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愛子内親王 - Wikipedia

愛子あいこ内親王ないしんのう

日本にっぽん女性じょせい皇族こうぞく (2001-)
けいみやから転送てんそう

たかしみや愛子あいこ内親王ないしんのう(としのみやあいこないしんのう、2001ねん平成へいせい13ねん12月1にち[2] - )は、日本にっぽん皇族こうぞくいみな愛子あいこ称号しょうごうけいみや(としのみや)[3]しるしゴヨウツツジようつつじ)。勲等くんとう宝冠ほうかんだい綬章じゅしょう内親王ないしんのう敬称けいしょう殿下でんか[4]日本赤十字社にほんせきじゅうじしゃ常勤じょうきん嘱託しょくたく職員しょくいん[5]

愛子あいこ内親王ないしんのう
2021ねん
続柄つづきがら 今上きんじょう天皇てんのうだい1すめらぎ女子じょし[1]

ぜん 愛子あいこ(あいこ)
称号しょうごう けいみや(としのみや)
内親王ないしんのう
敬称けいしょう 殿下でんか
しるし ゴヨウツツジ
出生しゅっしょう (2001-12-01) 2001ねん12月1にち(22さい)1443ふん
日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう千代田ちよだ千代田ちよだ
皇居こうきょ宮内庁くないちょう病院びょういん
父親ちちおや とくひとし今上きんじょう天皇てんのう
母親ははおや 皇后こうごう雅子まさこ
栄典えいてん 宝冠ほうかんだい綬章じゅしょう
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称号しょうごう内親王ないしんのう
敬称けいしょう たかしみや愛子あいこ内親王ないしんのう殿下でんか
Her Imperial Highness Princess Aiko of toshi
皇室こうしつ






天皇てんのうとくひとし皇后こうごう雅子まさこだい1すめらぎ女子じょし上皇じょうこう明仁あきひとうえ皇后こうごう皇孫こうそんにあたる。2000年代ねんだい誕生たんじょうしたはつ皇族こうぞくであり、2021ねんれい3ねん12月1にち現在げんざい、17めい皇室こうしつ構成こうせいいんのうち最年少さいねんしょう女性じょせい皇族こうぞくで、内廷ないてい皇族こうぞくである。

概要がいよう

編集へんしゅう

現在げんざい天皇てんのうだい126だい天皇てんのうとくじん一人娘ひとりむすめとくじん皇子おうじ彼女かのじょしかいない。だい125だい平成へいせい天皇てんのう上皇じょうこう明仁あきひとの4にんいるまごのうちのひとり。

現在げんざい皇室こうしつ典範てんぱんでは女子じょし皇位こうい継承けいしょう資格しかくはないため、彼女かのじょ天皇てんのうになることはできない。

よく誤解ごかいされるが彼女かのじょ天皇てんのう直系ちょっけい男系だんけい子孫しそんであるため、男系だんけい皇族こうぞくであり、女系じょけい皇族こうぞくではない

来歴らいれき

編集へんしゅう
 
生後せいご3かげつ愛子いとしご内親王ないしんのう

2001ねん平成へいせい13ねん12月1にち1443ふん皇太子こうたいしとくじん親王しんのうげん天皇てんのう)と皇太子こうたいし雅子まさこげん皇后こうごう)のあいだだい1だい1すめらぎ女子じょし)として、東京とうきょう千代田ちよだ宮内庁くないちょう病院びょういん出生しゅっしょう誕生たんじょう身長しんちょうは49.6センチメートル、体重たいじゅうは3,102グラム[6]

皇室こうしつにおいては、清子きよこ内親王ないしんのう黒田くろだ清子きよこ以降いこう9にん連続れんぞく女子じょし内親王ないしんのう4めい女王じょおう5めい)の誕生たんじょうとなった(詳細しょうさいは「皇室こうしつ#現行げんこう皇室こうしつ典範てんぱん誕生たんじょうした皇室こうしつ子女しじょ参照さんしょう)。

同日どうじつ祖父そふであるだい125だい天皇てんのう明仁あきひとからまもがたな人間にんげん国宝こくほうである大隅おおすみしゅん平作へいさく)とはかまおくられる「たまものけん」がおこなわれた[7][8]刀身とうしんやく25センチで、全長ぜんちょうやく40センチ。

また、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん小泉こいずみ純一郎じゅんいちろう当時とうじだい1小泉こいずみ内閣ないかく)が「内親王ないしんのう殿下でんか誕生たんじょうむかえて」の内閣ないかく総理そうり大臣だいじん謹話きんわ発表はっぴょうした[9]

同年どうねん12月7にち、「よく」・「命名めいめい」・「賢所かしこどころ皇霊こうれい殿どの神殿しんでん誕生たんじょう命名めいめい奉告ほうこく」がおこなわれ、天皇てんのうから「愛子あいこみ:あいこ)」と命名めいめいされ、「けいみやみ:としのみや)」の称号しょうごうけた。称号しょうごう由来ゆらい

ひとあいするものひとつねこれあいし、ひとけいしゃひとつねこれけいふ。

—『孟子もうしはなれ婁下

る。皇太子こうたいし同妃どうひ当時とうじ)、そして学者がくしゃ[10]相談そうだんして内定ないていし、祖父そふ天皇てんのう明仁あきひと当時とうじ)も両親りょうしんである皇太子こうたいし同妃どうひ当時とうじ)の意向いこう尊重そんちょうして命名めいめいした[11][12]

よくともなっておこなわれる「読書どくしょつる」の儀式ぎしきでは、もと学習院大学がくしゅういんだいがくなが児玉こだまみゆきにより、『日本書紀にほんしょき』から8にん10代存在そんざいした女性じょせい天皇てんのうのうち最初さいしょ女帝にょていにあたる推古天皇すいこてんのうかんする部分ぶぶんまれている[12]。おしるしゴヨウツツジ那須なす御用邸ごようていでも5がつはなで、両親りょうしんの「この純白じゅんぱくはなのような純真じゅんしんしんった子供こどもそだってほしい」というねがいをめた[13]

平成へいせい皇太子こうたいし夫妻ふさい待望たいぼうだいいち誕生たんじょうたいして、国民こくみん祝賀しゅくが記帳きちょう宮内庁くないちょう関連かんれんで12まんにん全国ぜんこく自治体じちたいで65まんにん合計ごうけい77まんにんたっした。12月2にちゆう皇居こうきょぜん広場ひろばで「新宮しんぐうさまのご誕生たんじょうをおいする国民こくみんつどい」がひらかれ、奉祝ほうしゅく国会こっかい議員ぎいん連盟れんめい会長かいちょう麻生あそう太郎たろうをはじめ政治せいじ竹下たけした景子けいこ西田にしだひかるなどの芸能人げいのうじん毛利もうりまもる長嶋ながしま茂雄しげおなどの著名ちょめいじん祝辞しゅくじべ、2まん5せんにんあつまりまんさいして祝意しゅくいあらわした[14][15]

