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たたら製鉄せいてつ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
たたらから転送てんそう
たたら製鉄せいてつにおけるみ鞴による送風そうふう作業さぎょう(『日本にっぽん山海さんかい名物めいぶつ図会ずえ所載しょさい)。

たたら製鉄せいてつ(たたらせいてつ、えい:Tatara)とは、日本にっぽんにおいて古代こだいから近世きんせいにかけて発展はってんした製鉄せいてつほうで、空気くうきおくむのに使つかわれる(ふいご)が「たたら」とばれていたためにけられた名称めいしょうである。砂鉄さてつ鉄鉱てっこうせき粘土ねんどせい木炭もくたんもちいて比較的ひかくてき低温ていおん還元かんげんし、純度じゅんどたかてつ生産せいさんできることを特徴とくちょうとする[1][2]近代きんだい初期しょきまで日本にっぽん国内こくないてつ生産せいさんのほぼすべてをになった[3]明治めいじ以降いこう急激きゅうげき衰退すいたいし、現在げんざいでは、日本にっぽんがたな原材料げんざいりょうたまこう」の生産せいさん目的もくてきとして、島根しまねけん仁多にたぐん奥出雲おくいずもまちにある「にちがたなたたら」などが稼働かどうしている。

この記事きじでは基本きほんてきに、初出しょしゅつのぞいて「鉧」を「ケラ」、「ずく」を「ズク」、「鞴」を「フイゴ」、「てつかす」を「ノロ」とそれぞれ表記ひょうきする。

名称めいしょう

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「たたら」という用語ようごふるくから「たたら」や「踏鞴」、「多々良たたら」などと表記ひょうきされてきたが[4]、それらは製鉄せいてつのさいに火力かりょくつよめるために使つかうフイゴをし、すでに「古事記こじき」や「日本書紀にほんしょき」にその使用しようれいがある[注釈ちゅうしゃく 1]。また、近世きんせい以降いこう屋内おくない操業そうぎょうされるようになると、たたらのある建物たてもの意味いみする「高殿たかどの」という表記ひょうき使つかわれるようになった[7]

このような経緯けいいから、「たたら」という言葉ことば製鉄せいてつほうほかにフイゴや製鉄せいてつ、それらをおさめた家屋かおくをもひろ意味いみもちいられたが、20世紀せいきはいったころより、とく製鉄せいてつほうして「タタラ製鐵せいてつほう[8]、「たゝら吹製鐵せいてつほう[9]といった用語ようご使つかわれはじめた。また、たたらで製鉄せいてつをおこなう工程こうていのことを「たたらき」と[4]現在げんざいでは「たたら製鉄せいてつ」とおな意味いみ使つかわれる場合ばあいがある[10]

一方いっぽうで「たたら」という呼称こしょうそのものの語源ごげんについては不明ふめいであり、確実かくじつなことはわかっていない。一説いっせつによれば、サンスクリットねつ意味いみする「タータラ」に由来ゆらいするとい、ほかにもタタールぞくかいして日本にっぽんにもたらされたためとするせつがある[11][12]大和言葉やまとことば語源ごげんもとめるせつもあり、「はたり」からの転化てんか簡略かんりゃくであり「とどろかす」の、とする文献ぶんけん存在そんざいする[13]

特徴とくちょう

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砂鉄さてつ

てつ自然しぜんかいにおいて独立どくりつしたかたち存在そんざいすることはほとんどなく、たとえば鉄鉱てっこうせき砂鉄さてつなどに代表だいひょうされる酸化さんかてつのように化合かごうぶつとして分布ぶんぷしている。そのため、そこからてつすには還元かんげん必要ひつようであり、さらに銑鉄せんてつはがねすためには炭素たんそ結合けつごうさせねばならない。

たたら製鉄せいてつは、初期しょき鉄鉱てっこうせき使用しようれいがあるものの、おもに砂鉄さてつ原料げんりょうとし、燃料ねんりょうにはもっぱら木炭もくたん使つかわれた[14]東北とうほく地方ちほうではもちてつ原料げんりょうもちいられたれいもある[15]。また、はや時期じきから火力かりょくたかめるためにフイゴが使用しようされるようになり、古代こだいから近世きんせいまでのなが年月としつきをかけてゆるやかに進化しんかしてきた。

つぶこまかい砂鉄さてつ炭火すみびなか投入とうにゅうすることでみじか時間じかん還元かんげん吸炭がすすみ、またきん現代げんだい製鉄せいてつにくらべて低温ていおん加熱かねつするためにリン硫黄いおうなどの有害ゆうがい不純物ふじゅんぶつてつへの混入こんにゅうすくなく、結果けっかとして非常ひじょう純度じゅんどたかてつすことができる[16]。こうして生産せいさんされた錬鉄れんてつはがね銑鉄せんてつは、近代きんだい以降いこうにはようこうたいしてそれぞれ「かずてつ」、「こう」、「ずく」とばれるようになった。

世界せかいてきてフイゴを使つかった低温ていおん還元かんげん製鉄せいてつほう自体じたいはありふれたものであるが、木炭もくたん生産せいさんのための森林しんりん資源しげん豊富ほうふで、かつ温暖おんだん多湿たしつ気候きこう雨季うき存在そんざいするためその回復かいふくはやく、ほかにも中国ちゅうごく地方ちほうれる良質りょうしつ砂鉄さてつ存在そんざい[17]たいする鉄鉱てっこうせき産出さんしゅつりょうひく等々とうとう要因よういんにより、日本にっぽんにおいて製鉄せいてつはやや特異とくい発展はってんげてきた[注釈ちゅうしゃく 2]

構造こうぞう

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江戸えど時代じだい中期ちゅうき完成かんせいした永代ながよたたらの構造こうぞう
断面だんめん平面へいめん側面そくめん

時代じだい地域ちいきによってちがいはあるが、たたら製鉄せいてつでは基本きほんてきたかさのすくない長方形ちょうほうけい使用しようされた。中世ちゅうせいにはながさがやく2 - 5メートル、はばやく1 - 2メートルの製鉄せいてつ使つかわれている[18]。このはこがたてい粘土ねんどつくられ、製鉄せいてつさいにはざい不純物ふじゅんぶつ溶媒ようばい役割やくわりねるために、てつ出来できていくにしたがってかべ下部かぶすこしずつ内側うちがわからけずられてゆくのが特徴とくちょうである[19]かべうすくなりえられなくなったところ操業そうぎょうえるが、この一連いちれん作業さぎょう単位たんいを「いちだい(ひとよ)」とぶ。いちだいごとにこわされ、次回じかい操業そうぎょうはまたあらたなつくっておこなわれる。

