丘びく戒满あししょうじょうしょうとし,于彼かれぶん细微戒,乃至ないし受持うけもちがく戒。如是にょぜ如是にょぜ见,だんさん,贪、恚、うすとくいち种子みちわかかれとう觉者,とく斯陀含かれとう觉者,めい家家いえいえかれとう觉者,とく须陀洹かれとう觉者,とくずいほうぎょうかれとう觉者,とくずい信行のぶゆきめいぞうじょう戒学。
    • 何等なんら为增上意じょういがく比丘びく戒满あしてい满足,しょう于慧,于彼かれぶん细微戒,乃至ないし受持うけもちがく戒。如是にょぜ如是にょぜ见,だん下分しもぶん,谓:见、戒取、うたぐ、贪欲、瞋恚しんにだん此五下分しもぶん结,とくちゅう涅槃ねはん;于彼とう觉者,とくなま涅槃ねはん;于彼とう觉者,とく无行般涅槃ねはん;于彼とう觉者,とくゆうぎょう涅槃ねはん;于彼とう觉者,とく上流じょうりゅう涅槃ねはんめいぞう上意じょういがく
    • 何等なんら为增うえとしがく比丘びくがく戒满あしてい满足,とし满足。如是にょぜ如是にょぜ见,よくゆうしん解脱げだつゆうゆうこころ解脱げだつ无明こころ解脱げだつ解脱げだつ见:‘わがなまやめつき,梵行りつ所作しょさやめさく受后ゆう。’めいぞうじょうとしがく。”
    杂阿含经·きゅうさんろく经》:“ふつつげ诃男:……
    • 诃男!圣弟子でし,于佛,一向いっこう净信,于法、そう一向いっこう净信,于法,さとしさとし、决定さとしはち解脱げだつ具足ぐそくさく证;以智慧ちえ见,ゆうだん如是にょぜ,圣弟子でしおもむき狱、畜生ちくしょう、饿鬼,堕恶おもむき,说おもね罗汉解脱げだつ。复次、诃男!圣弟子でし,一向于佛清净信,乃至ないし决定智慧ちえとくはち解脱げだつさく证,具足ぐそくじゅうしかかれ见有だんめい弟子でし堕恶おもむき乃至ないしとし解脱げだつ
    • 复次,……はち解脱げだつさく证,具足ぐそくじゅう;而不见有だんめい弟子でし堕恶おもむき乃至ないし。复次,……とくはち解脱げだつさく证,具足ぐそくじゅうしか于正ほうりつ,如实见;めい弟子でし堕恶おもむき乃至ないし见到。复次,……于正ほうりつ,如实见,とく见到;めい弟子でし堕恶おもむき乃至ないししん解脱げだつ
    • 复次,诃男!圣弟子でししん于佛,げん说清净,しんほうしんそうげん说清净;于ほうぞうじょう智慧ちえ,审谛堪忍かんにん,谓:しんじせい进、ねんじょうとしめい弟子でし堕恶おもむき乃至ないしずいほうぎょう。复次,……乃至ないしほうしょうとし,……;めい弟子でし堕恶おもむき乃至ないしずい信行のぶゆき。”
  10. ^ 杂阿含经·ろく经》:“わか比丘びく,于此五根ごこんわかわか满足,とくおもね罗汉わか软、わかれつとくおもねわか软、わかれつとく斯陀含わか软、わかれつとく须陀洹。满足しゃなり满足ごと满足しゃなり满足ごと;于此五根ごこん不空ふくう无果。わか于此五根ごこん一切いっさい无者,わが说彼为外道げどう凡夫ぼんぷこれすう。”
    杂阿含经·ろくさん经》:“わか比丘びく,于彼五根ごこんぞううえ明利あきとし,满足しゃとくおもね罗汉俱分解脱げだつわか软、わかれつしゃとく。于彼わか软、わかれつとく见到。于彼わか软、わかれつとくしん解脱げだつ。于彼わか软、わかれつとくいち。于彼わか软、わかれつとく斯陀含。于彼わか软、わかれつとく家家いえいえ。于彼わか软、わかれつとくななゆう。于彼わか软、わかれつとくほうぎょう。于彼わか软、わかれつとく信行のぶゆき。……如是にょぜ,满足しゃさく满足ごと;减少しゃさく减少ごとかれ诸根,则不そら无果。わか无此诸根しゃわが说彼为作凡夫ぼんぷかず。”
    ぞういちおもね含经·九众生居品·なな经》:“こんゆうきゅう种之じん,离于苦患くげんうんなん为九?しょ谓:こうおもね罗汉,とくおもね罗汉こうおもね含,とくおもねこう斯陀含,とく斯陀含こう须陀洹,とく须陀洹种性ひとgotrabhū)为九。”
  11. ^ だい毘婆すな》:“うんなんずい信行のぶゆき补特とぎ罗?……うんなんずいほうぎょう补特とぎ罗?……
    うんなにしん胜解补特とぎ罗?谓:ずい信行のぶゆき得道とくどう类智,しゃずい信行のぶゆきとくしん胜解。问:かれ于尔时,なんしょしゃとくこたえしゃめいとくめいしゃどう得道とくどうしゃめいしゃしゃずい信行のぶゆきめいとくめいしゃとくしんじ胜解めいしゃ道者どうしゃしゃ见道;得道とくどうしゃとく修道しゅうどう。此信胜解补特とぎ罗,ある预流はてあるいちらいこうあるいちらいはてある还向;ある还果,あるおもね罗汉むこう。谓: うんなに见至补特とぎ罗?谓:ずいほうぎょう得道とくどう类智,しゃずいほうぎょうとく见至。问:かれ于尔时,なんしょしゃとくこたえ:……しゃ道者どうしゃしゃ见道;得道とくどうしゃとく修道しゅうどう。此见いたり补特とぎ罗,ある预流はて乃至ないしあるおもね罗汉むこう,如信胜解,应说其相。