幼時ようじには、両親りょうしん皇太子こうたいし同妃どうひ)から「あいちゃん」とばれた[16]

2005ねん平成へいせい17ねんはるからしゅう2かい東京とうきょう渋谷しぶやこどものしろかよい、音楽おんがくあそびなどをつうじて集団しゅうだん生活せいかつしたしんだ[17]

2006ねん平成へいせい18ねん4がつ11にち学習がくしゅういん幼稚園ようちえん入園にゅうえん同年どうねん8がつ皇太子こうたいし同妃どうひ当時とうじ)である両親りょうしんオランダ旅行りょこう滞在たいざい同行どうこうして、はじめて海外かいがい訪問ほうもんした[18]

同年どうねん11月11にちに、袿(うちき)とはかまをつけ「はかま」をおこなった。このときけた「しょく(こきいろ、赤色あかいろ)」のはかまは、誕生たんじょうのときにおくられたものである。このころには自転車じてんしゃ練習れんしゅうなどもはじめている[19]

2008ねん平成へいせい20ねん)3がつ学習がくしゅういん幼稚園ようちえんそつえんし、同年どうねん4がつ学習がくしゅういん初等しょとう入学にゅうがく2009ねん平成へいせい21ねん)の初等しょとう2年生ねんせいには、漢字かんじりや習字しゅうじおこな姿すがた報道ほうどうされた。

2010ねん平成へいせい22ねん)2がつ下旬げじゅんから風邪かぜ疾患しっかんするなど体調たいちょう不良ふりょう原因げんいんとなり学校がっこう欠席けっせきしがちだった[20]が、同年どうねん3月5にちになって野村のむら一成いっせい当時とうじ東宮とうぐう大夫たいふ)が、「3がつ上旬じょうじゅん発生はっせいした初等しょとうでの児童じどう同士どうしのトラブルから体調たいちょう不良ふりょうとなり、学校がっこう欠席けっせきした」と発表はっぴょうしたのち同日どうじつにまた学校がっこう法人ほうじん学習がくしゅういんがわ記者きしゃ会見かいけんひら同様どうよう発表はっぴょうがなされ、おおきな波紋はもんんだ(詳細しょうさいは「愛子あいこ内親王ないしんのう登校とうこう騒動そうどう」)[21][22][23][24]

2011ねん平成へいせい23ねんあきより、初等しょとうへの通学つうがく平常へいじょう状態じょうたいもどった[25][26]

2012ねん平成へいせい24ねん)には学習がくしゅういん初等しょとう5年生ねんせいとなり、「管弦楽かんげんがくパートチェロ)、バスケットボールなどの活動かつどうでの練習れんしゅうにもはげみ、学習がくしゅういん女子じょし大学だいがく開催かいさいされた英会話えいかいわセミナーにもかよした」と報道ほうどうされた[27]

2014ねん平成へいせい26ねん)3がつ学習がくしゅういん初等しょとう卒業そつぎょうし、同年どうねん4がつ学習がくしゅういん女子じょし中等ちゅうとう入学にゅうがく[28][29]同年どうねん7がつ15にち自身じしん祖父母そふぼにあたる昭和しょうわ天皇てんのうこうじゅん皇后こうごう武蔵野むさしのりょうはじめて参拝さんぱい[30]、また、7がつ30にち伊勢神宮いせじんぐうはじめて参拝さんぱいした[31]同年どうねん8がつ3にち全国ぜんこく高等こうとう学校がっこう総合そうごう体育たいいく大会たいかい両親りょうしんとの一家いっかおとずれ、女子じょしサッカーと男子だんしバレーボールの試合しあい観戦かんせんした[32]

同年どうねん12がつ1にち、13さい誕生たんじょうむかえ、皇居こうきょうち御所ごしょ居住きょじゅうする祖父母そふぼ天皇てんのう明仁あきひと皇后こうごう美智子みちこ当時とうじ)をはじめて一人ひとり挨拶あいさつのため訪問ほうもんした。はるからはテニスソフトボールはじめている。授業じゅぎょう科目かもくすうえ、学業がくぎょうにスポーツにといそがしい日々ひびごす[33]

2015ねん平成へいせい27ねん戦後せんご70ねん節目ふしめなつには、はじめてだい世界せかい大戦たいせん企画きかく展示てんじ(「昭和しょうわかん東京とうきょう千代田ちよだ)にあしはこ見学けんがくしたほか、戦争せんそう体験たいけんしゃからも直接ちょくせつはなしいた[34][35][36]

2016ねん平成へいせい28ねん)8がつ学習がくしゅういん女子じょし中等ちゅうとうだい3学年がくねん在学ざいがくちゅう夏休なつやす両親りょうしん皇太子こうたいしとくじん親王しんのう同妃どうひ雅子まさこ当時とうじ)の地方ちほう公務こうむはじめて同行どうこう長野ながのけん上高地かみこうちおとずれた[37][38]同年どうねん9がつ26にちから胃腸いちょうよわりふらつきなどの症状しょうじょうのため学校がっこう欠席けっせきしたが[39]休養きゅうようつとめ11がつ学校がっこう復帰ふっきした。

2017ねん平成へいせい29ねん)3がつ学習がくしゅういん女子じょし中等ちゅうとう卒業そつぎょう[40]発表はっぴょうされた卒業そつぎょう文集ぶんしゅう作文さくぶん世界せかい平和へいわねがって」[41]では、「『平和へいわ』は、人任ひとまかせにするのではなく、一人ひとりひとりのおもいや責任せきにんある行動こうどうきずきあげていくものだから」などと、修学旅行しゅうがくりょこう広島ひろしまおとず原爆げんばく悲劇ひげきかんじた平和へいわきずいてゆくねがいをつづり、おおくの国民こくみん感動かんどうんだ。同年どうねん4がつ学習がくしゅういん女子じょし高等こうとう入学にゅうがく[42]

2018ねん平成へいせい30ねん)7がつ22にち - 8がつ9にちまで、イギリス短期たんき留学りゅうがくした。(学習がくしゅういん女子じょし高等こうとう海外かいがい研修けんしゅうプログラム) 首都しゅとロンドン郊外こうがいイートンこう英語えいご教育きょういくさらポーツマスオックスフォード英国えいこく文化ぶんか体験たいけんした[43]