たたらの語源ごげんともなったフイゴにも時代じだいごとの変遷へんせんはあるものの、おおむねはこがたをはさんでちょうあたりがわに2だい設置せっちされるのが一般いっぱんてきで、それぞれにやく20ほんずつけられた「木呂きろ(きろ)」とばれる送風そうふうかんによってかべ両側りょうがわ下部かぶより空気くうきおくむ。内部ないぶしたかって徐々じょじょせばまってゆく構造こうぞうで、はばもっとちいさくなる底部ていぶ周辺しゅうへんはねこうがあり、そこにてつ生成せいせいされる。はねこうは2段階だんかいふとさになっており、さきのほうがほそい。これは後述こうじゅつする鉧押し(けらおし)のにのみられるもので、ないにケラが出来できはじめてかべ侵食しんしょくしてゆき、それが中程なかほどまですすんではねこうふとところまでときにはもっと火力かりょくげる時期じきかるため、フイゴの速度そくどげてよりおおくのかぜおくむための工夫くふうである[20]

また、じょ湿しめ保温ほおんのための地下ちか構造こうぞうもたたら製鉄せいてつ発展はってんともなえない拡大かくだいしてきた。近世きんせい中期ちゅうきには上部じょうぶ構造こうぞうぶつの3ばい規模きぼをもち、火力かりょくとさないためのさまざまな工夫くふうれる。まず地下ちかやく1.5 - 2メートルにかけてあつ粘土ねんどそうもうけてそれよりしたからの地下水ちかすい湿気しっけ遮断しゃだんする。粘土ねんどそうしたには木炭もくたん砂利じゃりなどのそうつづき、さい下部かぶ中心ちゅうしんには排水溝はいすいこうとおす。一方いっぽう粘土ねんどそううえにはふかさ1.5メートルほどの「本床ほんどこ(ほんどこ)」をもうけ、そのなかたきぎめてきにすることで地下ちか構造こうぞう全体ぜんたい十分じゅうぶん乾燥かんそうさせる。たきぎ木炭もくたんとなってのこり、それをそのままかためて木炭もくたんはいそうとする。また、本床ほんどこ両側りょうがわには「小舟こふね(こぶね)」とばれるねつ遮断しゃだん湿気しっけ発散はっさん目的もくてきとしたちいさな空間くうかんもうける。[21][22]

規模きぼ変遷へんせんこそあるものの、初期しょきのぞいてたたら製鉄せいてつ基本きほん構造こうぞうに、時代じだいごとで根本こんぽんてきえるほどちがいは存在そんざいしなかった。

なお、古来こらいからある日本にっぽん独自どくじの溶鉄には「こしきこしき)」とばれるもあり、混同こんどうされることがあるが両者りょうしゃ構造こうぞうまったことなる[23]キューポラ参照さんしょう)。

歴史れきし

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概略がいりゃく

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広島ひろしま県立けんりつみよし風土記ふどきおか移築いちく復元ふくげんされた丸山まるやま製鉄せいてつ遺跡いせき古墳こふん時代じだい後期こうき)の製鉄せいてつ

古代こだいにおける国内こくない製鉄せいてつかんしてはいまくわしくわかっていないこともおおい。

最古さいこきゅう遺跡いせきに、弥生やよい時代じだい中期ちゅうきごろやつこく比定ひていされる福岡ふくおかけん赤井手あかいで遺跡いせきがあるが、この遺跡いせき製鉄せいてつおこなった遺跡いせきではなく、てつ素材そざい加工かこうして鉄器てっき製作せいさくした鍛冶たんや遺跡いせきであった。

古典こてんてきには、弥生やよい時代じだいに、朝鮮半島ちょうせんはんとうからまれた原料げんりょうもちいた製鉄せいてつはじまったとかんがえられてきた[24]。ただしこのせつ根拠こんきょとされる遺跡いせき炭素たんそ年代ねんだい検討けんとうには疑義ぎぎがあり、かくたるせつみとめられるにはいたっていない[25]文献ぶんけんがくてき見地けんち場合ばあい記紀ききにおける内容ないようや「多多たたりょう」というおう姓氏せいし和名わみょう発生はっせい時期じきなどから、すでに5世紀せいき前後ぜんごには国内こくない製鉄せいてつおこなわれていた可能かのうせい指摘してきされている[26]

考古学こうこがくてき信頼しんらいできるたしかな証拠しょうことしては、6世紀せいきなかばの吉備きび地方ちほうさかのぼ[25]。ここでは、最初さいしょには磁鉄鉱じてっこう、6世紀せいき後半こうはんからは砂鉄さてつ原料げんりょうとして使用しようしていた[25]国内こくない調達ちょうたつ容易ようい砂鉄さてつ原料げんりょうとすることで、製鉄せいてつほう吉備きび地方ちほうから日本にっぽん各地かくち伝播でんぱしたとみられる[27]。また、日本にっぽん製鉄せいてつほうは、朝鮮半島ちょうせんはんとう大陸たいりくあるいは世界せかい各地かくち製鉄せいてつほう比較ひかくして、形状けいじょう特異とくいである[27]朝鮮半島ちょうせんはんとうでの製鉄せいてつでは円筒えんとうがたたかさのあるもちいられているのにたいし、吉備きび地方ちほうからつたわった製鉄せいてつほうでははこがたたかさのひくもちいられた[25]。なぜこのような独特どくとく技法ぎほうされたのかは解明かいめいされていない[25]

なお、近年きんねん発掘はっくつ研究けんきゅう進展しんてんによって、福岡ふくおかけん福岡ふくおか博多はかた遺跡いせきぐんや、長崎ながさきけん壱岐いきカラカミ遺跡いせきなどでは、弥生やよい時代じだい製鉄せいてつ遺跡いせきおもわれる痕跡こんせき相次あいついでつかっている[28]

当初とうしょ自然しぜんふうのみを利用りようした方法ほうほうであったため、「てつかす(のろ)」とばれる不純物ふじゅんぶつおおふくんだスポンジじょう海綿かいめんてつができ、それを再度さいど加熱かねつしたうえ、ノロと余分よぶん炭素たんそたたすことで錬鉄れんてつはがね加工かこうした。あいだもなくしてフイゴが使つかわれるようになると、その技術ぎじゅつ改良かいりょう進歩しんぽによってたたら製鉄せいてつ徐々じょじょ規模きぼ拡大かくだいはじめる。