    うんなに补特とぎ罗?谓:しん胜解,ある见至,以身はち解脱げだつ以慧つき诸漏,かれしゃしん胜解,ある见至,とく证。……
    うんなにとし解脱げだつ补特とぎ罗?谓:しん胜解,ある见至,ただし以慧つき以身证八解脱げだつかれしゃしん胜解,ある见至,とくとし解脱げだつ。问:かれ于尔时,なんしょしゃとくこたえ:……しゃ道者どうしゃしゃ修道しゅうどう得道とくどうしゃとく无学どう
    うんなに解脱げだつ补特とぎ罗?谓:とし解脱げだつある见至,ある证,以身证八解脱げだつまた以慧つき诸漏,かれしゃとし解脱げだつある见至,ある证,とく解脱げだつ。……しゃ道者どうしゃしゃ修道しゅうどう得道とくどうしゃとく无学どうわか菩萨,证得无上正かみしょうとう菩提ぼだいかれつきさとし时,しゃ见至,とく解脱げだつ。……”
    “此中家家いえいえ预流别;いちいちらい别。家家いえいえゆう种,谓:なまいえさんいえ别故。なまいえしゃ,谓:だん欲界よくかいまえよんひん结,ゆう欲界よくかいゆう种子。なまさんいえしゃ,谓断欲界よくかいまえさんひん结,ゆう欲界よくかいさんゆう种子。……いち间者,谓:だん欲界よくかいまえななひんあるはちひん结,ゆう欲界よくかいいちゆう种子。问:かれある犹有ひん结在。何故なぜ说彼为一间耶?こたえ以一品烦恼在故,めい为一间,ただし以彼ゆう一有种子名一间故。”
    ゆう,谓:ちゅう涅槃ねはんなま涅槃ねはんゆうぎょう涅槃ねはん无行般涅槃ねはん上流じょうりゅう往色究竟きゅうきょう。”
    おもね罗汉ゆうろく种:いち退すさほうおもえほうさん、护法,よん安住あんじゅうほうこらえ达法,ろく动法。”
  12. ^ だい毘婆すな》:“善根ぜんこんゆうさん种,いち、顺福ぶん、顺解脱げだつぶんさん、顺决择分。”
    “诸异せい,总有种:いちないがい不断ふだん善根ぜんこん,说名为内;だん善根ぜんこんしゃ,说名为外。”
  13. ^ だい毘婆すな》:“预流はてさき广加行者ぎょうじゃ:谓彼さきもとめ解脱げだつはて精勤せいきんおさむめぐみほどこせ、净戒,净观、もちいきねんねんじゅう、闻思おさむとし,及煖顶忍だい一法いっぽう,并见道中どうちゅうじゅうしん顷,そく此总めいやすあし坚固。”
    “闻所なりとししゃ,如观じゅうはちかいきょう相等そうとうおもえしょなりとししゃ,如持いきねんよんねんじゅうとうおさむしょなりとししゃ,如煖、顶、しのべだい一法いっぽうとう。”
  14. ^ だい毘婆すな》:“そとくに师说:じゅうろくしん刹那せつなみな见道。”
  15. ^ だい毘婆すな》:“问:以世俗せぞくどう,离诸しみ时,无间、解脱げだつゆう几行しょうこたえ:诸无间どうゆうさんぎょうしょういち、麁行しょう苦行くぎょうしょうさんさわくだりしょう;诸解脱げだつどうゆうさんぎょうしょういちしずゆきしょうみょうぎょうしょうさん、离行しょう。”
    俱舍论》:“寂静じゃくじょう,说名为麁。ゆかりだい劬劳かたのうこし美妙びみょう,说名为苦。ゆかり麁重のう违害离故,说名为障;よし此,のう碍越,如狱あつかべのうさわ离。せいみょう、离三,こぼし此应释。”
  16. ^ 俱舍论》:“见道ちゅう,圣者有二ゆうじいちずい信行のぶゆきずいほうぎょうよし钝、,别立めい,诸钝めいずい信行のぶゆきしゃ;诸利根りこんめいずいほう行者ぎょうじゃ。……そく圣者,ゆかりおさむだんゆうことたて为三むこう,谓:かれ圣,わか于先时,以世道断どうだんおさむだん惑,めいあるさきやめだん欲界よくかいいちひん乃至ないしひんいたり此位ちゅうめいはつはてむこうおもむきはつはてゆえげんはつはてしゃ,谓预りゅうはて,此于一切いっさいすな门果ちゅう,必初ゆえわかさきやめだん欲界よくかいろくひんあるななはちひんいたり此位ちゅうめいだいはてむこうおもむきだいはてゆえだいはてしゃ,谓一らいはてへんとくはてちゅう,此第ゆえわかさきやめ离欲かいきゅうひんあるさきやめことわはつじょういちひん乃至ないし离无所有しょゆう处,いたり此位ちゅうめいだいさんはてむこうおもむきだいさんはてゆえだいさんはてしゃ,谓不还果,すうじゅんぜん释。”