2019ねんれい元年がんねん5月1にち天皇てんのう退位たいいとうかんする皇室こうしつ典範てんぱん特例とくれいほう施行しこう前日ぜんじつの2019ねん平成へいせい31ねん)4がつ30にち祖父そふ天皇てんのう明仁あきひと退位たいい上皇じょうこうとなり、祖母そぼ皇后こうごう美智子みちこうえ皇后こうごうとなる)によりちち皇太子こうたいしとくじん親王しんのうだい126だい天皇てんのう即位そくいはは皇太子こうたいし雅子まさこ皇后こうごうとなる。

2020ねんれい2ねん)3がつ学習がくしゅういん女子じょし高等こうとう卒業そつぎょう新型しんがたコロナウイルスの感染かんせん拡大かくだいけ、両親りょうしんである天皇てんのうとくじん皇后こうごう雅子まさこ卒業そつぎょうしきへの出席しゅっせきひかえた。

同年どうねん4がつよりちち母校ぼこうでもある学習院大学がくしゅういんだいがく文学部ぶんがくぶ日本語にほんご日本にっぽん文学ぶんがく入学にゅうがくちち天皇てんのうとくじんは、どう学部がくぶ学科がっか出身しゅっしんである)[44]

2021ねんれい3ねん3月26にちに、だい204かい国会こっかい成立せいりつしたれい3年度ねんど予算よさん同年どうねん12月1にち成人せいじんする愛子いとしご内親王ないしんのうティアラだいが、宮内庁くないちょう予算よさんとしてはまれなかった。ティアラは成年せいねん女性じょせい皇族こうぞく宮中きゅうちゅう晩餐ばんさんかいなど公式こうしきけるかみかざりだが、宮内庁くないちょうでは「新型しんがたコロナの状況じょうきょうかんがみ、まなかった」とした。11月16にち、コロナ状況じょうきょうかんがみてティアラを新調しんちょうしないことが宮内庁くないちょうより発表はっぴょうされ、叔母おば黒田くろだ清子きよこのティアラを借用しゃくようして成年せいねん行事ぎょうじのぞむこととなった[45]。なお、女性じょせい皇族こうぞく成年せいねんさいしてのティアラの制作せいさく近年きんねん実例じつれいで、2011ねん平成へいせい23ねん10月23にち眞子しんじ内親王ないしんのう成年せいねんさいは、指名しめい競争きょうそう入札にゅうさつ和光わこうが、2014ねん平成へいせい26ねん12月29にち佳子けいこ内親王ないしんのう成年せいねんさいは、はじめて企画きかくコンペティションによる公募こうぼ入札にゅうさつおこなわれ、大手おおて宝飾ほうしょくひん製作せいさくミキモトがそれぞれ落札らくさつした。予算よさんイヤリングなどとわせ眞子しんじ内親王ないしんのうが2856まんえん佳子けいこ内親王ないしんのうは2793まんえん[46]で、宮内庁くないちょう管理かんりする公金こうきんから支出ししゅつされた。そのためティアラは国有こくゆう財産ざいさんで、結婚けっこんにより皇室こうしつ離脱りだつするさいには返還へんかんされる。ちちとくじん即位そくいともない、はは雅子まさこ祖母そぼうえ皇后こうごう美智子みちこから、よし叔母おばぶんじん親王しんのう紀子のりこ皇后こうごう雅子まさこから、それぞれ由緒ゆいしょあるティアラをいだとされる。

同年どうねん12月1にち成年せいねん(20さい)。これにより、女性じょせい皇族こうぞく10めい全員ぜんいん成人せいじんし、未成年みせいねん皇族こうぞくゆうじん親王しんのうのみとなった。4にち12月5にちちち天皇てんのうとくじんより宝冠ほうかんだい綬章じゅしょう授与じゅよされた(ただし、受章じゅしょう誕生たんじょうとなる12月1にちづけである)[47][48][49]

2022ねんれい4ねん3月17にち成年せいねん記者きしゃ会見かいけんおこなった[50]

同年どうねんなつ宮内庁くないちょうは2023年度ねんど予算よさんあん愛子いとしご内親王ないしんのう着用ちゃくようするティアラなどの装飾そうしょくひん制作せいさくふたた計上けいじょうしないことをあきらかにした。理由りゆうコロナ国民こくみんくるしむなかで、愛子あいこ内親王ないしんのう両親りょうしん気持きもちを考慮こうりょし、固辞こじしたためとされる[46]

2024ねんれい6ねん1がつ22にち大学だいがく卒業そつぎょう同年どうねん4がつ1にちからの日本赤十字社にほんせきじゅうじしゃ常勤じょうきん嘱託しょくたく職員しょくいんへの就職しゅうしょく内定ないていしたと発表はっぴょうされる[51]

同年どうねん3がつ20日はつか学習院大学がくしゅういんだいがく日本語にほんご日本にっぽん文学ぶんがく卒業そつぎょう卒業そつぎょう論文ろんぶんは『式子内親王しきしないしんのうとその和歌わか研究けんきゅう[52]。また、3月26にち伊勢神宮いせじんぐう[53]3月27にち神武じんむ天皇陵てんのうりょう単独たんどく参拝さんぱいした[54]。これにともな斎宮いつき歴史れきし博物館はくぶつかん、いつきのみや歴史れきし体験たいけんかん視察しさつ自身じしんはつ単独たんどく地方ちほう訪問ほうもんとなった[55]4がつ1にち日本赤十字社にほんせきじゅうじしゃ入社にゅうしゃし、清家きよいえあつし社長しゃちょうより辞令じれいけ、事業じぎょうきょくパートナーシップ推進すいしんボランティア活動かつどう推進すいしんしつ青少年せいしょうねん・ボランティア配属はいぞくされ、常勤じょうきん嘱託しょくたく職員しょくいんとして勤務きんむ開始かいし[56][5][57]

同年どうねん4がつ23にち赤坂御苑あかさかぎょえん開催かいさいされたはる園遊会えんゆうかいはつ参加さんかした[58]

