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スィヤードヴァーダ [1] (デーヴァナーガリー : स्यादवाद、Syādvāda )とは、ジャイナ教 きょう の前提 ぜんてい 条件 じょうけん に関 かん する教 きょう 説 せつ である。つまり、スィヤードヴァーダによって前提 ぜんてい 条件 じょうけん や公理 こうり を引 ひ き出 だ すことで教 きょう 説 せつ や教 おし えの内容 ないよう がわかるようになる。最初 さいしょ の前提 ぜんてい はサプタバンギーナーヤによって与 あた えられる。そしてそこから他 た の言明 げんめい が論理 ろんり 的 てき に導 みちび き出 だ される。サプタバンギーナーヤを使 つか うことで、相対性理論 そうたいせいりろん はそれに関連 かんれん して等 ひとし 速 そく 運動 うんどう を行 おこな っている別 べつ の慣性 かんせい 系 けい とある慣性 かんせい 系 けい で同 おな じである一 ひと つの思想 しそう ・体系 たいけい に関 かん する真理 しんり を含有 がんゆう しているということになる。ある体系 たいけい 自体 じたい の思想 しそう 構造 こうぞう の内部 ないぶ からその体系 たいけい の真偽 しんぎ を判断 はんだん することは不可能 ふかのう であり、そのような真理 しんり の主張 しゅちょう の発展 はってん ・推進 すいしん は「複数 ふくすう の予測 よそく の理論 りろん 」で示 しめ された「条件 じょうけん づけられた予測 よそく 」という結果 けっか になる等 ひとし 速 そく 運動 うんどう を行 おこな っている別 べつ の完成 かんせい 形 がた との関係 かんけい の中 なか でのみ認 みと められる[2] 。そのため、それぞれの真理 しんり はそれ自身 じしん の体系 たいけい の中 なか では妥当 だとう である一方 いっぽう で相互 そうご に排他 はいた 的 てき な複数 ふくすう の真理 しんり が統合 とうごう される。ある特定 とくてい のものに関 かん するいくつかの真理 しんり の中 なか で、ある一 ひと つ、あるいは別 べつ のもの、あるいは両方 りょうほう が実際 じっさい に妥当 だとう であり得 え る。
サンスクリット
紀元 きげん 後 ご 200年 ねん 以前 いぜん のジャイナ教 きょう 文書 ぶんしょ は全 すべ てプラークリット で著述 ちょじゅつ されており、その内 うち の多 おお くが古 ふる カンナダ文字 もじ で書 か かれている。400年 ねん 以降 いこう のジャイナ教 きょう の注釈 ちゅうしゃく 書 しょ 、儀式 ぎしき や典礼 てんれい 言語 げんご に関 かん する文書 ぶんしょ はサンスクリット (संस्कृता वाक् saṃskṛtā vāk )、ヒンディー語 ご 、あるいは地方 ちほう の言語 げんご で著述 ちょじゅつ されている。この記事 きじ ではプラークリットやサンスクリットから英語 えいご への翻訳 ほんやく あるいは意味 いみ の解釈 かいしゃく が行 おこな われている。英語 えいご にはサンスクリット単語 たんご に対 たい する直接的 ちょくせつてき な訳語 やくご が存在 そんざい しないが、マハーヴィーラ 哲学 てつがく の思想 しそう 的 てき 象徴 しょうちょう を描写 びょうしゃ する概念 がいねん ならば英語 えいご に存在 そんざい する。「スィヤードヴァーダ」という語 かたり は二 ふた つの語源 ごげん から成 な る。「スィヤート」は「おそらく」という意味 いみ で、「ヴァーダ」は「主張 しゅちょう 」という意味 いみ である。「スィヤードヴァーダ」という複合語 ふくごうご になると、おそらく~であると主張 しゅちょう すること、あるいは可能 かのう 性 せい の主張 しゅちょう 、となる[3] 。
七 なな 種類 しゅるい の叙述 じょじゅつ の理論 りろん
ジャイナ認識 にんしき 論 ろん によると「サプタバンギーナーヤ」は「七 なな 種類 しゅるい の予測 よそく 」を記述 きじゅつ している[3] 。