  17. ^ さとし𫖮妙法みょうほう莲华经玄义》:“おもね毘昙ゆう门,あかりなななな圣,だんふくくらいゆだねざい两论,こんりゃくゆう门中そうくらいはつあかりなな贤,あかりなな圣位。なな贤者:いちとまこころ、别相ねん处,さん、总相ねん处,よんだんほう、顶法,ろく忍法にんぽうななだい一法いっぽう通称つうしょう贤者,邻圣曰贤,のう以似かいふく见,いん发真,げん邻圣。また天魔てんま外道げどう,爱见りゅう转,识四谛,此ななじんあきら识四谛,だい经云:‘わがむかしあずかなんじとう见四谛 (云云うんぬん) 。’见四谛者,识属爱四谛,识属见四谛,みなのうあきらりょうわかかいよん谛,则所见真正しんせい,无有邪曲じゃきょく贤人しょう也。……なな圣位しゃいちずい信行のぶゆきずいほうぎょうさんしんかいよん、见得,证,ろく、时解脱げだつ罗汉,なな解脱げだつ罗汉。つうめい圣者,正也まさやしのぶあきら发,しゃ凡性にゅう圣性,真智まち见理,めい圣人。”
  18. ^ さん法度はっと》:“きんくだりぜんものしのべそうきん思惟しい曰近ぎょうぜん。问:为近谁?こたえ:如前说善胜。问:如前やめ说四ぜん何故なぜじゅう说?こたえぜん说禅,おもむき生死せいし胜,此趣よう胜,此次だい观真谛。如人はじめ旷野,见种种妙こう华池,若干じゃっかんきよしいずみみつる满,及园观种种华树严饰;见已さくねん:‘此非そら野中のなか,必近じょう邑。’如是にょぜぎょうしゃざい生死せいし旷野,いんいか烦劳,とく真知まち识故,
    • せい思惟しい,观阴、さかいいれ,无常、そら、无我时,わかよく乐,にん
    • せい思惟しい动,
    • 如梦ちゅう见亲,如镜ちゅうぞう如是にょぜ观,そう
    これ间第一法いっぽうゆかり世尊せそんそう谓近ぎょうぜんかれ次第しだい,如梦觉见亲,きさきとく圣谛观,また如是にょぜ。”
    四阿あずまや鋡暮しょうかい》:“思惟しいやましぎょう阴、さかい、处,无常、无我、所有しょゆう观,わかよくゆうにん(さんにん)ぞう思惟しい动,如梦ちゅう见乐,见其形像けいぞう时相见,そうぞう间最こうほう世尊せそんそう如是にょぜぜんぎょう,其中间觉见喜,圣谛时。”
    [Buddha-l] Pudgalavada - Vasumitra. [2017-01-06]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 
  19. ^ 执异论》:“しのべそうだい一法いっぽう,此よんめいせいじょう。”
    窥基异部むね轮论じゅつ》:“そくしのべそうだい一法いっぽうはつ观四谛,ただし总忍めいにん’。また观四谛,めい’。つぎ观四谛所诠体,めいそう’,せいだい一法いっぽう可知かち。此根本所ほんじょ诵,ただし说此よん,而为善根ぜんこん。”
  20. ^ さん法度はっと》:“见地しゃほう、观、未知みちさとしほうさとし,观智,未知みちさとし,此是见地さとし
    • 于中ほう智者ちしゃ现智义,たとえ如良痈已じゅく,以利がたなやぶ痈,しかきさき以指贯通どうれい伤脉,而后やぶ痈;かれ修行しゅぎょうじんまた如是にょぜせい思惟しい,观欲かい时,だん见苦しょだん烦恼,しかきさきせいだいさとし;如欲かい、无常,しょく、无色かいまた如是にょぜ,从此さとしだんしょく、无色かい烦恼,谓见三智みち
    • 欲界よくかい,爱苦いんほうさとしそく观智;如是にょぜしょく、无色かい未知みちさとし见习三智みち
    • 欲界よくかい灭止,ほうさとしそく观智;如是にょぜしょく、无色かい未知みちさとし谓见つき三智みち
    • 此道灭欲かいほうさとしそく观智;如是にょぜいろ无色かい未知みちさとし谓见どう三智みち
    じゅうさとし,见地广当。”
  21. ^ 窥基异部むね轮论じゅつ》:“わかやめにゅうせいせい离生、じゅうしんとうしゃ。此中谛别,ゆうさんしんいちほうさとしそく观欲かいほうしのべきさき观欲かい谛惑,だんだん,以犹ゆうじょうかい惑故,じゅう观断とうさん类智,そくごう观色、无色かい。以苦谛三かいつき复重观故,ごうじゅうしんだいじゅうさんしんある说即どう类智だいねんしょう续心,ある总观よん谛心。次第しだい超越ちょうえつとくはてみな尔;次第しだいだい三果みか,如常。”