内親王ないしんのうめぐって

編集へんしゅう

2000年代ねんだいむかえ、待望たいぼうひさしかった皇太子こうたいし夫妻ふさいだい1であったことから、誕生たんじょう同時どうじ注目ちゅうもくあつめた。出産しゅっさん翌日よくじつには皇居こうきょぜん広場ひろば祝賀しゅくがの「国民こくみんつどい」がおこなわれ、やく2まん5000にんもの市民しみんたかった。皇居こうきょ記帳きちょうしょ設置せっちされ、また赤坂あかさかでは提灯ちょうちん行列ぎょうれつおこなわれた。出産しゅっさん翌日よくじつ対面たいめんしたちち皇太子こうたいしは「非常ひじょう元気げんきそうですね」という感想かんそうべた[59]

しかし、「発達はったつおくれがあるのではないか」とう誹謗ひぼう中傷ちゅうしょうが、一部いちぶ国内こくない週刊しゅうかんげられた[60][61]。この状況じょうきょうけ、同年どうねん6がつ定例ていれい会見かいけんにて林田はやしだ英樹ひでき東宮とうぐう大夫たいふは、ただちに「事実無根じじつむこん不本意ふほんい」と否定ひてい[62]宮内庁くないちょう同年どうねん9がつにスナップ写真しゃしんちち皇太子こうたいしとくじん親王しんのう東宮御所とうぐうごしょうち撮影さつえいしたビデオ映像えいぞう公開こうかいし、事態じたい収束しゅうそくにつとめた。どう映像えいぞうなかには父親ちちおや皇太子こうたいしを「パパ」とびながら絵本えほん姿すがたなどがうつされていた。

学習がくしゅういん幼稚園ようちえん入園にゅうえんしてからは、運動会うんどうかい大玉おおだまころがし、オール学習がくしゅういんつどいでの合唱がっしょう様子ようすなどがテレビ報道ほうどう公開こうかいされている。そのは、こうしたメディアの定期ていきてき取材しゅざいけることにより、愛子あいこ内親王ないしんのう心身しんしんとも健康けんこうであることが浸透しんとうした。2013ねん平成へいせい25ねん)においては、「学習がくしゅういん初等しょとうでの成績せいせき学年がくねんでのトップクラス」とつたえられている[63]

皇室こうしつでは、清子きよこ内親王ないしんのうから愛子いとしご内親王ないしんのういたるまで9にん連続れんぞく女性じょせい皇族こうぞく内親王ないしんのう4めい女王じょおう5めい)が誕生たんじょうしており、1965ねん昭和しょうわ40ねん)の秋篠宮あきしののみやぶんじん親王しんのう以降いこう男子だんし誕生たんじょうしなかった。皇統こうとうぞくする男系だんけい男子だんしにのみ皇位こうい継承けいしょうけんみとめる現行げんこう皇室こうしつ典範てんぱん見直みなおしの機運きうんたかまり、皇太子こうたいしとくじん親王しんのうだい一子いっしとして女子じょし誕生たんじょうしたこともまたこれを後押あとおしした。[よう出典しゅってん]

そのため、2005ねん平成へいせい17ねん)から2006ねん平成へいせい18ねん)にかけて、当時とうじ内閣ないかく総理そうり大臣だいじん小泉こいずみ純一郎じゅんいちろう私的してき諮問しもん機関きかんとして「皇室こうしつ典範てんぱんかんする有識者ゆうしきしゃ会議かいぎ」において愛子あいこ内親王ないしんのう即位そくい念頭ねんとうにおいた女性じょせい天皇てんのう女系じょけい天皇てんのう可能かのうせい検討けんとうされた(詳細しょうさいは「皇位こうい継承けいしょう問題もんだい」も参照さんしょう)。有識者ゆうしきしゃ会議かいぎは2005ねん11月24にち象徴しょうちょう天皇てんのうせい安定あんていてき維持いじのため、皇位こうい継承けいしょう資格しかく女性じょせい天皇てんのう皇族こうぞく女系じょけい子孫しそん拡大かくだいすることなどをもとめる最終さいしゅう報告ほうこくしょ[64]をまとめ、小泉こいずみ総理そうり提出ていしゅつ

しかし、2006ねん平成へいせい18ねん)2がつ秋篠宮あきしののみやだい3懐妊かいにん判明はんめい9月6にち皇室こうしつで41ねんぶりの男子だんしであるゆうじん親王しんのう出産しゅっさんしたこと、総理そうり大臣だいじん皇室こうしつ典範てんぱん改正かいせい慎重しんちょう安倍晋三あべしんぞういたことなどから改正かいせいうごきはまった。

その2019ねん平成へいせい31ねん)の退位たいい特例とくれいほうによる天皇てんのう退位たいい契機けいきとして将来しょうらい皇室こうしつ制度せいど持続じぞく可能かのうせいについて議論ぎろん再燃さいねんするなどのうごきがあったが、現在げんざいいたるまで皇室こうしつ典範てんぱん改正かいせいにはいたっていない。

 
2013ねん平成へいせい25ねん)11月、祖父そふ天皇てんのう明仁あきひと当時とうじ)や皇族こうぞくらと。
 
2019ねんれい元年がんねん8がつ19にち那須なす御用邸ごようていにて両親りょうしん愛犬あいけん由莉ゆり(ゆり)とともになつ静養せいよう

スポーツ試合しあい観戦かんせん

編集へんしゅう

運動うんどう・スポーツ

編集へんしゅう
  • 運動うんどう神経しんけいからだうごかすことが[50]競走きょうそうはやく、学習がくしゅういん初等しょとう運動会うんどうかいでは度々どどリレー選手せんしゅえらばれていた。2013ねん平成へいせい25ねん)の6年生ねんせいときには校内こうない遠泳えんえい行事ぎょうじ参加さんかし3kmをおよぎきった。運動会うんどうかいではくみ体操たいそう参加さんかした[68]
  • バスケットボール2012ねん平成へいせい24ねん)の初等しょとう5年生ねんせい運動うんどうのクラブ活動かつどうとして、バスケットボール入部にゅうぶはじめは野球やきゅうかんがえたが、女子じょし団体だんたい競技きょうぎとしてバスケットボールを選択せんたくした[69]
  • スキー幼少ようしょうよりしたしんでいる。2013ねん平成へいせい25ねん)1がつ冬休ふゆやすみに学習がくしゅういん初等しょとう同級生どうきゅうせいグループと長野ながのけん奥志賀おくしが高原こうげんスキーじょうスキー合宿がっしゅく出掛でかけレッスンをけた[70]。3がつ下旬げじゅんにもどうけん一家いっかでスキーにおとずれ、練習れんしゅう成果せいかもあり上級じょうきゅうしゃけコースに挑戦ちょうせんした。同年どうねん4がつ5にち宮内庁くないちょうたかしみや愛子あいこ内親王ないしんのう春休はるやすみのスキー映像えいぞう写真しゃしん公開こうかいした[71][72]
  • テニスソフトボール2014ねん平成へいせい26ねん)、中学生ちゅうがくせいになってからはテニスソフトボール関心かんしん赤坂あかさか用地ようちのコートやにわで、両親りょうしん宮内庁くないちょう職員しょくいんとプレーをたのしむことがある。
  • ジョギングちちとくじん一緒いっしょ敷地しきちないをジョギングしている[50]
  • バドミントンバレーボール新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこう感染かんせんしょう対策たいさく徹底てっていしつつ、マスクを着用ちゃくようしたうえで、宮内庁くないちょう職員しょくいん一緒いっしょたのしむことがある[50]