つづ奈良なら平安へいあんころにはどういったてつ生産せいさんされていたのか不明ふめいであるが、遺跡いせき発掘はっくつによって中国ちゅうごく地方ちほう山陰さんいん東北とうほく地方ちほう南部なんぶでは砂鉄さてつが、山陽さんようでは鉄鉱てっこうせきおお原料げんりょう使つかわれたことがかっている[29]。すでに初歩しょほてき地下ちか構造こうぞう出現しゅつげんし、大型おおがたすすんだ[30]

中世ちゅうせい以降いこうのたたら製鉄せいてつには間接かんせつ製鋼せいこうほうである「ずくし(ずくおし)」と直接ちょくせつ製鋼せいこうほうである「鉧押し(けらおし)」とが存在そんざいした。前者ぜんしゃ中世ちゅうせいから[31]近代きんだいなかばにかけて全国ぜんこくひろおこなわれた方法ほうほうであり[32]たいして後者こうしゃ16世紀せいき初頭しょとうになって登場とうじょうした播磨はりまこくの「千種ちくさこう(ちぐさはがね)」をはじまりとする[注釈ちゅうしゃく 3]

また年代ねんだいごとの方式ほうしき変遷へんせんとして、古代こだい中世ちゅうせいにおける露天ろてんがたの「だたら」から、近世きんせい中期ちゅうき以降いこう屋根やねそなえた固定こていがたの「永代ながよたたら」への移行いこうといったながれがある。

このようななが変遷へんせんたのち、たたら製鉄せいてつ成熟せいじゅく完成かんせいいきたっするのは18世紀せいきはいってからのことである[34]

ずくし(ずくおし)ほう

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銑鉄せんてつ

ずくし(ずくおし)」は、まずたたら炭素たんそ濃度のうどたか銑鉄せんてつつくり、それを「だい鍛冶たんやじょう(おおかじば)」とばれるべつ作業場さぎょうばにおいてだつすみ精錬せいれんして錬鉄れんてつはがねにする方法ほうほうである。

おおむね2つの手順てじゅんむために間接かんせつ製鉄せいてつほう分類ぶんるいされ、その操業そうぎょう日数にっすうから「よんにちし」ともばれる。不純物ふじゅんぶつおおふくむものの、つぶこまかいため還元かんげんはやく、銑鉄せんてつになりやすい赤目あかめ砂鉄さてつ(あこめさてつ)をおもな原料げんりょうとした[3]

だい鍛冶たんやじょうは「左下ひだりしたじょう(さげば)」と「本場ほんば(ほんば)」とにかれており、左下ひだりしたじょうでは銑鉄せんてつ再度さいど加熱かねつしてはん溶融ようゆうさせ、そのときフイゴでおくった空気くうきふくまれる酸素さんそ反応はんのうさせることで炭素たんそりょうらす。それを本場ほんばにおいてもう一度いちど加熱かねつだつすみしたのち鍛錬たんれんして不純物ふじゅんぶつのぞく。そうして出来上できあがった錬鉄れんてつは「わりてつ(わりてつ)」[注釈ちゅうしゃく 4]はがねは「左下ひだりしたてつ(さげがね)」とばれ、だつすみ度合どあいによって各種かくしゅてつつくけることができた[32]

たたら製鉄せいてつ鎌倉かまくら以降いこう、このズクしが主流しゅりゅうであり[36][31]中国ちゅうごく地方ちほう中心ちゅうしんとして日本にっぽん各地かくち錬鉄れんてつはがね銑鉄せんてつ生産せいさんされ、それらをもちいて生活せいかつ必需ひつじゅひん武器ぶき農工のうこうなどさまざまなもの製造せいぞうされた。なお、近世きんせい後期こうきには錬鉄れんてつはがねやく2ばい価格かかく売買ばいばいされており[37]当時とうじのたたら製鉄せいてつ生産せいさん中心ちゅうしんはがねではなく、汎用はんようせいすぐれた錬鉄れんてつほうだった。

鉧押し(けらおし)ほう

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たまこう

いちど銑鉄せんてつつくってからそれを錬鉄れんてつはがねおろすズクしにたいし、「鉧押し(けらおし)」は砂鉄さてつからじかはがねつくりだす直接ちょくせつ製鋼せいこうほう分類ぶんるいされる。ただし、後述こうじゅつするようにケラしでは通常つうじょうはがねほかにそれをえるりょう銑鉄せんてつ均質きんしつこうなどができ、それらはおも錬鉄れんてつ仕上しあげられるため[32]厳密げんみつには「直接ちょくせつ製鋼せいこうほうけん間接かんせつ製鉄せいてつほう」である。

天文てんもん年間ねんかん(1532 - 1554ねん)には播磨はりまこくで「千種ちくさこう」の生産せいさんはじまっているが[33]、よりだい規模きぼなものになるのは近世きんせいになってからである[38]近世きんせいのケラしは「さんにちし」ともばれるが、それはズクしよりも日数にっすう短縮たんしゅくすることで、錬鉄れんてつよりも原価げんかひくはがね出来でき割合わりあいやし、操業そうぎょう合理ごうりしたことによる[39]

ケラしのしゅ原料げんりょうである真砂まさご砂鉄さてつ(まささてつ)は不純物ふじゅんぶつすくなく[3]、またつぶおおきく還元かんげんすす速度そくどおそいため[40]銑鉄せんてつともにより炭素たんそりょうひくい「鉧(けら)」とばれるおおきなてつかたまりそこ生成せいせいされる特性とくせいをもつ[41]。ケラはさまざまな性質せいしつてつ混在こんざいするかたまりであり、そのなかには純度じゅんどきわめてたかはがねのちに「たまこう(たまはがね)」とばれる)がふくまれている。なお、からされたケラの冷却れいきゃく方法ほうほうちがいにより、おおきないけけて急冷きゅうれいする「みずこう(みずはがね)」と、そのまま放置ほうちしてじょひやする「こう(ひはがね)」とに区分くぶんされるが、いずれの方法ほうほうでもはがねそのものの品質ひんしつ差異さいない[42]