  22. ^ ばばやぶばつよん谛论》:“四念处观是初发行位,そく解脱げだつぶん。四正勤名忍位,四如意足是名位,五根ごこんめいしょうちからめいだい一法いっぽう,此よんつうめい决了はち圣道めい见位。なな觉分めいおさむつきさとし无生さとしめい究竟くっきょうはていんたて为道。”
  23. ^ なり实论》:“以说灭尽,めい见净,故知こち见灭,めい见圣谛。またさきほうじゅうさとしきさきどろ洹智,见灭谛,めいとく圣道。”“またしろ喻经》说:‘わがわか未知みち老死ろうし老死ろうしせい老死ろうし灭、老死ろうし灭道,乃至ないし诸行、诸行せい、诸行灭、诸行灭道,说我とく无上どうわか如实说得ぼとけ。’如是にょぜとう见,わか得道とくどう见者,则じゅうろくしんめい得道とくどう。”
  24. ^ しるし顺. せつ一切有部為主的論書與論師之研究-だいさんこう なりろんろん略述りゃくじゅつ. [2017-01-07]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 无为ほうただしたていち灭谛,しょ以说:“见灭谛故,めい得道とくどう”,あずかだい众及ぶん别说しゃしょうどうただし证入灭谛てきおさむ次第しだい,却是渐入てき,如‘论’まき大正たいしょうさんいちちゅう)说:“假名かめいしんほうしんそらしん;灭此さんしんめい灭谛”。……这一现观次第しだい,从一时见谛来说,どう于大众、ぶん别说しゃただし修行しゅぎょう过程,实融摄了说一切いっさいゆうてき渐入。说一切いっさいゆう论宗,本立ほんたて假名がなゆうあずか实法ゆうただし以为见道,渐见よん谛的理性りせいざい时,やめ形成けいせいかり谛,事理じり谛的じゅう谛。所以ゆえんほん论的じゅう谛,あずか说一切有部有密切关系,ただ以灭谛代よん谛理而已。就是ざい见谛以前いぜん,也立だん、顶、しのべだい一法いっぽうあずか说一切有部论宗相同。 
  25. ^ 顺正》:“此中上座かみざ,违越ひゃく千诸瑜伽师,现量证智しょ说,てん转传らい,如大王路だいおうじ谛现观理,りつ别立现观次第しだい,谓:瑜伽ゆが师,于四谛境,さき世智せち,如理观察,引生しのべよくとし、观、见。此忍ぞう进,さく无间缘,亲能引生せいせい决定,引起圣道光明こうみょうしょうゆえ。此忍现前,如后圣道,于四谛境,にんよく乐,简择、观察,推度、分明ふんみょう,如隔轻纱,ひかりちゅう观像,此位名入ないりせいせい决定。きさき于四谛,以妙决择,无动さとし见,めい为预りゅうふつ涅槃ねはんめい为正せい,此能ていおもむきとく决定めいぜん名入ないりせいせい决定,そくのういれめい谛顺しのべ,此忍在世ざいせいだいいちまえ。……此复なんことだい一法いっぽうよし圣定しのべあずかぜんゆう异,谓:出世しゅっせ,此名为圣;无动摇故,此名为定;よし圣定めい为见谛。しか此犹めいとく圣道,わかとく圣道,转名预流。……わか尔,なに缘名为圣しゃよし此已とく圣定にんゆえじゅう此忍,为经ひさ如?引圣どう力强ちからづよひさしか阙缘ゆう时暂さく余事よじ业,とくはて于中间有いのち终理。此圣ていにんゆうなん为障?虽已现行,而未だん惑,さとし满故,决定ゆえつぎおこりほうさとしめい预流初心しょしん,尔时便びんのう顿断さん结,のうながだんかれきゅうずいかい,从此引生类智とう现观ていゆうはちしん。”
  26. ^ しるし顺. 上座かみざ──むろとし邏多てきろんよし. [2017-01-03]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 这一现观次第しだいさいのう上座かみざてき出入でいり于说一切いっさいゆう,及大众、ぶん别说,而进ぎょう协调てき精神せいしんむろとし逻多てき现观次第しだいてき确可以自なり一部いちぶりょう 
  27. ^ だい毘婆すな》:“问:何故なぜ此智めい现观边abhisamayāntika)?こたえ:现观边、あつまり边、灭边,とく此智めい现观边。ゆう说:此是诸瑜伽ゆが师,观圣谛时,はた修得しゅうとくめい现观边。尊者そんじゃ妙音みょうおん说曰:此智きん现观めい现观边,如近むらぶつめい曰村边。问:此现观边,ところおさむ世俗せぞくぜんほうよん蕴、蕴为自性じしょう何故なぜただし世俗せぞくさとし耶?こたえ:以智ぞう,说名为智。……复次、此智,现观边修めい现观边世俗せぞくさとし。”
    おもね毘昙毘婆すな》:“问曰:何故なぜげん‘此智见道边’耶?こたえ曰:以事故じこいち、从见道中どうちゅう、从见どうきさき边得;行人こうじん见道ちゅうこと‘见道ちゅう’;见苦、しゅう、灭,さいきさきとくこときさき边’。……复有说者:此智,以见どうきさき边得めい见道边智。”