日本にっぽん文化ぶんか音楽おんがく

編集へんしゅう
  • 書道しょどう - 幼少ようしょうよりたしなんでおり、宮内庁くないちょう職員しょくいん文化ぶんかさい力強ちからづよ作品さくひん出展しゅってんしている。
  • 百人一首ひゃくにんいっしゅ - 2015ねん平成へいせい27ねん)2がつ学習がくしゅういん女子じょし中等ちゅうとうおこなわれた百人一首ひゃくにんいっしゅ大会たいかいでは、40まいほどのさつって圧勝あっしょうするなど、日本にっぽん伝統でんとう文化ぶんかにもしたしんでいる[73]
  • チェロ - 学習がくしゅういん初等しょとうの4ねんときクラブ活動かつどうとして管弦楽かんげんがく入部にゅうぶチェロ担当たんとう熱心ねっしん練習れんしゅうしている。
  • 和歌わか - 2022ねんれい4ねん)、はじめて歌会うたかいはじめうたせ、『英国えいこくまなときむかえひらかれそむる世界せかいへのまど』と、 高校こうこう2ねんなつ参加さんかしたサマースクールで、イギリスのったときにこん世界せかいへのまどひらかれようとしている、というしんたかまりをんだ。

自身じしん誕生たんじょうしたころから自宅じたく東宮御所とうぐうごしょ当時とうじ赤坂あかさか御所ごしょ)でわれているいぬねこ可愛かわいがっている[74][75]誕生たんじょう会見かいけんなどでも一緒いっしょうつることがある[76][77]まよいぬねこ動物どうぶつ病院びょういん保護ほごされたいぬねこゆずけている。

「ピッピ」と「マリ」
愛子あいこ内親王ないしんのう誕生たんじょうまえより両親りょうしん皇太子こうたいし夫妻ふさい当時とうじ)が飼育しいくしていたいぬ赤坂あかさか用地ようちまよんだめすけんんだ10ひき子犬こいぬのうちの2ひき2009ねん平成へいせい21ねん)に2ひきども老衰ろうすい他界たかいした。
由莉ゆり」(ゆり)
2009ねん平成へいせい21ねん)4がつから飼育しいくしている柴犬しばけんのMIX。まりに名前なまえけた。写真しゃしん撮影さつえい一緒いっしょうつときにしているバンダナは愛子あいこ内親王ないしんのう手作てづくり。静養せいようさきでも行動こうどうともにすることがある。
「にんげん」と「みー」
2010ねん平成へいせい22ねんはる学習がくしゅういん初等しょとう3ねんつぎ赤坂あかさか用地ようちまぎんだははねこの『にんげん』は、2016ねん平成へいせい28ねん)5がつ病気びょうき逝去せいきょするまでっていたメスねこである(キジトラしろMIX)。「にんげん」はまぎんだのちすぐに4ひき子猫こねこみ、そのうち1ひきって、「みー」と名付なづけて飼育しいくしている。
「セヴン」
2016ねん平成へいせい28ねん)より飼育しいくしているねこ。7がつまれ。キジトラしろMIXクラシックタビー。

内親王ないしんのうにちなむはな

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プリンセスアイコ

誕生たんじょう以下いかの3種類しゅるいバラ愛子あいこ内親王ないしんのうにちなんでづけられた[78]

また、河野こうのメリクロンのシンビジウム「シンビジウム愛子あいこさま」も同様どうよう名付なづけられたはなである[79]

呼称こしょう

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ちちとくじんは、自身じしん一人娘ひとりむすめ誕生たんじょう会見かいけんから一貫いっかんして「愛子あいこ(あいこ)」とんでいる[80]2003ねん平成へいせい15ねん時点じてんでは、皇太子こうたいし当時とうじ)は「愛子あいこ」、記者きしゃは「たかしみやさま(としのみやさま)」としている。祖父母そふぼ明仁あきひと美智子みちこ当時とうじ天皇てんのう皇后こうごう)は「けいみや(としのみや)」としていた[81]が、2006ねん平成へいせい18ねん以降いこう同様どうように「愛子あいこ」とんでいる[82]

マスメディア皇室こうしつ報道ほうどうにおいても、当初とうしょ称号しょうごうから「たかしみやさま」の呼称こしょうもちいられていた[よう出典しゅってん]が、のちに「愛子あいこさま」へてん[よう出典しゅってん]、「愛子あいこさま」という呼称こしょう国民こくみんあいだにもひろ定着ていちゃくしている。

宮内庁くないちょうウェブサイトでの呼称こしょうは、「けい宮殿きゅうでん(としのみやでんか)」ないし「愛子あいこ内親王ないしんのう殿下でんか(あいこないしんのうでんか)」となっている[83]

愛子あいこ内親王ないしんのう系譜けいふ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
16. 123だい天皇てんのう
大正天皇たいしょうてんのう
 
 
 
 
 
 
 
8. 124だい天皇てんのう
昭和しょうわ天皇てんのう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
17. 九条くじょう節子せつこ
 
 
 
 
 
 
 
4. 125だい天皇てんのう
明仁あきひと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
18. 久邇くにみや邦彦くにひこおう
 
 
 
 
 
 
 
9. 久邇くにみや良子りょうこ女王じょおう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
19. 島津しまつ俔子ちかこ
 
 
 
 
 
 
 
2. 126だい天皇てんのう
とくひとし
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20. 正田しょうだ貞一郎ていいちろう
 
 
 
 
 
 
 
10. 正田しょうだ英三郎えいざぶろう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
21. 正田しょうだきぬ
 
 
 
 
 
 
 
5. うえ皇后こうごう美智子みちこ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
22. 副島そえじま綱雄つなお
 
 
 
 
 
 
 
11 正田しょうだ富美子とみこ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
23. 副島そえじまアヤ
 
 
 
 
 
 
 