1750年代ねんだいにケラをだいドウ[注釈ちゅうしゃく 5]ばれる巨大きょだい装置そうちっててつかく種類しゅるい選別せんべつする技術ぎじゅつ開発かいはつされたことや[41]1790年代ねんだい錬鉄れんてつ価格かかく暴落ぼうらく背景はいけいとし[39]19世紀せいき初頭しょとうには出雲いずもこく中心ちゅうしんにズクしと並行へいこうしてさかんに操業そうぎょうされるようになった。ズク(銑鉄せんてつ)のおおくは錬鉄れんてつ仕上しあげられ、ケラのなかはがねはそのままで商品しょうひんとして出荷しゅっかされたが、当時とうじのケラしによって生産せいさんされる錬鉄れんてつはがね比率ひりつやく3:1であった[37]

このケラしは、ズクしにくら操業そうぎょうされた地域ちいき時代じだい限定げんていされていたものの[43]直接ちょくせつ製鋼せいこうほうとしては世界せかいてきてもめずらしいかたち発展はってんげた。

フイゴの進化しんか

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江戸えど時代じだい中期ちゅうき発明はつめいされた天秤てんびん鞴の構造こうぞう

国内こくない製鉄せいてつにおいてフイゴが使つかわれだしたのはおそくとも6世紀せいき後半こうはんから7世紀せいき初頭しょとうられているが[44]初期しょき使つかわれたのは鹿しかかわふくろじょうにした「吹皮(ふきかわ)」とられ、十分じゅうぶん火力かりょくむことができなかった[25]

そこで8世紀せいきには東北とうほく地方ちほう南部なんぶ関東かんとう地方ちほうにおいて、いたりょうはしすうにんずつで交互こうごんで送風そうふうするシーソーしきの「み鞴(ふみふいご)」が出現しゅつげんする[30]中世ちゅうせいになると、手動しゅどうでピストンを往復おうふくさせて空気くうきおくはこがたの「吹し鞴(ふきさしふいご)」が使つかわれだした。

1691ねん出雲いずもこくにおける「天秤てんびん鞴(てんびんふいご)」の開発かいはつは、たたら製鉄せいてつ効率こうりつおおきくげることとなる[45]りょうはし支点してんのある2つのいたなか1人ひとりないし2人ふたりばん(フイゴを作業さぎょういん)が交互こうご方式ほうしきで、送風そうふうりょう増加ぞうかばん負担ふたん軽減けいげんをもたらした[31]

その近代きんだいはいるとフイゴを水車みずぐるま使つかって稼働かどうさせる方法ほうほうひろ採用さいようされた[39]

近世きんせい永代えいたいたたらの完成かんせい

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17世紀せいき初頭しょとうよりはじまった「てつあななが(かんなながし)」による砂鉄さてつだい規模きぼ採取さいしゅ実現じつげん[19]は、フイゴの改良かいりょう相俟あいまっててつ増産ぞうさん可能かのうにした。

また、たたらじょう施設しせつ全体ぜんたいにもおおきな変化へんかがあった。近世きんせい中期ちゅうきの「永代ながよたたら」への移行いこうである。それまでの「だたら」は砂鉄さてつ木炭もくたんよう森林しんりん資源しげんもとめて移動いどうかえ必要ひつようがあったが、りょう繁殖はんしょく成功せいこうによって運搬うんぱんりょく増強ぞうきょうされた結果けっか[45]、それら原材料げんざいりょう輸送ゆそう容易よういになったことで、たたらじょう全体ぜんたいを「高殿たかどの(たかどの)」とばれる建物たてものおおって固定こていできるようになり、操業そうぎょう全天候ぜんてんこうほか地下ちか構造こうぞうふくめた施設しせつ全体ぜんたい拡大かくだいやそれにともな増産ぞうさん可能かのうになった。[46]

近代きんだい以降いこう

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明治めいじ中期ちゅうき国内こくないてつ生産せいさんだか状況じょうきょう
明治めいじはいってもしばらくは中国地方ちゅうごくちほうさんたたらてつがそのだい多数たすうめていたが、明治めいじ20ねん釜石かまいし鉱山こうざん田中たなか製鉄せいてつしょおよびどう34ねん八幡やはた製鉄せいてつしょ創業そうぎょうにより急速きゅうそくにその比率ひりつ低下ていかした。

たたら製鉄せいてつ19世紀せいきはじめには成熟せいじゅくむかえ、幕末ばくまつから明治めいじ中期ちゅうきにかけても依然いぜんとして国内こくない製鉄せいてつ中心ちゅうしんだった[47]。しかし明治めいじ30年代ねんだい関税かんぜい自主権じしゅけんたないことにもよる安価あんか輸入ゆにゅう鋼材こうざい流入りゅうにゅう、および国内こくないでの洋式ようしき製鉄せいてつ伸張しんちょうにより急速きゅうそく衰退すいたい[3]1923ねん大正たいしょう12ねん)に商業しょうぎょう生産せいさんえた[34]

そのあいだにズクしはしつでんしてしまうが[48]、ケラしのほう1933ねん昭和しょうわ8ねん)よりはじまる「靖国やすくにたたら」によりのこることになる[3]軍刀ぐんとうようたまこう生産せいさんのためという用途ようと限定げんていされた操業そうぎょうであったため、それまでのケラしとはことなりこう生産せいさんだいいち目的もくてきとし、1945ねん昭和しょうわ20ねん)の大戦たいせん末期まっきまでさくがたなよう鋼材こうざい供給きょうきゅうつづけた。その敗戦はいせんによる武装ぶそう解除かいじょによってもはや需要じゅよう見込みこめない状況じょうきょうとなり、ふたたびたたらのえる。活動かつどう再開さいかいした数少かずすくない刀匠とうしょうたちは靖国やすくにたたらの在庫ざいことう使つかってさくがたなつづけた。

1977ねん昭和しょうわ52ねん)、日本にっぽん美術びじゅつ刀剣とうけん保存ほぞん協会きょうかい日立金属ひたちきんぞくなど刀剣とうけん関係かんけいしゃ努力どりょくみのり、島根しまねけん仁多にたぐん横田よこたまちげん奥出雲おくいずもまち)において、靖国やすくにたたらの遺構いこう利用りようするかたちで「にちがたなたもてたたら」として復元ふくげん成功せいこうした[49][50]2017ねん平成へいせい29ねん現在げんざいにおいても、18世紀せいきまつ完成かんせいした「永代ながよたたらによるケラし」を継承けいしょうつづけている[51]