  28. ^ 执异论》:“一心いっしんただし对观よん圣谛,一智通四圣谛及四圣谛相。”
    窥基异部むね轮论じゅつ》:“谓见どうきさき边,さら别起さとしいち刹那せつな顷,のう四谛诸相差别。其见道中どうちゅう,虽亦いち刹那せつなのうよん谛,しかただし总了,のう别知,だん惑故,せいぶん别,能取のとろよん谛差别之しょうわかそく说‘此知别智’见道しゃ何故なぜめい边?わか不言ふげん边,ほんそうすえむね复何异?俱真现观别智ゆえ。”
  29. ^ だい毘婆すな》:“问:わか非我ひがぎょうしょうあずか空行くうぎょうしょう,俱能缘一切いっさいほうしゃ,此ぎょうしょうゆうなん别?こたえ非我ひがくだりしょう,对治わがそらくだりしょう,对治わがところ。……ゆう说:观蕴非我ひが是非ぜひわがくだりしょう;观蕴ちゅう无我空行くうぎょうしょう;如观蕴非我ひが,蕴中无我;观界、さかいちゅう,观处、处中,应知また尔。”
    窥基异部むね轮论じゅつ》:“,于四圣谛,いち时现观。此是见道,さくどもしょうそら、无我观,にゅうそら、无我,へん观四谛。”
    ばばやぶばつよん谛论》:“よんそう不同ふどううんなん一时而得并观者?こたえ
    • よしおもえ,经中说:‘おさむ习无つねおもえ,拔除一切いっさい贪爱。’そう境界きょうかいそく谛;一切いっさい贪爱,そくしゅう谛;拔除,そく灭谛;无常おもえそくどう谛;以是义故,虽四不同ふどういち时得见。
    • 复次、よしおもえ择故,如经ごと:‘いん无常とうおもえおもえ择五阴,贪爱,未生みしょうとくせいやめなま则灭。’此中阴,そく谛;贪爱,そくしゅう谛;なま及灭,そく灭谛;无常とうおもえ择,そくどう谛;以是义故,一时得见四谛。
    • 复次、ゆかり观失,如经ごと:‘观结处过しつ,贪爱そく灭。’结处,そく谛;贪爱,そくしゅう谛;灭,そく灭谛;过失观,そくどう谛;以是义故,いち时见谛。
    • 复次、いち时见谛,たとえ如火,しゃ烧等ぶついち时烧、じゅく、热、あきら;观者また尔,がいなませいかく各自かくじしょう离灭,证、おさむどうざいいち时。
    • 复次、たとえ如日,にちしゃとうぶつ,谓:みず、种、くらはなかくかく异相,じゅくやぶ、开,どうざいいち时,观谛また尔。
    • 复次,たとえ如灯,とうしゃ烧等ぶつ,谓:炷、あぶらくらものかくかく异相,烧、やぶあきらみないち时,观谛また尔。
    • 复次、たとえ如船,ふねしゃいたひとし同相どうしょうぶつ,谓:かれ、此两がんものながれいた、离、载、だんみなざいいち时,观谛また尔。”
  30. ^ だい毘婆すな》:“谓或ゆう说:于四圣谛一时现观,如ぶん别论しゃ。问:かれ何故なぜさく说?こたえかれちぎり经,如世尊せそん说:‘わか于苦谛无ゆう疑惑ぎわく,于集、灭、みち谛,また无有疑惑ぎわく。’すんで于四谛顿无疑惑,故知こち现观てい顿非渐。”
  31. ^ だい毘婆すな》:“问:わか于四谛渐现观しゃうんなん释通ぶん别论しゃしょ引契经?こたえかれしょ引经应作说:‘わか于道谛,无有疑惑ぎわく,于苦、しゅう、灭谛,また无有疑惑ぎわく。’而不さく说者,应知ゆう意趣いしゅ,谓:かれ经说やめはてしゃわか于苦谛,无有疑惑ぎわく,于余さん谛,また疑惑ぎわく,迷四谛疑,みなやめことわ。”
    执异论》:“よん圣谛いち时观,わか见苦谛,そく一切いっさい谛,见已曾见诸谛。”
    窥基异部むね轮论じゅつ》:“修道しゅうどうわか别观よん谛相。于修道中どうちゅう,见苦谛时,のう观余さん谛。如一意いちい识,总缘蕴,じゅう种色,いち时之ちゅうのう别知。此非见道,ようやめ总观,见谛しゃぽうのう如是にょぜ修道しゅうどうちゅうのう如是にょぜ见。”
  32. ^ 解脱げだつどう》:“相似そうじさとし,无间次第しだい,从一切诸行相起,さくどろ洹事,なませいじょさとし。问:うんなん义名せいじょこたえじょ凡夫ぼんぷほうめいせいじょ凡夫ぼんぷほうしょじょまたせいじょせいしゃどろ洹。复次、种殖どろ洹者,めいせいじょ。如阿毘昙しょ说:じょせいめいせいじょ无生,またせいじょ。复、じょせいいんめいせいじょ无生、无相,めいせいじょ。于泥洹,はつ引路,从外おこり转慧,此性じょ总语ごと。……