スィヤード・アスティ(syād-asti ) — それは存在 そんざい するだろう
スィヤード・ナースティ(syād-nāsti ) — それは存在 そんざい しないだろう
スィヤード・アスティ・ナースティ(syād-asti-nāsti ) — それは存在 そんざい しかつ存在 そんざい しないだろう
スィヤード・アスティ・アヴァクタヴィヤ(syād-asti-avaktavyaḥ ) — それは存在 そんざい し、言語 げんご 化 か 不可能 ふかのう であるだろう
スィヤード・ナースティ・アヴァクタヴィヤ(syād-nāsti-avaktavyaḥ ) — それは存在 そんざい せず、言語 げんご 化 か 不可能 ふかのう であるだろう
スィヤード・アスティ・ナースティ・アヴァクタヴィヤ(syād-asti-nāsti-avaktavyaḥ ) — それは存在 そんざい しかつ存在 そんざい せず、言語 げんご 化 か 不可能 ふかのう であるだろう
スィヤード・アヴァクタヴィヤ(syād-avaktavyaḥ ) — それは言語 げんご 化 か 不可能 ふかのう であるだろう
群盲 ぐんもう 象 ぞう を評 ひょう す
群盲 ぐんもう 象 ぞう を評 ひょう す という物語 ものがたり において述 の べられた判 はん じ物 もの がある。この物語 ものがたり は様々 さまざま な宗教 しゅうきょう の観点 かんてん から分析 ぶんせき されており、ジャイナ教 きょう の場合 ばあい の群盲 ぐんもう 象 ぞう を評 ひょう す では全 すべ ての言明 げんめい を総合 そうごう することが強調 きょうちょう されている[2] 。
悟 さと り
多数 たすう の予測 よそく の理論 りろん を独断 どくだん 的 てき に支持 しじ する能力 のうりょく は自己 じこ 論駁 ろんばく 的 てき に見 み える。そのためひとたび真理 しんり が様々 さまざま な観点 かんてん から多面 ためん 的 てき であるとみなされると真理 しんり に対 たい する問 と いは解決 かいけつ できないように感 かん じられる。しかし、このジレンマはケーヴァリ が無限 むげん の知識 ちしき を得 え て事物 じぶつ の究極 きゅうきょく 的 てき な真理 しんり ・知識 ちしき に到達 とうたつ できる人々 ひとびと であるために解決 かいけつ される。ケーヴァリではなく、世俗 せぞく 世界 せかい に生 い きているに過 す ぎない人々 ひとびと は真理 しんり の一部 いちぶ だけを得 え て七 なな 種 しゅ の予測 よそく に到達 とうたつ する。
関連 かんれん 項目 こうもく
脚注 きゃくちゅう ・参考 さんこう 文献 ぶんけん
^ syāt の発音 はつおん についてはSyātsārvabhaumaḥ - FORVO
^ a b “ELEPHANT AND THE BLIND MEN ”. Jain Stories . JainWorld.com. 2006年 ねん 8月 がつ 29日 にち 閲覧 えつらん 。
^ a b P.C. Mahalanobis. “The Indian-Jaina Dialectic of Syadvad in Relation to Probability (I) ”. 2007年 ねん 8月 がつ 4日 にち 閲覧 えつらん 。
3. Jain, M.K., Logic of evidence-based inference propositions. Current Science, 2011. 100: p. 1663-1672.
4. Jain, M.K., Nay: English translation of the seminal works (URL http://www.hira-pub.org/nay/index.html ). 1999.
5. Hiraiynna, M., Outlines of Indian Philosophy. 1921, London: George Allen & Unwin Ltd. 420.