1. たかしみや愛子あいこ内親王ないしんのう
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
24. 小和田こわだ金吉かねきち
 
 
 
 
 
 
 
12. 小和田こわだあつしおっと
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6. 小和田こわだひさし
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
26. 田村たむら又四郎またしろう
 
 
 
 
 
 
 
13. 小和田こわだしず
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3. 皇后こうごう雅子まさこ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
28. 江頭えがしら安太郎やすたろう
 
 
 
 
 
 
 
14. 江頭えがしらゆたか
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
29. 江頭えがしら米子よねこ
 
 
 
 
 
 
 
7. 小和田こわだ優美子ゆみこ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
30. 山屋やまや他人たにん
 
 
 
 
 
 
 
15. 江頭えがしら寿々子すずこ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
31. 山屋やまや貞子さだこ
 
 
 
 
 
 
たかしみや愛子あいこ内親王ないしんのう ちち:
天皇てんのうとくひとし
祖父そふ:
上皇じょうこう明仁あきひと
曾祖父そうそふ:
昭和しょうわ天皇てんのう
曾祖母そうそぼ:
こうじゅん皇后こうごう
祖母そぼ:
うえ皇后こうごう美智子みちこ
曾祖父そうそふ:
正田しょうだ英三郎えいざぶろう
曾祖母そうそぼ:
正田しょうだ富美子とみこ
はは:
皇后こうごう雅子まさこ
祖父そふ:
小和田こわだひさし
曾祖父そうそふ:
小和田こわだあつしおっと
曾祖母そうそぼ:
小和田こわだしず
祖母そぼ:
小和田こわだ優美子ゆみこ
曾祖父そうそふ:
江頭えがしらゆたか
曾祖母そうそぼ:
江頭えがしら寿々子すずこ
 
 
 
 
 
 
 
 
歴代れきだい天皇てんのう
 
歴代れきだい皇后こうごう
 
親王しんのう
 
内親王ないしんのう女王じょおう
 
臣籍しんせき降下こうか
 
 
 
 
大正天皇たいしょうてんのう(明治天皇めいじてんのう)
 
貞明皇后ていめいこうごう(大正天皇たいしょうてんのうつま)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和しょうわ天皇てんのう(大正天皇たいしょうてんのう)
 
こうじゅん皇后こうごう(昭和しょうわ天皇てんのうつま)
 
秩父宮ちちぶのみや雍仁親王やすひとしんのう(大正天皇たいしょうてんのう)
 
雍仁親王やすひとしんのう
勢津子せつこ
(秩父宮雍仁親王ちちぶのみややすひとしんのうつま)
 
高松宮たかまつのみや宣仁のぶひと親王しんのう(大正天皇たいしょうてんのう)
 
宣仁のぶひと親王しんのう
喜久子きくこ
(高松宮たかまつのみや宣仁のぶひと親王しんのうつま)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
三笠みかさみやたかしじん親王しんのう(大正天皇たいしょうてんのう)
 
たかしじん親王しんのう
百合子ゆりこ
(三笠みかさみやたかしじん親王しんのうつま)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ひがし久邇くに成子しげこ
(あきらみや)
(昭和しょうわ天皇てんのう臣籍しんせき降下こうか)
 
久宮くぐう祐子ゆうこ内親王ないしんのう(昭和しょうわ天皇てんのう)
 
鷹司たかつかさ和子かずこ
(こうみや)
(昭和しょうわ天皇てんのう臣籍しんせき降下こうか)
 
池田いけだ厚子あつこ
(じゅんみや)
(昭和しょうわ天皇てんのう臣籍しんせき降下こうか)
 
上皇じょうこう
明仁あきひと
(昭和しょうわ天皇てんのう)
 
うえ皇后こうごう
美智子みちこ
(上皇じょうこう明仁あきひとつま)
 
常陸宮ひたちのみやせいじん親王しんのう(昭和しょうわ天皇てんのう)
 
せいじん親王しんのう
華子はなこ
(常陸宮ひたちのみやただしじん親王しんのうつま)
 
島津しまつ貴子たかこ
(清宮きよみや)
(昭和しょうわ天皇てんのう臣籍しんせき降下こうか)
 
近衞このえ甯子(三笠みかさみやたかしじん親王しんのう臣籍しんせき降下こうか)
 
寬仁かんじん親王しんのう(三笠みかさみやたかしじん親王しんのう)
 
寬仁かんじん親王しんのう
信子のぶこ
(寬仁かんじん親王しんのうつま)
 
かつらみや
むべひとし親王しんのう
(三笠みかさみやたかしじん親王しんのう)
 
せん容子ようこ(三笠みかさみやたかしじん親王しんのう臣籍しんせき降下こうか)
 
高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのう(三笠みかさみやたかしじん親王しんのう)
 
憲仁のりひと親王しんのう
久子ひさこ
(高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのうつま)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天皇てんのう
とくひとし
(明仁あきひと)
 
皇后こうごう
雅子まさこ
 
皇嗣こうし秋篠宮あきしののみやぶんじん親王しんのう(明仁あきひと)
 
皇嗣こうしぶんじん親王しんのう紀子のりこ(秋篠宮あきしののみやぶんじん親王しんのうつま)
 
黒田くろだ清子きよこ
(紀宮のりのみや)
(明仁あきひと臣籍しんせき降下こうか)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
あきら子女しじょおう(寬仁かんじん親王しんのう)
 
瑶子ようこ女王じょおう(寬仁かんじん親王しんのう)
 
 
 
 
 
うけたまわ女王じょおう(高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのう)
 
千家せんげ典子のりこ(高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのう臣籍しんせき降下こうか)
 
守谷もりや絢子あやこ(高円宮たかまどのみや憲仁のりひと親王しんのう臣籍しんせき降下こうか)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
けいみや愛子あいこ内親王ないしんのう(とくじん)
 
 
 
小室こむろ眞子しんじ(秋篠宮あきしののみやぶんじん親王しんのう)
 
佳子けいこ内親王ないしんのう(秋篠宮あきしののみやぶんじん親王しんのう)
 
ゆうじん親王しんのう(秋篠宮あきしののみやぶんじん親王しんのう)

栄典えいてん

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日本にっぽん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく出典しゅってん