奥出雲おくいずもまちには1993ねん平成へいせい5ねん)に「奥出雲おくいずもたたらと刀剣とうけんかん」が開館かいかんした。 2016ねん平成へいせい28ねん)には、文化庁ぶんかちょうにより日本にっぽん遺産いさんとして「出雲いずもこくたたら風土記ふどきてつづくりせんねんんだ物語ものがたり~」が認定にんていされ、島根しまねけん奥出雲おくいずもまち安来やすぎ雲南うんなん観光かんこうきゃく誘致ゆうちはかっている[52][53]

現存げんそん公開こうかい施設しせつ

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江戸えど時代じだい使用しようされていた大板おおいたさんたたら製鉄せいてつ遺跡いせきはぎ)の高殿たかどのあと製鉄せいてつ天秤てんびん鞴)。
  • 菅谷すがやたたら山内やまうち島根しまねけん雲南うんなん吉田よしだまち):たたら製鉄せいてつ従事じゅうじした人々ひとびと職場しょくば居住きょじゅう山内やまうち(さんない)。高殿たかどの生活せいかつ伝承でんしょうかんなどがある。
  • てつ歴史れきし博物館はくぶつかん島根しまねけん雲南うんなん吉田よしだまち
  • 奥出雲おくいずも たたらと刀剣とうけんかん島根しまねけん仁多にたぐん奥出雲おくいずもまち
  • 絲原いとはら記念きねんかん島根しまねけん仁多にたぐん奥出雲おくいずもまち):松江まつえはんてつ頭取とうどり一家いっか記念きねんかんで、その邸宅ていたく庭園ていえん文化財ぶんかざい展示てんじしている。
  • 部屋へや集成しゅうせいかん島根しまねけん仁多にたぐん奥出雲おくいずもまち):同上どうじょう
  • こう博物館はくぶつかん島根しまねけん安来やすぎ
  • 広島ひろしま県立けんりつみよし風土記ふどきおか広島ひろしまけん三次みつぎ

作業さぎょう手順てじゅん

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たたら製鉄せいてつ近世きんせいまで一子相伝いっしそうでんであったため、遺構いこう発掘はっくつ成果せいか数少かずすくない文献ぶんけん記述きじゅつなどによってその概要がいようられるのみであり、かく時代じだい詳細しょうさい作業さぎょう方法ほうほう手順てじゅんまでは記録きろくのこされていない[54]。これはズクしの技術ぎじゅつ途絶とだえた原因げんいんにもなったわけであるが、ケラしは靖国やすくにたたら、およびにちがたなたもてたたらによってかろうじて命脈めいみゃくたもった。このため、以下いか記述きじゅつ後世こうせいつたわった幕末ばくまつから近代きんだいにかけての、ケラしによる操業そうぎょう手順てじゅんとなる。

以下いか靖国やすくにたたらにける昭和しょうわ10ねん11月18 - 22にち操業そうぎょう記録きろく[55]もとづく)

操業そうぎょうやく70あいだ中断ちゅうだんなく継続けいぞくしておこなわれる。全体ぜんたい工程こうていは「こもり(こもり)」、「こも(こもりつぎ)」、「のぼり(のぼり)」、「くだり(くだり)」のけい4からなり、それぞれの所要しょよう時間じかんはおおむね7あいだはん、7あいだはん、18あいだ、36あいだほどとなる。現場げんばでの指示しじは「むら(むらげ)」が担当たんとうし、送風そうふうりょう増減ぞうげん砂鉄さてつ木炭もくたん投入とうにゅう時期じきなどをめる。

こも

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まず準備じゅんび段階だんかいとして、たねはいった木炭もくたん充填じゅうてんして送風そうふう開始かいしする。その2あいだほどたち、温度おんどがある程度ていどがったところで「こも砂鉄さてつ」を投入とうにゅうはじめる。この砂鉄さてつつぶこまかくけやすいため、粘土ねんど出来できかべ比較的ひかくてきすみやかに反応はんのうしてノロ(てつかす)をつくし、そのノロがねつこもらせる役割やくわりたす。
ここからがこもとなり、木炭もくたん、そのふたた砂鉄さてつと、交互こうごやく30ふんごとの投入とうにゅうかえす。定期ていきてき余分よぶんなノロを排出はいしゅつする。

こも次期じき

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投入とうにゅうする砂鉄さてつを、主原あるじはらりょうである真砂まさご砂鉄さてつこも砂鉄さてつを4わり程度ていど混入こんにゅうしたものにえる。
次第しだい温度おんどがってゆき、ノロのほかにズク(銑鉄せんてつ)も出来できはじめる。

のぼ

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十分じゅうぶんねつそここもったところで、投入とうにゅうする砂鉄さてつをすべて真砂まさご砂鉄さてつとする。このつぶあら砂鉄さてつなか完全かんぜんには溶解ようかいせず、ノロにつつまれるかたちでケラ(鉧)を生成せいせいする。ケラはノロのなかそだつため、排出はいしゅつするりょうおおすぎてもすくなすぎてもいけない。
このころになると、ほのおいろはじめのころあか黒色こくしょくから山吹やまぶきしょくわる。

くだ

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砂鉄さてつ投入とうにゅうする間隔かんかくみじかくしてゆき、りょうやしてゆく。ケラが成長せいちょうするとともにかべ侵食しんしょくすすむ。
ケラが肥大ひだいし、がこれ以上いじょうれないと判断はんだんしたところで、むら指示しじ送風そうふうめる。

そのこわしてのこったすみのぞき、ケラをす。ケラは十分じゅうぶんひえましたのち破砕はさいして選別せんべつする。

なお、現在げんざい操業そうぎょうつづけるかたなたもてたたらではしょ事情じじょうによりこも砂鉄さてつ使用しようせず、操業そうぎょうを「こもり」、「のぼり」、「くだり」の3けるほか[56]生産せいさんされるはがねとズクの比率ひりつおおきくことなるなど、上記じょうき相違そういがある。

ケラしによるかく時代じだいのたたらの生産せいさんりょう[57][58] 単位たんいキログラム
たたらめい 操業そうぎょうねん 使用しよう砂鉄さてつ 使用しよう木炭もくたん はがね 銑鉄せんてつ
伯耆ほうきこくとぎたたら 1898ねん 12,825 13,500 1,125 1,575
靖国やすくにたたら 1943ねん 14,911 14,900 577[注釈ちゅうしゃく 6] 1,519
にちがたなたもてたたら 1978ねん 7,840 11,932 1,194 176[注釈ちゅうしゃく 7]
にちがたなたもてたたら 1997ねん 10,325 10,725 2,300 49[注釈ちゅうしゃく 7]