    せい[じょ]さとし,无间次第しだい,现知,现断しゅう,现作证灭,现修道しゅうどうなま须陀洹道さとし,及一切いっさい菩提ぼだいほうかれ坐禅ざぜんじん,于此时,以寂さび,现见ゆう边无为醍醐戒,于一刹那せつな,以一さとしはつきさきふん别四谛,以知ぶん别,以断しゅうぶん别,以作灭证ぶん别,以修道しゅうどうぶん别,成分せいぶん别。……
    如船すい。……如灯共生きょうせい。……如日共生きょうせいはつきさき,于一刹那せつなさくよんことれい现色,じょくられい灭寒,れいおこり光明こうみょう;如令现色,如是にょぜさとしぶん别苦;如除くら如是にょぜぶん别断しゅう;如令灭寒,如是にょぜさく证分别灭;如令おこり光明こうみょう如是にょぜ修道しゅうどうぶん别;如日,如是にょぜ圣智。”
  33. ^ 窥基异部むね轮论じゅつ》:“从阿罗汉为第いちすういたり预流こう正当せいとうだいはち。此部说:如须达长しゃいち时施しょくきょう养僧时,于空中有ちゅううてん语曰:此预りゅうむこう,此预りゅうはて乃至ないし广说。すんで许初むこう,受施しょく饭,明知めいちまたとく见道观;虽知いちしん观四谛理,だん惑未つきまたとく观;如先观欲かいよん谛理,だん欲界よくかい惑,而且观。受须达施,きさき时复いれぽうそうだんじょう,预流こうまたじゅう时,不言ふげん经生とくじゅうこうきゅう说:はつはてただしゆう七生しちしょうすえ欲界よくかい说,しかうえかい处处,かくゆう一生いっしょう,此向また尔,とく经生。详此不言ふげんはつこう经几せいゆえ。”
  34. ^ 窥基异部むね轮论じゅつ》:“せいほうしゃそくだい一法いっぽう,如毗ばばすなだいさんかん说。此说:从发しん乃至ないしだい一法いっぽうみな说有退すさ;以世だい一法いっぽうねんあい便びんゆう退すさ退すさはつはて时,其亦したがえ退ずさこんめい为退;いたりはつはてじゅうせい时,便びんゆう退すさ。”
    舍利しゃりどるおもね毘昙论·问分·ひとしな》:“うんなにせいひと若人わこうど次第しだいじゅう凡夫ぼんぷ胜法わかほうそく灭,上正かみしょう决定,めいせいじん。”
    だい毘婆すな》:“煖、顶、しのべだい一法いっぽうかくゆうろく种性别,谓:退すさほう种性,おもえほう、护法、じゅうほうこらえ达、动法种性。……だい一法いっぽうろく种种せい,及さんじょう种性,みな不可ふか转,いち刹那せつなゆえ。”
    于此だい一法いっぽうおこり诽谤。……于名おこり诽谤しゃ,谓或ゆう说:此名种性ほう应名だい一法いっぽう。”
    “如ぶん别论しゃ执:だい一法いっぽうそう续现ぜんかれあい总有さん种:いち、时相续,なましょう续,さん相似そうじしょう续;だい一法いっぽう,虽无まえ,而有きさきいちこんほっさえぎかれしょ执义,显:だい一法いっぽうただ一念いちねん现前。”
  35. ^ きよし净道论》:“其次种姓さとし,转入于道处故,ぞく于行どうさとし见清净,またぞく于智见清净。ざい此两しゃ间无きよし净之名称めいしょうしかにゅう此观ながれしょう为观。……时,一切相及转起之所缘为障碍而现起时,ゆうずい顺智”かれ瑜伽ゆがしゃ,其习ぎょうきさき,以无しょう转起、离有为行、涅槃ねはん为所缘,超越ちょうえつ凡夫ぼんぷ种姓、凡夫ぼんぷ名称めいしょう凡夫ぼんぷ,进入圣者种姓、圣者名称めいしょう、圣者——对涅槃ねはんしょ缘行最初さいしょ转入、最初さいしょねん虑、最初さいしょ专念——对于どう完成かんせい无间、とう无间、习行、亲依、ゆう、离去六种缘之状态,达顶てん为观最高さいこう——转入而生起せいき“种姓さとし”。”
  36. ^ 瑜伽ゆが师地论·本地ほんじぶん》:“おさむろく种现观,应知何等なんら为六?谓:おもえ现观,しん现观,戒现观,现观さとし谛现观,现观边智谛现观,究竟きゅうきょう现观。”
    瑜伽ゆが师地论·摄决择分》:“见断烦恼,顿断渐,所以ゆえんしゃなによし现观さとし谛现观故,のうだん见道しょだん烦恼,しか此现观,あずか坏缘谛作意さくいしょう应,さんしん,顿断一切いっさい迷苦谛等,见断烦恼。おさむだん烦恼,渐次而断,すうすう修道しゅうどうぽうのうだんゆえ。”
  37. ^ 窥基异部むね轮论じゅつ》:“ぜんほんむね义,现观ちゅういち刹那せつなさとしよん谛理。……若本わかもとはじめしゃうんよんしん观,すんでごと‘以边さとし诸相别’。”
  38. ^ 38.0 38.1 释有しん. 四諦現觀之略探 (PDF). ぶく严学せい论文しゅう. [2017-01-06]. (原始げんし内容ないようそん (PDF)于2017-01-07). 