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  1. ^ 宮内庁くないちょう 天皇てんのう皇后こうごうりょう陛下へいか
  2. ^ 2001ねん平成へいせい13ねん)12月1にち宮内庁くないちょう告示こくじだい12ごう皇太子こうたいしとくじん親王しんのう雅子まさこ殿下でんかは、宮内庁くないちょう病院びょういんにおいて出産しゅっさん内親王ないしんのう誕生たんじょうになったけん
  3. ^ 2001ねん平成へいせい13ねん)12月7にち宮内庁くないちょう告示こくじだい15ごう誕生たんじょうになった内親王ないしんのう殿下でんかは、御名ぎょめい愛子いとしごめいぜられ、けいみやしょうされるけん
  4. ^ 皇室こうしつ典範てんぱんだいじゅうさんじょうだいこう前項ぜんこう皇族こうぞく以外いがい皇族こうぞく敬称けいしょうは、殿下でんかとする。」
  5. ^ a b 愛子あいこさまが日本赤十字社にほんせきじゅうじしゃ入社にゅうしゃ配属はいぞくさき青少年せいしょうねん・ボランティア…「まるおもい」”. 読売新聞よみうりしんぶんオンライン (2024ねん4がつ1にち). 2024ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  6. ^ 皇太子こうたいし夫妻ふさい愛子あいこさまご誕生たんじょう|NHK放送ほうそう動画どうが記事きじ)”. NHKアーカイブス. (2001ねん12月1にち). https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009030308_00000 2020ねん5がつ5にち閲覧えつらん 
  7. ^ 天皇陛下てんのうへいかからあかちゃんにまもがたなはかま たまものけん儀式ぎしき. asahi.com (朝日新聞社あさひしんぶんしゃ). (2001ねん12月1にち). https://www.asahi.com/national/birth/K2001120101387.html 2013ねん4がつ15にち閲覧えつらん 
  8. ^ (椎谷しいや 2002, pp. 140–143)
  9. ^ 内閣ないかく総理そうり大臣だいじん謹話きんわ [内親王ないしんのう殿下でんか誕生たんじょうむかえて 平成へいせい13ねん12月1にち”]. 首相しゅしょう官邸かんてい. (2001ねん12月1にち). https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11236451/www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/1201denka.html 2019ねん7がつ15にち閲覧えつらん 
  10. ^ 秋山あきやまけん鎌田かまたただし米山よねやま寅太郎とらたろうさんめい
  11. ^ “お名前なまえは「たかしみや愛子あいこさま」・命名めいめい. NIKKEI NET (日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ). (2001ねん12月7にち). オリジナルの2009ねん6がつ3にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090603003225/http://www.nikkei.co.jp/sp2/nt30/20011207DCCI017707030001.html 2013ねん4がつ15にち閲覧えつらん 
  12. ^ a b (椎谷しいや 2002, pp. 143–166)
  13. ^ (椎谷しいや 2002, pp. 166–168)
  14. ^ 皇太子こうたいし殿下でんか誕生たんじょうさいし(平成へいせい14ねん”. 宮内庁くないちょう (2002ねん2がつ20日はつか). 2013ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  15. ^ (椎谷しいや 2002, pp. 248–264)
  16. ^ 愛子あいこ内親王ないしんのう殿下でんか誕生たんじょうにつき(平成へいせい14ねん”. 宮内庁くないちょう (2002ねん4がつ2にち). 2013ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  17. ^ 愛子あいこさま4さい. YOMIURI ONLINE (読売新聞社よみうりしんぶんしゃ). (2005ねん12月1にち). オリジナルの2005ねん12月6にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20051206055904/http://www.yomiuri.co.jp/features/impr/birth/ 2013ねん4がつ15にち閲覧えつらん 
  18. ^ 写真しゃしん報道ほうどう皇太子こうたいし一家いっかオランダで、雅子まさこさまはつ海外かいがい静養せいよう Epoch Times in Japan、2006ねん8がつ20日はつか
  19. ^ 2006ねん平成へいせい18ねん)11月11にち 中京ちゅうきょうテレビ 愛子あいこさま、「はかま
  20. ^ 2010ねん3がつ6にち 東京とうきょう新聞しんぶん愛子あいこさま登校とうこうできず「乱暴らんぼう不安ふあんうったえ」。記事きじでは、“2がつ22にちから26にちあいだ、25にち以外いがい欠席けっせきした”としている。なお、2がつ27-28にち土日どにち
  21. ^ 愛子あいこさま学校がっこうやすみに 同級生どうきゅうせいの「乱暴らんぼうなふるまい」で”. MSN産経さんけいニュース (産業経済新聞社さんぎょうけいざいしんぶんしゃ). (2010ねん3がつ5にち). オリジナルの2010ねん12月4にち時点じてんにおけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101204163714/http://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/100305/imp1003051541001-n1.htm 2013ねん4がつ15にち閲覧えつらん 
  22. ^ 愛子あいこさま、登校とうこうできず 一部いちぶ児童じどう乱暴らんぼう - にっテレ、2010ねん3がつ5にち、2020ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  23. ^ りょう陛下へいか十分じゅうぶん配慮はいりょを」愛子あいこさま通学つうがく問題もんだい - にっテレ、2010ねん3がつ11にち、2020ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  24. ^ 愛子あいこさま 9さい学校がっこうごす時間じかんえる - にっテレ、2010ねん12月1にち、2020ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  25. ^ 皇室こうしつウイークリー】(206)ブータン国王こくおう明治めいじ神宮じんぐう陛下へいか長寿ちょうじゅをおいのりした」 20さい眞子しんじさまも宮中きゅうちゅう晩餐ばんさんかい産経新聞さんけいしんぶんしゃ
  26. ^ 愛子あいこさま、10さい1人ひとりでの通学つうがくえる にっテレNEWS24 、2011ねん12月1にち
  27. ^ 英語えいご教室きょうしつでは「トッシー」校外こうがい学習がくしゅう愛子あいこさま完全かんぜん復活ふっかつ”. 朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん (2012ねん6がつ29にち). 2012ねん7がつ9にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2013ねん4がつ15にち閲覧えつらん