ズクしでの操業そうぎょうにおけるケラしとの相違そうい

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ズクしとケラしとでは、その設備せつび全般ぜんぱん操業そうぎょうほうおおきな差異さいはない[7]。 しかしズクしではもっぱら銑鉄せんてつ生産せいさんするため、砂鉄さてつすみやかに還元かんげんしたのち炭素たんそをよく吸収きゅうしゅうさせる必要ひつようがあり、ケラしと比較ひかくして以下いかのようなちがいがある。

  • つぶこまかく、二酸化にさんかチタン含有がんゆうりょうおおいために融点ゆうてんひく赤目あかめ砂鉄さてつはま砂鉄さてつ使用しようする[59]
  • 蓄熱ちくねつのためはばが20センチメートルほどせまく、下部かぶ傾斜けいしゃがよりきゅうになっている[60]
  • はねこう角度かくどゆるやかでさきひろいため、底部ていぶ全体ぜんたい幅広はばひろふうわた[61]
  • そこまった熔銑ようせんやく3あいだごとにながすためケラがほとんど出来できない[62]
  • 操業そうぎょうは4昼夜ちゅうやわたっておこなわれ、全体ぜんたいやく84あいだおよ[63]
ズクしによるたたらの生産せいさんりょう[58][62] 単位たんい:キログラム)
たたらめい 操業そうぎょうねん 使用しよう砂鉄さてつ 使用しよう木炭もくたん はがね 銑鉄せんてつ
広島ひろしま鉄山てつざん 1898ねん 18,750 15,000 不明ふめい 4,875
石見いわみこくあたいたにたたら 1898ねん 18,000 18,000 337[注釈ちゅうしゃく 8] 4,500

古代こだいにおける作業さぎょう手順てじゅん

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以下いか古墳こふん時代じだいの「たたら」による製造せいぞう作業さぎょうについて説明せつめいする。 古墳こふん時代じだいにはフイゴがつくられていなかったために、たたらでは自然しぜんふうによって木炭もくたん燃焼ねんしょうおこなわれていた。

  1. 風上かざかみこうをもつよう斜面しゃめんなどにつくられ、こう反対はんたいがわ木炭もくたん石英せきえい出来できないゆかめんうえ木炭もくたん砂鉄さてつ交互こうごそうしてならべられ、柴木しばきなどもくわえられて準備じゅんび完了かんりょうする。
  2. こうからけられる。
  3. えてえれば、還元かんげんてつられる。

製品せいひん鍛造たんぞうてきしたてつられた[64]。フイゴを使用しようするのち方法ほうほうくらべてふうりょうすくないぶん低温ていおん精製せいせいによりフイゴしきよりも純度じゅんどたかてつられるという利点りてんがあるが、製鉄せいてつ非常ひじょうなが時間じかんがかかるのに生産せいさんりょうすくないという難点なんてんがあった。

ない反応はんのう

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たたら製鉄せいてつにおけるない反応はんのうについては諸説しょせつあるが、さまざまな化学かがく反応はんのう複雑ふくざつにからみっていることはたしかである[65]

まず、フイゴによってなか空気くうきまれて木炭もくたん燃焼ねんしょうすると、空気くうきちゅう酸素さんそ(O2)と木炭もくたん炭素たんそ(C)とが反応はんのうして二酸化炭素にさんかたんそ(CO2)を生成せいせいし、それがさらに炭素たんそ反応はんのうして一酸化いっさんか炭素たんそ(CO)がしょうじる[66]

雨上あめあがりで湿度しつどたかときなど、条件じょうけんによっては炭素たんそ空気くうきちゅう水分すいぶん(H2Oとも反応はんのうせる[67]

こうして出来でき一酸化いっさんか炭素たんそない還元かんげんせい雰囲気ふんいきへとみちびき、砂鉄さてつ還元かんげん主役しゅやくになう。砂鉄さてつ主成分しゅせいぶんよん酸化さんかさんてつ(Fe3O4)だが、赤目あかめ砂鉄さてつなど、種類しゅるいによっては酸化さんかだいてつ(Fe2O3)も多少たしょうふくまれる。砂鉄さてつなか降下こうかしてゆく過程かてい一酸化いっさんか炭素たんそ反応はんのうして容易ようい酸化さんかだいいちてつ(FeO)となり、より高温こうおん領域りょういきではその酸化さんかだいいちてつがさらに一酸化いっさんか炭素たんそ反応はんのうしててつ(Fe)がされる。[66]

また、下部かぶ高温こうおんいきにおいては、砂鉄さてつ木炭もくたんとのあいだじか還元かんげん反応はんのうがおこる。これを直接ちょくせつ還元かんげん[68]

これら還元かんげんされたてつつぶは、木炭もくたん直接ちょくせつれて炭素たんそ吸収きゅうしゅうすることで融点ゆうてんがり、溶融ようゆうした銑鉄せんてつとなってがいへとながされるほか、ケラしでは底部ていぶにおいてしょうゆいしてはん溶融ようゆうじょうのケラを形成けいせいする[36]

一方いっぽうで、酸化さんかだいいちてつ粘土ねんどせいかべ主成分しゅせいぶんであるケイ酸けいさん(SiO2)とも反応はんのうしてファイヤライトFe2SiO4)となり、比較的ひかくてき早期そうきにノロを形成けいせいする[65]そこまったノロは砂鉄さてつちゅう二酸化にさんかチタンTiO2)などの不純物ふじゅんぶつ溶融ようゆうさせることで砂鉄さてつせいするほか生成せいせいしたケラをつつみこむかたちふたた酸化さんかするのをふせ役割やくわりたす[69]

ほかにも、たたら製鉄せいてつにはきん現代げんだい製鉄せいてつにくらべない酸素さんそ濃度のうどたかいという特徴とくちょうがある。すなわち、砂鉄さてつのみが還元かんげんされてケイ酸けいさんなどの不純物ふじゅんぶつ還元かんげんされないほどの、適度てきど酸素さんそ濃度のうどたもつことでてつ品質ひんしつたかめているわけである。また、砂鉄さてつつぶこまかいため木炭もくたんとの接触せっしょく時間じかんながくなり、たか酸素さんそ濃度のうどなかでも十分じゅうぶん炭素たんそ吸収きゅうしゅうできるのもおおきな長所ちょうしょえる。[36]