  39. ^ しょう春江はるえ. まなぶふつてき基本きほん認識にんしき -- ざつ (8) なな清淨せいじょう源流げんりゅう. [2017-01-06]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 
  40. ^ はやし维明. 清淨せいじょうさがせ討 ——以《清淨せいじょうどうろんためぬし (PDF). [2017-01-06]. (原始げんし内容ないようそん (PDF)于2017-01-07). ほん论文并剖析南传论てん中在なかざい行道ぎょうどうさとし见清净”ぜんぞく于“异生”,而见どうざいさとし见清净”;而北传的论典则认为戒きよし净与こころきよし净是于“异生”、见清净、うたぐきよし净与どう非道ひどうさとし见清净是“见道”,而行さとし见清净、和行かずゆきだんさとし见清净则为“修道しゅうどう 
  41. ^ しるし顺法师. 初期しょき大乘だいじょう佛教ぶっきょう起源きげんあずかひらきてんだいこう 發展はってんちゅうてき大乘だいじょう傾向けいこう. [2017-01-03]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 说一切有系是次第见(よん)谛的,如说一切有部十六心见谛,犊子Vātsīputrīyaけいじゅうしん见谛,经部しつ逻多Śrīrātaはちしん见谛,ぞく于渐见系统。见谛よう从见谛开はじめ所以ゆえん“见苦得道とくどうてき。……ざい这二けいちゅうだい众部及上座かみざけいぶん别说各派かくはみやこ一心いっしん见道。灭──涅槃ねはんそらさびてきちぎりいれ,虽修道しゅうどう次第しだい方便ほうべん不同ふどう,而“见灭得道とくどう”,あずか大乘だいじょう佛法ぶっぽうてき“无生にん”,实是脉相どおりてき 
  42. ^ 大智たいち》:“毕定众者,せいじんはちにん、须陀洹、斯陀含、おもね含、おもね罗汉、辟支ふつはつ发心菩萨,乃至ないしおもね鞞跋致地菩萨。……しょ谓性じん圣人せいちゅうせいめい为性。如小儿在贵家せい,虽小ゆうしょのうきさき必望なり大事だいじ,从煖ほう乃至ないし间第一法いっぽう。”
  43. ^ 大智たいち》:“问曰:此中なんとうじゅうこたえ曰:ゆう种,いちしゃただし菩萨しゃともともしゃしょ谓干とし乃至ないしふつただし菩萨しゃ,欢喜、离垢有光ありみつぞう曜地、难胜、现在深入ふかいり动地、善根ぜんこんほううん;此地しょう,如《じゅうちゅう广说。”“须菩提ぼだい!菩萨诃萨,じゅうじゅう地中ちちゅう。以方便びんりょくぎょうろく罗蜜,ぎょうよんねん处,乃至ないしじゅうはちともほう,过干としせいはちにん、见地、薄地うすじ、离欲やめさく、辟支ふつ、菩萨。过是きゅうじゅう于佛为菩萨十。”
  44. ^ 杂阿含经·さんよんなな经》:“ふつつげ须深:かれさきほうじゅうきさき涅槃ねはんかれ诸善男子だんしどくいちせい处,专精思惟しい放逸ほういつほう,离于わが见,おこり诸漏,こころぜん解脱げだつ。”
  45. ^ 大智たいち》:“问曰:一事いちじなに以故めい为顶?めい为位?めい为不せいこたえ曰:于柔顺忍、无生にんちゅう间,所有しょゆうほうめい为顶。じゅう顶,うえただしおもむき佛道ぶつどう复畏堕,たとえ如声闻法ちゅう,煖、しのぶちゅう间,めい为顶ほう。………とく顶者,智慧ちえやす隐,则不かしこ堕。……顶增长坚かためい为菩萨位。にゅうちゅう一切いっさい结使,一切いっさいみん不能ふのう动摇,まためい无生ほうにん所以ゆえんしゃなに?异于せい;爱等结使,杂诸ぜんほうめい为生。”“せいしゃこえ闻人,从煖ほう乃至ないし间第一法いっぽう;于菩萨,とく顺忍,爱着诸法实相,またなまよこしま见,とく禅定ぜんじょうすい。”“菩萨じゅうせい地中ちちゅう堕顶。”