  28. ^ 愛子あいこさま:入学にゅうがくしき中学ちゅうがく生活せいかつたのしみ」毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ
  29. ^ 2014ねん平成へいせい26ねん)4がつ6にち にっテレNEWS24 愛子あいこさま 学習がくしゅういん女子じょし中等ちゅうとう入学にゅうがく
  30. ^ 愛子あいこさま 昭和しょうわ天皇てんのう御陵ごりょうなどをはつ参拝さんぱい. にっテレNEWS24 (読売新聞社よみうりしんぶんしゃ). (2014ねん7がつ15にち). https://news.ntv.co.jp/category/society/255214 2014ねん9がつ29にち閲覧えつらん 
  31. ^ 皇太子こうたいし一家いっか伊勢神宮いせじんぐう参拝さんぱい 愛子あいこさまははじめて 産経新聞さんけいしんぶんしゃ
  32. ^ にっテレNEWS24 愛子あいこさま、高校こうこう総体そうたい男子だんしバレーを観戦かんせん 2014ねん8がつ3にち
  33. ^ 2014ねん平成へいせい26ねん)12月1にち にっテレNEWS24 愛子あいこさま13さいはじめて一人ひとり皇居こうきょ訪問ほうもん
  34. ^ 産経さんけいニュース 愛子あいこさま、14さいのお誕生たんじょう
  35. ^ 2015ねん7がつ26にち にっテレNEWS24 愛子あいこさま、「戦後せんご70ねん」の特別とくべつてん
  36. ^ 2015ねん平成へいせい27ねん)8がつ23にち にっテレNEWS24 皇太子こうたいし夫妻ふさい愛子あいこさま 戦時せんじちゅう生活せいかつてん
  37. ^ 2016ねん平成へいせい28ねん)8がつ10にち にっテレNEWS24 皇太子こうたいし一家いっか長野ながので「やま記念きねん式典しきてん
  38. ^ 2016ねん平成へいせい28ねん)8がつ11にち にっテレNEWS24 皇太子こうたいし一家いっかやま記念きねん式典しきてん出席しゅっせき
  39. ^ 2016ねん平成へいせい28ねん)10がつ7にち にっテレNEWS24 愛子あいこさま 体調たいちょう不良ふりょうのため2週間しゅうかん学校がっこう欠席けっせき
  40. ^ 2017ねん平成へいせい29ねん)3がつ22にち にっテレNEWS24 愛子あいこさま 学習がくしゅういん女子じょし中等ちゅうとうをご卒業そつぎょう
  41. ^ 2017ねん平成へいせい29ねん)3がつ22にち にっテレNEWS24 愛子あいこさま 中学校ちゅうがっこう卒業そつぎょう文集ぶんしゅう作文さくぶん
  42. ^ 2017ねん平成へいせい29ねん)4がつ8にち にっテレNEWS24 愛子あいこさま高校こうこうにご入学にゅうがく スキー日焼ひやけで笑顔えがお
  43. ^ 愛子あいこさま、えい留学りゅうがく出発しゅっぱつ時事通信じじつうしん、2018ねん7がつ22にち
  44. ^ 共同通信きょうどうつうしん愛子あいこさま、学習院大がくしゅういんだい進学しんがくへ 陛下へいかおな文学部ぶんがくぶ』2020ねん2がつ21にちづけ
  45. ^ 来月らいげつ20さい愛子あいこさまに勲章くんしょう授与じゅよへ コロナおもい、ティアラ新調しんちょうせず:朝日新聞あさひしんぶんデジタル”. 朝日新聞あさひしんぶんデジタル. 2021ねん11月16にち閲覧えつらん
  46. ^ a b 愛子あいこさま 3せんまんえんティアラ制作せいさくふたた固辞こじがれるりょう陛下へいか倹約けんやく精神せいしん”. 女性じょせい自身じしん (2022ねん8がつ10日とおか). 2023ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  47. ^ 官報かんぽうだい630ごう9ぺーじ れい3ねん12月6にちごう
  48. ^ 愛子あいこさま、背筋せすじばして「宝冠ほうかんだい綬章じゅしょうける…天皇陛下てんのうへいかやさしいまなざし”. 読売新聞よみうりしんぶん (2021ねん12月5にち). 2022ねん12月29にち閲覧えつらん
  49. ^ 愛子あいこさま、成年せいねん行事ぎょうじにティアラの正装せいそう笑顔えがお”. nippon.com. 2022ねん12月29にち閲覧えつらん
  50. ^ a b c d 愛子あいこさま成年せいねん記者きしゃ会見かいけん全文ぜんぶん”. 日本経済新聞にほんけいざいしんぶん. 2022ねん3がつ17にち閲覧えつらん
  51. ^ 愛子あいこさま、日本赤十字社にほんせきじゅうじしゃ就職しゅうしょくへ…学習院大がくしゅういんだい卒業そつぎょうの4がつから嘱託しょくたく職員しょくいんとして勤務きんむ. 読売新聞よみうりしんぶん. (2024ねん1がつ22にち). https://www.yomiuri.co.jp/koushitsu/20240122-OYT1T50137/ 2024ねん1がつ22にち閲覧えつらん 
  52. ^ 愛子あいこさま 大学だいがく卒業そつぎょうしき出席しゅっせき卒業そつぎょうにあたり文書ぶんしょ 全文ぜんぶん掲載けいさい”. NHK NEWS WEB (2024ねん3がつ20日はつか). 2024ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  53. ^ 愛子あいこさま はじめておひとりで伊勢神宮いせじんぐう参拝さんぱい 大学だいがく卒業そつぎょう就職しゅうしょく報告ほうこく”. にっテレNEWS NNN (2024ねん3がつ26にち). 2024ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  54. ^ 速報そくほう愛子あいこさま 「神武じんむ天皇陵てんのうりょう」を参拝さんぱい 奈良なら橿原かしはら”. にっテレNEWS NNN (2024ねん3がつ27にち). 2024ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  55. ^ 愛子あいこさま、けさ斎宮いつきひろし視察しさつ 「優雅ゆうが見物けんぶつ子供こども興奮こうふん 三重みえ明和めいわ”. 夕刊ゆうかんさんじゅう電子でんしばん YoMotto (2024ねん3がつ27にち). 2024ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  56. ^ 愛子あいこさま 日本赤十字社にほんせきじゅうじしゃのボランティア活動かつどう推進すいしんしつ配属はいぞくへ”. テレ朝てれあさnews (テレビ朝日てれびあさひ). (2024ねん3がつ28にち). https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000342811.html 2024ねん3がつ28にち閲覧えつらん 
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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 椎谷しいや, 哲夫てつおたかしみや愛子あいこさまご誕生たんじょう 宮中きゅうちゅう見聞けんぶん』(初版しょはんだいさつ明成めいせいしゃ、2002ねんISBN 4-944219-10-5 

関連かんれん項目こうもく

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  • 愛子あいこえき(あやしえき) - 愛子あいこ内親王ないしんのう誕生たんじょう漢字かんじ表記ひょうきおなじということで話題わだいになった。
  • 愛子あいこ大仏だいぶつ(あやしだいぶつ) - どう駅近えきちか佛国寺ぶっこくでらに、愛子あいこ内親王ないしんのう誕生たんじょう建立こんりゅうされた。

外部がいぶリンク

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