産業さんぎょう

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現代げんだいがたな

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たたら製鉄せいてつつくられたはがねふるくから日本にっぽんがたな製作せいさく使用しようされてきたが[注釈ちゅうしゃく 9]前述ぜんじゅつとお近代きんだい以降いこう洋式ようしき製鉄せいてつ主流しゅりゅうになるといく途絶とぜつ危機きき見舞みまわれた。

だい世界せかい大戦たいせん終結しゅうけつするころには、洋式ようしき製鉄せいてつたい価格かかくめん圧倒的あっとうてき不利ふりであることや需要じゅよう大幅おおはば低下ていかのため、たたら製鉄せいてつ操業そうぎょう完全かんぜん停止ていしした。しかし、ようこうではこうくらべて良質りょうしつ日本刀にっぽんとうつくることが困難こんなんであることから、日本にっぽんがたな業界ぎょうかいによりたたら製鉄せいてつ復活ふっかつ切望せつぼうされるようになる[54]。これに日立金属ひたちきんぞく安来やすぎ工場こうじょうこたえ、少量しょうりょうではあるが製造せいぞうおこなわれることとなった。

2017ねん平成へいせい29ねん現在げんざい、この「にちがたなたもてたたら」などが日本にっぽんがたな素材そざい製造元せいぞうもととして操業そうぎょうされている。目下めしたのところ日本にっぽんがたな製作せいさく使用しようされるはがねのほとんどがこの直接ちょくせつせいされた「たまこう」であり、事業じぎょうおもである日本にっぽん美術びじゅつ刀剣とうけん保存ほぞん協会きょうかい刀匠とうしょうへの販売はんばいっている[71]。その一方いっぽうたまこう使つかわない刀匠とうしょう存在そんざいし、自家製じかせいこうおこなったり古鉄ふるかね使用しようするれいがある。

にちがたな以外いがい現代げんだいのたたら

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新見にいみしょうたたらでの操業そうぎょう様子ようす

各地かくち地域ちいきおこしイベントとしてたたら製鉄せいてつおこな事例じれいや、研究けんきゅうしゃ愛好あいこうによる小型こがたたたら製鉄せいてつさかんにおこなわれており[72]、2017ねん平成へいせい29ねん現在げんざいでは下記かきのようなれい存在そんざいする。

産業さんぎょうとの関係かんけい

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和牛わぎゅう
中国ちゅうごく山地さんちではたたら製鉄せいてつもちいる砂鉄さてつすみ出来できてつ牛馬ぎゅうば運搬うんぱんされていた。より役立やくだうしそだてるため、この地域ちいきではふるくからうし品種ひんしゅ改良かいりょうおこなわれており、そこからまれた代表だいひょうてきうし周助しゅうすけづるである。これは但馬たじまうしのルーツとなったうしであり、さら但馬たじまうし現代げんだいさんだい和牛わぎゅうもとである[76]
競技きょうぎようボール
江戸えど時代じだい出雲いずもはんとともに広島ひろしまはんでもたたら製鉄せいてつさかんだった。広島ひろしまはんではてつからはり広島ひろしまはり製造せいぞうし、近代きんだい以降いこうには縫針ぬいはり国内こくないトップ産地さんちとなった。この縫針ぬいはりとゴム製造せいぞうむすびついて、モルテンミカサといった世界せかいてきなスポーツ競技きょうぎようボールメーカーがまれた[77]
鉄砲てっぽう
戦国せんごく時代じだいから江戸えど時代じだいまで鉄砲てっぽう生産せいさんとしてさかえた国友くにともなどが原料げんりょう使用しようしたてつはほとんどが中国ちゅうごく山地さんちから供給きょうきゅうされており、たたら製鉄せいてつ日本にっぽん鉄砲てっぽう文化ぶんかささえた[78]

環境かんきょう破壊はかい

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たたら製鉄せいてつ大量たいりょう木炭もくたん燃料ねんりょうとしてもちいるため近世きんせい以前いぜん中国ちゅうごく山地さんちではたたら製鉄せいてつため樹木じゅもく伐採ばっさいされた禿やまめずらしくなかった。また原料げんりょうとなる砂鉄さてつ採掘さいくつ選別せんべつするための「てつあなながし」で丘陵きゅうりょうくずされたり、山間さんかん渓流けいりゅうなどの利用りようにより流出りゅうしゅつした土砂どしゃ下流かりゅう農業のうぎょうおおきな影響えいきょうあたえたりした。このため鉄山てつざん操業そうぎょう先立さきだって流域りゅういき農村のうそん環境かんきょう破壊はかいたいする補償ほしょう内容ないようさだめる契約けいやくわし、ふゆのみに実施じっしすることとなった[79]。ただし、たたら製鉄せいてつ中心ちゅうしんであった奥出雲おくいずもにおいては25ねんから30ねんのサイクルで木材もくざい計画けいかくてき伐採ばっさいおこなわれており、かならずしも森林しんりん乱伐らんばつされていたわけではない[80]。またてつあなながしがわったのちの「ざんおか」では、棚田たなだ段々畑だんだんばたけとしての利用りようふくめて植生しょくせい回復かいふくしている。

関連かんれん作品さくひん

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脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 古事記こじき」には神武じんむ天皇てんのうきさきとして「うり多多たたりょう伊須いすあまりうり(ひめたたらいすけよりひめ)」の記述きじゅつされている[5]。また、「日本書紀にほんしょき」では「ひめ蹈鞴たたら五十鈴いすずひめいのち(ひめたたらいすずひめのみこと)」となっている[6]
  2. ^ 20世紀せいき前半ぜんはん冶金やきん学者がくしゃであるたわら国一くにいちは「古来こらい穏健おんけんなる発達はったつげて一種いっしゅ独特どくとくてんがある」とひょうしている[8]
  3. ^ 江戸えど後期こうき公儀こうぎ用人ようにんつとめた山田やまだあさみぎ衛門えもんよしあつし著書ちょしょ古今ここん鍛冶たんや備考びこう』(1819ねんころ)の記述きじゅつによる。一方いっぽうおな江戸えど後期こうき活動かつどうした刀工とうこう水心みずごころせいしゅうあらわした『けんこう秘伝ひでん』(1821ねん)では、ケラしの発生はっせい時期じき千種ちくさこう登場とうじょうより100ねん以上いじょうまえおうひさし年間ねんかん(1394 - 1427ねん)としている。[33]
  4. ^ 明治めいじ以降いこうにはそのかたちから「包丁ほうちょうてつ(ほうちょうてつ)」ともばれる[35]
  5. ^ 金偏かねへんどう
  6. ^ ただしたまこうのみ。
  7. ^ a b ただしケラにふくまれるぶんのみ。
  8. ^ ただしケラかたまり
  9. ^ ただし、日本にっぽんがたなのうち慶長けいちょう年間ねんかんよりまえつくられたもの、すなわち「古刀ことう」にまでさかのぼると、その材料ざいりょう製法せいほう伝承でんしょうされておらず、使つかわれたはがねがたたら製鉄せいてつによるものなのかかは判断はんだんできない[70]