  46. ^ *しるし顺. せいそらがくさがせげん. [2017-01-05]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). ほうじゅう决定无为──‘舍利しゃりどる毘昙’てききゅう种无为中,ゆう种。みなみ传‘论事’だい六品说案达罗四派同计“决定どう无为”;见这无为,ざいだい众分别说けいちゅうさいようてき很多。“决定”就是正ぜせいせい离生;(せいせい离生,译即为正せい决定)。这,ゆう说是ざい见道,离惑とく无生时的境界きょうかいただしだい众分别说けい乃至ないし现在锡兰てき铜鍱学者がくしゃ说它见道てき境界きょうかい,而移おけざい前面ぜんめんあずか三乘共十地的性地意义相近,ゆう于四加行中的顶位。龙树‘さとし论’就讨论到顶、决定、无生三名是同是异的问题,论中ゆうかい说;过依此可见正せい离生ゆうぜんきさきてき诤论,必尽如有しょ说在见道。‘异部むね轮论’说菩萨“とく决定どう退すさてき决定どう,也就这个。ほうじゅう,也是修行しゅぎょう过程ちゅうてきいち个位,经说“とくほうじゅうさとし”;‘なり实论’说,以闻おもえとし见诸法的ほうてき必然ひつぜん则,さけべほうじゅう。从此以后,实际おさむ禅定ぜんじょう,就是决定どうほう住道すみのどうあずか决定どう,二者都是在见道以前的事。ゆう以见どうぶん凡圣,见道以前いぜん凡夫ぼんぷだい众分别说けい及成实论师等しか,见道きさきとくはつはてかたしか圣人,见道以前いぜん,从闻おもえおさむとしとく见法じゅう理性りせいやめ经不凡夫ぼんぷ,也可以说无漏てきそくはつはてむこうてき圣者(们把はつはてむこうてき时间ひしげ长,ぞうゆうてき局在きょくざいじゅうしん)。所以ゆえん见法じゅうさとしとく决定どう,虽不见道以后てき圣者,ただしやめちょう过了凡夫ぼんぷやめ获证到一种不可更动不可转变不再退堕的无为常住性,这就ほうじゅう无为与决定无为。 
    • 释开じん. ざつおもね含351けい》「ゆうめつ涅槃ねはん思想しそう開演かいえん. [2017-01-03]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 此类“ほうじゅう无为”てき说法,导师说相とう于有よんゆきてき“顶位”程度ていど,也就说拥ゆう相似そうじゆう顶位てきそう──“ゆうにんゆう见、ゆうよく乐、ゆうぎょうほどけゆう见审虑忍”。这在别的らい说,就是“凡夫ぼんぷてき阶段りょう。导师かい说大众部、ぶん别说及成实论师对“ほうじゅうばん为“せいせい离生”てき说法,实是ゆうすえてき 
    • しるし顺. せつ一切有部為主的論書與論師之研究. [2017-01-05]. (原始げんし内容ないようそん于2018-12-27). だい一法いっぽう”,ほん论的はつしょうきゅうおもね毘达すり师,もち经师,あずか说一切有部的近支──犊子みやこただし说“五根ごこん为性”。这显あかりてきぶん别了あずかだい众分别说けいてき不同ふどうだい众分别说けい,以为五根唯是无漏的、出世しゅっせてきゆうあずか犊子,说世だい一法いっぽう五根ごこん为性,这当然とうぜんどおり于有りょういたりょう‘发智论’,却说“心心こころごころしょほう为性”,这为什么呢?犊子以为“ただ五根ごこん为性”,而‘发智论’おも,从融和ゆうわ综合てき观点,知道ともみちこころあずかしんしょしょう应的,营为どう一事いちじ业的,所以ゆえん应如犊子样说。いたりょうだい毘婆すな论’,从さんせいゆうてき融和ゆうわ综合てき见地,推论どくさらふか细。……这样,せいだい一法いっぽういた达了“蕴为せいてき毘婆すな师义。‘だい毘婆すな论’てき蕴为せい,实本于‘发智论’てき思想しそうげん则发てん而来。‘发智论’ただし说“だい一法いっぽう”、“顶”、“煖”,并没ゆう说到にん。……经中说暖,说顶,あい于这样的次第しだい,也还ゆう问题。这样,犊子部立ぶだてしのべそうだい一法いっぽう为四ゆき,就不觉得まれりょう。进いち说,だい众部しょうだい一法いっぽう为性いち刹那せつなだてよんゆき,还是古代こだい素朴そぼくてききょう说呢!れい如顶,ゆうれつ为四ゆきてきだいゆうてきかい说为とうほうづくり极,しょ以到达顶,就是にゅうせい──にゅうせいせい离生りょう。这些问题,从‘发智论’、‘毘婆すな研究けんきゅう,对部思想しそうてき分流ぶんりゅうあずか发展,有意ゆうい义的。 
    • 释悟いん. 讀《だい毘婆すなろん》劄記 ろんてきせいはてかん. [2017-01-03]. (原始げんし内容ないようそん于2020-08-09). 而印こう导师说:“だい一法いっぽう为性”;だい众部てきせい”,ゆうてきせいせい离生”——见道あずか“三乘共十地的性地意义相近,ゆう于四加行中的顶位”。 

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