出典しゅってん

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  • 北村きたむら寿宏としひろ片山かたやま裕之ひろゆき高橋たかはし一郎いちろう、1997ねん環境かんきょう調和ちょうわがた製鉄せいてつほうへのアプローチ―奥出雲おくいずもの『企業きぎょうたたら』の歴史れきしまな鉄鋼てっこうぎょう環境かんきょう対応たいおう技術ぎじゅつ方向ほうこう」『島根大学しまねだいがく総合そうごう理工学部りこうがくぶ紀要きよう』シリーズA だい31ごう島根大学しまねだいがく、1997ねん10がつ
  • 清永きよなが欣吾きんご、1994ねん 「たたら製鉄せいてつとその金属きんぞくがく」『まてりあ』だい33かんだい12ごう日本金属にっぽんきんぞく学会がっかい
  • 小塚こづか寿ひさしよし、1966ねん日本にっぽん古来こらい製鉄せいてつほう “たたら” について」『てつはがねだい52ねんだい12ごう日本にっぽん鉄鋼てっこう協会きょうかい
  • 齋藤さいとうつとむ坂本さかもとみのる高塚たかつか秀治しゅうじ、2012ねんだい鍛冶たんやない反応はんのうかんする検証けんしょう実験じっけんてき再現さいげん」『国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかん研究けんきゅう報告ほうこくだい177しゅう国立こくりつ歴史れきし民俗みんぞく博物館はくぶつかん、2012ねん11月。
  • 鈴木すずき卓夫たくお永田ながた和宏かずひろ、1999ねんa 「たたら製鉄せいてつ(鉧押しほう)の復元ふくげんむら安部あべ由蔵よしぞう技術ぎじゅつ」『てつはがね』Vol. 85 No. 12、日本にっぽん鉄鋼てっこう協会きょうかい
  • 鈴木すずき卓夫たくお永田ながた和宏かずひろ、1999ねんb 「たたら生産せいさんぶつたまこう』の性質せいしつおよぼす『こも砂鉄さてつ使用しよう影響えいきょう」『てつはがね』Vol. 85 No. 12、日本にっぽん鉄鋼てっこう協会きょうかい
  • 鈴木すずき卓夫たくおたたら製鉄せいてつ復元ふくげんと「にちがたなたもてたたら」の操業そうぎょう技術ぎじゅつ解明かいめい東京工業大学とうきょうこうぎょうだいがく博士はかせ (学術がくじゅつ) おつだい3543ごう〉、2001ねんNAID 500000256728http://t2r2.star.titech.ac.jp/cgi-bin/publicationinfo.cgi?q_publication_content_issue=CTT100725882 
  • 鈴木すずき卓夫たくお、2005ねんてつぼとけ製作せいさく年代ねんだい古伝こでんしょ古今ここん鍛冶たんや備考びこう』からみたずくほうと鉧押しほう成立せいりつ検討けんとう」『てつはがね』Vol. 91 No. 1、日本にっぽん鉄鋼てっこう協会きょうかい
  • たてたかしわがくににおける製鉄せいてつ技術ぎじゅつ歴史れきし」『てつはがねだい91かんだい1ごう日本にっぽん鉄鋼てっこう協会きょうかい、2005ねん、2-10ぺーじdoi:10.2355/tetsutohagane1955.91.1_2ISSN 00211575NAID 110001457794 
  • 永田ながた和宏かずひろ小型こがたたたらによるはがねせい機構きこう」『てつはがねだい84かんだい10ごう日本にっぽん鉄鋼てっこう協会きょうかい、1998ねん、715-720ぺーじdoi:10.2355/tetsutohagane1955.84.10_715ISSN 00211575 
  • 永田ながた和宏かずひろ鈴木すずき卓夫たくお、2000ねん 「たたら製鉄せいてつない反応はんのう機構きこう操業そうぎょう技術ぎじゅつ」『てつはがね』Vol. 86 No. 1、日本にっぽん鉄鋼てっこう協会きょうかい
  • 永田ながた和宏かずひろ羽二生はにゅうあつし鈴木すずき卓夫たくお、2001ねん 「たたら製鉄せいてつ地下ちか構造こうぞうにおける小舟こぶね役割やくわり」『てつはがね』Vol. 87 No. 10、日本にっぽん鉄鋼てっこう協会きょうかい
  • 永田ながた和宏かずひろ、2004ねん 「たたら製鉄せいてつ発展形はってんけいたいとしての銑鉄せんてつせいかく』の構造こうぞう」『てつはがね』Vol. 90 No. 4、日本にっぽん鉄鋼てっこう協会きょうかい
  • 永田ながた和宏かずひろ、2005ねん 「たたらを現代げんだいに」『NIPPON STEEL MONTHLY』11がつごうしん日本にっぽん製鐵せいてつ

関連かんれん文献ぶんけん

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  • 角田つのだ徳幸のりゆき、2019ねん『たたら製鉄せいてつ歴史れきし吉川弘文館よしかわこうぶんかん歴史れきし文化ぶんかライブラリー484〉。ISBN 9784642058841
  • 黒滝くろたき哲哉てつや、2011ねんこう変幻へんげん:たたら製鉄せいてつ日本人にっぽんじん日刊工業新聞社にっかんこうぎょうしんぶんしゃISBN 9784526066573
  • 黒滝くろたき哲哉てつや、2021ねん『たたら製鉄せいてつから再考さいこうする近代きんだい科学かがく:「にちがたなたもてたたら」という思想しそう雄山閣ゆうざんかくISBN 9784639027812
  • 永田ながた和宏かずひろ、2021ねん『たたら製鉄せいてつ技術ぎじゅつろん日本にっぽん古来こらいてつづくりが現代げんだいによみがえる』アグネ技術ぎじゅつセンター。ISBN 9784867070048
  • すずめみのるたてたかし寺島てらしま慶一けいいちへん、2003ねん近世きんせいたたら製鉄せいてつ歴史れきし丸善まるぜんプラネット。ISBN 4901689231

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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